情報収録:平井修一
田中邦貴氏のサイト「尖閣諸島問題」にこうあった。
<中国側が尖閣諸島をどのように見ていたかは、人民日報1953年1月8日の記事に見て取れる。
「琉球群島はわが国台湾の東北と日本の九州の西南の海上に散在しており、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、トカラ諸島、大隈諸島の7組の島嶼を含んでおり、それぞれには大小さまざまな島嶼があり、総計で名称のある島嶼50と400余りの無名の小島があり、陸地の総面積は4670万平方メートルである(人民日報「琉球群島人民のアメリカ占領に反対する闘争」より)」。
中華人民共和国成立以降も、このように中国は尖閣諸島は日本の一部と認識していたのである。自己の言動に矛盾する主張はできない、いわゆる禁反言の法理があるが、この法理を尖閣に当てはめると、共産党機関紙である人民日報で尖閣が南西諸島に属すると主張している以上、中国は尖閣の領有を主張出来ない。
同年、中国の地図出版社が発刊した『中華人民共和国分省地図』や『中華人民共和国分省精図』には中国の領土に尖閣諸島が含まれていない>
この人民日報の記事の原文の出だしは以下である。
<資料:琉球群島人民反対美国占領的闘争
琉球群島散布在我国台湾東北和日本九州島西南之間的海面上、包括尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、土葛喇諸島、大隈諸島等七組島嶼>
同年(1953)12月25日、「米国民政府布告第27号」が発布され、琉球列島の地理的境界を「米国民政府及び琉球政府の管轄区域を北緯24度、東経122度区域内の諸島」とした。
この布告の目的と意味することについて、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の美根慶樹氏が「尖閣諸島の法的地位」と題してこう書いている(2014/3/12)。
<サンフランシスコ平和条約に(日本が領土を放棄しないが、米国の統治に委ねられることとなった領土と)記載されている「南西諸島」にしても「琉球諸島」にしても多数の島から構成されており、この2つの島名だけでは米国の統治に委ねられる範囲を特定できない。したがって、布告を出して確認しようとしたのは米国として当然であり、また必要であった。
この布告は、沖縄を統治していた「米民政府」の長官命令として発出されたので、形式的には行政行為のように見えるが、平和条約第3条の解釈に関わるものであり、したがって、この布告は米民政府の行政(の一環)であると同時に平和条約第3条を解釈するという2つの性格を兼ねていた。
米国はこの範囲画定を米国だけで行なうこと、いわゆる有権解釈はできなかった。米国の統治に委ねられる範囲は条約で定められており、その解釈を単独の締約国が決定することはできないからである。したがって、この布告は、米国としての考えを示して他の締約国に異議がないか確認するものであった>
中共は尖閣などを「琉球群島」、すなわち日本の領土と認めているのだから、この布告に異議を唱えてはいない。「1969年5月、東シナ海の大陸棚には石油資源が埋蔵されている可能性があることが公表され、これが契機となって1970年9月、台湾省議会が尖閣諸島の領有権を主張する決議を採択した。 同年12月、中国の北京放送が新華社の報道として、尖閣諸島に対する中国の領有権を主張」(田中氏)するようになったのだ。
今、中共は尖閣諸島を強奪するため日本に戦争を仕掛けている。米軍は当てにはできない。我々は自衛の戦力を強化しなければならない。
1年前に産経が「フォークランドに学ぶ中国 尖閣略奪へアルゼンチンに急接近の“奇手”」と題する記事を掲載している(2013.2.3)。大阪版に掲載されたようで、その他の地では多分知られていないから以下、要旨を紹介する。
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尖閣諸島の領有権を主張する中国が、31年前に大西洋で起きたある紛争を学んでいるという。英国とアルゼンチンが南米最南端から約600キロのフォークランド諸島の領有権をめぐって、約70日間の戦闘に発展した「フォークランド紛争」だ。
予期せぬ侵攻に英国が逆襲して勝利したが、いま再びアルゼンチンが自国領との主張を強めている。しかも「尖閣略奪」を狙う中国がアルゼンチンに急接近。「侵攻などとばかげたことを…」。もし日本の指導者がそう考えるなら、歴史に学ばなかったことになる。
■領土「略奪」ですり寄る中国とアルゼンチン
1982年4月2日。フォークランド諸島にアルゼンチンの艦隊が迫った。島のラジオは「侵攻軍は空母1隻、駆逐艦4隻、揚陸艦4隻」と報じた。島を守る英海兵隊は70人ばかり。大軍を前に、わずかな抵抗を試みただけで降伏するしかなかった。
2カ月余にわたったフォークランド紛争について2012年末、サッチャー首相の証言が公開されたが、その中で、鉄の女ともいわれたサッチャー氏にも誤算があったことが白日のもとにさらされた。上陸2日前まで全く予期していなかったのだ。「侵攻などというばかげたことをするとは、考えてみたこともなかった」。
紛争終結30年に当たる2012年6月、温家宝首相がアルゼンチンを訪れた。フェルナンデス大統領は、中国が世界で果たす役割は極めて重要だと持ち上げたうえで、「マルビナス(フォークランドのアルゼンチン側の呼称)諸島領有権についての、中国政府の支持に感謝します」と述べた。アルゼンチンにとって奪還失敗を思い起こさせるこの時期を、フェルナンデス大統領はリベンジへの決意に変えてみせた。
01年にデフォルト(債務不履行)に陥ったアルゼンチンは、傷を引きずったまま世界的な景気後退に見舞われた。有効な対策を見いだせない政権は保護主義に走り、自動車などの輸入制限をめぐって日本、米国、欧州連合に世界貿易機関に提訴された。このため欧米との摩擦が強まっている。
国内では経済失策に対する大規模デモも起こり、政権への風当たりは強い。これに対して女性大統領が繰り出すのは、欧米批判と「マルビナス奪還」のかけ声だ。
■「180年前に島を奪われた」
折しもフォークランド周辺で、英国企業による石油探査が進む。大統領はこれら「資源搾取」に対する法的措置や、周辺での英国の軍事力強化に対する国連への提起に言及。フォークランドに立ち寄ったクルーズ船の、アルゼンチンでの入港が拒否されるという事態も発生している。
フォークランドでは3月、帰属の希望をたずねる住民投票が行われる。約3千人の住民のほとんどは英国系で、結果は開票するまでもない。英国が領有の根拠とするのが、住民意思の尊重だ。アルゼンチンは、いまの住民は先の住民を追い出してから来た植民者の子孫だとし、住民投票は茶番だと批判している。
アルゼンチンは旧宗主国のスペインからフォークランドの主権を継承したが、1833年、英国に砲艦で奪われたとしている。今年はじめ、フェルナンデス大統領は英紙にキャメロン首相あての公開書簡を掲載した。「180年前に英国はマルビナスを奪った」と批判し、「いかなる形態の植民地主義も終結させる」ことを促した1960年の国連決議などを根拠に、対話による解決を迫った。
■領有権争いをダシに発言力強める中国
中国にとってアルゼンチンの主張は、尖閣に応用できる都合がいいものだ。日清戦争を通じて日本に掠め取られたとの主張を、同じ脈絡に置ける。中国はすでに英国から香港返還を実現しており、ひとつの「植民地形態」を終わらせた実績もある。
1965年、国連はフォークランドについて「植民地時代の残された問題の一つ」と位置づける決議を採択した。欧米の相対的な政治力が弱まる一方、国連では数で勝る旧植民地諸国の発言力も強まっている。フォークランドについては中南米諸国がアルゼンチン支持で固まっており、欧米を圧倒する勢いだ。これらの国々との連帯は中国にとっても強い援軍となる。
さらに注目すべきは、軍事的な接近だ。アルゼンチンのブリチェリ国防相は昨年7月、中国を訪問した。装備更新にあたって中国軍の協力を依頼し、開発中のステルス戦闘機「殲20」購入の可能性にも言及した。同国防相はベトナムやフィリピンとの軋轢が強まる南シナ海における領有権についてもこの訪問で、中国支持を表明している。
2011年9月、英国の退役将軍らがまとめた報告書は刺激的だ。軍事予算削減が緊張高まるフォークランド防衛の弱体化を招くと指弾し、「中国の支援を受けたアルゼンチン軍に奪われた場合、奪還は極めて難しい」と結論づけた。
■世界の事例を尖閣にあてはめ「尖閣奪還」もくろむ
フォークランド紛争を招いた一因が、当時の南大西洋における英軍の存在感の欠如とされる。アルゼンチンの軍事政権は「英国が反撃に出ることはない」と判断していたという。
ジェームズ・ホームズ米海軍大学准教授は昨年の論文で、「アルゼンチンが領有権の主張を高めだしたことと、英軍の奪還能力が減退していることは無関係ではない」と指摘した。また「南大西洋で起こっていることに中国の戦略家が注目していることは間違いない」とし、自国に近い海域にフォークランド紛争をあてはめて多くの教訓を得ているという。
「取り返せるかどうか誰にもわからなかった」とまで思い詰めたサッチャー首相はその後、断固とした奪還作戦に転じた。軍事政権と関係が良かった米国も最初は中立の立場で介入したが、同首相はレーガン大統領を説き伏せて英国支持につかせた。
英国側に255人、アルゼンチン側にも約650人の戦死者を出したフォークランド紛争の二の舞を避けるため、日本も学べる教訓は多い。尖閣に一大事があれば、大阪のみならず日本全体が巻き込まれる。(つづく)(2014/3/15)