2014年10月27日

◆フランスに学ぶ子育て支援

伊勢 雅臣



「パリ郊外だと子供の数は3人が平均的ですね」というタカコさんは4人の子育てをしながら、通訳として活躍中。


■1.「4人もいて賑やかでいいわね」

パリ郊外に住むタカコさん(37歳)は、フリーの会議通訳をしながら、10歳から3歳までの4人の子供を育てている。夫のジャン=ミシェルさんはパリの大学で日本文化を教えている。

「パリの郊外だと子供の数は3人が平均的ですね。4人だとちょっと多いかなという感じです。でも日本だと、4人も子供がいると、みんな口をそろえて、4人もいるなんて大変ねえ、というのに対して、ここだと、4人もいて賑やかでいいわね、とまったく正反対の反応がかえってきます。

フランスでは子どもは家族に明るさと活力をもたらすプラスの存在なのに、日本では何人も子どもを育てるということは、悲壮な決意が必要なことなんだなと改めて認識しました」。[1,p48]

我が国でも、夫婦が理想とする子どもの数は2.42人で、子ども3人以上を望む夫婦が少なくない。しかし現実の子ども数は1.96人、すなわち相当数の夫婦が3人以上を望んでいるのに、実際には2人以下しか産めていない、という事態になっている。[2]

少子化は国の行く末に関わる重要な問題だが、それとは別に、国民が幸福に暮らせる国を作るためには、子どもを産みたいのに産めない、という不幸を解消する必要がある。


■3.フランスの出生率を回復させた育児休業制度

フランスは先進国では珍しく出生率(一人の女性が一生の間に産む子供の数)が2.0を超える国だ。しかも90年代から一貫して上昇している。対する日本の出生率は1.4。近年、若干上向いてきたといえ、はるかに低い。

日本で子どもを産み育てるのに「悲壮な決意」がいる最大の理由は、母親が出産や育児で仕事を続けられなくなる、ということだろう。その間、収入がなくなり、かつ、好きな仕事を諦めなくてはならない。

パリ在住の翻訳家で、自ら2人の子どもを育てている中島さおりさんは、フランスはこの問題にうまく対処したことで出生率が上がった、と言う。

「なかでも85年にできた「育児休業手当」が出生率の上昇に与えた影響は大きいと考えられています。育児休業制度というのは、産休明けから子どもが3歳になるまで、仕事を離れて家で子育てに専念するのか、パートタイムで働けるのかを選べる制度で、会社では無給、あるいは減給扱いになりますけど、その代わり社会保険から手当が出る仕組みです。

この手当ができた当初は、子どもを3人以上育てていることが条件でしたが、それが94年に2人からでも出るようになりました。子どもが2人の場合、完全に休むと月500ユーロ強、ハーフタイムの場合は350ユーロ弱が支給されるようになりました。日本円で5万〜7万円強を超える金額を受け取ることができるようになったのです。

それにより、子どもが小さいうちは自分で育てるという選択が容易になりました。育児休業手当の拡大も引き金になり、95年からフランスでの出生率が回復をはじめたと言われています」。[1,p54]

日本では子育てと仕事の両立というと、すぐに保育所の充実が議論されるが、東京都の公営の保育所では月額にして子ども1人あたり約19万円ものコストがかかっているという。[a] 乳幼児を他人に任せて月万円も掛けるよりも、母親に任せて7万円をその母親に直接支払った方が、はるかに安上がりである。

さらに3歳までの乳幼児期は、母親の愛情をたっぷり受けて人格形成をする大事な時期であり、また母親も育児経験を通じて母として成長する期間である。[b,c]

育児休業制度とは、健全な家庭を守る、という意味で賢明な制度であり、また育児休業手当は社会的コストから見ても合理的である。同様の仕組みはノルウェー、フィンランド、デンマークでも実施されている。[c]


■4.「子どもが小さいときは、できるだけ一緒に過ごしたい」

エールフランスでフライト・アテンダント(客室乗務員)として働きつつ、柔道家のフランス人と結婚して、2児を育てているミサコさんも、育児休業制度の恩恵をフル活用している。

フランスの法定育児休暇は3年だが、エールフランスはもともと国営企業で、今でも組合が強いので、4年とれる。ミサコさんの先輩の中には、4年おきに3人の子どもを産んで、12年間の育児休暇をとった後、定年まで働いた人がいるという。

また育児休暇の後も、フルタイムから50%までの勤務時間を選ぶこと ができる。ミサコさんは長女が生まれて、4年の育児休暇から復帰した後も、66%の勤務時間として、2ヶ月働いて1ヶ月休む、というスケジュールにしたという。

「私がフライトで家を離れるときは、朝は夫が子どもたちを学校に連れていって、夕方はベビーシッターに来てもらっています。勤務日数を減らせば、その分だけお給料は減りますけど、身分は正社員のままで福利厚生などの条件も同じです。

その時々の家庭の事情に合わせて勤務を選べることは、仕事を続けていく上で、ありがたいことですねえ。[1,p40]・・・

 私はこの仕事が好きだし、接客業は性に合っていると思います。フライトでいろいろな国を訪れるのは息抜きにもなるので、定年まで働きたいと思っています。

でも子どもが小さいときは、できるだけ一緒に過ごしたいし、子どもが手を離れたら趣味の写真も再開したいと思っています。いろいろなことをやりたい私にとって、いまの働き方はぴったりしているんです」。[1,p43]

育児も仕事もこなすという、これこそ女性の幸福だろう。


■5.日本の何倍もの水準の公的家族支援

「育児休業手当」は育児で仕事を休んだ際に失われる所得を補償するものだが、別途、子どもを育てるコストを国が支援する手当がある。

まず「家族手当」は2人以上の子どもを持つ家族なら、所得制限無しに受け取れる。2年おきに2人の子どもを20」歳まで育てた場合、支給される現金は約3万1千ユーロ(1ユーロ150円換算で約465万円)。

これに加えて「乳幼児受け入れ手当」がある。0歳から3歳まで支給され、所得制限はあるが、国民の80%以上が受け取れる。子ども2人の場合は約8千ユーロ。「家族手当」と合算すれば、3万9千ユーロ(585万円)となる。

子沢山を奨励するために、これが5人の子どもだと、家族手当15万 ユーロ、乳幼児受け入れ手当約3万ユーロ、合計で約18万ユーロ(約 27百万円)となる。一方、日本の児童手当は12歳までで、1人180 万円、5人でも450万円に留まる。

「家族政策の見本市のよう」と評されるフランスでは、さらに出産先行手当、保育ママを雇った際の手当などがある。しかも、現在、20歳以下の子どものうち、85%がなんらかの手当の対象となっている、という浸透ぶりだ。


■6.子沢山なら、税金も安くなる

フランスの家族支援は手当の支給ばかりでなく、税金面でも抜かりない。冒頭で登場いただいた4人の子育て中のタカコさんはこう語る。

「フランスでは子どもを育てることに対していろんな優遇措置がとられていますが、わが家の場合は、そのなかでも税金について一番恩恵を受けていると感じています」。[1,p49]

フランスでは、世帯の収入を家族人数で割って税額を算出する方法をとっている。たとえば、夫婦で年収6百万としたら、子どもなしの家庭は一人あたり3百万の収入として税額が計算されるが、子どもが4人いたら、最初の2人の子どもは0.5人分とされるので合計5人、一人あたり120万円の収入と見なされる。それだけ税金も大幅に安くなる訳だ。

保育園や学校の費用も、我が国とは大違いである。3歳からの無料の保育園にほぼ100%の子どもが通う。小学校と同じ敷地内にあり、朝8時 半から4時半まで預かってくれる。タカコさんは言う。

「3歳になった下の子が今年から学校(保育園)に通い始めてからが、子育てがこれまでで一番楽になりました。フランスでは3歳から公立の学校に通えるのも、日本との大きな違いです。今では4人とも同じ敷地内にある学校(JOG注:保育園と小学校)に通っています。

私の通訳の仕事は不規則で、フランス以外のヨーロッパの国に出張することも多いので、月曜日から金曜日まではお手伝いさんとベビーシッターを兼ねた人に来て貰っています。私の出張と主人の残業が重なった場合などは、泊めてもらうこともあります」。


ちなみに、フランスでは公立校に通う限り、大学までは無料である。日本では子どもを大学までやろうとすると、1人2千万円かかる。4人なら8千万円。大卒のサラリーマンの生涯賃金が3億円程度と言われているから、日本で4人の子どもを育てようとするには、それこそ「悲壮な決意」がいるが、タカコさんには学費の心配をする必要もない。


■7.「仕事をつづけようかどうしようかと悩んでいます」

エールフランスに務めるミサコさんには2歳年下の妹がいて、もうすぐ東京で双子を出産するという。

「彼女は会社勤務を経て、3年前にフリーのカメラマンになったんですけど、妹のように母親がフリーで働いていると、なかなか保育園が見つからないといって困っています。

預かってもらえたとしても、2人の保育料だけで月10万円以上かかるというので、ようやく独立はしたものの、仕事をつづけようかどうしようかと悩んでいます」。「[1,p43]

2人の子どもを無料の学校に通わせ、いろいろな手当も貰い、税金も減免して貰って、フライトアテンダントとして飛び回って仕事をしているミサコさんとは大違いである。ミサコさんは子育てと仕事を両立させるために、日本に住むのを諦めたというが、その気持ちはよく分かる。

日本は少子化傾向が続いているのに、フランスでは出生率が大幅に回復しているのは、こうした制度上の違いが大きな原因となっていることがよく分かる。


■8.国民を不幸にし、国の未来を自ら暗くしている現在の日本

フランスがいかに手厚く子育てを支援しているかを見てきたが、日本で同様なことをするには税金が足りない、という意見がすぐ出てくるだろう。

しかし、1人あたりGDP(国内総生産)はフランスが約4万4千ドル(100円換算で440万円)に対し、日本が約3万85百ドル(385万円)と、それほど違いがあるわけではない。フランスにできて、日本が できない訳はないのである。

 現在の日本の公的家族支援は対GDP比で0.75%だが、フランスは3.02%。フランスの比率は、イギリスの2.93%、スウェーデンの3.54%と欧州各国と比較しても、決して突出した水準ではない。

逆に日本はアメリカの0.70%と並ぶ低い水準である。もともとアメリカは個人の生活に国が介入するのを嫌う傾向があり、政府による公的支援は極端に低い。そのアメリカと同じ水準でしかない、という事は、日本の公的家族支援の手薄さを示している。

 フランスでは「国を守るためには人口が重要なんだ」と小学校から教えているという。育児支援、特に子沢山ほど手厚く支援するという制度は、その思想の反映である。

 フランスのように国家政策として多産を奨励するかどうかについては、いろいろな議論があるだろうが、それとは別の次元で、子どもを産みたいのに産めない家庭が少なからずある、という事は、国民生活にとって解決すべき問題である。

 また、外国人留学生には奨学金や渡航費まで援助するのに、自国民が大学まで出るのに2千万円も覚悟しなければならない、というのは、誰が見ても馬鹿げた政策である。

 子どもを産み、高度な教育を施すということは、将来の優れた国民を育て、かつ税収を増やす、ということであり、将来投資として税金を投入する、というのは合理的な国家政策である。

 明治初期の日本は、貧弱な財政の中でも、全国津々浦々に無料の小中学校、師範学校などを作って、多くの人材を育て、そのエネルギーでわずか半世紀で世界の5大国の一つにのし上がった。

 それに対して、現在の日本は誤った政策から、子育てを「悲壮な決意が必要」なものとして、国民を不幸にし、国の未来を自ら暗くしているわけである。明治の先人たちは墓場の陰で「何をやっているのか」と歯がみしているのではないか。

■リンク■

a. JOG(431) 少子化と人口減を乗り越えよう
 少子化・人口減は幸せな国づくりへの好機。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog431.html

b. JOG(646) 親学のすすめ(上) 〜 母の愛を待つ胎児・新生児
愛された子供が、人を愛することができる子供に育つ
http://blog.jog-net.jp/201006/article_6.html

c. JOG(650) 親学のすすめ(下)乳幼児編 〜 母の愛で子は育つ
「ぼく、生まれてきていけなかったの?」と3歳の子は母親に聞いた。
http://blog.jog-net.jp/201006/article_2.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 横田増生『フランスの子育てが、日本よりも10倍楽な理由』★★、洋泉
社、H21
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4862483755/japanontheg01-22/

2. 第14回出生動向基本調査に関する資料、「第14回出生動向基本調査に
関する資料」
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou14/point14.pdf

                  

◆子供が使う教科書だからこそ

義家 弘介


今年度、文部科学省では平成28年度から使用される中学校の教科用図書(教科書)の検定が行われている。

これまでわれわれは、主に社会科の教科書に見られる一面的な記述、偏向した記述を改めるための活動をしてきた。安倍晋三政権では、民主党から政権奪還後、具体的にその作業に着手した。

下村博文文部科学相のもとで、まずは、授業や教科書作成の指針となる中学・高校の学習指導要領の「解説」の改定を行い、領土教育の充実及び、災害時の警察や自衛隊など諸機関の連携についてしっかりと記述する旨の変更を行った。

その上で今年1月17日、社会科の教科書の「検定基準」の見直しを行った。具体的には「近代史において通説的な数字がない事象については、その旨を明記するとともに、児童生徒が誤解する恐れのある表現をしない」「閣議決定その他で示された政府の統一見解、最高裁判所の判例がある場合はそれに基づいた記述が行われること」などの追記だ。

この度の改定により、すべての社会科教科書が歪曲(わいきょく)自虐史観から脱却することを期待したい。

しかし、これで終わったわけではない。教科書問題というと、とかく社会科の教科書の記述ばかりが論じられるが、それ以外の教科においても到底看過できない記述が検定をすり抜けて子供たちに届けられた、という歴史が繰り返されてきた。

例えば、平成10年度から14年度まで使用された高校の教科書「国語I」(筑摩書房)には、作家の池澤夏樹氏の「狩猟民の心」を取り上げた単元があった。以下、その一部を引用する。

《日本人の(略)心性を最もよく表現している物語は何か。ぼくはそれは「桃太郎」だと思う。あれは一方的な征伐の話だ。鬼は最初から鬼と規定されているのであって、桃太郎一族に害をなしたわけではない。

しかも桃太郎と一緒に行くのは友人でも同志でもなくて、黍(きび)団子というあやしげな給料で雇われた傭兵(ようへい)なのだ。更(さら)に言えば、彼らはすべて士官である桃太郎よりも劣る人間以下の兵卒として(略)、動物という限定的な身分を与えられている。彼らは鬼ケ島を攻撃し、征服し、略奪して戻る。この話には侵略戦争の思想以外のものは何もない》

わが国では思想及び良心の自由、表現の自由が保障されている。作者が作家としてどのような表現で思想を開陳しようとも、法に触れない限り自由である。

しかし、おそらく伝統的な日本人なら誰もが唖然(あぜん)とするであろう一方的な思想と見解が、公教育で用いる教科書の検定を堂々と通過して、子供たちの元に届けられた、という事実に私は驚きを隠せない。

例えばこの単元を用いて、偏向した考えを持つ教師が「日本人の心性とは、どのようなものであると筆者は指摘しているか。漢字4字で書きなさい」などという問題を作成したら一体どうなるか。生徒たちは「侵略思想」と答えるしかないだろう。

歴史を超えて語り継いできたお伽噺(とぎばなし)が侵略思想の権化としてすり替わり、子供たちを巻き込んで展開されていくことなど公教育の現場ではあってはならないことだ。

教科書改善の活動はまだ道半ばである。今後も継続して取り組んでいく決
意だ。

              ◇

【プロフィル】義家弘介(よしいえ・ひろゆき)高校教師を経て横浜市教育委員や文部科学政務官など歴任。「ヤンキー先生」の愛称も。衆院議員。 
産経ニュース【解答乱麻】2014年10月25日 

              (情報採録:松本市 久保田 康文)


◆アメリカの階層を考察すれば

前田 正晶



以下に述べていくことは22年以上も彼等の中で、彼等の思想・信条・哲学・論理・倫理・仕来り等々の異文化に従って働いてきた経験から学習ないしは習得した知識と判断に基づいているものであって、我が国で一般的に広まっている「アメリカとは」という定義と異なっている場合が多いと、予めお断りしておきたい。

*アメリカの政治・経済・外交・軍事・教育・医療・法曹界等を動かしているのは:

私はアメリカの人口の精々5%を占めるに過ぎないと見なしているアッパーミドル以上の層だと見ている。この層の特徴として見えるのが所謂良家や名門の一族と家庭であり、それぞれの一家には代々Ivy Leagueとそれと同等の私立大学の4年制大学は言うに及ばす、ビジネススクールや法科大学院出身のMBAやPh.D.が圧倒的に多い。彼等にはそういう大学での年間の今や5万ドル(約500万円)学費を当たり前のように軽々と負担する資力
があることは繰り返し指摘してきた。

さらに極論的に表現すれば、こういう家庭の出身者でなければ、私は「上記のような分野で主導的且つ指導的な立場を占めることは極めて難しいのがアメリカであること」も、これまでに指摘してきた。しかも、自由で平等で誰にも均等に機会が与えられているかの如くに喧伝されているアメリカでは、この(白人というかWASPでも良いか)層に、他の層から横滑りするとか上昇してくることもまた極めて希なのであると言いたい。

*他の層の果たす役割は:

上記の全アメリカに君臨するかの如くに見える層とは重複することは先ずあり得ないと言って誤りではない。各層が担当する分野は言うなれば独立するものであって、例えば一般的な事務員(clerkと言って良いだろう)、労働組合員、レストランのシェフ、ウエイターとウエイトレス等に別けて考えてみても良いと思う。これらの分野がその家系で必ずしも代々引き継がれている訳ではあるまいが、こういう仕事に従事してきた者たちが上記の層に入っていく例は少ないと見ている。

換言すれば、既に述べてきたように各層間を移動する例は極めて少ないと言うことだ。私が見てきた限りでもその例は少なかった。しかも上述のように支配する者たちは有名私立大学の出身者にほぼ限定されるのであり、(アメリカでは私立大学よりも格が下と見られている)州立大学に入学すれば、その時点で自分の将来が限定されたというに近い一種の諦観のようなものを抱く者すらいるのだ。

その例として挙げておきたい者がいた。彼は私と懇談して述懐したのだが「自分は高校までは勉学に励まなかったので州立のオレゴン大学(University of Oregon)にしか入れなかったので、その時点で自分の将来が限定されたと知って愕然とした。

そこで日本語を操れるようになれば、自分の親が担当するような対日貿易を大きな柱とする一流企業に受け入れられるチャンスがあると考えて、2年間日本語を学んで明治大学の政経学部に留学している」だったのだ。

彼等はこういう考え方をするのである。彼の家庭は日本留学を可能にする大企業の管理職だったのも幸いした。余談だが、2年間学んだだけの日本語が明治大学での講義に問題なく付いていけたと聞かされて、私は我が国の英語教育との差を見せつけられて落胆させられたのだった。

なお、アフリカ系やヒスパニックやアジア系統はそれぞれが独立する層をなしているとも言えるだろうし、ここに採り上げた層の中に含まれているとも言えるだろう。

特に、中国や韓国から移民ないしは留学してきた者たちの中には大企業に職を得ている例もあるのは確かなことだ。私はアジア系の中には我々を含めて考えてはいないのだ、念のため。

*我が国におけるアメリカの概念:

私はこれまでに述べてきたこと及び長年語ってきた「アメリカという国」は、我が国に広まってるアメリカとは多くの点で異なっていると思う。これは、これまでの経験からも言えることで、私の説を聞かれた方々が怪訝な顔をされるのにはもう馴れているし、驚かない。しかし、そのような既成概念と違うとからと言って、私の説を真っ向から否定しては頂きたくはないのだ。この世には色々な説も意見もあるのだから。

何故そう言うのかを解説すれば、私は今日まで述べてきたアメリカのビジネス社会の実態を事前に知らずして、アメリカの紙パルプ・林産物業界の大手の会社に転身し、そこの中核をなす上述のような家庭の出身者でMBAやPh.D.が支配し指導する会社の実態しか知り得なかっただけだ。そこには、ここまで述べてきたような他の層からの流入者は極めて希であり、彼等の実態は伝聞でしか語れないだけなのだ。

即ち、私が語る「アメリカという国」は、その5%が支配する会社でと言うかそのような場でしか経験出来なかった実態を語っているので、そうではない視点でアメリカを語ってこられた方々の説とは異なっているのは当然であると思っている。

故に、読者諸賢におかれましては「こういう視点に立ったアメリカ論もあったか」というような大らかな視点からお読み頂ければ有り難いのであり、それでこそ私がここまで縷々述べてきた意義もあろうかと考えている次第だ。

*結び:

ここから先はさらに具体的に「日米企業社会における文化と思考体系の相違点」や私の好む「ビジネスマンの服装学」に入っていきたいのだが、この分野を事細かに記述したものは2003年以前のワープロ時代の作品であり、今更私の技術でPCに移すのは不可能であるし、それを如何にして再現するかに深く悩んでいる次第だ。

打ち直す場合には一体どれほどの時間と労力を要するかを考えると気が重いのだ。だが、そうとばかり言っていられないので方法を模索中だ。


2014年10月26日

◆私の「身辺雑記」(155)

平井 修一


■10月23日(木)。朝は室温17度、今季最低、昨日からずーっと雨。9時前には止んだのでフル散歩。コートやマフラーの人が多い。冬が近づいてきた。朝日は厳冬のシベリア状態だ。

朝日出身の川村二郎氏の論考「さよなら朝日・求められる解体的出直し」(VOICE11月号)から。

氏の経歴は、1941年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、朝日新聞社に入社。社会部記者、『週刊朝日』編集長、朝日新聞編集委員を経て文筆業。

ばっさり削ったが、それでも長い。お許しを。

<私が『朝日』の記者になった1964年(昭和39年)、朝日新聞社は「お家騒動」の余震が続いていた。

お家騒動というのは、『朝日新聞』を創業した大株主である村山家の当主、村山長挙社長(当時)が人事や紙面に口を出すので、常務取締役(当時)の永井大三さんが体を張って抵抗し、社内が社主家派と永井派に分かれて争った騒動である。

当時は販売と広告が一緒で、永井さんは両部門を統括する「業務局長」のポストに就いていた。

新聞社では、お金を稼ぐことをしない編集部門が“虚業”とすれば、お金を稼ぐ販売と広告は“実業”である。

虚業と実業は補完し合う関係にある。それなのに朝日新聞社はある時期、役員10人のうち8人が編集部門出身で、販売部門と広告部門からはそれぞれ1人ずつということがあった。

虚業が圧倒的に優勢で、クルマに例えれば虚業のタイヤはダンプカー、実業のタイヤは軽四輪のようだったことは間違いない。これでは同じ所をグルグル回るだけで、前には進めない。

私は『朝日新聞』が起こした一連の“事件”の背景には、虚業と実業のアンバランスがあったという気がしてならない。

しかし編集がどんなに巨大化しても、販売と広告には紙面に注文する権利があり、そうする義務がある。もちろん私は、販売や広告が紙面に口を挟むことを嫌うというより、許さなかった編集局幹部がいたことを知っている。

その幹部が「編集権は編集局にある」というので、

「編集権は社外に対してあるもので、社内にそんなものがあってはいけないでしょう。ビール会社や自動車メーカーは、営業や宣伝の社員に『うちの商品に注文はつけるな。商品開発の人間に文句をいうな』とは、いわないはずです。新聞社で日々読者と接しているのは販売と広告の人間ですよ」

といったこともある。

朝日新聞社では編集、販売、広告の新入社員を全員集め、合宿をして研修をする。夜は酒が入るのだが、販売局の講師役の先輩は新人の販売局員に「編集局の人に紙面について何かいうなよ」というそうである。社内の言論の自由を封じるわけである。

この話を聞いたのは5、6年前だが、こういう気風が簡単に変わるとは思えない。こんな指導をしていれば、若い記者が唯我独尊になるのは目に見えている。こういうことを続けていればやがて社内でも「編集権」を振り回す幹部になり、販売や広告の幹部が「ものいわぬ小羊」になるのは、不思議なことではない。

そう考えると、今回の事件は編集、販売、広告が寄ってたかって引き起こしたものだということができる。実業の部門がいうべきことをいわなかったために、編集が裸の王様になったという面があるからである。

私は幸せな記者、編集長だった。そういう人生を送ることができたのは、ひとえに『朝日新聞』の看板のおかげである。大恩のある『朝日新聞』を「廃刊にしろ」という声を聞くのは辛い。私はいま、俗な言い方になるが「憧れた女性がじつは大変なアバズレだったのか」という気分である。

「泥棒にも三分の理」ということわざがあるが、アバズレの言い分を聞いてやってくださいという気にもなる。従軍慰安婦問題、東電福島第一原発・吉田所長の調書の問題、池上彰氏の「新聞ななめ読み」の扱い。こういう問題を起こしたいちばんの原因は何か? と聞かれれば、私は1980年に朝日新聞社が有楽町から現在の築地に移ったことだと答える。

有楽町時代は足の便がよいので、有名人が雨宿りをかねて朝日新聞社に立ち寄ることが珍しくなかった。言葉を換えれば、社外の監視の目に晒されていたことになる。社会部員は陽が落ちると、映画を見に行ったり、飲みに行くのが普通だった。どういうことが世間の関心を集めているか、映画館や飲み屋のおしゃべりに聞き耳を立てる。

そのまま家に帰らず、別の飲み仲間を探しに会社に戻ってくる。会社のソファでその夜に仕入れた話を披露する。そうやって、街の風とでもいうものが、絶えず社内に入っていた。

ところが地下鉄大江戸線ができるまでの築地は、陸の孤島といってもよいほど、足の便がよくなかった。「目標はがんセンター」と聞けば、二の足を踏む人がいたはずである。

築地に移ってからの記者を見ていると、出不精で、人付き合いが不得手になったように思われる。私が「司馬遼太郎さんに紹介するよ」と誘っても、「いいです」という論説委員が「天声人語」を書くようになれば、看板コラムが色あせるのは、当然かもしれない。

文化とは社交であることを知らないままに局長や役員になる傾向が目立つようになったのも、築地に移ってからのような気がする。

これまでの『朝日新聞』なら、今回のようなことが起きても、社内から幹部を非難、批判する声が上がることはなかった。私がマスコミ業界雑誌『創』で『朝日』の紙面批判をやや辛辣に書いたのも、「記者諸君はいまのような紙面でよいと思っているのか。

政局話ばかり書く政治部の編集委員の書くものに部内、社内から批判の声が出ないのはおかしい。自浄作用がないと思われるぞ」という気持ちがあったからである。

ところが今回は、若い『朝日』の記者たちが批判の声を上げている。私のところには、「署名を集め、編集局長や編成局長あてに抗議文を出します。180人は超えました」といったメールが来る。

「ものいわぬ小羊」たちが、立ち上がったのである。週刊誌によると、朝日新聞の労働組合には、実名で抗議のつぶやきが届いているそうである。「お利口さん」の集団と思っていた『朝日新聞』では、画期的なことである。

私は若いとき、陰湿なことをする出世亡者のデスク3人に反抗し、仲間を誘って反乱を企てたことがある。その経験から、「抗議をするときは、報復人事をされないように、とにかく同志を増やせ」と忠告している。彼らはこれから20年以上、『朝日新聞』の旗の下で仕事をするのである。彼らを孤立させてはいけない。

『朝日』が、解体的出直しをするためには、社長以下役員がこれまでの考えを捨てなければならない。

「経営の神様」といわれた松下幸之助翁は、相談役になってからも芸者遊びをしたそうである。しかし、そういう席にも、「相談役、そんなことしたらあきまへんで」と、面と向かって直言、諫言をする重役を2人は同伴したと、女将から聞いている。

新社長には、こういう度量を期待する。イエスマンは100人いても1人、ということである。裸の王様にならずに済む方法は、じつに簡単なのである。

永井さんを追放しようとする村山社長に対抗し、販売店は結束し、集金した購読料を本社に納めず、裁判所に供託した。朝日新聞本社を兵糧攻めにしたわけである。

現在、『朝日』は部数が減っているうえ、広告は年間700億円の目標に対し2、30億円足りないと聞いている。兵糧攻めは日に日に深刻さを増しているようである。「お家騒動」のときとは比べものにならないほど深刻なのではないか。

販売店のTさんは、

「せっかく若い記者が声を上げたのなら、永井さんのときのように、販売店も何かしないといけないんじゃないでしょうか。解体的な出直しには、店の協力がないとできない気がします」

といった>

朝日の内情がそこそこ知れて、まあ面白いが、焦点ずらしというか、かなりピンボケではないか。アバズレは人に迷惑をかけない、被害は大したことはない、被害者の助平心が災いを招いたのだ。ところが朝日は大嘘つきで、小生の祖父母、父母、英霊、日本人のすべての名誉を棄損したのである。大損害だ。

上記の論考でまったく考慮されていないのが我々被害者のことである。あろうことか自分たち社員、元社員が被害者のように書いている。我々に対する名誉回復策にも触れていない。加害者のくせに被害者面・・・相も変わらずの嘘つき朝日め、地獄に堕ちるがいい。

■10月24日(金)。朝は室温16度、またまた今季最低、晴、フル散歩。女性の多くがズボンをはきだし、スカートは10人、20人に1人という感じ。スカートの女性は美形が多いが、何故だろうと考えたら、今日は花金、仕事の後にデートするのだろう。ここはスカートでないとまずいわな。

反共闘士として「日中友好」を論じてみる。

建国(1949)間もない中共は、世界に自身を宣伝するために、中共を支持する人々を歓迎した。鎖国(包囲・閉塞されたていたけれど、その)状況下でも、アカ(労働組合やら社共など)などの「友好団体」の訪中は大歓迎で受け入れていた。

朝日や岩波などのアカは全部騙され籠絡された。「中共は素晴らしい」と書き、語り、大いに宣伝した。中共の宣伝部になった。革マルは今でも中共に学校を寄進している(20校ほど)。

トウ小平は「我々が外貨を稼ぐための売り物の大きな柱は観光資産だ。今のところ外国からの観光客は団体ビザだから限りがある。観光業発展のためには個人の観光も認めるように」と言ったのだろう。

まあ、お得意の「白でも黒でも金を落とせばいい客だ」という論だ。

これをいち早く受けて毎日新聞旅行が1980年に中国パックツアーを売り出した。つまり友好団体の団員でなくても、誰もが中国旅行ができるようになったのだ。爆発的に売れた。

それと前後してガイドブック「地球の歩き方」の中国編が出て、結構自由に「未知の国」中国を若者が卒業旅行で旅するようになった。

もっとも外国人に「観光OK」と開放したのは、北京、上海、広東、桂林、杭州、蘇州、南京、成都、敦煌、ウルムチ、カシュガルあたりに限られており、それ以外は外国人に見せたくない、どうしようもない貧困の町や村だったのだろう。

香港キャセイ航空の初の日本人の日本支社長だったマイク・今井氏から仕事の依頼が来たのは1984年だった。「平井君、これからは中国だ。英語の日中ホテル案内を作ってくれ、アメリカで売る」と。

「中国ホテル案内ではなくてなぜ日中ホテル案内なんですか?」と問えば、

「アメリカ人で日本や香港、台湾がどこにあるか知っている人はまずいない。まあ東アジアへの関心が高まればキャセイ航空などの太平洋線、つまり西海岸−東京−香港−中国各地の路線が売れるからね。観光客がたくさん来れば皆潤う」

同年、必死こいて小生らは中国で取材し、ホテル情報をかき集めた。誰も正確なことを知らない分野だった。ホテル情報専門誌にもその情報を売った。

今でも世界の記者が取材できる中国の市町村はごく限られているはずだ。中共の僻地の実体はほとんど伝わってこない。

中国の貧困層は中共基準で9000万人、国際基準で2億人いるそうだ。1日2ドル以下という基準だと4.8億人にもなるとか。それなら世界中から反発を招く、無意味な軍拡に年間20兆円、30兆円使うより、貧困層の福祉を考えた方がいいのに、と世界中は思うが、習近平は妄想的「偉大なる中華帝国の復興」を夢みるばかりで、14億人を道連れに自滅しようとしている。

このバカを駆逐すれば支那は再生できると小生は思っている。さすれば支那人は数千年知りもしなかった自由、民主、人権、法治を与えられるから、相当困惑するだろう。金持ちでも貧乏人でも1票は1票で、香港行政長官は「そんなことしたら貧乏人が政治を牛耳ってしまう」と本音を漏らした。

そういうリスクを抱えながら(うんざりしながら、我慢しながら)多くの国では皆、「1票は1票、結果が不満でも次の選挙までは我慢するしかない」と民主主義を守ってきた。

多くの国がどうにかこうにか、「ベストではないけれど、多分今のところはベターだな」と、この「民主主義という、ずいぶん曖昧なシステム」を守って、まあ大方は成功している。

中共が撲滅されれば、このいささか怪しげな自由民権システムのタネが支那大陸に撒かれることになる。怪しげでも、反対者、異議を唱える者を殺す中共独裁より遥かにいい。日本は率先して「種撒く人」になろう。そして本物の日中友好、ウィンウィンを構築していこう。

日本人は支那から多くのものを学んだ。一方で孫文、魯迅、蒋介石、周恩来などは皆、日本で勉強したのだ。日本人も彼等から学んだ。その土壌、互恵精神は今も生きている。絶対、仲良くできるはずだ、中共を殲滅すれば。

■10月25日(土)。朝は室温16度、快晴、今季初めて長ズボンをはいてフル散歩。柵のない幅60センチの橋を踏み外して犬は川に落ちた。ジャンプ力が不足したのだ。1年に1回ほど落ちる。人間で言えば90歳だから仕方がない。濡れネズミのようになったが元気で良かった。

老人が若い奥さんと無理心中したり、タイでは日本人老人がタイ人の奥さんの情夫に殺される事件があった。老人が元気すぎるとアッチが涸れないから厄介なことになるのではないか。

4万円でソープへ行った方がいいと思うが。格安店なら2万円内でもOKだ。送迎サービスや早朝割引を利用できる店もある。川崎堀之内は全54店舗。姫が三つ指ついて出迎えてくれる。「おじい様、いらっしゃーい!」

父を連れて行きたかったが、親孝行したい時には親はなし。61歳で逝ってしまった。残念だ。

カミサンが勤務先病院の50周年記念誌に寄稿しており、こんなことを書いている。

「急性期病棟を担当しています。入院時、病識なく、攻撃的、暴力的で、その症状が激烈であればあるほど、患者様が段階を経てすっきりと症状が改善し、晴れて退院となった時に、スタッフは心からの喜びを感じます。それはスタッフの次に向かうための活力となっています」

現実は戦争みたいなもので、精神科は看護師に不人気のため、いつもスタッフが不足気味だ。統合失調症は完治しないし、退院すると薬を飲まない人が多く、半年や1年でまた戻ってくるから、やりがいが薄いのだ。「患者様、いらっしゃーい!」どころか「アンタ、また来たの!」というのがナースの本音だ。

小生は時々狂気を発し、朝日、岩波、中共、リベラル=アカ的なるものを激しく憎悪する。それらは敵であり、敵から見れば小生のようなるものは敵だから、やはり憎悪している。

岩波「世界」編集長・清宮美稚子の右派に対する狂気・憎悪はなかなかすさまじい。11月号の編集後記ではこう吠えている。

<「慰安婦」問題における「吉田証言」、福島第1原発事故における「吉田調書」、この2つの報道をめぐる異様なまでの朝日バッシングは、朝日にとっての「9.11」を経て、さらに猖獗をきわめている。

バッシングの波が真実を覆い隠そうとしている。桂敬一氏 (元立正大学教授) が「戦後ジャーナリズム最大の危機」と断言したように、ジャーナリズムそのものの崩壊の危機と捉える必要がある」

嘘つき朝日、嘘つきジャーナリズムを叩くことがなぜジャーナリズムの崩壊になるのか意味不明だ。支離滅裂。言論の統合失調症だな。「病識なく、攻撃的、暴力的」、潰される前に入院したらどうか。「アンタ、まだ生きてたの!」(2014/10/25)


◆日本独立を危うくする朝日の中国報道

加瀬 英明



朝日新聞社が8月に、いわゆる従軍慰安婦について、32年間にわたって読者を騙して、虚偽報道を行ってきたことを認めて、撤回した。

社長が逃げ隠れしていたが、何日もたった後に、謝罪記者会見を行った。

私はもう50年にわたって、雑誌を舞台として、朝日新聞が亡国的な報道を行ってきたことを攻撃してきた。

昭和50(1975)年に、月刊『文芸春秋』に「最近朝日新聞紙学」という題で、27ページにわたる長文の批判を寄稿したところ、朝日新聞社が名誉毀損で、私と文芸春秋社を訴えるといってきた。裁判は望むところだった。

福田恆存氏をはじめ保守派知識人が、私の応援団をつくってくれたが、著名な財界人が仲介に入ったために、裁判は実現しなかった。

私にとって朝日新聞ほど、怒りを駆り立てられてきた相手はなかった。

なかでも、朝日新聞の中国報道は、日本の独立を危うくするものだった。

外交は内政の延長だといわれるが、国防は国内世論に依存している。

中国で昭和41(1966)年に、人民文化大革命が、吹き荒れていた。毛沢東によって、大量の血が流され、文化を破壊した、狂気の沙汰だった。

朝日新聞は社説で、「そこには、いわば『道徳国家』というべきものを目指す、『世紀に挑む実験』といった意欲が感じられる」と、説いた。

昭和57(1982)年に、中国の周恩来首相が佐藤内閣による沖縄返還交渉、日米同盟堅持、防衛力強化を、「日本軍国主義復活」といって、激しく非難した。

朝日新聞は社説で、周首相が「『日本軍国主義はすでに復活し、アジアの侵略勢力となっている』とか、『沖縄返還はペテンだ』と主張した。われわれは、日本軍国主義がすでに復活したとまでは考えない。だが『復活』の危険な情勢にあることは、認めざるを得ない」と、論じた。

翌年、日米間で沖縄返還協定が調印され、昭和52年に沖縄が祖国に復帰した。

昭和50年は、1960年に日米安保条約が改定されてから、自動延長か、改定の期限を迎えて、新聞が“70年安保危機”をさかんに煽った。

朝日新聞は社説で、「日中関係の正常化こそ、わが国の恒久的な安全保障の条件なのであり、“選択の70年代”の課題は、対米関係の調整にたった安保条約の解消と、日中関係正常化への努力を並行して進めて行くことである」と、訴えた。

“70年安保危機”は、警視庁機動隊員の努力によって、回避された。

昭和47(1972)年に、日中国交正常化が行われた。この時の朝日新聞の「日中新時代を開く田中首相の訪中」と題した社説も、憤飯物だ。

「日中正常化は、わが国にとって、新しい外交・防衛政策の起点とならなければならない。日米安保条約によって勢力均衡の上に不安定な安全保障を求める立場から、日中間に不可侵条約を結び、さらにその環をソ連にもひろげる。あるいはアジア・極東地域に恒久的な中立地帯を設定する。そうした外交選択が可能となったのである」

朝日新聞は、中国報道も検証してほしい。

◆書記の自殺 周永康汚職事件に連座か

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 


<平成26年(2014)10月25日(土曜日)通巻第4374号>   


〜波紋を広げる上海青浦区党工委書記の自殺。周永康汚職事件に連座か
  同区の淀山湖に周永康の豪華別荘が建てられていたことが発覚した〜

上海は広い。

青浦区は上海の西の外れ。水郷地帯で、太湖の美観が北に眺められる。別荘群が林立し、上海市内からバスで2時間はかかる。名所旧跡の多い場所で週末は上海市民のピクニックの目的地でもある。

この淀山湖に建つ豪華別荘の持ち主の一人が周永康だった。

事件は、この問題に絡んで発展したと思われる。

上海市青浦区盆浦街道の党工委員会書記、呉春泉が自殺した(博聞新聞網、2014年10月23日)。

呉ほか10人が、汚職撲滅のキャンペーンの元、捜査網に引っかかり、彼らの預金が凍結された。厳しい捜査のメスが入り、取り調べが進行しようとしていた。

この地区の土地収用や開発を巡る醜聞は絶えず、とりわけ周永康の裁判が開始されようとしているとき、現場の責任者が「自殺」した。重要な「証人」が消されたとも言える。

まさに「悪い奴ほどよく眠る」のだ。

◆韓国で廃れた儒教の教え

黒田 勝弘



韓国政府は最近、韓国観光公社の重役(常任監事)にタレント出身のジャニー・ユン氏(78)を任命したが、この人事を批判する野党議員が「年をとれば判断力も落ちる。もう引退して休んでもらうべきではないのか」と発言し問題になっている。人事ミスが相次ぐ朴槿恵(パク・クネ)政権に対するいやがらせだが、年配者をバカにした発言として野党非難の声が上がっている。

韓国の野党は10年ほど前にも、国会議員選挙に際して党幹部が、保守票への牽制(けんせい)から「年寄りは投票に行かずお休みください」と発言し大騒ぎになっている。長幼の序を重んじ年配者を敬うというのが儒教道徳だが、もはや廃れてしまったようだ。

そういえば筆者も韓国で厳しいことをいうとすぐネットなどでは「60歳を過ぎてまだ外国で記者などやっているダメ人間」などと非難された。まあ、儒教道徳といっても「年寄りは敬して遠ざける」が本音だったのかもしれない。

ところでバスや地下鉄でも年寄りに席を譲る姿が少なくなったが、ただシルバーシートには若い男は決して座らない。これは敬老精神というより「男として」の見えであり突っ張りでありカッコをつけているのだが、この「男として」という見えは日本の若い男たちは見習った方がいい。
産経ニュース【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 2014・10・24


2014年10月25日

◆閣僚辞任を生む政治文化の悪弊

佐瀬 昌盛
 


就任1カ月半で2人の女性閣僚が辞任に追い込まれた。辞任の原因は違う。が、お粗末さは共通している。脇の甘さだ。やらずもがなの内閣改造で、女性だからとの理由で2人を登用した安倍晋三首相にも緊張感が欠ていた。

小渕優子議員は後援会の観劇会費をめぐる政治資金収支報告書の説明に窮し、松島みどり議員は配った「うちわ」の問題で、同じ日にそれぞれ経済産業相と法相のポストを去った。特に小渕議員の場合、9月の内閣改造で“目玉”と見られただけに、安倍政権にとっての打撃は大きい。そこで私見。

 ≪華やかさの陰の落とし穴≫

51年前、西ベルリンに留学中の私は偶然、ある青年に出合った。早稲田大学を出て、西欧を貧乏旅行中の男。テレビチームと一緒に「壁」撮影の仕事をしていると、若者が手伝わせてくれと加わった。後年の小渕恵三首相である。

小渕政権時代、私はまだ防衛大学校にいたが、ベルリンでの出会いを『文藝春秋』のエッセーで書くと、噂のブッチホンがかかってきた。苦労人で気取らぬ人柄の政治家だった。娘の優子議員のことは報道でしか知らないが、苦労人ではなく、父の「ビルの谷間のラーメン屋」の味を知るまい。(主宰者註:福田赳夫・中曽根康弘と同じ選挙区で余技なくされた苦労のこと)

そこに彼女の落とし穴があった。順風満帆で足許を見なかった。華やかな存在だっただけにメディアは「将来の首相候補」と報じ、本人も悪い気はしなかっただろう。

わが国でも「女性が輝く社会」の扉が遠からず開かれるとの期待が世間に強まりつつあった。そこへこの転落劇。野党は「水に落ちた犬」叩きを喜ぶ始末だ。

しかし、野党とて政治的、社会的な女性登用には異論がない。私も同じこと。女性に能力発揮の機会が拡大されるのは、国家的見地からしても望ましい。

ただ、女性登用を自己目的化してはなるまい。それは本末転倒である。あくまでも結果として女性の活躍が目覚ましいのがよい。そのために必要なのは男性による推挙でなく、女性自身の不抜の努力だろう。先進民主主義国の実例はそのことを物語る。女性よ、実力を蓄えよ。

 ≪悪慣習つくった吉田茂首相≫

今回の女性2閣僚の辞任はしかし、より深い反省をわが国に求めている。われわれの政治文化の問題がそれだ。第2次安倍政権では発足して約18カ月間、内閣改造がなかった。戦後新記録だそうである。が、私はむしろその短さにこそ驚く。

それでは大臣が自分の担当する省庁の実務に強くなれるはずがない。予算を1回こなして初めて自分の省庁の仕事がほぼ理解できるからだ。2回経験を積んで、ようやく一人前。在任期間の短い素人大臣は官僚に頼る。逆に官僚出身閣僚は比較的長持ちする。

日本にしかないこの妙な慣習は一体、どこから来たのか。

この悪弊の生みの親は、言わずと知れた吉田茂首相である。このワンマン首相はすでに第1次吉田内閣で、ころころと大臣の首をすげ替えた。あまりにも目に余ったので昭和25年、ある野党議員がそれは憲法上は合法だがと前置きして、こう論難した。「極端に申しますると、1箇月ごとに全員を更迭して、1、2年するうちに全自由党議員を大臣前歴者にすることもできるわけであります」

吉田茂は敗戦日本が生んだ大宰相だった。もうひとつの敗戦国ドイツのアデナウアーと並んで、戦勝国との交渉、西側世界への自国の編入に余人の及ばぬ功績があった。

しかし、組閣と政権運営に関しては両人の手法はまったく違った。ワイマール共和制の失敗に学んだ西独首相は政権の安定を第一義とし、14年に及んだ長期政権で閣僚交代は最小限に抑えた。それが女性のメルケル首相に至るまで、ドイツの政治文化となった。

 ≪行政権に優先する立法権≫

閣僚人事に関する日独の政治文化はまるで違う。腰を据えて行政に当たらせるのと、頻繁な閣僚交代とではどちらがよいか。言うも愚かであろう。

頻繁な閣僚交代は何も自民党政権だけの悪弊ではない。戦後日本でも幾度か政権交代があったが、いずれの政権も与党ないし連立与党内に大臣病患者を抱え込んでいた点では共通性があった。特に先年の民主党政権期には入閣待望組がうじゃうじゃしていた。どの閣僚ポストかは問うところでなく、大臣になることが目標だった。面従腹背の官僚が喜んだはずだ。

もう1つ言おう。政治家の頭の中では立法府と行政府の順序が逆転している。憲法上は前者が後者に優先する。が、戦前の帝大時代から「末は博士か大臣か」なる言い回しがあったことが暗示するように、現実政治の世界ではこの関係が逆転している。あえて書生論を唱えるが、これは誤りである。

理念上、立法権は行政権に優先する。現実は逆だ。が、この点で筋を通した政治家がいた。衆院議長になった坂田道太だ。昭和から平成への移行期に大混乱した自民党には彼に首相就任を望む声があった。坂田は、立法府の長だった人間を行政府の長にするのは間違いだと断った。それがあるべき政治文化だ。(させ まさもり)防衛大学校名誉教授 
産経【正論】2014年10月24日 (情報採録松本市:久保田 康文)

◆巨悪・中共を包囲し殲滅へ

平井 修一



空自出身の小野田治・ハーバード大学シニアフェローの論考「中国軍戦闘機の異常接近から見える狡猾な狙い 強圧的になる中国軍の対処を危惧する」(JBプレス10/21)から一部紹介。

<9月28日、東京で開催された第10回東京−北京フォーラムに、安全保障分科会のパネリストとして出席する機会を得た。

分科会の前半、海洋における危機管理メカニズムについて、冒頭に日本側から協議再開を歓迎する旨の発言があり、その後日本側の出席者が、「海洋の安全とともにその上空における偶発的事故を心配する」とコメントした。

それに対して、中国側から、昨年11月に中国が設定した東シナ海防空識別圏を日米両国が国際法違反だと強く非難するのは不当である、当該防空識別圏は諸外国が設定しているものと同じものであり国際法上問題はない、むしろ自衛隊機、米軍機が危険を招いているという趣旨の発言があった。

(偶発的事故を防ぐための)「海上連絡メカニズム」の構築に向けた防衛当局間の協議再開(合意)にもかかわらず、APEC(アジア太平洋経済協力会議、11月に北京で開催)以降は中国戦闘機が引き続き危険な行動をとり続けるのではないかと筆者は考えている。中国の目的が本土への接近偵察飛行を止めさせることであり、東シナ海防空識別圏を認めさせることだからである。

南西方面における自衛隊や海上保安庁の体制整備を急がねばならない。冷戦の際に日本海やオホーツク海で起こっていた状況と同じ状況が既に生起しており、自衛隊などは抑制的にかつ効果的にこれに対処することが求められる。再び長い戦いになるだろう>(以上)

普通の国は周辺国と仲良くすることで平和を築き、シーレーンを含めた安全を確保するのだが、一党独裁で孤立する中共は周辺国を武力で威嚇し、いつでも武力発動できるようにして安全を確保しようとしている。

階級闘争史観だから、「共産党の敵は殺せ」「自分は正義だ、周りは皆間違っている、邪魔する奴は殺す」しかないのだ。共産主義の中共にとって資本主義国は基本的に敵なのだ。理論的には叩き潰す対象であるから、仲良くするという発想がまったくない。

このために周辺国は大反発しており、たとえばインドではマラッカ海峡近くに位置するアンダマン諸島の戦略的価値に着目し始め、アンダマンにある17隻の艦隊も、8年後には32隻に増やし、部隊は6000人に倍増するという。

中共は日本近海では、まず尖閣を占領し、ここを拠点に南西諸島、さらには沖縄を強奪し、軍事制圧下に置こうとしている。太平洋へのシーレーンを確保するためだ。

現状では有事の際に中共は近海から一歩も出られない。周辺国が海上封鎖するからだ。中共の石油タンカーもマラッカ海峡を通れない。

国際ジャーナリストの木村正人氏が、海上防衛の現場で中共海軍と対峙した経験を持つ香田洋二・元海上自衛隊自衛艦隊司令官にインタビューしている(10/3)。香田氏はこう語っている。

「中国から見て一番重要なのは、中国軍が自由に太平洋に出ることができるということなんです。軍事的な、それを確保する。台湾海峡もありますが、北米航路とかも考えたときにね、沖縄・南西諸島のどこかを通らないといけません。

これは彼らにとっては非常に大きなバイタル・インタレスト(絶対的利益)なんです。海軍と空軍が太平洋に自由に出られないということは、最後に米国に事を構えるときに、彼らの動きが自由にならないということですから。

本当に中国が軍事戦略、国益、最終的に米国との対決を意識したときに本当に取っておかないといけないのは、マストで言うと沖縄から西の南西諸島なんです。ところが尖閣にフォーカスを当てすぎるとソッチの方がお留守になる。

中国にとってはそこを絶対に確保しないと米国と最終的に事を構えるための態勢がとれないわけです。これが中国にとって大きな軍事的な目的でもありますし、ある意味、国益ですよね」

APECが終われば習近平はまた暴れるだろう。香港の雨傘革命も武力鎮圧するかもしれない。中共を潰さないと14億の人民、周辺諸国の誰もが安心できない。中共殲滅は世界の課題だ。(2014/10/24)


◆原油価格下落背景にある産油国の思惑

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26年(2014)10月24日(金曜日)通巻第4373号 >  

 
〜原油価格下落の背景にある産油国の思惑。シェールガス開発を牽制
  原油安に乗じて中国のスーパータンカー80隻がフル稼働している〜


原油安で悲鳴を上げたのはロシアとベネズエラである。ほかの産油国も歳入が減るので憂鬱だが、中東で紛争が深刻化しているとき、普通なら原油代金は高騰するはずなのに、なぜサウジアラビアは原油価格を下げたか?

第一に米国のシェールガスへの牽制、あるいは開発妨害である。シェールガスより原油が安くなれば、当面、ガス開発が遅れるからだ。

第二にはサウジアラビアのシェア回復であり、ちなみにドバイ標準は1バーレル82ドル25セント(10月23日)。

さて、この原油安をチャンスとばかり20万バーレルを積載できるスーパータンカーを80隻もフル稼働させて備蓄を急いでいる国がある。中国だ。

中国の輸入石油は19%がサウジアラビアからで、以下、ベネズエラ、アンゴラ、スーダンなど遠い産油国から運ばれ、現在推計で一日1600万バーレルを輸入していると推定されている。
      

◆中島兄者は永遠の青年

加瀬 英明



7月7日に、中島繁治兄者(あにじゃ)の出版記念とあわせて、喜寿の祝賀の宴が、市ヶ谷の私学会館で、満都の紳士淑女を集めて、華やかに催された。

兄(あにい)の喜寿は、月並み(ありきたり)のものではない。先人曰(いわ)く、身に老少有れども、心に老少なし。

兄者は永遠の青年だから、30歳の誕生日の47周年が、祝われたのだった。

この吉年とあわせて、詩『十志』の出版が記念された。

10は0(ぜろ)から9まで10進法の基礎となる数が完成することから、欠けたところがなく、満ち足りることを意味している。

漢籍で中国の歴代の天子を「十善」と呼び、完全な人を「十善老人」といって、崇めた。老は敬称であって、年老いた者ではない。若い教師であっても、老といって敬われた。

詩『十志』は、中島兄哥(あにい)の高い志(こころざし)を示した訓えで、私は美しく装われた冊子を頂戴してから、座左に置いてきた。

この『十志』こそ、東西の“十戒”である仏法を学ぶ沙彌(しゃみ)が守るべき十戒と、ユダヤ・キリスト教の「天主の十戒」を大きく凌ぐ、曠古(こうこ)の戒めである。

はじめから終わりまで、楽しい会だった。

日本民族は古来から、宴を好んだ。

宴(うたげ)は『古事記』のなかで、宇多宜(うたげ)と書かれている。「宇多宜(うたげ)は拍上(うちあげ)(酒盛)の切(つづ)りたる名なり。酒飲楽みて手を拍上(あぐる)(さかんに鳴らす)より云る名なり」とある。中島兄哥に対して、会場から盛んな拍手が涌いた。

中国3世紀の日本について最古の記録である『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に、倭人が「性(せい)酒を嗜(たしな)む」と、記されている。日本人は倭人伝が取りあげた、弥生期の古墳時代から祝酒(ほぎさけ)に酔(え)うことを、人一倍、楽しんだのだった。

世界で日本だけにおいて、日常、嗜む酒を「御神酒(おみき)」と呼ぶが、酒を酌(く)むのは人々が心を一つにして、渾然(こんぜん)と一体となる精神的な儀式であるからだ。それが、日本人の和の心を育(はぐく)んできた。

この日の中島兄者を囲む会も、貝塚から出土する食品が、頬(ほほ)が落ちるような西洋料理にかわっただけで、竪穴時代から伝えられた神聖な宴が、再演された。

広い会場のなかで、私がついたテーブルが、もっとも明るかった。中島兄貴の美しいお妃である姐(ねえ)さんが、華燭のように輝いていたからである。

私は兄者に近い年波となったが、兄者と姐さんほど睦みあっている、鴛鴦(おしどり)のような夫婦に、出会ったことがない。兄分(あにいぶん)はしばしば席を離れたが、会のあいだ、2人から幸せを分けてもらった。

私は中島女夫(めおと)と会うたびに、不世出の中唐の詩人であった白楽天が、男女の深い契(ちぎ)りを、「天ニ在ッテハ、願ハクハ比翼(ひよく)ノ鳥トナリ、地ニ在ッテハ、願ハクハ連理(れんり)ノ枝トナランコトヲ」とうたったのを、思い出す。比翼の鳥、連理の枝は、相思相愛の男女の極致をあらわしたものである。

比翼は番(つがい)の鳥が翼を重ねて、空を駆けていることで、連理は木の幹や枝が、わきの木の幹や枝ともつれあって、連なることである。

夫婦は、互に相手を創りあう、それぞれの作品である。兄者と姐さんは、稀に見る見事な作品だ。まさに2人は、人生の偉大な作家であって、称えられなければならない。

私ははじめて兄者と姐さんに会ってから、女夫(めおと)の道の模範である師表としてきた。

そして、私は妻に春風(しゅんぷう)をもって接し、秋霜(しゅうそう)をもって、自らを粛(つつし)まなければならないと己を戒め、愚妻には春の風のように、夫の気持ちを温かくし、いつも自分に厳しく、秋の霜のように心を引き締めるように、諭してきた。

私も、妻も、いまだにそのような仙境に、達していない。比翼の鳥、連理の枝となるのは、難しい。

だが、人生は目標をもつことが、必要だ。

かつて船乗りは、広大な海を渡るのに、天空に輝く北極星をひたすら目指して、航海した。

もちろん、北極星にたどり着くはずはなかったが、目的とする港に入ることができた。

師は、手に届かないところにある。人生では師に追いつくことはできないが、師を模倣することが、大切である。

中島兄者は気性がさっぱりして、気さくであり、誰であっても打ち解けて、相談にのってくれる。粋(いき)な人だ。

この日の会の演し物(だもの)として、入口から鉦(かね)、太鼓、トランペットを鳴らしながら、下町のちんどん屋が入場して、舞台にあがった。

私は郷愁に駆られて、胸に熱いものがこみあげた。今日のテレビコマーシャルの先駆けだったが、冷たいCMとちがって、肌の温(ぬく)もりが伝わってきた。

私の少年時代には、東西屋とか、広目屋(ひろめや)と呼ばれたが、庶民の人情がこもっていた。あのころの日本はどこへいっても、人情が微粒子のように、飛びかっていたものだった。

10に戻ると、人は伝統精神といまの時代精神が交わるところに、生きなければならない。

中島兄者は日本の心と、現代精神を兼ねあわせて持っている。だから、人望があるのだ。

(中島繁治氏は日本大学OB会誌『熟年ニュース』発行者)


2014年10月24日

◆追い込まれているのは中国の方だ

阿比留 瑠比



「首脳会談」ぶれぬ日本 

11月に北京で催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の場で、安倍晋三首相と中国の習近平国家主席による初の首脳会談が実現するとの期待が高まってきた。日中双方で「機は熟している」(自民党の高村正彦副総裁)、「APECは重要なチャンスだ」(程永華駐日大使)などと前向きな言葉が飛び交っているのもその表れだ。

首相自身が臨時国会の所信表明演説で、これまで日中関係であえて使わなかった「友好」という言葉を用いた。一定の手応えを感じているからこそ、次のように述べたのだろう。

「日中両国が安定的な友好関係を築いていくために、首脳会談を早期に実現し、対話を通じて『戦略的互恵関係』をさらに発展させていきたい」

首相はもともと「日中友好」の4文字が対中外交戦略の選択肢を狭めてきたと考えてきた。例えば平成20年6月の都内での講演では、「友好は手段であって目的ではない」と強調してこう説いていた。

「日中外交はいわば日中友好至上主義といってもいい。だんだん、友好に反することは全然だめだという雰囲気が醸し出されてきた。友好に反することは何かは中国側が専ら決める」

首相が第1次政権時に戦略的互恵関係を提唱したのも、ウエットな日中友好至上主義は排し、もっとクールに相手の必要性を認め合って付き合っていこうという発想からだった。

中国側も以前とは対応を変えてきている。16日にイタリア・ミラノで李克強首相と握手を交わした際の反応について、安倍首相は周囲に「李氏はニコニコしていてこれまでと態度は違った」と語っている。

一方、所信表明演説での韓国への言及は「関係改善に向け、一歩一歩努力を重ねてまいります」とあっさりしたものだ。安倍政権が韓国に向ける視線の厳しさが如実に反映されている。

もちろん、外務省内にも「尖閣諸島(沖縄県石垣市)問題もあり、首脳会談があるかどうかは五分五分だろう。中国は自分たちの事情で会談ができなくなった場合でも、平気で日本のせいにしてくる国だから」(幹部)との見方もあり、予断は許さない。

ともあれ、日中首脳会談が実現すれば、東アジア地域の安定化や日中間の経済活動の円滑化のほかにも外交上、大きな意味がある。

尖閣諸島の領有権問題の存在を認めることや、首相の靖国神社不参拝の確約など、中国が会談の条件としてきた一方的な要求に一切譲歩することなく会談が行われれば、対中外交でよき前例となるからである。

実は第1次安倍政権時代の平成19年6月にも、日中間で同様の駆け引きがあった。当時、中国の胡錦濤国家主席は、台湾の李登輝元総統訪日を理由に首相との会談をいったん拒否してきた。

ところが、日本側が中国が示した会談のための諸条件をことごとく突っぱねた結果、「条件はつけない。ぜひ会談を行いたい」と折れてきたのだった。

北京を訪問した首相に習氏が会おうとしなかったら、「中国は国際的に失礼な国となる」(政府高官)のも事実だろう。

「こっちが譲らなかった結果、首脳会談ができなくてもかまわないという姿勢で臨んでいる」

首相は周囲にもこう語る。国際会議の議長国という晴れ舞台を前に、追い込まれているのは中国の方のようだ。(政治部編集委員)

産経ニュース 【阿比留瑠比の極言御免】2014・10・23


◆カジノの前に、パチンコを公営化せよ

池田 元彦



日本の公営ギャンブル市場は、5兆円規模で、1990年代のピーク時10兆円に比較し、凡そ50%減だ。公営ギャンブルとは、農林省管轄の競馬、国交省の競艇、経産省の競輪とオートレースがあり、競技する馬、舟、或は自転車とオートバイの違いで管轄省庁が異なる。

日本には、富くじの系譜をもつ宝くじや、所謂サッカーくじtotoもある。それぞれ総務省、文科省が管轄するが、売り上げ規模は各々1兆円、1000億円規模である。公営でない唯一例外がピーク時30兆円売上を誇ったパチンコ業界で、他を圧する19兆円の規模だ。

ギャンブル・賭博は刑法第23章、第185条により、50万円以下の罰金又は科料に罰せられる違法行為だが、パチンコの出玉の現金化を店で行わず、景品で交換の後、店外景品買取所に売却することで現金化し、刑法違法を免れている。このやり方を三店方式という。

三店方式は、単に賭博を誤魔化すための方便だ。本来暴力団の縄張りを警察が奪って、三店方式の誤魔化しを正当化している。今や警察が保護者で、利権を享受している。業界関連の会長・理事等として、警察総監以下の警察検察OB及び国会議員が利権を貪っている。

戦後GHQが朝鮮人等の無法駅前占拠、乱暴狼藉を放任し、パチンコ経営を容認した結果、在日朝鮮人の収益の本国送金で特に北朝鮮は裨益している。2008年パチンコを違法とした韓国が、在日の為パチスロ規制緩和を民主党幹部に要請するとはなんと厚顔なことか。

繁華街ではパチンコホールはあちこちにあり、ローカルな駅前でも1,2店は必ずある。これがパチンコ依存症の構造的原因だ。世界中にギャンブルはあるが、約12,000店もコンビニ並みに展開するのは日本だけだ。朝10時前に開店を待つ青壮年の姿は見るに堪えない。

パチンコ依存症率は世界平均1.5%前後だが、日本は2倍以上の3.5%前後、成人男性に限れば6%と余りにも多い。ゲーム店並みに何処でもあり、資金の尽きる迄何時までもゲーム継続が可能なため、自制の効かない連中が精神的麻薬中毒症になってしまうのだ。

「風俗娯楽」の範疇で誤魔化せない現状がある。10万、100万、グループなら数千万円を賭ける、自殺迄する依存症患者がいる状況では、誰が見ても博打なのだ。であれば、法制度の基本に戻り、博打は上記の問題も勘案して、公営以外は全て、全面廃止すべきなのだ。

一部にカジノ法案に便乗して、パチンコ税とか、店内での現金化、或は消費税課税の仕方等枝葉末節で騒ぐ業界、利権を貪る警察官僚と群がる族議員がいるが、パチンコの公営化、入店者の資格条件、1日の遊戯最高額の制限、又店舗数の削減がカジノ以前の先決問題だ。

博打は全て公営、国庫収納とし、環境、福祉等への投資運用に使う、売上、経費の詳細等も透明ガラス張りとし正確に管理監査する。様々な手法による売上、利益の誤魔化しを回避でき、かつ北朝鮮等へ不正送金や裏金蓄財等も防止をできるようにするべきなのだ。

少額の賭け事は多くの人が経験している。全ての賭け事を違法とすると、米国禁酒法の結果が示すように、地下に潜るだけだ。カジノ収益は、ラスベガス6千億円、マカオ3兆円だ。日本は、カジノで1.5兆円売上を期待する。海外観光客に大いに遊んで頂こう。

カジノに反対しないが、先ずパチンコを公営化し、それ以外は違法とするのが先決だ。