2014年10月20日

◆私の「身辺雑記」(153)

平井  修一



■10月17日(金)。朝は室温18度、快晴、フル散歩。昨日、小生に噛みついてきたうるさい“騒音オバサン”がいたから大音量で遠吠えしておいた。高校時代は応援団だったから大声は得意だ。オバサンは「あの人、キ○ガイ!?」と警戒するだろうから、明日からは静かになるだろう。

群生しているオシロイバナのピンクの花が満開。ミカンもいい色になってきた。

ミカンは冬の果物の王様だった。昭和時代にはコタツの上にいつもあった。神奈川県ではハイキングに行くと丘陵の南側斜面にはミカン畑が多かったが、これもすたれた。

ミカンの収穫量は1973年338万9000トン、40年後の2013年89万5900トン。1/4になってしまった。いろいろな果物が季節にお構いなく作られ、かつ世界中から集まるから、ミカンも「ただの果物のひとつ」になった。

4歳の時に高座郡座間町入谷から今の川崎市郊外に引っ越してきたが、新居は桃畑の中にあった。桃の産地だった。台風などで落ちた桃は売り物にならないから食べ放題で、最初は熱心に食べるが、やがて見向きもしなくなる。毎年そんな感じだった。

今、梨畑はわずかに残っているが、桃畑はまったくなくなった。農地のほとんどは宅地になった。うるさいほど鳴いていた秋の虫もほとんど消えた。

都市化とは人間が自然を駆逐することだ。都合の良いように自然を保護管理するのだ。首都圏を騒がせたデング熱もすぐに収まった。蚊の生殺与奪も人間次第だ。

東北や四国などの過疎地。農林水産業ぐらいしか産業がない。後継ぎもいない。農地は株式会社に売るか賃貸して、ヂイヂ、バアバは都市部に来たらいい。農業に未練があるのなら家庭菜園を借りたらいい。都市部なら病院もコンビニもいっぱいある。ゴキブリも蚊もいない。

「趣味の園芸」のような農業では日本の農業は世界に勝てない。株式会社が大農場で生産するしかない。無人トラクター、無人機・・・コストを下げ、品質を上げる。社員の給料も普通にすれば嫁さんも来る。子供も生まれる。新しい若い街ができる。

資金、人材、ノウハウ、あらゆる能力を備えた商社が農業に進出れば、数年で農産物は有力な輸出品になる。OECDによると日本の農業はGDPの1%、5兆円しかない。10年で10%、50兆円にできるだろう。

独裁と毒菜にうんざりしている14億の人々は「小鬼子」ブランドの農産物を喜んで買うだろう。中華連邦共和国の「食」を通じてドラゴンからパンダへと教導していくのが日本の役目だ。

8000万の共産党員は殺す。脱党すれば許すから、実際に死刑になるのは習近平くらいだ。天安門広場に吊るしておくヨロシ。

午後から図書館。NW10/21に無人機や無人軍用車、道のないところも進める4足歩行の無人軍馬の記事があった。「未来の戦争に重武装の兵士はいないかもしれない」という。無人戦車、無人装甲車なども開発されているようだ。軍事用ロボットとかロボット兵器とか総称されている。

兵士は眠らなくてはならないし、食糧も必要。歩行距離は限られているし、弾薬なども補給しなくてはならない。死傷すれば補償金や弔慰金も必要になる。

ところがロボット兵器は燃料を補給すれば24時間年中無休で働ける。血を流すことなく戦争できる。攻撃を受ける方はたまったものではないが。

アマゾンなどは無人ヘリによる宅配を準備しているというが、無人ヘリは離島に薬を届けるといった仕事もできるそうだ。想像もしていなかった時代になりつつある。

尖閣にロボット部隊を配備したらいい。

■10月18日(土)。朝は室温19度、今季初めて長袖、快晴、フル散歩。“騒音オバサン”はいなかった。

ロバート・カプラン著、師匠の奥山真司先生訳「南シナ海 中国海洋覇権の野望」が間もなく発売される。広告にはこうある。

<南シナ海は、地下資源もあることながらインド洋と東シナ海、日本海を結ぶ世界の大動脈。海洋大国をめざす中国が、南シナ海の覇権を奪取しようとして、周辺諸国と一触即発になっている。

すでに国力の貧弱なフィリピンは完全に見下され、スプラトリー諸島を戦火を交えることなく奪われた。

だが、南シナ海周辺諸国には経済力のあるシンガポールや台湾、マレーシア、中国を恐れぬ国ベトナムなど強敵がひしめいている。

「ストラトフォー」地政学チーフアナリストのロバート・カプランが、周辺国を歩いてつぶさに観察し、現地の学者や政治家に取材して、今後の南シナ海情勢を予測する>

大いに楽しみだ。図書館に「読みたい」とメールした。

中共殲滅、支那解放の聖戦は我が方に有利に進んでいる。外交では中共を孤立させることに成功した。経済も衰え始めている。各地で暴動、争議、騒乱、テロも頻発している。環境汚染は耐え難いまでになった。台湾、香港は中共を見限った。金持ちは続々と逃げ出している。官僚はやる気なし。

土砂災害のようにある日突如として山が崩れる。

習の権力闘争はひとまず終わったらしい。胡錦涛、江沢民と手打ちしたようだ。軍の完全掌握には至っていない。習に愛想が尽きたのだろう、李克強はそっぽを向いている。「こいつはただのバカ、紅衛兵もどきの毛沢東狂だった」と。そもそも知性否定の中2坊主と大学院出の経済学修士・博士の李がうまくいくはずはないが。

地滑りが少しずつ始まった。一気に崩れるのは年内か、来年か。習が暴れれば崩壊は早まる。香港“動乱”に武装警察を投入して核心的利益を守れ、断固たる決意を示せ。雨傘を装甲車両で踏みにじれ。習よ、歴史に名を刻め、最後の暴君として。

■10月19日(日)。朝は室温18.5度、快晴、ルートを間違えて2/3散歩。

日本人って、何という民族なのだろう、向上心が旺盛とか熱心、努力家とかあるだろうけれど、ほとんどビョーキというしかない。知らない間に東京は世界一のグルメシティになっていた!

東京在住18年のフランス人記者、レジス・アルノー氏が「なぜ、東京では安くてウマイものが食べられるのか?」(ウェッジ10/17)を書いている。

<地球上で、最高の食事を楽しめる都市はどこか─。それは東京だと認める人が世界で急増している。たとえば、ミシュランガイドは、パリを含めた世界のどの都市よりも多くの星を東京に与えた。2014年版ガイドで東京は、ミシュランから「三つ星」を13個、「二つ星」を55個、獲得した。この4月には、米国のフード&ワイン誌が、米国人観光客が訪れるべき都市として、パリではなく東京を一番に選んだ。

東京は、グルメな都市だ。フランスのサンドイッチからトルコのピタに至るまで、考えられる限りすべての料理が食べられる。筆者は18年間、東京で生活しているが、レストランに行って嫌な経験をしたことが一度もない。だが、一定のお金を払うからこそ、質の高い食事が楽しめると考えるのは間違いだ。なぜなら、コストパフォーマンスの面でも優れているからだ。

フランスで生まれた筆者は、子どもの頃、家族でレストランに行くのは、年に1〜2回だった。ほとんどのフランス人と同様、外食は特別な支出だと考えている。誕生日や学校の卒業、会社での昇進といった特別な機会だけに許された贅沢だ。そのため、パリでは、東京のように7ドル程度の代金を支払うだけではレストランから出られない。

ところが、東京では毎日、大勢のOLやサラリーマンが外食している。寿司やラーメンといった美味しい食事を7ドル足らずで楽しめる都市は、東京以外にどこにもないだろう。

東京のもう一つのポイントと言えるのが、外国料理であっても、シェフに日本人が多いことだ。最近、筆者はJR恵比寿駅のショッピングモールでミラノ風カフェを発見した。この店で出されたイタリアンサンドイッチは、筆者がイタリアを旅行した時に味わったサンドイッチよりもイタリアっぽく見えた!

東京に50年以上住んでいるワイン輸入業者兼レストランプロデューサーのアーニー・シンガー氏は「料理の世界は、芸術的感性を持った日本の若者が自分の創造性をフルに発揮できる分野だ」と評価する。

もちろん、東京のレストランが扱う食材の質も素晴らしい。

「東京では、質の高い食材が簡単に見つかる。そして、食材を提供する漁師から調理するシェフ、お客さん自身を含めて、すべての人が完璧を追求している」と話すのは、2年前に東京・銀座でフランス料理店「エスキス」をオープンしたフランス人シェフ、リオネル・べカ氏だ。

オープン以来、彼はフランスで一度も経験したことのない機会を東京でつかんでいる。たとえば、フランスのオランド大統領が来日した2013年、安倍首相とオランド大統領の昼食会の料理を任された・・・>

パリでは今、若い日本人のシェフが料理界を席巻しているそうだ。なんということだろう、おフランスの味覚は日本人にすっかり慣らされたのか。本当に日本人は奇妙奇天烈、不思議な民族だ。先天的に「完璧」を求める求道者なのか。地球人離れしている。(2014/10/19)


◆大西瀧治郎中将と特攻の若者たち

伊勢 雅臣



「俺と握手していったのが614人いるんだ」と送り出した大西中将は眼に涙をためて語った。


■1.「祖国を憂える貴い熱情」

フランスの元文化大臣、アンドレ・マルローは次のように言っている。

「確かに日本人は第2次大戦で敗れた。だがその代わりに何ものにもかえ難いものを得たことを忘れてはならない。それは世界のどの国にも真似のできない特別攻撃隊である。戦後フランスの大臣として日本を訪れたのは私が最初だが、その時も陛下(昭和天皇)にとくとそれを申し上げておいた。

・・・日本の純真な若い特攻隊員たちは、ファナチック(狂信的)だったとよくいわれる。それは違う。彼らには権勢欲とか名誉欲など露ほどもなかったし、ひたすら祖国を憂える貴い熱情があるばかりであった」。[a]

マルローが「祖国を憂える貴い熱情」と呼んだ精神は、大学生活を中断して軍に入り、特攻を志願した学徒兵の次の言葉からも窺うことができる。戦後、米軍の調査で「各自が特攻隊員を志願した心境はどうであったか」との質問への回答である。

<学徒出身者として自分はわずか一年の軍隊教育を受けたもので、必ずしも軍人精神を体得した者とはいえない。むしろ、一般人として戦局を痛感し、本攻撃をもっとも有効な攻撃法であると信じたのである。自分らが国家に一身を捧げることによって、日本国の必勝を信じ、後輩がよりよい学問をなしうるようにと志願したものである。>[1,p127]

特攻隊員たちの「祖国を憂える貴い熱情」はイギリスの日本古典文学研究家アイバン・モリス[b]、特攻隊員の遺書を読んだブラジルの日系人子弟[c]、フィリピン人少年[d]など、国籍や民族を超えて人々の心に訴えている。

しかし、他方、送り出した方はどうなのか。最近、ある読者からいただいたお便りに、次のような一節があった。


<特攻隊の自滅死戦術は 国の責任によって行われた。国の上層部は黙認したのか?>

もっとも至極の疑問である。本号は「特攻の創始者」と呼ばれた大西瀧治郎(たきじろう)海軍中将を取り上げて、送り出した側の考えを探ってみたい。


■2.「吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす」

大西瀧治郎中将は、終戦の翌日、昭和20 (1945)年8月16日午前2時45分に自刃した。

作法どおり腹を十文字にかき切り、返す刀で頸(くび)と胸を刺しながら、なお数時間は生きていた。従者が発見して、軍医を呼んだが「生きるようにはしてくれるな」と頼んだ。駆けつけた部下には「介錯不要」と言った。「できるだけ永く苦しんで死ぬのだ」 その遺書には、こう書かれていた。

<特攻隊の英霊に曰す。善く戦ひたり、深謝す。最後の勝利を信じつゝ肉彈として散華せり。然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり。吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす。>


■3.海軍航行隊の育ての親

山本五十六を海軍航空隊の「生みの親」とすれば、大西は「育ての親」と並び称された人物であった。大正の初めから、開発されたばかりの海軍機のテスト・パイロットを務め、ドイツやイギリスにも留学して、航空に関する知識、見識では並ぶ者がなかった。

剛胆さも併せ持っていた。後年、少佐以上では実戦機には搭乗せず、基地で指揮をとるのが普通であったが、大西は大佐になってもさっさと乗り込み、かつ三角形の編隊ではもっとも敵の攻撃を受けやすい後方の翼端部に陣取った。

人柄も人々を惹き付けてやまないものがあった。こんなエピソードがある。大西の東京の家の一帯が空襲で焼けた時、近所の人たちにお見舞いとして氷砂糖を配った。

公平を期して各人に一人、一掴みづつさせ、主婦に背負われた幼児にも「赤ちゃんも、どうぞ」と掴ませたが、小さい掌では1つか2つしか掴めない。大西は全員に掴ませた後、自分の手で一掴みを幼児の前に突き出し、「ハイ、これはおじさんの贈り物です」と差し出した。人垣から拍手が起こった。

続いて大西は円陣の中央に立って、こう言った。

「私は軍人として支那大陸ほか外地を攻撃し、爆弾をおとして、建物を焼いてきました。ですから、敵の空襲をうけて、ごらんのとおり、家を焼かれるのは当然であります。しかし、みなさんはなにもしないのに、永年住み馴れた家を焼かれておしまいになった。これは、私ども軍人の責任であります。本当に申し訳ありません」。


大西は深々と頭を下げた。海軍中将と言えば、一般民衆から見れば雲の上の人だったが、そんな偉い人のこういう言動に心動かされない人はいなかったろう。


■4.「そんなむごいことできるものか」

『特攻の思想 大西瀧治郎伝』[1]を著した草柳大蔵氏は、大西が「特攻の創始者」と言われていることに疑問を呈し、「特攻はひとりの人間がきめられるものではない」と指摘している。[1,p67]

特攻のアイデアは以前からあった。城英一郎大佐はラバウル空戦とサイパン沖海空戦での苦い経験から、彼我の戦力差を検討した結果、「もはや通常の戦法では敵空母を倒しえない。体当たり攻撃を目的とする特別攻撃隊を編成し、小官をその指揮官としてもらいたい」という具申を行っている。

これ以外にも、何人かの海軍幹部がいろいろな形で特攻を提案したり、準備を始めたりしていた。大西はこんな発言を残している。


<内地におったとき、ラバウルから帰った城大佐が特攻を具申してきたが、わたし自身は「そんなむごいことできるものか」という気持ちだったよ。しかし、ここ(フィリピン)に着任して、こうまで敵にやられているのを見ると、やはり決心せざるをえなくなったなあ。>[1,p54]

厳しい戦局の中で、もう特攻しかない、という声が海軍のあちこちで起こっていたのである。


■5.「海軍が最後のエースを送り込んだ」

昭和19(1944)年9月、米軍はフィリピン攻略を目指し、戦闘艦艇157隻、輸送船団420隻、上陸部隊20万名を送り込んだ。フィリピンが米軍の手に落ちれば、南方地域からの石油などの戦略物資は内地に運べなくなり、戦争の行方はあらかた決まってしまう。

それに対抗して、戦艦を主力とする栗田艦隊をレイテ湾に突入させ、艦砲射撃により輸送船団や上陸軍を撃破するという作戦が立てられた。そのためには敵の空母を叩いて、栗田艦隊への航空攻撃を防ぐ必要があった。

ここで大西がフィリピンの航空戦力を所管する第一航空艦隊の司令長官に任ぜられたが、この人事には「海軍が最後のエースを送り込んだもの」という声が上がっていた。

大西が着任したのは10月17日。かつては戦闘機、爆撃機など合計1644機を擁していた第一航空艦隊は、この時点でわずかに100機、うち戦闘機は30機に過ぎなかった。この残存勢力でアメリカの航空攻撃からいかに栗田艦隊を守るか。


<すくなくとも1週間だな。1週間、空母の甲板が使えなければ、よいわけだ。そのためには零戦に250キロの爆弾を抱かせて体当たりをやるほか、確実な攻撃法はないと思うが、、、。>[1,p94]


着任早々、大西は第一航空艦隊幹部たちにこう相談した。この時点で、すでにこれしか残された手はない、とは幹部たちにも明白だったので、結論を出すのに議論は必要なかった。


■6.「どりゃ、もう一度、諸君にあってこよう」

10月20日の朝、特攻を志願した16名の前で、大西は訓示を行った。


「国を救うものは、大臣でも大将でも軍令部総長でもない。もちろん自分のような長官でもない。諸君の如く純真にして気力に満ちた若い人々である」。[1,p128]

大西は切れ切れの喘ぎながらの口調で語った。真下に伸ばした手が震えてはとまり、とまってはまた震え出す。訓示が終わると、大西は、特攻隊員の列まで歩み寄り、一人ひとりと握手しながら、「しっかりたのむよ」といった。涙ぐんでいた。

その日の午後、大西は「どりゃ、もう一度、諸君にあってこよう」と腰をあげた。隊員たちは飛行場のはずれの崖がひさしのように張り出している空地に屯(たむろ)していた。大西は一面の薄(すすみ)をかき分けて、隊員たちの前に現れた。

「郷里はどこやね」「お父さんはなにをしておられるのかね」 訓示の時とは打って変わって、やさしい声になっていた。

その時、空襲があった。グラマンが快晴の空から急降下してきて、機銃弾が土煙をあげる。特攻隊員は、いっせいに地面に匍(は)った。しかし、大西はどっかり胡座(あぐら)を組んで、薄笑いをうかべてグラマンを見ている。「長官!」とするどく叫ぶ声に、大西は言った。「弾丸(たま)は、あたるときはあたるもんよ」。

もともと剛胆な大西ではあるが、「死地を求めている」風もあったと周囲は語っている。特攻作戦を発動させた責任者として、若者を死地に送り込む以上、自分の命ももうないもの、と心に決めていたのであろう。


■7.「俺と握手していったのが614人いるんだ」

最初の特攻隊、関行雄大尉率いる敷島隊は10月25日にフィリピン・レイテ湾の米機動部隊を襲い、わずか5機で空母1隻を撃沈、空母2、軽巡洋艦1撃破の戦果を上げた。この後、継続的に特攻が行われるようになる。

大西は出撃の際に、かならず訓示を与え、隊員と握手をしたが、しだいに寡黙になり、憔悴していった。副官が心配して現地人から卵を入手して長官の食事に出させると、大西は従兵を呼んで、そっと卵を手で押しやり「これを隊員にやってくれ」と言った。

昭和20(1945)年4月、鈴木貫太郎内閣が成立すると、大西は軍令部次長に任ぜられて東京に戻った。官舎に入った大西は、妻を同居させなかった。一般人も空襲で焼け出されている時に「いまはそんな時ではない」という理由だった。

周囲の一人が「週に一度は奥さんの家庭料理を食べてはどうですか」と言うと、「そんなこと、いってくれるな」と言下に断った。

「君、家庭料理どころか、特攻隊員は家庭生活も知らないで死んでいったんだよ。614人もだ。俺と握手していったのが614人いるんだ」。

大西は眼にいっぱいの涙をためながら、「君、そんなこというもんだから、いま、若い顔が浮かんでくるじゃないか」と続けた。

大西が遺書に「特攻隊の英霊に曰す」と書いた時、握手しながら出撃していった614人の若者たちの顔が次々と浮かんでいたに違いない。


■8.日本民族の福祉と世界人類の和平の為

大西はある隊の出撃に際して、次のように訓示をしたことがある。

「この神風特別攻撃隊が出て、しかも万一負けたとしても、日本は亡国にならない。これが出ないで負ければ真の亡国になる」。[1,p184]

大西の考えは、その遺書の後段で、一般青壮年に訴えた一節につながっている。


<次に一般青壮年に告ぐ。・・・

隠忍するとも日本人たるの矜持(きょうじ)を失う勿(なか)れ。諸子は国の寶(たから)なり。平時に処し、猶ほ克(よ)く特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を盡(つく)せよ。>[1,p12]

ここに言う「特攻精神」とは、冒頭で紹介したマルローの「祖国を憂える貴い熱情」と同じだろう。大西はその精神を受け継いで、生き残った国民に「日本民族の福祉と世界人類の和平」のために最善を尽くせ、と訴えているのである。

その精神がある限り、亡国にはならない。大西の遺言は、現代に生きる我々にも、どう生きるかを問いかけている。


■リンク■

a. JOG(080) ミラー大尉の残したもの

話題作「プライベート・ライアン」などに見る自己犠牲の精神。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_1/jog080.html

b. JOG(214) ジャネット・デルポートと関行男大尉
オランダ人女性ジャネットは不思議な体験から特攻隊員の心の軌跡を辿っ
ていった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog214.html

c. JOG(306) 笑顔で往った若者たち

ブラジル日系人の子弟が日本で最も驚いた事は、戦争に往った若者たちの気持ちだった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h15/jog306.html

d. JOG(524) フィリピン少年が見たカミカゼ
なぜカミカゼの記念碑がフィリピンの地に建てられたのか。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog524.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 草柳大蔵『特攻の思想 大西瀧治郎伝』★★、文春文庫、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B009HO4U7Y/japanontheg01-22/


    

◆怖い物見たさで行ってきた中国

前田 正晶



1980年代だったか中国に観光旅行が出来るようになった頃、高校の同期生で旅行代理店の役員だった者が中国担当を仰せつかって、何度も往復していた。そこで彼に尋ねた「中国ってどんな国」と。

答えは「語ってはならないことになっているんで・・・」だった。W社の東京駐在だったアメリカ人もその頃渡航の機会を得て帰朝報告があった。覚えていたことは「農村地帯を幾ら歩いても機械と名付けたいものを遂に見なかった」という点だけ。

1994年に会社をリタイヤー後に怖い物見たさで、遂に1999年にパック旅行で初めて上海に行った。集団で取得したヴィザなので入管では全員が縦一列に並び、審査官が申告通りかと人数を数えるので粛々と歩くようにと添乗員に指示され、何と言う威張り方かと半ば呆れ半ば感心し、観光収入が欲しそうだが、それでもこういう姿勢に出る国なのかと先ず学習。

次は2002年には万里の長城を見たさに北京へ。上海とともにコースに入っていた蘇州で運河を¥1,000払って船で一回り。その水と沿岸の家の不潔さに「汚い」と声を上げた者がいた。

すると「中国最高のガイド」と自称する女性が聞きとがめ「今、何と言ったか。不満がある者には即刻¥1,000を返すからここで降りてくれ」と決めつけられた。全員その剣幕に驚いて誰からともなく謝罪して、お許し頂いて船旅を続行した。

2005年に3度目の上海でのこと。豫園の観光が3回目になるので、我が夫婦はそれをパスして有名な南昌の小籠包を食べに行きたいとガイドに告げた。

「それならば、単独行動を許す代わりに、団体を離れて何が起きても自己責任で処理する」との誓約書を書かされた。凄いと思ったのは、その書式が用意されており、2人で署名するだけになっていたこと。こちらを気遣うのではなく、現地の旅行社は免責であるというのが趣旨。当然の処置のようだが、署名を要求する姿勢が強硬。許可制だったのだ。

この時は専ら食べることに意欲的で「かの有名な」と枕詞を付けたい「南昌」に何とか入って行けた。昼時だったが意外にもテーブル席には余裕があり言葉は出来なかったが何とか注文して念願の小籠包を。確かに味にも数量にも価格にも十分に価値があるもので満足。この時は馴染みの商社の駐在員さんが紹介してくれ中規模の料理屋にも別の日に昼食に行ったが、ここは「流石」と唸らせてくれた。

しかし、その後に我が国で報道された中国産の食料品の衛生管理の状態を見れば「良くもあれだけ食べ廻って何となかったものだ」と言わば感動。上海で自由行動の日に夕食を食べ損ね、ホテル近くの日本式の蝋細工の見本が並べてある店で何気なく「誰か英語が出来る人いる」と言うと、かなりちゃんとした英語を話す若いウエイトレスが現れて、先ず先ずの解説付きの夕食を楽しんだ。

そのウエイトレスが付きっきりでサーヴィスしてくれるので「非常に親切で有り難かったが普段でもこうするのか」と尋ねると、(自慢話と思わないで頂きたいが)「私はてっきり貴方がアメリカ人だと思って会話の練習の絶好の機会だと思って付いていた」と答えられて恐縮したり驚いたりと同時に「上海では俺の英語がアメリカ式の発音に聞こえたか」と意を強くした。同時に「中国では若者にはここまで熱心に英語を学ぶ意欲があるの
か」と妙に感心した。

実は、上海で折角だからと地下鉄も冒険と承知で利用した。そしてプラットフォームでどの電車に乗るべきかを来合わせた青年に路線図を示して尋ねた。すると、割りにチャンとした英語で”Are you Japanese?”と尋ねるので、「ひょっとして撲られるのかな」と身構えると「丁度その方向行くから案内して上げる」と一緒に乗って、道中しゃべることしゃべること。

矢張り英会話の訓練台だったようだ。そして別れる際に”See you later.”と。これが使えるとは中国では良いことを教えているなと、我が国の教育と比べて落胆?!

私はパック旅行以外でもヨーロッパの諸国を回ったが、現地の人々やガイドがこの上海のような高飛車な態度で接してきたことがないので、その強烈さが一層印象的だった。

私には反日や抗日の教育を受けた彼等が、我が国の団体だからそういう姿勢で臨むのか、そもそも中華思想の国では何処に国の人に対してもあの態度が普通なのかと思っていた。恐らく両方だろうが。

我が国が中国の旅行者が買い物に使う金を有り難がって優遇するのと(私は情けないとしか思えないが)対比すれば、その日中間の違いは歴然。私は我が国への反日精神と教育からか知らぬが高飛車なのに、我が国では遠来の”big spender”(かまたは” high roller” でも良いか)様への礼節を守り、売り場では通訳まで用意してお買い上げ頂く姿勢を採っていることを、どう評価しているのかを訊いてみたい気がする。

中国で気が付いたことは一部の東南アジアの国と同じで、買い物をする際に売り場の店員に現金を渡さないシステムの地が多いこと。値段の交渉は売り場の店員とするが。そこで買い取り票を貰って会計に行って支払い、その証明書を店員に見せて品物を受け取るのだ。即ち、店員に現金を渡せば商品共々何処かに消えてしまうことがあるからだそうで。

北京でガイドに買い物に連れて行かれた店で、バーバリのロゴ入りシャツが¥8,000だったので「なんちゃってなのに高い」と言うと「何を言うか、バーバリの下請けをやっている工場から生地とボタン等を貰ってきた作ったのだから純正のバーバリだ」と譲らず、結局¥5,000で買わされてしまった。そこで売られていた「なんちゃってRolex」を一行の若者が「偽物なのに高い」とからかい半分に値切った。

すると売り場の若い女性は慌てず騒がず「何を仰るか。これは香港で作った本物のRolex」と切り返されて目を白黒。

考え方次第だが、中々興味深い点もあって面白い国だったという思い出でもある。もう一回行くかとお尋ねですか。「ノーコメント」はじつは「言外に肯定する」ととられるのでご用心を。否定する時には明快に「ノー」と言うこと。

2014年10月19日

◆「辞任ドミノ」へ追及継続

〜共闘の民主・維新〜
(2014.10.19 08:21 産經ニュース)

 小渕優子経済産業相が辞意を固めたことから、特に、今国会に共闘して臨むことを確認した民主、維新の両党は、閣僚の「辞任ドミノ」につながるよう、うちわ配布問題を抱える松島みどり法相ら他の閣僚への追及を続け、安倍晋三政権への攻勢を強める構えだ。

 民主党の枝野幸男幹事長は18日、産経新聞の取材に対し「説明がつかないならば、けじめをつけてほしい」と述べ、小渕氏の辞任を求めた。その上で「安倍首相の任命責任の問題はこれから議論になる」と述べ、首相の任命責任も追及する姿勢を示した。

 維新の松野頼久国会議員団会長も「政治家は政治資金の透明性を確保しなければならない」と述べ、小渕氏の辞任は避けられないと強調した。

 小渕氏の政治資金の問題が明らかになった16日の参院経済産業委員会では、民主、維新、みんなの各党議員が相次いで小渕氏を追及した。17日の衆院経産委では民主党の近藤洋介氏が観劇会の問題を、維新の今井雅人氏が小渕氏の政治資金管理団体の不透明な支出にそれぞれ絞って質問し、連携して追及にあたった。

民主と維新は20日の衆院地方創生特別委員会にも小渕氏を呼び、政治資金に関して改めて追及する。

 民主と維新は、小渕氏だけでなく、他の閣僚への追及も強め、安倍政権を大いに揺さぶりたいところだ。特に、松島氏に対しては、17日に民主党議員が東京地検に刑事告発し、辞任を強く求める。

 ただ、安倍政権の「目玉閣僚」である小渕氏がただちに辞任すれば、野党として大きな攻撃材料を失うことになりかねない。党内からは、スキャンダルを追及するばかりの姿勢は「民主党は政策論で戦わないと国民に思われかねない」(幹部)との懸念も出ている。

2014年10月18日

◆安部首相の女性大臣登用が裏目

今村 忠



トンデモ金銭感覚で足引っ張る小渕優子経産相

■10日17日

衆院法務委員会の質疑(15日)で84連敗中の「東大野球部」が出てきたのには笑った。うちわ疑惑や衆院宿舎入居問題など、つっこみどころ豊富な松島みどり法相(58)に質問した民主党・階(しな)猛議員(48)。「私は東大野球部でピッチャーだった。ご案内の通り東大は弱いが、ルールを守りフェアプレーをしている」。

法相は東大応援部初のチアリーダー。そこが攻め所で「だからこそ大臣が活躍された応援部もしっかり応援してくれるのに、大臣はあまりにルールに無頓着。後輩であることを恥じる」と階氏。ま、そんな“うちわ”の話は昔に戻って神宮球場の応援席あたりでしたら、という感じだ。

「女性閣僚で最初にボロを出すのでは…」と懸念されていた通りの法相だが、将来の首相候補でもある小渕優子経産相(40)の金銭疑惑は笑い事ではすまない。

選挙区後援会の観劇会で劇場側に支払った費用が集めた会費を2年とも約1300万円上回っていた、など「デタラメすぎる政治資金」と『週刊新潮』が報じた。

さらに別の報道では同相の資産管理団体からは不透明な政治資金として、百貨店のベビー用品や化粧品などへの支払いも確認されたとか。観劇会の収支などは「指摘されて知った」と同相は説明したが、ベビー用品となると2児の母親でもあり私的流用を疑われても仕方ない。国民感情としても看過するわけにはいかない。

とりわけ諸物価値上がりの中、仕事と育児に追われる若い母親たちは神経を逆なでされる思いだろう。女性の活躍推進の旗印となるはずの女性大臣が、能力とは別のところでつまずいて安倍首相の足を引っ張ろうとしているのは皮肉でしかない。 
産経ニュース【甘口辛口】2014.10.17


◆中国から不正に海外へ流れたカネA

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26年(2014)10月17日(金曜日)通巻第4363号>  


(承前)
 〜中国から不正に海外へ流れたカネは3兆7900 億ドル
  外貨準備高より多いカネが不正に海外へでた勘定になる(その2)〜

(前号より続き)

なぜ中国人はドルを欲しがり、米ドルに固執するのだろう?筆者の推測では次のような背景と動向がある。

不正な資金の海外持ち出しは、まずは子供達と家族、親戚、愛人らを外国へ逃がし、いずれ自らも亡命する時の貴重な預金とする。彼らのことを「裸官」と言う。

豪の豪邸群は、半分以上が中国人で買い占められ、その中には曽慶紅・元国家副主席の息子、習近平の弟らも含まれている。

このあおりで不動産価格が暴騰したため、中国人への嫉視がおきている。

夏にカナダへ行ったおり、バンクーバーの高級住宅地にもひしひしと中国人所有物件が増えている様を目撃してきた。バンクーバーは「ホンクーバー」と言われるが、空港周辺の地区は香港からの移民ばかりか、新しく大陸からの移民で埋まっている。

市内に中華料理店が雨後の竹の子のごとく急増した。旧チャイナタウンはシャッター通りの廃墟のようで、苦力(クーリー)でやってきた末裔らは郊外に移転したようだ。

ロスアンジェルス郊外には中国人専用の「妾村」がある。

「海外投資」と称して「合法」を装って海外へ送金し、実際にはそのために使われず、不正に貯め込まれる。典型例はアメリカの鉱山を買収した中国人起業家、結局、開発はなにもされず、投資資金は蒸発した。

巨大な国有企業は資源リッチのカナダや豪、ニュージーランドなどで鉱区、鉱山開発に天文学的なカネを投じたことになっているが、まともに稼働している石油鉱区、ガス鉱区、鉱山経営は希少である。とくにベネズエ
ラあたり。


▼大半の不正資金は洗浄後、英領バージン諸島で「外国籍」のカネに化ける

もっとも一般的なルートは香港での資金洗浄のあと、英領バージン諸島へ送金され、ここで「外国籍」に化けた資金が米国の不動産投資のほか、相当の金額は中国へ環流している。

この環流資金が「外国籍」のまま、中国の株式ならびに不動産投資に使われ、2003年あたりから不動産バブルを創出した。毎年、直接投資は900億ドルから1000億ドルだが、通貨、不動産、株式などへの外国からの投資は年間2000億ドルを超えた。

中国の不動産価格は10年で10倍になり、GDPの47%が不動産関連に消えるという異常現象、とても経済活動とは言えない投機ブームを招来し、あげくに3年前から不動産市場の崩壊へと繋がった。自業自得の典型である。
 
バブル崩壊はとうに始まっている。筆者は既に数年前からこの実態を報告してきたが、日本のマスコミは「中国の不動産価格は上昇を続けている」とあべこべのことを書いていた。

天津の北にある唐山工業特別区には10兆円を投じて、いまは荒廃のゴーストシティをなった。元凶は無謀な貸し出し、地方政府の農地収容とデベロッパーと組んでの無謀な不動産投資、そしてあらゆる場所にゴーストタウン。そもそも箱ものをつくって居住者がいない空室マンションが少なく見積もっても8500万戸もある。

地方政府の債務保証のない借り入れ、土地売却で5000万の農民が流民化し、国有企業の無茶な社債発行。国有企業のでたらめな株式上場と増資を繰り返し、投資に廻さず着服した。

香港はマネーロンダリングの隠れ蓑と化け、マカオは合法の賄賂交換場(故意に負けて巨額を支払う。マカオでも博打で儲けた人に「領収証」を発行するので、非合法な賄賂が「合法」の収入となる。

そして全てが終わることになると悟った高官らは海外逃亡をはかり始めた。GFIの調査では3兆ドル強がすでに海外へ逃げ去り、手元資金不如意となって国富ファンドは日本株を手放し、資金不足に陥った企業は迂回融資のため、高利貸し、シャドーバンキング、そのうえ元利補償のない「投資信託」(「理財商品」という)に手を出した。

ヤミ金融、やくざ金融、つまり中国は全土が「安愚楽牧場」化した。

ことしに入って不動産開発業者などの社債デフォルトが始まり、銀行は「増資」を繰り返し、当座のごまかしを展開しているが、正常な経済活動とはとても言えない。

次の恐怖が迫り来ることを示唆して余りあるのが、GFIの報告書だった。

◆高卒採用は規制だらけ

平井 修一



米国では大卒なのに「高卒以下で間に合う仕事」についている人がとても多いという。大卒資格を得るためにはかなりの費用(500万円以上)がかかり、奨学金の返済も大きな負担なのだが、実際にはその投資に見合った仕事につけない、あるいはついていない。

ところが社会を動かしている仕事の多く、たとえば運転手、大工、道路工夫、販売員、営業、総務、溶接工、旋盤工、警察官、消防士、将兵、看護師、料理人などは、多分、大卒資格・大卒頭脳は必要とされないだろう。

職業訓練や職場教育で十分なのではないか。日本も同様だ。

高卒や中卒をもっと活用したらいいと思うのだが(生活の知恵、教養、知識、知性などは大学でもなかなか身に付かない)、日本ではがんじがらめの規制で現実はひどいことになっているそうだ。

河合浩司氏の論考「実は制約だらけ! 高卒採用がなかなか広まらない理由」(ブロゴス10/10)から一部引用。

<「大学卒であることが、優秀な人材である証にはならない」――。ずいぶん前からあちこちで喧伝されていることです。であれば、高卒採用に力を入れる企業が多く出てきてもおかしくないのですが、なぜか未だに新卒採用と言えば大卒です。

その理由は、いろいろとあるとは思いますが、その一つに「ハローワークと高校の過干渉」があると考えています。「高校生が未成年だから、間にハローワークや高校が入ってあげなければならない」というのは分かります。確かにある程度は必要でしょう。しかし、このハードルの高さによって、高卒採用が敬遠されているように思えてなりません。

*会える回数は「1回きり」に制限されている

これは私も実際に経験してみて痛感しました。あまりに干渉がひどいので「大卒の方が採用しやすいから、もう大卒でいいか」と思ったのは正直な本音です。特に以下の2つについては、辟易しました。

1つ目は、学生に会える回数が制限されていることです。大卒は就活生さえ応じてくれたら、何度でも会うことができます。会える回数が多いほど、お互いの相性が分かってきます。

一方、高校生を採用するための面接では、基本的にたった一度しか会えません。

たった一度の面接で、お互いの相性を見ることには明らかに限界があります。せめて面接2回、それにできれば食事1回くらいは許してもらいたいものです。

おそらく高度成長期に、高卒を単純な労働力としか考えていなかった名残なのでしょう。お互いをよく知らないまま合否を出すことを強制されることが、高卒採用のミスマッチを生む温床となっている可能性について考えていただきたいものです。

*質問できる内容での制限が多すぎる

2つ目は、質問できる内容への制限です。驚いたことに、質問したいことがほとんど聞くことができません。当然のことながら、家庭環境や資産、本籍地などを聞き出すことが禁止されることには、私も全く異論はありません。

しかし、「尊敬する人は誰ですか?」「愛読書はなんですか?」「何のために働きますか?」。これらの質問も聞いてはいけないとハローワークの職員から言われました(これは大卒の場合も同じではありますが)。

曰く「適性と能力に関係がないことは質問してはいけません」とのこと。言わんとすることはわかりますが、ここには根本的な勘違いがあります。

高卒の新卒採用には、経験も専攻もありませんので、この会社で長く働いてもらえるかどうかを探るために、「能力よりも相性を重視する」と言っても過言ではありません。

「今は能力的には明らかに足りなさを感じるが、あの素直さに賭けて採用しよう。なんとか育ててあげよう」

そういった判断がなされるのが、高卒の新卒採用なのです。相性というと漠然としていますが、要するに「ものの見方・考え方」のマッチングが就職後の定着率を大きく左右するのです。宗教・信仰の自由は当然保障されるべきですが、生活信条(生きていく上で大事にしていることなど)や労働観は、新卒に限り話題にすることを許してほしいものです。

*3年以内離職率「5割」はミスマッチの結果

また、ハローワークからは「質問する内容は決めておいてください」とも言われてしまいました。何年も採用業務に携わる経験から、「お互いに自然と本音がわかるのは雑談の中だ」と私は実感しています。

これが現場の意見なのですが、「あらかじめ質問を用意しておいてくれ」というのは、学校側が回答を指導するためであるかのように聞こえます。

このように高卒採用には、高校生にとっても企業にとっても不都合なルールが数多くあります。これらが「七五三退社」(勤めた企業を3年以内に辞めるのは、中卒は7割、高卒は5割、大卒は3割)を生む要因の一つになっているのではないでしょうか>(以上)

まあアカ官僚による“岩盤規制”だな。「カジノ、絶対ダメ!」的思い込みに似て、企業=悪、日本=悪が初期設定なのだ。

上記のような悲惨な現実を見て、採用しやすい、採用されやすい環境を作って行くべきだろう。

大卒なんて10%ほどで十分なのではないか。ほとんどの学生は、どうせ漫画にゲームにサークルに飲み会、テレビにネットにバイト、流行歌、おまけに合コンで恋人探し、真剣になるのは就活のみ。学問なんてしやしない。読む本もハリポタ、ハルキの糞レベル。

これで4年を過ごすのだから、まさに「教育の普及は浮薄の普及なり」(斎藤緑雨)、粗製乱造の「駅前大学」(大宅壮一)。4年間のほとんどを無為に過ごしている学生(&懲役囚やら小生のような引きこもりヂヂイ)を労働力として活用したらどうか。(2014/10/15)


◆朝日は脅迫も自己防衛に使うのか

櫻井よしこ


10月7日の「朝日新聞」を読んで、言論機関としての同紙の土台が腐蝕しつつあると感じた。

朝日は「天声人語」と社会面を割いて、札幌市の北星学園大学と同大学非常勤講師、植村隆元朝日新聞記者への支援の言葉を重ねている。

北星学園大は、植村氏の退職を求める脅迫状が届き道警に被害届を出したと発表。植村氏は家族の写真がネットに流出し非難され、87年の阪神支局襲撃事件が「身近に思え」ると訴えている。

言論には飽くまでも言論で応じるべきで、卑劣な脅迫や家族への攻撃は断じて許せない。天声人語子以下朝日人士の主張を俟つまでもなく、言論の自由こそ民主主義国日本の根本であることを、改めて強調したい。

そのう えで尚、指摘せざるを得ないのは、脅迫状やネット上の攻撃を奇貨として 自己防衛を図るかのような、朝日の姑息な精神である。

天声人語子は「過去の報道の誤りに対する批判に本紙は真摯に耳を傾ける」と書き、「キリスト教に基づく人格教育を掲げ」ている北星学園大が「慰安婦報道に関わっていた元朝日新聞記者が非常勤講師を務めていることを問題視され、辞めさせるよう要求されている」、「報道と関係のない大学を暴力で屈服させようとする行為は許されない」と主張する。

くどいようだが、どんな場合にも言論の自由を守るのは当然で、その点は何の異存もない。しかし、天声人語子には敢えて問いたい。植村氏は北星学園大の人格教育にどのように貢献すると考えるか、と。

23年前、女子挺身隊と慰安婦を結びつける虚偽の記事を書いた植村氏は、10月14日の今日まで、自身の捏造記事について説明したという話は聞こえてこない。今回、古巣の朝日に登場して、「捏造した事実は断じてない。今後、手記を発表するなどしてきちんと説明していきたい」と言っている。

一般論に薄めて責任逃れ

氏が説明責任を果たすのは当然だが、朝日の慰安婦報道検証記事から既に2ヵ月と1週間以上、この間、氏は何をしていたのか。手記でも何でも一日も早く発表せよ。言論人としての誠実さの一片でもあれば、疾うの昔に説明はなされていたはずだ。

23年間、捏造報道の訂正も説明もせず頬被りを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが、一体、大学教育のあるべき姿なのか。

「大学の自治」「学問や表現の自由」の大切さは天声人語子に指摘されるまでもない。しかし、植村氏の捏造報道と学問の自由、表現の自由は異質の問題である。自由と責任は表裏一体だ。言論をもって主張する自由と、その言説に重大な疑義が生じた場合、説明し誤りを正す責任は、一体でなければならない。

こうした事には全く触れず、「気に入らない他者の自由を損ねる動きが広がる。放っておけば、社会のどこにも自由はなくなる」など、およそ誰も反対しない主張を天声人語子は振りかざす。その主張は、しかし、居直りでしかない。

天声人語子以下、朝日全体が「批判に真摯に耳を傾け」ているとは到底思えないのが第三社会面の記事だ。そこで朝日は、8月5日の紙面で植村氏が「『慰安婦』と『女子挺身隊』を誤用したことを認めた」と書いている。だが、91年8月11日、植村氏は次のように報じている。

「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』が聞き取り作業を始めた」

この女性、金学順氏は女子挺身隊の一員ではなく、貧しさゆえに親に売られた気の毒な女性である。にも拘らず、植村氏は金氏が女子挺身隊として連行された女性たちの中の生き残りの一人だと書いた。一人の女性の人生話として書いたこの記事は、挺身隊と慰安婦は同じだったか否かという一般論次元の問題ではなく、明確な捏造記事である。

それを朝日は、当時、両者の違いは判然とせず、植村氏は「誤用」したと説明する。一般論に薄めて責任逃れを図る。これでは「批判に真摯に耳を傾ける」などと言う資格はない。

日本のメディア史上、これほどの深刻な濡れ衣を日本に着せた事例は他にないだろう。それでも、朝日は居直り、自らを被害者と位置づけ、自己防護に走る。朝日が終わりだと確信する理由は、この恥ずかしいまでの無責任さにある。

読者に信頼され、内外への影響力を保持する言論機関として の朝日の生命は、社会党が往時の面影もなく衆議院で2議席ばかりの社民 党となり、政党として終焉に近づいているのと同様、尽きつつある。

朝日の犯した間違いは慰安婦問題だけではない。歴史の転換点で悉く間違えてきたが、慰安婦はその一例にすぎない。

思想的偏り

戦前の朝日がどれだけ戦争を煽ったかは今更指摘するまでもない。広島、長崎への原爆投下の後でさえ、昭和20年8月14日の社説まで、一億総火の玉となって鬼畜米英と戦えと国民を煽動した。そして戦後は手の平を返した。

戦後は専ら、自らの過去の責任に目をつぶり、戦前戦中の日本を悪とする論陣を張った。イデオロギーに凝り固まる余り事実を見ない。或いは自らの主張に沿った形で選択的に事実を取り上げる。時には捏造もいとわない。結果、絶望的な間違いを犯す。国家基本問題研究所副理事長の田久保忠衛氏は、朝日の思想的偏りを次のように語った。

「戦後、大きな影響力を持った朝日の論説主幹、笠信太郎は、日本の国際社会への復帰に際して全面講和を主張しました。朝日の主張とは反対に、日本政府はソ連や中国などを除いた多数講和(サンフランシスコ講和条約)で国際社会に復帰しましたが、これが正しい決断だったことは、その後の世界情勢を見れば明らかです。

それでも朝日は60年代、70年代、一貫して日米安保条約に反対の姿勢を示し、社会主義陣営に加担する主張を展開、米国の核は平和を脅かすが、ソ連の核は平和の核だというような主張をくり広げました」

冷戦時代、東西陣営の対立軸は、一党独裁と民主主義の対立だったにも拘らず、朝日はこれを社会主義と資本主義の闘いと捉えたとも、田久保氏は喝破する。資本主義はいずれ社会主義に敗れ、共産主義という理想の国家が実現するというイデオロギーを持ち続け、それが北朝鮮礼賛、中国の文革礼賛、ベトナム戦争での反米などにつながった。

「日教組支持、歴史教科書の反日的記述への肩入れ、尋常ならざる『南京大虐殺』の虚偽報道などもありす。慰安婦問題は、こうした多くの問題のひとつです」と田久保氏。

反省しない朝日を待つのは言論機関としての絶望的な衰退なのである。
『週刊新潮』 2014年10月23日号2014.10.16 (木)
日本ルネッサンス 第627号


       

2014年10月17日

◆言論の自由を行使するとは

阿比留 瑠比



近頃、言論の自由について考えさせられる機会が多い。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が韓国の朴(パク)槿恵(クネ)大統領の名誉を毀損(きそん)したとして在宅起訴された不条理もそうだが、それに関して韓国外務省報道官が14日、こう言い放ったことにも頭を悩ませられた。

「韓国はいかなる国よりも言論の自由がよく保障されている」

これには日本の政府筋もあきれ、「言わせておけばいい。良識ある国際社会が判断を下すだろう」と突き放した。強弁すればするほど、満天下に恥をさらすのは韓国の方だよ、ということだろう。

ただ、韓国を笑ってばかりはいられない。この言論の自由という言葉が、それぞれの使い手によって都合のいいように解釈されていることは日本も同じだからである。また、言論の自由とは名ばかりで、実際にはタブーや自己規制が存在することもしばしばだ。

ちょっと古い話だが、平成13年のことだ。扶桑社の中学歴史教科書が検定に合格したのを受け、国会内で開かれた扶桑社本の採択反対集会をのぞくと、社民党の土井たか子元衆院議長がこう訴えていた。

「憲法は言論の自由を保障しているが、教科書については言論の自由は制限されていい」

土井氏にとって言論の自由とは、自分の主義・主張、思想・信条に沿う範囲でのみ守るべきものなのかと感じた。集会で土井氏はこうも述べていた。

「この教科書は、従軍慰安婦はいなかったという人たちが書いている」

「従軍慰安婦」という言葉は戦後の造語であり、当時はなかったという当たり前の主張を、いつの間にか慰安婦の存在自体の否定へとすり替えている。

自分とは異なる意見を持つ相手に一方的にレッテルを貼り、それに基づいて攻撃を仕掛けるという政治手法は、当時の左派・人権派によく見られた。

最近では朝日新聞が今年8月5日付朝刊の記事「慰安婦問題の本質 直視を」で、「『慰安婦問題は捏造(ねつぞう)』という主張には決して同意できません」と書いたのが記憶に新しい。

「慰安婦報道は捏造」ならば分かるが、問題自体が捏造だなどとは誰も言っていないはずだ。これも朝日に対する批判者にレッテルを貼る意図がうかがえる。

特に慰安婦問題に関しては、旧日本軍による組織的な強制連行説に疑問を示し、異論を口にしただけで、人でなしであるかのように非難され、白い目で見られる時代が長かった。

左派・人権派が率先して自由な言論を封じてきたのである。朝日は平成19年3月27日付夕刊の1面連載記事で、自民党の日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会について、こんな異様な見出しで報じた。

 「慰安婦の強制 疑う集団」

まるで怪しい秘密結社か何かのような印象を与える。実際、批判や決め付けを恐れて口をつぐんだ人は少なくないはずである。筆者も左派の他紙の記者から「バカ」だのなんだのと随分面罵されてきた。

そしてその朝日が現在、自らが長年積み重ねてきた慰安婦報道で大きな批判を浴びている。言論の自由を守るのも謳歌(おうか)するのも行使するのも、存外、相当の覚悟がいるのだとしみじみ感じる。(政治部編集委員)産経ニュース 【阿比留瑠比の極言御免】10・16

◆中国から不正に流れたカネ

〜3兆7900億ドル〜

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26年(2014)10月16日(木曜日)通巻第4362号>   

〜中国から不正に海外へ流れたカネは3兆7900億ドル
外貨準備高より多いカネが不正に海外へでた勘定になるのだが。。。。。〜


グローバル・ファイナンシャル・インテグリティ(GFI,ワシントンの国際金融監視シンクタンク)の調査に拠れば、中国から不正に海外へ持ち出された金額が精密に報告され、驚くべき巨額の事実が浮かび上がって、つい最近まで筆者は1兆800億ドルと、このGFIの数字を援用してきた(これは2002年か2011年の統計とされた)。

ところが新しい報告では2000年から2011年までの統計で、実に3兆7900億ドルが不正に海外へ流れた(Illicit flow)。2005年から2011年の統計で2兆8300億ドルとなる新しい数字に上方修正された。

どの期間の統計によって、数字が異なるのは当然といえ、もし2000年から2011年統計で、中国からの海外逃避資金のトータルが3兆7900億ドルとなると、史上空前の新記録。邦貨換算で417兆円弱。日本のGDPの80%にあたる。

これは中国の金融が空洞化していることを示して余りある。

以下に掲げる「ワースト・ランキング」はGFIが集計した2002年から2011年の合算統計である。

1)中国      1兆800億ドル
2)ロシア      8809億ドル
3)メキシコ     4618億ドル
4)マレーシア    3704億ドル
5)インド      3404億ドル

桁違いの汚職天国、ロシアのそれも凄いが中国に比べたら何ほどのこともない。

筆者が思い当たるのは2005年頃から、中国のレストランや飲み屋で、カードは歓迎されず、人民元で支払おうとすると「ドルか円がないか?」と必ず聞かれた。人民元に自信を持っているはずなのに、なぜ外貨を欲しがるのか、理解に苦しんだが、そうか、闇ルートに流れていたのだ。

中国の為替管理が厳しかった1993年まで、外国人は人民元と直接交換ができず、「外貨兌換券」なる不思議な通貨と交換した。この闇ルートがあった。

香港から中山か、あるいは深センに入ろうとすると、闇の「担ぎ屋」というおばさん達が必ずタバコを持ってくれないかと誘ってきた。物は試しと受けると一カートンにつき、香港ドル10ドルのお礼が相場だった。そして出口でまっている彼女らは「カンピーと交換してほしい」と手垢にまみれた人民元をだした。「カンビー」というのは香港ドルのことで「港
幣」の中国語読みである。

時代は激変し、香港では人民元歓迎。為替レートは香港ドルより人民元が強い。昨今のドル高で、人民元は12円から18円に跳ね上がり、香港、マカオ、そしてタイの一部、ネパール、ラオス、カンボジアで使える。

またブルネイやモンゴルでも人民元は為替銀行や両替商にもちこめば、現地通貨と交換できる。それほどアジア圏で人民元は強くなっているのである。

にもかかわらず、なぜ中国人はドルを欲しがり、米ドルに依拠するのか。
  (この項、つづく)

      

◆ノーベル平和賞授与基準の怪

池田 元彦


今年度平和賞は、児童人権活動家インド人と子供や女性が教育を受ける権利を訴えるパキスタン人17歳の女性の2人が受賞した。同慶に堪えない。ヒンズー教国インドとイスラム教国パキスタン両国の平和への道を模索する意味でも、両名の受賞は穏当、象徴的で考慮の上の選考結果だ。

マララ・ユスフザイさんは、教育、特に女性教育自体を否定するタリバンに学校を潰され、頭部銃撃被弾、奇跡の生還後も引続き勇気をもって子供・女性教育の必要性を訴える姿、そのスピーチの簡潔さ、力強さに、誰もが受賞を納得したと思う。只受賞が彼女の将来を狂わせないことを祈る。

しかしノーベル平和賞は、創設以来選定基準の曖昧さが疑問視されている。ノーベル自身の平和賞授与基準は「国家間の友愛関係の促進、常備軍の廃止・縮小、平和のための会議・促進に最も貢献した人物」だと言うが、実際には平和関連でない、或は受賞理由に疑問の受賞者も多い。

第1回受賞者アンリ・デュナンは赤十字社創設者だが、人道・福祉の人だ。フリチョフ・ナンセンは探検家だが、難民救済での受賞だ。

シュバイツァーも医療貢献の受賞者だが、人種差別者だ。政治家受賞者は、更に基準が曖昧だ。ハマーショルドの死後受賞では、例外授与理由が不明だ。

日露の調停をしたT.ルーズベルトは未だしも、第2次世界大戦の種を撒いたウイルソン、日米開戦の火種を撒いたコーデル・ハルも受賞している。意向表明だけで実績なしのバラク・オバマの受賞は噴飯ものだ。金大中やアウンサンスーチー等は、受賞実効性のない疑問ある受賞だ。

マハトマ・ガンジーは5回の推薦があったが受賞していない。辞退したと言うのは嘘だ。この5年は不詳の人物1名、3団体受賞で3年、2年は受賞者不在なのは納得出来ない。英国への配慮でしかない。劉暁波は、中国での人権無視を非暴力闘争することで授与されたが、政治色濃厚だ。

平和賞には、団体も受賞出来る。国境なき医師団、国連平和維持軍の他に、国連難民高等弁務官事務所が2回、赤十字国際委員会は3回も受賞している。個人では何回も受賞出来ない。EUも受賞している。即ち、日本国も受賞することもあり得るのだ。それはそれで問題ないが。

朝日新聞が「普通の主婦が思いつき推薦」と報道し、瞬く間に推薦受理となった「憲法9条に平和賞を」は44万人の署名を得て、一時は受賞かと騒がれたが、発起人は決して普通の主婦ではない。

バプティスト教会連合・大野キリスト教会員で、反日言動の2013年「難民・移住労働者問題キリスト教連絡会(=難キ連)との共済でチャリティーコンサートも開催、連絡先にもなっている。

難キ連は、新宿早稲田にある日本キリスト教会館を本部とするが、反日活動が目立つ韓国キリスト教系団体等15以上の本部も同じ所在地だ。主婦?鷹巣直美氏との共同代表者、石垣義昭・星野横雄両氏も、反日活動団体創設の「アジア平和賞」第1回をマレーシアで受賞参列している。

9条は日米安保条約と両車輪で、9条だけが平和の要因でも結果でもない。反日左翼は戦略的に平和賞を利用し、政府に受賞させること企んだのだ。非核三原則で佐藤栄作は平和賞を受領したため、長く日本はこの平和賞の縛りを受けた。9条平和賞も同じ効果を持つことに気付くべきだ。

文学賞では村上春樹氏は落選だ。大江健三郎に続く無国籍文学の受賞は、日本人は避けたい。

9条平和賞、村上春樹文学賞を一番応援していたのが、又もや朝日新聞だ。軍事力を背景にアイゼンハウアー、JFK、レーガンは平和を維持した。平和賞は彼等のような人に授与されるべきだ。

◆私の「身辺雑記」(152)

平井 修一



■10月14日(火)。新聞休刊日。夕べ深夜は台風来襲。ベランダに通じる犬用の出入り口から雨風が吹き込みびしょびしょ。物凄い湿気の生暖かい風。閉じて室内に犬のトイレを作った。

玄関の外に雨漏りがあったところは1週間ほど前に修繕したが、ほぼ漏れはなくなった。そのうち再度補修すれば完璧だが、梯子から落ちそうになったので、自分の安保を考えることが大事だろう。

今朝6時は室温21度、やがて台風一過のぎんぎら太陽、2/3散歩。桜の小枝と葉が散乱していた。7時半には24度まで上がった。

N母子は6泊7日のリゾートライフ(流連)を楽しみ、今朝から独立、職場と保育園へ。夕刻には長女たちがやってくる。集団的子育ては当分続くの
だろう。

今年の3月14日付読売新聞4面の特集記事「日本への提言」に、世界を代表する戦略家エドワード・ルトワック氏が登場し、中国や韓国との関係について日本に助言しているという。調べたら「東京の郊外より」というサイトに要旨が載っていた。以下転載。

<*中国の現状をどう見るか
 
 ・中国の指導者は、内部からの圧力にさらされている。人民は共産党支配に非常に大きな怒りを抱き、中国軍は反日だけで満足せず、特に海軍は米軍を敵として必要としている

 ・また更に、中国は効力を無くした共産主義に変わる新しいイデオロギーを必要としている。習近平は「中国の夢」を提唱しているが、最も重要な政治的要素は、中国の力を世界中で行使するという民族意識だ

 ・中国の振る舞いは、外部から大きな反発を生んでいるが、中国指導部は内部圧力に伴う内向き姿勢のため、外部からのメッセージを受け止めることが出来ない

・結果、かつて中国に近かったミャンマーは、今や中国を離れた。フィリピンやインドや日本などで、似たような反発が起こっている

 ・中国の政治システムは、生き物が酸素を求めるように日本への敵意を必要としている。仮に日本が尖閣を土産に差し出しても、即座に中国は沖縄を持ち出し「実は琉球がほしい」と言うだろう

・尖閣を巡る緊張を和らげることは出来ない。日本は抑止力を強めること。尖閣に20名でも守備隊を配置し、攻撃的でなく諦めない意志を示す事。平和を求めるならば、積極的に戦争を避けなければならない。もし日本が戦う姿勢を示さなければ、中国は益々圧力を強めるでしょう

 ・抑止力強化と同時にやるべき事は、比、印、ベトナム等、中国の脅威に直面する国々を支援し、軍事も含む連携を深めること。日露の長期的な協力も、対中牽制になると見ている

*韓国との関係をどうするか

 ・日本は韓国を自らの戦略に組み込むことは出来ないと思う。韓国は中国を文化面で深く尊敬し、中国が韓国に好意的だと常に考えている。一方で、日本には憎しみを抱いている

 ・朴大統領が中国に安重根記念碑のハルビン設置を提案したのも、感情や非理性的な憎しみからきたものだ。憎しみの原因は、韓国が日本の植民地支配と戦わなかったからだろう。だから戦った安重根を顕彰する

 ・韓国の日本に対する態度は、日本が何をしようと関係ない。慰安婦問題では、日本が韓国の反応を期待して何かやっても、成果はないであろう

 ・日本の政策は、韓国以外の世界の反応をもとに検討されるべきだろう>(以上)

「平和を求めるならば、積極的に戦争を避けなければならない。もし日本が戦う姿勢を示さなければ戦争になる」ということ。お花畑ではなくリアリズムで見れば明明白白だ。平和は9条ではなく戦意と軍備と戦闘能力という抑止力で守るのだ。

■10月15日(水)。朝は室温19度、晩秋のよう、曇のち雨、2/3散歩。

世の中には実にいろいろな人がいるもので、ブログにこんなことを書いて
いる人がいた。

<安倍政権の1年目は華やかなものだった。しかし2年目に8%の消費増税が行われると、過去数年の努力を全て灰燼に帰すほどの景気停滞、もはや経済破壊といっていいほどの景気悪化が起こった>

灰塵、破壊・・・って、小生も一族ものんびり暮らしているし、バンバン金を使っているし、スーパーは賑わっているし、株価は下がっても1万4000円前後だし、倒産が増えているわけではないし、日本国債が債務不履行になる話もない。

景気はいい時もあるし悪い時もあるし、それは普通で、にもかかわらず今の経済が破綻しているなんて、どういうことなのだろう。

かなり意図的な反日、反政権プロパガンダ、多分アカの嘘八百だろう。日刊ゲンダイの読みすぎじゃないか。

ブログであれ事実、事象、証言、証拠をもとに書くべきではないか。以下の論考のように。

石平・拓殖大学客員教授の論考「死期の中国経済、共倒れの韓国経済――史上最大規模の不動産バブルの崩壊と金融破綻の道連れに」(PHP衆知10/14)が興味深かった。

小見出しは、マイナス成長となっている可能性→不動産価格引き下げの「悪性競争」→5兆元規模の信託投資が返ってくるか。結論の部分を紹介する。

<信託投資の不動産業への貸し出しはその融資総額の約半分にも達しているから、今後において広がる不動産開発企業の破産あるいは債務不履行は、そのまま信託投資の破綻を意味するものである。そしてそれはやがて、信託投資をコアとする「影の銀行」全体の破綻を招くこととなろう。

しかし融資規模が中国の国内総生産の4割以上にも相当する「影の銀行」が破綻でもすれば、経済全体の破綻はもはや避けられない。いまでは、中国経済はただでさえ失速している最中であるが、今後において、不動産バブルの崩壊とそれに伴う金融の破綻という2つの致命的な追い打ちをいっせいにかけられると、中国経済は確実に「死期」を迎えることとなろう。

じつは今年4月あたりから、中国政府は一部銀行の預金準備率引き下げや、鉄道・公共住宅建設プロジェクト、地方政府による不動産規制緩和など、あの手この手を使って破綻しかけている経済を何とか救おうとしていた。だが全体の趨勢から見れば、政府の必死の努力はほとんど無駄に終わってしまい、死に体の中国経済に妙薬なしということである。

*肝腎の命綱を失った韓国経済

韓国最大の輸出国はまさに中国であり、対中輸出が毎年、韓国の対外輸出全体の25%以上を占めていることはよく知られている。ということは要するに、韓国経済の運命は完全に対中国の輸出によって左右されており、中国の景気のよし悪しは韓国経済の生死を決める最大の要素となっているのである。

しかしいま、中国経済の高度成長は終焉してしまい、今後はバブルの崩壊と金融の破綻によって破滅への道を辿ることになるのは前述のとおりであるが、そのことの意味するところは要するに、韓国経済はその肝心の命綱を失ってしまい、中国経済の破綻の道連れになることであろう>(以上)

結語は「中国にしても韓国にしても、本当は彼らにとって、いまや無意味な反日に熱を上げているどころではないのである」。完璧なダメ押しだ。中韓とは政冷経冷でいきましょう。習に交わればバカになる。

■10月16日(木)。朝は室温18度、肌寒い、晴、2/3散歩。ゆうべも18度まで下がって寒かった。冬子は早く来すぎだ。

今週の月曜日(13日)にはNが最先端歯科医療のセミナーへ行ったが、昨日はカミサンが「精神病医療の危機安全管理」のセミナーで司会をした。危険ドラッグが主なテーマだったそうだ。

現役で頑張るためには「最先端」の情報を入手しておかなければならないのだ。「最先端」、マラソンで言えばトップグループにいないとまずい。小生も現役時代は必死でトップグループにいた。ときどきトップに立った。

「海外旅行市場のトレンドと旅行会社のとるべき道」というのが最大のテーマで、「これからは個人自由旅行の時代だ、それに備えよ」と煽りに煽ったものだった。これで20年間、サラリーマン時代を含めて30年間食えた。

支那通トップグループの富坂聰氏が、中共官僚のサボタージュについて書いている(ウェッジ10/14)。

<官僚側も東廠(腐敗摘発の巡視隊)を恐れているばかりではない。「静かな抵抗はもう始まっている」と語るのは党中央の関係者だ。

「いま中央政府に持ち上がった新たな悩みは官僚の“不作為”です。不作為とは何もしないことですが、いまの官僚の生活をたとえるならば、『賄賂も贈り物も受け取らない。高級酒も飲まない。宴会もしない。公用車も使わないし海外視察にも行かない。しかし、仕事もしない』というものです。

反腐敗キャンペーンに続く贅沢禁止令で役人の楽しみが奪われ、それがいよいよ本気だと分かった段階から役人たちの側にもそれへの抵抗としてサボタージュが起きているのです。

みな、政治学習の名前を借りて一日中『人民日報』を読むふりをしながら新聞に隠して小説を読んでいます。そして早々に帰宅しますから社会の生産効率が上がるはずはありません。

これは、とくに地方で顕著になっている現象ですが、中央で頭を痛めているのが経済をあずかる李克強首相なのです」>

習近平の手足となって働くはずの官僚までがそっぽを向き始めたのだ。軍人だって同様だろう。命を懸けて戦う将兵はいるのか。皆逃げだすのではないか。習は督戦隊を作って逃亡兵を殺すしかないな。(2014/10/16)

◆木津川だより 壬申の乱

白井 繁夫



本誌読者の皆様は、日本の歴史上有名な「壬申の乱」のことは良くご存じのはずです。しかし、私が長く書き続けている本題「木津川だより」の流れの中で、この「壬申の乱」を避けて通る訳にはなれません。

長文になりますが、大海人皇子の侵略心理、巧妙な戦略、天運などにつて、思いのままに詳しく綴ってみようと思います。「壬申の乱」の歴史の流れは、これから追々。

さて、(672年)天武元年6月24日大海人皇子が東国を目指してひそかに吉野を脱出した時は、大海人に従った者は妃の鸕野皇女と草壁.忍壁両皇子、舎人20余人に女孺(にょじゅ:鸕野皇女などに仕えた女官)わずか10余人の人数でした。

しかも、初日は約70kmの山道を進む、(道中には大友皇子の生母の出身地があると云う)超ハードのスケジュールです。(出家して吉野を目指して早朝より大津宮を出た日の距離の飛鳥「島宮」までとほぼ同距離を進みますが、その日の道中「山城道」は全体的に平坦な平野でした。)

大海人皇子が約半年間推考して戦略を練り、吉野脱出を決断した「壬申の乱」の大きな要素ともみなされるのは、「親の子に対する愛」がそうさせたと 私は思うのです。

天智天皇の晩年、生母が「卑母」である大友皇子を「皇位継承者」にと願い今までのしきたりを無視する行為を取る、強い愛と同じで、大海人皇子の妃の鸕野皇女は天智天皇の皇女.むすめであり、夫は天智の実弟です。

だから大海人皇子は有力な「皇位継承者」でもありました。而も二人の間の子(草壁皇子)は由緒正しい皇孫です。親(鸕野)の愛も非常に強いものだったと思います。

吉野脱出に先立ち6月22日には、前回本誌に掲載した如く、東国(湯沐令 多品治)に向けて発進した3名の大海人の使者(村国男依ほか2名)が、吉野.大倭.伊賀.伊勢.美濃へ至る行軍ルートの総てにわたる計画が周知され、準備を整えられるように派遣されたのです。

脱出ルートは吉野へ来た泉津.乃楽山.飛鳥の平坦地を避けて、吉野から吉野川沿いに上流に向かい、矢治峠を越える山道から「菟田(ウダ)の吾城:奈良県宇陀市」を抜け、「名墾(名張市)の横河」(名張川と宇陀川の合流点:畿内と外国の境)を経て「伊賀の中山」(三重県上野市)へ出るという、険しいルートでした。

菟田の吾城で屯田司(ミタノツカサ:近江朝の食料供御を行う司)土師馬手が食事を奉る。
(先遣使者よりの言で舎人土師氏は大海人皇子の行幸?と思ったか、大海人一行は、初日70余kmの行軍中、この時食事したのが最初で、何と初日は宿泊地まで食事なしで進む。)

飛鳥京の留守司高坂王への使者は3名が当日(24日)に発遣され、「駅鈴:ウマヤノスズ」を乞わせました。(美濃までの「駅家:ウマヤ」において大海人一行の馬の確保依頼:実際は独自で手を打っていました。高坂王は大海人皇子に好意を持っており、快応していたかも?)

使者3名の役割です。

大分恵尺(オオキダノエサカ)は、近江へ急行して大津.高市両皇子に大海人皇子の吉野脱出報告とその後の合流(予定戦略)など、黄書大伴(キフミノオオトモ)は大倭の「百済の家」に結集して兄の大伴馬来田と共に菟田で合流、逢志摩(オオノシマ)は近江朝からの追手がすぐ来ぬように近江に伝わらぬよう留守司に頼みて帰還など。

また「菟田郡家」(現宇陀市榛原区萩原)で湯沐の米運搬の駄馬ニオイウマ50頭(湯沐令多品治オオノホンジの手配の馬)を大海人皇子が得る。吉野から32kmの大野(室生)で日没、これより夜間行軍で「隠駅家:なばりのうまや」に着き、その家を焼いて人夫を求めてみたが真夜中では烽火(のろし)の役目だけで終わる。

「伊賀の中山」は大友皇子の生母の出身氏族(竹原氏)の本拠地へ東北東約8kmの至近距離です。

ところが、そこへ着くと「郡司」が数百の兵を率いて一行に合流してきました。伊賀国の北部の阿閉氏と南部の伊賀氏がともに大海人軍の味方に付いてくれたのです。
(対新羅戦用に近江朝が徴発した徴兵が100余人大海人軍に加わったのです。)

東海道ルートを外れ美濃への最短ルートを採り、「伊賀駅家」:上野市を流れる木津川を挟む古郡フルゴオリ:から「莿萩野」(タラノ:伊賀市佐那具町)へ25日の夜明け前に着きました。

吉野を出て70余km、20時間の進軍を終えてやっと休息、2回目の食事を取ることが出来たのです。
(飛鳥から近江朝へは高坂王の情報統制が有り、まだ気づかれずに進みました。)

25日の未明に近江と伊勢の交通の要所「積殖(つむえ)の山口」:三重県伊賀町柘植(大和と東国を結ぶ道が合流)に大海人一行は到着し、そこへ高市皇子の騎馬隊が舎人達と「鹿深」(カフカ:滋賀県甲賀郡)を越えて合流して来ました。

大海人一行は、伊賀と伊勢の国境の「加太(かぶと)峠」を越えて「鈴鹿郡:すずかのこおり」に入り(東国に入り)脱出が、ひと先ず成功しました。(近江からの高市の舎人は民大火.赤染徳足.大蔵広隅.坂上国麻呂.古市黒麻呂.竹田大徳.胆香瓦安倍:イカゴノアヘです。)

伊勢の「鈴鹿郡家こおりのみや」(鈴鹿郡関町金場付近)では国宰の三宅石床(イワトコ:駄馬50頭送付者)と、三輪子首(コビト)、湯沐令(ユノウナガシ)の田中足麻呂(タリマロ)と高田新宅(ニイノミ:祖父の高田足人が、私馬を大海人に美濃.尾張まで提供)などが出迎え、大量軍が集結しました。

伊勢の国宰三宅連石床は大海人皇子の下で、伊勢軍の統率者となり500の兵を率いて「鈴鹿の山道」を25日中に塞ぎました。三輪子首の軍は後日大和(飛鳥)進攻軍に編入されました。

25日の夕方、「川曲(かわわ)の坂下」(鈴鹿市木田町)に着き、「三重郡家」(四日市市東坂町)には夜になって到着して休息しました。

6月26日早朝:大海人皇子や草壁.高市などの一行は「朝明郡(あさけのこほり)の迹太川(とほかわ)の辺」に到着して、天照大神を遥拝しました。(戦勝祈願)。

「朝明郡家」(四日市市大矢知町)の大海人軍の処に、高坂王の一行が「鈴鹿山道」に来たと連絡あり、路益人を派遣したら、大津皇子の一行と近江へ派遣した大分恵尺等が留められていました。

(大津皇子幼少のため、馬でなく加太峠越えを「輿」で越えたから遅れた。)
ようやく大津皇子の一行は両親に合流できたのです。(大津の舎人の中には後の瀬田橋の攻防で先鋒となった大分稚臣(オオキダノワカオミ)や舎人の戦死者も多数でました。)

他方では、22日に先遣していた舎人の村国男依(オヨリ)が「安八磨郡(あはちまのこほり)の兵」3000人を率いて、「不破道の閉塞」(岐阜県関ケ原町)に成功した、との吉報を得ました。

夕方吉野から145kmの「桑名郡家」に着き、大海人一行は留まりました。
(大海人皇子は東海軍(尾張.三河)、東山軍(信濃.甲斐)を徴発する使者を派遣する。)

27日は妃の鸕野と草壁.大津を桑名に残して、野上(美濃の野上郡:現関ケ原町野上)へ大海人は行き、高市は「和蹔:わざみ」(関ヶ原町関ヶ原)から出迎え。ここが吉野を出て4日間(186km)の行軍の終着地とし、「野上行宮かりみや」としました。

多品治と村国男依が塞いでいた「不破道」で、尾張国司守:小子部連鉏鉤(チイサコベノサイチ)が2万の兵を率いて配下に入りました。

こんな中で、同じ26日の夕方近江朝の東国への使者「書薬フミノクスリと忍坂大摩侶」が捕捉され、少し遅れて来た韋那磐鍬(イナノイワスキ)がこれを見て大津宮へ逃げ帰った結果、27日には近江朝が「事の重大性」に気づいたのです。

「不破道」の封鎖が1日遅れていたら、2万の兵は近江朝軍の支配下になり、尚且つ、東国へ近江の使者が入っていたことでしょう。天運は大海人皇子に味方した、と思います。

「和蹔」に大海人軍の主力部隊を集め、全軍の最高司令官として高市皇子を任命して、
6月28日には全軍を検軍し、高市の下で指揮命令するなどの軍事訓練を行いました。

近江朝は、罠に嵌ったのです。

遅れ馳せながら、やっと戦闘準備に入り、西国へも徴兵を急がす使者の派遣、近江路と大和飛鳥の2方面への戦闘軍の編成に入りました。

しかし、大友皇子は唐からの使者「郭務悰カクムソウ」の応対に忙殺されていたため、迂闊にもこの時点まで、大海人皇子の動静を把握していなかったのです。

だから、大海人皇子が既に東国に入り、対新羅戦用に徴兵した兵2万余が大海人軍に加わったと云う情報も得ていなかったのです。大友皇子は後手後手に回ったのです。

近江路と大和飛鳥で「壬申の乱」の戦闘の口火がいよいよ切られます。(次回につづけます。)

参考資料: 戦争の日本史2  壬申の乱  倉本一宏 著
      木津町史  本文篇   木津町 
      壬申の乱   中公新書    遠山美都男著