2014年01月25日

◆木津川だより 浄瑠璃寺 @

白井 繁夫


大和と山城国の国境(京都府の最南端)の奈良山丘陵地の山間の地(当尾:とうのお)に、「小田原山浄瑠璃寺」(木津川市加茂町西小)通称「九体寺」と呼ばれる寺院があります。この寺が「九体の国宝阿弥陀仏」を本尊として祀る、我国で唯一の寺院です。

この寺院へ行く道は、古来より東大寺の転害門(てがいもん)から般若寺を経て笠置街道を採る「般若坂越え」、つまり南から北方へのルートと北の京から南方へ木津川を遡行して加茂道の高田より丘陵を登って南の西小(にしお:西小田原)の集落へ行く道とがありました。(私は浄瑠璃口から南へ約2kmの登りの山道、浄瑠璃寺正門(北門)へ出る道を採りました)。

あまり車や人と出会わない山道を歩きやっと小さく開けた集落に着くと、無人のスタンドには農家の野菜や柿や芋があり、子供時代の遠い昔ののどかな雰囲気に浸っていた時、一時間に一本?のバスが到着し、行楽客?の一団の賑やかな会話となり、そのご一行様は三々五々静かに佇む寺院に吸い込まれて行きました。

「浄瑠璃寺」の創建は不明ですが、嘗ては西小田原寺とも云われ、天平11年(739)聖武天皇の勅願により僧行基が開創したとか、また天元年中(978−983)多田満仲が開いたとも伝えられていますが、どちらも史料などによる正確な確証は得られていません。

浄瑠璃寺の創建、堂塔の建造.修理、法会(ほうえ)等や施行年などにつてのこの寺院の唯一の根本史料『浄瑠璃寺流記事』、観応元年(1350)寺僧長算(ちょうさん)が、当寺の釈迦院に蔵されていた本をもとに転写し、「釈迦院本の流記、貞和2年(1346)までと観応元年までを加筆、さらに末尾に15世紀の記事二つを長算が付け加えた史料(永承2年:1047〜文明7年:1475)」があります。

以後『流記事:るきのこと』と云う、を参照します。

「浄瑠璃寺」の創建は、永承2年(1047)7月18日義明(ぎみょう)上人を本願とし、阿知山大夫重頼を檀那として本堂を造立しました。(一日で屋根を葺くと記しているから、最初は小さい本堂と推察されます。)

平安時代の後期になると、釈迦の入滅後、しだいに仏法が廃れ「永承7年(1052)末法の世に入る」と云う、「末法思想」が蔓延しました。この世を救いに来る薬師如来の信仰と現世を捨てて、極楽浄土に往生を遂げようとする「浄土信仰」も高まりを見せ、大和に近いこの山間に、興福寺の一部の僧達が、草庵を建て、修行に励み、教学にも精励しました。

60年後の嘉承2年(1107)正月11日、本仏(薬師如来像)などを西堂に移します。(本尊の移動は本堂を取り壊すため)。

「浄瑠璃寺」は、寺名となる薬師如来が最初の本仏です。一体の木造薬師如来像が当初からこの寺に伝わっており、薬師如来はこの仏の浄土である東方の瑠璃光(るりこう)浄土からの教主であり、この世の苦悩を救い、西方の極楽浄土の阿弥陀仏(来迎仏)へバトンタッチする遺送仏でもありました。

新本堂の建設には約1年半を費やし、翌3年6月23日総供養が導師迎接房経源(ごうしょうぼうきょうげん)、願主阿波公公深で執り行われました。

この時の九体の阿弥陀仏像が当寺院の本尊仏となりました。ただし、この新本堂(九体阿弥陀堂)は現在の場所ではなくて、九体阿弥陀堂と安置の国宝の仏像等はこれより50年後(保元2年1157)に現在の池の西岸に移築されました。

12世紀後半から13世紀にかけては浄瑠璃寺の寺勢が最も隆盛な時代でした。即ち、久安3年(1147)摂政藤原忠道の第1子の伊豆僧正恵信(えしん)の入寺から始まります。

興福寺一乗院門跡であった恵信は、興福寺別当職就任を覚晴に先に越されたのを不満に思い、この山中の小寺に入山して、当寺の延観上人の草庵に隠棲しました。

その後は恵信の力を持って、まず寺域の境界(四至:しいし)を定め、現在の伽藍の中心となっている苑池の原型を整え、浄瑠璃寺一山の守護とするべく、一乗院の法橋信実.寺主玄実父子の墓を寺内に築かせて、(後日)当寺は一乗院の御祈願所となり、興福寺末となりました。

恵信は、保元2年10月興福寺別当に補任されており、本堂を解体して現在の池の西岸に移築した年でもあります。現在見られる浄瑠璃寺の景観は恵信の時代、基本的に完成しました。

九体阿弥陀堂と浄土庭園の一体化を目指し、治承2年(1178)には京都の一条大宮から三重塔を移築して、公式どおりの東に薬師如来の三重塔、池を挟んで西に九体阿弥陀堂の浄土庭園を完成させ、堂宇や多数の仏像も造立されました。

これら一連の大事業は興福寺別当に就任した恵信が浄瑠璃寺に関りがあって尚且つ、摂関家の力を持ってはじめて可能にした大事業だったと思われます。

治承2年には鐘楼も建立され、翌年の11月には三重塔の完成供養を一印上人空心が法会の導師となって執り行われた。(空心上人は九条兼実:摂政関白.太政大臣.九条家の祖:に寺額を依頼できる実力者です)。現在の伽藍の中心である九体阿弥陀堂.苑池.三重塔がそろった輪奐の美が平安時代の末期にここに完成しました。

12世紀末の文治4年(1188)藤原氏の氏神「春日大明神」を請け鎮守とする。『春日大社文書』によると、当時山内には「凡(およそ)当山の住僧僅に80に及ぶ」とあり、80人の住侶を統制して行く組織が浄瑠璃寺では形成されていたと思われます。

鎌倉時代以降の浄瑠璃寺について、『流記事』より少し列挙してみます。

★建久5年(1194)〜元久2年(1205)舎利講と一品経(いっぽんきょう)購読を
一千日つづけた勤修を4度おこなう。
★建仁3年(1203)2月楼門.経蔵を上棟、貞慶を導師とし、千基塔供養を行う。
★建暦2年(1212)薬師如来像に帳を懸ける。吉祥天立像(重文)を本堂に祀る。
★仁治2年(1241)馬頭観音立像(重文)造立される。(体内墨書銘)
★永仁4年(1296)弁財天像を勧請す。
★応長元年(1311)護摩堂を建立。本尊不動明王、二童子像を安置す。
★観応元年(1350)9月『浄瑠璃寺流記事』長算によって書写される。

皇族や平安貴族が極楽浄土へ往生出来るように九体の阿弥陀仏を祀る、浄土信仰が隆盛な時期に藤原道長の法成寺(無量寿院)や、白河天皇の法勝寺阿弥陀堂など京都を中心に九体阿弥陀堂が約30建立されましたが、現在当時のまま現存している唯一の寺院がここの「浄瑠璃寺」だけになりました。

寺院の来歴説明が長くなり過ぎました。山内の国宝三重塔、国宝の九体阿弥陀堂.阿弥陀仏像の参拝は、次回にさせてもらいます。

<参考資料:浄瑠璃寺と南山城の寺    日本の古寺美術 18    保育社     加茂町史          古代.中世編         加茂町>

                          (郷土愛好家)

2014年01月24日

◆「侵略定義」の言いがかり

阿比留 瑠比


小泉純一郎元首相だけでなく、菅直人元首相や生活の党の小沢一郎代表らが東京都知事選での支援を表明し、細川護煕(もりひろ)元首相が俄然、時の人となっている。これで細川内閣で官房副長官を務めた鳩山由紀夫元首相も参戦したら、民主党のトロイカ3人組の復活・そろい踏みとなり、さぞやある種の見物となろう。

ただ、筆者にとっては肝腎の細川氏の印象は薄い。細川政権当時、社会部に所属していて政治取材とは縁遠かったこともあり、どんな実績があるかと考えてもすぐには思い浮かばない。

はっきり記憶しているのは、細川氏が平成5年8月の就任後初の記者会見で、先の大戦についてこう明言したことだけだ。

「私自身は侵略戦争で、間違った戦争だと認識している」

それまでの首相も「中国に対しては、侵略の事実もあった」(中曽根康弘元首相)、「侵略の事実は否定できない」(竹下登元首相)などと侵略性を認める発言はしていたが、明確に「侵略戦争」と断じた首相は初めてだった。

対英米戦が果たして侵略なのかと、強い違和感を覚えた。その直前に、宮沢喜一政権下で出された慰安婦募集の強制性を認めた「河野洋平官房長官談話」と合わせ、政治家が歴史を安易に定義しようとする流れに実に厭な感じがした。

古い話を持ち出したのは、この「侵略」をめぐる騒動が、あれから20年もたつ今もことあるごとに繰り返されているからだ。

「侵略という定義については、学会的にも国際的にも定まっていないと言っていいのだろう」

安倍晋三首相が昨年4月にこう述べると、国内メディアは「植民地支配と侵略について反省とおわびを表明した村山談話の否定だ」と書き立て、騒ぎは海外にも飛び火した。韓国の国会は非難決議を採択し、米主要紙も一斉に首相を批判する社説を掲載した。

だが、国際法上、侵略行為の明確な定義がないのは事実である。首相は別に突出したことを言ったわけでも何でもない。

にもかかわらず、今も誤解と曲解は続く。毎日新聞は安倍首相が靖国神社に参拝した翌日(昨年12月27日)付の社説でも、こんなことを書いていた。

「首相は国会で、大戦について『侵略の定義は定まっていない』と侵略を否定したと受け取られかねない発言をした」

ほとんど言いがかりではないか。そうではなく、正当な批判だというのであれば、毎日には次の発言についても「侵略否定だ」と是非指摘してほしい。

「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略というものがどういうものであるかという定義はなかなかない」

安倍首相と同様の趣旨を語っているが、これは7年10月の衆院予算委員会での村山富市首相(当時)の答弁である。同じことを村山氏が言うのはよくて、安倍首相なら問題視するというのはご都合主義がすぎる。

首相時代の細川氏が、どこまで信念を持って「侵略戦争」と述べたのかは分からない。ただ、政治家にもメディアにも歴史をもてあそんでほしくないと切に願う。(政治部編集委員)

産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2014.1.23

◆新年の願い

加瀬 英明

 
いつも年頭に当たって、願うことが多過ぎるが、1つだけ挙げたい。

昨年12月に、イギリス人ジャーナリストのヘンリー・ストークス氏による『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)が出版された。

著者はニューヨーク・タイムズ、ロンドン・タイムズ、ファイナンシャル・タイムズ各紙の東京支局長を歴任した大記者であるが、「戦勝国史観」は歴史をあざむいており、日本は侵略国家ではない、日本は「アジアの光」であって、先の大戦によって人種平等の世界をもたらしたと、説いている。

東京裁判では「連合国こそ裁かれるべきだった」と論じて、「南京大虐殺」や「慰安婦」問題についても、日本がいわれのない非難を蒙っていることを、証している。

きっと読者の多くが、本書によって戦勝国によって強いられた、歪んだ歴史観を正されることになろう。

畏友の宮崎正弘氏が、はじめて欧米の大記者が戦後の歴史観を正した「刮目すべき本」だと、激賞している。

このまさに救世の書が1人でも多くの日本国民によって、読まれることを願った。

私はこの本の末尾に、解説を寄稿している。

「著者のストークス氏は、私の多年の親しい友人である。

1964年に、イギリスの最も権威ある経済紙『ファイナンシャル・タイムズ』の初代東京支局長を、26歳の若さでつとめた。

敏腕な記者として知られたために、67年に『ロンドン・タイムズ』東京支局長として引き抜かれ、さらに78年から『ニューヨーク・タイムズ』に移籍して、東京支局長としてだけでなく、アジア各地をひろく取材して活躍した。

三島由紀夫との親交によって、国際的に知られている。三島は1970年に割腹自殺する直前に、ストークス氏に宛てて自筆の手紙を送っている。

東京に、外国特派員協会(プレスクラブ)がある。200人近い外国記者が在籍している。ストークス氏は私より2歳年下だが、いまではクラブの最古参である。

読者は、ストークス氏の本書のなかの記述によって、目を大きく開かれる思いがしよう。私も多くを学んだ。

ストークス氏の母国であるイギリスは、アメリカと世界でもっとも親しい関係を結んでいるものの、読者は日本国民の一般的なアメリカ観と、イギリス人のアメリカ観のあいだに、大きな隔たりがあることに、きっと驚かれよう。

著者は幼い時に、アメリカの戦車隊がヨーロッパ戦線に出動する途上で、郷里の町をはじめて通り抜けたのを、道端(みちばた)に立って見た時に受けた衝撃を、つぎのように回想している。

『アイダホか、ユタか、アーカンソーか、どこから来たか知らないが、アメリカの若造が戦車でやって来て、まるで王であるかのように振舞っていた。私はあの若造たちが浮かべていた笑みを今でも鮮明に憶えている。彼らは意気高揚としていた』

『私は子どもとしてアメリカの戦車を見て、本能的にアメリカ軍が我々の国を支配するようになるのだと感じた。私たちが戦っていたドイツについてそう思ったのではなく、アメリカに対してそう直感した。そして今、アメリカは巨大な勢力となって、わが国イギリスをコントロールしている。実に不愉快なことだ』

著者も、私と同じように、親米であることに、変わりがない。しかし、日本の親米派は、アメリカの軍事力に日本の安全を委ねているために、アメリカの基地があっても、イギリス人のように、本能的な不快感を覚えることがない。

いつの間にか、日本人であることの誇りを忘れてしまっているからだ。

私はあらためて、独立国としての意識が希薄になったのは、戦後の日本国民を支配してきた、“平和憲法幻想”がもたらしたものだと思って、愕然とした。日本は、いまだに多分に心理的に、アメリカの占領下にある。薬物中毒から立ち直れないような状況だ。

昨年の3月10日に、東京大空襲67周年が巡ってきた。

東京スカイツリーがこの日に当たって、犠牲者を悼むために、1晩だけ、照明によって白1色にライトアップした。その日、地元民の有志が区内で『東京大空襲』の悲劇を訴える、手造りの創作劇を上演した。

著者は意気に感じて、これらの有志を応援するために、英文で紹介する資料を書いて、在京の外国記者に配布した。

幼年時代に、ドイツ空軍が郷里の町から遠いブリストルの市街を空襲して、夜空の底が無気味に紅に染まるのを、望見した。

本書に『東京ではあの暗く赤い雲が、何百倍となって空を染めた。その圧倒的な力は、私が見た焔の比ではなかったろう。アメリカは、そういうことをするのだ。圧倒的な戦力で、制圧するのだ』と、述べている。

著者は東京裁判を、裁いている。東京裁判が不正きわまるものだったと、憤っている。

そして、『公正という、西洋が高らかに掲げてきた美徳を、規範を、原則を葬り去って、裁判という名に値しない茶番劇』『フェア・プレーの精神を地に貶(おとし)めて、欺瞞を貫いた』『裁かれるべきは、戦勝国側だった』と、断じている。

今日、靖国神社の境内に、インドのパル判事を顕彰して、銅板の胸像が設置されている。

パル判事は東京裁判において、ひとりだけ『日本無罪論』の判決書を提出したことで、日本において有名だ。ところが、海外ではパル判事とその判決書について、ほとんど知られていない。

だが、もし、パル判事が存在しなかったとすれば、日本において東京裁判が不法きわまるものだったという見方が、ひろまることがなかったはずである。

著者は東京裁判を論じるなかで、パル判事について、まったく言及していない。どうして、日本で東京裁判を批判する時に、かならずパル判事が取り上げられるのだろうか、訝(いぶか)らなければならない。

パル判事がいなかったとしても、東京裁判が邪まな報復劇でしかなかったことは、明白であるはずだ。

この“裁判”で、日本は侵略国として裁かれたが、裁判が進行しているあいだに、イギリス、フランス、オランダの諸国軍が、日本が解放した旧植民地を、再び植民地として領有しようと企てて、侵略戦争を戦っていた。

アジア人は日本によって覚醒(かくせい)されていたから、独立を守るために、立ち上って勇敢に戦った。この事実1つだけとっても、東京裁判が不正きわまるものだったことが、分かる。

著者は、先の大戦の戦勝国史観は、歴史をあざむいており、日本は侵略国家ではなかったと、反論している。日本は数百年にわたった西洋による支配から、アジアを解放した『アジアの光だった』と、主張している。

いわゆる『南京大虐殺」や『慰安婦』問題についても、著者は日本がいわれのない非難を蒙っていることを、証している。

私は海外で講演することが多いが、南京事件、慰安婦問題について、日本から正しい情報が発信されることが、ほとんどないのに加えて、今日でも日本の一部の学校教科書に載っているために、外国人を説得することが難しい。

著者によると戦勝国史観は、有色人種を蔑視した白人優位主義から、発している。
 
それなのに、日本国民の多くの者が、なぜ、そのような史観を信じているのか、説明に苦しんでいる。

白人は日本が先の大戦で、西洋の覇権を覆(くつがえ)すことによって、アジア・アフリカが解放されるまで、有色人種を人間以下の下等な存在として見下し、さげすんでいた。

それは、酷いものだった。トルーマン大統領は、広島、長崎に原爆を投下した直後に、笑みを浮かべながら、ホワイトハウスで閣僚に対して、『獣を相手にする時には、獣として扱わなければならない(ホエン・ユー・ハブ・ツウ・ディール・ウィズ・ア・ビースト、ユー・ハブ・ツウ・トリート・ヒム・アズ・ア・ビースト)』と発言したことが、記録されている。
このような態度は、トルーマン大統領だけに限らず、欧米諸国民の圧倒的多数によって、共有されていたものだった。

著者は、日本がアジアを解放し、その高波がアフリカ大陸も洗って、今日の人種平等の世界が招き寄せられたが、日本が大戦をたたかった結果として、人類史にまったく新しい時代がひらかれたと、指摘している。

ストークス氏は、全国の各地からしばしば講師として招かれているが、聴衆から『目から鱗(うろこ)が落ちた』『日本人として、自分を見直した』という声が、あがっている。

読者の多くが、本書によって戦勝国によって強いられた、歪んだ歴史観を正されることとなろう。この良書が、ひろく読まれることを、願いたい。」

       

2014年01月23日

◆プーチン大統領訪日へ

古澤 襄


■領土交渉は大戦の結果認識重要=ロシア外相

<[モスクワ 21日 ロイター]ロシアのプーチン大統領は、安倍晋三首相の年内訪日要請を受け入れた。日ロ両国は平和条約締結交渉を近く始める。ロシアのラブロフ外相が21日、記者会見で明らかにした。

訪日の日程は決まっていない。

ラブロフ氏は、大統領が訪日しても北方領土問題を早期に解決する方策はないと明言した。

同氏は「過去数年間のロシアと日本の関係をめぐる一般的な環境が改善した」と指摘、領土交渉の再開につながったとした。

また、領土交渉の第1弾は数週間以内に都内で開催され、第2次世界大戦の結果に関する認識が重要となるとの考えを示した。

プーチン氏は大統領として2005年、首相として2009年に訪日している。(ロイター)>
2014.01.22 Wednesday name : kajikablog

◆福祉から安全保障へ:首都決戦

MoMotarou


踏まれてもついてゆきます下駄の雪
     (詠み人知らず)

      ★
「下駄の雪」は公明党かと思っていたら自民党だったのか、との想いを強くしております。昭和57年の若手研修会で田中角栄は、憲法改正の時自民と公明は一緒になると語っていました。あの保守合同をした時の心意気
はどこへ行ったのでしょうか。意外と早く安倍自民党の凋落が始まりそうです。"攻め"の迫力が無い!

■野放しの韓国中国プロパガンダ:無能外務省

米国における韓国の抱きこみ工作は金目に糸をつけないようです。まぁ後から日本より取り戻す積もりなのでしょう。在米日本人の中から、立ち上がって「慰安婦問題」に戦う人が出てきました。我国の地方議員も出かけていって抗議を行っておりますが、日本国政府の援護射撃がありません。見殺しです。

政府からは安倍首相の靖国参拝に対しては「ご説明」に伺っているようですが、印象として国のためと言うより、政権の維持のために渡米した感じを受けます。米国は余り問題にしたいとは思っていないようですが、わざわざ来られると怒ってみせる素振りをせざる負えないでしょう。逆効果ですね。

■なぜ我国日本が狙われるのか。

「戦犯国日本」の刷り込みがあり反撃が抑制されるから。日教組の勝利ですね。昔、外務省の小和田某が社会党と組んで、所謂「東京裁判史観」の権威付けをしました。今は次期天皇陛下に浸透中。

■歴史の転換が始まった

「戦後レジーム」と呼ばれていたシステムが変化し出した予感がする。シナハングルの手先と化した公明党推薦絶倫桝添さんと泡沫候補田母神としお氏との一騎打ちに持ち込めれば全国ネットでの意識改革が進むのではないでしょうか。そのためには、当選のための演説より国民に真実を伝える演説の方が盛り上がります。


■安倍の、日本の、御盾となれ!

東京都都民の多くは、今でもシナが赤坂の広大な一等地を格安で購入したのも知らないでしょう。ともかくマスメディアが飛びつくような真実を語るべきです。福祉などは金があればいつでも出来る。タモちゃんは守りより攻めの時が似合う!


2014年01月22日

◆馬鹿をバカと言って何が悪い

西村 眞悟


20日の産経新聞によると、アメリカの元国防長官のゲーツ氏が、回顧録を出し、その中で韓国の元大統領だった盧武鉉氏を「おそらく、ちょっと、頭がおかしい(クレージー)」と書いていると言う。それに対して、「韓国メディア反発」と報じられている。

ところが、自分たちのクレージーな大統領をクレージーと書かれたことに反発する「韓国メディア」と多くの韓国人は、日本に対しては罵詈雑言は許されると思い込んでいるのだ。

さらに昂じて、今の現職韓国大統領は、中共様に対して、満州のハルピン駅前に、我が国の維新の元勲である伊藤博文公を殺したとされているテロリストを讃える銅像を建ててくださいと懇願している。

とはいえ、伊藤博文公を射殺したテロリストは、韓国人が建ててもらおうとしている銅像の主ではないのだから、これこそ文字通り空騒ぎであり、いずれ韓国人はハルピンで馬鹿扱いされる。

また、中共も、韓国大統領に頼まれて、「反日、中韓連携」の為に、国内にテロリストを讃える銅像を建てるならば、いずれ、自分たちが今、テロリストと呼んでいるウイグルの愛国者の銅像が天安門広場をはじめ支那各地に建つことになることを覚悟すべきである。

我々日本人は、このような「反日、中韓連携」の状況を、彼らの脆弱性の表れと見ることが出来る。
 
アホがアホと呼ばれるのは当然ではないか。元首相の鳩山由紀夫は、ルーピーと呼ばれた。その通り。彼は馬鹿である。

よって、日本人は、彼がそう呼ばれるのは当然だと思った。それをこの度の韓国人のように、「反発」したらどうなる。日本人全体が、鳩山由紀夫のようにルーピーだということになるではないか。

このように、ゲーツ元国防長官の回顧録に韓国人が「反発」しすぎると、韓国人全体が「ちょっと、頭がおかしい」ということになるのだが、ゲーツ氏は、現職のオバマ大統領をケチョンケチョンに批判しているようなので、韓国の元大統領ではなく、ついでに、今のあの「告げ口」に熱心な韓国の現大統領についても、賢いのかアホなのか頭がおかしいのか、書いてほしかった。2014.01.21 Tuesday name : kajikablog

◆南北分断も「日本のせい」?

平井 修一


田中英道氏(東北大学名誉教授)のブログにこうあった。

<私は、東北大学で教えながら、一方でそこの留学生会館の館長のような仕事をしていたことがある。そこにはおよそ三十カ国程の各国の留学生や研究者がいたが、多いのは中国と韓国の人たちであった。よく韓国の研究者たちと話したが、彼らはよく「朝鮮が第二次世界大戦後、南北に分裂させられたのは、日本の肩代わりをさせられたからだ」と言っていた。

大戦の敗戦国、ドイツが東西に分裂したのに日本はそうはならなかった。その代わり朝鮮が犠牲になったのだ、と恨みがましく話していたのである。その頃はまだ「従軍慰安婦」のことは話題にものぼらなかった。

たしかに占領下、日本も分裂統治される危機もあったが、そうならなかった。だが、それが別に朝鮮がそうなった代償であったわけではない。ドイツは自己努力で東西が統一したが、朝鮮は相変わらず分裂したままだ。

それは朝鮮人自身の責任ではないか、と反論したが、それに答えず、日韓併合時代を含めて自分たちが日本の犠牲になったことばかりを言っていた。朝鮮人特有の“恨”の精神が、私たちの理解しがたいところにあることをその時知った。

朴槿恵大統領は、しきりに日本の「歴史問題」に触れ、日本の政治家の逆戻りする発言に遺憾の意を述べている。《慰安婦問題で、過ちはないとして謝罪をする考えもなく、苦痛を受けた人を冒涜し続ける状況では、安倍首相と会談しても得るものはない。会談しない方がましだ》などと述べている。

しかし歴史家の仕事である「歴史問題」を楯に、トップの政治家同士の話し合いを断つというのもおかしな話だ。「歴史問題」は歴史家の仕事で、今や「慰安婦」はいても「従軍慰安婦」や「性奴隷」などいなかったことの方が正しい。大統領の態度は東洋人らしい「礼節」を欠いているとしか言い様がない。

《衣食足りて礼節を知る》(管子)というが、その言葉を知っているはずの漢字圏の東洋人が、この「礼節」を失っている、ということは、彼らが「衣食」で苦労しているからということになる。なるほど、韓国の外交の焦り、そして意味のない対日攻撃も、韓国国家が経済的にも軍事的にも浮き足立っていることから来ているようだ>

夕刊フジが韓国経済の不振を伝えている。

<朴槿恵(パク・クネ)氏(61)が大統領に当選して1年が過ぎ、韓国は「破産大国」に突き進んでいる。財閥と呼ばれるグループをはじめ、企業の破産や倒産は増加の一途で、家計でも破産者が続出しているのだ。

経済対策が喫緊の課題であるにもかかわらず、朴大統領は外交ではトップセールスどころか、一つ覚えの反日で韓国の悪評を世界に売り歩き、内需不振にも無為無策。景気低迷の長期化は避けられそうにない。

「クネノミクス」。朴大統領の経済政策を表すこの言葉は、大統領選や就任当初こそ話題になったが、いまやすっかり聞かれなくなった。日本で朴大統領の政策の代名詞になっているのは「親中反日」や「告げ口外交」といった言葉だ。

一方、韓国のメディアでは「破産倍増」「不渡り共和国」という見出しが躍っている。韓国の経済メディア、マネートゥデイによると、2013年1月から11月末までに破産を申請した企業は423社、日本の会社更生手続きにあたる法定管理を申請した企業は751社。「1日(営業日)平均5.1社が資金難で倒れている」と報じた。統計作成が始まった1998年以降で最多だという。

今年に入って、東洋グループやSTX、熊津(ウンジン)といった財閥が相次いで破綻するなど、多くの企業が資金繰りに窮している。最大の輸出先である中国経済に減速懸念が広がっているうえ、アベノミクスで円安ウォン高が進んだことで、輸出企業の競争力が低下したことも痛手になった。中央日報は「大企業はサムスン電子と現代自動車を除くと事実上、非常経営体制」と報じている>(2013.12.20)

韓国大統領の任期は5年だからあと4年、朴大統領が反日踊りばかりで無為無策を続ければ、韓国経済は間違いなく破綻するだろう。「アイゴー」と泣いたところで日本は助ける必要はない。(2014/1/20)


◆煙草を掌で消した政治家

加瀬 英明


昭和32(1957)年のある日、私は園田直(すなお)代議士と一緒に、ニューヨークのウォルドーフ・アストリア・ホテルのエレベーターに乗っていた。引退したマッカーサー元帥に会いに行くためである。

後に福田赳夫内閣、大平内閣、鈴木内閣で外務大臣を務める園田氏は、当時、外務政務次官だったが、私と個人的に親しかった。首相特使として岸信介首相の訪米準備をするためにニューヨークへ来ていたが、マッカーサーに会いたいというので、私が仲介の労をとった。私は留学生だった。

ウォドルドーフ・アストリア・ホテルは、28階以上がアパートになっている。住人にはマッカーサーのほかにも、コール・ポーターやウィンザー公(元イギリス国王)夫妻など錚々たるところがいた。

執事に案内されて、広い応接間に通されると、まず、その豪奢なことに驚いた。部屋の中は、椅子と絨毯を除けば、すべて日本の古美術品だった。国宝級の金屏風が3,4双並び、金銀の飾物、陶器、美術品がところ狭しと置かれている。

公職追放処分を免れようとした日本の有力者から贈られたものに違いなかった。

やがて、マッカーサー元帥が入ってきた。ダーク・グレイのシングルの背広を着ていた。お濠端の連合国軍総司令部の玄関を颯爽と出てくる姿に慣れている目には、77歳の元帥は年老いて、一回り小さくなったように見えた。

元帥は座ると、シガレット・ボックスをとって、私たちにタバコをすすめた。

・・・元帥は私たちの質問に答えて、話題は憲法9条から極東の軍事情勢にまで及んだ。一旦話し出すと止まらなかったので、質問を続ける必要はなかった。

・・・「その時、幣原(しではら首相)がやってきて、目に涙を浮かべて日本は平和国家として永久に軍備を放棄すべきだと言った。私は今日でも、第9条は世界に誇るべき規定だと思っている。日本は東洋のスイスでなければならない」。

私はテーブルの上で灰皿を探したが、目の前に置かれた銀の盃(さかづき)の中に、先ほど元帥が擦ったマッチの燃えかすがあったので、そこに灰を落とした。

盃の底に16弁の菊の御紋章があったので、私は咄嗟に、それが天盃(てんぱい=天皇から賜る盃)である事がわかった。しかし、テーブルには、シガレット・ボックスともう1つの天盃が置かれているだけで、ほかには何もなかった。私はやむなくこの「灰皿」を使い続けた。

「私が世界でもっとも尊敬する人物は、天皇陛下だ。私が東京に進駐するとヒズ・マジェスティ(陛下)が会いにこられた。そこで陛下は『大戦の責任は、みな自分1人にある。臣下は自分の命を奉じたに過ぎない』

と厳然として言われ『連合国が責任を問おうとするなら、まず、自分を処刑して欲しい』と述べられた。私はこのとき、真の君主の姿を見たと思った。あの瞬間から、天皇を深く敬愛するようになった」。

当時、アメリカやイギリス、オーストラリアの新聞は、天皇を国際裁判にかけて死刑に処するべきだと主張していた。

私は突然、人間の脂肪の焼ける臭いをかいだ。ふと見ると、横にいる園田氏が掌(てのひら)でタバコを消している。

その表情には何の変化もなかった。瞬きすらしないのだ。特攻隊長として終戦を迎えた園田氏は剣道、居合道、合気道など二十数段の猛者である。数秒が過ぎた後は、何事もなかったようだった。

マッカーサー元帥は、まったく同じ調子で、遠くを見つめるような目をして話し続けていた。

そのうちに元帥は、ソ連の脅威が募っていると警告した。日本が軍備を拡張し、自由アジアの一大軍事勢力として、極東の平和に寄与しなければならないと熱心に説いた。

・・・元帥がドアまで送ってくれた。客が(天盃を灰皿として使うにしのびず)掌でタバコを消したことには気付いていないようであった。それとも案外、知っていたのかもしれない。

帰りのエレベーターの中で、園田氏が私に言った。「君は、よくあの天盃が使えたなぁ」。園田氏の掌には大きな水ぶくれがあった。私は世代の差をそこに感じた・・・。

(渡部亮次郎註:畏友加瀬英明氏がこのたび『昭和天皇 32の佳話(かわ)』(実業之日本社 税込み800円)を上梓された。昭和天皇こそは平成の日本人が失ってしまった日本人の美徳を体得されていたと考える加瀬氏が経験から拾い集めた昭和天皇にかかわる心温まるエピソードの集積で、興味が尽きない。

たまたま第1話にわが師園田直が、かつてマッカーサーが灰皿として差し出した昭和天皇の天盃を使わず、掌で消した話を書かれている。了承を得て再録した)。再掲。

2014年01月21日

◆正攻法で農業構造改革に当たれ

屋山 太郎


アベノミクスの成長戦略の重要な柱のひとつが農業であることは間違いない。自民党は半年前の参院選で、農産物5品目を「聖域」にすると公約した。これがブレーキとなって、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加交渉は暗礁に乗り上げている。しかし、自民党はTPPの問題を抜きにしても、日本の農政を転換するときだと認識する必要がある。

≪オランダの生産性なぜ高い≫

日本の農業が他の先進国に比べて面積的に不利な点を挙げ、構造改革は諦めてTPPに参加しなくても良い、とする主張がある。農地面積からいえば、日本は1戸当たり2・3ヘクタールだ。これに対し、米国は100倍、欧州連合(EU)は6倍だ、としたり顔で言う経済評論家や政治家がいる。

国連食糧農業機関(FAO)の2007年統計によると、農林水産物・食品の輸出額は米国が1位で8兆円強、2位があの小さなオランダで6兆円、7位のイタリアでさえ2・4兆円だ。それなのに日本は長らく3250億円に低迷している。オランダもイタリアも、日本より国土の面積は狭いのに、なぜ生産性が高いのか。

農地が狭いといいながら、日本はすでに200万ヘクタールを工場などの他用途に転用し、残った450万ヘクタールのうち40万ヘクタールが耕作放棄地になっている。

加えて田んぼの100万ヘクタールを減反している。こんな非常識でいびつな農政を展開してきたのが農水省、JA農協、国会の農水族である。

農家の中にも「減反政策は大農経営を妨げている」と突き上げる声があるが、官僚も農水族も農協を潤すため愚かな農政を変えられないのである。

切り口をひとつ示す。

作物の類型別に農家の年間所得(10年)をみると、酪農が850万円、養豚800万円、花卉(かき)と野菜が各600万円であるのに対し米作の年収は450万円だ。その内訳を見ると、年金収入と農外所得が各200万円、コメ収入はわずか50万円にすぎない。

≪失政は兼業農家延命にあり≫

日本農政は最も生産性の低いコメ農家に年、何兆円もの金を使ってきたのである。酪農家や養豚農家がそれなりの所得を上げているのは、これほど手厚い特典を受けていないからだ。

フランスが農業近代化に成功したのは30年前からで、農業所得が収入の51%以上の農家のみに補助金、融資を投入し49%以下の農家の離農を助けた。その結果、食料自給率は90%台から112%に向上した。

日本農政の失敗は、もともと拡大する見込みのない兼業農家を“生き長らえ”させてきたことだ。これで最も得をしているのは農協だということを指摘しておく。

例えば、小農10戸にトラクターを300万円で売れば、3000万円の売り上げになるが、10戸を1戸に集約したのでは農協の儲(もう)けは10分の1になる。コメ価格を関税で調節して下げていけば、いずれ小農家は離脱する。そういう政策こそが日本には必要なのだ。

安倍晋三首相は「農業を輸出産業に」とかけ声をかけている。実際、日本の野菜、果物の評判はアジアだけでなく世界に鳴り響いている。「輸出は無理」といわれているコメについても、「可能だ」と自信をみせる農家もいる。

政府は農地集約のための「農地中間管理機構」を設置し、散在している1、2ヘクタールの農地を集めるという議論をしているが、今の農政では実効は全く期待できない。

自民党は今年から5年間で「減反補助金を廃止」すると打ち出した。とりあえず、これまで10アール当たり1万5000円を払ってきた減反補助金を、来年度から半額の7500円にするという。この減反廃止のニュースを聞いた人は、5年間で補助金をゼロにするならコメの価格は5年後には国際価格並みになると錯覚するだろう。

≪からくり潜む「減反廃止」≫

それにしては、コメなど5品目を聖域としていた農業界の静けさはいったい何なのか。実は減反廃止といっても、コメ価格は下がらず農業界は全く困らない“からくり”が潜んでいるのだ。

コメ農家に10アール当たり10万5000円の収入を確保する一方、減反した側にも、米粉やエサ米の生産を条件に10アール当たり8万円を交付してきた。

しかし、これでは減反が進まず、米価は1俵(60キロ)1万6000円に維持するのが農協の思惑なのに、目下、1万2000円程度に下落している。そこで、農水省や農協が考え出したのは、エサ米、米粉用に作った田んぼにも10アール当たり10万5000円払うという手である。

これは主食用とほぼ同額であり、おのずと減反面積が増え、主食米が減るから、価格は上昇する“仕組み”である。エサ用と米粉用が450万トンになると見込まれているが、米国からはエサ用トウモロコシや米粉に代用される小麦の輸入をその分、減らさざるを得ない。この手段は、世界貿易機関(WTO)の農業協定違反になる可能性がある。

安倍政権は姑息(こそく)でペテンまがいの農政をやめよ。正攻法で農業構造改革に当たるべきだ。
(ややま たろう)

産経ニュース【正論】 2014.1.20

◆米軍存在感はピボット以後も小さく      

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

平成26(2014)年1月21日(火曜日)通巻第4124号 


「米軍の存在感はピボット以後も日々小さくなり、
   中国のアジア太平洋地域への積極的進出のほうが目立つ」と米太平洋軍司令官

米軍太平洋司令官のサミュエル・マックリア海軍大将はペンタゴン高官があつまる会議にでて以下の発言をしていることが分かった(ワシントンタイムズ、1月16日)。

「アジア太平洋地域における米軍の存在感は(オバマ政権の)ピボット発表以後も日々小さくなり、中国のアジア太平洋地域への積極的進出のほうが目立つようになった」

同司令官はつづけて、

「中国海軍の急拡大によって同地域における米国の優位性が崩れている。中国海軍は安全保障の『担い手』なのか、『使用者』なのかが不明であるものの誰もが認識することは、中国の勃興ぶりである」(つまり平和維持軍か侵略軍か)

「中国は同地域に於ける最近の行動から判断する限り安全保障の担い手ではない。今後、太平洋の安定は北京の予期せぬ出来事によって、より不明確となるだろう」

米軍のリバランス(軍事力の再編)は中東重視だった過去20年間のあり方を変更し、2020年までに米海軍全艦船の60%をアジア太平洋地域へ配備する計画だが、装備面で遅れがすでに出ている。

ヘーゲル国防長官は「アジア太平洋地域における米軍のプレゼンスと発言力を確保することはTTPを推進しアジア重視に傾く米国外交にとって死活的な国益である」と述べている。

   

2014年01月20日

◆都知事選で迷走する左翼

平井 修一


容共左派的反日屋は都知事選で宇都宮健児を推していたが、昨年、2012年都知事選において弁護士・宇都宮健児候補陣営の選対本部委員を務めていた弁護士・澤藤統一郎がブログで「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」という記事を昨年12月からブログで連載している(注)。最新号にはこうある。

<(後援会の)「人にやさしい東京をつくる会」の運営会議の席で、私は、出席者から少なくとも2度、「今後運動の世界で生きていけなくなるからよく考えろ」という「忠告」を受けている。「だから、おとなしくしておいた方が身のためだ」という恫喝と私は理解した。

「いまどき馬鹿げたことを」と私は一顧だにしなかったが、ようやくにして思い当たる事件にぶつかった。私は、新たな怒りを燃やして報告する。

直接の怒りの対象は、「憲法会議」(憲法改悪阻止各会連絡会議)だ。事件は、その機関誌である「月刊憲法運動」の執筆依頼の撤回である。些細なことではない。私は重要な問題と考える。「憲法会議」に、憲法を語る資格があるのかを問わねばならない。そして、そのような人々に支えられている宇都宮君に、改めて「立候補はおやめなさい」と言わねばならない>

この事件の経緯はこうだ。

<昨年の12月27日に憲法会議の平井正事務局長から(澤藤に)執筆依頼があったのだが、1月8日午後、突然平井氏が、拙宅を訪ねてきて、言いにくそうに、「執筆依頼した原稿は2月号に掲載するわけにはいかなくなった。3月号以降のいつになるかは分からないが、掲載号を延期したいので、ご了解いただきたい」というのだ。

2月号に私の執筆原稿を掲載できない理由は、私がブログで宇都宮君の批判をしていることだとはっきり伝えられた。

「私が依頼され承諾した原稿の内容は、都政の問題ではなく靖国問題ではないか。宇都宮君への批判が出てくるわけがない」と言ってみたが、「それは分かっています。それでも、先生が宇都宮さんを批判していることが問題なのです」という。「いったい誰が、どのように問題にしているのか」と聞くと、「いえ、誰かがそう言っているというわけではありませ
ん。私ども、憲法会議事務局の判断です」との答。

それからは、私と妻とで、平井氏を説得する努力をした。

「私は、どうしても承諾するわけにはいかない。私の宇都宮君批判が理由でなければ、掲載号が何号か遅れてもやむを得ないとするだろう。しかし、私は、宇都宮君を批判する言論の自由にこだわる。あなたがやろうとしていることは、私の言論への口封じだ。それを認めて引き下がるわけにはいかない。

私は宇都宮後援会から原稿執筆依頼を受けたのではない。憲法会議は、憲法の理念を活かそうという立ち場にあるはずだ。積極的に言論の自由を擁護すべきではないのか。権力による言論の封殺に抗議するのであれば、自らも小さな権力となって言論の封殺をするなどのことがないよう心掛けるべきだろう。

憲法を、公権力に対する規制とだけ理解していたのでは、企業の中での労働者の市民的自由を守ることができない。私的な強者にも憲法を守らせなければならないが、そのためには民主団体も自らを律しなければならない。ダブルスタンダードは自らの発言の迫力を弱めることにしかならない。

憲法会議は、『私はあなたの意見には反対だが、あなたの意見を封じようとする者とは断固闘う』と言うべきではないか。それでこそ憲法会議が権威と尊敬を勝ち得ることになる」

(平井からファックスが送られてきた)「年が変わった時点で、澤藤先生がブログで『宇都宮健児君、立候補はおやめなさい』と題する文書の発信を続けていることを知りました。2月9日投票の東京都知事選挙において、宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している憲法会議構成の諸団体の納得を得ることはできません」

宇都宮批判を「民主陣営」批判とし、私に「民主陣営敵対者」のレッテルを貼り付けた。これから、このレッテルがひとり歩きすることになるのだろう。「運動の世界で生きていけなくなるからよく考えろ」とは、こういうことだったのだ>

左翼が得意とする粛清、村八分(実質は村十分)だ。北朝鮮なら澤藤は死刑だろう。

ところで朝日新聞デジタル(1月16日)の「変転 2014都知事選 脱原発一本化に賛否 宇都宮氏陣営内に望む声」によると宇都宮の立場はずいぶん悪くなった。

<23日告示の東京都知事選で、細川護熙元首相(76)の立候補表明をうけ、脱原発の主張が重なる日本弁護士連合会前会長の宇都宮健児氏(67)の陣営が揺れている。立候補取りやめを求める声が寄せられ、陣営内からも一本化を求める声が出ているためだ。

15日、宇都宮氏を支える市民団体の幹部ら20人が急きょ都内で集まった。「脱原発票が割れ、共倒れしたら意味がない」「小泉純一郎元首相と細川氏が組んだなら、勝てる」。細川氏の佐川急便からの借入金問題を指摘する声もあったが、両陣営に一本化を求めることを決めた>

左翼の混乱は結構だが、まともな保守派候補は田母神俊雄閣下しかいない。左右ともドタバタで、ちょっと読めない感じだ。(2014/1/19)
          
            ・・・

注)2012年都知事選において宇都宮健児候補陣営に岩波書店社員が詰めていたが、これは徳洲会と同様、岩波書店が社員に給料を払いながら選挙を支援させたという選挙違反ではないのか、と澤藤は難じている。

◆細川氏「即時原発ゼロ」表明へ

古澤 襄


■細川氏、都知事選公約で

<東京都知事選(23日告示、2月9日投開票)に立候補を表明している細川護熙元首相(76)が、22日に発表する公約の柱として「即時原発ゼロ」を打ち出す方向で調整していることが分かった。細川氏周辺が18日、明らかにした。

停止中の原発の再稼働も認めない方針を明確に示すことで、同氏を支援する小泉純一郎元首相の主張に合わせ、最大の争点に据える狙いがある。 

細川氏周辺によると、選挙公約は即時原発ゼロや、2020年東京五輪への対応、社会福祉政策など5本の柱で構成される見通し。脱原発と併せて、省エネルギー推進に向けた取り組みを行う企業への補助金支給を盛り込むことなども検討している。

14日に出馬表明した際、細川氏は「原発問題は国の存亡に関わる問題という危機感を持っている」と語ったが、即時ゼロを目指すかどうかには触れていなかった。ただ、公約でも原発ゼロ実現への具体的なプロセスは明示せず、方向性を示すにとどめる。

一方、細川氏は、首相を辞任するきっかけとなった東京佐川急便からの1億円借り入れ問題について、22日の記者会見で経緯を説明する意向だ。 
(時事)>2014.01.19 Sunday name : kajikablog

◆俳句の楽しみ

園 高子(俳号:園多佳女)


私は現在、満95歳です。俳句は、女学校を卒業してから間もなく始めました。

俳句を始めましたきっかけは、地方紙“紀伊民報”(五十嵐播水選者)に投句したのが掲載されたのと、叔父が俳句結社“ホトトギス”の同人だったことではないかと思っています。

それ以来、主婦としての子育ての期間を除きまして、神職の手伝い等を行いながら、ずっと俳句を続けてきました。昭和44年からは俳句結社“雨月”に属し、大橋敦子先生の指導を受けてきました。

俳句を続けてきましたのは、勿論俳句つくりが好きだからですが、何故好きかと申しますと、5・7・5の中に「自分の思いを表現」できるからです。

毎日が新鮮な気持ちでおれますし、季節感、人の気持ち等を感じることができるからです。「感性が豊かになる」とも思います。

また、5・7・5の中にいかに上手く表現するか、色々頭を使います。それに先生の添削、評価によりさらに鍛えられますし、句会等を通して上達したいと言う気力が湧いてきます。また、「句会を通してお友達ができる」のがとても嬉しいです。
 
私はこの年齢になっても痴呆になることもなく、頭がしっかりしていますね、と言われます。これは「常に5・7・5での作句が頭にあるからだ」と思っています。

俳句は紙1枚、鉛筆1本あれば作れます。あとは考える頭があればいいだけです。

子供にも頭の老化を防ぐため俳句作りを進めています。幸い、娘の夫が俳句に興味を示し、俳句を始めました(講座「蕪村顕彰俳句大学」を受講)。

時々、私に作品を見せにきますが、楽しく批評をしています。いいコミュニケーションが取れ、喜んでいます。
 
俳句をして本当によかったと思っています。最近は足腰も弱り、外出できませんので刺激も少なく、なかなかこれと言った俳句もできませんが、写真等をみて、昔を思い出し、ぼつぼつ作っています。今後も少しずつでも作句し、痴呆防止に努めたく思っています。

では、私の句を少し添付します。
 ・御饌運ぶ足止めて聞く初音かな
 ・泣きにきて昼寝の母と寝て帰る
 ・ラストシーンのごと黄落を一人行く
                     平成26年1月15日
以上