2014年07月30日

◆アメリカの大学での情報管理は

前田 正晶


構内に個人のPC持ち込みと使用の禁止:

私は以前からアメリカの大学では個人のPCの使用を禁じられていると承知していました。一昨年まで8年間アメリカの私立大学4校のビジネススクールで8年間教員を務めていたYM氏は、先週23日の講演会で下記のように実体験を語りました。

先ずStanfordで「学内にネットに繋がるPCを持ち込んで使用しないこと」を厳しく通告されたそうでした。「もし、どうしても使いたければ、大学が許可した絶対安全な場所に設置されたものだけを認める」のだそうです。その場所とは極端に言えば、特定の部屋の天井から釣る下げてある箱のような床面と接触していない場所を想像すれば良いのだそうです。


実は、私はこの件は2003年から2年間イリノイ大学に研究留学された某有名私大のT教授も同じことを伺いました。即ち、私とのEmailによる連絡は自分のアパートに戻った時にしか出来なかったので返信が遅れがちの理由を説明されて確認出来ました。何故禁じられているかは説明の要はないと思いますが、一流大学は常にハッカー等に執拗に狙われているということでしょう。


また、2005年に出会ったオレゴン大学から明治大学に留学していた男子学生(偶然にもW社の木材部門の管理職の息子でしたが)と語り合った際にも「この個人のPC使用禁止はその通りであり、そのためにアメリカでは古き良き習慣である手紙を書くこと("Good old custom of writing letterhas revived." という表現だったと記憶します)が復活した」と言ったのです。


この辺りに我が国とアメリカとの情報の取り扱いの違いが見えてきます。CIAやNSAのような組織があるアメリカでは非常に厳しく管理・運営されていると思うのです。

◆戦に備えるプーチン大帝

平井 修一


ここ1カ月間ほど、プーチン大帝の動きを追ってみたのだが、彼は「完璧に戦争モードに入っている」としか思えない。平時にあっても戦争に備えることは指導者の義務だが、ウクライナでの革命・内戦は、ロシア対欧米の戦争(多分第2次冷戦)の本格化を加速した。すでに第2次冷戦=部分的ロシア封じ込めは始まっているとも言えよう。

以下の記述のサマリー的な論考として、

<【目覚めよ日本】一国平和主義は“幻想” 高まる日本への期待に積極的に応えよ ストークス氏 >(夕刊フジ7/29)のインタビュー記事から紹介する。

──ロシアも、日本の集団的自衛権容認に反対している

ストークス氏(以下ス氏)「ロシアはいわゆる『先祖返り』をたくらんでいる。プーチン大統領の本心は『ソビエト連邦の再興』だ。どんな国よりも大きく、強い国家を作りたがっている。巨大な覇権国家が成立すれば、周辺国が受ける潜在的脅威は非常に大きくなる。日本が集団的自衛権の行使を容認したことは、ロシアの『野望』を防止し、極東の安定につながる面もある」

──これらの国家(中露)は、日本にとって潜在的敵国なのか

ス氏「彼らは日本だけを敵視しているのではなく、米国との関係も含めてみている。日本が米国に寄りすぎることを懸念している。日米同盟のパワーが強くなれば、必然的に中国やロシアのパワーを弱めることになる。そうすれば彼らの野望は達成できない」

──アジア諸国の大半は、日本の集団的自衛権行使を歓迎している

ス氏「国際社会を、パワーゲームとして考えるとよく分かる。こうしたアジアの国々は、中国やロシアが巨大になることを好まない。侵略された苦い歴史があるうえ、フィリピンやベトナムのように、現在も侵奪を受けている国もある。日本による集団的自衛権の行使容認は、こうした脅威を強く牽制する。彼らは日本を信用・期待しており、安倍政権を高く評価して
いる」
──日本が果たすべき責任が高まる

ス氏「現在のような世界の対立構造の中では、どの国も『いかに泳いで生き残るか』という問題を抱えている。かつて日本が理想とした一国平和主義は、もはや通用しない“幻想”といえる。集団的自衛権を持つことは、国際社会の常識だ。そういう意味で、戦後一貫して平和国家を歩んできた日本への期待は高まっているおり、当然、積極的に応えるべきだ。安倍政権は立派に責務を果たすと思う」


*ヘンリー・S・ストークス 1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年に英紙『フィナンシャル・タイムズ』入社。64年、東京支局初代支局長に着任する。以後、英紙『タイムズ』や、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者としても知られる。著書に「英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)、共著に「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」(祥伝社新書287)など。(以上)


               ・・・

国営放送「ロシアの声」(以下同)7/16から。

ロシア人の圧倒的大多数(80%)が、すでに数ヶ月間にわたり、プーチン氏の大統領としての活動は成功しており、完全に国民の関心に応えているとの確信を表している。政治分析センターの依頼で実施された世論調査によると、最近2年間で国民の25%がプーチン大統領への「態度を改善」した。プーチン大統領への「態度を悪化」したのは、たったの4%だった。


政治分析センターのダニリン氏は、次のように語っている。

「ソチ五輪の成功とクリミアの出来事は、メドヴェージェフ政権時代にプーチン氏の支持者ではなくなった多くの有権者たちが、再びプーチン大統領の支持者に加わるための原動力となった。そのほか最近では、今まで一度もプーチン大統領を支持したことのなかった人々も、プーチン大統領の支持者となっている」

社会の大多数がプーチン大統領の活動を支持したことで、ロシアの野党陣営は著しく縮小した。一方で、プーチン大統領の支持率に影響を及ぼす可能性のある経済および社会分野には、不安定要素がある。政府は消費税を引き上げ、年金額の物価スライドを一時的に凍結する計画であり、これがプーチン大統領の支持率にネガティブな影響を与える可能性がある。


プーチン大統領の国内における政治的立場の強さは、大統領がどれほど社会の要求に応えることができるかにかかっている。(以上)

平井思うに:国民に向かって「プーチンは安保だけでなく生活向上にも力を入れますよ、支持してね」というのが上記の趣旨だ。国民の支持がなければ戦争に突入はできない。

<米独立記念日にオバマ米大統領に祝電>7/4

プーチン大統領は4日、米独立記念日を受けてオバマ米大統領にお祝いの電報を送った。

プーチン大統領は祝電で、困難や意見の相違があるものの、豊かな歴史を持つ露米関係が、相互利益を考慮したプラグマティックと平等を基盤に順調に発展することに期待を表した。

プーチン大統領は、大国として世界の安定と安全保障の特別な責任を担うロシアと米国は、自国民だけでなく、全世界の利益のために協力しなければならないと強調した。(以上)

平井思うに:「米露の対立は世界の利益に反するから、制裁もほどほどにな」という挨拶だが、その一方でしっかり軍備に力を入れている。

<ロシア戦略ロケット軍強化へ>7/4

ロシア戦略ロケット軍のエゴロフ報道担当が4日、インターファクス通信に新たなミサイル複合体の割合が今後次第に増加する予定と伝えた。

エゴロフ氏によると、2016年までに新たなミサイル複合体の割合は60%、2021年までに98%まで増加する予定。

また、兵士や武器の戦闘管理システムや、ミサイル防衛システムを克服する能力の向上などに関する装備の質的向上なども行われる。(以上)

<ロシア黒海艦隊は展開を完了>7/5

ロシア黒海艦隊は黒海における演習の第一段階に入った。艦艇や航空機が、ミサイル発射や爆撃の演習を実施する。ロシア国防省が伝えた。

黒海での演習は4日に始まった。海軍演習には、軍艦や補助艦艇など20隻、航空機やヘリコプター20機以上、海兵隊、黒海艦隊の沿岸ロケット砲兵旅団などが参加している。演習は黒海の全海域で行われる。(以上)

<ロシアとインドが共同開発した超音速巡航ミサイル「ブラモス」の発射実験成功>7/14

インド北東部オリッサ州で8日、ロシアとインドが共同開発した超音速巡航ミサイル「ブラモス」の発射実験が行われた。発射実験の責任者は、地上配備型の「ブラモス」の発射実験は成功したと発表した。

「ブラモス」は現在、インド海軍と陸軍に装備されている。なお、航空機および潜水艦発射型の「ブラモス」の発射実験も行われている。また戦闘機スホイ30MKIへの「ブラモス」搭載に向けた準備も進められている。「ブラモス」の射程は約300キロ、弾頭重量は300キロ。(以上)

平井思うに:いやはやスピード感をもって有事に備えている。大したものだ。

<ロシア 軍事活動問題における慎重さを日本に期待>7/8

ロシア外務省のアレクサンドル・ルカシェヴィチ報道官は、先日日本政府が防衛領域においてこれまで自ら課してきた制限を撤廃する決定を下したことについて声明を発表し、「ロシア政府は、日本が軍事活動問題において慎重さを示すよう期待している」とコメントした。

声明の中では、次のように述べられている。

「我々は、日本政府が集団的自衛権を宣言した事について、急いで評価を下したくはない。すべては、安倍内閣が今後実際に行なう措置にかかっている。我々は、安倍首相が2013年に明らかにした『積極的平和主義』の枠内でのものも含め、安倍内閣の行動を注意深く見守って行くだろう」(以上)

平井思うに:日本を牽制したのだが、同時に日本の民間交流の誘いにも応じている。硬軟交えた外交だ。したたか。

<極東のビジネスマンを日本の農園に招待>7/13

日本の農業の将来を模索する活動家達が、ロシア極東から、ロシア人ビジネスマンを招待する。彼らは、東京近郊で農業研修を受ける予定だ。なお参加者は、往復の航空券代だけ自分で負担し、そのほかの経費はすべて日本側が負担、加えて1500円の日当も支払われる。


参加者の選考は、コンクール形式で実施され、申し込みの受け付けは今年9月12日まで。専門家らは、ロシアのビジネスマン達が日本で農業研修を受ける事で、日ロ間の実務交流発展のさらなる刺激になるものと期待している。(以上)

一方で友好国づくりにも余念はない。

<プーチン大統領、南米歴訪に出発>7/13

アルゼンチンのキルチネル大統領は、同国を訪問中のプーチン大統領に、タンゴの演奏には欠かせない楽器、バンドネオンをプレゼントした。

この贈り物は、プーチン大統領のブエノスアイレス訪問を祝う歓迎晩餐会の席上、渡された。その際キルチネル大統領は「バンドネオンは、アルゼンチン、我々の文化そして兄弟的関係のシンボルだ」と述べた。

7月13日に、プーチン大統領は南米歴訪に出発し、すでにキューバとニカラグアを訪れた。なお大統領は、ブエノスアイレスから、サッカーのW杯決勝戦が開かれるブラジルに向け出発する。(以上)

平井思うに:プーチンは本質的に尚武の人だから、欧米の最後通牒的な要求や制裁には我慢がならない。今後6年間で60兆円を投資し軍備を充実させるという。いやはや大したもの。

<NATO軍の国境への接近に対応>7/22

ロシア安全保障会議の席上、プーチン大統領は「ロシア政府は、NATOの軍事インフラの対ロ国境への接近に、然るべく相応に反応するだろう」と次のように強調した。

「NATO軍部隊は、黒海及びバルト海域を含め、東欧諸国の対ロ国境地帯で、示威的に強化されており、ロシアはその事をよく知っている。

また防衛でなく攻撃のためのシステムであるグローバルなMDシステムの関連施設が配備され、戦略的精密兵器のストックが拡大している事にも、我々は注意を向けないわけにはいかない。

クリミアを含めたロシアの安全を強化するため計画された措置の全てを、期限内に又完全に実現しなくてはならない。現在ロシアでは、その財政規模およそ6千億ドルに及ぶ、2020年までの大掛かりな国家軍備プログラムが遂行されつつある。

ロシアに対し、ますます頻繁に最後通牒的な要求や制裁が示されているが、我々は、それらを容認できない。しかしロシア政府は、問題は対話により解決されるべきだとの立場に立っている。現在ロシアの主権と領土保全に対する、直接的な軍事的脅威はないが、これは世界に戦略的なパワーバランスが存在するからである」(以上)


平井思うに:その軍拡の一環だろう、こんな記事も。

<セヴェロドヴィンスクで原子力潜水艦一度に3隻建造開始>7/28

ロシア北方アルハンゲリスク州、白海に臨む港町で、ロシア帝国海軍を創設したピョートル大帝(ピョートル1世)によって初めて造船所が作られた地であるセヴェロドヴィンスクで、一度に3隻の原子力潜水艦の建造がスタートした。この大プロジェクトを担当する「セヴマシ」造船所の、ミハイル・ブドニチェンコ所長が、ビデオ通信でプーチン大統領に報告した>

平井思うに:3隻同時というのはド派手に見えるが、ローテーション(配備、予備、整備)を組むから3隻が最低必要なのだろう。(韓国は最強戦艦・独島を1隻しか造らなかったのでまったくの役立たずになってしまっ
たそうだ)

<プーチン大統領「ロシアの工業を輸入をしないで済むような形に」>7/28

28日、プーチン大統領は、輸入代替をテーマとする会議で、契約不履行の政治的リスクを避けるため、ロシアの工業を早急に、輸入品を補充できるような形に移行させるべきだとの課題を示した。

大統領は「ロシアにとって極めて重要なのは、軍事的・経済的な安全保障の諸問題であり、技術上の主権を守る事である」と指摘し、次のように続けた―

「我々の課題は、外国のパートナー達が契約を履行しないというリスクから自分自身を守る事にある。我々は、政治的性格のものも含め、そうしたリスクにさらされている」

今回の会議は、産軍複合体における輸入代替作業加速化に向けたもので、特別な技術や兵器を生産する際必要となる部品を国産品へと、最大限幅広く移行させてゆく問題が討議された。(以上)

平井思うに:プーチンは経済制裁で軍事物資の禁輸を恐れている。自立更生の体制づくりに力を入れ始めたのだ。

<米政府、「ロシアが中距離核戦力廃棄条約に違反」>7/29

【AFP】米政府高官は28日夜、ロシアがソ連時代の1987年に米国と交わした「中距離核戦力(INF)廃棄条約」に違反し、地上発射型巡航ミサイルの試射を実施していたことを明らかにした。

同高官がAFPに語ったところによると、ロシアのINF条約違反は2014年度版報告書のなかで明らかにされたもの。INF廃棄条約は、米ソ間で射程500〜5500キロの地上発射型ミサイルについて製造および保持を禁じている。

同高官はこの問題を「非常に深刻なもの」としており、オバマ米大統領はプーチン露大統領にこれに関する書簡を送付。米政府はロシアとの高官協議の即時開催を準備している。これには、米下院や同盟諸国も歩調を合わせているという。(以上)

平井思うに:国益のために平気で日ソ不可侵条約を破り北方四島を強奪したのが露助のやり口だ。彼らの初期設定は「条約は一時的な方便、いつでも破る用意がある」。プーチンを信じれば日本は再び騙される。最大限の用心をしてかかれ。(2014/7/29)


2014年07月29日

◆南シナ海における中越対立

阿曽村 邦昭

                    
今日もこの前に引き続き、日本でも大きく報道されている南シナ海における中越の対立問題を取り扱おうと思います。

この問題は、もちろん、南シナ海の南紗、西紗諸島の領有権をめぐる中越の対立にかかわるの問題でありますが、中国側は、前々回、既に述べましたように、国民党政府が描いた緯度も経度もない9点ライン海図(その形状からしてU字ラインとも呼ばれ、べトナム側では「牛タンライン」と呼んでいる)を「法的根拠」としておりまして、この海図によれば南シナ海の98%もが中国の領海になってしまうので、この海域における航行の自由に大きく依存する我が国としても到底座視しえない問題なのであります。

この中越対立は日本のマスコミでも大きく取り上げられてまいりましたが、わたくしの承知する限り、もっとっも詳細なのは、『文芸春秋』7月号に掲載された、ジャーナリスト森健さんおよびノンフィクションライター森功さんの「「南シナ海事変」勃発ー中華帝国の侵略を食い止めろ―」と題する「現地ルポ」であります。

この記事の中で森健さんは、ベトナム共産党理論評議会のブ・バン・ヒエン副議長の発言として、以下の発言を引用しておりますが、これは正しく引用されたものであると仮定しても、きわめて不正確で、ベトナム側の法的立場をかえって損ねるものではないかと思うのです。

まず、この引用文をご紹介しましょう。

第1点は、1051年9月のサンフランシスコ平和条約にかかわるものです。この条約では、西紗諸島、南紗諸島の放棄が規定されております(第2条)。しかし、「放棄」されたこれらの領土がどこの国に帰属するのかということは何も規定されておりません。

ところが、『文芸春秋』7月号の前述の記事の中でベトナム共産党のブ・バン・ヒエン理論評議会副議長が述べたとされる発言によれば、「同条約(講演者注:サンフランシスコ平和条約)会議の国境問題の専門部会では、ベトナム、中国を含む51カ国が参加しており、両国を含む46カ国が西紗、南紗諸島はベトナムの領土だと認定していた。」というくだりがあります。

第2点は、「これだけではありません。そこから3年後の1954年ジュネーブ協定(第一次インドシナ戦争の休戦協定)でベトナムは南北に分断されたのですが、その際も西紗、南紗諸島は南ベトナム(のちのベトナム共和国)に帰属されると明記された。この協定には中国も署名しています。(後略)」です。

まず、第1点について言えば、サンフランシスコ平和条約会議への参加に関して中国には代表権問題で中華人民共和国と台湾の蒋介石政権とが対立しており、その結果、両者のいずれもこの会議には公式には招待されておりません(なお、日本は台湾(中華民国)と1952年に個別の平和条約を結んでおりますが、この条約でもこれら2諸島の帰属には言及されておりません)。

したがって、中華人民共和国であれ、台湾であれ、vote(投票)というような公式記録に残るようなきわめて公的な意思表明をする機会が与えられるはずがないのであります。

ただ、最近、ベトナムの国連常駐代表(いわゆる国連大使)がバン・キ・ムン国連事務総長あてに発出した口上書の中には、サンフランシスコ平和条約案文の会議での審議中に中国の意を受けたソ連が中国からの13項目の要求を提示したが、反対多数で否決されたこと、そのあと、南越の代表が南シナ海における島の領有権について主張したところ、どの参加国も異議をさしはさまなかった旨、記述されております。

次に、1954年のジュネーブ協定ですが、この協定には南紗、西紗諸島の帰属に関する条項は見当たりません。

このジュネーブ協定は、本協定とそれを国際的に保障するための最終宣言とで構成されております。

まず本協定の署名者は、フランス軍司令官とベトナム人民軍(北越軍)司令官の2者であります。この本協定では、陸地部分であるベトナムの南北軍事境界線が明確に規定されておりますものの、南シナ海諸島の帰属に関しては何ら言及されておりません。

それでは、最終宣言ではどうなっているのかといえば、この最終宣言には会議参加者である米国も南越政府も署名を拒否しており、国際的に有効な文書とはなっていないのです。

この最終宣言文書は、中国をも含む会議参加諸国が本協定に規定された南北軍事境界線維持を通ずる和平に国際的な保証を与える目的で、停戦監視委員会の設置などがうたわれており、中国も署名はしたのでしょうが、米国と南越政府が署名を拒否したので、国際的に有効な文書にはなりませんでした。

ですから、どう見ても、このジュネーブ協定を根拠に南紗、西紗諸島へのベトナムの領有権を主張することには無理があります。

筆者の森健さんは、インタヴューの相手が仮にそういったにせよ、もう少しサンフランシスコ平和条約や1954年のジュネ―ブ協定について勉強してから記事を書けばもっと信頼できる記事になったでありましょう。せっかくの労作が惜しまれてなりません。

なお、ベトナム側の法的な根拠は、公式には、17世紀以来の「先占」(平たく言えば、だれもまだ手を付けていない土地に関しては、先に有効な支配を及ぼした国が主権を主張できるという慣行に基づいた理論)を根拠にしているようです。

代表的な事例をあげますと、2014年5月23日、ベトナム外務省で行われた記者会見で、ベトナム国家国境委員会のチャン・ズイ・ハイ副委員長は、こういっているのです。

引用しますと、「ベトナムは、南紗および西紗群島に関してその主権を強固に立証する完全な法的基盤と歴史的証拠(evidence)を有する。

何世紀にわたって(少なくとも、17世紀以降)、ベトナムは、これら2つの群島がいまだに無主の地であった時に、これら2群島に対しその主権を確立、行使してきた。」と申しているのです。

しかし、西紗諸島はともかく、南紗諸島はホー・チ・ミン市から東に800キロメートルも離れており、もっとも近い島でもベトナムの海岸から500キロメートルは離れております。

中国本土からはもっと離れています。地図を見ればすぐにお分かりかとおみますが、フィリピンやブルネイに近いのです。このような地理的な状況からして、いろいろな国が南紗諸島に関し、さまざまな権利主張をすることになります。ベトナム、中国、台湾が南紗諸島のすべての島々に対する領有権を主張いたしておりますが、マレーシア、フィリピンも一部の島々について領有権を主張しています。

ブルネイは、自国に近い海域を排他的経済水域として主張し、陸地に対する領有権は主張しておりません。

この2つの諸島に対する実効支配の歴史は複雑ですが、ごく簡単に申し上げますと、ベトナムがフランスの植民地であった1930年代にはこれら2つの諸島にフランスの実効支配が及んでおりました。日本がそれを奪い取り、サンフランシスコ平和条約で領有権を放棄したのです。

この後、西紗諸島に関しては、1954年の第1次インドシナ戦争の終結に伴いベトナム南部に成立したベトナム共和国(南越)政府がこの群島の西半分を占領し、中華人民共和国が1956年に東半分を占領いたしまして、18年間にらみ合いを続けていたのですが、ベトナム戦争末期の1974年1月に中国は南越軍を排除してに西半分をも手に入れたのです。

南紗諸島に関しては、1956年10月に南越政府がフォクトイ省の一部に編入いたしました。ベトナムの北ベトナム政府による統一後は、ベトナムの支配下にありましたが、1988年3月に中国海軍がベトナム海軍を攻撃して、南紗諸島を武力占領し、今日に至っております。

こうしてみますと、中国は相手が弱いとみると、必要であれば、軍事力を行使してでも領土を奪取することがよくわかります。

日本の態度はと申しますと、先般安倍総理がシンガポールで演説されましたように、「国際法に照らして正しい主張をし、力や威圧に頼らず、紛争はすべからく平和的解決を図れ」というものでありますが、その依拠する国際法の内容がいかなるものであるかは明言しておりません。

なお、日本外務省としては、北方領土、竹島、尖閣諸島のいずれに関しましても、「先占」理論を適用いたしております。

以上、若干専門的なことを申し上げましたが、『文芸春秋』のような代表的一般月刊誌に大々的に掲載されているような一応もっともらしい記事でも大きな間違いがあり得るということを銘記していただきたいと思います。
(元駐べトナム大使) 平成26年7月27日



◆外国では食の安全はないと思え

前田 正晶


見ぬこと清し(潔し?):

目下、中国のアメリカ系の食品会社(福喜と書いてフシと読ませるらしい)の安全管理が大問題を起こしているようだ。この問題が発覚したのが潜入取材だったという辺りが不思議な興味をそそる。中国の衛生と清潔に対する観念とその基準が、我が国とは大いに異なることが良く解る事例だ。

その昔、明治38年(1905年)生まれの母親が屡々指摘していたことが「見ぬこと清し」だった。その意味は「お客から(ないしは家族からとも言えるか?)見えない厨房で行われていることは全て清潔に調理されたとの善意の暗黙の了解で食べているのだ」ということだと教えられた。

これをここでも当て嵌めれば「アメリカ系の会社で作られた物ならば清潔だろう」と勝手に思い込んでいたのではないか、となりはしないか。

私は中国を2001年に上海、2002円に北京(万里の長城)と上海、2005年上海と蘇州と合計3回もパック旅行で訪れていた。そして純真無垢(ここでは "naive" でも誤りではないかも知れない)にも「中国の食べ物は安価で美味だ」と満足して帰ってきた。

2005年には中国人ガイドに「団体を離れて行動して事故が起きた場合の全責任は我々にある」との誓約書を書かされてまでも家内と共に単独行動で有名な小籠包の店に出掛けていった。美味だったし信じられないほど安かった。

その他にも商社の駐在員に教えられた名店にも行ってみたが「その価格では信じられないほど美味だった上海料理」が楽しめた。兎に角、何処で何を食べても価格を考えれば失望感がなかった。

しかし、今にして思えば「見ぬこと(見ることが出来ない?)こと清し」だったのだろうか。北京のかの有名店での北京ダックなども堪能したものだった。

東南アジアに目を転じよう。以下は清潔との関連は確実には解らないが、危険性が高いだろうとは感じていたタイ国でのことだ。

1992年に得意先の創立記念旅行に参加を要請されて生まれて初めてタイに行った時のことだった。先ず、チャオプラヤ川が市民の水浴びの場であり、洗濯や手を洗う場であり、沿岸に建つ家の排泄物まで飲み込んでいることに驚かされた。

タイ国生まれの日本人ガイドには「何処に行っても見かける無数の屋台では衛生観念とは無縁の料理が提供されているので絶対に手を出さないように」と聞かされていた。

ホテルの添乗員の部屋には多くのミネラルウォーターのペットボトルが並び「これ以外は飲まないように」と警告された。

私は一応警戒態勢を採っていたつもりだが、初めての本場のトムヤムクーン等の激辛の味を無邪気に楽しんだ。

3日目辺りからややおかしいなと感じたが、そのまま帰国して家に一泊?してアメリカ出張に家内と共に向かった。と言うのは、本社での日本からの団体のアテンドは到着した翌日の金曜日1日だけのことで、日曜日からは休暇を取ってヨーロッパ旅行に行く予定だったのだ。しかし、何としたことかタイ国の料理の影響で土曜日は朝から晩まで手洗いの中で苦しんで過ごしたのだった。

そこで、某商社の駐在員にお助けを願って下痢止めを提供して頂いて何とか治まって、無事に日曜日の朝06:30発のフライトでパリに向かった。

しかし、パリでは安全策を採ってまともなフランス料理に手を出すことなく、所謂乾燥食だけで3日滞在して兎に角観光だけをして、次ぎの目的地に飛んでいった次第だった。残念無念の思いが残った。

次なる経験は1997年7月に2度目のインドネシア出張をした時のことだった。同年の1月の初インドネシア出張の時には何とか無事に過ごせたのだったので、些か油断があったのかも知れない。

初めての時に驚かされたのが駐在員が行く先々のレストランで、先ずウエット・ティシュを取りだしてテーブルの上の全食器と箸からナイフやォーク等も拭いてしまったことだった。彼は「これは常識で店側も気にしないからドンドンやるように」と指示した。

また、飲み物は瓶でも缶でも直接口をつけずにストローを使用することで、ストローも疑ってかかり、拭いてからが無難だと教えてくれた。この時は無事に1週間の出張を終えて帰国した。なお、タイ国もインドネシアでも水を飲むことは禁止で冷蔵庫の氷も絶対に飲み物には入れないことは常識だった。

そこまで承知していても2度目のインドネシアではジャカルタの次のスラバヤでやられた。いや、何でやられたかは解らなかった。同じ食事を続けて来た2人の同行者は無事で朝から予定通りに工場訪問に出掛けたが、当方は午前中一杯を手洗いの中で過ごしたものだった。

食の安全が確保されていない国に駐在した人たちに聞くと「赴任後の1ヶ月は下痢との戦いで、この難関を通り越して初めて一人前だ」なのだそうだ。

それでは短期の旅行者が無事に切り抜けるのは至難の業ではないかと思わざるを得ない。私は何故か5回も訪れた韓国と中国では無事だった。アメリカはレストランで水が出てくるので、それは少なくとも安全の保証のシグナルだと思っている。

それに在職中の22年間に50回以上出張していても無事に過ごせた。あるいはアメリカの食べ物に対すいる適性は、習うよりも既に我が国で馴れていたためかも知れない。

もしかすると、我が国にはマクドナルド等の無数のアメリカのファストフードチェーン店が広まっているので、「我々の胃腸がアメリカ化されているのかも知れないのかな」などと詰まらないことを考えているのだが。

何れにせよ「外国に行ったならば、そこでは我が国ほどの食の安全は確保されていないのだ」と疑ってかかって良いだろうし、どのように食材が確保され調理されているのかは見えないのだから。必要なことは「性善説を信奉しているのは我が国だけのこと」という認識かも知れない。


◆研究進む「ウナギ完全養殖」

伊藤 壽一郎


ニホンウナギが6月、国際自然保護連合の絶滅危惧種に指定された。保護機運の高まりで国際取引が規制されると、うな丼が食べられなくなるかもしれない。そんな事態を避けるため期待が高まっているのが、天然資源に頼らない完全養殖によるウナギの量産だ。29日の土用の丑の日を前に、研究の最前線を探った。

稚魚は激減

「天然資源を守りながら将来にわたってウナギを安定供給するため、一刻も早く実用的な完全養殖の方法を確立したい」。水産総合研究センター増養殖研究所(三重県南伊勢町)の田中秀樹ウナギ量産研究グループ長は、情熱を込めてこう語る。

通常のウナギ養殖は、シラスウナギと呼ばれる体長5センチ前後の稚魚を沿岸で捕らえ、成魚に育てる。稚魚の年間採捕量は1960年代に100トンを超えていたが、2012年はわずか2トンで国内需要の約1割にまで激減した。残りは中国などからの輸入に頼っており、国際取引が規制されると大打撃は確実だ。

完全養殖は受精卵を成魚に育て、採卵して人工授精し、再び成魚にする循環型の技術。ウナギでは田中氏らのチームが10年に世界で初めて成功し、日本の食文化の危機を救う画期的な研究として脚光を浴びた。だが、田中氏は「解決すべき課題が多く、実用化には時間がかかる」と慎重に話す。

青い光の飼育室

ウナギは、卵から孵化(ふか)すると、レプトセファルスという柳の葉のような形をした幼生になる。それが親ウナギに似た姿の稚魚に変態し、成魚に育つ。

増養殖研究所の飼育室では、小型水槽で多数の幼生を育てている。通常は暗くしておくが、餌をやるときは光を照らす。海中のような青色の光が適しており、飼育室は幻想的な雰囲気だ。水温も生息域に近い25度前後が餌をよく食べ成長に適している。

課題は飼育法の改良だ。自然界では稚魚になるまで100日から半年程度だが、養殖は早くて150日、遅いと1年以上もかかってしまう。

幼生の餌はアブラツノザメの卵などをスープ状にして与えているが、最適な材料は分かっていない。アブラツノザメは絶滅危惧種の指定候補で、先行きが不安な面もある。調達が容易で成長にも適した餌を模索中で、鶏卵も候補の一つという。

飼育規模の拡大も課題だ。飼育室では5〜20リットルの小型水槽で数十匹ずつしか稚魚に育てられない。同研究所南伊豆庁舎(静岡県)では昨年以降、形状や水流を工夫した1千リットルの大型水槽に孵化直後の仔魚(しぎょ)約2万8千匹を入れ、半年で幼生約900匹、1年で稚魚約300匹の育成に成功したが、本格的な量産には生存率をさらに向上させなくてはならない。

良質な受精卵を安定生産する手法の確立も必要だ。ウナギは飼育環境では性的に成熟しないため、生殖腺を刺激するホルモンを投与する。だがこのホルモンをウナギから採取するのは困難で、サケの脳下垂体からの抽出物などで代用しているため、成熟も孵化率も安定しない。

最近はウナギのホルモンを人工的に生産して投与する研究を進めており、雄は100%近く成熟できるようになったが、雌は投与量などの試行錯誤が続いている。

20年にも商業化

総務省によると、日本の天然魚の漁獲量は1984年の1160万トンをピークに年々減少。2012年は約3分の1の380万トンにまで落ち込んだ。漁獲量の回復が難しい中、100万トン程度にとどまっている養殖魚の生産をどこまで増やせるかが鍵になる。

政府は20年にウナギ完全養殖の商業化を目指している。田中氏の目標は、まず16年度をめどに稚魚を年間1万匹量産する技術を確立すること。その先にあるのは養殖に適したウナギの育種だ。

完全養殖での稚魚の生産コストは餌の材料費や光熱費、設備費などを考えると、天然よりはるかに高くなるのは確実だ。それでも、完全養殖を何世代も繰り返すことで「成長がよくておいしく、栄養価が高くて飼育しやすいウナギの特徴や条件が見えてくるはずだ」と田中氏。養殖に最適な品種を確立し、低コストでの安定供給を目指している。産経ニュース2014.7.28

2014年07月28日

◆外資たたき? やらせ?飛び交う陰謀説

矢板 明夫


期限切れ鶏肉問題 

中国上海市にある食肉加工会社「上海福喜食品」が7月中旬、マクドナルドなど外資系大手ファストフード店に期限切れの肉を使用した商品を供給していたことが中国メディアに報道され、食の安全問題への関心が一気に高まった。

中国国内のインターネットに「もう何も食べられなくなった」といった不安の声が多い一方、「食の安全問題で外資系だけがクローズアップされるのはおかしい」「政府の陰謀かもしれない」といった意見も寄せられた。

一連の不正が明るみに出たのは「上海福喜食品」の従業員の内部告発がきっかけだったという。上海市のテレビ局のスタッフが同社の臨時従業員として3カ月に亘って潜入取材し、半月近く過ぎた鶏肉や鶏皮を混ぜて出荷したり、床に落ちた鶏肉を肉棚に戻したり、期限を7カ月も過ぎた牛肉を使っていたなどの衝撃の映像をカメラにおさめた。

上海福喜食品は米国の食品卸売会社OSIグループの中国法人で、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキン(KFC)など多くの外資系大手ファストフード店に食用肉を供給していた。

これらの企業は「慶豊包子」などの中国の民族系ファストフード店と比べて、値段は高いが、食品安全問題で良好な企業イメージがあった。都市部の若者などを中心に人気を博し、近年中国で営業規模を拡大させている。

今回の上海テレビの報道を受けて、インターネットでこれらの企業に対する非難が殺到した。「中国人をばかにしているのか」「外国系企業を中国から追い出せ」といった書き込みが多く寄せられた。

しかし一方、テレビの潜入取材の映像があまりにもきれいに取れていることから「これは盗撮ではなく、やらせではないか」といった意見もみられた。

また、上海福喜食品は中国人が経営する大手レストラングループ「小肥羊」などにも商品を提供しているのに、中国メディアはほとんど伝えなかった。

さらに、テレビニュースの中に「だから外国資本の企業は信用できない」「これからは中国の店を使いたい」といった街頭で取材した市民の声を繰り返して流していることから、「目的は外資系たたきではないか」と推測する声多かった。

「中華民族の偉大なる復興」を政権スローガンにしている習近平政権は外資系企業が中国で影響力拡大に対する不満が今回の調査報道の背景にあったと分析する意見もある。「外資系の店の食べ物は問題あるかもしれないが、民族系企業と比べたら、はるかに安心できる」といった意見も多かった。              (中国総局 矢板明夫)
産経【中国ネットウオッチ】2014.7.27


    

◆独裁者・習近平が処刑される日

平井 修一


何清漣女史は「北京の『反腐敗』の影響とそのボトルネック」でこう書いている。

<習近平の反腐敗の真のボトルネックは、その規模にあるのではなく、目標を既得権益層の最大の受益者グループである太子党にまで広げるかどうか、にあります。

現在、習近平はすでに江沢民の時代につくられた「最高トップの中共常務委員は何をしてもどんな罰も受けない」という潜在規則を破りました。しかし現在までに失脚した汚職役人には中共の元老の子供や孫の紅色家族メンバーはひとりもいません。

(平井:失脚したのは主に江沢民派の平民ばかりで、それ以外の習の属する太子党など代々の紅色貴族はほとんど失脚していない、ということ)。

このような反腐敗の身分的分別は現在進行中の摘発の信用に影響を及ぼします。成果があがっても却って民衆は信用しないでしょう。紅色家族の腐敗に逃げ場を開けておくならば、その腐敗は限りなく(存続し)、役所の腐敗はなくなりません。

私は国のためだろうが中共自身のためだろうが、天下の民草のためだろうが、現在の段階の反腐敗はやるべきことだし、もっと力をいれてやるべきである、と思っています。それがいかに大変なことかはわかっていますが、そして第二段階の政治改革までやるというのはほとんど不可能だとも承知しています。

しかしそれでも私はこの文章を書いてみたかったのです。それはこの国の未来に対する“ほんの小さな希望”として>

絶望的な中共にあっても「反腐敗はほんの小さな希望」なのだって・・・ずいぶんとナイーブだなあ、やっぱり女なんだなあと思ってしまう。「政治改革」とは中共独裁を止めることであり、中共が利権を放棄することであり、そんなことは「ほとんど不可能」どころか絶対あり得ないのに。

反革命・反中共の全国暴動、騒乱、内乱を起こして中共党員を処刑するしかないのに・・・何清漣は甘すぎる。毛沢東曰く、「政治はきれいごと、お上品なやり取りではない。殺すか殺されるかだ」。

大躍進、文革、64天安門などで中共独裁により流された8000万人の血は、中共党員8000万人の血で贖われなければならない。これが原則、大前提だ。

伊藤努氏(外交評論家)の論考「全権掌握でタカ派政治 習近平『皇帝』」(朝雲7/24)から。

<共産党が支配する中国の最高意思決定機関は、習主席以下の7人(平井:チャイナセブン)で構成する党政治局常務委員会だが、内情を知る中国人専門家によれば、現指導部では習主席は政治局常務委における「皇帝」であり、その下に李克強首相を含む「6人の助手」がいるにすぎなくなっているのだという。

習主席の指導スタイルは前任者の胡錦濤前主席とも対照的で、「前主席は他の政治局常務委員と共同で政策決定を行っていた」とこの専門家はサイト記事の中で一級の極秘情報を明かしている。

中国人専門家の見方を裏付けるように、昨年6月の米中首脳会談に立ち会ったオバマ米政権の高官も、重大な戦略的決定は習主席一人によってなされていることを確信していると語っていた。

絶大な権力が一人に集中した感がある習主席の統治方法のもう一つの特徴は、軍と密接な関係を築いていることであり、彼の元には政策決定する際の判断材料となる情報や分析が、軍ないしその周辺の対外強硬論者からもたらされる構図ができているとされる。

権威主義体制下の最高指導者によるトップダウン統治のリスクを認識し、予想し得る有事に備える対応を十分練っておく必要があるのではないか>

“金北豚”同様、独裁者・習近平の最後の拠り所は軍隊だ。軍は習に忠誠を誓い、習は軍の利権を保証する、というウィンウィン状況にある。

「中国の『トラ退治』が失敗に終わる理由」(FT7/25)から。

<習氏が、政敵を追い落とし、誰が実権を握っているのかを示すことで自らの権力基盤を固めるために汚職撲滅運動を使っているのは間違いない。だが、その熱意は、他にも事情があることを示唆している。

習氏は、汚職が共産党支配の正当性そのものを蝕み始めていると結論付けたように見える。

だが、その狙いが本当に中国から汚職を追放することであるなら、今回の運動は失敗する運命にある。その理由は2つある。

第1の理由は、戦いが行われているやり方だ。独立した司法制度がないため、汚職撲滅運動は結局、法律による裁きではなく、共産党による裁きになる。

身柄を拘束された人の多くは確かに有罪かもしれない。だが、裁判がしばしば通り一遍の不十分なものであったり――あるいは秘密でさえあったり――するうえ、裁判官が党の支配下にあることから、我々には確かなことが決して分からない。中国国民にとっても同じことだ。

どれだけうまく行ったとしても、汚職撲滅運動は結局は恣意的で政治的動機を持ったものと見なされるのだ。

2つ目の問題は、それと関連している。汚職撲滅運動は、これまで以上に多くの人々、産業、政府機関がその渦に飲み込まれており、毛沢東主義者の粛清の恐ろしい特徴を帯びているように見える。

だが、限界があると考えてまず間違いない。絶対に影響を受けない人もいる。結局のところ、計り知れない蓄財の疑惑は、組織の最高幹部まで行き着くからだ。そうした疑惑は、過去の指導部だけでなく、現在の指導部にも矛先が向けられる(平井:そんなことはできやしない)。

では、すべてはどこで終わるのか? 習氏はいずれ打ち切りを命じなければならないと考えるのが妥当だろう。思いも寄らない可能性があるとしたら、それは18世紀のフランスのように、革命が我が身を破滅させる結果になることだ>

フランス革命・・・か。国王ルイ16世は王制に対する国民の反発を緩和するために漸進的な改革を目指したが、特権階級と国民との乖離を埋めることはできなかった。

1789年7月14日のバスティーユ監獄襲撃を契機としてフランス全土に騒乱が発生し、国民議会が発足、革命の進展とともに王政と封建制度は崩壊した。ルイ16世と王妃マリー・アントワネットはあえなくルイ16世特製(「刃は斜めにしたほうが斬れやすい」と改良を指示)のギロチンの露と消えた。素敵な切れ味だった。

習と彭麗媛夫人もチャウシェスク夫妻のように反旗を翻した軍により銃殺されるのだろう。あるいはムッソリーニのように首を吊られるのか。我々は現代史のクライマックスを近く目撃する。全国3000万の老人、中共殲滅、支那解放へ決起せよ。のんびり熱中症で往生している場合ではないぜよ、靖国で会おう!(2014/7/26)

◆ビーフステーキの思い出

前田 正晶


アメリカでは確かにビーフステーキ(=beef steak)は良く食べた。これは必ずしも「それが美味である」とか「好みであるから」という理由ではなかった。

では何でかと言えば、カイロプラクティックの野路秀樹先生に「牛肉は人を奮い立たせる要素がある食べ物だから、長期の出張中に疲労感が出てきたら食べると良い」と教えられていたからだった。

既に述べたように私は「アメリカのステーキが美味くない」というのは必ずしも正しい説だとは思っていない。勿論、人にはそれぞれの好みがあり、我が国で一般的な綺麗なサシが入った軟らかい肉が良い人もいれば、アメリカ風の量が多くて少し噛み応えがある肉を良しとする人もいるものだ。

1975年だったかに、都内で時間の関係で今となっては懐かしき"Volks"に何の事前の説明もせずに、ボスを案内したことがあった。彼はそのステーキにたれをかけて食べていた私に「何という無駄なことをするのか。これほど柔らかくて美味い肉はそのまま食べてこそ価値が解るのだ」と言って賞味していた。これぞ毎度お馴染みの(食の)文化の違いだと痛感した。

アメリカではヒレ(fillet)よりも脂身があって噛みやすいと思っていたサーロイン(sirloin)を多く食べていた。量は黙っていれば概ね1ポンド(0.4536キロ)だと思っている。これは我々にとってはかなり多めで、馴れないうちは食べきるのに苦労したものだった。しかし、気力を回復する効果があったと信じている。

Tボーン・ステーキ(T-bone steak)も時偶楽しんだ。これはT字型の骨の両側にサーロインとテンダーロインが付いているもので、1人で食べきるのはかなり大変だった。しかし、これらのステーキの値段は先ず我が国で食べるもものの50〜60%であるから、その数量からすれば割安だと思っている。

アメリカのステーキでも「これは美味だ」と味わったのが「シャトーブリアン」(chateaubriand steak)で、確か2人以上いないと注文出来ないと記憶する。初めてその機会を得たのが、ワシントン州にある軍隊の基地内の将校以上専用のOfficers Clubだった。その威容にも圧倒されたが、「ナルホド勧められただけのことはある」と味わった。

次ぎはステーキ関連の話しであるが、味のことではない。1980年代に入った頃にカリフォルニア州のナパヴァレーにサンフランシスコ営業所長の別宅に案内された後で、その地方のレストランに食事に行こうとなった。そこは予約無しに訪れたのだったが、「幸運にも丁度テーブルが空いたところだ」と何故か所長夫妻は感激していた。そこは石焼きステーキのレストランで、結構美味いステーキと(当時は少しは飲めたので)カリフォルニアワインを堪能した。

しかしながら、夜だったので自分がどのような建物にいたのか知らないままに食事の後でサンフランシスコ市内に向かった。すると、そこには空港があって多くの小型機が離着陸していた。ナパヴァレーのローカル空港だった。所長夫妻は「あの飛行機は石焼きステーキを食べに来る人たちのもので、飛行機で来るほど価値があると言うほどの人気だ」と説明してくれた。矢張りアメリカはスケールが大きいのだとひたすら感心させられた。しかし、このレストランは今や廃業したと聞いている。惜しいことをしたものだ。

イタリアに話しを移そう。1999年にたった一度だけ訪れたイタリアだが、出発前にイタリア駐在経験がある商社マンに「何処で何を食べれば良いか」と教えて貰った。その時に貰ったメモに "Bistecca allaFiorentina" とあった。即ち、「フィレンツエに行ったらお試しを」ということだった。パック旅行で、フィレンツエではホテルの外に食べに行く時間の余裕がなく、ダイニングルームでそのメモを見せて注文した。

この「ビステカ・アッラ・フィオレンティーナは言うなれば T-bonesteak のイタリア版で、肩ロースのステーキのことだった。その量は家内と二人に丁度適量(大量?)で味は流石と思わせてくれた。貴重な経験だった。

最後に、アメリカのステーキの悪用法(?)をご紹介しよう。それは(ここだけの話だが)アメリカをご案内して差し上げるお客様の中には我々アテンド(attend)即ち「お世話する」側を苦労させて下さる方がおられることがある。そのような場合に最後の夜などに「折角お出でになったのだからアメリカのステーキを賞味されては如何」とお薦めする。

さらにその前に私は通常「ハーフ・サイズ」を注文するシーザーサラダ(Caesar salad)や、大きなバケツが出てきたかと思わせられる「アサリの酒蒸し」(steamed clams)を前菜に注文して差し上げるのだ。ここまでで先ず100%以上の満腹となる。そこで500グラムのステーキが出てくるのだ。しかもその前に「アメリカでは食べ残しは非礼である」などと申し上げておく。

そしてお客様が全部食べきるために悪戦苦闘される様子を横目に見て、自分の適量のステーキを楽しんでいたものだった。これは決して意地悪ではなく、これらの三品はどれをとってもアメリカならではの美味い食べ物で、我が国では味わえないものだと確信している。もし問題があるならば、一寸分量が多いことくらいかな。

◆キスカ島守備隊を救出せよ(上)

伊勢 雅臣


米軍に包囲された孤島の守備隊5千2百名を救出すべく、木村昌福少将率いる艦隊は死地に赴いた。

■1.「村長さんみたいな人」

昭和18(1943)年6月14日、第1水雷戦隊司令官に命ぜられた木村昌福(まさとみ)少将を乗せた軽巡洋艦「阿武隈」が、千島列島最北端、幌筵(ほろむしろ)島に着いた。そのすぐ北はもうカムチャッカ半島の先端部である。

木村少将は「阿武隈」に乗り込んですぐに司令部幕僚を集め、簡単な打合せをしたが、司令部メンバーの感想は「ヒゲは豪傑でも春風駘蕩(たいとう)のムードがある村長さんみたいな人」だった。そんな司令官の登場に、艦橋内には緊張のなかにも和やかな雰囲気が漂った。

幌筵島には、北太平洋を守備範囲とする第5艦隊が司令部を置いていた。木村が到着すると、艦隊司令長官から、先任参謀の有近六次中佐とともに呼び出された。

司令長官から木村に与えられた命令は、キスカ島を占領している5千2百人ほどの陸海軍将兵を救出することだった。アリューシャン列島はロシアのカムチャッカ半島からアラスカ半島を首飾りのようにつないでいるが、キスカ島はその真ん中よりやや西側にある。

キスカ島は純然たる米国領土であり、建国以来初めて外国軍隊に領土を占領された米軍はメンツにかけて大反撃を行った。米軍は1万1千の兵力で、キスカ島の西にあるアッツ島を襲い、同島の陸軍守備隊2千6百余名は、壮絶な戦いの末に玉砕していた。

その際に、海軍は救援部隊も送れず、補給さえもできなかった事で、陸軍に負い目を感じ、今回はどのような犠牲を払っても、キスカ島の部隊を救出しなければならない、と考えていた。

東西を米軍に挟まれたキスカ島。その死地に飛び込んで、5千2百人もの将兵を救い出せ、とは、想像するだに容易ならざる命令であった。しかし、木村はいつもと同じように平静に「承知しました」と答えた。


■2.「帝国の隆『昌』と人民の幸『福』」

木村昌福は、明治24(1891)年に静岡県に生まれた。父親は雄弁な弁護士であり、かつ改進党員として演説会にも登壇する地元の名士だった。子が生まれた日に開かれた第2期帝国議会の開院式で明治天皇が「帝国の隆『昌』と人民の幸『福』」と述べられた一節から、父親は「昌福」と命名した。

豊かな家庭で、しかも国家のために尽くす父親の許で育てられたせいか、昌福は自分の事よりも他人の幸福を考えるという性格に育った。

コセコセと勉強したりはしないため、静岡中学校での席次は80人中39位という平凡な成績だった。しかし、ここ一番という時には、本来の能力を発揮したようで、定員わずか120人の超難関、海軍兵学校に合格している。

海軍兵学校での卒業時の成績は118人中107番という「ほぼビリ」であり、卒業後は水雷艇の艇長など、地味な道を歩んだ。しかし、木村は不満も見せずに、小さな艦艇で乗員たちを息子同様に愛情を持って育てた。

大正12(1923)年の関東大震災の際には、海軍高官が木村の操る水雷艇「鴎」に乗って、隅田川河口を視察した。流出した家屋の一部などが一面に浮遊するなか、「鴎」はそれらを巧みに避けながら、ピタッと桟橋に横付けした。高官たちから「艇長はだれだ。実に見事なものだ」との声があがった。しかし、木村は日記に「関東大震災救護任務に従事」としか記していない。

昭和14(1939)年、給油艦「知床」の艦長時代、南洋航海の帰りに伊豆諸島の近くを通った。ちょうど乗員に三宅島出身者がいたので、わざわざ同島に立ち寄る事とした。軍艦が近づける港がないので、沖合に停泊し、両親を艦に呼び寄せて息子に引き合わせた。両親と息子ばかりでなく、他の乗員まで木村の思いやりある処置に感激した。

■3.「責任は俺が取るから、決して焦(あせ)るなよ」

キスカ島守備隊救出の命令を受けた木村は、「阿武隈」に戻ると、有近に言った。

「とにかく至急、計画を立ててくれ。まず連れていく艦は何にするか。何を連れていくにも俺は先頭艦に乗って黙って立っているから、後は全部貴様に一任する。

 先任参謀、ただひとつ注意しておくが、責任は俺が取るから、決して焦(あせ)るなよ。じっくり落ち着いて計画し、十分訓練してから出かけることにする。霧の利用期間はまだこれから2ヶ月もあるんだから」。


「霧の利用」とは、北太平洋で夏の間、発生する濃霧の事だった。艦隊が濃霧に隠れてキスカ島に近づき、将兵らを収容するのが、唯一可能な作戦だった。

そのために有近は、気象専門士官の派遣と、対水上用レーダーを装備し、最高速40ノットを誇る最新鋭の大型駆逐艦「島風」の編入を第5艦隊司令部に要望した。

すぐに気象専門官として派遣されてきたのは、九州大学地球物理学科を卒業して気象班に配属されていた橋本恭一少尉だった。橋本少尉は米国の最新の気象予報の専門書も研究し、また北太平洋の過去の気象資料を毎晩、ほとんど徹夜で分析した。

■4.「5割撤収できれば大成功」

救出艦隊の準備としては、5200人の将兵を1時間以内に収容するために、1隻あたり120名の乗れる上陸用舟艇合計22隻を、巡洋艦2隻、駆逐艦6隻に配備した。さらに警戒任務のために最新鋭の「島風」も含め駆逐艦6隻、および給油艦「日本丸」を配備する、という大規模な編成となった。

さらに、濃霧の中で艦隊行動をするための航行や給油艦からの補給の訓練、「島風」のレーダーを使って地勢や水深を把握する訓練、キスカ湾突入時の収容訓練も徹底的に繰り返された。

また2本煙突の駆逐艦は、白く塗った煙突を1本仮設して、濃霧の中で米艦のように見せかける偽装も行った。

7月4日、訓練を終了すると、木村は次のように日記に記している。


<何程の将士を乗艦せしめ得るや実のところ確信なかりき。少しにても乗せればそれにてよし 乗せてから敵機にやられるならば之(これ)は止(や)むを得ぬ 全部乗艦せしめ得ればあとは根拠地に到着し得ずとも「成功」というべき程の困難なる作戦なり>

救出を待つキスカ島守備隊の方からは「(撤収が)半分できたら大成功なので、救援艦隊は余裕を持って、6割撤収に備え、準備して下さい」と申し出たほどだった。

しかし、木村はあくまで「全員撤収」にこだわり、そのための準備・訓練を進めていた。


■5.「もう来ないのじゃないか」

7月7日、19時30分、救援艦隊は出撃した。キスカ湾突入予定日は11日。島内の海軍部隊は湾周辺に駐留していたが、陸軍守備隊は山中に分散しており、突入時間に合わせて、何時間も前からキスカ湾まで歩いて行かなければならない。

難しいのは撤収に成功した場合と、失敗して今後、敵との一戦に備えなければならない場合の両方を想定しなければならない点だった。そのため、武器庫や高射砲、食料庫などを敵に使わせないように時限爆弾を仕掛けた。また敵機からまだ兵がいるように偽装するため、古い軍服を着せた案山子(かかし)をあちこちに立てた。

11日早朝、キスカ湾から約6キロの山中に陣を敷いていた高射砲部隊に、「行動開始。15」時乗艦地集合」との電話が入った。ガスが出ていて、これでは敵機も飛べない。すでに身辺整理を終えていた一行は、安心して、約2時間かけて雪の積もる山道を歩いて行った。

救援艦隊はキスカ島まで数百キロの海域まで近づいたが、橋本少尉の予測は、11日のキスカ島は高気圧が発達して、「霧なし」だった。この日は米艦隊がキスカ島を砲撃した。木村は突入日を13日に延期した。

再設定した13日も、橋本は、高気圧が去らず霧は少ないと判断した。木村は翌14日に突入を再延期。今度は濃霧となったが、キスカ湾東海に米駆逐艦が哨戒していた。この間、毎回、山中の高射砲部隊は湾までを往復していた。行きはまだしも、帰りは足取りが重い。「もう来ないのじゃないか」「アッツの二の舞か」と心も重くなった。

■6.「帰ろう。帰れば、また来ることができるからな」

15日は残りの燃料からすると、最後のチャンスだった。午前2時には視界数メートルの濃霧で、キスカ島に「突入す」の暗号電信を打った。受電したキスカ島の電信室では歓声があがった。

しかし、時間を追うに連れ、天候が回復し、救援艦隊がキスカ島まで200キロほどに近づくと、視界は開けて20〜30キロ。時折、青空も見えた。

「阿武隈」の艦橋では、木村を中心に、重苦しいムードに包まれていた。周辺の駆逐艦艦長から「本日をおいて決行の日なし ご決断を待つ」との信号が次々と寄せられた。

木村は目をつむり、じっと考え込んだ。どのくらい時間が経っただろう。木村はきっと顔を上げ、有近の方を向いて言った。「先任参謀、帰ろう」

そして誰に言うともなく、つぶやいた。「帰ろう。帰れば、また来ることができるからな」

午後1時15分、「突入不能」の電信がキスカ島の電信室に入った。10分後、救援艦隊が帰投するとの情報も入った。兵士たちの落胆は大きかった。「もうだめだ。アッツ島と同じように玉砕するしかない」。声を発する者はいなかったが、みんなそう思った。

「戦闘態勢に復帰せよ」との命令が下り、埋めていた砲弾や銃器を再び、使えるようにするなど、やるべき事は山のようにあったが、緊張の糸は切れてしまった。

敵機が空襲に来ても、防空壕に逃げ込まず、呆然と眺めていた。「どうせ死ぬなら、一発で死んだ方がまし。撃たれてもいい」という、あきらめの境地に達してしまっていた。

■7.針の筵(むしろ)

アッツ島の陸軍部隊玉砕に負い目を感じていた海軍軍令部は、どのような犠牲を払おうともキスカ島の部隊を救出すべし、と考えていただけに、木村の救援艦隊が無傷のまま空しく引き帰してきたことに対して、すぐに第5艦隊司令部を叱責した。

救援艦隊が幌筵に着くと、そこに待っていたのは針の筵(むしろ)だった。「臆病風に吹かれた」「断じて行えば鬼神も退くだ」「若干の危険も冒さずして、この作戦ができるか」「燃料の逼迫(ひっぱく)もわからないのか」との悪評が、いやでも耳に入ってきた。

第5艦隊には、木村に対する不信感が充満していたが、木村はいつも通り平然としていた。

第5艦隊司令部は海軍軍令部と打合せをして、「いま一回全力撤収作戦を実施す」と決定した。そして、第2次作戦では第5艦隊司令長官の川瀬四郎中将が直々に軽巡洋艦「多摩」で救援隊に同行し、突入前日の午後10時まで指揮することを決めた。

19日午後9時から開かれた救援艦隊の幹部会議では、司令長官同行に対する不満が爆発した。「突入の号令をかけるだけのために前日の夜まで同行し、あとは突入部隊に任せる、というのは、救援艦隊への不信感によるものだ」

第5艦隊司令部への批判が次から次へと出た。帰投した自分たちへの冷たい仕打ちと、木村へのあてつけのような「長官同行」に激高した幹部たちは「木村司令官のために死のう」と異口同音に言った。

最後に、じっとみんなの話を聞き、無言だった木村が一言、「わかりました」と言うと、議論は決着した。救援艦隊将兵は、腰抜けといわんばかりの批判に曝されたことで、木村の下に一つにまとまり、「次の作戦は成功させる」との決意を強く固めた。

■8.第2次作戦

7月22日午後8時10分、救援艦隊は再出撃した。突入予定は26日。翌23日は、視界1キロ以下の濃霧で、給油艦「日本丸」と海防艦「国後(くなしり)」が隊列から離れてしまった。「日本丸」とは電話連絡はとれるが位置関係が把握できず、「国後」とは連絡もつかなかった。

木村は危険を承知で、高射砲を撃たせ、その音で「日本丸」を誘導した。40分後、「日本丸」が無事、隊列に復帰した。しかし「国後」は依然、行方不明だった。

突入予定日の26日午後5時44分、濃霧の中で「阿武隈」艦橋の見張り員が「右70度、黒いもの」と叫んだ。その直後、右舷後方で衝撃がした。連絡がとれなかった「国後」が突然、姿を現し、衝突したのだった。幸い、両艦とも被害は少なかったが、事故の影響で、突入予定日が29日までずれこんだ。

木村は周囲に言い聞かせるような、大きな声で言った。

「これだけの事故が起こるほどだから霧の具合は申し分なしということだ。結構なことではないか、なあ艦長」



■リンク■

a. JOG(458) 駆逐艦「雷」艦長・工藤俊作 〜 敵兵422人を救助した武士道
「貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog458.html

b. JOG(046) 「責任の人」今村均将軍(下)
 戦犯として捕まった部下を救うために、自ら最高責任者として収容所に乗り込み、一人でも多くの部下を救うべく奮闘した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog046.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 将口泰浩『キスカ島 奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯』★★★、新潮文庫、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4101384118/japanontheg01-22/

2. 阿川弘之『私記キスカ撤退』★★、文春文庫、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B009HO4IYO/japanontheg01-22/

3. 三船敏郎(出演)『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(DVD)★★★、東宝、H25
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B00CSLTC76/japanontheg01-22/


  

2014年07月27日

◆チベット弾圧の凄まじさ

櫻井 よしこ


7月9日、北京発で共同電がベタ記事を送った。チベット人作家のツェリン・オーセルさんと彼女の夫で漢族の作家、王力雄氏が8日、自宅軟禁下に置かれたとの内容だ。

中国共産党の言論統制強化はすでに承知していたが、2人の名前を見て、背中がゾクッとする緊迫感を抱いた。

私は2人に会ったことはない。けれど幾度も会話を重ねてきたような親近感を抱いている。2人が協力して出版した『殺劫(シャーチェ) チベットの文化大革命』(集広舎)を読み、その日本語訳を完成した現代中国文学者の劉燕子氏らから話を聞いていたことが、私の親近感の背景にあるだろう。

2009年に日本で出版された同書は、中国全土に吹き荒れた文化大革命の最初のターゲットがチベットだったこと、彼らこそ最もひどい被害を受けていたことを、200点に上る写真を通して見せてくれる。

写真はオーセルさんの父が文革の時期(1966〜76年)を通して撮りためたものだ。父親は、しかし、それらを箱の奥深くにしまい込み、未発表のまま亡くなった。オーセルさんは父の遺品の写真の束を、漢族でありながら『鳥葬─チベットの運命』という書を上梓するなど、深いチベット理解を有していた作家の王力雄氏に送った。

王氏はオーセルさんを励まして『殺劫』の出版を実現させた。2人はその後結婚するのだが、『殺劫』は、まず台湾に持ち出されて出版され、次に日本で本になったのである。

チベット人が、文革を挟んで51年から83年の間にどれほど弾圧されたか。『殺劫』の解説を書いた読売新聞元中国総局長、藤野彰氏が数字を示している。抵抗による死者43万2000人、飢餓による死者34万3000人、獄死者17万3000人、処刑死15万7000人、拷問死9万3000人、自殺死は9000人だという。合計120万7000人が死に追いやられた計算だ。

82年の中国政府の人口調査は、当時の中国国内のチベット人総人口を387万人余としており、総人口の約3分の1が殺されたことになる。無論、中国政府は右の統計を全面否定しているが、200点余りの写真から見えてくるのは凄まじい弾圧がチベット民族を襲い続けたという事実である。

王氏は中国の官製文壇から独立した、日本風にいえばフリーライターである。中国の作家の多くは、中国政府機関の1つである中国作家協会(作協)に所属する。作協の一員であれば、取材、執筆、発表の機会を与えられ、政府から給与も支給される。

便宜を図ってもらえ、収入も保証されるが、自由はない。一党独裁の中国でフリーライターの道を選ぶことはいばらの道を歩むことだ。一切の便宜も特権もなく、逆に常により厳しく監視される。監視は弾圧と背中合わせである。

氏は、99年、45歳のとき新疆ウイグル自治区に調査に赴き、突然、「国家機密搾取」の容疑で42日間拘束された。死と拷問の恐怖に晒され続けたこの体験を通して、彼は漢族共産党政権によるウイグル人弾圧の実態を知ることになる。

少数民族に関する知識は持っていても、漢族として少数民族の感性、いわば魂に触れる次元までは到達できずにいたのが、自身が拘束され、外界との接触を絶たれ、死の恐怖に直面したとき、初めて、漢族に虐げられてきた人々の心に肉迫することができた。

01年、彼は、作協にとどまることは恥辱であると宣言して脱会した。その勇気ある言論人夫妻が、いま、再び拘束された。拘束された人々への精神的、物理的拷問の凄まじさを思うと、わが身の置きどころがない。言論、表現の自由を享受する日本の言論人の責任として、中国の実態を厳しく告発していきたい。
『週刊ダイヤモンド』 2014年7月19日号


◆河野談話こそ幕引きにするな

高橋 昌之


河野氏招致に応じない自民のだらしなさ

安倍晋三政権になって自民党は少しはましになったかと思っていたら、どうもそうではないようです。というのは、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話をめぐり、発表した当時者である河野洋平元官房長官の国会招致に応じていないからです。

政府は6月20日、談話の作成過程について有識者による検討チームの報告書を公表しました。その内容からは、談話は韓国との関係を改善するために、当時の日韓両政権間の政治的な思惑で、事実ではない強制性を事実として発表した経緯が明らかになりました。

安倍政権は「河野談話を見直さない」としていますが、作成過程と内容に重大な問題があることがはっきりした以上、放置しておくわけにはいきません。

このところ、マスコミは東京都議会のヤジ問題などさまざまな問題で「幕引きにするな」とはやしたてていますが、河野談話こそ幕引きにしてはなりません。政権の判断は別として、国民の代表たる国会は引き続き、真相解明を続けるべきです。

次に行うことはただひとつ、河野氏を国会に招致して真相を確かめることにほかなりません。しかし、それは自民党が応じていないために実現していません。この対応には到底、納得できませんので、今回はこの問題を取り上げたいと思います。

まず、検討チームの報告書で明確になったポイントは(1)韓国の元慰安婦への聞き取り調査の結果について裏付けは行わなかった(2)日韓両政府は水面下で談話の文言を調整した(3)韓国側は文言の修正を要求したうえで、「応じなければポジティブに評価できない」と通告した(4)日本側は「調査を通じて『強制連行』は確認できない」と認識していたが、韓国側から慰安婦募集の強制性の明記を求められ、「軍の要請を受けた業者がこれに当たった」「総じて本人たちの意思に反して」という表現で決着した−という点です。

(1)と(2)は産経新聞が報じてきた通り、事実確認が行われないまま、日本政府としての発表に韓国政府が介入して談話が作成され、発表されたことを認めています。

(3)、(4)、(5)からは、韓国政府が談話の内容に強圧的に介入し、それを当時の日本の政権が受け入れてしまった経緯がよく分かります。つまり、談話の内容は「事実」ではなく、「韓国政府の意向を反映した」ものであることがはっきりしたわけです。

それにもかかわらず、歴代政権は河野談話を「事実」として継承し、韓国に謝罪し続け、国内外に誤った認識を定着させてきました。韓国との関係は談話で改善するどころか、韓国はいまだに慰安婦問題を反日攻撃の材料にしていますし、世界の一部からは「日本はレイプ国家」とさえ言われています。

その談話をわれわれだけではなく、次の世代にまで引き継がせてしまっていいのでしょうか。いいわけはありません。当然、報告書発表翌日の産経、読売両紙の社説は「事実に目をつぶり、政治決着を急いだ談話の虚構性が一層明確になり、その信頼性が、根本から崩れた」(産経)、「事実関係よりも政治的妥協と外交的配慮を優先したのは明らかで、極めて問題の多い“日韓合作”の談話と言えよう」(読売)として、談話の見直しを求めました。

改めてあきれたのは朝日、毎日両紙の社説です。朝日は「もう談話に疑義をはさむのはやめるべきだ」と主張し、その根拠については「報告書は次のように指摘している。資料収集や別の関係者への調査によって談話原案は固まった。

その時点で元慰安婦からの聞き取りは終わっておらず、彼女たちの証言を基に『強制性』を認めたわけではない」ということを指摘しました。しかし、そんなことで「談話の疑義」が晴れるわけはなく、論理的な主張とは言えません。

さらに「日韓両政府に、互いをなじり合う余裕はない。河野談話をめぐって『負の連鎖』を繰り返すことなく、今度こそ問題解決の原点に返るべきだ」としましたが、「負の連鎖」にしているのは韓国であって、日本は真相を解明しようとしているだけです。

日本政府に「正しい歴史認識を」と求め続けてきた朝日こそ、河野談話の内容が事実ではないことが明らかになった今、それに基づいた「正しい歴史認識」を持つべきでしょう。そのために朝日はまず、慰安婦問題で行ってきた数々の誤報を認めるべきです。それをせずしてこの問題を語る資格はありません。

一方、毎日は談話をめぐる日韓両政権間の水面下の文言調整について「韓国が受け入れ可能な内容でなければ意味がないと日本も考えたからだろう。そのことで談話の信頼性や正当性が損なわれたと考えるのは誤りだ。むしろ慰安婦問題の解決に向けぎりぎり譲れる範囲で歩み寄った姿勢を評価したい」と、評価までしてみせました。

毎日は受け入れた主語を「日本」としていますが、それは当時の政権交代がすでに決まっていた宮沢喜一政権であって、決して「日本」でも「日本国民」でもありません。

また、「外国との密約」を最も厳しく批判してきたのは毎日のはずです。国民に分からないように秘密裏の交渉を行い、外圧に屈し、事実ではない内容で決着させた談話に信頼性と正当性があるはずはありません。

さらに、毎日は「談話の正当性を巡る論争は一区切りにして、歴史家や研究者に任せよう」とも主張しましたが、マスコミがこの論争を「他人任せ」にするのは無責任です。

これまで毎日は河野談話を根拠にして日本政府に「正しい歴史認識を」「韓国に謝罪、補償せよ」と主張してきましたが、その責任には目をつぶって、今後、慰安婦問題は一切報道せず、論争は歴史家や研究者に任せるとでもいうのでしょうか。

責任逃れのために「幕引き」にしようとしているのは朝日、毎日だけではありません。自民党も同じです。報告書提出を受けて、衆院会派「次世代の党」の山田宏氏は今月行われた衆院予算委員会で、河野氏の参考人招致を求めましたが、自民党は「前例がない。河野氏は犯罪行為に関わったわけではない」と、わけの分からない理由で拒否しました。

参考人招致は別に犯罪行為に限られるわけではありません。いろんな問題の真相解明のためにこれまで何度も行われてきました。日本国民の尊厳や日韓関係にとって重大な問題となっている慰安婦問題の真相解明のために、河野氏を招致するのは当然のことです。

それに河野氏は報告書提出翌日の6月21日、山口市内での講演で、報告書について「引くべき所も足すべき所もない。すべて正しい」、慰安婦募集の軍の強制性についても「当時、軍の慰安所があったのは事実だ。中に入ってしまえば軍の命令には逆らえない。そうした意味での強制性があった」などと、言いたい放題言っているではありませんか。それなら、国会に来てもらって責任ある証言をしてもらおうではありませんか。

自民党が河野氏の招致を拒否しているのも、自らの過ちから逃れたいがためのことです。しかし、自民党が下野を経験し、安倍政権のもとで真の保守政党になろうとするなら、過去の反省に立つべきです。

山田氏をはじめ与野党の保守系議員には秋の臨時国会でも引き続き、河野氏の招致を求めてもらいたいですし、自民党は応じるべきです。

この問題の本質に迫るには、報告書で明らかにされた経緯だけでは不十分です。談話を発表し、その時の記者会見で「強制連行の事実があった」と明言した河野氏から、真相を聴くことは欠かせません。

また、仮にこれで河野談話の問題を幕引きにしても、韓国と本当の意味での関係改善はできないと思います。韓国はこれからも慰安婦問題を日本に対するカードに使い、世界中で日本のイメージを貶める行為をし続けるでしょう。それは自らの国益や内政上の理由から、日本に対して優位に立とうとする外交戦略にほかなりません。虚構に基づいた謝罪など日本の国益と尊厳を失うだけです。

集団的自衛権行使の問題もそうですが、もういい加減、これまでの「ごまかし」の外交や安全保障から脱却して、国際社会の現実を踏まえた国になろうではありませんか。

産経ニュース【高橋昌之のとっておき】2014.7.26

◆サンドイッチ談義

前田 正晶


コンビーフ・サンド   corned (corn)beef sandwich、解説)我が国で「コンビーフ」と言えば(国分か野崎の?)梯形の缶詰を思い出す方が多いだろう。corn ないしは corned beef とは「塩漬けの脂肪分を排除した缶詰の牛肉」のことである。少なくとも私はそう思い込んでいた。

しかし、アメリカに頻繁に出張するようになり、一寸困ったことは土・日には自分で3食を高価なホテル外の何処かで自分で選んで食べねばならないことだった。そこで同僚に「美味である」と教えられたのがこのサンドイッチで、店も指定された。早速土曜日に出向いてみた。そして注文した。先ずは「パンは何を選ぶか」を訊かれるのは承知だった。シアトルでのことだ。

出てきたサンドイッチは想像を超えた大きなものだった。その昔にドン・マローニという人が上梓した「外人はつらいよ」(原題=It’s not allraw fish)というベストセラーがあった。

これには「日本のサンドイッチはパン90対ハム10の比率であるが、アメリカではその反対」との指摘があった。アメリカのサンドイッチには馴れていた私にも、そこに出てきたのはコンビーフが100でパンは10にも満たない巨大なもので「これを食べきれるか」と不安になった。そして「外人はつらいよ」ノアの一節を思い出した次第だ。

しかも、コンビーフは文字通りの塩漬けの肉の塊で、国内で馴れていた缶詰のものとは大違い。薄い肉が何十枚?も重なっていて、辛うじて両手で持てる面積と重量だった。しかし、アメリカの食べ物には珍しく美味かった。

だが、日本人の私にはこの半分で十分だった。これでは晩飯は抜いても問題ないと確信させられた量だった。何れにせよ、それからは方々で何度も食べた。私が知る限りではアメリカには缶詰のコンビーフは見当たらなかったのは何故だろう。

ルーベン・サンドイッチ   Reuben sandwich、
解説)実は、これはカタカナ語でも何でもない。アメリカで食べて上手いなと思わせられたもう一つのサンドイッチの話しだ。これも同僚に「コンビーフだけではなく、これもtryせよ」と聞かされたものだった。

これで「ルーベン」と読むのだそうだ。実は、上智大学出身なるが故に?
キリスト教に暗い私は、これが「JacobとLeahの長男」とは知らなかった。

だから、「リューベン」か「ルーベン」かも知らずに、「リューベン」では中国語の「日本のことか」などと一瞬思い込んでしまった始末だった。

これはパストラミ、ザワークラウトにチーズが入ったサンドイッチだった。余り記憶は鮮明ではないが、東海岸では一般的なもので、シアトルでは食べた記憶もない。しかし、これもアメリカらしくない美味いものだった。

要するに、アメリカで美味いものとは材料(原料?)の味をそのまま活かした食べ物が良いであって、生半可に手を加えない方が無難だと言えると思う。

だが、そうかと言って「アメリカの食べ物は不味い」という俗説には与さない。いや、それは嘘だと断言する。レストランの選択さえ誤らなければ、我が国との対比でも劣らないものが寧ろ我が国より安価で食べられると言える。不味いというのは、パック旅行などの経験者が言われているのかとすら疑っている。

余談になるが、ステーキ(=steak、ステイク)だって、これという食堂を選べば多少噛み応え(chewy)であっても、我が国の肉とは違う美味さが十分に味わえると確信している。これは経験上も言えることで、我が国よりも遙かに安いのだから「美味くない」という批判は不適切かとすら思う。矢張り、当方はアメリカには甘いのかな。


2014年07月26日

◆「核」が日中開戦を抑止する(58)

平井 修一


現代ビジネス7/14のジャーナリスト・近藤大介氏の論考「米中2大国時代を目論む習近平が発信した日米への明確なメッセージ」のごく一部を紹介する。

              ・・・

今夏、中国では2年ぶりに反日の嵐が吹き荒れている。習近平主席は、なぜここまで強烈な反日攻勢をかけるのか。

7月7日(盧溝橋事件)の演説にも表れているように、習近平理論の中核をなすのは、下記のような歴史観である。

・1840年のアヘン戦争で米英にたたかれるまで、中国は世界一偉大な国だった

・1894年の日清戦争で日本にたたかれて、亡国の道を歩んだ

・1931年の満州事変と1937年の日中戦争で、日本にさらに追い打ちをかけられた

・共産党軍が1945年に日本軍を駆逐し、1949年に毛沢東率いる共産党軍が政権を取って、中国の夢が始まった

・いまこそ中国の夢に近づいており、世界一偉大な国を目指そう

(習は)それには、まずは「直前の仇敵」である日本を克服することが先決であると考えている。日本を克服した後は、アメリカに勝って「世界一の偉大な国へ」というわけだ。

次に習近平主席がアメリカに対して出したメッセージについて述べよう。

7月9、10日に北京で、第6回米中戦略経済対話が行われた。開幕式で習近平主席は、「中米の新型の大国関係を努力して築こう」と題したスピーチを行った。以下はその要旨だ。

<第一に、相互の信頼を増進し、方向性を把握することだ。中国は「二つの百年」(屈辱の百年から栄光の百年へ)の目標を掲げ、中華民族の偉大なる復興という中国の夢の実現に向けて、現在、努力中だ。

それにはいつの時代にもまして、外部の穏やかな環境が必要だ。中国人民は平和を愛し、和をもって尊しとなし、おのれの欲せざるところを人に施すことなかれと主張する。周辺外交の基本理念は、親・誠・恵・容(寛容)だ。

天が高ければどんな鳥も飛べ、海が広ければどんな魚も躍る。広大な太平洋は、中米という2大国が共有できるスペースは十分にある。われわれはいまこそ、新たな大国関係を軌道に乗せるべきだ>

習主席は再三強調しているように、「新たな大国関係」という「米中2大国時代」の到来を定着させたい。

これに対して、アメリカのケリー国務長官は何と答えたか。

<過去の歴史を振り返ると、勃興してきた国と、地位が確立された国とは、戦略的ライバル関係にある。だがここにいるアメリカ代表は誰もがそう信じているが、いまの米中はそうした対立を避けていける。競合は構わないが、対立は望ましくないのだ。

私は強調するが、アメリカは中国を封じ込める気は毛頭ない。アメリカは中国の平和的で安定した台頭を歓迎する。アジア地域の発展と安定に貢献する中国、世界の諸問題に責任を果たす中国を歓迎する。

これからの2日間で、世界の諸懸案について両国で話し合う。それは朝鮮半島の非核化をどう実現するか、イラン、シリア、スーダンといった問題である>

ケリー国務長官は、イスラエルとパレスチナの戦闘が頭から離れず、気もそぞろだったのかもしれない。ややイラついていたのは事実だ。「新たな大国関係なんて言うくせに、行動がまるで伴ってないではないか」と言いたかったのだろう。

経済的には年内に投資協定を締結すべく交渉を加速化させることなどが決まったが、戦略的にはむしろ両国の溝が明らかになった印象を受けた。

ひとつ気になるのは、北朝鮮の非核化に対してだけは、米中双方で足並みが揃っていることだ。これは、もし北朝鮮が4度目の核実験を強行すれば、米中が共同で金正恩政権を駆逐するところまで来ているのかもしれない。

総論的に言えば、東アジアは刻一刻と不安定化している。(以上)
・・・

習近平が誇大妄想狂の大嘘つきだということがよく分かる。「スターリンが種まき、毛沢東が刈り取って、トウ小平が搗いた中共餅、ドブに捨てるは習近平」となるだろう。

それにしても「周辺外交の基本理念は、親・誠・恵・容(寛容)だ」とは、やってることと言っていることがこれほど真逆なのはどういうことなのだろう。ほとんど病気ではないのか。

茅原郁生・拓殖大学名誉教授の論考「軍も整風運動の標的に 戦争なく緊張緩み腐敗蔓延」(世界日報7/14)から――

             ・・・

習近平指導部は発足以来、反腐敗闘争を進めてきたが、中国共産党執政の正当性が挑戦に晒(さら)されるとして、それを整風運動にまで発展させつつある。これまでも薄熙来政治局員はじめ中央委員級の汚職摘発(虎退治)があった。

さらに習主席は就任以来、党幹部の浄化を進めるにあたって権力集中を急ぐとともに、身内に活動の清廉さを求めるなど汚職腐敗と戦う態勢を整えており、反腐敗闘争の本気度を示している。

中国共産党政治局会議は6月30日、中国軍最高指導機関である中央軍事委員会(中央軍委)の前副主席・徐才厚大将を収賄などの違法行為で党籍剥奪処分に決め、検察機関に送り刑事責任を問う決定をした(新華社通信7・1)。

周知のように中国社会では汚職腐敗が蔓延し、軍隊でも軍上層部の腐敗が問題になっていたが、党中央政治局員にまで任じられた軍最高幹部の摘発事件は衝撃的であった。

軍機関紙「解放軍報」を筆者は日常的に見ているが、若い兵士が厳しい訓練に汗を流す報道を見るにつけ、高級幹部の腐敗ぶりが軍隊の生命である「士気、団結、規律」に与える悪影響を考えざるを得ない。

「人民の子弟兵」の信頼と威信が失墜するだけでなく、軍の士気の低下など形而上戦力が受ける打撃を解放軍はどのように克服するのか、軍の存続にかかわる深刻な問題となろう。

ここで習主席が軍トップに就任直後に「呼べばすぐ来る、来ればすぐ戦え、戦えば必ず勝つ軍隊になれ」と解放軍に求めたことが想起される。

そこには軍内に蔓延する官僚主義、形式主義、華美主義などで革命軍の伝統が失われ、幹部の使命感や清廉・高潔性の欠如に対する危機感があったのではないか。徐大将の処断は精強化と軍律厳正化が解放軍の喫緊の課題となっている証左であろう。

習主席が進める反腐敗闘争は、共産党への信頼が揺らぎ執政の正当性が挑戦を受ける中で党内浄化を不可欠としているが、それは同時に既得権集団の抵抗との闘いになり、難題も多い。

にもかかわらず習主席は執政基盤として依存する軍部にまで反腐敗のメスを入れてきたが、それだけ軍内腐敗が深刻化していると見るべきであろう。今後、軍内の抵抗を排して徹底できるか、解放軍の近代化・精強化と関連して軍高級幹部への反腐敗闘争の進展状況を注視していく必要がある。(以上)

                ・・・

習は独裁的絶対者の異常な自己肥大化状態あり、日本に叩かれたという過去のトラウマから、狂気のような攻撃・戦争嗜好、権力闘争に突き進んでいる。この「中国の夢ハーブ」で朦朧としながら突っ走るキ○ガイにブレーキをかけるものは支那にはいない。諫言すれば殺されるのがオチだ。習は射殺されるまで走るのだろう。(2014/7/24)