伊勢 雅臣
「根っこ」から生まれる「誇り」とは、他者との比較による「優越感」と
は別物である。
■1.初めて見たアメリカの豊かさ
最近、「日本人としての誇りを取り戻そう」という趣旨の発言がよくなさ
れるようになりました。以前の「自虐史観」から脱皮しつつあるのは喜ば
しいことですが、「誇り」という言葉に私は少し引っかかりを覚えています。
かつての我が国は「世界第2の経済大国」であることを誇っていました
が、中国に抜かれて第3位になったら、その「誇り」も少し減るのでしょ
うか? あるいは、世界には小さな国が無数にありますが、そういう国の
国民は「誇り」を持てないのでしょうか。
私には「誇り」というよりも、豊かな歴史伝統という「根っこ」を残して
くれた先人への「感謝」という言葉の方がしっくりきます。
「あとがき」なので、詳しくは書けなかったが、「誇り」について、本編
でもう少し考えてみたい。
■2.貧しい後進国から来たという気後れ
誇りを考えるようになったきっかけは、アメリカ留学時代からである。渡
航したのは昭和55(1980)年だから、もう35年も前になる。当時の私は27
歳、初めての外国だった。社員留学制度に応募したのだが、制度はまだ整
備途上で、給料とボーナスは出すから、あとは渡航費も授業料も自分でや
りくりせよ、というものだった。
飛行機代を節約するために、一番安いチケットを探したら、大韓航空で、
伊丹空港からソウルに飛んでロサンゼルス便に乗換え、そこからさらにサ
ンフランシスコに行くという大回りとなった。
ロサンゼルス空港で、今でも鮮明に覚えているのは、壮大な空港の中を多
くのアメリカ人がTシャツやジーパン姿と、それこそ近所に散歩に行くよ
うな格好で闊歩していたことだった。日本では当時はまだ飛行機に乗るの
は贅沢なことだったから、日常的に飛行機を乗り回しているアメリカ人の
豊かさが目映(まばゆ)かった。
サンフランシスコに着いて、近郊にあるカリフォルニア大学バークレー校
に学んだのだが、最初の一年間は留学生用の寮であるインターナショナ
ル・ハウスに住んだ。
5階建てほどの壮麗な修道院のような建物で、窓からはサンフランシスコ
湾が一望できた。日没時にはゴールデン・ゲイト・ブリッジの向こうに夕
陽が沈んで行く。その夕陽に湾全体が赤く染まる壮大な光景に見とれた。
500人の寮生は半分がアメリカ人、半分が留学生で、互いに仲良くつきあ
えるように工夫されていた。寮費は高かったが、部屋は個室で、三食付
き、食べ放題。ある日本人留学生が大きなバケツに入っていたアイスク
リームを山盛りにすくって、一口、口に入れたら「なんだ、これバター
だ」と言った滑稽な場面にも出くわした。
こういうアメリカの豊かさに触れると、日本はまだまだ貧しい後進国のよ
うな気がして、そこから来た私としてはなんとなく気後れを感じたもの
だった。
■3.「優越感」と「誇り」は違う
それでも当時は日本の安くて品質の良い家電や車が、米国市場で存在感を
増しつつあった。このあたりを[1]ではこう書いている。
一般大衆の中には「ホンダを買ったけどグレートな車だ」などと、手放し
で褒ほめてくれる人がいました。ただ大学教授などのインテリ層はそう単
純ではなく、「自動車はアメリカ人が発明したのに、日本人の方が良い車
を作れると認めることは苦痛だった」などと、正直に語ってくれた先生も
いました。・・・
ある授業では、何度も日本製品や日本的経営の優秀さが論じられたので、
インドネシアからの留学生が「授業でも、ジャパン、ジャパン、ジャパン
だ。日本はすごいな」などと羨ましがっていました。[1, p14]
日本の経済的成功はアメリカで感じていた気後れを多少は紛らわしてくれ
るものだった。しかし、こういうふうに他者との優劣で喜んだりするの
は、単なる「優越感」であって、本当の「誇り」ではないのではないか、
という気がしていた。
GDP(国民総生産)で世界第2位だと威張ってみても、アメリカには敵
わない。アメリカに来て、その豊かさに圧倒されて「気後れ」するという
ことは、この優越感の裏返し、すなわち劣等感だろう。
優越感とは、個人で言えば、有名大学を出たとか、一流企業で出世したと
かで、上には上があるし、下の人を見下す事にもなりかねない。そこから
他者の成功を妬み、不幸を喜ぶという心理につながる恐れもある。他者と
の比較で優越感を持つというのでは、精神的に豊かにはなれない。
■4.アメリカ国民の誇り
国民性もあるのだろうが、アメリカ人は明るく、いかにも幸せそうだ。た
とえば最近、ケンタッキー州の田舎町での事だが、私が日本からやってき
て、ヨーロッパで仕事をして、今はアメリカで働いていると言ったら、
「あなたもケンタッキーのような素晴らしい所に生まれていれば、世界を
転々とするような苦労はしなくても良かったのにね」と言われて、苦笑し
た覚えがある。
こういう無邪気なお国自慢は微笑ましいが、そこにはかならずしも他国と
比べての優越感だけではないものを、私は感じとっていた。アメリカ国民
は、自国が世界一豊かな国という優越感とは別の「誇り」を持っている。
それはアメリカは「自由の国」だという意識である。「自由な国」と言っ
ても、何でも気ままにできる国という意味ではない。圧政や迫害からの自
由という意味である。
ヨーロッパでの宗教的迫害から逃れた清教徒が、自由を求めてこの地に辿
り着いたのが国の始まりであり、また自由と自治を求めて英国軍と戦って
独立を勝ち獲り、さらに黒人奴隷解放のために南北戦争を戦い、第二次大
戦ではファシズムから自由世界を救った、という誇りである。
■5.根っこが生み出す感謝と志
アメリカの各地には、歴史博物館や歴史公園がある。ウィリアムズバーグ
という植民地時代の街並みを復元した大規模なものから、リンカーンの生
家だとか、南北戦争の跡地だとか、ちょっとした町ならかならず歴史展示
がなされている。そこに多くのアメリカ人が子供を連れて訪れ、説明員た
ちが熱弁を振るっている。
「アメリカは歴史がないから、百年程度の民家まで歴史公園にしてしま
う」と当初は茶化していたが、今考えると、アメリカの子供たちは小さい
頃からこうした歴史施設に連れられて行って、アメリカ国民としての根っ
こを学んでいるのである。
ここから生まれる誇りは、他国と比較しての優越感ではない。アメリカ国
民の共同体という「根っこ」に自分もつながっている事を知り、それを残
してくれた先人に感謝し、自分もまたその後に続こうという志につなが
る。誇りとはその感謝と志が融合したもの、と言っても良いだろう。
優越感とは、現代の他者と比較する水平軸のものだが、誇りとは根っこを
通じて先人から子孫につながる垂直軸のものである。
■6.ベトナム戦争による根っこ分断の危機
アメリカ国民がいかにも幸福そうに見えるのは、物質的に豊かなだけでは
なく、根っこから来る誇りや志、すなわち誇りによって精神的にも満たさ
れているからではないか。
その根っこは、建国以来、太く逞しくつながっているのだな、と羨ましく
思ったことをよく覚えている。これに比べると、我が国の根っこは先の大
戦で深い傷を受けた。
我が国が侵略戦争をした、という占領軍が始めた東京裁判史観、それを左
翼が受け継いで広めた自虐史観で、我々の根っこはほとんど分断され、先
人への感謝や志、すなわち誇りを持てなくなっている。アメリカ人の幸福
感に比べ、戦後の日本人が精神的に満たされないのは、このためだろう。
実は、アメリカ国民の根っこにも分断されかねない危機があった。ベトナ
ム戦争である。共産陣営のプロパガンダもあって、ベトナム戦争はアメリ
カの侵略戦争とされ、そのために国民の継戦意欲は失われ、米国史上初の
敗戦となった。ベトナム戦争の是非を巡る対立から国民としての一体感も
失われ、「自由の国」という誇りも損なわれた。
それを救ったのが、レーガン大統領だった。大統領は1982年のクリスマス
に全米国民に向けたラジオ・スピーチで、空母ミッドウェイの乗員の手紙
を紹介している。その乗員は南シナ海で沈みかけたボートに乗った65人
のベトナム難民を救助した時の様子を書き送ったのだ。
ベトナム難民たちはすでに5日間も漂流し、水もなくなり、発見がもう少
し遅れたら、船は沈んでいた、という。救助船が近づくと、難民達は手を
振って叫んだ。"Hello. America sailor! Hello freedom man! (ハ
ロー、アメリカの水兵さん。ハロー、自由の人)"と。
この逸話を紹介した後、レーガン大統領はこう語っている。
我々の社会はきわめて独特である。世界中の戦争や圧政から逃れてきた
人々で構成されているが、それでも強く、自由である。我々は一つの事を
共有している。それは先祖がどこから来た人であろうとも、この自由を信
じている、という事である。[2, p141,拙訳]
このスピーチを聞いたアメリカ国民は、17世紀にメイフラワー号で英
国の宗教的弾圧から逃げ出したピルグリム・ファーザーズと、20世紀に
ベトナム共産政権の圧政から逃げ出したボート・ピープルを重ね合わせた
ことだろう。そして考える、「ベトナム戦争も圧政との戦いであった」と。
■7.回復した根っこ
後にレーガン大統領は、ワシントンにベトナム戦争戦没者慰霊碑を建て
た。高さ3メートル、長さ75メートルの黒い花崗岩に6万人近いベトナ
ム戦争の戦没者・行方不明者の名を刻んだ壁である。この慰霊碑のそば
で、レーガンは次のようなスピーチをしている。
今世紀の他の戦争と違い、ベトナム戦争が正義と叡知に基づいた戦争で
あったかについては、深い意見の対立がある。・・・この10年間に、絶
望してベトナムから脱出したボート・ピープル、カンボジアの(数百万が
殺された)キリング・フィールド、この不幸な一帯で起きたすべての出来
事を考えれば、我々の仲間が戦った大義が正しいものであったことを誰が
疑えよう。
それは、結局は自由という大義のためだった。その戦略は不完全だった
としても、彼らはその任務のために尋常でない勇気を示したのだった。
おそらく、すべてが終わった今日、我々が同意できるのは、一つの教訓
を得た、ということだろう。それは勝てる見通しのない戦いにアメリカ兵
を送ってはならない、ということである。[1,p367]
ベトナム戦争でアメリカは負けたが、負けたが故に間違った戦争とは言
えない。戦争の勝敗と正義不正義とは別のものである。負けはしたが、ベ
トナム戦争もまた「自由の国」が自由という大義を掲げて戦った戦争だ
と、レーガン大統領は訴えたのである。
大統領のこうしたスピーチと、年間3百万人もの人々が訪れる慰霊碑に
よって、一時は傷ついたアメリカ人の根っこは回復した。根っこからのエ
ネルギーで、アメリカ国民は誇りを取り戻し、アメリカ経済も活力を回復
した。
その誇りと経済力で、レーガン大統領は世界中を圧政下に置こうと企む
ソ連を打倒して、世界の人々の自由を護った。根っこは先人への感謝を生
み出し、子孫のための志を生む。その誇りが精神的な豊かさをもたらす。
■8.先人への感謝と子孫への志を生む垂直的な誇り
物質的な豊かさなどという優越感に囚われていると、他国はライバルと
なってしまうので、友好もありえない。
しかし、自国を「自由の国」とするアメリカ国民の誇りに対しては、
我々日本国民も共感することができる。そして、我々は我々なりの自国へ
の誇りを語ればよい。自前の誇りがあればこそ、他国の誇りにも共感する
精神的余裕を持つことができる。こうして互いの誇りを尊重することが、
国際社会での友好の基盤となる。
それでは日本国民が持ちうる自国の誇りとは何か。アメリカ国民が自国
を「自由の国」と誇るなら、日本国民は日本を「大御宝(おおみたから)
の国」と誇ることができる。わが国は国民を「大御宝」として、その安寧
を神に祈る皇室を中心にしてきた。皇室の無私の祈りを実現すべく、我々
の先人たちは同胞と子孫のために国を築き、護ってきた。
この根っこから生まれるのは、他国との比較に基づく水平的な優越感で
はなく、まさに先人への感謝と子孫への志を生む垂直的な誇りである。
こうした誇りを取り戻すには、まず自分の根っこを知るところから始め
なければならない。そのためにも我々日本国民の根っことはどういうもの
であるかを説いた『世界が称賛する 日本人の知らない日本』[1]と、その
根っこを育てた人物たちを紹介した『世界が称賛する 国際派日本人』[3]
を紐解いていただきたい。
■リンク■
a. JOG(922) アメリカの国体、日本の国体
「自由を求める人びとの国」という理想が、アメリカの歴史を作ってき
た。それに対する日本の理想は何か?
http://blog.jog-net.jp/201510/article_4.html■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人の知らない日本』★★★、扶桑社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594074952/japanontheg01-22/2. Ronald Reagan, "Speaking My Mind: Selected Speeches"★★,Simon &
Schuster
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http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594075681/japanontheg01-22/