上西 俊雄
[拾遺]
辭書はよく地圖にたとへられる。間違があると困るが間違のない辭書はない。辭書に載ってない語もあれば地圖に載ってない道もある。地圖と實際が異なる場合はどうするか。If the map and the terrain disagree,trust the terrain. これは山岳に展開するスイス陸軍の知惠ださうだ。だから、地圖に載ってない道を利用することにも、載ってゐる道でも山崩れがあれば迂囘することにも何の遠慮もあるものか。
常用漢字表になくても必要があれば使ふべきだと思ふ。腹腔鏡下手術の一字を假名に開くと分かりやすくなるなどといふことはないのだ。腹を音で讀むか訓でよむかは漢字が連續するかどうかによって決まる。腹クウならハラクウになりかねない。Jの佛蘭西語音と英語音を書き分けるためにはジとヂを用ゐる以外にどんな方法があるといふのか。
多摩川でまた浚渫工事が始まってゐた。その案内版の説明に「街を洪水から守るため多摩川の土砂を取り除く」とあった。川の土砂を取り除くことなどできるものなのか。まさかマントルまでほるつもりもないだらうから、ここは文字通りに受け取るべきでない。さういふことを空氣を讀むというのか。要するに互にもたれあって何を言ひたいか理解するしかない。
かういふことが國際關係で通用しないことは最近よく言はれるやうになった。しかし、浚とか渫とかが使用してはならない字であるといふことを河川事務所の役人はどうして確かめたのだらう。
使用可能かどうかは、『大字典』にはでてゐない。文字コードをしらべるための三省堂の『大活字漢字辭典』には出てゐるけれど、10年前の刊行。その後常用漢字表が改訂になったことは知ってゐるし、文化廳の會議を傍聽して案の段階の資料は探せばあるはずだけれど、さういふものを引っ張りだすのは億劫だ。しかし、役人はさういふことをしなければならないのだとすれば、なんと無駄な作業を強いてゐることだらう。
露伴はつぎのやうなことを言ってゐる(雜誌科學ペン昭和14年1月號)
<「字」といふ字の意味が元來、孳乳繁殖を意味してゐて、社會の事物思想が段々と新生してくると、言語だの文字だのは隨應して増加して行くべき譯ですから、それを制限しようといふのは容易ではない。
幸に活字の世だから活字を潰して終へぼ其事も可能のやうだがね。子供が殖えると生活が辛くなるから、ドシドシ間引いて、そしてホルモン劑を澤山呑んで明朗に暮して行かうといふ世渡り法も賢いか知らぬが、それとこれとは同じにはならぬ。文字は減じ得ても言語は増さぬ譯には行かぬ。言葉は元來が耳に訴ヘるものだ、それを目に訴ヘるものにして長々しく示されるやうになる。>
『大字典』には「會意形聲。本義は家の中にて子を生むこと」とある。少子化對策といふが、「字」をつぶしてゐてはそれもあぶないではないかと思ふ。上田萬年明治38年7月の文には
<第五の誤解は、世の中の論者は、何ぞといふと漢字の問題に付して、日本は普通教育に於ても、漢字を充分に教へなければならぬ、又其漢字の假名遣の如きものも、成るべく昔通りのものを教へなければならぬ、といふやうな事を論ずる。
其理由を聽くと、清韓教育の爲に、白本人は今後大に仕事をしなければならぬのであッて、清韓教育の爲めには、漢字の智識或は舊來の字音假名遣の如きは、非常に必要なものである、と斯う云ふ事を言ッて居る。
其議論は一應は尤もの樣だが、併ながら其智識は中等教育以上を受けられる人に向ッて望み得べきことであッて、普通教育を以て終る人々に、斯う云ふやうな事は決して望まれないのである。
言換へて見れば、專門教育の上に於て、此知識は充分に養成する價値はあるが、普通教育の上に於ては、斯樣な知識は決して要らないのである。
我々日本人の大多數は、四ヶ年間の教育を以て滿足しなければならぬことであッて、此四年間の教育を以て、日常の生活をして行く所のものである。其者に清韓教育の爲に必要であるといふ主義から、決して御相伴的に、漢字や字音假名遣の知識を注入される必要は無いと思ふ。
是は普通教育に從事する人は、能く知ッて居ることであらうと思ふ。又一たび教育に從事したことがあれば、此位な考は必ず持たなければならぬ事であらうと思ふ。然るに論者の中には此見易き理窟が分らぬで、清韓教育の基礎を普通教育で養はうとにやうな事を言ふ人があるのは、如何にも怪むべき次第であると思ふ。>
といふところがある。漢字制限が4年で終了する兒童のためであったのなら、小中一貫教育が議論される現在では、この立場は當然見直されるべきではないか。
とにかく役所が漢字の學年配當までする御時世。世間の人が言葉をつかふにオドオドしてくるのは當然かもしれない。「龍卷のやうなもの」といふは、役所で定義してくれなくては、どういってよいか不安なのだと思ふ。何日も經って見つかった遺體について心拍停止状態と表現する。
刃物といはず、刃物のやうなものといふ。包丁のやうなものならわかるが刃物はさういふものの總稱だから、元來形をいふことはできないものなのではないか。
スケートの羽生選手が「日本に歸國する」といふのも、歸國といふ語に自信がないせいではないかと思ふ。
負傷といふところを怪我といふアナウンサーが多い。事件に卷き込まれた場合でも怪我だから、まるで本人の自己責任のやうに聽こえる。負も傷も表外字ではない。いや教育漢字であって、負は小學校3年から、傷は小學校6年から使用可能と10年前の辭典にでてゐる。
かういふことを確かめるのが面倒だから、漢語のヒビキの強い語は敬遠しておくに限るといふやうな風潮がはびこってしまったのではあるまいか。
とにかく、新聞の紙面でも、この「頂門の一針」ですら、職業的批評家ともあらう方々が、いや職業的であるからこそかも知れないけれど、漢字制限を守らんとして交ぜ書きをしてゐること、驚くほどだ。
鹿兒島で讀んだ新聞によれば新聞各社の用語・校閲の責任者の會議があって、文化廳の國語に關する意識調査のことが話題になったらしい。この意識調査については「流れに棹さすといふ表現について」3286號(26.4.26)で批判したのであるが、伊澤修二は政府機關がこのやうな調査をやること自體無意味であるとする。そこのところを引く。
<國語調査會でこの頃音韻調査報告書といふものを編纂して、之を世に公にした。之は失禮な申分ではあるが、何の價もないものだと思ふ。先づ其の始めにアーと云ふ語を言ふにアーとアアとどちらが多いかと云ふことを取調べて居る。本來此くの如き種類の調査は音韻專門の學者某々がどう云ふ種類の人何千何百人からその材料を採つたかが、明確でなければ、何の信用も措かれない。
どう云ふ社會の發音をどのやうにして調査したと云ふことが明にされてあれば、學術上の參考にもならうが、今の分では全く價値のないものである、若し進んで少し細かに批評をするとなれば、隨分他にも云ふべきことは多いが、それは餘りに專門的になるから茲では云はぬ、唯一つ云つて止めよう、この内にかういふことがある。
「お前の國にはヂジのどちらがあるか、或は混じて用ゐて居るか、一つだけ用ゐて居るか」と云ふやうな問ひがある、多くの府縣から出た所では、ジはあるが、ヂはないと云つて居る。それには Ji ジ Dji ヂと羅馬字で書いて居るもある。
其の内宮崎縣では兩方あるといつて居る。それは尤である。──これは私も多年注意をした問題で、一夏宮崎縣にいつて、態々取調べたことがある。宮崎ではフジの山、フヂの花これが明に言ひ分けられる。
吾々の云ふフヂの花と云ふ發音と、宮崎の人の云ふフヂの花のヂとは別に違つては居らぬ。シに濁りを打つたジ即ちフジの山のジは日薩隅の外にはないのである。然るにこの報告では全く反對である。
他の各縣では大抵ジはあるがヂはないと答へて居る。この奇なる間違も羅馬字を用ゐる、支度からの出來事と見れば譯が了る。それは英語を標準とする羅馬字では、ジを ji と普通書いて居る。ji をジに當てたためにヂに當てるものに困つて dji としたのであらうが、dji と云ふやうな音は日本國中さがしても、古今に渉り決してありますまい。實はジと云ふ音は英音の羅馬字に書き現はすことは出來ないのだ。獨立したジの音は英國にはないのである。唯々 azure pleasure と云ふ如き場合に出る S は Z の音である、此に對する音韻學者の責任ある説明を私は承りたいのである。これ位で學術方面のことは置かう>
後半、筆者がなんども繰り返し述べてきたことが、實地調査を踏まえて書いてあるではないか。
國語學の教授だった先輩に擴張ヘボン式の説明を送ったところ、戰前にかういふ説があれば戰後の表記改革はなかったかもしれないと言はれた。伊澤論文を讀めば、戰前にあったではありませんかといふところ。
いや、だから戰前は五十音圖が破壞されることはなかった。破壞されたのは敗戰の混亂に表記改革論者が便乘したからにすぎない。伊澤論文がなぜ埋もれて來たのか、檢索にもかからないのか不思議でならない。
國語に役所が箍をはめてゐることが國語の、延いては國民の生氣を奪ふものだと思ふものであるが、費用の面でも大きいはずだ。外國に日本語教師を派遣する。おそらく戰後の日本語と決めつけた教へ方なのだらう。もし、さうであれば、日本文化を知りたくて日本語を學ばうとする人にとっては邪魔なだけだ。
伊澤修二は高等師範學校長であった。實務上の立場から當時の表記規制を批判してゐるところを引く。
<私は當時文部の一部分である高等師範學校長をして居たから、高等教育會議員の一員でもあつたのであるから、高等教育會議に諮問でもあれば、勿論其の議に與らなくてはならぬ筈だが、一向そんな事はなかつた。又聞く所によれば、當時文部省内に設けられて居た國語取調委員にも更に諮問はなかつたといふことである。
又高等師範學校長などに問ふべき問題でないかも知らないが、勿論その方でも自分は問はれた覺えもない。たゞ彼の省令の公布と共に今度かう云ふ假名遣にすると云ふことを官報で見て知つたに止まつて居た。それが即ち今日有名になつた棒引の假名遣にすると云ふことであつた。
私は自分の職掌上からも、此の如きものが出た以上は先づ行はるゝか否か、試驗をして見なければならぬと考へた。愈々これを試驗するとすれば、附屬小學校がその職分として試みねばならぬ。
依つて高等師範學校の教員を以て委員會を組織し、前後數十囘の會議を開いて、その改正通りに行つて見ようと云ふ方案を取調べた。その時既に棒引の假名遣に餘程議論があつて、漢字音だけの棒引ならば、行はれないことはないだらうが、國語假名遣まで棒引にすると云ふことになつたならば、とても行くまい。
況んや子供は漢字音か國語か了からないのであるから、遂には一緒になつてしまうであらうと云ふ議論であつた。兎に角に文部省で出した以上は、試驗して見ねばならぬと云ふので、遂に一種の方案を立てゝやりかけたのであつた。
然るに果して棒引のものが國語のものに這入つて來ると云ふ始末で、國語の方を字音につき合つて棒引にするか、或は棒引を止めるかと云ふことは、高等師範のみならず、他の方面に於ても、教育者の均しく認むる所となつて、利害得失の研究中、その結果の分からぬにも拘らず、文部當局者は法令を楯に取り、政治上の力に依りて、早くも33年の冬には、一般の教科書屋に命じて、小學校教科書はみなこの棒引假名遣に改めさせて、34年の四月よりこれを全國に強行した。これは全く事實である。
尤もその當時吾輩の考には高等小學校に及ぼさうと云ふ考へもなく、中學校にまで及ぼさうなどゝ云ふ考へは勿論なかつた。唯々高等師範でこれを取調べた時には尋常小學校の咄し言葉だけには用ゐてもよからうと云ふことだけはかつかつ一致が出來たが、その以上の所に行はふといふことはすこしもきまつても居なかつた。
所が今日は進で一般の學者教育者に著述出版を禁じ官府の專有に歸したる、所謂國定教科書にも此の棒引假名を使用して、全國に強行するに至つたのである。抑政府には官報上に公式を以て發布する文書を始とし、自ら一定の假名遣の存するものあるに、同じ政府より發行する官文書とも見るべき小學校用教科書に限り、假名遣を定め全く異例の、シカモ、これを全國に強行するといふ權利が文部大臣にあるか、どうかと云ふことは一考を價することゝ思ふ。
それはともかく政治上の疑問なれば、政治家の判斷に任せるとしてさて、吾々の堪へ難ぎは、今日吾々の子弟は棒引の、日本語でも何でもないものを日々教へられて、これに服從しつゝあるのである。かゝる無邪氣な無罪な無力なる小學兒童のためにこそ吾々は飽くまで盡力せねばならぬ、と決心をして居る次第である。
然るに今年はそれよりも一層過劇な案を立てゝ、教育上最高諮問機關たる高等教育會議に諮詢をして、これを全國に布かうとした。即ち小學校は無論のこと、中學校以上にまでも行はうと云ふ諮問案が出たのである。而して在野の吾々にまでも諮問せられた。
吾々は文部に答へる前に世間の學者教育者はもとよりのこと、經世家、政治家の考をも聞きたいと思つて居つた。所で今日は自らが自分の考へを陳べるに最も適當な場合であると思ふ──そこで若し彼の二號表よりも今一層過劇な、今一層恐るべき諮問案を高等教育會議で可と決したならば、今日の文部大臣は或は斷行したかもしれないのである。然るに同會議では、かういふ問題は吾々に了からないから、暫く決議を延べて貰ひたいといふので延期になつたから、今日ではまだ小學校以上に之を行ふことはせぬやうだが、從來餘り高等教育會議に重きを置かぬ文部省のことなれば、いつ何時斷行するかは何人も請け合ふことが出來まいと思ふ。>
敕撰和歌集も、枕の草子も源氏物語も國語を金甌無缺たらしめるための裝置であった。
日本語の五母音體系といふものが安定してゐたといふことも與ってゐると思ふけれど、清濁といふことを清音に疊み込むといふ假名の手法も、また五十音圖の行といふパラダイム(活用表)も無關係ではなかったはずだ。
伊澤修二は「恰も我が金甌無缺の國體に、革命的歴史のあらざる如く、我が言靈のさきはふ國語にも、曾て破壞的の歴史を見出さぬのは誠に喜ぶべき現象ではござらぬ歟。」と言ったけれど、戰後の表記改革はいはれなく國語の傳統に楔を打ち込んで未だに我々は正書法を失ったままだ。
國語は「その變遷も推移も、みな自然の理法に隨つていつとなく、徐々と發展し來りたる者」なのだから役所が手をだしてはいけなかったのだ。
以上、縷縷述べてきた。國語は金甌無缺であったと過去形であることの無念を思へ。