2015年03月03日

◆228事件68周年に思う

Andy Chang

2月28日は台湾の228事件記念日だった。台湾各地で228事件記念集会が行われ、アメリカ各地でも台湾人同郷会で記念集会、講演会などが行われた。

事件から68年経っても台湾人が受けた傷は癒えていない。国民党は228大虐殺のあと38年にわたる白色恐怖、戒厳令を敷いた。台湾人が受けた恐怖心は馬英九のお座なりの和解談話で済むものではない。

海外各地で行われた集会では大部分の参加者がそれぞれ家族、親戚、友人が虐殺された悲惨な過去を語り、悲憤慷慨していた。海外の集会と違って台湾各地の集会では、真相追究、真犯人は総帥蒋介石と国民党軍の兵隊であると指摘していた。

事件から68年経っても恨みは消えないばかりか、ヒマワリ学生運動のあとの台湾人意識の高揚で真相追及の声が盛んになった。怨恨が消えていないのは国民党、中国人の和解談話に反省、誠意がないからである。

●蒋介石が虐殺を命じた

史実研究では、228事件の本質とは国民党軍による台湾人民大屠殺である。国民党軍の兵士が見境なく人民を屠殺したのは蒋介石の命令による、つまり真犯人は蒋介石で執行者は国民党軍である。

国民党は今日に至っても228事件について原因、経過、虐殺の記録などを公開していない。今日に至っても殺害された人の総数やどのようにして殺害されたか、正確な記録がない。

民間の調査では殺害されたものの家族や事件の経験者などと元にたくさんの記録文書が発表されている。しかし国民党は一部分の記録しか公開していない。台湾人民は真相の究明を要求している。

●蒋介石の銅像

228当日、台湾各地で蒋介石の銅像に卵やペンキ入りの玉を投げるなどの抗議が相次いだ。報道によると台湾には今でも学校や公園に蒋介石の銅像があり、その数は300を越えると言う。銅像にペンキを投げて抗議するなど2年前までは出来なかったことだ。去年のヒ
マワリ運動で国民党の権威失墜が起きてから可能になった。

蒋介石の228大虐殺で大量の青年や知識人、エリートが抹消された。蒋介石は228事件の最高責任者である。それにも拘らず殺人魔王の銅像が被害を受けた土地に設置され、68年が経過した今でも撤去されていない。世界に類のない状況がいつまで続くのか。これが228
記念集会で討論されたことである。228事件の傷が未だに癒えていない原因がここにある。

●虐殺か民族浄化か

集会では経験談や親族が殺害されたたくさんの悲惨な物語の他に、228事件は虐殺事件か、または民族浄化(Ethnic Cleansing)だったのかと言う疑問が出された。

蒋介石が国民党軍に命令して台湾で大虐殺があったのは確かである。虐殺は中国人の日常茶飯事である。蒋介石は過去において中国で派閥闘争や批判者、政敵を抹殺するため数多い闘争で数千、数万の敵を殺した。

陳炯明、呉佩孚、孫伝芳などとの闘争、北伐の戦いで蒋介石が勝てば数千人が殺された。更に毛沢東の8000里大逃亡、戦後は毛沢東に追われて台湾に亡命しても共産主義者の追殺はあった。この過去を見れば蒋介石の殺戮は単なる「虐殺」かもしれない。

しかし蒋介石や国民党軍が台湾で行った虐殺は無差別でなく、台湾人のエリート抹殺であった。有名人、資産家、教師、学者など知識人を選別的に逮捕し殺害したのである。この点から見れば蒋介石の殺戮は「民族浄化」である。

また、このことから明らかになるのは中国人は台湾人とは違う民族で中国人は台湾人を奴隷視し、今でも台湾人を蔑視していると言う事実である。

●毛沢東、トウ小平、蒋介石

言えることは、数千年の中国歴史にある殺戮は蒋介石のほかにも数多くあったことである。世界現代史の殺人魔王4人とは、(1)スターリン4200万人、(2)毛沢東3782万人、(3)ヒットラー2095万人、(4)蒋介石1021万人と言われている。世界史に掲載された殺人魔王のうち2人が中国人である。

今の中国ではチベットと東トルキスタンで数々の虐殺事件がおきている。中国人の性格から見れば民族浄化は漢民族にとっては何でもないことであり、いくら弱小民族を抹殺しても罪業を感じないのである。このほか中国では法輪功信者の殺戮が報道されている。

この事実でわかることは、残忍な中国人と温和な台湾人はまったく違う人種であることだ。中国人が台湾を統治している限り、台湾に平和はない。おまけに凶惨中国人は台湾を中国の領土と主張し、武力行使で併呑すると公言している。台湾が独立しなければ中国人による民族浄化は避けられないだろう。

●虐殺の被害者に「和解」を求めるな

228記念集会で馬英九は、228事件は「官逼民反」だったと言った。つまり戦後台湾を占領した台湾省行政長官・陳儀が台湾でひどい掠奪をしたため、飢餓や厄病などが起き、警察がタバコ売りを殴り殺したかため民衆の抗議がエスカレートして反乱がおきたと言うのだ。
この説明は国民党の結論だが台湾人は絶対に承認しない。

掠奪や警察の横暴はあったが、228事件の原因はもっと深い原因があり、国民党は今でも真相を理解せず、後悔も謝罪もしない。馬英九は事件が既に68年も前のことであり、中国人と台湾人が「和解して平和な発展」を遂げることを望むと述べた。

台湾人は被害者である。事件から68年が経過しても改悛の意志もない加害者が、被害者に対し和解しろと要求するのは加害者の傲慢である。

「赦すことはできる、忘れてはならない」と言う人もいるが、反対者も多い。虐殺は許せるるが民族浄化は許せない。台湾人にとって228事件は筆舌で言い尽くせることではないのである。


◆来日目的が観光から敢行に変わる日

野口 裕之



2月24日までの1週間、中国の旧正月休み・春節を利用して雲霞のごとき中国人観光客が来日した。カジュアルな服装で札ビラを切る中国人が、小欄には肩章や襟章を付けた中国人民解放軍将兵と二重写しになった。

観光客には、休暇中の現役兵や予備役、民兵らが間違いなく存在しようが、わが国の法律と治安を守る限り入国を拒む理由はない。ただ「観光」目的が一転「敢行」目的に豹変するのなら、断固排除しなくてはなるまい。

国防動員法の恐ろしさ

殺到した中国人を目の当たりにして、2010年7月に施行された《中国・国防動員法》の条文を改めて点検した。法の上位に君臨する中国共産党の凶暴性が憑依したつもりで、法文・法理も「共産党好み」にウラ読みしなければ、国防動員法の恐ろしさは実感できない。

法律は、情勢次第で、観光客も、留学生も、研修生も、永住者も、日本を含め海外にいる中国人は騒擾・内乱を起こす侵略の先兵となれと、本国が発する司令を事実上担保する。

中国は平和の祭典・北京五輪を前に、長野市での聖火リレーで、チベット人大虐殺に対する世界の人々の抗議を嫌い、留学生ら3000〜5000人(1万人説アリ)を大動員。「聖火護衛」と抗議ムードを薄め歓迎ムードを盛り上げる「サクラ」に仕立てた。国防動員法施行前の08年でこの動員力。日本に住む中国人は70万人、観光客は昨年240万人に達した。

中国人が善良であろうとなかろうと、動員は施行後、強制・義務となり、従わねば罰せられる。中国には親・兄弟が「人質」に捕らえられてもいる。春節期間中、世界の中華街で鳴り響いた爆竹を爆弾に替えられる法律。それが国防動員法が持つ裏の顔である。

法律の目的は《国防建設を強化し、国防動員制度を完全にし、動員業務の順調な進行を保障し、国家の主権、統一、領土の完全性や安全を守るため=第1条》。ということは、台湾が《統一》に反して独立を目指すのなら、法律の発動要件となる。台湾有事は日本に死活的影響をもたらすが、尖閣諸島(沖縄県石垣市)はじめ日本に対する直接侵攻もにらんでいる。

《国防勤務を担わなければならない》公民は《満18歳〜満60歳までの男性/満18歳〜満55歳までの女性=第49条》だが、後段が有る。

《次に該当する公民は国防勤務を免除する》として(1)託児所/幼稚園/孤児院/老人ホーム/障害者リハビリ施設など社会福祉機関に従事(2)義務教育課程の学校に従事(3)妊娠・授乳期間中の女性(4)勤務が遂行できぬ罹患者(5)労働能力喪失(6)国連など国際機関に勤務(7)県レベル以上の政府が免除-を列記する。

随分と“人道的”な条項で気味が悪い。日本の安全標語が《気をつけよう、甘い言葉と暗い道》と警告するように、中国が《甘い言葉》を発信しているときは「秘匿すべき“何か”」を埋め込んでいる。

「潜在力」に化ける観光客

国防動員法施行の4カ月前、6000強の無人島に網をかぶせた《海島保護法》を、中国が施行した背景も胡乱であった。表看板は島嶼の乱開発制限=生態系保護を掲げる“環境反故国”にしては珍種に属する法律。確かに開発で樹木が乱伐され、無謀な採石で「中国らしい」島が急増している。

ところが実態は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に生物圏保存地域=エコパーク登録された島にさえ軍事基地を造成。複数の国々が領有権を主張している島嶼も“保護下”に取り込み→海洋行政警察当局の警戒海域に指定→領域拡張=資源確保が強化された。

では、国防動員法における「秘匿すべき“何か”」とは何か。前述した海外に居る中国人に関する免除規定が《国際機関勤務》者以外、見当たらない点が気に掛かる。

半面、法律は第16・19・42条で《国防動員潜在力》の掌握・準備・維持を訴える。観光客/留学生/研修生/永住者の一部は《潜在力》へと化けるのではないか。

しかも《動員実施決定後、予備役要員は許可なく登録地を離れてはならない》が《既に離れている者は、兵役機関からの通知後(直ちに戻れぬなら)指定場所に出頭しなければならない=第32条》とある。

条文にハッとした。2013年11月、駐日中国大使館は在日中国人に「重大な緊急事態」に備えて連絡先を登録する旨通達した。法律のいう《指定場所》には大使館も含まれる…。大使館は海外における《潜在》戦力の掌握と、イザというとき、本国の命に基づき動員命令を発布する司令塔だと、小欄は観る。

ありえぬ「リマ症候群」

冒頭で触れた尖閣諸島はじめ南西諸島への侵攻緒戦では《潜在》戦力を動員。九州や沖縄本島での情報収集や騒擾、通信・金融・交通・医療インフラ破壊を狙うサイバー攻撃を仕掛ける戦法は効果的だ。

もっとも、大動員ではないだろう。専門性を伴う局地的隠密行動の上、敵地での専門家の非常呼集には限りが有る。実際、第49条は《特殊専門技術者は年齢制限を受けない》と徴用枠を広げている。第8条も《領土の完全性や安全が脅かされれば全国総動員》に加え《部分動員を決定する》と、別立てでわざわざ断る。

しかし、中国が法の施行主体であるから不気味なのであって、危機に備える安全保障体制自体が欠落するわが国は学習の必要があろう。例えば、国防動員法はヒト・モノ・カネを統制・徴用。《交通・運輸/郵政/電信/医薬・衛生/食品・食糧供給/建設/エネルギー・化学工学/水利/民生用原子力/メディア/国防用の研究・生産などの関連組織は、国防勤務を担わなければならない=第51条》とある。一党独裁の強制力とはいえ、羨ましい限り。

一方、この条文と前述の免除規定と併せ読むと、中国内の日本人も適用範囲に入る。人民解放軍高官は「国防動員法が発令されれば、外資や合弁会社にも適用される」と言い切っている。従わなければ、中国人同様に罰則を科せられるはずだ。

日本人はそれでも、中国市場にしがみつく。誘拐・監禁事件で、犯人と長時間過ごした被害者が犯人に次第に魅せられていく《ストックホルム症候群》を発症したかのように。逆に、監禁者が被監禁者に親近感を持ち、攻撃的姿勢を和らげるパターンを《リマ症候群》と呼ぶ。

言っておくが、中国はリマ症候群を患うほどヤワではない。

(産経新聞政治部専門委員) 

産経ニュース【野口裕之の軍事情勢】2015.3.2
                  (採録:久保田 康文)

◆国境の島が危ない!

平井 修一



「陸自配備、賛成が過半数 与那国町住民投票」(産経2/22)から。

<日本最西端の与那国島(沖縄県与那国町)への陸上自衛隊「沿岸監視隊」配備の賛否を問う住民投票が22日行われ、賛成票が過半数を占めた。

来年3月に部隊配備を完了させる方針の防衛省にとって弾みがついた形。

ただ、駐屯地予定地を縦断する町道の廃止と駐屯地への水道の引き込みについて町議会の議決を得なければ施設整備に支障が生じ、配備反対派は施設建設差し止め訴訟を起こすことも検討しており、なお楽観はできない>
(以上)

CH桜沖縄支局のブログ2/24「与那国ロケを終えて」から。

<今日は昨日までロケをしていた与那国島の個人的な感想を書きたいと思います。

与那国島はいわゆるサヨクが主張するように、確かにのどかで自然美しい島でした。海は美しく、緑も多くて風も涼しく空気もおいしい。そんな環境下で鳴り響く鳥のさえずりに心が洗われました。

しかし、私が一番感動したのはやはり人でした。

会う人みんないい人ばかりで、私たちが車で道に迷い、通りかかった方に道を尋ねると、丁寧に教えてくれるどころか、自らの用事をほったらかして車で案内し、なんと私たちに笑顔までくれました。

もう沖縄本島ではなかなか見られない与那国島の人々の優しさに感動しました。

そんな多くの心優しい島民が危惧するのは中国・台湾の驚異と島の過疎化です。

与那国島にある抑止力というのは現在、警察官がたったの2名と拳銃もたったの2丁という、国境の島とは思えない、お粗末な国防状況にあります。

私は70代と思われる、自衛隊誘致に賛成する男性に与那国島の状況を教えてもらいました。

この男性によると、島の漁師は何度も台湾と中国の船が領海内および与那国島付近の海に現れ、与那国島の人々を恐怖に陥れているという。男性によると、与那国島は夜中に港から徐々に侵入されても気づかないのではないかと指摘。

私はそんな深刻な状況に唖然とし、島にはすでに侵入者が潜伏していても不思議ではないと思いました。

与那国島の西に、避難港と思われる港があります。その港は船が一隻も止まっておらず、誰もいません。近くには久部良と呼ばれる集落があるものの、若干離れており、この港には昼間でも私たち以外誰もいませんでした・・・

想像するに、夜中はもっと人がいないと考えられるため、深夜に小型の船に乗った侵入者が数名上陸しても恐らく誰も気がつかないでしょう。

しかも与那国島は外国人観光客をもてなすために、英語はさておき、中国語やハングルの書かれた案内標識があちこちに建てられています。これはすなわち、中国や北朝鮮(韓国)が侵略を目的に侵入した場合、道しるべにもなり得るのです。

男性の話を聞いて、徐々に侵入されれば、知らず知らずに乗っ取ることも可能だと私は考えました。

与那国島の深刻な状況を目の当たりにした私は、この状況を今までほったらかしにしていた政治家に対し、怒りと呆れを覚えました。正直、同じうちなんちゅとして、与那国の状況に、私はショックを受けました。

2泊3日しか与那国島にいませんでしたが、本当に貴重な体験ができたと思います。

今後は沖縄本島だけではなく、多くの離島を訪れ、沖縄の離島が抱える問題をさまざまな角度で全国のみなさんにお伝えできたらと思います>(以上)

住民投票は賛成632票で、反対445票。「反対派は、陸自施設の建設差し止め訴訟を起こす考えを示した」(共同)

中共の走狗であるアカの影響力は大きい。反日マスコミしかないから仕方がない面もあるが、よほどのショックがないと中共の危険性に思い至らない。危機感がないから不信・反感・嫌悪・憎悪・警戒というリアリズムの思考・行動に至らない。

戦後70年間の洗脳を除染・再生するにはあと何年かかるのだろう。悩ましい問題だが、日本で「中国を嫌っている」人が全体として8割超に増えていることは救いだ。

中国の報道(2014/5/8)によれば沖縄でも同様の傾向だ。

<日本沖縄での民間調査:89%の民衆が中国に対して「印象が悪い」

朝日新聞4月17日の報道によれば、沖縄県で行った「中国に対する好感度調査」の結果では、89%の人が中国に対し「印象が悪い」或いは「好感は持てない」と答えたことがわかった。

報道によれば、これは2012年9月以来2度目の調査。今回中国に対し「印象が悪い」と答えた住民は、2012年調査の31%から39%にまで上昇した。

なぜ中国の「印象が悪い」のかという問いに対しては、そのうちの65%の住民が「釣魚島問題に関する中日関係の対立」が主要な原因であると考えているようだ。

この他に、中国とアメリカ、どちらに親近感を持っているかと尋ねたところ、59%の人が「アメリカ」を選んだ。中国を選んだのはたった4%だった。

そして、東アジア海域で「将来発生しうる軍事衝突」の問題について、危機感を感じていると答えた人は43%で、前回より4%増加していた>(以上)

中共への嫌悪感、危機感はあっても、それが同時に安倍政権、自衛隊への支持にはなっていないのだろう。与那国の住民投票の賛成632票、反対445票はそういうことなのかもしれない(中学生にも投票権を与えたが、世の中は中2レベルということを象徴している)。

中2のGHQ憲法に汚染された脳内お花畑のオツム。軍事空白は危険を招く、備えあれば憂いなし、と繰り返すしかないか。(2015/3/2)


  

2015年03月02日

◆対中戦略を対ソ冷戦の歴史から学ぶ

伊勢 雅臣



ソ連消滅はいかに実現されたのか。

■1.共産中国への対処法をソ連崩壊の歴史から学ぶ

共産中国がチベット、ウイグルの人民を弾圧し、土地を奪い、資源を収奪している。同時に南シナ海や東シナ海で海上覇権を狙って、ベトナム、フィリピン、そして日本と摩擦を繰り返している。

アメリカはグアムまで後退するシナリオも考えているようだが、そうなるとわが国は「中国の海」に浮かぶ孤島となり、日本国民を待ち受けているのは、チベット人やウイグル人のような悲惨な運命である。

これが現代日本の直面する最大の問題であるが、これに対する対処法を我々は歴史から学ぶ事ができる。中国がやっている事は、かつてのソ連の勢力拡張と同じである。しかし、日米欧の西側諸国は団結してソ連を崩壊させた。

ソ連がどのように勢力を拡張し、それをいかに西側諸国が打倒したのか、今回はその軌跡を辿ってみよう。


■2.アジアにおける「ドミノ現象」

アジアにおける共産主義陣営の勢力拡張を許したのは、国共内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争の3つの戦争である。この3つの戦争により、中国大陸から北朝鮮、ベトナム、カンボジア、ラオスまで共産圏の手に落ちた。

一国が共産化すれば、周辺諸国が次々と共産化していく有様は「ドミノ現象」と呼ばれた。まさに一列に並べたドミノ牌が次々と倒れていくように、「ドミノ現象」がアジアでも起こっていた。

国共内戦については弊誌441号「 中国をスターリンに献上した男」[a]で詳細に述べた。ソ連スパイの暗躍した当時の民主党政権下で、陸軍参謀総長、国務長官を歴任したジョージ・マーシャルが蒋介石政権への支援を妨害し、中国共産党の勝利を助けたのである。


■3.民主党政権が招き、勝利寸前で投げ出した朝鮮戦争

朝鮮戦争のきっかけは1950年1月12日、マーシャルの副官で、後任の国務長官となったディーン・アチソンが、「アメリカのアジア地域の防衛線には南朝鮮を含めない」と発言したことだった。

韓国は共産陣営に侵略されてもアメリカは関与しない、というメッセージ
の5ヶ月後に、北朝鮮が38度線を越えて南侵を開始した。ダグラス・マッカーサー率いる国連軍が反撃して、北朝鮮と中国の国境である鴨緑江まで到達した処で、中国軍が参戦した。

マッカーサーの鴨緑江を越えて戦うという主張で、中国との戦争を恐れたトルーマン大統領は、マッカーサーを解任した。アン・コールター女史の『リベラルたちの背信 アメリカを誤らせた民主党の60年』[1]は、こう述べている。

<マッカーサーの解任でアメリカ国民の盛りは爆発した。トルーマンの逃避政策にはうんざりだった。全米各地でトルーマンの人形に火が放たれ、国際港湾労励者組合はマッカーサーの解任に抗議してストライキを決行した。

帰国したマッカーサーがサンフランシスコの空港に降りたつと、空蕗から市街まで沿道を埋めつくした五十万人が、英嘩の帰還を出迎えた。ニューヨーク市では七百万人が紙ふぶき舞う大パレードに参加し、マッカーサーに歓声を送った。第二次大戦後にヨーロッパから帰国したドワイト・アイゼンハワーを迎えた数の二倍もの人出だった。

ギャラップ世論圃査によると、国民の66パーセントがマッカーサー解任に不満だった。>[1,p195]

結局、民主党のトルーマン政権は、北朝鮮に侵攻の機会を与えて朝鮮戦争を招き、戦争勝利の可能性を自ら放棄して、現在の38度線の膠着状態に戻しただけに終わった。


■4. 民主党政権がベトナム戦争を始め、南ベトナムを献上した

ベトナム戦争を始めたのも民主党政権だった。ケネディ大統領はキューバの解放を目指す反革命軍をピッグス湾に侵攻させたが、米軍による航空支援を自ら禁じたため失敗。

ソ連は報復としてキューバに核を送り、核戦争寸前までいった。キューバ危機は回避できたが、そもそも、この危機はケネディ政権の及び腰のキューバ侵攻が生み出したものだった。[1,p163]

キューバでの汚名を晴らそうと、ケネディは北ベトナムの攻撃にさらされていた南ベトナムに米軍を送り、ベトナム戦争を始めた。ケネディ大統領が暗殺された後、政権を引き継いだジョンソン大統領は、十分な兵力の投入が必要とする軍部の進言を拒否し、限定的な爆撃作戦に固執した。

当時の米国内の世論を、アン・コールター女史はこう述べる。

「左派が戦意をそごうと執拗に努力したにもかかわらず、アメリカ国民の大半は一貫してベトナム戦争を支持していた。反戦運動が国を席巻したという神話など、愚の骨頂である。・・・

ベトナムからの撤退直前まで、この戦争に反対するアメリカ人は20パーセントに満たなかった。・・・

ベトナム戦争の指揮のまずさが禍して、ジョンソンの再選運動は始まる前に終わっていた。ニューハンプシャー州の予備選が惨憺(さんたん)たる結果だったため、大統領選から身を引いたのだ。不支持層は支持層の2倍にのぼった。ベトナム戦争にもっと強硬姿勢でのぞむべきだという理由からだった」。[1,p168]

ベトナム戦争を「名誉あるかたちで終わらせる」と公約して、政権をとった共和党のニクソン大統領は1973年1月のパリ協定で停戦を実現した。その停戦協定を北ベトナム側が破ったら、アメリカは北への爆撃を再開し、南ベトナムを援助する、という歯止めをニクソン大統領はかけていた。

しかし、同年6月に、ニクソン政権が民主党本部に盗聴装置を仕かけたと疑われたウォーターゲート事件が起こり、その渦中で議会側が、爆撃再開には議会の事前承認がいると要求した。この時とばかり北ベトナムは停戦協定を破って数ヶ月のうちに南に侵攻した。

さらに民主党の支配する米議会は南ベトナムへの援助をすべて拒否した。アメリカに見捨てられた南ベトナムは、北ベトナムに征服された。

結局、トナム戦争は民主党のケネディ政権が始め、そして民主党の議会が南ベトナムを見捨てて共産側に差し出したのである。

■5.アメリカの両腕を縛っていた民主党とリベラル・マスコミ

以上のように、アジアにおいては、国共内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と、アメリカは十分な支援も戦力投入もせずに、中国大陸からベトナム・カンボジア・ラオスまでを共産圏に奪われていった。

日本やドイツと戦っていた時の強大な軍事力と勝利への決意を抱いていたアメリカはどこへ行ったのか。アメリカ国民が反戦気分に充ち満ちていたというのは、上記のように事実ではない。

ただ、前章で引用した一文中の「左派が戦意をそごうと執拗に努力した」という点は要注意である。たとえば、以下のような内容である。

<国民の志気をくじこうと、アメリカの残虐行為のやらせ写真を嬉々として公開した。不首尾に終わったが、ベトコンのテト攻勢のような敵方の総反抗は勝利とみなされた。『ニューヨーク・タイムス』は、この戦争についての記述すべてに、「勝てない」という言葉を入れるよう求めていた。[1,p167]

 1964年、当時の『ニューヨーク・タイムズ』発行人アーサー・サルズバーガーは、典型的なリベラル流の愛国心を披露した。「ベトナムの農民にわれわれがしてやれることが果たして・・・共産主義者がしてやれることよりいいかどうか」>[1,p170]

こうしたマスコミを支配していた共産主義シンパが、民主党を操って、ソ連とは戦えないようにアメリカの両腕を縛っていたのである。

このあたりは、日本のマスコミもベトコンの民衆に対する残虐行為をほとんど報道せず、民衆はベトコンを支持しているなどと報道し、また左翼学生運動や社会党、共産党がベトナム反戦を訴えて、激しいデモを展開していたのと同様だった。[b]


■6.レーガン大統領の「解決策」

ソ連が次々と勢力を広げていったドミノ現象を食い止め、逆方向に倒して、遂にはソ連崩壊まで実現させたのがロナルド・レーガン大統領だった。

レーガンは前フォード政権の国務長官ヘンリー・キッシンジャーをことのほか激しく非難した。1976年、キッシンジャーは「ソビエトの勢力拡大を防ぐことはできない」と宣言していた。「必要からくる共存」を推進し、アメリカ国民に「簡単な解決策があるという幻想に惑わされないように」警告した。

レーガンには「解決策」があった。アメリカは勝ち、ソ連は敗れるものと信じていた。デタント(緊張緩和)を「七面鳥業者と七面鳥との関係---ただし感謝祭までの」と言ってのけた。レーガンがキッシンジャーの政策を揶揄したのがあまりにもうけたので、フォード大統領は選挙戦で「デタント」という言葉を使わないよう命じるはめになった。[1,p205]

 レーガンの「解決策」とは、次のような内容だった。

<レーガンは冷戦を楽しんでいた。ソ連がミサイルを一基つくれば、アメリカは二基つくった。リベラルの平和主義者たちの大抗議にもかまわず、ヨーロッパにパーシング・ミサイルを配備した。共産政権下のグレナダに侵攻し、ものの数日で共産主義者の巣窟を一掃した。

アンゴラ、アフガニスタン、エチオピア、ポーランド、ニカラグアなど、世界じゅうで公然と反共勢力を支援した。>[1,p205]

レーガン大統領は、石油規制緩和により、石油価格を急落させて、石油輸出に大きく依存するソ連経済への追い打ちをかけた。

さらに戦略防衛構想(SDI)を発表した。これはソ連の核ミサイルをレーザー衛星や地上の迎撃システムで撃ち落としてしまう、という防衛システムである。ソ連は核の脅しをかけられなくなれば、ただの低開発国に過ぎなくなる。


■7.レーガン大統領が取り除いたソ連共産主義の脅威

国力の疲弊とSDI構想に怯えたソ連のゴルバチョフ共産党書記長は、1986年10月13日、アイスランドのレイキャヴィークで大規模な兵器削減の提案を行った。その条件の一つにはSDIの放棄が含まれていた。

「戦争の抑止、デタント、封じ込め」で良しとする今までの民主党の大統領たちなら、嬉々として交渉に応じただろう。しかし、レーガン大統領の目指したのは、世界を共産主義から解放するという事だった。当然、レーガンは突っぱねた。

これに対するニューヨーク・タイムズの批判が、リベラルの本質をよく現している。

「レイキャヴィーク会談を終えたいま、SDIは平和の実現を妨げる障害のシンボル、軍国主義者の陰謀の典型、人類を核の脅威から解放したくない意思の表れであることが、だれの目にもはっきりした」。[1,p207]

アメリカ国民をソ連の核ミサイルから護ろうとする防衛システムであるSDIを「軍国主義者の陰謀」と呼ぶ姿勢は、中国の脅威から日本国民を守ろうとする集団的自衛権を「戦争への道」と評した日本の左翼マスコミと同じである。

レーガン大統領の2期8年でソ連は軍事的にも経済的にも追い詰められ、後継のブッシュ大統領が就任した翌年1989年にはベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国が開放された。1991年にはソ連邦そのものが消滅。レーガン大統領は冷戦への勝利をもたらし、世界を共産主義の圧政と恐怖から解放した。


■8.「専制と隷従と圧迫と偏狭を地上から永遠に払拭しよう」

レーガン大統領が幸運だったのは、イギリスのサッチャー首相、日本の中曽根首相という良き協力者を得られたことだった。日本はアメリカの国債を買ってその軍備拡張を支えた。自衛隊は極東ソ連軍と対峙し、また佐世保などの優れた補修能力は米艦隊の運航に不可欠だった。冷戦の勝利においてわが国の果たした役割は無視できない。

わが国は戦前はソ連共産主義の防波堤となり[c]、戦後は東南アジアに経済的繁栄をもたらしてアジアの共産化を防いだ。そして冷戦では米欧との結束により、ソ連崩壊を導いたのである。

しかし、ソ連は崩壊したが、替わって台頭した中国の脅威に、わが国を含むアジア諸国はさらされている。中国のご機嫌取りに終始する日本の民主党や左翼マスコミは、レーガン登場前のアメリカの民主党とリベラル・マスコミに瓜二つである。

我々、日本とアジア各国の自由独立、そして弾圧されているウイグル、チベット、さらには漢民族自身を解放するためにも、今の中国共産党政権を消滅させなければならない。

その使命は日本国憲法前文に明記されている。「我らは、平和を維持し、専制と隷従と圧迫と偏狭を地上から永遠に払拭しようと努めてゐる国際社会に伍して、名誉ある地位を占めたいものと思ふ」と。


■リンク■

a. JOG(441) 中国をスターリンに献上した男
 なぜ米国は、やすやすと中国を共産党の手に渡 してしまったのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog441.html

b. JOG(035) 報道と政治宣伝の見分け方
 ベトナム戦争報道
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_1/jog035.html

c. JOG(263) 尾崎秀實 〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
 日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日の「赤い東
亜共同体」が実現する!
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog263.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. アン・コールター『リベラルたちの背信―アメリカを誤らせた民主党の60年』
★★、草思社、H16
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/479421345X/japanontheg01-22/

◆中国高官は囚人になっても超豪華生活

矢板 明夫



監獄でも「アワビ」「フカヒレ」、 …出獄後の市民生活に「監獄に戻して」の元高官も

中国の習近平国家主席が主導する反腐敗キャンペーンで、元最高指導部メンバーの周永康氏ら多くの共産党高官が失脚した。今後、次々と開かれる裁判で汚職などの罪で重い刑が下される可能性が高い。

彼らは犯罪者というよりも、権力闘争の敗者であり、ほかの囚人と違って、刑が確定すれば、北京郊外にある高級政治犯を収容する秦城監獄に集められる。中国の場合、一旦共産党の高官になれば、犯罪で投獄されても、特権階級であることに変わりはなく、獄中での生活は一般市民の暮らしよりずっとぜいたくである。

数ある刑務所の中で、秦城監獄は中国で唯一、司法省の管轄下ではなく、公安省が直接管理している場所として知られる。中国メディアによれば、秦城監獄に入るには、元局長級以上幹部という条件があり、現在は10人以上の元閣僚級幹部が収監されている。

服役囚はほかの刑務所のように工場などに労働にかり出されることはない。元党幹部や官僚たちは、失脚前の地位に応じて、部屋の大きさが異なり、最大は20平米以上もある。施設はホテルなみで、新聞や雑誌を読むことができるし、回顧録を執筆することも可能。毎日午後、2時から9時までテレビを見ることができる。

食事も一般囚人と違って豪華なもので、昼と夜を問わず、肉料理や野菜料理を含むおかずは3品以上、スープと果物もつく。お正月や中秋節などは、ホテルのシェフによるアワビやフカヒレなどの高級食材を使った料理が振る舞われる。

服役囚たちの最大の不満は、彼らが知る党内の秘密の漏洩(ろうえい)を防止するため、ほかの囚人を含め、他人と自由に交流することが原則的に禁止されていることだ。毎日の散歩も単独で行われなければならないというのが辛いという。

1971年秋に失脚し、反革命罪で懲役16年の判決中国人民解放軍兵站部門のトップを務めた邱会作・中将が、1981年に保釈され、秘密を漏らさない、政治活動に参加しないことを条件に妻の実家がある西安市に戻り、一般市民として暮らすことが認められた。

しかし、西安に着いた邱氏は、新居に暖房も風呂もなく、近くに医療施設もないことを知り、同行の警察官に対し「秦城監獄に戻してくれ」と懇願したという有名なエピソードがある。

秦城監獄は旧ソ連の専門家の助言を得て、1950年代に完成した。皮肉なことに建設責任者だった元北京市公安局長の馮基平氏が、その後失脚し、1966年から75年まで9年間この監獄に投獄された。1970年代後半に、名誉回復され、政治的復活を遂げた。

実は、馮基平氏と同じような経験も持つ人は少なくない。

山西省出身の薄一波・元副首相もその1人で、文化大革命期間中など、秦城監獄を含む複数の刑務所で10年以上も過ごしたが、69才の時に出獄し、その後、党長老として政治の中枢で20年以上も大きな影響力を持ち続けた。

薄一波氏の息子の薄煕来・元重慶市党委書記は2012年に失脚し、汚職などの罪で無期懲役の判決を受け、現在は秦城監獄に投獄されている。2014年に失脚した周永康氏や徐才厚氏などはみな、薄煕来氏と親交があったとされ、政治的に同じグループであ
る。

秦城監獄でぜいたくな生活を送る彼らに、薄煕来氏の父親のように復活する日が訪れるのだろうか。(産経新聞中国総局)

産経ニュース【矢板明夫の目】 2015.2.26
                   (採録:久保田 康文)

◆呆然自失の中国製造業

平井 修一



人材も技術もなくて「夢」が叶うのだろうか。

<【新華社北京2/28】習近平主席は近日刊行された全国幹部の学習研修教材のために序文を書いた。彼は次のように強調した。

全党の同志、特に各級の指導幹部は能力不十分の危機感を持ち、「時は人々を待たず」という精神で、一刻も速く能力を強めるべきだ。

全党の能力が強くなり続けることこそ、中国共産党創立100年の2021年に小康社会を全面的に実現し、建国100年の2049年に富強・民主・文明的で調和のとれた社会主義現代国家を実現するという「二つの百年」という奮闘目標が実現でき、中華民族の偉大な復興の中国夢がかなえられる>

習が「中国夢」の妄言に酔いながら政敵叩きにうつつを抜かしているうちに、中国経済は腰砕けになってきた。「中国製造業に為す術は? 外資の撤退、苦難の到来」(サーチナ 2/28)から。

<中国冶金網は26日、中国経済の高度成長を支えるエンジンだった製造業はかつて中国の国内総生産の3分の1を生み出す存在だったと伝える一方、中国経済が中低速の安定成長を意味する「新常態」を迎えて以来、製造業が苦難に直面していると論じた。

記事は、中国から外資メーカーが相次いで撤退していることを紹介したうえで、「中国の製造業は先進国と開発途上国によって“挟み撃ち”にされている状況にある」と主張し、まさに「前門の虎、後門の狼」という状況に直面していると論じた。

続けて、世界金融危機の発生後、日本やドイツ、米国などの先進国では製造業の価値が見直され、実体経済を強化し、雇用を増やすため、製造業の国内回帰を促していると指摘。

さらに、安価な労働力や原材料を武器に東南アジア諸国が製造業を強化し、もともと中国にあった工場などを“吸い寄せている”と主張し、「東南アジアに工場を建設する中国企業もあるほど」と論じた。

記事は、受託製造が中心だった中国の製造業は「かつてない危機に瀕している」とし、外資メーカーの撤退とともに倒産する中国企業が増え、職を失う労働者が増えていることを伝えた。

さらに、人件費の安さなど低コストを武器としていた中国の製造業は今や生産能力の過剰などの問題を抱え、産業としてのグレードアップやイノベーションによる成長も出来ない状況にあると主張した。

さらに、中国の製造業は「グローバルな産業チェーンのなかで見れば末端に位置する」とし、中国企業が所有する基幹技術や知的財産権は決して多くないと主張。

中国の製造業からイノベーションが生まれにくい理由は「環境が整っていないため」であるとし、中小企業は特にイノベーション能力に欠けると指摘。中国の製造業が直面している苦難を脱するためには法整備や政策などの環境を整え、中小企業を発展させる必要があるとの見方を示した>(以上)

製造業の現場からの悲鳴だが、精神論の習は何も対策を指示しないし、指示したところで幹部以下全員が「出る杭は打たれる」とサボタージュしているから対策を立てられない。

習にとって最重要課題は権力闘争であり、そのために愚民の支持を固めることであり、成長エンジンなんてどうでもいいのだろう。

エンジンが止まれば失速し墜落する。

「独裁国家が五輪を開催すると10年以内に崩壊する」という有名なジンクスがある。

1936年ベルリン→ 1945年ナチス敗北、東西分割

1980年モスクワ→ 1989年ソビエト連邦崩壊

1984年サラエボ→ 1992年ユーゴスラビア連邦解体

2008年北京→ 201X年中華人民共和国崩壊?

2014年ソチ→ 202X年ロシア連邦崩壊?

2018年平昌→ 202X年大韓民国崩壊?

習が先かプーチンが先か。クネは習と心中か。ここ数年は3バカ大将から目を離せない。第2の人生がこんなに面白いとはまったく想像もしていなかった。3バカに感謝。早く逝ってくれ。(2015/2/28)


          

◆「韓国から謝罪、反省…いやになる

黒田 勝弘



韓国の現代政治は1970年代以来、長く“3金時代”と呼ばれた。うち金泳三(キム・ヨンサム)氏と金大中氏は大統領になったが、残る金鍾泌(キム・ジョンピル)氏(89)だけが首相どまりで「永遠のナンバー2」といわれた。

今は引退しているが、最近、夫人の朴栄玉さんが亡くなったことでその愛妻家ぶりが話題になっている。

金鍾泌氏は“韓国中興の祖”だった朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の片腕として知られ、夫人は朴正煕氏のめいだったから朴槿恵(クネ)大統領とは親戚筋にあたる。

50年前の日韓国交正常化は朴正煕氏との二人三脚で推進され、金鍾泌氏は長く韓国政界で最大の知日派といわれてきた。

その彼が今回、弔問客たちと交わした会話にも日本がらみがあって「われわれもやたら日本を刺激する批判は控えるべきだ」と語っている。以前、彼と会ったとき「韓国にあれだけ謝罪しろ反省しろと言い続けられては日本でなくてもいいかげんいやになるだろう」と語っていたことを思い出す。 今回、安倍首相についても「父親(安倍晋太郎元外相)に比べちょっと…」と評したというが、日韓関係の悪化では朴槿恵大統領についても同じく「父親に比べてちょっと…」という思いがあるようだ。50年前の“歴史的決断”の長老世代からすると、もどかしいに違いない。

産経ニュース ソウルからヨボセヨ【外信コラム】2015.2.28


2015年03月01日

◆米国でレノボとアリババを標的に訴訟

宮崎 正弘 


<平成27年(2015)2月27日(金曜日)通巻第4480号>  

〜米国でレノボとアリババを標的に「集団訴訟」が6件
   情報の不透明さ、株価操作、リスク管理の甘さなど原告が主張〜

レノボはIBMパソコン部門を買収し、世界一のパソコンメーカーとなった。NY株式市場に上場し注目を集めた。

アリババは昨年のNY市場上場(IPO)で、史上最大の金を集めた。アリババの筆頭株主は孫正義だが、大口株主に中国共産党幹部の子弟等がずらりと名前を連ねて、大いなる疑惑を持たれた。

サウスチャイナモーニングポスト(2月26日)が報じた。

米国カリフォルニア州南高等裁判所に、6つの法律事務所によってレノボとアリババへの「集団訴訟」が提訴された。

レノボの場合は、ラップトップ型パソコンにあらかじめ、原告が希望しないソフトが組み込まれていたとして提訴に踏み切った。レノボのソフト開発会社スーパーフィシュ社も同時に提訴され、このレノボの提訴は六件が別々に提訴されている。

 集団訴訟は消費者が被害を被った同一の事例を元に当該企業を相手取って損害賠償を訴える。米国の弁護士事務所では嘗ての独禁法がもはやカネにならないとわかると、株主代表訴訟や集団訴訟に訴えるケースが激増している。

日本企業は一時攻めやすかったが、特許法の改正などにより、リスク管理が徹底してきたため、リスクに不慣れな中国の大手企業を狙うケースが今後増加する傾向になる。

レノボとアリババはNY上場で騒がれて以来、米国の弁護士からは格好のターゲットにもなっていた。
       

◆対中戦略を対ソ冷戦の歴史から学ぶ

伊勢 雅臣


ソ連消滅はいかに実現されたのか。

■1.共産中国への対処法をソ連崩壊の歴史から学ぶ

共産中国がチベット、ウイグルの人民を弾圧し、土地を奪い、資源を収奪している。同時に南シナ海や東シナ海で海上覇権を狙って、ベトナム、フィリピン、そして日本と摩擦を繰り返している。

アメリカはグアムまで後退するシナリオも考えているようだが、そうなるとわが国は「中国の海」に浮かぶ孤島となり、日本国民を待ち受けているのは、チベット人やウイグル人のような悲惨な運命である。

これが現代日本の直面する最大の問題であるが、これに対する対処法を我々は歴史から学ぶ事ができる。中国がやっている事は、かつてのソ連の勢力拡張と同じである。しかし、日米欧の西側諸国は団結してソ連を崩壊させた。

ソ連がどのように勢力を拡張し、それをいかに西側諸国が打倒したのか、今回はその軌跡を辿ってみよう。


■2.アジアにおける「ドミノ現象」

アジアにおける共産主義陣営の勢力拡張を許したのは、国共内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争の3つの戦争である。この3つの戦争により、中国大陸から北朝鮮、ベトナム、カンボジア、ラオスまで共産圏の手に落ちた。

一国が共産化すれば、周辺諸国が次々と共産化していく有様は「ドミノ現象」と呼ばれた。まさに一列に並べたドミノ牌が次々と倒れていくように、「ドミノ現象」がアジアでも起こっていた。

国共内戦については弊誌441号「 中国をスターリンに献上した男」[a]で詳細に述べた。ソ連スパイの暗躍した当時の民主党政権下で、陸軍参謀総長、国務長官を歴任したジョージ・マーシャルが蒋介石政権への支援を妨害し、中国共産党の勝利を助けたのである。


■3.民主党政権が招き、勝利寸前で投げ出した朝鮮戦争

朝鮮戦争のきっかけは、1950年1月12日、マーシャルの副官で、後任の国務長官となったディーン・アチソンが、「アメリカのアジア地域の防衛線には南朝鮮を含めない」と発言したことだった。

韓国は共産陣営に侵略されてもアメリカは関与しない、というメッセージの5ヶ月後に、北朝鮮が38度線を越えて南侵を開始した。ダグラス・マッカーサー率いる国連軍が反撃して、北朝鮮と中国の国境である鴨緑江まで到達した処で、中国軍が参戦した。

マッカーサーの鴨緑江を越えて戦うという主張で、中国との戦争を恐れたトルーマン大統領は、マッカーサーを解任した。アン・コールター女史の『リベラルたちの背信 アメリカを誤らせた民主党の60年』[1]は、こう述べている。

<マッカーサーの解任でアメリカ国民の盛りは爆発した。トルーマンの逃避政策にはうんざりだった。全米各地でトルーマンの人形に火が放たれ、国際港湾労励者組合はマッカーサーの解任に抗議してストライキを決行した。

帰国したマッカーサーがサンフランシスコの空港に降りたつと、空蕗から市街まで沿道を埋めつくした五十万人が、英嘩の帰還を出迎えた。ニューヨーク市では七百万人が紙ふぶき舞う大パレードに参加し、マッカーサーに歓声を送った。第二次大戦後にヨーロッパから帰国したドワイト・アイゼンハワーを迎えた数の二倍もの人出だった。

ギャラップ世論圃査によると、国民の66パーセントがマッカーサー解任に不満だった。>[1,p195]

結局、民主党のトルーマン政権は、北朝鮮に侵攻の機会を与えて朝鮮戦争を招き、戦争勝利の可能性を自ら放棄して、現在の38度線の膠着状態に戻しただけに終わった。


■4. 民主党政権がベトナム戦争を始め、南ベトナムを献上した

ベトナム戦争を始めたのも民主党政権だった。ケネディ大統領はキューバの解放を目指す反革命軍をピッグス湾に侵攻させたが、米軍による航空支援を自ら禁じたため失敗。

ソ連は報復としてキューバに核を送り、核戦争寸前までいった。キューバ危機は回避できたが、そもそも、この危機はケネディ政権の及び腰のキューバ侵攻が生み出したものだった。[1,p163]

キューバでの汚名を晴らそうと、ケネディは北ベトナムの攻撃にさらされていた南ベトナムに米軍を送り、ベトナム戦争を始めた。ケネディ大統領が暗殺された後、政権を引き継いだジョンソン大統領は、十分な兵力の投入が必要とする軍部の進言を拒否し、限定的な爆撃作戦に固執した。

当時の米国内の世論を、アン・コールター女史はこう述べる。

「左派が戦意をそごうと執拗に努力したにもかかわらず、アメリカ国民の大半は一貫してベトナム戦争を支持していた。反戦運動が国を席巻したという神話など、愚の骨頂である。・・・

ベトナムからの撤退直前まで、この戦争に反対するアメリカ人は20パーセントに満たなかった。・・・

ベトナム戦争の指揮のまずさが禍して、ジョンソンの再選運動は始まる前に終わっていた。ニューハンプシャー州の予備選が惨憺(さんたん)たる結果だったため、大統領選から身を引いたのだ。不支持層は支持層の2倍にのぼった。ベトナム戦争にもっと強硬姿勢でのぞむべきだという理由からだった」。[1,p168]

ベトナム戦争を「名誉あるかたちで終わらせる」と公約して、政権をとった共和党のニクソン大統領は1973年1月のパリ協定で停戦を実現した。その停戦協定を北ベトナム側が破ったら、アメリカは北への爆撃を再開し、南ベトナムを援助する、という歯止めをニクソン大統領はかけていた。

しかし、同年6月に、ニクソン政権が民主党本部に盗聴装置を仕かけたと疑われたウォーターゲート事件が起こり、その渦中で議会側が、爆撃再開には議会の事前承認がいると要求した。この時とばかり北ベトナムは停戦協定を破って数ヶ月のうちに南に侵攻した。

さらに民主党の支配する米議会は南ベトナムへの援助をすべて拒否した。アメリカに見捨てられた南ベトナムは、北ベトナムに征服された。

結局、ベトナム戦争は民主党のケネディ政権が始め、そして民主党の議会が南ベトナムを見捨てて共産側に差し出したのである。

■5.アメリカの両腕を縛っていた民主党とリベラル・マスコミ

以上のように、アジアにおいては、国共内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と、アメリカは十分な支援も戦力投入もせずに、中国大陸からベトナム・カンボジア・ラオスまでを共産圏に奪われていった。

日本やドイツと戦っていた時の強大な軍事力と勝利への決意を抱いていたアメリカはどこへ行ったのか。アメリカ国民が反戦気分に充ち満ちていたというのは、上記のように事実ではない。

ただ、前章で引用した一文中の「左派が戦意をそごうと執拗に努力した」という点は要注意である。たとえば、以下のような内容である。

<国民の志気をくじこうと、アメリカの残虐行為のやらせ写真を嬉々として公開した。不首尾に終わったが、ベトコンのテト攻勢のような敵方の総反抗は勝利とみなされた。『ニューヨーク・タイムス』は、この戦争についての記述すべてに、「勝てない」という言葉を入れるよう求めていた。[1,p167]

 1964年、当時の『ニューヨーク・タイムズ』発行人アーサー・サルズバーガーは、典型的なリベラル流の愛国心を披露した。「ベトナムの農民にわれわれがしてやれることが果たして・・・共産主義者がしてやれることよりいいかどうか」>[1,p170]

こうしたマスコミを支配していた共産主義シンパが、民主党を操って、ソ連とは戦えないようにアメリカの両腕を縛っていたのである。

このあたりは、日本のマスコミもベトコンの民衆に対する残虐行為をほとんど報道せず、民衆はベトコンを支持しているなどと報道し、また左翼学生運動や社会党、共産党がベトナム反戦を訴えて、激しいデモを展開していたのと同様だった。[b]


■6.レーガン大統領の「解決策」

ソ連が次々と勢力を広げていったドミノ現象を食い止め、逆方向に倒して、遂にはソ連崩壊まで実現させたのがロナルド・レーガン大統領だった。

レーガンは前フォード政権の国務長官ヘンリー・キッシンジャーをことのほか激しく非難した。1976年、キッシンジャーは「ソビエトの勢力拡大を防ぐことはできない」と宣言していた。「必要からくる共存」を推進し、アメリカ国民に「簡単な解決策があるという幻想に惑わされないように」警告した。

レーガンには「解決策」があった。アメリカは勝ち、ソ連は敗れるものと信じていた。デタント(緊張緩和)を「七面鳥業者と七面鳥との関係---ただし感謝祭までの」と言ってのけた。レーガンがキッシンジャーの政策を揶揄したのがあまりにもうけたので、フォード大統領は選挙戦で「デタント」という言葉を使わないよう命じるはめになった。[1,p205]

 レーガンの「解決策」とは、次のような内容だった。

<レーガンは冷戦を楽しんでいた。ソ連がミサイルを一基つくれば、アメリカは二基つくった。リベラルの平和主義者たちの大抗議にもかまわず、ヨーロッパにパーシング・ミサイルを配備した。共産政権下のグレナダに侵攻し、ものの数日で共産主義者の巣窟を一掃した。

アンゴラ、アフガニスタン、エチオピア、ポーランド、ニカラグアなど、世界じゅうで公然と反共勢力を支援した。>[1,p205]

レーガン大統領は、石油規制緩和により、石油価格を急落させて、石油輸出に大きく依存するソ連経済への追い打ちをかけた。

さらに戦略防衛構想(SDI)を発表した。これはソ連の核ミサイルをレーザー衛星や地上の迎撃システムで撃ち落としてしまう、という防衛システムである。ソ連は核の脅しをかけられなくなれば、ただの低開発国に過ぎなくなる。


■7.レーガン大統領が取り除いたソ連共産主義の脅威

国力の疲弊とSDI構想に怯えたソ連のゴルバチョフ共産党書記長は、1986年10月13日、アイスランドのレイキャヴィークで大規模な兵器削減の提案を行った。その条件の一つにはSDIの放棄が含まれていた。

「戦争の抑止、デタント、封じ込め」で良しとする今までの民主党の大統領たちなら、嬉々として交渉に応じただろう。しかし、レーガン大統領の目指したのは、世界を共産主義から解放するという事だった。当然、レーガンは突っぱねた。

これに対するニューヨーク・タイムズの批判が、リベラルの本質をよく現している。

「レイキャヴィーク会談を終えたいま、SDIは平和の実現を妨げる障害のシンボル、軍国主義者の陰謀の典型、人類を核の脅威から解放したくない意思の表れであることが、だれの目にもはっきりした」。[1,p207]

アメリカ国民をソ連の核ミサイルから護ろうとする防衛システムであるSDIを「軍国主義者の陰謀」と呼ぶ姿勢は、中国の脅威から日本国民を守ろうとする集団的自衛権を「戦争への道」と評した日本の左翼マスコミと同じである。

レーガン大統領の2期8年でソ連は軍事的にも経済的にも追い詰められ、後継のブッシュ大統領が就任した翌年1989年にはベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国が開放された。1991年にはソ連邦そのものが消滅。レーガン大統領は冷戦への勝利をもたらし、世界を共産主義の圧政と恐怖から解放した。


■8.「専制と隷従と圧迫と偏狭を地上から永遠に払拭しよう」

レーガン大統領が幸運だったのは、イギリスのサッチャー首相、日本の中曽根首相という良き協力者を得られたことだった。日本はアメリカの国債を買ってその軍備拡張を支えた。自衛隊は極東ソ連軍と対峙し、また佐世保などの優れた補修能力は米艦隊の運航に不可欠だった。冷戦の勝利においてわが国の果たした役割は無視できない。

わが国は戦前はソ連共産主義の防波堤となり[c]、戦後は東南アジアに経済的繁栄をもたらしてアジアの共産化を防いだ。そして冷戦では米欧との結束により、ソ連崩壊を導いたのである。

しかし、ソ連は崩壊したが、替わって台頭した中国の脅威に、わが国を含むアジア諸国はさらされている。中国のご機嫌取りに終始する日本の民主党や左翼マスコミは、レーガン登場前のアメリカの民主党とリベラル・マスコミに瓜二つである。

我々、日本とアジア各国の自由独立、そして弾圧されているウイグル、チベット、さらには漢民族自身を解放するためにも、今の中国共産党政権を消滅させなければならない。

その使命は日本国憲法前文に明記されている。「我らは、平和を維持し、専制と隷従と圧迫と偏狭を地上から永遠に払拭しようと努めてゐる国際社会に伍して、名誉ある地位を占めたいものと思ふ」と。


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b. JOG(035) 報道と政治宣伝の見分け方
 ベトナム戦争報道
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c. JOG(263) 尾崎秀實 〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
 日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日の「赤い東
亜共同体」が実現する!
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■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. アン・コールター『リベラルたちの背信―アメリカを誤らせた民主党の60年』
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◆私の「身辺雑記」(195)

平井 修一



■2月26日(木)。朝は室温17度、曇、フル散歩。夕べも降ったようだ。午前中にはちょっと冷えてきた。春子と冬子が綱引きをしているのか、一進一退。

休みのカミサンは発熱1歳女児を預かったが、近所の小児科は木曜日なので夕方からしか診てもらえない。女児は昼食の際に吐いてしまった。悩ましいことだ。

中華圏の春節=旧正月が終わった。近藤大介氏の論考「国家主席が誇る『偉大なる人民』が、銀座で"爆買い"に走った2015年の春節」(現代ビジネス2/23)から。

<*「洋風の街」を襲う東洋発の「衝撃」

2月19日の春節の午後、銀座の中央通りを、1丁目から8丁目まで歩いてみた。

銀座通りは、いつになく騒々しかった。普段は紳士淑女がおめかしして銀ブラする中央通りも並木通りも、ジャージにジャンパー姿だったり、髪の毛ボサボサだったりする声高な人々に占拠されていた。

一面の観光バスと「漢語」。まるで北京の王府井か上海の南京路が、東京で再現されたかのようだった。"ギンザ・チャイナタウン"の出現と言ってもよい。おそらく銀座150年の歴史で初めての光景ではなかろうか。

いまにして思えば、銀座の街が過去150年近くにわたって受け容れてきた大小様々な「衝撃」は、そのほとんどが欧米の新たな文化の流入だった。欧米のブランドショップから著名なフレンチレストランまで、こぞって銀座に出店した。そのたびに銀座の街並みは、たちまちそれらを景観の中に受容してしまった。

そもそもの街の成り立ちからして欧米文化の流入だったのだから、たとえマックが来ようがスタバが来ようが、すべては「許容範囲内」だったのだ。

だが今回の「衝撃」は、東洋の新興国から来たものであることが、過去と異なっている。しかも、昨年末に内閣府が発表した「外交に関する世論調査」によれば、日本人の83.1%が「中国に親しみを感じない」と答えている。そのような中国から来た人々を、「日本一プライドが高い街」が許容するのかどうかが、私の関心事だった。

今回、私が銀座を歩いて感じたのは、日本経済の活性化を外需に頼ることの危うさである。いまは中国で「日本旅行ブーム」が起こっているから大量の観光客が来て「爆買い」してくれるが、習近平主席が一言、「日本へは行くな」と国民に指令を出したらどうなるか。(中国資本の)ラオックス以下、中国人観光客に頼っていた業界は、一巻の終わりである。

中国は、日本とは政治システムの異なる社会主義国家であることを忘れてはならない。いまの微妙な日中関係に鑑みると、近未来にそのような事態が起こらないとは、誰にも保証できない。銀座も他の日本の観光地も同様だが、中国人観光客には感謝しつつも、彼らだけに頼るのではない地域の活性化策を考えるべきだろう。

*習近平主席に対する偶像崇拝化が始まりつつある

さて、ここからは、春節期間中に50万人もの観光客を日本に送り出した中国国内のレポートである。

中国の指導者にとって、春節ほど、国民に向けてパフォーマンスできる機会はない。

習近平主席は2月13日早朝、政府専用機で陝西省延安に飛んだ。3泊4日の陝西省視察である。延安の鄙びた空港に降り立つと、車に乗って、梁家河村に直行したのだった。

100人くらいの村民たちを前に、古ぼけたマイクを手に取った習近平主席は、語気を強めてこう述べた。

「私にとって陝西は根であり、延安は魂だ。1969年1月、まだ満16歳にもなっていなかった私は、北京からここへやって来た。以来、この地で7年にわたる労働生活を送ったのだ。ここにいる皆と共に、7年だ!」

習近平主席の野太い声に、ワーッと歓声が上がった。

私がこの「様子」を見たのは、2月16日夜7時から7時半までの中国中央電視台のメインニュース番組『新聞聯播』だった。

北京っ子たちが噂する都市伝説の一つに、「習近平の穴蔵伝説」と言われるものがある。それは、習近平主席は文化大革命で「下放」された際、陝西省の穴蔵で7年間、暮らしていたというものだ。

この「習近平凱旋」のニュースを見ていて驚いたことが、他にもあった。何と30分の番組中、この一つのニュースを、延々と18分43秒も流したのである。

この異例のニュース映像をどう解釈したらよいのだろうか。それはとりもなおさず、中国で習近平主席に対する、毛沢東元主席並みの偶像崇拝化が始まりつつあると見るべきではなかろうか。

*国家主席のパフォーマンスと、海外で「爆買い」に走る国民

2月16日に北京へ戻った習近平主席は、翌17日午前9時、「トップ7」(政治局常務委員)を全員引き連れて、北京西郊の革命公墓に着いた。2月10日に満99歳で死去したトウ力群・元党中央宣伝部長(保守派の大物政治家)の葬儀に参席したのである。

習近平主席は、自分は毛沢東−トウ力群の後継者だという意識が強いのである。

葬儀を終えた習近平主席は、車を飛ばして市の中心に戻り、午前10時に、「2015年春節団拝会」の会場に入った。待ち受けていた2000人を超す幹部たちは、一斉に拍手を送って「主役」を迎えた。習近平主席は、中央の壇上に立つと、用意した約1400字からなる祝辞を読んだ。

「いまこの日この時、われわれは偉大なる祖国を誇る。偉大なる人民を誇る。われわれは勤労勇敢な中国の人民に向かって『お疲れ様』と声をかける。彼らの非凡な創造の精神に、非凡な業績に対して、崇高なる敬意を表するのだ!

われわれはいままさに、中国の特色ある社会主義事業を遂行中であり、これは前代未聞の創造的な事業だ。前進する道のりは決して順風満帆ではないが、多くの新たな歴史的で偉大なる闘争を進める準備をしなければならない。

眼前の一切の困難と挑戦に打ち勝ち、中国の特色ある社会主義の道を、中華民族の創造力溢れる燦爛たる道とし、中華民族の偉大なる復興という道とするのだ」

この習近平主席の重要訓話を、2000人以上の幹部たちが、まるで叱られた子供のように恐縮した表情で聞いていた。春節のお祝いの会だというのに、会場には花一つ、提灯一つ飾っていない。円卓には、各々に茶が一杯置かれただけで、料理も出ない。習近平時代を象徴するかのような、簡素で厳粛な「春節パーティ」だった。

このように、中国の最高指導者は、かつての「穴蔵生活の地」を訪問し、一杯の茶だけの春節を過ごす。そして全国民に向かって、中国共産党の偉大さを説く。

一方、国家主席から「偉大なる人民」と持ち上げられた国民は、我先にと国外へ飛び出していき、「爆買い」に走る。なかなか考えさせられるところの多い2015年の春節だった>(以上)

習は「気分はすっかり抗日モード」、ゆとりのある国民は「すっかり好日ムード」。習は「爆買い」を苦々しく思っているはずだから、今は政府調達で進めている"Buy Chinese"をやがては国民にも広めるだろう。ますます息苦しくなりそうだ。

■2月27日(金)。朝は室温14度、快晴、フル散歩。夕べも降ったようで、このところ雨上がりの道を歩くことが多い。一歩一歩春が近づいてくる。

安倍宏行氏(Japan In-depth編集長/ジャーナリスト)の論考「外国人観光客大阪ジャックの実態 春節『爆買い』の先にあるもの」(2/23)から。「爆買い」は銀座より大阪の方がえげつなさそうだ。

<「ここはアジアか!?」決して大げさではない。ついこの間シンガポールに行ってきたばかりだが、それより観光客が多い。おりしも春節真っ只中の21日(土)と22日(日)の2日間、大阪に取材に行った。が、目にしたのは想像を遥かに超えていた・・・

まず向かったのはなんば。南海通りを歩くと、既にかなりの中国人やアジア系のインバウンド(訪日外国人旅行客)が目につく。西欧人もいることはいるが圧倒的にアジア人が多い。

心斎橋筋は圧巻。次から次と停車する大型観光バスが吐き出すアジアからの観光客が大声で話しながら一気に商店街になだれ込む。お目当てはドラッグストアだ。

噂には聞いていたものの、何故ドラッグストア? 答えはシンプルだ。「日本のものは本物だから」。誰もがメイドインジャパンの品質を信奉している。それは私たちが考えている以上だ。

人気商品は、温熱シートや何故か馬油関連商品(クリームなど)、ヒアルロン酸配合の化粧水。そして、目薬や頭痛薬、メンソレータムなどの薬類。それ以外には赤ちゃんのミルクや紙おむつなども大人気だ。はちきれんばかりのプラスチックバッグを両手に抱えている人がほとんどだ。

どの店も春節を意識した大きな垂れ幕、そして去年10月から始まった日用品などへの消費税免税の案内サインがどの店にもある。免税の透明プラスチックバッグを持つ人も目立つ。

2014年の訪日外国人は過去最高の1300万人。その消費額は前年比43.3%増の2兆305億円にも達している。2015年は更にその数は増えるだろう>(以上)

習近平が"Buy Chinese"と指示しても「爆買い」はなくならないだろう。中国のネット上には次のような声が寄せられているという。

「中国人の中国製品に対する不信感は永遠に無くならない。どれほど騙されてきたことか。高価なものを買うことでしか、そうした被害は防ぐことができない」(Record China 2/27)

春節で毛・習支持の支那保守派(老人が多く低所得だろう)は革命聖地を訪ね、彼らには手の届かない外国での「爆買い」を非難する。一方で「爆買い」するのは中所得以上の層(30代、40代が中心か)で、彼らは毛・習支持者を「洗脳されている輩」と侮蔑する。

習を熱い目で見る人々、一方で冷ややかに見る人々。支那人は大っぴらには中共批判はできないが、内心で批判、罵倒し、機会さえあれば移住したい、脱出したいという人は急増しているはずだ。

平成25年(2013)末現在における我が国の中長期在留者数は169万人、特別永住者数は37万人で、これらを合わせた在留外国人数は206万人となり、前年末に比べ3万人超(1.6%)増加した。

国籍・地域別では中国(台湾を除く)が65万人で全体の31.4%を占めて圧倒し、かつ毎年2万人以上のペースで急増している(韓国と朝鮮は合わせて52万人だが国別の数字はない)。

経済評論家・三橋貴明氏の「中国・赤い貴族“脱国”で世界は悲鳴上げる 富裕層続々と海外移住」(夕刊フジ2014/9/4)から。

<中国国営新華社通信が発行する『参考消息』の報道(8月21日付)によると、中国人富裕層(資産160万ドル=約1億6700万円以上)の64%が、すでに移民をしているか、もしくは移民申請中・検討中とのことである。

特に、習近平政権が「反腐敗キャンペーン」を展開し始めて以降、中国富裕層の「脱国」が急増した。(さらに)中国経済が失速しているという現実もあるのだ。不動産バブルが崩壊を始めた以上、当たり前の話ではある。

今後の世界は、個人的利益のために続々と国を捨てる中国人たちに苦しめられる羽目になるだろう>(以上)

富裕層が初めに逃げるのは「叩けば埃の出る体」「脛にキズをもつ」こともあるだろう。それに中所得以上の層が続く。彼らはまあ高2レベル以上だろう。知恵が働くから脱出の準備をする。

ところがせいぜい中2レベルの低所得層・貧困層は逃げるに逃げられない。金はないしスキルもないし知恵もない。このうち2億人は文盲だ。年金頼りの高齢者も数億人いるだろう。このままでは中共はこういうパラサイトしかいない国になる。発展するはずがない。黄昏、斜陽だ。

多くの支那人留学生は学業を終えても中共に戻らないようだ。頭脳流出が激しい。大金を与えるから戻って来いと中共は呼びかけているが、自由な空気ときれいな空気のところから言論弾圧とPM2.5の支那に戻る気はしないだろう。

蓄財、畜妾、美酒、美食の「漢族の永遠の夢」も消えた。

日没するところの天子、習近平はやはりラストエンペラーになる。端から夢を持てない貧しい愚民の卑しい嫉妬心をすかっとさせるハエ叩き・虎退治音頭を踊りまくって、せいぜい拍手してもらっていろ。正義はやがて国を亡ぼす。

■2月28日(土)。朝は室温14度、快晴、フル散歩。

川崎市の中1少年殺害事件でマスコミは大騒ぎだ。ほとんどはしゃいでいる。多分、国民の多くは猟奇殺人事件が大好きなのだ。

猟奇殺人なら、ちょっとニヤリとしてしまう阿部定事件と、絶望的なほどのやり切れなさを覚える連合赤軍リンチ殺人事件で十分だ。今更ながらの猟奇殺人に興味津々とは・・・民度が低いのかどうか、世界は大体そんなものなのかもしれない。

所によっては命は軽視、無視され、テロで何十人もが一瞬で殺されている。過激派は自爆すれば天国へ行けると洗脳されているから、原理主義を抹殺しない限り、テロは続く。イスラム世俗主義各派が団結して「イスラムの正しい教え」を唱えて、現代に合わせた宗教改革を進めてはどうかとは思うが、とても難しいだろう。

今やフランスの刑務所で一番多いのはイスラム教徒で、なんとここで受刑者は過激な原理主義に洗脳されるのだという。モスクでも一部にはそんなところもあるそうだが、スターリンも神学校で学んで人の命を何とも思わない共産主義過激派になった。脱獄、収監を何十回も繰り返して冷血無比の「鉄の人」になり、冷血漢のプーチンなど崇拝者は今でもいる。

中露が反ファシスト戦争勝利を祝うのならスターリンと蒋介石を「戦勝に導いた英雄」として讃えなければ筋が通らない。スターリンはソ連から公式的に批判されたし、蒋介石も中共から戦前、戦中、戦後も「民族の裏切り者」として否定され続けている。

今更、両人を習近平とプーチンの都合で持ち出せるのかどうか。

習は蒋介石の功績も中共のものだと簒奪するしかない。歴史の捏造、歴史の焚書坑儒だ。少年殺人事件より習の学問・学者の猟奇殺人の方が小生には刺激的だがの。

殺し屋プーチンがまたまた政敵を暗殺した。エリツィン大統領時代に第1副首相を務めた大物を襲ったのだ。ファシスト中露に未来はない。
(2015/2/28)

◆歴史認識問題の淵源と朝日新聞

渡辺 利夫



中韓と日本の間では、歴史認識問題が戦後70年たってもなお解決されない課題として残っていると人はよくいう。誤解である。歴史問題をもって中韓が日本に鋭く迫るようになったのは1980年代に入ってからのことである。

1980年といえば戦後はもう30年以上も経過していた時期である。その間、歴史問題は存在しておらず、もとより外交問題ではまったくなか
った。

 ≪中韓に介入根拠を与えた日本≫

今日、歴史認識問題といわれる慰安婦、首相の靖国参拝、歴史教科書などはすべて80年代に入ってから提起されたものである。しかも、これらを「問題」として提起したのは、中国でも韓国でもない。日本である。

問題の提起者は、GHQ(連合国軍総司令部)の初期占領政策を増幅継承した日本の左翼リベラリスト集団であった。慰安婦問題を捏造(ねつぞう)して韓国の対日外交を硬化させ、米国のクオリティーペーパーに「歴史修正主義」日本のイメージを植えつけた報道の発信者が朝日新聞であったことは、今日もはや公然である。

日本が蒔(ま)いてくれたタネである。中韓の愛国的指導者にとってこんなありがたいタネはない。歴史認識という道義性を含ませた問題の提起を当の日本がやってくれたのである。

この問題で日本を攻めれば外交的優位のみならず道義的優位をも掌中にできる。国益を明らかに毀損(きそん)するこのような問題提起をなぜ日本のジャーナリズムがこういう形でやってしまったのだろうか。

戦後日本の社会思潮の在処(ありか)を探る際の重要なポイントがここにあると私は考えるのだが、そのことを述べる紙幅が今はない。左翼思想の跳梁(ちょうりょう)、戦前期軍国主義からの反動、戦争への贖罪(しょくざい)意識、そういった情念の混淆(こんこう)であろうと一言を添えるにとどめる。

事実のみを述べれば、82年6月、旧文部省の教科書検定で「侵略」が「進出」に書き換えさせられたという日本の時のジャーナリズムの誤報に端を発し、その報道に中韓が猛烈に反発したことが出発であった。

中韓の反発を受け、近現代史の記述において近隣アジア諸国への配慮を求める「近隣諸国条項」といわれる新検定基準が同年8月に内閣官房長官・宮沢喜一氏の談話として出され、日本の歴史教科書に対する中韓の介入に有力な根拠を与えてしまった。

 ≪激しさ増したプロパガンダ≫

つづいて起こったのが靖国参拝問題である。85年8月の中曽根康弘首相の参拝にいたるまで首相の靖国参拝は恒常的であったが、外国からの反発はなかった。

A級戦犯合祀(ごうし)問題はどうか。合祀の事実が79年4月19日付の朝日新聞によって内外に知られるようになって以降も、中曽根参拝まで20回を超える首相参拝がなされた
が、中韓の非難はなかった。非難が集中的に開始されたのは、それ以降のことであっ
た。

現下の焦点は、慰安婦問題に関する朝日新聞の昨年8月5日、6日付の一連の検証報道である。ここでは、吉田清治証言には信憑(しんぴょう)性がなくこれに関する同紙記事を取り消すこと、女子挺身(ていしん)隊と慰安婦との混同についての検証が不十分であったことを認めた。

朝日新聞の慰安婦問題報道はすでに82年から始まっていたが、これがプロパガンダの様相を呈したのは、特に91年に始まり翌年に激しさを増した一連の報道であった。

その後、秦郁彦氏をはじめとする専門家の精力的な検証により同紙記事が捏造を含む根拠不明なものであることが明らかになった。にもかかわらず、朝日新聞は記事取り消しや訂正は一切せず、逆に慰安婦問題の本質は広義の強制性、女性の人権問題にあるといった主張に転じ、何と問題のこの「すりかえ」は昨年8月の検証報道でも継承されている。

 朝日新聞の最大の問題は、根拠に乏しい報道によって日本の名誉、威信、総じて国益がいかに貶(おとし)められたかにある。問題検証のために第三者委員 会が設置されたが、この点に関する記述は不鮮明であった。

 ≪「事実から目をそむけまい」≫

中西輝政氏を委員長とし、西岡力氏らの専門家を糾合した「独立検証委員会」の報告書がこの2月19日に公表された。本報告書は朝日新聞の慰安婦報道の原 型が完成したのが92年1月12日付の社説「歴史から目をそむけまい」であるとし、前 後する報道を「92年1月強制連行プロパガンダ」と名づけた。

注目すべきは、荒木信子氏が韓国の主要7紙、島田洋一氏が米国の主要3紙の徹底的な資料解析を通じて、韓国と米国のジャーナリズムが慰安婦問題を言い募 るようになったのは「92年1月強制連行プロパガンダ」以降に集中しているという 事実を、ほとんど反駁(はんばく)できない完璧さで論証したことにある。日本の国 益の毀損をどう償うのか、重大な責任を朝日新聞は背負ってしまった。

朝日新聞にとって必要なのは、「歴史から目をそむけまい」ではなく「事実から目をそむけまい」という姿勢に他ならない。

(わたなべ としお)拓殖大学総長

産経ニュース【正論】2015.2.27
                (採録:久保田 康文)

◆呆然自失の中国製造業

平井 修一



人材も技術もなくて「夢」が叶うのだろうか。

<【新華社北京2/28】習近平主席は近日刊行された全国幹部の学習研修教材のために序文を書いた。彼は次のように強調した。

全党の同志、特に各級の指導幹部は能力不十分の危機感を持ち、「時は人々を待たず」という精神で、一刻も速く能力を強めるべきだ。

全党の能力が強くなり続けることこそ、中国共産党創立100年の2021年に小康社会を全面的に実現し、建国100年の2049年に富強・民主・文明的で調和のとれた社会主義現代国家を実現するという「二つの百年」という奮闘目標が実現でき、中華民族の偉大な復興の中国夢がかなえられる>

習が「中国夢」の妄言に酔いながら政敵叩きにうつつを抜かしているうちに、中国経済は腰砕けになってきた。「中国製造業に為す術は? 外資の撤退、苦難の到来」(サーチナ 2/28)から。

<中国冶金網は26日、中国経済の高度成長を支えるエンジンだった製造業はかつて中国の国内総生産の3分の1を生み出す存在だったと伝える一方、中国経済が中低速の安定成長を意味する「新常態」を迎えて以来、製造業が苦難に直面していると論じた。

記事は、中国から外資メーカーが相次いで撤退していることを紹介したうえで、「中国の製造業は先進国と開発途上国によって“挟み撃ち”にされている状況にある」と主張し、まさに「前門の虎、後門の狼」という状況に直面していると論じた。

続けて、世界金融危機の発生後、日本やドイツ、米国などの先進国では製造業の価値が見直され、実体経済を強化し、雇用を増やすため、製造業の国内回帰を促していると指摘。

さらに、安価な労働力や原材料を武器に東南アジア諸国が製造業を強化し、もともと中国にあった工場などを“吸い寄せている”と主張し、「東南アジアに工場を建設する中国企業もあるほど」と論じた。

記事は、受託製造が中心だった中国の製造業は「かつてない危機に瀕している」とし、外資メーカーの撤退とともに倒産する中国企業が増え、職を失う労働者が増えていることを伝えた。

さらに、人件費の安さなど低コストを武器としていた中国の製造業は今や生産能力の過剰などの問題を抱え、産業としてのグレードアップやイノベーションによる成長も出来ない状況にあると主張した。

さらに、中国の製造業は「グローバルな産業チェーンのなかで見れば末端に位置する」とし、中国企業が所有する基幹技術や知的財産権は決して多くないと主張。

中国の製造業からイノベーションが生まれにくい理由は「環境が整っていないため」であるとし、中小企業は特にイノベーション能力に欠けると指摘。中国の製造業が直面している苦難を脱するためには法整備や政策などの環境を整え、中小企業を発展させる必要があるとの見方を示した>(以上)

製造業の現場からの悲鳴だが、精神論の習は何も対策を指示しないし、指示したところで幹部以下全員が「出る杭は打たれる」とサボタージュしているから対策を立てられない。

習にとって最重要課題は権力闘争であり、そのために愚民の支持を固めることであり、成長エンジンなんてどうでもいいのだろう。

エンジンが止まれば失速し墜落する。

「独裁国家が五輪を開催すると10年以内に崩壊する」という有名なジンクスがある。

1936年ベルリン→ 1945年ナチス敗北、東西分割

1980年モスクワ→ 1989年ソビエト連邦崩壊

1984年サラエボ→ 1992年ユーゴスラビア連邦解体

2008年北京→ 201X年中華人民共和国崩壊?

2014年ソチ→ 202X年ロシア連邦崩壊?

2018年平昌→ 202X年大韓民国崩壊?

習が先かプーチンが先か。クネは習と心中か。ここ数年は3バカ大将から目を離せない。第2の人生がこんなに面白いとはまったく想像もしていなかった。3バカに感謝。早く逝ってくれ。(2015/2/28)


◆中国高官は囚人になっても超豪華生活

矢板 明夫



監獄でも「アワビ」「フカヒレ」、 …出獄後の市民生活に「監獄に戻して」の元高官も

中国の習近平国家主席が主導する反腐敗キャンペーンで、元最高指導部メンバーの周永康氏ら多くの共産党高官が失脚した。今後、次々と開かれる裁判で汚職などの罪で重い刑が下される可能性が高い。

彼らは犯罪者というよりも、権力闘争の敗者であり、ほかの囚人と違って、刑が確定すれば、北京郊外にある高級政治犯を収容する秦城監獄に集められる。中国の場合、一旦共産党の高官になれば、犯罪で投獄されても、特権階級であることに変わりはなく、獄中での生活は一般市民の暮らしよりずっとぜいたくである。

数ある刑務所の中で、秦城監獄は中国で唯一、司法省の管轄下ではなく、公安省が直接管理している場所として知られる。中国メディアによれば、秦城監獄に入るには、元局長級以上幹部という条件があり、現在は10人以上の元閣僚級幹部が収監されている。

服役囚はほかの刑務所のように工場などに労働にかり出されることはない。元党幹部や官僚たちは、失脚前の地位に応じて、部屋の大きさが異なり、最大は20平米以上もある。施設はホテルなみで、新聞や雑誌を読むことができるし、回顧録を執筆することも可能。毎日午後、2時から9時までテレビを見ることができる。

食事も一般囚人と違って豪華なもので、昼と夜を問わず、肉料理や野菜料理を含むおかずは3品以上、スープと果物もつく。お正月や中秋節などは、ホテルのシェフによるアワビやフカヒレなどの高級食材を使った料理が振る舞われる。

服役囚たちの最大の不満は、彼らが知る党内の秘密の漏洩(ろうえい)を防止するため、ほかの囚人を含め、他人と自由に交流することが原則的に禁止されていることだ。毎日の散歩も単独で行われなければならないというのが辛いという。

1971年秋に失脚し、反革命罪で懲役16年の判決中国人民解放軍兵站部門のトップを務めた邱会作・中将が、1981年に保釈され、秘密を漏らさない、政治活動に参加しないことを条件に妻の実家がある西安市に戻り、一般市民として暮らすことが認められた。

しかし、西安に着いた邱氏は、新居に暖房も風呂もなく、近くに医療施設もないことを知り、同行の警察官に対し「秦城監獄に戻してくれ」と懇願したという有名なエピソードがある。

秦城監獄は旧ソ連の専門家の助言を得て、1950年代に完成した。皮肉なことに建設責任者だった元北京市公安局長の馮基平氏が、その後失脚し、1966年から75年まで9年間この監獄に投獄された。1970年代後半に、名誉回復され、政治的復活を遂げた。

実は、馮基平氏と同じような経験も持つ人は少なくない。

山西省出身の薄一波・元副首相もその1人で、文化大革命期間中など、秦城監獄を含む複数の刑務所で10年以上も過ごしたが、69才の時に出獄し、その後、党長老として政治の中枢で20年以上も大きな影響力を持ち続けた。

薄一波氏の息子の薄煕来・元重慶市党委書記は2012年に失脚し、汚職などの罪で無期懲役の判決を受け、現在は秦城監獄に投獄されている。2014年に失脚した周永康氏や徐才厚氏などはみな、薄煕来氏と親交があったとされ、政治的に同じグループであ
る。

秦城監獄でぜいたくな生活を送る彼らに、薄煕来氏の父親のように復活する日が訪れるのだろうか。(産経新聞中国総局)

産経ニュース【矢板明夫の目】 2015.2.26
                   (採録:久保田 康文)