伊勢 雅臣
大学新卒者が学力の低い地域で2年間、子供たちを教える−そんなアイデアが多くのアメリカ青年を立ち上がらせた。
■1.「理想の就職先」トップ10に入った教育団体
2007(平成19)年、教育改革を目指す非営利組織がアメリカの一流大学の新卒者が希望する「理想の就職先」のトップ10に入った。
この組織"Teach For America"(“アメリカのための教育を”、以TFAと略す)は、大学を卒業した若者が学力の低い地域で2年間、教師として働くというプログラムを運営している。
2008年時点では、2万5千人の大学新卒者の応募があり、その中から厳選された3600人が短期の研修の後にTFA教師として全米各地に送り込まれていった。超有名校ハーバード大学では卒業生の9%が応募したという。
2年間、普通の公立校の教師として働いた後、66%の青年たちがその後も教師の道を歩み続けたり、自ら学校を興したり、政治や行政に進んで教育改革を進めているという。
全米の一流校を卒業したら、一流企業などに就職して高給を貰って優雅に暮らす道が開かれているのに、これらの若者が平凡な給料に甘んじて、教育改革を志すのは何故なのだろう?
■2.“全身全霊を捧げる一教師の存在”が教育を変える
1992年にコーネル大学を失業したミシェル・リーは、法科大学院の入学試験に合格したが、同時にTFAの選考試験も通過し、学校教師だった祖母の勧めでTFAを選んだ。
短期間の研修の後、ワシントン市に隣接した極貧地域であるバルチモアの小学校にTFA教師として配置された。当初は生徒は授業どころか、教師の言うことなどまるで聞かないという状況だった。
リーは落胆したが、他のTFA教師たちが全身全霊で教育に打ち込んでいる様子を見て、「私にだってできる!」と一念発起。夏休みの間に教授法のクラスを受けて、教師免許を取得した。
秋学期が始まると「成績を上げるために従来のやり方をすべて変える」とクラスの子供や親に告げた。早朝、授業前の空き時間、放課後、週末の時間に補習を行い、子供と親の一人ひとりと密接なコンタクトをとった。その結果、生徒たちの成績が一気にあがった。リーは新聞のインタビューにこう答えている。
<この経験が私に教えてくれたのは、“全身全霊を捧げる一教師の存在”が、教育全体を変えることができるということ。子供たちの学力を上げる“秘訣”や“近道”などはありません。ただ、こつこつと、文字通り人一倍勉強に励ませるだけです。>[1,p280]
リーは2年間のTFA教師としての仕事を終えた後、「教師の能力と献身的な姿勢がすべて」という信念に基づいて、全国的な教師育成プログラム「ニュー・ティーチャーズ・プロジェクト」を立ち上げた。その後、若さにも拘わらず、学力の低さが問題とされるワシントン市の教育監に任命された。
ある地域の教育区長は、TFA教師を受け入れた経験をこう語っている。
「TFA教師は、今までよどんでいた溜まり水を動かし、清め、息吹を吹き込んでいるような新鮮な存在です。従来の先生には、教師という仕事が「生計を得るためのジョブ」となっている人たちが多い。
それに対して、TFA教師たちを突き動かしているのは、「使命感」なんです。その姿勢が、さざ波のように学校全体に伝わってくる。彼らのあふれるような若いエネルギーや絶対に諦めないコミットメントの深さには、感嘆しますよ。もちろん、厳しい試験をくぐって選ばれた特別に優秀な人たちだからでしょうけれど、、、」[1,p280]
■3.「どこで生まれたかで、受けられる教育の中身が変わってしまうのは、まったく不公平だ」
TFAは1989年にプリンストン大学を卒業したばかりの女性、ウェディ・コップが構想し、具現化したものだ。ウェンディはテキサス州の上層中流階級に生まれ、しっかりした教育を受けてプリンストン大学に入った。
そこでスラム街の出身者と知り合った。アメリカの大学は人種や経済レベル別の入学者枠があり、成績が悪くとも入学できる。しかし彼らが高校まで貧弱な教育しか受けていないので、大学で苦労しているのを見て「どこで生まれたかで、受けられる教育の中身が変わってしまうのは、まったく不公平だ」と実感したという。
アメリカの教育の不公平さについては、[1]の訳者・東方雅美さんが自身の経験をこう書いている。東方さんが住んでいるマンハッタン地域には全米トップレベルで大学進学率ほぼ100%の高校もあれば、電車で10分ほどの距離なのに、最低レベルの高校もある。そこの生徒は主に黒人やメキシカンの貧困層の子供たちだ。
東方さんの娘が大学進学に必要な試験を申請したが、最寄りの会場は満員になっていたため、2番目に近い会場で受けることになった。試験を終えて帰ってきた娘さんは興奮気味にこう語った。
「ママ、首にチャラチャラ鎖を巻いていたり、入れ墨を入れたりしている、見たこともない男の子たちが試験場に現れたわ。警察官がたくさんいて会場に入る前に持ち物検査があってね、その子たちのポケットからナイフとかマリファナが出てきたの! 朝の6時半なのにビールを飲んでいる子もいたのよ!」[1,p275]
電車で10分ほどの距離なのに、どちらの地域で生まれたかで、大学進学率ほぼ100%の高校に行くか、生徒がナイフやマリファナを携行する高校に行くか、という違いとなってしまう。
「国民が誰でも公平な機会を持てる国」というのが、アメリカの国としての大義である。それがまったくなおざりにされているのだ。そのためには、まず「教育の平等」を提供しなければならない、とウェンディは考えた。
■4.「ティーチャー・コープ(教師部隊)を作れないだろうか」
ウェンディはプリンストン大学で社会問題について議論する組織を率いていたので、その活動の一環として、50人の学生とビジネス・リーダーを集めて、アメリカの教育システムを改善するための会議を行った。そこである参加者は、こう言った。
「公立校では、教育の学位のない人も、教師としてよく雇われている。なぜなら、教育の学位を持つ人で、かつ低所得地域で教えたいという人が十分にはいないからだ」。[1,p15]
日本と同様、アメリカでも私立校は裕福な家庭の子供が通うところで、学力も高い。公立校は貧しい家庭の子供が通い、教育の質も低い。そういう地域では、教師のなり手自体が少ない。
そして、会議に参加していたほとんどの学生が「もし可能なら、自分が公立校で教えたい」と言った。
こうした議論の最中に、ウエンディは突然、ひらめいた。
<アメリカで全国的なティーチャー・コープ(教師部隊)をつくれないだろうか。トップクラスの大学から学生を集めて、卒業後の2年間、都市部や地方の公立校で教えてもらうというのは、どうだろうか。>[1,p15]
ティーチャー・コープ(教師部隊)とは1961年にジョン・F・ケネディ大統領が創設した「ピース・コープ(平和部隊)」からヒントを得たものだ。そこでは若者が開発途上国で援助活動にあたる。それと同様に、若者が自ら志して、教育改革にあたるのである。
■5.3つの難関
ウェンディは「全国的ティーチャー・コープ設立のための計画と議論」と題した卒業論文を書き、自分のアイデアを具体的に描いた。1年目に数千人の大学生の応募を得て、そのなかから500人を選んで教員養成研修を行い、全国のいくつかの地域に送り込む。募集から研修までの間には、250万ドル(約2億5千万円)の資金が必要と予測された。
1年目から大規模に始めなければならない、とウェンディは考えた。優秀な若者に目の前の優れた就職機会を捨てて、教育活動に参加して貰うには、大規模に始めなければ、その重要性は伝わらないからだ。
しかし、このアイデアには3つの難関があった。
第1に、教師経験もない、短期間で養成した若者を、公立校で教師に採用してくれるかどうか。
第2に、受け入れてくれるとしても、そもそもそれだけの多くの若者がティーチャー・コープに応募してくれるかどうか。
第3に、250万ドルもの資金を集めることができるのか、どうか。
大学をこれから終える、社会経験もない女性の思いつきを、現実の社会が受け入れてくれるかどうか。ウェンディには、自分の就職問題を投げうって、このアイデアの実現に奔走を始めた。
■6.「スタンフォードの卒業生が、ここで教えたがると思うかい?」
最初の問題に関して、ウェンディはいくつかの地域の教育責任者を訪問して話を聞いたが、ある都市で非常に尊敬されている学区長に会った時のこと。ウェンディが計画を説明するにつれ、彼はいらだち、怒り始めた。「君の話を聞くのは時間のムダだ。おせっかい焼きは自分の学区には必要ない」
ここまで言われて、車に戻ると、ウェンディは泣き崩れた。
低所得地域の子供たちを長年支援してきた財団のトップに会った時はこう言われた。「経験が浅く、恵まれた立場にいる教師たちが“自分探し”をしたあとで、残された子供たちは捨てられたように感じるだろう」
ロサンゼルス統合学区の人事担当部長を訪ねた時のこと。リクルートを予定している大学のリストを見せると、彼は声を出して笑った。「スタンフォードの卒業生が、ここで教えたがると思うかい? いいだろう。もしほんとうにリクルートできたら、私たちが雇おう。500人全員、私たちが雇おう!」
多くの学区の責任者は、大学卒業生を2年間雇うという案には賛同してくれたが、大学卒業生は低所得地域の公立校などで教えたがらないだろう、という懸念を持つ人が多かった。
こうした懐疑的な人びとを説得するためにも、志願者の大規模なリクルート活動を始めることを、ウェンディは決心した。
■7.「アメリカのために2年間教えるということを、考えてみませんか?」
ウェンディはいくつかの大学で、リクルート活動をしてくれる同志を見つけた。彼らはそれぞれの大学で、様々な形でリクルート活動を展開した。たとえば、イェール大学の同志は、次のようなチラシを学内で配った。
{卒業後に何をするか、ほんの少しでも迷う部分はありませんか?アメリカのために2年間教えるということを、考えてみませんか?小学校でも高校でもかまいません。アメリカを今後も競争力のある国にするために。すべての人に等しくチャンがある、民主主義的な国家でありつづけるために}。[1,p60]
このチラシを配ってから3日間で170人から電話があった。
こうした形で、各大学でリクルート活動が行われ、全米で2500人の応募があった。その中から、当初の計画通り、500人の優秀な候補者を選ぶことができた。
祖国アメリカのために何らかの貢献をしたい、という若者は予想以上に多かったのである。
■8.人づくりは興国の大業
資金確保の問題は、予想以上に難題で、ウェンディはその後、何年も寄付金集めに走り回らねばならなかった。その波瀾万丈の物語は本書[1]に譲るが、国家のためになんとか貢献をしようという若者たちの志に共感し、資金を出してくれる篤志家も少なくなかった。このあたりにアメリカ国民の底力を見る。
こうしてTFAの活動は軌道に乗り、その創立から18年で、約1万4千人の経験者を出すまでになった。冒頭のミッシェル・リーのような志に燃えた青年が各地で教育に取り組んできたことで、多くの子供たちに素晴らしい未来が開けたことだろう。
TFAの活動から思い起こされるのは、明治日本の「学制」である。財政も不安定な中で、明治初期の日本政府は全国津々浦々に現在とほぼ同数の2万4千校の小学校を作り、また志ある多くの青年たちを師範学校で教師として養成した。ここから生まれた無数の人材が明治日本の近代化の原動力となったのである。[a]
現在の我が国においても、今一度、教育改革が求められている。そのための試みは各地ですでに行われている。
その一つとして「株式会社 寺子屋モデル」がある。青年から定年後の熟年まですべての人を対象に「寺子屋の先生」を養成し、その先生たちが各地で子供たちに偉人伝などを通じて「日本人の心に生き方のお手本(モデル)」を教えている。[2]
国家百年の計は人づくりにある。人づくりこそ、国民の誰でもが何らかの形で貢献できる興国の大業なのである。
■リンク■
a. Wing(1381) タイ紙が「日本の教育に学べ」
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h20/wing1391.html■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. ウェンディ・コップ『いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと』★★、 英治出版、H21
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4862760503/japanontheg01-22/2. 「株式会社寺子屋モデル」ホームページ
http://www.terakoya-model.co.jp/