2014年09月02日

◆潰すべきは「河野談話」

櫻井よしこ 


米国サンフランシスコの中華街に新たな慰安婦像を設立する準備が進行中だ。中国系団体「世界抗日戦争史実維護連合会」による初の像設立は米国での対日歴史戦で中国が前面に躍り出たことを意味する。

8月29日、国連人種差別撤廃委員会が最終見解を発表、元慰安婦と家族に謝罪と十分な補償、日本の責任者の法的責任追及を求めた。これからも私たちは中韓のいやな動きに直面するだろう。

「朝日新聞」の慰安婦強制連行という世紀の大嘘が判明しても、国際社会の対日認識はすでに異次元に飛び、不気味な進化を続ける。その元凶は、一にも二にも河野談話にある。河野談話の取り消しなくしてぬれぎぬは晴らせない。潰すべき本丸は河野談話なのである。

談話取り消しに躊躇(ちゅうちょ)する人々は以下のような実態に耐えられるのか。1996(平成8)年、国連人権委員会のクマラスワミ報告は河野談話を引用し慰安婦問題を「日本軍の性奴隷制度」と断じ、吉田清治証言も引用して国際社会を対日憤怒に駆り立てた。

同報告書にはこんな記述がある。「連行された村の少女たちは非常に若く、大半が14歳から18歳だった」「1日60人から70 人の相手をさせた」、朝鮮人の少女が抗議すると「中隊長ヤマモト」が命令し「彼女を裸にし手足を縛り、釘(くぎ)の突き出た板の上で、釘が彼女の血や肉片で覆われるまで転がし、最後に彼女の首を切り落とした」。これは元慰安婦チョン・オクスン氏の証言だが、彼女はもう一人の「ヤマモト」もこう言ったと主張する。

河野談話をよりどころとして国際社会の認識が極限まで悪化

「お前ら全員を殺すのは、犬を殺すより簡単だ」「朝鮮人女が泣いているのは食べていないからだ。この人間の肉を煮て食わせてやれ」

性病の拡散防止のため「殺菌消毒」として「少女の局部に熱した鉄の棒を突っ込んだ」「少女の半数以上が殺害された」とも語っている。

こんな証言は日本人は誰も信じない。古来、日本人はどんな罪人にもこれほど野蛮な責め苦を与えたことはない。しかし、これは同報告の一部にすぎず、同報告は英語で展開される世界の対日非難の序章にすぎない。

同報告から2年後、国連人権委員会のマクドゥーガル氏の「現代的形態の奴隷制」最終報告書が出された。A4で18ページの報告は慰安所を「レイプ・センター」と定義、「奴隷にされた女性たちの多くは11歳から20歳」「多くは子供だった」「毎日強制的にレイプ」「厳しい肉体的虐待」「生き延びた女性はわずか25%」と明記し、「日本軍の行為」を「人道に対する罪」だと断じている。

同報告は日本の責任者を訴追すべきで国連人権高等弁務官が乗り出し、他国も協力し、訴追の立法化を進めよと勧告しているのである。

マクドゥーガル報告書も河野談話を重視する。談話で日本政府は慰安所設立に深く関与したと認めているにもかかわらず、日本政府は責任を否定し続けていると、告発しているのだ。朝日が強力に支えた河野談話を確固たるよりどころとして、国際社会の認識が極限まで悪化しているのである。

河野談話取り消さない限り永久に責められ続ける

だからこそ中国も韓国も、決して日本の河野談話否定を許さない。両国はアメリカを舞台にした対日歴史戦で手を組み陰謀を深化、かつ加速させた。彼らは成功し、2007(平成19 )年には米下院が河野談話を引用して対日非難決議を採択した。オランダ、カナダ、EUなども続いた。中韓両国の高笑いが聞こえるではないか。その高笑いに対して日本は闘わないのか。

今年8月中旬にも、ワシントンで保守系シンクタンク主催の2つのシンポジウムが開かれ、韓国の元政府要人や現役の駐米大使が基調演説で激しく日本を批判した。

一方、日本政府を代表する人物は駐米日本大使を含めて誰ひとり出席しなかった。恐るべき日本外交の怠慢の中で、日本政府の河野談話検証が日韓関係の阻害要因だとして非難されたのだ。

主催者の保守的シンクタンク、ヘリテージ財団の上級研究員でさえ、「日本軍による女性の強制連行は事実」と主張し、韓国の主張に足並みをそろえるありさまだ。

河野談話という日本政府の正式談話を取り消さない限り、「日本政府が認めている」として、逆に日本は永久に責められ続けるのがオチである。それでも我慢せよと言うのか。

中韓両国の汚い捏造に、熱い心と王道で闘え

今、私たちは、日本の不名誉を晴らすための情報発信に幾周回もの遅れを承知で本腰を入れなければならない。10年20年単位の時間をかけ、国家の重大責務として歴史の事実を広め、究極的に河野談話を粉々に打ち砕くのだ。

その大仕事を、長年結果を出すどころか最悪の事態を招いた外務省に任せるわけにはいかない。短期決戦では決して達成できない仕事だからこそ、有為の人材を集め、外務省とは別個に恒久的な情報発信組織を打ち立てることが重要だ。

その組織の喫緊の課題は事実を世界に拡散徹底することで、歴史戦争に正統的勝利をおさめることとし、中韓両国の汚い捏造(ねつぞう)に、熱い心と王道で闘うのだ。

日本を不必要に飾る必要はない。国際社会が事実関係を通して公正な目で日本を見ることを可能にする情報発信に努めるのだ。朝日批判で満足することなく、河野談話取り消しを目指してまた、一歩踏み出す時なのである。

日本の示す事実に国際社会は激情にかられた反発をするかもしれない。けれど、事実程強いものはない。冷静に着実に、事実を広げていくことに徹したい。

産経ニュース【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】2014.9.1


◆私の「身辺雑記」(139)

平井 修一



■8月30日(土)。朝は室温23.5度、中雨、ちょっと寒い。犬は今日も元気がない。27日には時速5キロで快調、快足、階段もピョンピョン昇ったのに、もう散歩は無理かもしれない。15センチほどの段差もきつそうだ。

朝食後、様子を見ていたら本人は行く気で、それならばと出掛けたものの昨日以上に腰がふらつき、とても覚束ないので1/3コースで帰ってきた。老化は一気に釣瓶落としのように進むのか。

嘘つき朝日も釣瓶落としで凋落するだろう。朝日の虚偽報道は日本、日本人に対するヘイトスピーチそのものだ。新聞協会や記者クラブから追放すべきだ。

新聞協会の倫理綱領にはこうある。

 ・表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。

 ・新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。

これは新聞協会の憲法みたいなものであり、「この定款その他の規則に違反したとき」「この法人(新聞協会)の名誉を傷つけ、または目的に反する行為をしたとき」は除名できるとある。

朝日が嘘八百の報道を32年間も繰り返したことは新聞協会の名誉を著しく傷つけたことになる。一罰百戒、断固除名すべし。

朝日および関連企業の出版物は買わない、読まない、読ませない、朝日系テレビ・ラヂオ・ネットは視ない、聴かない、触らない。さらに取材に応じない、広告を出さない、朝日出身者・関係者は採用しない、交際しない、図書館・書店から撤去することもぜひ進めてほしい。

広告するスポンサー企業にも不買運動で圧力をかけるべきだ。大株主の村山美知子、上野尚一、公益財団法人香雪美術館、凸版印刷にも朝日の廃業を促すべきだ。

28日から朝日殲滅戦に“巨人”読売ナベツネが参戦した。[検証 朝日「慰安婦」報道](1)虚構の「強制連行」拡散、昨日は(2)記事と証言に食い違い、今日は(3)「軍関与」首相(宮沢)の訪韓を意識。

消息筋によると読売記者たちは「返り血を浴びる覚悟で朝日を糾弾する」と意気込んでいるそうだ。シリーズが終わったら単行本にする計画もあるとか。副題は「読朝戦争血風録」とか「朝日始末記」あたりがいい。

覇者はNO.2を許さないものだが、信仰に揺らぎだした朝日読者は草刈り場であり、読売にとって1000万部復活のまたとないチャンスだ。他紙を叩かないなどと紳士的態度でエーカッコシーしている場合じゃない。朝日潰しで全力投球すべきだ。

朝日読者は産経を読むとしばらくは消化不良で下痢を起こすから、まあ穏健というか軟弱な読売を選ぶ可能性は高い(分厚いしチラシも多いからご夫人も反対しないだろう)。小生自身も朝日・朝日ジャーナル→読売・文藝春秋→産経・正論・諸君・WILLだった。除染・再生に10年かかったが、朝日読者も頑張れば極右になれる。

朝日の750万部のうち400万部は読売へ、残りは分散するだろうが、産経も50万部増は行けるのではないか。試読・購読キャンペーンで攻勢を強めるべきだ。溺れる犬をさらに打て!

そういえば新聞の定価販売を合法化した再販売価格維持制度は、戦後の新聞の価格競争(値引き)で読売が他社を圧倒し、危機感を覚えた他社が政府にお願いしてできたものだと記憶している。

この武勇伝と資金力を持つ“巨人”が拡販組織を総動員して朝日読者を値引きとビール券、洗剤などの拡材で折伏すれば必ず読売は勝つ、朝日は沈む。

ナベツネ、最後のご奉公だ、老いの一徹、頑張ってくれ。(小生のようにジャイアンツが嫌いな人もいるから気をつけてね、YGマーク入りのタオルなんか配るなよ)

N母子来、泊。夕食は秋刀魚塩焼き。1匹100円だと思っていたら中サイズで238円。ご祝儀価格。そのうち下がるだろう。3匹買った。まだ脂の乗りが悪いが・・・まあ読売もそのうち面舵いっぱいにはなるだろう。

■8月31日(日)。朝は室温24度、曇、涼しい。犬の体調を見て散歩は控えた。

集団的自衛権で「これはいい」「これはダメ」と恐ろしく分かりづらい神学論争をしていたが、現場の将兵に六法全書を持たせるつもりか。歴史に学べ。マキャベリ語録から。

               ・・・

リヴィウスの「ローマ史」を読んで、そこから何らかの教訓を得ようと思うならば、ローマの市民と元老院のとったすべての行動をじっくり検討する必要があるだろう。その中でも特に次のことは重要だ。

それは、軍隊を率いる執政官や司令官たちに、どの程度の権限を与えて送り出したか、ということである。

答えははっきりしている。古代ローマ人はこの人々を、絶大な権限を与えて送り出したのであった。

元老院は、新たな戦争を始めるときと、和平を講ずる場合の決定権しかもっていなかった。その他のことはすべて現場の指揮官たちの意志と判断に任されていたのである。元老院の深い思慮の結果であったと言えよう。

もしも元老院が指揮官たちに対し、元老院の決めたように何もかも行うように求めれば、指揮官たちは全力を投入することなどしなくなってしまう。なぜなら、たとえ輝かしい戦果をあげても、作戦の指示を与えるのが元老院である以上、指揮官個人の栄誉にはならなくなるからだ。

この他に、元老院は、自分たちの熟知しない事柄に対しても指示を与えるという、危険も犯さねばならない。

もちろん元老院議員の中には戦争経験豊かな人物は多かった。だが、現場にいないことと、それゆえ作戦実施に際して必要な種々の小さな、しかし生きた情報に接しられない立場にあっては、危険はやはり免れない。

それゆえに、古代ローマでは、軍を率いる指揮官は自らの考えるままに行動し、勝利の栄誉も、彼個人のものであるようにしたのであった。

これと反対の例はベネツィアやフィレンツェでのやり方である。この二つの共和国の指揮官は、大砲を置く位置からなにから、いちいち本国政府に指示を仰がねばならない。戦争開始後を除けば、何もかもがこの式で、官僚主義一色に染まっているのが現状だ。

つまり、個人の栄誉はなく、栄誉は全員のものであるべきという立派な理由によるのだが、実際にはこれが現在の惨状の原因になったのであった。(以上)

              ・・・

ド素人の馬鹿な総理がF1現場で命懸けの戦争をしている吉田所長にあれこれ言って足を引っ張った。「危険除去のために頑張ってくれ」と大枠だけを言って、あとはプロに任せればいいのに、菅は栄誉が欲しかったのだ。

中共が戦端を開いたら「危険除去のために頑張ってくれ」「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」と総理は檄を飛ばし、戦争のプロに任せればよい。六法全書を持たせるという、自ら手足を縛るような規則は作るな。

自衛隊員は緊急避難として「超法規」で対応するしかない。敵を殺さなければ国民、仲間、自分が殺されるという場面で、正当防衛は自然権でもあるから、法律よりも上の概念だ。下らない規則に縛られず中共軍を再起できないまでに撃滅してくれるだろう。

シルバー特攻隊に応募したいというヂイヂは多いはずだ。必要なら声をかけてくれ。

夕食は冷凍の王将餃子、焼売、手作りのジャーマンポテト。4人で完食。冷凍餃子は味の素も美味いが、素材は中国産が多い。王将餃子は素材はすべて国産。王将が勝つだろう。ジャーマンポテトはマヨ&醤油の味付けだが大好評だった。

■9月1日(月)。朝は室温23.5度、曇、涼しい、微雨。犬の体調を見て散歩は小生だけ。ちょっと淋しい。一人散歩の日々になるのだろう。終戦の日に忠魂碑に供えた花はまだ咲いているが、毎月15日には献花するつもりだけれど、月末もやるかどうか思案している。

歯科衛生士のNが姉さんと相談してカミサンにフィリップスの超音波電動歯ブラシをプレゼントしたのは7月。どうせ1週間で飽きるだろうと見ていたら1か月もやっている。

「おい、俺にもやらせろよ」ということで交換ブラシの1本をもらって小生もやってみたが、1か月で歯茎は子供のようにピンク(Nもびっくり)、歯石は舌先でまったく感じないほど、パイプ煙草のヤニも落ちてきた(ザクトで下洗いをしているけれど)。

今年から薬(降圧剤、抗うつ剤)は止めた、焼酎も止めた、基本的に赤ワインだけ。カミサンが「アンタの髪、ゴワゴワしてきたね、昔みたい」と言う。先日、シャワーを浴びながら数か月ぶりに股間を見たら、胡麻塩だった陰毛が真っ黒、ビックリした。若返っているのだ、あっちも。

サプリは以前からカルシウム、最近はマグネシウム、B1を服用している。とても効果がある。小生の場合は医薬、医者に頼らないでもよさそうだ(今のところ)。そういう人は多いのではないか。

若返ったのでK子の夢を見た。人気作家の篠田節子の妹で、記者仲間だった。DNAなのだろう、K子も文才があって、児童文学で何かの賞を受賞した。才色兼備でミニスカを好んでいた。

「応接室のソファーに坐って取材することって多いじゃない。相手がもう終わりにしたいなあって素振りをしたらね、思い切って足を組み替えるのよ。そうするともう15分くらいは話してくれる」「ずいぶんだなあ」「あら、女の子は皆やっているわよ」

恐ろしいことだ。記者会見の帰りに二人で六本木を歩いていた際、「今度二人で飲みに行こうよ」とチョッカイを出したら、「ウェイティングリストに載せておくわ」。うまいことを言う。

今はどうしているだろうとチェックしたらこうあった。

<香港生まれ、現在、東京と北京の2都市で生活。世界5大陸での生活経験を活かし、ライフスタイルをテーマとした編集・PR会社を主幹。ロンドン外人記者クラブ所属。

日本大学芸術学部文芸学科卒、上智大学比較文化学科、米国コーネル大学ホテル経営学科などで修学。著書に『優雅な多国籍生活』(はまの出版)、『世界でさがす、私の仕事』(講談社)など>

元気でやっていそうだ。(2014/9/1)

◆易しい単語を並べれば

前田 正晶


何故我が国では「英会話」だけ分離して考えるのだろうか。おかしなことだと思う。

私はそもそも「文法」、「単語」、「英文和訳」、「和文英訳」、「英作文」等々に区分けして教えること自体が誤りだと思っている。サッカーで言うならば足が速いだけの選手では使い物にならないし、野球ならば打てても守れないのでは余り価値がないのと同じである。

要するに「総合的な力があれば、自分の思うところを英語で言えるし、議論も激しい討論も可能になってくる」ということだ。

また、これまでに何度も指摘してことだが、個人的に指導というか教えて上げる機会を与えられた某商社の若手の精鋭に「何でそんな簡単な単語ばかり使って、そんなに難しいことがスラスラと言えるのですか」と指摘されたように、単なる単語の知識に依存するのではなく、所謂易しい単語で構成された慣用句(idiomatic expression)や「口語体」を使いこなせることが、自分の思うところを表現する重要な手段である。

易しい単語という表現は具体性に欠けるので、言うなれば「中学校の1〜2年程度の教科書に出てくる単語」と思っていれば良いだろうと思う。私は我が国の学校教育では「こういう表現が日常的に使われている」と教えられていないと経験的に感じている。

かく申す私もKT博士に「支配階層の英語」と指摘された表現が飛び交う世界にいて「こういう時にはこのように言うのか」と感じて(感心して?)覚えただけのことだ。そこに問題点があるとすれば、そういう場を与えられなければ学びようなないことか。

そこで、そのような機会から学べた(覚えることが出来た)表現の例を幾つか挙げてみよう。ここでは日本文を先に出すので、どう言えば良いかをお考え願いたい。但し、私の例文のみが唯一の正解では言うまでもないこと。

「彼は一向に食い下がって交渉しなかった」

解説)これは我が国の大手メーカーの常務さんが輸入する原料を緊急に増量を要求するために、アメリカの製造元に交渉に訪れた際の出来事だった。オウナー兼海外担当副社長はにべもなく撥ね付けた。常務さんはその一言で諦めて引き下がってしまった。

この状況を東京の上司である支配人に報告すべき表現に悩んでいた私は、通りがかった秘書に状況を説明して助けを乞うた。彼女は言った、

"You mean he did not press the point any further?" と。「それ頂き」で即座にテレックス(PC等ない時代だった)を送って解決。この何処に所謂難しい単語があるか。

「私は彼が今日は現れないと固く信じている」

解説)"every" をこう使えるとは思っていない方が多いと思う。私はアメリカの会社に転じてから初めて出会った表現だった。

"I have every reason to believe he will not show up, today." という言い方があるのだ。余談だが、"show" にも面白い点があって、ホテルなどでは予約客が来ない場合には "No show" と表現している。

「彼女はその時から我々と関わりを持つようになった」解説)この「関わり」をどう表現するかが要点だ。これには(私は慣用句だと思った) "come into the picture" というのがあって、

"She came (entered) into the picture, then." というのを学んだことがあった。これは「登場した」か「参加した」とでも良いかも知れないが、こう言えば通じるのが面白かったので、後々重宝に使えた。

「ミスター・スミスなる者が突然何処からともなく現れた」解説)これを慣用句式に言うのだが、「何処からともなく」が「青天の霹靂」に何処となく似ているのが面白かった。

"A Mr. Smith came into the picture out of the blue." なのだが、Mr.の前に "a" を付けると「〜なる者」となると聞かされたのが興味深かった。決して "Mr." が複数形を取れるという意味ではないのだそうだ。これは "out of the blue sky" が本筋だと言う人もいた。

「皆様。これは当店からのサーヴィスで無償提供です」解説)これを初めて聞いた時には、それこそ「へー」だった。

"It’s on the house, ladies and gentlemen." だったのだ。即ち、"onme" と言えば「私が勘定を持つ」になるのだ。似たような例になるかも知れないが、時としてウエイターは「お客様のどちらかの勘定ですか、それとも割り勘」と言いたくて "One check or separate checks?" と尋ねるが、これを応用して "One check, please." と言えば「私が払う」との意
思表示になる。

未だ未だいくらでも例があるが、今回はここまでとする。


2014年09月01日

◆「核」が日中開戦を抑止する(70)

平井 修一


国際コラムニスト・加藤嘉一氏の論考「 中国がシンガポールから学ぶべき内的措置 愛国主義とナショナリズムの“分離”」(ダイヤモンドオンライン8/2)から転載する。

             ・・・

「中華民族の偉大なる復興」(=中国夢)という文脈を考えてみよう。

本稿では“中華民族”という「もともと存在していないところに発明された国民」がナショナリズムの仕業であると定義する。

“復興”(rejuvenation)とは何を意味するのだろうか?“復興”というからには、「過去のある特定の時期に戻る」という意味が含まれているのだろう。では、どの時期に戻るのか?

少なくとも“中華民族”が西側列強によって植民地化(あるいは半植民地化)される前の時期(例えば、アヘン戦争あたり)まで遡らなければならない、と中共指導部が被統治者、即ち「発明された国民」に対して主権的に説き続けるのは間違いないだろう。これによって、「国民」が“非自覚的”に覚醒されるプロセスこそが、昨今における中国のナショナリズムだ
と言える。

そんなナショナリズムの根幹をなすのが(少なくとも共産党指導部が根幹に据え、高度に重視しているものが)「世紀の屈辱」(Century ofHumiliation)という産物である。

日本を含めた西側列強に攻められた屈辱の歴史こそが、共産党指導部が自ら作り上げた「国民」(=中華民族)を覚醒するために利用してきた「政治的原理」であり、我々がしばしば目撃する中国人民の“反日感情”を呼び起こすナショナリズムなのである。

日本や欧米に対するナショナリズムが行き過ぎてしまい、そんな外国に対して“弱腰”だと「国民」に認定された政府が、そんな「国民」によって批判や不満の標的と化し、政治体制が下克上的に転覆されてしまう、というのはナショナリズムを起因とした体制崩壊のシナリオであろうが、中国の歴史を振り返れば、決して現実味が無いわけではない。

私自身は中国の現状を“ナショナリズムによる統治”は臨界点に差し掛かっていると捉えている。と同時に、ナショナリズムに取って替わる何かが必要不可欠になってきている、と北京の空気を吸いながら感じている。

来年(2015年)で50歳を迎えるシンガポール共和国は国家建設という意味では一つの成功例であり、モデルケースと言えるだろう。世界中から注目され、多くの人材やマネーを呼び込んでいる。

その根幹を形成するのが“愛国主義”だと私は考える。

インフラが整っており、治安や通貨は安定していて、国民の所得や生活水準も高い。当然、シンガポールシチズンという身分は何処へいくにも便利だ。物価の上昇や格差の拡大は将来に向けた不安要素ではあるが、シンガポールシチズンにその身分を放棄させ、他国へ帰化しようという動機をもたらすまでには至っていないようだ。

制度設計を基にした国家建設が成功しているからこそ、発明された「国民」は「祖国」を愛し、同胞の存在を慈しみ、シンガポールシチズンであることを誇りに思うのだろう。

そして、世界中からシンガポールシチズンになりたいという「他国民」が続々と集まってくる。その代表格が中国人、というのが現状だ。

シンガポール政府は公用語を4つ(英語、北京語、マレー語、タミル語)設けているが、(これは)自国内で生活する民族の多様性を尊重し、狭隘かつ排外的な“ナショナリズム”を抑制し、“愛国主義”をクローズアップする、という意味で極めて重要な政策だと考える。

実は、私は少し前に訪れたスイス連邦でも同様の“仕掛け”を感じた。スイス連邦政府は公用語を同じく4つ(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)設けているが、私が交流したある地方政府の首長が語ってくれた以下のコメントが脳裏に焼き付いて離れない。

「連邦政府が公用語を4つ設けているのには理由がある。我が国は欧州連合(EU)に加盟していない。ある意味孤立している。国家建設としてそれなりに成功しているだけあって、EU諸国からは“無責任”だと揶揄され、嫌われやすい。こんな状況下で心配なのがスイス国民の間でアンチヨーロッパのナショナリズムが蔓延ることだ。

そうなれば、我が国はますます孤立してしまい、下手をすれば、ヨーロッパ全体を敵に回した形での戦争にまで発展してしまうかもしれない。だからこそ、公用語を4つ設け、スイス連邦内で暮らす多様な民族にそれぞれの言語に基づいた自治を与えている。ナショナリズムを抑制させるという目的があるのだ」

国家建設を成功させることで“愛国主義”は促しつつ、国家内部における民族の多様性を制度的に尊重することで“ナショナリズム”を抑制する。

愛国主義とナショナリズムの分離――。

これこそがシンガポール共和国とスイス連邦という2つの主権国家が共有している制度としての「内的措置」であり、国家建設の教訓である。と同時に、中共がこれから制度設計を通じて追求しなければならない一つの境地だと、私は現段階において考える。

国家として日増しに肥大化し、国際社会における影響や責任も増大する一方で、国内における政治、経済、社会レベルにおける改革は遅れている。貧富の格差、民族問題、環境汚染、社会保障、教育、医療、戸籍などの不公正性、言論弾圧、政府の腐敗、対外関係……、問題は山積みである。

そして、真の問題は、これらの問題が体制崩壊につながると懸念する「国民」たちが「祖国」を放棄し、続々と他国へと帰化している現状である。

労働者、留学生、富裕層……、移民できる人間から移民していく趨勢に歯止めがかかる兆しは一向に見られない。共産党幹部自らが妻子や資産を海外に移している現状からも、統治者、被統治者を含めて、「発明された国民」たちが、「想像の共同体」をどれだけ信用していないかが伺える。

そんな中華人民共和国が未来へ向かっていく上で、シンガポール共和国やスイス連邦の経験は示唆に富んでいる。

国家建設を成功させることで“愛国主義”は促しつつ、国家内部における民族の多様性を制度的に尊重することで“ナショナリズム”を抑制する。

その前提として制度的に機能しなければならないのが、「愛国主義とナショナリズムの分離」という内的措置であることは言うまでもない。(以上)

                ・・・

まあ、「民族的にバラバラでも、自分たちが共生する国(場)はいい所、大切にすべきだと思われるようにしないと、中共はダメになる」ということで、自浄努力を提案しているわけだ。

一見至極まっとうな論だが、中共は蛙の面。上から下まで国家(における)の幸福なんて誰も考えていない。ひたすら私欲、私利、利己なのだ。漢民族に善意、誠意を期待してはいけない。悪意と憎悪だけである。信じたら騙される。そういうリアリズムで見ればこの論は甘い。論者が善人だからだ。人間を信じているのだろう。(2014/8/28)

◆毒にも薬にもならない改造

松本 浩史


安倍首相は、毒にも薬にもならない改造をすべきでない

9月3日に行われる内閣改造では、「入閣待望組」の処遇をめぐり、「入閣させないと党に満がたまり、政権の火種になる」などと、あれこれささやかれている。

だが、知れたことだが、当選5回くらいを数えれば、ことごとく入閣できるような年功序型の内閣改造なんて、ときどきに求められる政策課題を確実に進めていく観点からしたら、かなりおかしな政治のありようである。

竹下登元首相が健在なころ、こんな言葉を口にしていたそうだ。旧経世会の事情をよく知る古株の関係者から聞いた。

「国会議員は3種類いて、1つには、大臣になれそうだけれど結局、なれずに終わる人。次に大臣にはなれる人、または何回かこなす人。3つ目は首相になれる人」

佐藤政権までは、政治力や政策能力が今ひとつとされれば、大臣に就任することなく議員生活を終える国会議員が少なからずいたという。竹下氏はこの政権で官房長官を務めており、当時の自民党に浸透していた政治状況を振り返ったのだろう。

当選回数を重ねるだけで、いつかは入閣できるシステムは田中政権以降に確立された。当選2回で政務次官、3回で党政務調査会の部会長、4回で常任委員会委員長、5回か6回で初入閣という流れだ。

佐藤政権のころと比べれば、おのずと競争意識が稀薄になり、政治力などを磨かなくても、大臣に就ける「事なかれ人事」の余地が生まれる。

安倍晋三首相は8月上旬に行われた産経新聞のインタビューで、「政策推進力をパワーアップしたい」との改造方針を明言している。とすれば、年功序列の考え方を軸にした改造を行う可能性はないとみてよいだろう。

よしんば、そんな改造をしたところで、限りがある。衆院当選5回以上、
参院当選3回以上とされる「待望組」は約60人。大臣ポストは計18しかなく、菅義偉官房長官ら主要閣僚はことごとく留任する方向なので、過ぎた期待を寄せても詮ないのである。

それでも、自民党には、旧来型の人事に待する向きが根強い。ある待望組は、改造の日程をにらみ、派閥幹部との接触を積極的に行うようになった。周辺によれば、「それまで特段、深い付き合いではなかった」という。この幹部はこう吐き捨てた。

「任命するのは首相じゃないか。改造に当たり、派閥の意向はそれほど重視されなくなっている。『大臣病』もここまで来ると見苦しい」

首相とすれば、そんな動きなど意に介さず、こうと信じた改造方針を貫いた方がどれだけいいか。さらなる景気回復を目指した「アベノミクス」の推進、人口減少社会への対応、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障の関連法整備…。課題は枚挙にいとまがない。

実際、首相に近いある幹部は「首相は、党内の『待望組』に配慮した人事ではなく、実務型を起用して実績を積み、支持率を回復させる考えだ」と話す。

この幹部の発言には、平成27年秋の党総裁選で再選し、30年までの長期政権を視野に入れた思惑があるのは明らかで、今回以降の改造をちらつかせれば、「処遇できない『待望組』の不満を抑え付けることができる」(同)といったしたたかさと背中合わせだ。

そうはいっても、気がかりなのは、「政策推進力」内閣を旗印にしても、主要閣僚の多くが留任という流れなため、改造内閣が新味のない顔ぶれとなるのは間違いなく、どれほど国民の期待を集められるか、ということである。

首相の祖父に当たる岸信介元首相の在任期間は1241日。首相は、第1次政権を含め、27年5月には肩を並べる。ただ、毒にも薬にもならない改造をして、「安倍カラー」がかすんでそうなったとしたら、首相は胸を張れまい。産経ニュース[松本浩史の政界走り書き] 2014.8.31



◆中国経済キーワード「新常態」のワナ

河崎 真澄


統計への疑念と成長鈍化

中国にも年末恒例の「流行語大賞」があれば、2014年は「新常態(ニューノーマル)」が大賞候補だろう。

中国共産党機関紙、人民日報が8月上旬、「中国経済新常態」と題した特集を4日連続で1面に掲載。高度成長から中高速成長へカジを切る習近平指導部の狙いが、金融リスクの回避や製造業の供給過剰問題への対処など、経済構造の改革にあると訴えた。

その後、連日のように「反腐敗」や「独禁法」など習指導部の政策をことごとく「新常態」を切り口に説いた記事が、経済紙や地方紙などの紙面を飾っている。記事からは、習指導部が国内総生産(GDP)成長をゆるやかに減速させながら、中国を「新常態」に移行すると内外に宣言したと読める。成長鈍化の痛みを伴ってでも、構造改革を断行したい習指導部の思惑がありそうだ。

習指導部が「新常態」を公の席で多用するようになったのは、今年下期の経済政策を討議した7月末の党中央政治局中央委員会の前後からだ。

8月上旬、避暑地の河北省北戴河で開かれた党幹部や長老らによる非公式会議で「新常態」がキーワードとして承認され、それがまず人民日報に反映されたとみられる。

物価上昇分を除く実質GDP成長率で前年比10%前後を謳歌(おうか)してきた中国。10年に名目GDPで日本を追い抜いて世界2位の経済大国の座を得たが、習指導部が誕生した12年には8%成長を13年ぶりに割り込んで7・7%に減速した。それが今年は1〜6月期が前年同期比7・4%だ。

それでも日米欧などから見れば垂涎(すいぜん)の成長率だが、中国には政府目標である7・5%成長にこだわる理由がある。

中国ではGDP成長率1%で約130万人分の新規雇用が創出されると試算されており、毎年1千万人近くの大卒者など高等教育を受けた若者の就業先を確保するボトムラインは7・5%となる。さらに習指導部は2年前、20年までに10年比で名目GDPを倍増させ、住民の所得を倍増させるとまで公言している。

いずれも格差是正や社会安定の確保が念頭にあり、おいそれと取り下げられない。

仮に景気が悪化して失業率が増大したり、所得が落ち込んだりした場合、経済格差に苦しむ一般住民の不満をどう和らげ、社会不安を抑制するか。その予防線として、「新常態」というキーワードに期待しているのではないか。

問題はしかし、「鉄道貨物輸送量など実態に即した3つの経済統計から判断して、中国の成長鈍化は推定値も大きいGDP統計数字を下回る可能性がある」(三井住友アセットマネジメントの浜崎優シニアストラテジスト)との疑念が消せないことにある。

グラフにあるように12年以降、鉄道貨物輸送量がほとんど増えない中、GDPが7%以上成長することなど可能かとの見方だ。「新常態」で理解を求めるGDP統計の鈍化以上に、実態は水面下でむしばまれている恐れがある。

浜崎氏が判断材料に使った3つの経済統計は(1)鉄道貨物輸送量(2)電力消費量(3)融資規模−だが、これは李克強首相が遼寧省党委書記だった07年に、ラント駐中米国大使(当時)に対し「GDPよりも政策判断で重視している」と語ったとされる数字だ。

内部告発サイト「ウィキリークス」が公開した米外交公電に登場する発言で、中国紙も「李克強指数」と命名。今年6月には日本の内閣府が中国経済の実像を知る手段として材料視するなど、注目され始めた。

公電には李氏が、「中国のGDPは人為的に操作された数字で信頼できない」とまで話したと記録されている。

この3つの統計数字を10年から通年で前年比で並べてみると、いずれもGDP実質成長率よりも落ち込む傾向が大きいように見える。「中国の実際のGDP成長率はせいぜい3〜4%で、発表されている統計の数字は“水増し”されている」との厳しい見方をするエコノミストも多い。

長年にわたり地方政府幹部の人事考課に、GDP成長率が大きな比重を占めてきたことと関連性があるという。福建省が8月中旬、省内34市の評価基準で地域単位のGDPをはずす決定をしたことなど各地でGDP至上主義が終焉(しゅうえん)を迎えていることも、GDP統計の不正確さを裏付ける傍証になるのかもしれない。

GDP統計で数字の“お化粧”をしつつ、流行語のように用いられる「新常態」とのレトリック(修辞)で経済実態の悪化を覆い隠そうとするワナが万が一にもあるとすれば、中国はむしろ国際社会から「アブノーマル」のレッテルを貼られることになる。(上海支局長)

産経ニュース【日曜経済講座】2014.8.31


2014年08月31日

◆核が日中開戦を抑止する(69)

平井 修一


マット安川氏の「ずばり勝負」8/15から。ゲストは織田邦男(KunioOrita)元・空将。

氏は1974年、防衛大学校卒業、航空自衛隊入隊、F4戦闘機パイロットなどを経て83年、米国の空軍大学へ留学。90年、第301飛行隊長、92年米スタンフォード大学客員研究員、99年第6航空団司令などを経て、2005年空将、2006年航空支援集団司令官(イラク派遣航空部指揮官)、2009年に航空自衛隊退職。
          
              ・・・

安川 ゲストに元空将の織田邦男さんを迎え、近隣諸国を見据えた安全保障問題についてお聞きしました。また、自衛隊の変遷や、そこで行われる教育哲学などについても幅広くお聞きしました。

*安倍首相の「地球を俯瞰する外交」は素晴らしい

織田 安倍さんの「地球を俯瞰する外交」は、私は素晴らしいと思います。この9月に訪問国が49カ国に達し、短期間にこれだけトップ外交をやった人は見当たらないと思います。

安倍さんの、良好な安全保障環境を醸成していくという方針は安全保障の1つの大きな柱で、その政策は成功していると思います。これは敵を少なくして、味方を多くするということです。憲法9条さえ守っていれば平和でいられるというのは、本当に幻想だということを分かってもらわなければいけない。

日本が戦争を放棄しても、戦争は日本を放棄してくれない。現実としてどう対応するか。だから味方をつくる、敵を少なくする、あるいは日米同盟を緊密化する、また我われの自助努力も行う、そういう複合的で包括的な対応が望まれます。

ちなみに、安倍さんが乗る政府専用機は航空自衛隊が持って運用しているんですが、あまり知られていません。先日、政府専用機の元部下に会ったら、日本に帰ってきて非常に違和感を覚えたと言っていました。

「安倍さんの外交について、現地の報道では絶賛されているのに、日本ではほとんど報道されていない、日本のメディアというのはいいことは伝えない」、と。

今は「安倍降ろし」で、安倍さんがいいことをしたというのを伝えないのかもしれませんが、メディアの姿勢はおかしいと思います。是々非々でやらなければ。

最近のメディアを見ていると、非常にヒステリックでおかしいなと思います。例えば集団的自衛権の時も、徴兵制が始まるとか、際限のない軍拡競争につながるとか。

徴兵制なんてあり得ない。それは100年前の話です。近代的な軍隊は少数精鋭でなければダメで、徴兵制で質がバラバラになると逆に迷惑です。そういうことを知らない人が、こうした報道を見ると、「ああそうか」と思ってしまいます。

*「上の句」だけで「下の句」を言わなくなった日本人

戦後のトラウマかもしれませんが、日本人は「下の句」を大切にしなくなりました。つまり、「上の句」ばかり。例えば「自由」という上の句には、「責任」という下の句がある。「権利」には「義務」という下の句がある。上の句と下の句があってこそひとつです。

平和は叫ぶけれども、平和をつくるための努力はしない。公務員削減をしろと言うけれども、サービスは低下しても構わないとは言わない。国民年金は払わないけれども、老後は自己責任とは言わない。給食費を払わない親は、自分の子どもには昼食を食べさせなくてもいいとは言わない。

万事そうです。非武装と言うのであれば、もし敵が襲ってきたらその時はしょうがないから死にましょうと言わなければいけない。集団的自衛権に反対する人は、集団的自衛権なしでなぜ安全が確保できるのかということを言わなければいけない。下の句がないために、冷静な議論が阻害されていると思います。

下の句というのは厳しいものです。私は米国のニューハンプシャー州に行った時にビックリしました。友人がニューハンプシャー州には州税がないと言うんです。そこで州議会で何か減らさないといけないと議論した結果、消防署をなくした。州税を取らないという上の句に対して、下の句は火事が起こったら自分で消せと。これはひとつの民主主義の姿だと思います。日本人はそこまで熟していない。(以上)

             ・・・

GHQ製自虐脳、9条平和ボケ痴呆症の除染は本当に難しい。織田氏の経歴を調べていたら、「激しくなる中国機の領空侵犯、撃墜できる法整備を」との記事もあったので、ごく一部を紹介する。

             ・・・

5月24日と6月11日、日中の防空識別圏が重なる公海上空を飛行する自衛隊の情報収集機、「OP-3」および「YS-11E」に対し、中国軍戦闘機「Su-27」が異常接近を繰り返すという事例が発生した。東シナ海での中国機の活動はますます活発化している。

仮に中国戦闘機が尖閣諸島の領空を侵犯した場合、国際慣例に従い、中国戦闘機に着陸を命じ、聞かざれば警告射撃を、さらに命令を無視すれば直接射撃により、着陸を強制する実力措置をとらねばならない。それができてこそ、領空主権であり、実効支配していると言える。

*撃墜という怖さが侵犯を抑止する

他方、領空侵犯機に着陸を強制することは非常に難しい。飛行機の場合、首に縄をかけて引っ張ってくるというわけにはいかない。「亡命」する意思があれば別だが、相手操縦者に強制着陸命令に従おうという「意思」がなければ強制着陸の誘導には従わないだろう。

3月にトルコ空軍が指示に従わないシリア空軍のMIG-23を撃墜したように、「撃墜」という最後の手段が担保されて初めて相手操縦者に着陸を強制させることが可能になる。「撃墜」されるかもしれないという恐怖感によって、こちらの誘導に従うわけだ。

最後の手段である「撃墜」が担保されていないことが相手に分かると、相手は思うがまま領空を侵犯し、そして悠然と帰っていくに違いない。それでは実効支配しているとは言えない。

空自の場合はどうか。自衛隊法84条「領空侵犯に対する措置」は次のような規定になっている。

「防衛大臣は、外国の航空機が国際法規または航空法その他の法令の規定に違反してわが国の領域の上空に侵入したときは、自衛隊の部隊に対し、これを着陸させ、またはわが国の領域の上空から退去させるため必要な措置を講じさせることができる」

この「必要な措置」の解釈について、これまで国会答弁で迷走が繰り返されてきた。通常、自衛隊法が示す各種行動は、それぞれ権限が規定されている。だが、不思議なことに「領空侵犯措置」だけ権限規定がないからだ。

自衛隊創設当初の昭和29年4月20日、衆院内閣委員会で増原惠吉防衛庁次長が次のように答弁している。

「着陸させるということも一つの方法、あるいは信号その他の方法によっては要域の上空から退去させるのも一つの方法である。これに応じないで領空侵犯を継続するような場合には現在の国際法における通常の慣例その他に従い、場合によっては射撃することもありうる」昭和44年4月17日の通常国会本会議では、佐藤栄作総理大臣が次のように述べている。

「侵入機に対してはまず警告を与えるのがほぼ慣習法化している。その結果、領空侵犯を悪天候や器材の故障など不可抗力者であることが判明した場合は別にして、侵入機が敵性を持っていると信ずべき十分な理由がある場合は、領空外への退去、指定する地点への着陸等を命ずることができ、侵入機がこれに従わない場合、領空内ではこれを撃墜することもできる」

*自衛隊の手足を縛ってしまった1人の官僚

ところが昭和48年6月15日、衆議院内閣委員会で久保卓也防衛局長が一転して次のように答弁した。

「武器を使用することは外国と異なり、(自衛隊は)緊急避難及び正当防衛の場合にしか使用できないことになっている」

総理大臣の答弁を、一官僚の政府委員がひっくり返すのも日本ならではだが、不幸にも現在はこの解釈が定着している。つまり、着陸を強要するための危害射撃はできないというわけだ。

自衛隊法策定に係わった法律の専門家は、次のように述べている。

「国家、国民は国際法規(国際慣習法)や条約の遵守義務があり、条約を締結すれば国際法上の権利、義務が発生し、国内法上の効力が生じる。領空主権については国際慣習法が確立されているために、権限規定として定める必要はないという共通認識が自衛隊法策定当時においてはあった」

だがその後は、自衛隊法策定当時の共通認識とは裏腹に、自衛隊の活動についてはすべて法律の根拠を要するものとされ、「法律に明示されていないことは何もできない」というポジティブリストの解釈が定着した。(以上)

             ・・・

この情けない現実を改めるために自衛隊員が何人殺されればいいのだろう。小生が生きているうちに「まともな国」「普通の国」になるのかどうか。本当に除染は難しい。ため息が出る。(2014/8/27)

◆自衛隊を“軽侮”していた加藤紘一氏

阿比留 瑠比


初代内閣安全保障室長、佐々淳行氏の新著「私を通りすぎた政治家たち」(文芸春秋)が面白い。第2章「国益を損なう政治家たち」を読むと、田中角栄、三木武夫両元首相や生活の党の小沢一郎代表ら大物政治家がけちょんけちょんにやっつけられている。

特に、佐々氏が防衛施設庁長官として仕えた自民党の加藤紘一防衛庁長官(当時)に対する評価は辛辣(しんらつ)そのものである。本書によれば、加藤氏は長官として迎えた最初の参事官会議で無神経にもこう言い放った。

「若いころマルクス・レーニンにかぶれないのは頭が悪い人です」

会議に出席していた佐々氏をはじめ統合幕僚会議議長、陸海空の各幕僚長も背広組も、みんな共産主義には縁遠い人ばかりだったのに、である。佐々氏らは会議後、「私たちは若いころに頭が悪かったんですな」と顔を見合わせたという。

加藤氏が陸上自衛隊第1空挺団の行事「降下訓練初め」に列席した際のエピソードも出てくる。寒空の下、上半身裸になった隊員が、長官を肩車で担いで練り歩く恒例の歓迎を受けた加藤氏は防衛庁に戻ると、こんな不快感を示した。

「日本にも、まだあんな野蛮なのがいたんですか」

このほかにも、加藤氏がゴルフなど私用で護衛官(SP)を使うのをいさめたら怒り出した話や朝日新聞に極秘情報を流した問題…などいろんな実例が紹介されている。

中でもあきれるのは、加藤氏が毎朝、制服幹部や防衛官僚ではなく、農水省の役人の報告を真っ先に受けていたというくだりだ。佐々氏はこう書い
ている。

「加藤防衛庁長官にとっては、国防・安全保障よりも山形の米の問題などが優先順位として高かった」

さらに佐々氏らが憤慨していたのは、加藤氏が朝一番に秘書官に聞くことが「円とドルの交換比率」であり、防衛庁のトップでありながらドル買い、ドル預金をしていたことだった。

これについて佐々氏に直接確かめると、いまだに憤っていた。佐々氏は言う。

「『有事のドル買い』という言葉もあり、戦争があるとドルが上がる。言葉ひとつで為替レートすら動きかねない防衛庁長官の立場にある者が自らドル買いをするのは、倫理に反すると感じていた。彼は防衛庁・自衛隊を(身分の低い)『地下人(ぢげびと)』扱いしていた」

そんな加藤氏は今年5月、共産党機関紙「しんぶん赤旗」に登場し、訳知り顔で集団的自衛権の行使容認反対論を語っていた。

「集団的自衛権の議論は、やりだすと徴兵制まで行き着きかねない。なぜなら戦闘すると承知して自衛隊に入っている人ばかりではないからです」

筆者は、この根拠も脈絡もよくわからない発言について5月22日付当欄「自衛隊を侮辱した加藤紘一氏」でも取り上げた。そして今回、佐々氏の著書を通じ、加藤氏が現職の防衛庁長官時代から自衛隊を軽侮していたことがよく分かった。

ちなみに、加藤氏が好きらしい朝日新聞は今月12日付朝刊の政治面記事中でさりげなくこう書いている。

「『徴兵制』に現実性は乏しい」

佐々氏は今、「加藤氏は何で防衛庁長官を引き受けたんだろうねえ」と振り返る。来月3日の安倍晋三内閣の改造では、適材適所の人事が行われることを願いたい。(政治部編集委員)

産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】 2014.8.29

◆日本人の鑑 ―儒者 佐藤一斎

加瀬 英明


正しい日本語を話せないし、正しい挨拶ができない子どもや若者が多い。家庭における躾けが不在となり、学校教育が乱れてしまった成れの果てである。

4月に千葉市の郊外に愚妻を連れて、親しい刀匠の仕事場をたずねて、半日遊んだ。

あらためて刀身の匂いぐちに、魅せられた。刀身の地膚の境に、焼刃の色がほのぼのとうすくなって、煙か、虹のようにみえることから、「匂いくち」と呼ぶが、日本刀を美術品としているゆえんである。

日本刀が国宝の件数のなかで、ずば抜けて多い。

刀身を手に取って鑑賞するのに当たっては、その前に正座してから、丁寧にお辞儀する。茶道で茶碗を手に取る時と同じ作法だ。日本刀は鋭利であり、茶碗は脆いから、手にする前に心を静めなければならない。

人に接する時にも、一旦、心のなかで端座して、相手に対して一礼しなければならない。

それなのに、どうして今日の日本では、老いも、若きも幼い子まで、そろって宅配便になったように急ぐのだろうか? 躾けが悪い飼い犬のようだ。作法は心を安じることから、はじまる。

私は幕末の儒者だった、佐藤一斎を日本人の鑑(かがみ)として敬まっている。幕府の聖堂と称された昌平黌(しょうへいこう)の学長をつとめ、門弟が3千人を数えるといわれる。

一斎は『言志四録』を遺しているが、「肝気有る(怒りっぽい)者は多く不急(せっかち)なり。亦(また)物を容るることも能(あた)わず。毎(つね)に人和(にんわ)を失う」と、戒めている。

躾けの悪い人は、落ち着きがない。急ぐと、自分の心を傷つけるから、病んでいる。

いまの日本人はよい景色を見ると、心が癒されるとか、音楽、本、絵であれ、映画であれ、「癒された」と乱発するが、病んでいる証拠だ。つい、このあいだまでは、「心が休まる」か、「感動した」といったものだ。

躾けを欠いているために、国民の多くが神経を患っている。

 匂うというのは、香りではない。万葉集の「朝日に匂ふ山櫻花」の句はよく知られているが、「輝く」という意味である。

『源氏物語』には麗しい女人が登場するたびに、「匂ふ」と形容している。光源氏をはじめとする男たちの胸の昂まりが、読むたびに伝わってくる。

◆“石破騒動”に思うこと

佐々木 美恵


「網を打つには潮時がある、という言葉があるのを知っているか。石破は時機を見誤った。空振った網をうまく仕舞えるかだな」

石破茂幹事長の処遇をめぐる一連の騒動に対し、あるベテラン議員がこう、つぶやていました(ちなみに「網を打つには〜」というの発言のもともとの主は、岸信介内閣で官房長官を務め、「椎名裁定」の“故事”で知られる椎名悦三郎氏だそうです)。

 石破氏は29日、安倍晋三首相との昼食会で自身の処遇について「組織人としてトップの決定に従うのは当然」と述べて、首相の判断に委ねる考えを示しました。

 首相も、安全保障担当相を固辞して幹事長続投を希望した石破氏を無役にしたりせず、新設の地方創生相などの重要閣僚に起用する意向です。ひとまず対決モードは避けられたようです。

 ところで、石破氏は、党役員人事や内閣改造を行っている今のタイミングを、本当に「網を打つ潮時」だと考えていたのでしょうか。

 いたにせよ、いなかったのせよ、トップの人事権に異を唱えるような発言をすれば、勝負を仕掛けたと受け止められても仕方ありません。産経新聞のコラム「政論」にも書きましたが、石破氏はかねてから、来春の地方統一選で勝利することで、自民党の政権奪還は完成するとして強調してきました。

 政権交代を仕上げるまで「驕(おご)るな、緩むな」とたびたび党内を戒めていました。

 自民党が今度、政権運営に失敗したら「自民党だけでなく日本の終わりだ」と訴え、しっかり政権を支えようとも呼びかけてきました。

 いろいろ不平不満があっても結束し、選挙区を回って有権者の信頼を得ようと党内を指導してきたのです。なのに、なぜ自身で亀裂を生み発展かねない発言をしてしまったのでしょうか。

 また、石破氏からは安保相を固辞する理由として会審議で迷惑を掛けたくないといった趣旨の説明がありました。

 集団的自衛権の問題で国家安全保障基本法の制定を優先すべきだという持論を持ち、憲法観で首相と相違点があるからというわけです。石破氏は25日のTBSラジオで次のように話しています。

「仮に、総理と大臣は同じ考え方って一緒ですかときかれたときに、総理を百パーセント一緒ですって答えることが一番良いことなんですよ、違いますって一言でもいっちゃったら、それでそこで国会は止まっちゃいますよ」

 石破氏の発言はもっともなのですが、それだけに石破氏が入閣した後、野党から「首相と百パーセント一致しているか」と質問されたとき、うまくかわす答弁を用意できるでしょうか。予算委員会では全閣僚が出席を要求され、所管外の課題についても問われるのは珍しいことではありません。

 また、基本法の制定について、石破氏は次のように発言しています。

 「私(=石破氏)個人でいっているわけでなく、安全保障基本法はもう10年以上、自民党のなかで議論してきた。(中略)その条文を侃々諤々の議論をして、決めたのが総選挙、一昨年の自民党が与党に戻るときの総選挙の前に自民党として決定した。だから石破さんの持論ですよね、とよく言われるんですけど、自民党の党議決定なわけですよね」(25日のTBSラジオで)

 確かに安保基本法の制定は、自民党の公約でした。その一方で、現状で基本法制定を進めていけば、公明党との与党協議がパンクするという政治判断をしたのは、石破幹事長を含めた現在の政府・自民党だったはずです。

 石破氏の発言は、それぞれ個別に聞けば全て間違いなく正しいのですが、合わせると齟齬が生じています。

 騒動も収束に向かっていますし、理論家で知られる石破氏とはいえ神ならぬ身仕方ないし、石破氏は今後、自身の発言の矛盾を解消していかなければならないのではないでしょうか。

産経ニュース【佐々木美恵の青眼・白眼】2014.8.30


◆木津川だより 7世紀の木津川流域

白井 繁夫


7世紀になると朝鮮半島の3国(百済.新羅.高句麗)は再び戦乱の時代となりました。隋が(612年)110万余の兵力で高句麗遠征を始め、戦いは614年まで続きました。

その後、隋から唐(618)になり、太宗.高宗の時代、再び高句麗出兵(644年から3度)が実行されました。唐と同盟を結んだ新羅は、百済も攻めて、660年に百済を滅ぼし、更に、唐.新羅連合軍は668年に懸案の高句麗をも滅亡させたのです。

隋.唐の侵略戦争から逃れて、我が国に渡来した人達が「木津川流域」にも住むようになりました。我が国は、百済と伝統的に親密な関係があったので、660年までに救援軍を出兵すべきだったのでしょう。その間の大和朝廷の状況を少し振り返ってみます。

6世紀末頃の蘇我氏は皇族との婚姻を通じて勢力を拡大し、蘇我馬子は587年政敵であり対立する非仏派の大豪族物部守屋を倒して絶大な権勢を得ました。

593年には日本史上、初の女帝:推古天皇を擁立し、政治の補佐役に甥の厩戸皇子(聖徳太子)を起用して皇太子にしました。

聖徳太子は蘇我馬子と協調して、仏教を重視し、天皇を中心とする中央集権国家を目指し、冠位十二階や十七条憲法を制定しました。

『日本書紀』によると、崇峻天皇元年(588)、百済から我が国へ仏舎利や僧6名とともに技術者「寺工(てらたくみ)2名、鑢盤(ろばん:仏塔の相輪の部分)博士1名、瓦博士4名、画工1名」派遣されました。

法興寺(飛鳥寺)は、馬子が開基(596年)した蘇我氏の氏寺です。本尊の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)は、6世紀作の重要文化財です。588年に百済からきた技術者「寺工や瓦博士など」によって造営された日本最古の本格的な仏教寺院であったと云われています。

都が飛鳥から平城京への遷都(710)に伴い、法興寺(飛鳥寺)は元興寺(がんごうじ)として718年に奈良市へ移りました。(現在の元興寺極楽坊本堂と禅室の屋根の一部に現在も1400年前の創建当時の「古瓦」が混じっていると云われています。)

推古34年(626)蘇我馬子が没し、蘇我蝦夷(えみし)が本宗家を継いでから17年後、皇極2年(643)11月、蘇我入鹿(いるか)が、斑鳩(いかるが)の上宮王家を襲撃して一族を悉く滅亡させたのです。蘇我本家の専横著しい行為に対して大反発が起りました。(上宮王家:聖徳太子の遺子、有力な皇位継承資格者:山背大兄王の一族)

2年後の皇極4年6月12日、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)等により、入鹿は飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)において謀殺されました(乙巳「イッシ」の変)。翌日(6月13日)父の蘇我蝦夷も自害し、4代続いた蘇我氏本宗家が滅し、6月14日、皇極天皇は軽皇子(孝徳天皇)に譲位しました。

孝徳2年(646)正月に改新の詔を発して、政治改革に乗り出し、宮(首都)を飛鳥から難波宮(大阪市中央区)へ移し、飛鳥の豪族中心政治を天皇中心の中央集権国家に変え、孝徳天皇は皇太子を中大兄皇子(天智天皇)とする体制を採りました。大化の改新です。改新の詔の内容の公地公民制、令制国、税(租.庸.調)などの内容説明は省略します。

その後、孝徳天皇と皇太子(中大兄皇子)との政策の相違があり、皇太子が難波長柄豊碕宮から飛鳥へ遷るとき、皇祖母尊(皇極天皇)と皇后、皇弟(大海人皇子)や、臣下の大半を連れて大和に赴きました。(翌年:654年孝徳天皇は病により崩御されました。)

36代孝徳天皇が次代天皇を定めず逝去したため、35代皇極天皇が重祚(ちょうそ:1度退位した君子が再び位に就くこと:再祚)して、37代斉明天皇(655年)となり、皇太子は中大兄皇子(天智天皇)に決まったのです。

斉明天皇時代に百済から救援の要請もありましたが、この時は北方征伐が優先され、658年〜660年に蝦夷と粛慎(しゅくしん:狩猟民族)を討伐したのです。

その後、660年に百済敗北後の百済遺民の百済復興運動の要請に応じて、斉明天皇は百済救援軍の派遣を決めました。

661年5月、第1派1万余の兵員九州筑紫に集結しますが、斉明天皇急死して仕舞ったのです。

そこで、朴市秦造田来津(いちはたのみやつこたくつ)を司令官に任命し、3派にわけて663年までに約4万2千人、我が国の船約8百隻派遣して、百済遺民約5千人との連合軍が、朝鮮半島の白村江(はくすきえ:現在の錦江河口付近)で唐.新羅連合軍(唐約13万人、新羅約5万人、唐船約170隻)と663年(天智2年)8月戦いました。白村江の戦いです。

我が国の兵約1万人が戦死、船約4百隻火災破損の大敗を喫しました。我が国水軍は残った船に我が国の兵や百済遺民兵の我が国への希望者も乗船させて、新羅連合軍に追われながらやっとの思いで帰国しました。

その後、668年には首都の平壌城が唐軍により攻略され高句麗は滅亡しました。唐にとっては北の勢力である突厥に続き高句麗にも勝利して北方の脅威を排除できたため、675年に唐が撤収して、新羅により朝鮮半島が統一されました。

天智天皇は「白村江の戦い」に敗れた結果、朝鮮半島の権益を失い、大陸の強大な唐.新羅連合軍の報復と侵攻に防備した国家体制の整備と国内に防衛網を早急に築くことに傾注しました。

北九州の太宰府に水城(みずき)砦、瀬戸内や西日本各地(長門城、屋島城など)に古代山城の防衛砦を築き、九州の沿岸には防人(さきもり)を配備したのが、その一例です。

667年には都を、内陸の近江大津(近江京)へ移し、668年即位して「近江朝廷之令」(近江令:おうみりょう)を発しました。律令制導入の先駆的法令です。

天智天皇10年(671)に新しく大友皇子を太政大臣として、蘇我赤兄.中巨金を左右大臣、蘇我果安.巨勢人.紀大人を御史大夫とする官職が制定されました。しかし、大海人皇子(後の天武天皇)は圧迫感を感じて、11月に吉野に退隠することにしたのです。

木津川流域を挟んで難波(淀川)、飛鳥.大和(木津川)、近江(宇治川)が巻き込まれる「壬申の乱」は、日本の古代史最大の内乱で、地方の豪族を味方につけた反乱者(皇弟)が勝利する歴史となります。

次回には、「木津川流域」も絡んだ「壬申の乱」などの歴史を書こうと思っています。        
(郷土愛好家)

2014年08月30日

◆また問題のすり替えとごまかしか朝日

阿比留 瑠比


再度の慰安婦特集記事

朝日新聞は28日付朝刊記事で、「河野談話、吉田証言に依拠せず」との見出しを取り、河野談話が作成されるに至ったことと、自社が執拗(しつよう)に吉田清治氏の「強制連行証言」を取り上げ、国内外に広めたこととは無関係だと印象付けようとしているようだ。その根拠の一つとして、朝日新聞は今回、こう指摘している。

「(河野談話は)吉田氏が言うような『強制連行』ではなく、女性たちが自由意思を奪われた『強制性』を問題とした」

朝日新聞は、5日付の特集記事でも「(平成5年8月の談話発表時に)読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は『強制連行』を認めたと報じたが、朝日新聞は『強制連行』を使わなかった」と主張した。だが、そこには朝日新聞が触れなかった点が隠されている。

河野談話の主役である河野洋平官房長官(当時)が、談話発表の記者会見で「強制連行があったという認識なのか」と問われ、こう答えている部分だ。

「そういう事実があったと。結構です」

この河野氏自身が強制連行を認めたという事実は、朝日新聞の2度にわたる慰安婦特集記事からは抜け落ちている。政府が今年6月20日に公表した河野談話の作成過程を検証した報告書でも、河野発言は1章を設けて特記されているにもかかわらずだ。

つまり、河野氏自身は強制連行があったことを前提に河野談話を主導したのだろう。その河野氏の認識に、朝日新聞のおびただしい慰安婦強制連行に関する報道が影響を及ぼさなかったとどうしていえよう。

朝日新聞は、平成6年1月25日付朝刊の創刊115周年記念特集記事では「政治動かした調査報道」と題し、こう書いていた。

「(慰安婦問題など)戦後補償問題に、朝日新聞の通信網は精力的に取り組み、その実像を発掘してきた」「(3年に)韓国から名乗り出た元慰安婦3人が個人補償を求めて東京地裁に提訴すると、その証言を詳しく紹介した。年明けには宮沢(喜一)首相(当時)が韓国を訪問して公式に謝罪し、国連人権委員会が取り上げるに至る」

河野談話につながる一連の政治の動きに、自社が大きく関与してきたことを誇らしげに宣言している。

また、朝日新聞は今回、「韓国、元慰安婦証言を重視」との見出しも取り、現役の韓国政府関係者と韓国元外交官の匿名証言をもとに、吉田証言と韓国での慰安婦問題の過熱はかかわりがないと言わんとしている。

だが、韓国政府が1992年(平成4年)7月に発表した「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」で、慰安婦動員の実態について「奴隷狩りのように連行」と書いた際の証拠資料とされたのは、吉田氏の著書であり吉田証言だった。

朝日新聞の28日付特集の主見出しは「慰安婦問題 核心は変わらず」とある。5日付記事と照らし合わせると、大事なのは女性の人権の問題だと言いたいのだろう。とはいえ、この論理も、自社が積み重ねた誤報や歪曲報道を枝葉末節の問題へとすり替えたいのだと読み取れる。産経ニュース  2014.8.29

◆自衛権と政教分離誤認を正常化せよ

大礒 正美


安倍政権の前途が不透明になってきた。8月の世論調査では、内閣支持率がちょうど5割前後となっているが(NHK、読売、共同)、「集団的自衛権の行使容認」を評価する声は、多くても3割台にとどまっているようだ。それぐらい理解されていないということである。

この問題は徐々にボディーブローとなって、安倍政権の足を引っ張ることになるかもしれない。

ちょっと考えてみれば分かることだが、国家の自衛権が憲法によって制限されているのは、占領軍が日本をそういう状態にしておくことを要求したからである。

それならば、国際連合にも加盟できないはずだから、日本は憲法を改正するか、それが間に合わなければ、当然、解釈を変えて、正常な解釈を国民に提示するのが政権の責務である。

念のために確認すると、国連憲章51条に加盟国の「個別的または集団的自衛の固有の権利」が明記されており、さらに国連自体が加盟国のために「措置をとる」としている。

個別的と集団的の2つは並列で、区別はなく、その上に国連という傘、すなわち集団的安全保障という概念がかぶさっている。

したがって安倍晋三首相は、単純明快に「自衛権の正常化」と言えばよかったのである。あるいは「自衛権の正常化、国際化、常識化」と言えばもっとよかった。

しかし、どういうわけか中身に分け入って「複雑化」してしまい、誰にも分からないような神学論争に持ち込んでしまった。旧三要件、新三要件、3類型、8事例、15事例、グレーゾーン、駆け付け警護などという議論をすべて理解した国民がどれだけいるだろうか。

こうなると反対野党、左翼メディア、平和真理教の側は断然勢いづく。得意の単純スローガンが威力を発揮するチャンスだからだ。
 
「解釈改憲」という四字熟語が安倍叩きのスローガンとなり、あっという間に「悪いことだ」というイメージが拡がってしまった。「正常化」という分かりやすい三字熟語を使わなかったために、イメージ戦略で完敗したのである。

過去にも、「憲法改悪」反対とか、「格差拡大社会」というようなレッテル貼りが、長いあいだ社会党系、組合組織系の得意技だった。英米でも「ラベル貼り」といって、いろいろな場面で有効な攻撃手段とされている。例の「性奴隷」も典型的なラベル貼りだ。

安倍政権は7月1日に、集団的自衛権はあるが行使できない、という従来の憲法解釈を変更すると閣議決定した。

しかし、全面的容認ではないので、何をどう限定的に容認しようというのか、誰にも分からない。自衛隊法など多くの関連法改正論議で徐々に明らかになるはずだということで、いわば混乱、混沌を政府が自ら作りだしたわけである。

これで自民党の仲間内で、全面的容認論の石破幹事長、中谷元防衛庁長官などの有力議員を落胆させ、党外でも改憲がスジだという保守派の反発を買う結果となってしまった。

この事態をどう打開するか、かなり難しい局面だが、1つの提案をしてみたい。それは全く同じ憲法解釈の「正常化、国際化、常識化」を待っている憲法第20条を、自衛権と比べて理解してもらうという方法である。

憲法20条は、いわゆる「信教の自由」を謳っているが、実際には1項で「宗教団体」、3項で「国及びその機関」に対して、それぞれ「、、してはならない」と繰り返しており、明らかに「国家神道」を念頭に置いていることがうかがえる。

お手本とされる米国の権利章典では、信教の自由を阻害する「立法の禁止」を謳っているだけなので、憲法草案を書いた占領軍の意図が、国家神道を絶滅させることにあったのだろうと、逆に推測できるわけである。

日本はあろうことか、第3項の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という条文を、独自に拡大解釈し、明文に無いのに「一切の公金を支出してはならない」と最高裁が判決して今日まで来ている。

「玉串料は私費です」とか「私人として参拝」などと政治家がことわるのは、この間違った憲法解釈が原因である。

考えるまでもなく、占領軍が何を意図したとしても、独立したあとはもう関係ない。日本国の都合のいい独自の解釈を適用するのが当然だ。

また、重要なことだが、世界の国のほとんどは、何らかの宗教を基盤にして成り立っている。米英を始め、西欧や中南米諸国はキリスト教を基本にした「国家キリスト教」だ。イスラムの諸国は強固な「国家イスラム教」、中国や旧ソ連は「国家共産主義教」である。

日本は大昔から「国家神道」に仏教を組み入れた宗教基盤を持っている。その歴史と現実に合わせて、憲法20条の解釈を正常化するべきであり、それが世界に対する国際化、常識化になるのである。

靖国神社を嫌って、「無宗教の追悼施設」を建てようという提案が政治家からも出されているが、これほど愚かなことはない。

世界の常識では、無宗教は悪いことであって、特に一神教の文化では「神(創造主)と対立する」、すなわち悪魔の側に立つと受け取られる恐れがある。

そのため、留学する日本人学生には、自分は無宗教だと言わないようにと指導するのが、送り出すほうの常識となっている。

今月、カトリックが1割しかいない韓国で、ローマ法王が盛大な歓迎を受け、公式に大統領がミサに参加して祝福を受けた。また米国ではクリスマスに、大統領がホワイトハウスに子供たちを招いて恒例の儀式を行うが、もともとユダヤ教や他の宗教ではクリスマスを祝わない。

費用は公費か私費かなど、誰も問題にしない。

日本国民が政教分離をいかに誤解しているかが分かるというものだ。日本だけで通用する「ガラパゴス化」が、9条と20条に特に顕著に現れているのである。

この2つのガラパゴス化問題は、実は1つの点で繋がっている。憲法20条の第1項を文言そのままに解釈すると、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、 又は政治上の権力を行使してはならない」とあるので、与党である公明党の存在と政治活動に疑義が生じることになる。
 
最後に種明かしをすると、すでに6月、政治の裏表に精通している飯島勲・内閣官房参与が米国で、軽く、この点に言及している。政権内部で認識が進んでいることを期待したい。

(おおいそ・まさよし(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)
                         2014/08/28)