2014年12月26日

◆武装ゲリラ蜂起、住民76人殺害

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26年(2014)12月25日(木曜日)通巻第4425号>  

(速報)
  〜インドのアッサム地方で武装ゲリラ蜂起、住民76名を殺害
   モディ首相、陸軍の特殊部隊派遣を決定し、現場に戒厳令〜


12月24日、インド東北部、アルナチャプル・ブラデッシュ州のアッサム地 方、ソニトポール地区とその周辺で、少数部族が組織するNDFB(ボロ ランド国家民主戦線)のゲリラ部隊が付近の村々を襲撃し、76人を殺害、 数千の難民が発生した模様(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、2014 年12月25日)。

モディ首相は深夜に緊急の会議を開き、陸軍の特殊部隊派遣を決定、また 当該地区の警察と治安担当部署は夜間外出禁止の戒厳令を通行した。

付近は少数民族がインドからの分離独立を主唱するゲリラ武装組織が跳梁 跋扈しており、2007年にはアッサムから出撃したマオイストがブータンに 侵攻したこともあった。

◆私の「身辺雑記」(174)

平井 修一



■12月23日(火)。朝は室温12度、快晴、フル散歩。天長節、陛下は81歳 におなりだ。長寿を祈る。

東京裁判という野蛮なインチキ報復劇。

<7人の絞首刑(死刑)判決を受けたものへの刑の執行は、12月23日午前0 時1分30秒より行われ、同35分に終了した。この日は当時皇太子だった継 宮明仁親王(今上天皇)の15歳の誕生日(現天皇誕生日)であった。

これについては、作家の猪瀬直樹が自らの著書で、皇太子に処刑の事実を 常に思い起こさせるために選ばれた日付であると主張している>(ウィキ)

日本人はこのやり口を永遠に忘れない!

ところで「アゴラ」という言論サイトがあり、池田信夫という方が速射砲 のように原稿をアップしており、凄いなあと思っていたら、どうやらNHK 出身みたいなので調べたらこうあった。

<いけだのぶお、1953年10月23日‐)は東大経済学部卒、経済学者(学位 は学術博士:政策・メディア、慶應義塾大学)、経済評論家、ブロガー。 NHK職員を経た後、現在SBI大学院大学客員教授、青山学院大学非常勤講 師、株式会社アゴラ研究所代表取締役社長>(ウィキ)

なんとアゴラのオーナーだった。産経も指摘していたが今朝の氏の論考 「朝日新聞の『角度をつける』報道」から。

<朝日新聞も官僚機構だから、この(第三者委員会の)115ページにのぼ る報告書も「事務方」が書いたのだろう。総花的に問題点を指摘し、 ちょっと反省したようにみせるが、具体的には何もしないところも霞ヶ関 に似ている。おもしろかったのは、岡本行夫氏の「個別意見」だ。

【当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」 という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞 としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事に ならないという認識に驚いた。

だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて 報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自 衛権、秘密保護、増税、等々】

これは私も前から指摘している朝日の特異な社風である。NHKでは「角度 をつける」という言葉は、一度も聞いたことがない。これは江川紹子氏も いうように、検察があらかじめストーリーを決めて捜査するのと似ている。

膨大な一次情報の中から「作品」をつくるとき、何らかの仮説を立てるこ と自体は悪くないが、朝日の場合はつねに左寄りの「角度」がついている 点に問題がある。このようなキャンペーン体質は、委員のほとんどが指摘 している。たとえば北岡伸一氏はこう批判する。

【日本に対する過剰な批判は、彼ら(=日本国民)の反発を招くことにな る。またこうした言説は韓国の期待を膨らませた。その結果、韓国大統領 が、世界の首脳に対し、日本の非を鳴らすという、異例の行動に出ること となった。

それは、さらに日本の一部の反発を招き、反韓、嫌韓の言説の横行を招い た。こうした偏狭なナショナリズムの台頭も、日韓の和解の困難化も、春 秋の筆法を以てすれば、朝日新聞の慰安婦報道がもたらしたものである】

こういうバイアスを生み出している「戦後リベラル」の先入観を自覚し、 それを相対化して多様な視点を社内に育てることから朝日の再生は始ま る。それは歴史的な大事業だと思う>(以上)

左へ角度をつけて偏向報道、捏造、虚報、嘘八百、デマゴーグ、ガセ、 でっち上げという反日売国記事を書くわけだ。朝日の体質であり、体質改 善なんてできるわけがない。一旦廃業してやり直すしかないだろうが、体 質は変わりはしないか。ま、廃業するんだな。

長谷川豊氏が朝日新聞現役の中堅記者の声を紹介している(ブロゴス9/23)。

<(慰安婦報道問題で)逆に膿が出せたんじゃないでしょうか。他紙が叩 いて来るのも理解できるし、しょうがないとも思います。木村社長は就任 の時にかなり威勢のいいことを言っていたので「何か仕掛けてきそう」と は社内で噂になってました。

(取材活動などは大丈夫ですか?との質問には)

やることは変わりません。僕たちがすることは取材し、お伝えすること>

やることは変わりなし。相変わらず「角度をつける」のだ。それ以外の書 き方を知らないのだから。

夜は8人でXマスパーティ。皆サンタのコスプレ。料理は女性陣が奮闘して くれ、小生は洗いものだけでラクチン。

■12月24日(水)。朝は室温12度、快晴、フル散歩。夕べは飲み過ぎた。

2014年ノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏のインタビュー記事を読ん だ(ウェッジ12/22)。

<私の所属するUCSB(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)では、「大 学教授たるもの、どんどん外へ出て、生きた知識を吸収し、それを学生に 教えるべし」とされている。

「外へ出る」というのは、自分でスタートアップを立ち上げるとか、企業 のコンサルティングをするということを指す。そうして得た最先端の知識 を学生に教える。

教授自らがスタートアップに携わることは、UCSBに限った話でなく、アメ リカでは一般的だ。そもそも工学部の教授の場合、ほぼ100%が企業に勤 めた経験をもつ>

「スタートアップ」とは何ぞや。調べてみた。

<スタートアップとは“新しいビジネスモデルを開発し、ごく短時間のう ちに急激な成長をし一獲千金を狙う人々の一時的な集合体”である。

起業家がスタートアップを立ち上げる理由として最も多いのが、“今まで に無いイノベーションを通じ、人々の生活と世の中を変える事”である。

スタートアップの最も特異な点はその組織形態であろう。立ち上げスタッ フはファウンダーと呼ばれ、その他のスタッフも合わせてチームと呼ばれる。

チーム全体が一丸となって急激なスピードで物事を進めるため、全員が攻 めに徹する“完全ぶっこみ型カミカゼチーム”が構成される。実は立ち上げ 後しばらくの期間は法人登記すらしていないケースも珍しく無く、それで もメンバーさえ揃っていれば立派にスタートアップと呼ばれる>

米国ではアイディアが良ければベンチャーキャピタル(VC)から資金を得 られるそうだ。事業の成功率は10%ほどらしい。失敗してもVCが損するだ けで、日本のようにファウンダーが借金に苦しむこともない。

つまり敗者復活、再チャレンジしやすい。何回失敗しても成功するまで挑 戦する。アメリカンドリームを追及する。ビル・ゲイツやスティーブ・ ジョブズらはこうして生まれたのだろう。米国企業の強さはスタートアッ プによると見ていい。

再び中村氏のインタビューから。

<日本がイノベーション大国になるためには、様々な仕組みを変えなけれ ばならず、大変な労力と時間がかかる。イノベーションを生むようになる ための手っ取り早い方法は、若者がどんどんアメリカへ学びに来ることだ。

孫正義氏など、日本で成功している経営者の多くは、アメリカで学んでい る。アメリカで学び、日本へ戻って起業すればよい。

とにかく日本に必要なのはスタートアップの成功例だ。成功例は後進を育 てる。成功例がある程度出たら、変わっていくだろう>

氏は毀誉褒貶の実業家的研究者(研究者的実業家?)だが、日本人離れし た強烈なハングリー精神、とてつもない上昇志向には驚かされる。いずれ にせよ日本でもVCを強化しスタートアップを大いに奨励すべきだろう。

■12月25日(木)。朝は室温12度、快晴、フル散歩。

日本がオランダから輸入しているものの筆頭は食品(農産物)のようだ。 1980年代の終わりごろ、同国は南欧からの大量の農産物に押され、農業が 不振になったが、ドッコイ、再生して輸出大国になった。

ヴァン・ウィレムスカルティエ・カオル氏の論考「安い海外農産物の攻勢 をチャンスに変えたオランダ ITとマーケティングが生み出す国際競争 力〜進化を続ける小さな農業大国」(JBプレス12/24)から。

<日本の九州とほぼ同じ面積しかない小国のオランダは、不毛といわれる 岩塩混じりの土壌を持ち、北海からの強風が常に本土へ吹き寄せ、曇天が ほぼ1年中続くという、お世辞にも農業に適しているとは言い難い国である。

ところが、農産物の輸出額は、なんと米国に次ぐ世界第2位(約773億ド ル:オランダ中央統計省2013年度調べ)なのだ。

輸出額が特に多いのは畜産製品(肉、乳製品)、トマトやピーマンなどの 野菜、そして生花球根、植木などの園芸植物である。

農産物輸出額世界第2位の地位をこの国にもたらしたのは、「スマートア グリ」の導入によるところが大きい。農業従事者たちがコンピューターを 使い、ビニールハウス内の温度、湿度、二酸化炭素の濃度、そして地中の 温度などをITによって管理する方法だ。

そこで農業従事者たちは協同組合を結成する。この組合で、経験を基にお 互いのアイデアを交換しつつ、試行錯誤を繰り返しながら、結果としてIT 技術を用いた農作物の徹底的管理法の導入に踏み切ったのだ。

その結果として収獲量が増大し、輸出量が世界第2位となった>(以上)

輸入品に押されていた農業が、知恵と努力と研究で輸出大国になった。日 本も挑戦したらどうか。座視していれば衰退するばかりなのだから。

それにしても記念スイカを求めて9000人が行列し怒号の嵐・・・民度が低 すぎないか。中2レベル。将来が心配だが、除染、再生には何十年もかか るのだろうなあと、ちょっと脱力。(2014/12/25)

◆戦後は終わった

MoMotarou



(山田方谷先生)曰く、「経済の要(かなめ)は一刀両断に有り」と。 (阪谷朗盧 談)山田方谷全集より

              ★

総選挙は終わった。今年も終わる。終盤に見せた安倍総理の、"執念"の反 日民主党幹部追い落としは見事。枝野元官房長官に対する答弁の中で「革 マル派からの支援」を明らかにした時点から決意していたのでしょう。

菅直人元総理に対しても同じ。リベラルを装う勢力に鉄槌を加えました。

また山梨県では日教組勢力と戦い、福岡県でも反日枢軸勢力との妥協を拒 否しました。財務省増税派にも一泡吹かせた選挙でした。新たな「青年宰 相」の誕生です。

■安倍首相は胸を張って海外に行け!

外国を見れば、米国も韓国も中共もロシアも指導者の地位が低下気味で す。我が国の宰相は逆に勢いがついてきました。珍しいことです。この機 を見逃す手はありません。安倍政権が長期政権になるとの予測があります が、基本的には短期政権の「連続」でしょう。それ程課題が大きい。結果 として長期政権になることもある。

■共産党の役目

議員増で議案か法案の提出権がとれたそうです。まず出すのは「政党交付 金の廃止」でしょう。議員が公務員化・タレント化して仕事をしているの か疑わしくなって来ております。自分達の支持者の浄財で戦うのが基本。 交付金の「山分け」が目立つ近年です。

■ヒーローの交代

坂本龍馬→高杉晋作。龍馬も持て囃されましたが、今回の解散総選挙で晋 作に変わるでしょう。積極果断。表舞台で堂々と戦い、世論を喚起する

「次世代の党」の壮士は"討ち死"にしてしまいましたが、慰安婦河野談話 等で流れを変えました。今後も彼らのような使命を帯びた議員が必要にな ります。

  「総選挙」は「A K B 48」の為にあるのではない!


         

2014年12月25日

◆経済回廊にインドは不信感拡大

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 


<平成26年(2014)12月24日(水曜日)弐通巻第4424号>   

 
〜中国・パキスタン経済回廊にインドは不信感拡大
   陸のシルクロードもカザフスタンは賛意を表明したが。。。〜


中国はパキスタンの南北を縦断する「経済回廊」の建設に全面協力すると打ち上げた。イランとパキスタンの国境グァイダールの浚渫、港湾整備、波止場建設は中国企業が請け負い、一本のバースは完成した。

これは将来の原潜寄港地でもあり、グァイダールからカラチ、ラホール、イスラマバードからさらに北上して中国カシュガルへと至る全長4000キロの「経済回廊」に総計450億ドル(5兆3000億円)を投下するという。その内の350億ドルは沿線部のインフラ建設、鉄道改良、光ファイバー併設。付近に発電所も建設する。


グァイダール港には貯炭、原油備蓄基地ならびに精油所を建設し、原油を中国まで輸送するという複合的計画で、パキスタンのインフラ整備に寄与してくれるうえ、パイプラインの通過料でうるおう。シャリフ首相は2014年11月に北京を訪問し、北京との間に20の合意文書にサインした。

ともかく大風呂敷を広げるのが大好きな中国。

天津の北、唐山に建設した大工業区は胡錦涛政権が鳴り物入りで熱中したプロジェクトだった。十兆円を投下してハイウェイ、港湾、発電所、複合ビル、高層住宅に貯炭場、政庁ビルなどを建設し、世界最大のエコシティだと胸を張った。

90%ほど仕上がった時点で突如このプロジェクトは失速した。人工島の地盤が沈下し始め、ビルの一階は満潮時に海水に沈み、蟹が捕れる。 十兆円で廃墟を造った。

南水北調という大プロジェクトは水量の多い長江の水を運河を3本も造成し、北京、天津に水を運ぶという世紀の試みだった。

すでに沿岸部ルート、中央ルートは完成したが、せっかく運ばれる水は病原菌だらけで飲み水には使えないことが分かった。西ルートは峻険な山岳地帯を通過するため、まだ着工されてもおらず、実際に工事のメドは立っていない。

中国全土に225の飛行場を作った。週に1便しか飛んでこない辺鄙な場所や冬の間はまったく使えない極寒地の飛行場が出現し、つぎの廃墟候補となる。風力発電は40万基。その3割が送電線に繋がっていない。

 同様に遠くトルクメニスタンから新彊ウィグル自治区を経由した上海までの6500キロのパイプラインは完成したが、キャパを満たせず、同様にミャンマーを南北に縦断し、雲南省から広西チワン自治区南寧に運ぶ4000キロ弱のパイプラインはミャンマーから昆明までの790キロが繋がったが、輸送量は計画の二割前後しかない。

大生風呂敷が好き中国、世界で廃墟を量産するらしい。

◆流通部門から製造業界への転身

前田 正晶



新浪剛史氏はローソンからサントリーへ/流通から製造に:

そもそもは三菱商事に新卒で入社された新浪氏は先頃ローソンの経営者を経てサントリーホールディングスの代表取締役社長に就任され、話題となっていた。私はそのマスコミ報道があった際に流通業界から製造業界への転身をやや危ぶむことを書いていた。実は、何を隠そうこの私は1972年に約17年間を過ごした紙流通業界(代理店)からアメリカの製造業(メーー)に転身していたのだった。

新浪氏のことは一先ず措くとして、紙パルプ産業界でのことを述べてみよう。ここでは「メーカーから(販売)代理店等の流通部門への転身(と言うか天下りという見方すらある)には特筆すべきような成功例が少なく、反対に流通部門からメーカーへの天上がり?には成功の可能性が高い」という、言わば通説のようなものがあった。私はそのような説を知らず、無謀にも出ていったかも知れなかったのだ。

我が国の紙パルプ業界の中でも流通部門は1993年に第一次クリントン政権が誕生した辺りから「原料しか買い入れず世界最高の品質のアメリカの紙を買わない」と批判され、輸入せよとのかなり厳しい圧力に曝され始めた。特に紙の流通機構の複雑さが輸入紙の増大を妨げていると、アメリカ側から自らの不勉強を棚に上げた見当違いの批判が出てきたのだった。

この当時を振り返ってみれば、アメリカのみならず欧州でも理解出来ていなかったことは「我が国では流通機構というかメーカーが直接末端の需要家や中小の紙商に販売しない江戸時代からの業界内の仕組みである」との歴史と事実だった。

その点を真に理解して認識する必要があることを知らず、メーカーが直接に販売することが主体であるアメリカと同様であると思い込んで日本市場に乗り込んできた準備不足が原因だった。

その文化的で歴史的な違いを十分に事前に調査・研究して弁えていれば、アメリカ製の紙には不向きで不適切な市場だと簡単に認識出ているはずだったのだ。言葉を換えれば、流通機構と末端の大と中小の需要家の何処にどのような経路で売り込めば成功するかを承知している者を中途採用すれば、成功する可能性が残っていたのだった。

しかし、江戸時代に既に確立されてきた第一次販売店とも言えるメーカーの販売部門のようである代理店から始まって、第二次・第三次・第四次と段々に規模が小さくなっていく販売店が、その規模に合わせた需要家に販売していく流通機構を、外部(海外のメーカーとその輸入代行業者)から理解し認識して取り組んでいくのは容易ではなかったのだ。

しかし、その流通機構で育ってきた者には、海外の紙の製造法と使用されている原木と我が国の紙の品質の違いをそう長い時間をかけずに認識出来て、海外の紙で通用する需要先を開拓、定期的な得意先に時間をかけて仕上げていくことが出来たのだった。一言で表現すれば「違いが解っていれば何となる」世界だったとなる。

長い話しにしてしまったが、私が三菱商事からコンビニ業界の大手・ローソンであれほど活躍された新浪氏がサントリーに転出されて、単一商品ではないウイスキー、ビール、サプリメント等を製造し、テレビ通販までを含めた広範囲の流通機構に加えて、末端までに販売する組織を如何に管理・運営されるのかなと感じたままを述べたのだった。私がアメリカ製でも紙を勝手知ったる需要先に買って頂く会社に変わったのとは何処かが違うのではないかと思ったのだった。

だが、彼はその会社の社長としてその事業に臨まれるのであり、担当マネージャーの私の仕事とは大いに異なるものであろうとは承知していた。即ち、私は直接に自分が需用者に販売する仕事だが、社長はその販売部門を最高責任者として会社全体の事業とともに管理・運営されるのだから、話が違うのだと認識している。一介のマネージャーの転身とは違うのだと。

結論めいたことを言えば、私は言わばアメリカ式に他業種への転身・転出が経営者の段階で盛んになっていくことを歓迎すべきだとも思っている。これまでにもそういう傾向が徐々に出てきてはいるが、アメリカやヨーロッパとは生い立ちが違う我が国の産業界には短期間には定着しないだろう。

現在のように変化余りにも早く且つ大規模になってくれば、国の内外で広く経験を積んだ経営者が求められていくと予測したいのだが、如何なものだろうか。

何も新浪氏のように流通から製造だけに限ったことではなく、政治・経済・官僚機構等の間を自由に動く時代を考えているのだが。


◆戦前、戦中世代の日韓交流史

室 佳之



到底誇れることではないが、小生の読書量はメールマガジン『頂門の一針』が主で、今年はまだ10冊も完読していないと思う。ただし、読んでいる分野が偏る。

昨年6月28日の2,991号にて『韓国・朝鮮研究者 田中明』を紹介したが、それ以降も結局日韓に関する、それも戦前、戦中世代の著書ばかり。

先日、産経黒田記者による『から(韓)くに便り「韓国の一つの終わり」実感』の記事を目にした。日本から韓国へのインスタントラーメンの技術提供秘話を紹介した上で、こう書いていた。

『戦後の日韓交流史にはビジネスをはじめ多くの分野でこうした美談があるのだが、韓国ではなぜか表向き語られず、記録されない。』

黒田記者は、日頃から他人が書かない心温まる日韓交流史を沢山紹介している。素人の出過ぎた真似だが、小生が印象に残った6人の日韓交流史を著書とともに紹介したい。

<任文桓(イム・ムナン)>『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』6人の中では唯一の明治生まれ。幼少期の渾名『バウトク』を終始使って、第三者的に半生を描いた作品である。

東京へ行こうと16歳で対馬海峡を越えた3日後に関東大震災が発生、たまたま京都で留まっていたので運命的に被災されなかった。とにかく、クソがつくほど真面目で、東大卒業後、朝鮮総督府の官僚、戦後は韓国の農林部長官(大臣に相当)まで務めた。

日本の国策について、とことん批判はするが、交じり合った日本人との思い出は数限りない。驚くのは、その数多いる人たちのフルネームを完璧に覚えていて、何時何処で何をしたのかを青春時代から余すところなく回想している。当時の日韓の生活ぶりが韓国人の目から描かれている。


<白善●(ペク・ソニョプ)>『若き将軍の朝鮮戦争』
●は『火』篇に、右が『華』

6人中唯一健在で、11月23日、御年94歳(1920年生まれ)となられた。年代で云えば、中曽根康弘元首相(1918年生)、李登輝台湾元総統(1923年生)あたりになる。


満軍中尉で終戦を迎え、朝鮮戦争では若干29歳で第1師団長、第1軍団長(30歳)、陸軍参謀総長(31歳)、階級では韓国陸軍初の大将(33歳)とヘナチョコ37歳の小生には信じがたい経歴である。韓国が負けなかったのはこの人のおかげと云っても過言ではない。にもかかわらず、廬武鉉政権は親日派として断罪しようとした。ひどい。

退役後は日中英仏の言葉を駆使する外交官で、国連加盟時の台湾にも大使として赴任している。きっと日韓台の3者会談などあれば日本語が飛び交っていたのではないか。

よど号ハイジャック事件では、交通部長官(大臣に相当)として、英語では埒があかなくなり日本語で犯人たちと交渉をして解決に導いた。

youtubeに2011年6月防衛協会での来日公演の様子が載っている。朝鮮戦争で中共軍が攻めてきた時の説明で、『豈図らんや』という古風な日本語を発した時はたまげた。日本国勲一等瑞宝章受章。

<藤原てい>『流れる星は生きている』

終戦後、3人の幼児を連れて満洲から朝鮮半島を経て日本へ引き揚げて来た壮絶な回想録である。涙なしには読めない。

題名の『流れる星は生きている』は、今の北朝鮮あたりで逗留していた折、金さんという朝鮮の人から教わった歌である。

わたしの胸に咲いている あなたのうえたバラの花ご覧なさいね 今晩も ひとりで待ってるこの窓の星にうつって咲いている

わたしの胸に泣いている あなたの呼んだあのお声ご覧なさいね 今晩も ふたりで誓ったあの丘に星はやさしく唄ってる

わたしの胸に生きている あなたの行った北の空ご覧なさいね 今晩も 泣いて送ったあの空に流れる星は生きている

この歌は、南方戦線で同じ隊にいた日本人達が作詞作曲したのだが、当人達は戦死されたそうだ。それを朝鮮人が持ち帰って、また日本人に伝えたのだった。字面だけでも綺麗な歌である。

著者の夫は、作家の新田次郎、当時3歳で引き揚げを果たした次男は、『国家の品格』でお馴染みの数学者藤原正彦さんである。


<岡崎久彦>『隣の国で考えたこと』

先頃お亡くなりになり10/29『3,470号』に故人の思い出を掲載してもらった。白善●将軍とは70年代の韓国赴任当時から最近まで文通の中だったと本年の読売新聞『時代の証言者』に書いていた。

『隣の国で、、』は小生の生まれた年に出版された。巻末にある『ふつうの日本人で、韓国の歴史上の人物(昭和20年以前の人物)の名を、少くとも10人、いや5人でも挙げられる人がどれだけいるでしょうかね?』という一文が最も印象に残っている。

30〜40年前の日本人の対韓国観とは、このようなレベルだったのだろう。最近でこそ様々な韓国・朝鮮本が出ているが、それでも歴史上の人物を5人挙げられるかどうか怪しい。

学生時代、外交専門のゼミの発表で、15人ほどいたゼミ生達へ同じ質問をしたところ、全員でやっと5人挙げられる程度だった。韓国・朝鮮を論じる際は、上記の言葉を大切にしたいといつも思う。


岡崎さんは常々東アジア問題を語る際に、日米韓の強固な安保体制を唱えていた。10年くらい前までは、韓国も国防部を筆頭に、日本との協調路線は堅持されていたように思うが、近年の韓国の離反に対して、岡崎さんは天国でどう思われているのだろう。

<上坂冬子>『慶州ナザレ園 忘れられた日本人妻たち』

戦前、様々な理由で朝鮮半島に渡った日本人女性が、戦後半島に残った上、生活困難となり古都慶州(キョンジュ)の『帰国者寮ナザレ園』で集団生活を続けている。彼女等を取材した一冊。

在日韓国・朝鮮人同様、規模は違えど在韓日本人という存在も忘れてはならないだろう。これまた壮絶な日本人女性たちの半生を描いた大作だと思う。

ところで、昨今朝日新聞の捏造問題が騒がれているが、著書には別の朝、昭捏造の小事件が紹介されている。ナザレ園入居中の日本人妻について、昭和56年9月の名古屋版夕刊で『望郷の念抱き悲嘆の日、韓国の老人ホーム、桑名の舘さんら』と題し、舘さんの身内が三重県桑名にいたことが判明したが帰国できない趣旨の記事を掲載した。

しかし、これはほとんど捏造で、当の舘さんに全く取材しないまま『悲嘆の日』だとか帰りたいのに帰れないかのような記事に仕上げていたのだ。この記事に、当時ナザレ園常務理事だった禹浩榮(ウ・ホヨン)が朝日へ’’丹念な’’反論をした。

一部引用すると『事実と違うことを報道されているのに驚きました』『記事を書く前にこちらに問い合わせてほしかったと思います』など、なんだか最近の朝日体質を見ているようである。

いずれにしても著書を数年前に読んだ時、両国の人々、それも一般の人々が、とても真摯に向き合っていたのだと感動した。『1,000年経っても日本を恨む』なんて、一国のトップがよくもそんな軽々な発言ができるものだと思う。

ネットで見たところ、ナザレ園に住んでいる日本人は、もう数名のようである。

<陳昌鉉>『海峡を渡るバイオリン』

最後に紹介するのは、2つの国で生きられたヴァイオリン製作者、『東洋のストラディバリ』と云われた在日韓国人である。余談だが、小生の母はセミプロのヴァイオリン奏者で、この本をプレゼントしたことがあった。

2時間ドラマにもなり、主演はSMAPの草?がやったのだが、演技にはガッカリだった。スター芸人として当時珍しい韓国語に取り組んでいた姿は素晴らしいが、むしろ母役を演じた田中裕子の韓国語のほうが、片言ながらとても自然だったのを記憶している。

慶尚北道出身の著者は、幼少期に地元へ赴任してきた相川先生のヴァイオリン演奏に魅せられた。渡日後、演奏でなく制作へと志す転機となったのが、小惑星にも命名されたロケット開発の父<糸川英夫>の『バイオリンの神秘』と題する講演を聴いてからだった。

その後、掘っ建て小屋を建てて独学で制作に打ち込んでいった。その場所が、数か月前、突然の噴火でニュースになったあの御嶽山のある木曾町だった。芸術文化振興に寄与したとして平成17年には木曽福島名誉町民に認定されている。残念ながら平成24年に亡くなられたそうだ。

※著書に書かれてないが、戦闘機設計者だった糸川はGHQ占領下で干されてしまって、当時趣味のヴァイオリン研究に打ち込んでいたそうだ。

以上、6人の著書から日韓交流史を紹介してみた。あくまで交流を主にして紹介したので、著書の紹介とはやや異なる。これらは本年たまたま小生が触れた著書だが、他にも日韓交流が描かれたものは幾らでもあるだろう。

現実逃避かもしれないが、小生は昨今の反日・嫌韓論調を目にするより、年輩世代の心温まる交流美談に触れているほうが精神衛生上良いと思って
いる。


 

2014年12月24日

◆令計画氏「規律違反の疑い」

矢板 明夫



胡錦濤氏の側近失脚  指導部内の派閥抗争激化する可能性

【北京=矢板明夫】中国共産党の習近平指導部は22日、胡錦濤前国家主席の側近である令計画・人民政治協商会議副主席(党統一戦線部長兼任)について、「重大な規律違反の疑いがある」として調査を開始したと発表した。

令氏は共産党内の主要派閥である共産主義青年団(共青団)派の中心人物として知られ、その失脚は同派にとって大きな打撃となる。高級幹部の子弟で構成され、習氏が率いる太子党との抗争が激化する可能性がある。

中国共産党の規律部門の中央規律検査委員会は同日午後8時すぎ、ホームページ上で「令氏への調査開始」と発表した。容疑については明らかにしていないが、汚職など経済問題の可能性が高い。令氏は胡錦濤政権時代に、政権の大番頭とよばれる党中央弁公庁主任を5年間も務めた大物で、最高指導部入りの可能性も一時ささやかれた。

2012年3月、大学院生だった息子が北京市内で高級外車の運転中に事故死した際、これを隠蔽しようとした疑惑が浮上。山西省の郷里の先輩の薄煕来・元重慶市党委書記と親交があり、薄氏の失脚以降、重要ポストから外された。

令氏は収賄などの疑惑が2年前から取り沙汰され、党の規律部門が内偵していたといわれる。李克強首相や李源潮国家副主席ら共青団派の党幹部が立件に反対したとの情報もある。

令氏は今月中旬発売の共産党機関誌への寄稿で、習氏の言葉を16カ所も引用して忠誠を誓っていた。

産経ニュース 2014.12.23

◆「連立政権」に甚大な亀裂

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み
」 

<平成26年(2014)12月24日(水曜日)通巻第4423号 <前日発行>>
 
〜習近平の太子党+団派という「連立政権」に甚大な亀裂
  令計画(前中央弁公室主任)の一族が失脚、胡錦涛に牙〜


それは2012年3月だった。

北京市海定区保福寺橋付近を猛スピードで疾駆してきたフェラーリが壁に衝突、フェラーリは炎上し、なかにいた2人の男女が即死した。

運転者は「令谷」と判明、同乗していた女性は半裸だったという。令谷は令計画の息子である。

この時点で令計画は飛ぶ鳥を落とす勢いにあり、次期政治局入りは間違いないとされた。

マスコミは令計画を「ライジング・スター」と書いていた。

令は胡錦涛の右腕として、政治日程、外遊計画、演説内容の事前チェックなど中南海政治の枢要な部分をしっかりと握り、方々ににらみをきかせた。米国で言えば大統領首席補佐官である。

令計画は息子のフェラーリ事故(「法拉利車禍」という)を「なかったことにしてくれ」と公安・司法・検察方面を牛耳っていた周永康(政治局常務委員。序列9位)に依頼した。周は当時、まだ政治力があると信じられていたが、彼の支配した石油派は追い詰められていた。

周永康の僚友だった薄煕来は事実上、失脚していた。習近平は、この2人りの目の上のたんこぶを排除することで権力基盤の安定を急いだ。

つぎに彼が取り組んだのは反腐敗キャンペーンの本格化で、これを武器に政敵を追い込むことだった。

たちまち令計画の息子のスキャンダルが中南海を駆けめぐり、令は突然、閑職へ追いやられる。中央弁事処主任は団派出身だが習近平とも近い栗戦書と交替し、令計画は統一戦線部長から政治協商会議副主任に降格される。このポストは飾りで、同色には20名前後の「力を失った人」が名前を連ねるだけ。

令計画の恨みは習近平に向けられ、習の特別機がタンザニアに駐機したおりに密漁された象牙が大量に主席専用機に積み込まれたというマル秘情報を英国のメディアに流したとされる(真相は不明)。


▼これで習近平の権力基盤は確乎としてものになったか?

習近平の反腐敗キャンペーンは石油派、鉄道部から究極的には江沢民派の牙城に狙いを定めていた。

しかし江派の反撃も凄まじく、引退生活を決め込んでいるはずの江沢民は故郷の江蘇省揚州に船を浮かべたり、スターバックス社長と会見したり、上海の国際信頼醸成会議ではプーチン大統領と会見し、8月の北戴河会議にもあらわれ海水浴している姿を写真に撮らせ配信させ、その健在ぶりをアピールした。

これらの示威行動は、江沢民が「これ以上の捜査を許さない」と示唆しているのである。

バランスをとるために習近平は団派にも照準を合わせざるを得なくなった。いまの政権が団派を大量に登用して太子党の存続を図る「連立政権」である以上、団派を正面の敵に回せないことは分かっている。

しかし最低限度のスケープゴートが必要だった。その格好のターゲットが令計画だった。

令計画にはほかに3人の兄弟と1人の妹がいる。それぞれが出身地である山西省政府に要職を占めていた。

兄弟5人の名前は「路線」「方針」「政策」「完成」と言う。なにかお笑いの語彙羅列と印象があるが、「方針」が妹である。

2014年6月、山西省幹部だった兄の令政策(当時山西省政商協会議副主任)が「汚職による重大な規律違反」として拘束された。

妹の令方針は運城市医療センターの副院長だった。その夫・王健康(当時山西省運城市副市長)が、つぎに取り調べのため拘束された。6月25日付けの香港紙「明報」は、令計画の兄妹が消息を絶ったと報道した。中国のネットから、令計画に関するあらゆる記事が削除された。

2014年5月12日に運城市医院連合会総会が開催されたが、要職に令方針の名前はなかった。

同時期、令計画の妻、チャリティ基金会の幹部をつとめていた谷麗坪が、はやり幹部リストから削除されていた。

同年10月、末弟の令完成がやはり規律違反として取り調べを受けている模様と香港のメディアが報じた。この弟は吉林大学卒業後、ながらく新華社につとめ、系列の広告会社の社長から民間に転じた。ビジネスで成功したと噂された。長兄の令路線とその一族が、このビジネスに合流して、かなりの資産を蓄積したという。

狼狽激しい令計画は党中央理論誌『求是』に論文を発表し、なんの脈絡もなく習近平への忠誠が重要と16回も記述するほど習政権に媚びを売った。醜態である。

そして2014年12月22日、新華社は令計画の失脚を発表したが、詳細は不明とした。令計画一族は全員が失脚した。
        
          

◆北をめぐって米中密約?

平井 修一



近藤大介氏の論考「米中はすでに、何らかの『密約』を交わしている!? 2015年、北朝鮮を巡る外交が大きく展開していく予感」(現代ビジネス12/12)から。

<北朝鮮を久方ぶりに訪れたというある実業家は、私に次のように述べた。

「華やかなのは市中心部の蒼光通りや栄光通りだけで、東平壌には巨大な貧民窟が広がっていた。真冬だというのに、通りには腐臭が立ちこめている。そして、地区の役場の職員たちが総出で、のたれ死にした遺体の処理をしていた。朝晩氷点下20度にもなる極寒の中、暖房もなく、食糧もなく、ついに首都・平壌まで、廃墟が広がり始めた。
?
そもそも金正恩が指導した2009年末の通貨改革の失敗で平壌市民への配給が不可能になり、平壌市の面積を4割削減して、人口を220万から180万に減らした。それでも配給できなくなったため、今年4月に、さらに市の面積を縮小し、人口を150万に減らした。今回さらにピンチになって、ついに100万まで減らそうとしているという噂が立っていた。

12月12日に、ナンバー2だった叔父の張成沢・党行政部長を処刑して丸1年が経ったが、金正恩はいまだに、張成沢に関係のあった幹部の粛清を続けている。その数は2000人とも3000人とも聞いた。

張成沢の姉の夫である全英鎮・駐キューバ大使一家、兄の息子である張勇哲・駐マレーシア大使一家も、このほど処刑されたそうだ。朝鮮人民軍の幹部に対しても、相変わらず粛清が続いていると聞いた」

このように、いよいよ窮乏してきた北朝鮮は、来る1月8日の金正恩32歳の誕生日にも、国民への「特別配給」ができない有り様だという。このまま経済困窮が続けば、朝鮮人民軍の「離反」も考えられる。

(北とロシアは接近していくが)ここへ来て、ロシア経済に黄信号が灯り始めた。それによって、にわかに「ロシアが北朝鮮経済を救う」というシナリオも崩れてきた。「(露北間の)3500kmの鉄道建設はいいが、一体誰が資金を出すのか?」というわけだ。

では、結局どの国が北朝鮮を救うのか?

私は、2015年にアメリカが名乗りを上げるのではないかと見ている。北朝鮮を巡って米中はすでに、何らかの「密約」を交わしているのではないか。

11月11日〜12日、北京APEC(アジア太平洋経済協力会議)終了後に、オバマ大統領が2日間の中国国賓訪問をおこなった。オバマ大統領と習近平主席は、計8時間にわたる首脳会談の中で、北朝鮮問題についても時間をかけて話し合っている。

この時、オバマは、北朝鮮外交を進めることを習近平に告げたのではなかったか。なぜなら、アメリカにとって北朝鮮が再び「ロシアの植民地化」するのは困るからだ。もし羅先がロシア軍の「軍港」と化せば、北東アジア情勢は大きく様変わりすることになる。

それは中国とて望まない。中国は、「2018年から30年間、計40兆円の天然ガスをロシアから輸入する」という過去最大規模の契約を5月に結んだばかりだ。これはロシアからすれば、長期的なエネルギー輸出による安定した財政収入を確保したことになる。

一方の中国からすれば、中ロ関係が悪化した場合、いつでも契約を打ち切るという選択肢を持ったことで、ロシアの生殺与奪を握ったに等しい。

その後、ロシアが北朝鮮に急接近したのは、中国の背後に回ることで、中国が身動きを取れないようにする意図があったのだろう。そのような状況下で、北朝鮮に冷たかったアメリカと中国が、北朝鮮戦略の転換を始めたのである。

12月17日にオバマが緊急会見して発表した、アメリカとキューバとの電撃的な国交正常化である。なぜ半世紀も敵対視していた両国の関係が急展開したかと言えば、二つの理由が考えられる。

一つは、オバマが「任期中の外交的成果」が欲しかったからだ。もう一つは、「ロシアの味方」を減らしたかったからだろう。つまり「新冷戦」が始まっているのである。

こうした一連のできごとの延長線上に、2015年の米朝接近がある。

すでに中国も手を打ち始めた。12月17日、北京の北朝鮮大使館で開かれた金正日総書記死去3周年の追悼行事に、劉雲山・中国共産党中央政治局常務委員(序列5位)が参列したのである。

いまからちょうど1年前に、金正恩第一書記が張成沢を粛清して以降、中朝関係は冷え込み、両国の高官の往来はストップしていた。今回の劉雲山常務委員の参列は、その雪解けを示す中国政府の「シグナル」だった可能性がある。

ともあれ2015年、北朝鮮を巡る外交が大きく展開していく予感がする。日本はこれを好機と捉え、拉致問題解決に活かしていくべきである>(以上)

本当なのかどうか。オバマはソニーをハッキングしたのは北だと名指ししたうえで「報復する」とまで言っている。12/23現在、北ではネットが一時的に不通になったそうだが、米国による報復かも知れない。

北は叩いて放っておけばいずれ崩壊する。中共は北とヨリを戻したところでメリットはあまりなく、むしろ原油や食糧支援などで持ち出しになりかねまい。

北には制裁を強めて孤立化を進めればよく、交際はしないことが肝腎だ。音を上げれば拉致問題は解決できるのではないか。来年あたりに金北豚は排除されて新体制ができるかもしれない。(2014/12/23)

◆矢張り朝日は偏っている

前田 正晶



母校・湘南中学の自慢記:

旧制湘南中学同期の旧友(級友)が朝日新聞の神奈川版の「母校群像記」に10月31日から12月5日までに6回掲載した記事を送ってくれた。因みに、我々は昭和20年に入学したのだが、進駐軍が学校制度を改悪したために中学3年を終えたところで卒業させられ、新制の湘南高校の1年生にされてしまっった。

その湘南高校の出身者の特集らしく、我々26期生(中学からの通算の数字で、昭和26年卒)以降の者たちばかり(で生存者が)登場する特集だった。2

6期生から載せて頂けたのは、同期会会長の吉居時哉君(東大→大蔵省→国土庁事務次官→東日本銀行頭取)と脇村春夫君(東大→東洋紡→大阪大学大学院・経済学博士→高野連前会長)だけだったのは偏っていると言わざるを得ない。

脇村君は昭和24年に野球部が最初で最後に出場した夏の甲子園の野球で優勝した選手の一人だった。そのせいかあらぬか、その優勝投手だった田中孝一さん(25期、早大→ゼネラル石油?)、佐々木信也(27期、慶大→トンボユニオンズ)、原田靖男(東大→三菱化成)は載っていた。

我々蹴球部出身者に言わせて貰えば「これは偏向」である。我が蹴球部は戦後第一回の神戸で開催された国体の中学蹴球の部で神戸一中を破って優勝し、福岡での第三回には準優勝だったのだ。

この当時の選手には松岡巌さん(23期、慶大→日立製作所副社長)がおられ、その同期の故香川嵩さんは東大から東京海上副社長だった。24期にはメルボルン・オリンピック代表選手だった小林忠生さん(慶大→東京海上)がおられる。

因みに、松岡さんと小林さんは慶応大学の監督を務めておられたのだった。私の偏見を言えば、蹴球は毎日新聞が旧制の頃から全国大会を主催していたので、甲子園野球主催の朝日は無視したのかも知れないと疑っている。

さて、同期である。石原慎太郎君は第一回目に採り上げられていた。だが、彼は卒業したのは1年後で27期生になっていた。この期は多士済々だが、敢えて何人かを挙げれば、キャノンの社長候補とまで噂されNHKも特集した同社のコピー機とプリンタを開発した田中宏君(早大)や、日本興業銀行最後の頭取で富士と第一勧銀の三行合併を成し遂げた故西村正雄君(東大)辺りが有名人だっただろう。他の諸君、お許しを。

この記事のお陰で湘南の出身者にはこういう有名人がいたのかと勉強させて貰えた。その中で39期生になるなのだろうか岡本行夫(一橋→外務省)が言った「高校の思い出は家に帰るようなもの。

人生で最も多くが凝縮された素晴らしい時期だった」には同感。我々26期生は同じ学校に6年間在籍し、多くのことを学び、素晴らしい同期生に恵まれたのだった。以上のように私は凡俗であっても、周囲には優れた者が多いのである。

2014年12月23日

◆中国、アジアの団結の動きを攪乱

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26年(2014)12月22日(月曜日)通巻第4421号> 

 
〜中国、アジアの団結の動きを攪乱、各個撃破に陽動作戦を展開
  メコン国家群と南アジアにインフラ建設、融資を持ちかけ日米印を揺
さぶる〜

▼メコンを揺らせ

メコン地域はラオス、タイ、カンボジアの3カ国が中枢にあって、ここにミャンマーとベトナムが加わった5ヶ国でGMS(大メコン圏会議)が構成されている。

とくにタイ、ラオス、カンボジア三ヶ国は、それぞれ政治的戦略に関しての温度差はあるものの、中国と親しく、またベトナムを嫌う諸国である。
 
12月20日にタイのバンコクで開催されて「大メコン圏会議」(GMS)に出席した中国の李克強首相は、さきに提唱している「アジア・インフラ投資銀行」構想をちらつかせながら、「特別融資枠100億元(1900億円)を設ける」などと発言し、アジアの団結を攪乱するという隠れた戦略的意図を発言ににじませた。

12月20日の共同声明は「域内の包括的で持続的な開発をすすめる」とある。

とくにタクシン・インラックと続いた親中政権が軍事クーデターで崩壊し、タイ軍が何を考えているか不明瞭だっただけに、中国が持ちかけたのはタイ南北を縦断する鉄道建設プロジェクトだ。総距離800キロ。

しかしミャンマーは南北を縦貫するパイプラインはできたもののキャパの20%程度しか中国は輸入しておらず、また国境に建設していた中国主導のダムをティンセイン政権は中止させた。爾来、ミャンマーと中国は政治的すきま風が吹いていた。

ベトナムとは表面的ににこにこしているが、お互いが牙を研ぐぎすぎすした関係になり、またラオスは北部にカジノやら大規模なチャイナタウンが建設されたが、麻薬ビジネスとマフィアの暗躍がつたえられ、急速に寂れた。

カンボジアは外交面で中国の代弁発言も多かった上、プノンペン市内の摩天楼は中国が建てている。友好橋もたててはいるが幹線道路などは日本の協力が大きく、しかも従来のカンボジア援助は日本が最大である。

これらの諸要素を、中国は巨額投資をもちかけることでGMS各加盟国の対日関係に楔を打ち込もうと躍起なのである。


 ▼SAARC(南アジア地域連合)にも強い楔を打ち込め

そしてインドが主導権をにぎる「南アジア地域協力機構」(SAARC)に対して中国は大きな政治的揺さぶりにでた。

そこまでには次の経過がある。
 
インド外務省は1月に予定されている「リパブリック・ディ」にオバマ米国大統領を主賓として招待する。インドのリパブリック・ディは独立記念日とならぶ重大行事。インドの29の州が合邦した歴史的記念日のため毎年、世界のなかから1人だけ主賓を選び、国会でも演説する機会がある。ことしは安倍首相が招かれた。

ロシア、中国、そして米国を天秤にかけてきたインドが一気に米欧日に急傾斜刷るわけだから、これを「インド外交のクーデター」と評価する向きがある。

というのも9月に習近平が訪印し200億ドルという途方もない経済プロジェクトをぶち挙げたが、その日、人民解放軍はカシミールのインド領に侵攻した。インドの対中不信感はぬぐえなかった。

インド最大の友好国かつ武器供与国はロシアだった。プーチン大統領は師走にインドを訪問したばかりである。

2014年11月のミャンマーでのアセアン首脳会議と、ひきつづきブリスベンでのG20において、モディ首相は習近平、オバマ、安倍首相とも懇談し、キャンベラの豪国会で演説した。

そこで中国とロシアを横目に日米豪印四カ国が安全保障の話し合いし、共同文書を発表した。プーチンは予定を縮めて足早に帰国したほどのインドの変身ぶりだった。

中国は巻き返しを図った。

2週間後のネパール。SAARC(南アジア地域協力連合)で「正式メンバー入り」を要望したのだ。


 ▼ネパールが最初に狙われた

SAARCは1985年にバングラデシュが提唱し、ダッカで第1回首脳会議が開催された。現在のメンバーはインドを中軸にアフガニスタン、ネパール、ブータン、パキスタン、バングラデシュ、モルディブ、スリランカである。

地域協力、とりわけインフラの建設やエネルギー問題での共同、貿易の拡大などで経済的な裨益を目的とする柔軟性に富む。しかしパキスタンとインドの宿命の対立やアフガニスタン加盟でも、スリランカ内戦など各加盟国間のいざこざも激しく、ときに3年、5年と延期されることが多かった。

オブザーバーには日本、米国、中国、韓国、豪にイラン、ミャンマー、モーリシャスが入っているものの国際政治の見地から言えばさほど重要な会議ではなかった。

しかし中国はSAARC首脳会議でインドの主導権を弱体化し、南アジアで影響局拡大を企図した。

オブザーバー資格で出席した中国は「正式メンバー」としての加盟を働きかけた。議題の拒否権を保有できるからだ。理由はアフガニスタン、パキスタン、ネパール、インド、バングラデシュ、そしてブータンと六つの国々と国境を接しているからとした。インド、ネパール、ブータンと国境紛争を抱えている事実に中国は触れなかった。

会議直前、ネパール内閣の3人の大臣が「中国の正式メンバー入り」を支持すると言い出した。その直前に中国はネパールに163万ドルの支援を発表したばかり。モディ・インド首相はこの動きを不愉快として強く反対し
た。中印関係はすこぶる怪しくなった。

このようにインド経済圏の舞台裏で、中国の外交は密かに続けられている。
 

◆私の「身辺雑記」(173)

平井 修一



■12月20日(土)。朝は室温12度、曇、フル散歩。木道に霜が降り、滑りやすいので普通の歩行者用の道を行く。川面から盛んに靄(もや)が上がっていたが、水温が空気より温かいためか。

カミサンは1泊で横浜のスーパー銭湯へ。仲良し四人組でおしゃべりを楽しむのだ。

夕食は小生のみだから肉まんと残り物で済ます。のんびり。夕刻、N母子来泊。

■12月21日(日)。朝は室温12度、晴たり曇ったり、雨上がりの道をフル散歩。

「住めば都」で、多くの人は今住んでいるところや故郷に愛着を持っており、誇りを持っていたりする。わが街は川崎市の端っこだが、田舎の風情が残っているにもかかわらず、電車の便はいい。新宿、渋谷25分、虎ノ門、新橋、銀座40分、横浜30分。これも自慢だ。

(特定秘密の極秘情報:我が家から川崎駅は25分だが、川崎市民は「川崎駅周辺」をまったく好まない。市民の持っているイメージは「汚」だと10年ほど前に報道されていたから、カミサンに尋ねたら「汚」だと即答した。小生は22歳の頃、駅周辺に暮らしたが、本当に「汚」だった。

元々が工場地帯で工員や日雇いの街、夜勤明けの連中は朝っぱらから飲むから午前中にはべろべろ。遊郭街の堀之内もあるし、汗と小便と吐瀉物と精液と焼酎とゴミの臭いがし、街並など外面は化粧しても本質的に「おしゃれ」じゃないのだ。

政令指定都市なのにデパートもない! その代わりに京急川崎駅前に大きなパチンコ屋があるし、競馬場、競輪場もある。最悪、「汚」としか表現しようがない。

戦後のどさくさで朝鮮人に乗っ取られたのだろう、コリアンタウンもある。川崎市は再開発のために大金を払って不法占拠した朝鮮人に退去していただいている。ほとんど狂気の沙汰だが、それを言うとヘイトスピーチになるのか。

「川崎駅周辺」は朝鮮人好みの不潔で猥雑な陋巷だ。おそらく日本一の横綱級ワーストタウンだろう。山谷とか愛隣地区(釜ヶ崎)を上回るスケールだ。まあ、それも観光資源にはなるだろうが・・・皆さん、ショックを受けますぜ。ハラハラ、ドキドキ、ヒヤヒヤ、ゾクゾク、もう気分はEチケット=今はないそうだが。

以上は特定秘密だから拡散したら懲役10年。川崎市が風評被害で100億円の損害賠償を求めるので収監中も退屈はしないから、もうファストパス・チケット並の興奮だ。スリルを楽しみたい方はぜひ拡散を)

ワーストと言えば、<「人気」なき戦い>――この見出しは絶妙だった。労組のリーダー、菅原文太にひっかけたのだろうが、思い出すたびにおかしくなる。編集者はいいセンスをしているよ。

週刊現代11/9<「お前らにはいい温泉がないだろ」「そっちは海がないくせに」群馬県vs.茨城県「人気」なき戦い 北関東死闘篇 最新「都道府県『魅力度』ランキング」で最下位争い>から。

<草津温泉など観光資源が多いにもかかわらず、県としての認知度が上がらない群馬。農産物が豊かで住みやすいのに、ランキング最下位をキープし続ける茨城。日本で一番「魅力のない県」はどっちだ!?

「これは陰謀だ」「正直言って驚いたし、がっかりしました。私は群馬県で生まれ育ちましたので、46位という結果は受け入れがたいですね」

こう語るのは参議院群馬区選出の山本一太議員。憤っているのは、ブランド総合研究所が発表した「地域ブランド調査2014」の結果についてだ。この調査では、全国47都道府県の魅力度調査で、群馬県が46位にランキングされている。

そんな群馬県の後塵を拝している県が、同じく北関東の茨城県だ。茨城はブランド調査が始まった6年前から、'12年度を除き、毎回最下位で、文字通り「日本一魅力のない県」という汚名を着せられている。

茨城県筑西市出身の手品師・タレント、マギー司郎氏は語る。

「筑波山に登って一望すると、茨城って平地が多いことがよくわかります。農地も豊かで暮らしやすいから気持ちにゆとりがあるんでしょうか、ランキングの結果なんて気にしない。『みなさんお先にどうぞ』という感じで競争したがらないんです。僕なんかも、他の芸人と競争したくないほうですから……」>(以上)

筑波山は本当に眺めがよくて山歩きには最高だと思うし、石の産地、真壁の親戚は皆おっとりしている。霞ヶ浦もあって風光明媚でいい所だと思うがなあ・・・大いに同情する。ご愁傷さまでした。

まあ川崎駅周辺=汚い都市ワーストは当分は不動だろう。市民としては「恥」だが、汚穢の度合いがほとんどゲージュツ的だから、開き直って観賞を勧めるしかない。全国民は他山の石とすべし。

■12月22日(月)。朝は室温12度、快晴、フル散歩。

今日の気づき1:人間いろいろ、人生いろいろ。ちょっと前だが、産経の読者欄に若者が「保険料を払っているのだから、国は年金で老後を安心して暮らせるようにしてほしい」と書いていた。小生はほとんど卒倒しそう
になった。

小生はお国に刃向かった手前、「政府は俺の老後を見るべきだ」なんてまったく考えたことはなかった。自分の老後は自分で備えるのが当然と思っていたから、30年間、毎月15万円を貯金(REITに投資)した。信用にかかわるから年金にも加入した。

自立とはそういうことだろう。国に頼る、他者に頼るなんて、とても一人前ではない。事情にもよるが、無税で医療費タダ、生活保護なんて、ほとんど最低だ。それでも選挙権・・・呆れてしまう。

若者よ、国に頼るな、自分の腕と才覚で老後分まで稼ぎ出せ、と言いたいな。

今日の気づき2:今朝の産経の投稿欄にキラキラネームが載っていた。紗果(すずか)、杏果(ももか)、虹花(ななか)。うーん、これまた人間いろいろ、人生いろいろ。失禁しそうになった。

誰も読めない名前を付けてどうしようというのだろう。子供にとって、いいことより不利なことの方が多いのじゃないか。余計なお世話か。

キラキラネームは大正デモクラシーの産物みたいだ。婦人解放、不倫解放、親不孝、核家族を推進する風潮だ。共産主義の影響を受けている。森鴎外は子供に当時としては変わった名前を付けている。

於菟(おと、長男)、茉莉(まり、長女)、杏奴(あんぬ、次女)、不律(ふりつ、次男)、類(るい、三男)。外国かぶれみたいだ。於菟はオットー、不律はフィリップのつもりか。

<これは本人の名前「林太郎」が外国人には発音しづらかったことから来ているもので、世界に通用する名前にしようとしたため>(ウィキ)

なるほど。当時の名家の子息、息女は留学、遊学したからね。小生も「修一」では米国人が困惑するし、略してShoeでは靴屋みたいだし、それでJoeという名刺を作った。「あしたのジョー」、謀反を起こしていたときの小生の変名は矢吹丈だったことにもよる。

産経には名物記者の阿比留瑠比(あびるるい)氏がいるが、これはナポレオン・ボナパルトの弟であるルイ・ボナパルトにちなんだ名前だそうだ。マルクスの書いた「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」で世界的に知られているが、何が書いてあったか小生はまったく思い出せない。阿比留氏の父はルイ・ボナパルトのファンだったようだ。

そういえば「ボナパルティズム」という言葉は1960年代と70年代初期には独裁的手法を非難する意味でよく使われていたが、今は完璧に死語になった。「あいつ、ずいぶんボナパッテいるなあ」なんて使っていた。「広い意味では、革命運動を強権でもって弾圧しようとする権威主義的・反動的な運動一般のことを指す」(ウィキ)

夕方、孫・子来襲。集団的子育て。(2014/12/22)

◆自衛隊員の心意気

伊勢 雅臣



自衛隊 (7)

■自衛隊員の覚悟

高田好胤「今どき自衛隊になる奴はアホや、という話をするんです。そのアホこそが日本を今後支えてくれる人やと思うのです。最小の効果のために最大の努力を惜しまない、ひとりひとりが偉大なアホになった時、この日本が守れていく」http://on-msn.com/1rcsxlZ
2014年05月27日(火)

私の父は元自衛官ですが、私が子供の頃に話していた「ソ連が日本に攻め込んで来たときにはいつでも出動する覚悟はできている」という言葉は今でも忘れられません。これが「祖国を守りたい」とする大和魂ではないでしょうか?自衛隊は中国や韓国のように腐敗した軍隊とは全く違っているのです。
2014年05月05日(月) 日本大好きパパ@summitomo_papa

@toshio_tamogami 沖縄でタクシーの仕事をしています。以前、那覇航空自衛隊の方をお乗せしたのですが、彼の言葉が耳に残っています。

「尖閣で有事なれば真っ先に死にます。せめて国防軍として死にたい」田母神さん、日本派新党の結成、ご決断下さい。応援します。

2014年03月05日(水) 美ら島(仲井眞弘多知事を支える 県民の会
@minatobirth23

【震災の活動記録】

(隊員の日常)?

ある隊員からこんなメールが届いた。

《自衛隊にしかできないなら、危険を冒してでも黙々とやる》
《国民を守る最後の砦。それが、われわれの思いだ》
きょうも自衛隊員は被災者のそばにいる。
2013年06月12日(水) まひる@mahiru1024

■自衛隊員の心意気

凄いね

自衛隊にはこういう逸話がホント多い

自衛隊の皆様
心から尊敬し・感謝しています
◆ある「元自衛隊員」のお話し(画像
★米軍が度肝を抜かれた自衛隊のエピソード
http://ameblo.jp/seife/entry-1184506680.html
. https://pic.twitter.com/Na6dFGXcnS
2014年07月12日(土) 丘田@okada014

【拡散】陰ながら命を賭して、頑張る若者たちの姿を見よう。 RT 海上自衛隊 新人パイロット物語 4/5: http://t.co/4ABkcPVK @youtubeさんから2013年01月10日(木) マック@uglykid_joe

平成19年3月30日深夜、陸自第101飛行隊の大型輸送ヘリCH47は、急患輸送の依頼を受け、徳之島に向かったが、濃霧による視界不良で同島の天城岳に激突、機長・建村善知大佐以下、4人全員が殉職。建村大佐はあと2回の飛行で定年を迎える所だった。正論26.2西村真悟2014年02月08日(土)

陸上自衛隊第101飛行隊は、鹿児島県奄美群島から沖縄県与那国島までの離島の急患輸送を担当しており、年間約300回の出動を続け、昭和47年の部隊発足から平成19年まで、約7600名の患者を搬送。正論26.2西村真悟
2014年02月08日(土)

この写真は、札幌雪まつり会場の雪像、自衛隊作成のソチ五輪巨像のものです。如何ですか、この目のキラリ具合。雪以外は何も使っていないとのこと。彫り込みの技だけで、この目を作ったそうです。この技凄いですね。 https://pic.twitter.com/RC3dDjlO0F
2014年02月09日(日) 佐藤正久@SatoMasahisa

京葉銀行の自衛隊訓練。数十キロの土壌や丸太を担いで、延々と歩き続ける。自然とチーム全体で脱落者が出ないよう協力。仲間との距離が一気に縮まり、何でも言い合えるようになった。「終わってから食べた焼き肉のおいしさは今も忘れられない。日経ビジネス13.4.15p38 >チームで鍛えよ2013年10月14日(月)


■慰霊

晴海埠頭で行われたソロモン諸島ガダルカナル島から帰還された戦没者のご遺骨に、献花されるご遺族の方々。海海行かばの音楽に合わせてご遺骨が海自艦艇から隊員により運ばれる際は、やはり涙が滲み、心の中で「おかえりなさい」と呟きました。合掌 https://pic.twitter.com/vE4fWwG2D6
2014年10月25日(土) 佐藤正久@SatoMasahisa

硫黄島で米軍は戦闘の最中からブルドーザーで飛行場の拡張を始めたため、滑走路の下に多くの日本兵の遺骨が埋まっている可能性がある。硫黄島に着陸する自衛隊航空機のパイロットの中には、眼下の滑走路に眠る英霊を想い、手を合わせて拝んでから着陸する方もいる。Voice13.11新藤義孝2013年10月31日(木)


■自衛隊への感謝・応援・支援

佐瀬昌盛 内閣府世論調査では自衛隊に「良い印象」を持つ声が91・7%。これほどの評価を享受する国防組織を私は他に知らない。今後必要なのは、立派な合格点に達した自衛隊のため、憲法上正当かつ明確な位置付けを国と国民が用意することだ。http://on-msn.com/176vk1C
2013年08月08日(木)


自民党大会の安倍総裁年頭演説、「日本を世界の真ん中で咲き誇る年にする」との力強い言葉があり、また、「この瞬間も、年末年始も休みなく、厳しい日本の海や空、離島を始め領土を守ってくれている自衛隊と海保に、この会場から感謝の気持ちを届けよう」との総裁の呼び掛けに大きな拍手。感動です!
2014年01月19日(日) 佐藤正久@SatoMasahisa

「尊い犠牲を無にしない」 首相、自衛隊殉職隊員追悼式に参列 - 新たに9柱の名簿が慰霊碑に奉納された。殉職隊員は昭和26年度以降、今回を含めて計1840柱となった。 http://on-msn.com/17nTFTQ >身の危険を顧みず日々我々を護って下さっている方々に敬礼
2013年10月27日(日)


島倉千代子さんが亡くなられました。航空自衛隊の全国の基地でも度々公演していただきました。私が空幕の厚生課長時代には何度か同行させていただきました。非常に頭の低い方で細やかな気遣いをされる人でした。大スターでありながら尊大なところがなく尊敬できる人でした。ご冥福をお祈り致します。
2013年11月10日(日) 田母神俊雄@toshio_tamogami

聞いていて、涙が出ます。まごころの歌、まごころの声援、#長渕剛 航空 #自衛隊 松島基地 隊員激励ライブ_CLOSE YOUR EYES - YouTubehttp://t.co/B7xAodKZ
2013年01月10日(木) 日本を守る愛国の安倍晋三の思い@Demo_Leave


戦車は千社(せんしゃはせんしゃ)と言われるが、実際は戦車1両に約1300の関連企業、戦闘機は約1200社、護衛艦は2500社だ。我が国は工廠がないため生産基盤の全てと技術基盤の多くを民間企業に委託。故に平時有事問わず、防衛産業は自衛隊とともに我が国防衛の主プレーヤー
2013年03月17日(日) 佐藤正久@SatoMasahisa


防衛省が補正予算で輸送防護車要求。これは在外邦人の陸上搬送を可能にする自衛隊法改正成立を受けてのもの。地雷や路肩即製爆弾等に耐えられる輸送防護車を購入する。佐藤が政務官当時から経験に照らし購入の必要性を訴え、国会でも大臣に質問した。当初は役人の抵抗が強かったが実現の運びへ。
2013年12月14日(土) 佐藤正久@SatoMasahisa