2014年01月19日

◆政治記者 岩見隆夫さん死去

山田 孝男


〜評伝…温故知新、自在の筆〜

岩見隆夫さんは軟派の政治記者だった−−。

2000年、文芸春秋が企画した、生前の著者自身による「私の死亡記事」の中で、当時64歳の岩見さんは、自分についてこう書いている。

「『ゴシップこそ新聞の原点』が口癖で、軟派的な政治記事を編み出すのに腐心した……」
新聞社では政治・経済を硬派、事件や街ダネなどを軟派と呼ぶ。社会部から31歳で政治部に移った岩見さんは、無味乾燥な政治記事に新風を吹き込むことに情熱を注いだ。

初期の結晶が、現代教養文庫のベスト・ノンフィクションシリーズに収録されている「政変」だ。

1974年、田中角栄首相退陣前後から後継・三木武夫指名に至る政界の暗闘を、同時進行の新聞連載で描破した。岩見さんは取材班キャップで筆者。政治部の総力取材を自在の筆で連載小説ばりにまとめ、大反響を巻き起こした。

岩見さんの代名詞になったコラム「近聞遠見」は89年から昨年12月まで24年余り続いた。当初、人物論中心の政治コラムは例がなく、社内に強い反対があったものの、それを押し切って始まったと聞く。

私は当時、前線で自民党を担当していた。ある派閥の幹部が「キミんとこの岩見のありゃなんだ? 古い話ばっかりじゃないか」と毒づいたのを覚えている。

さもありなん。「近聞遠見」の主題は温故知新である。政治家の最新の言動や予算、外交や国会の日程だけが政治情報だと考える人には「近聞遠見」は分かるまい。

だが、表には表れない政治家の心理、人情、事そこにいたる歴史的経緯を明かし、幅広い読者に支持された。「岩見はもう古い」と何度も言われながら、しばしば特ダネを放ち、未到の長期連載になった。

岩見さんと親交のあった作家の丸谷才一さん(故人)は、岩見さんの仕事についてこう語っていた。「政治と言葉という明確な主題があり、常によい文章を書く」

岩見さんの膨大な仕事の中から、代表的なものとして「サンデー時評」(サンデー毎日連載)と「陛下の御質問」を補いたい。

酒豪、愛煙家。後輩の面倒見は抜群だった。春、東京・四谷の土手で開かれる岩見桜(観桜会)は千客万来、談論風発、毎日新聞の新人研修の道場でもあった。

昨年5月、肝臓がんの末期と診断され、入院が続いていた。最後にお見舞いしたのは今月7日。意識はしばしば混濁した。辞去しかけた私に強い口調で呼びかけられた。「オイ、いいのか? 見て行けよ、新聞記者は現場だぞッ」

私にとっては、それが最後の言葉だった。みごとだと思った。最後まで励まされた。岩見さん、ありがとうございました。【専門編集委員・山田孝男】

<毎日新聞(最終更新2014年 01月19日 02時06分)>


◆(「百家争鳴」主宰者より)
 謹んでお悔やみ申し上げます。岩見隆夫氏は、本誌の寄稿者で、今年1月2日に「年初、安部、大江の公開討論を」を寄稿して頂いたのが「最後」となりました。

岩見隆夫氏は、私が政治記者の新人の頃、「官邸記者クラブ」でお会いし、いろいろお話したことを想い出します。先輩の「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏とも大変仲のいい方でした。政治評論は見事なものでした。

改めてお悔やみ申し上げます。


◆先人が決着つけた「戦犯」問題

中静 敬一郎
 

日本人が知っておくべき歴史的事実の一つは、先人たちが戦犯問題に決着をつけたことだろう。

昭和27(1952)年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効後、間もなく、「戦犯受刑者の助命、減刑、内地送還」を求める国民運動が巻き起こり、約4千万人の署名が集まった。独立を回復したにもかかわらず、なぜ、敵国に裁かれた同胞たちは釈放されないのか、といった疑問が共有されたからである。

当時、巣鴨、モンテンルパ(比)、マヌス島(豪州)では1千人以上の日本人らが、A級およびB・C級戦犯として服役していた。講和条約第11条は関係国の同意なくして、日本政府は独自に戦争受刑者を釈放してはならないと規定されていたためだ。

これに対し衆参両院はほぼ全会一致の5回にわたる赦免決議を採択した。趣旨説明に立った改進党の山下春江議員は極東国際軍事裁判(東京裁判)をこう批判した。

「戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者に対して一方的にこれを裁判したということは、たといそれが公正なる裁判であったとしても、それは文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならない」(27
年12月9日衆院本会議)

日本社会党の古屋貞雄議員も「敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追究するということは、正義の立場から考えましても、基本人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できない」(同)と訴えた。東京裁判がいかに不当で一方的なものかを論難するのに保革の違いはなかった。

翌28年8月6日、A級、B級、C級を問わず、戦犯を犯罪者と見なすのではなく、公務で亡くなった「公務死」と認定し、困窮を極める戦犯遺族たちに遺族年金、弔慰金を支給する戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部改正法が成立した。靖国神社への合祀(ごうし)も手続きに従って進められた。

確認したいのは、一連の戦犯問題の処理に外国から異論は唱えられなかったことだ。これらが独立した戦後日本の原点だった。

昨年12月26日、靖国神社に参拝した安倍晋三首相に対する非難、とりわけ国内からの強い批判にはこうした事実認識がすっぽり抜け落ちていないか。

残念なのは、先人たちの労苦と思いが忘れ去られてしまったことだ。それどころか「勝者の裁き」を受け入れる「東京裁判史観」による発言が平然と出ている。

後藤田正晴官房長官は61年8月、東京裁判の正当性を認める見解を示し、小泉純一郎首相は平成17年6月、「(A級戦犯は)戦争犯罪人という認識をしている」と国会で答弁した。

安倍政権は少しずつ是正している。だが、日本が心を一つにして作り上げた成果を自らの手で無効にしてしまった所業は消えない。これを喜んでいるのは、さて、誰であろうか。

産経ニュース【一筆多論】 2014.1.18

◆国政選挙並の都知事選になるのか

古澤 襄


細川護熙元首相は東京都知事に当選すれば、ただちに訪中して日中関係の打開に動くという。側近筋が明らかにした。

細川立候補は、都政よりも国政レベルでの安倍政権批判を鮮明にする色合いを濃くしている。細川氏は脱原発、東京五輪の消極論、日中打開の3本柱で政策対決する意向のようだ。

都政と国政は別と大様に構えていた安倍政権も、否応なしに細川政策との対決を迫られよう。今後、3年間は国政選挙はないことを考えれば、都知事選は安倍政権の支持、不支持を占う国政レベル並の選挙の様相を帯びた。

3本柱を子細にみれば、脱原発はアベノミックスを達成するうえで、即時に原発ゼロというわけには参らない。安倍政権は徐々に脱原発を目指すという点で選挙民に訴えるだろうが、原発ゼロよりも迫力に欠ける。

逆に東京五輪返上論は細川氏の持論かもしれないが、6年後の東京五輪は国際公約となっているので、都知事選の公約にはなじまない。むしろ日本なりの抑えたオリンピックという消極的な五輪政策を打ち出すしかない。日本の伝統・文化を盛り込んだ東京五輪というは、言うは易いが行うは難しい面がある。

日中打開は国民が等しく願うものだが、現状は中国の軍事力拡張がアジア各国との摩擦を生んでいる。それに目をつぶって、日中友好を唱えても結果的には中国の野望を利することになりはしないか。

3本柱は総論として正しくとも、具体論で道筋を明らかにしなければならない。20日に細川氏は正式に立候補を表明するというが、都民だけでなく日本国民が納得する政策を語る義務がある。
2014.01.18 Saturday name : kajikablog

◆自衛隊の危機意識に改善なし

寺田 嘉信


2014. 1月15日午前8時ごろ、広島県大竹市の阿多田島沖の海上で、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船が衝突した。防衛省や海上保安庁によると、釣り船は転覆した。

乗組員4人は全員救助されたが、うち2人は心肺停止状態。残る2人は意識があるという。報道に対して安倍首相は原因究明と再発防止に全力を期すとだけコメントした。

TV朝日の「報道ステーション」では、恵村順一郎朝日新聞解説委員は自衛
艦おおすみの見張り不備があるかの様なコメントをしていた。

自衛艦は公務であり、釣船は遊びである。巨大な自衛艦と小船体の釣り船が遭遇した場合、小船体の釣り船が避けるのは物理的法則である。お亡くなりになられた方にはお悔みを申しあげるが、問題の本質は海上自衛艦の危機意識の希薄が全く改善されていない所にある。

イージス艦あたごの時にも指摘したが、この衝突した釣り船に爆弾が搭載されていれば、日本の自衛艦は簡単に撃沈できることを再三にわたり、世界のテロリストに証明して見せたことである。

おおすみは今後の自衛艦の役割に対応できる機能改善の為メンテナンスドックに回送中であったとのことであるが、この際衝突及びテロ行為を予防できる新たな感知システムを装備開発されることを望むものである。6年も前になるが「頂門の一針」に書いたが何ら改善された兆しもない。

◆(2008/02/24 23:01)  自衛隊の危機意識: 寺田 嘉信

海上自衛隊のイージス艦「あたご」(艦長・舩渡(ふなと)健1等海佐)と新勝浦市漁協(千葉県勝浦市)所属の「清徳丸」が衝突した事故を巡って日本中のメデイアは大騒ぎである。行方不明の魚業者には、お気の毒としか言いようがない。

事故に対しては、あってはならないことであり、どちらに非があるかは今後の調 査が待たれるわけであるが、日本以外の外国では当然軍務公務が優先されることは、当然とおもわれるが、特殊な空気が支配するこの国では、漁船と国民の防衛を担う防衛省と防衛自衛艦とを同等に扱う特殊な国であり、結果的に「あたご」側に非があったことで、決着されると予測されるのである。

然しながらこの事件は重大な問題を提議した。世界で最高の盾を誇る防御機能を有するイージス艦が単なる張子の虎であったことが証明されたのである。今後この欠陥システムを改善できる方法はあるのかと言うことである。

漁船は規定とおりのランプを点灯しており、点灯を12分前に認識していながら事故を 起こしてしまったものであり、日本近海における船舶に悪意のある船舶が存在する危機意識が「あたご」の担当乗組員に前提としてなかったものと理解される。

もし無点灯のテロリストが闇に乗じて自爆テロを計画すれば確実にイージス艦を轟沈させることが証明された様なものである。現に2000年10月、イエメンにおいてテロリストたちは爆弾を積んだ小型ボートで「米国海軍軍艦コール」を攻撃し、17人の米国人乗組員が殺された。

自衛隊において過去こんな驚いた経験がある、確か昭和60年頃と記憶しているが、私の勤務する会社が所属する法人会(納税意識を高めることを目的とした税務署主導の団体)が年に1回の1泊研修会があり、小生も何回か参加したものであり、その研修会の内三重県にある自衛隊の基地を見学したことがある。

当日の団体を引率する案内人、陸上自衛隊1佐の挨拶がありバスで現地にむかった。その基地.とは白山ミサイル基地である、平成9年度にパトリオットPAC3配備されている。

我々 が案内されたのは、大きなドームのある施設であり目的の施設に入り皆の流れについていくのであるが、唖然とした。その施設とは当時ソ連が健在であり頻繁にソ連機が空中侵犯してくる時代であった。

侵犯があった場合、小松基地及び百里基地等から自衛隊機がスクランブルすることは普通の国民でも常識的に 認識していた。その毎日の様に侵犯機を探索するオペレーター室であり、隊員が20人位いたと記憶しているが、それぞれ画面に集中して異常が無いか作業している現場に我々を案内したのである。

ミサイルの発射司令権のある最先端最高軍事機密のある現場に何の身元調査もせずに不用意に素人を平気で案内する危機意識の無さに、あきれ返ったものである。

その晩の宴会で1佐にその異常性を指摘したら私もあそこまで案内するとは聞いていなっかった、いきすぎでしたと、こぼしていた。

自衛隊にしてみれば、法人会の団体と言うことで、頭から悪意のある人間は含まれていないと見なし、自衛隊の存在を理解せしめる機会であると解釈したと思われるが、未だにその危機意識のなさは継承されている様である。

現に中国艦隊の幹部隊員を一度はイージス艦見学受け入れを許可した。米国からのクレームで我に帰ったようであるが、本質は変わっていない。

2014年01月18日

◆細川主張に現実性ない

古澤 襄


■自民、党挙げ「対細川氏」

<自民党が東京都知事選(23日告示、2月9日投開票)を巡り、党本部が前面に出る形で舛添要一元厚生労働相を支援する姿勢を鮮明にしている。

小泉元首相が支援する細川元首相の主張が政府の方針と異なるため、国政が混乱しかねないとの判断から主戦論が一気に強まった。

自民党の河村建夫選挙対策委員長は16日、党本部で開かれた東京都連幹部らの会合で「党本部を挙げた態勢の中で、勝利を目指して頑張っていこう」と呼びかけた。会合では、党として舛添氏を全面支援することを決めた。

同党は16日、石破幹事長名で党所属の全国会議員に舛添氏への支援を呼びかけるメールを送った。今後は閣僚クラスを応援弁士として投入するほか、都議や区議、支持団体への働きかけを強める方針だ。

自民党は当初、都連を主体とした舛添氏の支援態勢を想定していた。無党派層がかぎを握る都知事選は、党本部が出過ぎない方がいいとの判断もあった。

しかし、「原発の即時ゼロ」を主張する小泉氏が、「脱原発」を争点に細川氏を支援する考えを示しているほか、細川氏自身がかつて2020年の東京五輪・パラリンピックの「返上論」を唱えていたことも判明。「細川氏の主張は現実性がない。都知事になれば、日本全体に悪影響が広がる」(幹部)との懸念が広がった。
(読売)>
2014.01.17 Friday name : kajikablog

◆リハビリって?

向市 眞知


「リハビリ」という用語は訳さなくてもよいくらい、日本語になってしまいました。しかし、この用語がとても曲者なのです。皆がこの用語の前向きなところにごまかされ、便利にしかも安易に使ってしまいます。

医師は最後の医療としてリハビリに望みをつなげる言い方をします。家族は家にもどるためにはリハビリを頑張ってほしいと期待をかけます。患者もリハビリを頑張れば元どおりになれると思います。

リハビリとは「再び生きる」という用語と聞きました。この概念で考えるととても幅広い概念です。

病院にはリハビリテーション科があり、そのスタッフには理学療法士、作業療法士、言語聴覚訓練士という、国家資格をもった専門技師がそろっています。身体機能回復訓練に携わるスタッフです。

医師が「リハビリ」という用語を使う場合にはこのようなリハビリテーション科のスタッフによる訓練を指すだけではなく、「再び生きる」心構えをもちましょう、という意味を含んでいる場合が多いのです。

しかし、患者、家族の方はリハビリは療法士がするものと思い込んでいるケースが多いように思います。よく言われるのに「リハビリが少ない」、「リハビリをしてもらえない」というクレームがあります。療法士がするものだけがリハビリなら、診療報酬上点数がとれるのは一日20分から180分です。

「リハビリを受けさせたいから入院させてほしい」とよく言われますが、一日の何分の1かの時間のリハビリだけで「再び生きる」道のりを前に進むことはむずかしいものです。あとの時間をベッドに寝ているだけでは、何の意味もありません。「リハビリのために入院している」というだけの安心感の意味しかありません。

いくら日本一の理学療法士の訓練をうけたからといって、患者本人が「リハビリをする(再び生きる)」心構えになっていなければ、空振りに終わってしまいます。

マヒした身体に対して、拘縮してしまわないように理学療法士が外から力を加え訓練をすることはできます。でも、訓練が終わって身体を動かさなければもとの木阿弥です。

しかし、言語訓練はそうはいきません。本人が声を出そう、話そうとしなければ訓練になりません。「絶対話すものか!」と口をつぐんでいる患者に訓練は意味を為しません。まずは声を出してみよう、話してみようという気持ちになるように、心理的にリラックスしてもらうことから訓練を始められると聞きました。

このことからわかるように、リハビリは本人次第なのです。そしてやはりリハビリも、療法士と患者の協同作業なのです。

療法士さんの訓練の20分が終われば、患者自らがもう一度リハビリのメニューをくりかえしてやってみることや、家族が面会時間に療法士に家族ができるリハビリを教えてもらい、リハビリの協力をしてみるなど、何倍にもふくらませていくことがリハビリの道のりなのです。

療法士さん任せにしないこと、繰り返しやっていくこと、退院しても療法士さんがいなくてもリハビリ、再び生きる道のりは続いていること、それを実行するのは自分であることを忘れないでいてほしいと願っています。

2006年4月の診療報酬改定で更にこの認識が重要になってきています。療法士による機能回復訓練が継続してうけられる回数の上限が疾病により90日〜180日と定められました。これ以上の日数の訓練を続けても保険点数がつかないことになりました。医療機関は保険がきかなくなれば、リハビリを打ち切らざるをえません。

患者も10割自費で料金を支払ってまでリハビリを続けることはできないでしょう。リハビリは入院の中でしかできないものではなく、退院しても自宅でもリハビリを続けていく意気込みが大切です。

                         ソーシャルワーカー

2014年01月17日

◆驚き!韓国人の「願望史観」

平井 修一


the-prayerさんからコメントをいただいた。

<戦争中の事実は歴史が明らかにするとして(米国における)韓国ロビー活動は日本国を敵国として扱っています。これは韓国の憲法の前文からきています。このような憲法をもつ国は世界広しといえども見たことがありません>

「韓国憲法の前文」というのは何か。「シンシアリーのブログ」にはこうあった。

<日本の敗戦後の1948年7月12日、建国時の憲法の前文から紹介ます。

「悠久の歴史と伝統に輝く私たち大韓国民は己未三一運動で大韓民国を建立し、世界に宣布した偉大な独立精神を継承し、今や民主独立国家を再建する」

3.1運動で大韓民国を建立・・・って何の冗談だ?と思われるかも知れませんが、韓国は韓国という国の歴史の流れを「大韓帝国→併合時代→大韓民国」ではなく、「大韓帝国→臨時政府→大韓民国」としています。

3.1運動時の宣言文で臨時政府が出来たことになっており、臨時政府の理想を受け継いだからこんな見方になっています。

1962年12月26日、第5次改憲の時、前文が随分変わりました。

「悠久の歴史と伝統に輝く私たち大韓国民は3.1運動の崇高な独立精神を継承して4.19義挙と5.16革命の理念に立脚して、新しい民主共和国を建設する」

1972年12月27日、第7次改憲。

「悠久の歴史と伝統に輝く私たち大韓国民は3.1運動の崇高な独立精神、4.19義挙と5.16革命の理念を継承し、祖国の平和的統一の歴史的使命に立脚して、自由民主的基本秩序をさらに強固なものにする新しい民主共和国を建設する」>

祖国の平和的統一も建国時からの理念だと書き改めたのだ。都合のよいように歴史を書き換えるのが彼らのやり方のようだが、どうも政権交代=新国家樹立と考えているのかもしれない。

「3.1運動」は1919年3月1日から日本統治時代の朝鮮で起こった運動。大韓帝国初代皇帝高宗の急死後、国葬が行われる3月3日に向けて独立運動が計画されるようになった。中心となったのは天道教やキリスト教、仏教の指導者たち33名で、3月1日、京城(ソウル)中心部のパゴダ公園に集い「独立宣言」を読み上げることを計画した。

パゴダ公園には数千人規模の学生が集まり、その後市内をデモ行進した。道々「独立万歳」と叫ぶデモには次々に市民が参加し、数万人規模になったという。3月から5月にかけて集計すると、デモ回数は1542回、延べ参加人数は205万人に上る。

その過程で暴徒化した群集を朝鮮総督府が武力鎮圧する際、死傷者が出た。日本側、朝鮮側の被害は諸説ある。総督府による鎮圧と慰撫政策の結果、運動は次第に終息し、1945年(昭和20年)の日本敗戦に至るまで大規模な運動は起こらなかった。

「4.19義挙」あるいは4月革命とは、1960年に民衆デモにより李承晩大統領が下野した事件。最も大規模なデモが発生した日が4月19日であったことから4.19革命とも言う。

「5.16革命」あるいは5・16軍事クーデターは、1961年5月16日に、後の韓国大統領で当時少将だった朴正煕などが起こした反乱。朴正煕は1942年、満洲国軍軍官予科を首席卒業、同年日本陸軍士官学校に編入(57期相当)、1944年に日本陸軍士官学校3位卒業、1945年8月、満洲国軍中尉で終戦を迎えている。

1963年10月に大統領に就任し軍事独裁体制を築いたが、日韓基本条約の締結を行い、日本の支援を得て「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長へと結びつけた。韓国はこの経済成長により最貧国グループから脱した。

朴正煕と安倍総理の祖父、岸信介は昵懇だが、娘の朴槿恵は朴正煕について「当時の政権下で弾圧されて苦痛を受けた被害者とその家族に心から謝罪する」と述べているから「漢江の奇跡」を評価していないようである。不肖の娘。閑話休題。

韓国では時の政権が正当性を主張するために憲法前文で歴史を書き換えているわけだが、東洋史家の宮脇淳子氏曰く「韓国人にとっての歴史とは、こうであってほしかった、という願望そのものでもあるのです」。変な国。 (2014/1/16)

◆A級分祀、譲っても中韓には無意味

阿比留 瑠比


どうしてこんな単純明快なことが彼らには分からないのか、本当に不思議でならない。民主党の前原誠司元外相は5日のTBS番組で、安倍晋三首相の靖国神社参拝に関連してこんな自説を展開していた。

「何らかの形でA級戦犯を分祀(ぶんし)し、外交問題化すべきではない」

何度も蒸し返されては、そのたびに立ち消えてきたいわゆるA級戦犯分祀論である。この筋の良くない話が、官邸内や外務省の一部でもささやかれているのだから手におえない。

前原氏はA級戦犯を分祀すれば、靖国が外交問題化しなくなると言いたいようだが、あまりに粗雑で甘すぎる議論ではないか。

そもそも、宗教法人である靖国神社側は「(神道の教義上)それはできない。ありえない」(湯沢貞元宮司)と分祀論を一蹴しており、政治の介入は政教分離の原則上も許されない。

仮に万一、その点がクリアできてA級戦犯を分祀したとしても、何の解決にもならないだろう。

中国は今度は、現在は対日カードとして温存中の靖国に祭られた千人以上の「BC級戦犯」に焦点を当て、再び対日批判を仕掛けてくるのは火を見るより明らかだからである。

中江要介元駐中国大使は平成12年4月の国会で、中曽根康弘首相(当時)の昭和60年8月15日の靖国公式参拝に対する中国側の認識を証言している。同年12月8日に中国の胡耀邦総書記に昼食に招かれた際、胡氏はこう指摘したという。

「靖国には戦犯が2千人もいるじゃないか。戦犯というのはAもBもCもみんな変わりはないんだ」

その後、胡氏は「A級戦犯だけでも靖国から外せば、世界のこの問題に対する考え方は大きく変わるだろう」と発言を軌道修正したというが、本音がどちらにあるかは論をまたない。

国学院大の大原康男名誉教授によると、中国のメディアもこれまで次のように書いており、A級とBC級を特に区別していない。

「靖国神社は、これまでの侵略戦争における東条英機(元首相)を含む千人以上の犯罪人を祭っている」(60年8月15日付の中国共産党機関紙「人民日報」)

「そこには260万人の日本軍兵士にまざって、悪名高き東条英機を含む千人以上のA級およびB級戦犯が祭られているからだ」(平成11年11月12日付中国官営英字紙「チャイナ・デーリー」)

日本と戦争をしたわけでも何でもないのに、なぜか靖国参拝に強く反発する韓国に至っては、もともとA級とBC級を分ける発想があまりないとされる。

安倍首相の靖国参拝当日に、非難声明を発表した劉震竜(ユジンリョン)文化体育観光相(政府報道官)は「戦犯を合祀している靖国神社」と戦犯全体を問題視しており、A級だけを分祀したところで効果は望むべくもない。

逆に、強く押せば日本はすぐに譲歩すると中韓に再確認させてしまい、尖閣諸島(沖縄県石垣市)や竹島(島根県隠岐の島町)の問題で、両国の攻勢を強める結果になりかねない。

何より、首相の靖国参拝など想定さえできなかった民主党政権時代に、すでに日中、日韓関係は戦後最悪となっていたことを忘れるべきではないだろう。靖国参拝がすべての元凶であるかのような議論は、問題の本質を大きく踏み外している。(政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2014.1.16

2014年01月16日

◆中共の反「四風」運動

平井 修一


中共は今、反「四風」運動を推進している。「四風」とは形式主義、官僚主義、享楽主義、贅沢の風潮で、これを改めようというわけだ。具体的には、派手な公金飲食の禁止、豪華な庁舎の建設禁止、贅沢なパーティーの禁止、さらには企業接待の浪費が暴露・批判のターゲットとなっている。

また「反浪費の8項目の規定」というのもあり、「外出訪問の簡素化」「大人数の送迎を行わない」「客を迎える際絨毯を敷かない」「外出訪問時、随行員を厳しく抑制する」などとしている。

要は金持ちや高級幹部に、「国民の強い反感を買っているから贅沢・浪費を控えるように」と指示したということだ。しかし「上に政策あれば下に対策あり」の国柄だからうまくはいかないだろう。

「日本新華僑報」のサイトにはこうあった。

<「四風」との戦いは短期日で結果が出ることはなく、次々と現れる問題に新たな措置を講じる必要がある。人は享楽を覚えると病みつきになり、贅沢に拍車がかかり、次第に自分では抜け出せなくなるものである。

現在までの中央政府の再三にわたる禁止通達にもかかわらず、まだのらりくらりと派手な公金飲食など浪費の風潮は存在し、手を換え品を換え公金の浪費を続けている。

例えば公金飲食の舞台はホテルから会員制高級クラブ・政府機関食堂へ移り、公用車は幹部を降ろすとすぐに走り去る。高級酒のラベルを剥がしたり、普通酒の瓶に入れかえて出す。こういった怪現象が次々に露見し、新たな浪費・享楽の問題が絶えず発生している。これらは「四風」が長年の習慣となり根深いことを証明している>

下は見事に「対策」を実行している。笛吹けど踊らずだ。

習近平総書記ら中央指導者は国民に範を垂れようとパフォーマンスを演じ始めた。併せて国家指導者の「親民イメージ」を広める狙いもある。こんな具合だ。人民日報の報道から――

<大小様々なカメラの列もなく、左右を固める随行者もなく、自分で列に並んで支払いをし、自分でトレーを持って席を探し、料理をきれいに平らげる……先日、習近平総書記が北京の包子店で食事をしたとの情報が、偶然居合わせた客が写真を撮ってネットに投稿したことでたちまち広まり、書き込みや「いいね!」が殺到した。

視察時に道路を封鎖せず、河北省の農村で雪を踏み分けて困窮家庭を訪ねる。広東省視察時の食事はバイキングで済ませた。北京では21元の質素な食事によって、再び社会全体に向けた行動の模範を示し、党員・幹部に向けて強いメッセージを発した。

元旦を前に、習総書記は北京で第一線の従業員や高齢者を見舞い、握手して談笑し、彼らの生活を深く気遣ったうえ、「記念撮影に参加したお年寄り一人一人のもとに写真を届けるように」と指示さえした。親民的行動は真摯で気さくな庶民としての姿をはっきりと示し、共産党員が強く持つ庶民を思う心を伝える。

作風転換は小さな事一つ一つから始め、真剣に取り組み続け、実際の効果、長期的な効果を上げなければならない。思いを抱いて作風を転換し、真心をもって大衆に尽くせば、党心と民意の共鳴の中で、中国の夢の実現のために強大なプラスのエネルギーを注ぐことが必ずやできる>

習近平はなぜこんな“臭いヤラセ”をしなければならないのか。中共から民心はすっかり離れてしまったからだろう。少しでも崩壊を遅らせたいという焦りではないか。

中国でこんな笑い話がはやっているという。

<面接に来た大学生に、面接官が「何だ、君は党員なんだ」と話しかけた。大学生は焦りながら「党員にも良い人がいます」と答えた>

中共党員は8000万人で、大学生が積極的に入党しているというが、ある大学生は米VOAの取材に対して、入党を希望する動機は「公務員や国営企業に就職する際に有利だから」と語った。党員になると儲かるというわけだ。

<[北京10日ロイター] 中国共産党の中央規律検査委員会は10日、2013年に規律違反で処分した党員の数が前年比13.3%増加したことを明らかにし、汚職の取り締まりが「新しい進展と成果」をもたらしたと評価した。

同委員会の黄樹賢副書記によると、昨年は18万2038人を処分した。増加率は2012年の12.4%をやや上回った。また、31人の政府幹部が捜査対象となった。

習近平国家主席は就任後、「ハエ(小物)もトラ(大物)も一緒にたたく」と述べ、地位の高低にかかわらず腐敗を取り締まる意向を示している>(14/1/10)

18万2038人、毎日なんと498人が処分されている! もう末期症状だ。デビッド・ランプトン・ジョンズホプキンス大学教授(中国研究)曰く――

「中国は力強い経済、パワフルな軍隊をもっているかもしれないが、その統治システムは非常に脆い。いまや中国を統治するのは、毛沢東やトウ小平の時代と比べてはるかに難しくなっている。優れた政府規制を整備し、より踏み込んだ情報公開を行い、もっと説明責任を果たす必要がある。そうしない限り、今後、中国は過去40数年に経験した以上の大きな政治的混乱に直面することになる」

小生の目の黒いうちに五星紅旗は地に舞い落ちるだろう。(2014/1/12)
 

◆パソコン利用で英語力が減る入力方式

上西 俊雄


錢湯で出會った中學生は水泳をやってゐるとかで大學生かと見紛ふ體躯。勉強は算數も英語も得意だといふ。中學といふのをローマ字でどう書くかと尋ねてたところ シーワイユー(cyu)とはじめたので驚いた。チュを cyuと書く方式があるとは知らなかった。

訊けばチュを cyu とすることは小學校でパソコンの入力方法として教はったことで、中學では特にローマ字について教はってはゐないとのこと。小著『英語は日本人教師だから教へられる』は入門期に於けるアルファベット教育の重要性を説いて、アルファベットをしっかり教へないのは英語だけではないかと書いたのであるが、パソコンを使ふつど英語力が削がれていくといふ現實は知らなかった。

今、ウィキペディアの「ローマ字入力」をみるとJIS X 4063:2000(假名漢字變換システムのための英字キー入力から假名への變換方式)によって日本語のローマ字入力が標準化されてゐたが、規格自體は平成22年1月20日に廢止されたとある。

今は廢れたこの JIS 規格によれば、必ず實裝しなければならないものに

ヂ(di) ヅ(du) ヂャ(dya) ヂュ(dyu) ヂョ(dyo) ヰ(wyi) ヱ(wye)があり、また

ティ(thi) ディ(dhi)があり、小書きの假名のための

xa xi xu xe xoがある。

それから追加で實裝したはうがよい入力方式に

ジャ(jya) ジュ(jyu) ジョ(jyo)

チャ(cya) チュ(cyu) チョ(cyo)

トゥ(twu) ドゥ(dwu)

がある。

錢湯で出會った子供はこれを習っわけだ。

昨年(平成25年)横濱開港資料館で開催の宣教醫ヘボン展のローマ字のコーナーには日本亞細亞協會紀要第七號がアーネスト・サトウのローマ字論のところを開いて展示してあった。サトウをローマ字論者として取り上げた嚆矢だと思ふ。その反對側のケースには戰後のローマ字の教科書がならべてあって讀むことができたのは教育文化研究所編とある昭和24年のHIKARI O MOTOMETE の第5章「文字ができるまで」の見開き二頁。書出しに

Oomukashi no hitobito wa iroiro no 'mono' o tsukutte kangae oarawashimashita.

とある。これはヘボン式なので、長音はマクロンを冠した字母であらはす。實際、その次の文章、漢字假名交じりで書けば「木の棒を長くしたり短くしたりしていろいろの考へを表しました」といふところの棒はマクロンを冠した字母をつかってゐる。だから冒頭の「大昔」のところは、長音とみないで、同じオの繰り返しとみてゐるわけだ。

見開きの右の頁に Indian としてあるのが目についた。ディのところをdi とすることができたのは訓令式でなかったからで、訓令式なら di はヂを意味する役割がある。

ヘボン式はジとヂは同じ音だとみるからこの二つを書き分けることができない。また訓令式が di をヂにあてるのはディといふ音節を認めてないからできること。

ディといふ音節を認める現代においては内閣告示のローマ字はどちらも最初からなりたってゐないのだ。

現實にはヂもヅもあり、その上ディもドゥもある。だから翻字式ローマ字の出番なのだが、内閣告示の二つをごっちゃにした方式に忠實たらんとすれば、上に見たやうな判じ物にならざるを得ない。

かくしてアルファベットの表音機能は完全に無視されることになった。これで英語教育に力を入れるもないではないか。

廃止すべきは假名漢字變換システムのための規格ではなく、ヘボン式訓令式をごっちゃにした内閣告示の方なのだ。チュを cyu と書くやうでは表記ができないといふだけでなく、音韻の一覽表が腦中にできてゐないわけだから自信をもって發音することができない。いきほひ曖昧なごまかした發音になってしまふのだ。

擴張ヘボン式、かう呼んでよいものか迷ふのは、翻字式としてはじめてのものだと思ってゐたところ、アーネスト・サトウ、朝河貫一を經て三代目であったからであるが、とにかくこの方式なら次のやうになる。(小書きの假名のための設定はない。)

ヂ(ji) ヅ(dzu) ヂャ(ja) ヂュ(ju) ヂョ(jo) ヰ(wi) ヱ(we) ティ(ti)
ディ(di)
ジャ(zha) ジュ(zhu) ジョ(zho) チャ(cha) チュ(chu) チョ(cho) トゥ
(tu) ドゥ(du)

この方式は一對一の對應なので變換效率からしても效率的であるが、英語學習上も效率がよいことはだれもが納得するだらう。

[附記]

ヂを ji とすることに奇異の念をいだかれる人もあるかもしれないので補足する。

時間軸でならべると以下の通り。

和英語林集成(慶應三年) ヂ(ji) ジ(ji) ヅ(dz) ズ(dz)

サトウ論文(明治12年) ヂ(ji) ジ(zhi) ヅ(dzu) ズ(zu)

羅馬字會(明治18年) ヂ(ji) ジ(ji) ヅ(zu) ズ(zu)

和英語林集成第三版(明治19年) ヂ(ji) ジ(ji) ヅ(zu) ズ(zu)

朝河貫一『入來文書』(昭和4年) ヂ(ji) ジ(zhi) ヅ(dzu) ズ(zu)

サトウは來日してすぐにヘボンに會ってゐる。サトウ論文はヘボン式批判であった。

慶應3年の和英語林集成ではジヂはともに ji であり、ズヅはともに dzであった。つまりヘボンは四假名(ジヂズヅ)はダ行音に收斂したとみてゐたのだ。第三版がズヅを zu としたのは羅馬字會の方式に從って dz をやめたためであるが、このためズヅをダ行音と捉へてゐたことが忘れ去られ、類推によって j がダ行音であることも忘れ去られたのだと思はれる。

英和辭典をみれば j が ch の有聲音であることは明白であったのに、戰後の假名字母制限(いはゆる現代假名遣のこと)のときに英語音のことを考へない人たちがボタンを掛け違った。これが英語教育を損なってゐること如何ばかりか。

それで needs をニーズ、kids をキッズ、Medvedev をメドヴェージェフと書かなければならない。最後の例、ヴェといふ本來の假名にない音をも表記しようとしてゐながらラテン文字で De にあたる部分をジェと書くことを變だと思はないのが不思議だ。

2014年01月15日

◆「中国は2年以内に矛盾が爆発」

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」

 
〜平成26(2014)年1月14日(火曜日)
       通巻第4116号〜  

中国は「解決不能の2つの難題をかかえ、2年以内に矛盾が爆発するだろう」
  世界一の投機家、ジョージ・ソロスが辛辣に中国経済を予測

ウォールストリートジャーナル(1月14日付け)に依れば、世界一の投機家、ジョージ・ソロスがNPO国際組織「プロジェクト・シンジケート」に寄稿し、中国経済の難題を指摘しながら「中国は解決不能の2つの政策的難題をかかえ、2年以内にその矛盾が爆発するだろう」と予測していることが分かった。

中国の経済当局は目の前の危機を回避させるために、金融緩和と溶鉱炉の再開を命じたが、この強気の2つの政策は自己矛盾であり、しかも解消不能である。

第一に経済改革は政治改革と連動していなければ達成は不可能。つまり、(経済政策の失敗は必定であり)それによって共産党の信頼性が失われる。

したがって第2に中国共産党は国内的に反対運動への弾圧を強化し、対外的には軍事対立を先鋭化せざるを得なくなるだろう。

ソロスは従来、中国にやや楽観的予測を展開してきたこともあったが、ドイツや東南アジアの通貨危機に便乗して、投機に成功したものの中国の人民元投機を試みたことはなかった。

理由は人民元は操作された相場であり、完全な変動相場制に移行しないかぎり、通貨投機は失敗を招きやすいと踏んだからだ。

◆米中、2009年に北朝鮮有事を議論

古澤 襄


米国と中国が2009年に、北朝鮮で事態が急変することに備え、話し合いを行っていたことが12日(現地時間)明らかになった。

<米国と中国が北朝鮮の事態急変について話しあったのか。

この質問に対し、2009年10月にカート・キャンベル国務次官補(アジア・太平洋担当)=当時=が「あらゆる事案について話し合った」と回答したことが、米国連邦議会調査局(CRS)が最近発行した報告書『中国と大量破壊兵器・ミサイル拡散』で明らかになった、

キャンベル次官補の発言は、米中が公式のチャンネルを通して北朝鮮の事態急変を話し合ったことを認めたものだと解釈されているが、キャンベル次官補がこの発言をいつ、どこで行ったかは、報告書では明らかにされていない。

米中両国はこれまで、北朝鮮の核問題などをめぐってさまざまな協議を行ってきた。しかし中国は、北朝鮮との特殊関係を考慮して北朝鮮の事態急変については難色を示し、公式の協議は行われなかったという。

報告書は、北朝鮮で事態が急変した場合も、米国と中国の利害関係は鋭く対立するという見込みを示した。

報告書は「中国は、北朝鮮との軍事関係から、圧迫よりも北朝鮮の政権の安全保障と生存を支持する側に焦点を合わせるものとみられる。中国は北朝鮮の内部崩壊を受け入れず、他国が北朝鮮の政治や軍事の統制権を掌握することを受動的に見守ることもないだろう」という見解を示した>。
(韓国・朝鮮日報)
2014.01.14 Tuesday name : kajikablog


◆「大東亜戦争肯定論」を読む D

平井 修一


マルキシズム系の文書だけではなく、いわゆる進歩的学者諸氏の著書を読 んでいると、天皇制ファッシズム、軍部ファッシズム、右翼ファシストな どという用語がふんだんに出てくる。その頂点に天皇が位し、日本国民を 欺き、強制して「無謀な戦争」に巻きこんだということを、これらの進歩 人諸士はほとんど先験的に信じ込んでいるようだ。

大変おかしな話だと私は考える。イタリーにおいてムッソリーニの政党 が、ドイツにおいてヒットラーの政党がそれぞれ政権を獲得していわゆる 全体主義国家をつくり、日本がこれと三国同盟を結び、大東亜戦争を遂行 したことは事実である。だから日本もイタリーとドイツと同じファッシズ ム国家であったという論理はきわめて俗耳に入りやすい。

と言っても、進歩的学者諸氏がこの俗説の発明者であるとは私は思わな い。発明者は米、英、ソ連をはじめとする当時の連合国側であり、第2次 世界大戦は彼らによって「ファッシズムと民主主義の戦争」だと規定さ れ、後者の“当然な勝利”によって終結したと説明され、理論づけられている。

日本の進歩的学者諸氏はこの連合国側の俗耳に入りやすい戦争イデオロ ギーまたはスローガンをそのまま受け入れただけであって、要するに、優 秀な俗耳の持ち主はまず彼ら進歩学者諸君であったということになる。

戦争における同盟が、同一の、または近似した政治的軍事的利害によって 結ばれることは古代からの戦争史の通則であるが、必ずしも同盟国の政治 体制が同質であることを必要としないし、その実例はきわめて少ない。

古代にさかのぼるまでもなく、第二次世界大戦における連合国側はすべて 同質のデモクラシー国家であったかどうか。米英、英仏、仏蘭、さらにこ れら諸国とソ連または当時の中華民国との政治体制との差異を思い起こし ていただくだけで、説明は不要であろう。彼らは「ファッシズム対デモク ラシー]のスローガンによって、連合してそれぞれの自国の利益を守った だけである。

日本がもし当時のムッソリーニまたはヒットラー流の「ファッシズム国 家」であったならば、話は簡単である。こんな長々しい「論文」を書くか わりに、進歩人諸君とともに日本の敗戦と日本ファッシズムの壊滅を祝 し、デモクラシー万歳を唱えれば、それですむ。

だが、調べれば調べるほど、この「万歳」は簡単に唱えられないことが分 かってきた。頭山満と内田良平がムッソリーニに似ていないように、東条 英機も石原莞爾もヒットラーには似ていない。2.26と5.15の青年将校たち はナチの突撃隊員とは全く違う。

学者なら、まずこの差異から研究を始めるべきである。戦勝諸国からの舶 来品に違いない「天皇制ファッシズム」「軍部ファッシズム」「右翼ファ シスト」などの用語を、自分の頭脳で再検討することなしに、その著書の 中に用いることは、慎重なるべき学者教授諸士の名誉とは言えまい。・・・

数年前に、メキシコを訪れたとき、革命家で画家のディエゴ・リベラがメ キシコ民族の歴史を描いた大壁画を見た。メキシコの古代民族マヤ族とア ステック族の打ち立てた帝国の繁栄と壮麗を再現した部分は、どこの国の 神話よりも美しかった。

メキシコ独立戦争を描いた部分はどの戦争絵巻よりも勇ましく壮烈であ り、現代の工業化と労働者農民の解放を描いた終曲には、メキシコ民族へ の愛情と洋々とした未来への希望が鳴り響いていた。

リベラはマルクス主義の影響を受けていた革命家で芸術家であったが、同 時に熱烈な愛国者であり、この3つの資格の間に毛筋ほどの隙間もなかっ た。どんなに現代を批判し、悪政に反抗しても、メキシコ民族の歴史その ものを醜化し嘲笑し、これを汚すようなことはしていなかった。むしろ歴 史を美化しすぎていると外国人の私には感じられたほどの美と力にみちた 壁画であった。

私は日本の現代史としての「東亜百年戦争史」を書き進んでいるが、画家 ではないからリベラのような美しい画は描けない。また、美術家でない文 学者としては、美しすぎる画を描いてはいけないと信じている。

ただ、敗戦後の日本の「進歩的」歴史家たちによって野放図に醜化され歪 曲された日本歴史の解釈には断固として抵抗する。あったがまま、あるが ままを書けばいいのだ。日本という国の歴史はそのままで他の国々の歴史 に劣らず美しいのだ。同時に多くの美しくない面も含んでいるが、それは またそのままで、私たち日本人にとっては貴重である。

大東亜戦争の解釈についても言える。私はこの「大東亜戦争肯定論」でも誇 張された醜化と誇張された美化を避け、あったがままに書き記す。文学者 は己を偽ることができないように、対象を偽ることができない。私は画家 でも革命家でもないが、ただ文学者・歴史家・愛国者の3つの資格の完全 な一致を願う点で、メキシコ市におけるディエゴ・リベラの態度を学びたい。(おわり)(2014/1/10)