平井 修一
日本の旧帝国大学の流れを汲む7大学の出身者によって構成されている「学士会」のアーカイブに、真珠湾攻撃で始まった日米戦争の1年前、1940年10月の講演記録があった。
第二次世界大戦は1939年9月に欧州で戦端が開かれ、日本は独伊とともに三国同盟(枢軸国)陣営、米国は英米中蘭などの連合国陣営で対立しており、日米ともに参戦はしていなかったが、日米戦の緊張感が高まっていた時期である。
講演テーマは「太平洋問題と米国海軍」で、演者は時事新報海軍記者の伊藤正徳だった。米国が何年も前から海軍力を着々と強化していたことが分かる。
ウィキによると伊藤は1889年(明治22年)10月 - 1962年(昭和37年)4月。ジャーナリスト、作家、軍事評論家。海軍部内に精通し「大海軍記者」と称された。
慶應義塾大学理財科を卒業し、時事新報社に入社。海軍のブレーントラスト「外交懇談会」の一員でもあり、記者生活の傍ら、母校慶應義塾大学で軍事学の講義もした。以後、中部日本新聞主筆、戦後は共同通信社理事長、日本新聞協会理事長、時事新報社長、産経新聞顧問等を歴任した。
戦後は第二次世界大戦の戦記を執筆。『連合艦隊の最後』などのベストセラーを世に送った。保守派論客の田久保忠衛は伊藤に師事している。
以下、講演を抄録するが、戦争に勝つためには彼我の力量を冷静に研究し、驕らないこと、敵を侮らないことがいかに大事かが分かる。予想される日中戦争の参考にしていただきたい。
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編集子の前書き:
本稿は去る10月21日、本会定例午餐会席上に於けるご講演の速記録で ありますが、今や日米両国民の間に太平洋問題を巡っての関係が日に日に白熱化しつつあるは避くべからざる一大事実であり、我が日本国民が之に対し正面より真向うべき歴史的必然に置かれあることが痛感せられる。
俟(ま)つあるを頼むは我が国民の非常時に処する頼もしき伝統的態度でありますが、此秋に当りご多忙中にも不拘これ等の問題に就て講演を賜りたる講演者に対し会員一同と共に深謝致します。
講演:
只今理事長山田博士からの御希望がありましたように、アメリカ海軍の真相を成るべく詳しく話せと云うことでございました。私は平素日本の言論界等に現れるアメリカ海軍の見方について不完全であるように考へて居る点が少なからずあると考えるのであります。
今日の情勢では成るべく外国の実力等を低く見積って大国敢て恐るゝに足りないと云うような言表し方をすれば方々で喝采を博するような時代になって居るのでありますが、私はそう云う風な傾向を国の為に危険であると考えまして、必ずしもアメリカを敵と云う訳ではございませぬが、海軍の関係に於きましては所謂想定敵国の立場にあるアメリカの海軍に付いて其の特徴と弱点とを併せ知って置く必要があると思うのであります。
日本の海軍が、例えば無敵艦隊であるとか、空軍が無敵空軍、又陸軍が無敵陸軍であると申しますが、果たして其の通りであれば敢えて外国の兵力に付て言う必要はないのでありますけれども、私はアメリカの海軍も決して馬鹿には出来ない海軍であるように考えて居るのであります。
勿論素人の見方でありますから当局者の観察とは色々違う点もございましょう。併しながら御話申上げるアメリカ海軍の内容には別に私は誇張も用いないし、又自分の知り得た事実を基礎として御話が出来ると思うのであります。今日のような会合に於きましては恐らく自分の思う所を最も端的に申上げて差支ないと思うのであります。
私は5月に或講演会でドイツの対英上陸作戦は不可能であると云う演説をしたのであります。処が数日を経て或所からそう云う演説は穏かでないと云う風な批評を受けたのであります。私は「ドイツを勝たせたいと云う希望」と「ドイツが勝つと云う、軍事上戦略上の事実」とは引離して冷静に考えなければならないと思うのであります。
今日太平洋の問題が国民の重大関心事となって居りまするのに付きましても、戦争が早く片付いてしまえば恐らく太平洋には本当の危機を招かずに時局が済んでしまうのでありますが、是が長引いて居る間には勢の赴く所どう云う風な結果になるか、恐らく皆様も其の点をご心配になって居られることと思うのであります。そう云う風になかなか勝負が付かない。欧州の戦争が長くなるに従って極東の上には色色な影響が及ぶのが当然であり
ます。
丁度前回の世界戦争(第一次大戦、1914〜1918)当時を顧みますると、是も一種の英独争覇戦であったのであります。そうして日本とアメリカは連合国のメンバーであったのでありますが、それにも拘らず日米の関係は海軍競争を中心として段々と悪化して行ったのであります。それでパリ会談(パリ講和会議、1919)直後の世界評論は「此の次の戦争は太平洋にある」と云う観測に一致して居ったことを思い出すのであります。
其の時の状態は一方には欧州戦争が続いて居る。他方では我が国とアメリカとの間に激烈なる海軍競争が行われ、そうして支那と日本との関係は戦争にはならなかったけれども却って前より不和の状態にあったのであります。
二十一箇条(対華21カ条要求、1915)の問題を中心としまして日支間の関係は非常に悪い。そうして傍らには日米の海軍競争がある。其の情勢を見て此の次の戦争は太平洋にあると云う予想が行われたのであります。
処がワシントン会議(ワシントン海軍軍縮条約、1922)が開かれ、そこで日米間の競争は終りを告げ又支那を中心とする色々な不穏な原因も、是は我が国の満足なる状態に於てではありませぬけれども、兎に角一応ケリが着きまして、太平洋の戦雲は一掃されたのであります。
そう云う歴史が今後にまた繰返されるかどうかが重大なる問題でありまして、果たして第二のワシントン会議が開かれるような時勢が来るかどうか、今日迄の形勢を見ますると、欧州戦争の歴史は繰返されましたけれども、其の他の政治現象は20年前とは反対に動いて居るのであります。
詰り日本はドイツの陣営に合体しまして、そうしてアメリカと相反する立場に立ったのであります。従って海軍競争よりも更に一層激烈なる内容を伴ってくる訳であります。
そこで結局アメリカ海軍の存在と云うものは我が国の外交政策を決定する上に決して無視することの出来ないものであります。それは丁度アメリカの外交が太平洋に於ける我が国の海軍力を無視することが出来ないのと全く同じ関係であります。
そこでアメリカの海軍力が現在どう云う風な内容を持ち、また今後どう云う風に発展して来るか、其の実力および動向はどんなものであるかと云うことが単り軍事的のみならず、政治的にも、外交的にも重要な意味を持ってくることは申す迄もない所であります。
アメリカ海軍の特徴を先ず御話申上げる前に概論として、1916年頃から日米間に海軍の競争が行われた当時には、アメリカは有名なるダニエルス海軍計画と云う、二百余艘の軍艦を建造する案を決定しました。そうして我が国の八十八艦隊計画に対抗して之を凌駕しようとしたのであります。兎に角十六艘の戦闘艦を同時に起工しまして天下を驚かした。
処がワシントン軍縮会議が纏りまして愈々軍縮の時代に入りまするとアメリカは俄然軍艦の建造を忘れてしまいまして、一九二二年から一九三三年の間、此の十二年間の間に八インチ大(大口径砲搭載)巡洋艦を造った以外には殆ど軍艦を造らなかったのであります。
此の期間に外の二大軍事国である所の日本とイギリスはどうであったかと言いますと、我が国は毎年8800万円の建艦費をずっと継続して行ったのであります。大正14年の如きは海軍予算が僅かに2億6000万円に低下して居りますが、其の際にも尚軍艦健造の為に8800万円を使って参ったのであります。
イギリスはどうかと申しますと、其の期間に毎年巡洋艦2艘、護送艦4艘、潜水艦2艘をほとんど定石のように毎年定めて造って居ったのであります。
是等は海軍国が当然履むべき道であって、此の建艦に依って造船技術の退歩を防ぎ、併せて建艦技術への刺激、また発明の刺激を得まして海軍としてほかに劣らないことを期したのでありますが、其の日英両国の態度と全く反対にアメリカはもう海軍は要らないのだと言わぬばかりの怠け方をしたのであります。(つづく)(2014/3/5)