平井 修一
■1月7日(水)。朝は室温12度、曇、フル散歩。松の内も今日で終わりだ。
<「松の内」は元々は1月15日までだったが、現在は一部地域では1月7日までに短縮している。寛文2年(1662年)1月6日、江戸幕府により1月7日を以て飾り納めを指示する最初の通達が江戸城下に発せられており、それに倣った風習が徐々に関東を中心に広まったと考えられる>(ウィキ)
質素倹約を経済政策の柱としていた幕府は、飲食や遊興などで消費が続く松の内を苦々しく思っていたのだろう。今は消費が伸びないと国がへたる。
産経・田村秀男氏の論考「新自由主義に決別し、格差是正せよ〜法人税減税に重大な疑義〜」(Japan In -Depth1/6)から。
<(1997年以降の)慢性デフレの局面でとられたのが「構造改革」路線である。モデルは米英型(株主優先の)「新自由主義」である。
小泉改革路線は伝統的な従業員中心の日本型資本主義を株主資本主義に転換させたのだ。この構図は、従業員給与を可能な限り抑制して利益を捻出し、株主配当に回す、グローバル標準の経営そのものである。
このパターンでは経済成長率を押し上げる力が弱い。GDPの6割を占める家計の大多数の収入が抑えられるからだ。名目賃金上昇率から物価上昇率を差し引いた実質賃金上昇率は97年以降、ほぼ一貫してマイナスである。
賃金はマイナス、配当はプラスという、株主資本主義は機関投資家や海外の投資ファンドを引きつけても、実体経済の回復に貢献するとは考えにくい。需要減・デフレ・賃金下落という悪循環だけが残る。
そこで、安倍晋三首相が追求する一部の政策には重大な疑問が生じる。まず、法人税実効税率の引き下げだが、巨大な配当収入に対する課税を免れる多国籍大企業や金融大手の法人諸税の負担率は極端なまでに低い。
これらの法人向け減税は、配当を求める株主資本主義の欲望を満たすだけではないか。首相が経団連首脳に賃上げを求めるのは悪くない。だが、首相が口先介入して、おいそれと応じる企業の経営者はこれまで一体何をしてきたのか、と外部からは不思議がられるだろう。
安倍首相が本格的に取り組むべきは、これまで20年近くに渡って日本経済の路線となってきた新自由主義に決別し、格差社会の勝者(金融資産保有者)を太らせる政策を廃棄し、旧世代や新世代を支え、養う現役世代(こそ)を勝者にさせる政策への転換ではないか>(以上)
いい論考だ。働く者の暮らし向きが悪くなり、資産を運用する金持ちがますます金持ちになるという格差拡大社会。歯止めをかけよう。まずは賃金アップを。外形標準課税も推進すべし。
■1月8日(木)。朝は室温12度、晴、フル散歩。
飯島勲氏の「新内閣発足、株価は内閣支持率に連動する - 『支持率に一喜一憂しない』は嘘である」(ブロゴス1/5)は政治の現場を熟知しているプロならではの論考だ。
<いつの時代であっても、内閣支持率が高くても低くても、政権幹部は「支持率に一喜一憂しない」というが、実際には少なからず気にしている。いや、かなり気にしている。なぜならマスコミ各社が毎月実施する支持率調査が、官邸のリーダーシップの強さに大きな影響を及ぼしてしまうからだ。
政治の「3つのム」(内務、外務、財務)は、それぞれに強いリーダーシップを必要としている。
支持率が右肩上がりのグラフになることはありえない。小泉内閣は、5年5カ月の平均支持率が50%に達しているが、今振り返ってみれば、ちょっとしたことで支持率は上がったり下がったりしていた。
総理大臣首席秘書官だった私は、国民がどんなときに内閣を支持するのか、支持をやめるのかについて、常に考え、内密にモニターチェック(数十名のグループに総理大臣の演説や答弁を聞いてもらい、いいと思った箇所、悪いと思った箇所で挙手してもらう等)を行った。
そしてその調査で、総理が自信満々に言い切ったときにこそ、国民は喝采を送っていることなどがわかった。
言い方やキャッチフレーズは、政治の本質ではないという人がいる。私もその通りだと思うが、支持率で政権基盤が簡単に揺らいでしまう以上、支持率の獲得と本質的な政治議論の両方を現代政治では追わなくてはいけないのが現実だ。
そんな難しい時代にあって、安倍総理と菅義偉官房長官は、将来のための不人気政策を実行し、かつ国民の信頼も得られる稀有な政治家である。この2人が舵取りをしていることに日本の幸運を感じると同時に、私のすべてを尽くして応援していきたいと決意を新たにした>(以上)
自信満々に言い切るには支持率が大事で、それに力を得て再び三度自信満々に言い切れば、さらに支持率、求心力が高まるわけだ。
それにしてもリベラル=アカ=中共応援団は安倍氏を心底嫌っており、ほとんど憎悪だ。アベノミクスは失敗した、と叫んで喜んでいる。景気が回復しないことを喜ぶなんて、ホントに反日の売国奴みたいな奴らである。モロ中共の手先。
プーチンは経済が揺らぎ始めたらデモが増え始めた。支持率、求心力は大事だ。
■1月9日(金)。朝は室温13度、快晴、犬の後脚が弱ってきたので2/3散歩。歯も弱ってきた。老化はどうしようもない。
「社会実情データ図録」1/3は日本人の酒好きに関するデータ。
<定期的に共通の調査票で世界各国の国民に対して意識調査を行っている米国のピューリサーチセンターは、2013年春の調査で、不倫、中絶、同性愛といった倫理的な諸事項について道徳的な許容度を聞いているが、その中には飲酒も含まれている>
飲酒は「不道徳」「道徳的に許される」「道徳と無関係」などを聞いているのだが、日本ではそれぞれ6%、66%、25%で、許容度はダントツトップ。世界一の「酔っぱらい天国」なのだ。
上位は、1:日本、2:カナダ、英国、4:オーストラリア、5:ドイツ、6:米国、7:ポーランド、8:フランス、9:スペイン、チェコ、韓国。
一方、「飲酒などとんでもない」という国は、40:パキスタン、39:パレスチナ、36:インドネシア、ヨルダン、チュニジア、35:エルサルバドル、34:ガーナ、33:エジプト、32:マレーシア、30:トルコ、ボリビア。
パキスタンでは各項目で94%、1%、22%だった。イスラム圏はほとんど「ダメ、絶対!」の世界だ。同国の原理主義者は「テロ、人殺しは聖戦だから道徳的に正しいが、酒は絶対ダメ」というのだから滅茶苦茶だ。酒を飲めば緊張がほぐれ、頭に血がのぼってテロに走ることもないだろうに。
(欧州は寛容・愛でイスラム教徒を受け入れ、エボラのようなテロリストを産んでしまった。憎悪・敵意・不信で拒絶すべきだったのだ。愛は地球を破壊する)
日本ではうれしい時に酒、悲しい時に酒、歓迎会で酒、送別会で酒、目出度い時に酒、お葬式にも酒、仕事が終われば酒、振られた時も酒、取引先を接待するにも酒、お近づきのしるしで酒、頭に来たら「こんなバカなことやってられねーよ」と酒・・・ほとんどの場面で酒を飲む。
何しろ元旦から神社では「お神酒」を振る舞っており、初詣から帰ればお節料理で朝から宴会。1年締めくくりの大晦日も宴会だし、1年中飲みっぱなしだ。さらには神話の時代から酒が登場する。
<日本の神話によると高ケ原を追われた須佐之男命(すさのをのみこと)が、出雲の肥の川上の鳥髪というところで「八塩折の酒」を造り、それを大蛇(おろち)に飲ませ、これを退治したという神話があります。
この神話に出てくる酒は日本書記に「なんじ衆果をあつめて酒八甕を醸すべし」とあるように、果実から造られた酒であることがわかります。かなり強い酒だったようです。
須佐之男命の息子である大国主命(おおくにぬしのみこと)は出雲大社の祭神であり「酒の神様」という位置づけがうなづけます>(喜界島酒造)
「聖地巡盃」というサイトが「松尾大社」宣揚課・西村伴雄氏にインタビューしている。
<今、我々が『神社神道』あるいは一般的に『神道』と呼んでいるものの最も根本となることはなにかというと、稲作の農耕儀礼なんです。
日本の神社で行われるお祭りの、一番大きなお祭りは3つあり、1つ目が例祭。これは神社ができた記念の日です。2つ目が祈年祭。春に苗を植える前に豊作を祈るもの。
そして新嘗祭。採れたお米をご神前にお供えして感謝する。ということは、一貫して稲が、お米が豊作でありますようにということを祈る、それが根幹になっているわけですね。
ですから、お米が一番重要なもの。主食であり、言ってみれば生きていく源です。だから『お米がたくさん穫れますように』と祈るところが神社なんです。
そして、そのお米で造ったものがお餅であり、お酒であり、今度はこれらが神様に対する一番重要なお供え物になるわけです。お米というのは神様からいただいたもの。それを食して次の年まで命が長らえる。
神様にも採れたお米と、それで造ったお酒とお餅をお供えして、感謝の気持ちを神様に分かってもらうわけです>
新嘗祭は天皇・皇室も宮中祭祀のひとつとして祝う。11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ、神々)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。「宮中恒例祭典の中の最も重要なもの」(宮内庁)とある。
つまり米=酒は日本の国体そのものなのだ。
「和をもって貴しとなす」から「万機公論に決すべし」まで、周りとよく話し合いなさい、というのが伝統的なやりかただから、議論が膠着状態になると「今夜はお開きにしよう。さあみんなで飲みに行こう」となる。酒が入ったところで「で、本音はどうなのよ」と落としどころを探ったり。人事なんて多くは宴席で決まるのではないか。
かくして日本人は花なら蕾、「今日も咲け、酒、明日もサケ」。飲み過ぎには注意。(2015/1/9)