2014年12月12日

◆韓国の事大主義

平井 修一



宮家邦彦・外交政策研究所代表の論考「地政学と歴史からしか不可解な隣国を理解できない」(衆知10/27)から。

             ・・・
事大主義とは朝鮮の伝統的外交政策だ。大に事(つか)えるから事大。この大というのはむろん中国のことなのだが。つまり中国は韓国の上位にある国だったから、そこから侵略されても、ある程度仕方がないとあきらめる。しかし、日本は韓国より下位の国だ、だから侵略されると腹が立つ。(2013年12月16日付『NEWSポストセブン』)


朝鮮は、中国に貢ぎ物をささげる朝貢国として存続してきた。大国に事える事大主義の伝統が抜きがたくある。日本が近代化に懸命に汗を流しているころも、官僚らは惰眠をむさぼり、経済も軍事力も衰亡していた。その朝鮮を国家として独立させ、西洋の進出に備えようというのが日本の姿勢だった。(2014年7月19日付『産経新聞』WEB版)


以上の例では、いずれも「小国である自国はその分を弁え、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」といった「支配的勢力や風潮に迎合し自己保身を図る卑屈な考え」を意味している。いずれにせよ、決して良い意味では使われていないようだ。

北朝鮮でも「事大主義」が軽蔑されている。それもそのはず、北朝鮮と朝鮮労働党の最も重要な政治思想である「主体思想」の意味する「自主・自立」とは、中華王朝などに対する「事大主義」の克服を意味しているからだ。

李氏朝鮮末期になると、国内で政変が起きるたびに事大先が清、ロシア、日本、米国と代わっていった。事大主義の柔軟性とその限界を示す興味深いエピソードだ。


いかに安全保障を確保するためのやむをえざる措置とはいえ、李朝末期の高宗や閔妃が事大先を次々に変えた行動はあまりに場当たり的な対応であった。韓国の朴槿惠大統領の父親である朴正熙元大統領は生前、「民族の悪い遺産」の筆頭として事大主義を挙げ、その改革を真剣に模索していたという。

こうみてくると、コリア半島の対中華事大主義は中華に対する「憧れ」を示すと同時に、中華王朝に対する「劣等意識」を反映したものでもあったことが理解できるだろう。しかし、この「事大主義」に象徴される対中華「劣等感」は、じつは対中華「優越感」の裏返しでもあった。それを理解するための概念が「小中華思想」である。


「事大主義」と同様、韓国を理解するうえで非常に重要な概念が「小中華思想」だ。この二つの概念は一見相反するようで、じつは「コンプレックス」という同じコインの表裏である。この醜い劣等感・優越感の塊こそが、コリア人の魂の叫びなのかもしれない。

小中華とは、中華文明圏のなかで、非漢族的な政治体制と言語を維持した勢力が、自らを中華王朝(大中華)に匹敵する文明国であって、中華の一部をなすもの(小中華)と考える一種の文化的優越主義思想である。


コリア半島の歴代王朝の多く、とくに李氏朝鮮は伝統的な「華夷秩序」を尊重した。表面的には中華王朝に事大する臣下という屈辱的地位に甘んじながらも、内心は自らを漢族中華と並ぶ文明国家と位置づけ、精神的に優越した地位から漢族中華以外の周辺国家を見下していたのだろう。


ところが17世紀に入り、その李氏朝鮮が拠り所としていた明王朝が滅亡してしまう。しかもよりによって、これまで李氏朝鮮が見下していたマンジュ(満州)地方の女真族が明を圧倒し、中華に征服王朝を樹立したのだ。当時の李氏朝鮮の儒者たちにとっては青天の霹靂であろう。


それまで夷狄だ、禽獣だと蔑んできたマンジュの女真族には中華を継承する資格などなく、李朝こそが中華文明の継承者だと彼らが考えたのも当然かもしれない。一方、実際には軍事的に清朝に挑戦することは不可能であり、李朝の仁祖は清への臣従を誓わざるをえなかったのだろう。


この屈折したコンプレックスの塊とも思えるコリア半島の住民の民族性は、李氏朝鮮以降、事大主義という劣等感と小中華思想という優越感を、心中で巧みに均衡させることによって維持されてきたのではないだろうか。そう考えれば、激高しやすい韓国の国民性の理由も理解できるだろう。


当然ながら、東アジア最大の地政学的地殻変動といえるのは中国の台頭だろう。韓国・北朝鮮を含む周辺国は、この新たな地政学的大変動に対して、これまでの外交政策を適応させる必要に迫られている。最近の韓国外交の微妙な変化の背景には、こうした計算が働いているとみるべきだ。

そうであれば、最近日本を軽視し、中国を重視しはじめたようにもみえる韓国外交の変化には、たんなる国内政治的事情だけではなく、最近の中国の台頭に対応した、より戦略的・地政学的な理由があると考えるべきではないか。

コリア半島の住民にとって現在の中国、ロシア、日本、米国はいずれも信用できない大国である。ロシアにはどうしても信頼が置けず、そもそも日本とは格が違うと思っている。米国は唯一の域外国だが、しょせんはコリア半島にとっては新参者に過ぎない。

とくに、中国との関係は複雑だった。潜在的に最大の脅威でありつづけた漢族中華王朝に対する憧憬と劣等意識、非漢族王朝に対する反発と優越意識。この二種類の(繰り返すが実際にはコインの裏表でしかない)コンプレックスを併せ持つのが、コリア半島の対中観の特徴なのである。(以上)

             ・・・

中韓の国民は本音では互いに嫌いあっているが、商売は別ということで習とクネは擦り寄っている。ところがともに経済は減速しつつある。日本も減速中だから偉そうなことは言えないが、日本には苦境を突破する革新的技術があるが、中韓にはない。


中韓は製造設備や部品を輸入して組み立てるというのが製造業の基本パターンであり、中国の賃金と人民元は上昇する一方だから製造業は(外資が敬遠して)あまり伸びないだろう。韓国は賃金は伸び悩み、世帯の借金は増えているので市場は伸び悩みだし、ウォンは高止まりで、これまた競争力は落ちている。

中韓FTAの背景には事大主義があるのだろうが、朝貢して保護されるどころか、むしろ競争が激化し、安い中国製品に韓国は押されっぱなしになるのではないか。今でもサムソンのスマホは中国製品に押されている。

韓国はいかがわしい妄想で反日病になったのが運の尽きだ。戦略的な大ミスだった。日本企業の多くは韓国を見離しているだろう。(2014/12/9)

◆「アラスカ無宿譚」(9)

日高 一雄



勿論横で話を聞いていた顧問弁護士も小生の勢いに圧されて一言も発せず、一緒に外に出た。実はニューヨークの三菱顧問弁護士事務所にはヤンキース・ファンだと言う弁護士が一人居て、社内で小生のヤンキースとの交渉を知り、面白そうだから自費で行くから一緒に行かせて呉れ、と頼んで来たので許し、席にはこちら側の弁護士は2人居た。


弁護士はニューヨークでの小生の交渉の席にも同席させた事もあり、当然交渉内容を熟知していた。

こちら側の全員5人が外に出た時、此の弁護士二人が突然「カズ(小生)の怒りは分かる。これはアメリカの恥だ。暫時我々に任せろ!」と言って、小生の制止命令を聞かず二人でトレーラーハウスに戻って行って仕舞った。


仕方無く我々は外で待つ事になったが、駐車場には座る場所も無い。彼らがトレーラーに戻ったはいいが、待てど暮らせど、一向にトレーラーから出て来ない。大社オーナーは泣きだしそうな顔で、「日高さん わしは羽田で記者会見をやって来てしもうた!」と訴えていた。

小生は「それは分かるが、此処は国の恥が掛かって居るから我慢して欲しい」と言っていた。2時間も待っただろうか?大社さんと三原さんには本当に迷惑を掛けたと思う。駐車場にトレーラーハウスの影と自分達自身の影が横に長く伸びる頃、漸く二人は戻って来た。


「自分達は普通の振る舞いをした積りだが、日高に悪い事をした。日高に謝る。これまでに使った交渉のテクニックは、今後は日ハムの為に使うから、それに免じて許して呉れ」と言って居る、と言う。何と言う事か。しかし小生の怒りはその言葉を聞いても全く冷めなかった事を記憶して居る。事の次第を聞いた大社さんと三原さんから慰められ、小生は渋々トレーラーに戻った事だった。

小生に謝ったゲーブ・ポール社長は、球団オーナー・シュタインブレナー氏の球界復帰後、クリーブランド・インデアンスのオーナーを経て、今は鬼籍にあるが、小生に言った事をその後の行動で立派に守って呉れた、と懐かしく思い出す。

日ハムからのヤンキース球団への派遣社員はニューヨーク球団事務室ではなく、何とヤンキース社長室の中で専用机と電話を貰い、専用電話を社長電話と繋いで貰って、ポール社長の外部との電話交渉を全部傍聴しながら、球団経営の勉強をする機会を与えて貰った。

勿論社長室を訪ねて来る全部の訪問客に紹介して貰い、直接球界情報を握る機会を得た。2006年日ハムは日本シリーズで中日に勝って両リーグを跨ぐ全国覇者となり、故大社オーナーの思いに応えた。

小生は今、毎月先の無い階段を上る気持ちだが、昔も今も商社採算の厳しさには変わりないが、何となく昔は「ロマン」があったのかな、と感ずる今日この頃である。

最後に現代に連なる老人の繰り言を一つだけお許し願いたい。

                           (次号完結)

◆支援ないなら開催地返上

名村 隆寛



韓国・平昌そり競技場進捗は12% 「東京五輪共催」は根拠ない希望的観測?

【ソウル=名村隆寛】平昌冬季五輪のそり競技を日本と「分散開催」する案に関し、韓国国内では波紋が広がっている。8日のIOC臨時総会で承認された一部競技の分散開催について、韓国の文化体育観光省や平昌五輪組織委員会は、競技場の工事が始まっていることなどを理由に、「(今さら)不可能だ」などと反対している。


韓国メディアによると、平昌のそり競技場の工事進捗(しんちょく)率は12・5%で、建設予算は1228億ウォン(約130億円)。競技場の建設費用は、韓国政府と五輪組織委が75%、平昌を抱える江原道が25%を負担するが、江原道の財政自立度は韓国では最低水準だ。

大会終了後に発生する莫大(ばくだい)な負債を懸念する江原道は、地元の負担軽減を韓国政府に求め続けており、「政府の支援が増えないのなら、開催地を返上する」との主張まで出ている。

3度目の立候補でようやく五輪開催を招致した江原道に対しては、「減らせるものは最大限に減らさねばならない」(中央日報社説)と、財政規模に合わせて開催費用を削減するのが責任ある取り組み方だとする意見もある。


一方、そり競技の日本開催の代わりに東京五輪の一部競技が韓国で開催される、との根拠のない希望的観測も国内では広がりつつある。朝鮮日報は東京発で「日本では冬季五輪の招致には期待しているが、議論が東京五輪の韓日分散開催に及ぶことを警戒している」と伝えた。

産経ニュース【五共催論】2014.12.10

◆中国「内向きメンツ外交」の核心

石 平



中国「内向きメンツ外交」の核心 「習外遊」人民日報?大々報道?の理由

先月15日から23 \日にかけ、中国の習近平国家主席はオーストラリ ア、ニュージーランド、フィジーの3カ国を公式訪問し、いくつかの国際 会議に出席した。その期間中、人民日報の報道は実に興味深いものであった。

訪問開始の15日、まず1面で習主席の現地入りを報じ、主席がオース トラリアの新聞紙で発表した文章を掲載した。16日、1、2面の約7割 のペースを使って習主席の20カ国・地域(G20)首脳会合出席を大々 的に報じ、会議での主席講話を全文掲載。17、18日、1、2面はまた もや習主席によって埋め尽くされた。

それ以来、22日まで習主席が人民日報の1面を完全占領。23日には 1、2面を丸ごと習主席報道に充てた。

中国最大の官製メディア人民日報が、習主席の外遊報道にどれほどの熱を上げているかがよく分かるが、それは人民日報だけでなく、中国全メディアの傾向である。

よく考えてみれば、それは実に不思議なことだ。主席の外遊はそもそも、外国の指導者や国民に働きかけるための外交活動のはずだが、人民日報の報道は諸外国を対象としたものではない。

外国の指導者や国民にしても、人民日報を自宅でとっているわけでもない。報道はどう考えても、中国国内の読者だけを強く意識したものであろう。

主席の外遊活動を自国民に大々的に報道しなければならない理由は一体どこにあるのか。それを説明してくれたのは、ほかならぬ習主席自身である。

このような異質な中国流の外交理念は、中国外交の危険性を増すと同時にその最大の弱点にもなろう。体制維持のために常に国民に向けて「強い中国」を演じなければならないから、中国外交は柔軟性を欠いて冒険的な強硬姿勢に走ることが多い。

一方、「外交的勝利」に焦って暴走した結果、中国自身の外交的孤立を招くことも往々にしてある。中国外交は決して、よく言われるような老練、老獪(ろうかい)な側面だけではないのである。

日本としては、中国外交のこうした特異性をきちんと認識した上で、さまざまな駆け引きの場面で、彼らのメンツや焦りを冷静に見極め、うまく利用すればよいのである。
                  


【プロフィル】石平

せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。
産経ニュース【石平のChina Watch】2014.12.11


◆「痴呆」から「認知症」へ

向市 眞知



有吉佐和子さんの小説「恍惚の人」でボケ老人が話題になって、何年が経つでしょうか。「ボケ」も「痴呆」もやはり不適切な呼び方だと思います。やはり「認知症」「認知障害」が、用語としては適切と思います。
 

<脳生理学によれば、脳の神経細胞は140億個というとんでもないたくさんの数だそうです。しかし、実際に働いているのは40億個だけ。脳は20歳頃に発達を終え、脳のピーク時の重量は1400gだそうです。20歳のピークを過ぎると、1日に10万個ずつ脳の神経細胞がダメになっていき、脳細胞の数は日に日に減少。
 

1日に10万個、1年365日で3650万個が失われていき、10年で3億6500万個が失われ、30年で約10億個が失われる計算になります。すなわち20歳で40億個働いていた脳の神経細胞が50歳で30億個になり、80歳で20億個になる。つまりピーク時の重量より100gも重量が減るのです。>


この話を知った時、物忘れがひどくなって当たり前と納得してしまいました。一生懸命考えても考える脳の量が減っているのだから、思い出せないし覚えられなくて当然と思ってしまいました。人の名前が出てこない、ふと用事を思いついて立ってみたものの「さて何をするつもりだったのか?」わからなくなってしまう。まさしく老化の入口なのでしょう。


しかし、「認知症」となるともっともっと記憶の障害が強くなるわけです。よく言われるように自分が朝ごはんを食べたことさえも忘れてしまう。とすれば、一瞬のうちに自分のしたことを忘れてしまうという、とてもつらい体験のなかで暮していることになります。
 

1週間前の記憶、昨日の記憶、今朝の記憶も忘れてしまう。自分のしたことを忘れて記憶していないということは、記憶喪失に近い感覚で、体験の積み重ねができないことになります。

すなわち毎日毎日新しい体験ばかりが自分に降りかかってくるという、緊張とストレスの連続の中で生きてゆかねばならないことになります。そんな認識の中で生きている高齢者の辛さをまずわかってあげてほしいと思います。


「認知症」の人が、それぞれの脳に残された能力の範囲で一生懸命に世界を認識しようとしている。私達からみればその世界が非現実的でまちがっている世界であっても、高齢者からすれば他に考えようのない現実なのです。それを頭から否定されたらどうしてよいかわからなくなって、混乱におちいってしまうことになります。
 

「認知症」の人への対応の奥義は「(相手を)説得するより(自分が)納得する」ことです。しかし、だんだんと世の中の決まりごとを超えた行動をとりはじめるのが、「認知症」や「精神科疾患」の特長です。客観的に見ればありえない話が患者さんを支配します。


もの取られ妄想とか、しっと妄想といわれる行動です。たとえば妻が「ここに置いてあった財布を知らないか?」と夫にたずねたとします。夫が「知らないよ。見なかったよ。」と答えます。


夫の答えに対して通常妻は「おかしいなあ、どこへ置いたのかなあ。」と自分の態度を修正するのです。しかし、「認知症」となると自分の態度が修正できません。夫の「知らない。見なかった」という答えに対して「おかしい?!私の財布をとったな?!かくしたな?!」と思い始めるのです。
 

今のところ「認知症」に対する効果的な治療は見つかっていません。まず周りの者が「認知症」を理解し、対処のしかたを身につけることが現実的な道です。そして、その対処の仕方を授けてくれるのが、医療や介護の専門家です。


「老人性認知症疾患センター」という相談機関があります。精神科のある総合病院などに設置されており、大阪全域の場合、9ヶ所の病院にあります。ここでは、「認知症」についての診断と、医療・福祉サービスの情報提供を行っています。まずしっかりと診断を受けないことには対処方法も立てられません。


介護保険をはじめ福祉サービスをうける場合も、入院や施設入所をする場合も、すべて医師の診断書がなければ利用できないことをご存知でしょうか。診療をうける必要を感じない「認知症」の本人を診察につれて行くことが最大の難関となります。もし高齢者に認知症状を疑われたら、本人の身体に関する訴えに注意しておきましょう。


「もの忘れがひどくなった」とか「夜ぐっすり眠れない」という症状は、案外本人も自覚しているものです。それを理由に「受診」をすすめてみましょう。最近は「精神科」という看板ではなく、「もの忘れ外来」という看板をあげている病院もふえてきています。


「おしっこの出が悪い」でも何でも構いません。ご本人の訴えをもとに医師に診てもらうチャンスを作り出してください。精神科でなくても内科系の開業医でも「認知症」の理解はあります。受診にこぎつければ、医師は検査や服薬をすすめてくれます。


「おかしい」と気付いた家族が、本人の診察の前か後かに医師へ本人の在宅の様子を伝えておけば医師は上手に診察をしてくれます。家族の方々も皆それぞれに生活があるのですから、その生活までもが脅かされる問題行動が続く場合には、施設の利用も考えていかざるを得な
いと思います。         (了)   ソーシャルワーカー

2014年12月11日

◆米国のアジア政策見直し

Andy Chang


11月4日に米国で選挙があり、オバマと民主党が大敗した。29日には台湾で大型選挙があり、国民党が大敗した。14日には日本で衆議院選挙がある。自民党が優勢を保つことが出来ればアジア情勢は大きく変わり、米国もアジア政策を見直さなくてはならないだろう。
米国の政策見直しより日本がもっと強い国になることを願っている。


投票前に中国は西太平洋で海軍の演習を行うなどで自衛隊のスクランブルが何度も起きた。言うまでもなくアジアの政情は全て中国の覇権強奪行為に対応することである。中国の覇権行為を抑えることが日本と米国の課題である。だから日本が自衛力を持つ事が大切な
のである。

オバマは中国に宥和的態度を維持し、日本、台湾、フィリッピンなどの抗議を応援しなかったが、米国で共和党が勝利し、台湾で国民党が敗北したあと、自民党が勝利すれば米国はアジア政策見直しが必要となる。

●米国と中国の覇権闘争

半世紀以来、米国は世界の覇者だったが、中東政策の失敗で米国が衰退し、中国は二極覇権を目指してアジアの覇者を唱えるようになった。中国の度を過ぎた覇権行為はアジア諸国が受け入れない。

米国がアジアにおける影響力を維持するためにはアジア諸国との関係見直しが必要である。アジア諸国の主張をもっと尊重すること、米国の勢力範囲から中国に傾斜せぬよう腐心すべきである。


覇者となる条件は三つある。武力、政治力と経済力である。武力において、米国は朝鮮戦争では勝利したがベトナム戦争では負けた。中国と戦争して勝てるかといえば勝ち味はない。海と空のバトルでは勝てるがそれ以上ではない。しかも米国は今でも尖閣や南シナ海
における中国の覇権進出を抑えていない。

米国は韓国と日本に基地をおいているが、フィリッピンのスービック・ベイ基地を失った。台湾に海軍と空軍基地を置けば日本に対する依頼度を低める事が出来るが中国の反対を恐れて出来ない。馬英九は台湾の防衛力を極度に低下させたので戦う能力はなくなった。それでも米国は中華民国を支持して台湾独立に反対である。米国はいまこそ台湾政策を改めるときである。


アジアで最も大切なパートナーは日本であり、最も大切な島は台湾である。米国はこれまで日本に冷淡すぎて韓国や中国を優遇し過ぎていたが、これから早急に日本をパートナーとしなければならない。台湾政策において米国は人民の政治運動を支持して国民党独裁に反対すべきである。国民党を倒せば台湾に基地をおくことが出来る。

●覇権国でなく同盟国を作れ

これまで米国のアジア政策は諸国の防衛と経済援助で軍事政治経済の各方面で親分として振舞ってきた。だが米国のアジア政策は子分を優遇せず敵に軟弱だった。日本が自衛力を持つことに反対、憲法改正にも反対の立場を維持してきた。


中国の経済発展が進み、軍事力が増強するにつれて米国は日本の基地だけではなく日本の軍事力が必要になった。しかし米国の日本に対する高圧的態度は変わっていない。米国ばアジアで最も頼りになる日本に冷淡で、韓国や中国の反応に怯えている。このような政策
を早急に改善し、日本が自衛力を持つ同盟国とするアジア政策を取るべきである。


米国が沖縄基地の半分を失ってグアムに移転すれば中国を抑えることができるのは日本の自衛隊だけである。沖縄基地は米国のアジア政策の重要課題である。沖縄の経済は日本政府と米国基地の存在に頼っている。沖縄問題を円満に解決し、日本政府と協力して沖縄住
民の基地反対運動の解決に尽力すべきである。

●経済問題と中国依存

トウ小平は共産主義を棄てて独裁資本主義を導入し、中国の安い労賃を利用して30年で大きな経済発展を遂げた。アメリカは輸入大国で台湾や日本は製造大国だったから中国の安い労働力で大いに儲かった。

中国は儲けた金を軍備発展に使って覇権大国となり、諸国に迷惑をかけるようになった。更に中国の労賃が高騰したので各国は製造業をベトナムやインドネシアなどに移転するようになった。

中国投資は政府のコントロールが強く政治的圧力が強い。李登輝、陳水扁の時代は中国投資を抑えていたが、馬英九時代になると中国投資が増えて中国の政治的圧力を受けるようになり、台湾併呑も時間の問題と言われている。アメリカの危機、アジアの危機である。

●米国は間違った外交政策を正すべきだ

日本の選挙の結果がどうであっても、日本は正しい国家として自国防衛が出来る、軍事的に米国のアジア防衛を援助する同盟国になるべきである。アメリカは強い日本を奨励すべきだ。


米国一極覇権の時代は終りに近づいて中国の覇権主張を抑えることが重要課題となった。米国がアジアで影響力を維持するためには日米同盟が必要である。従来の影響力を保つためには安保条約を改定し日本を同盟国として尊重すべきである。「ノーと言える日本」の時
代は終わった。これからは「ノーと言う日本」になって欲しい。

台湾問題でも大幅な政策変更が必要である。今回の選挙で国民党が壊滅的な負け方をしたのは台湾人の反中国の証拠である。米国は従来の国民党支持で現状を維持する政策を変更すべきだ。

2012年の総統選挙で米国はダグラス・パールを台湾に派遣して投票前に国民党指示を表明したため、民進党の蔡英文が落選した。明白な政治干渉で米国は台湾人の恨みを買ったのだ。

だが国民党が敗退したので再来年の選挙で米国は国民党を支持することはないと思われるが、米国が反省しないかもしれない。米国は過去において蒋介石を支持、国民党を支持、馬英九を支持したが、これらはみんな米国の間違った選択であった。

日本と台湾は米国の最重要な同盟国である。同盟国に冷淡で敵国に宥和政策を採ってきた米国、民主主義を唱えながら独裁者を支持してきた米国は間違いを正さなければならない。

台湾では既に来年の立法院議員と再来年の総統選挙に向けて活発に動き出している。国民党が敗退すれば今後の中国依存はさらに薄れるだろう。米国の台湾政策も台湾人の反中国と独立志向に注意しなければならない。

◆「アラスカ無宿譚」(8)

日高 一雄



長くなったが、最後に「商社の野球」の話はどうだろう?野球と言っても後楽園で毎年開催される「財界人野球」ではない。米国の名門ヤンキース球団と、1973年日拓から球団買収して成立した現北海道日本ハム・ファイターズ球団との、30年続いた球界初めての球団同志の業務提携の話である。


之は1975年であった。1970年、当時無名の「日ハム」は高松から大阪に進出したが、三菱では大阪支社が動いて三菱が日ハムの筆頭株主となって応援する事となり、当時の大阪支社食糧部長故三村庸平氏(後の社長・会長)からの要請で、東京本社では小生が故大社義則社長と常時情報交換し、大社氏と付き合う事となった。


日拓改め日ハム球団は実に弱かった。故大社社長は何とか強い球団を作りたくて、或る時(東大)野球部出身の小生に球団強化策の相談があり、小生は成算があった訳ではないが、米国球団との業務提携案を出した。故大社社長は経営的に球団経営を軌道に乗せ、且つ若手選手の訓練機会と優秀な米人選手を欲しいと考えていた。


小生は本社在勤4年で再度米国赴任となり、1974年米国三菱ニューヨーク本社に向かった。三菱としての仕事が落ち着いた所で、1975年早々だったと思うが、ヤンキース首脳に「日本ハム・ファイターズ」との提携話を持ち掛けたが、ヤンキース側も、他国の球団提携とは初めての事とてコンセプトが全く理解出来ず、提携話は最初から困難な仕事であった。

時にはお前の英語の「ハム・ファイターズ」はおかしい、その言葉は英語の語彙には無いから、多分(Hand Fighters )の間違いだろう、と言われた事もある。


ヤンキース球団側は、本件の取り扱いは社長扱いを面倒と見て、実務担当の専務を三菱の相手として指定して来た。小生はタル・スミス専務(後のテキサス・レンジャーズ創立者―現在ダルビッシュが在籍)との厳しい交渉を何ケ月か重ね、兎にも角にも一応の契約原案の如きものを纏めた。

交渉には常時三菱側の弁護士も参加させた。正直に言えば、業務提携とは言っても、これに依ってヤンキース側が日ハム球団から得るものは何も無かったと言っていい。それ故に交渉は困難であった。


日ハム側は言わば球団経営のド素人で、ヤンキースの球団経営方法のポイントを知る事、プレイヤー対応のノウハウを得る事、米国に若手有望選手を送って訓練して貰う事、その為名門球団内に日ハム職員を一人入れて貰う事、は大いにメリットがあった。此の面倒な要請を小生はスミス専務との交渉で、何と年間10万ドルと言う、信じられない程の安い金額で話を纏めた。

大体の契約内容が固まり、頃は良し、と1975年冬、東京から飛んで来た故大社義則オーナー、球団の故三原修社長と三菱から顧問弁護士を連れて、冬のヤンキース・フロリダ・キャンプに調印に行った事を思い出す。


ヤンキースが球場の駐車場に留めて事務所として使用していたキャンピング用 のトレーラーハウスに我々一行が入った時は、我々は調印式と思ってい た。しかし、トレーラーハウスに入った途端に故ゲーブ・ポール社長か ら、「こんな話は一切聞いていない、契約なんて飛んでも無い」と言う言 葉を聞き、仰天した。
                    

此の言葉を聞くと同時に小生は怒り心頭に達し、先ず話を大社氏、三原氏に通訳する事を忘れて、言葉が先に勝手に口から飛び出して仕舞った。「驚いた。こんなアメリカ人には今日まで会った事が無い。契約はこちらからお断りする」と言うと共に体が反応して、トレーラーから飛び出して仕舞ったのだった。大社さんと三原社長は相手の英語も、小生の英語も分からず、ウロウロするだけだったが、小生は「兎に角、外で説明するか
ら、一緒に外に出て呉れ」と頼んだ。(つづく)

◆プーチン大統領の連邦議会演説

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

平成26年(2014)12月8日(月曜日)
    通巻第4414号 

 
〜「ロシアの長期的繁栄は約束されている」とプーチン大統領
 「ルーブルの下落は投機筋のスペキュレーションだ」と連邦議会で演説〜


西側の制裁により、経済が陰った。加えて原油市場の下落はロシア経済のアキレス腱を打って通貨ルーブルは秋から3割前後も崩落した。

ウクライナ経由のガス輸出は激減し、産油国の意図的な原油価格値下げが追い打ちをかけて、ロシア経済は元気をなくしている。

それでもプーチンのロシアは意気軒昂である。

プーチン大統領は12月4日、連邦議会1100名の議員をあつめて、クレムリン宮殿で演説した。

「ロシアは成熟した国家であり、『名誉』をもとめ、『正義』を確立するための行動をとる。2014年の政治的成果はクリミア再統合であり、偉大な文明を永遠に尊重したい。

ロシアは同時に多元的価値観を尊重し、周辺国を尊敬しているが、ウクライナで起きている『人権』と『暴力沙汰』は西側の偽善である。ロシアはウクライナに320億ドルの経済支援をしており、これからも継続されるだとう」として欧米のウクライナ支援とロシア制裁を強く批判した。

また西側のロシア経済制裁は、「対抗したロシアの農作物輸入禁止、ガス輸出減によって制裁側にも大きな被害をもたらしているのであり、自らの孤立をロシアは望まない」とし、自らが孤立の道を歩むのは弱さの表現である(つまりロシは欧米の制裁には屈しない)。

またルーブルの暴落に関しては「欧米投機筋のスペキュレーションであり、ロシアは変動相場制度を変更しない」と高らかに否定した。

ロシアナショナリズム丸出し、しかし、これがロシア人の結束と団結を促していることは事実である。

武器開発にしても「ロシアは最新鋭の武器開発レースには加わらない。ロシアはすでに軍事大国であり、ロシアの超大国としての位置は変わらない。米国のミサイル・デフェンスはロシアへの脅威とはいえ、話し合いの扉はいつでも開いている」と付け加えた。

「成長ゼロ」という西側の仕掛ける「罠」には嵌らず、今後の成長は露西亜国民それぞれの資質に帰すものであり、組織依存、無責任という過去の過ちを克服する努力を怠ってはなるまい、とプーチンは道徳家の門限もわすれずに付け加えた。

ロシアが目標としているのは健全はファミリー、すこやかな国家である。伝統を受け継ぎ、前向きに安定社会を建設し、同時に進歩を追求し、いずれの国家も尊敬し、長期的国家戦略もとに前進すれば、繁栄に導かれるだろう」として演説を締めくくった。
 

◆私の[身辺雑記」(169)

平井 修一



■12月8日(月)。朝は室温10.5度、快晴、フル散歩。

大東亜解放戦争開戦日。国旗を掲揚し、忠魂碑に献花と献杯、感謝を述勇気を下さいと祈る。銀杏が見事な黄色に燃え上がっている。「開戦の詔
書」から。

朕茲(ここ)ニ米国及(および)英国ニ対シテ戦いヲ宣ス。(中略)

剰(あまつさ)ヘ与国ヲ誘(いざな)ヒ、帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ、更ニ帝国ノ平和的通商ニ有(あ)ラユル妨害ヲ与ヘ、遂ニ経済断交ヲ敢(あえ)テシ、帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ。

朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ回復セシメムトシ、隠忍久シキニ弥(わた)リタルモ、彼ハ毫(ごう)モ交譲(こうじょう)ノ精神ナク、徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延(せんえん)セシメテ、此ノ間却(かえ)ッテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ、以テ我ヲ屈従セシメムトス。

斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ、東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ帰シ、帝国ノ存立、亦(また)正(まさ)ニ危殆ニ瀕セリ。

事既(ことすで)ニ此ニ至ル。帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、蹶然起ッテ一切ノ障礙ヲ破碎(はさい)スルノ外(ほか)ナキナリ。

皇祖皇宗(こうそこうそう)ノ神霊、上(かみ)ニ在リ。

朕ハ汝有衆(ゆうしゅう)ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ、祖宗(そそう)ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ、速(すみやか)ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ、東亜永遠ノ平和ヲ確立シ、以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス。(以上)

当時、戦争は1年ほどで講和するのが普通だったが、4年にもわたって大いに苦戦した。白人帝国をアジアから駆逐するという大義を達成したが、世界のあり方を変えたという意味で一種の世界革命だったろう。1500年代から400年以上にわたって欧米が版図に組み入れた植民地が大和民族の勇武により一掃されたのだ。世界史的な大事件だった。

この大戦争で日本は疲労困憊したが、終戦から11年目で「もはや戦後ではない」と宣言し、鉄砲の代わりに算盤を持った企業戦士が世界中で商戦を繰り広げ、22年後の1967年には自由世界で第2位の経済大国になった。まさに奇跡だ。こんなことは日本人以外には絶対無理だ。


今、世界が新しい秩序を模索している。「東亜永遠ノ平和ヲ確立シ、以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス」。日本が再び世界革命をリードする時代になるだろう。

■12月9日(火)。朝は室温10.5度、快晴、フル散歩。

韓国の経済ジャーナリスト、梁充模(ヤン・チュンモ)氏の論考「韓国の止まらない対日輸出の減少と日本人観光客の減少」(Japan In-depth)は勉強になった。

<ウォン/円レートが10%下落して円安が進めば、韓国の年間輸出は大体約3%減少する。韓国と日本では競争分野も多く、韓国の100大輸出品目のうち半分が日本の100大輸出品目と重なっている。日本のメーカーが、円安から生じた価格競争力を利用して、欧米などの巨大市場で攻勢を強めれば、韓国企業が苦戦するのは火を見るよりも明らかだ。

既に、穏やかならざる兆候が出始めた。これまで技術よりも低価格を売りにして海外で展開してきた分野、例えば自動車産業で、暗雲が垂れ込め始めたのだ。

去年、韓国産自動車の対日輸出は減り、輸入が増えた。円安基調では当然の結果だ。特に輸入の増加は、日本メーカーの価格引き下げが主因だった。トヨタは4000万ウォン代のモデルの価額を3000万ウォン代に引き下げた。そうして輸入が増えた結果、韓国産自動車の国内販売は減少することとなった。

低迷している国内販売よりさらに問題なのは、海外輸出だ。円安のため、先進国市場での価格差が縮まっているからだ。トヨタのカムリと、現代(ヒュンダイ)のソナタの価格差は、2012年の1700ドル(約14万7千円)から去年192ドル(約1万9千円)まで縮小した。消費者としては、192ドルは無視できる水準だ。

市場では、日銀の追加量的緩和と米FRBの年内金利引き上げを予測している。両国の逆の動きは、円安傾向を強める。その分、韓国企業には負担になるのだ。

韓国の輸出企業は、円高だった頃の日本企業から何か学ぶことがあるかもしれない。当時、日本企業はコスト削減だけではいけないと考え、R&Dを強化した。これは今の利益の上昇と株価の値上げに繋がっている。これが韓国の企業にとって、ピンチをチャンスに変える知恵になるのではないだろうか>(以上)

実に具体的で分かりやすく、かつ冷静な分析だ。氏は1983年生まれの31歳と若いながら、韓経ビジネス、週刊東亜、政府刊行物などに寄稿中という。反日病のバカばっかりかと思っていたが、まともな韓国人もいるんだ! びっくりした。

■12月10日(水)。朝は室温11度、快晴、フル散歩。昨日から集団的子育てで、せっかくだから旨いものをとミックスフライなどで張り切ったもので、いささか疲れた。疲労が蓄積し、今日は午後3時まで呆然自失という感じだが、飲み過ぎという面が強い。改めないとかなりまずい。

夕食は7人でアジの味噌煮、八宝菜、茶わん蒸しなど。どうしても張り切ってしまう。かなり疲れた。手抜きを学ぶ必要があるだろう。
(2014/12/10)

  
         

2014年12月10日

◆日本は古くて、新しい国だ

加瀬 英明 


11月に大相撲の九州場所の千秋楽で、白鵬関が鶴竜関に勝って、32回目の優勝を果した。

私は白鵬関が賜杯を手にした後に、土俵の下でNHKの優勝インタビューにこたえた言葉に、深く感動した。

白鵬関はそのなかで、「相撲の神様に感謝します」といい、声を張りあげて、「天皇陛下に感謝します!」と述べた。

私は「相撲の神様」「天皇陛下に感謝します」という言葉を、久し振りに聞いた。

私たち日本人は、太古の昔から八百万(やおろず)の神々に囲まれて、生きてきた。

今日では、相撲は日本語に入った英語を借りて、「スポーツ」と呼ばれているが、本来は神を祭る神事(かみごと)である。

私はテレビを通じて、相撲を観る時には、敬虔(けいけん)な思いにとらわれる。

土俵はリングではない。神聖な場だ。力士は土俵を踏む前に、力水(ちからみず)と呼ばれる清(きよ)めの水で、口をすすぐ。神社にお参りする前に、口をすすぐのと同じことだ。

土俵を造るのに当たっては、神主を招いて、厳粛な神事が行われる。

まず、真ん中に10センチ四方ほどの穴が掘られて、神にお供えする米、勝ち栗、昆布などを埋めて、お祓(はら)いをしたうえで、土俵の四隅にお神酒(みき)と塩が撒かれる。

力士が足を高くあげて、土俵を踏みつける所作は、四股(しこ)と呼ばれる。五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って大地を踏みしめて、地中の悪霊を払う意味がある。日本民族は、稲作によって生きてきた。

両国の国技館のまわりに、相撲部屋が点在しているが、土俵が造られるたびに、「土俵祭」と呼ばれる、同じ神事が執り行われる。

このような形を、過ぎ去った昔のものと思って、捨ててはならない。日本の宝である。

私は白鵬関が「相撲の神様に感謝します」と述べたのに、胸が熱くなった。

その前に、白鵬関はNHKのアナウンサーに、「ちょっと、モンゴル語で話したい」といって、モンゴルで中継を観ている両親と、国民に向かって、「両親と母国の人々に、深く感謝します」といった。

 日本人の最古の信仰である神道をはじめ、日本のあらゆる信仰は、感謝に基いている。感謝の念が、日本人を日本人たらしめてきた。

日本を特徴づけてきた「和」の精神は、感謝の心がつくってきた。

天皇への感謝、国、祖先、隣人、親、いま自分があること、夫、妻、兄弟への感謝の心である。日本は感謝しあう、美しい国なのだ。

大相撲の土俵のまわりには、注連縄(しめなわ)が張られて、白い御幣 (ごへい)が下っている。神聖な場に、不浄なものの侵入を禁ずる、印(し るし)である。

刀鍛冶(かじ)や、研(と)ぎ師の作業場、日本酒の醸造所、新築にあたっての地鎮祭の祭場をはじめ、ビルの屋上にある祠(ほこら)、多くの場で注連縄と御幣が、張りめぐらされる。

日本語には、明治に入るまで「神話」という言葉が、存在しなかった。「ふること」といって、「古事」という漢字が当てられた。

「神話」は、英語の「ミソロジー」という言葉が入ってきた時に造られた、明治翻訳語である。明治訳語ともいわれる。

皇居では、天皇陛下が日本の祭主として、秋の新嘗祭(にいなめさい)には、日本民族がまだ文字を持たなかったころから伝わる、古い神事を行なっておいでになる。ふることは、今日まで継(つなが)っている。有難いことだ。

◆「アラスカ無宿譚」(7)

日高 一雄



例えば1969年に立ち上げた「ケンタッキー・フライド・チキン」は、契約自体は既に本部長補佐職によって成立した後であった。本来なら飼料畜産部長の案件だが、新設開発部として最初の案件となった。

しかし当社は立ち上げ当初から営業は絶不調の日々で、店舗は毎月赤字続き、設立1年後の決算は赤字、2年目は1号店閉鎖となり同年決算は早くも債務超過状態となった。小生にとって頭の痛い存在だったが、之は減資・増資によって切り抜けた。

所が1973年には早くも2回目の債務超過状態となったのである。最初の2店舗が赤字続きで、而も、或る時点で店を閉鎖したのだから、除却損が発生し、損失増加は当然ではあった。この状態をどう解釈し、今後如何に処理するか?

当時、商事には非営業部長10人で構成する投融資委員会と言う買収、新規投資案件を審査する機関があり、資金移動を伴う一切の案件は此の委員会の承認を条件として居た。

小生としてはKFC事業の最終的成功に自信は無かったし、2回目の減資・増資申請をすべきか、どちらかと言えば迷いの雲であった事を白状する。ままよ!と言う感じで2回目の減資・増資申請書を出したが、案の定、事務局段階で門前払いであった。

漸く何とか受け付けて貰って書類を出したが、委員会審議で簡単に却下されたのは或る意味で当然であろう。小生は引き下がる以外方法が無かった。但し、却下ではあるが、余りに馬鹿馬鹿しいから、これは申請自体が無かった事にする、と言う決議であった。

それから出発して如何にして社内事務局を説得し、委員会を説得し、最後に2回目の減資・増資の承認を得たか?結論を言えば、時間と競争しながら、結果的に小生は2回目の減資・増資の許可を得たのである。

4−5年前にKFCJの設立記念日に同社に招待され、隣に座った商事の小島会長に、当時の投融資委員会で小生が如何に2度に亘る減資・増資の承認を得る為に苦労したか、話をしたら、目を丸くしていた。

商事幹部には当社の2度の減資・増資の話は伝わっていないらしい。小島会長は今だったら「此のケースは先ず手仕舞いが原則であり、1回目の減資・増資はありません、増してや2回目とは!」と絶句していた。

2回目の減資・増資申請書を委員会に提出した時、10名もの非営業関係の論客揃いの投融資委員会委員が、一度は却下しながら、何故それを承認したのだろうか?

今、東証第1部上場会社となって活躍して居るKFCJの経営魂の根源と成功の眞の理由は、此の投融資委員会を構成していた当時の三菱商事の財務、主計、審査、業務ら各非営業部長らの「ロマン」の集計では無かっただろうか?後に有名になった大河原社長は此の時点では店舗勤務だった。2回目の減資・増資以降は、同社は順調な成長を遂げた。

当時、商社は何でも屋で有名であり、取扱商品たるや、良く「ミサイル」から「ラーメン」までと言われた。ニューヨークでラーメン・チェーン「どさんこ」を開店し、大成功を収めて17店まで拡大した最初の店は、マジソン街に1974年に開店したものだった。

此の物件では2階に寿司屋(車寿司)とマージャン室を作り、マージャン室は、夜は確かにマージャン室だが、昼は階下が満席の時はラーメン食堂となった。当時のNY駐在員で寿司屋とマージャン室を利用した方も多かろう。小生は1号店を自ら立ち上げたが、日本からのオーナーの青池社長一家の到着を待ち、引き継いで2年で同社経営から手を引いた。(続く)
      

◆台湾で何が始まり、何が終わるのか?

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 


<平成26年(2014)12月9日(火曜日)通巻第4416号 >


 
〜台湾で何がはじまり、何がおわるのか?
  台北市新市長が政敵ナンバー2を大抜擢〜 

柯文哲・次期台北市長はなんと政敵であるはずの宋楚瑜・親民党主席に筆頭顧問を要請した。これは台湾政界の珍事?

国民党の連勝文候補を大差で破って台北市長に当選した柯文哲が親民党主席の宋楚瑜に市筆頭顧問を要請し、宋が快諾したという。

もとより選挙参謀には中国との統一をめざす中華思想に凝り固まった「新党」の立法委員経験者がついており、イデオロギー超克しようという柯文哲特有な人事は珍しいこととはいえないのだが。。。

宋楚瑜は元国民党秘書長であり、「台湾の田中角栄」といわれたほどの実力者だが、国民党の内紛で飛び出し、親民党を組織してきた。国会に同党は三人の議席をもち、李登輝元総統率いる台湾団結連盟と同議席数を誇る。

李登輝時代でも国民党政権であったから外省人を多数登用していたし、馬英九も李登統時代に法務大臣のポストにあった。

しかし、こうした動きは表層の珍事なのか、それとも画期的な何かがはじまるのか?

◆橋龍+翁長+習≒普天“魔”?

平井 修一



元・南西航空混成団司令(沖縄)で軍事評論家の佐藤守氏のブログ11/27から。そもそも普天間返還は無理筋だったのだという論だ。

<沖縄県知事選挙で、普天間問題がまた振り出しにもどったかのように見えるが、“傲慢かませる”わけではないが、1997年7月に、沖縄で退官した私に「沖縄問題がさっぱり見えないので解説してほしい」と依頼があり、現地にいた私の個人的見方と、得ていた情報(報道とは全く正反対の)をまとめて送ったところ、さっそく取り上げられて雑誌「諸君」(1998年4月号)に掲載されたことがあった。


タイトルが「前自衛隊沖縄連絡調整官が初めて明かす、沖縄の本音は『基地存続』=海上ヘリポートなど机上の空論! 橋本総理よ基地と共生してきた沖縄県民の本当の声を聞け」という刺激的なものだったからその後物議をかもしたらしく、まさか後輩の幕僚長から≪基地立ち入り禁止命令≫が出されるとは思わなかった。


『普天間基地返還』を唐突に宣言した橋本総理は、なんとなく得意げだったが、自民党が得意とする“根回し”を忘れ、肝心要の「軍用地地主会」に事前に通知していなかったことが、致命的な誤算でありその後こじれた原因だと思っているが、それを反戦左翼グループとメディアが実にうまく活用した。

この総理による“独断専行”が、未だにこの問題を決着できない原因の一つであり、沖縄の自民党がこれ以降、本土の自民党本部に対して反発を強める結果を招いたのだと私は思っている。

こうして沖縄県民は、本心とは違いつつも、ことごとく政府に反対行動をとり始めた。地代凍結になって困惑した99%以上の契約地主が一番困っていたのである。そんなことを理解もせずに、この20年間、沖縄の左翼を非難し続けてきたから、その隙にシナの諜報員がほぼ全島を制圧してしまった。

私は普天間返還は幻に過ぎない、と当時から語ってきたが、本土では一向に理解されなかった。基本的理解に欠けていた上、中にはこれで一稼ぎ…などというやましい魂胆を持っていた政治屋がいたからだろう。

あれからすでに20年、私が退官して既に18年余が過ぎたが、未だに『普天間、普天間』と○○の一つ覚えのようにうわごとを叫び続けていた県民に、その後、民主党という恐るべき亡国政権が誕生して、ルーピー総理が「すべてを白紙に戻す県外移設宣言」でとどめを刺してしまった。

やはり唐突な普天間返還は大失敗だったのだ。誰が橋本総理に知恵をつけたか知らないが、いずれにせよ無責任な[戦犯]であることに間違いない。

この間、県民が騒げば騒ぐほど国民の税金は沖縄に流れ、潜伏中のシナがその汁を吸うという図式は変わるまい。

「馬鹿な大将敵より怖い」という所以である>(以上)

密集地にある危険な普天間を移設して跡地を返還してもらおう、という構想は理想系だったが、地代に頼っていた地主への配慮がないという点で妄 想系、夢想系になってしまった。

本土のマスコミはこの20年間、きちんと報道してきたのだろうか。今はネットがあるから変なマスコミ報道は「それは違うだろう、嘘を書くな」と叩かれるから状況はだいぶ改善しただろうが、虚報や「報道しない自由」が戦前を含めて80年近く続いたツケはあまりにも大きい。

蟷螂の斧、蝸牛の歩みだが、ネトウヨの一人として日本を除染していくしかない。

ところで普天間返還構想が持ち上がってきたのは1995年頃からだが、橋龍は96年、首相就任、当時沖縄の翁長雄志(自民党出身)は市会議員を経て県会議員だった。

翁長はとんとん拍子で市長、さらに今般知事に選ばれたが、中共の習近平は2000年に福建省長へと出世し、数回、沖縄を訪れている。東シナ海、沖縄方面担当の軍管区は福建省を基地としており、これ以降に那覇市長だった翁長と習は親交を深めたのだろう。

橋龍は98年、中共のハニートラップにかかったという醜聞が報じられた。彼はもともと沖縄への思い入れがあったといい、98年に首相を退任した後、沖縄開発庁長官や初代の沖縄・北方対策担当大臣を務めている。

中共に(弱みを握られて?)甘い橋龍、習の友達の翁長、そしてアジア覇権を狙う習の3人が同時期に沖縄にかかわっている。普天間騒動のタネを蒔いたのはこの3人という推理も成り立つ。オセロゲームのように最後に沖縄を完璧な「反日・反米・親中の島」にしたのなら、もの凄い工作だ。

沖縄は次は独立を目指して住民投票をするだろう。プーチンのクリミア強奪に倣って習が資金をたっぷり出すだろうし、必要なら武器も食糧も支援 するだろう、「人道支援の」名目で。

海上民兵の200隻の船に武器などを満載し、沖縄の漁船に移し替えることはさして困難な作戦ではない。わずか数隻の海保の巡視艇を200隻で囲んでしまえばいいのだから。最悪の事態・・・

悪い予感はよく当たるから油断大敵だ。(2014/11/29)