平井 修一
■10月23日(木)。朝は室温17度、今季最低、昨日からずーっと雨。9時前には止んだのでフル散歩。コートやマフラーの人が多い。冬が近づいてきた。朝日は厳冬のシベリア状態だ。
朝日出身の川村二郎氏の論考「さよなら朝日・求められる解体的出直し」(VOICE11月号)から。
氏の経歴は、1941年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、朝日新聞社に入社。社会部記者、『週刊朝日』編集長、朝日新聞編集委員を経て文筆業。
ばっさり削ったが、それでも長い。お許しを。
<私が『朝日』の記者になった1964年(昭和39年)、朝日新聞社は「お家騒動」の余震が続いていた。
お家騒動というのは、『朝日新聞』を創業した大株主である村山家の当主、村山長挙社長(当時)が人事や紙面に口を出すので、常務取締役(当時)の永井大三さんが体を張って抵抗し、社内が社主家派と永井派に分かれて争った騒動である。
当時は販売と広告が一緒で、永井さんは両部門を統括する「業務局長」のポストに就いていた。
新聞社では、お金を稼ぐことをしない編集部門が“虚業”とすれば、お金を稼ぐ販売と広告は“実業”である。
虚業と実業は補完し合う関係にある。それなのに朝日新聞社はある時期、役員10人のうち8人が編集部門出身で、販売部門と広告部門からはそれぞれ1人ずつということがあった。
虚業が圧倒的に優勢で、クルマに例えれば虚業のタイヤはダンプカー、実業のタイヤは軽四輪のようだったことは間違いない。これでは同じ所をグルグル回るだけで、前には進めない。
私は『朝日新聞』が起こした一連の“事件”の背景には、虚業と実業のアンバランスがあったという気がしてならない。
しかし編集がどんなに巨大化しても、販売と広告には紙面に注文する権利があり、そうする義務がある。もちろん私は、販売や広告が紙面に口を挟むことを嫌うというより、許さなかった編集局幹部がいたことを知っている。
その幹部が「編集権は編集局にある」というので、
「編集権は社外に対してあるもので、社内にそんなものがあってはいけないでしょう。ビール会社や自動車メーカーは、営業や宣伝の社員に『うちの商品に注文はつけるな。商品開発の人間に文句をいうな』とは、いわないはずです。新聞社で日々読者と接しているのは販売と広告の人間ですよ」
といったこともある。
朝日新聞社では編集、販売、広告の新入社員を全員集め、合宿をして研修をする。夜は酒が入るのだが、販売局の講師役の先輩は新人の販売局員に「編集局の人に紙面について何かいうなよ」というそうである。社内の言論の自由を封じるわけである。
この話を聞いたのは5、6年前だが、こういう気風が簡単に変わるとは思えない。こんな指導をしていれば、若い記者が唯我独尊になるのは目に見えている。こういうことを続けていればやがて社内でも「編集権」を振り回す幹部になり、販売や広告の幹部が「ものいわぬ小羊」になるのは、不思議なことではない。
そう考えると、今回の事件は編集、販売、広告が寄ってたかって引き起こしたものだということができる。実業の部門がいうべきことをいわなかったために、編集が裸の王様になったという面があるからである。
私は幸せな記者、編集長だった。そういう人生を送ることができたのは、ひとえに『朝日新聞』の看板のおかげである。大恩のある『朝日新聞』を「廃刊にしろ」という声を聞くのは辛い。私はいま、俗な言い方になるが「憧れた女性がじつは大変なアバズレだったのか」という気分である。
「泥棒にも三分の理」ということわざがあるが、アバズレの言い分を聞いてやってくださいという気にもなる。従軍慰安婦問題、東電福島第一原発・吉田所長の調書の問題、池上彰氏の「新聞ななめ読み」の扱い。こういう問題を起こしたいちばんの原因は何か? と聞かれれば、私は1980年に朝日新聞社が有楽町から現在の築地に移ったことだと答える。
有楽町時代は足の便がよいので、有名人が雨宿りをかねて朝日新聞社に立ち寄ることが珍しくなかった。言葉を換えれば、社外の監視の目に晒されていたことになる。社会部員は陽が落ちると、映画を見に行ったり、飲みに行くのが普通だった。どういうことが世間の関心を集めているか、映画館や飲み屋のおしゃべりに聞き耳を立てる。
そのまま家に帰らず、別の飲み仲間を探しに会社に戻ってくる。会社のソファでその夜に仕入れた話を披露する。そうやって、街の風とでもいうものが、絶えず社内に入っていた。
ところが地下鉄大江戸線ができるまでの築地は、陸の孤島といってもよいほど、足の便がよくなかった。「目標はがんセンター」と聞けば、二の足を踏む人がいたはずである。
築地に移ってからの記者を見ていると、出不精で、人付き合いが不得手になったように思われる。私が「司馬遼太郎さんに紹介するよ」と誘っても、「いいです」という論説委員が「天声人語」を書くようになれば、看板コラムが色あせるのは、当然かもしれない。
文化とは社交であることを知らないままに局長や役員になる傾向が目立つようになったのも、築地に移ってからのような気がする。
これまでの『朝日新聞』なら、今回のようなことが起きても、社内から幹部を非難、批判する声が上がることはなかった。私がマスコミ業界雑誌『創』で『朝日』の紙面批判をやや辛辣に書いたのも、「記者諸君はいまのような紙面でよいと思っているのか。
政局話ばかり書く政治部の編集委員の書くものに部内、社内から批判の声が出ないのはおかしい。自浄作用がないと思われるぞ」という気持ちがあったからである。
ところが今回は、若い『朝日』の記者たちが批判の声を上げている。私のところには、「署名を集め、編集局長や編成局長あてに抗議文を出します。180人は超えました」といったメールが来る。
「ものいわぬ小羊」たちが、立ち上がったのである。週刊誌によると、朝日新聞の労働組合には、実名で抗議のつぶやきが届いているそうである。「お利口さん」の集団と思っていた『朝日新聞』では、画期的なことである。
私は若いとき、陰湿なことをする出世亡者のデスク3人に反抗し、仲間を誘って反乱を企てたことがある。その経験から、「抗議をするときは、報復人事をされないように、とにかく同志を増やせ」と忠告している。彼らはこれから20年以上、『朝日新聞』の旗の下で仕事をするのである。彼らを孤立させてはいけない。
『朝日』が、解体的出直しをするためには、社長以下役員がこれまでの考えを捨てなければならない。
「経営の神様」といわれた松下幸之助翁は、相談役になってからも芸者遊びをしたそうである。しかし、そういう席にも、「相談役、そんなことしたらあきまへんで」と、面と向かって直言、諫言をする重役を2人は同伴したと、女将から聞いている。
新社長には、こういう度量を期待する。イエスマンは100人いても1人、ということである。裸の王様にならずに済む方法は、じつに簡単なのである。
永井さんを追放しようとする村山社長に対抗し、販売店は結束し、集金した購読料を本社に納めず、裁判所に供託した。朝日新聞本社を兵糧攻めにしたわけである。
現在、『朝日』は部数が減っているうえ、広告は年間700億円の目標に対し2、30億円足りないと聞いている。兵糧攻めは日に日に深刻さを増しているようである。「お家騒動」のときとは比べものにならないほど深刻なのではないか。
販売店のTさんは、
「せっかく若い記者が声を上げたのなら、永井さんのときのように、販売店も何かしないといけないんじゃないでしょうか。解体的な出直しには、店の協力がないとできない気がします」
といった>
朝日の内情がそこそこ知れて、まあ面白いが、焦点ずらしというか、かなりピンボケではないか。アバズレは人に迷惑をかけない、被害は大したことはない、被害者の助平心が災いを招いたのだ。ところが朝日は大嘘つきで、小生の祖父母、父母、英霊、日本人のすべての名誉を棄損したのである。大損害だ。
上記の論考でまったく考慮されていないのが我々被害者のことである。あろうことか自分たち社員、元社員が被害者のように書いている。我々に対する名誉回復策にも触れていない。加害者のくせに被害者面・・・相も変わらずの嘘つき朝日め、地獄に堕ちるがいい。
■10月24日(金)。朝は室温16度、またまた今季最低、晴、フル散歩。女性の多くがズボンをはきだし、スカートは10人、20人に1人という感じ。スカートの女性は美形が多いが、何故だろうと考えたら、今日は花金、仕事の後にデートするのだろう。ここはスカートでないとまずいわな。
反共闘士として「日中友好」を論じてみる。
建国(1949)間もない中共は、世界に自身を宣伝するために、中共を支持する人々を歓迎した。鎖国(包囲・閉塞されたていたけれど、その)状況下でも、アカ(労働組合やら社共など)などの「友好団体」の訪中は大歓迎で受け入れていた。
朝日や岩波などのアカは全部騙され籠絡された。「中共は素晴らしい」と書き、語り、大いに宣伝した。中共の宣伝部になった。革マルは今でも中共に学校を寄進している(20校ほど)。
トウ小平は「我々が外貨を稼ぐための売り物の大きな柱は観光資産だ。今のところ外国からの観光客は団体ビザだから限りがある。観光業発展のためには個人の観光も認めるように」と言ったのだろう。
まあ、お得意の「白でも黒でも金を落とせばいい客だ」という論だ。
これをいち早く受けて毎日新聞旅行が1980年に中国パックツアーを売り出した。つまり友好団体の団員でなくても、誰もが中国旅行ができるようになったのだ。爆発的に売れた。
それと前後してガイドブック「地球の歩き方」の中国編が出て、結構自由に「未知の国」中国を若者が卒業旅行で旅するようになった。
もっとも外国人に「観光OK」と開放したのは、北京、上海、広東、桂林、杭州、蘇州、南京、成都、敦煌、ウルムチ、カシュガルあたりに限られており、それ以外は外国人に見せたくない、どうしようもない貧困の町や村だったのだろう。
香港キャセイ航空の初の日本人の日本支社長だったマイク・今井氏から仕事の依頼が来たのは1984年だった。「平井君、これからは中国だ。英語の日中ホテル案内を作ってくれ、アメリカで売る」と。
「中国ホテル案内ではなくてなぜ日中ホテル案内なんですか?」と問えば、
「アメリカ人で日本や香港、台湾がどこにあるか知っている人はまずいない。まあ東アジアへの関心が高まればキャセイ航空などの太平洋線、つまり西海岸−東京−香港−中国各地の路線が売れるからね。観光客がたくさん来れば皆潤う」
同年、必死こいて小生らは中国で取材し、ホテル情報をかき集めた。誰も正確なことを知らない分野だった。ホテル情報専門誌にもその情報を売った。
今でも世界の記者が取材できる中国の市町村はごく限られているはずだ。中共の僻地の実体はほとんど伝わってこない。
中国の貧困層は中共基準で9000万人、国際基準で2億人いるそうだ。1日2ドル以下という基準だと4.8億人にもなるとか。それなら世界中から反発を招く、無意味な軍拡に年間20兆円、30兆円使うより、貧困層の福祉を考えた方がいいのに、と世界中は思うが、習近平は妄想的「偉大なる中華帝国の復興」を夢みるばかりで、14億人を道連れに自滅しようとしている。
このバカを駆逐すれば支那は再生できると小生は思っている。さすれば支那人は数千年知りもしなかった自由、民主、人権、法治を与えられるから、相当困惑するだろう。金持ちでも貧乏人でも1票は1票で、香港行政長官は「そんなことしたら貧乏人が政治を牛耳ってしまう」と本音を漏らした。
そういうリスクを抱えながら(うんざりしながら、我慢しながら)多くの国では皆、「1票は1票、結果が不満でも次の選挙までは我慢するしかない」と民主主義を守ってきた。
多くの国がどうにかこうにか、「ベストではないけれど、多分今のところはベターだな」と、この「民主主義という、ずいぶん曖昧なシステム」を守って、まあ大方は成功している。
中共が撲滅されれば、このいささか怪しげな自由民権システムのタネが支那大陸に撒かれることになる。怪しげでも、反対者、異議を唱える者を殺す中共独裁より遥かにいい。日本は率先して「種撒く人」になろう。そして本物の日中友好、ウィンウィンを構築していこう。
日本人は支那から多くのものを学んだ。一方で孫文、魯迅、蒋介石、周恩来などは皆、日本で勉強したのだ。日本人も彼等から学んだ。その土壌、互恵精神は今も生きている。絶対、仲良くできるはずだ、中共を殲滅すれば。
■10月25日(土)。朝は室温16度、快晴、今季初めて長ズボンをはいてフル散歩。柵のない幅60センチの橋を踏み外して犬は川に落ちた。ジャンプ力が不足したのだ。1年に1回ほど落ちる。人間で言えば90歳だから仕方がない。濡れネズミのようになったが元気で良かった。
老人が若い奥さんと無理心中したり、タイでは日本人老人がタイ人の奥さんの情夫に殺される事件があった。老人が元気すぎるとアッチが涸れないから厄介なことになるのではないか。
4万円でソープへ行った方がいいと思うが。格安店なら2万円内でもOKだ。送迎サービスや早朝割引を利用できる店もある。川崎堀之内は全54店舗。姫が三つ指ついて出迎えてくれる。「おじい様、いらっしゃーい!」
父を連れて行きたかったが、親孝行したい時には親はなし。61歳で逝ってしまった。残念だ。
カミサンが勤務先病院の50周年記念誌に寄稿しており、こんなことを書いている。
「急性期病棟を担当しています。入院時、病識なく、攻撃的、暴力的で、その症状が激烈であればあるほど、患者様が段階を経てすっきりと症状が改善し、晴れて退院となった時に、スタッフは心からの喜びを感じます。それはスタッフの次に向かうための活力となっています」
現実は戦争みたいなもので、精神科は看護師に不人気のため、いつもスタッフが不足気味だ。統合失調症は完治しないし、退院すると薬を飲まない人が多く、半年や1年でまた戻ってくるから、やりがいが薄いのだ。「患者様、いらっしゃーい!」どころか「アンタ、また来たの!」というのがナースの本音だ。
小生は時々狂気を発し、朝日、岩波、中共、リベラル=アカ的なるものを激しく憎悪する。それらは敵であり、敵から見れば小生のようなるものは敵だから、やはり憎悪している。
岩波「世界」編集長・清宮美稚子の右派に対する狂気・憎悪はなかなかすさまじい。11月号の編集後記ではこう吠えている。
<「慰安婦」問題における「吉田証言」、福島第1原発事故における「吉田調書」、この2つの報道をめぐる異様なまでの朝日バッシングは、朝日にとっての「9.11」を経て、さらに猖獗をきわめている。
バッシングの波が真実を覆い隠そうとしている。桂敬一氏 (元立正大学教授) が「戦後ジャーナリズム最大の危機」と断言したように、ジャーナリズムそのものの崩壊の危機と捉える必要がある」
嘘つき朝日、嘘つきジャーナリズムを叩くことがなぜジャーナリズムの崩壊になるのか意味不明だ。支離滅裂。言論の統合失調症だな。「病識なく、攻撃的、暴力的」、潰される前に入院したらどうか。「アンタ、まだ生きてたの!」(2014/10/25)