2014年06月20日

◆河野談話にこそ潜む「上から目線」

阿比留 瑠比


後輩官僚にさえ嘘

慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の河野洋平官房長官談話の問題点は枚挙にいとまがない。中でも談話が国民不在の密室でつくられ、発表後は慰安婦問題で対外折衝をしなければならない政府内の担当者らにすら作成経緯や実態が秘匿されてきたことは、弊害が大きい。

本来は引き継がれるべき情報を、河野談話作成に直接関わった少数の関係者が囲い込み、密封してきたのだ。その結果、後進は談話の事実関係や発表に至る事情も分からないまま、談話に縛られてきた。

ある外務省幹部との会話で以前、こんなことがあった。産経新聞がこれまで取材してきた河野談話をめぐる日韓両国政府のすり合わせの実情が話題になると、こう求められたのだ。

「一度きちんと中身を教えてほしい。われわれも(関係文書を)見せてもらえないんです」

河野談話発表から2年後の7年8月に内閣外政審議室長となった平林博氏も今年3月、同僚記者の取材に対し、驚くべきことを語った。談話のほとんど唯一の根拠となった韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査結果について、こう明かしたのである。

「慰安婦の証言は、実は見ていない。あれは『秘』だというのです。『マル秘』なんだと」

河野談話の原案は、前任の内閣外政審議室長である谷野作太郎氏が「言葉遣いも含めて中心になって作成した」(元同室関係者)とされる。にもかかわらず、後任の平林氏は見る機会がなかったというのだ。

内閣外政審議室は、平林氏のさらに後任の登誠一郎室長時代の10年3月には、わざわざ谷野氏らOBを呼んで懇談し、慰安婦問題に関する政府調査や河野談話の作成過程などについていろいろ問いただしている。

これも、文書その他できちんと引き継ぎがなされていれば、必要がなかったはずである。この場で谷野氏が、河野談話をめぐる日韓のすり合わせについて「根も葉もない噂」と事実と異なる話をしたことは17日付本紙で書いたとおりだ。

慰安婦問題で韓国の団体などが仕掛ける宣伝戦に対し、外務省の反論は及び腰で弱々しく見えるが、そもそも反撃するための具体的材料を与えられていないという部分もある。

このように国民にも後の担当者らにも事実関係を伝えず、もちろん学識経験者の検証も受けないまま、河野談話は左派・リベラル勢力に神格化されてきた。そして河野氏自身は談話を自賛し続けて今日に至る。

「(安倍晋三首相は)議員に上から目線で接していることが少なくない。議員の背後にいる国民に著しく礼を失している」

「批判に耳を傾ける謙虚さも自分を抑制する姿勢も見られない」

河野氏は月刊誌「世界」5月号のインタビューで、こう安倍首相を厳しく批判していた。だが、国民は事実を知る必要はないとばかりに「上から目線」で河野談話をつくり、世界に「性奴隷の国」とのイメージを広めたことへの批判にも、一切耳を傾けようとしてこなかったのは誰だろうか。

河野氏に国民に対する「心からのお詫(わ)びと反省の気持ち」(河野談話)を求めても、もはや無駄だろう。せめてもう少し自分を抑制し、これ以上、日本の足を引っ張らないでいてほしい。(政治部編集委員)

産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2014.6.19

◆モスレムによる欧州征服

池田 元彦


欧州は、50年後には、各国の過半数がイスラム教徒となっている可能性がある。全て過去50年間の安易な移民受入政策の結果であり、推進した左翼与党政治家とマスコミの責任だ。多文化共生、人種差別反対を唱えて、結果自国内に異文化の集団、反移住国政党出現を許容したのだ。

フランスでは、人口の25%が既に旧植民地を含む移民で占められている。移民は、18歳以上で5年間安定した就労生活を送れば帰化出来るが、更に強制結婚等で出産、子供のフランス国籍取得、親兄弟、親戚迄移住出来る。移民の多くは、アルジェリア等旧植民地からのイスラム教徒だ。

既にパリの幾つかの地区は、モスレムに占拠され、無法地域化している。一夫多妻、麻薬売買、DVや現地国民への暴力沙汰が横行する。警察、消防隊さえ迂闊に中に入れない。学校給食から豚肉は除去され、移民の子供に現地の子供は虐められ、地下鉄も移民専用化しつつある。

問題は同化するはずだった移民が同化せず、イスラム法に固執し、イスラム政党を立上げ、フランスをイスラム国家にすると公言することだ。ノートルダムがモスクにされるとの小説迄出回っている。パリ以外でも、フランス住民は近隣地区から退避し、益々移民地区が拡大している状態だ。

英国も同様だ。街の広場と道路を違法占拠され、バリケードが張られ、私設暴力団が英国人の通行を止める。警察は見て見ぬ振りをする。

収容できるモスクがないと主張するが、礼拝者は自動車で郊外から大勢集まるのだ。既に英国法令を無視して、85のイスラム法廷が設置されている。

モスクはロンドン市内に20程、英国全体で千程ある。中近東同様、定時のモスクの祈りがスピーカーの大音響で流れる。バッキンガムをモスクに、英国をイスラム国家に、女王は改宗するか、英国を去るかの選択だと、モスレム指導者は主張する。元労働党首は、同化政策の失敗を認めた。

ドイツもメルケルの同化政策は移民に甘い。移民の低い教育レベルと労働意欲。そもそも移民先国の社会に馴染む気がない。言語も覚えない。逆に、シャリア(=イスラム法)やコーランを無償で何十万部も組織的に移民に配布してアラビア語、イスラム法堅持を移民達に推奨、強制する。

イタリアでも警察が介入に弱腰で、2,3千名の自警団による移民の違法行為、暴行、嫌がらせを監視抑制している。ミラノでは、支那人が住宅街に跋扈し、1階部分は皆支那人の店へと変貌し、イタリア法令無視、独自の就労許可証の発行等、現地の法令に従わない無法地帯を形成する。

スウェーデンは最悪だ。政府が1987年から2007年迄の間、移民犯罪を公表させなかった。ジャーナリスト、マスコミは、多額の補助金を得て、移民犯罪人をスウェーデン人だと報道していた。

マルモという町の3分の1の家庭が移民犯罪の被害があり、レイプは、欧州の最大20倍もある。

この国も自国民を守らず、移民の権利を重視する。老人施設が襲われ、町に対策を依頼したが、警備員が派遣されただけ。その警備員も数日後には逃げる始末だ。他の欧州諸国も同様だ。被害者が移民制限を唱えても、政府、マスコミは人種差別、極右とレッテル貼りをし、放置する。

カダフィー大佐は言った。「剣、銃、軍隊を使わず、5千万人のモスレムで欧州を征服、勝利する」と。アルジェリア元大統領ウアリ・ブーミディエンもこう言った。「イスラムは友達として移民するのではなく、征服者として移民する」と。

出生率1.9以下の欧州人と、3以上のイスラム移民。人口構成逆転、イスラム政党によるイスラム政策。このまま行けば、欧州はイスラム国家になる。 

◆国語乱すカタカナ語と造語 #7

前田 正晶



合成語:

ここに採り上げるのは「漢字ないしは熟語とひらがなの表現にカタカナ語を組み合わせたもの」であり、私が好ましいと思っていない例である。その例を幾つか挙げるに止める。

*自己ベスト personal record or one’s record、

解説)これも完全に戸籍を得て、マスコミどころか一般人も広く使っている。何も "best"(=ベスト) などと言わずに素直に「自己最高(記録)」で良くはないか?私は以前にはこの漢字だけの言葉が主流だったと思っていた。こういう言葉をテレビ等の映像だけでなく音声から耳に入れられると、その影響が強く、私の目から見た良貨を駆逐する結果になったと考えている。

私の率直な意見では「このようにカタカナ語を入れて何となく格好良く、ないしはスマートに見せようとするところが厭らしいのであり、そこが嫌い」なのだ。同様に「ベストを尽くす」も嫌いだ。「私は最善を尽くします」で何処がいけないのだろう?「出きり限りのこと」でも良いと思う。

*スチール写真 still picture、

解説)私はスチールが "still" で「静止写真」と解るまでに60年以上もかけてしまった。「鉄板( "steel" )の写真」があるのかなという疑問があったためだ。"Motion picture" の反対語か?

*電子レンジ microwave oven、

解説)何となく "electronic range" ではないかと思わせるが、原語はそうではなかったのが凄い。 "range" には調理器具の意味があって、"gasrange"(=ガスコンロ)なんていうのもある。

*アドバイスする advise or advice、

解説)これは何と言って批判?したらよいのか迷う。"advice" が名詞形で "advise" という動詞がありながら、「アドバイス」と仮名書きにしてその後にご丁寧に「する」をつけている。即ち、名詞形を採ったのだろう。「助言」、「忠告」、「勧告」、「通知」ではいけないのか。

他にも、タッチする、オープンする、リードする、アップする、ダウンする等がある。興味を引くのが「アップ」= "up" と「ダウン」="down"だけは副詞か前置詞である点だ。勿論エレベーターの「上がり」「下り」のように名詞形で使われている場合もあるが、そこまで考えて合成語に仕立てたならば、矢張り先人の知恵には敬意を表したい。

*ノミネート(する)       nominate、

解説)上の例に加えても良かったが、単独にした。日本語の文章の中では「XX氏が芥川賞にノミネート」のようになっている例が多い。普通の英文では "X was nominated for the Akutagawa Prize." のように受け身にして使うもの。素直に「〜を推薦する」で良いじゃないか。

しかも、通常は過去形になってしまうはずが日本文では正々堂々と現在形だ。英語のような現在形と過去形がないのだから仕方がないが、こんな事をしていて「国際語としての英語を学ぼう」もないものだ。

さらに「XXをノミネートする」となれば、行為の当事者となる主語が先行しなければならない。推薦したのが審査員のか出版社なのか新聞社なのか、あるいは読者なのかをハッキリさせねば英語では文法的におかしくなる。

それとも "they" で逃げておくかだが、「主語+述語」の形を採らないと正確な英文にならないとチャンと教えておくべきだが、教えられた方が理解していなかったのか。

*〜をゲット(する)        get or got or have gotten、

解説)テレビで毎度お馴染みの語法だ。99%の場合に既に何かを手に入れた後で「〜をゲット」と表現している。こんな奇妙なことを言わずに「〜を入手」か「〜を獲得」か「〜を購入」で良いのに、何故か「ゲット」(="get" )を使いたがる。

これは過去のことだから、文法的には「ガット」(〜を "got")としたい。嘗て故・大沢親分は外野手の中間に上がったフライを「俺が捕る」と声をかけるべきで、その時は「アイガリと言え」とテレビで教えていた。

これを英語にしてみれば "I got it." で過去形になってしまう。「恐らく "I get it." か "I’ll get it." だったのだろう。彼に教えた先輩がそう言ったのだろうから、親分の責任ではない」と好意的に解釈している。

*チョイスする   choose

解説)上記の例と同じ手法で作り上げたものだろう。"choice" が"choose" の名詞形だ。これは不規則動詞で過去形は "chose" である。一連の「〜する」のように使われているのは圧倒的に不規則動詞だ。思うに、過去形が思い浮かばなかったのでは。こんな合成語を使わずに「選択する」か「選んだ」で良いじゃないか。

結び:

アルファベット順でも五十音順でもなく手当たり次第に採り上げたことをお許し頂きたい。これ以外にも掬い損ねた言葉が数多くあると確信している。私は自分の書くものにはカタカナ語を使うことを極力避けるようにしている。そうしても文章も書けるし、会話だって普通にできる。

ここには採り上げなかった言葉の中には、私の記憶にある限りでは1950年代に既に使われていたものに「ドラステイック」があった。これは「徹底的に」か「思い切った」という意味で使われていた。何となく格好が良いのかなと思って聞いていた。

しかし、後年気が付いたのだが、アメリカ人はこういう言葉を使わないし、私の英語力では使った記憶もない。Websterには "acting rapidly orviolently" とあってどうもカタカナ語の意味するところと違う。Oxfordには "extreme in a way that has a sudden, serious or violenteffect on 〜" とある。

では何と言うかと言えば多くの場合に "dramatic" が使われていた。Websterには "dramatic"は "vivid" と “striking in appearance oreffect" となっている。私はこの頃から既に単語帳的知識の弊害があったと認識している。

何はともあれ、カタカナ語を見たら、先ず本当の英語であるか否かを疑うことと、英語が意味したように正しく使ってあるか否かを、あらゆる辞書と検索で確認して頂きたい。ここで重要なこことは単語の意味だけに止めず「流れの中では如何なる意味に使われているか」である。

ここまでは、英語とそれらしきものを取り上げたが、他にもフランス語(例えばアンケート)、ドイツ語(例えばペーハー=pH)、イタリア語(例えばパスタ)も外来語として戸籍を得ている例がある。

ここまでに採り上げてきたカタカナ語を皆様がどう使われようと私の介入する問題ではない。繰り返し申し上げておくと、そのカタカナ語は99%が本当の英語ではないことを知っておかれれば、ここまで書いてきたことの目的は達成されたのだから。

ここまでお読み頂いたことに感謝して終わります。(終わり)

2014年06月19日

◆「核」が日中開戦を抑止する(39)

平井 修一


(承前)松島悠佐氏の論考「戦争の教科書」から。

               ・・・
イラク戦争(2003〜2010)開始に際して国際間でも国内でも様々な議論があり、異なる主張があった。戦争に踏み切るかどうかは、イラクが大量破壊兵器を開発しているか否かが、表向きの判断基準になっていたが、実際にはフセイン大統領の独裁体制を許容するかどうかが決め手であった。

フセインが少数派のシーア派や少数民族クルド人に対して弾圧的な圧政を行っていたことは事実であり、これを排除しなければその状態が存続し、非人道的な迫害を受ける人々は救われなかっただろう。

戦争に訴えるという荒療治が良かったか悪かったかは、しばらくして歴史の判断に委ねなければならないが、とにかく戦争は悪だと主張する人たちの意見には、戦争の悲惨さを強調するあまりに、戦争になっていない平素の状態の中で迫害を受けている悲惨な事態には目を閉ざしてしまうことがあり、戦争という事象だけに反対する感傷的な意見が多い。

フセインの専制独裁的な国家運営を黙認して、戦争を躊躇していたとしたら、北朝鮮が今やっている拉致や不法工作活動、あるいは自国民を餓死させたり多数の国外脱出者を生むような異常な国家運営に対しても国際的な懲罰はないと理解し、自信を深め、今以上に不法な行動をとり続けるだろう。

そのような非合法な行動がもたらす自国民の悲惨さや、周辺に及ぼす影響を考えるとき、それに対して断固とした対応をとらず、結果として専制独裁体制が存続することになったら、果してそれが平和的な解決と言えるのだろうか。

平和を維持するためには時に戦争も避けては通れない道なのである。

目下わが国に異常な脅威を与えている国が北朝鮮(平井:および中共)だが、この脅威を取り除くにはどうすればよいか。金体制(平井:および中共)が現行の異常な政治を改めて民主国家へ移行するのが最良だが、これまでの経緯を見ればそれは無理だろう。今のやり方を続けるのであれば体制を潰すしか方法はないだろう。

イラク戦争開始に対するブッシュ大統領の判断を批判する人も多いが、フセイン体制を倒すにはこれしかなかっただろう。一体、フセイン体制が存続していた方が良いのか、なくなった方が良いのかの判断は、世界に自由な社会を広めることが大事だと考えている普通の民主主義国家から見れば、後者に決まっているだろう。

この力の行使によって、リビアもイランも動いてきた。やがて北朝鮮(平井:および中共)も動いてくることを期待したい。脅威は「平和的に」と言っているだけでは解決できない。平和を守るために力が必要な時がある。それが戦争だ。

「戦争は力による政治の継続」は、ドイツの戦略家クラウゼヴィッツの言葉である。

「国家はそれぞれ自国の繁栄と国益の追求に努め、それが互いにぶつかり合い、争いに発展することも多く、さらに、戦争にまで突き進むこともある。だが、誰もが、悲惨な結果を生む戦争は努めて避けて平和裏に解決しようと努力している」

政治や外交というのは、共存共栄のためにお互いの妥協点を見つける努力に他ならないが、時にはどうしても話し合いでは解決できず、力の行使も考えなければならない場合もある。平和的な交渉で進める政治・外交とは形は違うが、戦争もひとつの政治の手法との考えである。

わが国では今、竹島の領有権が韓国との間で問題になっているが、これについて考えてみると、韓国は領有権を主張すると同時に警備兵を配置し、機銃まで据えて、近づく船舶には威嚇射撃をして退去を強制している。それに対しわが国は、同じく領有権を主張し、韓国の一方的な占拠に対して抗議はするものの、実行措置は行っていない。

この状態がすでに30年以上も続いており、韓国では船着き場を作って、最近では一般市民の観光訪問まで許可している。それでもわが国は、相手を刺激しないようにとの配慮から、抗議以外の方法はとらず、それが大人の政治判断だとの考え方をしている。

しかしこのままでは、竹島を日本の領土として取り返すことは難しい。日本の領有権を回復するためには、武力による対応も辞さぬ決意で臨まなければならないが、わが国としてそのような手法を選択するのを好まない。だが、好むと好まざるとにかかわらず、それも政治や外交上の一つの手法なのである。

わが国では、政治的判断とか政治的決着などとの表現をよく使うが、これは多分に、ことを荒立てずに、なんとかうまくまとめることに使う場合が多い。だが、クラウゼヴィッツの理念からすれば、力による解決を図ることも、形を変えた政治や外交の継続なのである。(注)(つづく)

              ・・・

注)小生が愛読する「西郷南洲翁遺訓集」より。

第十七ケ条

正道を踏み、国を以って斃(たお)るの精神無くば、外国交際は全(まったか)る可(べから)ず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲(まげ)て彼の意に従順する時は、軽侮を招き、好親却(かえっ)て破れ、終に彼の制を受くるに至らん。

<正しい道を踏み、国を賭けて、倒れてもやるという精神が無いと外国との交際はこれを全うすることは出来ない。外国の強大なことに萎縮し、ただ円満にことを納める事を主として、自国の真意を曲げてまで外国の言うままに従う事は、軽蔑を受け、親しい交わりをするつもりがかえって破れ、しまいには外国に制圧されるに至るであろう>

第十八ケ条

南洲翁が談(だん)国事に及びし時、慨然として申されけるは、国の凌辱せらるるに当たりては、縦令(たとえ)国を以て斃るとも、正道を践(ふ)み、義を尽くすは政府の本務也。然かるに平日、金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出る事に臨めば、頭(こうべ)を一処に集め、唯(ただ)目前の苟安(こうあん)を謀るのみ、戦(いくさ)の一字を恐れ、政府の本務を墜(おと)しなば、商法支配所と申すものにて、更に政府には非ざる也。

<南洲翁の話が国の事に及んだとき、大変に嘆いて言われるには、国が外国からはずかしめを受けるような事があったら、たとえ国が倒れようとも、正しい道を踏んで道義を尽くすのは政府の努めである。

しかるに、ふだん金銭、穀物、財政のことを議論するのを聞いていると、何という英雄豪傑かと思われるようであるが、実際に血の出ることに臨むと頭を一カ所に集め、ただ目の前のきやすめだけを謀るばかりである。

戦の一字を恐れ、政府の任務をおとすような事があったら、商法支配所、と言うようなもので政府ではないというべきである>(2014/6/17)

◆国権の最高機関の責務放棄の言動

宝珠山  昇


近年の国際戦略環境の激化に対応しえる自衛権行使体勢を構築しようとする安倍政権の提案を「拡大解釈される恐れがある」とか「警察権の行使で対応しうる」などと主張して、国防体勢の充実を妨害しているように見える政治家、政党があり、これを支える学者、元官僚などが、いまだにいるのは残念である。

彼らの言動は、国権の最高機関の責務を放棄し、将来の構成員の判断能力に疑念を呈し、その権利を剥奪するするに等しい越権行為であろう。のみならず、他国を利するものでもあろう。

言うまでもなく、国防、すなわち、国の独立、存立、安全、繁栄、国民の基本的人権が根底から脅かされる事態の発生を未然に防止することは、古来より、国の指導者層の最大最高の責務である。

近年、「警察官」が弱体化し、「ならず者」が横行、不法行為などを繰り返している国際社会、周辺情勢の実態を確りと見つめ、これらに対応しえる国防体勢を構築するのは、いま国権の最高機関に席を置く人間の責務である。

「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される恐れ」を防止する行為を禁止する憲法などあるはずがない。これは人類の数千年の歴史に照らせば明明白白である。

その恐れがあるか、否かを判断するのは、その時に国権の最高機関に席を置く者の最大最高の責務である。その判断基準をあらかじめ示すことは、「一寸先は闇」のことわざの教える通り、古来より何人にも不可能なことである。

仮に、そのような基準を示したり、行動を躊躇などの一端でも匂わせるならば、他国に悪用されることは目に見えている。

竹島が韓国によって不法占拠されたのは、領土が明白に侵害されたにもかかわらず、「自衛権行使の三要件」に従ってか、他国におもねってか、海上封鎖などの対応措置を適切に発令しなかったからであろう。英国はフォークランドへの侵害に即刻対応してこれを確保した。

先進国水準に適う適時・適切な自衛権行使体勢は、閣議決定や法律が制定されても、すぐに充足され、実効が出るものではない。

これらを充足するためには、その身命を国のために捧げる奉公精神を身に付けた多数の若い国民とそれを支える知力、装備、補給、施設、訓練などが必要不可欠である。これには、多くの国民が、国を守る義務を現場で引き受ける人々を支持し、処遇する環境が醸成される必要がある。

しかし、一般論として、多くの政治家も国民も、個人的には自衛権行使の義務を履行しなければならない現場には携わりたくない、むしろこれを回避する道を指向しがちであろう。少なくとも戦後左翼などはこれらを称揚し、自らの利権増進に利用して、日本の独立度の向上を遅らせてきている。

20余年前、国際貢献態勢の整備にかかわったが、戦後左翼のみならず、その現場に行かされるかも知れない自衛官の父母、兄弟姉妹、戦場経験のある親戚や知人などから、“お前は俺達の子供を戦場に送るつもりか”などと責められたこともあった。現在の国際環境の厳しさは、この時の比ではない。

現在のわが国の防衛環境は、「恐れがある」を拡大解釈されるとか、「警察権で対応できる」とか、「集団的自衛権の行使は憲法改正で行うべき」とか、の抽象論を超えて、国家生存確保の原点に立ち返って、憲法を運用し、法律を制定できる成熟した先進民主国家水準の国防論議を要請している。70年近くにわたって一言半句も修正できなかった「憲法改正」にかかわらせて、国防体勢の改善を論議するのは責任回避の言動である。

これらを支持している国会議員、元官僚、憲法学者、評論家などは、日本の生存環境の厳しさ、国際社会の実態を軽視し過ぎているか、意図的に無視しているように思う。現代の国際社会では、憲法や法律や言葉や口先では国は守れない。

我が国を取り巻く国際環境を厳正に見つめ、国防の現場に参加する要員とこれを支える知力、装備、補給、施設、訓練が十分に確保できる環境の整備に論議の焦点を移すことを希望する。自衛権の行使に行き過ぎや拡大解釈の恐れを感じたらその時に立ち上がればよい。

◆日印関係を強化しよう

加瀬 英明


12億5千万人のインドで5月に総選挙が行われ、63歳のナレンドラ・モディ氏が率いる、インド人民党(BJP)が圧勝した。

BJPは、543議席の下院の282議席を制して、2009年から政権を握っていた国民会議は、206から44に議席を減らして、惨敗した。インドが1947年に独立してから、最大の政治異変である。

それまで、モディ氏はアラビア海に面する郷里のグジャラート州首相をつとめて、州の経済を大きく発展させた。

モディ新首相は就任演説のなかで、「21世紀を“インドの世紀”にる」と、公約した。

モディ政権の登場は、日本とアジアに明るい展望をひらくものである。

インドと中国は30年前に、ともに国民1人当たりの所得が300米ドルで、並んでいた。ところが、中国が目覚しい経済発展をとげて、6700ドルを超したのに対して、その後、インドはその4分の1にとどまっている。

インドの経済成長率は、10年前に10%に達していたが、このところ4.5〜5%に落ち込み、9%を超える高いインフレが進んで、庶民生活を圧迫している。

モディ首相は財政を建て直し、大きく遅れたインフラを整備するかたわら、錯綜している行政機構を合理化して、大胆な経済改革を断行しなければならない。

モディ新内閣をみると、国民会議の前内閣が79人の閣僚を抱えていたのに対して、45人に減らしている。それでも、なかに鉄道相、道路交通相、民間航空相、農業、加工食品、食品流通の6人の閣僚がいる。

私は80年代からインドに通って、政府に厚遇されるようになった。

当時、日本で学ぶインド人留学生が、100人もいなかった。私は有志の協力を得て、ネール大学の支援を受けて、ニューデリーに高校生に日本語を無料で教える学校を開設して、成績のよい生徒を全額負担して、日本の4年制大学に留学させて、卒業させた。

私はBJP政権のフェルナンデス国防相と同志だった。インドはフェルナンデス国防相のもとで、1998年に核武装した。

フェルナンデス国防相から国防省に招かれて、参謀総長以下の軍幹部に講演して、中国に触れたことがあった。

インドは中国によって面積が九州よりも広い、ラダック地方の大きな部分を奪われたうえに、中国がアルナュル・プレディシュ州を蚕食してきた。

私は中国が日本の尖閣諸島を含めて、6つの国に対して、不当な領土要求を同時に行っていたが、中国の指導部は権力闘争によって、意志を統一することができず、思考が中華思想によって蝕まれているために、戦略的思考ができないと述べた。

そして、軍が上から下まで腐敗しているために、全面戦争を戦う能力がなく、国内的な事情によって暴走して、軍事冒険に乗り出さないかぎり、恐れることはないと指摘した。

中国は今日、日本、インド、インドネシア、ブルネイ、マレーシア、ベトナム、フィリピンの7つの国から、領土を略取しようとして、紛争を発生させている。だが、7ヶ国の人口を合計すると、20億人を超え、経済力も、中国を上回る。ひと口でいって、中国の指導部は愚かなのだ。

日印関係を深化することが、求められる。

◆「中国の時代は終わった」と総括

宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26(2014)年6月19日(木曜日)通巻第4271号 <前日発行>>


 〜欧州企業 (EU商工会議所中国支部) もようやく総括した
           「中国の時代は終わった」と〜

中国全土に大規模店舗を展開するヨーロッパ家具メーカーは「イケア」だ。

中国総支配人のジョン・フロエンフェルダーは西安で開かれた中国EU商業界のセレモニーに出席したおり、出店テンポの見直し、一部撤退を示唆した(2月21日、西安)。

5月29日に発表されたEU商工会議所中国支部のレポートでは在中EU企業へのアンケート結果、46%のヨーロッパ企業人が「中国の次代は終わった」と答えた。

中国でも売り上げは2011年すでに75%の落ち込みを示し、2013年には59%の落ち込みがあった。

主たる原因は人件費ならびに家賃などランニングコストの高騰、EU市場の縮小。そのうえに中国における外国企業への差別などだ。

2011年以来の反日暴動、尖閣への威嚇、防空識別圏、いたずらな日本非難を前にして日本企業はすでに47%もの投資減である。

中国はこの間に投資案件を1億ドル以上の制限から3億ドルに引き上げて対応したものの、外国企業の中国進出はドイツを除いて明らかにマイナスを示している。

米国企業もあらかたが中国撤退の構えを見せ、この流れに周回遅れでEU企業が乗った。つまり「中国の時代は確実に終わったのだ」(旺報英語版、6月16日付け)。
    

◆国語乱すカタカナ語と造語 #6

前田 正晶


言葉の誤用と借用:

最後に近くなって採り上げるこの分類が最も厄介なカタカナ語であると思う。何故ならばこの手の言葉は英語として意味を為さないか、または誤りであるだけではなく、造語的な要素も入って複雑化しているからである。だが、ここには我ら日本人の素晴らしい造語の才能を見出すことができるので尚のこと困るのだ。


しかも、この類いの多くはそのまま日本語として定着しているのだ。私は多くの方はもしかして「英語」だと信じておられるだけでなく、英語では本当は何と言うかをご存じないのではないかと疑っている。外国人と英語で会話などをされる際には、出来れば事前に十分に確かめてあった本当の英語の表現だけで話すことをお薦めしたいのだが、現実には言うべくして困難かと危惧する。

*リニューアルオープン opening or open after renovation orrefurbishing、

解説)これに相当する適切な英語を見付けるのは困難だった。それは"renew" にはパチンコ店などが掲げる看板のような意味がないのだから。即ち、店内改装の後の営業再開の意味ではないからだ。

一見英語風だが、どう考えてもおかしい。"renew" はWebster には”tomake new again”とあり、Oxfordには”to change 〜 that is old ordamaged and replace it with 〜 new of the same kind”とある。

即ち、「新装」ではなく元の新しさに戻すと解釈する方が無難なのだ。同じような看板に「グランドオープン」というものあるが、おかしい。少なくとも "open" という動詞形ではなく "opening" になりはしないか。寧ろ言葉の誤用に入れるべきだったか。

*バトンタッチ baton passing、

解説)これは物理的に考えてもおかしい。私は長い間この言葉を「タッチだけではバトンを渡していないではないか」と揶揄してきた。野球における言葉の誤用である「タッチ」の応用か。あれは "touch" ではなく"tag" =「付ける」なのだ。「タッチアウト」は"tagged out" となる。

*テープカット ribbon cutting、

解説)これも面白くておかしい。テレビでしかこの儀式を見たことがないが、カットされているのは何時も「リボン」= "ribbon" であるのに。トラック競技でも1着の人が切っていくのはどう見ても幅が広い「リボン」に見えるが「テープ」と言っている。

*キャプテンシー captainship、

解説)もしも記憶に誤りがなければ最初にこう言いだしたのはサッカー解説の松木安太郎だった。思うに "captaincy" の誤用だろう。その後はアナウンサーも解説者も一様に「キャプテンシーは主将としての統率力や指導力を表す時」に使っている。

だが、"cy" の語尾は地位ないしは役目を言うものである。正しくは"captainship" =「キャプテンシップ」である。言うまでもないが、"leadercy" 等という言葉はなく "leadership" である。因みに、大統領の地位は "presidency" と言うが。

*スリッピー slippery、

解説)これもサッカー解説から出た言葉だろう。ピッチかグラウンドが濡れていて「滑りやすい」という意味で使われている。上記同様にアナウンサーと解説者御用達である。もしかして "slippery" は言いにくかったのか。Oxfordには "slippy" という言葉は載っていないが "slippery" なら載せられているのだ。間違った単語を振りまくな。

*ランニングシャツ sleeveless shirt、

解説)どうもこれに当たる英語がないようだ。こういう言葉を当て嵌めていた辞書を何処かで見たことがあったので採用した。ここで「ランニング」を採り上げたのは、カタカナ語には屡々登場するからである。これでは「走っているシャツ」ことになるのは言うまでもない。

*ランニングコスト      operating cost、

解説)これも屡々使われるが、私は長い間これを "operating cost" の誤りであると思っていた。おかしな点は「コスト」は走れないことにある。
営業経費か運用費のことだ。我が国の英和辞典には "running cost" は出てくるが、Oxfordには採用されていない。なお、初期費用は"initialcost" である。

*シティホテル ???

解説)「シティボーイ」などと同じで、ここまで来ると造語に入れるべきだったかと迷う次第である。思うに、東京ならば所謂「御三家」の帝国、大倉、大谷のような大ホテルを指す言葉だろう。「ビジネスホテル」という英語もないと思うが、これは航空業界の "LCC" のようなものを指すのだろう。

*ビジネスライク businesslike、

解説)実はこれは立派な英語なのだ。カタカナ語として使われる場合の「冷淡な」という響きはなく、効率的や能率的にか「きびきびした」という意味である。案外にそう理解している人が多いか。そうならば結構だが。

*スナック snack bar、

解説)一言にすれば "snack" は「軽食」で、Oxfordには "eaten in ahurry" とある。であれば、これは「スナックバー」とするべきものを省略したと解釈する。


*リピーター repeater?

解説)困ったことにテレビのお陰で定着してしまった。常連客ならば"regular customer" で、「屡々訪れてくる客」のことを言いたければ"frequenter" ということ言葉があるとする和英辞書もある。Oxfordには「連射可能なガン」とあり、ジーニアスには「常習犯」もある。

すると、我が国のマスコミご愛用にこの言葉は何のこと?何でも語尾に"er" をつければ良いってもんじゃない。シャネラーで味をしめたのか?こういう造語をでっち上げる才能を褒めるべきか、貶すべきか。

*フライイング(フライング) flying、

解説)これなどは造語の面白さの最たるものであろうと思う。カタカナ語として使われている場合の正しい英語は "false start" である。だが、"flying start" というスタートの方法はある。

それはスタートラインの前から助走をつけてスタートすることである。それと合図以前にスタートすることを混同して、「フライング」だけを残したと解釈している。因みに "flying" にはどこを探しても「フライング」の意味はない。

*コンプレックス inferiority complex、

解説)劣等感のことなのだが、何故か "inferiority" が省かれてしまった。思うに「インフェリオラティ」という "r" が多すぎる綴りの発音が難しくて、仮名書きにできなかったと疑っている。"complex" だけでは劣等感にはならないのは言うまでもない。因みに、「優越感」は "sense ofsuperiority" になるようだ。

*フリップ chart or flip chart、

解説)これも困った言葉だ。"flip" とは「めくる」という意味だ。それを間違ってテレビで屡々使われているために、国会でも使う議員が続出。笑っていられない事態だ。

そもそも「綴じてある紙をめくりながら話をし、何か書いて行くためのもの」なのだ。だが、何処でどう間違われたのか「チャート」の意味で堂々と使われ、誰一人として疑わないのが凄いと思う。

これは造語の部類に入れてもおかしくないかも知れない。余談だが、12年間コメンテーターを務めさせて頂いたSBSラジオのプロデユーサーさんは「うちではそんな間違った言葉を使わない。チャンとチャートと呼んでいる」と言われた。

*ダンプカー dump truck or dumper、

解説)これも面白い。何故、どう見てもトラックなのに乗用車を表す"car" になったのだろう?

*ジャンパー jacket、

解説)"jumper" とは労務者の作業用の上着であり、この和製語が言いたいものは "jacket" の方が適切であると思う。Brooks Brothersのジャンパーの値札には "outer wear" とある。違いない。英語の観念では何でも上に着るか羽織るものを "jacket" で括っているようだ。

*ボールペン ball-point pen、

解説)戦後間もなくこのペンが入って来た時は感動した。何と言っても宣伝文句が "Write dry with wet ink" だったのだ。良く考えれば "ball"だけではペン先の意味をなさないと思うのだが。

*スキンシップ physical contact、

解説)最早古語の部類だろうが、懐かしさ半分で採り上げた。こんな英語はないと思う。"body contact" としてある辞書もある。これだと一頃流行った下記の「ボディコン」)(= "slintight")と勘違いされはしないか?

*ボディコン skintight、

解説)それにしても何処の誰が "body conscious" 等という言葉を思いついたのか?矢張り単語帳的知識の輝かしき成果か?

*コーナー bend or curve、

解説)競馬の中継などで「第4コーナーを回って」等という時の「コーナー」である。"corner"=コーナーは角であり、また端でもある。曲がってはいない。そうすると、テレビ番組などで「読者からのお葉書のコーナー」と等と言っているあれは何だろう。

*アイドリングストップ   no idling or idling reduction、

解説)初めてバスの中でこのアナウンスを聞いた瞬間には意味が解らず、「アイドリングしながら停車」のことかと思ってしまった。だが、何とか「アイドリングをストップ」ということかと推理し、「停車時エンジン停止」だと認識出来た。因みに、私は自動車の運転を知らず、免許を取ろうとしたこともないので、この関係には暗いのだ。(続く)

2014年06月18日

◆ペンタゴンが一斉にオバマ非難大合唱

〜米国議会〜

宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26(2014)年6月17日(火曜日)弐:通巻第4269号> 

〜「いまさら何の批判か」だが、米国議会、ペンタゴンが一斉にオバマ非難大合唱 
イラクにテロリストを蔓延させ、次の9・11を準備させるのか〜

ISIL(新聞によってはISIS)がイラク北西部を軍事制圧し、クルド族は油田地域を事実上の自治区へ編入して治めはじめ、モスルを抑えた武装勢力は南下を続けて、ついにはバグダッド侵攻を窺う。

あたかもベトナム戦争以後、米軍が引き上げてベトコンの大攻勢があり、サイゴンは陥落した。

あの悪夢が再びバグダッドに蘇るのか?

バグダッドの米大使館は保安要員をのぞいて南部バスラへとすでに撤退した。

これは何を意味するか? 武装勢力がマリキ政権を脅かし、バグダッド陥落もありうると考えているからではないのか。

現に米国ではオバマ政権の無能を批判する勢力が日増しに勢いを増し、共和党のリンゼイ・グラハム上院議員などは「このままテロリストの跳梁跋扈を許せば、次の9・11を彼らに準備させることになる」とオバマ大統領を批判した。

ペンタゴン(国防総省)は表だった批判をひかえるものの、前国防長官だったゲイツは回想録で「軍事にまったく理解のないオバマの決断は指導者レベルではない(無能に近い)」と酷評したことは記憶に新しい。

2011年12月、米軍はイラクから撤退した。

このとき、ペンタゴンは少なくとも23000名の米兵をイラクに残留させるべきだとオバマ大統領に建言していた。

2007年のピンポイント作戦を指導し、一時はアルカィーダを壊滅近くに追いやった時の駐イラク米軍司令官ジョン・ケアネ退役大将は、「せっかく訓練したイラク兵も、まだ対抗戦力として不十分であり、23000名の兵力を残存されるべき」と大統領に進言したが「無視された」と発言している(ワシントンタイムズ、6月16日)。

2011年撤退時の駐イラク司令官はロイド・オースチン三世。現在、彼は中央軍司令官として、空母のイラク沖展開に関わっているが、同様の姿勢と言われる。
   

◆国語乱すカタカナ語と造語 #5

前田 正晶


ローマ字式発音または恣意的な読み方:

これは日本語訛り(私はこれまでに「外国人離れした」と皮肉を込めた表現をしてきた、失礼)の発音の変形であるとも考えている。この例は私が嫌う割にはそれほど多くはないと思う。簡単に言えばQueen’s accentでは"o" を「オ」といわばローマ字のように素直に発音するが、アメリカ式となるとほとんど「ア」なるようなことを指している。

例えば「ホリデー」とされているのが実は "holiday" で、発音記号を見ても実際にネイティヴ・スピーカーの発音を良く聞いても、「ハラディー」となっているものである。ここでは、さらに "i" が「ィ」ではなく「ア」の音も入ってくる例になっている。

さらに "a" を素直に「ア」と読まずに「エイ」という発音になる例が多いのも要注意である。なお、英国系の発音では「アイ」となることがあるが、これはロンドンにの一部にある訛りであるから除外として良いだろう。その手近な例では、かのサッカーの貴公子(?) "David Beckham"は自らを「ダイヴィッド・ベッカム」と言っているものがある。

私が指摘したい最悪の例はアメリカの "Major League Baseball"(=MLB)を「メジャーリーグ」または「メジャー」としている例である。

「メジャー」に当てはまる英語の言葉は "measure"(=計る)しかあり得ない。だが、この「メジャー」は完全に全国区で戸籍を得てしまった。この恥ずかしい読み方を最初に導入したのは何処のどいつだ。ここで発見した面白い現象にminorをチャンと「マイナー」と表記していることだ。何故、Minor Leagueは「ミノルリーグ」にならなかったのだろう。

中には発音が難しく尚かつカタカナ表記も困難で似て非なる表記になっているものがあり、私はこれが最も気に入らない。それは「セキュリティー」となっている"security" や「ユビキタス」になってしまった"ubiquitous" 等である。何れも辞書を見て貰いたくなるようなおかしな表記であると信じている。この2例でも "I" の読み方が要注意だ。

*ルーキー rookie, rookey, rooky、

解説)奇怪である。戦後のことでプロ野球に登場する新人選手をアメリカでは "rookie" と呼ぶと言って導入されたのは良かったが、読み違えてしまった。どこの世界に"book" を「ブーク」と言う人がいるか?"look" と書いて「ルーク」と読むか?ここでは精々「ルキー」だろう。それとも「ルッキー」とでもするか。発音記号を見て貰いたい。そう言っても、最早定着しているから残念だが手遅れか?

*パトリオット patriot、

解説)典型的な "a" と "o" のローマ字読みの例だ。日本語に帰化済みなので変えようがあるまい。本当は「ペイトゥリアット」に近い。

*ナトー NATO、

解説)これも "a" のローマ字読みである。帰化済みでもある。英語圏では「ネイトー」と発音される。パックンとやらはこれも槍玉に挙げていた。即ち、何のことか直ぐには理解されない読み方だから。

*ボディーチェック body search、

解説)すでに例に挙げたが、ローマ字読みとして再登場させた。私はアメリカ語育ちなので、「バディ」ないしは「バァディー」と読みたい方である。

*シンポジューム symposium、

解説)この "um" ないしは "ium" で終わるスペルのグループには、他にもアルミニューム= "aluminum"→アルーミナム、アクアリウム="aquarium"→アクエアリアム、スタジアム="stadium"=ステイディアム、ウラニウム="uranium"→ユーレイニアム等がある。「シンポウジアム」が原語に近いだろう。

*ゲーリー Gary、

解説)これは「ゲアリー」であると思う。偶には「ギャリー」としている例もある。面白いことは "Mary" には「メアリー」があって「メリー」もあることだ。

何を隠そう、この私も「ゲーリー」だと思い込んでいた時期があり、訪ねた先で「ゲーリー」はいないと言われてしまった経験があった。他に面白かった現象に Queen Merry" と名付けられた観光バスに乗ったことかあった。

*リコール recall、

解説)欠陥商品の回収ならば「リーコル」か「リーコール」に近くなり、「リー」にアクセントが来る。「リコール」だと「思い出す」動詞になると思う。

*リサイクル recycle、

解説)"re" の読み方が問題で、「リーサイクル」なのである。だが、最早「「リサイクル」が日本語に帰化を果たしている。ここで面白いと思うことはローマ字読みにして「レサイクル」と読まなかった点である。私にはこういう不思議な柔軟性がたまらないのだ。

*ビニール   vinyl、

解説)これは造語に近いと思う。しかも間違いが輻輳している珍しくもない例である。これは「ヴァイニル」と読むのだが "PVC"=polyvinylchloride=塩化ビニルのことである。我が国では広く「ビニール」を「プラスティックス」("Plastics")の代名詞の如く使っている。

「プラスティックス」には他にも "polyvinylidene chloride"=「ポリ塩化ビニリデン」もあるし、"polyethylene"=「ポリエチレン」も、"polyamide"≠「ナイロン」も、"polyurethane"=「ウレタン」等多数あるにも拘わらず。なお、「ビニル」だけでは「ビニル基」のことになると思う。これは、どうやらドイツ語の発音らしいのだが。

*レギンス leggings、

解説)これはここまで挙げてきたものから外れるが、こういうものもあると思って採り入れた。私は長い間「レギンス」の元の言葉が分からなかった。必ずしもローマ字読みではないのだが、何時の間にかこのように変化して定着したようである。ここには珍しく複数の "s" が残されている。

*ハーレイダビッドソン Harley−Davidson、

解説)"a" を「ア」とした例である。勿論?かのオートバイの「ハーレイ・デイヴィッドソン」なのだが、これも日本語化済みである。"David"=「ダヴィデ」はイスラエルの王である。このことは割合に広く知られていたと思うが、それなのに「ダビッド」としたのは何故だろう。

*ヘボン式 Hepburn、

解説)ローマ字の本家本元、"James Curtis Hepburn" を忘れていた。宣教師で医師であったヘプバーンさんがヘボン式ローマ字の生みの親だと思う。

だから敬意を表して敢えてここに入れた次第。当時、これが「ヘボン」と聞こえたのであろう。私はこれが必ずしも聞き違いとは思わないが。だが、後から出てきた二人の有名女優、キャサリンとオードリーは「ヘプバーン」」と表記されている。

*レトリバー retriever、

解説)ご存知、訓練された猟犬である。「リトリーヴァー」に近いのが本当の発音だろう。因みに、"retrieve" は「取り戻す」ということだ。

*アワード award、

解説)「アウオード」に限りなく近いのが本当の発音だ。近頃この妙な読み方が大流行。だが、これは難しい問題で "forward" に "backward" や"toward" と"ward" がつく言葉が多い。「ワード」は "word" の方だろう。

*レシピ              recipe、

解説)正しくは「レサピ」に近く、"re" に「レ」にアクセントが来る。でもここまで網を広げると「揚げ足取り」と言われるかと危惧する。

*マクドナルド McDonald’s、

解説)かの有名なるファストフード・チェーンのことだ。このファストフード店が進出以来「所有格」無視で通ってきた。敢えてカタカナ表記すると「マクダナルズ」で、アクセントは "Do" の「ダ」に置くのだ。

*パーテーション          partition、

解説)これは一寸酷すぎると思う、最近目立ってきた誤読である。いや、耳だって?いるのかも知れない。勿論「仕切り」のことだが、どう読めば「パーテーション」になるのだろうか。最初の"ti" にアクセントが来る。似たような言葉に "condition" があるが、誰も「コンデーション」と言わないのは何故だろう。

*クローズアップ close-up、

解説)同じ "close" でもここでは「閉じる」ではないのだから「クロウス」という発音になるのだ。NHKに「クローズアップ現代」という番組がある。あれは現代を接写しているのだと思うが、あれでは閉鎖してしまっている。野球で言う「クロス・プレー」は "close play" である。

*コンテナー     container、

解説)多言は要すまい。「コンテイナー」か「コンテイナ」だろう。"contain" が元だが、"ai" を「エ」にしたのは何故だろう。

*カジュアル            casual、

解説)"cat" と書いて「カット」と言うか。「キャジュアル」だ。英語の面白さは "can" と言えばキャンで「出来る」だが「缶」も"can" だが、これは前にaを付けるものだろう。ここで妙な念を押しておくと、私は英語の読み方を論じているのだ。

*セキュリティー security、

解説)これは最も憎むべき、メジャー("major" の誤読)と共に排除したいカタカナ語であり、造語に部類に入れたいくらいだ。英語を母国語とする者の誰が発音しても、如何なる辞書を見ても発音記号には「セキュアラティー」が最も近いのである。

何処の誰がこんな劣悪なカタカナ表記を編み出してテレビで言わせ、報道の文書に使うと決めたのか。しかも、困ったことに屡々"safety" と混同されている。Oxfordには "security" は "the activities involved inprotecting a country, building or person against attack, danger,etc." とある。"safety" は "state of being safe and protected fromdanger or harm" とある。では、「セキュリティー」はどっちだ。

*シーン scene、

解説)実は、これが "scene" のことだと知るまでに随分時間がかかった。「ラブシーン」とは「濡れ場」だとは解っていたが、「シーン」は何だろうと思っていたのだ。"scene"の「現場」や「場所」や「場面」を「スィーン」と表記しなかったのだった。外国人を相手に「シーン」と言えばシーンとなってしまうかも。(お粗末でした)

*ステッカー sticker、

解説)"i" が「エ」なってしまった例である。原語に近く表記すると「スティカー」になると思うが、「スティッカー」が慣例的?カタカナ表記ではないか。これも "sticker" のことだったと知るまでに一寸時間がかかった。「ポスター」とは "poster" で、本来は「ポウスター」に近いのと似たような、母音を好き勝手に読んだ表記だと思った。(続く)

2014年06月17日

◆5軒に1軒が空室 中国都市部で調査

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26(2014)年6月17日(火曜日)通巻第4268号   <前日発行>> 

〜マンションの5軒に1軒が空室。中国都市部で調査
   少なく見積もっても78兆円が不良債権ローンとなっている〜

 中国バブルの実態は中国政府の出鱈目な公表数字はともかくとして、やや信用に値する数字をいくつかの研究機関が発表している。

マンションの5分の1以上が空室だと発表したのは中国南西大学の調査チームである。

2011年に20・6%だった空室率は2013年に22・4%となった。
 
中国住宅金融調査研究センターによれば4900万戸が無人であるうえに、350万戸が売れ残っている。ローンの残高は6740億ドル(68兆7500億円弱)に達しており、もし、これから住宅価格が30%下落したら、11・2%のローン残高が焦げ付く。

ついでだから書くと中国のクレジットカード不払いが急速に広がっており、「3月末で4000億円」。これは「延滞期限を半年以上すぎた」だけの数字であり、日々最悪データは更新されている模様だ。中国のクレジットカード発行枚数は4億1400万枚。

いずれも政府より機関の統計だから、数字も見通しも「大甘」であることに変わりはないが、この数字は、むしろ「警告信号」と解釈した方が良いかも知れない。

いきなり本当の数字を出すとショック死する投資家がでるだろうら。。。(小誌は空き家を1億戸以上。住宅の不良債権予測は300兆円と踏んでいる)

さてCLSAリサーチによれば、過去5年間で新築マンションのうち、売れたのは15%、1020万戸の空室が生じており、これは12都市で609のプロジェクトを詳細に調べた結果であるという(ウォールストリート・ジャーナル、6月11日)。

 CLSAが上記データに基づいて分析したところ、これらはGDPの20%に匹敵するという(CLSAは香港を拠点にアジア各国に投資する大手ファンドでリサーチ力には定評がある)。

◆国語乱すカタカナ語と造語 #4

前田 正晶


英文法も用法の過ちも無視:

私がこれまで観察してきたところでは、英語をカタカナ語化する過程で日本語の文法というか日本語の語順に準拠または固執し、英文法を等閑視する傾向がその特徴であることを発見した。

折角学校教育の英語では文法を重要視して教えられてきた効果が挙がっていなかったのである。私は「文法は後天的に言語を分析したもので、学問的に教えるとかえってそれに縛られて、上手く活用または運用出来なくなる点が原因だったのではないか」と思っている。だが、国語の文法には自信がないどころか、ほとんど覚えていない。嗚呼。

私は英文法を重んじる教育を受けたお陰で、何人かの同僚に(こと英文法については)「お前は学者だから」と揶揄された経験があった。

*コイントス flip (toss) a coin、

解説)これは造語に良くある日本語の語順に従っている例である。即ち、目的語が先に出ている。新しい言葉を作り上げる時に日本語の文法を尊重し且つ束縛されて英語の方は無視して言葉を作って解りやすくしてきた傾向があると解釈している。

このコイントスだが、実際に見るか経験した限りでは "toss"(トス)よりも "flip" (フリップ)を使う人が多かった。1980年代のことだったか、ノースウエスト航空(現 Delta)とシアトル空港で座席の予約の有無で争った事があった。

その際に責任者と称する人物がそれならば「決着を付けるために "Let’sflip a coin. と賭け事に用に言いだして驚かせてくれた。この時は明らかに先方の事務処理に手落ちがあったので、「謝ったら許してやる」と試しに言ってみた。だが、彼ら「謝らない文化国」の民は断固として拒否し、コイントスにしようと言い出したのだ。矢張りアメリカ人は凄い。

「では応じようじゃないか」と切り返すと、流石に諦めて予約があったことを実質的に認めた。思うに「日本人がこれほど戦ってくるとは予想もしていなかった」のだろう。ここでの教訓は「アメリカ人を絶対に妥協してはならない」となる。

*タイピン   tie bar、

解説)これは文法無視の例でだけではないが、言葉の誤用としても良いくらいの珍妙な言葉であるので採録した。"tiepin"=ネクタイピン(アメリカでは "stickpin" というらしい)なるものを最後に見たのは1951年=昭和26年12月だった。これはネクタイの結び目にさすピン飾りのことで、宝石があしらってあったりしていた。そんな物を21世紀の今日何処かで見たことがある人がいたらお目にかかりたい。あのアクセサリーの本当の名称は tie bar" =タイバーである。

これは遺憾ながら「タイピン」が戸籍を得ていて広く通用していると思う。洋品店等の専門店ですら間違いに気付いていないのが凄いと思う。

ネクタイ関連で他には "tie clip(clasp)" と "tie tack" がある。後者はピンをネクタイの表から通してワイシャツの裏側で止める形の物である。これの使用者も年々減少していると思う。

*バレンタインデイ  Saint Valentine’s Day、

解説)これは私好みの造語である。ここにも英文法無視がある。元の言葉の謂われは兎も角、Saintが省略され、所有格の”s”が飛ばされてしまっている。所有格と複数の観念が日本語にないためにか、造語かカタカナ語にする過程で、この "s" は複数を表す場合も含めて、省略されていることがほとんどである。

この点が文法の理解度不足を表しているような点が残念であり且つ面白いのだが。話は逸れるが、レディーファースト=Ladies firstもその例で単数にしてしまったし、"a" の読み方を誤ってしまった。仮名書きすれば「レィディース・ファースト」が英語に近いか。

*アイスコーヒー iced coffee、

解説)余談から入ろう。1962年に初めて大阪に行って「レイコ」と言われて何のことか解らなかったが「アイスコーヒー」だった。ここにも矢張り文法無視があり 、"ice" の後に付くべき過去分詞の "ed" が省略されてしまった。この場合には過去分詞にして形容詞で使った方が良いと思う。

カタカナ語化する過程では概ね過去分詞化する作業が省かれるのが特徴だと思う。またまた余談だが、アメリカの野球場内の売り子(vendor)は冷たいビールを "ice cold beer" と叫んで売っている。ここでは過去分詞でなくて良いのだ。

*テーマミュージックまたはソング  theme music or song、

解説)言うまでもないが "thema" はドイツ語で "theme" (仮名書きすれば「スィーム」が近いか)が英語である。それを英語と組み合わせて新しい言葉を創造した点が素晴らしいと思う。先人に拍手。テーマパーク等というのもあった。

*ノートパソコン notebook computer、

解説)「パソコン」が 言うまでもなく "personal computer(=PC)" でそれを短縮したものだが、行きがけの駄賃にと "notebook" までも短縮してしまった。そして戸籍まで与えるところに凄味がある。

*ケースバイケース depending on each case or “It alldepends.”、

解説)これなども文法無視以外に誤用の最たるものとして良いだろう。記憶にある限りでは1950年代初めにすでに使われていた。"case by case"では「一件ごとに」になってしまうのだ。

英文和訳の勉強も効果を発揮していなかった。それでも誰も気が付かずに「時と場合によって(異なる)」の意味で多くの人が使っている。英語圏の人との「英会話」の中で使わないように気を付けて欲しいものだ。この表現を正しく使って実際にアメリカ人が書いた文章をみたのは2008年の5月が最初だった。それなのに前世紀中にカタカナ語化されているのは不思議という以外無い。

*アットマーク at sign、

解説)勿論「@マーク」のことである。本当は "sign" である。野球では本来は "signal" だったものが「サイン」としてカタカナ語化され誤用されている。ここではマークにその座を奪われていた。"sign" は「しるし」か「兆候」か「標識」または「看板」だと思う。

*サイン signature or autograph、

解説)これはかなり微妙な言葉だと思う「署名する」の意味ならば"sign" が動詞である。署名は "signature" で、自筆でした署名を"autograph" と言うのだと思う。私は "sign" を感覚的に動詞と捉えているので、「サインしてください」と願うならば「サイン」というのはおかしい気がするのだが。

英語は面倒くさい。直ぐ上の例では "sign" が「兆し」か「看板」であるのに。野球で捕手が出すものを「サイン」と言っているのは "signal" のことだと聞いている。そうでしょう、まさかキャッチャーがピッチャーに署名を送らないでしょう!

*ジャグジー Jacuzzi、

解説)奇怪である!本当は読んで字の如しで「ジャクージ」と発音するのである。確か人に名前だった。何でこれが「ジャグジー」になり、戸籍まで獲得したのだろうか?まさか、韓国語のように前の言葉に影響されて「ク」が濁音になったのか。

誤読という欄を設けなければならないか?こういう誤読の例にグラフィティーがある。"graffiti" は「グラフィーティー」という発音だが、誰かが導入時点でイタリア語のアクセントの位置を変えて和製英語にしてしまった。

*ホッチキス stapler、

解説)"Hotchkiss" はこの器具を考案した人の上の名前(=苗字)である。「英会話」の中でこんな風に言っても通じないので、ご注意を。なお、英語は "stapler" である。

*プッシュホン push-button phone、

解説)ボタンの掛け違いでボタンを飛ばしてしまった。思うに「プッシュ・バトゥン・フォーン」が言いにくかったのであろう?文法の誤りに入れるべきではなかったか?

*コンセント socket or outlet、

解説)英語にconsentという言葉があるが、それは主に「同意」として使われていると思う。どうしてこうなったのだろう?

*コインランドリー coin-operated laundry orLaundromat、

解説)多分、真ん中の "operated" が難しいとの判断が働いたので省いたのであろう。何によって運転出来るかを示す言葉がないので文法的に誤りとした。国立国際医療研究センターの地下にあるコインランドリー室の看板には "Laundromat" とある。流石に国立である。「硬貨の洗濯」では意味としても文法的にもおかしくはないか。

*コインロッカー coin-operated locker、

解説)ここでも "operated" が嫌われた。上記と同じ過ちだ。思うにこれでは長すぎるので、単に "locker" だけでも通じると判断したのか。因みに「電池式」は"battery-powered" で良いようだが、幸いなことに「電池洗濯機」も「電池ロッカー」もなかった。

*フロント front desk or reception、

解説)最もクラシックな和製英語の一つ。言葉の誤用に入れるべきだったか。「フロントで会いましょう」と外国人に言ったら、ホテルの前で待っていたという落ちになる。私は "reception" (リセプション)という表現を聞くことが多かったと思う。現にその表示がされているホテルが多かった。

*クライアント client、

解説)クライエントと発音するのではないかな?発音記号だってそうなっている。誤読に分類すべきだったかも。この方は個人の客で、"customer"とすると複数形にする前に集団のような感覚で捉えていた。

*プレゼンテーター presenter、

解説)文法的におかしく、みっともない造語である。"presentation"(=プリーゼンティション)という言葉がある。屡々プレゼンと言われているあれだ。ここにまた得意の "er" をつけたまでは良かったが、語幹を誤認してしまったのが敗因。困ったことに、芸人の世界以外にもかなり多くのこの言葉の愛好者がいる。

この項終わり(続く)


 

2014年06月16日

◆韓国の“民族至上主義”

〜言論の自由押しつぶす〜

名村 隆寛


韓国の新首相に指名された韓国紙、中央日報元主筆の文昌克(ムン・チャングク)氏が、朝鮮半島の日本による統治や南北分断について「神がわが民族に与えた試練」と発言したことなどで、徹底的な袋だたきに遭っている。

数年前に発した個人的な言葉なのだが、特に問題視されているのが、日本がからむ韓国の“民族性”に触れたことだ。韓国人が誇りとして止まない“民族”の負の部分に言及したため、非難と騒ぎが止む気配はない。

神のおぼしめし

問題とされている発言の一部は、すでに韓国KBSテレビのニュースなどで放映されている。このうち「日本」と「民族」という言葉が出てきた複数の場所での、主な発言を列挙する。

文氏は2011年、自身が「長老」を務めるソウル市内の教会で説教し「(韓国が)日本に侵略され植民地になったのは、神の意向があったからだ。『おまえらは(李氏)朝鮮王朝500年を無為に送った民族で、試練が必要』という神のおぼしめしだ」と語った。

また、朝鮮王朝末期に言及し「朝鮮民族の象徴は怠けること。怠惰で自立心に欠け、他人の世話になること。それが民族のDNA(遺伝子)として残っていた」と述べた。

このほか、「(慰安婦問題は)深く考えなくとも、われわれはよい暮らしができる。(日本から)謝罪を受けなくていい。」「日本からの技術導入で韓国は経済発展した。日本は韓国より(最近は)衰退している。神が暗かった地政学を祝福の地政学へと変えてくれた」などとも発言している。

文氏については、これまで中央日報の論説やコラムを通して、“大記者”として当然、知っていた。ただ、敬虔(けいけん)なキリスト教徒で、しかも信者を前に説教をする姿には新鮮さを感じるとともに、意外な印象を受けた。

「神様」の表現を除くと…

文氏の発言は本人も言っているように、宗教の場で口にしたもので、「逆境や試練は神様の意向」という“宗教上の戒め”のようだ。事実、そのように語られている。しかし、韓国ではメディアを中心に“総スカン”を食らっている。

実際に神様の意向であったのかどうかは分からないが、ここで思いついたことがある。文氏の発言から「神の…」「神が…」の表現を除いて書き直して、あらためて読んでみれば、どうなるかだ。実にダイレクト(直接的)で分かりやすい。「神うんぬん」はともかく、これが“反民族・親日的”と問題視されているわけだ。

韓国メディアは「わが民族をおとしめている」と文氏の発言を総攻撃しているのだが、これほど直接的ではなくとも、韓国では過去に、日本の支配を許した「民族」への反省を促した言葉も事実、ある。1981年8月15日の光復節(日本の朝鮮半島統治からの解放記念日)に、当時の全斗煥大統領は次のように演説している。

「われわれの国恥について日本帝国主義だけのせいにするのではなく、当時の国際情勢に疎かったわれわれ、国内的団結を期することができなかったわれわれ、それから国力が弱かったわれわれ一人ひとりのせいであることを厳格に自責する姿勢を持たねばなりません」

自虐性に乏しい韓国でかつては、大統領が自ら民族を戒めた時代もあった。その後、特に1990年代の文民政権の登場(金泳三政権)以降は、日本にからんで韓国の民族を卑下するような言動はタブー視された。そうした発言をしたり論文や書物で発表したりする人物は、例外なく全員がメディアから総攻撃を受け、その主張は封殺され、社会から干されている。

事実はどうだったのか

韓国のメディアや世論から見れば、文氏の発言は「民族をおとしめた」ものであるのだろう。ただし、全く的を外したものとは言えない。日本と韓国以外の第三者から見たかつての朝鮮半島が、日本の統治を許さないほどの状況にあったかは、100年以上も前に欧米の人物によって記録されている。

たとえば、フランス人宣教師のシャルル・ダレや、英国の女性紀行作家イザベラ・バード(ビショップ)、米国人宣教師のホーマー・ハルバート、その他複数のジャーナリストらによって、李氏朝鮮王朝末期の朝鮮半島がどうだったが、書物として鮮明に残されている。

ここでの詳細は割愛するが、当時の朝鮮半島では、官僚(両班)の腐敗が横行し、内紛は続き、為政者らは朝鮮半島を取り巻く国際情勢の把握に疎く、庶民は極度の貧困に苦しんでいた−ことなどが先人の客観的な目で詳細に観察されている。

これらの記録を再度読み返して、あえて言わせてもらえば、当時の朝鮮半島は「どうしようもない状態」だったのだ。全元大統領の戒め通りであり、問題とされている文氏の発言も、表現はともかく、決して外れているとは思えない。

しかし、“民族”の卑下、とりわけ過去の日本統治がからんだ民族おとしめはデリケートで微妙な問題で、現在の韓国社会では許してもらえない。社会の雰囲気として“あってはならない”ものなのだ。

土壇場に置かれて

韓国では“触れてはいけないもの”に文氏はあえて触れ、何年か前の発言をほじくり返されてしまった。

発言についての謝罪の意思を問う韓国メディアからの質問に、文氏は当初「何か謝罪すべきことがあるのか」と答えた。その後、問題となっているのが「記者時代の記事やコラム、宗教家として教会での発言だ」と断った上で、「一般の国民感情とやや離れたところもあり、誤解される可能性があるのは遺憾」とした。

文氏は「(首相にふさわしいかどうかを見極める)国会の人事聴聞会で全てを話す」と述べている。

「元記者とか特定宗教の信徒とかの立場ではなく、首相候補としての資質が問われているために、問題が起こっているという事実を文氏は忘れてはならない」(朝鮮日報)と、韓国メディアの比較的冷静な論調は、文氏の首相としての資質、首相にふさわしいかどうかに疑問を投げかけている。

言論人として毅然(きぜん)とした態度で、自ら公の場で考えを述べるという文氏ではあるが、本人を取り巻く状況は極めて厳しい。ことさら“日本”がからんでいるためだけに、置かれた立場は相当にきつく、大変だろう。

メディアはもちろん、慰安婦問題で対日非難を続ける挺身隊問題対策協議会などの市民団体、野党勢力に加え、与党の一部からさえも文氏に対して「首相候補指名を辞退すべきだ」と非難する声が続出している。

“民族”についての論議は

文氏が首相指名を辞退するのかどうか、首相にふさわしいのかどうか、韓国の次期首相に誰がなるのかは、筆者のような一日本人の物書きがあれこれ言うことではない。韓国国民が決めることだ。         

ただ、筆者が注視しているのは、文氏が聴聞会でどのように持論を明らかにするかについてである。これまで“民族”に関わる問題で俎上に挙げられバッシングを受けた韓国人は、自分の主張を取り下げるか、批判に屈し迎合して終わった例が多い。文氏も前例に倣うのかどうかだ。

また、懸念されるのは、首相になろうがなるまいが、文氏がこれまで長年、残してきた文筆家(記者)としての業績がすべて葬り去られはしないかだ。韓国人がよく口にする“民族の自尊心”がいくら大切であっても、気に入らなくとも、“民族”が言論の自由を圧迫し、抹殺するようなことがあっていいものだろうか。

文氏をめぐる問題に加え、もう一つ関心を持っていることがある。今回の「文昌克発言」を機に、韓国で自らの民族性についての掘り下げた議論が起こるのかどうか。興味深いテーマだと考えているのだが、現時点で“文氏バッシング一色”の韓国社会には、その兆候さえ見られない。

産経【ソウルから 倭人の眼】2014.6.15