平井 修一
■日本革命への工程表
日本の共産主義運動は27年テーゼ以来、コミンテルンの指令通り非合法闘争一本やりできた。32年テーゼでコミンテルンが二段階革命戦術を採用したから、まずブルジョワ民主主義革命を行って封建的権力組織を破壊し、次いでプロレタリア革命に突入する方針でやってきたが、天皇制廃止を中心スローガンとした革命闘争は、官憲の弾圧峻烈をきわめ、犠牲のみ多くして党の実勢力は再建、壊滅を繰り返すのみだ。
さらに加えて満洲事変の勃発で愛国主義、軍国主義が急速に高まり、非合法的な反国家的共産主義運動など、どこにも切り込んでいく余地がなくなった。このような情勢下で天皇制打倒、戦争反対などの公式論をふりまわして監獄に叩き込まれるのは愚劣だ。智慧のないことだ。のみならず日本に強力な陸海軍と天皇制が厳存する限り、ブルジョワ民主主義革命すら到底実現の見込みが立たない。
ところが面白いことには、日本の軍部、殊に陸軍は特異な存在だ。ほとんど大部分が貧農と小市民、勤労階級の子弟によって構成されている。将校も大多数が中産階級以下の出身者だ。したがってその社会環境と思想傾向は反ブルジョワ的だ。だからこの陸軍を背景とした、いわゆる国家革新運動は反資本主義的だ。
ただ彼らは国体問題に関する限りコチコチの天皇主義者だから、この点をうまくごまかせば陸軍は充分利用し得る価値がある。真実のコムミニストならこの点に着目しなければ嘘だ。
コミンテルンはさすがに賢明だ。35年の人民戦線戦術で各国の特殊性を認めた。合法場面の活用も認めた。それなら思い切った戦術転換をやろう。
天皇制廃止をやめて、天皇制と社会主義は両立するという理論で行こう。天皇と国民の間に介在するブルジョワ支配階級、搾取階級を取り除いて、天皇をいただいた強力な社会主義国家を建設するのだという理論で行こう。
戦争反対などいわずに、戦争好きの軍部をおだてて全面戦争に追い込み、この貧弱な国力を徹底的に消耗させ、敗戦、自滅の方向に誘導することがもっとも懸命だ。次に来るべきものは我々の注文通りの敗戦革命ではないか。
これで政治謀略、思想謀略の戦術はできたが、具体的にどんな手を打つか。
第一に、軍閥に理論体系を与えて政治の実権を握らせる。そして議会と政党を骨抜きにする。
第二に、官僚を軍部に同調させ、権力専制政治を強行させる。
第三に、日華事変を長期戦に追い込むために蒋介石との和平交渉を遮断する楔として日本の傀儡政府をつくらせる。
第四は、米英をして日本の軍事行動に干渉せざるを得ないような方向に日華事変を向けていく。
第五に、日米を絶対に妥協せしめない政治的、経済的、軍事的条件をつくる。
この謀略コースを軌道に乗せるために次のごとき巧妙な論理の魔術、すなわち「ロジックのマジック」を展開する。
1)まず満洲事変から日華事変に発展した大陸進出政策の合理性と進歩性を歴史的に理論づける。
2)米英的旧秩序の打倒、資本主義的現状維持の打倒。旧秩序と新秩序の対立を世界史的に理論づけ、国際社会と国内社会に共通の理念として展開する。
3)新しい戦争理論の創造=侵略戦争の理念的裏付け。すなわち帝国主義の揚棄、非賠償、非併合、新秩序建設、植民地解放戦争の理念的裏付け。
4)「戦争に勝つために」を至上命令として押し出し、一切の不平不満を押さえる。
5)自由主義、個人主義、営利主義の否定。犠牲的愛国心の強制。
この条項を忠実に、巧妙に、大胆に、しかして最も精力的に実践すること、これが真実のコムミニストの任務だ。
(以上の私の見解は、終戦後まとめたものではない。その証拠として、私はこの見解に基づき昭和16年2月と18年2月の2回にわたり、国会の委員会で、具体的な事例をあげて政府に警告しておいた事実を付記しておく。なお、コミンテルンの立場は、途中、独ソ戦の開始で多少変更されたことを断っておく)
■ロボットにされた近衛文麿
映画や演劇の表舞台で華やかに活躍する俳優の背後に、シナリオ作者、監督、演出者があるように、次代の変革を記録する生きた歴史にも、表面の台で華やかに活躍した「時の立役者」を陰で操る舞台監督や、その歴史の進行と性格を決めていく陰の筋書き作者、演出者のある場合がある。
つまり、変革期の表面舞台で重要な役割を演じたものは実はロボットで、このロボットは舞台裏の作者、演出者、すなわち陰の指導者の意のままに踊ったとしたら、その歴史はまさに一般世人の知らない暗い舞台裏でつくられたことになる。
日華事変から太平洋戦争へ、そして敗戦への運命の8年間の「大日本帝国崩壊史」上最も大きな役割を演じたものは、公爵・近衛文麿を中心としたいわゆる進歩的革新陣営と、陸軍大将・東条英機を主役に押し立てた軍閥政治軍人であった。
だが、その近衛は日華事変に対し「不拡大、局地解決」を考え、汪兆銘新政府を育成して東亜の全面和平拡幅を考え、日米衝突回避の平和交渉に全力を尽くしたと言う。
東條は、世紀の英雄をもって自ら任じ、その幕領とともに太平洋戦争の勝利を確信して全国民に号令し、その威勢まさに当たるべからざるものが
あった。
しかし、この二者はいずれもその志と異なった結論を出してしまった。なぜこんなことになったのだろうか。
昭和18年(1943)4月のある日、私が近衛公の私邸を訪ね、戦局、政局の諸問題につき率直な意見を述べて懇談した際、私が「この戦争は必ず敗ける。そして敗戦の次に来るものは共産主義革命だ。
日本をこんな状態に追い込んできた公爵の責任は重大だ!」
と言ったところ、彼は珍しくしみじみとした調子で、第一次、第二次近衛内閣当時のことを回想して、
「何もかも自分の考えていたことと逆な結果になってしまった。ことここに至って静かに考えてみると、何者か目に見えない力に操られていたような気がする・・・」
と述懐した。彼はこの経験と反省を昭和20年2月14日、天皇に提出した上奏文の中で、
「つらつら思うに、わが国内外の情勢は今や共産革命に向かって急速度に進行しつつありと存ぜられ候」
と言っている。近衛は過去10か年間、日本政治の最高責任者として軍部、官僚、右翼、左翼の多方面にわたって交友を持ってきた自分が、静かに反省して到達した結論は、「軍部、官僚の共産主義的革新論と、これを背後より操った左翼分子の暗躍によって、日本は今や共産革命に向かって急速度に進行しつつあり、この軍部、官僚の革新論に潜める共産主義革命への意図を十分看取することのできなかったのは、自分の不明の致すところ
だ」と言うのである。
言い換えれば、自分はこれら革命主義者のロボットとして踊らされたのだと告白しているのだ。
■道化役者=政治軍人
全面戦争への主役を演じたものは、軍閥とそのチャンピオン東條英機だ。だが、彼らは果たして自らの見識に基づき勝算あって国家の大事を決行したのであろうか。近衛の言う「無知にして単純なる政治軍人」を陰で操り、日本を敗戦革命への方向に追い込んできた精緻にして巧妙なる独自の指導部がどこかにあったとしたら、東條もまた近衛と同様に、舞台裏の筋書き作者、演出家に操られ、悲劇の主役を演じた憐れむべき道化役者だっ
たことになる。
近衛は軍部、官僚、民間のいわゆる進歩的革新論に同調して内外の安定勢力を確立し、平和への道を導き出さんと企て、逆に全面戦争の道を開き、東條は歴史上偉大なる勝利の上に軍部独裁政権の樹立を夢見てついに軍部崩壊への道を驀進した。
アジア革命への謀略面から言えば、近衛は革新陣営のホープとしての存在が利用価値であったし、東條は権力と名誉と野心の塊で、かつ軍閥政治軍人のホープであったところに最も御しやすい条件を備えていたのである。
以上大まかに述べてきたことをまとめて一口に言えば、「大日本帝国崩壊史」のおもては「軍閥官僚暴政史」であり、裏返して見ると共産主義世界革命の一環としての「敗戦革命謀略史」となる。(おわり)
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以上は本書の総論で、これから各論に入るのだが、勝田吉太郎編「日本は侵略国家ではない」(善本社)に、勝田氏が本書などを資料として執筆した「大東亜戦争とコミンテルン」があり、本書の続きとして後日紹介したいと思っている。なお「日本は侵略国家ではない」は売国奴・細川護煕の「日本は侵略国家」発言に反発して刊行されたものであることを付け加えておく。(2014/1/30)