2015年02月26日

◆私の「身辺雑記」(194)

平井 修一



■2月23日(月)。朝は室温15度、快晴、雨上がりの道をフル散歩。午前中からポカポカ陽気に。昨日の疲れから居眠りをしたが、長男一家は昼食後に帰っていった。

裴敏欣クレアモントマッケナ・カレッジ政治学教授の論考「中国:西側の価値観との戦い」(JBプレス2/23から)。

<中国から最近伝わるニュースは大抵、気が滅入るものだ。中国政府が批判派の弾圧を強化しているためだ。

だが、観測筋、特に経済アナリストがほとんど理解していないように思えるのは、自由主義と「西側の価値観」に対する中国指導部の戦いが、役人の腐敗を根絶し、イノベーションと企業家精神を促進し、外部世界との関与を深めようとする政府の努力を直接損ねているということだ。

時代に逆行する政府の政策は、中国の持続的経済発展に深刻な悪影響をもたらすだろう。

政権が敵探しをする中で、中国の学界全般が大きな標的となっており、いくつかの大学は立憲主義のような「扇動的な」思想を支持したという理由で教授を解任している。

中国教育相の袁貴仁氏の最近の発言は、それよりはるかに甚大な害を及ぼす恐れがある。袁氏は「西側の価値観を広める」教科書――特に「党の指導部を攻撃、誹謗したり、社会主義を中傷する」もの――を中国の教室内に絶対に持ち込ませないと断言した。

袁氏の地位を考えると、この誓いの言葉は事実上の公式方針になる。中国のためには、そうならないことが望まれる。

言論の自由と西側の価値観に対する最近の激しい攻撃は、習近平国家主席が直面している重大な政治的課題を反映している。習主席は強欲と不信感によって弱体化した一党体制を、市場を基盤とした改革を実行し、自己の長期的存続を維持することができる、思想的に結束した秩序ある体制に変えなければならない。

*習近平国家主席のビジョンの論理的な欠陥

自由主義の弾圧は、自身の反腐敗運動とともに、この目標を推し進めていけると習氏は考えているようだ。

このビジョンは、非現実的であるのと同じくらい論理的に欠陥がある。

どれだけ懸命に努力しようと、報道の自由や健全な市民社会、法の支配が
ない状態で一党体制の腐敗を根絶するのは事実上不可能だ。しかし、報道の自由といったこれらの要素は、まさに中国共産党の政治局員らが排除しようとしている「西側の価値観」なのだ。

政府による「西側の価値観」の抑圧は――ましてやネットに対する執拗な戦いは言うまでもなく――、中国のトップクラスの精鋭の流出に拍車をかけることになりそうだ。

2013年には41万3900人という前代未聞の数の中国人学生が海外に留学しており、2014年にはさらに増えることが予想されている。そのうち9割の人が西側諸国(および日本)を留学先に選んでいる。

*悪夢と化す「中国の夢」

確かに、大学に通う年齢の中国人学生のうち外国の大学へ留学する学生はごくわずかだ。実際、2013年に海外留学した学生の数は、中国の大学に進学した学生の6%程度に過ぎない。

しかし、中国の支配層のエリートは、自らの長期的存続の代償としてこの集団を見限るどころか、逆に出口へ殺到する流れを先導し、自分の子供たちを主に米国のアイビーリーグや英国のオックスフォード大学、ケンブリッジ大学に留学させている。

共産党の指導者は、自分たちの子供が西側の価値観に洗脳されることを心配しないのかと不思議に思える。彼らはすでに、明らかに、自分の子供を中国の大学に行かせたくないと考えている。そして、もし袁氏がその意を通せば、中国の大学は次第に、世界レベルの西側の大学よりも北朝鮮の大学に似てくるだろう。

そうなったら、広範囲に及ぶ壊滅的な影響が出る。中国国内に残った何千万人という学生は、中国経済の国際競争力を維持するために必要な知識とスキルを得られない。ましてや、競争力を高めることなど論外だ。

実際、中国の持続的経済発展にとってイノベーションが不可欠であることを考えれば――この点は習主席が繰り返し強調している――、中国の教育における西側の影響力との戦いは全くもって不合理だ。

政府の弾圧がすぐに終わらなければ、国の偉大さと繁栄という習氏の「中国の夢」は、加速する衰退と高まる後進性という悪夢に変わるだろう。いずれにせよ、西側の価値観に対する戦いは、中国が負けるしかない戦いなのだ>(以上)

習は北朝鮮のような個人独裁の先軍政治を目指しているかのようだ。末期症状、中共崩壊の午前零時まであと10分か。

夕刻,集団的子育て、孫3人来泊。具だくさんのうどんでもてなす。

■2月24日(火)。朝は室温17度、曇、雨上がりの道をフル散歩。ほんのり梅の香が匂う。春が来た。

小生は暴力事件の前科者だから警察庁にその記録はあるし指紋も登録されているが、なんと米国ではビル・ゲイツ氏も前科者として登録されているのだという。

「米国のすし詰めの刑務所の経済的コスト 7500万人の米国人に“犯罪”の過去、成長を妨げる構造的障害に」(Financial Times 2/24)から。

<(米国経済についての論議で)概して見落とされているのは、米国の刑事司法制度が果たしている中心的な役割だ。米国が犯罪記録を積極的に公開する姿勢に批判的な向きは、これを社会的な病と考える。それは米国経済に対する犯罪でもある。

数字はショッキングだ。米国の刑務所人口は230万人で世界最多だ。その数は中国とロシアの受刑者数の合計に匹敵し、フランス、ドイツ、英国の受刑者の合計の10倍を超える。

米国の刑務所は民主的なグーラグ(収容所)だと考えればいい。受刑者数は1991年当時からほぼ倍増した。これは、米国が以前より数百万人も多い前科者を抱えており、その大多数が日常的に雇用主によってふるい落とされていることを意味する。

だが、犯罪歴の汚点は、重罪犯(およそ1300万人)をはるかに上回る大勢の人に影響を与えている。米国の成人のほぼ3人に1人、人数にして約7500万人が米連邦捜査局(FBI)の犯罪データベースに登録されている。その名前のざっと半分の詳細は不完全だ。

FBIのリストに入るには、法廷で有罪判決を受ける必要はない。1度でも逮捕されるだけでリストに載るのだ。
*ビル・ゲイツもジョージ・クルーニーも書類審査で不採用?

ほとんどの雇用主は求職者の経歴調査を行い、犯罪歴のある人をふるい分けて排除する。応募書類がすぐさま排除される人の1人が、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツだ。1977年に交通違反で逮捕されているためだ。

俳優のジョージ・クルーニーの書類もふるい落とされる。彼はワシントンのスーダン大使館の前でデモをしたことで2012年に逮捕されている。

米国は1990年代にほぼ完全雇用を達成した。これはゼロ・トレランス・ポリシング(犯罪に無寛容の徹底した取り締まり)への移行と時期が重なっている。米国のほぼ半分の州には、まだ「スリーストライク即アウト」で自動的に投獄される三振法がある。

だが、ほとんどの雇用主にとっては、ワンストライクで十分だ。しかも、その犯罪は誤って報告された可能性が十分ある。FBIを説得して、自分の犯罪記録を削除、あるいは修正してもらうのは事実上不可能だ。

1997年に家主に対して切った不渡り小切手は恐らく、死ぬまで「軽犯罪」として記録が残る。名前は110年間、FBIのデータベースに保管されるからだ。

労働統計で仕事を探すのを完全にあきらめた「意欲喪失者」として定義される何百万人の人のうち、かなりの割合は(前科者として書類選考で落とされ続けて)意欲喪失に追い込まれた人だ。

米連邦準備理事会(FRB)のイエレン議長は、民主党のブッカー上院議員と共和党のポール上院議員が起草したリディーム法案も後押しすべきだ。この法案は、米国人が非暴力犯罪を自分の記録から抹消できるようにするものだ。

同氏はFBIを恥じ入らせて、正確な情報を保管するよう促すこともできるかもしれない。

こうした対策はいずれも単独ではFRBの計算(政策)を変えるのに間に合うタイミングで米国の労働力を拡大させることはない。だが、(いろいろな対策と)一緒に実行されれば、米国の成長を妨げる大きな構造的障壁を低くする助けになるだろう。

三振法を終わらせれば、より永続的なインパクトをもたらすはずだ。それによって、米国はより公平にもなる>(以上)

軽犯罪であれ一旦逮捕されると不起訴になってもFBIのブラックリストに載ってしまい、更生が非常に難しくなる。昨年、警察官に押さえ込まれて死んだ黒人は体重150キロ、逮捕歴30回とかあったが、1回逮捕されただけでも再就職できないとなれば、もうヤケノヤンパチ、居直って「極道で行くしかない」となりがちになるだろう。

だからといってリストから外したり三振法を撤廃すれば捜査に支障をきたし、かえって犯罪を増やしかねない。公平になっても、それでは治安は改善しない。卵が先か、ニワトリが先か。更生を促しながら捜査能力を高めるというのは難しい課題だ。

■2月25日(水)。朝は室温17度、晴、寝坊して7時起床、大急ぎで朝食を作りフル散歩。

14年振りにお雛様を飾る。内裏雛、三人官女、五人囃子、右大臣・左大臣、仕丁(じちょう)三人。計15体で、細々とした飾りがあるからとても面倒臭く、午前中いっぱいかかってしまった。

お雛様は1981年、長女の初節句でカミサンが選んだものだが、次女が20歳になる2001年までは「根性!」と気合を入れて毎年小生が飾っていた。今はパワーが衰えたから飾り終えたらぐったりしたが、なかなか立派で気分がいい。今日は集団的子育てで孫3人、娘2人が来るので喜んでくれるだろう。

今週末には1歳女児の初節句を祝う。花ちらし寿司と鶏の唐揚げ、刺身、サラダなどを作る予定だ。大いに楽しみ。4月には6歳女児が芽出度く小学生になる。入学祝ではどんな料理を作ろうか。これまた楽しみだ。

ところで習近平は反ファシスト戦争・抗日戦勝利70周年と叫んでいるが、独伊はともかくも、日本は政府も議会も憲法のもとに正常に機能していたからファシズムとは言えないし、そもそもファシストの定義を「独裁者」とすれば、終戦の詔まで独裁者と呼べる指導者はまったくいなかった。(それ以降はGHQとマッカーサーが独裁者として君臨)

ジョージ・オーウェルは「ファシストとは単なる悪罵」と書いていたそうだが、小生は「クソ野郎」の類の言葉だと思っている。ファシスト=独裁者=クソ野郎なら、今の世界では習近平、プーチン、ISのバグダディの3人が該当する。

抗日戦勝利というが、蒋介石・国民党軍/重慶政府も汪兆銘(汪精衛)南京国民政府軍も基本的には毛沢東・共産主義・紅軍を最大の敵としていた。日本軍と(やる気がないもののそこそこ)戦った主役は蒋介石軍であり、紅軍はゲリラ戦が主で、いわば脇役だった。日本が投降したのは蒋介石・国民党政府に対してであり、中共ではない。

勝者は誰かと言えば連合国であり蒋介石・国民党政府である。(日本は米国には負けたが、蒋介石軍に負けたとは思っていないが、それはともかくも)この“勝利”を自分のものだと習近平・中共が言うのは歴史の捏造、嘘八百だ。

この嘘は(近現代史の解釈権は中共にあるとの情報統制のため)支那国内の中2レベルには通用するが、それ以外にはプーチン・ロシアくらいにしか同調はされない。

ロシア(ソ連)は火事場泥棒で北方四島を強奪し、60万の日本軍将兵を拉致して奴隷労働をさせ6万人を殺した犯罪国家だ。武力による国境変更を平気でやることは今も70年前と同じであり、今は世界中を敵にまわしている。第2次大戦で唯一領土を拡大したのはロシア(ソ連)である。

嘘つきで卑怯で陰湿で残虐な独裁国家、独裁者という点で習近平・中共とプーチン・ロシアは共通している。ファシスト野郎の習近平、プーチンを叩き潰すのが世界の良識ある人々の歴史的使命である。同志諸君、夜明けは近い、草莽崛起!(2015/2/25)

       



2015年02月25日

◆危険ドラッグ製造工場を摘発

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)2月24日(火曜日)通巻第4477号 <前日発行>>

 〜中国広東省陸豊市で危険ドラッグ製造工場を摘発
            製薬と化学企業の副業、腐敗ここに、極まれり〜

国連麻薬取締官ジェルシー・ダグラスは広東省陸豊市の製薬企業の工場が怪しいと睨んだ。製造薬品には不適切な量のドラッグ転用原料が運び込まれていたからだ。工場を訪れると、当該企業幹部から賄賂による見逃しを持ちかけられた。

国連は1997b年から「薬物犯罪事務所」を開設している。

中国公安と協力して工場を急襲し、2・4トンのメタンフェタミン等を押収した。

ほかにも興奮剤として転用可能なエフェドリンなどが発見された。これらは日本でも問題となった「危険ドラッグ」の基本材料で、興奮刺戟材である。香港の『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』が伝えた(2月22日)。

以前から広東省には「アジア最大の危険ドラッグ工場」があるといわれ、深センのマフィアなどを通じてニュージーランド、豪州に密輸販売ルートが開拓されていた。深センでは、怪しい化学品400トンが押収され、のべ5000名が逮捕されている。

中国は麻薬が社会の底辺で蔓延しており、また危険ドラッグの製造と密輸出の拠点とも言われてきた。

日本でも麻薬に類するハーブや興奮剤に規制が行われてきたが、2014年7月までは事実上の野放し状態だった。

直前の同年6月24日、池袋で危険ドラッグを使用した男が、つぎつぎと歩行者をはね、1人が死亡(中国人女性)する事故が発生、取り締まり強化と「脱法ドラッグ」の名称を「危険ドラッグ」と呼ぶようになった。医学薬品など234種が規制の対象という。

それまでに日本の死者は24人、税関がおさえた密輸ドラッグは630キロに及び、また埼玉、千葉などでマンションに工場をつくって危険ドラッグを栽培製造していた事件も頻発した。
      


◆中共は国造りに失敗した

平井 修一


中共は数年前までGDP8%成長率を死守するという「保八」を叫んでいたが、昨年は「保七」とトーンダウンし、最近では「6%台でもいいじゃないか」と言いだしている。

数字自体が根拠がないことも世界中で知れ渡っているし、中共中央は「地方政府の数字をチェックするのはやめた」と言っているから、そのうち成長率自体に触れることはなくなるのではないか。

支那は大昔から汚職が蔓延しており、地方政府は中央政府に決められた税(上納金)さえ納めていれば好き放題ができた。書類上は100兆円の現金があることになっていても実際には金庫は空っぽということもあった。そういう国柄だ。

「中国:134兆円相当インフラ投資加速、成長てこ入れで」(ブルームバーグ1/6)から。

<中国は今年、総額7兆元(約134兆円)相当のインフラプロジェクト300件を加速させる方針だ。同国の政策担当者は7%を割り込む恐れがある経済成長率の下支えを目指している。

李克強首相率いる指導部は、2014年後半から16年までに実施する総額10兆元相当の案件400件の一部として、これらプロジェクトを承認した。事情に詳しい複数の関係者が決定が公表されていないことを理由に匿名を条件に明らかにした。

今回の動きは、内需主導の経済へのシフトが十分な成長の勢いを生み出していないことへの当局者の懸念を浮き彫りにしている>(以上)

金があるのかどうかは不明だが、ゴースト道路、ゴースト鉄道、ゴースト空港を造っても一時的なカンフル剤で終わり、事業の持続性はほとんどないのではないか。

拓殖大教授・富坂聰氏の論考「『終わりの始まり』に立っている中国経済」(夕刊フジ1/5)から。

<中国経済の2014年を西側メディアの多くは「バブル崩壊との戦い」の年だと位置付けた。だが現実にはそうはならなかった。バブルではあるが、ハンドルできない問題ではなかったからだ。

では、15年からの中国経済は安なのか。実はそうではない。むしろかなり厳しい状況に陥ってゆくと予測される。それはバブル崩壊のような一過性の病気ではなく、避けられない「老化」のような問題だ。

急速な成長をげた国は、年齢とともに発展の形を変えざるを得ない。誰もが青春のままではいられないのと同じだ。これを「中所得国の罠」というのだが、どの国もここで苦労する。言い換えれば、40代で突然失業してしまうようなものだ。

では、今後の中国経済を引っ張るものは何か。

政府の思惑は消費による牽引だ。中国人の消費パワーのすさまじさはもはや説明の必要もないが、彼らの力の源泉は不動産の値上がり益である。「月収は10万円なのに資産は2億」という人は都市部にあふれている。だが、今後の中国にそんな“幸運”は訪れない。

より深刻なのは産業で、中国は政策的に国有企業に市場を独占させて、その利益を国の歳入としてくみ取っている。その甘やかされた国有企業の体質が国際競争力の点で大きなマイナスに作用する。

中国は、バブル崩壊後の10年で長い経済停滞に陥ったかつての日本の轍を踏もうとしている。「終わりの始まり」に立っているのだ>(以上)

春節(旧正月)で支那人は世界中で「爆買い」をしている。支那国内は不景気だし、贅沢品を買うと睨まれる。嫉妬を買ってチクられ、身辺調査されるかもしれない。円安の日本では世界中のいいモノが安く入手できるし、持ちかえれば転売もできる。「爆買い」しても非難されないから気持ちよく買い物を楽しめる。

Record Chinaによると支那人が日本で必ず買うものは化粧品、腕時計、シェーバー、小型家電、チョコレートだというが、紙おむつやミルクを買う人もいそうだ。ドイツでは支那人がミルクを大量に買い品薄になるので不売運動が起きているという。

中国の製造業は、上は高級品から下は生活必需品まで、国民に「安心とお買い得感」を与えられる製品を作ることができない。中国が鼻息荒かったのはたったの30年、大国を目指したが国民を満足させることにさえ失敗した。世界に貢献することなく、不信感、警戒感、嫌悪感、脅威を与えるだけだった。

功成り名を遂げる前に「老大国」という閉塞の時代が始まったのだ。中共は国造りに失敗した。(2015/2/24)


◆国語を乱しているのがテレビ

前田 正晶



入院中に国語を乱しているのがテレビであると再認識した。

私自身は筋金入りのカタカナ語排斥論者だと自負してきたが、昨年12月30日の第3次心筋梗塞入院以降、僅か3日間の中断があっただけで2月11日まで世間から隔離されテレビだけを情報源とする入院生活を続けた。

それで、あらためてそこに登場するタレントとやらいう連中は仕方がないとしても、国会議員でも所謂専門家という敬称で呼ばれる方々でも、その語り口で日本語を思いのままに乱している現状には、怒り心頭に発するまでにも至らず「情けないこと」と嘆くだけだったのは非常に遺憾だった。

先ずはカタカナ語の濫用だ。念のために先ずお断りして置くが「99.9%のカタカナ語は英語にすると不正確な表現であり外国人に通じないものであるが、それを日常的に使うのはあなた方の勝手である」のだ。

とは言え、テレビに登場する連中の濫用振りは目に(耳?)に余り、最早「これが果たしてまともな教育を受けた日本人が使う言葉か」と言いたいほど手当たり次第英語擬きを使いまくっている。

先程もテレ朝で聞こえたが、何とか言うアメリカのロックバンドが来日して「モモクロ」と「コラボ」するのだそうだ。広辞苑には「コラボレーション」【Collaboration】とあり「共同作業、共同制作、共演」となっている。

カタカナ語にしないで素直に漢字を使って言えばだ。”collaboration”には確かにそういう意味があるが、Oxfordには”group of people workingtogether”という表現もある。

実は私の英語力を以てしては「共同作業」ないしは「共演」と言いたい時に到底「コラボ」等という難しい単語など思い付くとは思えないし、精一杯で”group of people working together”辺りが限度だろう。

何故にかかる言葉を採用して、しかも短くして言うのだろう。不思議な英語力だと思う。矢張り「単語帳的知識」の賜物かと思ってしまう。誤った英語の学習法を正していくべきだとあらためて主張する。

実例を挙げよ。「スタッフ」も最早完全に戸籍を得た日本語の熟語となってしまった。「従業員」、「係員」、「担当者」等の言葉を何の根拠があって死語の如くにしたのだろう。

漢字で表現したのでは恰好格好が悪いとでも思うのだろうか。我が国立国際医療研究センターでも医師や看護師等の専用の通路には「スタッフ」と表記されている。私には胸が悪くなりそうなカタカナ語だ。

面白いのはOxfordにある解釈で、アメリカでは”the people who work ata school, college or university, but who do not teach students”とあることだ。

何れにせよ、そんなに漢字を使うことが嫌いでカタカタ語を有り難がる性根を私は嫌うのだ。飲食店などで「ホール・スタッフ」などと呼んでいるのは、何を勘違いしているのかと嘆かわしくなるだけだ。カタカナ語にするとそんなに格好が良いのか。応募者が来るのか。

「シンプル」や「コンパクト」もものの見事に濫用されている。「簡単に」か「単純に」か「略式に」と言いたい時は「シンプル」を使っている輩が多い。

断って置くが”simple”は一義的には形容詞だ。しかし、カタカナ語で使われている場合には「単純化する」という動詞”simplify”の意味である場合が多いように聞こえる。即ち、形容詞の「シンプル」を動詞のように使っていると思っている。こういう使い方を許していて「英語を小学校ら教えよう」もないものだ。

「コンパクト」も恣意的に使われている。大体からし浅学非才の私には”compact”という単語を使いこなした記憶もない。でも、TOEICを有り難がる我が国では平気で「コンパクト」を使う。広辞苑に「コンパクト」は「小さくして中身の充実しているさま」。「−にまとめる」とある。

だが、テレビに登場する輩は何でもかんでも「本来の形よりも小さくする」か「縮小する」と言いたい時に濫用する。おかしくないか。

Oxfordには”smaller than is usually for things of the same kind”とある。ジーニアスには「家、車、道具などがコンパクトな、無駄なスペースがない、こぢんまりとした;小さくて安い」とある。

矢張り単語帳的な言葉の濫用だと言いたい。これは「シンプル」と共にスポーツ中継で濫用されている傾向がある。”captainship”=「キャプテンの統率の力」を屡々「キャプテンシー」の如くに間違った言葉を使っているよりは罪が浅いかも知れないが。

カタカナ語を離れよう。私が聞き辛いのが「私の中では」という妙な言い方だ。「私が思うには」か「私の考えでは」辺りが普通な日本語だと思うのだが、誰が言い出したのか「私の中では」が大流行で、国会議員までもお使いだ。彼等がタレントを真似るとは世も末だと思わないか。彼等が濫用する「今現在」もおかしいとは思わないのかな。

「お会いする」も奇妙だ。Atokでは「お目にかかる」を推薦されてしまう。私はこちらを採りたい。敬語としては「お目にかかる」の方が自然だと思うからだ。

また、「おいしい」は「美味であること」だが、テレビでは「うまい」は何故か消滅した模様で、男女とも「おいしい」しか言わない。私は「美味い」が男性語で「おいしい」は女性語かとすら思っていたのだが。

「最高」もイヤだ。食べ物の味でも、何か素晴らしいものに出会った時でも、最善の結果が出た時にでも、テレビに出てくる漫才崩れだの何のは「最高」としか表現しない(あるいは出来ないのか)のだ。この言葉では「具体的に何がどのように素晴らしいのか、最も優れていたのか」が特定されていないのだ。要するに「何を言いたいのか」が伝わってこないのだ。要するに「国語による表現力の欠如」だ。

これらの妙な言葉群の問題点は、私が常に言っている「耳から入ってくる言葉の影響は、読むか読んだものよりも遙かに効果を発揮するものである」点にあるのだ。

私は良い言葉か変な言葉か、誤ったカタカナ語かどうの判断が出来ない連中は、「テレビにお出になるタレントやアイドル様がお使いになるのならばそれで良いのだろう」と思い込んでしまっていると見なしている。だからテレビは恐ろしいのだ。

こんな連中の跳梁跋扈をを許しておく一方で、小学校ら英語教育もないもので、国語を正しく学ばせることを第一義に置くべきではないのか。英語なんてその後からの中学校からで十分だ。この私がそう言うのだから間違いない。
            

◆傲慢・反日地方紙の正体

平井 修一



ほとんどの地方紙は左巻だ。日共や日教組並と思ってまず間違いない。地元紙の神奈川新聞も同様で、救いようがないが、役所や学校、地元に根差した仕事の人は地元の小さな情報が載るから購読するのだろうが、こと政治に関する記事はもろに左に「角度」をつけている。

同紙のコラム「照明灯」2/22から。

<プロパガンダ

フランスの歴史学者アンヌ・モレリの「戦争プロパガンダ 10の法則」(草思社文庫)を読むと、聞こえのいい言葉や反論しにくい主張には、よくよく用心せねばと考えさせられる

▼イギリスのアーサー・ポンソンビー卿が第1次大戦についてまとめた「戦時の嘘」にある戦争プロパガンダの基本的な法則が、第2次大戦や太平洋戦争、ユーゴスラビア空爆、湾岸戦争でも繰り返されていることをモレリは調べ上げている

▼法則は(1)われわれは戦争をしたくはない(2)しかし敵側が一方的に戦争を望んだ(3)敵の指導者は悪魔のような人間だ−と続き、(8)芸術家や知識人も正義の戦いを支持している(9)われわれの大義は神聖なものである(10)この正義に疑問を投げ掛けるものは裏切り者である−と締めくくる

▼安倍晋三首相は2年前からにわかに「積極的平和主義」という言葉を旗印に掲げ始めた。「平和」を名目に政権が進めてきたのは武器輸出三原則の見直し、特定秘密保護法制定、集団的自衛権の行使容認だ

▼「平和」を唱えつつ軍事への傾斜を強める現状は「法則(1)」の状況と似ていないか。過激派組織「イスラム国」による邦人人質事件後の世の言説は「法則(2)」「法則(3)」になっていないか。モレリは言う。まずは疑うことだと>(以上)

安全保障という視点がまったくなく、「普通の国」になることをとことん嫌う自虐史観、日本悪玉史観に見事に染まっている。「神奈川新聞は朝日の亜流ではないか」と、まずは疑うことがメディアリテラシーの第一歩だ。

産経の言論サイト「イロンナ」の皆川豪志編集長の論考「朝日だけじゃない『反日地方紙』の正体」から。

<首都圏や近畿圏を除けば、その地域で圧倒的な存在感を誇る地方紙というものが存在します。県内の政官財界に多大な影響力を持ち、その地域の人々にとっては、まさにゆりかごから墓場までお世話になる新聞なのです。それほど影響力のある紙面がまさに「反日一色」というのはなぜでしょうか?

*国政になると突然「反日」

3年ほど前に、弊社で『反日地方紙の正体』(日下公人・責任編集)という本を出しました。増刷を繰り返すなど、保守層を中心にかなり話題になったのですが、「沖縄タイムス」「琉球新報」の“二大巨頭”をはじめ、その紙面はますます過激になるばかりです。

ご存知の方も多いかもしれませんが、首都圏や近畿圏などを除けば、その地域で圧倒的な存在感を誇る地方紙というものが存在します。県内のシェア80%近くといった県紙も珍しくないばかりか、県内の政官財界に多大な影響力を持ち、県内の大きなイベントなどには必ず名を連ねます。

さらに、亡くなった方や生まれたばかりのあかちゃん、高校や大学の合格者氏名まで掲載することで、その地域の人々にとっては、まさにゆりかごから墓場までお世話になる新聞なのです。

これは「地域密着」という点で、非難するべきものではないのですが、問題は、それほど影響力のある紙面がまさに反日一色という場合が非常に多いのです。地元県政などには「完全与党」であるにもかかわらず、なぜか国政になると突然「反日」になってしまうのです。

この理由について、本書では、大部分の地方紙が共同通信から記事の配信を受けていること、中には、社説まで、その主張を丸写ししていること、地方の記者がいまだ左翼史観にこりかたまって思考停止していることなどを実例に基づいて解説していますが、最近になって、これは編集レベルだけの話ではないと思えるような出来事がありました。

詳細は省きますが、ある地方紙から弊社の書籍広告の掲載を拒否されたのです。この本ではなく別の本なのですが、なんと「朝日新聞批判の部分を削ってほしい」というのです。さらに別の書籍の時も、違う地方紙から「韓国を批判する本は載せたくない」とのクレームを頂きました。

もちろん、相当なやりとりがあった上で、こちらもそのような新聞への掲載は拒否したのですが、担当者もその上司も、何が問題なのかまったくわかっていない様子でした。

これはあくまで想像ですが、おそらく普段は地元企業などに対して「広告を載せてやっている」という態度なのでしょう。広告の内容についても、だれに対して何に気を使っているのか全く話が噛み合いませんでした。

もちろん、まっとうな地方紙もたくさんあると思います。ただ、地元の大企業然として「井の中の蛙」になり、言論の中身については、朝日の記事や共同の配信を有難がって思考停止しているだけでは、新聞界全体のためにもならないと思います。本書を責任編集していただいた日下先生が担当した論文にこんな下りがあります。

「(地方の)知事は東京からお金を取ってくることを誇るのではなく、自らの足で郷土をつくる気概を持つべきだし、地方のメディアも中央のメディアに依るのではなく、独自に報道、評論活動をすべきである。

ある地方紙の幹部にこう話したところ、幹部は「我々は県庁の主を決めることができる」と見当違いの誇りを語った。また別の地方紙の局長は「県庁に行けば下にも置かない扱いを受ける。県紙に何と書かれるかで彼らの出世も決まる」と昂然と言った」>(以上)

驕り高ぶったまさに「第四の権力」だ。夜郎自大でヘイトスピーチし放題。

<「一県一紙」体制とは:戦時中の新聞統合により誕生した一県一紙を中心とするシステム。読売、朝日、日経、毎日、産経といった全国紙が強い首都圏や近畿圏を除く37道府県で地方紙が販売部数で首位。中には7割を超えるシェアを持つ地方紙もあり、地域によっては絶大な影響力を誇る地方紙もある。

一般社団法人日本ABC協会によると、全国紙(主要5紙)の朝刊販売部数は約2400万部。都道府県でシェアトップのブロック・地方紙の販売部数は約1300万部となり、その存在感の大きさが数字からもみてとれる>(イロンナ)

日本新聞協会によると2013年の発行部数は43,126,352部。2014年は41,687,125部と144万部減っている。2012年から2013年には60万部減だったから、2014年の落ち込みはかなり大きい。朝日の虚報問題と部数減が影響したのだろう。朝日の亜流新聞も部数を減らしているはずだが、一気に落ち込ませる方策はないものか。(2015/2/23)

2015年02月24日

◆ハッカー対策やっと本気

宮崎 正弘

 
<平成27年(2015)2月23日(月曜日)通巻第4476号>

 〜ハッカー対策、やっと本気。公募やハッカー・マニア優秀者を
   日本政府「ホワイト・ハッカー」を25人、とりあえず採用〜


「ホワイト・ハッカー」とは「正義のハッカー」であり、政府のハッカー攻撃予防専門チームに配属される。

高度なコンピュータ技術が必要で、米国でもハッカー・マニア、ハッカー・ボーイから探し出して、専門職につけている。

日本政府は公募と大会優勝者などをスカウトし、サイバーテロ対策を総括する内閣府サイバー・セキュリティ・センターの職員、研究員とする。

サイバー・セキュリティ・センターには現在80人の職員しかおらず、来年度にようやく50%増員の120人態勢となる。

ハッカー技術に長けた若者は、往時の将棋やチェスコンテスト同様に、技術自慢が多い。欧米は大学に奨学金を出して、ホワイト・ハッカーを補充している。

これは米国でおきた天才少年ケビン・ミトニックがなんとFBIのコンピュータ・システムに侵入したり、捜査官に大胆に挑戦状をおくったり、しかも2年間捜査網から逃げおうせていた。

このためケビン・ミトニックは伝説上のハッカーとなり、伝記ばかりか映画にもなったほど。中国軍人等がかいた『超限戦』にも名前がでてくる。その後、ケビンはFBIに協力しホワイト・ハッカー側になったのである。

日本のハッカーによるHP改竄などの被害は2013年度だけでも500万件を超えており、対策が後手後手にまわってきたが、イスラム国の跳梁、東京五輪をひかえ、もはや悠長に構えてはおられなくなった。
         

◆大弁護団抱える植村訴訟の争点

秦 郁彦



2014年から今年にかけてメディアに頻出した「捏造(ねつぞう)」が流行語大賞の候補に選ばれなかったのは、常用漢字にない難字と暗くどぎつい語感のせいかもしれない。

ちなみに『広辞苑』第6版を引いてみると「事実でない事を事実のようにこしらえること」とある。 最近のトピックスでは「STAP細胞はES細胞を使って捏造されたもの」と報じられた小保方事件、「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」の見出しをつけた『週刊文春』(14年2月6日号)の記事と西岡力教授の関連コメント等が名誉毀損(きそん)に当たるとして、植村隆元記者が1月9日に起こした大がかりな民事訴訟が思い浮かぶ。大がかりなと形容したのは、原告は1人なのに代理人として170人の弁護士が全国からはせ参じたことを指す。

スラップ訴訟の成立基準

いずれも一過性の論争ではすまず、今後も尾を引きそうな気配だが、ここでは植村訴訟が提起したいくつかの問題点を取り上げてみたい。

ひとつは受け手によって差がある語感の強弱をどう判断するかである。各種のメディア、時には国会の議場でも悪口雑言の類(たぐ)いは珍しくない。捏造記者と呼ばれるより三流(新聞)記者とか御用(新聞)記者のほうが、名誉毀損度は高いと感じる人もいよう。

たまたま夕刊を見ると、橋下徹大阪市長が京大教授とのやりとりで「バカな学者の典型」「この小チンピラ」と罵(ののし)っているのを知った。

植村氏の訴状にも、被告・文藝春秋による「原告攻撃と“言論テロ”」「全体主義的言論封殺」と過激な表現が見られる。言論・表現の自由との兼ね合いもあり、裁判所は乱訴を防ぐためにも、憎まれ口の応酬レベルだと介入を嫌うかもしれない。

次には裁判所がまだわが国ではなじみの薄いスラップ訴訟(SLAPP)に該当すると見なし、反スラップ法制定も視野に入れた判例を出す可能性も予想される。この分野における先進国のアメリカでは、50州のうち約半数が反スラップ法を制定しているが、わが国では訳語も威圧訴訟、恫喝(どうかつ)訴訟などまちまちで、判例も乏しい。

デンバー大学のプリング、キャナンの両教授が挙げているスラップの成立基準は、

(1)権力を発動する目的で巨大企業、政府、自治体等の強者が原告となり、弱者の個人や民間団体を被告として提訴(2)被告にコストを負わせやすい民事訴訟の形式(3)公益や社会的重要問題を争点に選ぶ(4)提訴者は敗訴を気にしない-とされている。

この基準が植村訴訟にあてはまるか検分したいが、その前に訴訟提起までの経過を要約しておく。

疑わしい相当因果関係

植村氏は13年11月に神戸の女子大教授に内定し、翌年3月に朝日を退職したが、『週刊文春』記事等を根拠に各方面からバッシングが始まり内定を取り消された。ついで本人、家族と非常勤講師を務めていた北星学園大学にも脅迫やいやがらせが繰り返される。

植村氏は中山武敏弁護士(のち弁護団長)の勧めもあり「原告とその家族をいわれのない人権侵害から救済し、保護する」には「“捏造記者”というレッテルを司法手続きを通して取り除くほかない」(訴状)と主張している。

それに対し、被告側は「十分な根拠をもとに批判をした。言論には言論をもって対応すべき」だし、「脅迫を教唆するようなことは書いていない」と反論した。

確かに植村氏は訴訟までの約1年、被告ばかりか日本メディアの取材を拒否し、手記も公表していない代わり、米韓の新聞や外国特派員協会の会見には登場して、批判の対象にされた1991年の朝鮮人慰安婦第1号に関する記事の不備は誤用や混同で、意図的な捏造ではない、と釈明していた。

誤用か捏造かは裁判所の判断に属すが、いずれにせよ被告の言論活動と脅迫の間に相当因果関係が成立するかはきわめて疑わしい。

期待したい日弁連の自浄機能

それでも異例の大弁護団が乗り出した動機と目的は何なのか。真意は不明だが「その他の被告となり得る人々についても弁護団の弁護士が力を尽くし、順次訴えていく」(提訴時の記者会見における神原弁護士の発言)という宣言や「(170人が)ネット上で脅迫的書き込みをした人たちを探し出し、1人残らず提訴していく」(朝鮮日報)との報道ぶりから見当がつこうというもの。

実際に関係者の間では、次の被告は誰だろうと臆測が飛んだが、2月10日に札幌の弁護士が代理人で櫻井よしこ氏を札幌地裁に訴えた。こうなると金銭、時間、精神的負担を怖れる批判者への威嚇効果は絶大だろう。逆に弁護士を裁く法律はないから、対抗手段としては前記の基準(1)〜(4)を満たしたかに思えるスラップ訴訟の適用しかあるまい。

それが無理なら裁判所は「訴権の濫用」も考慮するだろうが、その前に3万5千人の全員が加入する日本弁護士連合会(日弁連)の自浄機能に期待したい。(はた いくひこ)

 ※秦郁彦氏は今年度の第30回正論大賞を受賞しました。

産経ニュース【正論】 2015.2.23
                     (採録:久保田 康文)


◆平成19年度國語施策懇談會を聽いて

上西 俊雄



(北郷山人のサイトがなくなった。同サイトの月譚「遠景」08/04/10で公開の小文をそのまま投稿する。數字は算用數字に變えた。懇談會があったのは平成 20 年 3月 25 日。)

懇談會なら「に出席して」とすべきところだが講演會であった。文化廳の用語が特殊であるのではなく元來は懇談會であったのかも知れない。實際は文化審議會の報告であった。

最初は前會長の講演。その講演のをはりに「實は」と前置きがあって「小學校からの英語教育には反對」との意見表明があったので思はず拍手したのであるが、「中學校の英語教育では會話が大事」だとあったのでがっかりした。

會話重視の結果、英語の力が増したといふ事實があるのだらうか。筆者はアルファベットが表音文字であるといふ根本のところを教へてゐないのが問題だと思ふものである。ドイツ語やフランス語など、まづ字母の唱へ方から訓練するのに英語にはそれがない。

小學校のローマ字でやったと思ってゐるのかも知れないが、そのローマ字は假名漢字變換のこともあって單なる符牒扱ひだ。だから我國の英語教育では文字と音聲とは別のこととして教へることになってゐる。もし英語教育を立て直すつもりならローマ字教育も視野に入れなければならないはずだ。

次いで、國語分科會漢字小委員會における審議についての報告があり、「國語施策としての漢字表の必要性」といふことが述べられた。

配布資料には「言語生活の圓滑化とは、當該の漢字表に基づく表記をすることによって、文字言語による傳達を分かりやすく效率的なものとすることができ、同時に情報機器の使用による漢字の多用化傾向が認められる現在の情報化社會の中で、逆に〈漢字使用の目安としての漢字表〉がなかった場合のことを考へてみれば明らかである」とあるが、ちっとも明らかでない。

戰後の國語行政が漢字廢止もしくは消滅を目指したものであったことは報告にもあった通りで漢字表は、その經過措置であった。しかし消滅とはならず情報化時代になって漢字使用は逆に増えたわけである。要するに見通しを誤ってゐたわけであるから、さう詫びれば濟む話ではないか。

JIS 漢字 6355、情報機器に搭載されてゐる漢字は既に一萬を超える現在「〈常用漢字表の存在意義〉がなくなったのではないかといふ見方もある」と認めた上で「一般の社會生活における漢字使用の目安を定めてゐる常用漢字表の意義を損なふものではない」とするのは如何にも苦しい。

しかも今後、定期的に漢字表の見直しが必要だとして、膨大な量の資料から漢字の頻度調査をやるといふ。JIS漢字のときにやってゐることと作業としては違ひはあるまい。これでは經濟産業省と文部科學省の覇權爭ひではないか。

漢字使用についての見通しを完全に誤った上に、漢字表の目的を變へて存續を圖るのは税金の無駄といふだけではない。漢字廢止へ向けての經過措置には、漢字表の他に字體のことと代用術語の問題がある。

例へば示偏。これは表内字はネのやうに書くことになってゐて、この部分の文字は倍に増えた。

漢和辭典の引き方を教へる場合にも、表外字との調和の點からも、漢字文化圈の外國人留學生にとっても、また國際空港等で簡體字で同じことを表示する無駄の點からも整理すべき問題ではないか。

念の爲に言へば頻度を理由に新字體の方を優先すべきといふのは理屈にあはない。今、新聞雜誌など新字體でなければ發表できないところがほとんどだからだ。

今假に代用術語と呼んだもの、これは漢字制限下で術語の變更を迫られて工夫されたもので「函數」を「關數」とした類である。これはウィキペディアで、どちらで立項するか綱引きがあった。

大學の論文における頻度から當然「關數」であるとする議論が優勢であったが、文部省が戰後の國語行政に關して過ちを認めて詫びてない以上、當然の結論ではあるかも知れない。

しかし、小川洋子の『博士の好きな數式』では「函數」だ。頻度は文部省の規制にとらはれない資料によらなければ公平とは言へないはずだ。その意味では戰前の文獻によるのが正しいのではあるまいか。とにかく代用術語も字體と同樣、整理を迫られてゐる問題だと思ふ。

假名遣についての審議はなされてゐなかったのか報告がなかった。

戰後の國語行政を領導した人々は漢字追放に一所懸命であったためか假名遣については眞劍に考へたとは思はれないのであるが、それでもいはゆる現代假名遣にすることが、過去の日本語のありやうに影響することまでは想像してゐなかったはずだ。

國歌國旗法の君ヶ代の歌詞は現代假名遣。その結果は正しい表記をみるとihaho と歌ふことになるだらうといふこと。その前兆を先日、某公共放送の連續ドラマで見た。何と吉田兼行は「ものぐる」を欲しがってゐたのだ。

なほ、昭和 61 年の内閣告示によれば現代假名遣は「主として現代文のうち口語體のものに適用する」とあり、

また歴史的假名遣について我が國の歴史や文化に深いかかはりをもつものとして尊重されるべきことは言ふまでもないとしてゐるのであるから、

國歌國旗法は大きな誤りを犯してゐることになる。この法律でもって傳統の尊重を説くのは皮肉としか言ひやうがない。

しかし、漢字小委員會はこのやうな問題には我關せず焉で、「分かりやすい日本語表記に不可缺な『國語施策としての漢字表』に基づいて、情報機器に搭載されてゐる多數の漢字を適切に選擇しつつ、使ひこなしていくといふ考へ方を多くの國民が基本認識としてもつことが大切である」といふ。

まるで、漢字をみだりにつかってはならぬと言はんばかりではないか。「分かりやすい日本語」であれば、そもそもかかる會を懇談會とは言はぬであらうし、「多用化傾向」などといふもって廻った言ひ方など用ゐぬはずではないか。

人名用漢字について「子の名といふものは、その社會性の上からみて、常用平易な文字を選んでつけることが、その子の將來のためであるといふことは、社會通念として常識的に了解されるところであらう」としてゐるが、これも見通しを誤ったと言ふべきであらう。

子供には特別な名前をつけてやりたいと願ふのが本當であらう。

漢字制限下では、その漢字本來の意味を踏まへながら特別な名前を工夫する餘地は小さかったからかもしれない。

いや、それよりも漢字を表音文字のやうに見ることを教へてしまったためかも知れないが瑛里樹(エリナ)、秋波(アキハ)、彩味(アミ)、若佳菜(ワカナ)、萬櫻(マオ)などといふ名前があると言ふ。

辭典に當たってみれば、「秋波」などといふ名前を付けることはないはずだ。

漢字使用について指圖をするやうなことを考へる前に辭典の使ひ方を教へておく方がよほどましだ。學習指導要領に國語辭典や漢和辭典の使ひ方のことがないのが變だと思ふ。

漢字委員會の報告は長く、質問の時間がなくなってしまった。

二つめは日本語教育小委員會の報告。國語教育でなく外國人に教へる日本語教育のこと。

我國における外國人登録者數のこととか、日本語教育に關する主な事業の概要と豫算額など、グラフや表をつかっての報告であった。

金額は34百萬圓のやうに書かれてゐるのが奇異であったが、これは文化廳のやり方なのださうだ。日本語は四桁區切りだから、この場合は3400萬圓となってゐないと讀みにくいではないか。

やはり日本語を病んだ人がやってゐるところなのかも知れないと思った次第である。
       

◆年来の思いが叶いました!

浅野 勝人 (安保政策研究会理事長)
  

北京大学で講義をはじめてから、いずれ中国で講義に関する自著を出版したいと思うようになりました。北大生(中国では北大といえば北京大学のこと)に講義する意味は、それなりに貴重ですが、中国社会の中では知的レベルの高い極一部の特定の人たちだけに話すことの限界を感じていたからです。

幸い、一昨年11月、「北京大学講義録 日中反目の連鎖を断とう」がNHK出版から刊行されて、日本の読者には、ある日本人講師が中国のエリートたちに、どんな内容の講義をしているか知ってもらう機会を得ました。だから余計に中国の人々にも伝えたいと願うようになりました。

かれこれ1年前、日本記者クラブから「著者と語る」のゲストに招かれた折、記者会見に来ていた在京中国人特派員が著書に感動して、中国で出版する手助けをしたいと申し出てくれました。

渡りに船となって、北京大学講義録の中国語版が民間最大手の人民出版社から刊行される機会が訪れました。

北京大学講義録については、講義の度ごとに、翻訳をNHK文化センターで中国語講座の講師をしていた李梅女史にお願いしていましたから、翻訳本の原型はすでに存在していました。

ですから、早期の出版が可能と期待していたのですが、簡単ではありませんでした。北大での講義に当たってお世話いただいた滕軍博士(女性教授)の教室、300人の学生にかなり突っ込んだ話をするのと違って、一般の人民(市民)の目に留(と)まる著書となりますと中国側はひどく慎重になります。

もっとも人気作家の村上春樹や東野圭吾の翻訳本はたくさん出版されています。

ところが、日中双方のナマの政治情況に触れて批評をした「政治向き著書」は、先方の説明ですと、戦後70年、初めての事だそうです。(ホントかどうかわたしにはわかりません)従って、勢い神経過敏になるわけです。

中国側編集者から書き換えの要求が随所に出てまいりましたが、私は書き換えには一切応じませんでした。書き変えたら、大学でウソの講義をしたことになります。

ただ一切拒否では、出版拒否となります。何度もやり取りをしながら、中国側の求める部分削除について、やむなしと判断した点に限って応じることで妥協点を見出すよう努めました。中国側も最小限の削除で折り合うよう努力してくれました。

どうしても根本的な食い違いを克服できなかったのは、予想通り教育問題でした。反日教育を是正しない限り、真の相互理解には至らないという私の主張に対して「愛国教育はしているが、反日教育はしていない」の一点張りの中国側との間では、とても折り合いの付く議論にはなりません。

出版断念か、削除かの判断に迫られました。

結局、第6章:「不可欠な反日教育の是正―反目の助長より協調の推進」を無数に書き換えることを避けて、全文削除に応じました。代わりに、日本語版にない最新の講義「昭和天皇とケ小平の会見」を掲載することし、その中での削除は3行に留めました。

それなりに考えた末、次に続く若い政治学者のために「中国で生きた政治ものを出版した」風穴を開ける現実的な途を選択しました。

批判は幾らもいただきますが、お互いの建設的バトルはこれからです。入口で門を閉ざす愚は避けたつもりです。

10ヶ月におよぶ研鑽の結果、今年1月に刊行されたのが「北大演義録 融冰之旅」です。

人民出版社の編集者が付けた著書の題名「融冰之旅」とは「氷を溶かす旅」の意味です。なんとロマンあふれるタイトルでしょうか。しかも日中にかける私の思いに適(かな)っています。さすが、漢字のお国柄です。
 
残念ながら、販売は中国本土だけで、日本では入手できません。
但し、日本語版の「北京大学講義録 日中反目の連鎖を断とう」(NHK出版:1,600円+税)をご購読いただいていない方は、是非、この機会にお読みいただいて厳しいご批判を賜りたいと存じます。

ネットでアマゾンから取り寄せるか、お近くの書店に注文して下さい。(2015/2月22日)
(北京大学特任講師、元内閣官房副長官)




2015年02月23日

◆仁徳天皇の「民のかまど」

伊勢 雅臣


〜『山鹿素行「中朝事実」を読む』より

宋の太宗は、日本の天皇の万世一系を知り、「これ蓋(けだ)し古の道なり」と嘆息した。


■1.日本の万世一系に驚いた宋の太宗

984年に宋に渡った東大寺の僧・?然(ちょうねん)は第二代太宗に謁見し、筆談で日本の国情を語るうちに、話が皇統の歴史に及んで、初代・神武天皇から64代の円融天皇に至るまでの事績を記した「王年代記」を示した。

太宗は、日本で一系の天皇が続き、臣下も代々世襲であることに驚き、「これ蓋(けだ)し古の道なり」「これ朕の心なり」と嘆息した。[1]

そもそも宋は907年の唐の滅亡後、五代十国の戦乱の中で960年に軍人だった趙匡胤(ちょうきょういん)が建てた国で、その子が第2代の太祖である。この時点では建国後24年に過ぎない。そんな成り上がり皇帝は、64代も続いていた日本の皇室の足元にも及ばない存在だった。

それから千年以上経った。太宗の嘆息も空しく、宋は143年後の1127年には北の金に圧迫されて南に逃れて南宋となり、その南宋も1276年、元に滅ぼされる。元の後も明、清、中華民国、中華人民共和国とめまぐるしく王朝・政権交代が続く。現在の共産党政府も建国わずか66年で、はや亡国の兆しが見える。

それに比べて、我が国は今上陛下で125代。世界最古の王室である事は歴史的事実だ。


■2.「万世一系」の史実

この史実を踏まえて、支那を世界の中心とし周辺諸国はすべて野蛮であるとする「中華思想」から日本人を覚醒させたのが、山鹿素行の『中朝事実』である。この書は吉田松陰ら幕末の志士に影響を与え、明治維新の思想的原動力となった。

そこでは『日本書紀』などを引用しながら、その意味を論じているが、『日本書紀』も素行の論考も漢文のため、現代人には近寄りがたい。しかし最近、出版された『山鹿素行「中朝事実」を読む』[2]では読み下し文がついており、我々にも読めるようになった。

たとえば、「万世一系」について素行は次のように中国や朝鮮と比較している。

<そもそも外朝支那は、易姓革命が30回近くおこり、そのうえ夷狄(周辺諸民族)の侵入王朝も数世に及んでいる。春秋時代240余年の間、臣下が国の君主を弑(ころ)した例もまだ25回に及んでいる。ましてやその先後の乱臣賊子の数は、いちいち挙げて数えることもできないほど多い。

朝鮮も、箕子が王となった後、4王朝が交替した。国が滅びて支那の郡県(直轄領)となったり、あるいは、高氏絶滅する事2世、あの李氏28年の間に王を弑すること4度であった。ましてやその先後の乱逆のさまは、まるで禽獣が傷つけ合うようであった。>[2,p78]

それに比べて我が国では、天皇が殺される「弑逆の乱」は指で数えるほどしかなく、また武士の世になっても、一部に心得違いの者はいたが、「王室を貴んで君臣の義は存続した」。[2,p78]


<世界は大きく、諸外国が広くとも、中洲たるわが国の天皇統治の成果に匹敵する国は見当たらない。>[2,p79]

■3.「天皇統治の成果」

世界でも稀な皇室の継続性は、わが国の長い歴史の中で国民が安定した平和な生活を送ってきたことの証左でもある。

中国のように、王朝が次々と倒れるのは、過酷な搾取で民の支持を失ったからであり、しかも王朝交代時には、しばしば大規模な内戦が起こって民が犠牲となる。

国家を家庭に喩えれば、国土が広大で人口が多く、経済や文明も発達してる国は、大きな屋敷を構えた豊かな家ということだろう。

しかし、そういう家の内では、財産をめぐって親子喧嘩・兄弟喧嘩が絶えず、親が追い出されたり、子どもが家出をするような状態が続いていたら、それは他家が目指すべき、理想の家庭と言えるだろうか?

逆に家は小さく、生活は慎ましくとも、祖父母は大切にされ、夫婦は相和し、子どもは厳しくとも愛情を持って育てられている家の方が、はるかに幸福であり、他家が見習うべき模範的な家庭と言えるだろう。

後者のような国柄を築いてきたのが「天皇統治の成果」であって、それは現在の日本国民が先人たちの誇るべき事績であり、子孫たちに継承すべき財産である。

しかし、その国柄は先人の努力の結果であり、それがどのように実現されてきたのかを知らなければ、その継承もできない。この点を史実を通じて説いたのが素行の『中朝事実』である。


■4.「民が富めば君が富んだことになる」

「天皇統治」の理想を現した逸話の一つとして、仁徳天皇の「民のかまど」を素行は引用している。日本書紀の記事を弊誌なりに要約すると、次のようになる。

天皇が高台から遠くをご覧になられて「民のかまどから煙がたちのぼっていない。思うに、貧しくて炊事もままならないのではないか。不作で民が窮乏しているのだろう」と仰せられ、「向こう3年、税を免じ、百姓の苦を安んじよ」と詔(みことのり)された。

それからは、天皇は衣服や靴も破れるまで使い、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理されず、そのため風雨が衣を濡らし、星の光が破れた隙間から見えるという有様だった。

しかし、やがて天候も安定して、豊作となった。3年が経って、天皇が高台から遠くを望むと、炊煙が盛んに立っていた。そして皇后に「朕はすでに富んだ」と言われた。皇后は「宮垣が崩れ、屋根が破れて、衣服も濡れるのに、どうして富んだと言われるのですか」と訊ねた。

「天が君を立てるのは、百姓(民)の為だ。君は民を本とする。だから古の聖の君は、一人でも餓え凍える時は、省みて自分を責めた。民が貧しければ君も貧しい。民が富めば君が富んだことになる。」

そのころ、諸国より「3年も課税を許されて、宮殿は朽ち破れているのに、民は富んでいます。もしこの時に、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」との申し出が盛んに寄せられた。それでも、天皇はさらに3年間、税を献ずることをお聞き届けにならなかった。

6年の歳月がすぎ、天皇はようやく宮殿の修理をお許しになった。民は督促もされないのに、老人を助け幼児を連れて、材木を運び、土を入れた篭を背負い、日夜をいとわず力を尽くして作業をした。これにより瞬く間に宮殿が完成した。それ故に聖帝(ひじりのみかど)と褒め称えられてきた。


■5.親の真心

この「民のかまど」の記事に関して、素行はこう解説する。


<御自身は倹素にされて、民の家を豊かにし、民の貧富は天子の貧富にほかならないとされ、天が君を立てるのは、民、百姓の為であるともいう。その上、君は百姓を以て本と為すという詔こそ、実に人君は民を養育せねばならないとする教えの至戒ということができる。>[2,p160]

「人君は民を養育せねばならない」というのが、我が皇室の伝統的な教えであった。再び、家庭に喩えれば、親が自分のことなど差し置いて、ひたすらに子どもたちの養育を考えるのと同じである。そこにあるのは、無私の真心である。

そんな親に育てられれば、当然、子どもは感謝し、親のために何かしなければならない、と考えるのが、子の真心である。宮殿の造営に、人々がこぞって参加したのは、その真心からであった。

「天皇統治」の本質は、ひたすらに国民の幸福を念ずる天皇の無私の至誠から始まり、それに応えようと民が真心をもって国のために尽くす所にあった。


■6.「人民は、親を助けようとする子のように進んで協力し」

仁徳天皇の事績は、課税を控えたことだけではない。『日本書紀』巻11の記事から、素行はこう述べる。


仁徳天皇は、人民の生活生業を最重視したまい、河水の流れを良くし、堤防を築いて河水の横流を防いだので、その土木工事のために、人民は、親を助けようとする子のように進んで協力し、天佑神助も得られたのであった。

そのため、堤防の岸が崩れることもなく、水源が涸れることもなかった。土砂がたまって流れをさまたげることもなく、田のあぜや境が流失することもなかったのである。仁徳天皇の人君としての徳の何と偉大であったことか。

その後も、水路の開発に尽力したまい、その恩恵によって民百姓は、豊かで余裕が生じ、凶作の年の憂患がなかった。ましてその上に、橋や路を造成して人民に利便をもたらし、果ては、氷室を以て、陰陽寒暑を調整するなど、政の在り方を常に規制し改善して、天神が、この国を授けたまうた恩恵に応答したまうのである。[2,p168]


水利事業に尽くされたのは仁徳天皇に限らない。5代前の第11代垂仁天皇が諸国に貯水池を作られ、第12代景行天皇も事業を継承して尽力された、との記事もある。[1,p165]

天皇が子どもを養う親のように努めたので、人民も「親を助けようとする子のように進んで協力」したのである。親が真心を持って子どもに接すれば、子どももそれを感じとって、親に真心を尽くすようになる。それが人間の本性である。「天皇統治」とは、この至誠という人間の本性を目覚めさせる政治なのである。


■7.鏡の神勅

前節の文中にある「天神が、この国を授けたまうた恩恵」とは、天照大神(あまてらすおおみかみ)が孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)に、葦原の中つ国(日本)に降りて統治を命じた際に、三種の神器を授けた事を指しているのだろう。

三種の神器は勾玉(心寛い思いやり)、鏡(知)、剣(勇気ある決断)である。天照大神は特にこの鏡について、以下の神勅を与えた。


<吾(あ)が児(みこ)この宝鏡(たからのかがみ)を視まさんこと、当に吾(あ)れを視るがごとくすべし、與(とも)に床(みゆか)を同じくし殿(みあらか)を共にして、以て齋鏡(いはひのかがみ)と為すべし

(天孫よ、この宝鏡を視るのは大神を視ることに他ならない。常に同じ住居に一緒に在ることで、そのように努めなさい)>[2, 88]

子が鏡を見れば、そこに映るのは子自身の顔である。しかし、そこに親である自分の顔を見よ、とは、どういう事か。

天照大神は稲や麦、粟(あわ)、稗(ひえ)などを見つけたとき、「是の物は、顕見(うつし)しき蒼生(あをひとくさ)の、食(くら)ひて活くべきものなり」(これらのものは現実世界に生きている民が食べて生きていくべきものだ」と喜んだ。そして自ら、稲を天狭田(あまのさなだ)及び長田(ながた)に殖(う)えた。

すなわち、歴代の天皇は常に鏡を見て、天照大神の民への思いを思いだし、自分がそれを継承しているのかを自省しなければならないのである。

民の家から炊煙が見えないのを悲しみ、また順調に稲を得られるよう水利事業を行った仁徳天皇の統治は、まさしく天照大神の民への思いを継承したものであった。


■8.「お米は大丈夫ですか」

この『中朝事実』を幼き裕仁親王(後の昭和天皇)に贈ったのが、乃木希典大将だった。崩御された明治天皇の後を追って乃木大将は自刃したが、学習院院長として養育を任されていた皇孫殿下・裕仁親王に最後のお別れとして、この書を手渡したのだった。[a]

「私の人格形成に最も影響のあったのは乃木希典学習院長であった」と言われていた昭和天皇は、この『中朝事実』を丹念に読まれたのではないか。

昭和天皇は崩御の少し前、病床においても、長雨が続いているのに「お米は大丈夫ですか」と心配された。ご自身の病状のことよりも、米の出来を心配されるお気持ちは、天照大神が稲などを見つけて「蒼生の食ひて活くべきもの」と喜び、仁徳天皇が民のかまどを心配したのと同じ無私の真心である。

万世一系とは血筋の一系のみではなく、民の幸せを祈る無私の精神が一筋に継承されてきた事も意味するのだろう。

そういう国柄である事を明らかにしたのが『中朝事実』であり、その国柄を継承・発展させようとした先人たちが、わが国の平和と安定を築いてきたのである。


■リンク■

a. JOG(792) 国史百景(4) 昭和天皇をお育てした乃木大将
 昭和天皇:「私の人格形成に最も影響のあったのは乃木希典学習院長であった」
http://blog.jog-net.jp/201303/article_8.html

b. テーマ「皇室の祈り」のブログ記事
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c. テーマ「皇室の祈り(平成)」のブログ記事
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■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 土井郁麿「『万世一系』を世界に認めさせた男たち」、「明日への選択」、H26.2

2.荒井桂『山鹿素行「中朝事実」を読む』★★、致知出版社、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/480091051X/japanontheg01-22/

         

◆歴史認識が問われる韓国

黒田 勝弘



ロシアから5月に予定されている「対独戦勝70周年記念式典」に出席を誘われている韓国が「行くべきか行かざるべきか」大いに悩んでいるようだ。

韓国政府は「押し詰まってから判断する」(尹炳世(ユン・ビョンセ)外相)と態度を明らかにしていないが、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記は行きそうだという観測があり、朴槿恵(パク・クネ)大統領が出かければ「モスクワで南北首脳会談か?」となるため行方が注目されている。

ただマスコミなど世論は「対ナチス戦勝記念に韓国が加わる必要はない」「ロシアには南北分断の責任を追及すべきだ」「オバマ大統領も行かないのに…」などと出席に批判的だ。

旧ソ連は1945年、日本との中立条約を無視して旧満州から朝鮮半島に侵攻。北朝鮮を占領した後、50年には中国とともに北朝鮮軍を支援し韓国を侵略させている。

旧ソ連は韓国にとっては“戦犯国”のはずだから、この歴史認識抜きにのこのこ出かけるわけにはいかないだろう。

しかも韓国はナチスドイツと戦った連合国の一員ではなかったし、逆に当時は連合国と戦い敗れた「軍国主義日本」の一員だったのだから。

朴槿恵政権は外交的に中国への傾斜を見せたり、南北統一の夢を背景にユーラシア大陸に発展する「ユーラシア・イニシアチブ(主導権?)」構想を語るな ど北方志向が強い。そこを見透かされロシアや中国からしきりに“歴史共闘”の誘いを 受けている。

中国は昨年7月、訪韓した習近平国家主席が「抗日戦勝70周年記念行 事」の共同開催を提案している。この時、朴大統領は「韓国でも記念行事を準備しよう としている…」といい共同開催には言葉を濁したが、これも韓国にとっては悩ましい。

国際的には中国の「抗日戦勝国」は毛沢東ら共産党ではなく蒋介石ら国民党だったし、中国共産党が支援したのは後の金日成(イルソン)ら北朝鮮の共産主 義者だった。したがって中国のいう「抗日戦勝記念」に乗っかった場合、北朝鮮の 国家的優位を認めたことになり、韓国としては恥をかかされかねないのだ。

それに1945年以降の“解放後70年史”を振り返れば、韓国にとって共産主義・中国は北朝鮮と手を握った明らかに侵略国である。中国の介入・侵略による南 北分断は、いまなお進行中の現実である。

この現実を無視して中国の誘いに乗るのかどうか、保守政権として朴槿恵政権の歴史認識が厳しく問われるところだ。

ところが一方で韓国政府は「光復70周年を北朝鮮と共同で記念したい」(統一省)と言い出している。現代史を「金(日成・正日(ジョンイル)・正恩)王 朝史」として教えるなど、自由民主主義の韓国とは水と油の歴史認識で支配された北 朝鮮と、いったいどんな共同記念行事をやろうというのだろうか、今から見モノで ある。

70年前の日本敗戦後の1945年、南北は米ソにより分割支配され、48年になって米ソ支援の下、南には大韓民国、北には朝鮮民主主義人民共和国が別々に誕生 している。

そして2年後には両者で戦争までしている。「誰が戦争を始めたのか?」を含め、このあたりの歴史認識を南北でどう共有しようというのだろう。

韓国では「歴史認識」というと日本を非難し日本に要求するものとだけ思われているようだが、他人(ひと)ごとではない。大いに悩んでもらおうではないか。
(在・ソウル)産経ニュース【緯度経度 2015.2.21

                 (採録:久保田 康文)

2015年02月22日

◆ジェームス・アワーズ氏にもの申す

池田 元彦



17日の産経新聞にジェームス・アワー氏の小論が掲載された。戦後70年の 節目の年に、安倍首相談話或は議員質疑等における発言内容へのご忠告で ある。

一見、日本の保守層が歓迎しそうな安倍政権援護射撃にも取れるが、よく 読むと日本政府と安倍首相への牽制だ。

氏は知日家であり、概ね日本人は親日家の我味方と思い込んでいる。日本 の原発再稼働や首相靖国参拝を肯定し、尖閣、慰安婦・竹島等々、日本に 理解のある発言が多い。

しかしじっくりと読むと、とんでもない氏の本音と安倍首相への牽制、抑 え付けが見え隠れする。

結論を先に言えば、対中韓諸問題には日本を支持するが、安倍首相の予定 談話には、警戒心を露わにし、歴史認識の修正談話は絶対にさせないと言 う程のご忠告、否、容喙だ。
   
靖国参拝は首相や日本国民の権利と言うが「自国の為に命を捧げた軍人等 を慰霊・顕彰する為」の基本的な参拝理由での賛同は一切表明していな い。飽くまでも外交理由の賛成だ。

「日本とアジア諸国を含む多くの国の大勢の人々に多大な苦しみを与え (中略)理解と同情の念を」表せという。「日本とアジア諸国を含む」と は、それ以外の多くの国の大勢に多大な苦しみを与えたと氏は主張するの だ。他の関係国とは、米英蘭豪等を指しているのだ。

更に「多くの人々に極度の苦痛を齎した日本の行動への謝罪を再び明確 に」し、「軍令違反等で婦女子や慰安婦を苦しませた日本兵の罪悪を痛恨 の念で述べた過去の談話を継承」せよという。要は、大東亜戦争は謝罪対 象であり、村山・菅談話を継承しろと宣うのだ。

しかも「過去の政府関係者による談話を書き換えたりはするな」と釘を刺 す。尖閣については毅然と対抗措置を取れ、竹島の所有権放棄要求には国 際裁判所で解決せよ、と言う。決して双方共日本本来の領土であり、米国 は支援、自分は支持する、とは発言しない。

最後っ屁は、「日本が何をどう間違えたのかについて、いかに誠実に反省 し、80年以上も前の誤りを2度と繰り返さない為にどれ程真剣に努力し、 戦争が終わってからの70年間を(実際に過ちを)繰り返すことなく過ごし てきた」と迄言えとのご忠告だ。珠玉の忠告だ。

安倍首相談話内容未定の段階において、米国国益に沿った一方的史観で、 安倍首相の談話内容に牽制と縛りをかける、強圧・容喙の論文なのだ。日 本人は甘い。知日派は知日派であり、決して親日派ではない。アーミテジ 同様多くの知日派も同類と肝に銘ずべきだ。

アワー氏小論は、危うく見過す程の名文だ。岡田民主党代表も援軍を得て 勇気百倍だ。岡田代表は首相談話の与野党合意を主張するが、歴代そのよ うな例はない。寧ろ菅首相は自民党に相談せず、村山談話は騙し討ちと言 える談話発表だった。岡田主張は都合が良すぎる。

国益を棄損した村山談話は、謝罪決議案が本会議を通らないとの見通しの 下、反対派議員を不在状態にして、土井たか子議長が夜間突然会議開会宣 言をし、過半数議員欠席の中で採択された。8月15日突然閣僚会議で文案 を開示。有無を言わさず、そのまま発表された。

中韓露は共同して戦後70年反日イベントを予定している。一方、米国は安 倍首相の歴史修正意図を正確に見抜き、あらゆる手立てを使って、抑えに かかっている。戦後70年の決算として、一連の談話のこれ以上の日本貶め をストップさせる安倍首相談話が望まれる。


◆インドが国防産業を本格的な育成

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)2月20日(金曜日)通巻第4474号 <前日発行>>

 〜インド、国産ジェット機生産へ首相が産業界を鼓舞
         外国の防衛産業も投資条件緩和し、積極誘致に方針転換〜


インドが国防産業の本格的な育成に乗り出す。

「インド洋に進出した中国の海軍力の脅威と宿敵パキスタンの軍拡。そし て中国とパキスタンのインド領への侵攻を、このまま放置するわけにはい かない」とモディ首相は発言した。

2015年2月18日、バンガロールで開催されている防衛産業展覧会に出席し たモディ首相は「国産兵器開発に本格的に乗り出す」として当面、80億ド ルを注ぎ込んで最新鋭軍艦と7機のステルス機を作るとした。

バンガロールはIT産業のメッカとして世界に知られ、ソフト開発では世 界の有力企業が進出している高原都市だが、同時にエアバス、ロッキード マーチン、ボーイングなども進出している防衛産業都市でもある。

日本企業もハイテク産業の多くが拠点をもっている。

これまで外国防衛企業のインドとの合弁比率は26%だったため、ボーイン グなども部品生産と機体の組み立てのベンチャー形式にとどめた。ボーイ ングとタタのベンチャー企業もボーイングの出資は26%だった。

ところが、インド政府の新しい方針では49%まで認められることとなり、 外国企業の進出条件が大幅に緩和される。

インドの国防予算は年間300億ドルで、中国の4分の1程度、しかもこれ までは世界最大の武器輸入国であり、ロシア製、米国製のマーケットでも あった。