2014年04月07日

◆「南京大虐殺はなかった」を読むF

平井 修一


■終わりに

結論と致しまして、南京において不法行為は1つも無かったとは申しませんが、しかし日本の兵隊は極悪非道な事ばかりをしていたというのは、色々話して参りましたように全くのウソであります。

ですから一般常識から言って「南京虐殺は無かった」と言って良いと私は思います。

にもかかわらず、日本人の大部分の人が何の疑いも無く「南京大虐殺」を信じ、政治家は臆面もなく「悪いことをしました」と土下座外交をしています。

一体これが独立国の外交でしょうか。このような態度は徒に外国の侮(あなど)りを招くだけです。

その証拠に、金丸氏が北朝鮮に行った際、「戦後45年の賠償」というような無礼極まる要求をされているのです。日本は北朝鮮と戦争をしたことは一度も無いのです。賠償をしなければならない理由は全くないにもかかわらず、戦後の分まで払えと言われているのです。

そんな要求をされること、これこそ日本が軽侮されている証拠ではないでしょうか。

あるいは歴代の総理大臣が、なぜ靖国神社には参ろうとしないのか。

日本の靖国神社には参拝しないで、しかもアメリカのアーリントン墓地には参って花輪を献じ、朝鮮に行っては伊藤博文を暗殺した安重根や、昭和天皇に爆弾を投じた不逞の徒を国士として祀ってある忠魂碑に土下座して額き、いささかも恥ずる事を知らぬ醜態は、正視するに堪えない国辱であります。

このような外交姿勢であってよいのでしょうか。

またロシアは、不法に北方領土を侵略、強奪しています。その返還には誠意の片鱗も示さないで、しかも日本の経済援助を当然のように要求しています。

これも、日本が侮(あなど)られている証拠でしょう。

日本は独立国であり、我々は独立国の国民であるということを、もっと真剣に考えようではありませんか。

この輝かしい伝統を持つ日本の歴史を、後世にきちんと伝えていくのが我々の務めではないですか。

その為には、日本人一人一人が、日本の姿を正しくみつめて、日本の国を大事にする事、すなわち国旗日の丸・君が代を大事にしなければならないのではないでしょうか。

日本の教科書に「虐殺」が書かれている、これは重大な事です。日本の教育は荒廃し、政治も堕落しています。日本の教科書に、「南京における虐殺」という言葉がなぜ平気で書かれているのか、文部省は一体何をしているのか。

そういうことを書いて青少年を教育するから、独立国の国民たるのプライドも無く、いたずらにエコノミック・アニマル的国民に堕落するのではないでしょうか。

最後に、レーニンはその著書「国家と革命」の中に、「青少年をして祖国の前途に絶望せしめる事が、革命精神養成の最良の道である」と書いています。

現在の日本がまさにこの危機に直面しているのではないでしょうか。

現在の我々が、この大事な日本を後世に立派に申し継がなければならないのです。そうして青少年が日本の国に対する誇りを持つように育てなければならないと、私は考えています。

我々がそれをやらなければ、誰がやってくれるのでしょうか。

元々自分の家庭で子供に日本の国の大事さ、良さ、日本人としての誇りを持たせる努力をしなければならないのではないでしょうか。

教育の場にある人は、その職場でそれをやって頂きたいと思うのです。

大変まとまりの無いお話を致しましたが、いくらかでもご理解を頂ければ有り難く存じます。ご清聴まことにありがとうございました。(拍手)

■質疑応答

[問]戦場で一兵士が日記や手記をつづるということは、大体許されていたのでしょうか? 軍の機密を保持するために、禁止されていたのではないでしょうか?

[答]禁止はされていませんでした。しかし、背嚢(はいのう=兵士の背中に背負うバッグ)にノートや筆記用具などを入れる余裕があったのか、戦場で克明につづる必要があったのか等、戦場の実態を考えると、「日記が出た」「日記が出た」と言われて虐殺の証拠だと言われているものの多くはウソであろうと思います。

後に記憶をたどり、しかもジャーナリズムにおもねる気持ちで書いたものだと思います。一兵士が日記に軍の配備などを書いていますが、そんなことは分からないはずです。

大隊長クラスの私でさえ、連隊の全部、ましてや師団の全部がどうなっているかは等は分からないで、自分の目の前が精一杯なのです。

にもかかわらず、一兵士が隣の連隊がどこでどうした等と、まるで軍司令官か参謀長のようなことを日記に書いてあれば、これはウソだと言うしかありません。

それを見破ることも新聞記者には出来ないし、あるいは故意に見破ろうとしないのです。

[問]「南京大虐殺」については、当時英米の新聞等にも載っていないんでしょう? もし、実際にあったのならば、英米の新聞記者も当時南京にいた訳ですから、それを書かない訳がないでしょう。

[答]当時、英米でそういう記事が載ったという事は聞いていませんね。

[問]中国共産党の歴史書には、日本軍の「三光作戦」という言葉が必ず出てくるのですが、殺光(皆殺しにする)、搶光(略奪しつくす)、焼光(焼きつくす)という作戦命令は、実際に日本軍で出ていたのでしょうか? これは日本の教科書にもたびたび出てくる言葉となっているのです
が・・・

[答]軍の命令としてそんな事を出すという事は、絶対にあり得ない事です。中国軍が退却する際の「清野空室」という作戦についてお話しましたが、「三光作戦」も中国側で言い出して、ジャーナリズムはそれを無批判に使っているものでしょう。

私は自分の部下には、「殺さなければ殺されるという場合にのみ殺せ」と指示し、住民はもちろん敵兵であっても、無抵抗の者を殺す事は禁じていました。それは軍隊の常識でもあります。

[付・便衣兵について]

便衣兵は陸戦法規の違反である。戦時国際法によると、「便衣兵は交戦資格を有しないもの」とされている。交戦資格を有しない者が軍事行動に従事して捕らえられた際、捕虜としての待遇は与えられず、戦時重犯罪人として処罰を受けなければならない。(田畑茂二郎著「新訂国際法」下、203ページより)

非交戦者の行為としては、その資格なき敵対行為を敢てする如き、いづれも戦時重罪犯の下に死刑または死刑に近き重刑に処せられるのが、戦時公法の認むる一般の慣例である。(信夫淳平博士著「上海戦と国際法」125ページ)

<森王琢講師の略歴>

明治42年  山口県生まれ
昭和 2年  山口県立防府中学校卒業 陸軍士官学校予科入校
昭和 6年  陸軍士官学校卒業 少尉任官(43期生)
昭和12年  大尉 歩兵第20連隊(福知山)中隊長として支那事変出征
途中大隊長戦死のため大隊長代行 南京総攻撃には大隊を指揮して参戦

昭和16年  少佐 歩兵第76連隊(朝鮮羅南)大隊長
昭和17年  独立速射砲大隊長(南方戦線)
昭和18年  6月 陸軍航空整備学校附
昭和19年  2月 大本営航空路飛行場司令部部員 。終戦に至る
現在    国民文化研究会会員

付記・独立速射砲大隊は師団にも属さず連隊もなく、作戦の際、軍直轄にて運用される、対戦車砲(37ミリ口径)を装備された機械化部隊。

                       (2014/4/5)

2014年04月06日

◆朴大統領 北と危険な統一ギャンブル

黒田 勝弘


歴史に名を残したい? 

韓国では朴槿恵(パク・クネ)大統領による1月の年頭記者会見以来、時ならぬ(?)、北朝鮮との間の“統一ブーム”が起きている。街でも「統一が近いようですね」「3年以内に統一というのは本当ですか」「南北境界線に近い土地の値段が上がっていると聞くが…」などとよく聞かれる。

「3年以内統一」説について聞かれると「北の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が自分がやると威張ってそんなことをいっていたから、いつもの北の宣伝かもしれない」と答えているが、朴大統領の残る任期は4年足らずだから「朴大統領時代に南北統一」があるかもしれないということ
らしい。

今回の統一ブームは、朴大統領が会見で「統一はテバクである」と述べたことがきっかけになっている。

「テバク」とは韓国の俗語で「大当たり」「大もうけ」を意味する。したがって「統一は韓国にとっては経済的にみてマイナスではなくむしろプラスなのだ」という風に、前向きな姿勢を強調したのだ。

南北統一に対する世論の現状は「あんな厄介者を引き受けるのはゴメンだ」といった北朝鮮と一緒になることへの消極論や「このまま(分断状態)でいいじゃないか」といった現状維持論が広がっているため、朴大統領としては「いや、むしろ韓国経済の新たな発展のチャンスになる」と、国民にハッパをかけたつもりのようだ。

韓国政府は朴大統領以下、北朝鮮に対する開発・投資プランや、韓国経済がシベリア鉄道経由でユーラシア大陸に広がる夢をしきりに語っている。近く大統領直属の「統一準備委員会」も発足する。

年頭から、統一問題特集を続けているマスコミはドイツに出かけ「東西ドイツ統一の経済負担はたいしたことがなかった。むしろ現在のドイツ経済隆盛の背景になった」と“いいとこ取り”の話ばかりを伝えている。また、朴大統領も先のドイツ訪問で同じような話をしたのを、わざわざ“ドレスデン宣言”として、改めて語っている。

しかし、朴大統領は「核兵器放棄」「平和統一」をいうだけで、あの金正恩第1書記の北朝鮮と「どのように統一するのか」という肝腎の議論が抜けている。つまり、統一ブームだといっても、北朝鮮のことはそっちのけの一方的な「捕らぬタヌキの皮算用」なのである。

北の反応は韓国への砲撃だったり、無人機による侵入だったりといった相変わらずの軍事的挑発だ。金正恩体制に「平和統一」のイメージなど、到底わかない。

それでも平和統一となると金大中(デジュン)大統領と金正日(ジョンイル)総書記による2000年首脳会談合意がある。北の連邦制案と南の国家連合案を折衷する方向でどうかというものだ。朴大統領がこの話に乗るのかどうか。

「テバク」は客の大入りや大豊作、大漁にも使うがもっともよく使うのはギャンブルだ。韓国の歴代大統領は民族の至上課題とする統一問題で「歴史に名を残したい」といつも焦る。朴大統領も“統一ギャンブル”で欲を出し過ぎると危ない。(在ソウル) 産経ニュース[緯度経度]2014.4.5

◆「南京大虐殺はなかった」を読むE

平井 修一


■虐殺論に対する反論

これ程多くの新聞記者、学者、評論家その他の人達が虐殺があったと言っておりますけれど、一方「そんなことがあるものか」と、反論する人も多いのです。

先ほどの畝本正巳を始め、犬飼總一郎(陸士48期南京攻略戦参戦)、田中正明(拓殖大学講師を経て評論家)、板倉由明(南京問題研究家)、谷口巌(南京問題研究家)等の諸氏は私も面識があり、この人達はあるいは著書をもってあるいは投稿などにより、虐殺論者に対して反論をしておられます。

作家の阿羅健一氏の著書「聞き書 南京事件」(現在は絶版、小学館刊「南京事件日本人48人の証言」にて再版中)は、当時戦場にいたジャーナリストの人達に集まってもらい虐殺があったかどうかをたずねているものですが、ほとんどの記者が「そんなことはなかった」と言っております。

有名な細川隆元さんは朝日新聞の編集局長だった方ですが、その細川さんが編集局長時代に南京に派遣していた記者を集めて、南京虐殺事件の事を聞いたところ、「そんなものはありません」とハッキリ答えたと言っておられます。

要するに、モノを正しく見て正しい事を言おうとする人は、南京に虐殺事件はなかったとハッキリ言っているのです。虐殺があったと言っている人達は、世の中に迎合している人が多いのです。

■戦場の実相

戦場とはどういうものか、当時の日本軍と中国軍(蒋介石率いる現台湾の国民党政権。現在の中国は毛沢東率いる中国共産党政権)の実態はどういうものであったかという事について少しお話しましょう。

中国軍の実態について申しますと、まず第一に、兵隊の素質が非常に悪い。

日本の兵隊と全く異なる点ですが、中国には昔から「良民不当兵」(良民は兵士にならない)という諺があります。日本軍が虐殺したと言いますが、まず虐殺をやったのは中国兵なのです。

その実例を申しますと、私が上海付近に上陸後、ほとんど連日は戦闘、引き続き追撃と敵と戦いながら南京へと迫って行きました。従って私の前には日本軍は全くいないという状態で戦闘を続けていました。

ところが私がある部落、あるいは町を占領するというと、そこが既に破壊をされており略奪をされており、焼き払われているどころか、甚しきは住民が惨殺されているのです。

なぜそういう事が起きるかと言うと、逃げる中国兵が略奪を働き、それを防ごうとした住民が中国兵に殺されているのです。中国兵は退却する時には「清野空室」と言って、焼き払い、略奪しつくして、追撃する敵軍に利用させまいとする、そんな残虐なことを平気でやっているのです。

昭和の始めに「南京事件」「済南事件」というものが起こっています。これは(蒋介石率いる)国民革命軍が北伐をした時に内乱が起こり、在留の日本人や外国人が虐殺された事件です。

また昭和12(1937)年7月29日に北京東南の通州というところで起きた「通州事件」があります。380名いた日本人が、中国の保安隊に260名惨殺された事件です。

あるいは、また上海では、大山中尉が水兵と共に殺されていますが、これも惨殺です。

さらに私が直接見たものですが、ある部落に宿営するため設営(宿舎の準備)の兵が自転車で部隊よりも先行して、部落の入り口の門が閉まっていたので、その兵士が「開門(カイメン)、開門」と叩きますと、門の上から手榴弾が投げられて負傷してしまいました。

一緒に行った兵士はあわてて帰り、我々がその部落を攻撃して占領し、負傷した兵士を探しますと、門を開けて引きずり込まれたものか、首を斬り落とされていました。一緒に行った兵士は、その首を抱いて体にくっつけて、泣き叫んでいました。これが私が現実に見た、中国人の残虐性を現す光景であります。

中国軍には昔から「督戦隊」というのがあって、後ろから味方の軍に鉄砲を撃って第一線を督励する、そういう事が行われていました。

実際に、南京の(中国国民党の)城外警備軍の87師、88師が総崩れになって城内に殺到するのを、城内警備の37師が味方に向かって発砲して督励しています。

また南京陥落の前、12月6日には南京城門は全部内側から閉鎖され、城外陣地の(中国)守備兵は後退の道を断たれ、城外の部落において略奪暴行を行っております。

このように、敗走する中国兵が自国の戦友や住民に暴虐を働いた例を見ても、その素質は劣悪であり、その性質は残虐であることは明白であります。

次に、高級指揮官がさっさと逃げている事です。蒋介石は宋美齢を伴い、12月7日飛行機で漢口に脱出し、それに軍政部長に何応欽、総参謀長の白崇禧等も同行しています。

南京の守備総司令官であった唐生智は、12月12日に部下を放置して揚子江対岸に逃げております。

こんなことですから、(中国軍)総兵力6万5千〜7万は指揮官を失って暴徒と化したわけです。

これが中国軍の実態なのです。

これに比べて日本の軍隊はどうかと言うと、まず第一に国民の支援があり、兵士は郷土の名誉を担い、国家に対する忠誠心と自己の使命感を持っておりました。

また当時は連戦連勝でしたから、士気は極めて旺盛であり、指揮官もしっかりと部下を掌握しており、軍紀厳正でした。

いかに軍紀が厳正であったかということにつきまして、自分の事で恐縮なのですが、先程申しましたように非常な激戦をして、12月12日夜半、連日頑強に抵抗していた敵が総退却したことを察知し、今から城内に突入しようというまさにその時に、連隊長から私の大隊はそこに止(とど)まれとの命令を受け、私も部下も、涙を飲んで止まったのです。

これが軍紀だと私は思います。

いかに突入したくとも、「止まれ」という上官の命令がある、これが軍紀です。

それほど日本軍の軍紀は厳正であったのです。

戦場は極めてアブノーマル(普通ではない)な場であります。非常に悲惨なものであり、非人道的な事がたくさんあります。しかし、全部が全部そればかりではありません。

私自身の体験をお話しますと、ある部落を占領して宿営した時のことです。宿営の準備の第一は、まず掃討して残敵がいない事を確かめると共に、次いで食料等利用出来るものを集めます。

その時一人の兵が「隊長殿、こんなものがありました」と笊(ザル)に一杯の宝石とか貴金属を持って来たのです。

私は、「そんなもの持って来てどうするんだ。一切そのまま元の場所に返しておけ。1つでも盗んで身に付けていて、戦死でもしたらお前はとんでもない恥をかくぞ」と戒めて、一切手を付けませんでした。もちろん私の部下は只の一人もそういうものを盗んだ者はおりません。

これは中隊長として自信を持って断言致します。

又別の戦場である所を占領した時の事です。住民は全部逃げて無人でしたが、ある兵士が「嬰児が一人取り残されております」と報告しました。行ってみるとかわいい嬰児が篭の中で無心に笑っております。

私達が明朝出発すれば逃げている住民は戻って来るでしょうが、今晩一晩はこの子にお乳を飲ませてやらねばなりません。幸いなことに私の中隊に、入隊前に中国で行商をしていた、中国語の非常に上手な八木という初年兵がおりました。

彼は今マレーシアに住んでいますが、その兵士を付けて将校斥候を近くの部落に出しまして、よく事情を説明してお乳の出る女を探して来い、と命じました。

幸いに一人の女を連れて来ましたので、八木に通訳をさせまして、「私が隊長である。これこれの訳でこの赤ん坊がかわいそうであるから、今晩一晩この子を抱いてお乳をやってくれ」と、申しますと、女性も納得致しまして、従ってくれました。そうして私達はその翌朝、さらに進撃したのであります。

こういうヒューマニズムも、戦場にはあるのです。

私のたった一つの体験ではありますが、こういうことは戦場ではいくつもあったと思うのです。かつて私は、グラフ雑誌で兵士が赤ん坊に水筒の水を飲ませているのを見た事があります。

戦場はアブノーマルであるけれども、全く殺伐だけではありません。そのことを、なぜ報道陣は報道しないのか。

戦争をしたくないというのは、一般人よりも戦場を体験した者が一番切実に感じているのです。瞬間、瞬間に死を直面した状態を続けているのですから。

しかし、そういうモラルやヒューマニズムは一切報道しないで、ことさら悪い面を誇張するばかりか、ありもしないウソまで書いて、それが果たして本当に戦争を防止することになるのでしょうか。(2014/4/3)

2014年04月05日

◆やくざ集団が統一派の先頭とは

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成26(2014)年4月4日(金曜日): 通巻第4198号>    

 〜台湾マフィア「白き狼」が馬英九支持のデモを仕掛けたが
    権力と結ぶやくざ集団が統一派の先頭とは皮肉な時代錯誤〜

「中国統一推進党」なる政党が台湾に存在する。代表者は張安楽という。4月1日はエプリルフール。同党が中心となって、「国会選挙中の学生は不正行為。国会から速やかに大挙せよ」と4時間にわたってデモ行進行った。

つまり国民党統一派の第5列である。張安楽は、このデモ行進には加わらなかったが、台湾の政治通なら、この背後に彼の存在があることを知っている。

そそもそも「白き狼」の異名をとる張安楽とは何者か? 彼は台湾のやくざ「竹連幇」のボスで中国大陸で17年服役した後、2013年に台北へもどり100万元(台湾ドル、邦貨換算で350万円)の保釈金を支払って釈放され、街中へ消えた。警察の調査では新北市中和区に隠れ住んでいるらしい。

「国会を占拠している学生指導者の陳為旺と林飛帆は学生を雇っている」と張安楽は発言したらしいが、いみじくも蒋介石時代の学生デモが国民党が雇用したやらせだった時代の発想から抜けきれない証拠だろう。彼の認識では自発的は学生参加の政治行動など考えられないのである。

「太陽花学運(ヒマワリ学運)」リーダーの林飛帆氏(台湾大学大学院生)と陳為廷氏(台湾清華大学大学院生)に対する謀略的誹謗中傷が繰り返されている中、中国と台湾の実質的なFTA(自由貿易協定)に当たるECFA(両岸経済枠組み協定)の後続措置となるのが「サービス貿易協定」である。

この審議過程が「民主的でない」というのが学生らが立ち上がって理由である。

「サービス自由貿易協定」は昨年6月に署名されたが、銀行、eコマース、ヘルスケアが自由化されれば、台湾人の雇用が奪われるばかりか、言論の自由が脅かされ、自由な出版が圧迫されると学生らが反対理由を述べている。

国会占拠は3月18日に始まり、馬英九の似顔絵には「中国の手先」と書かれ、「反暴力」「フリー台湾」の旗が林立した。


 ▲学生はいったい何に反対しているのか?

これら学生が呼びかけた大規模な抗議集会が3月30日に開催され、50万人が集まった

彼らの反対理由は「このサービス貿易協定は、法律上の規制と監督を受けないことになっている。われわれは両岸(台湾と中国)が将来的にどのような経済・貿易交流になったとしても、法治の基礎があるべきだと考えるし、交渉の前後において明確な監督システムが必要だと要求している。両岸の経済と貿易関係を維持しようとするなら、法制的に行うべきだ」とするもの(東洋経済オンラインのインタビュー)。

4月3日、行政院は「監視するメカニズムをつくる」と懐柔案を学生に示したが「これは欺瞞。我々はだまされない」としてはねつけた。
 
3月18日から開始された学生の国会選挙は「ひまわり運動」と呼ばれるようになった。

しかし学生らのなかに過激派が潜入し、あるいはマフィアの一員が学生を装って行政院に殴り込んで器物損壊など暴力行為にでたため警官隊が導入され、流血の騒乱となった。多くのけが人が出たのも催涙ガスのほか、官憲が棍棒で学生らを殴りつけたからだった。

学生らを心情的に支援する婦人グループが警官と学生の間に「グリーンガード」を築き、これ以上の警官の介入を防ぐ。学生をまもるために国会前の青島路(台北の永田町)には学生を支持する市民が数千人がまわりをとりまいて学生らを守っている。

かくして政治にやくざが介入したりしたため世論は硬化し、学生を支持する人々が国民党系のメディアの世論調査でも過半数、ついに馬英九は「学生が国政に関して発言するのは良いことだ」などと言い出した。

新党は議席を持つ統一派の政党で、外省人の子弟らが中心。「国会選挙中のひまわり運動の学生らは中国の利益を代弁しない」と批判すれば、学生らは「われわれは中国人ではない。われわれは台湾人である」と応じた。

▲与党国民党に亀裂

国民党内に鋭角的な亀裂が入った。

もともと国民党は蒋介石時代と様変わりして、多くの本省人が議席を得ている。その代表格が国会議長の王金平である。

馬英九にとって党内最大の障害物で、馬が提出した議案を片っ端から国会で蹴飛ばしてきた王を陰謀で排斥しようとしたが、みごと失敗に終わった。

この事件は13年9月のこと、ある民事裁判への仲裁を頼んできた後援者と王金平との電話を盗聴した当局がテープを公開して、金平を党籍除籍処分としたところ、むしろ「盗聴したことが違法」とする世論に押され、王はそのまま居座ってきた。

もし党籍が剥奪されれば王は比例代表区のため自動的に国会議員の資格を失い、議長の座を引きずりおろされるところだったのだ。

王は党内の主席選挙でも馬と争って、惜敗した。党の総裁選公認候補選挙だった。

次の国民党主席選挙は秋に予定されるが、馬の再選の可能性が日々薄くなっている。年末に迫った5大市長選挙(台北、新北、台中、台南、高雄)の候補者は国民党主席が最終的な決定権をもっており、高雄と台南は民進党の牙城。

順当に行けば台北市と新北市は国民党が勝つだろうが、台中の情勢は与野党が接戦、勢力が伯仲しており、もし国民党が台中を落とせば馬英九の政治生命は低まって完全なレイムダックに陥る。

「中国との話し合いは過去六年間の馬政権で円滑化せず、国内の合意形成は難しいばかりか、馬の指導力は限定的である」(英誌『エコノミスト』、2014年3月29日号)。

◆米軍は東アジアから引いて日本に委任

佐藤 鴻全


●米国の財政は持たなくなり、兵力を一旦はアジア・西太平洋に集中させるも、やがてそこからも撤退して行く。

●米国は中国と太平洋を東西に二分する事までも視野に入れるが、その駆け引きを優位に進めるためにも中期的にはこの地域の安全保障を日本に肩代わりさせる。

●同時に、米国はそれによる日本の軍事力が増す事を恐れ、日本の潜在的核保有能力の芽を摘む事を図る。突然の小泉脱原発路線はその一端である。

●日本は潜在的核保有能力と準国産エネルギーの原発を失えば、単に米中の新旧二大国に翻弄、収奪されるだけに止まらず、将来的にほぼ確実に安全保障上の危機を迎える。

●このため新エネルギー開発・エネルギー多様化を進めつつも、当面の原発利用は必要である。福島第一原発事故の責任者厳罰を含めた体制改革を基盤とした、真に合理
的安全対策を講じた上で早期の原発運転再開を図るべきである。

◆小泉の突然変異◆

小泉元首相による突然の脱原発活動について、筆者はシェールガスを売り込みたい米国エネルギーメジャーの意向、日本の危機管理能力に疑問を抱く米エスタブリッシュメントの総意、小泉自身による使用済み核燃料処理への純粋な懸念及び政治的野心がその理由だと考えてきた。

しかし、これでは少々弱く、竹中平蔵が脱原発を小泉に焚きつけている事から見て、更に大きな要素が加わり、両人に米国の指令が下っているのだろうと考えあぐねていたが、先々月だかの週刊誌記事で合点が行った。曰く、日本に将来核兵器を持たせたくない米国の企図があるとの記事である。信憑性については元より測りようが無いが、これでパズルのピースが埋まった感がある。

米国は、日本に資金面でアジア・西太平洋安全保障を負担させるのは限界と考え、直接の軍事力によりそれをさせようとしている。しかし、大東亜戦争の記憶から、働き蟻が突然兵隊蟻に化けないか深層心理で恐れている。

そこで、主に共和党筋から戦略国際問題研究所(CSIS)上級顧問・日本部長のマイケル・グリーンを通じて、小泉・竹中に日本の脱原発を実現させようと仕掛けていると言うのが真相だろう。

◆アジアの安全保障◆

日本は、撤退する米国に代わりアジア安全保障を主導して行くべきなのは歴史の必然とさえ言える。

このため、潜在的核保有能力と準国産エネルギーの原発を失う事は、自国の経済的利益、安全保障のみならず、この歴史の必然に対する責任放棄とさえ言える。

さて、原発であるが、東北電力が運用していた福島第二原発が津波と地震に対しほぼ無傷であった事を考えれば、東電の運営していた福島第一原発事故は、やはり人災と言わざるを得ない。

複数出た事故報告書は総括統合されていないばかりか、自民党と民主党の談合により、国会で審議にすら掛けられていない。

福島第一の臨時冷却電源は、ネズミに齧られている有様だ。

今の日本にとって、原発再開は必要だ。

しかし、もう多くは言わないが、「その前に先ず当たり前のやるべき事をやってくれ」と言うのが筆者の主張したい事だ。

「国際的大義を伴う長期的国益の追求」を実現させる為に、日本は強く在らねばならない。

「王道」という言葉が試金石だ。

即ち正しき道、正しき政治、正しき生き方、これに照らして恥ずべきものがあれば改めるに憚る事はない。

同時に、自ら省みて縮くんば、積極的にリスクと責任を取る。米軍撤退の真空を埋めるものは、王道で在らねばならない。

◆イスラエルを手本とせよ

加瀬 英明


安倍首相が12月に靖国神社を参拝すると、すぐに駐日アメリカ大使館の報道官が「失望した」というコメントを、発表した。

アメリカの日本観が、変わったのだ。小泉首相は靖国神社を6回にわたって参拝したが、当時のブッシュ(息子)政権が不満を表わすことはなかった。

私はワシントンに通ってきたが、このところアメリカは中国にすっかり靡いている。ワシントンは、中国の目覚ましい興隆によって、眩惑されている。

中国の貿易総額が、昨年、4兆1600万ドルに達し、アメリカの4兆ドル弱をはじめて上回って、世界一の貿易大国となった。

アメリカは8年前まで、127ヶ国にとって最大の貿易相手だったが、今では76ヶ国に減っている。中国がかわって124ヶ国にとって、最大の貿易相手となった。

中国は巨額の資金を、毎日、世界で動かしている。アメリカは何よりも金(かね)が好きな国柄であるから、中国がもて囃される。

中国が今後も巨大化してゆき、日本が力を衰えさせてゆくという見方が、政権、議会、シンクタンク、マスコミによって、共有されている。テレビや新聞に中国が取り上げられない日はないが、日本が報じられることは、少ない。日本の影が薄い。

中国はアメリカのマスコミ、シンクタンク、大学を、金(かね)漬けにしている。ワシントンが中国の搾菜(ザーサイ)になっている。ワシントンの主要紙『ワシントン・ポスト』は、『人民日報』の英字紙『チャイナ・デイリー』が挿入されている。

 ワシントンは安倍首相を警戒し、猜疑心をもってみている。「安倍」というと、「ナショナリスト」「反動(リアクショナリー)」「挑発者(プロボケーター)」という誹謗(ひぼう)がついてまわっている。

安倍政権が12月に靖国神社を参拝したのも、そうだった。慰安婦について河野官房長官談話を手直ししたり、日本が侵略戦争を戦ったという村山首相談話を否定すれば、中国、韓国を刺激して、東アジアに不必要な波風を立てるから、日本に慎んでほしい。日本はおとなしくしていれば、よいのだ。

安倍首相が、臆することはない。これからは靖国神社を春秋の例大祭と8月15日に、堂々と参拝するべきである。電撃的に参拝すると、目を盗んで行ったように誤解されて、いっそう叩かれることになる。

河野談話の見直しも、国会を中心として粛々と進めよう。今回、維新が当時の石原副官房長官の証言を引き出した功績は、大きい。過去は正さなければならない。

アメリカの思惑に気兼ねせずに、日本がなすべきことをはっきりと行い、過去において誤解を招いた政府談話を、否定するべきだ。

日本が謝罪し続けたとしても、日本の立場はよくならない。アメリカの要路の人々に、日本の靖国神社や、慰安婦問題について、曖昧な態度をとってきたのか、いくら説明してみたところで、何の役にも立たない。

中国、韓国はさらに新しい種をつくりだして、日本を非難し、貶め続けよう。

日本はイスラエルを、手本とすべきだ。イスラエルはヨルダン川西岸に入植地を次々と建設するなど、アメリカの神経を逆撫でしているが、アメリカはもう馴れっこになっている。

アメリカがイスラエルを味方にせずに、中東政策をたてられないように、日本なしにはアジア政策を考えられない。

2014年04月04日

◆強制収容所がアメリカに有った

池田 元彦


強制収容所は、ナチの専売特許ではない。第2次世界大戦勃発を契機として全米11か所に、日系人専用の強制収容所に120,0313人が有無を言わさず強制連行、収容された。

米国籍がない一世、米国市民権のある日系人、日系混血16分の1の人達まで全てだ。

収容所は沿岸地域から離れた荒涼地帯に散在するバラックのような木造長屋だ。有刺鉄線の鉄条網、機関銃を持った兵士の監視塔からの監視、誰が見ても監獄だ。何も悪いことはしていない。同盟国ドイツ・イタリア系移民と比べても日系移民には酷かった。

米国は1890年に帰化法を制定。原則白人のみで日本人は帰化不能。その後現地出生で市民権獲得可能となるが、1906年の帰化法改正で事実上日本人帰化申請を拒否、1908年移民制限、1920年には写真花嫁渡航ビザ拒否。1924年移民法成立で移民の全面禁止となる。

戦争勃発5年前既にルーズベルト(=FDR)は有事の際に強制収容所送りが出来るよう、日系人の忠誠度を含むリスト作成を指示した。報告書は、90%以上の日系2世は米国に対し忠実で、寧ろ共産主義者の方が危険と明記したが、FDRの猜疑心は消えなかった。

1941年10月同様の調査を再度指示、脅威でないと再度上申された。が、真珠湾攻撃の翌日12月8日(米国時)から48時間以内に手際よく日系主要メンバー1300人が、FBI等により令状もなく突然逮捕され家族との面会も叶わず、敵性外国人収容所等に収容された。

日系米国兵士も各地で強制除隊、隔離された。1942年FDRの大統領令に基づき、日系人は不動産や自動車等私有財産を放棄させられ、ユダヤ人のように強制立退きさせられ、強制収容所に収容された。粗末な家具、仕切りもないトイレ、情報発信は不許可だった。

1942年陸軍省は、市民権等に関わらず日本人及びその子孫が軍務に就かせなと発表。日系部隊の結成は、不信感が唯一の理由で拒絶した。除隊直前の日系人兵士への最後の任務は、警備犬の訓練所に行かされ、日系人特有の匂いを犬に覚えさせためだった。

米国の圧力は南北アメリカ大陸に及び、中南米諸国13か国2264人の日系人及び日本人移民が逮捕され、米国への強制連行、且つ不法入国の罪で強制収容所に送り込んだ。内80%はペルーからだ。独逸、イタリア系については、これ程の犯罪人扱いはしていない。

FDRは日系人の戦闘部隊の編成を命じた。所謂第442部隊だ。(含第100歩兵大隊)3千名は米兵の盾となり、規模比米軍中最多1万8千の勲章等を与えられ、最長期間戦闘に従事した。延死傷率314%、延死傷者数9,486名は、米国への忠誠の証だ。独軍包囲で殲滅寸前の米兵211名救出作戦では216人戦死。800人以上が負傷した。FDRの直接指示だ。

戦後原爆投下のトルーマンは、442部隊をホワイトハウスに招き褒章慰労した。1976年フォード大統領が強制収容は間違いであったと声明を出した。1986年レーガン大統領は日系米国人の自由と権利を剥奪したことを公式に謝罪した。

1992年(パパ)ブッシュ大統領は謝罪と全現存者に賠償金を支払った。全てを個人責任に出来ないがFDRの関与は目立ち不自然だ。謝罪等を明確に大統領として表明したのは、不思議と共和党大統領が多い。民主党は、WASPの独善性、中国への親和性、独り善がりの善意に満ち溢れているからか。

◆「南京大虐殺はなかった」を読むD

平井 修一


■参戦者の手記、日記など

実際に戦争に行った人間が、手記を書いたり日記を書いたりという形で色々虐殺を言っています。まず第一に、日記や手紙を書いたというのがおかしいと思います。戦場で兵士が日記を書けるものかどうか。

背嚢(はいのう)は必要最小限の携行品で一杯になっています。その中へ一体何冊のノートを入れていったのか? 筆記具は鉛筆なのか、インキなのか? 当時はボールペンなどはありません。

終日戦闘を続けて、あるいは土砂降りの雨の中を一日中行軍して、くたくたになって露営して、暗闇の中にはロウソクの灯りさえ無いのです。また敵と至近距離に対峙して夜を徹することもあります。戦場では、眠るのが精一杯のことが多いのです。

そんな中で、どうして日記が書けるのでしょうか? 丹念に日記を書くという力があったのでしょうか? それだけ考えても、戦場で書いた日記だというのは、どうも信用出来ないのです。

彼らの証言をいくつかあげてみましょう。

1、中山重夫

岩仲戦車隊の兵で、昭和12(1937)年12月11日に雨花台(南京城南側、中華門外の台地)で、約4時間にわたって捕虜が虐殺されるのを見たと証言。静岡県の中学教師、森正孝という人物が作った「侵略」という8ミリ映画を持ち歩いて各地で講演をして回っています。
 
昭和12(1937)年12月12日は激戦の真っ最中で、そんな中で捕虜を殺している余裕は絶対に無いのです。まして数時間もそれを見物するなどは考え
られません。

特に、中山重夫氏が配属されていた戦車隊は、南京城東側の中山門攻撃に加わっており、11日、12日の状況はすでにお話した通りです。この部隊にいた兵士が、南京城南側の雨花台で捕虜の虐殺を見るわけがないじゃないですか。そんな大ウソを平気で言うのです。

2、曽根一夫

豊橋の歩兵第18連隊の軍曹(分隊長)として従軍。「私記南京虐殺」3部作を発表、その中で蘇州河の戦闘につき、「11月7日朝霧の中、工兵の人柱による橋上を敵弾を冒して走り、敵弾命中し河中に転落」と書いております。これが全くのウソであります。

曽根一夫は豊橋歩兵第18連隊の軍曹ではなく、名古屋の野砲第3連隊の初年兵であったことを、彼と同じ中隊(野砲3、第12中隊)にいた戦友が証言しており、所属部隊の階級も全くデタラメですし、蘇州河の戦闘になどは参加しておりません。

また第18連隊の中隊長、及部巷氏は、「11月7日は激しい風雨であり(朝霧などは無し)、蘇州河は水深2メートル余りで人柱等不可能、さらに当時は敵弾の飛来等ある状況では無かった」と証言しています。こんなウソを平気で言っております。

3、富沢孝夫

海軍の暗号兵。「昭和12(1937)年12月11日、松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言。
 
海軍の暗号兵が陸軍の暗号を傍受・解読する事は、技術的に出来ないのです。さらにもう1つは、12月11日には、松井軍司令官は蘇州で入院しておられ、南京にはおられません。

にもかかわらず、彼は平気でそういう事を言っております。

4、石川フミ

東北出身の日赤の看護婦で、病院船筑波丸に乗って揚子江を遡行、12月27日に南京に上陸、中山陵を見物し、途中で「女、子供の死体が散乱しているのを見た」と証言。

そんな時期に、そこいらに死体がある訳がありません。現実に、私は何度か中山陵に行きましたが、一体の死体も見たことはありません。何度も通った私が全然見ていないのに、たった一度行った看護婦が、散乱した死体を見るわけがないじゃありませんか。

5、東史郎(あずましろう)

歩兵第20連隊第3中隊上等兵。「わが南京プラトーン」という著書で随所に諸上官の悪口を書き、戦友の非行として虐殺、強盗、強姦の情景を描写。又「7千人の捕虜を各中隊に分配して殺害した」「中隊長自ら斥候(偵察)に行った」等と書いています。

彼は私の連隊の兵士です。捕虜を各中隊に分配して殺害するというような事はあり得ませんし、現に私の中隊はそんな分配など受けた覚えはありません。

またどんなに激戦であろうとも、中隊長が約200人の部下の指揮を放棄して斥候に行くなんて、そんな馬鹿なことも考えられません。

各中隊はみな「中隊会」という戦友会を持っていますが、そんなウソを平気で書く男ですから、戦友会を除名されております。

また、「東という兵士が倉庫に秘蔵していた手記を我々に資料として提供した」と発表した新聞がありますが、同じ町に住んでいる私の部下が、私に手紙を送ってくれて、「東の家に倉庫なんてあったことはありません」と、はっきり言っております。

又、朝日新聞の記事によりますと、彼は自分の階級を「軍曹」と詐称して福岡で講演したこともあります。

6、北山与

歩兵第20連隊第3機関銃中隊。「12月13日西山(前記の溝山のこと)麓で捕虜を火刑に処す」「12月14日戦銃隊は紫金山の掃討、約800名、武装解除後、皆殺し」と証言。

これは私が第3大隊長代行として指揮した部隊の兵士です。こんな命令を出したこともありませんし、これほど重要な事を、直接の指揮官である私が知らないはずがありません。

そんな大ウソを、朝日新聞は喜んで書いているのです。

彼はまた、自分は日記を書いたけれども、それは中隊長に検閲されるから差し支えのないことばかり書いた、と言っておりますが、戦場の中隊長は、兵士の日記を点検するほど暇ではありませんし、またどの兵士が日記を書いているかなんてことは判りません。

7、上羽武一郎
第16師団衛生隊の担架兵。
「戦場で放火、殺人、切り捨て勝手たるべしの命令があったので毎夜民家に放火して、住民をあぶり出して殺害した」と、メモに書いていると、新聞のインタビューに答え、

「中山門攻撃の歩兵第20連隊の多数の死傷者を運搬のため、住民中の青年約100名を徴用、使用した後虐殺」と証言。

「放火、殺人、切り捨て勝手たるべし」などと言う馬鹿なことを言う指揮官がいるわけがありません。また当時の戦場の住民の中に、100名もの青年がそこいらにいる等という事はあり得ません。

8、最近、私が聞いた話で、京都に共産党をバックにした団体がありますが、それが舟橋照吉という男の日記が出た、これが虐殺の動かぬ証拠であると盛んに言っております。

週刊誌に出たその日記なるものを私は子細に読みました。輜重輸卒(補給部隊)で京都の連隊に入ったそうですが、まるで自分1人で敵陣に突入し勇戦奮闘したようなことが書いてあります。

輜重輸卒が戦闘に参加したり、まして敵陣に突入するなんてことはあり得ない事です。

9、太田壽男

南京の停泊場司令部の職員の少佐が、「12月16、17、18日に何万という死体を処理した」と書いています。

この人は後に戦犯となり、満州の撫順収容所に収容されてそこで書いたものであります。ところが同停泊場司令部の梶谷という職員(曹長)の日記によると、太田少佐は12月16、17、18日に南京にはいなかった。この人は12月25日に、上海から初めて南京に来た人であります。

太田という人は、戦犯収容所に収容されて、おそらくそう書くように強制されたものだと思います。それをいかにもまことしやかに、虐殺の証拠だと言うのです。

太田少佐の手記については、毎日新聞静岡支局の武田某という記者が広島市に住んでいる畝本正巳氏(陸士46期。戦車隊中隊長として南京攻略戦に参加、偕行社編纂の「南京戦史」の編纂委員)のところに聴きに来た際、畝本氏は「そんな馬鹿な事は無い」と、梶谷日記も見せて、太田少佐の手記の誤りである事を説明しています。

ところがそれが毎日新聞の記事になってみると、虐殺の動かぬ証拠として太田手記を載せ、しかも少佐であった人の証言であり、間違いないと言っているのです。畝本氏の証言も梶谷日記のことも、一切無視しているのです。

今、お話したようなことが「南京大虐殺」論の実態なのです。

南京に虐殺があったという主張にこれだけウソが多いということがお判りになれば、逆に虐殺は無かったという証拠になるのではないでしょうか。

「あった」という証明は簡単なのですが、「無かった」という証明はなかなか難しいのです。ですから「あった」という論にこれだけウソが多いことを指摘して、逆に証明する以外ありません。

しかしその指摘は、私や戦友、部下達が直接体験したところから出ているのです。(2014/4/2)


2014年04月03日

◆オバマ外交の躓きはイラン融和から

加瀬 英明


たった3年前まで、オバマ政権は順風満帆であるようにみえた。オバマ政権は4年前にチュニジアで、“アラブ民主革命”が始まると、“アラブの春”が中東に民主主義をもたらすことになると、期待した。アル・カイーダは退潮にあった。その前年、オバマ大統領がカイロ演説によって、エジプトのムバラク政権を見離したので、軍事政権が倒れ、ムスリム同胞団が自由な選挙によって政権の座についた。

中東に民主化がもたらされると、楽観していた。オバマ政権はアメリカの軸足(ピボット)をアジア太平洋に移し、アメリカ海軍力の60%を2020年までにアジアに集中するという「エイシアン・ピボット」戦略を打ち出した。

ところが、中東は“アラブの春”によっていまや安定を失い、大混乱へ向かおうとしている。

中東イスラム圏は、サウジアラビアなどが援けるスンニー派と、イランが支えるシーア派の抗争――死闘が、シリア、イラクで激化して、大きく揺れるようになっている。

イランがシーア派に属するシリアのアサド政権、イラク国民の大多数を占めるシーア派、レバノンのシーア派民兵のヒズボラを援け、サウジアラビアや、湾岸産油国や、エジプトなどのスンニー派諸国が、シリア反体制勢力を支援してきた。これまでアメリカは、サウジアラビアなどの後盾となってきた。

今日の中東の地図は、第1次大戦まで中東を支配していたオスマン・トルコ帝国が敗れて崩壊し、新しい統治者となったヨーロッパ列強が分割して、線引きしたものだ。私はこれからリビア、イラク、シリア、イエメンなどが、宗派、民族、部族によって分裂して、新しい地図が現われると予想する。

リビアが2つか3つ、イラクが3つ、シリアも3つに分かれよう。地図の出版社にとっては嬉しい話だが、その過程で中東が大きく荒れる。私は中東イスラム圏の研究者であり、1980年代に三井物産と日商岩井(現・双日)の中東の顧問をつとめた。

これからアメリカは、中東で手一杯になる。もうすでに、「エイシアン・ピボット戦略」は絵に描いた餅に近い。

オバマ政権は外交が八方塞りとなるなかで、犬猿の仲だったイランとの関係を修復することによって、人気を回復しようとした。1979年にホメイニ師のイランがアメリカ大使館を占拠して以来、アメリカはイランを敵視して、口をきくことさえなかった。

オバマ大統領がイランのハサン・ロウハーニー大統領と、電話で会話を交したのをきっかけとして、昨年、英仏独、ロシア、中国を誘ってイランと協議して、1月にイランに対する経済制裁を緩和することになった。1972年のニクソン大統領による劇的な米中和解の再演を、狙ったものだった。

だが、イランはあの時の中国とまったく異なる。冷戦時代だった。ニクソンのアメリカと毛沢東の中国は、ソ連に対抗したいという夢をみていた。両国の主敵は、ソ連だった。

ところが、アメリカとイランには共通の主敵がいない。イランの主敵は、アメリカだ。

それに、世界を驚かせた米中接近を演出したニクソン大統領の知恵袋で、大統領特別補佐官だったキッシンジャーもいない。ニクソンがアイゼンハワー政権の副大統領として、外交を学んでいたのに対して、オバマは外交のズブの素人(しろうと)である。

オバマは愚かだ。イランの聖職者による政権は、経済制裁によって締めつけられて、苦しんでいた。イランとの和解を進めて、イランが力を吹き返すのに、これまでアメリカの盟友であったサウジアラビアをはじめとするスンニー派諸国は、アメリカに対する不信感を募らせている。

イランが核兵器開発を放棄することは、考えられない。イランが核を持てば、サウジアラビアは核武装すると公言している。

◆習近平に18世紀古地図を贈呈

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

平成26(2014)年4月2日(水曜日): 通巻第4196号    

 〜メルケル独首相はなぜ習近平に18世紀の古地図を贈呈したのか?
   乾隆帝が皇帝となった1735年にドイツは中国の地図を作成した〜

ドイツを訪問した習近平は「南京大虐殺の犠牲は30万人以上」だと関係のない無駄話を述べた。時、場所を心得ない、当て外れの政治宣伝に欧州マスコミは反応しなかった。

というのも、習の欧州歴訪に折り重なるようにクリミア併呑のロシアに対しての風当たりが強く、欧州政治はウクライナ問題一色。古い話には興味がない。

そこでメルケル独首相は、習近平国家主席に18世紀の古地図を持ち出して贈呈した。「これは1735年にドイツではじめて作成された古地図です」と。

しかも場所はメルケル首相の私邸。習夫妻を自宅に招待して個人的な会合をもったこと自体、ドイツの対中関係の緊密性をアピールするものだ。

これが何を意味するか? 中国のネットで議論が噴出した。

曰く。「1735年といわば乾?帝が帝位を継承した年であり、そのご1799年に彼が死ぬまで清の興隆は続いた。清帝国はピークを迎えた」だから中国の繁栄はまだ続く?
 
或るネチズン、曰く。『ウクライナ問題に重ねて帝国の勃興はいずれ滅亡への路を警告した』

どちらの意味かはメルケル首相に聞いてみたいところだが、習はドイツの反応が、中国の思惑を外れたところにあることだけは認識できたようだ。そして習夫妻はEU本部のあるブラッセルへ赴いた。

◆「南京大虐殺はなかった」を読むC

平井 修一


■虐殺論者とそのウソ(2)

さらに、偏向的事後取材により「南京大虐殺」を盛んに主張する例を挙げます。

朝日新聞の本多勝一という記者が「中国の旅」という本を書いています。これは彼が戦後、満州・中国に行って、日本人がそんなに悪い事をしたかを中国人に取材して、全く無批判に鵜呑みにして書いたものですが、その内の南京関係の例をあげてみましょう。

イ)姜根福の証言。

日本軍は南京城北の燕子磯で10万人くらい機関銃で射殺した。紫金山で2千人を生き埋めにした。あるいは軍用犬に中国人を襲わせ、その人肉を食わせた。城内で20万人を虐殺、死体を積み上げて石油をかけて焼いた。

ロ)伍長徳の証言。

南京戦直後、日本兵に銃剣で肩を刺されたが逃げ、揚子江に飛び込んで、日が暮れるまで水中に隠れていた。日本軍は逮捕した青年を高圧線にぶら下げてあぶり殺し、工業用硝酸をかけて殺した。

ハ)李秀英(女性)の証言。

日本兵に強姦されそうになり抵抗、その銃剣を奪って格闘して追い払った。しかし37ヶ所も刺されて気絶していたのを、親族の者達に助けられた。・・・

2000人を生き埋めにするための労力と時間と穴の大きさは、どれ程のものであったのでしょうか?

軍用犬に人を襲わせて、その肉を食わせるなどという馬鹿なことがあり得るのでしょうか?

石油や工業用硝酸を、戦場でいつ、どこで入手したのでしょうか?

揚子江は確かに冬でも凍りはしませんが、12月の揚子江に飛び込んで、首だけ出していて一体日が暮れるまで我慢できるのでしょうか?

高圧線に、どうやって人間を吊り下げるのでしょうか?

当時の日本兵は現役バリバリで士気も高く、女性と格闘して銃剣を奪われ、尻尾を巻いて逃げ出すような情けない兵士がいる訳がありません。37ヶ所も刺されて失神した者が、また蘇生するなどという事があり得るでしょうか?

どれ1つ取ってもすぐウソだと判る事ばかりです。

それを本多勝一記者は、「なるほど、ごもっともです」とそのまま本にしているのです。

本多記者については、「朝日の中には、本多君に対して良くない感情を持っている人が沢山いる」という事を朝日新聞の同僚の記者が言っていますし、又石原慎太郎氏は平成3(1991)年の「文藝春秋」に、「朝日には本多という奇妙な性格の記者がいて、盛んに南京虐殺のことを書く」と言っております。

本多勝一記者は「日本の子弟に国際性を持たせるため、南京大虐殺の教育を徹底させる必要がある」と言っています。私は売国奴、何を血迷ったか、妄語断じて許すべからずと、憤りに駆られます。

「隠された連隊史」という本を、共産党「赤旗」の下里正樹という記者が書いております。これには私の属しました福知山歩兵第20連隊のことが書かれています。

大体、共産党の機関紙の記者が書いたものですから、内容は読まずとも知れたものですが、私の連隊のことを書いているものですから読んでみますと、よくもまぁこれだけ大ウソを書けたものだと思うくらいのものです。

 イ)「歩兵第20連隊では兵士が上官の指揮を批判し、命令に反抗し、将校はひたすら兵に迎合して兵の非行も黙認し、部隊内には下克上の空気蔓延し、将校の権威も指導力も全く零であった」

私は第20連隊の中隊長として、兵士の機嫌を取らねばならない等と、思った事さえ1度もありません。常に部下の兵士と共に、お互いが信頼しあって戦ってきたのです。

その結果もう半世紀も経った今もなお、当時の戦友会が毎年開かれているのです。

来月の7日にも、私の中隊の戦友会が京都府の綾部で行われますが、例年のごとく、「隊長殿、是非出席して下さい」と招待されております。将校が兵士の機嫌を取らねばならなかった軍隊で、そんなことが続けられるのでしょうか?

また私が十数年前に大病で下関で入院したことがありますが、当時の部下の多くは京都府に住んでいるのですが誰かれ言うとも無く、「隊長殿がひどい病気だ」ということで、知らぬ間に多額の見舞い金を送ってくれました。私はベッドで感激の涙にむせんだ事でした。

将校と下士官・兵の心が離れていたならば、こんなことはあり得ないと思います。これは私の場合だけではなく、中隊長と中隊の兵士の気持ちがしっかりと結ばれていなければ、激戦を戦い抜くということは出来ないのです。

 ロ)「日露戦争の際、歩兵第28連隊(北海道旭川)の兵2千人が捕虜になり、戦後恥ずかしくて日本には帰らず、ハワイに移住した者もある」

これもまた、ものを知らずに書いたにしてもあまりにひどいじゃないか、というものです。1個連隊は約3千人ですが、そのうち2千人が捕虜になったなどということはあり得ないことです。

私に言わせれば、下里正樹は「私はウソを書いております」と、自分で白状しているようなものであります。「天に向かってツバをする」とはこの事でしょう。

学者の中にも、盛んに虐殺を主張する者がいます。何人もいる中で2、3人の人を取り上げますと、

1)洞富雄 元早稲田大学教授

「南京大虐殺の証明」という著書の中には私の名前も載っていますが、その中で便衣隊の兵隊を殺したのも虐殺であると言っております。

しかし、戦時国際法で便衣隊は捕虜として認めておらず、従って捕虜としての権利は与えられて無いのです。だから便衣隊を処刑するのは、捕虜を処刑することにはならないのです。

便衣隊というのは、軍服を脱いで非戦闘員を装い、しかも武器を隠し持って油断を見澄まして危害を加える者を言います。軍隊は非戦闘員を攻撃することは許されませんので、非戦闘員を装った敵は危険極まりない存在です。

従って戦時国際法は、便衣隊のような存在には正規の兵士が受けるべき権利を認めていないのです。

それを洞富雄氏は、「便衣隊は軍人ではないのだから、殊(こと)に戦争が終わって戦意が無くなったのだからこれを殺すべきでない」と主張するのです。

しかし、現実に堂ノ脇という参謀が便衣隊に襲われ、乗っていた車の運転手が殺されています。戦争の現実も、戦時国際法の規定の意味も知らない暴論と言わざるを得ません。

2)秦郁彦 日本大学教授

この人はなかなかよく調べてはおられるようなのですが、私共から見るとその調べ方が極めて杜撰(ずさん)です。

後に触れますが、曽根という元兵士がとんでもないことを書いているのを、もう少しよく調べればウソだと判るのに、非常に高く評価しております。私はこの人には面識がありますが、このことは秦氏の失敗だと思います。

3)藤原彰 元一ツ橋大学教授

この人は陸軍士官学校卒業(第55期)という経歴を持つのですが、終戦後大学で学んで、日本現代史、特に軍事史を専攻しています。

これが虐殺論者の学者を集め、南京事件調査研究会の現地調査団長として昭和59(1984)年12月、約1週間中国に参りましてご馳走を食べさせられ、戻って来て「南京大虐殺」という報告書を書いてひたすら中国のお先棒担ぎに汲々としております。

私共に言わせれば、「汝、ブルータスもか!」と言いたいところです。
(つづく)(2014/3/31)

2014年04月01日

◆台湾のサンフラワー学生運動

Andy Chang


馬英九政権が中国政府とサービス貿易協定(服貿協定)を作成し、国会を経ず行政命令で勝手にサイン、さらに国民党の国会優勢を使って強行採決を宣言したので、学生たちが立法院(国会)を包囲し、会議場を占拠した。国会が麻痺して10日目になる。

学生たちはこれを「太陽花学運」(ヒマワリ学運)と名付け、馬英九政府に服貿協定の撤回など4ヶ条の要求を突きつけた。馬英九は学生たちの要求に応じないので、抗議運動は長引く。

太陽花学運は馬英九独裁でサービス貿易協定(服貿協定)にサインしたあと、国会で強行通過を宣言したことだが、服貿協定が台湾の存亡に関わる問題だから大問題となり、学生の太陽花学運は全国人民の賛同と援助を受けている。

●服貿協定と馬英九の独裁

馬英九が中国側と経済便か交流問題で協議したのち、総統の行政命令でサインし、これを国会で通そうとした。

服貿協議は二国間の条約だが、条約は国会審議を経てから総統がサインをするべきで、総統が国会に内容を隠したまま先にサインしたのは違法である。違法行為でサインした条例を国会が審議するなら総統の違法行為を認めることとなり、二重に違法となる。

ところが国会では国民党系の張慶忠主審が審議を宣告したあと、たった30秒で法案の批准を宣言したのである。これが国会議員や国民の憤怒を買い、結果として学生たちが国会に侵入、占領して協定の撤回を要求した。

太陽花学運は馬英九独裁に抗議しただけではない。服貿協議とは中国の経済乗っ取りと中国人の移住に便宜を与える実質的な台湾併呑の条約である。こんな条約を締結すれば数年内に台湾経済は中国と一体化し、中国人の大量移入で台湾は併呑されてしまう。台湾の存
亡に関する協定にサインをした馬英九の大罪である。

●ヒマワリ学運の要求

学生たちは暴力を使わず国会を占拠して会議ができなくなったので馬英九は学生代表と話し合った。学生代表は馬英九に4ヶ条の要求を突きつけた。4ヶ条とは(1)服貿協定の撤回、(2)中国と協議する前に「両岸協議の監督」を法制化し、立法してから再審議する、
(3)公民憲政会議を開く、(4)朝野の議員の参与と人民の要求に答える。

馬英九は4ヶ条に返事をしなかったので、学生たちは馬英九が同意するまで国会占拠を続けると宣言した。

太陽花学運はこれまで台湾であった抗議運動とはまったく違う特徴を持っている。学生運動が冷静で平和を維持し、暴動でない。従って警察も暴力を行使できない。グループの団結と連絡が緊密で、内ゲバを起こしていない。国民全体の賛同と応援があり、食料や必需
品の差し入れがある。学生たちは秩序を保ち、国会に入る人のために通路を開け、計画的な座り込みを続け、医療室、食料班、ゴミ処理なども完備している。世界に類を見ない平和な国民運動である。

●国民党の陰謀に対抗する学生の「ヒマワリの歌」

ヒマワリ学運は全国民の支持があり、国民はこれが中国の侵略を防ぐ抗議と認識している。太陽花学運はヒマワリの如く明るく平静な公民運動である。馬英九政府はこれまでのように警察を使って強制退去を命じることもできず、陰湿な手段で学生運動を潰そうとして
いる。

国民党は竹聯幇ヤクザを学生の内部に混入させ、議会のオフィスを破壊したり、議員の引き出しからお菓子を盗んだりして学生たちの行為を誹謗したが、刺青のあるヤクザはすぐに身元がバレテ追い出された。次に国民党はメディアを使って学生たちが違法行動をして
いるとか国会の行事を妨害したなどと書きたてた。メディアは勝手なでっち上げでリーダーの誹謗記事を書いたが、たちまち学生たちに反論された。群集にスパイを混入させてデマを流し、分裂を図ったが学生たちに見抜かれて逃走した。

国民党が新しく考えたのは、ヒマワリ運動に対抗する「カーネーション運動」と名付けたグループが市内4箇所で「反・反服貿運動」デモを開始したのである。

カーネーションは母親の親愛を表す意味があるから、このグループは学生に呼びかけるのではなく母親が子供の安全を心配することを狙った運動である。学生たちよ、父母に心配させるな、早く家に帰りなさいと書いたスローガンを掲げて町を練り歩いている。国民党
は資金が潤沢だから千人ほどを動員して4箇所で「反・反服貿運動」を始めたのである。

カーネーション運動に対抗して学生たちはすぐ「太陽花学運の歌:島々の夜明け」を作って楽器演奏や学生の合唱などをしている。これで学生の気勢は更に上がった。国民党の妨害は逆効果だったのだ。

お母さん、心配しないでください。
私たちは許せない人に抗議しているのです。
私たちは怖がらない。
私たちが貴女を守る日がきたのです。
私たちの夢を守るために、私たちは勇敢に戦う。
夜が明けてだんだん明るくなってきた。
希望の光がこの島のすべての人を照らすまでわれわれは歌い続ける。

今回の太陽花学運に対し、世界各国の台湾人が応援デモを行っていることと、ザ・エコノミストやビジネスウィークなど有名な雑誌がこの運動を取り上げて報道した。アメリカ国会議員も台湾の学生運動を支持する声明を出している。

馬英九が譲歩しないなら太陽花学運はまだまだ終わらないだろう。結果がどうなるかは予測できないが、世界の注目を集めた大衆運動は天安門事件のような流血惨事にならないだろう。


              

2014年03月31日

◆中国活動家に批判されるオバマ夫妻

矢板 明夫


中国の人権活動家たちは最近、米国のオバマ政権に対する不満を高めている。歴代米政権と比べて、中国の人権や民主化問題への言及が少ないだけではなく、ミシェル・オバマ大統領夫人(50)が今月、中国を訪問した際、四川省成都市のチベットレストランで食事をしたことについて「チベット問題で中国の演出に協力した」とショックを受けた人が多い。

シリア、ウクライナ問題の対応でリーダーシップが取れず「弱腰外交」と国際社会から批判されたオバマ政権だが、中国の人権問題への対応でも手厳しい評価を受けている。

無意味な「人権報告書」

北京の人権弁護士らが大きな不満を持っているのは、2月末に米国務省が発表した2013年の人権報告書だ。「中国がインターネットの規制や政治的不満を持つ人々に対する弾圧を強めている」との内容は盛り込まれたものの、「中国政府に対する批判は緩い」と受け止めた人が多い。

「これまで に言ってきたことを繰り返しただけで、なんの意味もない」とは多くの関 係者が読んだ感想だ。

米国を拠点に活動する人権団体の統計によると、2002年から12年まで続いた胡錦濤政権では、国家政権転覆扇動罪などによって投獄された政治犯、思想犯は10年間で計66人いたのに対し、習近平政権では発足約1年で拘束者は200人を超えている。穏健派といわれる許志永(きょしえい)氏(41)ら「新公民運動」の活動家ら10人以上が実刑判決を受けたことも、胡時代には考えられない厳しい対応だ。

習近平政権が国内の知識人に対しこのようになりふり構わず弾圧できる背景には、「米国政府が中国の人権問題を強く批判しなくなったことがある」と見る人が多い。

夫人外交にも波紋

ミシェル夫人が3月19日から約1週間も中国を訪問し、習近平国家主席(60)夫人の彭麗(ほうれいえん)媛氏(51)とファーストレディ外交を展開したことも波紋を広げた。

13年6月、習主席が訪米し、バラク・オバマ大統領(52)とカリフォルニア州のパームスプリングズで会談した際、夫人を帯同したにもかかわらず、ミシェル夫人は「子供と一緒に時間を過ごしたい」との理由で姿を見せなかった。

当時、「中国は屈辱的な対応を受けた」と指摘する意見もあった。女性や子供など弱者の味方を演じなければならない役割の米国のファーストレディは「中国の人権状況に対する不満が原因で欠席したのではないか」との分析もあり、中国国内の人権活動家の間で、ミシェル夫人に拍手喝采を送った人が多かった。

今回、ミシェル夫人が急きょ訪中することになったのは、クリミア問題で米露の対立が決定的となり、中国の支持を取り付けたい米国が対中政策を軟化させ、「前回、ファーストレディ同士が米国で会わなかったことの埋め合わせだ」と分析する人がある。

「宣伝に協力」と落胆

ミシェル夫人が北京に到着する5日前の14日、中国で社会的弱者への法的支援に取り組み、当局に拘束されていた著名な女性人権活動家、曹順利さん(52)が死亡した。

陳情者の支援活動に携わった曹さんは13年9月、ジュネーブでの国連人権理事会のプログラムに参加しようとしたところ、北京の空港で拘束された。拘束中に体調が悪化したが、中国当局は治療の要求を拒否した。その後、意識不明の状態となり、搬送先の病院で死亡した。家族は遺体に青いあざを見つけ「政府が意図的に殺した」と主張している。

中国国内の人権派弁護士や活動家らが曹さん死亡の真相究明を求める署名活動を全国で展開している。「ミシェル夫人は習主席夫妻との会談で、曹さんの例を挙げ、中国の人権問題に言及するのではないか」と期待する関係者もいたが、今のところ、会談でのそういった内容に触れた報道はない。

ミシェル夫人は中国で、西安や成都など複数の地方都市をも訪れた。成都ではパンダ繁殖研究基地を視察し、ジャイアントパンダに餌のリンゴを与えるなどして楽しんだあと、成都市のチベット料理のレストランで昼食を取った。中国メディアはこの日程を大きく伝えた。

「『中国でチベット文化が大事にされている』という中国側の宣伝に協力した」「もうアメリカのことを信用しない」といった落胆の声が知識人の間で広がっている。(やいた・あきお 中国総局)
産経ニュース【国際情勢分析 矢板明夫の目】2014.3.30