加瀬 英明
オバマ大統領が、先に来日した。
大統領専用機の『エアフォース・ワン』の扉に、アメリカ合衆国大統領の紋章が描かれていた。
鷲が頭を右に向けて、右の鉤爪でオリーブの枝を、左の爪で矢束を握っている。
いつか、私がホワイトハウスに招かれた時に、大統領の紋章が話題になったことがあった。
トルーマン政権までは、鷲の頭が左を向いていたが、右を向くように改められた。これは、鷲の頭が左を向いていると、左翼に加担しているような誤解を招くからではなく、ヨーロッパの紋章学の専門家から、鷲の頭が右向きが正しいと、指摘されたからだった。
第2次大戦が終わった翌年の1946年3月に、チャーチル首相がトルーマン大統領の生まれ故郷のミズーリ州を、訪れた。この時、トルーマンがチャーチルに、改められたばかりの大統領紋章について説明して、鷲が平和の象徴であるオリーブの枝のほうを向いているから、「これからは、平和の時代が続くでしよう」と、いった。
すると、チャーチルがオリーブの枝に5、6個、小さな実がついているのに気付いて、「この原爆があれば、平和が守られるでしよう」といって、いたずらっぽく笑った。チャーチルは、機智に富んでいた。
鉄のカーテンが平和を護る
この時、チャーチルがミズーリ州フルトンで、「東ヨーロッパに“鉄のカーテン”が降りた」と演説したために、「鉄のカーテン」という造語が、世界に定着した。
どのような国家も生存するためには、この鷲の紋章のように、一方の手でオリーブの枝を、もう一方の手で矢を握っていなければならない。
いままで、人類史上で兵備を持たずに、諸外国の国民の善意だけを頼って、生き延びた国は、1つもない。もし、日本のように真面目に軍備を整えようとする気概がなければ、力のある外国の属国とならなければならない。
戦後の日本の“平和ボケ”と平和憲法体制は、アメリカの軍事力による保障なしに成り立たなかったから、アメリカの保護と一対のものだった。
平和憲法を護持するもの
日本は占領時代が終わると、外形的に独立を回復したものの、国民が自立心を取り戻すことがなかったから、アメリカによる保護のおかげで、“保護ボケ”を患ってきた。
日本の現憲法が世界で唯一つの平和憲法なのかといえば、そのようなことはない。日本国憲法の「戦争放棄」条項は、イタリア、アゼルバイジャン、エクアドルの憲法にも謳われているが、3ヶ国とも憲法によって軍隊の保有と、徴兵制を定めている。
3ヶ国に加えて、155ヶ国の憲法が侵略戦争を禁じているが、自衛戦争は肯定している。
いま、安倍首相が集団的自衛権の行使を禁じてきた憲法解釈を改めようとしているが、与党の公明党や、野党の一部が強く抵抗している。
そのなかに、内閣が状況に合わせて、憲法解釈をくるくると変えるのは、憲法の最高法規性を損なうという意見があるが、国家も、憲法も骨董ではなく、生き物だから、外的な環境に適応しなければなるまい。
政府が国家として集団的自衛権を行使する権利はあるが、違憲であるという解釈を行ったのは、ごく最近のことでしかない。昭和56(1981)年のことだが、日本の安全保障とかかわりなく、野党との政治取り引きのために行われたのだった。
集団的自衛権の行使について、憲法解釈を緩和するのをめぐって紛糾しているが、日本が成熟した国だと、とうてい思えない。
国連憲章の51条はそれぞれの加盟国が、「個別的又は集団的自衛権の固有の権利」を持っていることを認めている。
日本政府は戦後一貫して、憲法第9条のもとで、自衛権の行使が許容されているという見解をとってきた。
国連憲章をみれば、個別的自衛権と集団的自衛権が一体のものであって、不可分であることが分かる。今日の世界では、独立国が自分の力だけで国を守ることができない。日米安保体制もその1つである。
集団的自衛権の行使を禁じている憲法解釈を変えることに、反対している人々がいるが、もし改めたら、日本が再び戦争を仕掛ける国になってしまうと、批判している。日本はそんなに危険な国なのだろうか。
憲法は平和を護るためにある
日本では国民が、政府を選ぶ。集団的自衛権の行使を認めると、戦争を仕掛ける国になるというのは、国民を侮辱している。
それよりも、いま、日本は戦争を吹きかけようとしている国によって、脅かされている。 そのような時に、自国の手足を縛る議論にうつつを抜かしていて、よいのだろうか。
日本が侵略を蒙って、大きな人的、物的被害を蒙ったら、憲法も、平和主義もあったものではない。憲法は憲法を守るためではなく、平和を保つためにあるべきものだ。
中国の発表によれば、今年、中国は国防費を12.2%増やした。昨年の10.7%を上回っている。力によって他国を従わせようとしている国に対しては、力によって対抗するほかない。
公明党の山口那津男代表が、集団的自衛権の解釈を見直すことに反対して、「個別的自衛権があれば、足りる」と、主張しているが、防衛問題についてまったく不勉強だ。防衛問題について、口を開く資格がない。
私は公明党の山口代表に、個別的自衛権の中身について、即刻、検討をはじめるように提唱することをすすめたい。
2月に、関東甲信と東北が記録的な豪雪に見舞われた。雪がやんで4、5日後に、テレビのニュースをみて、唖然とした。安倍首相を囲んで、「豪雪対策本部」が設置されたというものだった。
他の主要国では、大型地震、ハリケーン、洪水などの事態に備えて、ふだんから軍司令官を指揮官として、陸海空軍(アメリカなら海兵隊も)、警察、沿岸警備隊、消防、医療機関、薬品、食品、倉庫、運送会社などを傘下に置いた組織が常設されて、中央から指示があれば、すぐに災害に対処できる体制をとっている。
日本では、東日本大震災の時も、まず閣議が召集されて、議論が行われたうえで、ようやく対策が講じられた。
個別的自衛権の行使とは
個別的自衛権の行使に当たっても、まったく同じことなのだ。
かりに尖閣諸島の周辺海域で、わが海上保安庁の巡視船が、中国の公船から攻撃を受けたとしよう。海上自衛隊の護衛艦がすぐ近くにいたとしても、傍観するほかない。
総理大臣が「防衛出動命令」を下令するまでは、全自衛隊が金縛りになって、武器を使用することができない。
防衛出動命令
首相が「防衛出動命令」を発するためには、まず閣議が召集される。そのあいだを省略するが、最後に衆参両院の議決を必要とする。
いったい、どれだけの時間が失われることになるのだろうか?
これを地方自治体に、置き換えてみよう。この町の条例に「消防出動命令」がある。ボヤが起ったとしよう。まず町長が役場の幹部を集めて、どうするべきか、相談する。
そのうえで、町議会が召集される。消防車が出動すべきか議論が重ねられ、議決にかけられる。
ようやく、消防車が火災現場に到着するが、そのころにはボヤを出した家が全焼して、火が周囲に拡がって、町全体を焼く勢いで燃えている。
世界のどの国でも武器使用は、当然のことに現地指揮官の判断に委ねられている。
これでは、個別的自衛権があっても、ないに等しい。
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