平井 修一
AFP=時事7/15が「中国との領土争い、武力衝突の不安がアジアで増加」と報じている。
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東シナ海や南シナ海の領有権をめぐる中国と周辺国の緊張が武力衝突に発展することを懸念する人が、アジア各国で増えていることが、米調査機関ピュー・リサーチ・センターが14日に発表した調査結果から明らかになった。
調査は世界44か国を対象に実施したもので、中国と近隣諸国との領土争いが武力衝突に発展することを懸念すると答えた人は全体の62%、アジア11か国では約半数に上った。
武力衝突を恐れる割合が最も高かったのはフィリピン人の93%。次が日本人の85%で、ベトナム人の84%、韓国人83%と続いた。
また日本、フィリピン、ベトナムでは中国を最大の脅威とみなす回答が最も多かった。一方、中国とマレーシア、パキスタンでは米国が最大の脅威とされた。
米国が現在の世界の超大国だと考える人は全体の40%で、2008年の49%から減少。一方、中国が超大国と答えた人は31%と、6年前の19%から増加した。
さらに、いずれ中国は米国を抜いて世界の超大国となる、もしくは既に超大国になっていると考える人の割合は、全回答者の50%に上った。これに対し、中国が超大国になることはないとの回答は32%にとどまった。(以上)
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世界の半分以上が、超大国になりそうな中共は武力衝突を引き起こしかねない、脅威だと見ている。なぜ中国はそんな危なっかしい国になってしまったのだろう。
柯隆氏の論考「トウ小平の罠から逃れられない中国 改革開放を進めるもいまだに封建社会」(英FT7/5)から。
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社会主義をどのように定義するかにもるが、1949〜76年までの毛沢東時代の社会主義体制を考察すれば、その経済運営は明らかに失敗であった。当時、農業、工業とサービス産業のすべては崩壊してしまった。
冷戦の終結で社会主義の実験はすべて失敗に終わった。中国はその前から、「改革開放」政策の導入で毛沢東路線と決別している。今となっては中国が社会主義でないことは明白であるが、資本主義でもない。では、中国社会をどのように定義すればいいのだろうか。
今の中国社会には様々な要素があるが、その権力構造と国民の意識から捉えてみると、中国は依然として「封建社会」であると言わざるを得ない。
極論すれば毛沢東時代の中国では、農民は農地を国に奪われ、都市部へ自由に行くことすらできない「奴隷」のような存在だった。毛沢東時代の中国が奴隷社会の末期に相当していたとすれば、今の中国社会はまさに封建社会の段階である。
西洋の資本主義と民主主義の教育を受けた一部の知識人は、中国で民主化運動を推進しようとする。だが、それはしょせん無理な注文である。中国で民主化が実現しないのは、為政者がそれを拒むからという理由もあるが、草の根の民の多くが民主主義の価値観を十分に理解していないからだ。
中国の農村では、村民同士が対立した場合、裁判所に行くことはほとんどなく、村の権力者である村長に仲裁を依頼することが多い。村長の仲裁は法律に依拠するものではなく、公明正大でもない。だが村長の権威は法律以上に絶対的である。村は、中国社会を構成する最小の行政単位であり、いわば凝縮された小さな社会と言える。
実は、都市部でも同じことが言える。例えば、国有企業の従業員は夫婦喧嘩の仲裁を勤務先の上司にお願いする。無職の者ならば、町内会の会長のところに仲裁してもらいに行く。
すなわち、中国人は自らが所属するコミュニティの権威ある人物に、身の回りの問題の解決を依頼するのだ。法律は後回しである。
したがって、中国共産党は一党独裁の政治を維持するならば、常に権威を誇示し続けなければならない。
さらに、中国がいまだに封建社会であると定義する論拠として、中国社会が権力を中心とする同心円の構造になっていることが挙げられる。王朝時代の封建社会は、皇帝を中心とする同心円の構造だった。皇帝の権力を誰も制限・コントロールすることはできない。まさに絶対的な存在である。今の中国社会もまったく同じと言って過言ではない。
最高実力者だったトウ小平が「改革開放」政策を推し進めた目的は、経済発展を実現することにあった。それは正しい選択だったが、制度の構築が不十分だったため、ここに来てその矛盾が急速に露呈している。
トウ小平の改革は、短期的に経済発展を実現することはできても、持続不可能なものである。中国はいわば「トウ小平の罠」にはまっている。
トウ小平には、難しい問題をあえて無理して解決することはせず、あとの人に任せるという無責任な一面があった。民主化の政治改革をいずれ行わなければならないと分かっていたはずだが、それを性急に行うと共産党が分裂してしまうと恐れていた。
しかし、問題の解決を先送りすればするほど問題は解決できなくなっていく。今の中国では、政治改革の遅れは明らかに経済成長の妨げになっている。
中国人民解放軍に所属する作家の劉亜洲氏は、日清戦争で中国が負けたのは、技術や設備が遅れていたからではなく、制度の遅れで負けたと述べている。
中国人や中国政府は目に見えない制度よりも、目に見える技術や設備を重視する傾向が強い。だがソフトウエアが遅れれば、ハードウエアが優れていても役に立たない。中国経済が今後持続的に発展してけるかどうかは政治改革を含む制度の構築にかかっている。(以上)
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「政治改革を含む制度の構築」というのは、自由、民主、人権、法治といった制度を中共は採り入れて近代的国民国家にならなければ未来はないということだ。現実は、その未来を日々暗くしている。
奥山真司氏が戦略家ルトワックの言葉をこう伝えている。
<中国にとってベストの選択は平和的台頭。トウ小平の韜光養晦(とうこうようかい)、つまり「才能を隠して外に表さない」という路線。
セカンドベストは、日本だけを敵視する。しかし、今の現実は、世界中を敵にまわすというワーストになってしまった。
で、世界はどうすべきか。中国のために「包囲してやる」必要がある。そうすれば平和的台頭でいくしかないわけだが、実はこれは日本にとっては一番嫌なことで、中国という敵ができたので日本人は危機意識が高まり、防衛強化に乗り出せた。(平和な中国では防衛強化の大義名分がなくなってしまう)>(以上)
韜光養晦について朝日が「中華復興の大目標達成までの道のりは長い。当面は目立たないようにしてじっくり力を蓄えよ。つまり低姿勢外交を貫け」ということだと説明している。習近平には蛙の面に○○だろうが。
(2014/8/2)