平井 修一
■9月2日(火)。朝は室温23.5度、雨はすっかり上がって快晴、涼しい。虫がずいぶん多いが、暑くて雨が多かったからなのか。韓国ではイナゴが大量発生したという。
犬は屋上で15分ほど運動させたが、結構楽しげだった。逝く犬、来る人。もうすぐ5人目の孫が生まれる。
カミサンは子供が結婚すると100万円、マイホームを買うと原則200万円サポートしてきたが、孫が大学などへ進む際は1人当たり400万円は支援したいなあと小生は思っている。
孫5人で2000万円。寿命のあるだろう10年で作れるのか。
小生の月収(額面)はREITで32.4万+年金5万弱=37万円。可処分所得は30万円くらいだろう。10年で孫の教育基金2000万を作るには月間17万円積立てなければならないか
ら、生活費は13万円だ。カミサンは来年リタイアするが、その後は年金が10万円くらいだろうから、夫婦二人で月間20万円前後で生活できるものかどうか。
カミサンは「孫の教育資金なんて、そこまで私は支援する気はないわ」と言うが、平井家を存続させるためには、しっかり子孫を導き支えなくてはならないと、後継ぎの小生は思う。カミサンは嫁だからそこまでは思わないのかもしれない。
資金を確かなものにするためには、何か新しいビジネスに取り組む必要があるかもしれないが、それには借金が3000万くらい必要で、教育基金2000万を作るために3000万の借金というのは理に叶わない。リスキーだ。
どうしたらうまくいくか、じっくり考えていけば、そのうちいい知恵が浮かぶだろう。
「じっくり考えて」いるとタイミングを失う場合があり、拙速でも速攻が必要な時がある。中島厚志 ・経済産業研究所理事長の論考「企業は業績回復をもっと賃金に還元せよ 分岐点に差し掛かる日本経済」(ウェッジ2014/8/22)は説得力があった。以下ポイントを紹介。
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4月の消費税率引き上げ後、雇用の力強い改善などもあり、景気の落ち込みは少ないと見られてきた。しかし、4-6月期GDP成長率の大きな落ち込みに加えて、直近の消費動向は弱めで推移しており、不透明な動きとなっている。
ここで、気になるのが企業の対応である。業績は回復しているものの、その業績を雇用・賃金に還元する動きは相対的に鈍い。
このままでは、企業のあまりに慎重な動きが景気鈍化を強めかねず、日本経済活性化に向けたアベノミクスも十分な成果を挙げられなくなる。日本経済とアベノミクスが好ましい方向で切り抜けられるかどうかは、いままで以上に企業の対応に掛かっている。
従来同じ方向の動きとなってきた可処分所得と消費支出は、リーマンショック以降逆方向に動いている。消費は底堅いのに可処分所得は減少する展開が続いており、これでは早晩消費は息切れしてしまう。
企業の収益環境が厳しい状況では、賃金が増えないことは理解できる。しかし現状では、従業員当たり経常利益額は大企業・中堅企業で過去最高水準にあり、中小企業でも80年代後半のバブル期ピークに次ぐ水準となっている(財務省法人企業統計調査)。
現在は、景気刺激を果たした積極的な財政金融政策に代わって、業績が回復した企業が賃金を上げて、消費と経済を支える局面にある。そして、この企業の賃上げがさらなる緩やかな消費拡大とインフレをもたらして、日本経済をデフレと低成長の悪循環から抜け出させて好循環経済に導くことにもなる。
さいわい、円安や大胆な金融緩和策の継続などがあり、賃金は緩やかに上昇し始めているが、その動きは本来あるべき姿より鈍いと言わざるをえない。それは、景気動向に対して企業行動が出遅れている可能性が強いということであり、企業行動があまりに慎重になっている可能性が強いということでもある。
日本経済は今大きな分岐点に差し掛かりつつある。それは、業績が回復した企業が一層のビジネス拡大に踏み出すかどうかの分岐点でもあり、今は踏み出す時期でもある。
企業が一層の投資拡大と雇用・賃金増を図るのか、それともふたたび利益の内部留保拡大を通じて縮み志向を強めることになるのか、企業行動の次の一手が日本経済とアベノミクスの方向を決めることになる。(以上)
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小生がわずかながら(3000円)出資しているウィキによると、企業の利益剰余金(狭義の内部留保)も増加傾向にあり、2012年には過去最高の304兆円を記録したという。GDPは500兆円だから、それと比較しても企業は莫大な資金を持っていることになる。
先行き不透明だから、この金は設備投資などには向かわず、多くが眠っているのだろう。それならば今こそ賃金上昇に充てて個人消費を一気に増やすべきではないのか。安倍首相や経済団体が大いにそれを煽るべきではないのか。素人ながらそう思う。
図書館で「軍事学入門」「日本の国防」を借り、帰路にワイン3本買う。長女と3歳坊主来、4人でうずら豆入りトマトパスタ、サラダ、鶏の梅ソース焼きなど。
■9月3日(水)。朝は室温24.5度、晴、ちと暑い。
水間政憲氏の論考「発掘!朝日新聞の韓国売春宿突撃ルポ」(サピオ9月号)を要約する。
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昭和15年(1940)9/11の朝日新聞朝鮮版にこうある。
<平壌では日韓合併後、妓生(キーセン)組合を組織し、養成所をその経営下に置いた。これが有名な妓生学校である。営業中の妓生は約600名、生徒は約250名>
妓生は4階級あり、「一牌」は歌舞主業の最上級で、その下の3階級は売笑婦だった。生徒の多くが、その後、戦場慰安婦となっていった。
アサヒグラフの昭和9年(1934)9/19号によると、妓生の料金は最初の1時間が1円50銭、次から1円20銭。当時の陸軍の月給は、二等兵7円50銭、軍曹30円、大将300円。遊郭街の娼婦は1円に満たなかったというから妓生の料金は高額だった。
ビルマにおける米軍の調査(1944年10月)では、戦場慰安婦は兵士20〜30分1円50銭、下士官30〜40分3円、将校30〜40分5円と、妓生より高額だった。月平均収入は750円くらいあったことも記載されている。(以上)
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当時、巡査の初任給は45円だから1円は今の5000円あたりか。そうすると慰安婦の月収は375万円にもなる。正確には「売上」かもしれない。ここから借金返済、生活費の支出があるだろうけれど、二等兵の何十倍もの収入があったことは確かだろう。
サイト「ねずさんのひとりごと」に、「なでしこアクションに掲載されたものです。実話です。12歳から終戦の昭和20(1945)年まで、朝鮮の首都京城府にお住まいだった女性の体験記です」と以下の記事を紹介している。
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当時、朝鮮人娼婦は朝鮮にはごく普通に居ました。何故か「朝鮮ピー」と呼ばれていました。業者も「ピー屋」です。
長崎でも上海でも古老の話では「ピー」「ピー屋」の表現が今も聞かれるそうです。
「P」は英語「Prostitute」(娼婦)の頭文字説と、もうひとつ、性器そのものを指す中国語の蔑称説があります。
京城では日本人が組合を組織する公娼中心の「遊廓」内では、16歳以下の女子を使うと「打ち壊し」の刑で、実際に壊されたケースもあったと聞いています。
遊廓には病院や組合事務所もあり、定期的巡視もありました。しかし男たちの華やかな楽しい遊興街でもあったのです。
日本人遊廓の傍には、朝鮮人の組合組織ができて居て、それ以外に私娼窟があちこちに無数にありました。ピーさん、ピー屋(業者)は、ごく普通に居たのです。
戦争が激しくなって軍隊が大陸や南シナ海に移動していくと、ピー屋がピーさん達を纏めて「渡航証」を持って移動し、半島最北の大河の鴨緑江を渡リ大陸づたいに相当奥地に迄移動しています。
この河を渡ると先は満洲、つまり異国ですからパスポート「渡航証」が要る。
そこで朝鮮人と解ると満洲族に苛められる。そこで日本人名に改名して「娼婦部隊」と名乗り、かなり奥地に移動して行ったという話も聞きました。
「おとうさんが病気で、オモニが私を売ったよ」といった悲惨な身売りですが、人数では日本人の方が遥かに多数でした。
上海事変に参戦した者が親戚に居ますが、その手記に「日本髪の女給さん」が居たので懐かしく声を掛けたら「朝鮮人だった」とあり(発音で解る)、「どうして日本髪を?」と聞いたら「そのほうがオカネニナルヨ」と言ったと書いています。
2年間稼いで、帰国する時は「従軍看護婦」で働いていたという顔をして帰ったのだと証言しているコリアン女性は何人も居ました。
朝鮮戦争に従軍記者として米軍のIDカードで渡鮮した東京新聞外報部記者だった笠井真男さんからも、のち私が同社勤務だった関係で、渡鮮のその時の話を聞いています。
韓国人から「わぉ日本人がきた」と大歓迎され、民家に招待されマッコリで盛り上がった話を聞いています。
こんな問題が起きる以前、草の根の私達も日韓友好で同窓会を日韓でやったり、日本に招いたり、ピアノやパソコンを贈ったり、友好に努めたものです。それだのに今になって強制連行とは悲しい限りです。(以上)
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韓国は朝日の嘘に騙されてバカげた妄想を拡大させ、大事な友を失ったのだ。
犬は今日も屋上散歩。1階の窓格子に絡みついた蔦を除いてから、神社に出かけて忠魂碑に献花。嘘つき新聞、朝日撲滅も祈ってきた。
■9月4日(木)。朝は室温24.5度、晴、ちと暑い。1/3散歩。週刊新潮と週刊文春が産経にいつもの倍の広告を載せている。朝日を叩きまくる内容だ。見出しだけでも面白い。
門田隆将氏の論考「日本を貶める朝日新聞は生き残れない」8/31から。
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しかし(原発から作業員が逃げたという朝日の報道により)、一度失われた名誉を回復するのは、難しい。世界中に流布された「現場の人間は逃げた」という内容は、なかなか払拭されないだろう。
それは従軍慰安婦報道と同じだ。日韓関係を徹底的に破壊し、世界のあちこちに従軍慰安婦像が建つような事態をもたらした朝日新聞の従軍慰安婦報道と同じく、失われた日本人の信用は、容易に回復されないだろう、と思う。
今週、朝日に広告掲載を拒否された『週刊文春』の記事の中に国際ジャーナリストの古森義久氏が、こうコメントしていた。
「彼ら(朝日新聞)は日本という国家が嫌いなんですよ。日本は弱ければ弱いほどいい、という中国共産党と同じ発想。自らが信じる政治的なイデオロギーに合ったものしか選ばないから、結果的に間違えてしまう。それが朝日の体質なんでしょう」
また、『週刊現代』には、元朝日新聞記者の本郷美則氏の、
「朝日、特に社会部系は左傾した偏向報道を続けてきたが、それももう限界だろう。ニューメディアの普及により情報伝播は民主化され、旧メディアが民衆を操作する時代は終わったのだ」
という意見も紹介されていた。
私も両氏と同意見である。私は反原発でも、原発推進の立場でも、どちらでもない。なぜなら、両方の意見に「一理がある」からだ。しかし、反原発という強固な主張を持つ朝日新聞が、その“イデオロギー”に基づいて、事実を捻じ曲げてまで「吉田調書」を偏向報道したことは、朝日にとって致命的だと私は思う。
それは、慰安婦報道と同じく、意図的に「日本を貶める」ことを前提としていることが国民の前に明らかになるからだ。私は、もはや朝日新聞が日本で「生き残る」ことは無理だと思う。それが、私が「朝日新聞の終わりの始まり」と思う所以である。(以上)
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昨日図書館で「かわさき市民アカデミー特別講座『集団的自衛権』」というチラシを入手した。副題は「何が起こったのか、何が起こるのか」だ。主催はNPO法人かわさき市民アカデミーと公益財団法人・川崎市生涯学習財団。いかにも胡散臭い感じだが、以下の3人が講演する。
長谷部恭男・早稲田大学教授、遠藤誠治・成蹊大学教授、柴田鉄治・ジャーナリスト。
長谷部の活動歴には朝日新聞社の「報道と人権委員会委員」とあり、岩波からも4冊、憲法関係の本を出している。遠藤は自虐史観の日本平和学会会長で、朝日や岩波から本を出している。
柴田は朝日の記者だった人。彼は「マガジン9条」というブログに「とにかく、こうした激しいバッシングを受けて、朝日新聞の今後の報道が委縮することのないようにと祈るばかりだ」と書いている。
つまり3人全員がアカのオーエ真理教ということ。こういう偏向したセミナーに小生の税金が使われているのは到底容認できないから川崎市に抗議のメールを送っておいた。
安倍氏は自民党の幹事長に谷垣禎一、総務会長に二階俊博を選択した。この二人はともに親中、媚中であり、習近平への「仲良くやろうぜ」というメッセージなのだろう。赤匪暴力団・習一家とは政冷経冷、政冷経温/穏でいいと思うが、抗日、反日を叫び続けないと独裁を保てない中共に握手の手を差し出すのはいかがなものか、と疑問に思う。
安倍氏はAPECで習と会談する必要はまったくないし、毒を盛られるから代理を出したほうがいいのではないか。
週刊文春により朝日社長の木村が社員向けに綴ったメールの内容が明らかになった。
<長年にわたる朝日新聞ファンの読者や企業、官僚、メディア各社のトップ、ASA幹部の皆さんなど多くの方から「今回の(慰安婦検証)記事は朝日新聞への信頼をさらに高めた」「理不尽な圧力に絶対に負けるな。とことん応援します」といった激励をいただいています。
「慰安婦問題を世界に広げた諸悪の根源は朝日新聞」といった誤った情報をまき散らし、反朝日キャンペーンを繰り広げる勢力に断じて屈するわけにはいきません。
(「吉田調書」報道は)朝日新聞が書かなければ永久に世の中に知られることがなかったかもしれない衝撃の事実の連打で、これぞ価値ある第一級のスクープ>
恥知らずな朝日に鉄槌を!(2014/9/4)