2013年12月13日

◆消えた「殉死」

平井 修一


昔から小生は本は何回か読まないと記憶に残らない。一度読めば大体は記憶できるという人から見れば暗愚に見えるだろう。

知人に2ケタ台の「九九」、つまり99×99まで記憶している人がおり、家庭生活では実に愚かしかったが、仕事では実に頭が切れていた。

それに比べると小生の記憶容量ははるかに小さく、必要な情報をぱっと取り出せずに困惑することが多い。小生自身も気が短いから、そんな自分にいらいらしたり、情けないとか不甲斐ないとか思うことがしばしばある。

読んだ本を次から次へと忘れていく小生が変わっているのか、それとも皆そんなものなのか。損得で言えば、同じ本を何回読んでも楽しめるのだから得と言えば得である。しかし、記憶(データベース)を蓄積していく効率が悪すぎる。人生ゲームの時間、つまり寿命は限られているのだから効率を上げなければならない。

森鴎外の『阿部一族』を15年ぶりに再読したが、やはり記憶は見事なほどに吹っ飛んでいた。そのお陰で楽しめたのだから、いいと言えばいいが、何か遠回りをしている印象である。

カフカの「城」のように核心にちっとも近づけないもどかしさ、焦りを感じる。老いると気が短くなるのか、それは残された時間が少ないからなのか・・・

『阿部一族』は江戸時代初期の寛永18年(1641年)、肥後藩主・細川忠利(ただとし)の死に際して19人の家臣が殉死(じゅんし)した事件と、それに続いて重職にあった阿部一族が上意討ちにより全滅した事件を題材とし、大正2年(1913年)1月に発表された。

肥後熊本の細川政権は、寛永9年(1632年)の忠利の入国によって始まる。忠利の母は明智光秀の娘・玉子(ガラシャ)で、玉子がキリスト教の洗礼を受けさせたというが、忠利にはその影響は全く感じられない。

殉死はキリスト教が罪とする自死であり、忠利がキリスト教徒なら殉死を禁じただろうが、その形跡はない。

忠利は「武の時代から幕藩体制に移りつつあった新しい時代に、細川家を大大名家として保つのに成功した名君」との評価があり、晩年の宮本武蔵を招き客人として遇したことや、水前寺(成趣園)の創建などでも知られている。

鴎外は小倉の第12師団軍医部長時代と、陸軍省医務局長時代の2回、熊本を視察しており、栖本又七郎(すもと、作中では「柄本又七郎」)などの証言を元にした『阿部茶事談』に接したようだ。

これを下敷きにした『阿部一族』は、明治天皇崩御後の乃木希典(まれすけ)陸軍大将の殉死(大正1:1912年9月)に刺激されて書かれたと言われる。

殉死とは、主君などの死を追って臣下などが死ぬことで、殉死のうえで葬ることを殉葬(じゅんそう)という。古代エジプトやメソポタミア、古代中国、古代朝鮮半島、日本などにおいては殉葬が行われた。

中世以降の武家社会においては妻子や家臣、従者などが主君の死を追うことが美徳とされ、それを忠臣の証と考える風習ができ、世間から讃えられるほどになった。

遂には近習、特に主君の寵童出身者、重臣でありながら殉死をしないものは不忠者、臆病者とまで言われ、殉死は一種のブームになった。忠利の時代も“殉死ブーム”だった。

徳川幕府は寛文3年5月(1663年)諸大名に殉死を禁ずるよう命令し、天和3年(1683年)には末期養子禁止の緩和とともに殉死の禁は武家諸法度に組み込まれ、本格的な禁令がなされた。

乃木希典を描いた司馬遼太郎の『殉死』は有名だ。「乃木の思想と行動は、司馬遼太郎にとって生涯最大の憎悪の対象であった昭和の日本陸軍そのものであり、乃木はそれが人格化されたシンボルであった」(「明治維新 歴史浪漫」)。

司馬は乃木大将をくそみそに貶めているが、福田恒存あたりからは「それは違うんじゃないか」と反論が寄せられ、物議を醸している。

司馬は「好きか嫌いか」の感情・感性で判断する女性的な「木を見る」「虫の目」視線、福田は「事実はどうであったのか」の理性で本質・事実に迫る男性的な「森を見る」「鳥の目」視線である。鴎外も福田のように学究肌だったろう、できるだけ好悪を交えずに、史実に基づこうという姿勢である。

いろいろ調べてみたが、わが国では乃木大将以降の100年間で殉死は見られない。君臣関係がまったくなくなったのだから殉死はあり得ないわけだ。

せめて社長が死んだら社員が「後追い自殺」をしてもよさそうなものだが、誰ひとりとしてしないのは両者の間はただの雇用関係で、社長自身も「城を枕に討死」なんて夢にも思わないからだ。

年功序列、終身雇用の“日本的経営”、官民歩調を合わせた護送船団方式の“日本株式会社”も年々影をひそめている。君主のようなカリスマ経営者も、忠臣のような従業員もずいぶんと少なくなっているだろう。

話題になる経営者の多くはカリスマ“的”経営者で、銭の匂いはしても畏敬の対象にはなり得ない。乃木大将は神格化された最後の人で、彼をもって殉死も終わったのである。小生も凡夫なりに人生の締めくくり方を考えておかなければならない。(2013/06/17)

    <「頂門の一針」から転載}

2013年12月11日

◆「防空圏」真目的を見抜けなかった米

国際アナリスト EX

習近平国家主席と会談した翌日、北京市内のホテルで講演するジョゼフ・バイデン米副大統領。中国の防空識別圏設定に関して「率直に米国の確固とした立場と深い憂慮を習氏に伝えた」と強調したが、日本政府が主張する防空圏の「撤回」という言葉は使わなかった=5日(ロイター)

習近平国家主席と会談した翌日、北京市内のホテルで講演するジョゼフ・バイデン米副大統領。中国の防空識別圏設定に関して「率直に米国の確固とした立場と深い憂慮を習氏に伝えた」と強調したが、日本政府が主張する防空圏の「撤回」という言葉は使わなかった=5日(ロイター)

中国が尖閣諸島(沖縄県石垣市)を含む東シナ海上空に防空識別圏(ADIZ)を設定したことへの米国の対応が怪しい。11月23日に中国が防空圏の設定を発表した後、米国は日本とともに中国を批判。25日(日本時間26日)には、中国側に事前通報しないまま米軍B52爆撃機を尖閣諸島上空に飛行させた。中国の防空圏設定に対する挑戦的な米側の行動に、日本は安(あん)堵(ど)したに違いなかった。

ところが、米政府は29日(日本時間30日)、米航空各社に対し、防空圏を米民間航空機が通過する際、飛行計画の事前提出など中国側の要求に従うよう促した。日本政府が、日本の航空各社に逆の要請をしていただけに、たちまち日米のちぐはぐな対応が露見したといえる。

副大統領、撤回求めず

12月5日付の米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は、4日のジョゼフ・バイデン米副大統領(71)の訪中に関する社説の中で、米国は中国に強い対応を取るべきだと訴える。WSJは「バイデン氏も、オバマ政権の他の閣僚も、米国は防衛義務を持つ日本の領土上空に中国が設置した防空識別圏を容認できないということを明言していない」と指摘する。

その上で、むしろ米国の中国に対するシグナルは、日本との衝突の可能性を最小限にするようなやり方での防空圏設定を望んでいるというもので、こうした対応が「米国と日本の隙間を生じさせる危険性があり、それを中国が日米間の弱点だと解釈する可能性がある」と解説する。

日本の軍国主義の復活…中国がその復活の条件を整えている

恐らく、中国は日米の“歩調の乱れ”をすでに察知しているだろう。中国の習近平国家主席(60)は、バイデン氏との会談で、防空圏の撤回を口にすることはなかった。もっとも、バイデン氏も防空圏設置を非難こそすれ、撤回は求めていないから言及するはずもない。

6日付のWSJは、バイデン氏訪中に関する記事の中で、「米中が対立姿勢を弱める兆しがうかがえる。両国は、地域の安全を脅かしたり航空機の操縦士や乗客の生命を危険にさらしたりするような手段での対応はしないとの了解に向かっている」と報じている。

はしご外される日本

日本ははしごを外されつつあるようだ。これでは、中国に圧力はかからない。こうした米国のちぐはぐな動きを、5日付の英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)の論評は、「日本は中国の圧力を、危険で差し迫った挑戦とみているが、米国にとっては、やや遠く離れた懸念材料であり、地政学的なチェスボード上の1コマなのだ」と解説する。

FTは、中国は自国の力量を過信するが海上自衛隊の能力には及ばないため、「簡単に尖閣諸島の支配を確立することはできない」と断言。また、支配したとしても尖閣諸島に戦略的価値はなく、逆に他のアジア地域の日本への信頼を高めることになりかねないと見通す。

むしろ「可能性の高い結末」として、日米同盟の強化、または核兵器保有の可能性を含む日本の防衛力強化を挙げる。そして、「中国が絶えず警鐘を鳴らしてきた日本の軍国主義の復活は、実際はまだ先の話なのに、中国がその復活の条件を整えているのだ」として中国を戒める。

中国の真の狙いは「米国の存在を太平洋地域から追い出すこと」

バイデン氏の今回の日中韓歴訪は、本来の目的とは異なる、中国の防空識別圏への対応が中心的なテーマになってしまったが、改めて米国外交の「アジア回帰」のあり方を問う好機となった。しかし、その結果は、歴訪前後の情勢にさほどの変化をもたらしていない。

 3日付の米紙インターナショナル・ニューヨーク・タイムズの分析記事は、オバマ政権高官の発言として、中国の真の狙いは「米国の存在を太平洋地域から追い出すこと」と記述する。中国の防空圏設定が狙う本当の目的は、尖閣諸島よりももっと大きなことだという認識が米国側にもっと強くあれば、バイデン氏の歴訪も違うものになっていたかもしれない。産経ニュース 【日々是世界】 2013.12.10 11:05

<「頂門の一針」から転載>

2013年12月10日

◆「神」になった毛沢東

河崎 真澄


生誕120年 故郷に押し寄せる観光客が求めるのは思想ではなく出世、商売繁盛の?御利益?。

1949年に新中国を成立させた毛沢東の生誕から今月26日で120年を迎える。生まれ故郷の湖南省韶山(しょうざん)は人口12万人ほどの山村だが、今年1〜9月に778万人が詰めかけた。

一般開放されている生家や、ゆかりの品が置かれている記念館を一目見ようと、観光客の長い列が続く。貧富の格差拡大を嫌気し、みな平等に貧しかった毛沢東時代を懐かしむ声もあるが、一方で広場に立つ毛沢東の像には「昇進」「商売繁盛」など“現世利益”を祈る人の姿もあふれていた。

ものものしい献花行事の費用は1団体あたり1999元(約3万3千円)。係員によると、費用を払って“出世祈願”をする団体は1日に数十件にのぼる。実際に昇進を果たして、“お礼参り”に訪れる公務員や企業幹部も少なくないという。

毛沢東が清朝末期の1893年に生まれた韶山は湖南省の省都、長沙から直線距離で80キロほどの山間にある。当時の農家としては比較的恵まれた家に生まれたことは、生家に3兄弟それぞれの部屋があり、豚の飼育や耕作用の牛の部屋もあることから分かる。

生家は無料開放されているが、中に入るには、金属探知機によるセキュリティーチェックが必要だ。地元ガイドによると、最近は週末なら1時間待ち、連休となれば3時間待ちが普通だという。

金色の毛沢東像の顔がフロントガラスの外に見えるように車内に置いていた地元のタクシー運転手は、「毛主席は韶山では“平安神”。すべての安全の神様だよ。だって毛主席は生涯にわたって戦争に負けたことも、大きな傷を負ったことも一度もないから」と笑顔をみせた。

「毛主席と一緒に記念写真を撮りませんか」

広場の脇にある土産物店の客引きの宣伝文句に誘われて店内に入ってみると、中山服を着た“そっくりさん”がたばこをくゆらせながら若い女性観光客と握手をしていた。

売り子が記念写真を撮影し、カラープリントした画像を写真立てに入れて128元(約2100円)で売っていた。写真ができあがるまでの数分間、肖像画や置物、毛沢東語録、コインなどあらゆる“毛沢東グッズ”の、矢のような売り込みが続く。

高さ約130センチの毛沢東像には1万1500元(約19万円)の値札がついていた。売り子に「買うとしたらいくら?」と値切ってみたところ、「買うとは失礼な。『請(チン)』といえ」とたしなめられた。請とは仏像や仏壇、供物などを求めるときに使う。「お越しいただく」とでも訳すべきか。

毛主席像は「昇進や商売繁盛の霊験あらたか」として、値引きなしでも飛ぶように売れているという。

地元紙によれば、今年1月から9月まで韶山を訪れた人は778万人で、前年同期比16・9%増。観光収入は20億406万元(約335億円)で同20%も増えた。農業以外に大きな収入源のない韶山にとっては「神様、仏様、毛沢東様」の気分だろう。

節約の励行と浪費の戒めを説いた「勤倹建国」との毛沢東の言葉は、生まれ故郷の韶山にはびこる拝金主義にかき消されていた。

「誤り」封殺は続く

生誕120年で毛沢東ブームが起きているのは生まれ故郷だけではない。中国版ツイッター「微博(ウェイボ)」では毛沢東思想や毛沢東時代を語り合う言論グループ「紅歌会網」や「紅色沙龍(サロン)」などが1万数千人ものメンバーを集める。

ネット上では若い男女が「毛主席は貧富の格差拡大に怒っているはずだ」「毛主席の思想こそが中国が進む道だ」などと過熱気味に語り合う。習近平指導部への体制批判は微妙に避けながらも、農地の強制収用などにからむ汚職幹部を突き上げたり、「富二代」と呼ばれる幹部子弟の言動を批判したりしている。

昨年秋、中国全土の125都市以上で吹き荒れた反日デモの際、毛沢東の肖像画を掲げてデモ隊に加わる若者が各地で目撃されている。デモに参加した上海の大学生は、「毛主席さえ掲げれば武装警察だってデモ隊に手出しできない」と言い放った。

体制側に正面切って不満をぶつけられない中国人にとって、毛沢東は錦の御旗になっているようだ。

中国の教科書では、60年代から70年代にかけて甚大な被害をもたらした「文化大革命」について、それを発動した毛沢東の「誤りだった」と記述する。だが、毛沢東の死後、改革開放路線を推進した●(=登におおざと)小平は中国共産党の一党支配を揺るがせると考え、それ以上の毛沢東批判を封殺してきた。

生誕120年の今年、各地での祝賀行事では「偉人」として伝えられているが、自らの権力闘争のため、億人単位で影響を与えた文革という負の部分は覆い隠されたままだ。

韶山の街でふらっと入った小さな食堂で、経営者の女性(60)に思い切って文革時代の思い出を聞くと、「あのころは韶山も大騒ぎで大変な時代だったけど、そんな話は今は言っちゃいけないよ」と額にしわをよせて口をつぐんだ。

豊かさを求める時代。毛沢東への「信仰」は深まるばかりだ。

             ◇

毛沢東 1893年に湖南省韶山(しょうざん)で出生。中国共産党を率いて内戦で勝利し、1949年に中華人民共和国を成立させた。文化大革命などを通じ、党内で激しい権力闘争を展開。76年の死去後、81年に共産党は毛への評価を「功績が誤りをしのぐ」と決議した。産経ニュース2013.12.8 12:00

<「頂門の一針」から転載>
 

◆自衛隊の使命、メディアの使命

伊勢 雅臣


〜 ベストセラー小説『空飛ぶ広報室』から

国民に安心安全を届けている自衛隊を、メディアはいかに伝えているのか。

■1.「だって戦闘機って人殺しのための機械でしょう?」

「何かお勧めの題材はありませんか。できれば画になるような」と帝都テレビのディレクター・稲葉リカが聞いた。所は東京・市ヶ谷の航空自衛隊の広報室である。

「じゃあ、いっそのこと戦闘機パイロットはいかがですか?」と、広報室に新人として配属された空井大祐(そらい・だいすけ)二尉が提案した。空井は小さい頃から憧れていたアクロバット飛行チーム・ブルーインパルスへの配属が内示された矢先に交通事故に巻き込まれて、その道を断念して、広報室に配属されたのだった。

稲葉リカは険しい顔つきで、「興味ありません。だって戦闘機って人殺し
のための機械でしょう? そんな願望がある人のドラマなんか、なんでわ
たしが」

途端、空井の脳細胞が沸騰した。「人を殺したい、なんて、思ったこと、一度もありませんッ! 俺たちが人を殺したくて戦闘機に乗っているとでも」

大きな声に、先輩が飛んできて「アホッ! お客様に何て口の利き方だ!」と、脳天にガツンとげんこつを落とされ、襟首を掴まれて、部屋から引きずり出された。

後で、空井は広報室長から諭された。「自衛官やってりゃ、なんでこんなこと言われなきゃならないんだと思うことはいくらでもある。だが、そんなことを言われるのは広報の努力が足りてないせいだ。」

多くのマスコミが垂れ流す反自衛隊報道の偏見・偏向と戦い続けることが、自衛隊広報マンたちの孤独な任務だった。

■2.「津波が来る前に何機かでも飛ばすことはできなかったんでしょうか」

この後、空井とリカは二人で力を合わせて、ある企画を成功させ、その過程で二人は心を通わせ合い、リカの左巻きも徐々に治っていく、というのが、テレビ化もされたベストセラー小説『空飛ぶ広報室』[1]の本筋なのだが、それは本を読んでのお楽しみとして、ここでは心に残るエピローグのみ紹介しよう。

空井はその後、宮城県の航空自衛隊松島基地の広報担当に異動になり、そこで東日本大震災に出くわす。そして震災の10ヶ月後、リカが取材で松島基地を訪れ、二人は再会する、という設定だ。

松島基地にも、人の背丈ほどの津波が押し寄せ、駐機場にあった戦闘機や救難ジェットがぷかぷか流されて、格納庫に突っ込んでしまった。

「津波が来る前に何機かでも飛ばすことはできなかったんでしょうか」とリカは聞いた。この質問自体がリカの変貌ぶりをよく表している。左巻きの頃だったら、「人殺しのための機械が使えなくなったって問題ないでしょ」などと言ったかも知れない。

この質問には、空井の上司の広報班長が答えてくれた。余震が続き、しかもあれだけの大地震のあとは滑走路を総点検する必要があった。30分後と予想されていた津波には到底、間に合わない。

<当時の基地司令が人命優先を即断して避難指示を出したからこそ、松島基地は勤務中の隊員に一人の犠牲者も出さずに済んだのです。その後、無事だった隊員を全投入して災害救助活動に乗り出しました>。

■3.「自分たちは自衛官に被災者の資格を認めていないのだ」

その説明に、ふとよぎった違和感が、そのままリカの口を衝いて出た。「松島基地も被災しているのに、ですか」

その質問に広報班長の口元が揺るんだ。「そこに気づいてくださる方は稀です」

リカは思った。

「松島基地の自衛官たちが被災者として扱われていた報道など今まであっただろうか。少なくとも帝都テレビのニュースでは見かけたことがない。F−2が流された、救援ジェットが流された、甚大な損害が出たとそちらばかりを宣伝していた。

基地が完全に水没するような被害を受けてさえ、自分たちは自衛官である彼らに被災者の資格を認めていないのだ」。

「でも、、、隊員にもこちらに家族のある方がいるでしょう。心配じゃないんですか」

「もちろん心配です」と頷く広報班長に、リカは愚問だったと頬が火照(ほて)る。


「ですが、自衛官はみんな妻や子に言い聞かせていると思いますよ。もし何かあっても俺は家にいないから何とかやってくれ、とね。それが自衛官と所帯を持つということです。

だから、災害が起きたら真っ先に家族に連絡をとります。お互い無事だと分かったら憂いなく出動できますから」。

「もし、、、ご家族が無事じゃなかったら」

「死亡や危篤なら隊の配慮があるでしょう。しかし、家族の死に目に立ち会えないことも、家族に看取ってもらえないことも誰もが覚悟はしています。そうでなければ、海外派遣などに志願することはできません」。

税金で訓練するのだから当然だ、と言う者もいるだろう。しかし、いくら給料をもらっているとは言え、そこまで見知らぬ他人に尽くせるものだろ
うか。

■4.瓦礫の撤去や泥掻きが、なぜ「思いきった活動」なのか

広報班長は、隊員の救助活動の写真を数枚、見せてくれた。市街地や田畑での瓦礫の撤去や泥掻きの様子が映っている。「これもかなり思いきった活動の一つで、、、」

瓦礫の撤去や泥掻きが、なぜ「思いきった活動」なのか、リカには理解できなかった。

「よく見て下さい。隊員が民家の敷地内に立ち入っているでしょう。田んぼや畑にも。自衛官は救助活動以外で私有地に立ち入ることを許可されていないんです」。

「そんな、、、じゃあどうやって街の復興を」

起死回生の策を打ったのは、当時の基地司令だった。「基地から危険物や機密保持に関わる物品が近隣に流れ出している恐れがある」という名目で、私有地に入り込んでの救援活動を命じた。基地司令は、それが問題になっても自分一人で責任をとればいい、と決断したのだろう。

「そんな無理矢理な理屈付けをしないと田畑の泥掻きもできないなんて」と、リカは目眩(めまい)のような絶望を覚えた。

報道関係者には、「報道の仕方で問題になったら、この活動は打ち切らざるを得ない」と説明した。その結果、マスコミ各社のほとんどが「流出物の捜索」という名目を添えた報道をしてくれたので、問題にはならなかった。リカは、ほっと胸をなで下ろした。報道の良心が少しでも信じられる結果であってくれたことに感謝した。

「隊員たちはよく頑張ってくれたと思います。辛い光景もたくさん見たと思います。だけどあいつら、基地に戻って休んでも、すぐにまた出て行こうとするんですよ」。

広報班長が俯(うつむ)いて、目頭を抑えた。「空井、後を頼む」と、ようやくそれだけ言って、部屋を出て行った。

■5.「あなたたちって人は」

「女性隊員にも会ってみますか?」との空井の言葉に、「ぜひ」とリカは答えた。

空井の職場に居合わせたのは、リカと同年代の女性だった。「当日はどのような状態でしたか」と尋ねたリカに「揺れが収まってから真っ先に保育所に連絡を入れました」
「お子さんがいらっしゃるんですか。ご心配だったでしょうね。」

「幸いすぐに連絡が取れましたから。おかげさまで怪我一つなく、、、その日は保育所で預かってくれることになったので、子供を引き取りに行ったのは翌日です」

保育所から引き取った後は、近所の実家に子供を預け、そのまま隊務に復帰したという。「何かあったとき、家にいないのが自衛官だ」という広報班長の言葉をリカは思い出した。それは子供を持つ女性自衛官にとっても例外ではないのだ。

「何か特に困ったことは」とのリカの質問に、「おむつが心配だった」と言う。「支援物資にはおむつは入ってなかったんですか?」と聞くと、

「支援物資は被災者に届けるものですから。基本的に自衛官は受け取らないようにしてました。おむつは分けてもらわなきゃいけなくなるかもと思ったけど、差し入れが間に合ったし」。

「あなたたちだって被災者なのに」との言葉が喉までこみ上げたが、自衛隊員を被災者扱いしてこなかったマスコミの人間が言えるセリフではなかった。

「差し入れ」とは、全国の基地で隊員が自発的にカンパ物資を提供したものだった。自衛官が支援物資を受け取らないと分かっているからこそ、自然発生的にカンパが始まったのだろう。

ただ、そのカンパ物資に中のお菓子は、地元の小学校を慰問してプレゼントしたという。

「あなたたちって人は」と言いかけたリカは、涙がこみ上げて慌ててそっぽを向いた。胸にこみ上げる思いが波打つ。

あなたたちは一体、どこまで私たちに差し出したら気が済むんだろう、、、

■6.「自衛官をヒーローにしてほしくないな、と思います」

夕方まで取材を続け、駅までは空井が車で送ってくれた。車の中で、リカは聞いた。「わたしがどんな特集を作ったら嬉しいですか?」

「そうですね、、、」 空井はしばらく考え込んでから言った。「自衛官をヒーローにしてほしくないな、と思います」

「ときどき、自衛官は被災地でとても苦労してますって伝え方をされちゃうことがあるんです。家にもろくに帰れず、冷たい缶メシをかじりながら被災者のために頑張っています、って」。

「それ、何か問題があるんでしょうか?」 自衛官の献身を知らずに無責任に批判する声の多さを思えば、多少は自衛官びいきの報道をしたほうがバランスが取れるくらいだ。

「もちろん、そのお気持ちはありがたいんです。でも、それは報道の皆さんが分かってくれてたら十分なんです。分かってくれてたら自然と報道が公正になるでしょう?」

■7.自衛官の使命、ジャーナリストの使命「もう少し望んでもいいんじゃないですか」と聞くリカに、

「もちろん望みはあります。僕たちに肩入れしれくれる代わりに、僕たちの活動が国民の安心になるように伝えてほしいんです」。

自衛官の冷たい缶メシを強調されて、国民は安心できますか? 被災者のごはんも同じように冷たいのかって心配しちゃうでしょう?自衛官の缶メシが冷たいのは、被災者の食事を温めるために燃料を節約しているからです。

僕等が冷たい缶メシを食べていることをクローズアップするんじゃなくて、自衛隊がいたら被災者は暖かいごはんが食べられるということをクローズアップしてほしいんです。自衛隊は被災地に温かい食事を届ける能力があるって伝えてほしいんです。それはマスコミの皆さんにしかできないことです」。

ヒーロー扱いされることは、自衛官たちの自尊心を満たすだろう。しかし、それは自己満足でしかない。

自衛官の任務は、国民に安心安全を届けることだという、自らの自尊心までも捨て去った、無私の使命感がそこにあった。

そして、それをマスコミにも手助けして欲しいという。気がつくと、リカの頬に涙が伝わっていた。

「ああ、ごめんなさい。責めているわけじゃないんです」と、慌てる空井に、「責められたなんて思っていません。ただ、、、」

この言葉があれば、きっと一生大丈夫だ。ジャーナリストとして、迷っても、悩んでも、この言葉に立ち戻れば、正しい道が見える。

「ありがとうございます。一生の指針をいただきました。」

■リンク■
a. JOG(739) 気は優しくて力持ち 〜 自衛隊の人づくり 自衛隊員たちは、被災地の過酷な環境の中で、なぜこんなに優しくできるのか。
http://blog.jog-net.jp/201203/article_2.html

b. JOG(699) 国柄は非常の時に現れる(上)〜 それぞれの「奉公」 自衛隊員、消防隊員は言うに及ばず、スーパーのおばさんから宅配便のおにいさんまで、それぞれの場で立派な「奉公」をしている。
http://blog.jog-net.jp/201105/article_4.html

   <「頂門の一針」から転載>

2013年12月08日

◆中国の防空識別圏設定の本質

田母神 俊雄
     

11月23日、中国が尖閣諸島を含む東シナ海上空に防空識別圏を設定したことに対し、国際的な批判が拡大している。我が国にとっては歓迎すべきことであるが、マスコミ等での取り上げられ方を見ていると、国際的に設定されている防空識別圏についての基本的な誤認があるようだ。問題の本質が明らかになっていない。

防空識別圏は、それぞれの国の空軍などが対領空侵犯措置を行うために、各国の領空の外側の公海上などに設定している空域である。それぞれの国が国内法で独自に定めているだけの、あくまでも自国の軍に向けた国内規定である。

外国に対しウチの防空識別圏はこうなっていますから、許可なく飛んでもらっては困るというようなものではない。防空識別圏を設定することによって、そこを通過する航空機に何か報告義務を課すことは出来ないし、行動を制約することも出来ない。それが現在の国際的合意であり国際法なのである。

我が国では防衛省の訓令で防空識別圏を定めており、航空自衛隊は我が国の防空識別圏に飛来する全ての航空機の識別を24時間態勢で常時行っている。識別は、航空自衛隊が国土交通省から入手した民間航空機の飛行計画との照合によって、また電波で航空機に対し応答信号の発信を求めることによって実施される。

国際線を飛ぶ民間航空機などは、国際民間航空機関(ICAO)が定めているコードによって常時応答信号を発信することが義務付けられている。不審機と認められる場合には、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進をして不審機に接近、国籍や飛行目的の確認を行っている。

防空識別圏そのものは、どこに設定しようが各国の自由であり、それを日本のように公表している国もあれば、また公表していない国もある。各国とも勝手に防空識別圏を設定しているのであり、中国が今回のように防空識別圏を設定すること自体は、何ら問題はない。中国に対し防空識別圏を撤回させよという意見があるようだが、それは、おかしな話である。問題は中国が、防空識別圏の設定と同時に公告した公示内容である。

今回の中国の公告によれば、「防空識別圏は中国国防省が管理する」とした上で「圏内を飛ぶ航空機は、中国国防省の指令に従わなければならない」とし、「指令を拒否したり、従わなかったりした航空機に対して中国軍は防御的緊急措置を講じる」と明記されたのである。

中国の発表は、防空識別圏に名を借りた空域の管轄権の主張であり、我が国などにとって受け入れられるものではない。公海上空の飛行の自由は国際法上認められた各国の権利であり、これを侵されてはたまらない。

まして尖閣上空に防空識別圏が設定されて、その管轄権を主張されたのでは、尖閣諸島は中国のものであると言っていることになる。中国はそれを意図して今回の設定を行ったことは明らかであり、我が国が激しく反発したことは当然である。

またマスコミでは、中国が発表した防空識別圏は、尖閣諸島周辺上空が含まれており、すでに存在している日本の防空識別圏と多くの部分が重なっているとして、これを問題視しているが、すでに述べたことから分かるように、尖閣上空を含むことが問題なのではない。

また、防空識別圏が重なっていることも何ら問題ではない。国境を接しているヨーロッパ諸国などでは、防空識別圏は、当然他国の領土上空に設けられており、その多くは重複しているのである。

米国は、中国の主張は認めないとして、11月26日、グアムのアンダーセン空軍基地からB52B爆撃機2機を発進させ、中国の防空識別圏を約1時間に亘って、事前通告なしに飛行させた。

これに対し中国国防省の報道官は、「中国軍は全ての航程を監視した。中国は防空識別圏内のいかなる航空機の活動にも識別を行っている」と話している。また中国外務省の報道官も、「米軍爆撃機は中国の脅威か」との質問に対し、「具体的な状況に応じ、中国軍は規則に従って適切に対応する」と述べている。

中国はアメリカの行動を制約する気はなく、日本を威圧したいだけである。尖閣諸島を取りに来ているのだ。しかし、海空自衛隊機も、すでに中国の防空識別圏設定に関係なく、従来どおり飛行訓練や情報収集飛行を実施している。

我が国のJALとANAも一時中国に対し飛行計画を提出したが、政府の指導によりすぐに提出を中止した。我が国も中国に対し、その主張を認めないと意思表示したことになり、尖閣防衛の意思を表明したことになった。中国の無法を許してはならない。
2013.12.07 Saturday

<「頂門の一針」から転載>

2013年12月07日

◆特定秘密 民主政権の秘匿の報じ方

阿比留 瑠比


特定秘密保護法案に対するメディアの批判・攻撃がすさまじかった。法案が衆院を通過した翌日(11月27日)の各紙社説は「民主主義の土台を壊す」(毎日)、「ほとんど情報統制の世界に近い」(東京)などと、イソップ寓話(ぐうわ)の「オオカミ少年」もかくやとばかりに警鐘を乱打していた。

とはいえ、こうした扇情的報道には違和感を禁じ得ない。国民の「知る権利」と民主主義の危機は、実は菅直人政権時に訪れていたと思うからである。

安倍晋三首相は4日の党首討論で、菅政権が隠蔽した尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖の中国漁船衝突事件の映像を流した元海上保安官、一色正春氏の最近の言葉をこう紹介していた。

「先般、一色氏がテレビに出て『かつて出すべき情報を勝手に秘密にした。こうして(秘密の指定と解除の)ルールを決めることが大切だ。出すべき映像を出さないと判断できる状況が問題だ』と言っていた」

現在、安倍政権はこの映像について「特段の秘匿の必要性があるとは考えにくい」(菅義偉(すが・よしひで)官房長官)とし、「特定秘密」にも該当しないと答弁している。

海保は映像を即日公開するつもりで準備していた。中国に過剰に配慮した菅政権の恣意(しい)的な横やりがなければ、もともと「秘密」でも何でもなかったのだ。

にもかかわらず、当時の仙谷由人官房長官は一色氏を初めから「犯罪者」扱いすらし、こう強調した。

「大阪地検特捜部の(押収資料改竄(かいざん)・犯人隠避)事件に匹敵する由々しい事態だ」「逮捕された人が英雄になる。そんな風潮があっては絶対にいけない」

ちなみに、一色氏は国家公務員法(守秘義務)違反容疑で書類送検されたものの「犯行は悪質ではない」として不起訴処分となり、逮捕はされていない。一連の仙谷氏の発言は権力者による人権侵害に近い。

それに対し、現在、特定秘密保護法案の反対キャンペーンを張るメディアの反応はどうだったか。むしろ菅政権の尻馬に乗り、一色氏の行為をたたいていた。

一色氏は、自身のフェイス・ブック(11月21日付)でこうも指摘している。

「3年前のあの映像を、誰が何のために隠蔽したのか。(ジャーナリストらは)それすら明らかにできてはいないではないか。自分たちの都合の良いときだけ知る権利を振りかざしている姿は滑稽である」

振り返ると、映像流出時の朝日社説(22年11月6日付)はこう書いていた。

「仮に非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反することであり、許されない」

毎日社説(同日付)もこれと同工異曲で、「国家公務員が政権の方針と国会の判断に公然と異を唱えた『倒閣運動』でもある」と決め付けていた。

当時の菅首相は「民主主義とは期限を区切った独裁」を持論とし、喜々として三権分立否定論を語っていた人物である。彼らのルールなき情報隠しは正当化しておいて、今さら「国民の『知る権利』の代理人」(朝日)だと胸を張られると、こっちが赤面してしまう。
(政治部編集委員)
産経ニュース 阿比留瑠比の極言御免】2013.12.5 12:02

   <「頂門の一針」から転載>

2013年12月05日

◆張氏、「失脚」ではなく「粛清」

〜韓国政府〜

古澤 襄


読売新聞はソウルから張成沢氏は「失脚」ではなく「粛清」だと伝えてきた。同紙による韓国政府当局者との単独インタビューによる。

<【ソウル=中川孝之】韓国政府当局者は4日、本紙に対し、失脚情報が出た北朝鮮・金正恩(キムジョンウン)政権のナンバー2、張成沢(チャンソンテク)国防委員会副委員長(67)について、「張氏も不正に関与したとして、北朝鮮当局の取り調べを受けた」と語った。

張氏の親戚の外国大使2人が召還されたことも同日判明した。張氏自身の不祥事が今回の更迭につながった可能性が強まっている。

同当局者によると、張氏が部長を務める朝鮮労働党行政部の副部長2人が公開処刑された11月下旬と前後し、張氏も治安機関・国家安全保衛部などの取り調べを受けた。当局者は、具体的な容疑は明かさず、「容疑を認めたかは不明」と述べた。

金正恩第1書記の叔父の張氏が取り調べを受けるのは異例で、韓国政府は、張氏は単に職責を解かれた「失脚」ではなく、正恩政権の中枢から排除された「粛清」状態だと判断しているという。

ただ、柳吉在(リュギルチェ)統一相は4日、国会外交統一委員会の緊急会議で、「(張氏の)命に別条はないと把握している」と明かした。(読売)>

■張成沢氏一族の二大使も本国召還

<【ソウル聯合ニュース】韓国統一部の柳吉在(リュ・ギルジェ)長官は4日、国会外交統一委員会の緊急懇談会に出席し、失脚が伝えられた北朝鮮の実力者、張成沢(チャン・ソンテク)国防副委員長と関連し、張氏の側近2人が処刑された方法や日時についてはコメントするのが難しいと説明した上で、「張成沢と関係があると思われる人たちに対する粛清が進められていると聞いている」と述べた。

また柳長官は粛清の範囲と内容については「さまざまな傾向があると聞いている」と説明した。

これと関連して、韓国情報当局は張氏の姉の夫である全英鎮(チョン・ヨンジン)駐キューバ大使と、張氏の甥(おい)の張勇哲(チャン・ヨンチョル)駐マレーシア大使も先ごろ北朝鮮に召還されたことを把握したと述べた。(聯合)> 2013.12.05

<「頂門の一針」から転載>

◆やっぱり変だよ岩波書店(下)

平井 修一


岩波書店は売上などを公表していない。「出版ニュース」の推計では2005年200億円、2011年180億円と低迷している。雑誌「世界」はもとより岩波文庫、岩波新書も書店から姿を消している。楽天ブックスの出版社別売上ランキング(2012年度)で岩波は34位だった。2014年度の定期採用はない。落ち目である。

竹内洋著「革新幻想の戦後史」に「『世界』の時代」の章がある。それによると、敗戦後の日本人の感情は「戦前日本の否定派」と「戦前日本の肯定派」(部分否定含む)に分けられる。さらに否定派は「罪悪・自虐派」と「悔恨・革命派」に、肯定派は「無念・遺恨派」と「復興・再建派」に分かれるのだという。以下は同章の要約。

「悔恨・革命派」は、東京裁判を受け入れて二度と過ちを犯さない(という自虐史観)、反戦・平和、革新・革命に動き、その代表格は共産主義に影響された共産党、社会党などである。「復興・再建派」は経済復興、貧困克服、さらには皇国再建に動き、実務家や保守政治家に見られる姿勢だ。

この「悔恨・革命派」と「復興・再建派」が戦後の二大潮流と言っていいだろう。そして「悔恨・革命派」の雑誌になったのが岩波「世界」だった。

創業者の岩波茂雄は「世界」創刊5か月後の1946年4月に亡くなる。編集長の吉野源三郎は「平和問題懇話会」を組織し、清水幾太郎や丸山真男らの論客を育てていった。

1946年の日本出版協会の調査によると「世界」は、読んでいる雑誌、読みたい雑誌、読ませたい雑誌のいずれでも1位だった。1946年の創刊号(1月号、8万部)の発売された日には氷雨のなか、岩波書店小売部には長い行列ができ、完売したという。インテリ左翼や“進歩的文化人”に受けたのである。

ところが1949年頃から「世界」は勢いを失い「中央公論」に抜かれて3万部にまで落ち込んでいた。小生の生まれた年の1951年10月号の「講和問題特集号」は15万部も出たが、これは例外的だった。

ちなみに大江健三郎もその号を読んでいたようで、こう書いている。

<僕が初めて意識的に「世界」を手にとったのは1951年の夏休みあけのことであった。僕は16歳の高校生で地方に住んでいた。朝鮮戦争が、僕に、日本および日本人の被占領ということについて新しい眼をひらいていた>
(「持続する志」)

吉野は執筆陣から岩波茂雄が評価していたオールドリベラリストを徐々に排除し、吉野カラーの「平和的・進歩的文化人の牙城」として政治的な雑誌(小生から見れば容共左派的反日雑誌)にこれまた徐々に変えていくのだが、前述したように部数は低迷してしまった。従来からの「アカデミックな岩波文化」を評価する読者が政治臭を嫌って離れたのだ。

一方で共産党は党員数も急増し1949年の総選挙では得票率10%で大躍進した。共産党やシンパから見ると「世界」は保守党左派であり、保守派からはソ連のための平和運動と見なされ、「学者先生の平和談義」と侮られる始末だった。

岩波は日教組への食い込みを図ったが当初は相手にもされずに失敗し、その代わりに社会党左派が「世界」を米ソのいずれからも中立だとして評価、そのうちに「平和教育」「平和運動」など平和を唱えることが時流になり、日教組も「世界」を評価するようになってきた。

反対に共産党は、朝鮮戦争で日本が米軍の兵站基地になることを妨害するためにソ連が武装革命を指示し、この路線に走って自滅した。「恐ろしい党」というイメージが蔓延し、読売新聞の共産党支持率調査では1950年2.0%、1952年0.2%である。

一方で社会党は共産党支持者だった人の票をそっくりもらって1952年の得票率は前回の13%から22%に急増した。

こうした社会党躍進の動きから「世界」は復活し、1953年には1年間で読者が倍増した。その年の日本読書新聞の「10月に読んだ雑誌」調査(東大、早大、日女大の学生対象)では、「世界」は東大で1位、早大で3位、日女大で8位である。

「世界」掲載論文は朝日新聞が論壇時評で盛んに取り上げて「お墨付き」を与えたこともあって(今もそう)、東大を頂点とした有名国立大学の学生を中心に愛読されるようになった。

1950年代後半はスターリン批判、日共神話の崩壊などによって共産主義信仰は揺らぎだしたが、それに代わって1960年頃から「市民」という言葉が盛んに登場してくる。「世界」は共産党路線と距離をとっていたがゆえに、市民派サヨクの居場所となり経典になった。「世界」の時代になってきたのである。

1963年の京都大学新聞の読書調査によると月刊誌では1位「世界」50人、2位「文芸春秋」28人、3位「中央公論」15人、4位「前衛」(共産党機関紙)8人だった。「世界」族とか岩波文化人という言葉も生まれたが、共産党支持者には、このゆるい「市民派サヨク」の跋扈を苦々しく思う人もいた。

京都大学の姫岡勤教授は竹内洋ら「世界」族的な学生を前にこう語った。○○とあるのは当時の「世界」族に人気のあった非共産党系知識人である。

「君たちは私のことを物わかりの悪い教授と思っているかもしれないが、私は選挙のときは共産党にしか投票したことがない。○○のようなのは滅茶苦茶ですよ、遊泳術だ。マルクス主義は強力な理論的武器だが、かかわるなら徹底しなきゃ。河上肇(注)先生は偉い」

大学という安全地帯で良心的なポーズだけはとりたいという、「世界」族を代表する市民派サヨクのゆるい立ち位置への批判だろう。

60年安保で反日共系の新左翼が登場し、また池田内閣による「所得倍増政策」を追い風とした消費社会の始まりもあって、「世界」に陰りが見え始めてくる。60年代半ばには3万部ほどになっており、吉野は1965年には編集長を辞めた。

1976年の「世界」30周年記念号には、1967、8年の頃、岩波文化人である歴史学者からこう言われたとの編集委員の述懐がある。

<1970年までで「世界」は廃刊にしたらどうか。そうすれば戦後の一定の役割を果たして幕を下ろすことになるのではないか>

小生が思うに「世界」の時代はとっくに終わっているのだ。(おわり)
(2013/12/3)

注)河上肇(かわかみはじめ、1879年10月20日 - 1946年1月30日)は、日本の経済学者。京都帝国大学でマルクス経済学の研究を行っていたが、教授の職を辞し、共産主義の実践活動に入る。日本共産党の党員となったため検挙(1933年)され、獄中生活を送る(1937年出獄)。カール・マルクス『資本論』の翻訳(第一巻の一部のみ翻訳)やコミンテルン三十二年テーゼの翻訳のほか、ベストセラー『貧乏物語』で知られる。 (ウィキ)

<「頂門の一針」から転載>

2013年12月04日

◆米副大統領が防空識別圏に強い懸念

古澤 襄


■中国指導部に問題提起へ

<[東京 3日 ロイター]アジア歴訪の一環として日本を訪れているバイデン米副大統領は3日、中国が防空識別圏を設定することで東シナ海の現状を一方的に変更しようとしていることを米国は「強く懸念」していると述べ、中国指導部にこの問題を提起する方針を示した。

また、日中両国に対し緊張緩和に向けた道を模索するよう訴えた。

バイデン副大統領は安倍晋三首相との共同記者会見で、「こうした行動により地域的な緊張が高まり、事故や判断ミスのリスクが増大した」と指摘。「緊張が高まるリスクを緩和するための危機管理メカニズム、および日中間の効果的なコミュニケーション手段の必要性を強調するものだ」と述べた。

そのうえで、中国指導部にこの問題について直接提起する方針を示した。また、米国のアジア同盟国である日本と韓国、およびこれらの同盟国と中国の協調関係を強化することが重要とも指摘した。

バイデン副大統領は4日に北京入りし、その後、韓国を訪問する。

安倍首相は共同記者会見で、日本の自衛隊と米軍の運用を含む両国の政策や措置には何ら変更はないことを確認したとし、両国は緊密に協力することで一致したと述べた。

安倍首相はまた、日米安全保障同盟に基づき、引き続き中国の行動に対応していく考えを示し、中国が沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)を含む東シナ海上空に「一方的に」防空識別圏を設定したことは容認できないとの立場を示した。(ロイター)>

■首相「日米が緊密連携し対応で一致」

安倍総理大臣は、アメリカのバイデン副大統領と総理大臣官邸で会談したあと、そろって記者発表を行い、中国が東シナ海に防空識別圏を設定したことについて、現状の一方的な変更は認められないとして、力強い日米同盟に基づき、緊密に連携して対応していくことで一致したことを明らかにしました。

安倍総理大臣は、日本を訪れているアメリカのバイデン副大統領と、3日午後5時半すぎから、およそ1時間、総理大臣官邸で会談しました。

会談のあと安倍総理大臣とバイデン副大統領は、そろって記者発表を行いました。

この中で安倍総理大臣は、中国が東シナ海の広い範囲に防空識別圏を設定したことについて、「力による一方的な現状変更の試みを黙認せず、力強い同盟に基づき緊密に連携して対応していくことを確認した。民間機の安全を脅かすことを許容しないことで一致した」と述べました。

これに対しバイデン副大統領は「アジア太平洋が新たなときを迎えているときに会談した。日本とアメリカの同盟は、東アジアの安全と安定の基盤だ。また普天間基地の移設をできるだけ早く実施していくために努力していく」と述べました。(NHK)>
                                 2013.12.04

<「頂門の一針」から掲載>

◆やっぱり変だよ岩波書店(上)

平井 修一


先日、敬意を表している方から「あなたは盛んに岩波書店を叩くけれども、岩波は学術的に大きな貢献をしている」とご指摘を受けた。

たまたま小生は「コミンテルンと日本そしてアジア」というテーマで書きたいなあと資料を探していたら、岩波の「東アジア近現代通史 第5巻 新秩序の模索 1930年代」があった。

図書館で貸していただき、それに所載されている「コミンテルンとアジア」という論文を読んだのだが、なんかおかしいのである。コミンテルンと日本の関係の記述がまったくないのだ。日本共産党が「コミンテルン日本支部」としてソ連の金と指導で生まれたことがまったく書かれていない。

それを書けば、戦後に隠れ共産党員の吉野源三郎らに岩波が乗っ取られたことが明らかになるから、岩波はひと言も触れないのだろうか。そして岩波は共産主義大好きの容共左派的反日屋、GHQ的日本悪玉論の学者の本ばかりを出してきたのではないか。

「岩波は学術的に大きな貢献をしている」と言うけれど、古典などを除けばほとんどがインチキではないのか。小生から見れば日本を貶めよう、共産主義を招きたいという意志が強烈にうかがえるのだ。

上述の岩波の「東アジア近現代通史」には樋口雄一の論文「在日朝鮮人社会の成立と展開」も所載されているが、やはり奇妙というか異常な感じがする。以下ざっと紹介する。

<現在、日本には韓国・朝鮮人58万人余が居住している。韓国併合以前から居住し始めて、併合以降は日本の敗戦まで増加し続け、その大半は農民出身者である。これらの人々は日本による植民地支配下の農業の疲弊という事態の中で急激に増加した。日本敗戦の時点で、朝鮮人人口2500万のうち、500万人が日本、満洲、中国など朝鮮外で暮らさざるを得なくなっていた。

朝鮮は農業国で8割強が農民であり、このうちの8割は自小作を含めた小作農民であった。小作条件は厳しく、収穫の6割前後が小作料や水利料、肥料代などの名目で地主に収奪されていた。

朝鮮総督府が作成した「朝鮮の農業」(1941)では、「農家戸数290万戸のうち、その約8割230万横の大部分は、年年歳歳端境期においては食糧不足を告げ、食を山野に求めて草根木皮を漁り、辛うじて一家の糊口をしのぎつつある」という生活状況にあった>

これだけを見ると韓国併合→農業の疲弊→離農で、日本悪玉論になるのだが、それでは当時の日本の農業の状態はどうだったのか。

<明治30年代に確立した寄生地主制は、第一次世界大戦の戦中から戦後にかけて発展の頂点に達した。高率な小作料による農村の貧困は、都市の工場に安価な労働力を提供し、工業製品の海外競争力を高めたが、反面、国内市場を狭小なものにし、海外市場に依存せざるを得ない構造的な弱点をもたらした。すでに大正期には、地主制の克服が日本の近代産業の発展にとっての重要な課題となっていたのである。

1926(大正15)年5月、農林省は「自作農創設維持補助規則」を公布した。これを受けて、静岡県では同年10月に「静岡県自作農創設維持資金貸付規則」を定め、自作農創設維持事業(自創事業)に着手した。この事業は、地主に小作地を解放・売却させ小作農を自作農化すること、および自作農の小作農化を防ぐことを目的としていた。

1938(昭和13)年、政府は、戦時農業統制政策の一環として農地調整法を定めた。同法には、道府県・市町村等の団体が地主に対して土地の解放を求めることができることなど、自作農創設のための条項が盛り込まれていた。

政府は農地制度を整備し、食糧生産を確保するため、1942年に「皇国農村確立運動促進ニ関スル件」を閣議で決定した。これを受けて、農林省では自創事業の規模を拡充した。1942年の自作農創設維持戸数は30万4406戸であった>(静岡県「戦前の自作農創設事業と戦後の農地改革〜地主制解体への道程〜」)

<戦前の日本における農業は自作農(1942年時点で31.5%)、自小作農(自作兼小作、20.1%)、小自作農(小作兼自作、19.6%)、小作農(28.4%)の農家と地主によって支えられていた。

この中で特に地主と小作農の関係がしばしば問題になった。昭和初期、凶作や経済不況のために、ただでさえ貧しい小作農は一層貧しくなり、小作料の支払いは滞り、地主との間に小作争議が発生した。農業の不安定化は国力の低下を招くので政府は1938年に農業調整法により小作人の権利保護を図ったが、1941年には太平洋戦争に突入し、農業の生産力そのものが壊滅的な打撃を受けた>(慶応大学玉田康成研究会「日本の農業における課題と政策分析」)

日本も農業振興に苦労していたのである。

岩手県によれば大正2年、10年、昭和6年、9年、16年、20年も大半が平年作(当時の平年反収は280kg前後)の半分以下となった。「農村部では稗(ひえ)や蕎麦、大根や干葉を混ぜたカテ飯、ナラの実などの救荒食(きゅうこうしょく)でわずかにその日を糊するような生活」だったという。

特に昭和5年から9年(1930〜1934)にかけて、東北地方を中心として発生した凶作は飢饉に近く、「昭和東北飢饉」といわれるほどで、娘の身売りが相次いだという。二・二六事件(1936年)の一因にはこうした農村の疲弊があったと指摘されている。

こうした事情をバッサリ切り捨てて「日本による植民地支配下の農業の疲弊」というのはおかしくはないか。著者の樋口雄一はNPO法人・高麗博物館(東京・新宿大久保)館長で、そのサイトには「高麗博物館は、秀吉の2度の侵略と近代の植民地支配の罪責を反省し、歴史の事実に真向かい、日本とコリアの和解を目指します」とある。根っからの自虐史観、日本悪者論者なのだ。

2010年に岩波は樋口や大江健三郎などと「韓国併合100年 日韓知識人共同声明」を発表し、「いまや、日本でも新しい正義感の風を受けて、侵略と併合、植民地支配の歴史を根本的に反省する時がきているのである。罪の許しは乞わねばならず、許しはあたえられねばならない。苦痛は癒され、損害は償われなければならない」とアピールしている。

反省しろ、土下座しろというわけだ。異常というか、ほとんど狂気である。こういう極端に偏向している論者を起用しているのが岩波なのである。まともな出版社ではない。(つづく)(2013/12/2)

<「頂門の一針」から転載>

2013年12月03日

◆韓国の韓国による韓国のための歴史

阿比留 瑠比


「正しい歴史認識が具体的な行動で示されることが必要だ」

韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相は11月27日、ソウル市内での講演で、日本政府にこう要求した。これを聞いて、韓国側がいう「正しい歴史認識」とは果たして何かと考え込んだ。

それはきっと、自分たちに都合のいいように過去を美化し、粉飾した「韓国の韓国による韓国のための歴史」なのだろう。とても付き合いきれたものではない。

そんなことを思いつつ同日夜にある会合に出たところ、韓国から日本に帰化した呉善花(オ・ソンファ)拓殖大教授と久しぶりに会い、平成9年1月のあるエピソードを思い出した。

当時、慰安婦問題をめぐるパネルディスカッションを取材し、パネリストの一人だった呉氏のこんな発言を紙面で紹介した。

「私は強烈な反日教育を受けた世代で、日本人がどんなにひどいことをしたかという本をたくさん読んだが、『従軍慰安婦』という言葉は聞いたことがなかった。貧困家庭の親が娘を売ったという話は少しは聞いたが、強制連行の話などなかった」

呉氏の出身地は韓国・済州島で、済州島は吉田清治氏という「詐話師」が“慰安婦狩り”を行ったと偽証し、それが世界に広まって大問題となった舞台である。

そこで生まれ育った呉氏も、全く慰安婦の強制連行など聞いたことがなかったという点が興味深かったため、コメントを記事で引用したのを記憶している。

ところが、このごく当たり前の発言に対し、韓国当局は激烈な反応を示した。記事が掲載された日の夜、呉氏から筆者にこんな相談の電話がかかってきたのである。

「済州島の実家や親類の家が、韓国の公安に一斉に家宅捜索されました。何も出てこないのは分かっていての嫌がらせだと思う。どうしたらいいでしょうか」

筆者は、「そのことも書いて韓国当局の非を鳴らしましょうか」と述べたが、このときは家族に災難が降りかかることを懸念した呉氏の意向で記事化は見送った。

韓国としては、何が何でも済州島で慰安婦狩りが実施されたことにしたかったということか。呉氏の発言は、触れられたくない「不都合な真実」だったようだ。

当時、すでに吉田証言がデタラメであることは知られていた。にもかかわらず、慰安婦問題で被害者として日本を非難し続けたい韓国は、後生大事に吉田証言を守ろうとし、呉氏の言論封じを狙ったのだろう。

こんな国が「正しい歴史認識」とやらを振りかざし、朴槿恵(パク・クネ)大統領自らが世界で「日本は悪い国だ」と“告げ口外交”を繰り返しているのだからあきれる。

呉氏は新著、『なぜ「反日韓国に未来はない」のか』(小学館)の中でも次のように記している。

「私は韓国で生まれて26歳まで韓国で生活していた間、村の女を軍や総督府の官憲が強制的に連行したといった話は一切耳にしたことがない。また、私がインタビューした植民地世代韓国人も『一人としてそのような様子を見たことも聞いたこともない』といっている」

一方、朴大統領は11月4日、英BBC放送(電子版)のインタビューで慰安婦問題について「『過ちはない』として謝罪する考えもなく、苦痛を受けた人を冒涜(ぼうとく)し続ける状況では(首脳会談をしても)得るものはない」と語り、こうも強調している。

「歴史認識について日本の一部指導者が今後もそういう発言を続けるなら、会談しない方がましだ」

苦痛を受けた人を冒涜し続ける指導者とは、いったい誰か。当てはまる人物が思い当たらない。間違いないのは、誤った歴史認識を抱いているのは日本側ではなく韓国側だということである。(産経・政治部編集委員)

<「頂門の一針」から転載>

◆ロシア帝国を潰した日本(2)

平井 修一


(承前。パルヴスの「戦争と革命」から)

戦争は国家のすべての力、すなわち軍事的、行政的、財政的諸力の極度のある緊張を要求するだろう。

ロシアには平時で100万の軍隊がある。この数は巨大だが、ロシアはおそろしく大きく、国境線は7万キロにもなり、そのすべてで摩擦が起きている。全軍の3分の2が西部国境の防衛に必要とされ、残りが首都と中央アジアに配備され、これで全軍だ。

戦時になれば西部国境で軍隊を著しく増大しなければならない。長引けばなおさらである。

ロシア軍は予備役などを含めると300万人というが、現役を含めて質が劣る。現代の戦術の要求に応じていない。指揮官の声が聞こえなくなれば途方に暮れてしまい、まるで奴隷兵だ。

大きな思考力と意志力が必要とされる将校も、他の仕事ではほとんど役立たないような半可通ばかりである。共通しているのは大酒飲みだということで、知的関心による結びつきもない。また彼らと兵士との間に階級的な反目、身分的な反目もある。

この質の悪さは、旅順港での衝突でも真価を発揮した。日本艦隊の所在がまったく分からなかったのだ。すぐ近くにいたのに!

日本人は旅順港を含めてシベリアと満洲のロシアのすべての戦略拠点について驚くほど通暁している。日本人が支那との戦争の前に多数のスパイを派遣していたが、満洲でも長い年月にわたって調査をした。

だが、ロシアの軍当局は日本軍について平凡な情報も知らないようだ。敵軍の力への馬鹿げた軽蔑から、2、30万の軍隊で十分だろうと予想していたのだ。

官僚は戦争が国の統治全体に対して引き起こす問題を処理することはできないだろう。一連の敗北はツァーリ政府の行政機構を滅茶苦茶にするに違いない。

ロシアはトルコとの戦争で10億7500万ルーブリを費やしたが、日本との戦争ではこれをはるかに上回るだろう。戦費の調達はできるのか。ロンドンの取引所は1860年代から門戸を閉ざしている。1887年にはドイツもロシア国債引き受けを拒否した。フランスもロシア工業企業の株暴落で懲りてしまい、ましてや戦時国債のような大きな冒険的な債券購入には手をださない。

政府は戦争前に借款を取り決めようとしたが、完全な失敗に終わった。し戦争がロシアの勝利で始まっていたのなら戦債は可能だったかもしれない。しかし、まさに反対のことが起こり、これは借款を以後ずっとできないものにした。

日本の勝利が取引所でロシアの専制に加えた打撃は、海戦の損害よりももっと致命的だった。現在、取引所はツァーリに決定的な勝利を要求している。勝利がなければ金を出さない。ツァーリは血の海によってのみ大量の黄金を借りられる。だが実際には、勝利のためには何をさておいても金が必要なのである。

戦争は商工業全体を混乱させ、軍事支出に関係なく国庫収入は減少し、予算の作成は不可能になった。ロシアと太平洋全体との商取引は無に帰した。ベルリン銀行はワルシャワの工場主への融資を削減し、ヨーロッパ各地の銀行もそれに倣うだろう。

政府は軍事支出をいくらかなりともひねり出すために鉄道建設事業を中止したが、それにより製鉄、機械など工業経済も低迷していくだろう。

融資は得られず、貿易はすたれ、工業活動は麻痺する。そればかりか政府は金(きん)による支払いを削減し始めて紙幣を増発したが、やがては金本位制を放棄しなければならないだろう。これは財政破産宣告に等しい。

軍隊の混乱、行政の無秩序と無統制、金づまり、財政の破産、工業恐慌――これらはすべてツァーリの軍隊の軍事行動に反映していく。新たな敗北や、あるいは長期の退却だけでも国家の混乱を拡大し、士気を失わせ、社会に恐怖を起こし、民衆を憤激させ、政治的紛糾になるだろう。

各地での戦争はロシアを政治的破綻へと追いたてている。ツァーリ政府はロシアを屈辱的な状態に追い込んでしまったが、そこからの脱出は専制の撲滅しかない。革命だけがロシアの国民的勢力を高めることができる。 (つづく)(2013/11/29)

<「頂門の一針」から転載>

2013年12月02日

◆「反日」で漢字まで追放した韓国

伊勢 雅臣


漢字・ハングル混じり文は「日本帝国主義の残滓」として、漢字まで追放してしまう激情ぶり。

■1.ハングル表示で待たされる

先日、関西空港からパリへ飛び立とうとした処、手荷物検査場の入り口に、各便の出発ゲート番号を示す電光掲示板があったので、自分のフライトを再確認しようとした。

ところが、その表示がハングルで、なかなか日本語に切り替わらない。「なんでハングルまで表示する必要があるんだ」と不愉快な思いをしながら待たされている時間は実に長く感じた。

ようやく日本語に表示が変わって、手荷物検査と出国処理を終えて、ゲートまで往復するシャトル便に乗ろうとすると、そこにもゲート番号を表示する電光掲示板があった。一人の男性白人客がそれを眺めながら、じっと待っている。その時の表示は中国語だった。

英語表示を見るには、最悪、日−韓−中と3倍もの時間、待たされることになる。急いでいる客だったら、いらいらして「こんな空港、二度と使ってやるものか」と思うだろう。

外国人用の案内は英語だけで良い、というのが国際常識である。中国語、韓国語を入れて「おもてなし」をしているつもりだろうが、他の国々の人々にはかえって迷惑をかけている、という事に気がつくべきだ。近隣諸国を大切にというなら、台湾の正漢字、フィリピンのタガログ語、ベトナム語、タイ語、マレー語、インドネシア語などの表示はなぜ、しないのか。

世界には無数の言語があるから、各国民を平等に扱おうとすれば、結局、実質的な国際コミュニケーション言語である英語で表記するしかない、というのが国際社会の智恵なのである。

■2.日本語そのままの用語

ハングルで書かれると日本人にはチンプンカンプンなのだが、もともと朝鮮半島は漢字圏だったので、漢字で書いてくれれば、理解できる用語は多い。
窓口(チャング)、改札口(ケーチョング)、入口(イブク)、出口(チュルグ)、乗換(ノリカエ)、踏切(フミキリ)、横断歩道(ヒンタンポド)、手荷物(ソハムル)、大型(テーヒョン)、小型(ソヒョン)、受取(スチュイ)、取扱(チュイグプ)、取消(チュイソ)、割引(ハルイン)、行方不明(ヘンバンプルミヨン)、弁当(ベントー)

何の事はない。漢字で書いてくれれば、旅行者も大抵の用は済みそうだ。しかし、なぜ、こんなに日本語と似た単語が使われているのか。豊田有恒氏は著書『韓国が漢字を復活できない理由』で、こう述べている。


<韓国の漢字熟語は、中国起源でなく、日本統治時代に日本語からもたらされたものである。明治以来、欧米の文物の摂取に熱心に取り組んだ日本は、論理、科学、新聞など多くの訳語を案出した、これらの訳語が、韓国ばかりでなく、漢字の本家の中国でも採用されていることは、よく知られている>。[1,p17,a]


たとえば鉄道関連用語は、日本人が欧米の鉄道を導入する際に案出し、日本統治時代に朝鮮において鉄道が敷かれるのと同時に移入された。だから、同じ用語が使われるのは、当然なのである。

多くの用語は、日本語から漢字のまま移入され、韓国語の漢字の読み方で読まれた。だから、日本語の音読みに近い。窓口(チャング)は日本語の音読みなら「ソウコウ」、受取(スチュイ)は「ジュシュ」、行方不明(ヘンバルプルミヨン)は「コウホウフメイ」と、似通っている。ただ乗換(ノリカエ)、踏切(フミキリ)などは、どういうわけか、日本語の訓
読みがそのまま残っている。


■3.韓国で使われている漢字語の8割以上が日本製

豊田氏は、現在、韓国で使われている漢字語の8割以上が日本製だと指摘している。特に、日本統治時代に政治、科学技術、企業経営、スポーツなどの近代化が進んだので、それらの分野の専門用語はほとんどが日本語起源である。

たとえば、科学、数学の分野では:

 科学(カハク)、化学(ファハク)、物理(ムルリ)、引力(イルリョク)、重力(チュンニヨク)、密度(ミルド)、組成(チョソン)、体積(チェジヨク)、加速度(カソクト)、電位(チョスイ)、電動(チョンドウ)、元素(ウォンソ)、原子(ウォンジャ)、分子(プンジャ)、塩酸(ヨムサン)、算数(サンスウ)、代数(チースウ)、幾何(キハ)、
微分(ミブン)、積分(チョクブン)、函数(ハムスウ)、、、

経営関係では:

社長(サジャン)、取締役(チュィチェヤク)、専務(チョンム)、常務(サンム)、部長(ブジャン)、課長(カジャン)、係長(ケジャン)、打合(ターハブ)、手続(テージョル)、組合(チョハブ)、株式(チョシク)、売上(メーサン)、支払(チブル)、赤字(チョクチャ)

韓国は、これらのすべての用語を日本語から借用し、それで近代科学技術を学び、近代的な企業経営を始めたのである。

■4.漢字廃止で同音異義語のオンパレード

科学技術から企業経営、交通や法律・政治まで、近代的用語がほとんど和製漢字語で取り入れられているのに、漢字を廃止して、ハングル表記するとどうなるか。

日本語以上に韓国語は複数の漢字が同じ読みを持つから、同音異義語のオンパレードとなってしまう。

たとえば、長、葬、場はすべて「ジャング」なので、会長、会葬、会場はすべて「フェジャング」と同じ発音になる。「会長が会葬に会場に来た」は、「ヘジャングがフェジャングにヘジャングにきた」となってしまって、これでは文脈から判断するのも難しい。話し言葉ならまだしも、書き言葉でこれでは、物事を正確に伝えるには大きな障害となる。

神社も紳士も「シンサ」なので、「ヤスクニ・シンサ(靖国神社)聞いたことある?」と聞かれた若い女性が「偉人かな」と答えたそうな。「ヤスクニ紳士」と間違えたのだ。確かに日本人にとっての偉人を祀った神社ではあるのだが。

■5.ひらがなだけの文章の読みにくさ

したがって、書き言葉から漢字を追放したら、日本語をひらがなだけで書くような事態になる。たとえば、こんな具合である。

<おそんふぁさんによると、かんこくじんはせかいいち、どくしょりょうのすくないこくみんで、かんこくとうけいちょうのちょうさではへいきんどくしょりょうは5.3さつ/ねん。どくしょばなれがしてきされるにほんじんでもねんかんやく19さつ。かんじはいしがしゅよういんで、はんぐるだけでは、ひらがなだけのほんをよむようなもの>。

こんな文章は、よほど忍耐強い人でなければ読み通せないだろう。しかも読むスピードは何分の一かになってしまう。

漢字交じりで書けば、上記の文章は:

<呉善花さんによると、韓国人は世界一読書量の少ない国民で、韓国統計庁の調査では平均読書量は5.3冊/年。読書離れが指摘される日本人でも年間約19冊。漢字廃止が主要因。ハングルだけでは平仮名だけの本を読むようなもの>。

重要な言葉は漢字になっているので、漢字だけ追えば、だいたいの意味はとれる。ここが日本語の仮名漢字まじりの優れた処で、逆に中国語のように全部漢字だったら、こうはいかない。

それにしても、こんな平仮名だけの本を年5.3冊も読むのは日本人には到底できない事で、逆に韓国人の個人的能力、意思力はすごいのではないか、と考えてしまう。


■5.漢字は「日帝の残滓」

それにしても、なぜ韓国はこんな便利な漢字利用をやめてしまったのか。

漢字使用を制限したのは、戦後すぐの1948年、李承晩大統領による「ハングル専用法」である。米軍占領下で日本が抵抗できないのを見透かして、勝手に李承晩ラインを引いて竹島を奪った大統領である。徹底的な反日教育を実施して、、「電信柱が高いのも、ポストが赤いのも、みんな日本が悪いとされる」と揶揄されるほどであった。

「ハングル専用法」は、「大韓民国の公文書はハングルで書くものとする。ただし、当分のあいだ必要な時には漢字を使用することができる」とした。政府の公文書のみを対象にしたものであったが、それでも、「当分のあいだ必要な時には」という留保をつけているのは、漢字抜きは無理があると分かっていたからだろう。

日本統治時代は漢字・ハングル混じり文が推奨されていた。したがって漢字は「日本帝国主義」の残滓のように誤解され、排斥の対象となった。逆に、ハングルは民族のシンボルとして祭り上げられたのである。

実際に歴史を良く調べれば、それまで教養のない女子供の使う「牝文字」「わらべ文字」などと軽蔑されていたハングルを普及させたのは日本統治時代の教育だったのだから、ついでにハングルも「日帝の残滓」として追放すべきだった。そうなると韓民族は文字を持たない民族になってしまうのだが。

■6.朴正煕大統領の反日ポーズとしての漢字追放

漢字排斥をさらに推し進めたのが、韓国中興の祖とされる朴正煕大統領だった。朴大統領は国民の大反対を押し切って、日韓基本条約を締結したが、日本寄りと見られることを避けるために、反日姿勢として、1970年前後に教育カリキュラムから漢字を追放した。

しかし、これは朴大統領の反日ポーズだったようで、片腕だった総参謀長の李在田が会長となって、「韓国漢字教育推進総連合」が作られ、まずお膝元の軍隊で漢字教育を復活させた。また、学界、言論界からの訴えを入れるという形で、中等教育で漢字教育を復活させた。

しかし、その後、ハングル派の巻き返しもあって、漢字教育をやったり、やらなかったり、と朝令暮改が続き、漢字教育を受けた世代と受けていない世代が斑(まだら)のようになっている。

いずれにせよ、漢字・ハングル交じり文は「日帝の残滓」という反日イデオロギーだけで、漢字追放までしてしまうのだから、その激情ぶりは凄まじい。

■7.日本語追放による「純化」

「反日」政策としての漢字追放は、さらに日本語起源の漢字語追放にまで進む。韓国の「国語審議会」の「国語純化文化委員会」が「日本語風生活用語純化集」を作って、700語ほどの「日本語っぽい」単語を韓国語風に「純化」しようとした。日本語は「不純」だというわけである。

たとえば「売切(メージョル)」は、「みな売れること(ターバルリム)」、「改札口(ケーチャルグ」は「票を見せるところ(ピョ・ポイヌン・ゴッ)」、「踏切(フミキリ)」は「越えるあたり(コンノルモク)」という具合だ。日本語で言えば、漢語を大和言葉で置き換えよう、という事である。

したがって、「改札口を通って踏切を渡った」を「純化」すると、「票を見せるところを通って、越えるあたりを渡った」となる。

いくら「反日」を信条とする愛国的韓国人でも、毎日、こんなまだるっこしい会話はしていられないだろう。折りに触れて、こういう「純化」が試みられているが、不毛の努力に終わっているようである。

■8.「漢字・仮名交じり文が、日本人の教養と民度を高めた」

韓国での「反日」を動機とした漢字廃止、和製漢語廃止を見ていると、「漢字・仮名交じり文が、日本人の教養と民度を高めた」という豊田氏の主張もよく理解できる。

たとえば、英語で"Cetorogy"という単語があるが、その専門の学者でもなければ、アメリカやイギリスの一般人は知らない単語である。しかし、これを日本語で「鯨類学」というと、中高生以上なら、「鯨に関する学問」だろう、と想像がつく。”Apiculture”も同様だ。普通の米英人にはチンプンカンプンの単語だが、日本語で「養蜂業」と言えば「蜂を飼う仕事」だと推測できる。

このように、漢字の造語能力をフルに活用して、一般大衆にも近づきやすい形で、近代的な学問、政治、科学技術の体系を構築してきたのが、幕末以降の我が先人たちの努力であった。

中国や朝鮮は、その日本語を通じて、近代的な学問を学んだ。たとえば、「中華人民共和国憲法」の中で、中国語のオリジナルな単語は「中華」しかない。それ以外の「人民」「共和国」「憲法」は、みな日本語からの借用である。どうりで人民主権も、共和政治も、立憲政治も、いまだに身についていないはずだ。

朝鮮では、日本統治時代に漢字・ハングル交じり文が普及して、せっかく近代化のステップを踏み出したのに、「日帝の残滓」というイデオロギー的激情で、それを自ら拒否してしまった。

その千鳥足ぶりと比較すると、我が先人たちの偉大な見識と努力が、改めて見えてくるのである。それを知らずに、電光掲示板でハングルや中国語で表示することが国際化だ、などという浅慮では、ご先祖様が草葉の陰で泣いていよう。

日本語で正確かつ論理的に、そして礼儀正しく丁寧な読み書きができない日本人がいくら外国語を流暢に話しても、国際社会に通ずる人間にはなれないのである。

■リンク■

a. JOG(221) 漢字と格闘した古代日本人
 外来語を自在に取り込める開かれた国際派言語・日本語は漢字との国際的格闘を通じて作られた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog221.html

b. JOG(320) 子どもを伸ばす漢字教育
 幼稚園児たちは喜んで漢字を覚え、知能指数も高まり、情操も豊かになっていった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog320.html

c. JOG(425) 白川静 〜 世界をリードする漢字研究者
 白川静のような碩学を持つ日本こそが、東洋文化の最終リレー走者としての使命を持つ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog425.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 豊田有恒『韓国が漢字を復活できない理由』★★★、祥伝社新書、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4396112823/japanontheg01-22/

<「頂門の一針」から転載>