2014年02月11日

◆反中共闘士の何清漣女史(上)

平井 修一


中共の民主化運動家や論客は迫害を恐れて自発的に出国、あるいは強制的に国外追放されているが、避難先は米国が多いようだ。中でも在米の何清漣(かせいれん)女史は有名人の一人で、活発に情報発信しているが、中共ではネットが遮断されているからその声が届いているかどうかは分からない。蛇の道は蛇で、抜け穴があるのかもしれないが。 

何清漣氏(54)は中国湖南省生まれ、ニューヨーク在住、経済学者・ジャーナリスト。大紀元によれば「混迷を深める現代中国の動向を語るうえで欠かすことのできないキーパーソンのひとり」。中国では大学教師や、深セン市共産党委員会の幹部、メディア記者などを務めていた。

<中国当局の問題点を鋭く指摘する言論を貫き、知識人層から圧倒的な支持を得たが、常に諜報機関による常時の監視、尾行、家宅侵入などを受けていた。

1998年に出版した著書『現代化的陥穽』は、政治経済学の視点から中国社会の構造的病弊と腐敗の根源を探る一冊(邦題は『中国現代化の落とし穴』)。学術書であるが中国でベストセラーとなり「読者賞」を受賞している。しかし2000年には発禁となり、女史は2001年に中国を脱出して米国に渡った>(大紀元)

この本を読んだ方の感想文。

<序章と一章を読んでみた。頭がくらくらしてくる。これでもかこれでもかとばかりに、中国の無茶ぶりが出てくる。カタルシスの対岸だ。これが中国の現状だ。果てしがないばかりの混沌ぶりだ。どのように軟着陸するか。あるいは事変が起きるか。長い帝国の歴史を背負っているので離陸が難しい。毛沢東は帝国に揺さぶりをかけたのだが、結局は帝王の如き者になってしまった。

今や中国は、世界の関心の的だ。独裁者は毛沢東で終ったので、なんとかトウ小平の歩みに従っているが。トウ小平も影の独裁者ではあったが、見え見えの毛沢東の道は拒否した。

我々素人が読むにはむずかしい。中国そのものがよく判らないので、さらにむずかしい。基本を講義でもしてくれたらありがたいのだが。コピーする。

≪(中国のことわざに「瓜を植えれば瓜がなる、豆を植えれば豆がなる」とあるが)歴史には「瓜を植えて豆がなる」ような例が少なくない。半世紀前、毛沢東が指導した革命はブルジョアジーと地主階級の消滅を手段とし、みながともに豊かになることを目標としたが、最終的には思惑に反し、豊かになることも社会の安定も得られなかった。

まさにそれと同じように、国有企業の経営メカニズムの変革を目標とした株式制改造運動も「事、志に反する」結果に終わった。権力が好き勝手に市場に割り込んで分配に関与し、客観的には権力層の人物が短期間に巨万の富を蓄える絶好の機会を提供したにすぎず、その上国有資産の流出を加速させてしまったのである≫>

今、習近平・中共は「反腐敗」運動と並行して猛烈な勢いで右派、即ち「自由主義知識分子」狩りを進めている。朱建栄のように「中国は軍事大国ではない」「天安門事件は解放軍の出動途中に起こった発砲事件に過ぎず虐殺はなかった」「中国は変化しており報道規制もなくなりつつある」と言う中共の代弁者まで拘束するほどだ。

右派はいまだに中共に対して「時勢を知って、大局的観点から政治制度改革をし民主憲政を実行してほしい」と岩波的なお花畑幻想で期待を寄せているが、「幻想を抱くな」と何清漣は言う。

<民主憲政など実行したら現在の利益構造、権力のバランス機構を揺るがし、中共の一党専政を終焉させてしまいます。もし本当にそんな日が来たら、いまの権力集団が開放改革以来おおいに楽しんで来た素敵な日々は終わってしまうわけで、これこそ中共執政集団がなにより目の敵にしていることです。

改革以来、左派(毛沢東盲従者)たちが一番反対したのは自国資本、外国資本、米国勢力で、腐敗も貧富の差も全部一切合切これらの資本勢力のせいにして、自国の執政集団の責任を問うたことは一度もなかったのです。江沢民後期から胡錦涛執政の10年の間、左派を放置し、右派を掃討したのはまさに中共当局の核心利益を守る賢明な一手だったわけです>

国際調査報道ジャーナリスト同盟(ICIJ)が1月21日に公表した秘密文書によると、中国の高層リーダーの近親者がカリブ海タックスヘブンにこっそりと持っているオフショア会社が、中国共産党エリートたちによる海外での巨額の秘密蓄財を手助けしていることが明らかになった。

これらの文書には習近平主席の義兄が海外でパートナーと設立した不動産会社の登記資料、及び温家宝前総理の息子や娘婿が登記した英領バージン諸島の会社が含まれている。2万2千人近い中国・香港の投資家がオフショア金融センターに会社登記を行なっており、そのうち少くとも15人の富豪、全国人民代表大会代表、汚職疑惑にある国有企業トップとして有名な人たちが含まれているという。

何清漣は「このレポートは中国大陸では封殺されましたが、その意義は重大です。世界に中共政治集団が盗賊型集団であるという正体を明らかにし、中共政治集団の合法性はおおきく傷ついたのです。世界中が習近平の『反腐敗』にかける“誠意”のありようがわかるというものです」と皮肉っている。(つづく)(2014/2/5)


2014年02月10日

◆露したたか、日中天秤

遠藤 良介


〜日露首脳会談〜

【モスクワ=遠藤良介】ソチ五輪開幕式に合わせた安倍晋三首相の訪露はロシアで好感されている。ただ、プーチン大統領は6日、ソチを訪れた各国首脳の中で最初に中国の習近平国家主席と会談しており、日中両国を天秤(てんびん)にかけて国益の最大化を図る姿勢が鮮明だ。

北方領土問題では、露外務省が日本側の受け入れられない歴史認識を振りかざし、日本に「譲歩」を迫る構図となっている。プーチン政権は「愛国主義」による支持基盤強化に動いてもおり、領土交渉を大胆に動かせる状況にはない。

中国国営新華社通信によると、プーチン氏は6日の中露首脳会談で「日本の軍国主義による中国などアジア被害国に対する重大な犯罪行為を忘れることはできない」と述べ、2015年に予定される戦勝70周年の記念行事を共同開催する考えを示した。ただ、露主要メディアはこの内容を報じておらず、日本を刺激することを避けたい政権の意向があったもようだ。

プーチン氏は中国との友好関係を最重要と認識しつつ、日本との関係改善によって中国を牽制(けんせい)し、課題の極東・東シベリア開発にも日本の協力を得たい考えだ。北方領土問題については、「平和条約の締結後に色丹、歯舞を引き渡す」とした日ソ共同宣言(1956年)を軸に解決する考えを変えていないとされる。産経ニュース2014.2.9

◆大したことない、原発再稼働へ前進

有元 隆志


「小泉神話」が崩壊した。平成17年の郵政民営化選挙と同様に、小泉純一郎元首相は細川護煕元首相を担いで都知事選も「原発ゼロ」をシングルイシューに掲げ大勝を期した。

しかし、地に足のついていないスローガンには切実感もなく、当然都民の共感も呼ばなかった。「政治の師匠」との対決を制した安倍晋三首相は、原発再稼働に向け一歩前進した。

産経新聞が実施した出口調査では「原発・エネルギー問題」が「最大の争点」とする回答は3位にとどまり、福祉や雇用など、より生活に密着した問題の方が都民の関心を集めた。小泉氏は遊説で原発問題のみを話し、都政全般への目配りに欠けた。

選挙期間中に行った世論調査では原発を争点とすることを肯定する人が6割を超えたものの、小泉氏は代替エネルギー問題について「私一人で案を出せるはずがない」と逃げ続けた。細川氏も「専門家による『東京エネルギー戦略会議』を立ち上げる」と述べるにとどまった。都民が判断を下すにはあまりに具体性に欠けた。

それでも小泉氏が細川氏支持を表明した1月14日当初、細川氏有利と判断した与野党幹部は少なからずいた。ある閣僚経験者は首相に電話し「官邸が前面に出ないほうがいい」と進言した。小泉氏の勘の鋭さをよく知る首相が流されてもおかしくなかったが、14日の小泉氏の会見映像をみて、首相は周囲に「全然たいしたことない」ともらした。往年の迫力はないことを早々に見切ったようだ。

舛添要一元厚生労働相擁立に積極的ではなかった首相だが、支持を明言し、街頭演説にも立った。国会答弁では「海外からの化石燃料への依存度が高くなっている現実を踏まえると『原発はもうやめる』というわけにはいかない」などと、原発の必要性を強調した。

都知事選で敗北すれば、首相にとっては1月の沖縄県名護市長選に続く痛手となった。衆参両院で多数を持っており政権基盤が直ちに揺らぐことはないものの、今後の政局に影響が出る可能性もあった。それだけに今回の勝利は首相にとって意味は大きい。

細川氏が勝利すれば突如再演した「小泉劇場」はロングラン確実とみえたが、結果は首相の原発再稼働へのシナリオを後押しすることとなった。もちろん、再稼働には慎重さが求められることは首相も十分承知だ。昨年末、首相は周辺に「今年の最大の課題は再稼働」と明言している。

小泉氏周辺は、「劇場はしばし休演」とするが、再び舞台に上げないためにも、首相には再稼働を着実に進めて電力の安定供給を図り、国民の理解を深めていく責務があることはいうまでもない。

産経新聞社 政治部長  2014.2.10

<細川氏敗北で遠のく野党再編 「影響は出る…」思惑吹き飛ぶ


民主党や日本維新の会の一部が支援した細川護煕元首相の敗北は、維新内などにあった野党再編の思惑をもろくも吹き飛ばした。

「出遅れたかなという気がする。(再編に)何らかの影響は出るでしょう…」

細川氏の元秘書で、再編に積極的な維新の松野頼久国会議員団幹事長は、細川氏の選対事務所で記者団にこう語り、肩を落とした。

大阪維新の会系は松野氏に歩調を合わせ、石原慎太郎共同代表や旧太陽の党系は政策が重なる元航空幕僚長の田母神(たもがみ)俊雄氏を応援した。民主党は細川氏を支援したが、連合東京が推したのは舛添氏だった。

結いの党の江田憲司代表や維新の大阪系議員は、民主党の非労組系と維新の非太陽系、そして結いの糾合をもくろんでいる。都知事選を契機に維新が「東西」、民主党が労組系と非労組系にそれぞれ分裂すれば再編の環境が整う−。そんな思惑があった。

だが、維新は共同代表の橋下徹大阪市長が大阪都構想をめぐり出直し市長選を表明、再編どころではなくなった。再編を狙う民主党保守系議員は「原発ゼロ」の細川氏に距離を置いた。

9日、福島県郡山市で開かれた民主党大会の本会議で、出席者は全員で党綱領の一部を唱和し、結束を演出した。今夏をめどに党再建ができなければ辞任を示唆している海江田万里代表は大会閉幕後の記者会見で「気持ちは折れていない」と強気の姿勢をみせた。

だが、大会前夜、海江田氏に距離を置く前原誠司前国家戦略担当相グループのメンバーは郡山市内の飲食店で膝をつき合わせた。出席者からは代表選が今年行われることを前提に「執行部に発信力がない。前原氏が立つべきだ」との発言が出た。細野豪志前幹事長も市内の別の飲食店で細野派の会合を開き、結束を確認した。民主も維新も内部混乱ばかりが続きそうだ。>
(産経政治部 坂井広志)産経ニュース 2014.2.9


◆「日本型集団的自衛権」を考える

浅野 勝人 (安保政策研究会 理事)


私は、以前、集団的自衛権の行使は、我が国の平和憲法の下では認めるべきではないと考えていました。

この確信的な理念が揺らぎ始めたのは、主としてアジア・太平洋地域の安全保障環境の変化とアメリカのプレゼンスの低下によります。

アジア・太平洋地域には大規模な軍事力をもつ複数の核兵器保有国が存在する一方、安全保障の地域協力枠組みが十分に制度化されていません。

具体的には、中国、インドの軍事力強化に伴い国家間のパワーバランスが崩れ、特に中国は国際社会において存在感を増大させています。

これに対して、強大だったアメリカの力は相対的に弱まっており、世界の統治構造に少なからぬ影響を及ぼしています。従来通り、アメリカの核の傘による抑止力があれば、日本は安泰とばかり言ってはおられない変化に私たちは直面しています。

日本は、国際社会の主要なプレーヤーとして、国際協調主義に基づく平和主義の立場から、日本の安全およびアジア・太平洋地域の平和と繁栄を確保するため、これまで以上に積極的な役割を果たしていくことが求められる状況にあります。

従って、集団的自衛権の行使を許容する態様について、戦後一貫して平和主義を貫いてきた日本にふさわしい「日本型集団的自衛権」の姿を考察してみる必要に迫られています。

従来から、我が国の平和憲法は、@ 日本に対する急迫不正の侵害があること。A これを排除するために他の適当な手段がないこと。B 必要最小限度の実力行使にとどまるべきことに該当すれば、個別的自衛権の発動として武力の行使を許容しています。

これは、日本が武力攻撃を受けた「日本有事」を想定した要件です。

一方、集団的自衛権に関する国際法上の要件である「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃」が発生した事態には到底あてはまりません。従って、現行憲法の下では集団的自衛権の行使は認められないと解されてきました。

こうした情況の中で、日本の安全およびアジア・太平洋地域の平和と繁栄に寄与する立場を貫くためには、平和憲法の理念を具現化した「日本型集団的自衛権」が必要となります。

この場合、平和憲法の理念に沿った歯止めとして、周辺事態安全確保法の規定に基き「日本の周辺地域において、そのまま放置すれば日本が、直接、武力攻撃されるおそれがあって、日本の平和と安全が脅かされ、重要な影響を受ける事態」(同法1条の趣旨)いわゆる「周辺事態」の発生を「日本型集団的自衛権」の要件に加えることを提案したいと存じます。

これによって、日本と密接な関係にある外国が武力攻撃を受け、「周辺事態」が発生すれば、自衛隊は後方支援活動から一歩踏み出して「日本型集団的自衛権」に基づく武力の行使が可能となります。

要約すると、「日本の周辺地域において、日本と密接な関係にある外国に対する武力攻撃が発生し、そのまま放置すれば日本に対する直接の武力攻撃に至るおそれがあって、日本の平和と安全が脅かされる事態」が「日本型集団的自衛権」の行使の対象となります。

これを要件とすれば、集団的自衛権は厳格な歯止めに縛られ、日本の平和と安全に力点をおいた「日本有事優先思考」の平和憲法を重視した「日本型集団的自衛権」となります。

ところで、周辺事態安全確保法では、「周辺事態」とは地理的概念ではないとされていますから、理論的には地球の裏側も対象にしています。「日本型集団的自衛権」の対象も「周辺事態」であることから、理論的には地球の裏側も対象となります。

しかしながら、日本の平和と安全を直接脅かすような「周辺事態」が地球の裏側で発生することは考えにくいとみるのが妥当な判断でしょう。

現に周辺事態安全確保法をめぐって行われた国会の審議の折にも、政府は「周辺事態が生起する地域にはおのずと限界があり、例えば中東やインド洋で生起することは現実の問題として想定されない」と答弁してきました。

この要件に準じて「日本型集団的自衛権」が発動される具体的な事態を想定しますと、例えば、A国(日本と同盟関係にある米国だけでなく日本と密接な関係にある国も対象)ないしはA国の艦船に対して、X国が武力攻撃を行ったと想定します。

その場合、X国の軍艦が引き続き日本周辺海域を航行して、日本に対する武力攻撃の明白な危険を生じさせ、日本の平和と安全を脅かす重要な影響を与える「周辺事態」が発生した時には、「日本型集団的自衛権」が発動されて武力の行使が可能となります。

このような状況に至れば、必要に応じてインド洋や中東海域を航行する日本及びA国のタンカーをX国の攻撃から護衛するため、海上自衛隊の護衛艦を派遣することが可能となります。

また、自衛隊がB国と共同してPKOあるいはPKF活動を実施している際、近くにいるB国が第3国から攻撃を受けた場合、B国救助のための武力行使は可能と考えます。

さらに、第3国が日本の同盟国あるいは日本と密接な関係にある特定の国に向けて発射したミサイルが日本上空を通過する場合には、撃墜可能かどうかの技術論と離れて、迎撃・撃墜できるものとみなします。

このほか、日本型集団的自衛権の行使と関連してグレーゾーンのケースにある事態については、個別に可否を判断して国会の承認を得ることといたします。

以上の考えを整理しますと「日本型集団的自衛権」の発動要件は、
@日本または日本と密接な関係にある外国に対する急迫不正の侵害があること。
Aこれを排除するために他に適当な手段がないこと。
B必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。
C日本周辺の地域において、そのまま放置すれば日本に対する直接の武力攻撃に至るおそれがあって日本の平和と安全が脅かされて重要な影響を受ける事態(周辺事態)が発生すること。
となります。

もともと、国際法上の集団的自衛権とは、アメリカが武力攻撃を受けた場合にアメリカの要請があれば、自衛隊も地球の裏側まで行って、米軍と一緒に戦うことを意味しています。

これに対して、日本国憲法の平和主義の理念を踏まえた「日本型集団的自衛権」なら、歯止めが明確となっており、多くの国民の理解が得られるのではないかと思われます。                
(元内閣官房副長官、元外務副大臣、元防衛政務次官)



2014年02月09日

◆海外で慰安婦宣伝は愛国美談

黒田 勝弘

 
在韓日本人たちはこのところ「韓国はまるで“慰安婦共和国”だな」とあきれている。今年も年明けから韓国マスコミは毎日のように慰安婦、慰安婦、慰安婦…である。

たとえば昔、日本軍相手に慰安婦をしたという老女が亡くなるとマスコミはトップ級の大々的報道だ。まるでスター扱いである。確かに彼女らは今や反日支援団体やマスコミによって“反日スター”に祭り上げられているのだが。

新年のあいさつだろうか外相はマスコミを引き連れて元慰安婦たちを激励訪問し、女性家族相はフランスで開かれたアングレーム国際漫画祭に出かけ、自ら主導したという慰安婦問題を描いた韓国人の作品展を直接、視察している。

フランスでは韓国人留学生が慰安婦問題で日本非難の署名運動を始めたと、エッフェル塔を背景に得意げに語る姿も紹介された。

韓国系市民による米国での慰安婦像設置問題も依然、精力的に報道され、米下院外交委員長が慰安婦像を訪れたという風景なども新聞の1面トップを飾っている。同じ米国発では、慰安婦支援と日本非難の先頭に立ってきた日系のマイク・ホンダ下院議員が次の選挙で落選しそうだと、在米韓国人たちが支援に立ち上がったという話も大きく伝えられている。

実は近年、韓国内では一般国民には反日昔話は人ごと(?)になりつつある。そのせいかこうした海外に出かけての反日言いふらしや“反日告げ口”が盛んだ。それをマスコミが“愛国美談”として好んで伝える。外国で日本を非難することが愛国というわけだ。

慰安婦問題は表面化してから約20年になるが、当初は必ずしもこんな意気揚々、得意げな雰囲気ではなかった。たとえば1993年8月、例の「河野談話」が出て日本の謝罪で韓国政府(金泳三政権)がこれを評価し、外交決着を“宣言”した際、韓国マスコミにはこんな社説が出ている(朝鮮日報8月5日付)。

「過去のために今日、明日のことが一歩も進まないという状況は現代的外交ではない。問題があれば並行して議論するという姿勢が必要だ。従軍慰安婦問題はその性格上からも愉快なことではない。日本政府の謝罪を契機に補償はわれわれが引き受け、この恥ずかしい過去の章をもう閉じてはどうか」

以前は慰安婦問題を自らの問題として「愉快ではない恥ずかしい過去」とする声があり、それが堂々と言えた。しかし今や海外にまで出かけて日本非難で高揚する愛国主義だけが蔓延(まんえん)するなか、こんな“恥”の発想が出る余地はない。

慰安婦問題はこの時、外交的には解決しているはずだ。次の金大中大統領も1998年10月、小渕恵三首相との日韓共同宣言で日本が過去を謝罪、反省したことを高く評価し「これで過去は清算された」と語っている。慰安婦問題も外交問題にしないとの方針を明らかにしている。

これらは当時、日韓双方のマスコミで伝えられているが、韓国側はそれを無視し問題を蒸し返してきたのだ。日本の国民感情に疲労感が残るのは当然だろう。

年初に元慰安婦の老女が1人亡くなったことで、韓国政府への登録者は55人になった。これまでの登録者総数は237人。うち過去に日本の官民共同の「アジア女性基金」から補償と歴代首相の慰労・謝罪の書簡を受け取った人が61人いる(ソウルの日本大使館筋)。これを拒否した老女たちと支援団体によって今まで問題が続いている。コトの経過を知れば、韓国側の無理がよく分かる。(在ソウル)

産経ニュース【緯度経度】2014.2.8

◆中国の研究開発費は世界第2位へ

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

(平成26(2014)年2月7日(金曜日)参/通巻第4141号) 
 
中国のR&D(研究開発費)は米国に次いで第2位へ躍進したが、  ほぼ軍事技術開発のため、内容はまったく不透明

世界のR&D(研究開発費)の統計をとる米国科学評議会は、2011年の世界のR&D総額が1兆4350億ドルにのぼったことを明らかにした。(2月7日、「ザ・ヒンズウ」)。
 
2007年のそれは7530億ドルだった。このうちの37%が米国だった。ちなみに同年の中国のR&Dは240億ドルにすぎなかった。

2011年統計で米国が4240億ドル、中国が2080億ドルに躍進しており、世界第2位(世界全体の15%)、つづくのが日本(10%)、ドイツ(7)、フランス(4)、英国(3)、韓国(2)と上位7位で世界全体のR&Dの72%を占めており、この列に続くのがロシア、台湾、イタリア、カナダ、印度、豪、スペインの順番となっている。

それにしても中国の発表数字は不透明で、特許出願件数は多くとも、実際に特許として認められているのはすくなく、R&Dの中身は不明。主として軍事技術開発に宛てられていると推計されている。
         

◆名門ケネディ家の蹉跌(下)

平井 修一


ケネディは43歳で大統領になった。選挙で選ばれた大統領としてはケネディが史上最年少である。1961年1月20日に第35代大統領に宣誓就任した。父親はそれを見届けるとこの年、73歳で脳梗塞の発作を起こし、言語と身体が不自由になり第一線を退いた。

ケネディは1963年11月22日に遊説先のテキサス州ダラスをオープンカーでパレード中に狙撃され、暗殺された。父親はさぞ落胆したろう、1969年に亡くなった。

ケネディは1950年代後半から義弟ローフォードから紹介されたマリリン・モンローと不倫関係になり、大統領就任後も不倫を続けていたことが、ローフォードやモンロー家の家政婦などにより証言されている。並行してジュディス・キャンベルとも不倫を重ねた。

モンローは1962年5月19日のケネディの45歳の誕生パーティーに、体の線が露わなドレスで赴き、「ハッピーバースデー」の歌を披露した。この際に、ケネディとモンローの関係を快く思っていなかったジャクリーンは、パーティーにモンローが来ると知ってあえて欠席した。

ジャクリーンの両親は彼女の幼少時に離婚し、母ジャネットはヒュー・D・オーチンクロスと再婚した。オーチンクロスは本邸の他に別邸としてハマースミスファームに広大な屋敷を構えており、穏やかな自然に溢れたその環境をジャクリーンは愛した。

ケネディとジャクリーンの結婚生活は問題だらけだった。ケネディは多くの不倫問題を抱えていたし、ジャクリーンのほうも義弟ロバート・ケネディと不倫した。ジャクリーンはケネディ一族の活動的で幾分粗野な性質を好まなかったというが、不倫には寛容だったのかどうか。

ジャクリーンは米国史上最年少でファーストレディとなり、その生活の全てを詳細に調査され、スポットライトに晒される生活を強いられた。国内においても国際舞台においてもファッションの象徴となったが、ケネディはジャクリーンの浪費癖を嫌っていた。

ケネディ暗殺後、ジャクリーンは悲嘆に暮れ、1年間公の場に姿を現さなかった。その後、彼女はプライバシーを守るため静かな隔離生活を強いられることとなり、自由な生活を失った。ケネディの死から終生逃れることができず、常に暗殺の影におびえるようになった。

義弟ロバート・ケネディが1968年6月6日に暗殺されると、ジャクリーンは「ケネディ一族がターゲットにされるなら、次に狙われるのは自分の子供たちだ」と不安を強め、アメリカを去らなければならないと決心した。

ジャクリーンはギリシャの海運王アリストテレス・オナシスと交際していた。オナシスにはジャクリーンが求めた財力と保護する力があり、ジャクリーンにはオナシスが渇望した社会的地位があった。オナシスはジャクリーンと結婚するため、オペラ歌手マリア・カラスとの関係を清算した。1968年10月20日、ジャクリーンはオナシスと再婚し、シークレットサービスの保護対象から外れた。

オナシスとの結婚でも問題を抱えた。そもそもこの結婚には愛がなかった。夫妻が一緒の時間を過ごすことは滅多になかった。オナシスはジャクリーンの連れ子キャロラインやケネディ・ジュニアと良い関係を持ったが、ジャクリーンのほうはオナシスの連れ子とうまく付き合えなかった。

ジャクリーンは大半の時間を旅行と買い物に費やした。このジャクリーンの浪費癖はケネディを激昂させたものだが、オナシスもジャクリーンと離婚しようと考えるようになった。だが1975年3月15日に69歳で死去し、46歳のジャクリーン、18歳のキャロラインに莫大な遺産を残すことになった。

ジャクリーンは後年、ダイヤモンド商のモーリス・テンペルスマンと穏やかに暮らし、1994年5月19日にニューヨークのアパートで静かに死を迎えた。亡骸は飛行機でワシントンDCに運ばれ、アーリントン国立墓地に眠るケネディの隣に埋葬された。

祖父は金欲、父親は色欲、母親は物欲で、長女のキャロライン・ケネディ(55)はうまく育ったのかどうか。1957年11月27日にニューヨークで生まれ、1960年ケネディが大統領に選出された翌年、ホワイトハウスに入り、大統領の娘として世界的な関心を集めた。

1963年11月に父が暗殺されると母とニューヨークに戻り、彼女の保護のもとでメディアの報道合戦に巻き込まれずに暮らした。名門ラドクリフ大学(1999年にハーバード大学と統合)を卒業後、コロンビア大学ロースクールを卒業して法務博士となり、弁護士資格を得た。

メトロポリタン美術館在職中にエドウィン・シュロスバーグと出会い、1986年に結婚した。結婚後も旧姓のままである。子供は長男のみのようだ。

成人後はケネディ記念図書館の館長やハーバード大学ケネディ・スクールの顧問を務めた。キャロライン自身が直接政治活動をすることは少ないが、2008年の大統領選挙では叔父のエドワード・ケネディ上院議員とともにオバマへの支持を表明した。

駐加大使候補にもたびたび擬せられたが、ニューヨーク州選出のヒラリー・クリントン上院議員がオバマ政権で国務長官に就任することが明らかになると、その後継に意欲をみせた。

CNNなどの共同世論調査では、過半数が「ケネディは上院議員になる資質を備えている」と答え、またケネディがヒラリーの後継となることには52%が肯定的、42%が否定的な反応を示した。しかし2009年1月になって一身上の都合により上院議員の補填指名を受けることを辞退した。

2013年の春頃からジョン・ルースに代わる駐日大使への起用が取り沙汰され、同年7月24日にホワイトハウスが駐日大使への起用を発表した。10月16日の上院本会議で承認され、11月12日に国務省で宣誓式に臨んだ。

同月19日の皇居での信任状捧呈式を経て正式に着任した。信任状捧呈式においては、今上天皇、外務大臣、宮内庁式部官長ら接受する日本側が昼の正礼装で応対したにもかかわらず、ケネディは外交慣例を無視して正礼装を着用せず、七部袖・膝上丈スカートにショルダーバッグという平服で皇居に現れた。

同年12月26日に安倍晋三総理が靖國神社を参拝すると、ケネディ率いる駐日アメリカ大使館は「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している」とのコメントを発表し、安倍総理に対する失望感を露わにした。

2014年1月18日、和歌山県太地町で行われているイルカ追い込み漁に対し、Twitter上で「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」というメッセージを発信し物議を醸した。

なお、シーシェパードの弁護士ロバート・F・ケネディ・ジュニアとは親戚の関係にある。

ニール・ダイアモンドの「スイート・キャロライン」はキャロライン・ケネディのことを歌った曲だという。1969年に発表されたから彼女が12歳の時だ。

さぞ可愛かっただろうが、それから43年、父の死から50年たって駐日大使になったものの、「外交素人であり、北朝鮮や中国と外交的緊張を高める日本の大使としては力不足」「日本への侮辱であり、プロ外交官への打撃である」といった米国内の当初の酷評どおりになりそうな雲行きになってきた。

ニューヨークポスト紙はキャロラインの個人資産は「2億5千万ドル(250億円)から5億ドル(500億円)の間ではないか」という専門家の見方を紹介している。ポスト紙の分析によると、投資や配当などで年間1200万〜3千万ドル(約12億〜29億円)の収入もあるという。米国の金持ちセレブには日本の庶民の気持ちは分からないだろうな。

靖国神社に参拝し、その後、浅草でクジラ料理を賞味してみれば日本人の心が多少は分かるかもしれない。国家、民族にはそれぞれの歴史、文化、伝統がある。人種のサラダボールであるアメリカは多様性を受け入れることで大国になった。信仰や食文化というデリケートなことに不用意に手を突っ込むというは無礼である。

キャロラインが靖国参拝すれば日中韓の緊張は緩む。歴史に残るスマート・キャロラインになれるだろう。それでなければただのスィリー・キャロラインで離日することになる。
(おわり)(2014/2/2)


2014年02月08日

◆中国人1500万人が海外へ移住した

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

〜平成26(2014)年2月7日(金曜日)貳
                  通巻第4140号〜 

 中国の経済危機の要因に「移民」による人材とカネの海外流失もある
  公式統計だけで930万人が海外へ移住した

「無能な人と貧乏人は中国に留まり、有能な人材と富裕層は海外へでる。移民が改革開放の波にのってブームとなり、いずれ中国はバカと乞食しかいなくなる」

こういう冷ややかなジョークが中国の庶民の間に拡がっている。それほど海外への移民が凄まじいのである。

世論調査によっても、中国人の過半は「中国から出たい」が夢だという。習近平が獅子吼する「愛国主義による中華民族の復興」が「中国の夢」とは天地の懸隔がある。

大学でも論文は盗作が多く、教授に取り入れば優秀な成績、あるいはニセの卒業証書を取得して、これらの「ニセ秀才」が官位につき、あるいは国有企業に入り、従って中国の国家運営もニセモノたちが繕(つくろ)うことになる。

統計数字も企業報告もいい加減となり、会計報告はまったく信頼できない。米国系の監査法人が厳格に会計検査をおこなったため、中国企業幹部が激怒、中国から追放された。

毒入り食品、ニセモノのミネラル・ウォーター。中国製食品は危ない。名品とされた「農夫山水」を検査したら水道水より水質が劣化していた。子どもが即席ラーメンを食べたら食中毒で3人が死亡、粉ミルクで赤ちゃんの死亡事故も夥しく、だから日本へ来ると明治粉ミルクを大量に購入するなど富裕層は食材を海外から求める。

庶民の不満は体制の矛盾、特権階級の肥大化にあり、本物の改革を希望するのだが、海外で成功した華僑らは、なぜカネをもって帰国し、国家の再建に協力しないのか?

それは民族の魂が不在であり、愛国心が無いからではないのか。

少なく見積もっても930万人の中国人が海外へ出た。実態はおそらく、1500万の中国人が世界各地へ散った。

才能のある人が活躍できる公平な機会が無く、カネのある人は財産管理の安全に問題があり、結局は海外に出るのが得策という判断となる。

これらの歎きが新聞の投稿欄を埋める(たとえば『華人週報』、2014年2月6日号)。

こうして有能な人材と富裕層の海外脱出を「移民」というタームでくくるのは問題があり、本質に横たわる中国の経済危機の主因の一つは夥しい移民である。

移民という美名の下、じつは海外脱出であり、これは中国経済に深刻な悪影響をもたらすだろう。
    

◆政治的独立は反政府反権力を意味せず

池田 元彦


籾井勝人NHK会長の就任記者会見で「従軍慰安婦は何処の国もあった」、「韓国との補償問題は全部解決済」、特定秘密保護法は国会で既に「通ったこと」、「尖閣、竹島で日本の立場を主張するのは当然」と質問に応え、毎日・朝日等が首を取るチャンスとして騒いだ。

朝日は「NHKは政府でなく、受信料を納める国民の方に向け」、毎日は「政治的中立を疑われうる不用意な発言」、東京は「権力側の言い分を押し付けるなら(NHKの)存在意義はない」と主張した。皆的外れの主張だ。国民の大半がマスコミの主張を疑いつつある。

共産中共等とは異なり、日本は国民が国会議員を選び、国会議員が首相を選ぶ。政府は国民の負託に基づき政策遂行をする。受信料をNHKが強制的に徴収出来るのは国民の負託を受けた政府のお陰だ。ならばNHKが政府方針を大枠受容れ報道するのは当然だ。

寧ろ、自ら探求・検証もしないで「南京事件がなかったと言う」、「両国が主張する領土問題」等と相手国の主張を鵜呑みにして、「日本が戦前に逆戻り」とか「戦争準備をしている」と云った出鱈目を振り撒く。軍事費を拡大し、横暴に領土、領海を主張するのは誰だ。

要するに朝日以下のマスコミは、日本憎し、日本政府嫌いと言い、中韓の言うことは何でも正しい、それに従わない日本政府は危険だ、国民に振りまき、それを新たなNHK会長にも押し付けようとしているに過ぎない。これ迄のNHK偏向報道を継続させたいのだ。

戦後レジームらか脱出するという、日本国民待望の安倍政権を敵と見做し、一方で自衛隊を暴力装置と切り捨てる官房長官や、体当たり漁船船長を釈放させその言い訳を沖縄検察に押付け、原発被害を過大に誤魔化し、復旧の邪魔をする首相を応援した罪は大きい。

日銀や内閣法制局の独立性も国民に誤解させている。政策を決定は国会と内閣の責任だ。政府方針の範囲内での専門的技術的意思決定をするのが彼らの責務だ。政府の方針から遊離・独立する処か、唯我独尊を独立性として憚らないなら、何のための組織、指揮系統か。

今回のNHK会長糾弾が不発に終わり、長谷川新経営委員を標的として毎日が騒ぎだした。「拳銃発射テロ行為をした人物を礼賛」したとして、長谷川委員を失脚させようとした。何のことはない。朝日新聞に「蚤の会」と揶揄され、抗議自殺した右翼を追悼した件だ。

当該右翼の拳銃自殺を、恰も拳銃を乱射してテロ行為を働いたかのような印象操作をし、当該右翼の追悼文を書いた長谷川委員を貶め、併せて右翼・危険のレッテル貼りの魂胆だ。三島由紀夫の自衛隊覚醒と屈辱を受けた抗議右翼の自殺の違いは有るが、その程度だ。

世論を遍く起こし、万機公論に決する手助けが社会の木鐸であるマスコミの責務だ。国民の意向を汲取りかつ政府の主張を遍く国際社会に浸透させるのがNHKの責任だ。政府の主張を蔑にし、諸外国の主張を垂れ流すのは、国益無視・国民無視の中立性だ。

対外政策に於いては「国益」を、国内政策では「公益」を、そして国民に関わる政策では「社会的弱者や善良誠実な日本国民の私益」の観点でこそ、報道すべきなのだ。国際社会は、各国国益の鬩ぎ合う処だ。国の形態が何であれ、各国メディアは自国の国益を先ず報道する。国民に周知徹底する。日本は一党独裁の国家ではない。我政府は敵ではない。


2014年02月07日

◆答えになっていない慰安婦想定問答

阿比留 瑠比


当時のメディアも国民も随分甘くみられていたものだ−。平成5年8月、政府が慰安婦募集の強制性を認めた河野談話と慰安婦に関する調査結果報告を発表するに際し、内閣外政審議室がまとめた「想定問答」を情報公開請求で入手し、一読しての感想である。

A4版22枚、計36問にのぼる想定問答は、記者会見で出るであろう質問を予想し、それへの模範解答を記している。当時の河野洋平官房長官への事務方からの説明にも使用された。

ところが、内容はというと事実認定の部分は非常に曖昧で、明らかな嘘まで混じっていたのである。

例えば「韓国に対しては、発表案文について事前に協議しなかったのか」という問いには、こんな模範解答が示されている。

「事前協議は行っておらず、今回の調査結果はその直前に伝達した」

だが実際は、河野談話も調査結果報告も原案段階から韓国側に示し、その修正要求を大幅に受け入れたのみならず、韓国側が提示した文節そのものを採用した部分もあることが、産経新聞の取材で判明している。(今年元日付と1月8日付朝刊紙面で既報)

これでは河野談話は、初めから国民の目を欺いて成り立ち、発表されたというほかないだろう。

また、肝腎要の「強制連行の事実を認めたのか。認めたとすれば何が根拠か」という問いへの模範解答も次のように噴飯ものだ。

「総合的に判断した結果、甘言、強圧によるなど本人の意思に反して集められた事例が数多く存在したようだとの心証を持った次第である」

慰安婦を強制連行した資料は一切出てこなかったのだから当然だが、全然答えになっていない。「心証」とは一般に「心に受ける印象」のことであり、結局は「そんな気がする」と言っているにすぎないが、想定問答ではこの言葉が繰り返し出てくるのである。

そして、強制性の有無について重ねて追及された場合の模範解答はこうだ。

「本人の意思に反して集められたことを『強制性』と定義づけるのであれば、いわゆる従軍慰安婦の募集にあたり『強制性』が存在したケースも数多くあったことを政府として認めたと理解していただいてよい」

強制性の定義・範囲を無理やり広げることで強制性は認めているが、強制連行の認定やその根拠に関しては言葉を濁したままだ。こんな曖昧な表現で真意が伝わるはずもなく、河野談話発表の翌日の新聞は「強制連行認める」(産経、毎日など)と報じ、それが既成事実化されていった。

さらに、河野談話の最大の根拠となった韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査について想定問答が「網羅的ではないにしても代表例としては十分なものであった」と評価している点も、国民をたばかるものだ。

この聞き取り調査の内容を政府は非開示として国民の目から隠しているが、これも産経新聞が入手した調査報告書で氏名や生年月日の記載すら不十分で、慰安所がない地域で働いたとの証言もあるなど極めてずさんな調査だったことが白日の下にさらされた。

もはや河野談話は完全に破綻している。日本維新の会がこれから展開するという、河野氏の証人喚問を求める国民運動に期待したい。
                        (政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2014.2.6


◆日本の積極的関与をインドの新聞は

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

平成26(2014)年2月6日(木曜日)貳:通巻第4138号 
 
インドは地政学的な戦略性を基盤の外交、政治を展開している
     日本の積極的関与をインドの新聞はどのように評価したか

1月下旬、インドを訪問した安倍首相は多くの経済支援を約束したが、インドの歓迎論調は決して浮かれすぎではなく、冷静にして戦略的な分析が目立ち、しかし熱意ある歓迎だった。

日本ではおららく初耳の言動をインドの主要紙から拾ってみる。

まず訪印前にインドのメディアのインタビューに応じた安倍晋三首相は訪問目的を次のように明確に語っていた。

「インドと日本は双方がウィン・ウィンの経済的絆を確立してきた。日本とインドは互いに海洋国家でありシーレーンの安全に主要な役割を分かち合い、この地域に於ける責任を共同で負担しなければならないだろう」(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、1月25日)。
 
訪問前日の期待が表れる。

「インドの優先課題は日本との関係強化であり、核技術協定の成立には時間がかかりそうだが、海洋軍事訓練は実現されており、また日本はUS−2をインドに供与するうえ、二国間は安全保障の定期的会合を増やすことにも合意している。

すでに谷地・安全保障局長とインドのシヴシャンカール・メノン首相補佐官との会合でも安全保障問題の協議が行われる」(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、1月25日)
 
そして訪問翌日。

「天皇皇后両陛下の6日間にわたるインド訪問は日印両国関係の深化のみならず、地球的規模での力の構造関係に影響をあたえた。両国の誠実な二国間関係の構築は、決して中国に敵対しようとする意図はないけれども、中国の敵意がもたらす偶発事にそなえるには適切なものである。

日本はインドの工業化に貢献して経済成長に資するばかりではなく、安全保障方面で死活的な意味がある」(シャンカール・バジパイ元駐米大使、駐北京、駐パキスタン大使歴任、『ザ・ヒンズー』、1月27日)

▼日本は重要な国家である

「中国は日本の援助で工業化に成功し経済大国になるや、日本への最大級の挑戦を始めた。インドは日本と、かような緊張関係に陥る可能性はなく、まして米国とインド関係の冷却部分を日本が補完し、これからのデリー・ムンバイ間の工業回廊建設に積極関与してくれるのだ。

とりわけ日本がインド北東部でのインフラ構築で前向きなことは重要である。この地域はインドが断じて中国の投資を許可しない場所である」(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、1月28日付け社説)。

「日印両国は安倍首相訪印によって劇的な共同の拡大が展望できるようになった。地政学的緊張がはしるアジア領域に於いて、両国関係の深まりが戦略的にも新しい段階に達したことは顕著である。

経済面のみならず日本とインドが安全保障面での相互会談を定期的に開催する協定も結ばれた。じっさいの世論調査で80%のインド国民が日本に好ましい印象を持つと回答し、日本のインドへの好感度は96%である。

1950年代にネール首相と日本の岸首相は両国関係の協力関係深化を話し合った。その孫がアジア全体を激励して回り、アジア諸国間との関係を深めているのだ」(ウペンドラ・ナス・シャルマ=カンプール技術工業大学前教授、『ニューデリー・エクスプレス』、1月28日)

「日本はインドにとってロシアに次ぎ二番目に重要な、毎年定期的な首脳会談を維持する国である。07年、安倍は第一次安倍内閣時代にも訪印しているが、さらに野党時代にも2011年にデリーを訪問、シン首相との友好関係を深めてきた。経済協定ばかりか、日本は米国を含む海軍の軍事共同演習など国家安全保障面での結びつきは重要であり、かつ両国は核技術協定などの話し合いに入った」
(『ザ・エコノミック・タイム』、1月27日)
 (いずれも宮崎訳)
    

◆名門ケネディ家の蹉跌(上)

平井 修一


ケネディ家は、歴史が浅く貴族制度のなかった米国にあっては「名門」とされている。「米国版ロイヤルファミリー」と言われることもある。ケネディ家を世界中に知らしめたのはもちろんジョン・F・ケネディ、第35代アメリカ合衆国大統領だ。

ケネディは1917年5月29日にアイルランド系移民で実業家のジョセフ・P・ケネディ・シニアの次男として生まれた。子供のころから病弱だった。

坪野吉孝・早稲田大学大学院客員教授によると、Annals of InternalMedicine(2009年9月1日号)にケネディは「今日でいう自己免疫性多腺性内分泌不全症II型の診断に相当すると推測される」という、ケネディのカルテを精査したレポートがあるという。

「1961年、ケネディが過去のどの大統領よりも若い43歳で大統領に就任して以来、彼は若さと活力の象徴と見なされてきた。しかし実際には、大統領就任前の若い時期から多数の疾病に悩まされており、1947年30歳の時にアジソン病(副腎皮質機能低下症)の診断を受けた。1955年38歳の上院議員の時には、甲状腺機能低下症で入院している」(坪野氏)

この病弱なケネディを支え、世界の頂点に押し上げたのは父親である。父親は禁酒法時代に密造酒の生産・販売などで財をなした。税金がかからないから安いので、この時代に米国人は飲みまくったのだ。父親は商売柄マフィアと関係を持っていたし、金があれば政界での人脈も広まっていく。

父親は巨大な資産をバックにして民主党の大物政治家となり、1932年のフランクリン・ルーズベルトの大統領選出時に財政支援をした見返りに、初代証券取引委員会委員長(1934年)、連邦海事委員会委員長(1936年)、在英アメリカ合衆国大使(1938年〜1940年)の職を得た。

ケネディは1935年に高校を卒業し、兄と同じようにロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学んだが、すぐに体調を崩し「黄疸」の診断を受けて帰国した。兄のいたハーバード大学を避けてプリンストン大学に入学したが、ここでも体調不良で白血病の診断を受け通学できなくなり入院している。

翌年改めてハーバード大学に入学した。ケネディの成績ではハーバード大学入学は不可能だったが、父親の尽力で入学できた。在学中の成績は落第ぎりぎりであった。

1941年春にケネディは陸軍への入隊を試みたが、健康状態を理由に拒絶された。そこで父親が工作しケネディは1941年9月に海軍士官に任官されたが、父親の配慮で戦場に赴くことがないワシントンD.C.の海軍情報局に配属された。

病弱だと性欲が昂進するのかもしれないが、この頃ケネディはインガ・アバドというスウェーデン女性と情事を重ねていた。スウェーデンは中立国であったが、FBIはアバドがヒトラーと会ったことがあるナチス党支持者であることをつきとめスパイではないかと疑ったため、周囲の勧めもあって2人は別れた。

父親は2人が会うことがないよう、1942年7月に海軍長官に頼んでケネディを海上勤務に転勤させた。魚雷艇操縦訓練を受けたケネディは、1943年4月に大日本帝国海軍と対峙していたツラギ島に配属され、艇長としてパトロール魚雷艇を指揮した。

ケネディ率いる魚雷艇PT109は1943年8月1日にソロモン諸島のニュージョージア島西で日本海軍艦隊の輸送業務を妨害すべく他の13艘と出撃したが、深夜になっても敵を発見できず基地に帰還しようとした。

その帰路、8月2日午前2時半にPT109は日本海軍の駆逐艦天霧に不意に遭遇し衝突した。小さな魚雷艇は引き裂かれ乗組員は海に投げ出された。ケネディは負傷した仲間を命綱で結びつけて6キロ泳ぎ、小さな島にたどり着いた。なんとか豪州軍に連絡を取り6日後に救助された。

父親はこのチャンスを見逃さず、ケネディが海軍・海兵隊勲章を受け取れるよう手をまわした。1944年6月17日付けの『ニューヨーカー』誌で記者にケネディの英雄譚を掲載させ、さらに『リーダーズダイジェスト』1944年8月号がその要約を掲載したことでケネディの名前は全米に知られるようになった。

第二次世界大戦終結後の1946年、ケネディは民主党から下院議員補欠選挙に立候補した。父親は長男のジョー・ジュニアを政界入りさせようと計画していたが、ジョー・ジュニアは1944年8月12日に海軍パイロットとして任務中事故死したため、ケネディにその役割が回ってきたのだ。

父の支援により政治資金に困ることはなくケネディは理想主義を語ることができた。精力的な選挙キャンペーンの末に大差で共和党候補を破り、29歳の若さで下院議員になった。

下院3期目の1952年には上院議員選挙に鞍替え出馬し、大差で共和党候補を破り上院議員となった。

兄の代わりに無理矢理担ぎ出されたこともあって、ケネディは政治家としての意欲や自覚に乏しかった。それに加えて無類の女好きだったこともあって、政界入りした後も気に入った女性を口説くことにしか労力を費やさず、政治のことなどは二の次という状態だった

1953年9月12日にフランス系アメリカ人の名門の娘であるジャクリーン・リー・ブーヴィエと結婚した。式のミサの前にはローマ教皇からの祝辞が読み上げられるなど豪華なものだった。

その後2年間に多くの脊柱の手術を受け上院本会議を長期にわたって欠席せざるをえなかった。妻ジャクリーンの勧めもあり手術から回復するまでの間に、8名の上院議員たちの伝記とケネディの政治家としての信念を綴った『勇気ある人々』 (Profiles in Courage) を執筆した。

同書は1956年1月に出版されるとベストセラーとなりピューリツァー賞を授与された。同書は出版当時から、ケネディのスピーチライターを務めていたセオドア・C・ソレンセンが執筆したものだとの噂が囁かれていた。コラムニストのドルー・ピアソンは1957年のABCのテレビ番組で「ケネディはゴーストライターの本で賞をとった」と発言している。

ピューリツァー賞の審査では最終選考になって突然同書が現れたことでも不正が疑われた。ソレンセンは2008年に出版した自伝の中で、自身が『勇気ある人々』の調査、執筆に関わっていたことを認めている。

ケネディは組織犯罪と労働組合の腐敗を追及する「上院マクレラン委員会」の委員を務めた。これにより最大労組のトラック運転手組合とケネディとの対立が始まったが、委員会の活動によりケネディは知名度を高めた。同時に、妹パトリシアの夫でハリウッド俳優のピーター・ローフォードとその親友のフランク・シナトラを通じて、マフィアとの関係を構築していった。

1960年1月2日にケネディは大統領候補を選ぶ民主党予備選挙に立候補することを表明した。1960年7月10日の民主党大会の初日前夜に開かれた資金調達パーティーでは、シナトラやローフォード、サミー・デイヴィスJr.、ジュディ・ガーランド、トニー・カーティスが出席し、シナトラはアメリカ国歌を斉唱し、会場をまわり代議員へケネディへの投票を呼びかけた。

7月13日に行われた1960年民主党全国大会においてケネディは大統領候補に指名された。

大統領選挙において父親の依頼でマフィアやマフィアと関係の深い労働組合、非合法組織により、買収や不正な資金調達、複数の州における二重投票など大規模な選挙不正が行われた。

またケネディは、予備選挙中にシナトラから紹介されたシナトラの元恋人で、その後ケネディの愛人になるジュディス・キャンベルを経由して、マフィアの大ボスのサム・ジアンカーナを紹介してもらい、ウェストヴァージニア州における選挙への協力を直接要請した。キャンベルはジアンカーナの元愛人でもあった。

さらにシナトラが同州のマフィアからケネディのために寄付金を募り、ケネディの選対関係者にばらまいたこともFBIの盗聴により明らかになっている。

選挙終盤にケネディ陣営の大掛かりな不正に気づいた共和党のニクソン(副大統領)陣営は正式に告発を行おうとしたが、アイゼンハワー大統領ら「告発を行い泥仕合になると国家の名誉を汚すことになる」と説得されて告発を取りやめている。(つづく)(2014/2/1)

2014年02月06日

◆ルビオ上院議員の安倍首相礼賛はなぜ

古森 義久


アメリカ政界の共和党側スター、マルコ・ルビオ上院議員の日本への姿勢

■ 靖国参拝の安倍首相を援護した米国の若手ホープ議員日米両国間の同盟の絆はまだまだ健在

1月21日にはルビオ議員は東京で安倍首相と会見した。この会見は米側ニュースメディアでも、「米側の靖国参拝に対する失望声明の後、米国政界の有力者が初めて安倍首相を訪問した」として注視された。ルビオ議員がオバマ政権の問題視した靖国参拝についてどう対応し言及するのか、関心の的となったのである。

ところがルビオ議員は安倍首相との会談では、靖国参拝に一言も触れなかった。批判めいた言葉は皆無だった。逆にルビオ議員は会談の冒頭で以下のように安倍首相への高い評価の言葉だけを送ったのだった。

「安倍首相が日本の安全保障分野での能力を高めるために下した種々の決断や取り組みを支持する。特に日本の領土に対する冒険主義的な近隣国による非合法な主張を踏まえると、安倍首相のそうした姿勢は心強い」

ルビオ議員は、安倍首相の日本の防衛強化への措置を歓迎し、中国の尖閣諸島に対する頻繁な侵入、そして最近の一方的な防空識別圏宣言などを「冒険主義的」とか「非合法」と断じた。

場合によっては韓国による竹島の不法占拠までを念頭に入れた発言だったこともありうる。しかも安倍首相の靖国参拝に対してはなんの抗議も不満も述べなかったのである。この点でもルビオ議員の対応はオバマ政権とはまったく反対だったと言えよう。

米国大手紙のウォールストリート・ジャーナルは、「靖国参拝でオバマ政権から異例の厳しい批判を受けた安倍首相にとっては、米国議会の有力議員のルビオ氏からのこうした発言はおそらく望んでいた言葉そのものだっただろう」と論評していた。安倍首相にとっては「アメリカからの援軍、きたる」だったのだ。

ルビオ上院議員の一連の発言を追うと、安倍首相の靖国神社参拝以後も明らかに日本支持であり、中国に対しては警戒し韓国には自制を求める姿勢が浮かび上がってくる。

日本の首相の靖国参拝に対するアメリカの反応は、決してオバマ政権の「失望」だけではない。「『失望』表明に失望した」という意見も国政レベルで厳然と存在するということであろう。この部分だけを見れば日米両国間の同盟の絆も、信頼の相互関係も、まだまだ健在だと言えるようだ。(終わり)
2014.02.06 Thursday name : kajikablog