MoMotarou
「地球が逆回転し出した日1853 其の6日目」
『驕れる白人と闘うための日本近代史』 松原久子著より
ーーー 江戸幕府が不安だった理由はまさにここにある。(略)それで
は十八世紀末にいったい何が起こったのだろうか。
☆彡
長文転載失礼。トランプの騒ぎが続いているので、松原さんの著書より。
高校の歴史ではなぜか数行で終わる。 原著はドイツ語。タイトルは小生。
(転載 始)
<< 「それでは18世紀末にいったい何が起こったのだろうか。」
■茶貿易の始まりは。
東インド会社はすでにかなり長い間、茶貿易を行なっていた。
1664年前後に東インド会社の当時の重役たちはイギリスのチャールス2世
に、価格にして4、5ポンド程のわずかな茶を送った。国王は実は海外の
鳥のコレクションが趣味だったので、茶を送ったのは間に合わせの苦肉の
策だった。
ところがこの苦肉の策からイギリス人の国民的熱狂が生まれたのだった。
というのは、国王がその風味と、気分を高揚させる効果に魅了されたた
め、お茶はやがて宮廷や議会、そして金持ちたちのお気に入りの飲み物に
なったのである。
こうして1720年前後には、英国の茶の需要は絹と木綿を抜いて、東インド
会社が母国に送る商品の価格第1位になるほど増大した。中国はその主要
供給国となった。東インド会社は茶を広東で買わなければならなかった。
広東はかつてイギリスがポルトガルを武力で追い出した中国南部の港町で
ある。
■中国に輸出するものが無かった英国
イギリスにとって貿易赤字がいかに憂慮すべき、切迫したものであったか
は、1793年にイギリスの王室が公式な親書を北京政府に送ったということ
でも計り知ることができる。
大使のマッカートニーは、当時すでに3億近い人口を擁していた中国とよ
りよい均衡のとれた通商を実現するために、中国の宮廷の流儀に従って皇
帝の前で3回跪(ひざまづき)き、9回額を床につけた。
中国の皇帝がマッカートニーに渡した文書による回答は、微動だにしない
自信に溢れた稀有な文書であった。しかしそれは、当時の世界の現実から
見て、無知としかいいようのないものだった。
「世界の遠い片隅で統治する汝英国の王よ、汝どもは我らに使者を送って
よこした。その使者は我ら帝国の慣習に従って、三跪九叩(さんききゅう
こう)の礼を尽くした。我らの帝国は我らの臣民たちが必要とするもの全
てに恵まれている。
それ故汝の国と貿易をする必要がない。しかし、汝の国では茶が育たない
との由、同情を以って、我らの臣民に今まで通り茶を汝らに売ることを許
可する」 このような慇懃無礼(いんぎん-ぶれい)な語調のイギリス国
王宛ての文書を皇帝は大使に渡したのである。
■英国のアヘン販売浸透戦略
恐らく(中国の)大臣も側近もインドの出来事をはじめとして、中華の大
国の外で起こったことなど問題にする価値もないと考えていたのであろ
う。そのくらい中国人は世界のほかの国々に脅威を感じていなかったので
ある。
しかしその間、東インド会社はインドでアヘンを栽培させ、張りめぐらさ
れた仲介人の網の目を通じて広東へ船で運ばせていたのである。ポルノを
売り込んだ際に確保した非合法販売ルートを通じ、腐敗した中国の役人た
ちを買収するために莫大な金額を投下して、毛細管のように広がった供給
網を作り上げたのだった。
その経済的成果は期待以上だった。インドにおけるアヘンの栽培は、東イ
ンド会社の独占であった。その独占権を徹底的に行使したので、アヘンの
栽培は年々拡大の一途をたどり、中国でのアヘンの消費も増加する一方
だった。アヘンの常習者は増える一方で、中国の各都市にはアヘン窟が
次々にできた。
■東インド会社の大成功
東インド会社は200年もの間成功しなかった中国貿易を、アヘン市場の20
年足らずの集中的な開拓によって成功させたのだった。1815年から収支は
大幅に改善された。
しかし東インド会社の重役たちが、中国貿易で利潤をあげられるようにな
り、二百年来初めて黒字を計上したことに満足感を噛みしめていられたの
は、1830年までであった。
やがて遅きに過ぎたが、北京政府も自分たちの国の南から北にかけて、特
に沿岸の豊かな港町に何が侵食しているかが分かってきた。直ちに政府
は、アヘンの輸入は中国の法律に反するといった再確認の意味の指令を出
した。
■自由貿易の原則
アヘン貿易を公然と行なうようになっていた欧米の商人たちは異議を申し
立てた。彼らは自由貿易の原則を盾にとり、その原則は皇帝政府も認めて
いたではないかと主張した。
初めは謙虚さを見せながら、次第に横暴で冷酷になっていく周到なやり口
の背後には、東インド会社の幹部の狡猾な頭脳があった。彼らは前もって
マスコミを誘導していた。
中国におけるアヘン市場の開発と並行して、イギリスにおける世論とそれ
に影響を受ける議会の空気を早くから操作し、遺漏のない準備に怠りな
かったのである。
■マスメディアの役割
「彼らはジャーナリズムの扱いが巧妙だった」とジョーン・ロバートは辛
辣な嘲りのこもった語調で書いている。
「だから新聞は、彼らは儲けなどということを越えて、ヨーロッパ文明を
普及する使命に燃えた立派な商人たちだと書いている。
彼らにとって重要だったのは、自分たちは正しいと思われることであっ
た。神の摂理とヨーロッパの進歩の側に立って、世界から野蛮な行為を一
掃することにのみ努力したのだと言われることだった」>>(終)
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【討論:ヒトラーとは何だったのか?−ナショナリズムの本質を考え
る[桜H29_2_4]】は日本では珍しい分析だろう。必見!
https://www.youtube.com/watch?v=OEQpfuf-QbI&t=58s
何れクレームが付くからdownlord必須だ。
注目は「米国の金融資本がいち早くヒトラーに接近し資金を貸し付けて
いた」との一言だ。そのドイツ債でヒトラーは復興資金を手にし、高速道
路等の建設に使い経済を復興させていった。これは今後も我が国では語ら
れないでしょう。
似たような現象は今の中国でもあるようだ。米金融資本が早くから「相
手国政府」に貸し付けていた。危なくなってきたので減らして来ている。
その肩代わり・穴埋めに「日本のお金」が使われているのではないかと心
配しております。
評論家の宮崎正弘さんが李登輝元台湾総統に言われた事は「国際金融資
本」に気をつけよ!」。moneyには“色も国籍も”付いていないのだ。
我が国も小泉さんの郵政改革辺りから顕著になってきました。我国が我国
であったのは(頭の中が)我国であったからです。いわゆる「大和魂」を
失った時我が国は没落する、それは蝙蝠(こうもり)国家韓国を見ればわ
かるのです。