2014年12月09日

◆日本の政治風土を考える

加瀬 英明



総理と大統領の違い

10月に、ワシントンに戻った。国務省の元日本担当者で、国防大学の教授をつとめている友人と、昼食をとった。

すると、「安倍首相は日本にとって、久し振りに世界に通用するリーダーだ。ところが、安倍内閣は順調だったのに、どうして2年しかたたないのに、大幅な内閣改造を行ったのか」と、たずねられた。

私は「『指導者(リーダー)』という言葉は、日本語に明治に入るまで、存在していなかった。日本は決定が合議(コンセンサス)によって行われたから、リーダーという西洋語が入ってきた時に、新しい翻訳語が必要となったために、造ったものだ」と、説明した。

もちろん、日本には、今日でもリーダーはいない。

 アメリカの大統領

アメリカの大統領をとれば、本来の言葉どおりの指導者(リーダー)であって、かつて絶対権力を握っていた王に近い。

閣僚も、各省庁の幹部も、上から下まで「プレジデンシャル・アポインティ」(大統領任命官)と呼ばれて、大統領によって任命されて、その地位にいるから、全員が大統領の代理人である。一人ひとりが、“大統領の人格の延長”であるとされている。

 指導者も独裁者も輸入語

ところが、日本は歴史を通じて合議制をとってきたから、「指導者」という言葉も、「独裁者」という言葉も、明治に入ってからしばらくたつまで、存在していなかった。2つとも、いわゆる明治翻訳語である。

日本の閣僚は、首相の代理人ではない。そこで、西洋人には理解しがたいことだが、首相が与党の支持をとりつけるために、内閣を頻繁に改造して、閣僚を入れ替えなければならない。

 『雙解英和大辞典』をひいてみると

私は神田の古本屋で求めて、いまから130年あまり前になる明治25(1892)年に発刊された、『雙解英和大辞典』(東京共益商社)を私蔵している。

分厚い辞書で、1288ページにわたる。先人たちがいかに英語と苦闘したか、偲ばれる。

この辞典でリーダーleaderをひいてみると、「案内者、嚮導(きょうどう)者、先導者、指揮者、首領、率先者、巨魁(きょかい)、総理、首唱者」と説明されている。まだ、「指導者」という言葉がなかった。

今日では、「独裁者」という言葉も、日本語のなかにすっかり定着しているが、ディクテーターdictatorをひくと、「命ズル人、独裁官、主宰官(危急ノ時ニ当リテ一時全権ヲ委ネラレタル)」としか、説明されていない。

 比較宗教と神話の研究

私は比較宗教と神話の研究者であるが、世界の文化のありかたを、それぞれの宗教と神話によって、説明することができる。

 日本の神話の最高神は女性

日本神話では、女神の天照大御神が最高神でいらっしゃる。

至上神が、女性であるのは、他の主要な神話にみられない。

中国の最高神である天帝は、男だ。朝鮮の檀君(タンクン)神話の至上神は上帝恒因(ソンジェファンイン)であるが、やはり男性神である。

 ギリシアの最高神

ギリシア神話では、男性神のゼウスが最高神である。ローマ神話のユピテルも男であって、ゼウスと同じように雷を武器として、高天から世界を支配する。北欧神話の最高神で、男神のオーディンは風の神であり、「吹く」という意味だ。どの宗教も、神話も、それぞれの地域の人々が造った、いってみれば民芸品なのだ。

 インドの最高神

インドのヒンズー神話の最高神も、男性だ。古代エジプトの最高神のラーも、男性神であって、太陽神である。バビロニア神話と、ペルシア神話の主神であるマルドゥクと、アフラ・マズダーも、男性神である。

これらの最高神は、絶対権力をもっているリーダーである。

神話を古代人による造り話だといって、斥けてはなるまい。神話はそれぞれの文化を、模している。

日本神話を読むと、今日でも日本人のありかたが、あの時代からほとんど変わっていないことを、教えてくれる。

 天の岩屋戸の物語

天照大御神が、天の岩屋に籠(こも)られると、全宇宙が暗闇に閉ざされてしまった。

八百万(やおよろず)の神々が、天(あめ)の安(やす)の河原に慌てて集まって、どうしたらよいものか、相談――神謀(かむばか)る。さまざまな知恵が、講じられる。

天の岩屋戸の物語は、きわめて日本らしい。

八百万(やおろず)の神々が、「神集(かむつど)ひ集(つど)ひまして神謀(かむばか)る」が、リーダーが不在なのだ。他国の神話には、このような場面はみられない。他の国々の文化であれば、全員をまとめて決定する主神がかならずいる。

 聖徳太子が『十七条憲法』

そのはるか後の604(推古12)年に、聖徳太子が『十七条憲法』を制定した。第10条目では、「自分だけが頭がよいと思ってはならない」と、諭している。第17条では、「重要なことを、ひとりで決めてはならない。大切なことは、全員でよく相談しなさい」と、定めている。

このような衆議による伝統は、神代からあったものだ。

「神話」という言葉も、明治に入るまでは、日本語のなかに存在しなかった。

「神話」も英語のミソロジーmythologyを訳するために造られた、翻訳語である。

先の英和辞典でmythologyをひくと、まだ「神話」という訳語がない。「神祇譚、神代誌神怪伝(異教ノ)」としか、説明されていない。

 「ふること」の意味

徳川時代が終わるまでは、神話を「ふること」といった。古事(ふること)、古言(ふること)という漢字が、あてられた。『古事記』は「ふることぶみ」と、読む。

このごろでは、日本民族の成り立ちである神話を否定して、原発の「安全神話」が崩壊したといったように、現実から遊離した造りごとか、虚構といった意味で使われている。

だが、明治訳語はいまだに新入りであって、私たちから遠いところにあるはずだ。「神話」は、「ふること」と呼びたい。

 女親のふところ包む親心

男親が子どもたちに優劣を競わせて、規律を課すのに対して、女親はできる子も、できない子も均しく守って、暖かく包む。女性を最高神とする日本は、優しい文化であってきた。

 国の呼び名「母国」の暖かさ

日本では祖国を指して、「母国」としか呼ばない。英語、ドイツ語ではファーザーランド、ファーターラントという。フランス語にはラ・パトリ――父国という、表現しかない。

大化改新が行われた皇極4(645)年に、皇極天皇が詔(みことのり) を発して、「独(ひと)リ治ムルベカラズ。民ノ扶(たす)ケヲ俟(ま)ツ」 と、述べている。衆議を定めている17条憲法と、同じものだ。

このようなことは、あの時代に専制政治体制がとられていた、中国、朝鮮、ヨーロッパなどの諸国では、考えることができない。

何ごとも合議によるから、謙虚である。日本の歴代の天皇は、国土が天災によって襲われると、自分の過ちであり、徳が備わっていなかったからだといって、反省する詔をしばしば発してきた。

 天皇は民と共に

平城天皇(在位774年から824年)は、大規模な水害に見舞われた 後に、「朕の真心が天に通じず」天災を招いたが、「この災いについて考 えると、責任は朕一人にある」と詔のなかで、自らの不徳を責めている。

このような詔は、平城天皇だけに限らず、聖武天皇、清和天皇などの多くの天皇によって発せられている。他のリーダー諸国では、ありえないことだ。

江戸時代が終わるまで、上に立つ者は、頭(おかしら)、頭目、頭立(か しらだつ)、重立(おもだて)、主立(おもだて)などと呼ばれたが、合議によって、人々を統率した。

「自然」という言葉も、ネイチュアの明治訳語である。それまで、日本には人とネイチュアを区別するような、発想がなかった。

いまでは、「神話」という言葉が「古事(ふること)」を置き換えている。

西洋に傾(かぶ)くようになって、日本人らしさが失われるようになっている。

◆「アラスカ無宿譚」(6)

日高 一雄



此の件は更に後日談がある。大統領としてジョンソンの後を継いだのはニクソンであったが、彼は何と選挙資金貢献大のアラスカ州ヒッケル知事を連邦政府の内務大臣( Secretary of Interior ) に任命したのだった。

連邦政府大臣は当然、任命前に議会承認が必要で、民主党主導の議会内務委員会では、資格審査の中で「ヒッケル氏は内務大臣として不適当である」と言う意見が出され、その証拠としてアラスカ州政府時代の三菱を通しての地元民「エスキモー苛め」の問題が登場したのだった。


ヒッケル審議は異例の長時間審議となり、延々と続いて、委員会は小生を証人喚問する可能性があり、小生に対して、米国出張待機命令が出た。これは何とか免れたが、小生が愛する「傾き掛けたヒルトン」の一部屋で持参のスミス・コロナ製ポータブル・タイプイライターで打ったエスキモー漁業組合と三菱との契約書は、審議証拠書類として何と米国議会に永久保存される事になったのであった。

閑話休題。三菱商事時代、小生は色々の出来事に出会ったし、又自分でも多くの新規の仕事を作った。拙文を此処で切ってもいいと思うが、暫時お付き合い下さるだろうか。

1970年本社復帰の時点で小生は商事の制度で、課長代理にも達せぬ身分であったが、直接食糧担当副社長・常務の下で、新規事業開発担当を命ぜられた。組織的裏付けの無い個人的な拝命で部下も居なかった。

当時の商事組織では、売買は全て営業部が管理し、開発に関しては、仮に良い案件が出来れば、その案を当該商品担当の営業部長に回して実行して貰うシステムになって居た。

しかし、仮に抜群の良い案件を提示しても、部長からすれば、その案件を「多忙」でも、「利益見込みが薄い」でも、幾らでも断る理由はあった。

その時点で開発案件は死ぬ。これでは、新規商品、又は新規事業開発は難しい。新規事業を開発する為、新たに損失を出す部を作りましょう、と提案して三菱商事で初めて損失計上目的で食糧開発部を作ったのが当に1970年だった。最初の部長は何と副社長であった。之で担当商品の営業部長の判断とは関係無く、開発案件を進める体制が出来た。

例えば1969年に立ち上げた「ケンタッキー・フライド・チキン」は、契約自体は既に本部長補佐職によって成立した後であった。本来なら飼料畜産部長の案件だが、新設開発部として最初の案件となった。

しかし当社は立ち上げ当初から営業は絶不調の日々で、店舗は毎月赤字続き、設立1年後の決算は赤字、2年目は1号店閉鎖となり同年決算は早くも債務超過状態となった。小生にとって頭の痛い存在だったが、之は減資・増資によって切り抜けた。(つづく)

◆中東の泥沼はカオス

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26年(2014)12月8日(月曜日)弐通巻第4415号 >


〜ますます混戦、情報の混乱。中東の泥沼はカオス〜
  イランがISIL拠点を空爆し、イスラエルはシリアのヒズボラ拠点を爆撃


12月7日、英紙ガーディアンが「イランがイラク国境のディアラ地区F4ファントムで爆撃した」と伝えた。すぐにトルコの新聞が記事を転載した。

もし報道が正しいとすればイランが初めてISIL空爆を実施したことになる。

イラン外務省高官は「あくまでイラク政府の要請に基づくものであり、米軍との協力作戦ではない。イラクの友人の利益を保護するのが目的である」とした。

イランが空爆したディアラ地区はクルド族主体の軍隊がISILと対峙している箇所。

一方、シリアへの介入を控えてきたイスラエルだが、ダマスカス近郊のヒズボラ拠点を爆撃したとニューヨークタイムズ(12月7日)が伝えている。

ネタニヤフ政権はシリアとは対立関係にあるものの、ISILのテロ戦争とは距離を置いてきたため、イスラエル爆撃機がシリア領内へ侵攻し爆撃した事実をイスラエル政府が認めるはずがない。

ダマスカス近郊にはヒズボラ拠点があり、とくにイスラエルが空爆したのは最新鋭武器がシリアに運び込まれたため、とイスラエル筋が示唆したことをNYタイムズが報じた。

かくして中東の混乱、カオス状態。しかもサウジアラビアを基軸に産油国の減産が続き原油価格が低迷するという、従来の定石にはないことがおきている。
        

◆クネを悩ます「青瓦台ゲート」

平井 修一



日本叩きの妄言を繰り返しているうちに朴クネの尻に火が付いた。クネの「秘線(秘密裏に接触する人物)」とされるチョン・ユンフェ(空白の7時間にクネが会っていた人物と噂されている)および「大統領府の権力3人組」が政策に介入したという文書流出で浮かび上がった疑惑である。韓国では大騒動になっており、「青瓦台ゲート」でクネは辞任に追い込まれるかもしれない。各紙の論調を拾った。


<中央日報12/3 朴大統領「世の中が終える日が悩みが終わる日」

チョン・ユンフェ氏の国政介入疑惑を呼んだ青瓦台(大統領府)文書流出波紋が青瓦台内部まで揺さぶっている。チョン氏が自分を陰湿に攻撃した主体として「青瓦台民政」を挙げたのに続き、趙応天(チョ・ウンチョン)前青瓦台公職紀綱秘書官が「チョン・ユンフェ文書の60%以上は事実」と主張し、矢が権力内部に飛び込んだからだ。


そのためか、朴槿恵(パク・クネ)大統領は2日、青瓦台で開かれた統一準備委員会3次会議を終えた後、出席者と昼食会をしながら妙な話をした。

朴大統領は「聖書にもそのような話があったと記憶しているが、人は苦難が多い」とし「常に困難があり、頭を悩ませる。『世の中が終わる日が悩みが終わる日』というほど困難が多い」と述べた。


続いて「そのようなすべての人々の人生で、食べる楽しみを除けばおそらく生きていく楽しみの80%は逃げていくのではないだろうか」とし「このように討論し、頑張って仕事をしながらも、食事の時間になれば心が穏やかになり、少しリラックスしようという気になるが、最近はまた業務夕食、業務昼食があり、食事の時間さえも楽に食事をしてはいけないという風潮がある」と吐露した。

出席者はこの発言を伝え、「『チョン・ユンフェ文書』流出波紋と趙前秘書官の暴露のため穏やかでない大統領の心境がにじみ出た発言のようだ」と述べた>

<朝鮮日報12/3 【社説】越権疑惑・不可解人事、大統領府は説明せよ
文書の内容はこうだ。大統領の「秘線」の実力者とされてきたチョン・ユンフェ氏が、李在万秘書官、チョン・ホソン第1付属室担当秘書官(45)、アン・ボングン第2付属室担当秘書官(49)の3人からなるいわゆる「大統領府の権力3人組」と共に金秘書室長を辞任させる方策について話し合い、具体的な指示まで下していたというものだ。

ただでさえ与党内部からは「3人組は経済関連部処(省庁)、金融機関、国家情報院、警察などの人事を牛耳っている」といった指摘が以前から相次いでいた。3人組のうち李在万総務秘書官は大統領府人事委員会のメンバーだ。


先日は朴槿恵(パク・クンヘ)大統領の弟・朴志晩(パク・チマン)氏の友人である機務司令官(機務司令部は軍の機密管理などを担当する情報機関)が突然更迭され、また国家情報院企画調整室長が明確な理由もなく解任されたかと思えば直後に解任を取り消されるというごたごたがあった。いずれもこの3人組の関与を疑う声が上がっていた>

<東亜日報12/3 「幽霊と戦っているようだ」大統領秘書室長、チョン氏問題で戸惑い隠せず

「幽霊と戦っているようだ」

金淇春(キム・ギチュン)大統領秘書室長が最近、「秘線実勢」論議の当事者であるチョン・ユンフェ氏が国政に介入したという内容の大統領府文書流出問題と関連して、このような心境を吐露したという。


金室長は最近、ある親朴系(朴槿恵大統領系)議員と電話で、「(大統領府が作成した文書の内容について)報告を受けたことは事実だ」とし、前後の事情を説明した後、困惑していたという。金室長は、「(報告された)内容を見ると、事実確認ができておらず、証拠もなかった」とし、「(私の線で)握りつぶした」と話したという。結局、この文書は朴大統
領にまで報告されなかった。


朴系議員は、「金室長は、自分が報告を受けた内容が市中に飛び交う『チラシ』レベルに過ぎず、内容に価値がないため握りつぶしたという趣旨で説明した」とし、「報告の内容が真実かどうか明らかになっていない状況とこのムードに便乗して大統領府を揺さぶる見えない勢力を『幽霊』と遠回しに表現したようだ」と説明した。金室長は同議員に、「もどかし
い。党が助けてほしい」と話したという。

しかし、与党内部では金室長を見る目は厳しい。セウォル号沈没事故の当日、朴大統領の行方について「知らない」と言い、「7時間の行動」に関する疑惑の端緒を提供したが、今回は「チョン・ユンフェ文書流出事件」を初期に適切に対処できず、問題を大きくしたと指摘されている。

別の与党議員は、「大統領府の内部文書をしっかり管理せずに流出した事実がメディアの報道で明らかになると慌てふためき、どうやって流出したか確認してほしいと検察に捜査依頼するのを見て、怒り心頭に発した議員が少なくない」と伝えた>

<聯合ニュース12/3 大統領府文書流出疑惑 警察署を家宅捜索=韓国検察

韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の元側近で、「陰の実力者」と呼ばれるチョン・ユンフェ氏らが政府人事に介入したことを示唆する青瓦台(大統領府)の内部文書が流出し、新聞で報道された問題で、ソウル中央地検特捜部は3日、文書の作成者とされる警察官が勤務するソウル・道峰警察署とソウル地方警察庁情報分室を家宅捜索した。

検察当局は押収した関係資料の分析が終わり次第、警察官を聴取し、文書の作成経緯や流出疑惑などについて調べる方針だ。

警察官は昨年4月、青瓦台の公職紀綱秘書官室に派遣されたが、今年2月に突然派遣中止となった。警察官は同月10日、情報分室に荷物を運び、同月16日に持ち帰った。警察官が荷物の中にあった青瓦台の監察文書をコピーし、閲覧したとの疑惑が情報分室の職員らによって指摘されたが、警察は否定した。

警察官はメディアとのインタビューに対し、文書の流出は否定したが、文書を作成したかどうかについては言及を避けた。

警察官は3日未明に自宅を出たきり、行方をくらましている。警察官は聯合ニュースに送ってきた携帯電話のメッセージで、「疲れた。大勢の記者たちがマンションまで来ている。住人たちに迷惑をかけたくない。理解してほしい」と心情を打ち明けた>

まさに炎上中!「クネ 氷の女王」はエンディング間近か。クネは自殺モードのような辛気臭さだ。「空白の7時間」については、その当日の防犯ビデオを公開すれば人の出入りが分かるはずである。警察官は口封じのために殺されるかもしれない。早急に保護すべし。

産経と加藤前ソウル支局長はクネ一派を殲滅できるかもしれない。GJ! 加藤氏奪還へ、イザ!(2014/12/3)

◆木津川だより 壬申の乱(3)

白井 繁夫



壬申の乱の戦は、これまで河内.飛鳥方面の戦況を先行し、近江路方面は後述に分けました。

672年7月3日大海人軍の大伴吹負(フケイ)将軍は、「木津川」を越え攻め寄せる大友軍に対する布陣を、乃楽山(奈良山)に完了し、麾下の荒田尾赤間呂の奇策を倭古京(飛鳥の古い都)に採りました。大野果安(ハタヤス)将軍が率いる近江朝軍に備える作戦です。

その翌日、果安軍の大軍が来襲し、簡単に布陣を突破され、怒涛の勢いで天香具山(天香久山:奈良県橿原市)の八口まで攻め込まれましたが、そこで吹負軍の奇策(大軍の存在を示す大量の楯等)を試みて戸惑わせました。そして目前までやすやすと占領で来た飛鳥京に、果安軍の全軍を一時後退させました。「高市県主 許梅(コメ)の託宣(生霊神の言):果安長蛇を逸す。と」

大海人軍の吹負は命拾いしたのですが、逃げ途中に置始連兎(オキソメノムラジウサギ)の騎兵隊(先遣隊)と墨坂(宇陀市榛原)と合流して力を付け、金綱井(かなづなのい:橿原市今井町)に逆襲したのです。

一方、近江朝の壱岐韓国(カラクニ)将軍が率いる河内方面軍も、河内衛我河で坂本財を破りますが、その時、国司来目塩籠の背反問題が発生して進軍できません。再度軍勢を立て直して飛鳥を目指しましたが、当麻の衢(ちまた)、葦池付近(奈良県葛城市当麻町)で、大伴吹負麾下の勇士来目(タケキヒトクメ)と置始騎兵隊の凄まじい突撃を受けたのです。

ところが、近江朝の大軍団の中の歩兵連隊の横腹を目指して、精鋭の騎馬隊が決死の覚悟で猛然と突撃した戦いで、さしもの韓国大軍も乱れ、兵は逃惑い、韓国軍の指揮命令系統が機能せず、総司令官(韓国)が、矢を受けて、必死で逃亡して行きました。

この7日の戦いで大海人軍は、西方(大坂.河内方面)の脅威を無くしたのです。

当麻の戦いも4日の総攻撃日と同様、大友軍は河内方面軍と近江の倭古京方面軍の連携が機能していなかったと思われます。その間に大海人軍の大倭方面派遣軍の本隊(紀臣阿閉麻呂:キノオミアヘマロ:率いる数万の兵)が、大伴吹負軍に参陣しました。

倭古京(飛鳥京)と乃楽(奈良)を結ぶ3本の南北道は、(東から上ツ道、中ツ道、下ツ道と称され、東の上、中ツ道は木津へ奈良街道となって繋がり「木津川」の右岸を通り菟道(宇治)へ、西の下ツ道は木津の歌姫街道へと、「木津川左岸」を通って山陰道などに繋がります。

近江朝の将軍大野果安率いる倭古京方面軍は、大和の北(木津)を経て乃楽から上記3本(上.中.下ツ道)の道に部隊を分けて、飛鳥を目指して攻めたのです。

これに対して、紀阿閉麻呂率いる大海人軍の本隊は、7月7日から8日にかけて続々と集まりだしたのです。同本隊の大伴吹負は、この大軍を3道に合わせて上中下陣に分けました。つまり、麾下の三輪高市麻呂は彼の地盤である上ツ道、吹負が中ツ道(自身の百済の家:橿原市百済)、援軍の精鋭部隊(主力部隊)を上ツ道に配置したのです。

ところが、戦闘は上ツ道と中ツ道ほぼ同時に起き、中ツ道の近江の将軍(犬養五十君イキミ)の別動隊(廬井鯨イホイノクジラが率いる精鋭部隊)が少数で守る吹負の陣営を襲い、またまた吹負は苦戦を強いられて仕舞い、必死に防戦しました。

上ツ道沿いの箸陵(はしはか:桜井市)での戦闘は、三輪高市麻呂(大倭の豪族)と大海人軍本隊の精鋭部隊(置始兎)が共同で近江朝軍を迎撃・撃退し、更に追跡して、中ツ道の近江軍本隊を攻撃し、廬井鯨の背後を衝いたのです。

これで大友軍の大和での戦闘は、完全に敗北となったのです。

大海人軍の将軍吹負は、何度も近江軍と戦い負けても、再度挑み続ける闘志でした。一方、近江軍の兵士の方は、庚午年籍に基づく徴兵であり、将軍も大海人皇子に内応する者も出てきていたため、近江軍は大事なところで勝機を逃していたのです。

この結果が、飛鳥路方面の戦闘も、大海人軍の勝利に結び付いたことになります。

そこで、大海人軍の将軍大伴吹負は即刻難波へ赴き、西国の国宰から正倉.兵倉の鑰(かぎ)を献上させました。また大海人軍の大倭救援軍本隊は、北の乃楽山から木津を経て山前(やまさき:桂川、宇治川、木津川との合流地南:八幡市男山近辺)へ進軍して行きました。これが歴史上の山場と見るべきでしょう。

ここで、大和.飛鳥路方面から近江路方面の戦闘へ話題を戻します。

672年6月に近江朝は、東国へ徴兵督促のため派遣した国宰(くにのみこともち)書薬(フミノクスリ)などが、26日に大海人軍に「不破道(関ヶ原)」で囚われの身になったとの報告に接し、即刻臨戦態勢を取り、27日に大津宮より近江路方面軍を発進させました。

近江朝軍の陣営は、王族(山部王)、大夫氏族(高級官僚:蘇我果安ハタヤス、巨勢比等コセノヒト)などの将軍(指揮官)と、中小中央豪族、近江地方の豪族、羽田矢国(ヤクニ)将軍を含めて、数万の兵(近江朝正規軍+近江の兵など)からなる大軍団でした。

大友皇子は、不破道の大海人軍を、この際一気に粉砕できると信じて出発させたと思われます。

(話題が前後しますが、この時点で、近江朝には飛鳥の状況も、大海人皇子が野上行宮に入った情報も、更に、尾張の国司小子部鉏鈎:チイサコベノサヒチが2万の兵を率い大海人軍に帰服した27日の重大な情報なども、近江朝には全く届いていなかったのです。決定的な手抜かりでした。)

この結果、大友皇子には、6月29日になって、ようやく大伴吹負が倭古京で蜂起し、飛鳥の大友軍営を占領した戦況が伝わたのです。これを機に大友皇子と大海人皇子の両陣営が本格的戦闘態勢を採ることになるのです。

7月2日に大海人皇子は「和蹔:わざみ」(不破郡関ケ原町)の全軍に進撃命令を出しました。紀阿閉麻呂率いる大倭救援軍は前回記述した如く、置始兎の騎兵隊を先遣し、飛鳥まで伸びる戦線の腹部防護のため、多品治を「莿萩野:たらの」(伊賀市)に、田中足麻呂を「倉歴道:くらふのみち」(甲賀市)に配備しました。

大海人軍の近江路方面進攻軍は、総司令官村国男依(オヨリ)将軍、書根麻呂(フミネノマロ)将軍.和珥部君手(ワニベノキミテ).胆香瓦安部(イカゴノアヘ)ら地方豪族で整え、この方面軍も数万の兵士に赤布や旗を備えた赤色軍にしています。

近江路軍の最大特徴は総司令官を除き、指揮を執る各将軍は大友皇子を始めとして近江朝廷の高官とは、面識ないのが地方の各豪族です。ただこの地方の土地勘や地縁.血縁を持っているだけです。ですから、戦闘に突入した時は、各豪族の指揮官が個々に部隊を指揮、命令しました。謂わば総司令官の指揮ではなかったのです。

余談ながら、後世の江戸幕府軍が「錦の御旗」に恐れをなしたのも、大海人皇子と同じ様な巧みな戦略・指揮.監督をしたと思われます。

さて、大海人軍の飛鳥救援軍は、即刻先遣部隊を急派し、同時に鈴鹿道.伊賀路の防衛を固めて出発しました。そして近江路進攻軍は大和.飛鳥方面のその後の戦闘情勢と大津京への進軍途上で動向が戦闘に際し非常に重要である各地の豪族:息長氏(オキナガシ:米原市)を始めとし、坂田氏、秦氏、羽田氏など状況を把握して行ったのです。

これに対して、近江朝廷軍は、東国の徴兵と西国(中国.九州)の徴兵が時間的に間に合わないため、朝廷の常備軍と畿内で徴集した兵をもって、飛鳥と不破に兵力を分散さす状況となりました。飛鳥京と大海人本営の攻撃と両方面とも、近江朝は重要と判断したのでしょう。

しかし、近江朝廷の大友皇子は、当初は大海人皇子に必勝すると信じて、戦闘に入りましたが、「白村江の戦」が尾を引いて軍備が遅れ:武器や兵力不足の悪状況も伴ったのです。

ですから不破への進撃途上に通過する地域の豪族兵を味方に(羽田氏など)加えながら、息長氏(オキナガ)などの近江の豪族をどれだけ味方に出来るかが勝敗を左右するしかないと思うようになっていたでしょう。

一方、大海人皇子は前述の如く、大和飛鳥路戦へは戦術に長ける中央の豪族を指揮官にして近江朝に不満を持つ豪族(国宰や古い渡来人)、東国へ脱出途上大海人軍に加わった兵(美濃.尾張の2万、大倭や伊賀の軍勢)を得て、半年間、吉野で推考した作戦以上の好精華で状況は進展していました。「戦いには天が味方してくれている」と思ったに違いありません。

近江路における両軍正規軍の勝敗を決する戦闘と、その顛末は、次回につづけます。

参考資料: 壬申の乱   中央公論社    遠山美都男著
      戦争の日本史2 壬申の乱  吉川弘文館  倉本一宏著

2014年12月08日

◆習氏、基盤強化に逆効果?

矢板 明夫



中国の習近平指導部は党内の一部勢力の反対を押し切って、収賄などを理由に前最高指導部メンバーの周永康氏の党籍を剥奪し、刑事責任を追及することを発表した。中国共産党史上、前例のない汚職追及の姿勢を内外にアピールし、失墜した党の信頼回復を目指すとともに、自らの権力基盤を固めるのが狙いとみられるが、その効果を疑問視する声も多い。


共産党規律部門が発表した周氏の容疑は、巨額の収賄、親族による企業の不法経営、国家機密の漏洩(ろうえい)、多数の女性との不道徳な関係など多項目にわたる。「周氏を失脚させたことは正しい決断であることを印象づけようとした」(中国メディア関係者)ものだが、発表を受け「このような人物がなぜ抜擢(ばってき)され続け、共産党の最高幹部にまで出世できたのか」「ほかの党高官は同じようなことをやっていないのか」といった疑問を持った国民も少なくない。


また、今回の周氏に限らず、党高官への調査に関する報道は厳しく管理され、ほとんどのメディアは国営新華社通信の原稿だけを使うように指示されているという。独自の取材や論評は許されておらず、「密室の権力闘争の結果を国民に宣伝しているだけ」との印象は拭えない。

ある党関係者は「周氏の事件をアピールすればするほど党のイメージが悪くなるかもしれない」と話す。

また、欧米や香港のメディアが報道したように、曽慶紅元国家副主席、温家宝前首相など多くの大物党指導者の親族にも巨額な不正蓄財の疑惑がある。周氏への厳しい対応で、党内の緊張が一気に高まったとの情報もある。

習主席による反腐敗キャンペーンが今後も続くなら、身の危険を感じた党長老が束になって逆襲に出てくる可能性もある。(北京 矢板明夫)

                     産経ニュース:2014.12.6

◆「アラスカ無宿譚」(5)

日高 一雄



当時「コツエブユー村」には電話が無く、一切の外部との連絡は無線であった。小生も現地では無線を使い、通話相手を無線に呼び出して貰った上、「・・・オーバー」とやった。勿論ホテルは無く、小生が通称「 Tilted Hilton 」(傾きかけたヒルトンホテル)と呼んでいた民家が1軒あるだけだった。

小生が「コツエブユー村」に出張する時の必需携行品は、私物の「スミス・コロナ製のポータブル・タイプライター」と三菱のレターヘッド類、「寝袋」で、一方「コツエブユー村」には弁護士は勿論不在、女性タイピストさえ居なかった。従って、エスキモー・グループとの会話記録や正規の契約書は全てその場で小生がタイプし、村を離れる前に相互に確認したものだった。


当時の故藤野社長が読んで決断された契約書は勿論英文だが、故藤野社長も、英語が大得意の槇原課長も、契約書は三菱社員が自分で書き、且つタイプしたものだとは最後まで気が付かれなかった様である!藤野社長は確かに契約書を読んだ上で実行を決断されたが、北極圏で三菱が仕事を作った事に、秘かに一種の「ロマン」を感じて無言で小生を応援して呉れたのではないだろうか?


此の件は更に後日談がある。大統領としてジョンソンの後を継いだのはニクソンであったが、彼は何と選挙資金貢献大のアラスカ州ヒッケル知事を連邦政府の内務大臣( Secretary of Interior ) に任命したのだった。

連邦政府大臣は当然、任命前に議会承認が必要で、民主党主導の議会内務委員会では、資格審査の中で「ヒッケル氏は内務大臣として不適当である」と言う意見が出され、その証拠としてアラスカ州政府時代の三菱を通しての地元民「エスキモー苛め」の問題が登場したのだった。


ヒッケル審議は異例の長時間審議となり、延々と続いて、委員会は小生を証人喚問する可能性があり、小生に対して、米国出張待機命令が出た。これは何とか免れたが、小生が愛する「傾き掛けたヒルトン」の一部屋で持参のスミス・コロナ製ポータブル・タイプイライターで打ったエスキモー漁業組合と三菱との契約書は、審議証拠書類として何と米国議会に永久保存される事になったのであった。

閑話休題。三菱商事時代、小生は色々の出来事に出会ったし、又自分でも多くの新規の仕事を作った。拙文を此処で切ってもいいと思うが、暫時お付き合い下さるだろうか。

1970年、本社復帰の時点で小生は商事の制度で、課長代理にも達せぬ身分であったが、直接食糧担当副社長・常務の下で、新規事業開発担当を命ぜられた。組織的裏付けの無い個人的な拝命で部下も居なかった。

当時の商事組織では、売買は全て営業部が管理し、開発に関しては、仮に良い案件が出来れば、その案を当該商品担当の営業部長に回して実行して貰うシステムになって居た。

しかし、仮に抜群の良い案件を提示しても、部長からすれば、その案件を「多忙」でも、「利益見込みが薄い」でも、幾らでも断る理由はあった。その時点で開発案件は死ぬ。


これでは、新規商品、又は新規事業開発は難しい。新規事業を開発する為、新たに損失を出す部を作りましょう、と提案して三菱商事で初めて損失計上目的で食糧開発部を作ったのが当に1970年だった。最初の部長は何と副社長であった。之で担当商品の営業部長の判断とは関係無く、開発案件を進める体制が出来た。

例えば1969年に立ち上げた「ケンタッキー・フライド・チキン」は、契約自体は既に本部長補佐職によって成立した後であった。本来なら飼料畜産部長の案件だが、新設開発部として最初の案件となった。

しかし当社は立ち上げ当初から営業は絶不調の日々で、店舗は毎月赤字続き、設立1年後の決算は赤字、2年目は1号店閉鎖となり同年決算は早くも債務超過状態となった。小生にとって頭の痛い存在だったが、之は減資・増資によって切り抜けた。

所が1973年には早くも2回目の債務超過状態となったのである。最初の2店舗が赤字続きで、而も、或る時点で店を閉鎖したのだから、除却損が発生し、損失増加は当然ではあった。この状態をどう解釈し、今後如何に処理するか?(以下次号)

◆第2のテキサスおやじ

池田 元彦


慰安婦問題は何ら解決していない。捏造した朝日新聞は一度も公式に謝罪していない。強制はなかったが「女性の尊厳を踏み躙った」ことには変わりはないと言い逃れ、問題をすり替えるばかりだ。対海外では、NYTに代弁させ、居直って被害者面をし性奴隷主張を止めない。

NYTの日本支局は朝日新聞本社内に設置されているが、そのNYTが先日慰安婦問題を記事掲載した。朝日以上に欺瞞と先入観に満ちた内容だ。「日本軍の女性拉致の証拠はない」と断り乍ら、「歴史修正主義者は、女性たちが『囚われの性奴隷であったこと』を否定している」と主張する。
  
吉田清治の「軍の拉致、強制連行、売春強要」の虚偽を朝日が認め、該当記事を全て撤回したに拘らず、NYTが「囚われの性奴隷」と未だ強引に言う神経が判らない。記事は、右翼安倍だとか、極右の国粋主義者とかの言葉が溢れ、一方植村隆元記者を右翼攻撃の被害者として扱う。

暴力的脅迫で2つ目の教職も辞めざるを得ない、16歳の娘が極右の脅かしで自殺に追い遣られ兼ねない、北星学園が極右の爆弾的脅かしで、植村元記者との契約破棄せざるを得ない等々と植村元記者の右翼による身の危険等、かっての本多勝一同様、検証もせず記事に垂れ流す。

日本軍が戦利品の女性を軍管理の慰安所で働かせたことは、主流の歴史学者が認めるところだとして、インドネシア等における軍人による強姦事例と慰安婦を意図的に同列に扱い、且つ慰安婦がアジア各国から騙して連れてこられたとするが、慰安婦の大半が日本人だったとは言わない。

要は、日本の右翼国粋主義者が朝日の記事撤回で勢いを増し、不当に朝日や記者を脅迫して沈黙させようとしているが、「性奴隷」の事実は変わらず、国際的には周知の歴史的事実だという。

最近羽田に収監されたエボラ熱疑惑の反日NYT記者大西哲光以来NYTは反日一辺倒だ。

尤も、朝日が吉田証言撤回以来、新聞契約数が公称7百万部から23万部減ったとも伝えている。

そこに日本救世主のフリージャーナリスト、マイケル・ヨン氏が登場、欧米マスメディアの「日本軍が組織的に女性を強制連行して性的奴隷にした」という通説は、自らの調査も含め嘘の作り話だとネットで表明してくれた。氏の発言は、古森義久産経記者、ケントギルバート氏も紹介している。

マイケル・ヨン氏によれば、クリントン政権時に慰安婦の主張を裏付ける為、30億円予算で7年間徹底調査、最終報告書は2007年米国議会に提出された。結論は、発表された一切の強制連行、性奴隷の証拠は発見出来なかったとのことで、30億円が無駄に費やされた、という。

米政府が30億円かけて証拠探しをし、「性奴隷」等いないことを意図に反して証明してくれたのだ。トニー・マノーラ氏に次ぐ強力な助っ人が1人加わった。何分日本人が言うと言訳ととられるが、米国人の発言なら真面に正常な人は冷静に話を聞いてくれるのだ。 

兵役応募朝鮮人兵士は軍属を含め約10万人、日本軍と共に中国や東南アジアで戦っていた。 1940年当時朝鮮人口は2,350万人。女性は粗50%、内15歳から35歳の合計は33%の約390万人だ。20万人が性奴隷とすると、妙齢の朝鮮人女性5%が駆り出されたことになる。

本当なら朝鮮兵士は間違いなく民族の誇りをもって反抗・反乱したはずだ。又230万人と言われる日本軍兵士戦没者の60%、140万人は戦死でなく餓死だ。20万の性奴隷で慰安し、彼女等に食糧を与える余裕があったのか。簡単な計算で嘘は暴くことが出来る。反撃の機は熟しつつある。
 

◆目隠しされた日本

伊勢 雅臣



〜 戦前も戦後も情報無しの手探り状態 〜

日本は情報無しの目隠し状態で、戦前はアメリカと戦い、戦後は中ソと対峙してきた。


■1.ずっと自衛隊の写真を撮っていた中国の震災救援部隊

東日本大震災では中国軍が救援に来たが、その際に彼らは何をしたのかこんな証言がある。

<(中国の救援部隊が)ずっと写真を撮っていたという話を聞きました。自衛隊の活動の写真を望遠レンズで撮っている。結局、これは日本人の行動様式と自衛隊の装備を撮っていたんでしょう。>[1]

被災地救援の名目でやってきて、実は自衛隊の装備などを調べる。お人好しの日本人から見れば「まさか」としか思えないが、「渡る世間は鬼ばかり」の国際社会では不思議ではない。ほかにも、こんな事実がある。

<(震災時には)中国のヘリコプターが南西方面で護衛艦に急接近したり、火事場泥棒のような出来事の連続でした。あのとき、自衛隊の戦力の40%が災害派遣に投入され、日本がいかなる防衛体制を敷いているのか調査しに来たのですが、挑発行為は凄まじいものがありました。>[1]

■2.尖閣諸島でどうでるかという戦略的判断に必要な諜報活動

中国が自衛隊の戦力を調べているのは訳がある。国内の経済的行き詰まりや党幹部の汚職、少数民族の反乱などで不満が溜まっている時に、尖閣諸島などをきっかけに対外戦闘を起こすのは、恰好のガス抜きになるからだ。

先の大戦で大敗を喫して、もう戦争はこりごりという日本人とは違って、中国の政府も人民も戦争にそれほどの拒否感はない。1950年にのべ500万人を投入して約90万人の死傷者を出した朝鮮戦争以降も、1962年のインドとの中印戦争、1969年にウスリー河の中州でソ連国境警備隊と衝突した珍宝島事件、1974年に南ベトナム軍を駆逐した西沙諸島占領作戦。

80年代にも南シナ海でベトナム海軍の輸送船を撃沈し、90年代にはフィリピンが支配していた南沙諸島を占領している。[a] 数十人、数百人の死傷者が出ようと、この程度の事件は中国にとっては戦争というより、局地的な小競り合いとでも言うべきもので、外交の延長でしかない。

尖閣諸島においても、小競り合い程度で奪えるなら、中国は容赦しないだろう。逆に自衛隊が強くて、中国軍の面目が潰れるようなことになったら、逆効果なので手出しは控える。そうした戦略的判断をするためにも、自衛隊がどの程度の戦力を持っているのか、について中国は諜報活動をしている訳である。


■3.300万の英霊たちの叫び声

こうした中国の動きに対して、いまだに「平和憲法さえ守っていれば平和は守れる」という声があるのは驚くべきことだ。この態度からは、中国軍の戦力、意図などに関して、諜報活動をしようなどという発想が出てくるはずがない。

諜報活動に関する日本人の鈍感さが敗戦の一大要因だったと、米軍は指摘している。昭和21(1946)年4月、米軍がまとめた『日本陸海軍の情報部について』という調査書には、次の一節がある。

<」日本軍の精神主義が情報活動を阻害する作用をした。軍の立案者たちは、いずれも神がかり的な日本不滅論を繰り返し表明し、戦争を効果的に行うために最も必要な諸準備を蔑(ないがし)ろにして、ただ攻撃あるのみを過大に強調した。その結果彼らは敵に関する情報に盲目になってしまった。>[2,p328]

この一文を次のように変えてみたら、現代日本も同様であることが分かるだろう。

「護憲平和主義が情報活動を阻害する作用をした。護憲論者たちは、いずれも神がかり的な「平和憲法さえ守っていればどこの国も攻めてこない」という護憲平和論を繰り返し表明し、防衛を効果的に行うために最も必要な諸準備を蔑(ないがし)ろにして、ただ護憲あるのみを過大に強調した。その結果彼らは中国軍に関する情報に盲目になってしまった」。

大東亜戦争中に大本営の情報参謀として従事した堀栄三氏は、戦争中に我が国が諜報活動を軽視したために、いかに困難な戦いを余儀なくされたか、を著書『大本営参謀の情報戦記』に描いている。そのあとがきにはこうある。


「また本書に掲げた多数の戦場での教訓の数々は、ひたすら祖国のためにと思いながら歯をくいしばって、正確な情報に基づかない、誤れる戦略に殉じて散華していった300万の英霊たちの叫び声に他ならない」。[2,p342]

12月8日の大東亜戦争開戦の日を機に、この英霊たちの叫び声に耳を傾けて見たい。同じ過ちを現代にも繰り返さないために。


■4.正確な地図もなく

日本陸軍は伝統的に対ソ連、中国を重視していて、情報収集や戦法研究などを対米重点に切り替えたのは、開戦後2年も経った昭和18(1943)年後半からだという。すでにガダルカナルの戦いで、米軍の本格的な反転攻勢が始まっていた時期である。

それゆえに、ニューギニヤ、ソロモン諸島方面では、正確な地図がなくてガリ版刷りの素図をもとに戦争をしたといったら、読者はびっくりするであろう。そんな戦場へ赤紙一枚でやられたとあっては、収まるものも収まらないはずだ。[2,p90]

ニューギニア島北岸は、東西1300キロにわたる長い海岸線と、2〜3千メートルを越す脊梁山脈の間は、一面のジャングルに覆われた前人未踏の地である。米軍はここを統治するオーストラリアから地誌資料を得て、「これを支配するのは歩兵ではない。航空以外にない」と判断していた。

しかるに日本の大本営は、ニューギニアの地図から普通の陸地と誤認して、東部ニューギニアのブナにいた南東支隊に、脊梁山脈を越えて、南岸の都市ポートモレスビーの占領を命じた。


<」この場合の南東支隊の敵は、米軍でもなければ濠洲(オーストラリア)軍でもなかった。道なきジャングルとスタンレー山脈と雨期で増水した名もわからない川の氾濫であった。そして、とうとう皆無の補給による饑餓と疲労と寒気と疫病のために、ぼろぼろになって後退を余儀なくさせられてしまった。(中略)

作戦が中止となり、十分の一の兵員となってやっとブナに帰りついた南東支隊に、米濠軍は海の方から廻って上陸し、攻撃を加えて、玉砕に追いやっている。>[2,p114]

弊誌795号[b]では、この戦いで生き残った西村幸吉氏が、戦後25年もかけて戦友たちの遺骨収集に従事した逸話を紹介したが、多くの英霊を生んだ陰には「正確な情報に基づかない、誤れる戦略」があったのである。


■5.米軍の用意周到ぶり

堀氏は、大正末期から昭和初期にかけて米国研究の第一人者・寺本熊市中将から、親しく教えられた内容を、次のように記述している。

「米国は大正10年以来日本との戦争を準備していた。われわれは米国研究時代、補佐官時代からすでにそのことを指摘していた。米国の考える戦場は、日本に対しては当然太平洋だ。(中略)

ここで勝つには制空権以外にない。彼らは日本の南洋委任統治領を研究していた。小さな島の群島だ。船以外に連絡の方法がない。船を制するにも制空だ。この間資源もない日本は、満洲の方を見つめて眠っていた」。[1,p80]

大正10(1921)年はワシントン軍縮会議が開かれ、日本の海軍戦力が、米国5に対して3と抑えられた年である。米国は日本の海軍力を軍縮条約で抑えつつ、同時に対日戦の研究を進めていたのである。

たとえば、大正10年頃は米軍はまだ馬を使っていたが、島への上陸作戦では馬を泳がせるのも一つの方法だが、その距離は500メートルを越えてはならない、などと規定していた。

日本軍は正確な地図もないまま、2〜3千メートルの脊梁山脈を越えての攻撃を命じたが、米軍はその20年以上も前に、上陸作戦で馬を泳がせても良い距離まで調べていたのである。


■6.堀氏の考案した対抗戦術

参謀本部で米軍に対する諜報活動の任についた堀氏は、サイパン島などの玉砕の状況を研究して、太平洋での島嶼防衛の戦術を立案した。

サイパン島では昭和19(1944)年6月12日、13日と、米軍機数百機が港湾や飛行場、陣地を空爆した。その間に戦艦8、巡洋艦2、駆逐艦22隻が島を完全に包囲して、艦砲射撃を3日続けた。陣地はほとんど叩きつぶされ、日本軍は15日、16日の水際での戦闘で、ほとんど壊滅的打撃を受けた。

玉砕の前日、日本軍の発した訣別の電報は堀氏にも廻ってきたが、涙なくしては読むことができなかったと言う。

堀氏は米軍が空爆と艦砲射撃で徹底的に日本軍陣地を叩いてから、上陸してくる作戦を分析し、それに対抗しうる防御戦術を考え出して、これから太平洋に転用される関東軍の精鋭部隊に説いた。

水際での早すぎる突撃は自滅する公算が多いので避けること。大砲や機関銃などは最低2メートル以上のコンクリートで覆って艦砲射撃から守ること、島内に二重、三重に地下陣地、洞窟陣地などを準備してゲリラ戦を挑むこと、等々。

ペリリュー島守備に向かう中川州男(くにを)大佐は、堀氏の説明を熱心にメモして、質問もしてきた。その後、ペリリュー島の守備隊は4ヶ月で米軍の艦砲射撃と爆撃に耐える強固な陣地を構築し、米軍の猛攻を73日間も持ちこたえ、逆に死傷者1万人を超える損害を与えた。

この戦法は硫黄島や沖縄でも活用され、米軍はその損害の大きさから、日本に対する無条件降伏の要求を取り下げて、終戦に至った事は876号[c]で述べた。

このような諜報活動と作戦研究がもっと以前から行われていたら、開戦当初は航空母艦数などでは太平洋に配備された米海軍を上回っていただけに、その抑止力をもってして、米国からの挑発をはねつけ、開戦に至らずに済んだ可能性すらあった。[d]


■7.オスプレイ配備による抑止力

日本は島国で、国境も多くの離島からなるだけに、それらをどう守るか、は戦前、戦後を問わず、防衛上の重要課題である。特に尖閣諸島は中国軍の直接的な脅威にさらされている。

離島防衛に威力を発揮するとして最近登場したオスプレイは、ヘリコプターのように垂直の離着陸ができるとともに、回転翼を前面に倒してプロペラ機として高速、長距離の水平飛行ができる。

従来のヘリコプターでは作戦行動半径約150キロで、普天間基地から440キロ離れた尖閣諸島には届かない。しかし、オスプレイは約700キロと尖閣を含む海域を十二分にカバーできる。

しかも、時速520キロで尖閣まで1時間以内に着ける。積載量も5.7トンあり、30名程度の要員や武器を積み込める。中国船が尖閣に上陸しようとしたら、その前に沖縄からオスプレイが出撃して、待ち構える事ができる。これでは中国の尖閣奪取も難しくなり、無闇な手出しはできなくなる。

オスプレイは災害救助にも威力を発揮する。昨年11月に巨大台風によって大きな被害を受けたフィリピンへ沖縄から米海兵隊のオスプレイが直接飛んで、避難民や救助物資の輸送に活躍した[4]。東日本大震災などでもオスプレイがあれば、もっと迅速かつ効果的な救援活動ができたはずである。


■8.国民の目隠しをする左傾マスコミ

このオスプレイを、一部のマスコミは開発途上の事故をとりあげて、危険性を大々的に訴えて配備に反対した。しかし、2007年に実戦配備されてからの事故率は10万時間あたり1.93回と現行ヘリコプターCH-53Dの4.15の半分以下。安全性を言うなら、オスプレイ配備を加速すべきなのである。

尖閣防衛にも災害救助にも活用でき、現行ヘリより安全なオスプレイの配備で困るのは尖閣諸島を狙う中国だけだ。安全性のデータも隠して、「未亡人製造機」などとプロパガンダを行う一部のマスコミは、中国の代弁者として、日本国民の目から真実を隠そうとすしているのである。

戦前の情報活動の弱さについて、我が国は反省をしてこなかっが、戦後の日本は他国の情報活動によって真実から目隠しされてきたという点で、もっと始末が悪い。

朝日新聞など左翼勢力は中ソの代弁者として、日本の防衛力強化に様々な情報活動で妨害してきた[e,f]。 最近も集団的自衛権や秘密保護法に対して「戦前に戻る、戦争のできる国になる」などと反対した。[g]

平和を守るためにこそ、中国の侵略に対する抑止力が必要なのであり、そのためには国内の左傾マスコミによる目隠しを外さなければならない。


■リンク■

a. JOG(152) 今日の南沙は明日の尖閣
米軍がフィリッピンから引き揚げた途端に、中国は南沙諸島の軍事基地化を加速した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog152.html

b. JOG(795) ココダの約束 〜 戦友の骨を拾う約束を25年かけて果たした男「もしお前たちがここで死ぬようなことがあっても、俺たちが必ずその骨を拾って、日本にいる家族に届けてやるからな」
http://blog.jog-net.jp/201304/article_4.html

c. JOG(876) ペリリュー島のサクラ
 ニミッツ提督は「この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕していったか」と語った。
http://blog.jog-net.jp/201411/article_7.html

d. JOG(096) ルーズベルトの愚行
 対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html

e. JOG(865) 中ソの代弁70年 〜 朝日新聞プロパガンダ小史(上)
敗戦直後からソ連崩壊まで、朝日新聞はソ連の忠実な代弁者として発言してきた。
http://blog.jog-net.jp/201409/article_2.html

f. JOG(866) 中ソの代弁70年 〜 朝日新聞プロパガンダ小史(下)
朝日は、中国の国内代弁者としてモンスター国家の成長に一役買った。
http://blog.jog-net.jp/201409/article_4.html

g. JOG Tweet 偏向報道の手口(5) 集団的自衛権/特定秘密保護法/反原発
http://blog.jog-net.jp/201407/article_2.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 百地章、浜谷英博、井上和彦「緊急事態条項なくして国家たりえない」、『正論』H26.6

2. 堀栄三『大本営参謀の情報戦記』★★★、文春文庫、H8
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4167274027/japanontheg01-22/

3. 「オスプレイは本当に危険か−ヘリコプターとの事故率の比較」
http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/15968405.html

4.産経新聞「主張 オスプレイ佐賀に 『安保』と『災害』に有益だ」
http://www.sankei.com/politics/news/140725/plt1407250041-n1.html


2014年12月07日

◆拍子抜けした再生の意気込み

阿比留 瑠比


拍子抜けした再生の意気込み 慰安婦問題具体論語らず 「開かれた言論」はどこに

5日の朝日新聞の渡辺雅隆新社長の就任記者会見には、少々拍子抜けがした。朝日新聞による一連の慰安婦誤報と、東電福島第1原発事故をめぐる「吉田調書」に関する重大な過ちを受けて人事を刷新し、再生への道筋を示すための記者会見にしては質疑はかみ合わず、新社長による踏み込んだ答弁もなかった。

「これまでの手法や意識を根本的に見直す」「根底から朝日新聞社を作りかえる」「創業以来の危機」

渡辺新社長は冒頭、このように力強く語った。ところが質疑に入り、慰安婦問題の各論について聞かれると、具体的なことはほとんど語らず、「(社外の)第三者委員会の結論が出る前に話すのは差し控えたい」と言及を避けた。

平成3年8月、母親にキーセン(朝鮮半島の娼婦、芸妓(げいぎ))に売られた韓国人元慰安婦を「女子挺身隊の名で戦場に連行」と書いた元朝日新聞記者、植村隆氏に関する対応も不可解だ。

朝日新聞を取材窓口としている植村氏が産経新聞の取材申し込みを拒否する一方、米紙のインタビューは受けて「(右派が)われわれをいじめて黙らせようとしている」などと語っていることをただすと、高田覚(さとる)社長室長は部下に事実関係を確認の上、こう答えた。

「植村氏は本人の意向で取材を受けるかどうか意思決定している。私どもは取り次ぎだけをしている」

それならば朝日新聞がOB記者の取材窓口となっている意味がない。渡辺新社長が社内改革の指針として掲げた「開かれた言論」が疑わしくなる。

朝日新聞が慰安婦問題で16本の記事を取り消し、後に謝罪した吉田清治氏の証言についてもいまだ腰が定まっていない。
 
朝鮮半島で女性を強制連行して慰安婦にしたという吉田証言を虚偽と判断したにもかかわらず、同じ吉田氏が男性を6千人弱も強制連行したとする記事はなぜ取り消さないのかと問うと、高田室長の回答はまたしてもこうだった。

「第三者委員会の詳細な検証を待っている」

だが、男性強制連行証言を残すと決めたのは朝日新聞であって第三者委員会ではない。客観的であろうとするのはいいとしても、丸投げにもほどがある。

朝日新聞の第三者機関「報道と人権委員会」(PRC)は11月12日、朝日新聞の吉田調書報道について「重大な誤りがあった」との見解を発表した。ただ、執筆した記者らの「意図」に踏み込んでいないため、今後も同様の問題が再発する懸念を指摘すると、高田室長は強い反応を示した。

「本社としては、意図的に捏造(ねつぞう)したわけではない」

とはいえ、当事者が否定したからといって疑念が晴れるとはかぎるまい。

そんな中で、すとんと腑に落ちたのが、読者の批判が大きくなった理由に対する販売畑出身の飯田真也新会長の次の意見だった。

「危機管理の上でも、紙面作りの上でも、社会からどう考えられるかという視点が十分でなかった」

同業者として、他山の石としなくてはならないと感じた。
産経ニュース2014.12.6

◆「アラスカ無宿譚」(4)

日高 一雄



三菱商事を早々に退職する際、本件の一切の資料を商事に置いて来たので、今は記憶に頼ってご報告して居るが、確か1969年6月頃であったと思うが、準備が一切整い日本からの「第5秋津丸」が指定日にアンカレッジ南のケープ・ブロッサム(ブロッサム岬)沖合5マイルの領海境の指定地点に姿を現わし、船尾に日章旗と米国旗を掲げて停泊して居る姿を見た時は、事業の成否を一瞬忘れて、本当に感激した。


小生はアンカレッジから先ず飛行機をチャーターして同船の停泊を確認した上、取って返して税関に交渉し通関役人を船に乗せて領海境界に居る「第5秋津丸」の現場に行って貰い、船と船員の入国手続きを行った。


某日、晴れて「第5秋津丸」は米国領海に入り、而も其処から大きく回ってベーリング海を抜け、更に奥地の北極圏に向かったのであった。通関時、結構海が荒れていて船が右に左に揺れ、米国の背の高い通関役人が日本式に極端に天井の低い冷凍船に頭をぶつけながら、一生懸命入管手続きをしていたのを懐かしく思い出す。

北極圏の「コツエブユー村」と言っても余程の大きい地図でなければ、今でもその村は地図に載っていまい。「第5秋津丸」は確か500トン程度の小型冷凍船だったと思うが、それが沖合に実際に姿を見せた事で、村のエスキモー住民は大いに喜び、鮭を取って冷凍船に運ぶ事を固く決心したのだった。(と小生は感じた)。

此の企画は結果的に大成功であった。最初から加工小屋は形式的なもので、小生は北極圏に役人が居ない事は知っていたので、エスキモーには魚を採った後、生のまま真っすぐに冷凍船に運ぶ様指示はしていた。


最高級のイクラ、筋子の製造は鮮度が勝負で、漁獲直後の生から加工するのが一番いいのである。困った事は日本では見られぬ鮮度抜群の大きな鮭がドンドン船に来るので、日本側の乗組員(生鮭の加工人員)の気持ちが高揚し、嬉しさの余り、船に積んであった私用の酒、タバコをドンドンエスキモー漁民に与え始めた事だった。

酒が入るとエスキモーは翌日の漁には出ない事は直ぐに分かったので、これを厳禁とした。長い話を短くして言うと、志水課長はこの遠征航海で全部の経費を払っても純利益1億円以上を挙げた、と後で耳打ちして呉れた。小生は仕事に大きな危険を冒したからこその大きな利益である事を勉強させて貰い、一緒に嬉しかった。


以上簡単に新規事業がスムースに成功した如く報告したが、実は此の時、もう一つ大きなドラマがあって、小生は思いも掛けぬ「米国の政治」に巻き込まれ、夜も眠れぬ日々を過ごしたのであった。

事件はこうして起こった。先ず、領海内作業の許可は専らワシントンの出先機関と折衝し、地元との大体の話の目途が付いて1969年には極洋船も来る、と決まった。その時点で、極秘に準備した企画を全て州知事に報告し、了解を得ると共に公開しよう、と決意したのである。

1969年春の事である。ジュノーにある州政府に赴き、州知事に事の経緯を説明した。州の辺境地域の経済開発と州民の収入確保の為、日本側リスクは極めて大きいにも拘わらず之を行うので、州知事に知事後援として発表して欲しいと言う趣旨であった。

出来れば本企画を知事の名で祝福して欲しい、とも言った。此の際、連邦政府はケネデイ・ジョンソンの民主党政府であり、アラスカ州はヒッケル氏の共和党である事は十分頭に入れてあったが、州知事が野心の塊である事は知らなかった。

事前に自発的、好意的に全企画を披露し、知事の功績を企画したにも拘わらず、しかし、州知事は理由不明の儘、突然企画実行に反対したのであった。全く予想しなかった知事の態度に小生は仰天した。

後で考えれば、此の意見表明は次の選挙資金を求める知事の三菱に対する催促ジェスチャーであったかも知れない。事実知事は大統領選でニクソン候補を担いで大量の選挙資金を提供していた。

商事としては資金提供の考えは、当時も今も無かったと思う。(と想像している)。本社には残念ながら、知事の祝福が得られなかった事を報告した。

しかし、知事に知られた計画が長く秘密である筈が無い。或る日、突然アラスカの2大地元紙に一面で知事と小生(三菱)が対立している、と報道された。

「三菱と州知事が衝突コースを辿っている」と大々的に報道された後は、新聞は連日「売らんかな」のフォロー記事満載で、地元も小生も恐らく三菱本社も大変な騒ぎとなった。

地元有力紙は2紙あり、1紙は共和党系、1紙は民主党系であった。州知事には嫌がらせの手段はあるだろうが、米国法と現地事情から言って、多分知事は現実的に何時までも反対出来ぬし、小生は連邦政府の応援と理解があれば、政治的にも本件は実行可能だろう、と見ていた。

しかし新聞報道から本社決定が出るまで、約1週間、拡大する報道合戦を横目に見て、小生は眠れぬ夜が続いた事は一生忘れない。

◆ソウルからヨボセヨ反日マッチポンプ

黒田 勝弘



外来語風の和製造語にマッチポンプという言葉がある。自分が火を付けておいて「火事だ、火事だ!」といって騒いで回るようなことをいう。韓国の近年の反日現象にはこれが目立つ。

とくにマスコミがこの手口になじ んでしきりに“反日ビジネス”をやっている。4日夕、ソウルで行われた日 本大使館主催の天皇誕生日祝賀レセプションに対する一部マスコミの反日 報道などその典型だ。

この行事は国際的には「ナショナル・デー」と呼ばれる恒例の外交行事で、日本やタイ、英国、オランダなど王室のあるところは王、女王の誕生日をナショナル・デーにしているところが多い。天皇誕生日は実際は23日だが、年末なのでソウルでは毎年、月初めに開催されてきた。

ところが 当日の東亜日報が「ソウルのど真ん中で日王誕生日祝賀、論難が予想され る」と伝えた。「論難」というのは主観的で「こうあるべきだ」という “べき論”が大好きな韓国マスコミの常套(じょうとう)句だが、記者が 「非難」の意味でそれを主張しているのだ。

国交がある国の公式外交行事であるナショナル・デー行事をケシカランというのなら、国交を断絶するしかないではないか。国際的常識を超えたこんなお手軽(?)反日報道が日本人の反韓感情に水ならず油をそそぐ。

産経ニュース【外信コラム】2014.12.6

◆私の「身辺雑記」(168)

平井 修一


■12月5日(金)。朝は室温12度、快晴、寒いなか、フル散歩。

伴侶をいかに手なずけるか。若い頃は「下」を攻める、それが終わった頃は「舌」を攻める。死ぬ近くまで食欲はそこそこあるから、旨いものを用意すれば、小生のようないささかエキセントリックなアル中っぽい夫でも、まあ受け入れる(だろう)。

いい加減といえばいい加減。まあアバウトなのだが、それでお互いがハッピーなら結構なことである。

韓国の「クネの元秘書が国政壟断か」という青瓦台ゲート報道は堰を切ったように一斉にクネ叩きになった。これまでのマスコミ各社の「クネ支持の国民感情法には逆らえないから」と自粛していた報道の鬱屈を一気に晴らすような勢いだ。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」、そんな感じ。支持率急減!

それに比べると中共はさすがにスケールが大きい。日本の国家予算の2年分、240兆円がどこかへ消えちゃったというのだ。弓野正宏・早稲田大学現代中国研究所招聘研究員の論考「監査で発覚 中国での国有地売却で消えた15兆元!」にはびっくりした(ウェッジ12/5)。

<中国の会計監査部門が全国各地で行った土地取引を巡る会計監査において驚くべき事実が発覚した。2008年から2013年の6年間に中国各地で行われた土地割譲(期限70年の使用権)を巡る資金に対して会計監査を行ったところ15兆元(当時レートで約240兆円)分の土地取引収入があったにもかかわらず、その行方に疑問が呈されているというものだ。多くが役人の懐に入った疑いがあるという>

中共は国民からすべての土地を奪って「最大かつ唯一の巨大地主」になり、今はそれを切り売りしているのだが、240兆円を中共幹部は飲み食い、蓄財、蓄妾、海外移住でつまみ食いした。いやはや立派な国である。

夕食は6歳児の希望によりチャーハン。豚肉、イカ、エビ、メンマ、ザーサイ、ニンニク、ネギ、ピーマン、筍、コーン、青豆、ニンジン、シメジを入れたからとても旨い。肉団子の中華スープ、冷凍だけれどギョーザと焼売も。残りはすべてお土産に持たせた。

ザーサイは中国産(桃屋)しか売っていなかった。ちょっと残念だ。もっともっとチャイナフリーを!

■12月6日(土)。朝は室温11.5度、今季最低、快晴、かなり寒いなか、フル散歩。幼稚園の入園手続きのためだろう、7時にはお父さんたちが8人行列していた。寒いから足踏みしている人も。散歩の復路でも数えたら16人に増えていた。

お父さんは大変だ、子供が一人前になるまで最低20年間は時速120キロでぶっ飛ばさなくてはならない。頑張ってくれー。

オランダ発祥の家具店イケアが韓国で叩かれているが、あんな国によく出店するものだ。クネは売春婦を叩くつもりらしい。朝鮮日報12/5「韓国政府、売買春拠点25カ所を一斉閉鎖へ」から。

<韓国政府が売買春の拠点を一斉に閉鎖する措置を打ち出した。女性家族部(省に相当)は4日、政府ソウル庁舎で行われたチョン・ホンウォン首相主宰の「第59回国家政策調整会議」で、売買春の拠点の閉鎖を含む「売買春の根絶および性的暴力予防教育の推進方策」を報告した。

女性家族部は「10年前に性売買(売買春)特別法が施行されたことにより、2004年に35カ所あった売買春の拠点は減少の一途をたどったが、依然として25カ所残っている。売買春の拠点を閉鎖するため、政府が集中的行政力を行使する」と説明した。

また「キス部屋(性交類似行為を行う業者)」や耳かきサロンなど、新手または変わり種の売買春業者に対する取り締まりも強化する。これらの業者に対する警察庁の摘発件数は、2010年に2068件、11年に2932件、12年に4371件、昨年には4706件と、増加の一途をたどっている>

売春は人類最古の商売だという。根絶するなんて不自然だし、不可能だろう。もてない男はどうすればいいのか。兵隊さんがかわいそう。クネは潔癖症なのか。

7時間、何をしていたか、クネクネか? クネのお友達?の国政介入を含めてはっきりしてくれ。韓国マスコミも「事実はどうなんだ」という論調になってきた。

売春叩きについては韓国名物の戦闘的売春婦がデモで抗議するだろうが、見ものだな。

今晩カミサンは奄美高校の同窓会。夕食は小生のみなので豚、鶏の生姜焼き、残り物の焼うどんの明太子味付け焼きを作った。予想外の旨さで完食。

頂門・渡部氏は再び三度ころんだというが、一回り以上若いとはいえ、小生もこのところ転げまわって左手首を痛めた。加齢による体力低下は免れない。用心するしかないな。(2014/12/6)