2014年08月06日

◆分裂気味の日本

MoMotarou


保守政党の不人気、行詰りというものも、これも保守政党の精神、道徳の頽廃、堕落が根本であります。 安岡正篤

          ★

「間抜け」がまた一匹。ハトポッポもアキカンもノダショウユも酷かったが今度の都知事も、それに劣らず。韓国パク大統領と会っているマスゾエ都知事の写真が配信されました。助平オヤジがキーセンに会いに行ったような風景。アントニオ猪木が北朝鮮に行ったのと同じ構図です。首都の知事には品のある人物が欲しかった。

■曲がる政治と税の取立て

これだけマスゾエが勝手な事が出来るのは強力な支持勢力があると言うこと。まずは創価学会でありましょう。東京都議会は創価党が与党。アベシンゾウなんて怖くねぇ、という気分も出てくるでしょう。マスゾエが韓国パクちゃんより要請され、さっさと判を押してきたものの中に、「韓国学校」の項目ありとの情報。

これは北朝鮮の朝鮮学校、シナの孔子学院と同じ事をやろうとしていると看る。当然我国の援助が目当てでもありましょう。パチンコ課税は国としてはやらないが、地方がやるなら構わないと、ノダ某税調が表明。国が一番先に在日に折れている。

その反対に、我国民には財務省を筆頭に増税の波状攻撃。やり放題。景気回復は「増税」という「搾り出し」からと言わんばかり。なんとなく「消費税増税」以降緊迫感がなくなりました。

■沈没が始まっているのか

しかし、巷では、明らかに消費が落ち込んで来ているのをデータで把握しているようです。セブンイレブン等コンビニは、お握りやパンの安売りキャンペーンを連続して打っております。

また近くのイオン系スーパーでは毎週の様にポイント増大をやって、前払いカードを使わせ資金確保に走っております。そして平日のレジ稼動数が増税前の半分であります。以上小生が行ってきた街角定点観測の印象です。

■飛び出てきた元気印おじさんおばさん

夏井いつきさん。1958年生まれ、愛媛の女流俳人。テレビ「プレバト」の俳句コーナーで芸能人の作を厳格採点講評。日本の絶滅寸前の季語を保存中。女坂本龍馬の雰囲気。

桑原 征平(くわばら しょうへい)さん。1944年、京都防空壕生まれ。大阪朝日放送ラジオのフリーアナウンサー。木曜の「粋も甘いも」のニュース解説等は面白い。義理立てして朝日新聞しか読まないと豪語しているが、その内容は北朝鮮の放送と一緒でナカナカの優れもの。元関西テレビ(産経新聞社系列)出身。

やはり地方から上って行くのがこの国のやり方なのか。

2014年08月05日

◆「核」が日中開戦を抑止する(60)

平井 修一


このシリーズが60回を迎えたなんて信じられない。それだけ日中と世界の動きが激しく、刻一刻と情勢が変わっているということだ。年初にロシアと中共が世界中から総スカンを食うことになるとは、プーチンも習近平を含めて誰も想像していなかったのではないか。まさに激動の時代だ。

60回を機に、そもそも核兵器とはなんなのかについて考察したい。小生は高校物理の授業で「放物線」に頓挫してから、もっぱら文系を選択したので、核そのものが分かっていない。

ウィキと小都元(おづはじめ)著「核兵器事典」をチェックしたが、原子とは何かという基礎知識がないからチンプンカンプンだ。正確かつ理論的に説明できないが、要はこういうことのようである。

1930年代、「中性子による原子核の分裂が連鎖的に行われれば、莫大なエネルギーが放出される」という仮説が立てられていた。1939年にウランによる核分裂の連鎖反応が実験実証されると、核エネルギーを利用するために各国で原子炉の開発が始まった。

核分裂とは、核分裂性物質(ウランやプルトニウムなど)の原子は、中性子を吸収すると、より軽い原子に分裂し、平均2〜3個の中性子を放出する。この中性子が他の原子の分裂を誘発していく。核分裂反応が別の核分裂反応を引き起こすのだ(連鎖反応)。

十分に多量(臨界量以上)の核分裂性物質の中で、制御されない状態の下で連鎖反応が起きると、エネルギーが短時間(1000万分の1秒から100万分の1秒)で爆発的に放出される(通常火薬爆発の1000万倍)。これが核兵器の動作原理になっている。

連鎖反応は十分に制御された状態ではエネルギー源としても用いられる(原発などの原子炉)。

核の原理はおおよそ以上のようなものだろう。

核兵器は、核分裂の連鎖反応、または核融合反応で放出される膨大なエネルギーを利用して、爆風、熱放射、放射線効果などの作用を破壊に用いる兵器の総称だ。

原子爆弾、水素爆弾、中性子爆弾等の核爆弾(核弾頭)とそれを運搬する運搬兵器で構成されている。

核兵器は生物兵器、化学兵器と合わせてNBC兵器(又はABC兵器)と呼ばれる大量破壊兵器である。

核兵器は、人類が開発した最も強力な兵器の一つであり、その爆発は一発で都市を壊滅させる事も可能である。そのような威力ゆえに、20世紀後半に配備数が増えるにつれ核戦争の脅威が想定されるようになり、単なる兵器としてだけではなく、国家の命運、人類の存亡にも影響するものとして、開発・配備への動きのみならず、規制・廃棄の動きなど様々な議論の対象となってきた。

また、実戦使用されたのが第二次世界大戦における2発(広島・長崎)のみであり、使用ではなく、主に配備による抑止力として、その意義が評価されている側面を持つ。

核兵器は、核分裂を主とする「原子爆弾」と、核融合を主とする「水素爆弾」の大きく二つに分類される。原子爆弾は大威力化に限界があり、水素爆弾の方が最大威力は大きくすることができる。

また、兵器の形態としても、開発当初は大型航空爆弾のみであったが、プルトニウム型の場合、高度な製造技術を必要とする反面、小型化が可能でありミサイルや魚雷の弾頭、砲弾までも様々なものが開発されている。

<核兵器はそれが出現してから最早60年が経過する。この間に核兵器開発の知識は広く世界に広がり、その原理についてはほとんどオープンになり秘密はない。しかしこれを実際に兵器にすることはきわめて困難であり、サイエンスとエンジニアリング(注1)には大きなギャップがあることが分かる。

よく原子爆弾は学生にでも作れるとの発言があるが、過去数十年にわたる米ソその他の国家が国力を尽くして開発してきたものが簡単にできるわけがない。

「核物質の獲得が困難」「核兵器の組み立てが困難」「核兵器の実験が困難」などにより、国家事業にでもしない限り開発は不可能であろう(注2)>

石川島播磨重工出身の小都氏はそう書いているが、確かにその通りだろう。(つづく)

              ・・・

注1)エンジニアリング:最適解を求め、産業社会に存在する技術の中から選び、それを実現する一連の活動。

注2)日本の原爆開発(原子力教育を考える会」から):日本においては、1941年4月に陸軍航空技術研究所所長の安田武雄中将が、理化学研究所に原爆製造に関する研究を依頼したことで、原爆開発がスタートする。理研には当時日本初のサイクロトロン(磁極直径26インチ)が設置されており、日本の原子核物理学の実験研究の中心地であった。原爆研究は当時日本の指導的物理学者であり、朝永振一郎らを育てた仁科芳雄が担当した。

仁科はそれから2年後の1943年1月に報告書を提出し、彼はこの中で原爆製造は可能であり、ウラン235を熱拡散法で濃縮するのが最良であると結論付けていた。こうして日本版の原爆開発計画である「二号研究」が開始された。

6フッ化ウランによるウラン濃縮実験は1944年7月より開始されたが、実験装置のウラン分離筒に6フッ化ウランによって腐食されやすい銅を使うなど設計上のミスもあり、1945年3月に得られたサンプルを分析した結果はっきりした濃縮の効果を見られず、計画は失敗した。

一方戦時中の日本では、陸軍の「ニ号研究」とは別に、海軍の方でも「F研究」という原爆研究が進められていた。こちらは京都帝国大学の荒勝文策教授を中心とするグループが行っており、中間子論の提唱者の湯川秀樹も参加していた。こちらの研究も原爆の材料には濃縮ウランのみを選択し、濃縮方法には遠心分離法を採用していたが、実験装置は設計段階で敗戦を迎えた。(2014/8/5)


◆「インドの世紀」となるか

加瀬 英明


ナレンドラ・モディ・インド新首相が7月に訪日することで、両国が折衝していたが、インド議会の都合によって、8月に延期された。

5月に、12億5千万人のインドで総選挙が行われ、63歳になるモディ氏が率いる、インド人民党(BJP)が圧勝した。

BJPは、543議席の下院の282議席を制した。2009年から政権を握っていた国民会議は、206から44議席まで減らして、惨敗した。

 インドの政治変革

インドが1947年に独立してから、最大の政治異変である。

それまで、モディ氏はアラビア海に面する郷里のグジャラート州首相をつとめて、州の経済を大きく発展させた。

モディ新首相は就任演説のなかで、「21世紀を、“インドの世紀”にする」と、公約した。

モディ政権の登場は、日本とアジアに明るい展望をひらくものである。

インドと中国は30年前まで、ともに国民1人当たりの所得が300米ドルで、轡(くつわ)を並べていた。

ところが、その後、中国が目覚しい経済発展をとげて、6700ドルを超したのに対して、インドはその4分の1にとどまっている。

インドの経済成長率は、10年前に10%に達していた。このところ、インドは4.5〜5%に落ち込み、9%を超える高いインフレが進んで、庶民生活を圧迫している。

 モディ首相の決断

モディ首相は財政を建て直し、大きく遅れたインフラを整備するかたわら、錯綜した行政機構を合理化して、大胆な改革を断行しなければならない。

モディ新内閣をみると、国民会議の前内閣が79人の閣僚を抱えていたのを、45人にまで減らしている。それでも、なかに鉄道相、道路交通相、民間航空相、農業、加工食品、食品流通の6人の閣僚がいる。

私は80年代からインドにボランティアとして足繁く通って、政府に厚遇されるようになった。

 インドとの絆の由来

私は終戦の年に国民学校(小学)3年生だったが、幼な心に日本がアジアを興すために戦っていると教えられ、長じてからも、明治以来の国民の願いだった、興亜の大業の夢を継ぐことに、情熱を燃やしてきた。

80年代では、日本で学ぶインド人留学生が、100人に足りなかった。私は有志とともに、ネール大学の協力をえて、ニューデリーに高校生に日本語を無料で教える学校を開設して、成績のよい生徒を、日本の4年制大学に全額負担して留学させて、卒業させた。

日本はインドが冷戦下でソ連と結んでいたことから、インドと疎遠になり、インド市場に大きく出遅れていた。

 日印親善協会の目指すもの

私は日印親善協会(JIGA・Japan India Goodwill Association)を立ち上げて、会長をつとめたが、インド側で対応して、ラビ・レイ元下院議長を会長とするJIGA INDIAをつくってくれた。

私は1997年に、ニューデリーで催されたインド独立50周年記念式典に参加した。多くの催事が行われた。

 一国の独立とは何か

ラビ・レイ元下院議長が、「日本が日露戦争に勝ったことによって、インド国民が勇気づけられて、独立運動に立ち上がった」と挨拶した。法曹界の重鎮であるレイキ博士が、インパール作戦に触れて、「太陽が輝き、月光が大地をうるおし、満天に星が瞬く限り、インド国民は日本国民への恩義を忘れない」と訴えた。やはりJIGAのメンバーである。

イギリスの著名な歴史家ホプスバウ教授が、20世紀を振り返った大著『過激な世紀』のなかで、インドの独立がガンジー、ネールによる独立運動ではなく、日本軍とインド国民軍が協同して、インドへ侵攻したインパール作戦によってもたらされたと、述べている。

 訪印団200人の心意気

2006年に、山田宏杉並区長(現衆議院議員)が団長となって、100人以上の地方議員が、訪印した。さらに一行に、100人あまりの有志が加わった。私も誘われて、顧問として同行した。

ニューデリーに到着したところ、山田団長から「大統領と会見できないものか」と、求められた。私が官邸に連絡したところ、「喜んでお会いする」が、セキュリティのために10人までにしてほしいとのことから、籤(くじ)引きをしてもらった。

 インドと兄弟国になろう

アブドゥル・カラム大統領と1時間にわたって歓談したうえで、官邸の美しい庭を自ら案内してくれた。大統領は、高名なミサイル科学者である。壮麗な大統領官邸は、かつてイギリス統治時代の総督府だった。

私はこの前のBJP政権のフェルナンデス国防相と、同志だった。インドはフェルナンデス国防相のもとで、1998年に核武装した。

核武装した直後に、私はフェルナンデス国防相を国防省の執務室に訪ねた。国防省も、かってのイギリス総督府のなかにある。広い執務室の壁に、以前からガンジー翁の肖像が1枚だけ飾られていたが、もう1枚、広島の原爆記念ドームの大きなカラー写真が加えられていた。

フェルナンデス国防相が、私に「どうして、この写真がここにあるのか、分かるかね?」と、悪戯っぽくたずねるので、「核兵器を持っていないと、核攻撃を誘うことになるからでしよう」と、答えると、深く頷いた。

フェルナンデス国防相から招かれて、参謀総長以下の軍幹部に講演して、中国に触れたことがあった。

中国はインド北東部のアルナチャルプラデシュ州の大きな部分を奪って、占領しているが、全部が中国固有の領土だと主張している。

私は中国が当時、日本の尖閣諸島を含めて、同時に5つの国に対して、不当な領土要求を行っていたが、中国の指導部は権力闘争によって、意志を統一することができず、思考が尊大な華夷思想、あるいは中華思想によって、頭がすっかり蝕まれているために、戦略的思考ができないと、述べた。

そのうえ、軍が上から下まで腐敗しきっているから、全面戦争を戦う能力がなく、国内の事情によって追い詰められて暴走して、軍事的な冒険に乗り出さないかぎり、恐れることはないと、指摘した。

今日、中国は、日本、インド、インドネシア、ブルネイ、マレーシア、ベトナム、フィリピンの7つの国から、同時に領土を略取しようとして、孤立するようになっている。だが、7ヶ国の人口を合計すると、20億人を超えている。経済力も、中国を上回る。

これらのアジア諸国に加えて、オーストラリア、ニュージーランドも、中国の傍若無人な海洋進出を、強く警戒するようになっている。アメリカも、ようやく目を覚ました。

 モディ首相の最初の訪問国ブータン

5月にシンガポールで催された、「シャングリラ対話」と呼ばれたアジア安保会議では、安倍首相とヘーゲル国防長官が口を揃え、日米両国が連携して、中国が地域を不安定化させており、力によって変更しようとしていることを、強く非難した。

これに、ASEAN(東南アジア連合)諸国も、同調した。中国はアジアにおいて、孤立せざるをえなかった。

安倍首相の“地球儀を俯瞰する外交”に、拍手を送りたい。ひと口でいって、中国の指導部は愚かなのだ。

ブータンも中国と国境紛争を、かかえている。モディ首相はブータンを重視し、就任後最初の訪問国として、ブータンを訪れている。

 モディノミックスの可動

モディ首相が7月に訪日を予定していた直前に、ブータンのトブゲィ首相が来日した。

モディ首相はナショナリストだ。いま、インドでのマスメディアによって「インドのアベ」と呼ばれ、「モディノミックス」という新語が登場している。

安倍外交を発展させて、日印関係を深化することが求められる。

◆目配り欠く女性政策

櫻井よしこ


確かな戦略を感じさせる外交・安全保障政策に比べ、現在の安倍晋三政権の女性政策は目配りが欠けていないか。

人間の生き方や価値観は極めて多様であるために、全ての女性が満足する政策を打ち出すのは難しい。とはいえ、男女共同参画路線をひたすら突っ走るような現在の政策は将来に禍根を残しかねない。なによりも、首相の掲げる美しい日本を取り戻すという大きな理念と、現在の女性政策は必ずしも一致しない。

小泉純一郎政権のときも、夫婦別姓法案が成立しそうになった。あのとき、山谷えり子氏らが問題点を説き、自民党は踏みとどまった。いま、自民党が、日本のよき価値と伝統を重視する政党として、偏った男女共同参画路線を修正できるかが問われている。

現在注目の女性政策は指導的地位に占める女性の割合を2020年までに3割以上に増やすというものだ。待機児童ゼロを目指して保育園をふやすことも、子供の健全な発育のために家庭教育を重視することも、配偶者控除を見直すことも、同時進行で論じられている。

決して同じ方向を向いているわけではない政策の組み合わせだが、それでも働きたい女性、共働き世帯への熱い支持は大変結構なことだ。だが、専業主婦やパートで働く女性たちへの配慮は十分か。とりわけ配偶者控除を見直すのかと問わざるを得ない。

現在、妻の年収が103万円以下なら、妻は課税されず、夫の控除額は配偶者控除として38万円が加算される。妻の年収が130万円以下なら保険料負担なしで健康保険や国民年金に加入できる。だが、これは2年後、106万円への引き下げが決定済みで配偶者控除の廃止を含めた削減も検討されている。

その一方に、女性の管理職の30%への引き上げ策があるわけだ。女性の社会進出を奨励することに異論はない。しかし、こうした施策とは別の次元で重要な役割を果たしている女性たちにも留意すべきだ。女性の家庭における役割をもっと評価すべきだと強調したい。

いま、夫の収入だけで暮らす専業主婦世帯は総務省の調査で745万世帯である。厚生労働省の調査では独身女性の3人に1人が専業主婦を希望している。

内閣府の調査では「夫が働き、妻は家庭を守る」のがよいとする人が51・6%。20代ではこの割合が約20ポイント伸びた。総務省の労働調査で働きたいと考えている女性は約300万人だが、フルタイム志望は2割以下だ。

こうしたことは女性たちが、働くことの意味を経済性だけに求めているのではないことを示しているのではないか。子供の教育を含めた文化的価値や、高齢化時代の両親の介護など社会的価値において自分の力を生かすことを望んでいるのではないか。

日本の戦後教育で不十分なのが家庭教育だということは多くの人が認めるであろう。であればこそ、家庭における女性の役割はもっと評価されてよい。働く女性への支援と同じく、子育てをし、家族の結びつきの中心軸となる主婦への支援を忘れてはならない。

経済的側面から女性の活用を急ぐ気持ちが端的に表れている女性管理職を30%にという割当枠制度について考えてみる。私は割当枠の意義を否定するものではないが、やはり順序が違うと思う。男女の違いに留意するよりも仕事ができるか否かに留意するのが先である。加えて理にかなった仕事における評価制度の確立こそが重要だ。

 北欧社会が割当枠を設けているが、彼らが教訓を示してくれている。北欧諸国の女性割当枠がすべて成功しているわけではなく、女性の企業トップへの就任は、3%未満にとどまっている。女性管理職40%という高い水準の枠を設けたノルウェーは、これが重い負担となって海外移転を進める企業や、株式上場を取りやめる企業が続出した。つまり、経済的期待には応えていないということだ。

 わが国の目標値、6年で30%を達成するには何をしなければならないか。総務省の労働力調査によると管理職に分類されている人は、現在男性136万人、女性17万人、計153万人である。管理職の数は年々減少しているが、仮に2020年も同数の管理職が存在するとして、女性30%を満たすにはざっと現在の3倍近く、46万人が必要となる。男性幹部は約30万人をクビにしなければならない。実際はこれよりひどい状況になるだろう。

 こんな人事で社会の調和と競争力は保てるのか。第一、こんなことが可能なのか。私は大いに疑問だと思うが、百歩ゆずって、それでも困難な目標に挑み、女性を励ます価値はあるだろう。しかし、それはあくまでもバランスを保ってのことだ。共働き世帯のキャリア志向の女性同様に専業主婦世帯にも目配りを欠かすようでは社会は歪(いびつ)になる。

 政府は来年末に男女共同参画第4次計画をまとめる。ジェンダーフリーの旗だけを振るのではなく、伝統的な女性の役割を日本人の生き方のひとつの形として大切に守っていけるようなバランスのとれた計画にすべきである。
産経【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】 2014.8.4


◆安倍首相の戦い (1)

〜国際社会の声/国民の声〜

伊勢 雅臣



■国際社会の声

支持:ベトナム65%、日本58%、マレーシア57%、バングラデシュ56%、フィリピン55%、タイ53%、米国49%、インドネシア46%。(続く)時事:安倍外交、東南アで高評価=中韓は不支持圧倒的−米世論調査http://www.jiji.com/jc/zc?k=2014072014071500561&g=pol… 2014年07月16日(水) a.o.k@anger_of_kitty

中国と韓国が反日ばかりと逆に、昨夜(台湾)民視テレビ安倍首相の特集を放送したよ。安倍首相の評価はプラス、政績が良い。日本のマスコミがどうしてもマイナス報道だから?日本の方があまり感じてないかも?今の改革は日本にとって正しい道をと評価されたよ。
https://pic.twitter.com/PMbP26aKDj
2014年07月07日(月) ☆Chris*台湾人☆@bluesayuri

昨日のアジア安全保障会議を受けて、今朝のアジア各国のメディア(除特定アジア)は、安倍首相の基調演説を取り上げて積極的な評価をしています。国民党政権下の台湾ですら主力二紙が大きく安倍首相の外交を評価しています。

@kohyu1952 https://pic.twitter.com/Y9TMgpwoFV
2014年05月31日(土) 西村幸祐@kohyu1952

おはようございます。シャングリラ会合での安倍首相発言「国の為に戦った方に手を合わせる、冥福を祈るのは世界共通のリーダーの姿勢だ」で会場が拍手に包まれる一幕。これは靖国神社参拝に関し「先の大戦で日本軍に殺された。中国人の魂にどう説明するのか」との中国人男性の質問に答えた時た。
2014年05月31日(土) 佐藤正久@SatoMasahisa

「今年世界で最も影響力のある100人」は1998年から始まった企画。例年発表されるようになった2004年から、日本人の政治家として安倍首相が初めての選出。叩かれると大袈裟に取り上げるが、日本メディアは無視しています
http://time.com/70853/shinzo-ae-2014-time-100/
@THAWK007
2014年04月28日(月) 西村幸祐@kohyu1952

米国人にとって「ナショナリスト」は軍国主義者と同意語で誹謗語。さんざん安倍首相や石原慎太郎氏など米国に都合の悪い人物を米メディアはそう誹謗中傷してきた。所が例のTIMEの表紙を飾った安倍首相には「愛国者」という言葉が。完全な変化です。 https://pic.twitter.com/s4YOfbHuPo
2014年04月22日(火) 西村幸祐@kohyu1952

安倍総理のスピーチの後にダボスの街中に繰り出した。会う人会う人が、安倍総理のスピーチを絶賛していた。「力強い」、「コミットメントを感じる」、「日本に投資をする気になった」、「近いうちに日本に行くよ」、「僕が日本人だったら、とても誇りに思うだろうよ」等。海外トップは、気概を見る。
2014年01月23日(木) 堀義人/Yoshito Hori@YoshitoHori

安倍首相を東南アジアの各メディアが“援護”、「太陽が再び日本から昇る」「中国の挑発を受けて立とうとしている」―中国紙
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/potonews/355797/
@CN_BusinessNewsさんから2013年12月14日(土) tetutetu@tetutetu2

海峡トンネル開通式式典中に安倍首相が、両手を空に向けるイスラム式のお祈りをしたことも話題に。「トルコ人の俺から見ても、日本は気高く、尊敬に値する国家だ」「首相の姿から、多文化への敬意と、寛容な精神が見て取れるね」http://bit.ly/HPoN4t
2013年11月10日(日)


■国民の声

澤地久枝氏「(総理参拝は)日本の国内の人たちの気持ちを踏みにじったと思う」。しかし、参拝後の世論調査では安倍内閣の支持率は前月と比べて7.9%上昇し、62.5%と僅か1ヶ月で6割台に回復。WiLL26.3潮匡人2014年03月10日(月)

安倍政権に対する評価も、マスメディアと世論は正反対。参拝後の安倍政権支持率は上昇し、6割を超えた。普通の国民にしてみれば、マスメディアが袋叩きにする特定秘密保護法案や靖国参拝よりも、反安倍一色のマスメディアの方がそら恐ろしく感じられたのではないか。WiLL26.3山際澄夫2014年03月10日(月)

安倍首相靖国参拝 「日本の誇り取り戻す第一歩」 -「戦死した兄のため、私に代わり参拝してくれたように思え、感激で涙が止まらなかった。感謝したい」(大阪市、72歳女性)http://on-msn.com/1lHchEv >これが慰霊の真の姿。これが早く当たり前になりますように。
2014年01月10日(金)

ヤフーも8割賛成、J-CASTも8割賛成。もう誤魔化しきれなくなってきてるよね。
⇒ <元旦のテレ朝『朝まで生テレビ』のアンケートで7割が安倍首相の靖国参拝支持 古市憲寿「統計学的に意味のない数字」>
http://nico.ms/nw899949
2014年01月04日(土) TOHRU@原発推進※デマ撲滅!@tohrub1104

国民全体に靖国神社の意義を浸透させ、総理の参拝を国民が強く望む気風を醸成し、総理の後押しをせねばならない。戦後レジームは世界中で張られた罠だ、保守派は安倍氏への注文屋ではなく、長期戦を戦う真の戦友でなければならない。正論25.12小川榮太?
2013年11月25日(月)

これから安倍首相の本当に気の長い「日本を取り戻す」戦ひが始まるといふ時に、やれ靖国参拝で安倍は駄目だ、TPPで嘘をついた、こんな具合に保守が消耗していては仕方がない。中国は50年がかりで尖閣に迫っている。それをたった10ヶ月でこれでは、敵の思う壺だ。正論25.12小川榮太?2013年11月24日(日)

安倍総理を支持し応援したいと思えるのは日本を好きになって、誇りを持つことが出来るようになったからに尽きる。大東亜戦争を知って、自存自衛と分かり、先人の貫き通した勇姿に心打たれた。英霊に感謝の気持ちが生まれ愛国心が芽生えた。だからより長く安
倍政権が続くことを強く強く願っている。
2013年10月16日(水) orangedrop@happyclover236

日本国民が靖国神社の意義を理解し、外国からの不当な干渉を断固許さぬ強い共同意志を持たねばならない。首相が堂々と公式参拝できるだけの強力な国民の総意を形成する努力をしなければならぬ。外国の不当な干渉という戦場に安倍政権を裸で放り出してどうするか。Voice13.9小川榮太?2013年08月30日(金)

「安倍さんに任せるしかない」という国民の大局観と「大丈夫、日本は必ずやれる」という庶民の静かな決意がいま日本中にみなぎっている。この地域に平和と繁栄をもたらすため、いまこそ安倍首相に率いられた日本は「一極として立つ」気概をもって踏み出すべき時 Voice13.8中西輝政2013年07月26日(金)

千載一遇の好機が来た 衆院選も参院選もないという時期が3年以上続いたのは、過去に2度しかない。その時に国鉄民営化と消費税導入の二大改革がなされた。安倍首相は今こそそれらを超える戦後の大改革を成し遂げなければならない。MSN産経 http://on-msn.com/16THMAF
2013年07月22日(月)

【祝:拡散】内閣発足時から2カ月で支持率が15ポイントも伸びるのは、最近の内閣には見られなかった現象 → 【産経・FNN合同世論調査】安倍人気、3つの理由…好調経済、得意の危機管理、野党アシスト -MSN産経ニュース http://t.co/TzVYD2dAvB
2013年02月26日(火) at43939@at43939ver2

梅田の安倍さん演説で日の丸の旗振ってたら警察が来て「君は右翼?」だって。
自分の国の国旗を持つと右翼扱いされる国ってどういう事よ?
安倍さん、こういう馬鹿な世の中を変えて下さいね!
#安倍晋三 #選挙 #自民党 #カフェオレ党
2012年12月08日(土) ユウ@ikimonogakari53

昨日見逃した人は是非!涙出るぜ!ありがとう!安倍さん!→ 【HD】
H24/11/24 【安倍晋三総裁スピーチ】 安倍救国内閣 国民総決起集会:
http://t.co/AYFB3Ngm @youtubeさんから
2012年11月25日(日) truejapan@FreeTibet@truejapan


          
      

2014年08月04日

◆アメリカは本当に頼れるか

Andy Chang


イスラエルとパレスチナの戦争はいよいよ熾烈化して終わりが見えない。エジプトやその他の国が停戦を調停してもハマスが一方的に攻撃を始めてまた戦争になる。

アメリカは介入したくないから、ケリー国務長官が調停しているが、アメリカの提案はイスラエルに不利な条件でうまく行かない。オバマは無理を承知でイスラエルに停戦を強要している。

イスラエルとハマスの戦争に対するアメリカの態度を見ると、もしアジアで紛争が起きた場合にはアメリカが民主国家を援助するか、テロに有利な条件で紛争を調停するのか甚だ疑問に思う。

●ハマスに人道主義は通じない

ハマスは3000発のミサイルをイスラエルに撃ち込んでいる。ハマスはイスラエルの滅亡を誓うグループだから攻撃を当然としている。ハマスは平和を拒否するグループだから、テロ攻撃を正当と思っている。テロのハマスと民主国家イスラエルが平和交渉をするのは不
可能である。イスラエルが滅亡するか、ハマスが滅亡するかであるとすれば、自由民主を尊重する国家はどちらを選ぶだろうか。

ハマスはパレスチナ内部の闘争分子で、学校や病院に隠れてミサイルを発射し、パレスチナの子供たちを防衛盾にしている。だからイスラエルが反撃すれば子供を傷つける。ハマスは傷ついた子供の映像を流してイスラエルが幼児を殺傷したと宣伝する。

イスラエルは攻撃を開始する前に大量のビラを流して人民に退避を呼びかけているが、こんな戦争はこれまでなかった人道的なことで、イスラエルが無辜の子供を殺傷するのではない。ハマスが強制的に子供たちを集めているから当然死者が出るのだ。これでは停戦は無理で、テロに人道主義は通用しない。アメリカでは死傷した子供の映像を見てイスラエルを非難する無理解な人も多い。

●毛沢東の人海戦術

毛沢東も人海戦術を使って無辜の人民を戦争に追い込んだ。国民党軍と毛沢東の共産党軍が対峙した時、毛沢東の共産軍は村の人人を駆り集めて最前線に並べ、後ろに控えた共産軍が銃剣で突撃を命じたのだった。村人たちが前進を拒否すれば殺される。殺されたくな
いからみんなが撃たないでくれ、助けてと叫びながら前に進む。共産軍はその後から追いかけていく。

武器を持たない村人たちが泣き叫びながら突撃してくると、撃てば無辜の人民を殺傷する、撃たなければ背後に武器を持った共産軍がいる。国民党軍は退却するしかない。これが人海戦術だ。結論を言えば非人道グループと人道を論じるのは無駄ということ。ハマスも
中国共産党も人道道徳、相互信頼など一切ない。

このようなグループと人道的な交渉ができるはずがない。世の中には友愛の海を信条としたルーピーな元総理や、オバマのように雄弁自慢で、話せばわかると思う者も多いが、宥和政策、人道や平和道徳は相手に悪用され、人道主義側が損をするだけである。

●オバマとアジア紛争

アメリカはイスラエルを支持しているはずだか、オバマの態度は実に曖昧でいつも決断しない。ハマスは既にイスラエルに向けて3000発のミサイルを発射したにも拘らずアメリカは紛争に介入しない、したくないから平和調停をする。テログループと民主国家イスラエ
ルの間に調停する余地はない。

オバマが日本を訪問した際に、尖閣は日米安保の範囲内にあると述べたことで日本人は安心した。だが本当に紛争がおきて中国の軍艦が尖閣海域で海保と衝突したらアメリカは(特にオバマは)どのような調停を持ち出すだろうか。

アメリカは紛争に介入したくないからどんな条件でも構わず、中国に有利な条件を日本に押し付けて平和交渉を強要するかもしれない。イスラエルとハマスの紛争でオバマがイスラエルのナタニヤフ首相に電話で停戦を強要したのと同じである。このような事態になれば日本は決してアメリカの言いなりになってはならない。自分の国、国民が第一である。ハマスと中国はテログループだからオバマの提案する宥和政策は一方的譲歩である。ナタニエフ首相のように、自国の安全を第一義にして交渉すべきだ。

●台湾関係法とアメリカ

台湾人はこれまでアメリカが台湾を中国併呑から守ってくれると信じてきた。そして台湾関係法はアメリカの国内法であると述べてきた。しかし中国の侵略が起きて戦争になった場合、アメリカがどこまで介入するかは甚だ疑問である。

アメリカは台湾はアジアの平和を守る最重要な拠点だと知っている。台湾を失えば中国の太平洋進出を防ぐことは出来なくなり、中国海軍が太平洋を航行しても、中国の潜水艦がカリフォルニアの沿岸まで接近しても対処できない。

だが台湾関係法の内容を見れば、アメリカは台湾の戦略的重要性を認めているにも拘らず、「台湾の自己防衛のために武器を提供する」と書いただけである。台湾の軍隊の中国人が中国に寝返ってアメリカの提供したF16が3機も中国側に逃亡した(うち一機は墜落した
そうである)事実がある。

この事実があるからアメリカは台湾に最新式のF16-C/Dを売却しない。中華民国が台湾に存在する限り中国に内通する中国人の軍人や政治家が居る。アメリカは台湾の独立を
推進すべきだが、いつも曖昧政策を維持しているから中国に内通する中華民国を阻止できないのである。

●日本は自衛力を持つべき

アメリカの衰退と共に日本がアジアの平和維持に重要な役割を持つことが明らかになった。アメリカは何度も日本の集団的自衛権を歓迎すると明らかにした。日本国内では集団的自衛権について他人の戦争に加担するのかと言った言論もあるが、アメリカにも日本の戦
争に介入するなと言う言論がある。

アメリカだって日本防衛のためにアメリカ人の血を流すことを拒否しているのである。自分の国は自分で防衛する他はないのである。

アメリカは日本や台湾の大切な保護者であることは確かだが、今回のイスラエル紛争におけるアメリカの煮え切らない態度を見れば日本は早急に自衛力を持ち、憲法改正を急ぐべきである。


◆キスカ島守備隊を救出せよ(下)

伊勢 雅臣


濃霧の中を、救援艦隊はキスカ湾に突入していった。


■1.米艦隊の猛攻

一方、米軍は日本軍の電信を傍受し、暗号解析をした結果、「救援艦隊は千島を出港し、7月26日か27日にキスカ増援を試みる」と判断した。そこで、救援艦隊を一気に仕留めようと、戦艦2隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦7隻の大艦隊で、キスカ南西海上で待ち構えていた。

26日午後7時7分、数隻のレーダーで敵艦を探知した。「来た、来た」とばかり、総攻撃にかかった。戦艦は36センチ砲518発、巡洋艦は20センチ砲478発を撃ち込むという、すさまじい砲撃を行った。

「撃ち方止め」の命令が出た時には、レーダーから目標が消えていた。翌27日朝、目標地点に哨戒機を巡回捜索させたが、敵艦の残骸も発見できなかった。米司令官は「敵艦隊全滅」を確信し、キスカの南南東200キロの洋上で、給油艦から燃料の補給を受けるように命じた。

実は、レーダーが探知したのは200キロ遠方の別の島々の反響映像だった。米艦隊が補給地点に集合する予定時刻は29日午前4時。救援艦隊は予期せぬ衝突で29日に突入を延期し、米艦隊は「幻の敵艦隊」への砲撃後、29日にその道を空けていた。


■2.「すごい霧だ」

29日午前0時時点の橋本少尉の天候予測は「午前の濃霧または霧雨、午後曇りとなり霧薄らぐ」だった。午前6時25分、木村は各艦に発光信号を送った。「1430突入の予定。各員共同一致任務の達成を期せよ」

「突入す」という短い電信がキスカ島に送られた。日本海軍特有の音色だ。感度もいいので、キスカの近くに来ている。電信室では「ワァー」という歓声があがった。「来た来た」と言いながら、躍り上がる者、「万歳」と叫びながら室外に飛び出す者。抱き合い肩をたたき合う男たち。

その直後、米空軍の暗号電信を傍受した。電信室が鎮まり返った。暗号解析をする。濃霧のため、哨戒機が飛行中止を連絡した電信だった。「万歳、もう飛行機は飛ばんぞ」。「敵機飛行不可」の電信が暗号化され、山中の守備隊や救援部隊に伝えられた。

午前11時、突入まであと2時間。「これにて電信室を爆破す。艦隊のご苦労に深謝す」との最後の電信が発信された。11時30分、最後の通信手段である移動電信機と電池を背負い、電信室の時限爆弾のタイマーのスイッチを入れた。

外に出ると、一面の乳白色の霧だ。口々に「すごい霧だ」とうれしそうに言う。これほど霧がありがたかったことはない。海岸まで2キロの道のりを、雪解けのツンドラに足をとられながら歩く。電信隊が海岸に到着した時は、陸海の将兵が2列づつ整列して、坐って待っていた。

あと1時間、艦隊の姿はまだ見えない。5200人が霧の彼方を見つめていた。


■3.「『阿武隈』だ!

午後零時12分、救援隊は島を南東から回り込んで、キスカ湾に入ろうとしていた。先頭を行く最新駆逐艦「島風」が、敵レーダー波を探知。一同、身を固くした。入港作業をしていた前甲板の分隊長が「敵らしきもの左艦首前方」と報告。

「司令官、敵艦らしいです。攻撃します」と有近参謀が具申すると、木村は即座に「よし」と答えた。「阿武隈」から魚雷4本を発射。発射と同時にそのあたりの霧が晴れ、敵艦と思っていたのは、小キスカの山だった。轟音が響いて、魚雷は見事に命中。

「司令官、いまのは私の誤り、小キスカの山でした」と有近参謀が頭を下げると、木村は「それより島が見えたのが何よりうれしい」霧は少しづつ晴れつつあり、湾内入港と収容作業には好都合となった。しかし、急がねばならない。

警戒役の「島風」など3隻は湾外に停泊し、「阿武隈」など収容役の8隻は計画通り、湾内の所定位置に錨をおろした。木村の目には涙がにじんでいた。「よかったな」と有近の肩を叩く。7月29日午後1時40分、つ いにキスカ湾に辿り着いた。

海岸で待つ守備隊の方は、魚雷の爆発音でとっさに身を伏せた。しかし、再び、静寂に戻り、そろそろと砂浜で身を起こすと、黒い艦船の影が見えた。「敵艦だ」「鉄帽かぶれ」「動くな」と緊張した命令が飛ぶ。砂浜に伏せたまま時間が過ぎる。

海軍将兵が叫んだ。「『阿武隈』だ!」4隻が見えた。5隻、6隻、7隻、8隻と、その数が増える。みんな立ち上がった。「ほんとに助けに来てくれたんだ」「ありがとう。ありがとう」 男たちの伸びきったひげ面を涙が濡らした。それでも隊列は乱さない。


■4.歩兵銃、投棄

救援艦隊から上陸用舟艇が次々と降ろされ、陸地に向かう。砂浜に到着すると、待っていた将兵達が整然と乗り組み、すぐにまた母艦に引き返す。

母艦に着くと、縄ばしごを上がる。その際に、歩兵銃が海にドボンドボンと投げ込まれた。通常は、命にかえても手放すな、と教えられていたが、木村は収容作業の時間短縮のために携行品は最小限とし、銃も放棄するよう指示していた。

渋る陸軍に対して、木村は、ガダルカナルの撤退の際に銃を携行したために出港が遅れた例があり、また、いざ海戦となった場合、船内に銃が散乱していては戦闘はできない、と強硬に主張した。

陸軍北方軍司令官の樋口季一郎中将は、参謀本部に相談することなく、独断で「やむを得ざる場合は放棄するを得」と決断した。「兵器は作れるが、人間は作れない」と樋口は書き残している。

樋口は、この5年前、満洲はハルビンの特務機関長をしており、ナチスのユダヤ人2万人がシベリアを横断して逃げてきたのを救った人物である[a,b]。

さらに日本降伏後に北海道占領を目指して南下してきたソ連軍に対して、千島列島・占守島で痛撃を与えた戦いでの司令官であった[c]。その時に戦った陸軍将兵の中には、このキスカ島撤退で救われた人々もいただろう。

海軍の木村少将と陸軍の樋口少将、この2人がキスカ島撤退作戦で、見事な陸海連携を生み出していた。


■5.「お互いに本当によかったな」

乗り組みの際に各人に許されたのは、かばん一つだったが、手に何かもって、縄ばしごを上ってくる者がいた。「荷物は捨てろ」と甲板からメガホンで指示が飛んだが、「これは戦友の遺品、遺骨であります」「遺品、遺骨は許す」

喜びを爆発させるように、一気に縄ばしごを駆け上がる守備隊員。甲板に上がってから、「ただ日本の軍艦に乗ることさえできれば、あとはどうなってもよいと思いました。本当にありがとうございました」と一礼する隊員。簀(す)巻きにして釣り上げられる傷病兵。

キスカ島での陸軍北海守備隊司令官の峯木十一郎は最後の一兵まで乗り込むのを確認していた。「残っている兵はおらんだろうな。病人は全部収容したか」「犬2匹は偽装のために残しましたが、島にはもはや1人の兵もいません」

峯木のひげ面がわずかながら、ほころんだ。海軍部隊の司令官・ 秋山勝三少将とともに最後の上陸用舟艇に乗り込んだ。海軍の軍用犬「正 勇」が尾を振って駆け寄ってきた。しかし、海が怖いのか、乾パンで誘っ ても、ついてこない。上陸用舟艇のエンジン音が高まり、後進全速。「正勇」が吠え立てる。「仕方がない。生きろよ」

秋山が「阿武隈」の縄ばしごを上がる。幕僚が続く。甲板では木村や有近が待ち構えていた。真新しい少将軍装の木村と一年の守備で薄汚れた少将軍装の秋山が向かい合った。「司令官、ありがとう」「お互いに本当によかったな」 短い言葉を交わし、固く握手をした。2人の目が潤んでいた。

■6.アッツ島英霊の加護

霧が晴れ始め、視界がかなり開けてきた。14時20分、「出港用意」 のラッパが鳴り出した。用済みの上陸用舟艇は、船底に穴をあけて湾内に
沈めた。
14時35分。各艦が碇を上げて、順次、出港。5200人を収容する のに、かかった所要時間は55分。救援部隊とキスカ島守備隊、双方の準 備と訓練の賜だった。

救援艦隊はスピードを上げて、キスカ島を離れていった。救出された将兵は鉄帽のあごひももそのままに、甲板でじっと身を潜めている。キスカ島では砲撃と空襲を連日のように浴びていただけに、今日だけ何もないのはおかしい。そろそろ来るのでは、と身を縮めていた。

「敵の本格的な攻撃を受けても大丈夫ですか」「そのときはお手上げです」 守備隊を救出するために、救援隊の方も生命をかけての作戦だった。

16時35分、見張り員の声がした。「敵潜水艦一隻、右正横、距離 千」 有近が双眼鏡で確認すると、敵潜水艦は浮上航行中で、艦上で乗員 が「阿武隈」の方を向いていた。「戦闘配置につけ」のサイレンが響く。艦内の緊張が一気に高まる。

「司令官、どうしましょうか。知らぬ顔で行きますか。一発やりますか」「ほおかむりで行け。この際だ。触らぬ神に祟りなし」木村はにっこり笑った。

その瞬間、敵潜水艦がパッパッと発光信号を出し、すぐに潜航して消えてしまった。味方の巡洋艦と誤認したようだった。煙突の一本を白く塗った偽装工作がまんまとうまく行った。

夕刻が近づき、艦はアッツ島の南を通った。甲板上は立錐の余地もないほどだったが、誰ともなくアッツ島に向かい、帽子をとって頭を垂れた。玉砕したアッツ島守備隊への黙祷だった。「阿武隈」の乗員も同じように、頭を垂れる。全艦が祈りに包まれた。北の波間から、「万歳」の声を聞いた者がいた。

8月1日朝、島影が見えた。幌筵島だ。上空には日の丸をつけた陸軍戦闘機「隼(はやぶさ)」が飛んでいる。キスカ島では敵機は毎日のように見上げていたが、友軍機を見るのは久しぶりだった。

岸壁では出迎えの将兵が、大きく帽を振っている。停泊している艦艇の上でも帽を振っている。「阿武隈」甲板でも、みなが帽を振って応えた。「ありがとう」「万歳」「おーい」。誰もが叫んでいた。もが泣きじゃくっていた。生きて帰ってきた。一人も残さずに生きて帰ってきた。

■7.もぬけの殻

米艦隊は、ちょうど日本の救援艦隊がキスカ湾に突入した29日だけ、 給油のために攻撃の手を休めたが、30日から再び、キスカ島に向け艦砲 射撃を再開した。

日本軍の陣地からは黒煙が上がり、時々、爆音が聞こえていた。黒煙は、撤退前に最大限、ゆっくり燃えるようにストーブや炊事場に石炭やツンドラの灌木(かんぼく)を入れ、爆音は時間差を置いて時限装置をセットしていたのである。

米軍はアッツ島奪回作戦では日本軍の激しい抵抗で、上陸兵力1万1千人中、死傷者1800人も出しただけに、キスカ島でも同様の抵抗がある ものと考え、今度は百隻近い大艦隊と、3万5千人近い大兵力を揃えた。

8月14日、米艦隊はいっせいに艦砲射撃を加えた後、15日の日の出 を期して上陸を開始した。濃霧の中を日本軍陣地に向けて手探りで進軍。

「守備隊が待ち構えている」という思い込みから、各地で激しい同士討ちが起き、死者25名負傷者31」名を出した。さらに駆逐艦「アブナ・リード」が機雷に触れて、死者行方不明者70名を出した。

日本軍の軍医が偽装のために掲げた「ペスト患者収容所」と書かれた看板を見て、あわててワクチンを取り寄せまでした。もぬけの殻と気がついたのは8月18日、日本軍主力の兵舎に到達した時だった。日本軍撤退後、20日も経っていた。

米軍はキスカ上陸作戦の戦果として、「捕虜は雑種犬3頭」と発表した。海軍の「正勇」の他、陸軍の2頭も、猛烈な艦砲射撃を生き延びたのである。米軍航空兵は「われわれは10万枚の(投降を呼びかける)チラシをキスカ島に投下した。しかし、犬では字が読めなかった」と自嘲している。


■8.英霊の加護と天佑

北方軍司令官の樋口は、後に、作戦成功の要因として、濃霧と海軍の友軍愛とともに、アッツ島英霊の加護を上げている。アッツ島守備隊があまりに見事な玉砕を遂げたので、アメリカ軍はキスカ島守備隊同様の戦術をとるものと考え、まさか撤収するとは考えもしなかったのだった。

木村は日記に、「国後」の衝突事故で突入が29日に延び、また米軍も その日は「まぼろしの敵艦隊」攻撃後に、哨戒を解いていたこと。さらに濃霧に守られながらも、突入時のみ霧が晴れて入港・収容作業が迅速容易に行われた事を挙げて、「以上はすべて天佑にあらずしてなんぞや」と書いている。

天皇陛下からは、次のようなお言葉が電文で寄せられた。


 陸海軍能く協同し有ゆる困難を克服して 今回の作戦を完遂しえて満足に惟(おも)う。

陸海軍一致協力して作戦・準備・訓練に人事を尽くしたことで、英霊と天が助けてくれたのだろう。

■リンク■

a. JOG(085) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(上)
人種平等を国是とする日本は、ナチスのユダヤ人迫害政策に同調しなかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_1/jog085.html

b. JOG(086) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(下)
救われたユダヤ人達は、恩返しに立ち上がった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_1/jog086.html

C. JOG(203) 終戦後の日ソ激戦北海道北部を我が物にしようというスターリンの野望に樺太、千島の日本軍が立ちふさがった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog203.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 将口泰浩『キスカ島 奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯』★★★、新潮文
庫、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4101384118/japanontheg01-22/

2. 阿川弘之『私記キスカ撤退』★★、文春文庫、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B009HO4IYO/japanontheg01-22/

3. 三船敏郎(出演)『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(DVD)★★★、東宝、H25
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B00CSLTC76/japanontheg01-22/


2014年08月03日

◆旅客船沈没当日、行方不明に

〜誰と会っていた? 朴槿恵大統領〜

(ソウル 加藤達也)


(2014.8.3 12:00   産經新聞)[追跡〜ソウル発]

調査機関「韓国ギャラップ」によると、7月最終週の朴槿恵大統領の支持率は前週に続いての40%となった。わずか3カ月半前には6割前後で推移していただけに、大統領の権威はいまや見る影もないことを物語る結果となった。

こうなると吹き出してくるのが大統領など権力中枢に対する真偽不明のウワサだ。こうした中、旅客船沈没事故発生当日の4月16日、朴大統領が日中、7時間にわたって所在不明となっていたとする「ファクト」が飛び出し、政権の混迷ぶりが際立つ事態となっている。

 7月7日の国会運営委員会に、大統領側近である金淇春青瓦台(大統領府)秘書室長の姿があった。まず、質問者である左派系野党、新政治民主連合の、朴映宣院内代表と金室長との問答を紹介する。

 朴代表「キム室長。セウォル号の事故当日、朴大統領に書面報告を10時にしたという答弁がありましたね」

 金室長「はい」
 朴代表「その際、大統領はどこにいましたか」
金室長「私は、はっきりと分かりませんが、国家安保室で報告をしたと聞いています」
 朴代表「大統領がどこにいたら書面報告(をすることになるの)ですか」
 金室長「大統領に書面報告をするケースは多いです」
 朴代表「『多いです』…? 状態が緊迫していることを青瓦台が認識できていなかったのですか」
 金室長「違います」
 朴代表「ではなぜ、書面報告なんですか」
 金室長「正確な状況が…。そうしたと…」

 《朴大統領は側近や閣僚らの多くとの意思疎通ができない“不通(プルトン)大統領”だと批判されている。大統領への報告はメールやファクスによる「書面報告」がほとんどだとされ、この日の質疑でも野党側は書面報告について、他人の意をくみ取れない朴大統領の不通政治の本質だとして問題視。その後、質問は4月16日当時の大統領の所在に及んだ》

 朴代表「大統領は執務室にいましたか」
 金室長「位置に関しては、私は分かりません」
 朴代表「秘書室長が知らなければ、誰が知っているのですか」

 金室長「秘書室長が大統領の動きをひとつひとつ知っているわけではありません」
 朴代表「(当日、日中の)大統領のスケジュールはなかったと聞いていますが。執務室にいなかったということですか」
 金室長「違います」
 朴代表「では、なぜ分からないのですか」
 金室長「執務室が遠いので、書面での報告をよく行います」
 朴代表「答えが明確ではありませんよね。納得し難いです。なぜなら大統領の書面報告が色々問題となっています」

 《朴代表はここで、国会との連絡調整を担当する趙允旋政務首席秘書官(前女性家族相)に答弁を求めた》
 朴代表「趙政務首席秘書官、マイクの前に来てください。女性家族部相のときも、主に書面報告だったと聞いています。直接対面して大統領に報告したことがありますか」
 趙秘書官「はい、あります」
 朴代表「いつですか」
 趙秘書官「対面報告する必要があるときに」
 朴代表「何のときですか」

 趙秘書官「案件を記憶していません」
 朴代表「では、調べて後で書面で提出してください」

 一連の問答は朴大統領の不通ぶり、青瓦台内での風通しの悪さを示すエピソードともいえるが、それにしても政府が国会で大惨事当日の大統領の所在や行動を尋ねられて答えられないとは…。韓国の権力中枢とはかくも不透明なのか。

 こうしたことに対する不満は、あるウワサの拡散へとつながっていった。代表例は韓国最大部数の日刊紙、朝鮮日報の記者コラムである。それは「大統領をめぐるウワサ」と題され、7月18日に掲載された。

 コラムは、7月7日の青瓦台秘書室の国会運営委員会での業務報告で、セウォル号の事故の当日、朴大統領が午前10時ごろに書面報告を受けたのを最後に、中央災害対策本部を訪問するまで7時間、会った者がいないことがわかった」と指摘。さらに大統領をめぐる、ある疑惑を提示した。コラムはこう続く。

コラムでも、ウワサが朴大統領をめぐる男女関係に関することだと、はっきりと書かれてはいない。コラムの記者はただ、「そんな感じで(低俗なものとして)扱われてきたウワサが、私的な席でも単なる雑談ではない“ニュース格”で扱われているのである」と明かしている。

おそらく、“大統領とオトコ”の話は、韓国社会のすみの方で、あちらこちらで持ちきりとなっていただろう。

 このコラム、ウワサがなんであるかに言及しないまま終わるのかと思わせたが途中で突然、具体的な氏名を出した“実名報道”に切り替わった。

 「ちょうどよく、ウワサの人物であるチョン・ユンフェ氏の離婚の事実までが確認され、ウワサはさらにドラマティックになった」

 チョン氏が離婚することになった女性は、チェ・テミンという牧師の娘だ。チョン氏自身は、大統領になる前の朴槿恵氏に7年間、秘書室長として使えた人物である。

コラムによると、チョン氏は離婚にあたり妻に対して自ら、財産分割及び慰謝料を請求しない条件を提示したうえで、結婚している間に見聞きしたことに関しての「秘密保持」を求めたという。

 証券筋が言うところでは、朴大統領の“秘線”はチョン氏を念頭に置いたものとみられている。だが、「朴氏との緊密な関係がウワサになったのは、チョン氏ではなく、その岳父のチェ牧師の方だ」と明かす政界筋もいて、話は単純ではない。

 さらに朝鮮日報のコラムは、こんな謎めいたことも書いている。

 チョン氏が最近応じたメディアのインタビューで、「『政府が公式に私の利権に介入したこと、(朴槿恵大統領の実弟の)朴志晩(パク・チマン)氏を尾行した疑惑、(朴大統領の)秘線活動など、全てを調査しろ』と大声で叫んだ」

 具体的には何のことだか全く分からないのだが、それでも、韓国の権力中枢とその周辺で、なにやら不穏な動きがあることが伝わってくる書きぶりだ。

ウワサの真偽の追及は現在途上だが、コラムは、朴政権をめぐって「下品な」ウワサが取り沙汰された背景を分析している。

 「世間の人々は真偽のほどはさておき、このような状況を大統領と関連付けて考えている。過去であれば、大統領の支持勢力が烈火のごとく激怒していただろう。支持者以外も『言及する価値すらない』と見向きもしなかった。

しかし、現在はそんな理性的な判断が崩れ落ちたようだ。国政運営で高い支持を維持しているのであれば、ウワサが立つこともないだろう。大統領個人への信頼が崩れ、あらゆるウワサが出てきているのである」
 
朴政権のレームダック(死に体)化は、着実に進んでいるようだ。

【自由人の思索】リーダーシップ問われる朴大統領の危機 評論家・洪ヒョン

◆後に引けぬ反腐敗「親族根絶やし」

矢板 明夫


【周永康事件の衝撃(下)】

北京市の北東部郊外、緑に囲まれた高級住宅街の中に、ひときわ目立つ敷地面積約300坪の豪邸がある。窓ガラスはほこりをかぶり、芝生は長らく手入れしていない様子だ。近所の男性によると、この建物に住んでいた中年夫婦は昨年末に突然姿を消し、それ以降、訪れる人はほとんどいないの
だという。

7月29日に失脚が公になった中国共産党の周永康・前政治局常務委員(71)の長男、周浜氏(42)の自宅である。周永康事件を取材した中国人ジャーナリストによれば、周浜氏は北京の7カ所に住宅を所有するが、この豪邸を最も愛用していたという。

周永康氏が現役だった2012年まで、週末などによくパーティーが催され、エネルギー担当の政府高官や、国有系石油企業の経営者、石油産業に投資する富豪らが集まった。

「周浜家のパーティーで中国全国のガソリンの値段が決められるのでは」とまで噂されていた。

しかし、周浜夫婦は13年12月、党の規律部門の捜査員によってこの豪邸から連行された。李華林・中国石油元副社長らパーティーの常連客たちも今、ほとんど拘束・逮捕されている。いずれも、汚職などの罪で10年以上の重い懲役刑が科される可能性が高い。

              □ □


中国石油業界の「ドンとプリンス」と呼ばれた周永康氏と周浜氏。

中国メディアは周一族の経済疑惑を大きく報じている。大手情報サイト、財経新聞網は「周永康の赤と黒」と題して、周浜氏が国有企業から数千万元(1元=約16円)で油田の開発権を手に入れてから数カ月後に、10倍以上の高値で別の民営企業に売却するなどの“錬金術”を詳報した。

中国では昔、1人が重罪を犯すと9親等までの親族を皆殺しにするという刑罰制度があった。犯罪抑止が目的とされるが、親族から報復されないようにするのが真の狙いという。その伝統は今でも変わっていないようだ。

これまでのところ、周永康氏の妻のほか、弟夫婦とその息子、さらには周浜氏の妻の両親ら、親族20人以上が拘束されたという。

そして今、周親子に代わり、石油業界の新盟主として浮上したのが、習近平国家主席に近い張高麗副首相だといわれている。

              □ □

「周永康氏だけに問題があるのか」。一連の報道でこのような疑問を持つ国民が急増している。

周永康氏一族が石油業界を牛耳ったように、李鵬元首相一家は電力業界、王震元国家副主席の家族は軍需産業など、これまで党の指導者と家族は各業界の利権を分け合ってきた。

何より習氏自身、ひとごとではなく、姉が不動産、弟が環境ビジネス業界で大きな影響力を持っている。

党が長年守ってきた「最高指導部メンバーの責任は問わない」との不文律は、党の威信維持を図る目的のほか、党内抗争激化を避ける狙いもあったとされる。

習指導部が始めた反腐敗キャンペーンは今、国民の期待が高く、やめられなくなっている。しかしこれを継続すれば、習氏は党内の激しい抵抗に遭うだけでなく、自分の首を絞めることにもつながりかねない。

「パンドラの箱を開けてしまった」(党関係者)とされる習氏。中国内外のチャイナウオッチャーが体制の行方を注視している。
(北京 矢板明夫)産経ニュース2014.8.2


◆中国の異常“軍拡”への新対抗戦略

櫻井 よし子
 

いま、アジアの海では海軍力の再編が進行中だ。焦点は無論、中国だ。

習近平国家主席は「中華民族の偉大なる復興」を、胡錦濤前国家主席は「新世紀に適応出来る強力な海軍の構築」を掲げ、中国はひたすら軍拡を重ね、力をつけた。その力によって国際法を踏みにじり、他国の領土領海を奪い続けて今日に至る。

彼らは、軍拡の真の目的も実態も公開しない。そのため、どの国も中国の意図を理解出来ていない。だが、中国がもっと力をつけたときに必ず展開しようとするであろう戦略がA2/AD(Anti-Access/Area Denial)と呼ばれるものだとは、およそ、皆が知っている。

これは第一列島線(日本列島―台湾―フィリピンを結ぶ線)と第二列島線(小笠原―グアム―豪州北部を結ぶ線)の内側に米海軍の艦船を入らせず、中国の支配を行き渡らせる戦略である。

中国のA2/ADに、これまでアメリカは、エア・シーバトル構想で立ち向かうと見られてきた。しかしこれは全面戦争を想定したもので、多くの人命が失われることが想定される。最新鋭のステルス戦闘機をはじめ、中国の重層的な防衛網を潜り抜けるためのハイテク兵器が必要で、コストも莫大だ。

一連の装備の調達は数十兆円に上るという試算さえある。そんな費用を、大幅な軍事費削減の方針を示したアメリカが捻出できるはずがない。そこで、もっと経済的な戦略が考えられてきた。

その中で非常に興味深いのが、オフショア・コントロール(沖合制御)である。専門家の間で欠点や問題点が論じられてはいるが、アメリカの次なるステージにおける新国家戦略の最有力案のひとつである。

海上自衛隊幹部学校も沖合制御に強い関心を抱き、戦略研究雑誌『海幹校戦略研究』で昨年から連続して取り上げ、分析を試みている。以下、同誌から拾いつつ、沖合制御戦略を紹介してみる。

止まる中国の物流

同戦略の提唱者は、米国防大学のハメス上級研究員である。国防総省が採用すればアメリカの次なる国防戦略となる同案に、日本はどう関わっていくことになるのだろう
か。

まず、沖合制御の概念だ。ターゲットは中国だが、従来の軍事戦略の考えとはかなり異なる。白か黒かの勝敗を求めない戦いである。戦略目的は、中国を降伏させたり中国共産党を崩壊させることではない。目指しているのは、中国がかつて戦った戦争の型である。

中国はこの60年間に約10の戦争を戦った、軍国主義と侵略の国だ。だが、どの戦争を見ても、必ずしも強くはない。朝鮮戦争、中ソ国境紛争、中越戦争などは、敗れはしないものの勝ててもいない。

しかし、たとえ勝てなくとも「敵に教訓を与えた」と宣言して、全面的にメンツを失うことなく、戦争を終わらせてきた。そのような、ある意味「中国的」な勝敗で落ち着くことを、沖合制御戦略は念頭に置いている。

戦い方は、シーレーン封鎖で経済的に追い込んで行く方法だ。

ここでつい、レーガン時代の対ソ戦略を思い出す。銃弾を1発も撃つことなく、ソ連の脅威を取り除こうとレーガン大統領は考えた。トーマス・リードら優秀なブレーンが、アメリカが年率4%の軍拡を10年続ければソ連は当然、軍拡競争に参画する、アメリカ経済は4%の軍事費増に耐えられるが、社会主義統制経済では10年で潰れる、と読んだ。レーガンは忠実にそのとおり軍拡し、ぴったり10年後にソ連は崩壊した。

沖合制御は、中国を経済的に追い詰めていくために、第一段階として第一列島線を押さえる。第一列島線の中国側の海域に機雷を敷設して、潜水艦と少数の部隊を配備し、上空も守って海空防衛網を形成する。中国経済を支える大型タンカーや超大型コンテナ船はこれで通航できなくなる。

ハメスは、作戦の目的は中国のエネルギー輸入の流れを切るというより、むしろ、中国経済の50%を占める輸出入ルートを遮断することにあると説明する。

アメリカがマラッカ、ロンボク、スンダ各海峡及び豪州の南側北側海域を制御出来れば、中国は別のルートを探さなければならない。迂回ルートはパナマ運河かマゼラン海峡だが、両海域ともアメリカのホームグラウンドだ。容易に押さえられる。

斯くして中国の物流は止まり、経済的損失を蒙る。少なくとも7%の経済成長を実現して初めて中国共産党の求心力が維持されるというが、シーレーンを閉ざされれば経済成長が止まり、共産党の存立基盤は大きく揺らぐだろう。

この戦略に中国が勝つ道はたったひとつしかないと、ハメスは書いている。グローバルな制海権を持つ海軍を作り上げることだ。だが、それには何十年もの時間と何百兆円ものコストがかかる。そんな分の悪い戦いを挑むのは損だと中国は悟るに違いない。

戦い続けても勝てはしない。ジワジワと首を絞められていくだけだ。ならばこんな損な勝負はやめようと中国に思わせるところまで締め上げる。これがハメスの論である。

これが抑止力

では、アメリカは同盟国にどんな協力を求めるのだろうか。沖合制御戦略は、オーストラリアを除いて同盟国の基地を必要としないために、同盟国や友好国にアメリカの側に立って参戦することは求めないと思われる。アメリカは殆どどの国にも依存せずに、単独で実行可能だという。

が、実際にはそうはいかないと思うべきだ。どう考えても同盟国の協力は必要不可欠である。なぜなら、貿易ルートを閉ざされた中国経済は成長が鈍り、景気悪化につながる。

国際社会は当然、負の影響を受ける。しかも、沖合制御は短期間で劇的に効果が出るのではなく、戦いは長期にわたる。日本を含めておよそすべての国 が不況の波を受けることは避けられない。そこを耐えて、どの国も足並みを揃えて共 に戦わなくてはならないだろう。

この他にも、ハメスの戦略はもっと多角的に検証しなければならない。中国が核攻撃に踏み切る可能性や、アメリカの同盟国にミサイル攻撃を仕掛ける可能性 などもある。ハメスは、核の能力において中国はアメリカに勝てないため核は使わ ないと見るが、異論もある。

このように、沖合制御は完璧ではないかもしれない。だが、こうした戦略を公に論ずること自体に意味がある。これを中国人が読めば、大変な危機感を感じる だろう。沖合制御戦略などを実施されたらたまらない。

で、そのあと、どう考える か。理性があれば、アメリカの戦略を自らも学び、分の悪い紛争は避けるだろう。これ が抑止力である。議論し、発表し、さらに議論することで戦略は高度に磨かれると同 時に、中国に睨みを利かすことが出来るのである。
『週刊新潮』 2014年7月31日号

(情報採録:松本市 久保田 康文)




◆安倍氏の「第2次大東亜戦争」宣言

平井 修一


欧州のマスコミが安倍首相について「平和をあれほど激しく訴えた人はいない」と書いていたが、これは第13回アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)での安倍氏の基調講演(5/30)についての評価だった。

どこかに講演記録があるだろうと探したら在シンガポール日本大使館のサイトにあった。「アジアの平和と繁栄よ永遠なれ」がタイトルだ。以下、転載(一部カット、小見出しは大使館が付けたのだろう)。長いが歴史的文章だと思う、読んでほしい。「,」が多いが、安倍氏の演説は、そんな間合いを取るので、省略していない。

この演説は外務省本省のサイトに載っていないのだが、中共を刺激したくない、ということだろう。ということは尖閣をめぐっては日中は「とりあえず刺激しない」ということで合意したのかもしれない。そうであれば小生が靖国に祀られる可能性は小さくなるが、まあ、政治、外交とはそんなものなのだろう。さあ、読んでいこう。

・・・
■国際法の重要さ

以上,私の情勢認識を,皆さんと共有するためお話しました。そのうえで,本日第1の要点,国際法を守るべきことを,申します。

海洋には,その秩序を定める国際法があります。歴史は古く,古代ギリシャの昔にさかのぼるといわれています。早くもローマ時代,海は,すべての人々に開放され,私的な所有や,分割が禁止されました。

いわゆる大航海時代以降,多くの人々が海を通じて出会い,海洋貿易が,世界を結びます。公海自由の原則が確立するに至り,海は,人類の繁栄の,礎となりました。

歴史を重ね,時として文字通り荒波に揉まれながら,海にかかわる多くの人々の,知恵と,実践の積み重ねがあって,共通のルールとして生み出されたものが,海に関する国際法です。

誰か特定の国や,集団がつくったものではありません。長い年月をかけ,人類の幸福と繁栄のためはぐくまれた,われわれ自身の叡智の産物なのです。

今日,私たちおのおのにとっての利益は,太平洋から,インド洋にかけての海を徹底してオープンなものとし,自由で,平和な場とするところにあります。

法の支配が貫徹する世界・人類の公共財として,われわれの海や,空を保ち続けるところ,そこにこそ,すべての者に共通する利益があります。

■海における法の支配・3つの原則
海における法の支配とは,具体的には何を意味するのか。長い歳月をかけ,われわれが国際法に宿した基本精神を3つの原則に置き直すと,実に常識的な話になります。

原則その1は,国家はなにごとか主張をなすとき,法にもとづいてなすべし,です。

原則その2は,主張を通したいからといって,力や,威圧を用いないこと。

そして原則その3が,紛争解決には,平和的収拾を徹底すべしということです。

繰り返しますと,国際法に照らして正しい主張をし,力や威圧に頼らず,紛争は,すべからく平和的解決を図れ,ということです。

当たり前のこと,人間社会の基本です。しかしその当たり前のことを,あえて強調しなくてはなりません。アジア・太平洋に生きるわれわれ,一人ひとり,この3原則を徹底遵守すべきだと,私は訴えます。

先日,インドネシアとフィリピンが平和裏に,両国間の排他的経済水域の境界画定に合意しました。法の支配が,まさに具現化した好例として,私は歓迎したいと思います。

また,南シナ海における紛争の解決を,まさに3原則にのっとり求めようとしているフィリピンの努力を,私の政府は強く支持します。ベトナムが,対話を通じて問題を解決しようとしていることを,同様に支持します。

既成事実を積み重ね,現状の変化を固定しようとする動きは,3原則の精神に反するものとして,強い非難の対象とならざるを得ません。

いまこそ,南シナ海の,すべての当事国が約束した2002年行動宣言,あのDOC(平井:ASEAN・中国間の重大文書と称えられた「南シナ海における関係国の行動宣言」)の精神と規定に立ち返り,後戻りができなくなる変化や,物理的な変更を伴う一方的行動をとらないという,固い約束を交わすべき時ではないでしょうか。

平穏な海を取り戻すため,叡智を傾けるべきときはいま,です。

■不測の事態を防ぐため

世界が待ち望んでいるのは,わたしたちの海と,その空が,ルールと,法と,確立した紛争手続きの支配する場となることです。

最も望まないものは,威圧と威嚇が,ルールと法にとってかわり,任意のとき,ところで,不測の事態が起きないかと,恐れなければならないことです。

南シナ海においては,ASEANと中国の間で,真に実効ある行動規範ができるよう,それも,速やかにできるよう,期待してやみません。

日本と中国の間には,2007年,私が総理を務めていたとき,当時の温家宝・中国首相との間で成立した合意があります。日中両国で不測の事態を防ぐため,海,空に,連絡メカニズムをつくるという約束でした。

残念ながら,これが,実地の運用に結びついていません。

私たちは,海上での,戦闘機や,艦船による危険な遭遇を歓迎しません。交わすべきは言葉です。テーブルについて,まずは微笑みのひとつなり交わし,話し合おうではありませんか。

両国間の合意を,実施に移すことが,地域全体の平和と安定につながる。私はそう確信しています。

■EAS強化と,軍事予算透明化

それにつけても,EAS(平井:東アジア首脳会議*)に重きをもたせるときが来た。私はそう思います。

(*ASEAN10カ国〈インドネシア,マレーシア,フィリピン,シンガポール,タイ,ブルネイ,ベトナム,ラオス,ミャンマー,カンボジア〉,日本,中国,韓国,豪州,ニュージーランド,インド,米国,ロシア。米国,ロシアは2011年から参加)

「ARF」(平井:ASEAN地域フォーラム)は相レベル,「ADMM+」(平井:拡大ASEAN国防相会議。ASEAN及び、日本を含む8カ国の「プラス」諸国が集う新しい枠組)は,国防大臣レベルの会議です。首脳たちが集まり,あるべき秩序を話し合う場として,EASに勝る舞台はありません。

軍備拡張の抑制,軍事予算の透明化,あるいは武器貿易条約の締結拡大や,国防当局間の,意思疎通の向上――。首脳同士が互いにピア・プレッシャー(平井:加盟国間の相互圧力)を掛け合い,取り組んでいかねばならない課題には事欠きません。

地域の政治・安全保障を扱うプレミア・フォーラムとして,EASを一層充実させるべきである。そう,訴えます。

来年が,ちょうどEAS発足10周年です。まずは参加国代表からなるパーマネントな委員会をつくり,EASの活性化,さらには,EASとARF,ADMM+を重層的に機能させるため,ロードマップをこしらえてはどうでしょう。

まず話し合うべきは,ディスクロージャーの原則です。

陽の光にまさる,殺菌薬はなし,と,そう言うではありませんか。

アジアは今後とも,世界の繁栄をひっぱっていく主役です。そんな場所での軍拡は,元来不似合です。繁栄の果実は,更なる繁栄,人々の生活の向上にこそ再投資されるべきです。軍事予算を一歩,一歩公開し,クロスチェックしあえるような枠組こそ,EASの延長上に,私たちが目指すべき体制だと,そう信じます。

■ASEANへの支援

ASEAN各国の,海や,空の安全を保ち,航行の自由,飛行の自由をよく保全しようとする努力に対し,日本は支援を惜しみません。では日本は何を,どう支援するのか。それが,次にお話すべきことです。

フィリピン沿岸警備隊に,新しい巡視艇を10隻提供することに致しました。インドネシアには,既に3隻,真新しい巡視艇を無償供与しました。
ベトナムにも供与できるよう,必要な調査を進めています。

日本が実施する援助全般について言えることですが,ハード・アセットが日本から出て行くと,技能の伝授に,専門家がついていきます。そこで必ず,人と,人のつながりが強くなります。職務を遂行すること,それ自体への,誇りの意識が伝わります。

高い士気と,練度が育ち,厳しい訓練をともにすることで,永続的な友情が芽吹きます。

フィリピン,インドネシア,マレーシア3国だけで,沿岸警備のあり方について日本から学んだ経験のある人は,250人をゆうに上回っています。

2012年,ASEAN主要5カ国から海上法執行機関の幹部を日本へ招いたときは,1カ月の研修期間中,1人につき日本の海上保安官が3人つき,寝食をすべて共にしました。

「日本の場合,技術はもちろん,1人1人,士気の高さがすばらしい。持って帰りたいのは,この気風だ」と,マレーシアからの参加者は言ったそうです。私たちが本当に伝えたいことを,よくわかってくれたと思います。

ここシンガポールでも,8年前にできた地域協力協定(ReCAAP)に基づいて,各国のスタッフが,海賊許すまじと,日夜目を光らせています。事務局長はいま,日本人が務めています。

日本はこのほど,防衛装備について,どういう場合に他国へ移転できるか,新たな原則をつくりました。厳格な審査のもと,適正な管理が確保される場合,救難,輸送,警戒,監視,掃海など目的に応じ,日本の優れた防衛装備を,出していけることになりました。

国同士で,まずは約束を結んでからになります。ひとつひとつ厳格に審査し,管理に適正を図ることを心がけつつ進めていきます。

ODA,自衛隊による能力構築,防衛装備協力など,日本がもついろいろな支援メニューを組み合わせ,ASEAN諸国が海を守る能力を,シームレスに支援してまいります。

以上,お約束として,申し上げました。

■「積極的平和主義」と「安保法制の再構築」

最後の話題に移りましょう。日本が掲げる,新しい旗についてのお話です。

もはや,どの国も,一国だけで平和を守れる時代ではありません。これは,世界の共通認識でしょう。さればこそ,集団的自衛権や,国連PKOを含む国際協力にかかわる法的基盤の,再構築を図る必要があるのではないか。そう思い私はいま,国内で検討を進めています。

いま,日本の自衛隊は,国連ミッションの旗の下,独立間もない南スーダンにいて,平和づくりに汗を流しています。

そこには,カンボジア,モンゴル,バングラデシュ,インド,ネパール,韓国,中国といった国々の,部隊が参加しています。国連の文民スタッフや,各国NGOの方々も,大勢います。南スーダンの国造りを助けるという点で,彼らは皆,仲間です。

ここでもし,自らを守るすべのない文民や,NGOの方々に,武装勢力が突然襲い掛かったとしましょう。いままでの,日本政府の考え方では,襲撃を受けているこれら文民の方々を,我が国自衛隊は,助けに行くことはできません。

今後とも,それでいいのか。われわれは現在,日本政府としての検討を進めるとともに,連立与党同士の協議を続けています。

国際社会の平和,安定に,多くを負う国ならばこそ,日本は,もっと積極的に世界の平和に力を尽くしたい,「積極的平和主義」のバナーを掲げたいと,そう思うからです。

■「新しい日本人」とは

自由と人権を愛し,法と秩序を重んじて,戦争を憎み,ひたぶるに,ただひたぶるに平和を追求する一本の道を,日本は一度としてぶれることなく,何世代にもわたって歩んできました。これからの,幾世代,変わらず歩んでいきます。

この点,本日はお集まりのすべての皆さまに,一点,曇りもなくご理解をいただきたい。そう思います。

私はこの1年と半年ちかく,日本経済を,いまいちど,イノベーションがさきわい,力強く成長する経済に立て直そうと,粉骨砕身,努めてまいりました。

アベノミクスと,ひとはこれを呼び,経済政策として分類します。

私にとってそれは,経済政策をはるかに超えたミッションです。未来を担う,新しい日本人を育てる事業にほかなりません。

新しい日本人は,どんな日本人か。昔ながらの良さを,ひとつとして失わない,日本人です。

貧困を憎み,勤労の喜びに普遍的価値があると信じる日本人は,アジアがまだ貧しさの代名詞であるかに言われていたころから,自分たちにできたことが,アジアの,ほかの国々で,同じようにできないはずはないと信じ,経済の建設に,孜々(しし)として協力を続けました。

新しい日本人は,こうした,無私・無欲の貢献を,おのがじし,喜びとする点で,父,祖父たちと,なんら変わるところはないでしょう。

変わるとすれば,日本が実施する支援や協力は,その対象,担い手とも,ますます女性になることでしょうか。

カンボジアで,民法をつくり,民事訴訟法をつくるお手伝いをした日本人が,3人の,いずれも若い女性裁判官,女性検事だったことを,ご記憶ください。

2011年8月のことでした。フィリピンの,ベニグノ・アキノ3世大統領と,ムラド・エブラヒムMILF(平井:モロ・イスラム解放戦線)議長とのトップ会談が,日本の,成田で実現し,本年3月には,とうとう,両者間に包括和平の合意がなりました。

2年後には,いよいよ,バンサモロ自治政府が産声をあげます。そのため私たち日本の援助チームは,何に,いちばん力を入れているでしょうか。

女性たちに,生活の糧を稼ぐ実力をつけてもらうことが,そのひとつです。ミンダナオに,我が国は女性職業訓練所を建てました。銃声と怒号が消えたミンダナオに響くのは,彼女たちが動かすミシンの,軽快な機械音です。

新しい日本人とは,いままでと同じように,成長のエンジンが,結局のところ人間であり,ともすると不当に不利な立場に置かれてきた,女性たちであることを踏まえ,その,実力向上に,力を惜しまない人間です。

新しい日本人は,アジア・太平洋の繁栄を,自分のこととして喜び,日本を,地域の意欲ある若者にとって,希望の場所とすることに,価値と,生き甲斐を見出す日本人です。日本という国境にとらわれない,包容力ある自我をもつ,日本人です。

中国からは,毎年,何十人かの高校生がやってきて,北から南まで,日本列島に散らばって,まる1年,日本人の高校生と,生活や,学習を共にします。

彼ら,彼女らは,例外なく,日本人の友達と結んだ友情に感動し,ホストファミリーが注ぐ愛情に涙して,母国に帰ります。日本を,第二の故郷だと言って帰ります。

新しい日本人には,そんな,外国の人たちを慈愛深く迎える心を,いっそう大切にしてほしい。そう思います。

新しい日本人とは,最後に,この地域の平和と,秩序の安定を,自らの責任として,担う気構えがある日本人です。

人権や,自由の価値を共有する地域のパートナーたちと,一緒になって,アジア・太平洋の平和,秩序を担おうとする意欲の持ち主です。

そんな新しい日本人のための,新しいバナー,「積極的平和主義」とは,日本が,いままでより以上に,地域の同輩たち,志と,価値を共にするパートナーたちと,アジア・太平洋の平和と,安全,繁栄のため,努力と,労を惜しまないという,心意気の表現にほかなりません。

米国との同盟を基盤とし,ASEANとの連携を重んじながら,地域の安定,平和,繁栄を確固たるものとしていくため,日本は,骨身を惜しみません。

私たちの行く手には,平和と,繁栄の大道が,ひろびろと,広がっています。次の世代に対するわれわれの責任とは,この地域がもつ成長のポテンシャルを,存分に,花開かせることです。

日本は,法の支配のために。アジアは,法の支配のために。そして法の支配は,われわれすべてのために。アジアの平和と繁栄よ,とこしえなれ。有難うございました。(以上)

・・・

時あたかも南シナ海で緊張が高まっている時期であり、名指しはしていないが、中共に対する強烈な牽制、警告だ。この講演に各国の参加者は大拍手したそうだが、朝日の6/5の記事にはそれは書かれていない。

この会議は英国際戦略研究所(IISS)主催で朝日新聞社などが後援しているのに、朝日が応援・代弁する中共が満座の席で「行儀を良くしろ」とたしなめられたのだから、朝日の記者もがっくりしたのではないか。以下は朝日の6/5報道(ごく一部)。

<シンガポールで1日まで開かれた「アジア安全保障会議」には、30を超える国の国防相や軍関係者らが参加した。3日間にわたった議論の「主役」は、南シナ海の領有権問題などで強硬な姿勢を見せる中国。日本からは初めて首相が出席し、米国や東南アジア諸国との連携を訴えた。

安倍首相は集団的自衛権行使に向けた国内での検討を説明し、「米国との同盟を基盤とし、ASEANとの連携を重んじる」と強調。「日本の『積極的平和主義』に感謝したい」(ベトナムのタイン国防相)といった評価も聞かれた。

米国のヘーゲル国防長官は演説で中国を名指しし、「この数カ月、南シナ海で情勢を不安定にさせる一方的な行動をとっている」と非難した。

(中国側の反論は)「これまで14のうち12の国と友好的な協議を通じて、国境紛争を解決してきた。武力で威嚇したり、挑発したりしたことはない。積極的平和主義を旗印に、地域をかき回そうとする(日本の)動きは容認できない。領土問題で中国が最初に挑発したことはない」

(中国の)主張が理解を得られたとは言い難い。会場からは、「中国が先に挑発したことは一度もないという主張を信じる国はない」「今回のような姿勢では信頼を失う」といった厳しい声が相次いだ>(以上)

・・・

来たるべき戦争が冷戦か熱戦かは分からないが、抑止がベストなのだけれど、勝っても負けても、この安倍氏の講演は「第2次大東亜戦争」宣言として歴史に残るだろうなあと思う。安倍氏はいい仕事をした。GJ!(2014/8/3)

◆恩師・立川外海先生の思い出

馬場 伯明


夏がくれば思い出す。でも、はるかな尾瀬や遠い空ではない。

昭和46(1971)年の夏、長崎大学医学部附属病院に、口加高校の1・2年の担任だった立川外海先生を、姉といっしょに見舞った。夏が来てあの場面を思い出せば今でも涙が滲んでくる。

先生は末期のガンだった。頬は窪み親指と中指の輪で足りるほどの二の腕。鎖骨は浮き寝間着の隙間から膨れた腹と肋骨が見えた。皮膚は黄色くなり仰臥し目は閉じられていた。私はベッドの傍らで大きな声を出した。

「先生、馬場です。ご無沙汰しています」「おう、馬場・・・ハクメイ(伯明)か、おまい、今どうしとっとね」「川崎製鉄に勤務し倉敷市にいます」「そ・・、そうか・・、立派になったな」

「はい、ばってん(しかし)、しっかりしてください、先生!」「わしゃ、もう、だめばい」「そがん(そんな)ことはなかですよ。姉ちゃん、そがんよね(そうだよね)」「そがんですよ、しっかりしてください」

悄然として2人は病室を退出した。先生は翌年1月に亡くなられた。享年56。私は葬儀には参列できなかった。あの日から43年経った。高校時代の恩師・立川外海先生の思い出をいくつか記したい。

 1.中学校と違い英語の授業は難しかった。1年生の教科書でロンドンの風景描写場面があった。先生の口癖は「みなんぐしゃ(南串中学校出身者)発音の悪か。なっとらんばい」である。

南串中出身の多くは正しい発音ができなかった。London(lʌndən)“ロンドン”は“ランダン?”、Tower of London(tauə ɑv〈əv〉lʌndən)“タワーオブ ロンドン”は“タワランダン?”、Tower bridge(tauə bridʒ) “タワー ブリッジ”は“タワブリッ?”と聞こえた。

実際に見てきたような話しぶりなので洋行帰りと思っていた。後年、観光旅行や出張でロンドン塔やタワーブリッジを見るたびに、立川先生の授業風景を思い出した。

 2.2年生の体育祭では張子の応援ダルマを作るなどクラスがまとまっていた。体育祭のあと加津佐町の「海の家」で打ち上げ会を先生抜きで断行し盛況・・夜が更けていく。学校の宿直や先生宅に女生徒の家などから問い合わせが殺到し大騒ぎとなった。

翌週、全員が茶道室に正座させられ川島亘先生による「教頭訓戒」処分、さらに、学級委員長の私と女性のH副委員長の2人は本城勝美先生による「校長訓戒」の追加処分を受けた。

先生は生活指導担当の久間利治先生から生徒の管理不行き届きで「厳重注意」を受けられたという。ところが、謝った私を立川先生は意外にも笑ってやり過ごされた。

 3.本城校長の重点目標は学力向上であった。立川先生も生徒の成績向上に全霊を傾け気合が入っていた。長崎県中央地区の合同模擬試験は島原・諫早・大村高校の格上高との他流試合である。

数学や物理でS君やM君、世界史でN君、英語でK君やHさんらが、高得点で上位に入ったときの喜び方は無邪気な子供のようだった。立川先生のためにもしっかり勉強しなければと思った。

 4.2年生のとき諏訪の池に学級遠足を計画したが、途中で雨になり急きょ予定を変更し(門前地区の)私の家で雨宿り。50人近くの男女生徒が屋内に溢れた。弁当を広げ、雑談・トランプ・将棋などで遊んだ。

この日父は不在。駄菓子とお茶だけの母のもてなしだったが、先生は大いに恐縮し猫背気味の背中をさらに丸め「生徒がお世話になります」と母へ挨拶。立川先生は英語の授業では猛虎、学校の外では猫同然だった。

 5.4月初めの国語の授業中、S君と私が学帽の加工について私語をしていた。「ツバ(庇)をもう少し短く」「ロウ(蝋)で固めた方がよか」など。ついに若い本多秀雄先生の雷が落ちた。「出ていけ、今年1年間2人は俺の授業は受講禁止だ!」と。仕方ないので図書館へ行った。

放課後、呼ばれた職員室で先生は顔を真っ赤にして「さ、本多先生に謝れ」と言う。一応頭を下げて帰った。後日授業は受講可となった。立川先生が本多先生を必死になだめたということを後で知った。

 6.2年生の終わり。先生に島原高校への転勤辞令が出た。3年生までそのまま担任し指導をしてほしかった。鬼の指導で学校の成績水準が向上し、島原高校など中央地区の上位進学校を急追していた(らしい)。

大学受験を先生とともに迎えたかった。「海の家」での送別会で、委員長の私は「なして(なぜ)最後まで面倒ば(を)見んと(見ないの)ですか」と厳しく追及し、駄々をこねた。

海の家の玄関から記念品を抱え背中を丸め去って行く先生の後ろ姿は淋しげに見えた。だが、じつは、立川先生は(口加高校での)受験指導の腕を買われ、抜擢され上位進学校の島原高校に栄転されたのであった。

翌春、私たちは厳しい受験戦争を立派に戦い抜き、驚異的な入試成績で立川先生と学校内外に口加健児の心意気を示した。その快挙に学校も鼻高々だった。(・・・私を含む数人は浪人となったが)。

《口加高、開校以来の好成績!!北大・東北大・東京外語大・神戸大・広島大・九大・熊本大・長崎大など国公立大学へ59人(内医学部2人)。早稲田大・中央大など私立大に30人、短大等へ27人、合計116人の合格。ほとんどが現役で驚異の合格率95%。「片田舎の普通科わずか3学級しかない学校が」と全県下の人々を驚かせている。(長崎新聞等が報道)》

さて、立川先生は黄泉の国でどう過ごされているのだろうか。英語の教科書を手に授業中なのか、それとも、早世したクラス仲間のTさんとJさんの「花」を両手に楽しく散歩かな。その後ろからK君、N君、Mさんらが追いかけているかもしれない。

立川先生、そちらで待っていてください。私たちも、もうすぐ、同行しますから・・・。 合掌
(2014/8/1千葉市在住)


◆煙草を掌で消した政治家

加瀬 英明


昭和32(1957)年のある日、私は園田直(すなお)代議士と一緒に、ニューヨークのウォルドーフ・アストリア・ホテルのエレベーターに乗っていた。引退したマッカーサー元帥に会いに行くためである。

後に福田赳夫内閣、大平内閣、鈴木内閣で外務大臣を務めた園田氏は、当時、外務政務次官だったが、私と個人的に親しかった。首相特使として岸信介首相の訪米準備をするためにニューヨークへ来ていたが、マッカーサーに会いたいというので、私が仲介の労をとった。私は留学生だった。

ウォドルドーフ・アストリア・ホテルは、28階以上がアパートになっている。住人にはマッカーサーのほかにも、コール・ポーターやウィンザー公(元イギリス国王)夫妻など錚々たるところがいた。

執事に案内されて、広い応接間に通されると、まず、その豪奢なことに驚いた。部屋の中は、椅子と絨毯を除けば、すべて日本の古美術品だった。国宝級の金屏風が3,4双並び、金銀の飾物、陶器、美術品がところ狭しと置かれている。

公職追放処分を免れようとした日本の有力者から贈られたものに違いなかった。

やがて、マッカーサー元帥が入ってきた。ダーク・グレイのシングルの背広を着ていた。お濠端の連合国軍総司令部の玄関を颯爽と出てくる姿に慣れている目には、77歳の元帥は年老いて、一回り小さくなったように見えた。

元帥は座ると、シガレット・ボックスをとって、私たちにタバコをすすめた。

・・・元帥は私たちの質問に答えて、話題は憲法9条から極東の軍事情勢にまで及んだ。一旦話し出すと止まらなかったので、質問を続ける必要はな
かった。

・・・「その時、幣原(しではら首相)がやってきて、目に涙を浮かべて、日本は平和国家として永久に軍備を放棄すべきだと言った。私は今日でも、第9条は世界に誇るべき規定だと思っている。日本は東洋のスイスでなければならない」。

私はテーブルの上で灰皿を探したが、目の前に置かれた銀の盃(さかづき)の中に、先ほど元帥が擦ったマッチの燃えかすがあったので、そこに灰を落とした。

盃の底に16弁の菊の御紋章があったので、私は咄嗟に、それが天盃(てんぱい=天皇から賜る盃)である事がわかった。しかし、テーブルには、シガレット・ボックスともう1つの天盃が置かれているだけで、ほかには何もなかった。私はやむなくこの「灰皿」を使い続けた。

「私が世界でもっとも尊敬する人物は、天皇陛下だ。私が東京に進駐するとヒズ・マジェスティ(陛下)が会いにこられた。そこで陛下は『大戦の責任は、みな自分1人にある。臣下は自分の命を奉じたに過ぎない』

と厳然として言われ『連合国が責任を問おうとするなら、まず、自分を処刑して欲しい』と述べられた。私はこのとき、真の君主の姿を見たと思った。あの瞬間から、天皇を深く敬愛するようになった」。

当時、アメリカやイギリス、オーストラリアの新聞は、天皇を国際裁判にかけて死刑に処するべきだと主張していた。

私は突然、人間の脂肪の焼ける臭いをかいだ。ふと見ると、横にいる園田氏が掌(てのひら)でタバコを消している。

その表情には何の変化もなかった。瞬きすらしないのだ。特攻隊長として終戦を迎えた園田氏は剣道、居合道、合気道など二十数段の猛者である。数秒が過ぎた後は、何事もなかったようだった。

マッカーサー元帥は、まったく同じ調子で、遠くを見つめるような目をして話し続けていた。

そのうちに元帥は、ソ連の脅威が募っていると警告した。日本が軍備を拡張し、自由アジアの一大軍事勢力として、極東の平和に寄与しなければならないと熱心に説いた。

・・・元帥がドアまで送ってくれた。客が(天盃を灰皿として使うにしのびず)掌でタバコを消したことには気付いていないようであった。それとも案外、知っていたのかもしれない。

帰りのエレベーターの中で、園田氏が私に言った。「君は、よくあの天盃が使えたなぁ」。園田氏の掌には大きな水ぶくれがあった。私は世代の差をそこに感じた・・・。

(渡部亮次郎註:畏友加瀬英明氏が先頃『昭和天皇 32の佳話(かわ)』(実業之日本社 税込み800円)を上梓された。昭和天皇こそは平成の日本人が失ってしまった日本人の美徳を体得されていたと考える加瀬氏が経験から拾い集めた昭和天皇にかかわる心温まるエピソードの集積で、興味が尽きない。

たまたま第1話にわが師園田直が、かつてマッカーサーが灰皿として差し出した昭和天皇の天盃を使わず、掌で消した話を書かれている。了承を得て再録した)。