2017年02月16日

◆自由貿易が引き起こしたアヘン戦争

MoMotarou



「地球が逆回転し出した日1853 其の6日目」

 『驕れる白人と闘うための日本近代史』 松原久子著より

 ーーー 江戸幕府が不安だった理由はまさにここにある。(略)それで
は十八世紀末にいったい何が起こったのだろうか。

               ☆彡

長文転載失礼。トランプの騒ぎが続いているので、松原さんの著書より。
高校の歴史ではなぜか数行で終わる。 原著はドイツ語。タイトルは小生。

(転載 始)

<< 「それでは18世紀末にいったい何が起こったのだろうか。」

■茶貿易の始まりは。

東インド会社はすでにかなり長い間、茶貿易を行なっていた。

1664年前後に東インド会社の当時の重役たちはイギリスのチャールス2世
に、価格にして4、5ポンド程のわずかな茶を送った。国王は実は海外の
鳥のコレクションが趣味だったので、茶を送ったのは間に合わせの苦肉の
策だった。

ところがこの苦肉の策からイギリス人の国民的熱狂が生まれたのだった。
というのは、国王がその風味と、気分を高揚させる効果に魅了されたた
め、お茶はやがて宮廷や議会、そして金持ちたちのお気に入りの飲み物に
なったのである。

こうして1720年前後には、英国の茶の需要は絹と木綿を抜いて、東インド
会社が母国に送る商品の価格第1位になるほど増大した。中国はその主要
供給国となった。東インド会社は茶を広東で買わなければならなかった。
広東はかつてイギリスがポルトガルを武力で追い出した中国南部の港町で
ある。

■中国に輸出するものが無かった英国

イギリスにとって貿易赤字がいかに憂慮すべき、切迫したものであったか
は、1793年にイギリスの王室が公式な親書を北京政府に送ったということ
でも計り知ることができる。

大使のマッカートニーは、当時すでに3億近い人口を擁していた中国とよ
りよい均衡のとれた通商を実現するために、中国の宮廷の流儀に従って皇
帝の前で3回跪(ひざまづき)き、9回額を床につけた。

中国の皇帝がマッカートニーに渡した文書による回答は、微動だにしない
自信に溢れた稀有な文書であった。しかしそれは、当時の世界の現実から
見て、無知としかいいようのないものだった。

「世界の遠い片隅で統治する汝英国の王よ、汝どもは我らに使者を送って
よこした。その使者は我ら帝国の慣習に従って、三跪九叩(さんききゅう
こう)の礼を尽くした。我らの帝国は我らの臣民たちが必要とするもの全
てに恵まれている。

それ故汝の国と貿易をする必要がない。しかし、汝の国では茶が育たない
との由、同情を以って、我らの臣民に今まで通り茶を汝らに売ることを許
可する」 このような慇懃無礼(いんぎん-ぶれい)な語調のイギリス国
王宛ての文書を皇帝は大使に渡したのである。

■英国のアヘン販売浸透戦略

恐らく(中国の)大臣も側近もインドの出来事をはじめとして、中華の大
国の外で起こったことなど問題にする価値もないと考えていたのであろ
う。そのくらい中国人は世界のほかの国々に脅威を感じていなかったので
ある。

しかしその間、東インド会社はインドでアヘンを栽培させ、張りめぐらさ
れた仲介人の網の目を通じて広東へ船で運ばせていたのである。ポルノを
売り込んだ際に確保した非合法販売ルートを通じ、腐敗した中国の役人た
ちを買収するために莫大な金額を投下して、毛細管のように広がった供給
網を作り上げたのだった。

その経済的成果は期待以上だった。インドにおけるアヘンの栽培は、東イ
ンド会社の独占であった。その独占権を徹底的に行使したので、アヘンの
栽培は年々拡大の一途をたどり、中国でのアヘンの消費も増加する一方
だった。アヘンの常習者は増える一方で、中国の各都市にはアヘン窟が
次々にできた。

■東インド会社の大成功

東インド会社は200年もの間成功しなかった中国貿易を、アヘン市場の20
年足らずの集中的な開拓によって成功させたのだった。1815年から収支は
大幅に改善された。

しかし東インド会社の重役たちが、中国貿易で利潤をあげられるようにな
り、二百年来初めて黒字を計上したことに満足感を噛みしめていられたの
は、1830年までであった。

やがて遅きに過ぎたが、北京政府も自分たちの国の南から北にかけて、特
に沿岸の豊かな港町に何が侵食しているかが分かってきた。直ちに政府
は、アヘンの輸入は中国の法律に反するといった再確認の意味の指令を出
した。

■自由貿易の原則

アヘン貿易を公然と行なうようになっていた欧米の商人たちは異議を申し
立てた。彼らは自由貿易の原則を盾にとり、その原則は皇帝政府も認めて
いたではないかと主張した。

初めは謙虚さを見せながら、次第に横暴で冷酷になっていく周到なやり口
の背後には、東インド会社の幹部の狡猾な頭脳があった。彼らは前もって
マスコミを誘導していた。

中国におけるアヘン市場の開発と並行して、イギリスにおける世論とそれ
に影響を受ける議会の空気を早くから操作し、遺漏のない準備に怠りな
かったのである。

■マスメディアの役割

「彼らはジャーナリズムの扱いが巧妙だった」とジョーン・ロバートは辛
辣な嘲りのこもった語調で書いている。

「だから新聞は、彼らは儲けなどということを越えて、ヨーロッパ文明を
普及する使命に燃えた立派な商人たちだと書いている。

彼らにとって重要だったのは、自分たちは正しいと思われることであっ
た。神の摂理とヨーロッパの進歩の側に立って、世界から野蛮な行為を一
掃することにのみ努力したのだと言われることだった」>>(終)

           ☆彡

 【討論:ヒトラーとは何だったのか?−ナショナリズムの本質を考え
る[桜H29_2_4]】は日本では珍しい分析だろう。必見!   
https://www.youtube.com/watch?v=OEQpfuf-QbI&t=58s
 
 何れクレームが付くからdownlord必須だ。
 注目は「米国の金融資本がいち早くヒトラーに接近し資金を貸し付けて
いた」との一言だ。そのドイツ債でヒトラーは復興資金を手にし、高速道
路等の建設に使い経済を復興させていった。これは今後も我が国では語ら
れないでしょう。

 似たような現象は今の中国でもあるようだ。米金融資本が早くから「相
手国政府」に貸し付けていた。危なくなってきたので減らして来ている。
その肩代わり・穴埋めに「日本のお金」が使われているのではないかと心
配しております。

評論家の宮崎正弘さんが李登輝元台湾総統に言われた事は「国際金融資
本」に気をつけよ!」。moneyには“色も国籍も”付いていないのだ。

我が国も小泉さんの郵政改革辺りから顕著になってきました。我国が我国
であったのは(頭の中が)我国であったからです。いわゆる「大和魂」を
失った時我が国は没落する、それは蝙蝠(こうもり)国家韓国を見ればわ
かるのです。


     

2017年02月15日

◆「措置入院」精神病棟の日々(3)

 “シーチン”修一 2.0



そもそも「措置入院」とは何か。「精神保健福祉法の知識」から引用する。

<措置入院とは、患者本人に対して行政が命令して入院させるものです。
これは精神疾患のために「自傷他害の恐れ」、つまり自分自身を傷つけた
り、他人を傷つけたり、何らかの迷惑・犯罪行為をする可能性が高い場合
に、行政が患者に命令して、行政措置として入院を強制するものです。

病院と入院契約を交わすのは、患者本人でも家族でもなく、行政です。し
かもこれは強制的な命令であって、患者本人の意志も、家族の意志も、関
係ありません。

このような極めて強制力の強い入院であるために、その条件はかなり厳し
く、実際上は何らかの犯罪行為、違法行為を犯して警察ざたになった場合
が多くなります。

行政が患者を病院に連れてくるという行動に出る前に、「通報」が必要な
のですが、それは以下の3つの場合があります:

・一般市民による通報(23条)
・警察官による通報(24条)
・検察による通報(25条)

いずれの場合でも、関わった人が「どうも精神疾患がありそうだし、危な
い、このままだと自傷行為や他害行為をしそうだ!」と判断したときに、
通報するということになります。

要約すると、措置入院は以下の条件があるときに成立します:

・精神疾患があって、そのために自傷行為や他害行為をしてしまったか、
あるいは今後する危険がかなり高い。

・保護した警察官、検察、一般市民などからの通報があって行政が動き患
者を病院に連れてくるに至る。

・精神保健指定医2名が診察し、2人そろって「精神疾患があり、そのため
に自傷他害の危険性が高い」と診断される。

・その診察結果を受けて都道府県知事あるいは政令指定都市市長が行政措
置として入院を命令する。

措置入院は、上記のような非常に厳しい条件で、自己や他人に危険性のあ
る場合に保護・収容する目的でなされるものでもあるために、それ以外の
入院とは違い、基本的に入院中の外出や外泊は大きく制限されます。

つまり、相当な医療的保護監視のもとではないと、病院外に出ることさえ
できないのです。また医療保護入院と同様に、場合によっては隔離・拘束
などの行動制限を使用することもありますが、これも医療保護入院の場合
と同様な一定のルールのもとで実施することになります>

小生の場合は、自傷行為と器物破損、家族への威嚇により家族からの110
番通報で「保護」されたが、警察から川崎市へ連絡が行き、翌日には川崎
市長・精神保健福祉センターから「措置入院が必要であるかどうかを判断
するため○○病院に移送します」との知らせがあり、翌日の夕刻に○○病院で
診察を受け、病名「双極性感情障害」、症状「粗暴行為による通報、緊急
措置入院」として精神科急性期病棟3Fで身体拘束された。

身体拘束の理由は、「自殺企画または自傷行為が著しく切迫している」、
「多動または不穏が顕著(徘徊、器物破損など、迷惑行為)だった。

身体拘束は想像をはるかに上回る厳しさだった。Salvafixという海外メー
カーの製品で、以下のようなことになる。↓
http://www.medicpro.co.jp/salvafix.html

尿はチューブ、便はオムツで、食事の時は手の拘束ははずされるが、腰は
ベッドに固定されているのでとても苦しい。食事の時以外は天井をにらん
で横臥しているだけだから、腰は痛いし足はつるはで、ほとんど懲罰、拷
問の類。

4日目には「身体拘束されると、病気が治っても社会復帰はできないよ、
腰がやられるからね、歩行困難になる」と誰かから言われた(と思ってい
るのだが、幽明界をさまよっている時期なので妄想あるいは夢かもしれな
い)。

このため「このまま入院していたら病気が治るどころか壊れてしまう」と
思い込み、手足の拘束が解除され、腰ベルトだけになった5日目に締め付
けを緩める工作をし、痩せた体をどうにかベルトから解放し、逃げ出そう
としたが、いかんせん、尿チューブが邪魔で部屋を出られない。

仕方がない、と尿チューブを力任せに引っこ抜き、廊下に出たものの、外
へ通じるドアはすべて施錠されており、どうにもエクソダス(脱出)でき
ずにウロウロしているところを40歳前後の男性看護師“オーヘイ(横柄)”
に見つかり、後ろから羽交い絞めにされ、ベッドに叩きつけられた。この
際に左手小指の筋を傷めたのだろう、3か月間機能不全になった。

“オーヘイ”は45歳ほどで、とにかく横柄である。自尊心の強い男はキャリ
アとともにそれなりの地位につけないと不満が募り、八つ当たりしがち
だ。社会に奉仕するのが社会人だが、社会が自分に報いるべきだと“オー
ヘイ”は思っているのだろう。患者に寄り添うなんて考えもしないで、
「俺は絶対的存在だ、他者は俺の意に従え、逆らう奴は許さない」という
タイプである。

“オーヘイ”により小生は、老人を殺す介護士がいることを理解できた(ど
いうわけか川崎市でよく発生するが、本来は職工になる人が製造業の衰退
で職が少なくなり、介護職に就いているためかもしれない)。老人は彼ら
不平人の憂さ晴らしの恰好のターゲットなのだ。

そのエクソダス未遂事件はあっという間に看護師の話題になり、血だらけ
になった小生のオムツを見た看護師からは「拘束の上に尿チューブはやり
過ぎだ」との同情も呼んだようで、翌日、小生はナースステーション脇の
マウンテンビューのデラックス個室に移され、部屋から出ることは禁止さ
れたが身体拘束は解除された。“脱獄”しかねない要注意人物として監視し
やすくされたわけだ。

8日目には入院後初めてのDr.面談後、風呂にも入れるようになった。
(つづく)2017/2/7

2017年02月13日

◆カタカナ語排斥論者は嘆く

前田 正晶



近頃、政治家に加えてマスコミというか評論家や著名人がしきりに使われ
るカタカナ語に「ウインウイン」がある。あらためて言うまでもないが、
その意味はジーニアス英和にもあるように「(交渉などで)双方が満足で
きる」ことだ。

だが、ここには困ったことに使い方に誤りがあるのだ。それは“win win”
はOxfordには“only before noun”であって形容詞となっていることだ。カ
タカナ語ではほとんど名詞として使われている。

私はカタカナ語排斥論者だが「どうお使いになろうとご随意に。但し、そ
れは英語ではなく我が国で何処かの通信社が創り出したか、先人が苦心し
て編み出した純粋の日本語であるとお心得を」と言って来た。だから、件
名は敢えて「無駄な抵抗」としたのだ。

私は我が国でカタカナ語を濫用するか、創り出す方々の語彙の広さには尊
敬すべき点があると思っているともずっと言ってきた。私はお恥ずかしな
がら22年以上もアメリカの会社の一員として働きながら、こういう表現が
あるとは承知していたが“win win”などという難しい表現を使う機会など
なかった。

使えた記憶がある表現は“It appears we are in no-win situation.”だけ
だった。これは当に反対で「決して勝つ見込みのない」か「うまくいきそ
うにない」とジーニアス英和に出ている。しかも、チャンと“situation”
という名詞の前で使っていた。

もうこれくらいで良いだろう。格好が良いと思ってカタカナ語を幾ら使っ
ても私の知ったことではないが、“win win”は形容詞であって名詞の前に
置くべき言葉であることくらいは、政治家もマスコミの方々も知っていて
くれないのでは如何なものかと思う。

この程度が我が国の科学としての英語教育の成果では情けないではない
か。そんな連中が小学校から英語を学ばせようというのも困ったものだと
思うが。


2017年02月11日

◆「措置入院」精神病棟の日々(2)

“シーチン”修一



退院後の翌日、久し振りに街の用水路沿いを散歩をしていたらこんな標語
があった。

「責めるより 許す心と 思いやり」

法務省が提唱し、地域の防犯協会が協賛している「社会を明るくする運
動」のスローガンで、うん、その通りだ、と思ったが、よく考えたら基本
的に非行少年の再生を願う主旨で、非行老人、不逞老人向けではなさそうだ。

こんな言葉を家族に向かって言おうものなら、「冗談じゃない、加害者が
なにバカを言っているの? 信じられない、全然反省していないんじゃな
い?!」とものすごい剣幕で反発されるだろう。当然と言えば当然だ。被
害者である家族の心の傷の大きさを常に心していないと信用は取り戻せない。

「築城8年、落城3日」という言葉がある。信用を築くには長い年月がかか
るが、信用を失うのは一瞬だ。年長らえば恥多し、とは言うものの、こん
な愚かな晩年になるなんてまったく自分自身は想像もしていなかったが、
家族は「いつかおかしくなるのではないか」と案じていた。「病院へ行っ
たら」と勧められたが、かたくなに拒否していた結果が今の自分である。

脳(brain)と心(mind, heart)はどう違うのか、入院中にずっと考えて
いたが、脳は人工知能(AI)で言えば基本システム(OS)で、心はその中の
一部の機能とか制御盤のようだ。心で随意筋は動くが、不随意筋は別のソ
フトであり、心では動かない。

鉄腕アトムのOSには「人を傷つけたり殺してはいけないが、人間のためと
いう大義のためには命を懸けよ」というソフトが組み込まれていたと記憶
しているが、人間の脳には心(精神)と体(肉体)を守るために緊急避難
で「強制シャットダウン」ソフトが組み込まれているようである。

簡単に言えば、本人が強烈な体験という「過電流」で身体を壊さないよう
に失神とか記憶喪失で心を閉ざすようになっているようなのだ。ケガとか
ショックとかの際に失神とかを起こすのはそのひとつだろう。

よく報道されるのが、犯人や加害者が「やったことは間違いない」という
言葉で、その前後を覚えていないようなのである。これまでは「本当か
よ、しらばっくれているのじゃないか」と小生は思っていたが、自分が加
害者になって初めて分かったのは、暴れまくった数秒間(多分5秒とか10
秒)は覚えているが、前後の記憶が完全に欠落していることだ。今でも思
い出せないが、家族によると目が完全に狂気だったという。

後で聞いたところでは、小生は家で転倒して気絶したようで、家族が「自
分で立てれる?」と聞いたところ「ら抜き言葉はよしてくれ」と言ったそ
うだ。気が付いたら警察署の保護室に軟禁され、施錠の代わりに屈強な警
官2人に監視されており、「これは留置なのか、それとも保護なのか?」
と問い質していた。「保護です」との答えだった。

大暴れしたことをほとんど覚えていないのだが、本人にとって「不都合な
真実」を記憶に残さないようにOSには本人がまったく自覚できない記憶喪
失ソフトが設定されているとしか思えない。

良家の子女は乳母日傘で大事に育てられたためなのか「打たれやすい」、
つまりストレスで壊れやすいようだ。実際に「良い子」が精神病(アスペ
ルガー症候群)になったのを見たことがあるし、小生の病院でも17歳の美
しく温和な娘さん、小生がつけたあだ名“セブンティーン”が入院してきた。

見舞いに来た両親は、父親は60歳ほどの大企業の役員風、母親は40歳ほど
でオシャレ、びっくりするほどの若作りをしていたが、“セブンティーン”
は入院当初は「ここはどこ? 私は誰?」という感じで茫然自失していた
ようだ。

やがて娘さんは徐々に目覚めてきたようで、ホールでの両親との会話が聞
こえてきたが、「その(事件)後のことは全然覚えていない」と言ってい
た。アル中の場合はこれをブラックアウト(停電)と呼んでいる。

ところで精神病や精神疾患は、近年では「心の病」とか「心の風邪」など
と言うようだが、複数の精神科医が執筆・監修した精神疾患ムックによる
と、脳内には幸福や不安を感じやすくする遺伝子(ソフト)があり、これ
が「ストレスの感じ方」を左右するそうだ。

日本人を含めたアジア系民族は環境によるストレスを受けやすく、逆に欧
米人は不安を感じにくく、楽観的な傾向があるという。米国白人はもとも
とが欧州由来だから、簡単に言えば、アジア系は繊細で悲観的、保守的、
欧州系は鈍感で楽観的、進取的なのかもしれない。

小生思うに、アジア系=農耕・定住・集団行動民族、欧州系=狩猟・移
動・個人行動民族というククリも考えられ、アジア系は天気にも一喜一憂
し、欧州系は獲物に出会うかどうかは運次第だからクヨクヨしてもしょう
がない、明日はいいことがあるだろう、と楽観的、進取的になる、とも言
える。

欧州系はライオンなど肉食動物のように「食いだめ」ができるようだから
(中世の記録に女性2人が3日で牛1頭を平らげたという話がある)、冷夏
による飢饉など飢え死にの危機感があまりないのかもしれない。

厚生労働省の平成26年調査によると、精神疾患の患者数はここ20年でずい
ぶん増えている。統合失調症など「妄想性障害」と、うつ病など「気分・
感情障害」は、それぞれ平成8年が72万1000人、43万3000人、合わせて115
万4000人、これが平成26年には77万3000人、111万6000人、合わせて188万
9000人へと急増している。

小生が若いころは同僚などから「気分が落ち込んでいる、ブルーだ、やる
気が起きない」などと言われたら、「まあ、そういうことはよくあるよ、
テンションが上がったり下がったり・・・じゃあ今夜は女子も呼んで
パーッと飲もうぜ」、本人も周囲もあまり気にしなかった。

当時は「過労死」という言葉もなく、「血尿が出て一人前」なんていう凄
まじい職場もあった。自殺しようものなら「ヤワすぎ、ストレスに負け
ちゃった」とあまり同情もされなかった。今は残業≒悪≒ブラック企業のよ
うで、若い女性が自殺でもしようものなら大騒ぎになり、医者が病名を創
るから患者もどんどん増えるわけだ。

たとえばWIKIによると対人恐怖症は神経症の一種とされ、「恥の文化を持
つ日本において群を抜いて多く、日本に顕著な文化依存症候群とされ、海
外においてもそのまま『Taijin kyofusho』と呼称されている」、病名を
創って患者を増やすという、ほとんどビョーキの世界だ。

かくして小生のような本物の狂人、病人の周りには、昔なら「ノイロー
ゼ、ちょっと休めば直るよ」的な人が数多くいるという奇妙な現象にな
る。どう見ても病気だなというのは患者5人に1人ほどという印象で、国民
皆保険や障害年金というセイフティネットも患者増を促進しているのでは
ないかと思ってしまう。(つづく)2017/2/2


2017年02月05日

◆木津川だより 浄瑠璃寺

白井 繁夫



大和と山城国の国境(京都府の最南端)の奈良山丘陵地の山間の地(当尾:とうのお)に、
「小田原山浄瑠璃寺」(木津川市加茂町西小)通称「九体寺」と呼ばれる寺院があります。この寺が「九体の国宝阿弥陀仏」を本尊として祀る、我国で唯一の寺院です。

この寺院へ行く道は、古来より東大寺の転害門(てがいもん)から般若寺を経て笠置街道を採る「般若坂越え」、つまり南から北方へのルートと北の京から南方へ木津川を遡行して加茂道の高田より丘陵を登って南の西小(にしお:西小田原)の集落へ行く道とがありました。(私は浄瑠璃口から南へ約2kmの登りの山道、浄瑠璃寺正門(北門)へ出る道を採りました)。

あまり車や人と出会わない山道を歩きやっと小さく開けた集落に着くと、無人のスタンドには農家の野菜や柿や芋があり、子供時代の遠い昔ののどかな雰囲気に浸っていた時、一時間に一本?のバスが到着し、行楽客?の一団の賑やかな会話となり、そのご一行様は三々五々静かに佇む寺院に吸い込まれて行きました。

「浄瑠璃寺」の創建は不明ですが、嘗ては西小田原寺とも云われ、天平11年(739)
聖武天皇の勅願により僧行基が開創したとか、また天元年中(978−983)多田満仲が開いたとも伝えられていますが、どちらも史料などによる正確な確証は得られていません。

浄瑠璃寺の創建、堂塔の建造.修理、法会(ほうえ)等や施行年などにつてのこの寺院の唯一の根本史料『浄瑠璃寺流記事』、観応元年(1350)寺僧長算(ちょうさん)が、当寺の釈迦院に蔵されていた本をもとに転写し、「釈迦院本の流記、貞和2年(1346)までと観応元年までを加筆、さらに末尾に15世紀の記事二つを長算が付け加えた史料(永承2年:1047〜文明7年:1475)」があります。

以後『流記事:るきのこと』と云う、を参照します。

「浄瑠璃寺」の創建は、永承2年(1047)7月18日義明(ぎみょう)上人を本願とし、
阿知山大夫重頼を檀那として本堂を造立しました。(一日で屋根を葺くと記しているから、最初は小さい本堂と推察されます。)

平安時代の後期になると、釈迦の入滅後、しだいに仏法が廃れ「永承7年(1052)末法の世に入る」と云う、「末法思想」が蔓延しました。この世を救いに来る薬師如来の信仰と現世を捨てて、極楽浄土に往生を遂げようとする「浄土信仰」も高まりを見せ、大和に近いこの山間に、興福寺の一部の僧達が、草庵を建て、修行に励み、教学にも精励しました。

60年後の嘉承2年(1107)正月11日、本仏(薬師如来像)などを西堂に移します。(本尊の移動は本堂を取り壊すため)。

「浄瑠璃寺」は、寺名となる薬師如来が最初の本仏です。一体の木造薬師如来像が当初からこの寺に伝わっており、薬師如来はこの仏の浄土である東方の瑠璃光(るりこう)浄土からの教主であり、この世の苦悩を救い、西方の極楽浄土の阿弥陀仏(来迎仏)へバトンタッチする遺送仏でもありました。

新本堂の建設には約1年半を費やし、翌3年6月23日総供養が導師迎接房経源(ごうしょうぼうきょうげん)、願主阿波公公深で執り行われました。

この時の九体の阿弥陀仏像が当寺院の本尊仏となりました。ただし、この新本堂(九体阿弥陀堂)は現在の場所ではなくて、九体阿弥陀堂と安置の国宝の仏像等はこれより50年後(保元2年1157)に現在の池の西岸に移築されました。

12世紀後半から13世紀にかけては浄瑠璃寺の寺勢が最も隆盛な時代でした。即ち、久安3年(1147)摂政藤原忠道の第1子の伊豆僧正恵信(えしん)の入寺から始まります。

興福寺一乗院門跡であった恵信は、興福寺別当職就任を覚晴に先に越されたのを不満に思い、この山中の小寺に入山して、当寺の延観上人の草庵に隠棲しました。

その後は恵信の力を持って、まず寺域の境界(四至:しいし)を定め、現在の伽藍の中心となっている苑池の原型を整え、浄瑠璃寺一山の守護とするべく、一乗院の法橋信実.寺主玄実父子の墓を寺内に築かせて、(後日)当寺は一乗院の御祈願所となり、興福寺末となりました。

恵信は、保元2年10月興福寺別当に補任されており、本堂を解体して現在の池の西岸に移築した年でもあります。現在見られる浄瑠璃寺の景観は恵信の時代、基本的に完成しました。

九体阿弥陀堂と浄土庭園の一体化を目指し、治承2年(1178)には京都の一条大宮から三重塔を移築して、公式どおりの東に薬師如来の三重塔、池を挟んで西に九体阿弥陀堂の浄土庭園を完成させ、堂宇や多数の仏像も造立されました。

これら一連の大事業は興福寺別当に就任した恵信が浄瑠璃寺に関りがあって尚且つ、摂関家の力を持ってはじめて可能にした大事業だったと思われます。

治承2年には鐘楼も建立され、翌年の11月には三重塔の完成供養を一印上人空心が法会の導師となって執り行われた。(空心上人は九条兼実:摂政関白.太政大臣.九条家の祖:に寺額を依頼できる実力者です)。現在の伽藍の中心である九体阿弥陀堂.苑池.三重塔がそろった輪奐の美が平安時代の末期にここに完成しました。

12世紀末の文治4年(1188)藤原氏の氏神「春日大明神」を請け鎮守とする。『春日大社文書』によると、当時山内には「凡(およそ)当山の住僧僅に80に及ぶ」とあり、80人の住侶を統制して行く組織が浄瑠璃寺では形成されていたと思われます。

鎌倉時代以降の浄瑠璃寺について、『流記事』より少し列挙してみます。

★ 建久5年(1194)〜元久2年(1205)舎利講と一品経(いっぽんきょう)購読を
一千日つづけた勤修を4度おこなう。
★ 建仁3年(1203)2月楼門.経蔵を上棟、貞慶を導師とし、千基塔供養を行う。
★ 建暦2年(1212)薬師如来像に帳を懸ける。吉祥天立像(重文)を本堂に祀る。
★ 仁治2年(1241)馬頭観音立像(重文)造立される。(体内墨書銘)
★ 永仁4年(1296)弁財天像を勧請す。
★ 応長元年(1311)護摩堂を建立。本尊不動明王、二童子像を安置す。
★ 観応元年(1350)9月『浄瑠璃寺流記事』長算によって書写される。

皇族や平安貴族が極楽浄土へ往生出来るように九体の阿弥陀仏を祀る、浄土信仰が隆盛な時期に藤原道長の法成寺(無量寿院)や、白河天皇の法勝寺阿弥陀堂など京都を中心に九体阿弥陀堂が約30建立されましたが、現在当時のまま現存している唯一の寺院がここの「浄瑠璃寺」だけになりました。

寺院の来歴説明が長くなり過ぎました。山内の国宝三重塔、国宝の九体阿弥陀堂.阿弥陀仏像の参拝は、次回にさせてもらいます。

参考資料:浄瑠璃寺と南山城の寺    日本の古寺美術 18    保育社
     加茂町史          古代.中世編         加茂町

                          (郷土愛好家)


2017年02月03日

◆江戸は眠っていたか

MoMotarou



「地球が逆回転し出した日1853 其の四」

『驕れる白人と闘うための日本近代史』 松原久子著より
 ーーー 江戸幕府が不安だった理由はまさにここにある。

       ☆彡

原著はドイツ語。相変わらすトランプ騒動が大きいので。。。タイトルは
小生。嫌なら来るな中国人様(アパホテル支持!)

(転載 始)

■居眠(いねむ)りはしていなかった日本
 江戸幕府が不安だった理由はまさにここにある。

アヘン戦争を、江戸幕府ほど高い関心を持って注目していた政府が世界の
どこにあったろう。アヘン戦争に至るまでの前史、敗北した後の中国の惨
状を、日本の政府ほど熱心に分析した政府も他にはなかった。

危機感は幕府内部にとどまらず、広く一般大衆の間にも広がって、侃々
諤々(かんかんがくがく)の議論が行なわれた。アヘン戦争に至る経緯に関
する本と、戦争が終わってからの中国の惨憶たる有様が書かれた本が出版
され、多くの人に読まれた。

200年前に鎖国が始まって以来、政府のタカ派の人たちがいつも言ってい
た「白人は与し難く、危険である」という警告が正しかったことを、初め
て一般世論が認めたのだった。

■「白人」の悪い性格

白人は何かが欲しいとなれば、絶対譲歩しない。彼らは欲しいと思ったも
のが手に入らなければ、別の方法を考え出して目的を達成する。彼らに扉
をほんの少しの隙間でも開けば、彼らはそれを無理やりこじ開ける。彼ら
をうまく説き伏せることができても、彼らは笑って、やりたかったことを
強甲に実行する。

彼らに断固として立ち向かっても、彼らは恐ろしい武器の力を使って情け
容赦なく反撃してくる。 白人からどのように身を守ることができるのだ
ろうか。

■防衛力増強に大転換

アヘン戦争に関連した中国の出来事すべてを目の前にして、幕府は細心の
注意を払わねばならないことを痛感させられた。西洋人は信用できなかった。

アヘン戦争が終わる1842年、幕府は全ての大名と各沿岸砲兵中隊の指揮官
全員に、アメリカの船が江戸湾に入ってきた1837年の時のように挑発して
砲撃をするようなことを絶対してはならない、そうなったらどんな事態に
発展するか予測がつかない、という厳重な指示を与えた。

と同時に幕府は、兵器を早急に近代化し、沿岸と港の防備を徹底的に強化
し、200年もの間放棄していた艦隊を建設するだけでも、さしあたり国の
最低限の防衛になり得ると考えた。

■何と「蒸気機関」等の国産が始まっていた

そういう事情だったので、ペリー司令長官が例の黒船、すなわち東インド
艦隊を率いて現れる10年前にはすでに溶鉱炉は操業し、鍛造工場や鋳物工
場が建設され、大砲を製造することができる旋盤とフライス盤の開発が始
められていた。蒸気機関はオランダの設計図に基づいて造られ、固定した
動力装置として次々に工場に設置されたり、エンジンユニットとして船に
取り付けられ始めていた。

残念なことに、日本がヨーロッパの技術を早急に取り入れた動機は、ヨー
ロッパ人の独創性を讃美したからではなかった。そうではなくて、むしろ
その動機は、欧米列強の隠れた意図に対する不安と不信感にあったといわ
ねばならない。そしてその不安と不信感が日本人をかくも大急ぎにさせた
のであった。

■「平和ボケ」していなかった幕府

その不安と不信感がいかに正当であったか、再三江戸湾に姿を現す欧米の
船団に対する幕府の極度な慎重さがいかに理に適っていたか、中国の悲劇
が明らかにしてくれる。

「アヘン戦争後、中国は欧米列強に対して実に大幅な譲歩を行なったが、
欧米列強はそれでも不服であった」 これはブリタニカ百科事典からの一
文である。それでイギリスは、一八五六年にごく些細な出来事を新たな戦
争を始める言い掛かりにしたのだった。中国船籍のアロー号が密売のため
にアヘンを積んでいた。(転載終)

■歴史教科書とは違う雰囲気だった

高校の日本史などで学んだ幕末の様子とは違う、松原さんの本は嬉しくな
りますな。私たちの頭の中を書き直す気迫で迫ってきます。

江戸の「鎖国」はいわゆる「管理貿易」の事であり、「国防政策」であり
ました。江戸時代が遅れた時代の様に書かれたりするのは、それで得をす
る勢力が“戦後にも”いたからでしょう。祖先たちは一生懸命やっておりま
した。だから今日の日本がある。

        庶民が頑張る大日本! (笑)!!!

2017年01月31日

◆標準語と軍隊規律

大江 洋三



1937年の南京事変が一昨年10月に「南京大虐殺」として世界記憶遺
産に登録されて幻が現実になった。あの時はマサカと思った。

慰安婦問題と同様に、国内に同調し輸出する者がいたし、NHKや朝日・
毎日も追随したからマサカと思った人は少ないだろう。

そこに風穴を開けたのが、アポホテル個室に置かれた読み物である。19
日に、シナ政府(中共)の報道官が「歴史の歪曲」と非難していたから、
ここは、手を変えてアポホテルの応援をしなければならない。

中共が、子供たちに公用語として簡体字を与えている。漢字は一字々々に
意味をもつが、圧倒的な簡略化で漢字の意味そのものを失うから、子供達
には外国語を学ぶ事と同じ意味になるだろう。

いつぞやのNHKの放映によると、簡体字にローマ字を振って子供たちに
読みを教えているが、我々が漢字にカナを振って読みを知るのと訳が違
う。なりふり構わず標準語を整備し教えている事が解る。

一方で、都市部ではスマホを操る若者も多いし、それにネットの書き込み
も多いから一定の成果は出ているようだ。これらの現象はシナに1949
年、久ぶりに中華人民共和国(中共)という「統一政府」ができた事と大
いに関係がある。

それ以前は?

シナの歴史については、泰斗・岡田英弘名誉教授の弟子でもあり、女房殿
でもある宮脇淳子女史から教わる事が多い。

漢字はシナ王朝の高級官僚の統治用語として存在したが、その他は多民
族、多部族、多言語社会のままであった。読みを含めて、漢字文字が下々
に普及した事は全くなかった。この点が、助詞を開発して文を構成し普及
した日本語漢字と大きく異なる。

19世紀半ばから20世紀半ばまでは、シナは騒乱期で統一政府はなかっ
た。19世紀に入るや満州族の建てた清王朝が傾きだして、いつもの通り
言葉の異なる幾つかの軍閥が台頭した。その中の一つに浙江省の蒋介石軍
閥がある。

軍隊も、平時と戦闘時では「言葉の扱い」は全く異なる。

戦場における上官の命令は、ゴッド神の言葉の如く絶対である。少しでも
疑う兵がいれば戦闘単位にならない。

これも標準語教育を受けた者を、軍事教練する事により得られる。あるい
は入隊させた後で教練として標準語を鍛える場合もある。地方なまり言葉
や文では命令にならないからだ。

従って、標準語を持つ軍隊と、持たない軍隊の性質は別物である。言い換
えれば、共通の識字が有るか無しかである。

シナの歴史にしばしば起きることだが、農村部(文盲貧民)を食(餌〉で
釣れば、直ぐに大軍(群)ができる。

一例に明王朝を取り上げると、創始者・朱元璋は1368年に南京で皇帝
に即位しているが、もとは貧農民盗賊の親分の一人であった。盗賊群は、
ある意味の貧農救済組織で忽ち大群になる。

一方の蒋介石夫婦は浙江閥の大金持ちであったから、読み書きできない私
兵をかき集める事ができた。彼は日本陸軍の将校を務めた事があるから、
自分の命令言葉が下達しない事にイライラしたであろう。

この種の、標準語を持たない間に合わせ軍隊は、上官の個別の命令が届か
ないから、保身のため各個バラバラの動きをする。こういう軍隊では敵前
逃亡を防ぐため、銃を構えた督戦隊が後ろに控える。

異民族など言葉の通じない兵を最前線におく場合、ユーラシア大陸では普
遍的に起きる現象である。そのため、腰の引けた兵は後ろの味方と戦う事
になる。こういう現実が南京でも起きている。

督戦隊を持つ軍隊の、もう一つの特徴は、略奪・強姦を兵の解放として黙
認している事である。だから、日本軍の来る処に人々は集まった。

板垣征四郎麾下の南京派遣軍が、期限付きの無血開城を申しいれたにも拘
わらず、南京城防衛司令官の唐生智は無応答であった。というより、派手
に籠城主戦論をぶっている。因みに唐生智は湖南軍閥上がりである。

応答がなければ派遣軍は攻撃するまでで、察した唐生智は部下を置きざり
にして単独で逃げだしている。

将がそうなら、兵は尚更そうであった。後に逃げれば督戦隊にやられる
し、武器をもったまま軍装を解いて民家に隠れた。

派遣軍もシナの常識は心得ていたから、入念な家宅捜査が行われた。そう
しないと、安心して平定統治ができないからだ。軍装を解いて武器を隠し
ていれば、派遣軍は「民間人なりすまし」と見做し引っ張りだした。

シナには靴を脱いで部屋に入る習慣がないから見つけるのは簡単である。
戦場には敵か味方のどちらかしかいないから、当たり前だが恭順しない者
は殺した。

今日でもアメリカの警察官は「止まれ」に逃げ出すと発砲する。平時です
らそうだから戦時では尚更である。占領統治にあたっては、自軍の安全確
保のため闇を無くすることが最優先である。ここら辺りは、現行憲法下で
は戸惑う人も多いだろうが、戦時・平定戦の常識である。

また、「民間人成りすまし」はハーグ陸戦条約違反だから、派遣軍は徹底
的に掃討した。つまり、国際法における権利の行使をした。蒋介石国民党
は中華民国を名乗って同条約に署名していたから遠慮はしなかった。

日本軍は権利に基づき「シナ兵」を捕虜あるいは殺したのであって、民間
人を殺したわけではない。だから従って虐殺ではない。

略奪は、兵士個人の部分としてはあったであろうが、日本軍は現地物資を
軍票(通貨)で買って調達したのであって略奪をした事はない。あれば、
撤退焦土作戦をした蒋介石軍である。なにせ督戦隊を必要としたのだ。

既に、軍票は従って円は、かの地の物の交換価値(値段)を定めていた。
通貨は発行元の信用がなければ流通しない。終戦後、かの地が物価高に
なっているのは日本軍が通貨統治していた証である。通貨統治のないと処
で、インフレもデフレも起きるはずがないからだ。日本軍の憲兵隊と経理
隊は良く機能したのだ。

ついでに、日本軍将兵に督戦隊の必要性は全く無かった事を加えよう。裏
返して言えば、軍人勅諭をはじめ平素から日本兵は、共通の読み書きがで
きたという事だ。

その後の、唐生智は反蒋介石の毛沢東政権下でも出世しているから、よく
仕事のできる共産党(コミンテルン)の手先だったのだろう。そうでなけ
れば、猜疑心の強い毛沢東が召し抱えるはずがない。

彼らにとって、市街戦で多くの民間人が死亡することが望ましかった。そ
れが南京大虐殺の実態である。多数の「民間人犠牲者」を出す事は、革命
の本質みたいなものだからだ。

言葉・文字から言えば、統一語たる標準語を持たなかった言質を信じて、
持っていた派遣軍の記録を信じないのは、初めから政治目的があるという
事になる。

それこそ、彼らのいう「歴史の歪曲」である。

2017年01月30日

◆100年前の日本人

永冶ベックマン啓子
       


100年前明治時代までの日本人が、現代の日本ではとても考えられないよ
うな、とてつもない体力や精神力を持ち合わせていたという話があります。 

もっと昔の1549年、室町の戦国時代ですが、スペイン人のキリスト教宣教
師 フランシスコ・ザビエルは、当時出会った日本人の印象を次のように
述べています。「日本人は米や麦、時々魚を食べるが少量である。ただ
し、野菜や山菜は豊富である。

粗食に見えるが不思議なほど達者であり、高齢に成る者も多数いる。この
国の人は、他のアジアの国とは異なり、私が返事に困るような難しい質問
もしてくる。」 

幕末から明治にかけての殖産興業の時代、ドイツから何人かのお雇い外国
人が日本にきています。その1人であるドイツ帝国の医師、エルヴィン・
フォン・ベルツ(1849−1913)は、ライプチッヒ大学で医学を学び、親友
シーボルトの影響も受けていましたが27歳の時日本に来て東京医学校(東
京大学医学部 )で医学や栄養学を教授して日本の医学に貢献し、「ベル
ツ水」を作り、蒙古斑の命名者です。

日本女性(花子)を妻に娶り4人子供が生まれ、29年間日本に滞在しまし
た。名前にシーボルトもベルツにも Von / フォンがつきますが、これ
は貴族の称号になります。

ベルツは後にベルリンで日本での体験を報告しますが、この中に大変興味
深い内容の実験報告があります。ある日、ベルツが東京から日光までの約
110kmの旅をした時の事ですが、最初は馬を6回も乗り替えて14時間か
けてようやく辿りついたそうです。

日光が気に入り、2回目に行った時は人力車を雇ったのですが、所要時間
は14時間と30分でした。この時なんと1人の車夫が交替無しで人力車を引
き続けて走ったのでした。

小柄な日本人男性の方が軽い足取りで馬より何倍も体力があったという普
通では考えられない事が起きたのです。本当に驚いたベルツは、その日本
人男性の体力がどこから来ているのか不思議に思い、車夫に一体何を食べ
ているのか食事内容を聞きました。

車夫の答えは「仕事中は、玄米のおにぎりと梅干、味噌大根の千切りと沢
庵」という答えだったそうです。普段は、お米、麦、栗、じゃがいも、味
噌汁、野菜、漬物、百合根、時に魚と言うものでした。

これはドイツ人からみれば、肉の蛋白質もカロリーの脂肪もない大変粗食
に見えました。そこで、彼はドイツの進んだ栄養学の豊かな食事を与えれ
ば、きっとより一層体力が出来るだろうと考え、22歳と25歳の車夫を2人
雇い、1人はお肉や脂肪の多い食事を摂らせ、1人には従来どおりの玄米お
むすびと梅干などの食事で、成果を比較検証してみるという「ベルツの実
験」を行う事にしました。

2人の若者に別々の食事内容で、80sの荷物を積んで、40キロメートルの
道のりを走らせました。肉料理を食べた車夫は3日間走ると疲労度が強
く、「もう力が出ないので元の食事に戻して欲しい」と懇願したそうで
す。おにぎりを食べた方は、そのまま3週間も走り続ける事が出来たそう
です。
  
当時の人力車夫は、一日に50q(30哩)走るのは普通だったといいます
が、ベルツの思惑が完全に外れて困惑した顔が見えるようです。息子が徴
兵制訓練で30km歩いた時がありましたが、ハードなものでした。 更に
「日本女性においては、こんなに母乳が出る民族は見たことが無い」と述
べている。

アメリカ人のお抱え学者エドワード・S・ モースやフランス人の学者も当
時日本人の体力にはとにかく目を見張るほど驚いていた記録が残ります。
山形県酒田市の資料館にある、日本女性が力自慢でお米5俵(300kg)
を背中に乗せて運んだ写真をみたことがありますが、ただただ驚くばかり
です。

100年後の現在と比較してみますと、容易に推察できる事は、当時は人体
が必要とするミネラルが土壌にはバランスよく全てあったという事です
が、これは戦後日本人の強さの謎を解くために、アメリカ人が日本全国
500箇所の土壌サンプルを採取、アメリカの研究所で分析させて判明して
います。

明らかに、化学肥料や農薬の汚染がなかった事が考えられ、また当然遺伝
子組み換えの技術も現在異常に多い食品添加物もなかったわけです。
その健全な土壌と豊富な水、空気で育てられたお米や野菜,豆類は現在よ
りも実に栄養価が豊富で味も良い、人を良くする本物の食品だったと考え
られます。

人は全身の細胞が必要な栄養素で十分満たされれば、病気を寄せ付けない
体を獲得し、知能指数も今より更に10〜20ポイント 上げることが可能です。
単一の穀物で、必須アミノ酸9種類を全て取る事が出来るのは、お米だけ
です。これは玄米レベルですが、小麦やトウモロコシなどはその半分位に
なってしまいます。

しかしお米にはややリジンが不足しがちですが、発酵食品のみそ にはリ
ジンが多く、従い御飯とお味噌汁のコンビメーションが理想的という事に
なります。

100年前のドイツ人はお肉を食べたのは日曜日だけ、と聞きますから、西
洋人は栄養面で問題が多くあって体力もそれ程なかった事が想像されます。
本来の日本を、そして肉体も精神も健康で健全な日本人を取り戻すという
事は、この100年前の健全な土壌と食料品を取り戻すという事ではないで
しょうか。

「もう食べるものが無い」と言いますと思考停止になりますから、考えて
食品を賢く探し出し選択し、生産する努力が重要ではないでしょうか。

2017年01月27日

◆陛下のご譲位について

室 佳之



1月23日の夜にチャンネルを回して、目に入ってきたのが、テレビ朝日の
報道ステーションだった。稀勢の里のニュースが観たかったのだが、その
時報じていたのは、皇族の継承について、つまり陛下のご譲位についてで
ある。

そこで、流れていたのが昨年薨去された三笠宮殿下の生前手記で、既に70
年前に『譲位』の提言をされていたというもの。その内容をどうこう書き
たいのではなく、その時のテレビ朝日の厭らしいほどの言葉の使い分けに
腹が立った。

ナレーションやテロップは、『退位』をこれでもかと使用するが、三笠宮
殿下の手記には、はっきりと『譲位』と書かれているのだ。細かい番組内
容までは記憶にないが、つまりこんな感じだ。

『三笠宮様は、70年前既に「退位」について意見を述べられていました』
というようなナレーションやテロップを入れて、次に三笠宮殿下の手記を
紹介する。

『死以外に「譲位」の道を開かないことは、新憲法18条(中略)の精神に
反しないか』

「」部分は小生が勝手に付けたものだが、『譲位』と書いているだから
『譲位』と読めば良いものをわざわざ『退位』として報道しようとしてい
るのが明らかだ。番組編集側は視聴者に違和感を与えていることが分から
ないのだろうか。

手元にある新明解国語辞典によれば、

譲位:(君主が)その地位を譲ること

退位:君主の地位を退くこと

とある。小生なりに解釈すれば、『譲位』は継承の意が込められている
が、『退位』はその場で時間が止まるような意味合いに感じる。少々極端
な下衆の勘繰りだが、『退位』と使う人たちは、皇統を断絶することを意
図しているのではないか。

皇后陛下が『生前退位』という言葉に大きな衝撃を受けられたと表明され
たことについて、主要メディアはどう受け止めたのだろう。『生前』は使
用しなくなったものの未だに『退位』だけは使いたがっている。

この『退位』と『譲位』の言葉遣いは、メディアにおいても分かれてい
るようだ。主要紙では、産経のみが『譲位』を使い、他紙は『退位』であ
る。あまり見ないから知らないが、TV局はどうなのだろう、恐らくほとん
どが『退位』を使っているのではないか。

ラジオでは、これも全て聴いているわけではないが、ニッポン放送の平日
夕方の番組『ザ・ボイスそこまでいうか』は、『御譲位』とアナウンサー
は使用している。TBSラジオは好きで聴いているが、報道についてだけい
えば、当然のように『退位』を使用する(ついでに書けば、未だに『従軍
慰安婦』などという名称も使用する)。

政治のほうはどうだろう。首相官邸のホームページでザッと探してみた
が、安倍総理大臣がこの件について、発言しているものといえば、小生が
見つけたのは次の2つ。

1つは昨年9月26日の所信表明演説の中で、『天皇陛下の御公務のあり
方』と述べられている。もう1つは、発言というよりも有識者会議の名称
として『天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議』と政府が正式に呼
んでいる。

1月23日の第9回の会議の中で安倍総理は『この問題は、、、極めて重い課
題』とか『この論点整理に、、、』と発言していた。よくよく考えれば、
政府としてまだ譲位を決定した訳でもないから『譲位』や『退位』という
言葉を使用しないのが当然かも知れない。

稀勢の里のニュースを楽しみにしていたら、突如げんなりさせられたこと
がきっかけで、専門家でもないのに素人了見で書いてしまった。不適切な
表現や間違いがありましたら遠慮なくご指摘ください。


2017年01月24日

◆子供の落書きでシリア内戦!?

平井 修一



シリア内戦の発端は少年たちの壁への落書きだったという…本当かよ。毎
日新聞2016年3月15日から。

<発端は少年たちの壁への落書きだったという。それが政権を批判した内
容だったので、治安部隊は少年らを捕らえて拷問した。これに抗議する市
民がデモをすると、今度は治安部隊が発砲したのである。シリア南部のダ
ルアーでの出来事だった

▲2011年の3月半ばというから、日本では大震災の直後である。他のアラブ
諸国での独裁政権崩壊を背景に、反アサド政権のデモはたちまちシリア全
土に広がった。これがその後5年間に及ぶシリア内戦の始まりだった

▲死者27万、国外へ逃れた難民は400万、国内の避難民は750万人といわれ
るシリア内戦である。米露主導によるアサド政権と反政府組織の停戦はほ
ぼ維持されているが、再開された和平協議でもアサド大統領の処遇という
根本問題の妥協の見通しは立っていない

▲ロシアとイランがアサド政権を、米国やサウジアラビア、トルコなどが
反政府勢力をそれぞれ支援し、地域の宗派対立や覇権争いによって長期化
した内戦である。過激派組織「イスラム国」(IS)も複雑な力学を利用
し、その間隙に巣くうかたちで勢力を拡大した

▲もたらされたのは、流血と圧制、難民の大量流出という21世紀最悪の人
道危機ばかりではない。難民受け入れをめぐって欧米諸国ではあからさま
な排外主義が台頭し、国際テロは強圧的な治安対策を招いた。社会的対立
と緊張という“内戦”は欧米にも持ち込まれた

▲5年間も惨状を放置してきた国際社会が自らの内に抱え込んだ対立と混沌
である。和平協議の進展なしには、国際秩序の安定を果てしなくのみ込む
ブラックホールとなりかねないシリア内戦だ>(以上)

「発端は少年たちの壁への落書きだったという」、それなら証拠を示せ
よ。ただの風評じゃないのか。毎日はアカだから平気で嘘をつく。とても
信用できない媒体だ。

「5年間も惨状を放置してきた国際社会が自らの内に抱え込んだ対立と混
沌」と言うが、「アサド×、反アサド○」と煽ってきたのはテメエら世界中
のアカメディアだろうが。その結果が今の大混乱だ。

国境なき医師団、国境なき記者団、こういうお邪魔虫が戦争を継続させ
る。善意、正義、人道を装った最悪の干渉。

シリアの国土は完全に破壊された。停戦しても元に戻りはしない。恥を知
れ、恥を! 「恥」という字は知りません、それがアカメディアの実態で
ある。購読を止めて潰すことだ。(2016/6/7)

2017年01月23日

◆「絶望大陸支那」の処分方

平井 修一



中国は階級社会である。一等国民=都市戸籍=支配階級=裕福、二等国
民=農村戸籍=被支配階級=貧困で、二等国民は一等国民には基本的には
なれない。身分がほぼ固定されているのだ。江戸時代の士・農工商みたい
で、農工商は士にはまずなれないのに似ている。


支那は昔から階級社会で、貴族、大地主、大商人が支配し、農民は農地に
縛られ搾取された。中共革命でもこの構造は変わっていないから封建体制
が今でも続いているといえる。


「中国で出稼ぎ意欲が後退、色あせる『都会の夢』」から。


<[温州(中国)/香港5/30ロイター]起業家の活躍する中国の都市・温
州での20年にわたる生活を経て、ある兄弟が故郷に戻ろうとしている。今
後、市内でもっとよい家に住めるという希望はないし、それなりの生活の
できる賃金を稼ぐことも難しくなりつつある、とJi Shouquanさん、
Shoufangさん兄弟は語る。


中国では、数百万人もの国内出稼ぎ労働者に支えられて、都市部の人口増
大や消費拡大を維持してきた。これによって持続可能性の高い長期的な経
済成長を刺激し、過去30年間の中国台頭の原動力となった重工業・輸出産
業への依存を抑制したいというのが中国の希望である。


だが、そうした努力を損なうようなトレンドが生じている。国内での出稼
ぎが減速しつつあり、遠方に移住して仕事を見つけようという労働者の意
欲は弱まっているのだ。


「収入を得るのは本当に大変だ」と兄のShouquanさんは言う。カラオケ店
で音響技術者として働く彼の所得は月5000元(約8万1500円)程度であ
る。「KTV(カラオケ店)で働いていた6、7人の友人のうち、残っている
のは私も含めて2人だけ。大部分は故郷に帰ってしまった」


弟のShoufangさんはタクシー運転手だが、恐らくもうこれ以上の仕事には
就けないだろうと話している。


兄弟は、コツコツと節約して、すでに故郷の街で家を買える程度の貯金を
こしらえている。彼らの出身地は中国東部の一大農業地帯である安徽省
(平井:貧困地帯、出稼ぎ者が多い)の埠陽だが、隣接する浙江省にある
温州に比べ、住宅価格は約5分の1である。


「私たちのような出稼ぎ労働者が温州で家を買うのは非現実的だ。自分で
事業でも興さない限りは」とShoufangさんは言う。


政府統計によれば、出稼ぎ労働者数は2015年に1億6900万人に迫った。だ
が、前年比で見ればわずか0.4%と、グローバル金融危機が起きた2009年
以来、最も小さな増加率にとどまった。仕事を求めて故郷の省を離れる出
稼ぎ労働者数はマイナス1.5%と6年ぶりの減少を記録した。


中国の総人口約14億人のうち、都市人口の比率は2015年の時点で56.1%
(8億人弱)だが、政府はこれを2020年までに60%まで増やしたいと考え
ている。


アナリストによれば、売れ残り住宅の大量積み上がりは都市化の勢いが衰
えていることを証明しているという。出稼ぎ労働者が、故郷の町や村を離
れて未来を築くことが難しくなっている。


下落していた住宅価格が回復する兆候はいくつか見られるものの、公式統
計によれば、国内の売れ残り住宅在庫は、4月までの1年間で4.5%増大
し、4億5000万平方メートルに達したという(平井:山梨県に相当)。


中国の国家計画機関である国家発展改革委員会にコメントを求めたが、迅
速な回答は得られなかった。


中小都市の多くで建設された住宅は、本来は、政府の都市化推進政策によ
る需要増大を吸収することを意図したものだった。だが、そのような都市
では職を得る見込みも薄く、社会サービスも利用しにくいことから、出稼
ぎ労働者たちはあいかわらず国内でも最大級の(そして最も生活コストの
高い)中心都市での機会を探すか、あるいは諦めて故郷に戻ろうとしている。


「都市化は、人工的な都市に頼るのではなく、人間を軸にして進めるべき
だ」と語るのは、北京に本拠を置くシンクタンク、中国国際経済交流中心
の上席エコノミスト、Wang Jun氏だ。


だが、一部の不動産業界ウォッチャーによれば、出稼ぎ労働者が他の都市
で住宅を購入して定着することを阻んでいる主な要因は、子女のための学
費無料の学校教育や医療など、地元のサービスが利用できないことだという。


中国の戸籍とも言える「戸口」制度のもとでは、都市地域で有利な職を求
める出稼ぎ労働者は、故郷の町や村の住民として享受できる公共サービス
から離脱している。こうした権利喪失が伴うため、多くの者はそもそも故
郷を離れることを諦めてしまう。


「中国の都市化が予定どおりのペースで進んでいれば、(住宅の)過剰供
給などまったく生じなかっただろう。中国の都市化において主要なボトル
ネックとなっているのは、戸口制度の問題だ」と深センに本拠を置く不動
産コンサルタント会社DTZでマネージングディレクターを務めるAlan
Chiang氏は指摘する。


健康保険や初等教育の利用といった戸口制度がもたらす社会的なセーフ
ティネットが与えられていない場合、新たに都市に流入した人はあまりお
金を使おうとしない、とアナリストは言う。より現実的なレベルでは、結
婚や銀行口座の開設を望む場合でも戸口は必要となる。


中央政府は各都市に対してもっと出稼ぎ労働者に対する戸口の付与を進め
るよう促しているが、地方政府は地元からのリソース流出を避けるために
戸口の付与に上限を設けている(平井:社会保障費の増加を抑えるために
門前払いしているとか)。


エコノミストらによる試算では、中国が村落部から都市部への人口移動の
目標を達成することは可能だが、出稼ぎ労働者に対する戸口の付与という
点で各都市は遅れているという。都市部で暮らす人々のうち戸口を保有し
ている率は2013年の時点で36%だが、中国政府は2020年までにこれを45%
まで拡大したいとしている。


「戸口制度と不動産価格の高さという2つの問題は重なり合っている。実
際には戸口が最初のハードルだ。戸口を取得したいと思っても、取得する
には、特定の場所で相当の投資をしなければならない」と語るのは、ビク
トリア大学(ウェリントン)のマーケティング・国際ビジネス大学院の教
授として中国問題を研究しているSiah Hwee Ang教授だ。


「だが、お金さえあれば解決できるわけでもない。つまり住宅事情が最初
にあるわけではなく、それは戸口を取得した後の第2の問題なのだ」>
(以上)


宮家邦彦氏の論考「中国...巨大な合成の誤謬」産経5/26から。


<(1990年代生まれの)90后と呼ばれる彼らは中国を変えるだろう。だ
が、20年後、40代になる彼らは今の生活を維持できないかもしれない。そ
の理由はこうだ。


彼らの両親の多くは現在40代。60を過ぎて引退した彼らの祖父母は今、1
人当たり月額2千元(3万4000円)程度の年金収入があればよい方だ。しか
も祖父母には医療保険がない。今は「小康」状態だが、一度病気になれ
ば、一家は直ちに貧困化する。治療・介護費で最低月数千元が、がんにで
もなれば手術代だけで数十万元が飛んでいくかもしれない。


もちろんこれは真面目で清貧な党員の話。悪徳で栄える党員の家族にこん
な苦労話はない。


続いて、今40代の働き盛り世代を見よう。昔、管子は「衣食足りて礼節を
知る」と教えた。70年代の日本の経営者は労働者が住宅を買えるよう支援
したという。ところがどうだ、今中国の労働者は逆立ちしても、値段が高
騰した住宅など買えない。


20年後に定年退職する彼らは賃貸住宅から追い出され路頭に迷う。彼らの
実子は一人っ子、両親と4人の祖父母で合計6人の老人を1人で支える計算
だ。どう考えても、こんな社会は行き詰まると確信した>(以上)


「絶望大陸支那」・・・で、どうなるのだろうか。日本戦略研究フォーラ
ム政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授・澁谷司氏の論考「今後の
中国をめぐる3つのシナリオ」6/6から。


<今後、中国はどうなるのか。3つのシナリオを提示したい。


第1のシナリオは、中国経済の悪化で「集団的騒乱事件」が増大する。全
国的に、賃金の未払いによるデモやストライキが頻繁し、習近平政権はそ
れらを抑え切れず、一気に共産党政権が終末を迎える。


第2のシナリオとしては、権力闘争の果て、人民解放軍同士が戦闘を開始
する。そして、内乱で国内が分裂するかもしれない。目下、「習近平派」
と「反習近平派」(=李克強派)との間で、経済失政をめぐり責任のなす
り合いが行われている。


第3のシナリオとして、共産党は国内の矛盾を隠蔽するため、あるいは
人々の不満をそらすため、冒険主義的に外国との戦争に打って出る。


その際、人民解放軍のターゲットは、(1)東シナ海では、我が国の尖閣諸
島と蔡英文政権下の台湾、(2)南シナ海では、西沙諸島(ベトナム)と南
沙諸島(フィリピン・マレーシア・インドネシア等)だろう。


周知のように現在、中国は「南シナ海の万里の長城」を構築しようとして
いる。


6月初旬、シンガポールで開催されたアジア安全保障会議(シャングリ
ラ・ダイアローグ)で、カーター米国防長官は中国が「自らを孤立させる
万里の長城」を築く結果になるだろうと警告した。


他方、ルドリアン仏国防大臣は、EU各国に対し、南シナ海に海軍艦艇を派
遣し、定期的に航行するよう、近く呼びかけるという。少なくとも、フラ
ンスが南シナ海での中国の“膨張”に関心を抱くのは注目に値しよう>(以上)


英仏など血の気の多い欧州勢が核ミサイル付き原潜などでアジアに来てく
れると有り難い。万里の長城、鉄のカーテンで狂った豚を汚染大陸に封じ
込める。被害妄想が高じて攻撃的になっており、去勢しないと実に危険
だ。(2016/6/8)


   

2017年01月21日

◆気になる政治家の顔

北村 維康



ビル・クリントンは、二枚舌だけで世渡りをするチンピラに見えました。

ヒラリー・クリントンは、シェークスピアの『マクベス』に出てくる、
マクベス夫人のやうに、冷酷な野心家に見えます。

(私の知人である米国の婦人が言ひました。「ヒラリーはビルより
も”more mean”なのよ」と。ミーンとは、たちが悪いといふほどの意味で
せうか)

それに対して、トランプには「可愛げ」があります。国内政治、国際政治
について何の既成知識も無くても、「本当はこうやるんだよ」と親切に

教えてやれば、「あ、そうか、ウン、わかった」と素直に聴くやうな人で
はないでしょうか。


安倍首相が大統領選挙に当選したてのトランプにすぐに会ひに行ったの
も、時宜を得てゐました。恐らく、政治家の先輩として、「老婆心なが
ら、、、」とい ろいろと教へたのではないでせうか。因みに、安倍首相
の顔も、春風駘蕩といふ感 じで、このやうな顔の人を中心者に持つ我等
日本人は、幸せです。


トランプは何のジョーカー春一番   これは一年前に、私が入ってゐる
句会の句誌に投句したものです。

トランプは遂にやったね春二番    これは本日作ったものです。

来年の今頃、トランプはどんな政治をやってゐるでせうか。期待を込めて
見守りたいと思ひます。

2017年01月19日

◆地球が逆回転し出した日1853 其の2

江戸時代を通じ「武家社会」であった当時の日本人は、中韓両国人に比
べ、危機意識に格段の差があった。今日、日本のあるのはそのおかげであ
る。ーーー「国民の歴史」西尾幹二著ーーー

             ☆彡

トランプ新大統領の登場に現世界は大賑わい。私たちはちょっと一休みし
て、、、

(「国民の歴史」より転載 )

■朝鮮はなぜ眠りつづけたのか

近代日本史は東アジアの国際情勢と密接不可分な関係にあった。以下に述
べる三つのポイントを前提として踏まえなければ、歴史はそもそも叙述で
きない。

まず第1は、近代日本の出発点にはイギリス、ロシア、フランス、オラン
ダ、アメリカ、ドイツなど列強の迫りくる具体的な武力脅威があったこと
だ。アジアでは当時、国境は名ばかりで、塀も柵もない荒れた原野を野盗
の群れが走り回っていたに等しい。

すなわち欧米列強の植民地支配は、列強の相互牽制以外は無制約で、支配
圏の確定は明治維新以前に完了していたのではなく、近代国家としての日
本の独立維持の長い努力のプロセスにおいて進行中であった。

イギリスのインド支配の完成は明治維新の10年前だが、ビルマのそれは明
治十九年、マレー半島の完全な植民地化は明治42年である。

フランスが清仏戦争で清からベトナムを奪うのが明治20年。インドネシア
が正式にオランダ領となるのは明治37年である。南太平洋からはアメリカ
が北上してくる。アメリカによるハワイの併合が明治31年、フィリピン奪
取も同じ年であった。他方、北からは不凍港を求めて南下してくる最大の
脅威ロシアがあった。

『明治の日本人はどんなにか心細かったであろう。そもそもこの心細さが
歴史のすべての話の基本でなくてはならない』。

■日本の自助努力
 
ついでそのように不安なときに、頼りになるべき中国(清)が自国の領土
保全もままならない官僚的老廃国で、朝鮮はその属国にすぎなかった。こ
れが第2のポイントである。
             
朝鮮半島は北からの脅威のいわば吹き抜けの通路であった。明治日本は自
衛のためにも朝鮮の清からの独立と近代化を願い、事実そのために手を貸
したが、朝鮮半島の人々はいつまでたっても目が覚めない。

自国さえ維持できない清に、朝鮮半島を牛耳ったままにさせ、放置してお
けば、半島はロシアのものになるか、欧米諸国の草刈り場になるだけで
あったろう。

つぎに起こるのは日本の独立喪失と分割統治である。日本は黙って座視す
べきだったろうか。近代日本の選んだ道以外のどんな可能性が他にあった
であろう。
                      
『江戸時代を通じ武家社会であった当時の日本人は、中韓両国人に比べ、
危機意識に格段の差があった。今日日本のあるのはそのおかげである』。

第3のポイントは、中国と韓国は無力であったにもかかわらず、日本に理
由なき優越感を示し、扱いにくい、面倒で、手に負えない存在であったこ
とである。(転載 終)

             ☆

■我が国に忍び寄る闇(やみ)
 前号に引き続き“その頃”の我が国を取り囲む状況を調べて見ました。や
はり祖先たちの日本は“その他”と違っていたのでした。頭が上がりません。

 天皇陛下が「辞任」できるように、法整備が急速に進められています。
一回出来たことは「先例」となって再度できる。「君主制」の終焉も目指
せる事になります。日本共産党の目指す所と一致してきた。首相は内政に
注意した方が良い。