平井 修一
■10月4日(火)、朝6:30は室温23度、晴、ちょっと肌寒い感じ。
ミックスペーパーのゴミ出し、往復300メートル、屈伸運動をしていたら
60歳ほどのご夫婦が急ぎ足、速歩で散歩中。2人とも猫背でデブ。食を含
めて生活が一緒だから・・・余程の生活革命をしないと肥満は直らな
い・・・余計なお世話だが。
2003年、52歳の春に胃袋をちょん切ったことでずいぶんひどい思いをした
が、いいこともあった。父が糖尿病だったので「俺もそうなるんだなあ」
と漠然と覚悟はしていたのだが、胃袋がなくなったので食欲は減退、10キ
ロほど痩せ、しょっちゅう低血糖、低血圧に悩まされたものの、糖尿病に
なりようがなくなったのは結構なことだった。
父は53歳で糖尿病になり、アッチも稼働しなくなったようで、週末にお妾
さんのところへ行ったら座卓にビール瓶と飲みかけのグラスがあったそう
だ。お妾さんに新しい旦那ができたのである。父は黙って帰ると、母に
「おい、手切れ金を持っていけ」。
母はいそいそと100万円を届けた。小生が高2あたり、1967年頃、大卒の初
任給(銀行)が9万円だっだから今なら300万円くらいだろう。
母は一時期は般若のような形相で父を憎んでいたが(士族だからプライド
が高い、高過ぎ)、速攻で「恩讐の彼方に」転じ、お妾さんと手を切った
その晩から父母が数年ぶりに同衾していたのを見て、小生は度肝を抜かれ
た、オーマイゴッド、人生は不可解なり!
父はズボンの尻ポケットに札束を入れていたが、日経の株式ページを見な
がら父が昼寝をすると、時々母がくすねていたようである。父が知らない
わけはないのだが、一言も苦情を言わなかった。皇軍兵士のプライドだっ
たのだろうなあ、内心ではクスクスしていたのではないか。「ま、いい
か、俺もバカをやっているのだから」と。
小生はオマセ、早生(ワセ)である。小3で憲法を読んで「ふーん、大人
の世界は本音と建前があるんだ、ま、そんなものか」、小4で「他山の
石」の意味を知って「母を泣かす父は見本にならんな、女はペロペロ可愛
がった方がいい」、小6で踏切の前に一時間ほどたたずんで「人生は生き
るに値しない、飛び込むか・・・しかし、父母は死ぬまで悲しむだろう
な、それは不本意だ」と思いとどまった。
気の利いた子供は小学生でも人生の機微を学ぶのである、それが子供に
とっていいことかどうかは知らないが。小生は鬱屈した青年、猪突猛進の
女性崇拝の壮年になった。老いても未だに「女はすべからく女神である、
ペロペロ可愛がるべし」と思っている。正解だったかどうかは分からない
が、それしかなかったとは思う。
わが青春は実に悲惨だった。片っ端から振られた。
この9月はやたらと雨が続いて、どっさりと本を置いてある8畳間が古本臭
くなり、放置してあった清浄機を掃除して動かした。その際に24歳のエ
ディタースクール時代のノートが出てきたのだが、こんなことが書かれて
いた。太宰を読みすぎたのか。
<さあ、これから書くのは僕のグチだ。惚れてる世津子への惨めなグチ
だ。モテタためしのない野郎のグチだ。みっともなく、かっこ悪いグチだ。
僕は今酔っている。酒を飲まずにゃいられないよ。お前に会えるからこ
そ、僕は渋谷くんだりまで行ったんだ。
お前が好きなんだよ、惚れているんだよ、結婚してくれよ。(僕は自分の
期待したことがことごとく裏切られることを知っている。だからそんなこ
とは夢のまた夢だ)
僕は君に自分の弱さをさらけ出したい。僕が人より優れているのは弱さの
点においてだ。ミジメなことならヒトには負けないだろう>
なんという鬱屈した青春だったろう。かなり太宰にかぶれていたようだ。
世津子に誘われたら玉川上水に平気で飛び込みそうだ。
世津子は上背もあるとびっきりの美女だった。モデルの撮影会へ一緒に
行ったら、モデルより綺麗だから小生はひたすら世津子を撮影した。世津
子が生まれて初めて無断外泊したのは小生が一緒だった。酒とたばこを教
えたのは間違いだった。いいところに嫁いだが、妊娠中も悪癖が続いてい
たのだろう、子供に障害が出てしまった。
で、まあいろいろあって小生はカミサンに拾われたのだが、カミサン曰く
「アンタと一緒なら一生退屈しないと思ったのよ」。いまでも退屈しない
どころか小生は何をしでかすか分からないから日々、ヒヤヒヤドキドキし
ているのではないか。
カミサンと一緒になって小生の惨めな青春は終わり、ハッピーとラッキー
もついてきた。アゲマンだな。起業した会社は上手く転がり始め、才色兼
備でいじめに遭った女の子が続々と駆け込み寺のような女性崇拝、女性讃
歌のわが社に集まってきた。
なかでも神戸女学院出の玲子ちゃんは音楽系出版社で酷いいじめを受けた
そうで、ときどき会社に手伝いに来るカミサンも「アンタ、玲子ちゃん大
好きでしょ、フフフ」なんて喜んでいた。
聡明な玲子ちゃんはいいところに嫁いだが、手元不如意で満足な退職金を
出せなかったのは小生の無念である。今からでも遅くはない、現金を支給
せよ、だな。
母の晩年に父の浮気というか女遊びについてどう思っているか聞いてみた。
「あの時代はね、食べることだって大変だったのよ。お父さんは必死で頑
張ったの。浮気なんてどうでもいいこと、些細なことよ」
カミサンはジャリンコチエに出てくる父親そっくりの親父さんが大好き
だった。親父さん、つまり義父は奄美の名瀬を拠点に海運業(貨物と旅
客、沖縄=当時は米国との密貿易)を営んでおり、自宅のある秋名にはた
まにしか帰ってこなかった。そしてカネとお土産をどっさりと持ってくる
のだ。
名瀬に女の一人や二人はいただろう、南海のハブと言われた奄美出身の旭
道山そっくりで、鋼のような筋肉と村対抗運動会のエース、そして喧嘩が
強く、カネ回りがいいとなれば、女が放っておくはずがない。
カミサンにとって男は「稼いでナンボ」、聖人君子より聖徳太子。だから
小生の怪しいハーレムにもニコニコしていたのだ。稼ぎの少ない紳士、一
方で酒もあおれば女も泣かすがせっせとカネを持ってくる聖徳太子・・・
母もカミサンもハーレムの平井ガールズも聖徳太子が大好きなのだ。
だから嫉妬心ゼロ。実にいい女房をもらったものだ。小生は、まあ孫悟空
で、カミサンの手の平で好き勝手にしていた(している)だけだろう。晩
年になるといろいろと思い出すものだ。
なお、平井ガールズは小生を気のいい兄貴ぐらいにしか思っていなかっ
た。小生が片想いしていただけではあったなあ。
■10月5日(水)、朝6:00は室温24度、晴/曇。
昨日は昼食後に一気に体調が悪くなり、体を支えるのがやっとというひど
さだった。いつ倒れるか分かったものではない。微熱、くしゃみ、喉の痛
み・・・風邪をひいたようだ。
小生の家事の負担を軽くしようとカミサンとNは食器を洗い、洗濯物も畳
んだくれるようになって大いに助かっているが、食事を作れなくなる日は
近い気がする。主夫失格、廃業だな。末期症状・・・中共みたい。
今朝の産経にもあったが、中共の言論統制はなりふり構わぬ露骨な言論弾
圧になってきた。幹部は人民を激しく恐れているのだ。
風刺マンガ家・辣椒(ラージャオ、王立銘)氏の論考「スマホに潜む『悪
魔』が中国人を脅かす」をじっくり読んでくれ。想像以上のひどさだ。↓
http://www.newsweekjapan.jp/rebelpepper/2016/09/post-31.php暴君・桀紂(けっちゅう)の古代に戻ったような絶望大陸、支那に未来は
あるのだろうか。「呪われた大地」という印象だ。
「遠藤誉から、大陸へのメッセージ」(ニューズウィーク10/4)から引用
する。
<シンポジウムが行われたのは、ホワイトハウスにほど近い「ナショナ
ル・プレス・クラブ」だ。在米中国研究者やメディアを前に、遠藤はこう
主張した。現在の習近平政権が強硬な対日政策を執るなか、習の基盤であ
る中国共産党と「建国の父」と言われる毛沢東は、実は日本軍と共謀する
ことで中華人民共和国を築き上げた――。
(遠藤の)講演は近著『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)に基
づいた内容で、その中国語版は今年6月にアメリカでも発売されている。
中国生まれの遠藤は84年の著書『チャーズ――出口なき大地』で自身のルー
ツと向き合いながら中国建国の闇に光を当て、話題を呼んだ。その遠藤
が、今度は「毛沢東と中国共産党の虚構」を暴き、中国の人たちに伝えよ
うとしている。遠藤がそこまでして大陸にメッセージを送るのは何故なの
か。講演翌日、本誌・小暮聡子がワシントンで話を聞いた。
――著書『毛沢東 日本軍と共謀した男』の中で、毛沢東の時代から続く中
国人の精神構造について「大地のトラウマ」という言葉を使って説明している
わずか2万人ほどになっていた中国共産党軍がなぜ勢力を伸ばし、毛沢東
が政権を取ることができたのか。それは毛沢東が、人口の90%ほどを占
め、農奴のように使われていた農民に対して、地主に反抗して自分たちの
自由を取り戻せ、蜂起せよ、立ち上がれ、と呼びかけたからだ。
立ち上がった農民たちは、地主1人に対してみんなで殴ったり蹴ったり石
を投げたり、地主が死ぬまで色々なことをやる。それを思い切りやらない
人間というのは革命の心がない「反革命分子」として逆にみんなにやられ
てしまうし、今度は自分が血祭りにあげられる。
退路をなくさせる――これは毛沢東のすごい戦略だと思う。常に1つの標的
を定めてそれを徹底してやっつけ、やっつけた人間は人格的にも身分的に
もとても高く位置付けられて、良いポジションが与えられ、兵士になった
りする。そういう戦いを繰り返させて、中国全土を覆うように広げていった。
中華人民共和国が誕生する過程がそうだったため、60年代に起きた文化大
革命のときも、標的を作ってみんなで罵倒して殴ってということをやっ
た。それをやらないと、お前は革命の心が強くないと言われてやられてし
まうからだ。
中国の人民はそういう精神文化の中で育ってきて、それが心の中に染みつ
いている。だから反日暴動が起きたときにも、反日を叫ばないとお前は売
国奴だと言われてしまうので、誰かが叫びはじめたら自分も叫ぶ。
中国が誕生する過程で培われてきたこの精神性、精神的な土壌のことを、
私は「大地のトラウマ」と呼んでいる。
――習近平政権は今、そのトラウマに火をつけるようなことをやっているのか
習近平政権には2つの側面がある。1つは、習近平はそうした反日暴動は最
終的には反政府デモに行きつくことを前・胡錦涛政権時代から学んでいる
ので、反日デモを絶対に起こさせないように抑えている。反政府デモが起
きたら今の政権は持たないということを十分に分かっているからだ。
しかし一方で自分が愛国主義教育をやってきた手前、自分が日本に対して
これほどの強硬だということを人民に見せていないと、「お前が売国政府
だ」と必ず言われることになる。あれほど強硬な対日強硬策をやっている
のはそのためだ。
――習近平自身が「大地のトラウマ」を抱えているということか
そうだ。人民の声を一番怖がっている。
――ご自分が7歳のときに戦争が終わった後、満州国の首都だった「新京」
(現在の長春)で飢餓体験をした。その体験は、別の著書『チャーズ』に
も書かれている。この時の強烈な原体験が、自分の毛沢東を観る目に何ら
かの影響を与えていると思うか
そう思う。毛沢東は長春を包囲させて「長春を死城たらしめよ」というこ
とを林彪との往復書簡の中で書いているのだが、その毛沢東という人物
と、その歴史を残させない中国共産党と、私たちが小さいころから「毛沢
東ほど偉大な人物はいない」「中国共産党ほど偉大な党はない」と教育さ
れながら育ってきたことには、感覚的なギャップがあった。
共産党を批判的に言ってはいけない、毛沢東を尊敬しない気持ちになって
はいけないという抑制的な感覚が、小さいころからずっとある。中華人民
共和国で生まれ育った人間でないとなかなか分からない心理だと思うが、
暗黙の抑圧だ。
だが、おかしいじゃないかと。どうして、苦しんでいる人民のために新中
国を建設すると言っておきながら、自国の民を飢え死にさせて知らん顔し
ているのか。建国後には、もう平和になったというのに何千万という自国
の人間の命を犠牲にした。餓死させたり、文化大革命で互いに戦わせた
り、投獄したりという形で死なせてしまった。
平時に自国民をここまで死なせる指導者というのは、いったいどんな人間
なのか。自分の人生の戦いの一環として、毛沢東よ、あなたは何者なん
だ。何をしてきたんだ、なぜこんなことをしたんだ、という問いかけのよ
うなものが心の中にあった。
(毛沢東が日本軍と共謀していた)それが分かったことで、私がずっと生
涯抱えてきた何十万もの人を餓死させた毛沢東に対する非常に複雑な恨
み、私の人生を返してくれ、私の父の苦しみを返せ、という憤りが消えて
しまった。
ここまでのことをやる人間ならば、何十万もの人を餓死させることなど彼
にとっては小さなことに過ぎなかったのだろうと。自分が帝王になるため
ならどんなことでもやる、手段を選ばない人間だ、と。
それを初めて知ることによって、長春で餓死した人たちに対して生涯をか
けて抱いてきたこだわりというのが、初めて消えた。初めてピリオドを打
てたし、初めて楽になった。
自分が国を取るためには日本軍と手を結ぶということさえやる。こんなこ
とまでやる人間であるならば、自国民を殺すくらいなんとも思わないだろ
う、と思うようになった。
――納得したということか
そうだ、納得した>
ここまで書いたらPCがネット接続できなくなってしまった。あれこれやっ
たが全くダメ。そのうちリモートサービスで直してもらうことになるだろ
う。ウイルスなのだろうか。
昼過ぎにパパさんに連れられて3歳女児来。ジャングルジムから転落して
唇を切り、2針縫ったという。カミサンが休みなので助かった。やがて水
を飲んでも吐くようになったが、風邪をひいているようだ。転落したのも
目まいからではないか。夕方に小児科へ。
ゲボ連発で、シーツ、布団カバーなども洗濯。小生も体調不良などとは
言ってられない。子育ては子供も親もヂヂババも命懸け、大変だ。現場を
知らない政治家は「もっと産め、外で働け、輝け」などと戯言(たわご
と)を叫んでいるが、女を殺す気か。数年間の専業主婦を経てから外職
(そとしょく)できるようにしたらいい。
企業が旦那の給料を上げればそれが可能だ。2、3人は産んでもらえるかも
しれない。子供が増えれば消費も拡大してデフレから抜け出せるのではな
いか。ヂヂババへの無意味な社会給付を減らして、子育て世代を支援せよ。
■10月6日(木)、朝6:00は室温25度、台風一過の快晴。今日も集団的子
育て。3歳女児を預かる。
PCは相変わらず通信機能ゼロ。17時に長女がウイスキーを手土産に帰宅し
たら、「私が治す」宣言。サポートセンターとインタバルを含めてあれこ
れやって、21時45分、見事に回復した。有り難いことである。
WIN10に替えた人からの苦情が殺到しているそうだ。小生もWIN10は8割は
評価するが、フリーズが多いのが実に悩ましい。これは致命的な欠陥だ。
容量が限られているのに「アレモコレモ」と機能を拡大するとフリーズし
やすい。
これはアップル・マックの編集ソフトを使っていた時にしょっちゅう悩ま
された。WIN10はユーザーに“お試し”させる前に、基本的なソフトは絶対
的に安定していることを確認すべきだった。怪しいPCはこりごりだ。WIN7
の方が信頼性は高い。
同志諸君、日々警戒が必要だ。「今がチャンス、来月からは有料」なんて
甘言に騙されるな。移民拡大を警戒せよ、ズロースを脱ぐととんでもない
ことになるぞ。(2016/10/6)