2016年10月13日

◆民進党への不信は増すばかり

阿比留 瑠比


 
 主張は「お花畑」 過去に無反省でブーメラン百発百中 民進党への不信
は増すばかり

在京各紙の気になる記事のスクラップをしていて、8日付の東京新聞の
特集「民進党の明日は」が目についた。評論家の宇野常寛氏が民進党の存
在感がいまひとつである理由について、「2つの問題がある」として興味
深い解説をしていたからである。

 「現実と遊離したきれい事」

宇野氏は、1つは「実務的な政権担当能力がないこと」だと述べ、続い
てこんな指摘をしていた。

「左翼だと思われていること。これではマジョリティー(多数派)の支
持を集めることは難しい。現代日本において左翼というのは、究極的には
自分探し文化以上のものだとは思われていない」

「現実と遊離したきれい事を言ってウットリする文化が定着しすぎてい
て、現実的な問題解決に寄与するケースが少なく、ジャーナリズムやアカ
デミズムのそれを商売にしている人と彼らの顧客である自分探し層以外か
らは基本的に相手にされていない」

的を射た分析だと思う。外交・安全保障面でも憲法論でも、地に足のつ
かないふわふわとした民進党の主張は、インターネット上などでしばしば
「お花畑」と揶揄されている。

一部の左派メディアや学者からは共感を寄せられ、応援されるのだろう
が、厳しい現実と苦闘している一般有権者の感覚とはかけ離れているので
ある。

ただ、筆者は民進党の支持が広がらない理由は、もう一点あると考え
る。それは過去の自分自身の言行と現在の不一致と、その結果としての百
発百中のブーメラン現象によるものだ。

9月29日付の当欄では、野田佳彦幹事長が安倍晋三首相に、平成24 年
の自民党憲法改正草案を撤回しないと議論は進まないと求めているの
は、「自民党議員の思想・信条、表現の自由は認めないと言わんばかり」
「憲法論議を避けるための言い訳」だと書いた。

なにせ野田氏は著書『民主の敵』で自身を「新憲法制定論者」と主張
し、こう述べているのである。

「もっと自由に憲法について議論することを願います」「自由な発想か
ら自由な論議を積み重ねるべき」

野田氏が女房役を務める蓮舫代表は憲法9条を「絶対守る」と強調す
る。一方、野田氏は「実行部隊としての自衛隊をきっちりと憲法の中で位
置づけなければいけません」と書いている。これは9条改正論にほかなら
ないのではないか。

また、民進党は集団的自衛権行使を限定的に容認した安全保障関連法に
ついて「憲法に抵触する」(蓮舫氏)として廃案を訴えているが、野田氏
は同書にこう記している。

「(集団的自衛権は)原則としては、やはり認めるべきだと思います。認
めた上で、乱用されないように、歯止めをかける」

安保関連法は、二重三重に歯止めと縛りをかけた上で集団的自衛権を認め
た内容だが、野田氏と方向性がそんなに違うのだろうか。

野田氏「私は改憲」

野田氏が旧民主党が政権を取る直前、月刊「正論」5月号でこう断言して
いたことも忘れられない。

「日教組や自治労が格別の力を持っているわけではありません。憲法問題
などでも、日教組などは護憲ですが、民主党の方針は論憲、そして私は改
憲です」

現在の民進党役員には日教組系議員も自治労系議員も含まれ、存在感と影
響力を発揮している。過去の言動を簡単に忘れて反省もしない不誠実さ
が、民進党への不信感をいや増しているのではないか。(論説委員兼政治
部編集委員)

産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】0.13 01:00更新



◆核搭載可能ミサイル カリニングラードへ

宮崎 正弘 



<平成28年(2016)10月12日(水曜日)通算第5058号 >  

 〜ロシア、「イスカンダルM」(核搭載可能ミサイル)をカリニングラードへ
   NATOを揺さぶり続けるプーチンの強気、西側の無力、士気の低下が問題〜

プラウダ(10月10日)に拠れば、ロシアはカリニングラードに「イスカン
ダルM」の配備を決定し(10月8日)、近く輸送する運びという。

同ミサイルは射程400キロ。固体燃料で移動トラック発車型。

イスカンダルは嘗てのアレキサンダー大王の別称。ロシア読みはイスカン
チュール。

ロシア軍の暗合は「9K720」と呼ばれ、NATOのコードネームは
「SS26」である。一説に射程500キロともいわれる戦術ミサイル。

これは明らかにNATOがバルト3国に4600名の増員、ブルガリア、
ルーマニアへミサイル配備をなしたことへの対抗措置であり、米国ペンタ
ゴンも、このロシアの決定を重視している。

さきにもシリアの反政府軍の拠点攻撃にロシアはカスピ海から巡航ミサイ
ルを発射したが、正確に1500キロを飛翔して目標に当てた。

まだイランの飛行場からも爆撃機が飛び立ち、さらには地中海を遊弋する
ロシア艦隊が増員されている。ロシアはこのミサイルをベラルーシにも配
備する計画がある。

それにしても、カリニングラード!(プロイセン時代のケーニヒスベルグ)。

冷戦時代は「軍事秘密基地」として鎖国をし、カリニングラードは謎の都
市とされた。

ロシアの飛び地であり、バルト3国の南端リトアニアと、ポーランドに挟
まれているが、第2次大戦の結果、ロシアがおさえた軍事的要衝で、しか
し元々はプロイセン公国の土地だった。

ヤルタの密約でどさくさにロシアが掠め取った。

エルツィン時代に、ドイツへ返還の動きもあったが、ポーランドが
NATOに加盟したことで立ち消えとなった経緯がある。

NATO前線基地のポーランドへ最大の脅威となるが、ドイツへも届く。

西側はモラルの低下甚だしく、このまま進むと、大波乱がやってくる。

          

◆北朝鮮の潜水艦に打つ手なし

岡田 敏彦



北朝鮮が潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験を行い朝鮮半島情勢
が緊迫するなか、韓国では「北の潜水艦の脅威に対抗しなければ」と、官
民双方から軍拡論が沸騰している。ところが肝腎の韓国軍は“腰砕け”だ。
対潜水艦装備が壊滅状態にあることを露呈し、米国も愛想を尽かしつつある。

 ■対潜ヘリは舶来の一流品から欠陥品に転落

北朝鮮による8月24日のSLBM発射を機に、韓国では「北朝鮮の潜水艦を探
知、破壊できる能力を持たなければ」との主張がマスコミなどで広がっ
た。そんな中、深刻な事故が9月26日に発生した。

韓国海軍によると、26日午後9時5分ごろ、韓国東部江原道沖の日本海上で
韓国海軍の対潜ヘリコプター「リンクス」(英国製)1機が墜落、乗員3人
が死亡した。

米韓合同訓練に参加する中での事故だったが、事故原因を調査する過程
で、ただの事故とは言い切れない問題が浮上した。韓国紙の中央日報(電
子版)によると、この「リンクス」ヘリの修理部品として、粗悪な国産不
良品が納入、使用されていたというのだ。

同紙によると、不正納入は野党「共に民主党」の議員が防衛事業庁の内部
監査資料を入手して判明した。

「リンクス」ヘリについては、整備用に納品されたボルトの品質保証書類
が偽造されていた。つまり評価試験の数値を偽造し、要求性能を満たさな
い安価な粗悪品を納入していたことがわかったのだ。

驚くべきはこれが氷山の一角だったことだ。過去4年間に600件の「品質保
証書」が偽造されていたことが判明。うち71の部品で欠陥が見つかったと
いう。

具体的には「リンクス」ヘリのほか、駆逐艦「広開土大王」(3200トン)
のプロペラ速度調節部品、さらには韓国唯一の大型揚陸艦「独島」の発電
機フィルターなどが欠陥品と判明した。いずれも重要部品で、韓国で「核
心部品」と表現されるものだ。

独島艦は実際、2015年に発電機が故障発火して動力を喪失、漂流するとい
う失態を演じている。

 ■パクリ品の運命

修理や整備で交換した部品がニセモノという事態は、韓国軍では珍しくな
い。大統領府を守る機関砲の砲身が偽造品で、低品質のため射撃中に破裂
したり、主力戦闘機KF-16のスペアパーツを用意せず「新品に交換しまし
た」との書類だけを偽造したりと、ニセモノにまつわる不祥事には事欠か
ない。

ともあれ、北朝鮮の潜水艦に対する「第一の矢」のリンクスは、せっかく
の英国製にもかかわらず、安くあげた韓国産パクリ品のために信用度ゼロ
に。一方で韓国が自主開発したヘリにも9月23日、欠陥がもちあがった。

中央日報などによると、開発に1兆3000億ウォン(約1210億円)を投じた
韓国製ヘリ「スリオン」の軍への納入が突然中止された。輸出へ向けて性
能試験のため米国ミシガン州で低温テストをしたところ、エンジンの空気
取り入れ口付近に氷が張り付き、そのまま飛べばエンジンのブレードに氷
がぶつかってエンジン本体が破損する危険性が明らかになったのだ。

同紙によると、設計、製造した韓国航空宇宙産業(KAI)では「韓国の冬
は格段寒いわけでもなく乾燥している」として、韓国内での飛行に問題は
ないと説明したという。2018年に江原道平昌で冬期オリンピックを開催す
る国の気象状況説明としてはにわかに信じがたいものだ。

スリオンは着氷問題のほか、今年5月には機体のフレームやウインドシー
ルド(前の窓)に原因不明の亀裂が生じる欠陥が露呈。窓には透明のシー
ルを張って補強しているという。

 ■ヘリがダメなら飛行機が…

対潜ヘリがだめでも、対潜哨戒機がある-はずなのだが、韓国では対戦哨
戒機こそ「ガン」になっている。韓国軍は対戦哨戒機P-3Cオライオン(米
国製)を16機運用しているが、いずれも老朽化。代わりに2018年から米海
軍で用廃となり保管されている中古機「S-3B」27機を導入する方針とされ
るが、韓国世論やネットユーザーの間では、新鋭の米国製ポセイドン対戦
哨戒機の購入や韓国による自主開発の声も出ている。しかし、これを世界
と比べると絶望的だ。

日本ではP-3Cをライセンス生産しており、最盛期には約100機を運用して
いた。太平洋と大西洋に展開する米海軍の運用数は約200機だ。日本の
「対潜」への力の入れようは別格としても、韓国の全20機は、韓国軍の整
備力と稼働率を考慮すれば、24時間哨戒を実施できるエリアなど微々たる
ものだ。性能云々以前に「数」のレベルで話にならない。

 ■弾道弾探知レーダーは湿気に敗北

結局、北朝鮮のSLBMを阻止するには、発射後に撃ち落とすのが最も有望な
方策となる。韓国紙の朝鮮日報(電子版)は、「北朝鮮の弾道ミサイルを
終末段階で迎撃するシステムとして、弾道弾早期警報レーダー『グリーン
パイン』などがある」と指摘する。

グリーンパインはイスラエル製で、弾道弾迎撃ミサイルの探知誘導システ
ムとして開発された。同紙によると探知距離750キロで、現在2カ所で運用
しており、北のSLBM発射を受けて「グリーンパインの追加導入の必要性が
提起された」と強調した。しかし、こんな韓国民の希望を打ち砕くニュー
スを3日、中央日報(電子版)が報じた。

国会の国防委員会に所属する議員が入手したグリーンパインの運用状況報
告書によると、2基のグリーンパインは過去3年間に21回故障し、最大で42
時間も監視網が無力になっていた。総計の故障時間は472時間で、故障の
理由は「水滴のため」。

レーダーアンテナの稼働時に発生する熱により機器内部に結露が生じ、電
子回路が故障したというのだ。さらに酷いことに、「軍はアンテナ周辺に
エアコンなどを設置したが効果はなかった」という。

 ■サイバー戦でも

かつて米軍はイランの核兵器開発を阻止するため、コンピューターウイル
ス「スティックスネット」をイランの核開発施設に侵入させ、その開発を
頓挫させたとされる。最新スマートフォンを次々と開発する能力のある韓
国なら、北朝鮮の核施設や潜水艦基地に監視ウイルスを侵入させることも
可能に思えるが、実際は逆だった。

朝鮮日報(電子版)によると、外部とは遮断された韓国軍のサイバー司令
部のコンピューターがウイルスに感染したことが判明した。感染したのは
陸海空軍の約2万台のコンピューターのセキュリティーを管理する「ワク
チン中継サーバー」。どうやら、2万台のパソコンにワクチンの仮面をか
ぶったウイルスを侵入させ放題な状態となっていたようだ。こんな“IT弱
者”ぶりでは、北へのサイバー攻撃など不可能だ。

 ■夢と現実

この間も韓国のインターネットメディアでは「原子力潜水艦6隻を米国か
らリースする案を軍と米国が協議している」などという真偽不明の噂や
「米国の協力を得て原子力潜水艦を国産すれば、北の潜水艦を封じ込めら
れる」との夢プランが飛び交った。

最後はアメリカ頼みという、歴史的な「事大主義」の傾向が伺えるが、肝
心の米国は、英国製やイスラエル製といったシステムリンクの面倒な「米
国産以外の兵器」をまばらに装備し、粗悪コピー部品で自ら軍全体の稼働
率を下げる韓国軍に愛想を尽かし始めている。その一例が、韓国空軍の主
力戦闘攻撃機F-15Kで浮き彫りとなった。

韓国の衛星利用測位システム(GPS)は、北朝鮮の攪乱電波で妨害され使
えなくなる事態が度々発生しており、有事にGPS誘導爆弾が使えない危険
性がある。

米軍はこうした攪乱電波を無効化する妨害装置を戦闘機などに搭載してお
り、韓国軍も主力戦闘攻撃機F-15Kにこの妨害装置を搭載しようとした。
ところが9月までに米国から待ったがかかったのだ。

装置を製造するボーイング社は、分解禁止のブラックボックスとして完成
品を購入するよう提案したが、韓国は国産したいとして電子回路図の提供
を求め た。

かつてF-15Kのセンサー機器を分解して違法コピーしようとした疑惑のあ
る韓国 が、今度は堂々と「パクらせろ」というわけだ。

万一、機器の構造などの情報が敵に漏れれば対抗措置を取られ、米軍が
危機に陥ることとなる。軍のイントラネットをウイルスに乗っ取られる韓
国に、米国 が最新軍事技術を披露するわけがない。原潜や弾頭弾迎撃技
術はいわずもがなだ。

2015年、中国の戦勝記念式典に朴槿恵大統領が参加し「レッドチーム」
(演習時に敵を示す言葉)と指摘された韓国を見る米国の視線は、ますま
す厳しくなりそうだ。
                 (採録:松本市 久保田 康文)




◆構造改革」が日本を駄目にする:侵略工作

MoMotarou



米国大統領選も近づいてきました。日本の事実上の宗主国「米国」の大統
領選の帰趨は日本にも大きな影響を与えます。ある人に言わせれば「四年
に一回の革命」または「政治的不満のガス抜き」という事になります。

■銭が支配し出した民主主義

約2年に亘る選挙戦を終えるとクタクタになるそうです。大統領選に使わ
れる資金は天井知らずで、お金を集めてマスメディアを支配した方が勝つ
らしい。考えて見れば拝金主義のシナ中国と変わりませんね。

前の戦争で蒋介石が夫人を遣い、各地で講演会を行い集めた寄付を米国で
ばら撒く。そして世論工作を行い米国の支援を取り付ける。反日工作の典
型。画して日本は戦争に追い込まれて行きます。「過ちは繰り返しませ
ん」は広島だけではない。またやられております。

■GHQ占領政策に学ぶ日本侵略

シナも朝鮮も占領期におけるGHQ日本支配工作をよく調べている。日本人
が気が付かないうちに、日本が変わってしまうのです。映画みたいなお話し。

馬淵睦夫元ウクライナ大使が著書で警告されておりました。「男女共同参
画社会の建設は大変危険な工作だ」と。これは人間を「内」から変えて行
く。安倍総理の方針もあり、女性の社会参画が非常なスピードで進みつつ
ある。

テレビを見ると出演者の女性比率がずいぶん高くなっております。特に感
じるのはNHKのニュース番組など。日本がサヨク化している。しかしお蔭
で民進党や共産党は「お株」を取られたような形で党勢が弱くなってきて
いるのは事実。現実的に、自民党で左から右まで賄う(笑)

安倍政権はサヨク支持層の取り込みを考えているのでしょう。しかし軒先
を貸して母屋を乗っ取られるような事態にならないような対策が必要です。

■中国の我国土山林買収に関連して。
「世直し大江戸学(石川英輔)」より

<<それでは、本当のリサイクルとはどういう状態をいうのだろうか。 
日本で行われていたもっとも壮大なリサイクルは、化石燃料をまったく使
わなかった時代の「稲作」だ。

 江戸時代の日本での最大の産業が稲を育てて主食の米を収穫する稲作
で、後期には、毎年三〇〇〇万石以上、ざっと五〇〇万トンの米がとれて
いた。そして、最大の生産物だった大量の米は、村と町、土と人体の間を
青もなく巡回していたのである。 

 日本の国土にとって水田でできる水稲ほど合理的な主食はない。水田で
稲を育てるためには、大量の水の水源として少なくとも水田面積の五倍程
度の山林が必要だが、日本の国土面積の約8パーセントは山なので、水源
用の山林に不自由はしない。

 日本列島は、まさに稲作のために設計されたような地形なのだ。わがご
先祖はそのことをよく知っていたから、雨の多い山国にとってもっとも有
利な稲作に大きなカを注いだ。

 平地面積が約二〇パーセントしかなく、残りの約八〇パーセントはほと
んど人の住めない山という狭い国土に、一七〇〇年代にはすでに三二〇〇
万人という大人口が暮らしていた事実を考えると、飢饉は例外的な事件
で、大部分の時期は普通に食べていたと考えるほかない。

 と書けば、江戸時代は天明の大飢饉をはじめ、多くの飢饉で多数の餓死
者が出たという記録が残っているではないか、と反論されそうだ。しか
し、飢饉の記録があるからといって、本当に飢饉が多かったかどうかわか
らない。>>

■日本構造改革と規制緩和・撤廃
 規制緩和や構造改革などは小泉政権以来「錦の御旗」として囃(はや)
されている。実情はどうだろうか。本社のある東京と地方の差が広がって
いるようだ。地方は枯渇していく。「構造改革」は共産主義の手法。

 馬淵さんによれば、規制緩和などは外資に取ってはまたとない機会と言
う。外資と云うと米国や欧州をイメージするが、シナ中国の国家資本等の
隠れ合法的参入も増えてきている。これは乗っ取りにもつながる。

 在日が東京に作った韓国人専用老人ホームには八億円もの税金が使われ
た。日本が日本でなくなりつつある。我が国の国土と風習は有史以来磨き
上げられたモノだ。昨日今日できたものではない。まして「戦後」などで
はない。

■芽生え
 在特会桜井誠氏が都知事選で訴えた「日本第一」は正しい。政党(「日
本第一党」)も樹立した。信じられない事だろうが安倍首相と会う日も遠
くないだろうと断言しておく。

2016年10月12日

◆分かりにくいプーチンの世界戦略

櫻井よしこ



安倍首相は関係前進に積極的だが分かりにくいプーチンの世界戦略 

安倍晋三首相のプーチン大統領に対する姿勢は突出して積極的である。9
月2、3日、ウラジオストクにおける日露首脳会談と東方経済フォーラム
で、首相は日露関係は「無限の可能性を秘め」ており、「ウラジーミル、
あなたと一緒に、力の限り、日本とロシアの関係を前進させていく覚悟で
あります」と述べた。
 
北方領土返還が課題であるにしても、警鐘を鳴らす専門家は少なくない。
客観的にはプーチン大統領側に北方領土を返還する兆しも、プーチン戦略
も、よく見えてこないからである。
 
一方、中国の脅威の前では日露関係は非常に重要である。米国、日本、で
きれば韓国、オーストラリア、ニュージーランド、東南アジア諸国連合
(ASEAN)、インドを結び、その先にロシアを加えて、中国の膨張に
抑止を利かせる構図を考えれば明白だろう。
 
無論、ロシアの政治も経済も自由とは程遠いプーチン独裁体制の下にあ
る。さらにロシアは対中関係を重層的に進めつつある。ASEAN各国も
対中政策では相当の温度差がある。それでも日本が対露関係を強化すれ
ば、紛れもなく対中カードの一枚となる。
 
ではプーチン大統領の世界戦略とは何か。示唆を与えてくれるのがマリ
ン・カツサ氏著、草思社刊の『コールダー・ウォー』(『新冷戦』、渡辺
惣樹氏訳)である。
 
本書を手に取ったとき、まず、著者のカツサ氏は「ベタベタのプーチン
派」ではないかと感じた。プーチン政策のほぼ全てを褒めちぎっているか
らだ。その中には2014年に中国と結んだ30年間で4000億ドル(1ドル100円
換算で実に40兆円)という天然ガス売却契約も入っている。

同契約は中国が、困窮するロシアの足元を見てスムーズには進んでいない
とみられているが、カツサ氏はこれも高く評価している。このように欠陥
もあるが、それでも本書はプーチン大統領側の考え方を知るのに大いに役
に立つ。
 
カツサ氏は、プーチン大統領の新冷戦においては、「戦いの武器はもはや
戦闘機や戦車ではな」く、石油、天然ガス、ウラン、石炭などであり、そ
れらを利用可能にするパイプライン、港湾施設などのインフラ整備である
と、指摘する。

「平方マイル当たりの資源埋蔵量は世界一」のロシアは、あらゆる資源に
関してロシアへの各国の依存度を高め、資源輸出によって生ずる富と力を
ロシアという国家の富と力に直結させることで新冷戦における勝者の立場
に立ちたい、と考えている。
 
第1次、第2次世界大戦を経て、大英帝国に代わって米国が世界の覇者と
なったが、その力の源泉は石油とリンクしたドル支配体制を築いたからで
あり、プーチン大統領は資源の支配と自国通貨との関連付けの重要性を誰
よりもよく理解しているというのだ。だから自国資源を最も効率よく支配
するために国策会社として、ロスネフチ、ガスプロムなどの独占企業を誕
生させた。
 
新冷戦での勝利、つまり資源貿易で安定して利益を確保し続けること
は、世界の安定と平和が前提であり、厳しい損得勘定のできるプーチン大
統領であればこそ、無謀な武力行使には踏み切らない、プーチン大統領は
とりわけ慎重に国益を計算できる人物だと、カツサ氏は指摘する。
 
だが、プーチン大統領は政敵を力ずくで倒し、多くの言論人、ジャーナリ
ストの殺害に見られるように、専制君主である。自らを支持する勢力には
実に寛大だが、対立する相手には超法規的であり非情な手段を用いるのを
ちゅうちょしない。
 
本書は料理人だった父親のことも含め、プーチン大統領の生い立ちにつ
いて興味深いエピソードも紹介する。日本にとっては分かりにくい人物で
あり国だが、本書はその暗い背景を少しばかり読み解かせてくれる。
『週刊ダイヤモンド』 2016年9月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1150

◆人工島プロジェクト、埋立て工事開始

宮崎 正弘 



<平成28年(2016)10月11日(火曜日)通算第5057号>   

 〜コロンボ沖合の人工島プロジェクト、埋立て工事始まる
ポートシティから中国は「国際金融都市」に切り替えインドの参加も要請〜


奇策に転じた。
 
スリランカのコロンボの沖合に人工島を作り、ポートシティ(神戸のポー
トシティを連想)を建設するという中国のもくろみは、そのプロジェクト
の推進派で、親中派政治家だったラジャパスタ前政権の退場により、挫折
していた。

先ごろ、シリナス新政権は「再開」に合意した。総額18億ドル、沖合と
いっても大統領府の迎賓館の目の前の海岸を埋立てて、新都心とするわけ
で、インドからみれば、「軍事基地を作るのではないか」と大いなる猜疑
心で、事態の推移を見守ってきた。
 
ポートシティから突如、中国は「国際金融都市」に切り替えインドの参加
も要請し始めた。まさに奇策と言える。

この海岸線は風光明媚、夕日の美しさで知られ、1等地にはシャングリラ
ホテルなどがまもなくの開業を目指して突貫工事中、海岸線の幹線道を
辿ってコロンボの中心部へといたる。

スリランカが再開に合意したのは、すでに前政権下で資材や建設機器、セ
メントなどが港に陸揚げされ、倉庫に山積みとなっており、1日遅れると
18万ドルかかると損害賠償を請求されていたからで、渋々のゴーサイン
だった。

こうしたインドの警戒を吹き飛ばそうと、中国は突如「インドも、この大
プロジェクトに参加して欲しい。歓迎である」とコロンボで開催されたス
リランカ商港会議書のセミナーで駐在大使が述べた(アジアタイムズ、10
月11日)。
 
インドは中国との合弁プロジェクトが少なく、猜疑心が強いので、中国の
唐突な申し出に応じるとは思えないが、中国の奇策。留意しておくべきか
も知れない。

           

◆木津と応仁の乱 続編@

白井 繁夫



木津と応仁の乱をしばらく休ませて貰い間延びしてしまいました。少し遡りますが、前回の概要を兼ね、再度箇条書きします。

長禄.寛正の飢饉(ちょうろく.かんしょうのききん:1459−1461年)中世最大の災害が起こり世は乱れ、京になだれ込んだ流民らから多くの餓死者も発生し、各地には土一揆も起こりましたが、8代将軍足利義政(よしまさ)は政に余り関心を寄せないため、将軍家の権威は弱まって来ました。

三管領家随一の名門畠山家においても、畠山持国には嫡子がいないため、家督をめぐり、庶子の畠山義就(よしなり)と甥:弟の子:政長(まさなが)との間で激烈な抗争が繰り返されるようになり、内紛に乗じ、畠山家の勢力を少しでも弱めようとして細川勝元(かつもと)は政長側に付きました。

京に密接する南山城や大和地方等においても、守護大名家(管領家)の被官らもおのずから抗争に組み込まれて行きました。


大和では嘉吉の乱後、復帰した畠山持国の支援を受けて、古市.豊田氏が官符衆徒となるが、長禄3年(1459)5月、筒井順永、成身院光宣は勝元の助言を得て将軍義政により赦免されました。更に、順永は勝元の援軍も得て、大和に入国し、官符衆徒の棟梁に復帰しました。


畠山弥三郎の死後、弟の政長を勝元は擁立したが、他方の義就は寛正元年(1460)に出仕が停止され、畠山政長に対し将軍義政は家督を安堵しました。畠山義就は遂に朝敵として追討されて、河内嶽山(大阪富田林市)に籠城する事になりました。

義就はその後4年間もの長期籠城戦に耐えましたが、寛正4年4月落城し、紀州から吉野へと逃れました。越智.古市勢も山城から引き揚げ、勝元側の狛下司を含む山城十六人衆は帰還出来しました。

嘉吉の乱後、赤松家の所領を得て、勢力を拡大して来た山名持豊(宗全)は義就の嶽山合戦の奮戦を聞きいたく感動して、義就を味方に引入れ、細川勝元に対抗することとなりました。
(赤松家の当主則尚:のりひさは享徳3年、義政より赦免され細川勝元の傘下に入る。)

将軍義政は寛正5年(1464)弟を還俗させて、将軍後継者「足利義視:よしみ」としましたが、夫人の日野富子が翌年男子義尚(よしひさ)を出産しました。富子は我が子を将軍にと思い四職家の実力者山名宗全を頼り、将軍後継者問題も分裂を招く原因になりました。

文正元年(1466)12月25日管領畠山政長と家督争いをしている義就が河内国から兵を伴い、上洛して千本釈迦堂に宿りました。山名宗全の助力により義就の罪が解かれました。

翌年正月二日に出仕して将軍義政に対面出来ました。長禄4年(1460)家督を廃されて以来です。この時、義就は河内を含む三ヵ国の守護職(しゅごしき)を安堵されたのです。

文正元年末の宗全の対勝元側への仕掛けより、翌正月の諸策が大乱の導火線へ繋がります。

文正二年(応仁元年:1467)の年明けは、山名宗全と細川勝元との対立抗争を生む暗雲の状況になりました。正月二日の椀飯(おおばん)の儀:将軍が管領邸を訪問する武家の慣例行事:の重要行事なのに、管領政長邸への将軍の御成(おなり)は突如中止されました。

他方、畠山義就は山名宗全邸を借り正月五日に将軍を招き大宴会をしますが、政長は同六日に屋敷の引渡しを命じられました。その上、八日に政長は管領職も解かれ、山名宗全側の斯波義廉(しばよしかど)が管領に補任(ぶにん)されました。(両畠山の勢力の逆転です。)


三管領家の斯波義健(よしたけ)に嫡子がなく、家督をめぐり義敏(よしとし:細川側)と義廉(山名側)との分裂抗争も起きていました。山名宗全は富子に足利義尚の後援依頼を受けており、富子(義尚)を絡め?勝元の勢力を剥ぐため、宗全.義就がクーデター計画を企てたか。

細川勝元は京極持清(もちきよ).赤松政則(まさのり)等と畠山政長を援護しようとするが、将軍家に止められ、政長が17日に上御霊神社に陣を張っても、援軍を出せなかった。
翌日早朝からの畠山両家の戦いは終日の私合戦となり、畠山政長が京を退くこととなった。
(この御霊林の合戦こそ、以後11年にわたる応仁の乱の始まりと言われています。

将軍義政は弟の義視を後継にと強引に引き出したが、実子義尚が誕生し妻富子に泣かれると継嗣問題は宙に浮いた状態となった。山名宗全は前年末来の企画がうまく行き、勝元の勢力を弱めたと思い、宗全邸では連日のように宴会や催事が開かれました。


3月3日の節句祝賀には山名宗全.斯波義廉.畠山義就等山名側諸大名が幕府へ出仕しましたが、細川勝元側はだれ一人として顔を見せませんでした。この異常な状態を境に、宗全と勝元と双方の対立.緊張が一気に加速しました。

文正2年は正月から、管領家の争いがあり、また近年はずっと飢饉や、疫病の蔓延、農民の台頭による土一揆などがつづき、3月5日には年号を文正から応仁に改元しました。


5月に入ると両勢力の緊張がさらに高まり、細川方.山名方の双方がともに同20日には
軍勢の招集をしました。東軍の細川勝元方は細川一族(讃岐.和泉.備中等の守護)、近江半国の守護京極持清、赤松家当主赤松政則、若狭守護武田信賢、管領家の斯波義敏と畠山政長など。大和では筒井一族が味方し、山城では木津氏.田辺氏.狛下司を含む山城十六人衆。


両軍は堀川を挟み東側に勝元邸(東軍の本陣)、西側に宗全邸(西軍の本陣)があり、この屋形の所在地から東軍.西軍と称したのです。山名宗全方(西軍)は山名一族(伯耆.因幡.備後等の守護)、美濃守護土岐成頼、近江半国守護六角高頼、管領家の斯波義廉、畠山義就ら11大名20ヶ国勢が京に集まり、少し遅れ周防等の守護大内政弘が加わりました。大和では越智氏、古市氏など。山城では椿井氏、斯波氏の被官中黒氏など。

当時の京の人口は約20万人と言われていましたが、東軍(細川方)の兵合計約16万1千5百、西軍(山名方)の兵約11万6千と、京の人口より多くの兵が京都に集められました。

応仁元年(1467)5月26日早朝、東軍から西軍守護の各陣地へ攻撃が開始され、洛中の民家も寺社も、27日、28日と続く激しい戦火の炎に包まれてしまいました。両軍の全面戦争に将軍義政は停戦を命じますが、誰も聞く耳を持ちません。


西軍には管領斯波義廉がおり、日野富子は山名派(西軍)です。細川勝元は前回宗全のクーデターにしてやられたが、今回は将軍義政の取り込みに成功しており、6月、義政は妻の富子の反対を退けて将軍の牙旗(がき:将軍の居場所に立てる旗)を勝元に授けました。

このことは東軍が将軍派であり、西軍は反乱軍となり、両軍の性格がはっきりと形式上区別されました。即ち、西軍の諸将は管領や守護などの将軍任命の地位や身分を失うのです。
初期に戦闘準備が出来ていた東軍は、将軍派となって、更に力を得て、6月.7月とやや優勢に戦闘を進めることが出来ました。

この間に、各地から武将が次々と到着してきましたが、その中で西国最大の雄大内政弘(周防.長門.豊前.筑前の守護)が伊予の兵や瀬戸内の海賊衆も加えて約2万の大軍で8月に上洛して西軍に加わりました。

大内氏は細川氏.山名氏より格は下ですが、一大派閥を形成している守護大名です。大内氏の参戦により、中部日本から北九州地域までの諸国の軍勢が京都に集結して東西両軍のどちらかに分かれて、戦うことになったのです。

応仁の乱は緒戦において細川方が優勢でしたが、大内軍が参戦して西軍は勢いづき、9月の
東岩倉山の合戦、10月3日.4日の大激戦となる相国寺の合戦などで西軍が優勢となる。
初年の戦いで、洛中の大半が焼失し相国寺.南禅寺も焼失して花の御所も被害を受けたのです。

東軍は幕府を中心とした一角に追い込まれて、戦況はそのまま膠着状態となりました。
洛中の兵、両軍合わせると30万弱になりますが、この数の大多数が足軽兵です。しかし、この足軽たちが、前々回の序文でも触れましたが、放火し、掠奪するから洛中は乱れ、治安が悪化し、応仁の乱の初年から祇園祭りなどが中止となりました。 (つづく)

◆参考資料: 木津町史  本文篇  木津町、  山城町史  本文編  山城町
      京都の歴史  2   中世の展開  熱田 公 著


2016年10月11日

◆不動産市場が30%の崩落開始

宮崎 正弘
 

<平成28年(2016)10月10日(月曜日)弐
       通算第5056号>   

〜南京、深せん、広州で不動産市場が30%の崩落開始
 全土19都市でバブル封じの規制強化を実施。それも国慶節休みを狙った〜


周小川(中国人民銀行総裁)は「不動産価格を適切な価格帯にするために
適切な措置が必要である。これは『健全な不動産市場の発展』のためでも
ある」と会見した(10月8日)。

国慶節の1週間、中国はゴールデンウィークだった。企業は休み、学校も
なく、多くの国民はレジャーに出かけた。

その隙をついて、規制強化に動いた。

北京、広州、深せん、南京、成都、武漢など19都市で頭金の上乗せ(20%
から30%の頭金が必要となる)、上海などでは開発余地のある土地の大幅
な供給が発表された。また一部の都市では『不動産広告の過剰な宣伝規
制』などの措置も発表された。

この措置は次に福州、東莞、石家庄、青島などでも実施される(アジアタ
イムズ、10月10日)。

南京、深せん、広州の3都市では不動産市場が30%の下落を見せた。

中国はGDP成長を6・5%死守を目標としており、この数字を達成する
には不動産バブルの継続がメインの政策だった。

この方針が転換されたとなると、次はいったい何で、GDP成長を補うと
するのか。

出てきた。
 
株式市場に「新3市場」、つまり米国で言うナスダック、日本のマザーズ
市場の創設である。ベンチャーや中小の新興企業を、この市場で上場させ
資金を調達する仕組みだが、『新3市場』には4000社の上場を見込み、集
める資金は3・5兆元としている。

不動産バブルの蜃気楼が消えて、つぎは新株の蜃気楼というわけだ。
 くわばら、くわばら。。。 
             

◆対中戦略で重要なTPPに反対

櫻井よしこ



対中戦略で重要なTPPに反対 クリントン氏にも期待できない現実

9月26日(日本時間27日)の米国大統領候補によるテレビ討論はあらため
て、大変化に備えよという世界各国への警告になったのではないか。
 
討論の勝者は誰か。直後の世論調査ではクリントン氏の勝利とみた人が
62%、トランプ氏は27%だった。
 
一方、米国の保守派の論客、チャールズ・クラウトハマー氏は、「内容に
関しては、どちらも相手を徹底的に追い詰められなかったという点で引き
分け。その場合、挑戦者であるトランプ氏の勝利だ」と分析した。
 
現時点でクリントン氏がやや有利だが、最終的にどちらが勝利するかは、
依然として分からない。しばらく前まで、私はどちらが次期大統領になる
のか、非常に気になっていた。

外交も安全保障も理解しているとは思えないトランプ氏よりも、親中派だ
が、経験を積み、中国の実態を冷静に見詰め、戦略的に思考できるクリン
トン氏の方が日本にとってふさわしいと考えていた。
 
しかし、今はそうは思わない。外交や安全保障でクリントン氏にも期待で
きないと感ずる。理由は環太平洋経済連携協定(TPP)についての彼女
の変遷である。

彼女は、第1期オバマ政権の国務長官としてTPPの戦略性を認識し、支
持したはずだ。TPPに込められた戦略とは、経済や価値観を軸にして、
中国と対峙する枠組みをつくるということだ。
 
対中関係で軍事と並んで重要なのが経済である。中国はアジアインフラ投
資銀行(AIIB)などを創設して中国主導の不透明な経済・金融の枠組
みをつくった。だが、中国的価値観に主導される世界に、私たちは屈服す
るわけにはいかない。経済活動を支える透明性や法令順守などの価値観を
重視したTPPは、21世紀の中華大帝国とでも呼ぶべき枠組みに対処する
重要な役割を担っていくはずだ。
 
無論、TPPはそのような対中戦略の理念だけで成り立つものではない。
日本企業や農家の舞台を国内1億2700万人の市場から8億人のそれへと拡大
し、必ず、繁栄をもたらすはずだ。
 
こうした中で厳しい交渉を経て、TPPは12カ国間で合意された。それを
クリントン氏は選挙キャンペーンの最中の8月11日、「今も反対だし、大
統領選後も反対する。大統領としても反対だ」と言い切った。

さらに、今回の討論で、「あなたはTPPを貿易における黄金の切り札
(gold standard)と言ったではないか」と詰め寄られて、
彼女はこう切り返した。

「それは事実とは異なる。私はTPPが良い取引(deal)になること
を願っていると言ったにすぎない。しかし、いざ交渉が始まると、ちなみ
に私はその交渉に何の責任もないが、全く期待に沿わない内容だった」
 
ここには、TPPを対中戦略の枠組みと捉える視点が全くない。何という
ことか。対中戦略の重要性など、彼女の念頭には全くないのである。であ
れば戦略的とは到底思えないののしり言葉で支持を広げるトランプ氏と、
信念も戦略もないという点で、クリントン氏はどう違うのか。
 
日米同盟に関して、トランプ氏は「日本はカネを払っていない。他方で
100万台規模の車を米国に輸出し続けている」と強い不満を表明した。こ
のような考え方は日米同盟の実質的変革につながる。クリントン氏は日米
同盟重視だと語るが、TPPを認めない氏に期待するのも難しいだろう。
 
両氏の討論から、日本の唯一の同盟国が、頼れる相手でなくなりつつあ
ることがより明確に見えてくる。安倍晋三首相は臨時国会の所信表明で、
TPPの早期成立と憲法改正に言及した。

日本の地力を強化し、それをもってアジア・太平洋地域に貢献するのに
TPPも憲法改正も必須の条件だ。国際社会の速い変化の前で、日本も急
がなければならない。

『週刊ダイヤモンド』 2016年10月8日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1152


2016年10月10日

◆人民元がSDRに正式に加入したが

宮崎 正弘 



<平成28年(2016)10月10日(月曜日。祝日)通算第5055号> 
  
〜10月1日「国慶節」に人民元がSDRに正式に加入したが
中国からは資本流出が続き、人民が人民元を手放しているのが現実の反応〜

IMFのSDR(特別引き出し権)の構成通貨に中国の人民元が正式に加
盟した。

それも10月1日、国慶節という中国共産党の独善的解釈による祝賀行事に
合わせて、IMFの親中派、ラガルド専務理事が主導した。

しかし加盟条件とされた「金融制度の改革」「市場の透明性」「取引の自
由化」に関して、中国側には、なんらの進捗もなく、市場の改善も報告さ
れず、ずるずると中国が国際通貨の仲間入りを果たした。国際社会は、な
ぜこういう不正行為のような事態を許したのか。

おそらく英独とスイスの銀行筋が欲をからめての計略であり、しかもその
策に乗るかのごとく中国がSDRに入ったのだから、あとはしめたもの、
これを徹底的に政治的に逆利用するだろう。

米ドル、ユーロ、日本円、英国ポンドという「信用されている通貨」に、
世界で信用されていない、国際取引に殆ど使われていない通貨が算入した
のだ。
歴史の法則でいえば悪貨は良貨を駆逐する。つまり良貨である日本円は国
際金融、とりわけアジア市場で駆逐されるだろう。

米国のルー財務長官のコメントがふるっている。

「人民元が各国政府が保有する国際的な準備通貨の地位に達するには、か
なり遠い道のりがある」。

これは訪問先のメキシコで学生との対話集会に臨んだときに飛び出した発
言で、つぎに学生の質問に答えて、「米国への影響だが、IMFが認定す
る主要通貨と、国際的な準備通貨となることとは、まったく次元が違う」
 と冷淡な態度を示した。

従来、SDR構成通貨の米ドル、ユーロ、英ポンド、日本円は?貿易規模
と代金決済で使われる通貨比率の高さ。?金融市場で自由に交換できると
いう基本条件があった。人民元には、この基本条件が整っていない。

IMFのフライングは明らかである。

「ほかの外貨との交換や海外送金で中国の規制が強く、まだとても国際通
貨とは呼べるレベルではない」と国際金融筋の専門家は口を揃える。

SDR構成通貨の比率を比較すると、たしかに人民元は10・9%と、い
きなり日本(8・3%)、英国ポンド(8・1%)を抜いてユーロ
(31%)、米ドル(41・7%)に迫った。
 ところが決済通貨のシェアを見ると
 米ドル  40・87%
 ユーロ  30・82
 英ポンド  8・73
 日本円   3・46
 カナダドル 1・96
 となって、人民元は僅かに 1・72%を占めたに過ぎないのだ。


 ▼表面はお祭り騒ぎの中国、市場では反対の動き

 中国側はお祭り気分で「SDRいりは一里塚に過ぎない」。「すでにア
セアン諸国の人民元経済圏に、いずれ日本も加入せざるを得ないことにな
り、米ドル経済圏は弱体化するだろう」などと大言壮語の夢を拡げた。

 しかし現実を眺めれば、カナダ・ドルがカナダ国内でしか使えず、豪ド
ルがオーストラリアでしか使えないように、国際的にはまだまだハード・
カレンシーの役を担えず、人民元を「外貨準備」に加えた国は十ヶ国でし
かない。通貨スワップを結んでいる国は33ヶ国あるが、人民元の直接取
引は16ヶ国に過ぎない。

 貿易決済は普遍的にドル基軸である。
原油代金、金銀穀物など商品市場も米ドルが基準である。
貿易も最後の決済はニューヨークかロンドンである。つまり人民元のLC
であっても、最終的にはドル換算で米英で決済されるシステムだから、人
民元建てにすると手数料と利息が意外なほど高くなり、貿易商社、メー
カーは二の足を踏む。使いやすい通貨を撰び続けるのは自由主義経済市場
では自然の流れである。

 現実に10月1日の中国では、通貨暴落を防ぐため、中央銀行が為替介入
し、人民元の下落を守った。

中国は15年7月以来の株式暴落、8月からの人民元暴落の流れを受けて、
市場関係者は人民元の先安を予測しており、資本規制、海外流出防止の諸
規則の抜け穴を狙って株式市場で事実上の元売りを行っている。つまり、
上海の投資かが香港株を買い越しているという実態は人民元の売り逃げに
近いのだ。

国際的な市場の反応も「無法通貨に市場がかき荒らされてはかなわない」
とばかり、人民元取引には慎重である。

このところ、日本は北海道の水資源からマンションの棟ごと買い取りが目
立つが、中国は英米欧豪などで、片っ端から不動産と企業買収を続けてお
り、たしかに個人旅行の「爆買い」は中国側の「ドル持ち出し規制」と
「連銀カード」の上限設定でおさまったものの、海外企業買収など大口の
ドル流出は続いている。

中国の外貨準備、9月末の速報は3兆1663億ドル(2014年末が3兆8800億
ドル。15年末が3兆3300億ドル)と報道された。

わずか2年間で中国の公式統計上の外貨準備が7137億ドルもの減少となっ
ていることが、外貨逼迫、人民元を人民が信用していないという事実の、
何よりの証明となる。

      

◆私の「身辺雑記」(387)

平井 修一



■10月7日(金)、朝6:00は室温21.5度、晴、ちょっと肌寒い感じで、晩
秋か初冬のよう。

早朝に元気になった3歳女児とハーフ散歩。14キロを5分ほどダッコして跨
線橋から電車を見学させたが、無理がたたったのか、風邪のせいか、すっ
かり疲れた。

一難去ってまた一難、今度は5歳男児が39.5度、ひきつけ一歩手前だ。長
女が慌てて小児科へ連れて行ったが、明日の運動会は無理だろう。確実に
死ぬ。

小生はありあわせの薬とガソリンで少し元気になったので、女児の世話の
かたわら屋上の片づけ。あと3日ほどできれいになるだろうが、そのあと
は恐ろしく長い鉄柵を補修しなくてはならない。体調不良なんて言ってら
れない。

男児がゲボしてタオルケット2枚洗濯。辛いのかヒステリーを起こして大
騒ぎをしていた。が、一種のひきつけだろう。

夜は祝い事で8人で宴会。「こういう情況だから延期したら」と言った
が、準備していたことだから予定通りにしたいと長女。長女が仕切ったの
で小生はラクチン、調理器具の片づけだけで済んだ。

■10月8日(土)、朝6:00は室温22.5度、曇/小雨、ちょっと肌寒い感じ。

10/4にPC不調で途中で終わった「遠藤誉から、大陸へのメッセージ」
(ニューズウィーク10/4)の続き。

<――毛沢東に対する疑問にちゃんと向き合ったのは、この本を書いたとき
が初めてだったのか。それまでは、自分の中の疑問にあまり触れないよう
にしてきたのか

『チャーズ』を書いたときには、思い切り疑問をぶつけた。「おかしい
じゃないか」という気持ちをぶつけた。だが「毛沢東が日本軍と共謀する
ことさえした」と知るにおよんで、おかしいじゃないか、とも思わなく
なった。この人ならこのくらいのことはやるだろうな、と。それでもう、
私の人生返せ、というような気持ちがなくなった。二段階を経て今ようや
く、自分の人生を克服したような気分だ。

人生は分からないものだ。向き合うのが嫌だという気持ちや、こんな整合
性が取れないことについて、書けないだろうという気持ちもあった。

自分が小さいころに目の前で弟が餓死する、兄が餓死するというのを見て
きて、餓死体がたくさんある上で野宿して記憶喪失になって、という経験
をしたので、心の中に心的な障害があった。

毛沢東に対する「なぜだ」というこだわりがずっとありながら、中国国歌
がテレビから流れると家の中でもすっと立ち上がって直立不動で聞いたり
していた。しばらく前まではそうだったのだが、そういうことからも今は
すべて解放されたし、精神的な束縛から全部解放された。

中国の真相を知ろうとしてはいけないのではないかという罪悪感を持たな
いようになって、ようやくすべてから解放された。

――真実と向き合ってはいけないのではないか、という罪悪感とは、向き
合ってそこを否定してしまうと自分が生きてきた道を否定することになる
からか。周りに対する罪悪感ではなく、自分が信じてきたものを裏切って
はいけないという、自分に対する罪悪感か

確かに、裏切ってはいけないという自分に対する罪悪感だ。ああいう風に
洗脳されて育った人間というのは、全員がその葛藤を持っていると思う。
良心的に誠実に生きてきた人は、それを乗り越えるのに大変な努力が必要
になる。

――では今、毛沢東を一言で表現すると

凄まじい戦術家。そういう風にしか思わない。大悪人とか、そういうよう
な主観はゼロだ。いいとか悪いとかそういうことではなく、凄まじい戦略
家だったのだと。この大地を統治するにはこれくらいのものがないと出来
ないのだ、と。

それにしてもここまで殺した人はいないが、そこまでしてでも帝王でいた
かったのだろう。彼にあるのは帝王学だけだった。

私自身、こういうプロセスを経ないと、自分の人生の束縛から抜け出すこ
とが出来なかったのだと思う。毛沢東を徹底的に分析して、書くことに
よってはじめて、ようやくすべての謎が解けた。すべてに整合性が見え
た。矛盾が解けた。そういう状況になったので、納得して、解脱した。

物理学的な思考回路をもった自分と、小さいころからの経験をもった人間
的な自分と、そのトータルにおいて、ここにピリオドを打つことができた
という気持ちだ>(以上)

小生自身がアカだったので、洗脳からの除染、再生、離脱の大変さは多少
は知っているが、遠藤氏の体験は想像を絶するほどだ。

ここまで書いたら再びネットに接続できなくなった。悩ましいことであ
る。実にブルーだ。

今日は宵宮で子・孫来泊。カレー、サラダ、鶏唐揚げを8人で楽しむ。

■10月9日(日)、朝6:00は室温25度、晴れていたが、やがて土砂降りに。

長女にPCをチェックしてもらったらちゃんとネットに接続されているとい
う。つまり安定していないということだ。もう6年も使っているあら劣化
もあるだろう。ヂイヂの気分は晴れない。

さてさてロシアも支那と同様に異形の大国だが、民族性として「絶対的指
導者に対する絶対的帰依」が特徴のようだ。最高指導者を父として、皇帝
として、神として、慕い、崇め、敬い、愛するのだ。

1905年の「血の日曜日事件」を思い出す。

<1905年1月9日は日曜日で、請願行進はガポン神父に主導された。ガポン
はロシア正教会の司祭であると同時に、国家秘密警察の給与を受ける工作
員であったともいわれている。

請願の内容は、労働者の法的保護、当時日本に対し完全に劣勢となってい
た日露戦争の中止、憲法の制定、基本的人権の確立などで、搾取・貧困・
戦争に喘いでいた当時のロシア民衆の素朴な要求を代弁したものだった。

当時のロシア民衆は、ロシア正教会の影響の下、皇帝崇拝の観念をもって
いた。これは、皇帝の権力は王権神授によるものであり、またロシア皇帝
は東ローマ帝国を受け継ぐキリスト教(正教会)の守護者であるという思
想である。このため民衆は皇帝ニコライ2世への直訴によって情勢が改善
されると信じていた。

当局は軍隊を動員してデモ隊を中心街へ入れない方針であったが、余りの
人数の多さに成功せず、軍隊は各地で非武装のデモ隊に発砲した。

この事件の結果、皇帝崇拝の幻想は打ち砕かれ、後にロシア第一革命と呼
ばれた全国規模の反政府運動がこの年勃発したとみなされている。この時
に始まったロシアの共産主義運動は、1917年のロシア革命(二月革命、十
月革命)の原動力に成長してゆく>(ウィキ)

「血の日曜日事件」チャイナ・バージョンがいつ発生してもおかしくな
い、というのが中共指導部の共通認識だろう。年間に30万件の暴動が起き
ているという説もある。1989年の六四天安門事件に続く第2次天安門事件
が必要だ。

何清漣女史曰く「指導者がいない・・・」。散発的な暴動を全国的な内乱
に転化するには君子を装ったワル知恵の働くスネ夫的ジャイアンが不可欠
だ。「いのち命」の漢族は戦うよりは逃げる、投降する、帰順するのが一
番という民族性だから、指導者は生まれないかもしれない。

結局、軍閥による分割統治が現実的なのかもしれない。

10時には雨がやんだので、本宮のお神輿は大丈夫だろう。楽しみだ。
(2016/10/9)
 

◆米司法部が武器商人の訴訟を放棄

Andy Chang



ox NewsのCatherine Herridge とPamela Browne両記者が発表した
10月5日の記事によると4日火曜日、米司法部は武器商人Marc Turi
氏に対する告訴を放棄したと発表した。

この告訴は2012年に起きたベンガジ事件、スティーブンス大使ほか
3名がリビアのベンガジ市においてアル・カイーダの攻撃にあって
殺害された事件との関連で、オバマ大統領とヒラリー国務長官が深
く関わっていた事件である。あと34日で11月8日の総選挙投票が
あり、この告訴がヒラリーとトランプの得票に大きな影響を及ぼす
ため告訴を取り下げたのである。

スティーブンス大使は2012年9月、リビアのトリポリ市からベンガ
ジに赴いたが、この際に護衛を一人しかつけていなかった。ベンガ
ジでテロ攻撃に逢った彼らに対しオバマとヒラリーはホワイトハウ
スで刻々と変わる状況を聞きながら救援を派遣しなかった。このた
め4名が死亡した事件である。

オバマとヒラリーはこの事件を反イスラムのビデオのせいで暴動が
起きたとウソの発表をしたが、ヒラリーは事件直後に彼女の娘に事
件がアルカイーダのテロ攻撃だったとメールしていた。オバマは事
件後二週間たっても反イスラムビデオのために起きた暴動とウソを
言いまくっていた。

その後の国会喚問でもヒラリーはスティーブンス大使を派遣した理
由を述べず、重要人物を派遣してなぜ護衛を付けなかったのかとい
う質問に答えていない。

オバマとヒラリーの嘘に拘らず今ではベンガジ事件はアルカイーダ
の攻撃だったとわかっている。しかもアルカイーダはアメリカの武
器を使っていたのだ。アメリカは中東の独裁政権の反乱分子に極秘
で武器を提供したが、この武器の大半が反米テロの手に入っていた
のだ。オバマ政権、つまりオバマやヒラリーはこの失敗をMarc Turi
氏の武器商人の責任として起訴したのである。

アラブの春と呼ばれる、2010年のチュニジア革命から中東各地に広
がった暴動、革命運動などがリビア、エジプトの独裁者を打倒し、
動乱がカタールやアラブ酋長国、イラクや現在のシリア革命などに
及んだ6年来の中東動乱でアメリカは革命分子に極秘で武器を提供
していたという。アメリカは数多い武器商人の名前を使って武器提
供をしたが、実は国務院とCIAが影の主体であったという。

Turi氏によると、オバマは2011年に秘密の武器提供計画を許可し、
カタールとアラブ酋長国がこれに加わった。つまりアメリカは革命
軍に武器を提供するため、多くの武器商人の名を使って武器を「カ
タールに販売した形で」リビアに搬入したという。

Turi氏によると彼は実際に武器を扱っていない。それらは国務院に
直属した政治と軍事局(Bureau of Political and Military Affairs)が
主体で、
責任者はクリントン長官の直属部下Andrew Shapiroだったという。
だがTuri氏は、国務院のオペレーションが恐ろしく杜撰でリビアに
到達した武器は「半分はあちら側、半分は向こう側に行ってしまっ
た」と言う。

●ベンガジ事件

Turi氏と彼のアドバイサー、Robert Strykによると、国務省はクリ
ントンの失策を隠蔽するため彼を起訴したのであるという。クリン
トンの失策が2012年9月11日のベンガジ事件を引き起こし、ステ
ィーブンス大使など4名が殺害されたのだ。

事件が起きたのが2012年9月11日であるが、オバマは11月の総選
挙でロムニーと争っていたので、ベンガジの大使殺害事件を反アラ
ブのビデオのせいにしたが、すぐに嘘がばれて、攻撃はAl Qaedaと
Ansar al-Shariaの過激分子だったことが判明した。

Turi氏は2014年に武器輸出制限法違反と国務院の要員に虚偽の報
告をした廉で起訴された。検察官はTuri氏が武器をカタールとアラ
ブ酋長国に輸出すると虚の申告をしたという。だがTuri氏の弁護士
によると武器輸出は政府が認可したリビアの反乱軍を援助するため
だったという。

●秘密の武器輸出はオバマの政策だった

National Defense University のCelina Realuyo教授によれば、外部
の武器商人を使って反乱分子に武器を提供することはオバマの政策
の一部だったという。このためヒラリー国務長官時代には武器商人
のライセンス許可が急激に増大した。Fox Newsの記事によると2011
年に武器商人ライセンスの取得者が86000人で、武器輸出は前年の
100億ドルから443億ドルに上がったという。

Fox Newsの記事によると2011年4月11日のヒラリーのメモには
"FYI. The idea of using private security experts to arm the
opposition should be considered,(参考までに;プライベートな専門
家を使って反乱軍に武器を提供する事を考慮に入れるべきである)"
と書いてあったという。

Turi氏は2011年5月に武器をカタールに輸出する許可を得た。とこ
ろが同年7月になったら武装した連邦警察がアリゾナの彼の住宅を
急襲したという。つまり彼はベンガジ事件の生け贄にされたのだと
言う。実際に起訴されたのは三年後の2014年であった。

ベンガジ事件が起きた後、2013年1月の国会喚問でPaul Ryan議員
からベンガジの武器の行方について質問されたヒラリーは、「私は質
問に関した情報は持っていませんが、どんな情報があるか探してみ
ます」と答えたそうである。反乱軍に武器を提供するには外部の武
器商人を使えとメモを書いた張本人のヒラリーが国会喚問で情報を
持っていないとウソをついたのである。

オバマが反乱分子に武器を提供する許可を出した。ヒラリーは武器
商人の名を借りて武器を輸出した。実際には国務省とCIAが関わっ
ていた。計画が失敗して武器商人の責任にしたのであった。

◆日本人の音楽を取り戻そう

河村 直哉



夜半に静かな秋の風が混じるようになったところで、まず童謡「里の秋」
の話を少し。

■改められた歌詞

外地からの引き揚げ者を励ますラジオの番組で、昭和20年12月に流され
た。よく知られた美しい歌だが、歌詞の一部は改められている。

父の無事の帰還を祈るというのが、現在の歌詞。しかしもとの詩の後半
は、父の武運を祈り、自分も大きくなったら兵隊になって国を守るという
内容だった。放送前、作曲者の依頼に応じて作詞者が書き換えた。

ほかにもある。元気のよい「汽車ポッポ」。もとは汽車に乗った兵隊を見
送る「兵隊さんの汽車」という歌だった。やはり終戦の年の暮れにNHKの
歌番組で歌われる際、作詞者によって改められた。

占領下、連合国軍総司令部(GHQ)による検閲があった時代だった。新聞
や出版、放送など対象はメディア全域に及んだ。戦争擁護、神国日本、軍
国主義、ナショナリズムなどの宣伝。

東京裁判や、GHQが憲法を書いたことへの批判。評論家の江藤淳による
と、終戦翌年の米国の資料で検閲指針は30にのぼっている(『閉された言
語空間』)。

検閲を意識せざるをえなかった当時の事情を考えると、「里の秋」や「汽
車ポッポ」の歌詞が改められたのも、いたしかたないことではある。現在
の形の2つともすてきな曲でもある。

しかし曲にまつわるいきさつが忘れられてしまうことは、恐ろしい。戦争
の時代を懸命に生きた先人の、実際の姿を忘れることになる。そしてこれ
らの曲が自明のように流れているのを聴くと、占領が日本人の精神になし
た刻印がいまだに残っていることを思わざるをえない。

■封印された「海道東征」

別の例もある。

交声曲(カンタータ)「海道東征」が、昨年に続き今年も10月3日、大阪
市のザ・シンフォニーホールで上演される。

記紀にある初代・神武天皇の東征を題材に、わが国の成り立ちを気高く美
しく描いた、日本の至宝といってよい音楽である。神武即位から数えて皇
紀2600年となる昭和15年、奉祝曲として発表された。北原白秋の詩に、
「海ゆかば」の作曲で知られる信時潔(のぶとき・きよし)が曲を付けた。

しかし戦後は、「海ゆかば」とともに「海道東征」も封印された。戦争に
かかわったものを忌避する戦後の風潮が、これらの曲を封じてしまった。
「海道東征」が戦後、上演されたことはほとんどない。

この風潮もGHQの占領政策に由来する。昭和20年12月に出されたいわゆる
神道指令は国家神道を熱狂的な「カルト」とみなし、国だけでなく公的機関の神道
へのかかわりを禁じた。

 この方向は、独立後も日本の左傾した勢力によって踏襲される。それは
たとえ

神社への公金支出などをめぐる再三の違憲訴訟や、建国記念の日に対する
反発として現れた。

 神武天皇の即位の日である2月11日は、もともと紀元節として祝われて
いた。GHQは
戦後まもなく日本の祝祭日を見直させ、それらが本来持っていた宗教色は
薄められる
ことになった。紀元節の復活は認められなかった。

 独立後も左派などが反対し、建国記念の日が祝日としてようやく復活し
たのは昭和
42年。しかし現在も建国記念の日に反対する集会が2月11日に開かれるな
ど、偏向は
なお根強い。

■呪縛からの解放

 昨年の大阪での「海道東征」コンサートでは、本公演、追加公演とも感
動が会場に
あふれた。涙する人も多くいた。ゆがめられた日本という国が、まっすぐ
に現れてき
たことによる感動ではなかったかと思う。

 コンサートにはさまざまな人の尽力があった。本紙正論メンバーで都留
文科大学教
授、新保祐司氏もその一人。正論欄でも何度か「海道東征」に触れていた。

 氏の近著のタイトルは、まさに『「海道東征」への道』という。昨年の
コンサート
について、聴衆は「戦後の精神的呪縛から解放された喜びを感じたのでは
ないか」と
書いている。同感である。

 文学のように音楽も、国民の精神をなす。呪縛を脱し日本人の音楽を取
り戻した
い。それは「戦前回帰」や「復古」などという皮相な言葉とは次元を異に
する。日本
人が自らの歴史を取り戻すことにほかあるまい。

この秋再び、日本という国は鮮やかに現れてくるだろう。(かわむら 
なおや)

産経ニュース【日曜に書く】GHQの呪縛を脱し日本人の音楽を取り戻そ
う 論説委員 2016・9・11

                (採録:松本市 久保田 康文)