大江 洋三
5月21日の福井地裁(樋口英明裁判長)における、大飯原発3、4号機再稼働「差し止め判決」が賑わっている。いろいろ噂を聞いたが、こういう場合は原本を読むに限る。この際とばかり全文に目を通した。
●本案件が裁判権に属する理由
「生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、全ての法分野において、最高の価値をもつとされている以上、本件訴状においてもよって立つべき解釈上の指針である。・・・人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)・・・・
我が国の法制化においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない」
以上の理由で、大飯原発3号、4号再稼働に関する適否は、原子力規制庁という行政権とは無関係に福井地裁の裁判権に属することになった。
因みに13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
この条文は、いわゆる人権派が「公共の福祉に反しない限り」を無視する事で知られている。
一般的に、これらは個人の生存権と解釈されているが、個人のワガママと同じ意味だ。そんなものが現実における最高法規とは如何なものだろうか。
この観点から、被告(関西電力)が弁論しているは正しい。
因みに、公共の福祉を定義しておくと、個人の規制つまり行政権や統治権に由来する事柄だ。「全体利益を願えば、個を犠牲にするのも止をえず、しかる後に個の利益がある」と考えるのが公共の精神である。最たるものが国家安全保障で、エネルギーの自給も範疇に入ってくる。
もし、福井地裁の判決が結果として安全保障に触る事になるなら、看過しえない裁判権の逸脱である。
●福井地裁の原子力発電所の認識
福島第一原発事故では、時の政府が「まさか」に備え250km圏内を避難区域と想定した事がある。これが放射能(放射性物質)被害区域と考えられる。つまり、この圏内の人格権は棄損される可能性が高い。
地震の揺れあるいは強度は、複合的重層的で地震学ですらあてにならない。我が国において記録された最大震度は宮城内陸地震の4022ガルで、この列島の性質上、大飯にも生起する可能性がない事は無い。
原子力発電の安全性は、万が一の場合「止める」「冷やす」「閉じ込める」から成り立つが、原子力発電所固有の技術、構造および設備において、まさかの場合は、冷やすと閉じ込めるは不可能である。
また、福島の原発事故においては原子炉や現場に近づけず、従って事故原因が究明されそうもない。かようなものを大飯で再稼働してはならない。
●福井地裁が考慮しなかった事柄
この裁判には致命的な欠陥がある。
放射線防御科学や放射線物理学が検討された気配はない。むしろ避けている。ただヒタスラ悪なる放射能流出の「可能性」があると言っているだけだ。
遮蔽物による放射線の減衰や、距離や時間による減衰も全く考慮されていない。同じ理屈で、設備の耐震余力についても、「漏れ可能性あり」により全が否定されている。とにかく漏れるかどうかが大事なのだ。
現実は、福島事故の最大避難距離は30kmである。逆にいえば、日本の原子力技術はよく機能したのである。
また、いたずらに可能性に固持すれば、韓国の原子力発電をどうするのか。いま、部品の品質認証偽造がばれて止まっているが、所在地から200km圏内にある山口県や島根県の住人の人格権はどうなるのか。
山あれば谷や海ありで、かの地でも地震は起きる。それにも拘らず半島で4000ガルの地震が起きないと何故言えるのか。起きない理由は、この列島でも部分としてあてはまると考えるのは、理の当然ではないか。
チェルノブイリ事故も参考になっているが、あの黒鉛型原子炉は最初からボロだと言われていたから、一緒にされては困る。
現ウクライナの稼働原発は何機か調べたのか。地震の小さい所では、予測し難いほどの大旱魃、大洪水や大竜巻の可能性が無い事はない。
裁判所といえども、地球は公平に出来ている事ぐらいは知らねばならない。これらの点では、被告の関西電力も主張しづらかっただろう。
なにせ以下のように、マスコミによる反原発再稼働で満ち満ちているからだ。
ときおり、高い放射線量が発見されたというから、何事だと見ると45マイクロシーベルである。1000分の45ミリシーベルト(0.045ミリシーベルト)の事で、さも量が多いように伝えてくる。
桁を大きくすれば、我々は通常2000〜3000マイクロシーベルトの自然放射線を浴びている。原告の言い分を読むと福島事故で90万ケイベクレルという途方もない放射能が漏れたと言う。ベクレルは放射線を放つ能力のことで、能力事態が強い放射線放出につながる訳ではない。
それにも拘わらず、地裁は粗筋として原告の言い分添った事になる。
この種の放射能被害拡大の責任は反核思想屋とマスコミであって、電力会社ではない。核燃料サイクルを執拗に妨害して今日に至る許しがい奴らだ。
原子炉内部の様子は、原子炉から発生する電磁波やニュートリノの強度や分布から大凡の見当はつく。原子炉に近づかないと内部が解らない事はない。
また、起きた現実を逆さにすればよいだけで、原因が解らないはずはない。実際、そうして福島第一原発は冷温停止状態に入り廃炉までの時間は10年も短縮された。
都合が悪くなると「真相究明が先」と騒いで邪魔をする人がいるが、福井地裁もこの種に乗った。
●裁判所といえども許されない言動
「コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発運転停止により多額の貿易赤字が出るにしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活している事が国富である。これを取り戻す事ができなることが国富の喪失である」
最近、これほどの空理空論を聞いた事がない。
燃料輸入代金を電力コストに加えない反原発思想屋を、福井地裁が強引に理論付けたようなものだ。
原発の全面停止で、成長著しい新興国との厳しい石化燃料の争奪戦(高値)に加わらざるをえず、円安を割り引いても3兆円は以前より多く買っている。しかも毎年続く。
石化燃料単価が高値傾向にあるのは、日本という大消費国が突然に現れたからだ。
このような事態はやがて、産業に悪影響を及ぼし国民を貧しくし人格権を浸す可能性は大きい。これを国富の流出と言わずして他に言葉があろうか。
また、原発を全部とめて電力供給を賄っているという事は、高価な石油系や石炭系をボンボン燃やしている事だから、いずれ電気代は上昇せざるを得ない。
これらに関し、福井地裁によれば放射能を撒き散らす可能性のある者がトヤカク言う資格はないそうだ。
貿易赤字は主として円安のせいだとする者がいる。確かに原因の一部ではある。
しかし、ドル決済の輸入額が増えれば既に円安基調である。日銀はこれをデフレ脱却の好機と捉えて円を思い切り撒いたのだろう。この場合は逆も真なりで、原発再稼働が増えれば日銀は財布を締めにかかることになる。
●科学技術の発展と行政
確かに3.11における原子力災害は、マスコミが拡大したものを割り引いても誠に不幸な出来事であった。一方で、科学技術は困難を乗り越えて発展するのであって、福井地裁も認めるところである。もっとも福井地裁は、こと原子力発電技術に関しては人格権に照らし例外だとする。
しかし、この種の判断はエネルギー安全保障あるいは公共性に照らして行政権に属し、裁判権に無いと考える。