2014年12月06日

◆侍日本が幼児日本に

加瀬 英明



本稿を総選挙の結果で出る前に、書いているが、日本国民が幼児化してしまったことを、慨嘆しなければならない。

アメリカでオバマ大統領が指導力(リーダーシップ)を失って、内に籠るようになったために、世界が騒然となっているというのに、自民党の最大の選挙公約といえば、「景気回復、この道しかない」というものだ。

民主党のマニフェストをみると、「GDPが2期連続マイナスに! アベノミクスは期待はずれ」「社会保障充実の予算が半分に減らされた!」「実質賃金が15ヶ月連続マイナス。働く人はますます苦しく」といった大きな見出しが、躍っている。

公明党は「いまこそ、軽減税率実現へ」、生活の党は「生活者本位の実現へ」、他の党も、国民により快適な生活を約束しており、似たようなものだ。

だが、今の日本にとって何よりも重要な問題は、アメリカが意志力を萎えさせ、中国の脅威が募るなかで、日本の独立を守るために、何をなすべきかという、1点にあろう。

もちろん、安倍政権も「憲法改正」と「国防」を、公約として打ち出すわけにはゆかない。そうしたら、国民が背を向けて自滅する。

これまで歴代の政府も、政党も、国民に国のために辛いことに耐えて、犠牲を払うことを求めたことが、一度もなかった。国民は国家を顧(かえりみ)ることがまったくなく、経済的な損得しか考えない。

アメリカは享楽的な国として知られるが、ジョン・ケネディ大統領が就任演説で、「国が何ができるかということではなく、国のために何ができるか考えよう」と訴えたのは、有名である。

歴代のアメリカ大統領は就任するに当たって、国民に国家に対する責任を果たすことを、つねに求めてきた。

この20年をとっても、クリントン大統領が就任式において、国民に「奉仕の時代(シーズン・オブ・サービス)が来た」と呼びかけ、ブッシュ(子)大統領は、国民に「責任の時代(リスポンシビリティ・エラ)に応える」ことを求めた。

オバマ大統領も、国民に「耐え」「責任を分かちあい」「勤勉、忠誠心、愛国心」を訴えた。

日本では総選挙のたびに、政党が「生活第一」とか、「生活重視」といったスローガンを、掲げる。与野党とも「何よりも生活」を優先するということでは、変わらない。

だが、日本が幕末から明治にかけて、国家として存立を問われた時に、為政者が何よりも「生活を重視する」ことを、訴えただろうか。

今日の日本の政治家には、国民に困難を分かち合い、犠牲を払うことを求める気概がない。

かつて日本占領にあたって、マッカーサー元帥が「日本人の精神年齢は12歳だ」と、嘲(あざけ)ったことがあった。だが、12歳だったら、国の独立を守ることが大事であることを、理解しよう。

ところが、今日の日本人の大多数が、国の役割といえば、オヤツか、ケーキを配ることだと信じているから、いつのまにか、3歳か、4歳の幼児になってしまっている。

多くの国民が「日本国憲法」を、“平和憲法”として崇めているが、日本を非武装化して、二度とアメリカの脅威とならないようにしたものだから、“アメリカのための平和憲法”である。

◆「アラスカ無宿譚」(3)

日高 一雄



最初に「コツエビュー村」に行ったのは1967年の事思う が、此処でケデイ・ジョンソンが用意した、生まれたばかりの貧困地域 経済開発法(EDA Fund)が活躍する事となる。


簡単に言うと、小 生の案は経済開発法を使って「コツエビュー村」が経済的貧困地域の指定 を受け、連邦政府から何かの資金を得て新規の鮭事業を行い、新規事業と絡め
て、日本から「コツエブユー村」に冷凍船を持ち込んでその 鮭を買えば、彼らが喜び、我々も何とか商売になるのではないか?日本の 商社マンは此処までやるか、と言う話にもなるが、若い商社マンは合弁会 社の経営はさて置いて、商社マンとして新商売に繋がる此の新企画に暫時 頭と体を使う事になった訳である。



此の為に小生は実際に何をしたのか?商社がエスキモー多数との個人契約では面倒で出来ぬし、EDA対象事業とする為にも、先ずエスキモー幹部を説得し彼らに初めて漁業組合を作らせる。

その組合に連邦政府に対して EDA法に基づく貧困地域への指定と経済開発資金を取得する申請書を書 かせ、幾ばくかの資金を手に入れさせる。一般的には之は返済不要の資金 である。その金で海岸に簡単な鮭加工小屋を建てさせ、場合によっては、 追加して簡単な船を持たせる。


その上で、彼らが水揚げした鮭を一応小屋 に持ち込み、洗浄して生魚のまま日本からの冷凍船に持ち込み、日本に売 ると言う形の契約を作る、と言う流れである。勿論日本船が米国領海内で 魚を冷凍するには、連邦政府の許可を得る事が必要になる。夏の限られた 期間にせよ、自国領海内で魚を冷凍する事を連邦政府が許可するかどう か、は第一の関門で
あった。

どの位時間が掛かっただろうか?兎に角、以上の作業を一人で而も競争相手の商社に漏れぬ様極秘裡にやって、結果的に組合が出来て引取価格も決めて組合と仮契約を署名し、無事連邦政府からも内諾を得て、或る時点でアラスカ側の企画の大体の目安が付いた

。その時点で、本社に連絡し、何 処か此の計画に乗る漁業会社が日本側に無いか?調査・交渉して貰った。


その結果リスクはあるが極洋捕鯨(現極洋)が手を挙げたのである。同志誕生。之が1968年の夏頃であったと思うがその年には仕事にはならなかった。何せ商社としての販売商品はと言えば、現に海で泳いで居る魚であり、購入する極洋捕鯨も、海で泳ぐ商品を対象に先ず冷凍船の派遣に船員、往復燃料、資材の買付、積み込み、など事前に巨額の仕込みを行わねばならない、

大変リスクの高い計画だと思った。しかし、当時の同社貿易 課長故志水宏典氏は果敢な決断をした。因みに志水課長と小生は本社時代 の鮭缶詰取引を通して友人関係でもあった。(同氏は最後に社長になった。)


三菱商事を早々に退職する際、本件の一切の資料を商事に置いて来たので、今は記憶に頼ってご報告して居るが、確か1969年6月頃であったと思うが、準備が一切整い日本からの「第5秋津丸」が指定日にアンカレッジ南のケープ・ブロッサム(ブロッサム岬)沖合5マイルの領海境の指定地点に姿を現わし、船尾に日章旗と米国旗を掲げて停泊して居る姿を見た時は、事業の成否を一瞬忘れて、本当に感激した。

小生はアンカレッ ジから先ず飛行機をチャーターして同船の停泊を確認した上、取って返し て税関に交渉し通関役人を船に乗せて領海境界に居る「第5秋津丸」の現 場に行って貰い、船と船員の入国手続きを行った。

某日、晴れて「第5秋 津丸」は米国領海に入り、而も其処から大きく回ってベーリング海を抜 け、更に奥地の北極圏に向かったのであった。通関時、結構海が荒れていて船が右に左に揺れ、米国の背の高い通関役人が日本式に極端に天井の低 い冷凍船に頭をぶつけながら、一生懸命入管手続きをしていたのを懐かし く思い出す。(つづく)


◆こんどは教職員組合が全土的連帯行動

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26年(2014)12月5日(金曜日)通巻第4413号 >
 
〜中国の労働争議、こんどは教職員組合が全土的な連帯行動
  小中学教師らが賃上げ要求の集会を各地で開催、全土に拡大中〜

11月下旬からの顕著な動きは教職員の賃上げ要求集会だ。
 
12月4日、河南省兔州市の市政府ビル前にふってわいたように数千の教員が集まり、賃上げ要求の集会を開催した。「過去20年、われわれ教員は安い給与に甘んじており、これでは生活ができない」と口々に訴えた。

おなじ動きは全土的に拡大しており、浙江省麗水市では数千が動員され、東北3省ではあちこちに教職員の集会が連続開催されたため、この模様はニューヨークタイムズも報じた。

ほかに華字紙メディアによれば、ハルビンで6000人、湖北省刑州では中学校の教員が集会をひらき、黒竜江省の肇東市でも8000名の教員があつまって賃上げ要求の集会を開いた。

教員の動きに刺戟を受けたのか、大企業労働者も待遇改善を要求する社内集会が拡大しており、深センの外資系企業のほか、安徽省、江西省桂林、青島でも数千の労働者が集まっていずれも警官隊が導入されてにらみ合いが続いた。

労働争議や農民暴動は日常茶飯だが、教職員は全土的組織をもって、横のつながりがあり、これまでの散発的で全土的連絡網のなかった争議とは趣を異にしている。組織的活動こそは中国共産党がもっとも警戒する動きである。

◆「核」が日中開戦を抑止する(79)

平井 修一



神保謙・東京財団上席研究員/慶應義塾大学総合政策学部准教授の論考「南シナ海におけるコスト強要(cost-imposing)戦略」(10/14)から。

<今日のコスト強要戦略をめぐる議論は、中国の軍事的台頭と海洋進出を背景に、力による現状変更を阻止するための具体的な方策の検討へと歩を進めている。


南シナ海におけるコスト強要戦略とは具体的に何を意味するのか。新アメリカ安全保障センター(CNAS)のパトリック・クローニンは今年9月に発表したレポート「海上における威嚇に対する政策課題」において、中国の威嚇的な海洋進出に対し「軍事衝突へとエスカレートすることも、不作為によって現状変更を許すこともさせない対抗措置」としてコスト強要戦略を採用し、その内容を以下の通りカテゴリー別に詳細にわたり検討している。


第一のカテゴリーは軍事的対応である。この軍事的対応には、1:米国の軍事プレゼンスの強化(米軍の前方展開戦力の強化・新たなローテーション拠点の構築)、2:同盟国・パートナー国との軍事演習・訓練及び共同行動の実施、3:相手の弱みや脆弱性に着目した軍事力の整備(ハイテク技術の開発、対潜戦や弾道ミサイル配備等)、4:同盟国・パートナー国の能力構築(武器移転・訓練・ISR/諜報能力のネットワーク化等)が含まれる。


第二のカテゴリーは非軍事的対応である。この中には、1:情報(中国のパワーを背景とした現状変更の実態を晒す、警戒監視体制のネットワークを構築、米国と同盟国にとって望ましい評判を形成等)、2:外交(国際法・裁判所の活用、米国や友好国の支持声明、ASEANの一体性強化、中国の主権に対する認識への異議申し立て)、3:経済(貿易投資の多角化、
経済制裁)が掲げられている。

こうした軍事的・非軍事的なコスト強要戦略により、中国が自らの行動に高い代償が伴うことになることを認識し、費用便益の観点からそのような行動を自制することが望ましい、と考えれば、この戦略は有効である。

その代償とは、CNAS報告書によれば、

1:中国の国際的な評判を貶める、

2:中国に経済的な損失をもたらす、

3:中国に不利なルールと規範を形成する、

4:中国国内の政治的摩擦を増やす

5:中国に国防支出の多角化を促して浪費させる、

6:米国の関与と抑止力を向上させる、

7:中国の軍事的な脆弱性を晒す、

8:地域の軍事バランスを変化させる、

などが挙げられている>(以上)

中国の国防大学教授や軍関係者らは盛んに好戦的な発言をしているが、彼らには「中国は周辺国から侵略され、圧迫を受けており、軍事力を強化して危機を突破しなければならない」という意識が強い。こんな具合だ(人民網2013/9/22)。

「この世界は弱腰では問題を解決できない。中国は釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題と南シナ海問題において争わねばならず、譲歩するわけにはいかない」

「現在南シナ海の53の島や礁のうち、中国は9つのみを実効支配している。29はベトナムに占領され、関係海域は117万平方キロメートルに及ぶ。9つがフィリピンに占領され、3つがマレーシアに占領され、2つがインドネシアに占領され、1つがブルネイに占領されている」

「南シナ海は戦略的に非常に重要だ。全世界の海洋航路は約40本あるが、うち20本余りが南シナ海を通過する。中国のエネルギー輸入の60%がマラッカ海峡を通過する必要がある。このため中国にとって南シナ海は争わねばならぬ地であり、譲歩するわけにはいかない」

「釣魚島はいくつかの岩山をめぐる争いでは断じてなく、軍事戦略上非常に大きな意義を持つ」

「近年、わが国の武器装備水準は高まり続けている。陸軍の戦車は最先端で、海軍も新型艦艇の強化を続けている」


いささか被害妄想的だが、平和を求めるのであれば中共は暴れるべきではなかった。大暴れして世界中から警戒と反発を招いてしまったのは大チョンボだった。しかし、習近平をはじめ誰も大チョンボだったとは(思っていても)言えない。言えば弾圧されるからだ。被害妄想で暴走するばかりだ。

<中国国家主席、新型兵器の開発加速を指示

[北京12/5ロイター]中国国営通信の新華社は4日、習近平国家主席が、人民解放軍の兵力強化のため、最新の軍装備品の開発を加速するよう指示したと伝えた。新華社によると、習主席は人民解放軍の会合に出席し、軍の改革は「軍隊を強化するという目的に沿って」行われるべきだと述べた。

習主席は、高性能兵器は現代の軍隊を象徴するものであり、国家安全保障を支えるために必要不可欠だと指摘。新たに開発される兵器は、実戦に必要な基準を満たし、既存の兵器の弱点を補うため「革新的かつ実用的で、先進的」でなくてはならない、と述べた。

今年の中国の国防費は12.2%増の8082億元(約1313億ドル)に達する見通しとされているが、多くの専門家はこの数字は実態を示していないと指摘している>

我が方は暴走を抑え込む具体的な軍事的・非軍事的な作戦を展開していくしかない。(2014/12/5)

◆いざ!「ハゲノミクス」

馬場 伯明


毎月文藝春秋を読んでいる。2014/12月号に「ハゲノミクス(ハゲと共に生きてゆく)」があった。キャッチコピーは「堂々としたハゲはカッコいい。ハゲは人生の縮図。ハゲが増えれば日本が明るくなる!?」。本家の「アベノミクス」を陵駕する勢いである。東京への通勤電車で読んだ。

安倍内閣の飯島勲参与(69)と楠木建一橋大学教授(50・経営学)にアンチ安倍首相の福本容子毎日新聞社論説委員(52)を加えた鼎談だ。福本氏には「なぜ世界でいま、『ハゲ』がクールなのか」という著書がある。

飯島・楠木両氏は立派な光頭派(ハゲ)である。本物の二人による丁々発止の対談に福本氏が絡む。だからほんとに面白い。車中で独り笑いする。周囲の乗客の怪訝な視線がじんわりと伝わってきた。

2006年「ハゲ・薄毛論、その後」の投稿以来本誌に何度かハゲのことを書いた。私の髪の現状は相変わらず「バーコード頭」である。左から被せ流しているが間隔が粗くなり真上の毛はほぼなくなった。

しかし、額の生え際が(不思議なことに!)残っており、上背がある私は前から見れば普通にも見える。でも、他人は知っている。「ないね」と言わないだけ。思えば8年間よく持ちこたえた。では、総退却のX-Dayはいつなのか。目下、最大の関心事である。

文藝春秋の鼎談に戻る。3人の軽妙・洒脱なもの言いは笑いと涙の3人漫才のようでもあり、プロによる貴重な知識やご意見、また、意外な「ハゲ神話」が連発される。

「同種族の人物に目が行く。あ、兄弟だな(飯島)」。「(ハゲ)いい人じゃないかって思う(笑)(楠木)」。「私が体感した(世界中のハゲの)共通点はホームレスと王室にハゲはいないこと。ウイリアムズ王子はちょっと薄くていらっしゃるけれども(笑)。ハゲは中間層(飯島)」。なるほど・・。

「私の発見。ハゲてもわりと何とかなる顔だちの人がハゲるということです。この人(の顔)はハゲるとよくないなという人は、あんまりハゲない。神の配慮が行き届いているなと思います(楠木)」。

楠木氏は謙虚だが真剣である。そこで、電車内を見渡せば、あらま、そうのとおり(笑)。そこで「まさにカミの配慮(笑)」と福本氏が追い打ち。

「北海道のホテルが(抜け毛がないハゲの客は)排水口の掃除が楽だとハ
ゲ割(500円)を始めたんです(福本)」。嘘だと思えば、あらら、Googleしたら、層雲峡マウントビューホテルがやっている(笑)。

「失敗ばかりの人生だと『すみません』と頭を下げるから後ろからハゲる(飯島)」。「その説は初めてうかがいました。私が先方に『頭を丸めてまいりました』って言うと、『お前、もともとじゃねえか』と返って来て・・(笑)(楠木)」。

そうかな? BSフジの人気番組「プライム・ニュース」の反町理キャスター(50・フジTV報道局政治部編集委員)の舌鋒は鋭く「すみません」とは縁遠い。また、友人で秀才のK氏も議論では引かない。「後頭や天辺がハゲている人は頭を下げると目立つ」という程度ではないのか。

「高橋克実さん(53)は頭頂部のハゲを横の髪で隠していたのですが、ある時から今のスタイルに・・(福本)」。バーコード頭と決別した心意気や、よし。「ベストハゲニスト賞をやったらいい」と楠木氏がフォロー。

「アハハハハ。そうやってハゲをうまくネタにして、場の雰囲気をよくするのはとてもいいこと。周りを明るく照らせるプラス思考のハゲの方が多くなれば、日本全体もきっと明るくなる」と福本氏がまとめにかかる。

悟りの境地に達している両氏の堂々たる「ハゲ論」には敬服する。さらに、両氏とも発毛剤や育毛剤、それとカツラを一刀両断する。けだし、炯眼(けいがん)である!いちいち、正しい。
「(発毛剤使用は・・)毛頭ありません。お金も時間もきりがない。(ハゲは)髪を洗うのもすぐ終わる。櫛も整髪料も必要ない(楠木)」。「結局、本人が気にしているほど、周りは気にしていない(楠木)」。

「(ハゲの)不自然な防御方法の最たるものがカツラなんです(楠木)」。「(かつらは)実際にはパッと見てわかっちゃう(飯島)」。「そう、そこが気の毒なんです(福本)」。

「経営者でカツラの人ってあまりいませんね(飯島)」。「何を言っても、『カツラじゃん』と言われたら説得力がなくなってしまう(笑)(楠木)」。

ハゲで困ることがあるという。「手で前髪を払う仕種ができないのは寂しいね(飯島)」「最大の欠点は誤魔化すことができない。ハゲは額縁のない絵と一緒(飯島)」。

「ハゲは、男性ホルモン過多なので、女を求める資質が優れ、結果として、アレが強い」。これは有力な「ハゲ神話」の一つである。私は「何とかなる顔だち」ではないので、光頭派の先輩たちに追い付くにためはもう少し時間がかかりそうだ。

古来「バカとハゲにつける薬はない」と言われてきた。ところが、文藝春秋の鼎談を読み、両氏には「(ハゲだけれども利口だから)薬はいらない」ということがよくわかったのである。ガッテン!ガッテン!

映画「アナと雪の女王」で、松たか子は「Let It Go−ありのままで−」を高らかに歌った。

♪ありのままの姿見せるのよ  ありのままの自分になるの私は自由よ これでいいの  少しも寒くないわ

「失った毛を数えないで、自分が持っているものに眼を向ける。そういう現実をプラスに転換して楽しむ(福本)」。

「『ありのままで』いいんですよね(福本)」。「そう、『ハゲのままで』(楠木)」。めでたし・・・。(2014/12/4千葉市在住)。


(追記)

1.本文中、(笑)の表示が多くなった。それだけユーモアにあふれ、楽しく有意義な鼎談だったということである。

2.福本容子氏の著書「なぜ世界でいま、『ハゲ』がクールなのか」(840円・講談社・2014/8)はまずまず売れているらしい。     



            

2014年12月05日

◆朝日新聞、取り消し記事の矛盾

阿比留 瑠比


藤岡信勝・拓殖大客員教授が先月、僚紙夕刊フジに連載していたコラムで興味深い事実を指摘していた。朝鮮半島で女性を奴隷狩りのようにして強制連行したと証言した吉田清治氏について、虚偽だと判断して関連記事16本を取り消した朝日新聞の矛盾に関してである。


男性連行証言

朝日は慰安婦に関する吉田証言は否定したものの、同じ吉田氏が朝鮮人男性6千人弱を同様に連行したと証言した記事は取り消していないというのだ。

なるほど、朝日の昭和57年10月1日付朝刊記事「朝鮮人こうして連 行 樺太裁判で体験を証言」「壮年男子根こそぎ 集落包囲、殴りつけ」は、東京地裁での吉田氏の言葉をそのまま紹介してこう書いている。

「木刀で殴りつけ、『コラ、表に出ろ』と、男を全員道路にたたき出した。その中から20−40歳に思える男だけをホロでおおったトラックに 乗せ、着のみ着のままで連行した」

「吉田さんが指揮した限りでも、こうして推定六千人弱を『労務動員』した」

朝日が歴史問題でいかに「職業的詐話師」(現代史家の秦郁彦氏)である吉田氏に執心し、また依存していたかがうかがえる。ともあれ、男性強制連行の記事はなぜそのままなのか。

藤岡氏が朝日に(1)なぜ取り消さないのか(2)記事内容は真実と認定したのか(3)今後取り消す考えはあるか−の3点を問い合わせたところ、こんな回答があった。

 「記事は、当時の裁判での吉田清治氏の証言を報じたもので、裁判の証言自体をなかったことにすることはできないと考えている」

 てんで理屈になっていない。この論法に従えば、吉田氏が慰安婦を強制連行したと証言したのも事実なのだから、朝日がその証言自体を紹介した記事を取り消したのも間違いだということになってしまう。


不自然な放置

第一、朝日は平成5年3月20日社説「日本の道義が試されている」では、こう主張しているではないか。

「朝鮮半島からの労働者の強制連行があったのに、慰安婦についてだけは、強制がなかったと考えるのは不自然だろう」

慰安婦の強制連行証言を取り消した朝日が、同じ人物による男性の強制連行証言を取り上げた記事を放置するのは不自然である。

そもそも、労務者の「徴用」を「強制連行」と言い換えていること自体おかしいのだ。朝日自身、昭和34年7月13日付の記事「大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表」「戦時徴用は245人」ではこう書いている。

「韓国側などで『在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ』との趣旨の中傷を行っている」

また、前述の57年10月の朝日記事は、吉田氏が裁判で「(朝鮮半島 からの男性強制連行は)18年夏から20年2月ごろまでにかけ、毎月の ように続いた」と証言したと記すが、この点についても34年7月の記事 はこう指摘している。

 「国民徴用令は(中略)朝鮮への適用はさしひかえ昭和十九年七月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関−釜山間の運行が止まるまでのわずか七カ月間であった」

 朝日がどうしても男性の強制連行に関する記事を取り消したくないのなら、いっそ34年の記事の方が間違いでしたと訂正してはどうか。
(政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】12・4

◆「アラスカ無宿譚」(2)

日高 一雄



或る年の或る川への鮭成魚溯上量測定から上流での見込み産卵孵化数(稚魚数)が推定され、それから一定の回遊年後の成魚溯上量が推定され、実際に測定され推定と対比される、と言う具合で、鮭のサイクルが極めて科学的に管理されて居た。

此の時、鮭漁業の基本思想は、産卵用川底(リバー・ベッド)が乱されて産卵が出来ない状態を避ける為に、寧ろ一定数以上の鮭成魚の溯上は阻止する事を基本思想とし、その阻止量の範囲内で河口から場所と時間を決めて鮭漁業が許可され、又、此の方法で再生産が保証・維持される、と言う次第であった

。鮭缶詰輸出で商売をして居た三菱から見ても、之では鮭が大洋を回遊中に、「公海漁業」と称して勝手に産卵前の鮭を洋上缶詰製造母船団とキャッチャー・ボートを組ませて大量に摂る我が国の鮭漁業が非難されても致し方あるまい、と思った事であった。(我々は本社では此の米国の管理方法の知識は無かった。)

その問題はさて置いて、アラスカ州は面積が広く、川も沢山あり、カナダの西海岸国境地帯から北極圏に至る長い海岸には有名なユコン川やカスコキウム川(河口の村はベセル)など無数の川があって、河口及び上流には何世代にも亘り、エスキモーが生活している。

彼らは昔から冬場のオットセイの生肉と夏の生鮭と鮭の干物を常食とし、又、橇を曳く犬の食糧としている。鮭は夏場に摂り食するものもあるが、大半は天日で乾燥され、厳寒時の食糧となる。(今ではその世代は居ないだろうが)

大半の川では食生活の為と現金収入を得る為に夏場には多くのエスキモーが漁業に従事して居り、又、大雑把に言って、アンカレッジから南は近代的缶詰工場があって漁獲物はそれに売るが、それより北のアラスカでは、少量ながら48州から来た取引業者が生及び冷凍した鮭を買い取って居た。

勿論、南の方は白人のプロ漁師が鮭を取っていた。しかし、調査の為小生が奥地に入った処では、その中でも北極圏の中にある「コツエビュー」と言う村は、人口も少なくエスキモーしか住まぬ正に寒村で、魚の冷凍は勿論、冷蔵、加工施設が一切無く、勿論ホテルも電話設備も無く、エスキモーは昔ながらの生活をしていた。

小生の調査では此処のノアタク川では鮭の種類ではチャム・サーモン(北海道白鮭と同じ)が主力で、彼らは個人ベースで小さな平底船で細々と漁を続けて居たが、鮭の溯川量は十分ある様に見え、小生には此処で鮭漁業を慫慂し、商業的にそれを購入する博打を打っても勝算がある様に見えた。(つづく)

◆中国、SAARCを攪乱へ

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み
」 

<平成26年(2014)12月4日(木曜日)通巻第4412号 >

 〜中国、こんどはSAARC(南アジア地域協力連合)を攪乱へ
狙いはインドの主導権を弱体化し、インフラ建設で南アジア諸国への浸透〜

SAARC(南アジア地域協力連合)は1985年にバングラデシュが提唱し、ダッカで第1回首脳会議が開催された。

現在のメンバーはインドを中軸にアフガニスタン、ネパール、ブータン、パキスタン、バングラデシュ、モルディブ、スリランカ。ただしアフガニスタンは2007年から加盟した。

地域協力、とりわけインフラの建設やエネルギー問題での共同、貿易の拡大などで経済的な裨益を目的とする柔軟性に富む会議だが、パキスタンとインドの宿命の対立や、アフガニスタン加盟でのもめ事、スリランカ内戦など各加盟国間のいざこざも激しく、ときに3年、5年と延期されることが多かった。

国際政治の見地から言えば、率直に言ってこれまではさほど重要な会議という位置づけはなかった。

SAARCのオブザーバーには日本、米国、中国、韓国、豪にイラン、ミャンマー、モーリシャスが入っている。

11月29日からカトマンズで開催されたSAARC首脳会議には、日本は駐ネパール大使が出席し、米国からは地域担当の国務次官補が出席した。

というのもSAARCは近年、各国の大統領、首相が顔見せをするようになり、今回のカトマンズ首脳会議にはアフガニスタン大統領、インド首相、スリランカ大統領らが出席したほどの重要性を帯びてきたからである。

この首脳会議でのインドの主導権を取り上げようとしているのが、いわずと知れた「あの国」である。

オブザーバーの資格で出席した中国は「正式メンバー」としての加盟を働きかけ、その理由はアフガニスタン、パキスタン、ネパール、インド、バングラデシュ、そしてブータンと6つの国々と国境を接しているからとした。インド、ネパール、ブータンとは国境紛争を抱えている事実に中国は触れなかった。


 ▼中国の正式加盟を警戒するインド、賛成はネパール

中国の狙いはSAARC諸国への影響力の浸透であり、南アジア政治においてインドの主導権を弱体化することにおかれている。

従来、SAARCへの中国投資は250億ドルだったが、今後、インフラ建設への協力により300億ドルを投資する用意があるとして、インドを牽制し、しかも今回のカトマンズ会議の費用を中国が負担するなどの大盤振る舞いだった。

そしてインドの保護国であるネパールへの中国の浸透はマオイスト支援などを通じた甚大なものがあり、インドを苛立たせてきた(ただしマオイストはネパールで政権獲得後、分裂し、前回の選挙でマオイスト左派は大きく後退した)。

ともかくSAARCカトマンズ会議直前、ネパール内閣の三人の大臣が「中国の正式メンバー入り」を支持すると言い出した。その直前に中国はネパールに163万ドルの支援を発表したばかりだった。

モディ・インド首相は、この動きを不愉快として強く反対した。なぜなら正式メンバーは議題への拒否権を持つからである。

日本とはおおよそ無縁の首脳会議、インドの経済圏でもある舞台裏で、中国の外交は密かに続けられていたのだ。
        

◆私の「身辺雑記」(167)

平井 修一



■12月2日(火)。朝は室温14.5度、快晴、フル散歩。昨日は背中がぞくぞくして、「孫から風邪をもらったかな」と不安だったが、薬で運良く直ったみたいだ。今朝は冷たい風が吹き、向かい風だと涙が出た。Winter hascomeだな。

香港雨傘革命は逮捕者続出だ。ケガをし、収監され、そして裁判。運がよければ保釈や、判決も執行猶予つきになるが、それでも前科者だからパスポートは執行猶予期間が終わるまでは取得できない。結構、辛い人生になる。小生はたまたま海外旅行関係の記者になってしまったから、泣きたい気分だった。

自業自得・・・自分で選んだ道だから、「志士は溝蓋(こうがい)にあるを忘れず」とは思うが、雨傘の若者の逮捕には心が痛む。就職も難しくなり、インテリ学生が肉体労働に就いたケースを見聞している。習近平、中共を殲滅しないと、この悲劇は続くことになる。

もう一人の暴れ者、プーチンは久し振りにデモを食らった。NHK12/1から。

<ロシア 医療制度改革に抗議デモ

ロシアでは、ウクライナ情勢を巡る欧米の制裁や原油価格の下落によって経済への影響が広がるなか、政府が財政引き締めの一環として進める医療制度の改革に対し、削減の対象となる医療関係者らが抗議のデモを行いました。

ロシアでは、ウクライナ情勢を巡る欧米の制裁や原油価格の下落によって、通貨ルーブルが最安値を更新し、株価も低迷するなど、経済への影響が広がっています。

こうしたなか、ロシア政府は、財政引き締めの一環として医療制度の改革を進め、この結果、医師など医療関係の公務員7000人以上が解雇され、モスクワだけで20以上の病院と診療所が閉鎖になるとされています。

これに対して、医療関係者らが30日、モスクワで人員削減に反対するデモを行い、主催者側の発表で3000人以上が参加しました。デモの参加者は「医師ではなく、先に官僚の数を削減すべきだ」などと訴え、政府に対して、医療制度の改革を見直すよう求めました。

ロシアでは、ウクライナ情勢を巡ってプーチン政権が欧米との対決姿勢を強めるなか、政権への支持率が伸びて、政府の政策を批判する大きなデモや集会はほとんど開かれなくなっています>(以上)

金の切れ目が縁の切れ目。プーチンも習も経済は下降する一方だ。2、3年は確実にへたるだろう。

アベノミクスも息切れ始めたが、総選挙で勝てば盛り返す可能性は高い。余裕のある企業は貯め込んでばかりいずにボーナスをはずんで、消費を盛り上げてくれ。風邪をひきそうになったら初期の段階で治療すべきで、こじらせてはならない。

■12月3日(水)。朝は室温12度、今季最低、快晴。フル散歩したが、手足の先がしびれるほど冷えた。カミサンは風邪を引いた。

♪赤く咲いても冬の花、咲いて悲しい山茶花の宿

散歩道ではいつの間にか山茶花が咲き誇っており、家ではシャコバサボテンがピンクの花を開き始めた。昨日カミサンが屋上から室内にとりこんだのだ。冬でも楽しめる花があることは幸いなれ。雪国では冬桜くらいしか咲いてないようだ。まあ、それだけ「北国の春」は素晴らしいのだろうが。

新聞や本を坐って読むことがあまりない。立ちっぱなしだ、ン?! 30年間の通勤電車では大体往復とも、運が良くとも吊り革だから、立ちっぱなしで読む。これが習慣になってしまった。

今は新聞はキッチンで読むのだが、先日、上の方からひもで結んだクリップを2個垂らし、新聞を吊るして読んだらすこぶる具合が良い。記事と目線がぴったり一致するよう調整できるのだ。坐っても読める。産経を吊るして読むのは多分小生だけだろう。

両手が自由になるからコーヒーを飲みながらとか、パイプ煙草を楽しみながら読める。調理台の上に新聞を広げると、どうしても濡れるが、吊るせばほとんど濡れない。創意工夫は面白い。

工夫といえば、日が射しているうちにシャワーを浴びると結構快適だ。夜はアルコールが入っているからなおざなりになるが、昼間ならきちんと洗う。暖かいから湯冷めもしないだろう。昼シャワはまだ2回しかやっていないが、習慣になりそうだ。

夕べは近所のコンビニではおいしいワインが入手できずに、非常に惨めな晩になった。シャワーの後に買い物に行って、大好きな飲み物を仕入れた。珍しい経験をするもので、レジの女性がカゴをサッカー台まで運んでくれた。小生は立派な「弱者」になったのだ。

<「トリアージ」は、対応人員や物資などの資源が通常時の規模では対応しきれないような非常事態に陥った状況で、最善の結果を得るために、対象者の優先度を決定して選別を行うこと>(ウィキ)

優先順位は、子供>30〜60歳未満の現役女性>同男性>リタイアしたヂイヂ・バアバ、だろう。ところがヂイヂ・バアバに医療費を含めた社会保障費の多くが注がれている。トリアージを考えた方がいい。ヂイヂ・バアバに年間医療費1000万円なんて狂気の沙汰だ。

死にたい奴はごまんといる。安楽死も推奨すべし。

現役と将来の世代を優先的に守れ、ということ。金持ちの産油国ならともかくも、弱者を税金などで手厚く保護するというのは一見よさそうだが、
亡国の元だ。

弱者の受け皿は「家」であるべきで、GHQに壊された「家制度」の復活を進めるべきだ。戦前は次男坊、三男坊はどんどん婿さんになった。次男坊の父も平井姓になった。養子縁組なども活用して三世代同居の堅固な家をつくるべし。

さすれば高齢世帯の生活保護を含めて、介護や少子高齢化の問題の多くは解決されるだろう。嫁さんの負担を和らげる措置を講ずるべきだ。

■12月4日(木)。朝は室温13.5度、曇。手袋、靴下ともに二重にしてフル散歩。まあまあ保温。足場が悪いところで少しばかり木に登って懸垂したが、着地に失敗してころげた。やはり運動神経が鈍っているのだ。無理をすると大事になるだろう。

2001年の9.11テロで小生の会社はころげた。メインのクライアントはUSエアウェイズ、サウスウェスト航空、ランチリ航空、エアメヒコ、ブリティッシュミッドランド航空など。全てが広告をストップした。2か月後の弊社の売上が4分の1になった。銀行から見放された。

会社を整理、迷惑をかけずにスムースランディングし終えたのが2003年3月。胃潰瘍は胃がんになっていた。手術して再就職して、その前からも給料は激減。カミサンの方が給料が多くなった。家庭内の序列、秩序が逆転した。

カミサンはそれ以降、遠慮がなくなって、小生に苦情を連発するようになった。「反省しなさい」「過去に私は傷ついた」「アンタはちっとも私がどんなに辛かったかを正しく認識していない」・・・

10年以上、責められたが、「まあねえ・・・そういうこともあったか、ご免ご免」と半分笑ってやり過ごしたが、11月29日朝から心身が強烈な拒絶反応を示した。それ以前から「口撃」に心身が反発し、体が震え、頭も揺れまくり、つまりクライシスコールを発し始めていたのだが、ついに限界を超えたのだ。

もう耐えがたくなった。

我が身を守るためには「口撃」を封じるしかないから、「話しかけないでくれ、必要なことはメモしてくれ」。会話をシャットダウンした。

サメは動き回らないと死ぬという。カミサンはおしゃべりできないから死にそうだ。まったく元気がなくなった。陸に上がった河童。

美味いものを作って、急遽、N母子をおしゃべり相手に呼び寄せた。カミサンの機嫌は多少はよくなったようだ。まったく女はやっかいだ。「我こそ正義」と自分の価値観を絶対視するクネみたいなのが多いのか。

以上、好みのワインを飲んでいささか饒舌になったので余計なことを書いた。お目汚よしというのか。63歳主夫ヂイヂの「内緒話」だが、現実の生の現場はこんなものである。参考にしてほしい。

参考にすると結婚をためらうか? スリル満点のジェットコースターを一度も経験しないのは、君、哀しからずや?(2014/12/4)


      

◆朴正煕の涙、クネの悔し涙

平井 修一



世界日報11/27が「青瓦台ゲート事件」の火をつけた韓国版世界日報(セ ゲイルボ)のコム「朴正煕の涙」を紹介している。

<愛国歌(韓国の国歌)が始まると、瞳に浮かんだ涙がいつの間にか滝の ように流れ落ちた。鉱夫も泣き、大統領も泣いた。講堂の中はたちまち涙 の海と化した。1964年12月10日、朴正煕大統領がドイツのハンボルン炭鉱 を訪ねた時のことだ。

講堂には作業服を着た韓国人の鉱夫と韓服姿の看護婦たちで満席だった。 鉱夫たちの顔と服には黒い石炭の粉がこびり付いていた。二十歳余りの看 護婦たちは貧しい家族の生計を立てるため、異邦人の死体を拭くことも厭 (いと)わなかった。

朴大統領は彼らの前で、「私たちは一生懸命、働こう。子孫たちのために 一生懸命、働こう。一生懸命、働こう」と叫んだ。涙で喉が詰まった大統 領は、この言葉だけを繰り返した。

幼い看護婦たちは陸英修大統領夫人の前に押し寄せて「オモニ(母さ ん)! オモニ!」と言って泣きながら、襟がちぎれるほど陸夫人の服を つかんでしがみついた。夫人は母親のように彼女たち一人ひとりを抱き締 めた。

鉱夫たちは西ドイツの大統領の前で、床に両手をついてお辞儀をして懇請 した。「どうか、韓国に援助してください。どんなことでもやります」

朴大統領の西独訪問は“涙の外交”だった。大統領はエルハルト首相に「資 金をちょっと貸してほしい」と何度も頼み込んだ。あまりにも涙を流すの で、西独首相が「ニヒット・ヴァイネン(泣かないでください)」と言っ たほどだ。

当時、貧しい東方の国にさっと巨額の金を貸してくれる国はどこにもな かった。西独に派遣された鉱夫と看護婦の月給を担保にして、やっと1億 4000万マルク借りることができた。この資金で韓国は“ライン川の奇跡”を 漢江に植え付けた。

ちょうど半世紀かかった。来月(12月)10日、涙のその日にハンボルン炭 鉱でつつましやかな記念式が開かれる。行事には当時の派独鉱夫・看護婦 と朴寛用・元国会議長などが参加する。歴史の現場であることを知らせる 表示版も立てられるという>(以上)

この「朴正煕の涙」から半年後、1965年6月22日に日本と大韓民国との間 で日韓基本条約が結ばれた。日本の韓国に対する莫大な経済協力、韓国の 日本に対する一切の請求権の解決、それらに基づく関係正常化などを取り 決めた。

<財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大 韓民国との間の協定によって、日本は韓国に次のような資金供与及び融資 をおこなった。

3億ドル相当の生産物及び役務 無償(1965年)(当時1ドル=約360円)
2億ドル 円有償金(1965年)
3億ドル以上 民間借款(1965年)

計約11億ドルにものぼるものであった。なお、当時の韓国の国家予算は 3.5億ドル、日本の外貨準備額は18億ドル程度であった。

また、用途に関し、「大韓民国の経済の発展に役立つものでなければなら ない」と定められてあった。

韓国政府はこれらの資金を、軍人・軍属・労務者として召集・徴集された 者の遺族への個人補償金に充てた。しかし、個人補償の総額は約91億8000 万ウォン(当時約58億円)と、無償協力金3億ドル(当時約1080億円)の 5.4%に過ぎなかった。また、終戦後に死亡した者の遺族、傷痍軍人、被 爆者、在日コリアンや在サハリン等の在外コリアン、元慰安婦らは補償対 象から除外した。

韓国政府は上記以外の資金の大部分は道路やダム・工場の建設などインフ ラの整備や企業への投資に使用し、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展に 繋げた>(ウィキ)

最貧国の韓国に最初の義援金を「貸した」のは西ドイツ、その半年後には 日本が「無償で1000億円」を提供、これが「漢江の奇跡」をもたらした。 韓国版世界日報も「国民感情法」に拘束されているから、それについては 一言も触れていない、触れられない。

今年の12月10日は「朴クネの涙」の日になるのだろうか。来年6月の日韓 基本条約50周年には記念式が持たれるのだろうか。クネは今の地位にとど まっているのだろうか。

何も日本に感謝しろとは言わないが、嘘八百のヘイトスピーチで日本を侮 辱するのは止めたらどうか。厚顔無恥の恩知らずに日本は愛想を尽かし、 今や韓国は経済メタメタ、政治はガタガタ。父上は「俺と国民が血と汗と 涙で造った国を娘が壊している」とあの世で嘆いているだろう。

まあ言ってもムダだな。つける薬はない。さよならクネ・・・(2014/12/3)


2014年12月04日

◆ダークホースは林佳龍

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26年(2014)12月3日(水曜日)通巻第4411号 > 

〜馬英九への挽歌
  台湾政治はカオス、はやくも次の総統選に国民の関心は移行した〜

11月29日に投開票が行われた台湾の統一地方選挙は与党国民党の劇的な 大惨敗となって、馬英九総統は国民党主席辞任に追い込まれた。

これは表層雪崩とみてよい。野党・民進党は敵失という幸運に恵まれ、望 外の大勝利となった。

すでに敗北結果がでた時点で江宣樺首相らが辞任表明、内閣総辞職とな り、党も幹事長以下殆どが引責辞任を表明した。この事態は台湾政府中枢 と、与党中央執行部が空洞化したことを意味する。
 
そして。

台湾政治の焦点は2016年初頭に予定される次の総統選に移った。国民党も 民進党も2016年総統選挙に臨む正式候補者はまだ未定だ。同時に立法委員 (国会議員)選挙も開催されるので大熱戦となるのは必定である。

国民党がこの不利な状況を挽回するためには最高のエースを出して総統選 挙に臨むしか道がない。他方、こうした状況であっても政権をとれないの であれば、民進党は国民から見放される危機に直面するだろう。

民進党はなんといっても今回の大勝利を主導した蔡英文主席が最有力候補 であるが、彼女の党内基盤は盤石ではなく、裕福な家庭で生まれた彼女は 出世コース一直線でエリート意識が強いため周りの意見を聞かないうえ、 自派がない。

となれば党内から「もっと若くて精悍なイメージのある総統候補」として 名前が挙がるのは台南市長の頼清徳である。

すでに謝長挺と蘇貞昌は不出馬を表明しており、ベテランで残るのは新北 市で朱立倫にあと一歩まで迫った遊錫コン(上に「方」ふたつならべ下が 「土」)がいるが、派閥力学的には党内をまとめきれないだろう。党は綱 領にある「台湾独立」を凍結しており、党内四大派閥のなかで、この遊錫 コンしか、独立姿勢を鮮明にしている政治家がいない。


 ▼ダークホウス、若手の動き

ダークホースは新しく台中市長となった林佳龍だ。

なにしろ林はベテラン政治家、胡志強を大差で破ったのである。林佳龍は 台中の環状線と東西線を組み合わせる「大台中の日の出、幸福の山手線」 をスローガンにするなど話題も多い。ちなみに林は現職国会議員のため近 く補選がおこなわれる。天安門の指導者で台湾に亡命したウアルカイシが すぐに立候補を表明した。

国民党は未曾有の混戦に陥っており、最有力候補は新北市市長の朱立倫、 ついで台北前市長の赫龍斌と副総統だった呉敦義とされる。

世論調査では朱立倫が大幅にリードしている。また呉敦義は選挙大敗の責 任を取らされ圏外に去ったうえ、赫龍斌は台北駅前の再開発事業を巡るス キャンダルを抱えており、出馬の可能性が薄くなった。

党長老の連戦は息子の連勝文が台北市長で無名の医師に惨敗し、また名誉 主席の呉伯雄も息子が桃園市長でまさかの敗北となり、これで国民党内で の発言権は著しく後退する。

となれば、本省人で馬英九最大のライバル=王金平の影響力がいやおうに も増してくるだろう。

ともかく国民党党内の内ゲバが凄く、キングメーカーが不在である。
したがって連戦や王金平、呉伯雄の各派閥が候補者一本化で妥協できない だろう。まして馬英九が党主席をやめたので、次の総統選のキングマー カーになれないばかりか立法委員の公認にも関与できない。つまり死に体 (レイムダック)になる。

こうみてくると2016年に民進党に政権奪回の可能性は高い。

◆「アラスカ無宿譚」(1)

日高 一雄



今年傘寿を迎える。会報には初登場だが、此の年になれば、ご関心の経営 の話ではなく、若かった頃の話を思い出すままに綴っても許されるだろうか?

当倶楽部の年輩会員なら1963年11月にケネデイ大統領暗殺の報道に接した 時の我々の驚きは忘れられないだろう。而も彼の後を継ぐべく大統領に立 候補した弟ロバートも5年後大統領選挙運動中に暗殺され、兄も弟も、未 だに犯人と、犯人の裏に居る筈の人物又はグループが特定されない。

兄大統領を暗殺したのが、ウオーレン報告の様なリー・ハーヴェイ・オズ ワルドの単独犯では有り得ない。オズワルドは嵌められただけだろう。

本稿はケネデイの業績や政策を論ずるものでは無く、況や暗殺犯人を探す 話ではない。しかし犯人捜査の困難さから逆算すれば、ケネデイのある種 の理想主義が、米国の政界、財界などの深層部に在る建国以来の実力グ ループには受け入れ難いものがあって、小生には彼らがケネデイの施策方 向の中に米国の将来を不安にさせるものがある事を感知し、結果的にそれ が秘かな強大な力となって暗黙裡に生まれて、それを公権力すら及ばない 力で粛々と行使するに至った事が感じられてならない。米国の隠された恥 部であろう。

彼が主導した「ニューフロンテイア政策」の中には、野心的なものが多 かったが、ベトナム軍事費や月面着陸のアポロ計画支出など経費が嵩み、 それが負担となって、政権には諸政策実現の為の財源が不足していた事も 事実で、暗殺されなくとも1964年の次の大統領選挙は絶望的とする見方が 強かった。

彼の経済政策はアイゼンハウアー時代の不況対策の面が強かったが、財源 面の行き詰まりで予算法案の多くが議会を通過せず、大部分の施策は彼の 時代ではなく、ジョンソンの時代に漸く承認されて居る。

これからご披露する話も暗殺後、1965年に設置された彼の遺産、アメリカ 合衆国商務省経済開発局(EDA Economic Development Administration )の話である。随分昔の話だがお許し乞う。

小生は1960年代半ばに三菱商事が日露漁業(現マルハニチロ)、米国資本 と3社共同で経営を開始したアラスカの鮭缶詰製造合弁会社の役員として 合弁会社のシアトル本社に出向を命ぜられた。

合弁会社の方はユダヤ人幹部を中心として立派な経営が行われて居り利益 も出ていて、若かった商社マンとしての小生の関心は自然と広いアラスカ 全体の鮭資源事情及び鮭漁法の調査に向かった。

要は商社マンとして何か新しい商売の種は無いか?と言う本能である。調 査結果で驚いた事は、小生が生まれる前、1920年代からアラスカの各河川 では鮭の種類毎の成魚溯上量が記録されていて、その知識と経験に基づい て鮭の漁業管理が行われていた事が分かったのである。

鮭には大雑把に言って5種類位の品種があり、各河川によって溯上する品 種が大体決まっているが、河川(淡水)上流で孵化後稚
魚の時代に海(塩水)に下り、広い海洋を回遊して栄養を摂り成長し 3−6年後、産卵の
                  
為に生れた河川に戻る、と言う習性がある。川により生息する鮭の種類が 決まって居り、大洋回遊年数も成魚として川への俎上年も異なるが決まっ て居る、と言う次第である。(以下次号)


◆5000円札に学ぶ

加瀬 英明



今年は、日清戦争開戦から、120年目に当たった。

5千円札を使う時に、手に取って、よく見てほしい。

樋口一葉の肖像が、あしらわれている。一葉はペンネームで、本名をなつ といった。

なつの肖像は、生涯でたった1回だけ、写真館で撮った写真が、もとに なっている。なつは生涯で1度も、洋装をしたことがなかった。

しかし、札の肖像は顔から陰翳を取り除いて、平面的にしてしまったため に、もとの写真の理知的で、蠱惑(こわく)的な美貌が伝わらない。もし、 私がなつに会ったとしたら、恋したにちがいないと思う。

なつは日本が日清戦争に勝った、翌年の明治28(1895)年に肺病を患っ て、25歳で赤貧のなかで死んだ。

なつの葬儀には、家族と友人が12、3人集まっただけだった。

なつは明治5(1872)年に、東京府の下級官吏を父として、府庁舎の長屋 で生まれた。

父は、甲斐国(かいのくに)(現在の山梨県)の農家の子だった。当時は、 長男しか相続できなかったので、明治元年の11年前の安政4年に、江戸に 出た。

なつは11歳で、小学高等科を首席で卒業した。当時の小学校は4年制だっ た。これがなつの最終学歴である。幼い時から、父に古典を教えられて、 古典に親しんだ。

いったい、今日の日本で幼い子に、古典を教える親がいるだろうか。

なつが17歳になった時に、役所を辞めていた父が事業に失敗して、多額の 借金を残して、病死した。

なつは母と妹をかかえて、針仕事や、洗い張りなどの内職によって3人の 生活を支え、不遇な生涯を送った。そのかたわら、死後、高く評価される ようになった作品を、つぎつぎと世に送った。

今日の日本で10代の娘が、家族を養うために、身を削って働くものだろう か。あのころは、男であれ、女であれ、日本人の覚悟が違った。

幕末に開国してから、“文明開化”と呼ばれた西洋化の高波が、日本を容赦 なく洗っていた。しかし、まだ多分に古い時代の生きかたが、人の心を律 していた。

あの時代には、家族のために身を犠牲にするのは、当り前のことだった。 人は家族であれ、隣人であれ、助け合った。日本は貧しかったが、人情が 豊かで、精神性がきわめて高い社会を形成していた。

なつが21歳の時に、小説がはじめて文芸誌に売れた。多作だったが、原稿 料は安かった。

なつの作品は明治時代の前半の人々が、どのように生きたのか、庶民の生 活を生き生きとした筆致で描いている。

なつは日記を遺している。日記にはつらい境遇を生きる苦しさを、嘆くよ うな書き込みが、いっさいない。

なつは日記のなかで、しばしば日本が直面した、内外の情況に触れてい る。そして、日本の将来を思いやった。

病没する前の年に、つぎのように日記に記している。

「安(やす)きになれておごりくる人(ひと)心(ごころ)の、あはれ外(と)つ 国(くに)(註・西洋)の花やかなるをしたい、我が国(くに)振(ぶり)のふ るきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵 (ちり)芥(あくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず。

流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」

日本が明治に入って、西洋諸国に対して開国してから、まだ30年もたって いなかった。西洋化によって、日本人の生きかたが、蝕まれるようになっ ていた。

ぜひ、なつの切々とした、この訴えを声をだして、読んでいただきたい。

なつが、このように憂いてから、122年がたった。なつが予感した通りの 国となっている。

今日の日本は、物質的な豊かさが満ちあふれているために、かえって人々 の心が貧しくなった。人々が貪欲になって、満たされることがなくなって いる。

そのために、共同体であるべき社会が、急速に壊れつつある。人々が欲得 によって、休みなく駆り立てられて、自分しか顧みないために、苛立ちや すい。

このところ、日本では高速道路がひろがるごとに、人の心が狭くなった。 スーパーや、レストランが立派になるのにつれて、家庭の食卓が貧しく なった。

機能的なマンションが建てられて、生活がいっそう快適になってゆくのに つれて、家族の解体が進み、隣人への親近感や、地域に対する一体感が、 失われるようになった。

若者まで心が疲れて、若々しさを失って、安易な癒しや、刹那的な刺激を 求めている。

欲しいものが、何でも手に入るようになったというのに、この国から希望 だけがなくなってしまった。

人々はついこのあいだまで、人生が苦の連続であると、みなした。

そこで、少しでも楽しいことがあれば、喜んだ。人生は苦労して、乗り越 えるものだった。

ところが、今日では多くの者が、人生が楽の連続でなければならないと、 思っている。そこで、つねに不満を唱えて、すぐに挫折してしまう。

人生が楽の連続であるというのは、真実からほど遠い。だから、精神がひ 弱くなって、傷つきやすい。

幸せになろうとすれば、努力しなければならない。ところが、いまの人々 は幸せになる権利があると、思い込んでいる。

私は幸福を追い求める罪があると、思う。人は幸せになろうと、望んでは ならない。かえって、不幸になる。

それよりも、いまあることに、感謝しよう。試練にも、感謝しよう。幸せ は与えられた環境に感謝しながら、自分をひたすら鍛えて、努力した結果 として、訪れるものだ。

なつは多感だった。西洋化が進んで、日本人らしさが失われてゆくなか で、「安きになれて」「おごる」ようになり、「花やか」なことを求める のを嘆いて、「流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と、憂いた。

今年は、日露戦争開戦の110年目にも、当たる。

日本国民が日清、日露戦争に当たって、一致団結して、奮い立たなかった ら、今日の日本はなかった。

いま、中国の脅威が募っている。日本を取り巻く国際状況が、日清、日露 戦争の前夜によく似るようになっている。

いまこそ、日本国民は110年、120年前に立ち戻って、日清、日露戦争前夜 の気概を、取り戻さなければならない。

安倍内閣が集団的自衛権の行使をめぐって、憲法解釈を改めようとしたの に対して、朝日新聞は「近づく 戦争できる国」という大きな見出しを掲 げて、反対した。

だが、日本が「戦争できる国」だったからこそ、日清、日露戦争に当たっ て、独立を守ることができた。

国の大本である国防をおろそかにして、「安きになれて」はなるまい。

私は5千円札を手にするごとに、なつの言葉を思い出して、噛みしめる。

あなたもも、そうしてほしい。