2014年10月13日

◆中共に阿るアカ新聞

平井 修一



宮家邦彦氏の論考「北京批判に及び腰だった日本メディア」(JBプレス10/6)は中共に阿るアカ新聞、事なかれ新聞の虚妄を鋭くついており、「これらはジャーナリズムではない」と断罪している。以下、ちょっと長いが引用する。

             ・・・

9月26日から続く香港の学生デモがどうしても気になる。今回のテーマは香港民主化に関する本邦主要各紙社説の比較である。

*欧米主要紙の社説

実は3日前に、筆者の英語コラム「Kuni Miyake's Tenor of Tokyo」で同じ題材を取り上げた。当時は日本と欧米の主要日刊紙でこの問題の取り扱い方が大きく異なっていたからだ。これは面白いとばかり、英語版では早速取り上げたのだが、その時点での筆者の問題意識は次のようなものだった。

●欧米主要紙がこの問題を社説で取り上げたのは、デモ開始の9月26日から4日後の30日だった。

●リベラル系ニューヨークタイムズだけでなく、ワシントンポストなども、民主化の行方に懸念を表明した。

●ところが、日本では9月30日の時点で同様の社説を掲載したのは保守系の産経新聞だけだった。

●日本のリベラル系主要紙は当初沈黙を守り、朝日新聞が社説で取り上げたのは10月3日だった。

この微妙な時間差の理由は何か。そもそも日本のメディアは中国に甘いのか。この「香港に関する日本メディアの奇妙な沈黙(Japanese MediaOddly Silent on Hong Kong)」と題した英語コラム、若干内容は古くなったが、論点の本質は今も変わらない。まずはその概要からご紹介しよう。

●今回は中国の香港で、若者の間に再び民主主義という熱病が流行し始めた。

欧米主要紙の社説は、当局がデモを実力で排除することは「自由と良質の統治という香港の評価を風化させ」、「多国籍企業が長く依存してきた香港の政治定期安定を破壊しないまでも、著しく害する」などと警告した。

●日本の多くの人々は1989年の天安門事件をよく覚えており、香港を含む中国での民主化の夢が近い将来実現しないことなど百も承知だ。

●中国の内政問題につき「例外を認めない」ことは中国指導者の一貫した決意だ。

●香港当局に当事者能力はなく、今回民主化要求は実現しない。北京は学生排除のチャンスを狙っているが、学生もそうさせないよう分別ある行動を続けている。

●実力排除のチャンスはいずれ学生の誤算や絶望または親北京秘密分子による不安定の中から生まれるだろう。

●これまで日本のリベラル系新聞は沈黙を守ったが、デモ発生1週間後の10月3日になってようやく朝日新聞が社説で取り上げ、「行政長官選挙の制度設計は見直し、思想や主張にかかわらず、だれにでも立候補の道を開くことを検討すべきだ」と主張した。

●なぜ彼らは沈黙したのか。日本のリベラル系新聞が本当に「リベラル」であれば、9月30日に社説を書いただろう。このことはこの種の新聞が真の意味での「リベラル」ではなく、単に「中国に気兼ねした」からに過ぎない。これはジャーナリズムなどではない。

東京に駐在する多くの欧米人記者がほぼ異口同音に「日本の新聞記者はジャーナリストではなく、民僚(会社の官僚)にすぎない」と言っていたことをふと思い出した。彼ら欧米系ジャーナリストにとって、これは朝日新聞だけの問題ではなく、日本のマスコミ全体の問題なのだ。

*10月4日以降の状況

ここで改めて、日本の主要日刊6紙の香港民主化デモに関する社説掲載の経緯を振り返ってみよう。10月3日までの流れは次の通りだ。

●9月30日・産経主張 「香港民主化デモ 流血招く鎮圧より対話だ」

●10月2日・読売社説 「香港抗議デモ 混乱の長期化が懸念される」

●10月3日・朝日社説 「香港デモ 長官選のあり方再考を」

その後、沈黙を守っていた3紙が朝日新聞の後を追うかのごとく、翌日に
揃って社説を掲載した。

●10月4日・東京社説 「香港占拠長期化 話し合いで解決しよう」

●10月4日・毎日社説 「社説:香港学生デモ 民主化は普遍的願いだ」

●10月4日・日経社説 「香港の輝きを損ないかねない『大陸化』」

誤解のないよう申し上げるが、今回のコラムは朝日新聞を批判するために書いているのではない。今回、朝日は、日本のリベラル系新聞の中では最も早く、10月3日の段階で社説を書いた。社内で侃侃諤諤の議論があったかどうかは知らないが、以下の理由により、今回の朝日の社説は評価に値すると考える。

*制度見直しを主張しないリベラル系日刊紙

筆者がそう考える理由をご披露しよう。

まず、産経新聞だが、同紙「主張」のロジックは、「中国は香港に『高度な自治』を保証した。流血の事態は絶対に避けるべし。香港当局に求められているのは、真の普通選挙に向けた対話だ。香港トップの候補者の恣意的選抜は『国際公約』違反であり、撤回すべきだ」ということに尽きる。

産経が9月30日の段階で、しかも欧米主要紙よりも半日早く、こうした社説を書いたこと自体、評価すべきだ。ただし、これは真のリベラル論者が主張するように「香港の民主化」が大事だからではなく、中国の国際公約違反がけしからんから、という理由からなのだろう。

続いて社説を書いたのが読売だ。産経と同じく保守系の同紙は「学生たちが反発したのは理解できる。米大統領報道官も『香港市民の強い願いを支持する』と表明した。武力鎮圧という最悪の事態は避けねばならない。習政権には、香港の自治を尊重し、対話によって解決する姿勢が求められる」と主張する。

しかし、この主張、どこか変だ。「対話せよ」ではなく、新制度は「撤回すべし」となぜ主張しないのか。中国の内政だからか、北京が本当に対話で解決するとでも思っているのか。そもそも、この程度の社説をなぜ事件発生から1週間近く経って掲載したのか。米国が支持を表明したからか。どうもよく分からない。

この点、読売の翌日に社説を掲載した朝日の方がそれなりに筋は通っている。リベラル系新聞だから当然といえば当然だが、「警察はこれ以上の実力行使を控えるべきだ。行政長官選挙の新制度は正当性を欠いており、制度設計を見直し、だれにでも立候補の道を開くことを検討すべきだ」と主張したからだ。

こうした朝日の社説に比べれば、同じリベラル系でも毎日の社説はどこか奥歯に物が挟まっている。

「米大統領は学生らに理解を示した上で『平和的な解決』を求め、中国外相は『内政問題だ』と主張した。できるだけ早く話し合いを始め、平和的な解決に向けた糸口を見つけてほしい」と言うだけだからだ。

同日に掲載された東京と日経の社説も似たり寄ったりだ。東京は「解決には冷静な話し合いしかありえず、中国は武力行使に踏み切るべきではない」、日経も「経済に悪影響が出始めている。共産党政権は香港市民の声に耳を傾け平和的な打開策を探るべきだ」としか主張しないのだから。

毎日の社説は典型的「両論併記の意味不明」だ。東京の社説もおかしい。話し合いの結果、学生が折れたら、香港に民主主義がなくてもよいのか。そうではなかろう。日経の社説は経済紙だから当然としても、平和的な打開策の具体的意味には決して踏み込まない。要するに、何を言いたいのか分からないのだ。

*保守系紙の中国嫌いとリベラル系紙の気兼ね

これらを踏まえた筆者の見立ては次の通りだ。

日本の保守系新聞は一般に中国に厳しいからか、早い段階で中国を批判し、新制度の撤回を求める社説を掲載した。これに対し、リベラル系新聞は中国に優しいからか、実力行使反対と対話による解決を唱えるだけで、可能な限り中国批判を回避しようとした。いずれにせよ、これらはジャーナリズムではない。

その意味で、今回の朝日新聞の社説には少なからず驚いた。最後まで中国批判を回避するのかと思ったが、朝日は読売が社説を掲載した翌日に、選挙制度の見直しを求める社説掲載に踏み切った。他のリベラル系日刊紙は朝日に後追いしたが、内容的には朝日の社説の方がはるかに「リベラル」だった。

以上は筆者の「読み過ぎ」であり、実際に各社の論説委員たちが議論した内容とは大きく異なるのかもしれない。

しかし、読者は紙面に掲載された最終版の社説で判断するしかない。その意味では、瀕死の朝日新聞にも、まだ生まれ変わる可能性が残っているのではなかろうか。(以上)

              ・・・

宮家先生、とても素晴らしい論考でしたが、瀕死の朝日に蘇生してもらっては困るのです。延命装置を取っ払って1日も早く「日本のエボラ菌」を地獄に落とすのが重要事項かつ優先事項です。情けは無用、無慈悲な鉄槌を下すべし。(2014/10/11)


   

◆命のビザ〜ユダヤ難民を迎えた人々

伊勢 雅臣



命からがら欧州から脱出してきたユダヤ難民たちを迎えたのは、敦賀の人々の温かい思いやりだった。


■1.エルサレムでの巡り逢い

神戸市灘区の牧師・斉藤信男氏がキリスト教徒のグループを率いてイスラエルを訪問した時のこと。エルサレム市内のレストランで昼食をとっていると、40歳前後の婦人が話しかけてきた。

婦人は、斉藤氏一行が日本人であることを確認した上で、「日本の皆さんに感謝したい、私たちは杉原ビザによって救われた子孫です」と語った。婦人の祖父が妻と幼い子供(夫人の父親)を連れて、そのビザで欧州を脱出し、シベリア鉄道経由で日本にやってきたという。

3人は神戸にしばらく滞在した後、オーストラリアに渡った。夫人はそこで生まれ育ったのだが、祖父から日本に助けられたことを繰り返し聞かされて育ったようだった。

実は斉藤牧師の父親は、当時、神戸で牧師をしており、ユダヤ難民たちを教会に招待したり、リンゴを配ったりしていた。夫人の祖父とも会っていたかもしれない。半世紀後に、両者の子孫がエルサレムで出会うとは、不思議な巡り合わせではある。

「私は不思議な気持ちを持つと共に、恩をいつまでも忘れないユダヤ人の民族性に感動しました」と斉藤牧師は語っている。


■2.ユダヤ人保護に立ち上がった日本

1940(昭和15)年7月、ナチス・ドイツとソ連がポーランドを分割占領した際、大勢のユダヤ人がバルト海沿岸のリトアニアまで歩いて逃れ、そこからシベリアを通り、日本を経由して、アメリカなどに逃れようとした。オランダ、ベルギー、フランスはすでにドイツに占領されており、シベリア−日本経由が唯一残されたルートだった。

その際に、在リトアニア日本領事だった杉原千畝(ちうね)が数千人のユダヤ難民に日本への通過ビザを発行した。これが「杉原ビザ」である。[a] ただし同時期にウィーン、プラハ、ストックホルム、モスクワなど12以上の都市の日本領事館でもユダヤ人へのビザが発行されていた。[b]

その根拠となったのが、前年12月の5相会議(首相、外相、蔵相、陸相、海相)で決定された「猶太(ユダヤ)人対策要綱」で、ユダヤ人差別は日本が多年戦ってきた人種平等の精神に反するので、あくまで平等に扱うべし、という国家方針を定めたものである。[c]

そのまた前年、昭和13(1938)年には、満洲国ハルビン特務機関長の樋口季一郎少将がシベリア鉄道で逃れてきたユダヤ人2万人を列車が雪の中で立ち往生した際に救出している。ドイツから強硬な抗議が寄せられたが、日本政府はこれを一蹴し、逆に樋口を栄転させている。[d,e]

さらに、同時期に海軍の犬塚惟重大佐は上海の日本海軍警備地区にユダヤ難民収容施設を作り、世界でただ一ヵ所、ビザのないユダヤ難民でも受け入れて、1万8千人を安全に収容していた。[f]

当時の欧米社会で、非キリスト教徒、非ヨーロッパ人種という点で、日本人とユダヤ人はともにアウトサイダーだったのであり、ユダヤ人排斥は日本人にとっても他人事ではなかった。[g]

杉原領事の大量ビザ発行は、外務省の行政手続きルールには違反していたかもしれないが、国家方針からも、また同じく人種差別の被害者という国民感情からも、筋の通った処置であった。その杉原ビザでやってきたユダヤ難民たちを、当時の日本人がどう迎えたのか、史実を辿ってみよう。

■3.「これからは日本の天皇が私たちを守ってくれるだろう」

当時、10歳ほどの少年だったヤン・クラカウスキー氏は想い出をこう語る。

「シベリア鉄道は単線で、対向列車を通すために頻繁に停車しなければなりませんでした。そのたびにソ連の官憲が乗り込んで来て、いろいろチェックするので不安でたまりませんでした。実際に、途中で連行されていた人たちもいました。結局、モスクワから2週間かかりました」。[1,p147]

ソ連の官憲に手荷物検査されて、金目のものを押収されたりした人もいた。

「そんなうんざりするような列車の旅の後だっただけに、(JOG注:ウラジオストックから日本の)船に乗ったときは有頂天にありました。ですから、船は古くて臭く、床の上で雑魚寝をしなければなりませんでしたが、まったく苦痛を感じませんでした」。[1,p147]


「ソ連の領海を出たとき、乗客はほとんど全員、甲板に出て一斉に『ハティクヴァ』を歌い出しました。今のイスラエル国歌です。それはもう本当に喜びの爆発でした。横にいた父は私の肩に手を置き、「もう大丈夫だ。これからは日本の天皇が私たちを守ってくれるだろう」と言いました。

それを聞いて、私はそれまでなにも知らなかった日本が急に身近に感じ、天皇というのはそんなに偉大なのかと思いました。私が今でも日本に親しみを感じ、信頼を寄せているのは、このときの経験によるものだと思います」。[1,p146]

■4.「人道的見地から引き受けるべき」

ウラジオストックから敦賀までの船は、週1回定期運行していた日本郵船の天草丸だった。ユダヤ難民の輸送業務は、全米ユダヤ人協会から依頼を受けたジャパン・トラベル・ビュロー(現在のJTB、以下JTBと記載)が担当した。

難民輸送の依頼を受けたJTB本社では「果たしてこの依頼を受けて良いか議論が戦わされたが、人道的見地から引き受けるべきとの結論に達し、、、」と関係資料に記載が残っている。[1,p29]

反ユダヤ政策をとるドイツやソ連に睨まれる、という事業上のリスクはあったはずで、人道的見地からこれを引き受けた同社の勇断は賞賛されて良い。

JTBの職員で実際に天草丸に乗り込んで、輸送を担当した大迫辰雄(おおさこ・たつお)氏の手記が残っている。昭和15(1940)年の後半から翌年春にかけて、日本海が非常に荒れる時期だった。

<船首が大波をかぶってぐっぐっと沈み、甲板が海水で溢れて大丈夫かなと思うほど気色が悪い。・・・

(乗船客の)ユダヤ人はパスポートを持たぬ無国籍人が多く、欧州から逃れてきた難民ということで、・・・中には虚ろな目をした人もおり、さすらいの旅人を彷彿とさせる寂しさが漂っていた。私はこの時くらい日本人に生まれたことを幸せに思ったことはない。>

船中で面倒を見てくれた大迫氏への感謝の印として、7人の難民が顔写真を贈っている。その裏にはフランス語やドイツ語、ポーランド語など、各地の言葉で感謝の言葉が綴られていた。着の身着のままの状態でヨーロッパから脱出した際に持ってきたかけがえのない写真であることを考えれば、彼らの感謝の念の深さが分かる。

■5.「本当にうれしそうだった」

同じく当時10歳ほどの少年だったレオ・メラメド氏は、記憶をたどって、こう語っている。


「さて、我々の天草丸が敦賀港に近づくと、雪に覆われた周囲の山々が眼前に迫ってきましてね、実にきれいな景色でした。冬だというのにとても暖かく感じましたね。それもそのはずです、零下何十度という極寒のシベリアからやって来たのですからな。・・・

人々は麦わら帽子をかぶり、雪かきをしておったようです。私が抱いた印象はとても素朴で、親切そうでしたよ」。[1,p168]


ユダヤ難民を乗せた船の到着は日本の新聞で報じられており、それを読んだ母親が10歳の少年を連れて、港まで見に行った。少年は後にこんな手記を残している。

<小さな貨物船でユダヤ人が甲板一杯にいた。見ていて海に落ちるのではと私は思った。上陸はまだしていなかった。うれしそうに話をしていた。男・女・子供の声が聞こえた。本当にうれしそうだった。にぎやかだった。甲板の人が気づいて自分たちに手を振ってくれた。そのときにはわからなかった。今考えると生涯で出会った最高の笑顔だった。>[1,p82]

■6.「リンゴを一口かじっては後ろへ回して全員で食べていた」

昭和16(1941)年2月24日に敦賀に上陸したサミュエル・マンスキー氏は、こう回想する。

<・・・敦賀は私たちにとってはまさに天国でした。街は清潔で人々は礼儀正しく親切でした。バナナやリンゴを食べることができましたが、特にバナナは生まれて初めての経験でした。>[1,p112]

また「ユダヤ人が港から敦賀駅まで歩いて行くときに、リンゴを一口かじっては後ろへ回して全員で食べていた」光景を記している人もいる。港についた難民たちに、リンゴやバナナなどを配った少年がいたらしい。港近くの青果店の少年が、父親の指示で持って行ったようだ。

<少年がリンゴなどの果物を、ユダヤ難民に無償で提供したという話があるが、この少年は私よりも6歳年上の兄(当時13〜14歳)だと断定しても、ほぼ間違いないと思う。・・・

私の記憶では、当時でも店にリンゴ、みかん、乾燥バナナなどが沢山あったように思う。・・・

それにしても、兄の考えで篭いっぱいのリンゴなどの果物を持ち出せないので、これは敦賀とウラジオストックを行き来していた父親が気の毒なユダヤ人難民のことを知っていて、兄に指示して持って行かせたのだろうと思う。>[1,p80]

父親は敦賀とウラジオストックの間を行き来していたというから、おそらくは天草丸に乗り合わせ、ユダヤ難民の惨状を直接見て、こんな措置をとったのだろう。

■7.身につけている時計や指輪を

ユダヤ難民は港から敦賀駅まで歩いたのだが、駅前ではこんなこともあった。

<昭和15〜16年頃、私は県立敦賀高等女学校(15〜16歳)に通っていた。南津内(現・白銀町)の実家は駅前で時計や・貴金属を扱う商売をしていました。港に船が着くたびに、着の身着のままのユダヤ人が店に来て両手で空の財布を広げ、食べ物を食べるしぐさをして、身につけている時計や指輪を「ハウ・マッチ」と言って買ってほしいとよく来ました。

父は大学を出ていて、英語が少し話せたのですが、訛りが強いのか筆談で話をしていました。そして沢山の時計や指輪を買っていました。ユダヤ人はそのお金を持って駅前のうどん屋で食事をしていました。

また、父はユダヤ人に店にある食べ物を気の毒やと言ってよくあげていました。私も持っていたふかし芋をあげたこともあります。>[1,p85]

難民たちは垢だらけで臭いので、銭湯の「朝日湯」が一日休業して、彼らにタダで使わせたが、その身体があまりにも汚れていたので、後の掃除が大変だった、という逸話も残っている。

■8.「一視同仁」と「八紘一宇」

こうして難民たちは、敦賀の人々から温かい歓迎を受けた後、神戸や横浜に移動し、そこからアメリカその他の地へ旅立っていった。命からがらの旅を数ヶ月も続けて来た後に、日本人たちから寄せられた親切は心に染み入っただろう。

敦賀での難民受け入れの事績を調べている井上脩氏によれば、敦賀はウラジオストックとの定期航路が開かれてから、異国情調が漂う町になり、

<加えて、昭和初年頃から、「一視同仁(いっしどうじん)」や「八紘一宇(はっこういちう)」の精神が強調された教育が徹底して行われたこともあって、敦賀は難民の受け入れに適応した“人道の港”としての環境が整っていたのだと思います。

当時、小学校では生徒に対してユダヤ難民に関し、あの人たちは自分の国がないため世界各国に分散して住み、金持ちや学者や優秀な技術者が多い。今は戦争で住むところを追われて放浪して落ちぶれた恰好をしているが、それだけを見て彼らを見くびってはならないと教えていました。

こうしたこともあって、上陸した難民たちは市民から差別の眼差しで見られることもなく、また厳重な警戒や規制を受けることもなく自由に市内を行動していました。>[1,p94]

一視同仁(すべての人を分け隔てなく慈しむこと)と八紘一宇(国全体が一つの家族のように仲良くすること)を根本精神とする皇室を戴く日本人は、「日本の天皇が私たちを守ってくれるだろう」というユダヤ難民の期待を裏切らなかったのである。

■リンク■

a. JOG(021) 命のビザ 6千人のユダヤ人を救った日本人外交官
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_1/jog021.html

b. JOG(138) 届かなかった手紙 〜あるユダヤ人から杉原千畝へ〜
 世界はアメリカを文明国という。私は、世界に日本がもっと文明国だということを知らせましょう。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog138.html

c. JOG(257) 大日本帝国のユダヤ難民救出 
 人種平等の精神を国是とする大日本帝国が、ユダヤ難民救出に立ち上がった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog257.html

d. JOG(085) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(上)
 人種平等を国是とする日本は、ナチスのユダヤ人迫害政策に同調しなかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h20/wing1394.html

e. JOG(086) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(下)
 救われたユダヤ人達は、恩返しに立ち上がった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_1/jog086.html

f. JOG(260) ユダヤ難民の守護者、犬塚大佐
 日本海軍が護る上海は1万8千人のユダヤ難民の「楽園」だった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog260.html

g. JOG(532) 天才・ユダヤ、達人・日本(下)〜 助け合うアウトサイダー

人種差別の横行する国際情勢の中で、ユダヤ人と日本人は助け合って、危機を乗り越えた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h20/jog532.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 北出明『命のビザ、遥かなる旅路―杉原千畝を陰で支えた日本人たち
』★★、H24、交通新聞社新書
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4330291126/japanontheg01-22/


2014年10月12日

◆韓国 感情優先、国として成熟せず

溝口 敦



長年暴力団を取材してきたが、「もうこれ以上書くな」と相手から脅されることがある。書くのをやめないと次には暴力に訴えてくる。暴力的な威力で自分の表現が葬られるのは我慢がならないから書き続けてきた。言論の自由の大切さを皮膚感覚で学んできた。

実際、過去には暴力団員と思われる男に刃物で刺されたこともある。事件後は、後ろから他人の足音が近づいてくるだけでおびえて後ろを振り返ることも少なくなかった。だが、ここで書くのをやめたら、暴力に効果があったと思われるのが、僕にとって、しゃくなことだった。

その後も暴力団関連の記事を掲載した雑誌の副編集長や息子が襲われた。2人とも不幸中の幸いで軽傷で済んだが申し訳ない気持ちでいっぱいだった。それでも、暴力で来るのなら言論でやり返すという思いを強く持ち続けてきた。

加藤達也前産経ソウル支局長(現東京本社社会部編集委員)の記事は、基本的に韓国メディアを引用したものだ。それが、朴槿恵大統領への名誉毀損に当たるとして、ソウル中央地検が在宅起訴に踏み切ったことは異常で、韓国は国として成熟していないと思う。公人は批判を甘んじて受けないといけない宿命にある。

笑って見過ごせば、どうってことはなかった。その方が、大統領が男と会っていたのではないかという噂話まで日本で広く知られることもなかった。「日本憎し」の感情が先立ってしまったのだろう。

そうした特異な状況下での判断なので、韓国国内で言論の自由が消滅したり、海外メディアの報道が萎縮したりといった懸念される事態にまでこじれることはないと思う。韓国もそのあたりは分かっているのでないか。

韓国司法当局はすぐにでも加藤前支局長を無罪放免にすべきだ。証拠隠滅の可能性もない中、長期にわたる出国禁止措置は嫌がらせ以外の何物でもない。

現状では表立って交渉しても韓国サイドも引っ込みがつかないので、日本政府は、非公式な形で交渉して早期に問題解決に向けて努力すべきだ。 
  (談)     
                  ◇

みぞぐち・あつし

昭和17年、東京・浅草生まれ。72歳。早大政経学部卒。出版社勤務などを経てフリーに。平成15年、「食肉の帝王 巨富をつかんだ男 浅田満」で第25回講談社ノンフィクション賞を受賞。長年にわたり暴力団の取材を続け、第一人者として活躍を続ける。著書は「血と抗争 山口組三代目」「ドキュメント 五代目山口組」など多数。

産経ニュース【韓国に問う】2014.10.11


◆これでは北朝鮮並み

黒田 勝弘



北朝鮮が近年、韓国に対し最も強く抗議しているのが、韓国の脱北者団体などが大型の風船で送り込む北朝鮮非難の宣伝ビラだ。これには金正恩第1書記をはじめ世襲3代の指導者の私生活を含む“悪行”が書かれているからだ。北はこうした指導者非難を「“最高尊厳”に対する冒涜」だといって軍事的報復さえにおわす。

北はまた韓国マスコミの金正恩批判報道に対しても同じように非難し、韓国政府に対し「何とかしろ!」つまり「やめさせろ!」と要求する。しかしこれに対し韓国政府は「わが国には言論の自由があるので政府がああしろ、こうしろとはいえない」といって抗議を拒否してきた。

だから産経新聞の報道を韓国の検察が「国家元首に対する名誉毀損(きそん)」として捜査に乗り出したとき、「これでは今後、北からの抗議には反論できなくなるよ」と皮肉り、検察の態度を「恥ずかしい」として「国益を害するもの」とする警告も出ていた。

朝鮮日報社系の『週刊朝鮮』で崔●碩植編集長が先ごろ書いた堂々たる正論だが、この警告通り今回の起訴は「いまなお外国人記者の報道に法的処罰を加える国」として確実に国益を損ないつつある。

「国家元首への冒涜」といって外国メディアを弾圧したのでは北朝鮮並みになってしまいます。

●=俊のにんべんを土に

産経【外信コラム】ソウルからヨボセヨ2014・10・11

◆中国がごまんとやってきたゾ

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 


<平成26年(2014)10月8日(水曜日)通巻第4355号>    

〜カリブ海に浮かぶ島々で何が起きているか
  投資移民で市民権取得ができると聞いて中国がごまんとやってきたゾ〜

ヘミングウェイの遺作に『海流のなかの島々』がある。名作である。舞台はカリブ海。

この島々で、中国は何をやらかすつもりなのか。

カリブ海に浮かぶ有名なリゾート地、ナッソーはバハマ諸島だが、ここに中国国有企業の「中国建設エンジニア」が、バハマに設立した「バハマル」という開発会社を通じて、2011年からハイヤットホテルと並ぶほどの豪華リゾートを建設している.

そのほか、3万平方メートルの敷地内に豪華カジノ、18ホールのゴルフ・コースに加え、有名歌手に設計させたナイトクラブを建設しており、中国企業は4000人の労働者を中国から連れてきて朝から晩まで働かせ、工期を急がせている。

ところが、アンゴラやスリランカなどで工期を早めることができた建設工事も、バハマではついに息切れ、2014年内のオープンは無理となった。

カリブ海のリゾートは冬場が稼ぎ時なのである。「15年夏には間に合わせたい」とバハマルの幹部は発言しているが、ひょっとして中国国内バブル崩壊の影響をもろにうけて、ナッソーの豪華リゾートも「廃墟」と化ける懼れがでてきた(ウォールストリート・ジャーナル、10月1日)。

第一は現場の労働事情による。バハマ諸島の失業率は公式にも15%、実際は30%近い。にもかかわらず、中国の運んできた巨大プロジェクトからの恩恵に預かれず、地元にちっとも利益還元がなく、労働争議が頻発した。第二に世界共通だが、中国人労働者は建設現場内のプレハブなどで寝泊まりし、そこで食事をするため、現地のロッジもレストランは期待はずれだという不満が爆発している。

現地人らは「中国から連れてこられている現場労働者はおそらく囚人だろう」とささやき合っている。
 
 ▼本当の難題は投資移民制度の不法利用

第三に資金難に陥った様相があり現地下請け企業への支払いが滞りはじめ、契約慣習の違いから現地人との軋轢がすさまじさを増している。

このプロジェクトに中国輸出入銀行は 25億ドルを出資した。現地パートナーが8億5千万ドル、中国建設エンジニアが米国子会社を通じて、1億5千万ドル。合計35億ドル(3850億円)のプロジェクトだ。

胡錦涛時代に鳴り物入りで始めた唐山工業特別区(天津の北方、唐山プロジェクト)は10兆円を投じたが、すでに「廃墟」と化け、いま残骸を晒している。

バハマ諸島でも中国のプロジェクトは挫折し、廃墟が出現する?

第四に、じつは最大の問題が横たわっている。

それはカリブ海の島嶼国家が歓迎してきたリゾートマンションや別荘購入と引き替えの「市民権」(パスポート)供与という「投資プログラム」がまったく絵に描いた餅となって、犯罪者やマネーロンダリングに利用され、不正に利用されているという現実が絡むからである。

最初の投資と交換プログラムによる市民権授与はロシア人、そしてイランなど「政治的にややこしい国々」からの人々が多かった。

というのも、米国の金持ちは飛行機のアクセスがよくて、観光客も多いスポットに豪華ホテルも建てて投資するが、観光インフラが整わない、しかも飛行機便が不便な、たとえばセントルシア、バルバドス、グレナダなどに何ほどの魅力を感じないからだ。

そもそもアメリカ人はカリブ海の島嶼国家の市民権獲得を必要としない。ロシア、イラン、そして中国人はカリブ海の島嶼国家の市民権を得ることが目的なので、長期滞在は稀、投資物件にも住むつもりがない。

最初はロシアのマフィアが資金洗浄に使い、イランは不法手段や脱法行為(たとえば見せ金で実際には投資せず、パスポート取得後は消える)頻発により、開発が停滞した。

そのうえせっかく建てた豪華リゾートに客が寄りつかず、「絵に描いた餅」化していた。

そこに中国人が現れたのだ。


 ▼先進国の移民規制の余波を利用したつもりだったのだが。。。

彼らは札束を見せびらかしながらカナダ、豪、ニュージーランドで不動産物件は片っ端から買い占め、交換にパスポートを手にいれた。あまりにも夥しい中国人が移民してきたため、カナダはことし2月から閉め出しに動いた。

米国は投資プログラムの規制を強化しはじめた。

偽書類などによる不法移民が夥しく、しかも不正書類、マネーロンダリングの手口が目立ち、当局は悲鳴を上げるにいたった。

さすがの中国人も投資交換市民権取得の矛先を変える。目を付けたのがカリブ海に浮かぶセントキッツ、ネービス、アンチグア、グレナダなどである。いずれも40万ドル以上の不動産購入か、ホテルへの投資が条件。

だが、廃墟を作るだけで当てが外れるのは目に見えている。相手が中国人であることを彼らは知らない。
       

◆中共の野望を打ち砕け

平井 修一



中共はバングラデシュとミャンマーでの深海港整備について熱心だったが、安倍・モディ連合により妨害された――これは先日報じたが、なぜバングラとミャンマーなのか。シーレーン確保、インド洋覇権という目的は分かっているが、最大の目的は、

「マラッカ海峡という狭く脆弱な石油の輸入路への過剰な依存状態からなんとか脱却したい」、「そのために中共と国境を接するバングラとミャンマーに深海港を整備し、ここから陸路あるいはパイプラインで支那本土に石油を送る」

ということだったのだ。

「国際インテリジェンス機密ファイル」というサイトがロバート・カプラン著『インド洋圏が世界を動かす』を紹介している。以下はその要旨。

                ・・・

・私がこの本で主張したいのは、西は「アフリカの角」から始まり、アラビア半島、イラン高原、そしてインド亜大陸を超え、インドネシア列島とその先の東側まで広がる21世紀の「広域インド洋の地図」が、20世紀で「ヨーロッパの地図」が占めていた立場にとって代わることになるかもしれない、ということだ。

・ある報告によれば、中国の胡錦濤主席は、マラッカ海峡という狭く脆弱な石油の輸入路への過剰な依存状態からなんとか脱却したいという、いわゆる「マラッカ・ジレンマ」に言及しながら、自国のシーレーン(海上交通路)の脆弱性を嘆いたと言われる。

・このジレンマは、中国にとっては古くから存在する恐怖である。なぜなら明帝国が崩壊した原因の一つが、1511年にポルトガルがマラッカ海峡を征服したことにあるからだ。

結局のところ、中国にとっての21世紀における「マラッカ・ジレンマ」からの脱却とは、石油を始めとするエネルギー物資をインド洋の港を使いながら道路やパイプラインで中国の内陸部に向かって北向きに運ぶことであり、これによってタンカーなどをわざわざマラッカ海峡を通過させなくてもよくなることを意味している。

中国が台湾を必死に統合しようとしている理由の一つがまさにここにあり、これに成功すれば、中国は海軍力をインド洋に集中させることができるのだ。

・インド海軍のとある将校の話によると、スリランカにおける中国の活動は、中国が「インドの南の玄関に錨を下ろす」準備が整っていることを示している。

・中国の潜在的な脅威に最も敏感に反応しているのは、マラッカ海峡が最も狭くなる戦略的要衝に位置する都市国家シンガポールである。シンガポールは中国に隷属することを恐れ、台湾との共同軍事訓練を拡大してきた。

シンガポールが独立国家としてどれだけ安泰でいられるかは、北京の脅威を測る基準になる。

・海軍力は、しだいに複雑化するグローバルレベルでの国家のパワーの分布を示す、一つの正確な指標となる。

・アメリカはつねに戦争に備えなければならないが、同時に毎日平和を維持するために働かなければならないのだ。つまりアメリカが目指すべき目標は、「支配」ではなく、「必要不可欠な存在になること」なのだ。

そしてそのような戦略は、結果として中国の台頭による危機の発生を軽減することになるはずだ。

たとえそれが現在の「優雅な衰退」のなかで実行されたとしても、この戦略はアメリカがモンスーン地帯のアジアにおいて、「慈善的な外部勢力」とみなされる、これまでにないほど大きなチャンスを呼び込むのだ。(以上)

               ・・・

上記の「シンガポールは中国に隷属することを恐れ、台湾との共同軍事訓練を拡大してきた」という点について以下補足するが、この小さな都市国家はイスラエル、スイス並の「ハリネズミ国家」だったのだ。ルトワック著「自滅する中国」からポイントを記す。

・豪、NZ、英は有事にはシンガポールとマレーシアを断固として防衛する「5か国防衛取り決め」を締結している。

・人口わずか310万人ながら常備軍7万7000人、即応予備役35万人、米国の最新鋭戦闘機、イスラエル製の空対空ミサイルなど高レベルの軍事的実効性と戦闘即応性を維持している。

・豪との防衛協力で、訓練は豪の演習場や基地を利用している。

中共の威嚇的な台頭が周辺国に脅威を与え、警戒心を呼び起こし、集団安保体制を強化するようになったのだ。シンガポールは最近ではマラッカ海峡の入り口チャンギに米第7艦隊のための特別基地を建設した。

中共はパンダのふりをしていれば良かったのに、グリズリーになってアジアを制覇したいなんて夢を持ったのが大チョンボ、躓いてしまった。日米豪印NZ、シンガポール、マレーシア、フィリピン、ベトナム、インドネシア、モンゴルによる壮大な集団的自衛の反中包囲網。人口、GDP、軍事力で中共の何倍にもなる。

加賀藩第2代藩主の前田利常はバカ殿を演じることで幕府から警戒されることを避けた。鼻毛を伸ばし、江戸城では下半身をさらし、立小便をした。バカなふりをして加賀百万石を守った。

仮痴不癲(かちふてん、痴を仮るも癲せず、ちをいつわるもてんせず)。孫子兵法36計の第27計にある戦術だ。愚か者を装って相手に警戒心を抱かせず、時期の到来を待つの意。習近平もやってみたらどうだ。殺人鬼の毛沢東を真似るよりよっぽどいいぞ。(2014/10/9)


2014年10月11日

◆異様な「タブー」を実感

加藤 達也


【本紙前ソウル支局長起訴】
言論の自由への狭量さ示した朴政権 前支局長手記

ソウル中央地検によって名誉毀損で在宅起訴された産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が9日、現在の心境を手記で明らかにした。

9日のソウルはさわやかな秋晴れとなった。私の今の心のようだと思った。不思議に思われるかもしれないが、8月初めに私が書いた「追跡〜ソウル発」が韓国の朴槿恵政権から問題視され、今月8日に在宅起訴されるまで、ずっと同じ気持ちで過ごしてきた。朴政権の最大の問題である“言論の自由への狭量さ”を身をもって読者に伝えることができる機会と考えてきたからだ。


×  ×  ×

8日夕、韓国のソウル中央地検は私を在宅起訴した。刑事処分決定に際しては事前に弁護士に通告するとしていたにもかかわらず、午後7時に韓国メディアに発表した。奇襲的な発表は韓国検察が一貫してとってきた態度の総仕上げだったといえる。

これまで2カ月以上にわたる出国禁止措置と、3度の取り調べを受けた。私に揺さぶりをかけ、心理的に圧迫し、産経新聞を屈服させる意図があったのは明らかだった。

検察は刑事処分について「(起訴の方針などの)予断はない」と、たびたび宣言してきたが、取り調べは明確に「起訴」を前提とし「有罪判決」を目的としていた。検事は、私が記事で用いた「混迷」「不穏」「レームダック化」などの言葉を取り上げ、その使い方から誹謗(ひぼう)の意図を導きだそうと必死だった。

たとえば、「被疑者の記事にある『レームダック』は政権交代期に、政治に一貫性がないことを意味する言葉だが、韓国の政治状況に対しふさわしいと思うか」の質問がそうだ。

私が「日本では『レームダック』の言葉は広義で影響力が徐々に低下している状況も示す」と応じると、検事は「政権初期の韓国の政治状況にそのような表現は無理ではないか」とし、「混迷、不穏、レームダック化の単語から、政権が揺れているのだと認識される。このような(単語を使った)記事を報道したのは、韓国政府や朴槿恵大統領を誹謗するためではないか」とたたみかけてきた。

10月2日の3回目の取り調べで、検事は「(セウォル号事故当日の)大統領の所在問題が(韓国内で)タブー視されているのに、それを書いたことをどう考えるか」と聞いてきた。

私はこの言葉に強い違和感を覚えた。日本では毎日、詳細に公開されている国家指導者の動静が“タブー”だというのだ。禁忌に触れた者は絶対に許さないという政権の意思を如実に示す発言だった。

              ×  ×  ×

韓国大統領府(青瓦台)で海外メディアを担当する報道官から抗議の電話を受けたのは、8月5日の夕方だった。報道官は機械的に抗議文を読み上げると刑事・民事での法的な対応を宣言。この直後、「市民団体」が私を告発、検察は待ち構えるかのように7日、出国禁止措置を出した。

報道官は「確認もせずに掲載した」とも言い放ったがそもそも青瓦台は7月、ソウル支局の名村隆寛編集委員が書いた次期駐日大使の内定人事を伝える記事に対して、「解禁指定日時を破った」として産経新聞に1年間の出入り禁止(取材拒否)を通告していた。

訴訟を乱発する朴政権に、韓国国内では既に萎縮、迎合しているかのような報道もみられる。朴政権はいったいいつまで、メディアへの弾圧的な姿勢を続けるのだろうか。(社会部編集委員)

                  ◇

加藤前支局長は、今回の問題が起きる以前の8月1日に、10月1日付で東京本社社会部編集委員への異動が決まっていたが、出国禁止処分によって帰国できずにいる。


◆香港「雨傘革命」の裏話

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26年(2014)10月10日(金曜日)通巻第4358号 >  

〜香港「雨傘革命」の裏話をもうちょっとしよう

北京はマフィア、商工会、同郷会にくわえ、1500 名の特務を動員していた〜

九龍半島の旺角(モンコック)は商人の町、しかもやくざが商店主からみかじめ料を集金する特殊地帯。雨傘運動のデモ隊は、この町にも流れ、道路を封鎖したところ、親中派のやくざと思われる集団が暴力行為に及んだ。

この町で抗議集会を展開したのは、今回のデモの主体である「学連」「学民思潮」とは関係のない一般市民グループと思われる。

中国共産党は香港に秘密党員を多く抱え、その一部は特務の潜入工作員である。

おもてむき「商売あがったりだ」として学生運動に抗議する商店主らは、地元商店会、商工会、それに同郷会などからの動員で「デモ反対」の抗議集会を行わせた。

一方、支援の輪は中国大陸にも飛び火し、有名アーティスト(詩人の大蔵など)が支援を表明するパフォーマンスを行った。香港の映画界でも親中派のジャッキー・チェンは例外で、新星アイドル俳優の梁明偉、劉徳華、周潤発、張家輝ら四大スターが雨傘運動支援を表明した。

香港でも『リンゴ日報』の黎智英(ジミー・ライ)や民主党創設主席の李柱銘、キリスト教香港地区元主教の陳日君らが現場で支援演説をした。

北京も露骨な弾圧をできない。

なにしろ欧米ばかりか亜細亜華僑圏、日本の華字新聞も大きく取り上げている。

このため北京のメディアは香港の学生らの抗議集会を「暴乱」とは言わず、雨傘革命を「非法集会」と表現するに留めた。

大陸であれば、これは「反国家暴乱罪」とかで逮捕するところだが、民主主義意識の高い香港では、語彙を撰んでいる。

さて雨傘運動の主体で去るリーダーたちは、いかなる人間なのか。

指導者らは三派に分かれ「学連」「学民思潮」、そして野党民主党を主体のリベラル派に糾合された市民の団体連合。つまり三者三様、まとまりがなく、リーダーシップ不足、もっと正確に言えばテンでバラバラで、組織力がない。

だからデモは四カ所に分散し、指揮系統がないので、旺角からチムサーチョイ、行政府のある金鐘(アドミラル)、銅鐸湾(コーズウエイベイ)に拡大分散してしまった。共通したスローガンは「和平抗命、香港精神」である。

学生代表と行政府の協議が開始されるだろうが、老獪巧妙な行政府側のバックには中国共産党、素人の学生代表はいったい如何なる戦術で臨むのか?

      

◆私の「身辺雑記」(150)

平井 修一


■10月7日(火)。朝は室温21度、ちょっと寒い、台風一過の強い日射し、フル散歩。

散歩では時々、美しいシベリアンハスキーを連れたオッサンと出会う。この夏から挨拶するようになった。オッサンは65歳くらいかもしれないが、メガネに口髭で、小生にそっくり。トロツキー顔。文筆業みたいだ。

小料理屋へ2人で行けばママさんから「どちらがお兄ちゃん?」と必ず聞かれるだろう。

わが街には父の実家の関川一族が多いから、このハスキーさんと小生はDNAが似ているのかもしれない。父は好き者だったから本当に兄弟かも知れない。

彼は普段は右手に(カワセミ狙いの?)一眼レフカメラを持っているのだが、夏には団扇を持ち、犬を煽いでいる。まあ微笑ましいけれど、ちょっと風変わりで、この辺も奇妙奇天烈を好む小生と似ている。

英国生まれのフリージャーナリスト、コリン・ジョイス氏は小生と思考回路が似ている。ほとんど泣いている。「スコットランド投票の残したもの」(NW10/6)から。

<スコットランドの住民投票は、パンドラの箱のようなものだった。ひとたび浮上した問題は決して元に戻して蓋をすることはできない。

新しいスコットランドの権限拡大を「本末転倒」というイングランド人の声も聞いた。たかだか200万人程度のスコットランド人有権者が独立を考えたことで、人口6000万人の国から大きな譲歩を引き出したのだ。

イングランド人の怒りは、今後ナショナリズムの高まりにつながるかもしれない>

200万人のアカが連合王国を毀損し、悲しみと怒りと不信が広がり、それは当分あるいは末永く消えないだろう。アカ=リベラルに寛容過ぎたのだ。

日本では善人のふりや知性を装った朝日・岩波・NHK・共同的アカを放置したから日本人の名誉が毀損された。

アル中は「一度アル中、一生アル中」で、断酒するしか治療法はない。アカも「一度アカ中、一生アカ中」で、「アカ絶対ダメ!」という思想を広めて予防しなければならない。スイスは国を挙げてアカを警戒している。日本でもアカ防止月間、国際アカ防止運動なんていいだろう。

アカの総本山、中共殲滅は欠かせない。元を断たなければダメ、ということ。香港頑張れ! 日米はこっそり資金と知恵・戦略を授けよ、デモ隊と香港政府の両方に。さすれば香港全体が反北京になり、11月のAPECは習近平非難の場となるだろう。香港は国連統治にしたほうがいい。

英国よ、come back! 君がいた方がアジアは安定する。中共殲滅にも有効だ。分家の豪州も喜ぶ。フォークランド紛争でアルゼンチン海軍を沈黙させた核ミサイル付きの原潜を貸してくれ。200万人のアカがいるスコットランドより日本に置いた方が役立つのではないか。

■10月8日(水)。朝は室温22度、高原のような涼しさ、強い日射し、フル散歩。

日本はモノヅクリ大国だ、などと言い、重厚長大から軽薄短小まで製造業が頑張っている。以前米国の製造業について調べてみたが、ろくなデータがなくて記事にできなかったが、ルトワック氏の「自滅する中国」にこうあった。

<アメリカ財務省には、アメリカの製造業界の状況についての専門知識を持っている人はいなかったし、組織としての責任も持っておらず、知的関心さえ持っていなかった。

財務省は製造業全体、あるいはその特定の部門を振興するような産業政策をとるどころか、無関心であった。

特にひどかったのは、主に中国からの安価な輸入品の無制限な流入によって、すべての製造業が急速に凋落、あるいは完全に消滅したという点である。

この点についての財務相の通常のスタンスは「失われた雇用は明らかに競争力がなく低賃金のものであり、どちらにせよアメリカに置いておく価値はない」というものであった>

小生、多分日本人の多くから見ると、「米国は何やってんだ」と思う。日本だったら「伝統の技が消えてしまう」と焦りまくって、とっくに引退した老人に頼んで若者に技術を教え込むなんていうニュースは珍しくない。宮大工や刀鍛冶、染色、陶芸、さらに旋盤、熔接などもそんな世界で、千年も受け継がれ、磨かれている技術も多いに違いない。

中国製自動車の人気はないようだが、ネジひとつをとっても日本製とは雲泥の差なのだそうで、日本製も日々改良しているから中国は永遠に日本に追い付けないという記事を読んだことがあった。

米国人はあまり厳しくは品質を問わないようで、安いし当座に間に合えばいいやと中国製にあまり抵抗感はないのかもしれない。

米国人は利益率の高い分野、金融とかハイテク、知財などに投資し、儲からない分野が衰退しても構わないという考えなのだろう。一攫千金を狙い、どんどん起業したり、チャンスがあればライバル社に移ったりする。

一方で日本人は「生活はきついですけれど天職ですから」とか「わが家は3代続いてトヨタマンです」なんてやっている。儲けるために仕事をする米国人VS儲からなくても好きな仕事をしたい日本人。日本の農業はほとんど「趣味の園芸」、家庭菜園だ。

米国の生産性は日本の1.5倍だ。生産性で日本が米国を超えることはないだろうな。

まあ小生のモットーは「真面目にコツコツいい仕事」だったから、儲かるなんてことはあまりなかった。「でも仕事は面白かったなあ、趣味みたいなもんだった、アハハハ」。日本人はそんなものではないか。清貧を重んじるようなDNAがあるから、米中が共有している富豪志向のドリームとはずいぶん違うのだろう。

今晩から5泊6日!の集団的子育て、土曜からは孫5人含めて13人全員集合。土日の神社の祭りも楽しもうというのだ。小生は炊事洗濯はOKだが、150デシベルの騒音は苦痛だ。昼間は外出するように使嗾しよう。

キッチンから皆既月食を初めから終わりまで楽しんだ。生まれて初めて、そして最後だろう。

■10月9日(木)。朝は室温21度、涼しい、まあ晴、フル散歩。

武士道、切腹、特攻、企業戦士、24時間働けますか、過労死・・・「皇国のためにはいつでも命を捧げる、戦友諸君、靖国で会おう! 妻よ子よ、会いたくなったら靖国においで」。

日本人のマインドにはそんな気分が底流にあるのだと思う。

このすこぶる奇妙な日本人、日本を小生はとても好きだなあ。2000年も王様が代々男系でつながるなんて、ほとんどあり得ない国だ。世界的に見ると、風俗習慣を含めていろいろな面で日本は変わっている奇妙奇天烈な国だけれど、結構、世界は日本に好意的だ。

極東のちっぽけな細い薩摩芋のような国が、世界最強の陸軍を擁したロシア帝国を叩いて崩壊へ導き、さらに英米蘭仏という世界最強の国と戦争してアジアから追放するなんて・・・まったく風変わりな、本当に奇妙奇天烈な国である。原爆を落とした国とトモダチだ・・・

今、日本は(小生は?)史上最大の悪事国家、中共を殲滅しようとしている。10倍の人口を持つ大国である。周辺国は静かにしていると個別撃破されるから、皆団結した。風は我が方を応援している。空調の壊れた韓国はいたずらできない。産経記者を拉致するだけ。世界中から軽蔑されている。

中共は足元に火がついて、どうにも身動きできなくなった。香港を殺さなくては中共が保たない、香港を殺せば確実に中共は世界から殺される――いずれにせよ中共はつぶれるしかない。ポチ韓国もお仕舞だ。

台湾の親中派代表の馬英九でさえ中共不信になった。一国二制度がまったくの嘘だったのだから、自由民主、普通選挙を知っている台湾人は内省人だろうが外省人だろうが中共を永遠に拒絶する。中台統一の目はなくなった。愚かにも習近平は香港から普通選挙を奪って台湾を失ったのだ。

日本が踏ん張れば中共は必ず壊滅する。日本を応援するために米国、インド、豪州は必ず参戦する。ベトナム、フィリピンなども必死に応援してくれる。ロシアは西でアップアップ、東では中立するしかない状況だ(狡知にたけたプーチンは満洲を取りに来るかもしれないが)。

アジアでは反中の追い風が吹いている。叩くのは今だ。習の外資叩きを逆手にとって部品供給を止め、シンガポールとマレーシアの協力でマラッカ海峡で中共のタンカーを阻止すれば、半年で習政権は崩れる。

さほどの混乱なく分裂を奨励して軟着陸させるという青写真をG7は当然ながら研究しているだろう。敗戦処理と残務整理は多少はまともな李克強、胡錦濤の団派にさせればいい。

小生の妄想的「中共殲滅、支那解放」の作戦は想像もしなかった速さで進んでいる。来年の国慶節、天安門広場に毛沢東の像はなく、演説するのは中国合衆国初代大統領・劉暁波かもしれない。

歴史を振り返れば政権崩壊はあっという間だ。チャウシェスクは天安門虐殺のあった1989年の12月22日に王宮から逃げ、たった3日後の25日に処刑された。習近平が処刑されるのは今年か来年か。

あと一押しだ。同志諸君、歴史に名を刻もう。地元の神社の忠魂碑に「中共殲滅事変 平成27年8月 平井修一」なんて刻まれて、さらに靖国に平成の英霊として祀られたら最高だ。まったく大村益次郎はすごいシステムを作ったものだ。

■10月10日(金)。朝は室温21度、涼しい、晴、フル散歩。体育の日。シーツ7枚を含めて膨大な洗濯物。洗濯機を3回まわす。

川口マーン惠美氏の論考「『世界一住みやすい国』日本を旅した次女の変貌」(現代ビジネス10/10)が面白かった。ドイツ生まれでドイツ的思考の次女さんは、日本の清潔さや性格の穏やかさにとても感動したという。以下一部。

<それ(日本)に比べて、ドイツでは電車も町も汚い。個人宅や会社など、プライベートの空間はかぎりなく清潔だが、公共の場がひどい。特に昨今、自治体がお金を切り詰めているため、多くは人々のモラルに託されているところがあり、それが機能しない。

長距離列車も、料金だけは新幹線並みだが、おおむね汚いというか、最近ますます汚くなった。ゴミ箱は座席ごとにあるが、皆がいろいろなものを突っ込むので、たいてい溢れているし、座席の上にゴミを置いたまま降りる人も後を絶たない。

マシなのは1等車だが、もちろん料金はさらに高くなるので、果たしてその金額を支払う価値があるかどうかを考えてしまう。

ただ、日本人である私はそう考えるが、世界にはもっと汚い国がたくさんあるため、ドイツ人が自分たちの列車を汚いと感じているとはかぎらない。どちらかというと、とてもきれいだと思っているだろう。すべては比較の問題、上には上がある。

ドイツに戻った次女からメールが送られてきた。「ママ、ドイツって最悪。人間は皆、太っていて、汚らしい恰好をしていて、不機嫌な顔つきで、攻撃的で、おまけに不親切・・・。私はこれにまた慣れなくてはいけない・・・」。

私はお腹を抱えて笑ったが、日本びいきの長女や三女ではなく、次女がこれを言ったのは、ちょっとした驚きだった。ドイツにいたときは日本に対して批判的だったドイツ人が、実際に日本を知るとファンになる事例はいままでたくさん見てきたが、次女もその一人であったようだ。

こうなると、日本のイメージの是正には、なるべくたくさんの外国人に来てもらい、生の日本を見てもらうというのが一番手っ取り早いのかもしれない>

ろくでもない奴も多いけれど・・・(2014/10/10)


2014年10月10日

◆クマラスワミ報告書に反駁

阿比留瑠比



幻の反論文書を公開すべき

慰安婦を強制連行された「性奴隷」と認定した1996年(平成8年)の「クマラスワミ報告書」について、6日の衆院予算委員会で興味深い質疑があったので紹介したい。次世代の党の山田宏幹事長が、日本政府がいったん明快な反論文書を作成しておきながら、なぜかすぐに引っ込めた経緯をただすと、岸田文雄外相はこう答弁した。

「文書に関し、詳細すぎるといくつかの国から指摘を受けて、簡潔な文書を改めて出した。(初めの)文書は、現状では取り扱いは非公開となっている」

この幻の反論文書の内容については産経新聞は今年4月1日付紙面で既報だ。簡単におさらいすると、クマラスワミ報告書に対して、具体的な事例を示して次のように反駁(はんばく)している。

「客観的資料は無視し」「事実調査に対する姿勢は甚だ不誠実」「無責任かつ予断に満ちた」「軽率のそしりを免れない」「歴史の歪曲(わいきょく)に等しい」…。

その上で国際法上、「いわゆる『従軍慰安婦』の制度を『奴隷制度』と定義することは法的観点からは極めて不適当である」と指摘し、クマラスワミ報告書は「かえって問題の真の解決の妨げとなることを深く懸念する」と結論する。

報告書は、慰安婦狩りを証言し、朝日新聞もこのほど記事を取り消した吉田清治氏の著書などに依拠しているのだから当然だろう。

今月6日の質疑で山田氏が「なかなか良く書けている。日本の立場を説明できる文書だ。ぜひ公開してほしい」と求めたほどで、今読んでも違和感はない。

ところが、現実にはこの反論文書は撤回され、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話や、元慰安婦への支援を行うアジア女性基金の取り組みを紹介した簡略版の文書に差し替えられる。クマラスワミ報告書への直接的な批判は圧縮され、抑制的なものとなった。

歴史の事実関係は一切争わず、「法的には決着済み」「もうすでに謝罪している」で片付けようという、われわれが見慣れた日本の「事なかれ外交」に落ち着いたわけである。

とはいえ不思議なのは、当初は日本側も「日本政府として法的に反論すべきことはしていく」(当時の橋本龍太郎首相)などと強気だったのに、その後は反論文書自体をなかったことにしていることだ。

そもそも、一度は関係各国に配布された公の文書だったはずの反論文書が、現在では日本国民にも「非公開」とされている理由がさっぱり分からない。

当時、反論文書に対して中国や韓国、北朝鮮などの国や日本の人権派弁護士やNGO(非政府組織)が反発したことは分かっている。ただ、それと政府の方針転換が直接結びついているのかは藪の中だ。

反論文書が取り下げられた経緯について、現在の外務省幹部はこういう。

「われわれが調べても分からない。だが、きちんと間違いを指摘したもとの反論文書と簡略版はまるで別のシロモノだ。いつか反論文書は公開すべきだ」

反論文書を公開すれば、安倍晋三政権が歴史を修正しようとしているのではなく、日本政府は平成8年当時から、慰安婦問題の事実関係についてこう認識していたのだと内外に示すことができる。無意味な非公開指定はさっさと解くべきである。(政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2014・10・9

◆雨傘革命突発で台湾との交渉を回避?

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

<平成26年(2014)10月9日(木曜日)通巻第4357号 >  
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 〜台湾の馬英九総統、11月「北京・APEC」への出席見送り
  習近平政権、香港の「雨傘革命」突発で台湾との交渉を避けた?〜

台湾の馬英九総統は11月に北京で開催されるAPECへの出席を見送ると発表した。かわりに粛萬長・前副総統を北京へ派遣する。

まずは香港民主派への強硬な態度を崩さない北京政府の姿勢と同調するかのような印象を台湾国民が抱くことになり、タイミングからみて不利と計算したからだろう。

北京は北京で、この機会に台湾のほうに世界のジャーナリズムが民主的なイメージが付与しかねないので、政治宣伝上、馬総統を呼ぶことは不利と判断したのだ。

ついで台湾は、11月29日に行われる地方総選挙、とくに6大市長選挙を控え、三月の「貿易サービル協定」が、学生運動「ひまわり学連」の反対によってなされ、国会が占拠されるという異常事態に発展、国民党の支持基盤にも動揺が広がっていた。前後して台湾では反中国デモが行われた。

台湾の世論意識調査では「わたしは中国人」と答える台湾人は少数派で、大多数は「わたしは台湾人」と言う。

このため自国の学生運動と対立し、世論の反発をまねいた馬英九総統は、一転して「香港の学生運動は支持する」と発表し、その矛盾を露呈した。それというのも民主選挙実現を要求する香港に連帯を表明することで、自国の選挙を有利にしようとする政治的な意図が見え透いている。

香港の学生が要求しているのは独立ではなく「普通の国」が行っているような民主選挙の実現であり、その運動の盛り上がりにつれて梁震英・行政長官の辞任を求めるようになった。

すこし歴史を遡及すると1997年の香港返還以来、猜疑心で北京のやり方をみてきた香港人だったが、北京の言う「一国両制度」と、そのソフトな施策を目撃しつつ、胡錦涛路線の推進した「和諧社会」という表面的な政策に理解を示すようになり10年後の2007年、北京への信頼度が59%にもなった。

 ところが、胡錦涛政治が終わり、「中国の夢」を語る習近平の強硬路線が登場したあたりから香港人の要求する民主選挙実現への可能性は踏みにじられて状況は一変した。


 ▼「雨傘革命」の底流にながれる香港人意識の激変ぶり

 香港人の意識調査では「中国人」と答える者は僅かに31・1%(07年には55%台だった)、かたや「わたしは香港人」と答えるのが、67・3%(08年初頭の同調査では「わたしは中国人」と回答した香港人は51%と過半数を占めた)に「躍進」していたのだ(数字は香港大学の世論調査)。

さらにことし7月1日の香港返還式典にむけて、反対のデモは50万人にもふくれあがり、前後に実施された模擬選挙(民主派が「勝手連」的に選挙してみただけだが)、じつに80万人が投票した。

最大の香港人の意識の変化、あるいは中国への不信感の増大は、香港人が疎外され、中国から観光客が2000万人も訪れて、土産屋とゴールドショップは潤っても、庶民とは関係がないばかりか、大陸の富裕層の不動産投資で価格が暴騰し、とても手が出ない。

その上「太子党」が香港の国際金融センターという有利な足羽をフルに活用して不正資金の洗浄、怪しげな海外投資(実態は海外への資産逃避)を展開し、つまりは土着の香港の人々がなにほどの潤わず、はては太子党のファンド増殖という横暴な振る舞いに立腹してきたからだ。

流れは変わっていたのだ。

 それを「さざ波」程度と判定してきた習近平は、香港学生のセントラル座りこみ運動をやっぱり過小評価してきたわけで、実態はTSUNAMI(津波)となった。この点ではおっとり刀で支持に駆けつけた馬英九は、締め切り寸前に「間に合った」ことになる。
      

◆セウォル号「強硬遺族」に批判

国際アナリスト EX


…韓国社会分断、メディア は「ゆがんだ自画像だ」

韓国の国会で9月30日、90余りの法案が一気に可決された。法案成 立は5カ月ぶり。旅客船セウォル号沈没事故に関する特別法案をめぐり、 遺族や野党の一部強硬意見に引きずられ、国会が空転していた。

遺族団体 幹部による暴行事件も伝えられ、韓国世論に、遺族に対する冷ややかな見 方も広がった。発生から半年近くたった今、セウォル号事故は、韓国国民 の間に深刻な亀裂を生んでいる。

「セウォル号法交渉とは別に、法案を処理すべきだというのが多くの国民の希望だ。5カ月間、国会を封鎖し、他の91件の法案まで処理を妨げる大義名分はない」。韓国大手紙、東亜日報は9月26日の社説(電子版)でこう強調した。

セウォル号法とは、事故の真相究明に向けた特別法案を指す。事故で犠牲となった高校生らの遺族団体が、特別法で「遺族が加わる調査委員会に捜査権と起訴権を与えるべきだ」と主張。

民間人への捜査・起訴権付与は 「司法の根幹を揺るがす」と応じない政府・与党に対し、遺族側はソウル 中心部でハンガーストライキを行うなどして抗議を示し、遺族を支持する 野党が法案審議を拒否してきた。

与野党は結局、調査委に捜査権などは与えないものの、真相究明を指揮する特別検事の推薦者に遺族を加えるかは今後、議論し、10月末までに特別法案を処理することで合意し、国会空転がようやく解消された。この合意に対しても遺族団体は「遺族を排除するものだ」と強く反発している。産経ニュース【日々是世界】10・9

     

◆朝日とイスラム国と革マル派

平井 修一



「Asahi中東マガジン」というサイトを初めて知った。

<料金:月額 300円(税抜)[決済方法/クレジットカード]

日本からは遠い中東。しかし、近年、中東の社会や文化とかかわる日本人は増えています。「中東マガジン」は、長年の中東取材経験を生かして朝日新聞の川上泰徳特派員(中東アフリカ総局長)が編集人をつとめる一般向けの中東専門サイトです。研究者や留学生、NGO関係者、駐在ビジネスマン、旅行者など幅広く原稿、報告を募り、日本人にとって中東がより身近なものとなるようなサイトをめざします>


10/3には「イスラーム国訪問記(2)キリスト教への改宗強制の検証へ」という中田考氏の論考があった。不思議な世界だ。ちょっと紹介する。

・・・

2014年3月イスタンブールとシリア国境に近いガズィアンテップに所用があり、またシリアに足を伸ばすことにした。主な目的は、ISIS(イラクとシャームのイスラーム国)がシリア東北部の町アル=ラッカでキリスト教徒に対して「改宗か死か」と迫って、イスラームへの改宗を強制し、ジズヤ(人頭税)を課しているとの欧米のメディアの報道の検証だった。

そこで前回、シリアで世話になったトルコとシリアのISISの越境担当司令官のウマル・グラバーゥ師を訪ねたのだが、実はウマル師はISIS潰しのためにサウディアラビアの後押しで作られた反体制組織のイスラーム戦線に支配地を奪われ、家、農地、車など全ての財産を失い着の身着のままでトルコ側に脱出し、アンタキヤの隠れ家に潜伏中だった。

アンタキヤではシリア難民が運営する「フダー・モデル小学校」を訪ね、イスラーム系NGOダール・アズィーザの代表として日本からの寄付を渡してきた。

そうこうしているうちにウマル師の紹介でアル=ラッカに入ることになったのだが、「シャンル・ウルファの町にホテルを取れ、そうすればホテルに迎えの者を送る」との彼の言葉を信じてシャンル・ウルファに投宿したが、迎えの者など来ず、ウマル師からもらったエージェントの連絡先に電話すると「自分で国境に来い」と言われる。初めての土地でいきなり、「国境に来い」という大雑把な指示でいったいどうすればいいのか、と思った。

「ちょうどアル=ラッカに戻ろうと思っていた」と言うISISのムジャーヒディーンを自称し煙草をすぱすぱ吸っているヤンキー風の若者も便乗することになり、「運び屋」に連れられて国境越えに向かうことになった。

国境の検問から小一時間走り、日暮れ前に車を降りて、前もよく見えない叢の中を「運び屋」たち4人で国境に向かう。トルコの国境警備隊が追いかけてきた。威嚇射撃で発砲されても気にせず後も振り向かずひたすら国境を目指し、泥水をはった堀を渡り、傷だらけになりながら鉄条網をくぐり抜けると、国境警備隊は諦めて帰っていった・・・>


中田氏のプロフィールも載っていた。

<同志社大学高等研究教育機構客員教授、株式会社カリフメディアミクス代表取締役社長。1960年岡山県生まれ。東京大学文学部卒業、同大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学大学院文学部哲学科博士課程修了(博士号取得)。在サウディアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授などを歴任。

専攻はイスラーム学。ムスリム名はハサン。主著に『イスラームのロジック』(2001年)『ビンラディンの論理』(2001年)『イスラーム法の存立構造』(2003年)『一神教と国家 イスラーム、キリスト教 ユダヤ教』(共著、2014年)『日亜対訳クルアーン』(翻訳・監修、2014年)>

イスラム教徒だ。革マル派に煽られてイスラム国を目指したと思われる北大生にとって、現地事情に詳しい中田氏は頼もしい先達だったに違いない。朝日がイスラム国応援団に紙面を提供、多分原稿料も払っているのは、「敵=安倍政権の敵は味方」だからだろう。朝日は今日もこりずに反日運動。(2014/10/9)