2014年07月26日

◆米国は世界の警察ではないは本当か?

加瀬 英明


オバマ大統領が、よろめき続けている。

昨夏に、シリアに「制裁攻撃を加える」と発表したが、どの世論調査も「国外の紛争に介入する」ことに反対したのに怯んで、立ち往生したために、50%以上あった支持率が、40%まで急落した。

オバマ大統領はシリアへの軍事制裁を撤回した時に、2回にわたって、「もはや、アメリカは世界の警察官ではない」と、言明した。

その後も、大小の失点が続いたうえに、この春、プーチン大統領がウクライナからクリミアをを?(も)ぎとったのに対して、手を拱くばかりだったので、内外で無力な大統領だとみられるようになった。

オバマ大統領は、就任時に高かった人気が褪せて、大衆の前に姿を見せることを避けるようになった。与党議員も11月の中間選挙が迫っているのに、大統領を見限っている。

今年に入って、ヘーゲル国防長官が財政を再建するために、アメリカの軍事力を大きく削減する計画を発表した。軍全体に大鉈(おおなた)が振われるが、陸軍は前大戦後最少の規模となる。

アメリカが超大国であるのをやめて、孤立主義の殻にこもろうとしているのだろうか。

だが、アメリカが頂点を過ぎた国で、力を衰えさせてゆくと見るのは、早計だ。

これまで、アメリカは周期的に、アメリカが衰退するという危機感にとら
われてきた。

私はずっと“アメリカ屋”で、アメリカの脈を測ってきた。

1957年10月に、ソ連がアメリカに先駆けて、人類最初の有人衛星『スプトニク』を打ち上げて、地球軌道にのせた。

アメリカ国民は、強い衝撃を受けた。アイゼンハワー政権だった。「ミサイル・ギャップ」として、知られる。このままゆけば、ソ連が20年あまりのうちに、アメリカをあらゆる面で追い越すことになると、まことしやかに論じられた。

1960年の大統領選挙で、民主党のジョン・ケネディ上院議員が、ニクソン副大統領と争った。ケネディ候補はソ連がアメリカを凌駕してゆくという恐怖感をさかんに煽って、アイゼンハワー政権の失政を非難した。

結果は、デマゴーグのケネディが勝った。だが、ソ連はそれから30年後に倒壊した。今日、このままゆけば、20年以内に中国が経済、軍事の両面でアメリカを上回ると、真顔で説く者が多いのと、よく似ている。

ケネディが暗殺され、ジョンソン政権が登場した。

1968年の大統領選挙で、ニクソンがハンフリー副大統領に勝った。ニクソンは「このままゆけば、15年以内に西ヨーロッパ、日本、ソ連、中国が目覚しい経済発展を続けて、アメリカと並び、アメリカはナンバー・ワンの座を失うことになる」「アメリカは絶頂期にあるが、古代ギリシアとローマの轍を踏む破目になる」と、危機感を煽った。

ニクソン政権はケネディが始めて、ジョンソン政権のもとで泥沼化したベトナム戦争の始末に、苦しんだ。ニクソン大統領は「もはや、アメリカは世界の警察官ではない」といって、キッシンジャーとともに、ソ連と「平和共存(デタント)」する新戦略を打ち出した。

その後も、アメリカの振り子は、果敢に外へ向かってゆく時代と、羹(あつもの)に懲りて、内へ籠る時代が交互してきた。アコーディオン奏者に似ている。今後、アメリカが畏縮してゆくときめつけるのは、早とちりだ。

◆天皇を謝罪特使にした外務次官

大礒 正美


一般に、情報分析とか諜報(インテリジェンス)の仕事は、ほとんどが公開されている情報を集め、パズルのように当てはめていくことだと言われる。

その典型のような事例が突然現れたので、改めて紹介しておきたい。

それは読売朝刊に連載された岡崎久彦氏の回顧録「日本外交とともに」第22回(7/2)で、日本外交の根本的欠陥がとんでもない個人名と共に明らかにされている。

同氏がタイ駐在大使のとき、今上陛下が平成3年(1991)9月末から、即位後初めての外遊でタイ、マレーシア、インドネシアを歴訪されることになった。そのときの話である。以下に、正確に引用する。

<外務省本省から、バンコクで予定されていた天皇陛下のお言葉として、真っ先に先の戦争で日本のした行為を謝罪する案が来た。私は反対でした。

タイには日本に謝罪を求める気持ちなどないことを知っていましたから。タイ外務省に確認し、何も謝ってもらう必要はない、とのタイ側の意思を本省に伝達しました。

抵抗していたら小和田恒次官が、これで勘弁してくれって言ってきたのは、天皇陛下が、まず日本とタイがいかに仲がよかったかと、お言葉をずっと述べられる。そして最後に、全東南アジアに向けての発言として、「先の誠に不幸な戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう平和国家として生きることを決意」という言葉を述べていただくことにした、とい
う。>(引用終わり)


この記述はあまりにも重大なので、かえって大手メディアはどこも取りあげていない。一部ネットでは話題になっている。この発言を情報分析してみよう。

まず第1に、外務省が天皇を、堂々と「政治利用」していることが明白になった。5年前、民主党政権下で、習近平・中国副主席が天皇との会見を強要して問題になった例がある。

憲法上、天皇は政治的機能を持たないとされているのに、こともあろうに外務省が天皇を謝罪特使として、親善訪問先の国に対し、いちいち謝罪のお言葉を言わせようとしたのである。

第2に、その1年後、宮沢喜一首相の下で、歴史上初めての天皇訪中が強行(!)されたが、これもやはり小和田外務次官の仕事であった。もっと悪いことに、この数ヵ月前には中国が尖閣諸島を中国領土とした「領海法」を定めているのである。

これで中国にしてみれば、天皇の来訪は歴史の謝罪特使であるばかりか、「すべて仰せの通りです」と恭順に来たと受け取ることになった。

その証拠に、親善どころか、翌年から江沢民主席による反日愛国主義教育が始まり、「偉大な中華」再興を刺激し、歴史認識を外交武器とする露骨な対日圧力に至っている。

当コラムで既述のように、これは戦後日本の最大の外交失敗である。 
 
第3に、外務省が天皇謝罪特使を送り込む相手として、まだ実現していないところが1つ残っている。いうまでもなく、朝鮮半島である。

2年前の8月、韓国の李明博大統領は竹島上陸を強行した4日後、唐突に「日王が訪韓したがっているが、、」と話し始め、明らかな侮辱と謝罪要求を公言して反日を激化させた。
 
このあとは推測になるが、日本外務省が「小和田外交方針」を受け継いでいるという前提に立てば、水面下で韓国側と、天皇訪韓を検討してきたはずだと見るのが自然だろう。その延長で、唐突に見える李大統領の発言になったのではないか、と考えることができよう。

これで、パズルの空いた一コマが埋まったことになるかもしれない。

「中国が領海法を制定したすぐあとに、日本は天皇を差し出した。それなら、われわれも独島(竹島)に大統領が上陸してみせれば、日本は天皇を差し出すのではないか」と、李大統領は考えたのかもしれない。

いかにも中華思想に染まった夢想、妄想としか言えないが、そうさせたとすれば日本にも責任があるということだ。

第4に、最も重要なことかもしれないが、岡崎氏が小和田次官を名指ししたことである。引用部分を注意深く読めば、単に「本省の訓令」と言えば済むことなのに、実名と官名、そして命令の中身まで明らかにしている。

岡崎氏は辞表を書いて抵抗することも考えたと付け加えているが、この書き方で外務省の主流がいかに日本を貶(おとし)め、外交的に失敗を重ねてきたかを告発しているのである。

外務省きっての情報のプロである同氏が、守秘義務を無視してまで情報を公開した意図は、あくまで推測の域を出ない。そこで、ここでは2つの事実のみを挙げておくことにする。
 
小和田氏は事務次官のあと、現在まで事実上「現役」の最長老であること(国連大使等を経て国際司法裁判所判事)と、何年か後に新天皇陛下の岳父になることがほぼ確実だということである。

(おおいそ・まさよし (国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)
(2014/07/25)
http://www.geocities.jp/oiso_zemi/column/latest184.html


◆日米間の労働力の質

前田 正晶


私が表だってアメリカの労働力の質の問題を論じ始めたのは、1994年のW社リタイヤー後のことだった。この問題を簡単に言えば「労働力の質に疑問があるが、そこにはアメリカ市場と需要家と最終消費者の受け入れ基準が我が国との対比では非常に甘く且つ寛容であること」にあると思っている。

私はこれまでに何度か「アメリカには気の毒な面がある」と指摘してきた。その「気の毒さ」が端的に表れている例の一つが労働組合員の質なのである。回りくどいことを言わずにハッキリと言えば、我が国よりは質が低いのである。その原因を敢えて分析すれば、

社会に歴然とした階層があり、労働組合員になれば先ずそこから他の(ないしは上の?)の階層には移行していくことが例外的にしかないのだ。この辺りは我が国では新卒が先ず組合員として工場の勤務を経て行く場合があるシステムとは非常に異なっている。

雇用機会均等法(The Equal Employment Opportunity Law)があり、少数民族(と身体障害者)を雇用する義務があること。そこには屡々指摘される「英語を十分に話し且つ聞く力がない者」も入っていることであり、これが折角用意されたマニュアルの読解力がないか読んだ振りをする者が出てくることを意味する。

これでは中には紙製造の必要最低限の技術を身に付けていない者がいるという重大な問題を生ずるという意味でもある。

我が事業部では私も含めて全員で何度も繰り返して組合員の直開けの後で残業料を払って集まって貰って「品質向上が如何に大切で、君たちと我々の職の安全に直結する」と語って聞かせた。私も何度も語った。

ある時にそこで質問に立ち上がった者の一人が真剣に片言の英語で話したので問題を生じないように出身の国を尋ねた。するとヴェトナムで、機会を求めて移住してきたと知った。このように移住してきた者も数多くいるのが組合であると思っていて良いだろう。

カーラ・ヒルズ大使が指摘した「初等教育の改善と識字率の向上」は上記とは別のことで、嘗てFRB議長だったポール・ヴォルカー氏は「基本的計算能力(=numeracy、一桁の足し算と引き算が出来ること)の向上を付け加えておられたとも聞いた。

アメリカの消費者は我が国ほどの細かく且つ厳密な品質に対する要求していない。一方、我が国では厳格な要求に応えて高度な製品を市場に送り出している製造業の高度な技術水準と労働力の質の高さはそれほど認識されていない気がする。

寧ろ、その質の高さが当然であり、そういうものだと捉えている感があると思う。私はこの状態を事業部も者たちに「我が国の消費者はスポイル(カタカナ語だが)されてしまった」と表現したものだった。

即ち、アメリカの製造業は我が国との対比で大甘の市場の受け入れ基準に甘んじていただけだったので、私の業界の紙パルプでは日本の市場で大いに苦労させられたのだった。カーラ・ヒルズ大使はこの辺りを十分に認識されて、労働力の質の改善のための上記の2項目を掲げられたと解釈している。

私にはポール・ヴォルカー議長の指摘も尤もだと思ったものだった。

我々は対日輸出でより一層の成功を収めるためには製品の品質向上は必須であり、そのためには労働組合の協力も絶対に必要であると認識して、繰り返して彼等に質の向上の努力を説いて聞かせたのだった。結果的にはその努力が報いられたのだった。その具体例を挙げてみよう。

組合員の意識改革の例を挙げよう。私も現場の組合員で最も手強いと聞かされてやや遠慮気味に接していた巨漢がいた。その彼にある時現場を歩いていて呼び止められた。恐る恐る近寄ると「問題だと思う保留にした製品が大量に出た。

班長はこれくらい問題ないから合格にしようと主張する。彼は指令通りの生産量を上げて認められようという "product out" 主義者で俺には納得出来ないから、日本市場担当のお前の判断を仰ぎたいのだ」と言い、保留になっている製品の山に案内した。

私は緊張して検品した。それは本来そういう検査をする担当でも権限もない私にも解る限界ギリギリの質で、日本市場では90%以上の確率で拒否されるものだと告げた。

彼は安心した表情で「では班長が何と言おうと格下げ品にする」と断言した。私は早速技術サーヴィスマネージャーを呼び出してこの件を伝えた。彼は喜色満面で「彼奴がそこまで言うような意識を持ってくれたか。努力が報われたな」と言ってから検査して不合格品と判定した。

我が国ならば、恐らく話題に上ることもないとしか思えない挿話だが、我々はこの辺を出発点にして日本市場に通用する品質改善を、労働組合員との絶え間ない接触で意識改革に努めたのだった。

これは決して自慢話ではないとご理解賜りたい。私は単に日米間の諸事情を違いを述べてきただけである。それほど文化が違う他国の市場に受け入れられるのは容易ではないということだ。


        

2014年07月25日

◆“副産物”だった12年前とは違う

阿比留 瑠比


北朝鮮は「夏の終わりか秋の初め頃」に、拉致被害者らの再調査の第1回報告を行う。長期政権化が見込まれる安倍政権下で、長く膠着(こうちゃく)状態にあった拉致問題がようやく動き出した。

ただ、北朝鮮は過去に、改竄(かいざん)された死亡台帳や偽遺骨などでたらめな証拠を平然と出してきた。このため、「北朝鮮には随分だまされてきた」(平沼赳夫拉致議連会長)などと、今回の再調査の成り行きを危ぶむ声は少なくない。

現在の北朝鮮情勢は食糧難や米朝対話の途絶など、平成14年9月の小泉純一郎首相(当時)の初訪朝時に似ている。そこから、北朝鮮の狙いは制裁解除や人道的支援などの果実の「ただ取り」や、米国を対話に引きずり出すことにあるとの警戒も示されている。

懸念はそれぞれもっともだが、安倍晋三首相自身には百も承知の話だろう。19日の山口県下関市の講演ではこう語っていた。

「私は一議員として小泉内閣の官房長官として首相として、北朝鮮と長年向き合ってきた。北朝鮮がどういう対応をするか、誰よりも知っている自負がある」

筆者は12年前の小泉氏の初訪朝時も、首相官邸で拉致問題を取材していた。当時と現在とでは、政府の拉致問題への取り組み姿勢が全く異なると実感する。

小泉内閣では日朝国交正常化こそが目的であり、拉致問題解決の優先順位はかなり低かった。古川貞二郎官房副長官(当時)は初訪朝直前の9月12日の記者会見でこう述べていた。

「(重要なのは)拉致問題で何人が帰ってくるこないということではない。そういうことがあればハッピーだが、それよりまず国交正常化に対する扉を開くことに大きな意義がある」

現在の拉致問題に対する国民感情からは信じられないような軽い発言だが、当時は政府だけでなく多くのメディアも拉致問題を軽視していた。このころの官邸や外務省のあり方について、安倍首相は24年9月の産経新聞のインタビューでこう証言している。

「当時の政府の中の何人かの主要な高官が、『大義は日朝国交正常化であり、拉致問題はその障害にしかすぎない』と言っていた。その考え方自体が根本的に間違っている」

小泉政権の中枢は、拉致問題に対する関心も認識も甚だ心もとなかった。初訪朝直前、官房副長官だった安倍首相は周囲に「小泉さんは、拉致の『ら』の字も分かっていない」とうめくように漏らしていた。

小泉氏の訪朝が拉致被害者5人とその家族の帰国につながったことは高く評価すべきである。だが、それは決して主目的ではなく、むしろ副産物だった。

そして国交正常化という「歴史に残る功名」を欲した小泉政権中枢とは違い、安倍首相は「国交正常化は目的ではなく手段だ」(24年9月の産経インタビュー)と述べ、拉致問題解決を最重要課題としている。

もちろん、安倍政権が拉致問題を最重視し、熟知しているからといって、それで簡単に解決できることではない。北朝鮮は信頼できる相手ではなく、手探りで一歩一歩、困難な交渉を詰めていくしかないだろう。

「北朝鮮が結果を出してこなかったら、また制裁に戻る。安倍政権が北にだまされることはないから」

安倍首相は周囲にこう語っている。今後の展開を固唾をのんで注視していきたい。
(政治部編集委員)産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2014.7.24

◆唐山工業区はいま曠野に残骸

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26年(2014)7月24日(木曜日)通巻第4301号>  

 〜北京から新幹線で30分。天津の工業区は外国企業誘致で大繁栄
  その100 キロとなり隣の唐山工業区は10兆円を投じて、いま曠野に残骸〜


北京南駅から15分ごとに天津への新幹線が発車する。天津は国際都市、特別行政区でもあり、旧市内には日本租界もあった。清朝末期、皇帝溥儀は、ここに隠れた。

いま市内目抜き通りには伊勢丹もある。海側の糖枯工業区へも新幹線が繋がって大々的に発展した。トヨタの工場もある。

 その成功を横目に河北省唐山市は渤海湾に突きだした島をさらに海側に埋め立て、240平方キロの「大団地」造成を決定したのは2003年。中国で最初の「エコ都市」の建設と喧伝され、総合的なプロジェクトが開始された。

これを「曽妃旬」大工業区と名付けた。

 2006年に現場を視察した胡錦涛は「世界にも誇れる美観のエコ都市が生まれる」と政権の経済政策の目玉とした。投じられた投資資金の合計は日本円に換算すると10兆円になる。 すでに営業キロ10000キロに達した中国の新幹線プロジェクトと同額である。

港湾整備は水深25メートルから35メートルの深海で、30万トンタンカー。LNG基地、コンテナヤード、石炭、鉄鉱石の集積所。そして首都鋼鉄の高炉が建設された。人口島とを結ぶ橋梁は六車線。住宅団地、ショッピングモール、オフィスパーク、官庁街。。。。。。。。。。 あれから十年が経過した。

いま、夢ははかなく消えて、曠野に残骸の殺風景な風景がそこにある。 オフィスパークには鉄筋フレームだけ、橋梁建築は途中で放棄され、官庁街の予定地へがら空きのビルは水浸しとなり、満潮時には浅瀬でかにが捕れる。まさにゴーストタウンではなく、ゴーストシティだ。

しかも、このプロジェクトは第11次5ヶ年計画の目玉でもあったため、唐山市は合計10兆円をまるまる国有銀行から借りることが出来た。いま、一日の利払いが15億円強である。

――嗚呼、残骸や強者どもの夢のあと。
   

◆習政権、「紅衛兵外交」の惨敗

石  平


本欄は習近平政権の外交政策の特徴を「猪突(ちょとつ)猛進の紅衛兵外交」(2月20日付)と評したことがある。今、このようなむやみな強硬外交が早くも行き詰まりの様相を呈している。

端的に現しているのが、ベトナムとの「石油掘削紛争」の結末である。

5月初旬、中国はベトナムと主権争いが続いている海域で石油の掘削を敢行した。南シナ海の利権拡大を目指して、以前の胡錦濤政権が踏み出すことのできなかった決定的な一歩を、習政権はいとも簡単に踏み出した。

案の定、それがベトナムの猛反発を招いた。両国の公船は掘削現場で対峙(たいじ)・衝突を繰り返し一触即発の状況となった。業を煮やしたベトナム共産党総書記は今月1日、中国との「戦争」にまで言及した。最高指導者の口から出た「戦争」という際どい言葉は、ベトナム側の並々ならぬ決意の表明となった。

石油掘削を強行した中国に対する国際社会の批判も高まった。5月のASEAN首脳会議では参加国が一致して中国の行動への「懸念」を表明。

ケリー米国務長官は「中国の挑戦だ。この攻撃的な行動を深く懸念している」と中国を名指しで批判し、ASEAN諸国と歩調を合わせた。習政権の無鉄砲な蛮行は結局、中国の孤立を招いた。

今月9、10日に行われた米中戦略・経済対話で米国側は引き続きこの問題を持ち出して南シナ海での中国の一方的な行動を強く批判した。

そして同15日、中国政府は突如、紛争海域での石油掘削の終了を発表し、撤収を直ちに開始した。鳴り物入りの掘削の興ざめたような結末だが、タイミングから考えれば、1日のベトナム総書記の「戦争発言」と、9日からの米中対話における米国の態度が背後にあったはずだ。

主権を守るために戦争も辞さないベトナムの決意と、ベトナム側に立った米国の強硬姿勢を前に、こうなることを予想もできなかった習政権は不本意な敗退を余儀なくされた。

中国の外交失敗はそれだけではなかった。習主席が就任以来、米国に対して「新型大国関係の構築」を盛んに持ちかけていることは周知の通りだ。

昨年6月に習主席が米国を訪問し、オバマ大統領との長時間会談に臨んだときには、米国側も彼の「求愛」にまんざらでもなかった。しかしあれ以来1年間、東シナ海上空での防空識別圏の設定、米国へのサイバー攻撃の継続、南シナ海での傍若無人な攻勢など習政権のなりふり構わぬ横暴姿勢を前に、米国の態度が徐々に硬化してきた。

そして前述の米中戦略・経済対話において、米国と中国は重大な国際問題に関してことごとく激しく対立し、対話が実質上の物別れとなった。こうした中で、習主席の熱望する「新型大国関係の構築」も当然ご破算になった。

対話閉幕の当日、中国人民大学教授で国務院参事の時殷弘氏は香港フェニックステレビの番組で「米国は中国の提案した“新型大国関係”を全然受け入れていない。中国は今後最悪の事態に備えるべきだ」と語ったが、中国政府の高位級ブレーンである彼はこの一言をもって、習主席がたくらむ「新型大国関係作り」が米国側に一蹴され、失敗に終わったことをあっさりと認めたのである。

習政権が南シナ海で試みた覇権主義的冒険はベトナムと国際社会からの強い反発を買って失敗しただけでなく、このような冒険的な行為に打って出たことが米国の不信を増幅させ、「新型大国関係作り」に望みをかけた習主席自身の外交戦略をも挫折させた。習主席にとって、まさに元も子もないという惨憺(さんたん)たる結果である。

習政権は今後一体どう出直してくるのか、習政権自体は一体どうなるのか、引き続き注目したいと思う。

産経ニュース【石平のChina Watch】2014.7.24

                ◇
【プロフィル】
せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。


           

◆皇族や摂家などの「門跡寺院」

渡邊 好造


日本全国の寺院数は約18万3千、「日本寺院総監」に掲載されているのは7万6千というが、皇族や摂家などのいわゆる高格式者の出家の対象となる『門跡(もんぜき)寺院』は、京都を中心に全部で30余りしかない。

第59代宇多天皇が、寛平10年(平安時代・898年)法皇となり、京都(右京区)の”仁和寺(にんなじ=真言宗)”にこもり、「御室(おむろ)門跡」と称したのが”門跡寺院”の始まりである。

鎌倉時代に入って、皇族や摂家が特定の寺院に出家することが定着し、室町時代には寺格としての門跡が確立され、これらの政務を担当する門跡奉行も設けられた。

その後、 江戸幕府は出家者の位階により @宮(みや)門跡、A摂家(せっけ)門跡、B清華(せいが)門跡、C公方(くぼう)門跡、D准(じゅん)門跡の5つの門跡寺院を制度化した。

最上位の「宮門跡」は、親王(皇族)、法親王(親王の宣下をえた僧)の出家者を対象としたもので、13寺院あるうち”輪王寺(りんのうじ=天台宗=茨城県日光市)”、”園満院(えんまんいん=天台宗=滋賀県大津市)”以外は全て宮家の中心であった京都市内にある。

ついでながら、”園満院”については、平成21年(2009年)5月に重要文化財の建物9棟、庭園・土地1万4千平米が寺院の借金返済のために競売となり、約10億円余りで滋賀県甲賀市の宗教法人に落札され、同年8月所有権移転が成立するという所管の文化庁もビックリの異例の事態となった。

ただし、建物以外の文化財は第2次大戦後に京都、奈良、九州などの国立博物館所蔵となっていたため無事である。

「摂家門跡」は、近衛、九条、二条、一条、鷹司の五摂家とその子弟が、「清華門跡」は、久我、三条、西園寺、徳大寺、花山院(かさんのいん)、大炊御門(おおいのみかど)、今出川、醍醐、広幡(ひろはた)などの公家、「公方門跡」は武家、「准門跡」は"脇門跡"ともいわれ、特別に認められたその他の高格式者がそれぞれ対象となる。

注目したいのは、京都市内11の「宮門跡寺院」のうち3つがここ「山科」にあることで、”勧修寺(かじゅうじ)=真言宗”、”毘沙門堂(びしゃもんどう)=天台宗”、そして”青蓮院・大日堂(だいにちどう)=天台宗=東山区の青蓮院の飛び地庭園”がそれである。

その他の門跡寺院も含めると、”安祥寺(あんしょうじ)=真言宗”、”随心院(ずいしんいん)=真言宗”が加わり、この5寺院については「山科だより」で詳しく紹介してきたが、改めて概略にふれておく。

”勧修寺”は、「山科門跡」ともいい、水戸光圀寄進の勧修寺型燈篭、境内の"氷池園"という名の平安時代・池泉園で知られる。”毘沙門堂”は、狩野益信筆の書院の襖絵116面が有名。”青蓮院・大日堂”は、将軍塚といわれる展望台からの京都中心部と山科の眺望が素晴らしい。

”安祥寺”は、広大な領地を誇り上寺と下寺をもつ寺院であるが、現在院内への入場は残念ながらできない。”随心院”は、平安時代36歌仙の一人"小野小町"一族所縁の邸宅跡に創建された寺院で、境内は国史跡である。

「山科」は、『門跡寺院』の存在でみても、歴史と伝統を引き継ぐ由緒ある京都の一角なのである。 (完)


   

2014年07月24日

◆ペンタゴンにも悲観論が現れた

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 


<平成26年(2014)7月23日(水曜日)通巻第4300号>  

 〜「アメリカは世界の警察官ではない」とオバマ大統領は公言したが
  ペンタゴンにも軍事力衰弱、中国の西太平洋支配を予測する悲観論が
現れた〜


戦争疲れと言える。あるいは国防予算が大幅に削減され、士気が弛緩している。

オバマ大統領は国防戦略にあまりにも無頓着で、シリア介入をためらい、ウクライナ問題では、口先介入と経済制裁で逃げ切る構え。「アメリカは世界の警察官ではない」とする発言は、真実みを日々濃厚にしてきた。

中国に対しての口先介入は、かなり激しい。

「現状の秩序破壊は許されない」「法の支配に随うべきだ」と国務長官、国防長官が声を荒げたが、中国の国防高官たちの口から出てくるのは「アメリカ、何するものぞ」と硬直的かつ勇ましい。畏れを知らない傍若無人ぶりである。

ペンタゴンの作戦立案関係者が、いま最も憂慮する事態とは南シナ海のことより、尖閣諸島のことである。

オバマ大統領は4月下旬の訪日時に「尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲だ」と明言したが、だからといって「断固守る」とは言わなかった。

米海軍太平洋艦隊の情報主任であるジェイムズ・ファネルは「中国は迅速で鋭角的攻撃を準備している」とサンディエゴの海軍会議で発言したことは小誌でも紹介したが、これは尖閣諸島への中国軍の上陸を想定したもので、離島奪回作戦を日米が訓練しているのも、こうした背景がある。

ともかく米軍が用意したシナリオが大幅に書き直されているようである。

 

 ▲「東方21D」という驚異的ミサイルの登場

最大の脅威を米軍は、中国の謎の新兵器「東風21D」と見ている。

まだ写真が公表されておらず、西側が正確に確認しているわけではないが、この「東風21D」は中国第二砲兵隊(戦略ミサイル軍)が2011年頃から配備につけており、トラック発車型の移動式。1500キロを飛翔する対空母破壊ミサイルである。米海軍戦争大学のアンドリュー・エリクソン提督は、このミサイルを「フランケンウエポン」と命名した。

東欧21Dは海洋に向けての発射実験がされていないが、ゴビ砂漠で実験に成功したとされる。

米空母に搭載されるF35新型ジェット戦闘機は航続距離が1100キロである。空母は7万トンから10万トン、搭載機は70機から110機。乗組員は平均5000名で、空母の周囲を潜水艦、駆逐艦、フリゲート艦、輸送艦が囲む一大艦隊を編成する。F35はまだ実験段階である。

「これまで米空母艦隊で世界の安全を見張ってきた。いつでも紛争地域に派遣され作戦を展開できたのだが、こうした空母優位思想は、東風21Dミサイルの出現によって根底的な意義を失う」(TIME、2014年7月28日号)。

「空母を破壊もしく決定的な損傷をミサイルが与えるとすれば、米空母は中国から1500キロ離れた海域での作戦行動を余儀なくされるため、従来、安全保障を提供してきた意義が失われる。」

「とくに西太平洋で危機が濃厚になる」

この議論はペンタゴンの奥の間で秘密裏に行われ、封印されてきた。

すなわち米空母は中国から1500キロ離れた海域で作戦行動をとるが、F35が1100キロの航続距離となると南シナ海、東シナ海の係争戦域には到達できないことになる。日本の尖閣諸島が有事となっても米軍は空母の支援が出来ないことになる。

費用対効果を比較すると、中国の「東風21D」は一基が1100万ドル(11」億円)。これから1227基が量産されるという。

米空母は最新鋭の「ジェラルド・フォード」が135億ドル(1兆5000億円)。

1996年台湾危機のおり、米海軍は空母2隻を台湾海峡へ派遣した。中国はミサイル発射実験による台湾恐喝をやめた。空母を攻撃できるミサイルを中国軍は保有していなかった。

トゥキディデスの罠とは、ペロポネソス戦争で急速に力をつけたアテネが、スパルタに立ち向かい周辺国を巻き込む大戦争となった故事から、たとえば日本へ大国の傲慢さで挑戦する中国が、この罠に嵌るとアメリカが舞き込まれるという逆転の発想、つまり悲観論につながる。

そして「ゲームが変わった。中国は危険な挑戦を始めたが、アメリカは依然として空母優先思想に捕らわれ、従来的な軍事作戦の枠のなかでしか対応できないことは、なおさら危険である」(同TIME)
     

◆在日問題は占領政策の一環

MoMotarou


永住権を持つ外国人が、日本人と同様に生活保護法の対象となるかどうかが争われた訴訟で、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は7月18日「外国人は生活保護法の対象ではない」とする判断を示した。(朝日デジタル)

                ★

別に不思議でもない判決だ。今回は原告が82歳の中国人婦人ですが、圧倒的に多いのが在日韓国朝鮮人であることは、世に知られた事実であります。大阪市では18人に1人が生活保護を受けております。橋下市長も大変であります。

(転載)
(朝日新聞デジタル「永住外国人は生活保護法の対象外 最高裁、二審を破棄」より 2014/07/18 23:26)

生活保護法は、対象を「国民」に限定しているが、旧厚生省は1954年、国際道義上、人道上の観点から外国人についても行政裁量で国民の取り扱いに準じるよう通知。1990年以降は、通知に基づく保護対象を永住外国人や難民認定された外国人に限定し、生活保護を支給している。

原告代理人の瀬戸久夫弁護士は判決後の会見で、「行政が困っている外国人を『お恵み』で助けているのが現状。支給が行政の裁量で決まるのは、政策次第で支給が打ち切られる危険性をはらむ」と指摘したという。  (略)「税金をなぜ外国人の保護に使うのか」。大阪市の窓口には批判的な意見が寄せられると同時に、特別永住資格を持つ韓国人からは「日本人と差別しないでほしい」と通知に関する抗議も後を絶たない。(終)

 (注:保護費の4分の3は国が、4分の1は地方自治体が負担)

■在日コリア団体の性格

マッカーサー占領下、在日朝鮮韓国人は日本国民支配の手段として重用されました。所謂「第三国人」。日本共産党は先頭と成って煽り、東京都府中刑務所から出所させた在日朝鮮人を前に「天皇の嫁を強姦せよ!」と檄を飛ばしました。

最近は都合が悪くなってきたので、強制的に連れてこられたと嘘八百。福嶋みずほちゃん等にすがり付く。みずほちゃんは、それだけでなく「女性の人権」とばかり「慰安婦問題」を焚き付け大儲け。

年寄りの日本人は占領下、無法在日朝鮮韓国人に痛めつけられた経験で沈黙を続けました。第二次安倍政権の誕生と同時に、安倍首相は在日特権の調査を指示した模様。その効果が出てきつつあります。

先ごろ問題となった「ベネッセ」では、小学生にハングルを教える秘密カリキュラムがあるのが判明。東京「トキワ松学園中学高校」では、反日教諭校長が堂々と「従軍慰安婦問題」を6時間に亘り授業。若き日本女子をキーセン洗脳。

■傀儡民主党政権の大罪

民主党政権下の3年は、日本を運営する行政組織に反日在日勢力を浸透させるには十分な時間でありました。元韓国大統領顧問竹中平蔵の存在も見逃せません。

内よりの「亡国構造改革」が行われております。いずれハングルの公用語化を妄想する勢力も出てくるでしょう。朝鮮半島を捨て日本に殺到して来る日、ハングル語の標識等があれば生活に楽だ。日本を守ろう!


      

2014年07月23日

◆6大軍区トップを総入れ替え

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み
」 

<平成26年(2014)7月22日(火曜日)通巻第4299号>  
 
〜中国解放軍、7大軍区のうち6大軍区トップを総入れ替え
   実戦経験があり、災害救助でも活躍した若手を陸続と登用か〜

中国の7大軍区とは、北京、瀋陽、蘭州、済南、広州、成都、南京である。このうち、北京軍区を除くく6つの軍区司令員(最高司令官)が8月1日の建軍記念日前までに交代する。

「実戦経験があり、作戦に秀でる人物」「地震災害救助でも活躍した人物」を選考中と言われ、有力候補として中越戦争の副参謀長だった威建国、チベット司令員だった許勇、同政治委員の習国新の名前が挙がっている。

威建国を含め、先頃、上将(大将)に任命されたのは瀋陽軍区司令員の王教成、同政治委員の猪益民、広州軍区司令の魏亮らである。

これで現時点での中国人民解放軍における上将(大将)は総勢34名。内訳は陸軍が24,空軍5,海軍3,武装警察2.また年代別では50歳代が27名。40歳代後半が7名となった。
 
徐才厚の失脚と瀋陽軍区の幹部層入れ替えについで、軍のトップ人事変更による動きは次にどの方面に現れてくるだろうか?

◆英語教育でのアルファベットの重要性

上西 俊雄


[はじめに]

ラヂオをつけたら、龍卷など突風に注意といってゐた。龍卷は斷じて突風ではない。公共放送が言葉を壞してゐくのはたまらない。

どうして誰も注意しないのだらうか。役所や公的機關なら自分たちで言葉の意味を決めてよいと思ひ込んでゐるやうに思はれてならない。

文部科學省が5歳兒が利用する幼稚園や保育所などの最終學年を、義務教育とするとの報道がある。現在6歳からの小學校入學年を5歳に引き下げる案も一部で檢討されたとあるが、その場合は學年配當の漢字は1年引き下げるつもりだったのだらうか。

多摩川土手で同じ木陰のベンチで一緒になった大學生に地面の表記について訊ねてみた。男性はヂメンだといひ、女性はジメンだと言った。なぜヂメンでなくジメンでなければならないかと質問されたら學校の先生は、さう決まってゐるのだからとしか答へることはできない。このことが教育を損なってゐること如何ばかりか。

ある教育委員會の人に此の話をしたところ、男性がヂメンと答へたといふところで、まさかといふ表情をした。地面はジメンだといふことは業界(文部行政關係者)では有名なことであることが感じられた。最近もらった友人のメールにこんなところがある。

<「地面」を「じめん」と書いて×をつけられ98點しかもらへなかつた兒童の例を山本健吉が紹介したときの、土岐善麿國語審議會會長の發言を、ついでに引用します。『聲』6號(昭和35年1月)の座談會。

「地面」のときに、「し」ににごりを打つんだと教へたにもかかはらず、それを習ひ覺へてゐなかつたからばつ點なんだ。「し」ににごりを打つた方がいいか、「ち」ににごりを打つた方がいいかといふ問題ぢやなくて、さういふやうに習ひ覺へなかつたといふことの減點といふふうな具合に考へていいんぢやないですかね。>

土岐善麿がこんな苦し紛れのことを言ってゐたとは驚きだけれど、一應は理屈ではある。ただし、その教室だけの、しかも、さう教へた直後でなければ通用しない理屈だ。

假名は清濁が通じるのが原則。地にチといふ音がある以上、地はジだと覺えるのは途方もなく難儀なことなのだ。一度や二度教はった程度では、やはりヂにもどってしまふだらう。


Frits Spiegl が教育改革について書いたところに次のやうな表現がある(Listener 1987.2.19)

The Associated Examining Board predictably says that pupils maystill be awarded top marks `even if they do not use correctEnglish spelling, grammar, or do not write sentences'. I wouldguess that some of the Board themselves grew up in thefree-and-easy, anything-goes, postwar educational system andwouldn't know a clause if they saw one.

要するに龍卷と突風との違ひのことなどどうでもよくなってゐること、洋の東西を問はないらしい。それなら學年配當に拘らずに、必要な字はそのつど教へることにすればよいではないか。もちろん、表音文字のやうに體系を成すものは一擧に教へなければウソだ。

[英語は表音文字]

フリッツ少年は4ヶ月で立派な英文を書くやうになった(3369號「讀者の聲」參照)のであるが、英語教育協議會(ELEC)の講演(平成14年11月)で語學の天才として紹介されたアントニオ・ティノコ氏は、どうやって英語を身につけたかといふ質問に對して、アメリカ文化センターの圖書室にこもって英語の本を一杯讀んだ、さうしたら英語が話せるやうになってゐた答へた。質問者はなんだかはぐらかされたと思ったかもしれないけれど、おそらくそれは事實なのだ。

ある程度、英語の綴りの表音性を解讀する力がなければ讀書などおぼつかない。それが身についてゐれば讀書は聽覺言語の點からみても語彙を増やすことになる。

岩佐充則氏の2005年のブックレビュー
http://archive.today/Q8RS8の3月18日には「先日、BBCの報道の中で、英國でも移民の子供が増えてゐるが、アルファベットの發音をしっかり教へる教育方法を導入したら、大きな成果が現れてゐるとの事例が紹介されてゐた」とある。

ピグマリオンから引くと、Higgins と Liza のやりとりはこんな具合だ。ブラケットはイタリック。TE は Turned e で e を逆さまにした記號(シュワー)。

<HIGGINS: Say your alphabet.

LIZA: I know my alphabet. Do you think I know nothing? I dont needto be taught like a child.

HIGGINS: [thundering] Say your alphabet.

PICKERING: Say it, Miss Dolittle. You will understand presently.Do what he tells you; and let him teach you in his own way.

LIZA: Oh well, if you put it like that---Ahyee, bTEee, cTEee, dTEee---

HIGGINS: [with the roar of a wounded lion] Stop. Listen to this,Pickering. This is what we pay for as elementary education. Thisunfortunate animal has been locked up for nine years in school atour expense to teach her to speak and read the language of
Shakespear and Milton. And the result is Ahyee, bTEee, cTEee,
dTEee. [To Eliza] Say A, B, C, D.>

初めての海外旅行でロンドンに一週間ゐた。Bayswaterの宿、地元の酒場では皆ベイズウォーターでなくバイズウォーターといふ。それにあはせてゐたら、同種の母音をすべてさう發音してゐた。オードリー・ヘップバーンが突如上流階級の發音ができるやうになる、その逆で、綴りで理解してゐたためだ。表音文字だから一字一音であるべきだとしたら、かういふ風にはいかなくなる。

26年7月18日の日經夕刊に「英語教育、先生も學ぶ」といふ大きな見出しで英語教育の專門機關の專門家にフォニックスを教はる話がでてゐる。なにか勘違ひしてゐるのではないか。

3350號で書いたやうに我が國の小學1年の國語教科書には五十音圖がなく、3年のローマ字のところにはアルファベットがない。かういふ状態のままでフォニックスもないではないか。もっと眞劍にやってもらひたい。

[表音方式とフォニックス]

以下、資料として書いておきたい。

フォニックスのことは表音小英和をつくるときは知らなかった。綴りと發音の關係を重視する方法だけれど、音(フォン)が基本であるから綴りに對する見方がかなり制限されてゐること、COD 方式に對してもった不滿と同じものを感じた。手元のメモを整理してみると、次のやうな順序になる。

(イ)『現代英語教育』昭和52年2月「英語の振り假名」

(ロ)稻垣明子『入門期英語指導へのヒント--アメリカで學んだ子どもの經驗から』 昭和53年8月

(ハ)『現代英語教育』昭和54年5月〜昭和55年3月「發音の手引き」

(ニ)三省堂廣報誌『ぶっくれっと』25號「表音小英和」

(ホ)『表音小英和』昭和55年3月

(ヘ)竹林滋『英語のフォニックス』昭和56年

(ト)稻垣明子『うたとリズムでフォニックス』昭和59年

(チ)『英語展望』No.89(昭和62年) Pronunciation Notation withoutRespelling

(リ)Longman Pronuciation Dictionary 1990年

(ヌ)『英語展望』96號(1991年春)高本裕迅「英和辭典の發音表記法について」

(ル)『現代英語教育』平成7年(1995)9月號 隱れた主役たち

以下、それぞれについて注記する。

[イ「英語の振り假名」]

岩崎研究會といふ研究會があった。岩崎民平にちなむ。竹林滋教授のやうな外語大學系で研究社に縁のある人が中心。その紀要 Lexicon は毎號三省堂にも送ってきたので、竹林教授のグループが COD 式の發音表記を工夫をしてゐることを知った。

COD 式の流用の許諾は得てゐたし、隨分ちがふものになると思ってはゐたけれど、竹林教授はその道の權威、後塵を拜するとやりにくくなると梗概だけを書いたのが「英語の振り假名」。anxiety と anxious を例にしての説明のところ、後にまったく同じものに出會った。地質學者辻野匠といふ人のローマ字論。辻野氏も驚いてゐた。後に參考文獻に追加になってゐた。

COD の編者 J.B. Sykes 氏とは發音表記のことで書を交換してゐた。20October 1976 のSykes氏の書には次のやうにある。

There will be no objection to your using the pronunciation schemeof the Concise Odford Dictionary, provided that you make properacknowledgenet of this in your own dictionary.

これに對して次のやうに返事してゐる。TC としたのは TURNED C (=openo) のこと。

I am now thinking of modifying considerably the pronunciationscheme of Concise Oxford Dictionary. For example, in the modifiedscheme, [a] represents /TC/ when preceded by /w/, e.g. quantity,watch. The modification will be made so as not to introducecontradictory symbols except perhaps one. The essential part ofyour scheme will be incorporated, which shall be properlyacknowledged in our dictionary.

1979年には推薦文を頼んで斷られてゐる。

I wish your project every success, but I am afraid I could notallow my recommendation to appear on a dictionary from anoterhpublisher.

「英語の振り假名」はいろいろの人に讀んでもらった。佛蘭西語の島田昌治先生からは、こんな形で發表してはいけない、これは大變なものになると注意された。Syke氏からは典據を問ふきつい返事があった。日附は 4March 1977 ブラケットのところは下線。

Thank you for your letter and enclosure of 24 February. With mypoor knowledge of Japanese it will be some time before I cancomment your article, but I should like to ask now wheter you oryour colleaguescan tell me [where]

Bernard Shaw made the remark about [ghoti]. It is oftenattributed to him, but we have not been able to trace anypublication of his that contains it.

山口美知代『英語の改良を考へたイギリス人たち』にもこの話がでてゐたので、いまはもっと古いことになってゐると知らせた。山口氏から、大英圖書館で確認してきたとメールがあった(平成21年9月)


[ロ『入門期英語指導へのヒント』]

我が國にフォニックスを紹介した最初の本の一つ。小川芳男先生の推薦文がついてゐた。フォニックスの紹介者としては松香洋子といふ人が有名であるが、彼女も自分の子供をアメリカで育てたことがきっかけであったはずだ。

表音小英和がでたあとで、松香さんのグループの人たちに話をしたことがある(昭和59年1月)。當時は松香フォニックス研究會と言ってゐた。子供に英語を教へてゐる女性ばかりの集り。私だったら一學期あればアルファベットを教へることができると言ったら、自分達は2時間でできると思ってゐた、頭がくらくらしたと言はれた。

三省堂の仕事としてきたのだから講演料をもらふわけにはいかないといったらオールドパーになったので編集部で飲んだのだった。

[ハ「發音の手引き」]

執筆を約束した直後に表音小英和の企畫が通った。後に、激務ともいふべき編集業務のかたはら、かかる研究をすることに敬意を表するといふ葉書を壽岳文章先生からもらったけれど、實は家人に助けてもらった。

[ニ ぶっくれっと25號]

近刊豫告であるが、表音方式の説明。

[ホ『表音小英和』]

3322號(26.6.1)を參照されたし。

[ヘ 『英語のフォニックス』について]

2863號(25.1.30)を參照されたし。

[ト『うたとリズムでフォニックス』について]

參考資料の上位に「發音の手引」があり引用も多い。參考資料のところを引く。ブラケットでイタリックを示す。


〈1〉『表音小英和』三省堂編修所 三省堂 1980

〈2〉「發音の手引」 上西俊雄 『現代英語教育』l979年5月--1980年3月號

〈3〉『英語のフオニックス 綴り字と發音のルール』竹林滋著 ジャパンタイムス l981

〈4〉『ユニオン英和辭典』竹林滋・小島義郎編 研究社 1978

〈5〉[Discovering Phonics We Use] Book A--G \& R, by Authur W.Heilman, Chicago, Rand Mcnally \& Co., 1977

〈6〉[Phonics Is Fun] Book 1--3, by Louis L. Krane, Cleveland,Modern Curriculum Press, 1978.

〈7〉[Phonics Workbook] Level A--D, by Lowell, etc., Cleveland,Modern Curriculum Press, 1976.

.〈8〉[Reading Skills] One--Six, by Margaret Early, etc., NewYork, Harcourt Brace Jovanovich, 1970.

〈9〉[The Practice Workbook of Phonics] Grad 1--2, N. Y., TreasureBooks, 1963
〈10〉[Lollipop Dragon's First Spelling], Chicago, Rand McNally \&
Co., 1980.

〈11〉[Eigo o Naraitai], by Blanche L. Bartlett 東京 C.A.J.〈發賣:お茶の水學生センター〉 1981

〈12〉『英語となかよし ワークブック』フォニックス英語研究會編 開拓社 1984

〈13〉[Let's Study Phonics]Workbook 1--4 町田 松香フォニックス研究所 1983

〈14〉[Reading with Phonics], by Julie Hay \& Charles E. Wingo,Lippincott Co., 1979.

〈15〉[Teach Your Child To Talk]; A Parent Hand Book, by Staff ofDevelopmental Language and Speech Center Grand Rapids, CEBCO, 1957,

〈16〉[Vowel Sound Thinker Puzzles]. Montana, Colborn SchoolSupply Co., 1980.

〈17〉[Phonics Flash Cards]. Montana, The Gelles--Widmer Co., 1959.

〈18〉[Beginners Phonics Flash Cards], N.Y., Edu-Cards MFG, Co., 1974

〈19〉[Phonics Flash Cards] Set A \& Set B. Cleveland, ModernCurricluin Press, 1978.


かういふのをみると、小學校入學年を5歳に引き下げる案といふのは、内容のことなのではないかといふ氣になってしまふ。


〈4〉の『ユニオン英和辭典』は『ライトハウス英和辭典』の前身。ウィキペディアで次の記述をみたことがある。

<「ライトハウス英和辭典」の第2版、第3版には、基本的な2千餘りの單語の發音表記に、他の英和辭典で一般的な國際音聲學會が定めている國際音聲記號とともに、フォニックス表記の2つが併記されていた。(この併記は、「カレッジライトハウス英和辭典」にも受け繼がれた。)この試みは、英和辭典、とくに學習英和辭典では大變畫期的な試みであった。しかし、平成13年年に改訂された「ライトハウス英和辭典」第4版、および「ルミナス英和辭典」以降、このフォニックス表記は姿を消した。>


[チ『英語展望』]

ベルリン工科大學のベイリー教授よりソウルでの學會にパネリストとして參加するやうにとの誘ひを受けて頻繁に書を交換してゐた1985年の5月にギムソンの訃報ががあった。Times Literary Supplement で確認しそれで日本音聲學會の大西雅雄先生に電話した、ヂョーンズの發音辭典の後繼者。我が國の英語教育界にとっては恩人の一人だと思ふけれど、追悼號をだしたのは日本音聲學會だけだったのではないかと思ふ。

ギムソン教授が亡くなったので、託してゐた論文をELECに持ち込んだ。掲載するかどうか委員會で決める。その結果、綴りと發音の關係についての特集號といふことになった。表音方式の説明は組版が難しい。あらためて擔當者山口昌子さんに感謝する次第。

三省堂では表音方式を削ることになったので、表音小英和の評判についての段落は割愛した。表音方式はフォニックスとは立脚點が逆だといふことはその段落にあった。(2863號參照)

[リ Longman Pronunciation Dictionary]

本書には表音方式と同じ趣旨のことが書いてあった。編者ウェルズ教授は國際音聲學會紀要の編者でギムソン教授が小論を紹介してみると言ってゐた人。それでロングマン社に問合はせた。31 August 1990附で屆いたウェルズ教授の書には、表音小英和はみたけれど、ギムソン教授から論文は受け取ってゐない、しかし、同じ結論だから御同慶の至とあった。

その部分を示す。SPD は Sanseido Pocket Dictionary で表音小英和のこと。LPD は Longman Pronunciation Dictionary のこと。

If you compare the endpapers of [SPD] with the [LPD]
spelling-to-sound guidelines, I think you must agree that they differ quite considereably. The material overlaps, as ineviatblyit must, since we are both describing the same graphemic-phonemicregularities. But I present it in a different order from you andin greater detail, using different examples and a different notation.

We can be happy, though, that we are in agreement on theusefulness of giving the EFL learner information aboutgrapheme-phoneme relationships.


ウェルズ教授が spelling-to-sound guidelines とかgraphemic-phonemic regularities と表記を先にした表現をしてゐることに留意されたい。フォニックスと逆の順序だ。

[ヌ 高本論文]

JACET (The Japan Association of College English Teachers) では LPDをバイブル到來と歡迎した。高本氏はそのシンポジウムの發表者の一人。LPD と表音小英和の方法について論じたもの。今讀みなほしてみて、「J.C.Wells編の近刊の發音辭典 Longman Pronunciation Dictionary もgrapho-phonemicsのブームを受けてであらうが」とあることに氣がついた。さういふブームがあったといふ認識はなかった。表音小英和の異常な人氣もさういふことであったのかもしれない。

ウェルズ教授によればギムソンがヒギンズのモデルだ。親しく口をきいた人がさうだといふのはなんだか不思議だ。


[ル『現代英語教育』]

「英語教育界の隱れた主役たち」といふ連載記事の6囘目。記事の最後を引く。

<書評程度で世の中は變はらぬことを悟った上西氏は、日本人の「歐米への憧れ」に目を附けたやうだ。海外、とくに英語の本場で「表音方式」が普及すれば、日本での普及が促されやう、との期待は、はたして近い將來、現實となり得るだらうか。>


2014年07月22日

◆「核」が日中開戦を抑止する(56)

平井 修一


孔子の言葉らしいが、村と村の関係は「犬声、鶏鳴聞こゆるとも交らず」が理想だそうだ。付き合うと摩擦が起きるからだ。国と国でも同様だ。

マキャベリ曰く――

<ある人が、賢明で思慮に富む人物であることを実証する材料の一つは、たとえ言葉だけであっても、他者を脅迫したり、侮辱したりしないことであると言ってよい。

なぜなら、この二つの行為とも、相手に害を与えるのに何の役にも立たないからである。脅迫は相手の用心を目覚めさせるだけだし、侮辱はこれまで以上の敵意を掻き立たせるだけである。

その結果、相手はそれまでは考えもしなかった強い執念をもって、あなたを破滅させようと決意するに違いない>

小生の中共への強烈な反発と憎悪と敵意は、江沢民や習近平の反日の罵声、侮辱、脅迫によって芽生え、徐々に醸成されていった。習近平は賢者ではなく愚者ということになる。

この戦争キ○ガイを止めるのは核武装と銃弾しかないと思っているが、地政学者の奥山真司氏は「戦争を防ぐにはどうすればよいのか?」7/11で、こう書いている。

              ・・・

安倍総理が「集団的自衛権」の行使容認の方向で舵を切って以来、真っ当なものから、「ちょっとそれは・・・」というトンデモなものまで、安全保障を巡る議論が左右両陣営から噴出しております。

そこで今回私はあえて、「そもそも、戦争を防ぐにはどうすれば良いのか?」という「そもそも」論を展開してみたいと思います。

このテーマを「学問」として体系化して発展させてきたのが、現在われわれが大学などで学んでいる「国際政治学」、もしくは「国際関係論」と呼ばれるものです。

この「国際関係論」の中で、いわゆる「リベラル派」(平井:アカ)と呼ばれる人たちは、冒頭の疑問に対して、ひとつの答えを出しております。

それが、

「互いにビジネス関係を深化させて、いわゆる経済相互依存状態を作る」というものです。これは要するに、

「互いに金のつながりができれば戦争しようという気にはならないでしょ?」ということですね。

この論は、「経済大国」として(いまのところはまだ)自他共に認める、われわれ日本にとって、とても耳ざわりのよい主張で、事ある毎に、このような意味合いを含んだ言説がメディアなどでよく登場します。たとえば先日の日経新聞の名物コラムにも、以下のような記事がありました。

<安保論議に経済の視点を

集団的自衛権をめぐる論議が与党内で高まっているが、そこには経済の視点が欠けている。

海洋強国をめざす中国と対峙するだけでは東アジアの緊張は高まる一方だ。緊張をほぐすには、世界の成長センターであるこの地域で経済の相互依存を深めるしかない。グローバル経済化が進むなかで経済の相互依存こそが危機を防ぐ抑止力になる。

安全保障の専門家の間には、経済の相互依存があっても緊張は起きるという見方がある。はたしてそうか。

経済の統合が最も進む欧州連合(EU)内には、あつれきはあっても軍事的緊張はない。EUは2度の大戦を経て欧州を不戦の地域にするために創設された。

北米自由貿易協定(NAFTA)を構成する3カ国にも、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国間にも緊張はない。

ウクライナ危機が軍事衝突まで点火しないのはロシアとEUの間に相互依存があるからだろう。

米中が冷戦時代の米ソのように冷却しないのは米中経済の深い相互関係があるからだ。

グローバル経済の時代にあって緊張を防ぐ近道は遠回りに見えて、経済の相互依存を深めることである>

記事の冒頭からいきなり典型的なお馴染みの論理展開ですね(笑)。これなどを読むと「なるほど!たしかにそうだ!」と納得してしまいがちですし、この議論にはそれなりの説得力があると言えるでしょう。

ところが、実はこの「経済相互依存で戦争を防ぐ」という考えは、学問的に見ると「かなり怪しい」と言えるのです。いくつかこれに対する反証と思えるものがあるので、具体的に挙げてみましょうか。

まず1つ目が、第一次世界大戦。戦争を開始する直前のドイツとフランス(そしてイギリス)は、互いが最大の貿易相手で、まさに日経のコラムのように「経済の相互依存を深め」ていた関係です。

100年経ってさえもまだ「トラウマ」的にヨーロッパの人たちの記憶に強く残っているあの悲劇的な大戦は、そのような相互依存の状態がある中で起こったのです。

2つ目は、第二次世界大戦前の日米関係。この時も日本の最大の輸出入相手や、エネルギーの調達先も、すべてアメリカでした。日米両国の経済的な相互依存関係は十分深かったわけです。

しかし・・・日本は1941年の真珠湾攻撃をキッカケにして、まさに“破滅的”な大戦争を始めてしまいます。

3つ目は、湾岸戦争前(1990年)のイラクとクウェート。この時もイラクとクウェートは隣国同士で経済の相互依存状態にありました。しかし、クウェートが盗掘している!と怒ったイラクが侵攻。

すぐに思い浮かぶだけでもこれだけあるわけです。

「いやいや、そうはいってもEUみたいな例もあるし、やっぱり<経済相互依存>って重要じゃないの?」

と想う方もいると思いますが、では、それが戦争を防ぐ「決定力」になるかのか?というと、ちょっと無理があるかと。

実はそのような考え方をした偉い学者がおりまして、それが「ネオ・リアリスト」として絶大なる評価を受けているケネス・ウォルツという大学者であります。

彼は、歴史上でもっとも過酷で長期化する戦争は「内戦」(シヴィル・ウォー)である、と主張しています。

確かに彼の言うとおり、歴史をつぶさに見ていくと、この「内戦」というのは、往々にして、経済の相互依存が深まっている勢力同士で争われるものばかり。そりゃ同じ国の中の相手同士で戦いが行われるわけですから、相互依存があるのは当たり前。

ウォルツ教授はこの実態をして、むしろ「経済の相互依存状態が戦争の原因になる!」と断言しているほどです。

このことは、少し視点を変えて、国家同士の問題だけでなく、個人レベルに落としこんで考えてみると、そのロジックに納得できそうです。

個人レベルでの殺し合い、たとえば「殺人事件」などは、実際のところ、そのほとんどは家族や友人同士、もしくは仕事仲間など、ある程度の関係(相互依存!)にあるもの同士で起こっているのではないでしょうか。

もちろん「通り魔」のように、それまで全く面識もない「赤の他人」に殺されるといったケースもあるにはありますが、それはむしろ例外的なケース。


国家間であろうが、個人であろうが、そもそもお互いに関係性のないところでは争いが起こることはありません。ある組織とある組織の間で訴訟が起こったりするのも、普段からそれなりの関係があったからこそ。

このように考えてみると、先程紹介した日経の名物コラム氏が言うような「相互依存を深めれば大丈夫」という、ある種の楽観的な?考えには、よくよく用心しておかなければいけないということになります。

「リアリスト」であることを標榜する私達は、このような、一見もっともらしく見える・聞こえる言説に触れたとき、あえてそこで立ち止まって、自らにアラートを発するべきです。

経済活動で相互依存を深めるというのは、お金儲けの話としてはもちろん真っ当はお話で、これはどんどんやっていくべきことです。

しかし、クラウゼヴィッツの名言を引くまでもなく、「戦争」というのは、どこまで行っても「政治」の延長です。「戦争」を防ぐのはあくまでも「政治」であって、「経済」ではないのです。(以上)

               ・・・

平井思うに日中友好は完璧に終わった。冒頭のように、本来ならば日本は中共から手を引くべきだが、生産拠点は他国へ移せても、13億人の市場からはなかなか離れられない。リスクはあっても「美味しい市場」なのだ。以前は政冷経熱、今は政冷経温で、これは当分、日中の関係として続くかもしれない。

問題は習近平一人なのだ。習が蠅叩きと虎退治という文革的整風運動=権力闘争を止めて、各派閥の利権をそこそこ残してやれば、政治的には安定する。経済改革はあまり進まず、国力も庶民の生活も伸び悩むが、そこそこの小康社会、和諧社会にはなる。

今のような強権発動で「逆らう者は一網打尽」という愚策を続ければ、意図とは逆に治安も悪化するばかりになる。不満の捌け口として、また求心力確保のため反日キャンペーンなどを益々強めなくてはならないし、これでは周辺国の敵意を募り、やがては武力衝突を招きかねない。

日本と衝突して初戦で中共が敗けたら、人心は一気に離れるし、振り返れば日露戦争ではロシア革命になった。柴犬が巨大熊の喉元に噛みついたら、その菌が全身に回ったのだ。ロシア帝国崩壊。

日本人は日露戦争を何度もしたいと思っている。勝てば万歳、死んでも英霊になって靖国で皆と会えるのだ。こんなに素敵なことはない。

中共や幹部が晩年を静かに送りたいのなら、戦争はリスクが大きすぎる。日中の経済関係が保たれていたところで、奥山氏が指摘するように戦争リスクはなくならない。

対外的には反日扇動を徐々に抑えて、静かに幕を下ろすこと、国内では強権発動を控えること。習近平がすべきはこの2点なのだが、聴く耳は持たないから、中共はひたすら破滅、自滅に向かって猪突猛進するのだろう。誰も救えない。日本は首を吊った中共の椅子を蹴飛ばすことがまずは大事だろう。(2014/7/21)

◆改造 実績あげた実力者は当確?

水内 茂幸


安倍晋三首相が9月上旬にも行う内閣改造で、教育や農業など安倍政権の看板政策を支えた自民党議員への「論功行賞」が注目されている。政策実現に向け入閣待望議員を党の重要ポストに配置し、推進役になってもらう“安倍流”人材登用。ただ、ニンジンをぶら下げた格好でもあり、改造でぞんざいに扱えば「反安倍」の急先鋒になりかねない。

「日本は今、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉で最大限の譲歩をしている。だから難しいことを言わず、共同で前進しましょうよ」

訪米した自民党の西川公也TPP対策委員長は15日(日本時間16日)、ワシントンで米通商代表部(USTR)のフロマン代表と会談し、難航する日米間の関税交渉で米側の譲歩を促した。

閣僚のフロマン氏が日本の政党関係者と会談するのは異例。しかも激務の中で1時間近い時間を割いた。自民党幹部は「西川氏が政府内で重用されると踏んだからだ」と分析した。

西川氏はTPP交渉をめぐり、閣僚や首席交渉官の会合が行われるたび、開催地に足を運んできた。現地で情報収集をしながら、党側が妥協できるギリギリのラインを考え、甘利明TPP担当相を後押しした。

もともと西川氏はガチガチの「農林族」議員だった。平成21年に石破茂農水相(当時)がコメの生産調整(減反)廃止を提唱したときは、都内の居酒屋に石破氏を呼び出し、廃止方針を引っ込めさせたほどだ。

そんな西川氏が立ち位置を変えたのは、同年の衆院選で落選したことがきっかけ。浪人中に全国の農地を歩き、高齢化と耕作放棄地が加速する実態に「現状維持の農政では10年で日本の農業は壊滅する」と感じたから
だった。

24年の衆院選で国政復帰してからは、反目してきた石破氏や菅(すが)義偉(よしひで)官房長官らと歩調を合わせ、TPP交渉参加や減反廃止といった農政改革を主導した。

特にTPPは安倍内閣の成長戦略を支える最重要課題。交渉参加が実現したのも党内の反対論を押さえ込んだ西川氏の存在は小さくない。71歳で衆院当選5回の西川氏にとって初入閣への期待はふくらむ一方だ。

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24年の第2次内閣発足直後から首相が重視してきた教育改革でも、約60年ぶりに教育委員会制度の抜本改革が実現した。

23年の滋賀県大津市のいじめ自殺事件や24年の大阪市立の高校の体罰問題などをきっかけに、自民党や日本維新の会には教育委の廃止論が台頭した。だが、「(廃止は)政治的中立が損なわれる」と待ったをかけたのが公明党だった。

維新との連携を模索したい自民党の思惑もあって、自公の与党協議は紛糾。両党の間で奔走したのが、自民党教育再生実行本部長の遠藤利明氏だ。

遠藤氏は当選6回で、首相とは初当選が同期。従来の教育長と教育委員長を統合する「新教育長」ポストをつくり、首長に任免権を与える新たな教育委員会制度を考案。教育委は引き続き教育行政の執行機関と位置づけた。この改革案づくりで、何度も携帯電話で連絡を取り合った。首相は「遠藤さんが言うなら」と改革案を了承。公明党も軟化し、通常国会終盤の6月、改正地方教育行政法の成立にこぎつけた。

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首相は18年の第1次内閣の組閣で、「露骨な論功行賞人事」と批判を浴びた。

党総裁選で伊吹派(当時)を安倍氏支持でまとめた伊吹文明氏を文部科学相に起用したのをはじめ、年配議員の集票に尽力した尾身幸次氏は財務相、津島派(同)内で額賀福志郎氏の総裁選出馬に反対した久間章生氏が防衛庁長官…といった具合だ。

それが党内を「親安倍」「反安倍」に二分し、政権の早期崩壊につながったとされる。

「今回(の内閣改造)はあくまで政策の精通度が物差しだ」。首相周辺はそう語る。第1次内閣では総裁選の「票」が論功の対象だったが、次は「政策」が基準になるというのだ。

集票力でなく、政策調整力で判断できるのは、政権基盤が安定しているからこそ。ただ、「入閣適齢期」の議員が多くいるだけに、論功行賞の行方次第で党内の不満が一気に噴き出しかねない。

産経ニュース【THE改造】2014.7.21