2014年01月30日

◆慰安婦問題 黙っていても嵐去らない

古森 義久


慰安婦問題がなお日本を傷つける形で広がっています。とくにアメリカ各地での慰安婦の像や碑を建てるという運動は勢い増しています。

韓国系の勢力に加え、これまで陰の主役だった中国系勢力が表面に出ています。私自身は「だから警告したのに」という心境です。

昨年6月ごろ、「維新の会」の橋下徹代表が積極果敢な発言をして袋だだきにあうと、もう政界も言論界も、みな黙りこくって、うつむいてしまったのです。とにかくこの問題は黙っているのがベストだという態度でした。

それから半年後、結果をみてください。日本側は黙っていても、いや、黙っているからこそ、嵐はおさまるどころか、広がる一方です。 私の当時の警告をいま改めて紹介します。

<【あめりかノート】ワシントン駐在客員特派員・古森義久>

■ 黙っていても、嵐は去らぬ

慰安婦問題が日本にとってのタブーとなりつつあるようだ。外部からどんな理不尽な虚構の罪を押しつけられ ても一切、反論してはならないという空気が濃くなった感じである。

その背後にはとにかく外部からの攻撃には黙っていれば、いつしか嵐は過ぎ去るという認識 があるようだ。ところがその認識は誤りなのである。

米国でのこの問題をめぐる日本非難の動きを20年近く報道してきた体験では、日本が事実のミスにも反論せず、黙って頭を下げれば下げるほど、不当な糾弾が続くという現実を目撃してきたからだ。

証拠のない日本軍の大量強制連行説を自虐的に受けいれて謝る「河野談話」が1993年に出てすぐ、米国では「慰安婦問題ワシントン連合」という組織が登場し、連邦議会や各大学で宣伝活動を始めた。「日本軍による20万人の性的奴隷」という非難である。

この組織が主体となり、慰安婦だったと主張する中国、韓国の女性15人が2000年にワシントンの連邦地裁に訴えを起こしたことは日本側ではあまり知られていない。日本政府に損害賠償と公式謝罪を求める訴訟だった。

米国では誰でも国際法違反への訴えを起こせるが、相手が主権国家の場合、その案件に「商業性」が含まれることが条件となる。日本の慰安婦問題も商業性が認められたのだから、皮肉だった。

この訴訟は地裁から高裁、そして最高裁にまで持ち込まれ、いずれも完全に却下された。

日本政府の「この種の案件はサンフランシスコ講和条約で補償も謝罪もすんだ」という主張が06年2月の最終判決でも認められた。米国政府も裁判の過程で「講和条約で解決ずみ」とする見解を公式に表明した。

米国側の司法と行政の両方から排された日本攻撃活動は、残る立法府をその舞台に選んだ。連邦議会の下院にマイク・ホンダ議員が慰安婦問題での日本非難の決議案を出したのだ。この決議案も安倍晋三氏が最初に首相になって、慰安婦問題への発言をした結果、出されたような解説が日本側ではなお多いが、事実は異なる。

議会での慰安婦問題提起の陰の主役の「世界抗日戦争史実維護連合会」という在米中国系団体は、ホンダ氏がカリフォルニア州議会議員 だった当時から同氏に政治献金を続けて、日本非難の決議案を1999年に同州議会で採択させた。

ホンダ氏は連邦議員となった2001年からも毎年のように まったく同じ内容の決議案を提出してきた。07年に可決された決議案は4回目の試みだった。

中国政府との絆も強い同連合会も河野談話が出た翌年に結成された。対日講和条約も沖縄の領有権も認めず、明らかに日本をたたき続けることが目的の反日組織である。現在でもニュージャージー州や ニューヨーク州での昨年来の慰安婦記念碑建設をも同会自身の活動の「前進」として宣伝している。

米国での慰安婦問題での日本たたきはこうして日本側が「ぬれぎぬ」を甘受し、最も従順な時期に着実に勢いを増してきたわけだ。黙っていても、嵐は去らないのである。(産経・ワシントン駐在客員特派員)
2014.01.29 Wednesday name : kajikablog


◆日本企業の知見の略取を狙う者

宝珠山 昇


「原発ゼロ」で、安定供給電力が不足し、電気料が高騰し、日本企業が海外に出て行く、国内産業が空洞化する、などと言うが、行く先があるのか。まさか、中国や韓国はあるまい」などといって、原発ゼロ政策を支持させようとしている主張に出会いました。これらに関連して小生が引いている補助線について述べさせていただきます。

○日本企業の経営知見は、日本文明の根幹、万民平等、相互尊重、助け合い精神などに根差すもの。古くから財閥が活用し、占領軍による財閥解体命令によっても温存され、出光佐三、松下幸之助氏などが活用して大成させ、今は稲盛和夫氏などが、これらを継承している。

中国の心ある経営者はこれらを無償で活用しようとしている。これらを理解・習得できない米国の経営者などは、見えない障壁などと批判している。

仮に、原発ゼロなどによって、日本企業の知見が国内で放置され、安売りでもされれば、これらを略取し、いずれ使い捨てにすることを狙っている経営者などは諸国にあふれている。構造改革協議とか、貿易障壁の解消とか、グローバリゼーション、などといって、接近してくるのも、その一部であろう。

日本は、自由民主主義諸国からの民主主義的な手法による要請であれば、これらを排除・拒否する理由はなく、そんな力を持っていない。だからTPPなどの話し合いのテーブルについている。

中国などは、脅迫・強請・強要の手法も辞さない。歴史認識、神社参拝にさえいちゃもんをつけ、国際法によって解決済の戦争の傷跡にも、自らの悪行・弱点を忘れて、穿り出し、さらに他国の領土を侵略する、など無法無体なやり方を、相手の出方を眺めながら、実行する。それを見習っている国もある。

○日本が「原発ゼロ」になって、大喜びするのは誰か、どこの国か。最も苦しむのは、東京都民、日本国民であろう。

「原発をやっている先進国はどんどん減っている。こんな時代遅れのものはやっていられない」等と虚言を弄する候補者、「私1人で原発廃止後の代案を出せ、という方が無責任。代案は出さない!」と逆ギレしている無責任な元総理などが支援する候補者や「皆さんと一緒に国の原発再稼働、輸出を止めるためにかんばりたい」等と声を張り上げる候補者は、供託金を没収される得票数以下になることを祈る。(2014年1月29日)

◆「戦争と共産主義」を読む A

平井 修一


街には赤旗を押し立てたデモ行進が延々と続いている。インターナショナルの歌声が怒涛のごとく響いてくる。私はふと奇妙な錯覚にとらわれる。この同じ町を、同じ我々の同胞が、手に手に日の丸の旗を打ち振り、愛国行進歌を高らかに歌い、延々長蛇の列をなして通っていく姿が瞼に浮かんでくる。それがついこの間のような気がするし、また遠い昔のような気もする。

そしてあの日の丸の旗を振り、愛国行進歌を歌って通った何万、何十万かの人間はどこへ行ってしまったのだろうか。

また赤旗を押し立て、革命家を歌い、堂々デモ行進をやっている何万、何十万かの人間がどこから出てきたのだろうか。あの頃、全国民が戦争熱に圧倒されていた頃、どこで何をしていた人々だろうかと思う。

それから静かに考えてみて、大変なことに気がつく。あの戦時中、日の丸の旗を振り、愛国行進歌を歌って通った人間も、今、赤旗を振り革命家を歌って通る人間も、同じ人間ではないのかと。

そのころ、軍閥の御用を勤めていた軍需会社の重役どもの手で、工場から、職場から狩り出された名誉ある「産業戦士」が、今日は「輝ける階級戦」の指導者によって動員された革命の輝ける「前衛闘士」と名が変わっているのではないかと。

そして私はもっと大変なことに気がつく。軍需会社の重役どもを動かして産業戦士を街頭に狩り出したのも、輝ける指導者に指令して階級戦線の前衛部隊を街頭に動員するのも、同じ一つの目的のために「俺がやっているのだ」という者があったとしたら、どういうことになるのだろうか、と。

人は「そんな馬鹿なことが」と言うだろう。だが果たして「馬鹿なことが」と言い切れるだろうか。

我々は幸か不幸か、世界史の最も激しい変革期に、一個の個人として過去、現在、将来に生きていく運命におかれている。これは光栄ある試練だ。私は世界がこの激しい転換期に入った1930年頃から、頭の中にいつも新しいひとつのテーマを置いて考えてみることにしている。それはコミンテルンの究極目標たる世界共産主義革命成否の問題だ。

そして私はこの問題を考えるとき、いつでも「自分がコムミニストだったら」という立場に頭の位置を置き換え「何をなすべきか」を考えてみる。以下は右の立場から、私の頭の中に描かれてきた共産主義革命の戦略戦術論だ。

■コミンテルンの立場から見る第二次大戦

1930年と言えば、その2年前、アメリカのウォール街から巻き起こった経済恐慌の嵐が全世界を吹きまくっていたときだ。そこでまずこの経済恐慌は世界資本主義の末期的症状が露呈されてきたものと見る。そして世界の資本主義諸国家はこの経済的危機打開のために必然に帝国主義政策を露骨に強行するであろうことを前提として考える。その結果は、

1)経済的鎖国主義の強化
2)米英日独などの強大国を中心としたブロック体制の強化
3)植民地、半植民地の獲得競争
4)資本主義列国間の対立激化
5)帝国主義列国の軍備拡張競争

となり、結局は第二次世界大戦となる客観情勢が強まってきた。これがコミンテルンの立場から見た当時の客観情勢の認識だ。しからばコミンテルンはどうするか。

コミンテルンの究極目標は全世界の共産主義革命を完成することだ。そのためにはなんとしても国際資本主義の支柱をなす米英日独などの強大国を倒さなければならない。どうして倒すか。その方途に二つある。

一つは、その国の共産党勢力を強化して革命を起こさしめ、ブルジョワ支配権力を内部から覆滅崩壊せしめること。その二は、資本主義国家を外部から武力で叩き潰すことである。

ところがこの戦略戦術論から各国の客観的、主体的条件を検討してみると、米英日独いずれも共産党の力が弱く、プロレタリア革命成功の成算がない。また外部から武力で叩き潰すだけの準備と力が現在のコミンテルンにはない。

しからばどうするか。第二次世界大戦の危機について考えてみよう。

第二次世界大戦が起こることはコミンテルンのために、世界共産主義革命実現のために好ましいことか好ましくないことか。

好ましいことだ。なぜなら、資本主義国家と資本主義国家が二つの陣営に分かれて噛み合いの大戦争をやれば、どちらか一方の陣営が必ず敗ける。敗けた国は資本主義体制、すなわち現在の政治的支配権力が根底から動揺し、無秩序混乱状態となるから、共産主義革命実現の客観的、社会的条件が具備される。

勝った側でも、現代戦は一大消耗戦だから、それだけ資本主義体制は弱められる、すなわち戦時中の消耗によって資本主義経済そのものがガタガタになっている上に、最高度に高められた軍事生産機構が非常な重荷となり、これを平時体制に切り替えんとすれば必ず恐慌が起こる。

それだけ世界の資本主義体制が弱体化することになるから、第二次世界大戦の勃発は世界共産主義革命の客観的、主体的条件を百歩、千歩前進せしめることになる。

第二次世界大戦万歳!全世界共産主義革命万歳だ。ただし、この場合、ソ連は第二次世界大戦に巻き込まれないように用心しなければならない。これは戦略的に絶対必要な政治的見識だ。(つづく)(2014/1/28)

2014年01月29日

◆細川演説 軌道修正

古澤 襄


■小泉氏 代替エネルギー案がないとの批判に「代案は出さない!」と頑固節

東京都知事選に立候補している細川護煕元首相(76)と、応援の小泉純一郎元首相(72)が27日、東京都荒川区の町屋駅前などで街頭演説した。(サンケイスポーツ)

出馬表明以来、訴えのほとんどを「脱原発」に費やしてきた細川氏だったが、この日は「一番の問題は、少子高齢化が世界の主要都市で、東京が一番早く進んでいること」と町屋駅前に詰めかけた約300人を前に、福祉問題から演説を始めた。

報道各社の世論調査で、有権者が関心を寄せる政策が原発問題ではないことがハッキリしたこともあり、軌道修正。福祉や五輪などに半分以上の時間を割いた。

一方、全くぶれないのが小泉氏。鼻声ながらも絶叫調で脱原発を訴え、原発廃止後のエネルギー案がないとの批判には「私1人で代案を出せ、という方が無責任。代案は出さない!」と“逆ギレ”。JR王子駅前でも「批判にこたえる必要はない!」と言い切った。

小泉節に聴衆は拍手喝采。“元首相タッグ”で無党派層に支持を広げようとしている細川陣営だが、候補者が小泉人気に食われている。(産経)>
2014.01.28 Tuesday name : kajikablog


◆外国人と見て侮ってはならない

前田 正晶


第3200号に上西俊雄氏が、

<岡崎久彦氏から近年の駐日大使にかつてのやうな知日家がゐないと聞いたことがあり、先日は田久保忠衞氏が安倍總理の靖國參拜に對する批判のことから米國の知日派の底が淺くなったと言ふことを聽いた。>

と述べておられた。これを拝読して色々なことを考えてしまった。

知日派とは:

先ずはアメリカの知日派だが、私が体験した限りでは「非常に詳しい」か「ほとんど何も知らない」の極端な二局分離で中間派はごく少数だった。それほどアメリカ人は外国に関して関心が低く、極論を言えば自分が住んでいる州(州を意味する"state"には国という意味があるが)にしか関心も知識もない人たちが多い。故に、我が国についての知識がない者が多いのも驚くことではないだろう。

言いたくはないが、我が国でもワシントン州とワシントンDCの区別が付かない人はいたし、NYヤンキースは知っていてもNYに本拠を置くフットボールのティーム名を知っている人など例外的だろう。だからアメリカ人は日本のことを知らないと決め付ける訳には行くまいと思う。

W社は当方の在職中でも日本が最大の輸出相手国で、1兆円超の売上高の10%強が日本向けだった。それほどの会社でも日本担当部門の責任者と担当者以外には日本を深く広く理解している者はCEOを除けば、そう数多くはいなかった。

しかも、東京事務所に我々がいた以上、日本語を駆使して交渉をする本社のマネージャーは少なかったが、日本と日本人相手に如何に営業すべきかの力を備えた知日派と言える者は数多くいた。

当方は仕事の性質上アメリカとカナダの大使館の一等書記官の方々とも交流の機会があったが、彼等が知日派の部類に入るのは勿論その日本語力には驚かされた。

それはカナダ大使館などの場合は、日本に着任後1年間は近郊の都市にある日本語学校で徹底的に言葉と文化等を学んでから実務に入ってくるのだと聞かされた。アメリカ大使館でも同様なことをしているようで、一等書記官の日本語力にも敬服させられた。

だが、彼等は普段は絶対と言って良いほど日本語では語らないものだった。余談だが、1995年だったか、全く偶然に光栄にも言葉を交わす機会を得た英国大使ご夫妻の日本語力には畏敬の念さえ覚えた。

言いたかったことは、実務担当の段階にいる人たちは我が国の文化にもある程度以上精通しているし、言葉も必要にして十分な力を備えているという点だ。

だが、確実だと思うことは、彼等が大使などという次元までに達することがあるだろうかではないか。アメリカの社会構造では大使になる方はそういう階層からは出てこないという意味でもある。ケネディー大使も同様ではなかったか。

外国人の日本語力:

私は何度も「日本語は難しすぎて外国人、就中、アメリカ人には習得しきれない」と聞かされてきた。また「フランス人は英語が出来ない者が多い」とも言われていると思う。両方とも誤解であり誤認識だと思う。

誰でも必要に迫られて学べば外国語は習得出来るものであり、アメリカ人にはその必要性がなかっただけで、と言うか日本に来れば日本人で英語が解る者を雇えば良かっただけと言えると思っている。

テレビ東京に「Youは何しに日本へ」という番組がある。これは成田や関空に行って到着した外国人を選んで(後で日本語が上手い人を選んで編集したのだろう)いきなり「何をしに来たか」と問い掛けるのである。

勿論通訳も付いて行っているが、多くの場合色々な国の外国人が(譬え我が国に既に何年か滞在していたにもせよ)全く何の問題もなく日本語での問い掛けに対応してしまうのだ。これには私でさえ些か驚かされている。

前回の放映分ではイスラム教徒の少女が我が国のA代表のサッカー選手の名前を10人近く並べてファンであると日本語で語ったのにも驚かされた。決して外国人と見て侮ってはならないと痛感させられた。

同時に「もしも我が国の人が外国に出かけて行って、空港でいきなり英語で"May I ask purpose of your visiting our country?"と尋ねられ、淀みなく英語で答えられるか」とも考えさせられてしまった。

韓国人の英語力が高いことは何度か述べてきた。あの番組を通じて得た知識は「諸外国には意外にも日本語を日本に行っても不自由しないほど教える態勢が整っているのではないか」という事である。

私は「オレゴン州立大学で2年日本語を勉強してきたアメリカの青年が明治大学に留学して、何の問題もなく日本語の講義に対応出来ている」とも語ってきた。

この反対に「我が国の英語教育を2年だけ受けてアメリカの大学に留学して何の問題も生じないか」と問われて「問題ないだろう」と言えると思うか。

何のことはない。結論は「我が国も外国語教育、特に英語には疑問点が多々あり」なのである。外国の文化を学ぶ重要な手段がその国の言語である以上、改革は必要であると言って終わる。

◆「戦争と共産主義」を読む @

平井 修一


学者はよくこう言う。「あの戦争が何であったか、コミンテルン(ソ連による国際共産主義運動)の影響も考えるべきだ」。ということで数か月前からGHQが発禁にした奇書「戦争と共産主義」(1950年)を探していたが、ようやく図書館のおかげで手にできた。

「大東亜戦争とスターリンの謀略――戦争と共産主義」とタイトルが変更されており、1987年に復刊されたものである。つまり37年間も地下に眠らされていたことになる。GHQにとっての「不都合な真実」が書かれているのだ。

著者は三田村武夫である。彼の生きた日本、世界も激動期だったが、彼自身の人生もすごい。

<1899年6月 - 1964年11月。政治家、官僚。岐阜県揖斐郡大野村生まれ。内務省警保局、拓務省管理局勤務を経て、1937年、衆議院議員に当選し議員活動を開始。1943年9月6日、警視庁に逮捕される(言論、出版、集会、結社等臨時取締法違反)。

1955年2月、第27回衆議院議員総選挙に日本民主党(岐阜1区)から立候補、当選。1958年5月、第28回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補、当選。1963年11月、第30回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補、当選。正四位勲二等>(ウィキ)

波乱万丈。逮捕する側から逮捕される側になったのはどういうわけだろう。そのうちハッキリするはずだ。さあ、読んでいこう。

・・・
■まえがき

悪夢の15年――満洲事変から敗戦まで、我々日本は、まるで熱病にでもつかれたごとく、軍国調一色に塗りつぶされてきた。思えば軍歌と、日の丸の旗と、万歳の声で埋めつくされた戦争狂躁曲の連鎖であったが、この熱病の根源は果たして何であったろうか。

今日の一般常識は、軍部だ、軍閥だということになっている。東京の軍事裁判で明らかにされたとおり、この軍部、“軍閥の戦争責任”については私も異論がない。

しかしながら、この軍閥の演じた戦争劇は、果たして、真実、彼らの自作自演であっただろうか。熱病の疾患部は、たしかに軍部であったし、戦争狂躁曲のタクトを振り「無謀な戦争劇」を実演したものもたしかに軍部であったが、その病原菌は何であったか、また作詞、作曲者は誰か、脚本を書いたのは誰か、という問題になると、いまだ何人も権威ある結論を出していない。これは極めて重大な問題だ。

私は昭和3年(1928)6月から7年(1932)1月まで、内務省警保局に勤務し、いわゆる3.15事件(注1)以来、日本の思想界を「赤一色」に塗りつぶし、思想困難の叫ばれた時代の約4か年間、社会主義運動取締の立場から、共産主義の理論と実践活動を精密に調査研究する事務に携わってきた。

次いで7年10月から10年(1935)6月まで、拓務省管理局に勤務し、再び朝鮮、満洲、中国を舞台とした国際共産党(コミンテルン)の活動に関し、表裏両面の調査研究に没頭してきたが、この頃は、満洲事変後の政治的激動期で、国際的には第二次世界大戦の危機が叫ばれ、国内的には軍部の政治的進出が著しく積極化し、その裏面では、コミンテルンの極東攻勢が著しく前進態勢をとってきた時代であった。

次いで私は11年(1936)2月の衆議院議員総選挙に立候補し、爾来10か年間、今度は逆に憲兵と特高警察から追い回される立場に立ち、反政府、反軍部的政治闘争に専念し、ついに捕えられて巣鴨まで行ってきた。

この政治運動に身を投じてからの最大関心事は、激変する国際情報と第二次世界戦の嵐の中で、モスクワを本拠とする共産主義運動が、いかなる戦略戦術を展開していくか、さらに軍閥の独善的戦争推進の背後にあって、世界革命への謀略コースをいかにして推し進めていくかを、怠りなく注視し研究することであった。そして、その間に私が体験し、調査し、研究して得た結論が本書の内容である。

その内容が、今までほとんど世間に知られていない「秘められた事実」を取り上げたものなるが故に、おそらくいろいろの話題を提供し、また事件関係者の中には新しく責任問題の起こってくる人もあるであろう。この点について一言しておかねばならない。

第一に、本書で取り扱っている事件または資料、たとえば尾崎・ゾルゲ事件、企画院事件の内容、昭和研究会の性格などが、なぜ今日まで世間に知られていなかったかという点である。

これは軍閥専制政治の独善的重圧と、日本の特殊な政治環境のために、政府官憲の方針によって全く秘密のままにされてきたのである。すなわち軍部や政府に都合の悪いことは一切発表を禁止してきたし、共産党関係の事件のごとき、こと国体問題ないしは皇室に関係ある事件は、一般に及ぼす思想的影響を恐れて世間に公表しない建前になっていたのだ。

顧みて言えば、このために一般国民は、自らの運命に重大な関係を有する重要問題の前に起ちながら「目隠し」をされて、問題の本質を知る機会すら与えられなかったのである。

第二に、本書の内容に関し、ある方面、たとえば共産党関係の諸君、または謀略活動の表裏に踊った人々は、デマだ、創作だというかもしれない。しかし事実はあくまでも厳然とした事実だ。近頃「駆け出し」の共産主義者には意外な感を与えるであろうが、真実のコムミニストは、心の奥深く秘めた「われらの輝ける記録」としてひそかに誇っているに違いない。

また、謀略戦上に踊った人々が、自己の演じた役割を自認していたか否かを私は問題にしない。問題はあくまでも「客観的事実」であって、もし当人が「自分は知らなかった」「そんな考えではなかった」と言うならば、「無知と無定見を暴露」する以外の何ものでもない。・・・

第四に、私は本書を公にすることに何らの政治的意図をもっていない。本書の中には、私的関係において親しい友人も出てくる。私情においては忍び難いものであるが、事実は事実としてあくまでも公正な批判に訴えることが、過去における公的立場に立った私の責任感である。

もっとも幸福な人類社会には「嘘」と「ごまかし」があってはならない。正しい民主主義社会においては、思想と行動に「裏」「表」があってはならない。私は自分の過去の思想行動に関していかなる批判をも甘受する覚悟で本書の筆をとったのであるが、ただ一転遺憾なことは、現在の私は、今日の政治を論評する自由を持たないがゆえに、戦時中の政治責任と終戦後の政治責任の連帯性を論じえない不徹底さのあることだ。

第五に、資料はすべて私の責任において集めたものである。資料以外の事実はほとんど全部、私自身直接確認したものであることを付言して責任の所在を明らかにしておく。
(つづく)
            ・・・
注)3.15事件:田中義一政友会内閣のもとで政局安定の一助として、1928年(昭和3)3月15日を中心に共産党員が治安維持法違反容疑で大量に検挙・起訴された事件。(2014/1/26)

2014年01月28日

◆陸軍中野学校の小野田さん

伊勢 雅臣


「地位も名誉も金もいらない。国と国民のために、捨て石となる覚悟」を持った男たちがいた。


■1.「30年間もジャングルで生き抜いた強い意志は尊敬に値する」

小野田寛郎(ひろお)さんが1月16日に亡くなった。昭和19年末、 22歳にして、米軍上陸間近のフィリピンのルバング島に送られ、「離島 残置諜者」として、米軍占領後のゲリラ戦指揮を命ぜられた。

以後、30年間、ジャングルに立て籠もり、戦後のフィリピン警察軍による93回の討伐にも屈せずに戦い抜いた。その間、姉や兄弟による現地 での呼びかけにも応じず、最後に元上官からの「命令」を受けて、ようやく投降した。

投降後、小野田少尉はマルコス大統領に「30年間もジャングルで生き 抜いた強い意志は尊敬に値する」と賞賛され、過去の行為はすべて赦された。[a]

それから40年、小野田さんの逝去に、米紙ニューヨーク・タイムズは 評伝を掲載し、小野田さんが任務への忠誠心と忍耐力を体現し、「戦後の繁栄と物質主義の広がりの中で、多くの日本人が失われたと感じていた誇りを呼び覚ました」と評している。[1]

小野田さんは「軍国主義教育」で鍛えられた、と思い込みがちだが、事実は異なる。中学校を卒業すると、貿易商社に就職して中国の武漢に赴任し、英国製の背広を着て、米国車に乗り、夜のダンスホールに入り浸る生活をしていた。

中国娘を口説けるほど中国語ができるのを買われて、陸軍の諜報員養成機関、中野学校に送られ、そこでわずか3ヶ月の特訓の後に、フィリピンに向かったのである。

この若きプレイボーイを、マルコス大統領やニューヨークタイムス記者も賞賛する戦士に変身させた陸軍中野学校とは、どのような学校だったのだろうか。


■2.「本日から、いっさい軍服を着てはならぬ」

陸軍中野学校(当初は「後方勤務要員養成所」)の第一期生が集められたのは、昭和13(1938)年春だった。陸軍大臣命令で、各部隊に「1名ないし数名の部隊最優秀者を要員候補として推薦するように」との指示が出され、その中から、家族関係、思想傾向などの審査、および面接の結果、20名が選ばれた。当時の日本における最優秀の若者たちと言ってよい。

選ばれた20人は上京すると、「平服で靖国神社の第二鳥居の下に集合 せよ」と命ぜられた。定刻に集まっていると、背広姿の紳士が迎えに来た。一人があわてて挙手の礼をすると、「平服で、敬礼する奴があるか」と小声でたしなめられた。

その紳士に連れられて、小学校の分教場のような古い二階屋に辿り着いた。その中には、6つの部屋があり、教室が一つ、小使い室一つ、事務室が2つ、兵隊ベッドの並んだ寝室が2つあった。

そんな薄汚い建物に連れ込まれて、「本日から、いっさい軍服を着てはならぬ」と申し渡されたので、誰もひどく情けない顔をした。


■3.「その地に骨を埋める覚悟で定住し」

専任教官は3人いた。そのうち学校設立の中心人物の一人で、所長の秋草俊中佐が背広姿で、こう述べた。

「諸君も知ってのとおり、戦争の形態は、野戦から国の総力を結集して戦う、総力戦態勢に移行しつつある。したがって軍情報も、従来の大公使館付き武官からの軍事情報だけでは十分ではない。

政治、経済、思想、宗教等、広範囲の情報を必要とするのだが、武官は2年ないし5年で異動する。1ヵ所に定住するということがないから、その国の人物風俗にもうとく、また軍人は、なんといっても社会常識にとぼしい。・・・

諸君は、この養成所で1年間の訓育をうけたのち、たぶん、ソ連、中国、あるいは英米と、世界各国に派遣されるだろう。そして、その地に骨を埋める覚悟で定住し、武官にさぐりえない情報をさぐるのである」。[2,p135]


中野学校は、期によって教育目的が多少違っていた。第1期生は、単独で各国に潜入し、一般市民として定住しながら、諜報勤務につかせることを目的に、訓練された。「いっさい軍服を着てはならぬ」とは、こういう意味だった。

■4.徹底した自由教育

その日から始まった生活は、およそ軍隊とは縁遠い、自由なものだった。午前10時から午後5時までは学課があったが、それ以外は自由時間で、どこに遊びに行こうが勝手だった。門限もなく、翌朝の10時までに帰れば、外泊すら許された。

ある時、2、3人で話をしている時に、秋草中佐が話の仲間に入った。何かの拍子に「天皇」の名が出たので、あわてて「気をつけ」の姿勢をとると、いきなり「バカ者っ」と怒鳴られた。


「天皇の名をきいて、直立不動の姿勢をとるのは軍人だけだ。仮におまえたちが、セビロ服を着て地方人(弊誌注:民間人)になりすましていても、それではたちまち化けの皮がはがれてしまう。・・・第一番に天皇もわれわれと同じ人間だということを知っておけ」。[1,p138]

かくいう秋草中佐は、かつては近衛師団に青年将校として勤務したエリートだったが、語学将校として外遊してからは、背広姿で特殊任務についている事が多かった。家に帰れば飯を食うとき以外は、軍歌を歌っているか、大イビキで寝ているだけ、という豪傑風で、見合い結婚した夫人が「この人はどうかしているのではないか」と新聞の身の上相談欄に手紙を出したこともあった。

しかし、実際は緻密な頭脳の持ち主で、ロシア語はじめ数カ国語に通じ、陸軍では対ソ諜報の第一人者だった。終戦時には少将として満洲ハルピンの特務機関長をしていて、ソ連が攻め込んでくる際にも「オレが逃げれば、代わりに誰かがやられる」と言って、動かなかった。

果たして侵入したソ連軍は第一番に秋草少将を捕まえ、ハバロフスクの収容所に送った。ソ連通の秋草少将が米国に連れ去られるのを恐れた、とも言う。その後の消息は知られていない。


■5.「国と国民のために、捨て石となる覚悟」

こうした教官による、天皇に関する自由な言論すら許される徹底した自由教育が、中野学校の精神だった。なにゆえに、このような自由教育がなされたのか、副所長格の福本亀治中佐は、こう説明している。

<集めたのが、全国選り抜きの秀才である。しかも彼らは、訓練を卒(お)えて外国にいけば、何十年、あるいは生涯、商人なり、会社員になっていつき、一般市民として生活するのである。誰も監視するものもなく、一人で行動するのだ。

外部から強制の、しごきや一時的猛訓練で、つけ焼き刃的にきたえあげたところで、長い孤独や、筆舌につくせぬ労苦に堪えられるものではない。

かつて気ままに行動させておいて、その自由におぼれ自己を見失うようでは、ものの役にたつはずがないから、「地位も名誉も金もいらない。国と国民のために、捨て石となる覚悟」だけをもたせるように指導して、あとは彼らの自由にまかせた。>[2,p142]

■6.「いやだったら遠慮なく申し出ろ」

秋草中佐も、1期生たちにこう説いた。

「諸君は、民間人として、外国にもぐりこむのである。検挙されることがあれば「スパイ」あるいは「間諜」という罪名で牢獄につながれ、戦時ならば当然銃殺または絞首刑をまぬがれまい。

現に日露戦争中、北京の青木大佐と結んで、敵中深く潜行して(弊誌注:兵員輸送阻止のためにシベリア)鉄道爆破を企てた民間志士、横川省三、沖禎助は、露軍の巡邏兵に捕らわれ、帝国の万歳を叫びながら銃殺されている。・・・

諸君は、かがやかしい未来を持っている。諸君の才能をもって努力したならば、未来の大臣も、大学総長も、あるいは会社の社長にもなれるであろう。

しかし、いまの日本が、国民の安全を守り、そして国の発展を期するためにもっとも必要としているのは、大臣でも大学総長でも会社の社長でもない。名利を求めず、一身一家をすてて、日本民族発展の礎石となる人物、本官が諸君に求めるものはこれである。

しかし、陸軍といえども、これを諸君に強制することはできない。もし諸君のうちに、この任務が不適当だと思うもの、あるいは「イヤだ」と思うものがあったなら、いまからでもおそくない。遠慮なく申し出てほしい」。 [1,p175]

入所して3ヶ月ほどの間に、秋草中佐から2度、他の2人の教官からも、「世界のどこで、どんなふうにして果てるかもしれないのだ。もし、いやだったら遠慮なく申し出ろ」と言われた。

■7.「国家社会に尽くしたという誇り」の無形の勲章を

この方針に関して、1期生の一人はこう語っている。

「はじめは、われわれも深く考えなかった。ところが、3月か4月して、しだいに諜報の実態もわかってくる。将来のことなども考えるようになると、(これは、ぼやぼやしておれないぞ)という気がしてきた。つまり、やる気が自然に盛りあがってきたわけで、自分から進んで学び、くふうするようになった。

夜など、町へ遊びに出ても、はじめはただおもしろいだけで、深い考えもなく、麻雀や囲碁をやっていたが、それは将来、どこでどんなふうに役だち、あるいは身を守ることになるかもしれないぞと考えると、ダンスも撞球(弊誌注:どうきゅう、ビリヤード)も、単なる遊びではなくなり、しぜん、おどろくほど上達も早くなった」。[2,p143]

1期生の間でも、自分たちの将来に関して議論し、こんな結論で皆が一致した。

「陸軍、いや、日本の国がわれわれに望んでいるのは、骨を異境に埋めて、国と人民のために働くことである。われわれももちろん、栄進などは考えてもいない。

そうなれば、たとえ少尉、中尉の吹けば飛ぶような軽い身分でも、むしろ階級はじゃまであって、なんの役にもたたない。どうせ身をすてた奉公なら、このさい、すっ裸になって、やってやってやり抜き、自分の手で自分の心に「国家社会に尽くしたという誇り」の無形の勲章を飾ろうではないか」。[2,p184]

その翌日、1期生はこぞって陸軍の軍籍をのぞいて欲しいと願い出た。教官たちは、そのあっぱれな覚悟に感激したが、軍籍のない民間人からの情報では、軍はとりあげない、と説いて、ようやく思いとどまらせた。

■8.「大事な仕事を全身でやったことを幸福に思います」

諜報員、スパイと言うと、我々がすぐに思い浮かべるのは、映画の 007、ジェームス・ボンドである。派手なアクションやスリルで観客を 楽しませてくれるが、自分が現実世界で主人公となったら、どうだろう。

映画とは違って、現実世界では使命を全うできず、途中で敵に殺されてしまうかも知れない。しかも、誰にも知られないうちに。もしジェームス・ボンドほどの能力・才能があったら、そんな危険な人生を歩むよりも、実業家にでもなって、富と名誉を得た方がよほど良い、と多くの人が思うだろう。

そういう気持ちに背を向けて、現実の諜報員が、命を懸けて使命に向かうのは、ひとえに国家のためである。007シリーズのタイトルの一つに”On Her Majesty's Secret Service”(女王陛下のための機密活動)とあるのも、そうした国家的使命感を表している。

英国では、自分の名利を度外視して、国家のために働く諜報員は名誉な仕事と考えられている。ボーイ・スカウトの創設者であるロバート・ベーデン=パウエル卿は、もともと諜報官として活躍した人で、「諜報活動こそ、男子の一生を傾けるにたる愉快なスポーツである」と言っている。[2,p37]

ちなみにボーイ・スカウトの「スカウト」とは、「偵察」とか「斥候」を意味するから、諜報活動ともつながっている。小野田さんが帰国後に自然の中で子供たちを鍛える「小野田自然塾」を始めた事も軌を一にしている。

小野田さんは帰国後、30年のジャングル生活を振り返って、「若い、 勢い盛んなときに大事な仕事を全身でやったことを幸福に思います」と語っている[a]。パウエル卿の言葉に通じている。

これも、小野田さんが中野学校で「国と国民のために捨て石となる」覚悟を固めたからこそと知れば、この言葉は理解できよう。そうであればこそ、マルコス大統領やニューヨーク・タイムズ記者の賞賛を浴びたのである。

我々、諜報活動には縁のない一般国民でも、私利私欲を離れて「国と国民のために捨て石」となる覚悟を持った名もなき先人たちの事を思い起こしてみることは大切だ。そういう人生を思い出させてくれた小野田さんに感謝しつつ、ご冥福をお祈りしたい。


■リンク■

a. JOG(437) 小野田寛郎の30年戦争
「いまの日本が失ったものを持っている戦前の日本人の生の声が聞けるか
もしれない」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog437.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. MSN産経ニュース、H26.1.18「失われた『誇り』喚起 米紙が小野田さ
んの評伝」
http://t.co/K1jD9Lj1CR

2. 畠山清行『秘録・陸軍中野学校』★★、新潮文庫、H15
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4101155216/japanontheg01-22/

◆「心の公害と近現代私観」を読む

平井 修一


■ 朝鮮

先日テレビで金嬉老が小学生のとき民族差別で、梅干弁当をひっくり返されたと、大きく映し出されていたが、差別とイジメを強調するためだろうがバカバカしい。その正反対のことを述べたい。

私の小学校同級生に都鳳龍(トホリュー)が居てトーサン、トーサンと呼ばれ人気者だった。彼は毎日梅干ならぬ醤油をかけた御飯だけ持参して居たが、弁当時間には必ず級友の旨そうなおかずをつまんで歩いた。トーサンに玉子巻や干鰯をとられても誰も腹を立てず皆喜んで分けていたのだ。

それは6年生の時であったが、私達は民族差別など少しも感ずることはなかった。同和の如く殊更に泣かん子を泣かす様に取り上げるからおかしくなる。

又、最近北國新聞“地鳴り”に「(テポドンの)Xデーが来ない事を祈る」と31歳の投稿が載っていた。こんなものを出す記者も、投書子も当時を知らぬのだから目くじらたてることもないのだが、知らぬ人が読めば本当にするのだから教へて置かねばならない。それは日本人が朝鮮人をひどい目にあわせたからそのウラミでテポドンが日本へ向くのはあたりまへといった論理である。

知らぬにも程があるし、又そんな教育をして居るのが日本だけでなく、韓国、北鮮みなそうだとすれば誠に不幸な事である。

もう一例をあげる。私の中学2年生の頃であったか、朝鮮人の部隊長が日本兵をひきつれて、支那軍を打ち破り金鵄勲章をもらったということが新聞に載り評判になった。朝鮮人は鼻高々大喜びであり一年先輩の朝鮮の生徒が喜び勇んで居たのが私も嬉しかったことを思い出す。又昭和17年頃、親友であった都鳳龍は日本名・星山直一になって喜んでいたことも懐かしい。

在満の朝鮮人はだれもかも日本名に進んでなり日本人だと言うことを誇りにして居た。500年余に亘り支那に属国扱いされ、朝鮮人といへば支那人にバカにされ続けて来たことを思へば当然のことであった。

日本から巨額の血税をつぎ込み鉄道、橋梁、工場、港湾、治水治山、又京城帝国大学など内地以上の教育施設の充実建設等々つぎ込まれた巨大な社会資本は民生向上に著しい貢献をなしている。

日本の影を消すと言って近年朝鮮総督府を破壊撤去したが誠に児戯に等しいものであろう。ならば日本から与へられた鉄道も橋も、工場も、学校も治山治水まですべて破壊して始めから出なおせばよい。

先祖のなしたやむなき条約による併合がそれほど不満なら相変わらず支那の属国であるかロシアに侵略併呑された方がよかったのだろうか、身勝手にも程がある。

言いたいことがまだまだあるが、これで朝鮮を終る。

■ 結び

英雄ジンギス汗は「後から来る旅人のために泉をきれいに保て」と諭した。祖先は子孫を思いやり風土に適ふ数々の大切なものを残してくれた。それこそ清冽なる泉である。

世界に比類なき国柄、素晴らしい固有の伝統文化の数々――家族制度や教育勅語は最も大切なものであった。それら稀少価値である泉の成分をすべて占領軍に言われるまま封建的遺物として消し去った。それはきれいな泉に汚水(毒薬)をぶち込まれたに等しい事であった。

独立後も毒の注入は際限なく、汚濁は進行するばかりで現在に至ったのである。聞くところによれば戦後ドイツは教育制度改革の押し付けに対し、ドイツの教育は伝統があり優れていると拒否したという。

そのドイツのアデナウアー首相は教育勅語を独訳して自室に掲げ人生哲学の金科玉条であると賞賛し、又台湾の大学長許國雄博士は教育勅語を学長室に飾り精神教育に大きな成果をあげて居られる由である。

(抑留されていた)シベリアで聞いた話だが、ドイツ人収容所ではヒットラーよりもスターリンの方がずっと悪い人間だと主張し絶対スターリンの肖像画を掲げなかったということである。我々の収容所には大きなスターリン大元帥万歳の絵が掲げられていた。

帰る時にはスターリンへの感謝決議や、「天皇島敵前上陸」といった集団まであった。よくいえば何でも受け容れる日本人の包容力となり、悪く言えば信念、信条の欠落、付和雷同ともいえることになる。単なるもみ手の迎合こそ最もいみ嫌ふべきことであろう。

昭和57年来日した「収容所列島」(著者)のソルジェニーツイン氏は次のような事を述べている。

「日本人はかつて激しく西洋文明の摂取につとめてきたが、同時にそのたぐいまれな民族的特性の維持にも極めて熱心だった。日本人の民族的伝統の根は、日本人にとってかつての巧みな西洋事情の摂取に劣らず重要であり、このことは現在、西洋が深い精神的危機の流れの中にあり、道義的充実性を失いつつある時だけになおさら重要である」

今こそ本然の姿をとり戻すため清き水を汚す毒を徹底除去すべき非常のときである。

明治天皇の御製を拝しよう。

よきをとり 悪しきを捨てて 外つ国に 劣らぬ國に なすよしもがな

今は勿体なくも よきを捨て 悪しきをとりて 外つ国に 劣れる國に 
なるぞ悲しき

となった 憶!
・・・・・・

中田清康氏の感動的な「慟哭の書」だ。日本を、日本人を取り戻そう! 戦後体制にはもう耐えられない。2000年の日本人の血がそう小生にも叫ばせている。(2014/1/24)

2014年01月27日

◆「心の公害と近現代私観」を読む

平井 修一


「日本をまもる会」の中田清康会長の論考「心の公害と近現代私観」を読んだ。同会は2000年(平成12年)8月、石川護国神社の参道に「大東亜聖戦大碑」を建立している。その際に雑誌「正論」の意見広告、「大東亜聖戦大碑建立に赤誠を!!」で募金を呼びかけたという。

毎年、8月初めの日曜日に石川護国神社、大東亜聖戦大碑護持会、大東亜青年塾、日本をまもる会などの主催(後援・北国新聞社、テレビ金沢、エフエム石川)で大東亜聖戦祭が開催されている。ちなみに大碑護持会会長は田母神俊雄閣下である。以下に中田氏の論考の一部を転載する。

              ・・・

昔の日本はすべて悪であったと教えらている人達のために簡単に近現代史私観として歴史認識を述べる。

それは「昔=悪」の認識が日本精神への大きな公害であると考えるからである。我国は戦争を好んで起こし他国を苦しめた軍国主義であったとされているがそれは全く間違いである。

軍国主義とは強い軍隊をもって他国を侵略し国家を発展させるものとすれば、我が国がそんな主義をもったことは一度もない。明治時代以降富国強兵の国策により自存自衛の軍備をもったために欧米侵略強国に侵されず、ひいては侵略抑圧されていた世界中の国々、又眠っていた風前の灯であった支那、朝鮮も救われたのである。

我国がその時代、侵略者に対する戦時体制、臨戦態勢の軍備と充実した気力、国民精神の健全があったならこそ日本が安全であり得たのであり、アジアが救われたのである。

日清、日露の両戦役から大東亜戦争に至るまで父祖が祖国とアジアを救った大恩を忘れ、偏向文書を読んだだけの誤った知識しかない者がしたり顔で軍国主義が国策を誤り国を滅ぼしたとか、無謀なバカな戦争を始めたとか、昭和初期関東軍の暴走とか、又軍の局部的作戦の失敗をもってすべてを日本軍の無知無能の如く罵倒したり、日本軍を悪しざまに言うことが賢明である如く浅はかな後知恵によって父祖に泥をかける者があとを絶たない。

それのみかアジアを裏切り、共産主義と英米の術策に乗り幾多日本同胞を死地に追いやった蒋介石を大恩高徳の士の如く讃えたり、平和を求める日本を戦争に引きずり込み、無差別爆撃や原爆投下の非人道で戦勝国となり、占領政策でこの様に日本人の心を壊した米国を戦後民主主義と食料を送ってくれた救世主大恩人の如く賞賛する者が殆どである。

又未だにその与へられた亡国憲法による民主主義体制を金科玉条と頂いて居ること自体その愚かさははかり知れない。

又、日本軍と蒋介石国民政府軍をあくどい謀略によって戦わせた戦争犯罪の張本人というべき中共であるにもかかわらず、日本が中国人民を酷い目にあわせ被害を与えたとばかり思い込んでいる人がほとんどである。

その上朝鮮を侵略強奪し植民地にして苦しみばかり与えたなどなど、日教組・左翼勢力、又それに思想占領された報道機関によって、戦前の父祖はアジアにひどいことをして苦しみばかり与えて来たとだけ教えられ、貢献した多くの真実を全く教えられず、誇り無き衆愚の日本人となり果てているのである。言い忘れたがソ連に至ってはその悪逆無道は言うべき言葉もない。

■満洲国

私は5年間満洲国をこの目で見て来たものである。そのときの見聞を少し述べる。

 (1)満洲人は日本人がロシア人を追い払ってくれた恩人として感謝していた。

昭和16年吉林郊外の満洲旗人(社会・軍事集団、清の支配階層)の家を訪れたとき、その家に乃木大将の写真がかけてあったのを見た。満語の出来る友人が何故かと尋ねたところ、日本軍は悪い事ばかりしたロシア軍を追い出してくれた恩人だ、日本は素晴らしい、ロシアは悪い奴だと言うことだった。私は「リーベン(日本人)テンハオ(頂好、最高)ターピーズ(ロシア人)テンハオメイヨ(最悪)」と言ふ声が何度も発せられたことが今も耳に残っている。

 (2)そのとき吉林市を流れる松花江を利用する巨大な豊満ダムの建設工事も見学して来たが、その雄大なダムの電力は今も満洲に大きな恩恵を与えていることであろう。

当時吉林郊外の龍潭山でこの豊満ダムの余剰電力を利用するため建設中であった合成ゴムをつくる電気化学工業や、泥炭を液化して石油をつくる人造石油工場も見に行ったが、その後どうなっているであろうか。どこを見てもこれら数々の事実で、日本人が満蒙で偉大な建設を成し遂げていたことがわかるのである。

 (3)その他、国都新京のすばらしい建設、満鉄沿線、南満重工業地帯、遼東半島の大連・旅順など私がこの目で確認した巨大な満蒙の開発こそ、ロシア軍を追い出して、民生の安定と向上に尽くした日本軍の偉大な貢献ではないか。

 (4)彼等(支那人)は与えられたことを少しも言っていないのだ。ソ連軍に武装解除された日本軍の兵器を譲られた恩恵を言はず、事実を知らぬ者達のペコペコ外交をよいことに、遺棄でもない化学兵器を日本軍の残した罪悪として処理させ、七三一部隊の犯罪ばかり誇大に取り上げているが、七三一部隊の立派な貢献を何一つとして言わない。

例へば原因不明の高熱で犠牲者の多かったデング熱を究明(ネズミに寄生するノミが原因であった)してその防疫に貢献したり、牡丹江の大洪水では七三一部隊の防疫給水班の大活躍で広大な地域の住民が救はれた功績など一切黙殺して居るのである。語ればきりがない。

いづれにしても馬賊・匪賊跳梁し兵争の絶ゆることがなかったこの荒れ果てた満蒙大陸を軍紀厳正の日本軍が、住民の喜び溢れる大同協和の王道楽土満洲国にしたことは厳然たる事実であり、平和の地を求める漢民族の流入によってもたらされた人口倍増こそ、何よりの証明であろう。満洲についてはきりがないので、これくらいにして朝鮮を少し書く。
(つづく)
(2014/1/23)

2014年01月26日

◆通訳の補足説明で誤解!?

内藤 泰朗


<【ロンドン=内藤泰朗】安倍晋三首相がスイス・ダボスでの会見で、日中関係について第一次大戦前の英国とドイツの関係と「類似性」があると発言した−と英紙などが報じた問題で、首相が述べていない内容を通訳が補足説明していたことが分かった。

会見に記者が同席していた共同通信が24日、報じた。首相は日本語で発言し、通訳は「われわれは似た状況にあると考えている」との文言を英語で補足したという。中国などが反日キャンペーンを展開する中、海外への情報発信の難しさを浮き彫りにした形だ。

首相の発言については、英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)のコラムニスト、ラックマン氏が22日、ブログ記事で「安倍氏は現在の中国と日本の間の緊張状態を第一次大戦前の英独の対立関係になぞらえ『(当時と)同じような状況』と述べた」とし、日中紛争が避けられないかのような印象を与えた。

報道を受け、菅義偉(すが・よしひで)官房長官は「(首相は)第一次大戦のようなことにしてはならないという意味で言っている。事実を書いてほしい」と反論していた。FT紙は24日付の論説記事でも、「1914年の欧州との比較は恐ろしく、扇動的だ」と批判した。

日本に詳しいFT紙のアジア担当、ピリング記者は「第二次大戦などでも日本に問題があるとの見解が欧米では根強い。日本の知識がない記者ほど、その流れで書く傾向が強い。センセーショナルに書く風潮もある」と指摘した。

一方、日本外交筋は「欧米での報道は一部を除き、事実を伝えるものが多かった。ただ、英国にはかつて反日ジャーナリズムがあった。記者たちが中国によるプロパガンダの影響で反日に走らないよう注意している」と述べた。

情報を発信すれば、それを逆手に取られる恐れがつきまとう。しかし、英国の有識者の間からは、「第二次大戦以降の日本の歩みは胸を張れるものだ。歴史論争の罠(わな)に落ちないよう気をつけながら、恐れず真摯(しんし)な態度で未来志向の発信をしていくべきだ。歪曲(わいきょく)されたものは必ず後で暴かれる」(エクセター大のブラック教授)といった意見も聞かれる。(産経)>

◆民進党を頼るな

Andy Chang


台湾人は民進党に頼るべきでない。民進党は台湾独立を放棄し己の利権と栄達しか考えない。それを知りながら選挙になると民進党が台湾人を代表する政党と思って投票する。民進党が政権を取っても中華民国である。民進党が統一を主張したら台湾は亡ぶ。

馬英九が政権を取って急速な中国接近を始め、今の中華民国は中国の傀儡になった。民進党が政権を取っても同じ傀儡路線を踏襲するだろう。中国の台湾統一は時の問題である。台湾人の8割以上は併呑に反対、民進党の親中政策にも反対である。それでも民進党は人民の総意を無視して中国接近を進めている。民進党は民意を無視して自党の政策を民衆に押し付けている。民衆は民進党を無視すべきである。

数日前、蔡英文のシンクタンク「小英基金会」の執行長・林全が蔡英文の同意の下で8人の幹部を引き連れて中国の対外貿易大学金融学院の討論会に参加し、台湾に戻ったあとで蔡英文と一緒に記者会見を行った。

出発前に通知もなかったので今回の訪問は台湾人にとってショックだった。民進党のホープ、16年の総統選挙に立候補すると思われる蔡英文の部下が中国を訪問した事について、(1)なぜ事前に発表しなかったか、(2)訪問の目的は何か、(3)何を討論し、どんな結果があったのか、などいろいろ評論があった。

●訪問の目的

記者会見では民進党の代表が中国を訪問したのは中国の経済状況を見るためだと説明したが誰も信用しなかった。経済問題の討論なら何も隠すことはない、透明性のない訪問が疑問だと言われている。中国の台湾統一は経済侵略から始まる。民進党の代表が訪中した裏
には秘密の交渉や密約もあったのではないか。

台湾の経済は中国に頼っている部分が大きい。20年前、中国が経済開放を始めた時は台湾の投資が主体で中国は安い労働力を提供するだけだったが、今では中国が主体で台湾は従属するようになった。

馬英九が勝手にサインした貿易サービス協定は大量の中国人を台湾に入植する計画といわれ、台湾人は大反対である。民進党の訪問は何を話し合ったのか。選挙で政権を取ったら中国にどのような見返りを要求されるのか。

●なぜ民進党は中国と交流するのか

台湾の民衆は極度に台湾が併呑されるのを恐れているが、民進党は選挙に勝つために中国の後押しを期待している。民進党は選挙のために台湾独立を放棄したといわれている。民進党が台独放棄の発言をするたびに民衆は怒り失望する。民進党はこれまでに(a)党綱領から台独を削除、(b)台独は得票できない(謝長廷)、(c)台独を凍結する(柯建銘)、(d)台独は過去のことだ(蘇貞昌)、(e)台湾=中華民国(蔡英文)など、すべて人民の独立願望を無視した発言である。

中華民国の選挙に参加するなら中華民国を認めなければならない。中華民国の選挙で台湾独立は果たせない。政権を取っても中華民国政権である。民進党は政権を取りたいから中国に接近する。

中国は台湾を併呑すると主張している。馬英九は政権を取ったあと中国接近で中国の属国化した。国民党が属国化したから民進党も中国接近で「属国化の競争」をする。中国は国民党から民進党に乗り換える必要はないが、民進党が台独を棄てて親中路線をとりだしたのは中国は大歓迎、これで両党を自在に操ることが出来る。誰も口にしないが民進党の親中路線は中国のスパイが党内で秘密工作をした結果と思う。

●中国接近の損得

馬英九が勝手にECFA(経済合作協定)を結び、続いて貿易サービス協定にサインした。台湾人民は極力反対し国民党の支持率は下落した。民進党はこれを知りながら親中路線をとっている。親中路線で人民の支持は得られない。それでも民進党の幹部は民衆の意見を無視し、中国が民進党を支持すれば選挙に勝つと思っている。中国が台湾の選挙を左右できるのは一大事である。

中国は国民党と民進党を思いのままに操れるが、台湾人民の票を左右できるとは思えない。人民が民進党に不満なら票を失うことである。選票を持っているのは中国ではなく人民であることを忘れ、人民の意見を無視し勝手な政策を押し付けるなら民進党に投票するな。

中国は台湾併呑を企んでいる。民進党が政権を取っても中国に併呑されたら中国の奴隷となるだけである。明末の将軍・呉三桂が李自成の反乱を鎮撫するため山海関を開いて満州軍を国内に導入したため、満州軍が中国を統一し、明は滅亡した。

謝長廷、蔡英文など民進党幹部の親中路線は呉三桂の教訓を学べ。民進党の代表が目的を公表せず中国を訪問したら密約を結んだのかと言う疑いが生じ、民進党が政権を取れば国民党より悲惨な結果となるかもしれない。

●台湾人は民進党に頼るな

台湾独立を棄てた民進党は台湾人の敵ではないとしても味方ではない。民進党は民意を無視して勝手な政策を人民に押し付けようとしている。

選挙になると国民党に負けられないから民進党に投票すると主張する者が多い。だが民進党は国民党と同じ親中路線をとり、人民に内容を知らせていない。今の民進党は信用できない。

米国は台湾人民が台湾の将来を決めると主張している。中国人が統一を主張すれば米国は反対できる。だが台湾人政党を名乗る民進党が統一を主張すれば米国はこれが台湾人の選択と誤解して台湾を放棄するかもしれない。国民党の現状維持より恐ろしい結果となる。

独立を願うなら民進党に期待するな。人民の総意は中華民国打倒である。中国の属国でない独立国を創立することである。この目的を達するには民進党の親中路線は邪魔な存在であることを認識しなければならない。


2014年01月25日

◆安重根は韓国の真の英雄か

池田 元彦


19日、中国は黒竜江省ハルピン駅に「安重根義士記念館」を開館し、記念式典迄行った。朴大統領のたっての要請に、銅像に加え記念館建立で、習近平が応えた。韓国の慰安婦、竹島、東海に次ぐ嘘の既成事実化で、日本包囲網を中国は、韓国を活用することにした。

安重根は日本初代首相にして初代韓国統監伊藤博文を白昼暗殺した犯罪人だ。その現場がハルピン駅構内だった。韓国は日本の首相暗殺犯テロリストを抗日の義士として英雄扱いする。1970年ソウル安重根義士記念館建設、2008年潜水艦に安重根と命名等々している。

どの国にも英雄は居る。皆、救国の英雄だ。安重根は、大韓帝国を本当に救ったのか。否、彼は大韓帝国の日本併合を早めはしたが、阻止も遅らすことも出来なかった。彼は、暗殺大義を15列挙したが、中途半端な伝聞を根拠とする杜撰な暗殺理由に過ぎない。

閔妃殺害、皇帝廃位、韓国保護化、韓国利権のロシアからの割譲、韓国軍解散、蜂起韓国義兵殺害等の全てを、伊藤博文が指示、或は主導したと短絡的誤解・曲解をもって暗殺理由としている。歴史が示す通り、伊藤の直接的関与は認められない。

鉄道・鉱山・森林・河川、土地等の強奪、教科書押収・ 教育妨害、銀行券強制発行、東洋平和の破壊を主張するが、鉄道を敷き、土地・植林・戸籍調査、ハングル教育をし、産業を興し、銅銭だけ流通する朝鮮に貨幣経済を導入し、行政の仕組みを教えたのは日本だ。

安は、日韓併合の動きを東洋の平和破壊と言うが、1905年日露戦争以降、東洋は大枠平和だった。中国本土の騒乱は、日本が主因ではない、内乱だ。要するに、安は歴史事実の知識・認識が浅く、聞き伝えの頓珍漢な情報に基づき憤り、暗殺を実行したと考えられる。

伊藤が、孝明天皇暗殺を指示したと14項目目の理由に挙げている。当時巷間に伝わる都市伝説であり、検証、裏付けもなく、日本の首相を暗殺するとは余りに軽挙妄動の極みだ。

要は確固とした事実認識無く、思い込みと単純な愛国心で犯行に及んだということだ。

韓国はこの安を抗日反日の英雄と見做す。韓国に都合が悪いことは、安の主張は反日や反天皇ではない。韓国保護領化、併合化という政策に憤っての凶行であり、孝明天皇暗殺に憤る皇室の敬愛者だ。彼は現代日本の反日左翼よりも、むしろ日本人右翼の精神に近い。

一人一殺標榜の右翼思想と安の愛国心が、看守等の同情、助命嘆願に繋がったのだ。清国人暗殺歴もあるようだ。要は暗殺要員か、幕末の暗殺浪士岡田以蔵のような存在だ。

自称中将を理由に捕虜扱を要求した。交戦地域でなく、軍服も着ず、武器も持たない文官を、隠した拳銃で白昼射殺することは、ハーグ陸戦条約の捕虜規定外だ。即銃殺が当然だ。平和な場所で、無辜の民間人を爆薬等で巻き込む中東の身勝手なテロリストと同じだ。

尚、本当に安が銃撃犯なのか。伊藤の銃創跡は、安の銃弾と一致しない。3発の銃創角度は、安の屈んでの射撃角度と真逆だ。装填最高7発の拳銃で伊藤を含め13もの被弾は、あり得ない。JFK暗殺同様、安は単なる囮であり、背景のロシア特務機関説が真相のようだ。

以上の考察からは、安は韓国の英雄と言えない。単なるテロリストに過ぎない。安重根を、菅官房長官は犯罪者と切り捨てたが、事実は事実だ。事実を単に述べたに過ぎない。

◆原発ゼロは中共を利するもの

宝珠山 昇


東京都知事選挙で都政事案ではない「原発ゼロ」を主唱する候補者がいる。彼らは原発活用を中止させ、日本を弱体化させる策略に加担させられているのではないか。

例えば、次のような補助線を引いて、彼らの言動を見てゆけば、数年前の政権交代劇などのように、騙されることが少なくなるのではないだろうか。

日本はスパイ天国と言われて久しい。原発ゼロを唱える人々が交わる人々、あるいは、彼らを取り巻く人々の出自なども確り見極めて投票したい。

中華人民共和国の指導層は、20年以上にもわたる驚異的経済成長が産んだ過剰生産力、不良品在庫、汚職の蔓延、環境災害の増大、貧富格差の増大、圧倒的多数の被抑圧層の不満増大、海外逃亡を企てる指導層の増大、などに直面し苦悩している。

国内の少数民族や資源を奪取されている諸国の覚醒も彼らの苦悩を増大させている。金正恩による張成沢一派粛清もその一端だろう。

指導層は、被抑圧層の関心・言動を、日本の歴史認識や教科書批判、靖国参拝や尖閣国有化反対などに向けさせ、眩まそうとしているが、効果が出なくて苦悶している。

先の安倍首相の靖国参拝では、米国などが異例の応援をしたにもかかわらず、日本国民や東南アジア諸国民の参拝支持の高まりを知らされ、反日行動などを抑圧せざるを得なくなっている。反日行動が反政府暴動に引火することを警戒せざるを得ない状況に追い込まれている。

領海侵犯、防空識別圏設定などは、有識諸国の批判を招き、中国への疑念を増幅した。欧米諸国もイスラム大国イランやアフリカ諸国などとの融和を加速させ、中国警戒・包囲網を強めている。安倍政権は、防衛体勢を充実し、日米共同態勢の強化に取り組み、地球儀外交を展開している。

そこで、彼らは、福島原発事故の後遺症を発症して原発政策で割れている日本に注目し、原発ゼロ勢力の応援工作を進めている。

日本の原発再稼動を止めることができれば、安定・安価な電力の供給能力は低下し、電力料金は上がり、日本企業の競争力は衰退し、先端技術を持って国外に転出し、アベノミクスは破綻する。日本再生の根元を断つことができるかもしれない。

自らは、日本の進んだ原発技術を奪取し、原発建設に利用し、諸外国への輸出に活用し、経済崩壊を先延ばしできるなど、一石数鳥の効果が期待できる。

彼らの最終的な狙いは、日本民族をチベットや新疆ウイグル族などのように使役し、太平洋への玄関口の障害を除去し、中華帝国を作ることであろう。(2014年1月24日)