2013年10月30日

◆天安門前車炎上事件と気功法・法輪功

大紀元日本


■再び注目される12年前の焼身自殺事件

【大紀元日本10月29日】中国の北京市内である天安門広場で28日、自動車が観光客らの群衆に突っ込み、炎上した。車内にいた運転手ら3人と、巻き込まれた観光客2人が死亡した。観光地として有名な天安門広場だが、近年、迫害を訴える民衆による抗議活動が繰り広げられ、国内外で注目を集める舞台でもある。

この度の事件も抗議のために故意に起こしたものではないかとの見方が強い。過去の事件を受けて、警察当局が厳重な警戒態勢を敷く地域でもあるだけに、国内外に大きな衝撃を与えた事件となった。

事故の詳細はまだ明らかになっていない。しかし、日本や欧米のメディアは、天安門広場で起きた過去の抗争として、2001年に5人の男女による焼身自殺事件に言及している。

この事件は中国共産党から弾圧を受ける気功法・法輪功を習うものが自殺を起こしたと中国メディアが主に報じていた。この事件で2人が死亡、3人が全身火傷の大ケガを負った。

中国メディアは法輪功がこの悲劇を招いたとする「宣伝」報道を連日流した。一方、法輪功側は事件は民衆に対して法輪功を「敵視」するために中国当局が作り上げたプロパガンダだったと反論し、数多くの証拠を示した。

中国国内の報道を鵜呑みにした日本を含む海外メディアも「法輪功メンバーによる焼身自殺事件」と報じたため、法輪功が起こしたとするには多くの矛盾があることはあまり知られていない。

当時の状況はこう報じられていた。「2001年1月23日、旧暦の大晦日のため天安門広場を訪れる観光客はほとんどいない」「新華社は、午後2時41分、一人の男性が人民英雄記念碑近くでペットボトルに入ったガソリンを自らの全身に浴び、ライターで自分の体に点火体に火を付けた。わずか1分半後に警官が消火した。数分後、4人の女性が同様に焼身自殺を図った」

■海外有力メディアも事件を疑問視

米国の大手メディアや、中国の内情をえる衛星テレビ局「新唐人テレビ」(本部、米国)が作成したドキュメンタリー番組「偽火(FalseFire)」は、事件の不可思議な点を報じている。

 1、「偽火」の映像に、警官が、皮膚や服がすすだらけになった女性の自殺者の頭部を強打する瞬間が収められている。この女性は死亡したと報じられている。自殺者に対してなぜ警察は暴行を振るうのだろうか? 米ボストン・グローブ紙も、「軍のコートを着た男性により頭部を殴打されたため死亡したのではないか」と報じた。

 2、中国国営放送の報道映像では、自殺者が座りながら「法輪功は素晴らしい」と叫び終えるのを待っているかのように、警官がその横に立っていた。その後、身体の火がすでに消えた自殺者に消火毛布を被せた。また自殺者が持ち込んだとされる、ガソリンらしきものを入れていたプラスチック製の容器は、自殺者の膝下にあったにもかかわらず、燃えていない。

 3、自殺を図ったとされる男性は、法輪功の初歩的な動作である「結跏趺坐(両足を組んで座る、座禅)」や「結印(手のひらをたまご型に重ねて足の上に載せる)」が出来ていない。中国大使館(日本語)の同事件を伝えるページによると、自殺者は「法輪功の信仰心が深かった」という。仮にも、自殺する覚悟があるほど信仰深いならば、なぜ基本動作も出来ていないのだろうか。

 4、法輪功修煉者は殺生をしない。これには自殺も含まれる。

米紙ワシントンポストの調査では、焼身自殺を図った者のうち、少なくとも2人は、法輪功を修煉したことがなかったことが明らかになった。 

米タイム誌は、この事件で中国当局は法輪功の弾圧を正当化にするための材料材料を手にしたと報じた。また米CNNは、事件が引き起こされた背景には、当時反対の多かった法輪功弾圧政策に対する世論を変えるための手段だとし、法輪功に対するネガティブキャンペーンは文化大革命や朝鮮戦争時に使われたものを彷彿とさせる、と伝えた。

国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」はこの事件について「記者が確認できる情報が少ない。報道するには難しい事件」「政府がでっち上げた可能性がある」などを指摘している。政治ジャーナリストのダニー・シェクター氏は、この事件は第三者機関の証拠が出されていない事件と述べている。

なぜ中国共産党はこれほどまでに手の込んだ芝居を演出したのだろうか。法輪功は、1999年には評判が良く、広く知られており、国民1億人が修煉していた。同年に開始された法輪功に対する弾圧政策に、中国人の多くが疑問を呈していた。

そのため、中国共産党は「法輪功は正気を失わせる危険なものだ」というカルト的イメージを作り上げる必要があった。「焼身自殺」を捏造し、国営メディアに連日これを宣伝させることで、それまで法輪功を支援していた多くの中国人は、危険でさえあると信じるようになった。

法輪功学習者への迫害を伝える「明慧ネット」は次のように呼びかけている。「真善忍に基づいて道徳を向上させ、身体の素質を向上させることは、個人、家族、社会にとっても百利があって一害もない正しい道、善に向かう道」「ビデオ分析や報道から、中共の邪悪な本質に気づき、真実を正しく判断されることを切に望む」。


<「頂門の一針」から転載>

◆「満洲国」建国譚(3)

平井 修一


清が滅びて中華民国が建国されたが(1912)、中華民国には金も軍事力もないから、要は支那全土が無政府状態になった。軍閥が各地で結成されて群雄割拠、ときに対立抗争、ときに合従連衡の戦国時代になり、この乱戦に外国も介入したから、もうグチャグチャである。

この混乱の中で日本軍の支援を受けて満洲の支配者になったのが張作霖だった。

漢人の満洲進出は明末頃(1600)から始まっていたが、これが増える一方だったので清朝は祖先発祥の地である満洲を「封禁の地」とし、特に最大都市奉天への漢人の立ち入りを厳禁した。

しかし、清朝の建国で満人の有力者はみな北京へ移住してしまい、日本の3倍、フランスとドイツを合わせたほどという広大な地に残っている満人たちは200万人ほどで、結局、農作業などで漢人を引き入れざるを得なくなった。

関内、すなわち長城の南の漢人は人口があふれて生活に窮していた者が多く、その上に軍閥や匪賊が跋扈しているから住みにくく、満洲で仕事があるのならと堰を切ったように満洲へ流れ込んでいった。「封禁の地」は有名無実となり、やがて反故にされたのだ。

漢人が増える前にはロシア人が満洲へ侵入していた。南下政策を進めるロシアはすでに北京条約(1860)で満洲の北部を領土とし、さらに南下して実効支配を強めていた。

日清戦争(1895)で日本が勝つと、ロシアは三国干渉(注)で日本が手に入れた遼東半島を清に返還させ、さらには清が日本に支払う賠償金まで貸して清に恩を売りつけた。

ロシアが親切であるはずはなく、その見返りに旅順、大連を獲得、また満洲での鉄道建設、鉄道付属地での行政権、港湾開発、鉱山採掘、森林伐採、警察権、軍隊による鉄道守備権など入手した。

この際にロシアが清を口説いた台詞は、「満洲、支那への日本の侵入を防いでやる」というものだった。

この鉄道建設などでも漢人の労働力が必要であり、満洲は瞬く間に漢人の国になっていったのである。その地で一人の男児が生まれ、張作霖と命名された(1874)。

父親がいかさま博奕がばれて殺されたのは張作霖が14歳のときだった。生活に困った一家は叔父の経営する宿屋へ転がり込み、働いた。そのままいけば彼は宿屋の番頭で一生を終えるはずだった。ところが小さな事件に遭った。宿屋が匪賊に襲われて屋根と壁以外のすべてを奪われたのだ。

<(宿屋のあった地方は)匪賊団が多く活動していた。満洲全土は匪賊の大産地で、人民は閉口困惑していた。張作霖は母と叔父と訣別して旅に出、奉天省で脱走兵、ゴロツキ、失業人夫をかき集めて匪賊団を作り、その頭領となった。その時代、気骨のある満洲の青年は匪賊となって稼ぐのが社会的風習として珍しくなかった。

人を殺し奪うのがいかに儲かるかを体験したからであろう、張作霖は部下300人を指揮して2年間残虐の限りをつくして資産を作った。父親に似て親分肌で狡知に優れていたのである。誘拐した娘が妻となり生まれたのが張学良である>(古野直也「張家三代の興亡」)

1905年、日露戦争で日本軍はロシア軍を追って奉天に迫りつつあった。この時に張作霖は清国軍の大隊長で、匪賊は官の肩書があると物資を徴発しやすいので軍隊から誘われれば応じる。官としては討伐するより安上がりだから双方の利益は一致するのである。

張作霖はロシア軍に雇われて兵站を担当し、せっせとルーブル金貨を稼いでいたが、日本軍に逮捕された。通敵の罪で銃殺刑になるところだったが、彼が200頭の騎馬隊をもっていることを知った日本軍将校が、この騎馬隊を奉天戦後の騎兵隊不足に充てようと助命に努めたのだ。「今後、日本軍のために働き罪を償うのなら総参謀長に助命をとりなしてやるが」と言うと、張作霖は土下座して床に叩頭し「日本軍のために働きます」と誓った。

<命を助けられた張作霖はその後も日本軍に篤く保護されるのだが、忘恩は中国人の性癖である。いつしか反日行為を重ねていく男に変化していくことになる。

張作霖は日露戦争後の1917年頃、実体のない北京の中央政府と絶縁し、満洲の自治を宣言して独立する。息子の張学良は陸軍少将になった。1928年には自分で自分を陸海軍大元帥に任命し、北京で盛大な就任式を挙行した。彼が爆死する3か月前のことである>(同)(2013/10/29)
・・・
注)三国干渉:1895年、日清戦争の結果、勝利した日本は下関条約により遼東半島を領有することになったが、露独仏が東洋艦隊の武力を背景に清国への還付を勧告した事件。この圧力に日本は屈服し、他日を期した。 
<「頂門の一針」から転載>

◆朝日新聞は日本の新聞ではない!

古森 義久


朝日新聞は竹島を日本国の固有の領土とは認めていません。そう思わされる例証をあげます。

10月28日月曜日の夕刊の記事に以下の記述が出ました。

「日韓が領有権を主張している竹島(韓国名・独島)をめぐり、韓国外交省が27日までに、同省のサイトから韓国政府の主張を紹介する映像を削除していたことが分かった(以下略)−−−」

この冒頭の表現は明らかに、日本の公式の立場を否定しています。竹島は日本の領土であり、韓国がいま不当に占拠しているのです。

この日本の政府の見解、というよりも日本全体の見解を朝日新聞は認めないわけです。そのかわりに韓国の領有権をも認めているのです。

日本に足を置いているのならば、竹島の領有権が日本と韓国と対等、並列だという表記はできないはずです。だからこそ、朝日新聞は日本の新聞とは思えない、という受け止め方が生まれるのです。

日本の国民はすべて自国の政府の見解に従わねばならない、などという次元の話ではありません。個々の国民は個々の団体が特定の政策や見解について、自国の政府、あるいは与党のそれと意見を異にするというのは、よくあることです。

しかし日本の領土となると話は異なります。日本国民がみな認めているのが日本の領土の範囲、つまり領有権の適用される範囲でしょう。政府の見解というよりも、日本自体、日本全体が現実として受け入れてきたのが固有の領土だといえます。

その日本の固有の領土に対して、簡単に「韓国の領有権」を認めて、明記してしまうというのは、日本側の姿勢ではありません。よくて日本と韓国のどちらにも帰属しない中間の立場、地球を離れて見る火星人のような立場、そして悪ければ、韓国の立場ということになります。

要するに朝日新聞は自分たちの帰属する対象が日本国だとはみなしていないようなのです。

もっとも朝日新聞は竹島については上記の表現、尖閣諸島についても、「日中両国がともに領有権を主張している尖閣諸島(中国名・釣魚島)」と長い期間、一貫して、書いてきました。

また以前の反日に戻るといえば、いいすぎでしょうか。ちなみに中国は沖縄に対する日本の領有権も認めていません。「日中両国がともに領有権を主張する沖縄」という表現はいかがでしょうか。
2013.10.29

<「頂門の一針」から転載>

2013年10月29日

◆世界の嫌韓/近代化/韓国文化

伊勢 雅臣


■世界の嫌韓

世界で最も危険な韓国人、潘基文 ニューズウィーク日本版http://bit.ly/1aHPDrW 歴史的にレベルの低い国連事務総長のなかでも際立って無能。核拡散の脅威や難民危機にも関心を示さない潘のおかげで、国連はあってもなくても関係ない存在に堕ちた

湯浅博:度が過ぎる韓国びいき、馬脚現した国連事務総長発言 - 国連の主要ポストに韓国人ばかりを起用、ワシントン・ポスト紙「縁故主義」批判、国連の日恒例の事務総長主催コンサートにソウル・フィル招請 http://on-msn.com/15fN8f5 >韓国のイメージダウンに貢献中

ねこロンドン@nekorondene

今後、韓国の船舶やあらゆる物に対して世界の大手保険会社は韓国の物を引き受けることが無くなりました。手始めに、韓国船舶は無保険状態になり、ロイズ保険の無い船舶は世界の何処にも港にも寄港できず。
http://bit.ly/1eQ1zue

『日韓共催ワールドカップと韓国問題』 イングランドのオーウェンは「(大会終了後)卑劣な手段によって準決勝まで進出した国がW杯の権威まで汚してしまったことを残念に思う」http://bit.ly/192JZdS > 事実を体系的にまとめた決定版、これだけやったら嫌われるのは当然

たかすぎ しんさく@nihonjintamasii

全国のtwitterの皆さんへ、「意識調査」にご協力下さい。オリンピックの「レスリング」が除外競技の候補になり世界中で大問題に!除外競技候補だった「テコンドー」が韓国のロビー活動で中核競技に。「テコンドーを競技から除外し、レスリングを残すべきだ!」と思う方はリツイ―トして下さい。

■近代化

なぜ彼の国(韓国)はこんなにおかしいのか。考えてみれば、つい最近まで、貧しい軍事独裁国家だったのだ。わずか十数年の経済躍進で「日本を追い抜いた」と自画自賛する韓国は、経済、文化、法治、歴史認識、あらゆる分野で実は後進国のままである。SAPIO13.10p7

川村雄介:韓国の自動車メーカーの主任エンジニアが真顔で「A社(日本の自動車メーカー)はひどい会社だ」という。理由は「いろいろ親切な顔で教えてくれるけど、企業秘密を漏らしてくれない」。特許や著作権に関わる近代的な権利が全く理解できていない。文藝春秋13.10

水間政憲:日本の民間銀行「第一銀行韓国総支店」が1902年に第一銀行券を発行。これが「大韓帝国」紙幣として流通した。それ以前には米や麻布、綿布などを貨幣代わりに用いた物々交換が基本だった。Sapio13.10

男尊女卑社会の韓国では職場の女性はお飾り、女性管理職比率は9.4%と日本よりさらに低い。今年5月に投身自殺した26歳の女性消防士は、同僚らの証言によると、職場関係の飲み会のたびに性行為を強要されていたといい、警察が捜査中だ。Sapio13.10p18

韓国は今でも「超」男尊女卑社会。3代前までの供養を行うので、年に4〜5回法事があるが、女性たちは台所で供え物や料理を準備。男性が終わるまで給仕し、同席は許されない。男性の食べ残しを洗い物をしながら台所の片隅で食べるんです。Sapio13.10p18

多くの韓国人にとって契約とは努力目標に過ぎません。契約締結後も「事情が変わった」と言って、平気でさらなる条件を出してくるのは当たり前。韓国人との取引において、契約締結が交渉の終わりではなく、むしろ始まりなのです。Sapio13.10p11

■韓国文化

室谷克実:朴大統領はアメリカまで行って慰安婦問題を触れ回った。ボスに告げ口をするのは韓国の「産業文化」。同僚の噂、悪口を密告してライバルを蹴落とす。政治家もアメリカや中国をボスと思って、告げ口をしてまわっている。Voice13.10

日本人は、汗もながさないでタダで助けてもらうことはみっともないと感じる。韓国はタダで助けて貰えれば、「助けるほどの価値がこちらにある」「助けないとあなたが困るからだ」と考える。だから助けたとしても絶対に感謝を表明しない。(呉善花、VOICE,1305)

日本の政治家は何度も謝っているが、いまなお韓国人が謝罪を要求するのは、その謝り方が韓国式でないから。韓国式なら、土下座をして、手をすり合わせながら涙を流し、繰り返し「悪かった」といったうえで、日本の領土を三分の一ほど差し出す。(呉善花、VOICE,1305)

韓国の伝統では朱子学の賢人・高級官僚の言うことが絶対で、正しい考え方は一つしかない。竹島が韓国のものだということは100%疑いなく、歴史認識でも日本が悪いことをしたという認識しかない。日本が「話し合いましょう」と言っても、その意味が分からない。(呉善花、VOICE,1305)

【春から】たらこぱすた【国立みかん大学】@waiwai_wktkmfmf
【製品とは】
ドイツ人が発明→アメリカ人が製品化→イギリス人が投資→フランス人がデザイン→イタリア人が宣伝→日本人が小型化もしくは高性能化に成功→中国人が海賊版を作り→韓国人が起源を主張

屋山太郎:中学生の頃、東京大空襲や広島で数十万人殺された報復の方法を考えていたが、親父から「日本は負けたんだから、いつまでも潔くないことをいうな」とたしなめられて目が覚めた。これの対極が日本を「千年の敵」と口走る朴大統領のような韓国人です。Voice13.10

韓国は一般の普通の人はもうそんなに日本、日本、日本じゃないのにメディアだけが“日本離れ”できず意地になって反日をやっている。ただ相手は李朝時代の“党争”をはじめ、激烈な論争体質を持つ民族である。黒田勝弘 MSN産経 http://on-msn.com/YRWoQV

ソウルでの日中戦の終了後、中国と韓国の応援団が去ったスタジアムのピッチには、投げ込まれたペットボトルなど大量のゴミが散乱していたという。子供らはそれを見て日本人でよかった、と改めて思ったようだ 
http://on-msn.com/1dToy1H

韓国人は世界一読書量の少ない国民。韓国統計庁の調査では平均読書量は5.3冊/年。読書離れが指摘される日本人でも年間約19冊。漢字廃止が主要因。ハングルだけではひらがなだけの本を読むようなもの。SAPIO13.7呉善花

日本が失敗した漢字廃止を見事に成功させた国が北朝鮮と韓国。おかげでソウル大学の学生が自分のパスポートにある「大韓民国」が何のことか分からない。もっと笑えるのは「放火」と「防火」がハングルではまったく同じになってしまうこと(漢字が読めない韓国人、日本の息吹き、H24.10)

以下略ちゃん@ikaryakuchan

韓国にはどうして観光地が少ないの、と質問した米人観光客。韓国ガイド「400年前、秀吉に破壊されたから」米人「東京大空襲、広島長崎の原爆で消失した日本が60年たたないうちに何事も無かったように発展したのに400年たった今も修復できない韓国に、秀吉はどんな爆弾を使ったの?」と訊いた。

<「頂門の一針」から転載>

2013年10月28日

◆慰安婦報道 産経vs朝日

古澤 襄


■河野氏を国会に呼んで決着つけましょう

産経新聞は16日付朝刊1面トップで、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の河野洋平官房長官談話の根拠となった、韓国での元慰安婦とされる16人の聞き取り調査報告書について、不正確な発言や食い違いが多数あるなど、ずさんな内容だったことをスクープしました。

報告書を入手したうえでの報道ですから、記事は事実で衝撃的な内容ですが、これによって「河野談話」の正当性は根底から崩れたといえます。

河野談話は元慰安婦に心からのおわびと反省の気持ちを表明し、慰安婦の募集については強制連行の存在を示す政府資料が一切見つかっていないにもかかわらず、「官憲等が直接これに荷担したこともあった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と強制性を認定したものです。

以降、歴代政権はこの談話を継承し、韓国だけでなく諸外国からこの問題について日本は批判され続けてきたわけですが、今回の産経新聞の報道によって談話の正当性が崩れた以上、政権は今後、継承するのかどうか、改めて問われることになるでしょう。

産経新聞が入手した報告書を改めて説明すると、元慰安婦とされる16人への聞き取り調査の結果として、慰安婦になった理由や経緯、慰安所での体験などが記されており、そこには無理やり連れて行かされ、客を取らされるなど悲惨な境遇が描写されています。

しかし、当時、朝鮮半島では戸籍制度が整備されていたにもかかわらず、生年月日が記載されているのは半数の8人しかおらず、出身地についても12人が不明・不詳となっています。氏名も名字だけなど不完全なものが見当たります。

また、連れていかれた場所も大阪、熊本、台湾など、戦地ではなく一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で「働いた」との証言もあります。

そもそもこの調査は証言者の人選を韓国側に任せたあくまで「聞き取り」であって、「事実確認」はしていませんでしたから、信憑(しんぴょう)性が疑われていました。その報告書自体がこれほど不正確、曖昧だったとすれば、それをもとに官房長官談話という国を代表する談話を出したことは、重大な問題だといっていいでしょう。

産経新聞は同日付政治面で、談話作成時に事務方トップだった石原信雄元官房副長官のインタビューを掲載しました。その中で石原氏は、当時について「証言内容をチェックする時間はなかった。私は担当官の報告を聞いて判断した。紙(報告書)は見ていない。報告を聞いて心証で談話をまとめた」と証言。

報告書が曖昧で不正確だったことについては「(談話の)基本がおかしくなる。もともとの証言の信憑性が揺らいでくる」と述べました。

談話のとりまとめにあたった責任者がこう述べているのですから、産経新聞の報道で談話の新たな欠陥が明らかになったと言えます。それにしても、慰安婦問題にいつも熱心な朝日新聞、毎日新聞がなぜ、これほどの事実を報道しないのでしょうか。報告書を入手するだけの取材力がないのかもしれませんが…。

産経新聞の報道を受けて、22日の衆院予算委員会で、日本維新の会の中田宏氏は河野談話に関する集中審議を開き、報告書の公表と、談話を発表した河野氏と作成にかかわった石原氏の参考人招致を行うよう求めました。

ぜひ、やろうではありませんか。河野談話に賛成の党もあれば、反対の党もありますが、事実を解明することにはだれも反対する理由はないはずです。報告書も内容からいって国家機密には当たりませんから、公表してもらいましょう。そのうえで事実を明らかにし、談話を今後、どうすべきか議論すべきだと思います。

日本は河野談話を発表したことによって、韓国をはじめ諸外国から「レイプ国家」とまで批判されてきたわけですから、国家、国民の威信にかかわる話です。国会には真相を明らかにする責務があります。

一方、産経新聞の報道の3日前の13日、朝日新聞は1面トップで「慰安婦問題拡大を阻止 政府、東南アで調査せず」との“スクープ”を掲載するとともに、「慰安婦問題 政治の意志があれば」との社説を掲載しました。

記事は、河野談話が出る直前の平成5年7月30日付の極秘公電の内容として、当時の武藤嘉文外相が日本政府が韓国で実施した元慰安婦とされる人物からの聞き取り調査に関連し、フィリピン、インドネシア、マレーシアにある日本大使館に対し「関心を徒(いたずら)に煽(あお)る結果となることを回避するとの観点からもできるだけ避けたい」と伝えていたというものです。

しかし、私が記事を読んでまず思ったのは、3カ国から調査の要請があって、それを内密に拒否していたというわけではありませんから、1面トップで問題にするほどのことかということです。3カ国は政治問題化させて強硬に調査を求めていた韓国とは状況が全く違うのですから、同列に扱うのはいかがなものかと思います。

さらに、この記事には《解説》もつけられていて、内容は3カ国のことを問題にするのではなく、韓国での聞き取り調査の方に話題を転換し、元慰安婦に対して「救済どころか、実態調査さえ行われていない」と、日本政府の対応を厳しく批判するというものでした。

朝日新聞が韓国の元慰安婦の事実をそれほど知りたいのなら、なぜ、3日後の産経新聞の報道を取材して後追いしないのでしょうか。

また、社説は「野田(佳彦)前政権と韓国の李明博前政権が昨年、旧日本軍の慰安婦問題の解決に向け話し合いを進め、政治決着の寸前までこぎ着けていたことが明らかになった。

解決に向けた強い意志が指導者にあるならば、歩み寄りは可能だということがわかる」とし、「この時を逃さずに交渉を引き継ぎ、最終解決を導く話し合いを早急に始めるべきだ」と主張しました。

さらに、社説によると、その政治決着とは「駐韓日本大使が元慰安婦に会って謝罪。それを受けて日韓首脳会談を開き、日本側が償い金などの人道的措置をとることを表明する。

人道的措置の原資には、政府予算をあてる」というものだそうです。元慰安婦の強制性について事実確認が行われてもいないのに、そんな決着を行うことが果たして正しいことなのでしょうか。

そもそも1965年の日韓基本条約には「一方の国及びその国民に対するすべての請求権であっても、1945年8月15」日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする」と明記されています。つまり、この条約によって韓国と韓国国民は戦前の事案について請求する権利を放棄したのです。

それにもかかわらず、日本の政府予算つまり国民の税金から「償い金」を出すということは、条約に反することになります。仮に政治決着させるというなら、日本国民の意思を問うたうえで、条約を改正してから行うべきでしょう。

そして、朝日新聞の報道から3日後、産経新聞によって、元慰安婦とされる人物に対する調査の「聞き取り」の不正確さ、曖昧さが明らかになりました。私は改めて、日韓の前政権が「誤った政治決着をしなくて良かった」と思った次第です。

朝日新聞が本当に元慰安婦について事実を明らかにしたい、問題を“決着”させたいと考えるのなら、聞き取り調査報告書の公表と、河野氏らの国会招致に賛成すべきではないでしょうか。

国会、それもテレビ中継されている中で、つまり国民の目の前で正式に提起されたことですから、朝日新聞もきちんと報道し、社説で見解を示してもらいたいと思います。

国会で報告書の公表と河野氏らの招致が実現したら、それをもとに元慰安婦への対応をどうすべきか議論しましょう。産経新聞と朝日新聞の報道のどちらが正しいのか、それこそ早期に決着させようではありませんか。
(産経)>2013.10.27

<「頂門の一針」から転載>

◆「満洲国」建国譚(2)

平井 修一


明朝はなぜ亡びたのか。

<明国は党派の政争、腐敗で初代皇帝時代の軍隊はもはや存在せず、裏切りと逃走を重ねて、原始的な満洲族の前には勝利を握ることは不可能であった。

豊臣秀吉の朝鮮侵攻、官僚腐敗、武官の背反、流賊軍団の大乱により、毎年軍事費は膨張して民心は離反した。現代のアメリカを見ても、戦争ほど高価なものはない>(古野直也「張家三代の興亡」)

「張家三代」というのは満洲に君臨した張作霖とその父の張孝文、息子の張学良のことである。著者の古野は1924年生まれ、陸軍士官学校卒で特別攻撃隊「神鷲124隊」隊長を務めた人である。敗戦の1945年には21歳で、戦時中の時代の空気を体験している。戦後は復員省史実部で戦史を研究したり東京裁判にかかわったりした。

すごいのは1998年に97歳の張学良を取材していることで、張学良を50年以上幽閉した蒋介石亡きあとに彼を解放した李登輝とも懇意にしており、この人脈で張学良と会えたのである。

1934年からの64年間で張学良と個人で会見した日本人は古谷ともう一人(学者)だけで、日本陸軍の将校としては古谷だけのようだ。容共左派的反日屋と違って支那と漢人のことを肌で知っており、信用できる人だと思う。

さて、満族は清朝を建てて漢族を支配するのだが、どうなったのか。古谷の言葉をつづけよう。

<明末、清初の動乱を見て中国人の性質を考えるに、まず拝金、嘘は日常の習慣である。自己中心主義、血縁主義、背信、怨恨性、猜疑心をもたねば生きることは難しい。現代の中国人はすべてこの性質を身につけている。

満族は人口が少ないから一握りの軍団で漢人の海であった中国本土を統治するのであるから、遠慮して柔軟な政治をもって人民の離反を防ぎ、慰撫寛大を旨とせざるを得なかった。

満洲から(長城を越えて)入関した満人たちは、あっという間に華人の悪習に染まり、愛銭蓄財、収賄贈賄、好色淫蕩となり、伝統的な尚武正直な気質を失い、漢人との通婚により消滅しかけている。八旗軍団の精兵は形骸のみとなり、戦闘力を失った。

清朝は満族を保護し土地を下賜したが、売ったり金貸しに取られたりして社会の底辺に沈む者も多かった。少数民族の悲哀であろう。漢人とともに暮らすと早くも民族団結の基礎である満洲語を忘れ始めた。

満族にはもともと「忠」という思想はなく「孝」のみであった。漢人には忠はあったが名称だけであったから、清朝皇帝は忠誠心のある文武官をもつことは不可能であった。金銀の魅力で私腹を肥やすことを認める統御法しかなかった。これは今に至るまで尾を引いている。金銀は危険な万能薬である>

今の中共では汚職腐敗のニュースがどっさりと報道されているが、これは漢人のDNAとしか言いようがない。清朝五代の世宗は綱紀粛正で恐怖政治を行ったが、地方長官のなかには税金の10%を私腹していた者もいた。皇帝が求める金を納めればあとは自分の懐に入れることができたのだ。

1795年頃に皇帝の覚えめでたく国庫を預かっていた大臣が失脚した時に没収された財産は8億両、今の日本円で言うと17兆円にも達していたようだ。

(1795年当時の日本の貨幣でいくらになるのかは分からないが、その100年後、1895/明治28年の日清講和条約で清が払った賠償金は3億円である。当時の巡査の初任給は9円、今の20万円とすれば、6兆6000億円ほど。8億両(1895年当時なら11億円ほど)は今の17兆円ほどになるか。いずれにしても天文学的な汚職額だ)

こうした風習に満人も染まっていった。賄賂万能、汚職腐敗は日常茶飯事、軍隊も弱体化していき、1840年のアヘン戦争を皮切りに、アロー戦争、英仏の北京占領と皇帝の西安への逃亡、仏軍の安南侵攻、清仏戦争、日清戦争、義和団の乱など相次ぐ戦争、騒乱での敗戦により賠償金支払いも重なった。

国内では漢民族の孫文らが清朝打倒運動を広げ、まさに内憂外患であり、清朝は求心力を急速に失い、1912年、中華民国が建国され、ここに268年にわたる満州族の王朝、大清帝国は崩壊した。

清朝最後の皇帝、宣統帝溥儀(ふぎ)は名前だけの皇帝として紫禁城(王宮)に暮らすことになった。後の満洲国皇帝である。(2013/10/27)

<「頂門の一針」から転載>

2013年10月27日

◆「満洲国」建国譚(1)

平井 修一


「支那」というのは地域の名称である。「アメリカ」と一緒で、北米だけでもその地の国としては米国とカナダがある。本来は中国とは中共という国のことで、日本では昔から近畿以西の本州の一部を中国と呼んでいたから、ちょっと表現としてはおかしい。地域を示すのなら、やはり支那の方がいい。

支那はどの辺を指すのかというと、支那文化の発祥地とされる黄河中流域を中心としたところで、中華(世界の中心)とも言い、漢族が多い。周辺の「夷狄」(いてき)の地とは区別される。

夷狄とは漢族が辺境の異民族に対してつけた蔑称で、支那中華文明・文化のおよばない化外の蛮族、野蛮人、未開人という意味であり、地域によって東夷、北狄(ほくてき)、南蛮、西戎(せいじゅ)と呼んだ。

日本は地域としては東夷の倭(わ)、民族は倭人と呼ばれた。倭は「背が曲がって丈(たけ)の低い人」を意味するようで、北方の遊牧民族は匈奴(きょうど)であり、なにやらまがまがしい印象だ。

史上はじめて支那を統一したのは「秦」で、東北(満洲)方面の蛮族の侵攻を防ぐために秦始皇帝は「万里の長城」を着工し、大部分は「明」代に造られた。以来、長城の内(南側)を「関内」、外(北側)を「関外」と言った。

秦は西戎の羌(きょう、西方の遊牧民族)の王朝で、「隋」「唐」も鮮卑拓跋部(せんぴたくはつぶ、北部の遊牧騎馬民族)が出自だという。「宋」は突厥(とっけつ、中東のトルコ系)、「元」は蒙古族が建てた。漢民族が建てた統一王朝は「漢」「明」、それに現在の「中共」くらいしかないようだ。支那における異民族支配は別に珍しいことではなかった。

女真(じょしん)は、満洲の松花江一帯から朝鮮半島北部にかけて居住していたツングース系民族である。今の中共の遼寧省、吉林省、黒竜江省の東北3省あたりの民族で、10世紀ごろから記録に現れ、17世紀に民族とその地を「満洲」と改めた。

明末にこの満洲族が勢いを得て1616年に「後金」を建国した。女真族王朝である「金」の後裔だから「後金」と名乗った。明との間で長城の東端の山海関をめぐり死闘が繰り返されたが、明の遺臣の手引きにより山海関を越え、満洲族による支那支配が始まった。民族名の変更に伴って1636年には国号を「清」と改めた。

漢人にとっては「異民族支配」だが、それは別に珍しいことではないし、彼らにとって最も大事なことは「私欲・満腹・蓄財・拝金」で、自分(と家族)がうまくやっていければいいのであり、愛国心はまったくないから支配者が誰であろうとあまり気にしないようだ。

旧い支配者が去って新しい支配者が来れば迎合して「私欲・満腹・蓄財・拝金」のチャイニーズドリームをひたすら追求するというのが漢族の生き方なのである。強い者につくことを「事大主義」というが、そういう民族であることは今も変わらず、中共政権下でも「上に政策あれば下に対策あり」という民族なのだ。

「忠君愛国」「大義のために死す」といった思いは毛ほどもない。

小生はちょっと驚いたのだが、日本軍に投降した支那兵は翌日には嬉々として日本軍の軍夫になっていたりする。彼らにとって食べること、生きることが最優先の案件で、それを提供してくれれば主人は日本軍だろうと蒋介石の国民党軍だろうが、毛沢東の赤軍だろうが、どうでもいいのだ。生活の場が支那だろうと外国だろうとまったく気にしない。

つくずく漢族はすごい民族だと思わざるを得ない。タフである、生命力が強い。有史以来ひたすら「私欲・満腹・蓄財・拝金」を追求してきた。

漢の初代皇帝、劉邦は戦に負けて子供とともに馬車で逃亡した際、敵に追いつかれそうになったので車を軽くするために2人の子供を突き落とした。「親から子は生まれるが、子から親は生まれない。子供は親の犠牲なって当然だ」」という、究極的には自分さえよければいいという生き方なのである。

こういう漢族のなかで満洲国は建国されたのだが、結局は漢族に飲み込まれたような印象である。(つづく)(2013/10/26)
   
<「頂門の一針」から転載>

◆「生き地獄」と「脱南」する脱北者

加藤 達也


韓国に定住していた脱北者が再び第三国や北朝鮮に向かう“脱南者”が多発している。最近では、北に逆戻りした住民が韓国での生活を「生き地獄」だったと非難。以前ならば、こうした言動は「北朝鮮体制の政治宣伝」と切り捨てられてきた。

だが一方で、韓国社会の差別や就職・生活難に苦しむ脱北者が増加し社会問題化しているのも事実。「同胞」であるはずの脱北者すら逃げ出していく現状に、韓国政府は頭を抱えている。

今月15日付の東亜日報社説はこの問題に言及。これまで韓国に亡命し定住を決めた累計2万5560人の脱北者のうち、「689人は第三国に滞在している」と把握されていると指摘した。経済的困難や韓国生活への不適応で自殺した脱北者も26人に上るという。

さらに、過去5年間に韓国籍者の難民申請を受け付けた国から韓国政府への指紋照会165件のうち81・3%の126件は韓国に定住していた脱北者だったとも指摘している。

韓国政府は現在、定着準備金や住宅支援金、職業訓練費用といった社会福祉から教育支援まで、脱北者に対し1人当たり2千万(約184円)〜44800万ウォン(約443万円)を支給している。

同じ言語圏で言葉の問題は基本的になく、手厚い支援制度も用意している韓国から、こんなにも多くの人々が逃げ出している事実に、韓国政府や脱北者の支援活動に当たる関係者らはショックを受けている。

韓国政府にとって、さらに頭の痛い問題が北へ帰還する脱北者の続出だ。北朝鮮は金正恩(キム・ジョンウン)体制以降、12人が戻ったと宣伝している。

北朝鮮の官製メディア、朝鮮中央通信によると、9月30日には平壌で、韓国から北に戻った元脱北者たちの「座談会」が開かれたという。参加したチャン・グァンチョルという男性(33)は「韓国では仕事探しが大変だ。就職できたとしても給料は韓国人の半分以下で、悪夢の日々だった」と話した−と同通信は伝えた。

韓国政府関係者は「金正恩体制を称賛させて、南へ逃れようとする北朝鮮住民の夢を壊すことを狙った宣伝工作だ」と指摘する。

韓国情報筋は「韓国に定住した脱北者に北朝鮮側が接近し、北に残した親類や家族の安否、さらに資産の保全などにも触れながら、言葉巧みに北朝鮮への帰還を誘導するケースも把握している」と明らかにする。


だが、約12年前から韓国に住む50代の男性脱北者は「韓国で生活して初めて、韓国人にとっても暮らしにくい社会なのだと分かった。就職、進学や結婚など人生すべてがカネとコネで決まる。当の韓国人が常に不満を抱えながら暮らしているというのに、われわれのような完全なよそ者の脱北者が生きていく余地はない」と打ち明けた。

この男性によると、韓国での厳しい生活実態は北朝鮮住民の間にも広まっていて、「韓国で支援を受けてカネをためたら、第三国に再脱出しようと最初から計画する人もいる」という。

支援策拡充も

韓国政府は、脱北者の受け入れを「(朝鮮半島の)小さな統一」と位置づけ、定住と社会的な融和を目指してさまざまな施策を打ち出してきた。

累積脱北者数が2万人目前となった2010年9月には、脱北者を「親しい隣人として社会全体で受け入れるときがきた」(政府関係者)とし、「北朝鮮離脱住民の保護並びに定着の支援に関する法律」を改定。就業支援の強化や、韓国社会への適応を容易にするための教育機関の設立など現在の支援制度の原型が完成した。

また最近の“脱南”現象を前に、ソウル市はさらに「北朝鮮離脱住民 定着支援総合対策」を発表した。

脱北者向け総合支援施設を新設し心のケアや就職を斡旋(あっせん)するほか、市役所と公的企業での脱北者採用枠を現状の4〜5倍に拡充。街頭キオスクなどの営業許可の優先割り当てや、地域住民が脱北者への理解を深める事業も含まれるという。

ソウル市は「これまできめ細かく対応できなかった点を補うため、脱北者本人や支援活動関係者へのヒアリングを24回実施した。自治体では初の総合的な支援制度だ」と胸を張る。

だが、脱北者の一人は「何かをしなければならないという思いは伝わるが、実効性という意味においては期待できるものではない」と指摘している。

韓国で脱北者が安定した暮らしを送ることはできるのか。韓国入国約10年になる元朝鮮人民軍宣伝隊の演出家で、現在も南北分断や戦争をテーマに映画、ミュージカルの制作を手がける呉真●(=古の右に暇のつくり)氏(49)に聞いた。

支援施設3カ月では足りない

−−韓国から第三国へ再脱出するケースが問題になっている

「脱北者数が増え、その分、疎外感や矛盾を抱える人も増加している。韓国に来て初めて知る概念や言葉もあり、生活習慣や職業観も相当違う。カルチャーショックは非常に大きい」

−−北朝鮮に戻って韓国を批判する人もいるが

「韓国に不満を持つ人は米国、カナダ、中国、欧州それに日本にも移住している。韓国で差別などを受け苦労しても、自ら進んで独裁の北に戻るということはあり得ず、北への帰還には工作員が介在している」

−−脱北者の韓国適応で最も留意すべき点は

「実生活に入る前に韓国社会への理解を十分に深める時間が必要だ。特に北の地方などで抑圧された住民は、資本主義が発達した韓国なら奴隷的労働から解放され、楽に高収入の生活ができると過剰な夢を抱いている。たとえば職業斡旋で溶接技術を学びながら職を得たとしても、初任給が安く想像していた生活などできないと失望し、だまされたと感じてしまう」

「実績を積み信頼を得て初めて昇給の機会があるという認識がない。現在は3カ月で定着支援施設を出るが、それでは韓国社会になじめない。60年も分断しているのに10年程度では適応できない。40年、50年の長い目で見ることが重要だ」(ソウル特派員)
              産経ニュース2013.10.26

<「頂門の一針」から転載>

◆木津川だより 海住山寺B

白井繁夫


前回、海住山寺・中興の祖「解脱上人貞慶(じょうけい)が承元二年(1208)、笠置寺から移住して、戒律を重視する観音霊場の堂宇を再興して、慈心房(じしんぼう)覚真(かくしん)とともに、律宗教義の確立を目指す話題に触れました。

その際、専修念仏(せんじゅねんぶつ)を説く法然上人と、その時代の説明が不十分だった気がしますので、その点について改めて書き足したいと思います。

渦中の法然上人は、「浄土宗の開祖」(長承二年(1133)〜建暦二年(1212))ですが、比叡山で天台宗を学び、その後、承安五年(1175)阿弥陀仏の誓いである念仏(南無阿弥陀仏)を唱えれば往生できると説く、専修念仏の教団を興しました。

この教団へ、後に浄土真宗の宗祖になる「親鸞上人」も門弟となりました。ところが、法然が率いる教団は既存仏教教団から弾圧され、特に、承元元年(1207)二月には、後鳥羽上皇の怒りにふれ、専修念仏の停止(ちょうじ)になったのです。

事もあろうに、法然の門弟4名死罪、法然と親鸞を含む中心的門弟7名が流罪に処せられました。『承元(じょうげん)の法難』と云われています。

法然の配流、滅後も法難に遭っています。『嘉禄(かろく)の法難(1227年)』の時は、法然上人の墳墓を破却し、比叡山では法然の「選択集」の焼却などがありました。天福(てんぶく)二年(1234)には、宣旨(せんじ)により、鎌倉幕府が専修念仏を禁止し、弾圧もしました。

このように平安末期から鎌倉時代に於いて専修念仏教団は弾圧されたのですが、既存の仏教教団(法相宗.華厳宗.律宗や天台宗など)は朝廷、幕府から支持を受けました。

このような時代でしたから、「貞慶と覚真」は、腐敗堕落した貴族仏教を退けて、釈尊に回帰する教義の戒律を重視し、仏舎利を崇拝する信仰の確立を目指したのです。

そこで本題に戻ります。「貞慶.覚真」は「海住山寺」に戻り、理念の象徴的建築物であった「国宝の五重塔」の話を進めて行きます。

「国宝の五重塔」は、「海住山寺」の本堂の南前方に建ち、金色の相輪を頂く丹塗り(にぬり)の総高17.1mと、現存する五重塔としては、「室生寺の塔」に次いで小さい塔です。

しかし、初重(初層)に吹放しの裳階(もこし)を持ち、初重内部は四天柱間に板扉を設けて厨子状の構えとし、心柱を初重の天井梁上に立てる方法の五重塔は、この塔が「日本で最も古い塔」です。(但し、三重塔なら、初層に心柱がない構造の塔は、承安三年(1171)の一乗寺(兵庫)の塔が現存しています。)
海住山寺5重塔.jpg
上の写真:海住山寺の(国宝)五重塔

現在の初重には阿弥陀如来座像を祀っていますが、もとは仏舎利を本尊として、舎利塔に納めて安置していたと云われています。

この塔に納められていた仏舎利は七粒です。「貞慶が後鳥羽上皇より拝領の二粒(一粒は東寺、あと一粒は唐招提寺)。残りの五粒は、覚真が貞慶の一周忌(健保二年:1214:2月3日)の五重塔完成供養に五粒を加えてこの塔に安置した。」と記されており、それに触れた覚真自筆の「覚真仏舎利安置状」が、「海住山寺」に保存されています。

この塔は建立年代が明確であり、建築技法や、類例のない内陣のつくり、初層の8枚の扉に8体の尊像が描かれている等々を持った鎌倉時代唯一の五重塔の遺構です。まさに、鎌倉初期の舎利信仰を物語っている貴重な建築物と言えます。

本堂の前の北側には(重文)「文殊堂」が建っています。(現在修理中のため内部は不明)。
柱間が正面三間(ま):7.3m、側面二間(ま):4.3m、四方に縁がつく寄棟造の小堂です。
この御堂の初期は経蔵でしたのが、後に文殊像を安置したのだと云われています。

「海住山寺の本堂」は、かつては薬師堂とも呼ばれていました。現在の建物は明治17年に建てられた比較的に新しい御堂です。

本堂の厨子内に安置されている「木造十一面観音立像(重文)」は1.9mの高さが有ります。平安初期の作風がみられ、おおらかで安定感のある一木彫成像です。堂内がやや薄暗いためか、この観音菩薩を拝観していると、穏やかな安らぎを私達に与えて呉れるような気持ちになりました。

堂内内陣の左右に壁画が有り、左の壁画は補陀落山曼荼羅で観音が諸菩薩に囲まれ、雲に乗って来迎する様子と、これを迎えに海浜より舟をだす僧が描かれており、右の壁画は那智の滝と青岸渡寺が描かれています。

「海住山寺」の絵画では、鎌倉時代の法華経曼陀羅図(重文)は京都国立博物館に、仏像では檀像(香木の像)の高さが45.6cmの十一面観音立像(重文)は、奈良国立博物館にそれぞれ寄託されています。

「海住山寺」は、室町時代の14〜15世紀にかけて、鎮守の春日社や鐘楼など多数造営され、嘉吉元年(1441)の『興福寺官務牒疏』には「一山は十三ヶ寺、四十二坊」と記されています。

また、十六世紀の『海住山寺雑記録』にも釈迦堂、蓮花寺、宝篋院(現在の本坊)、宝蔵院や子院などが数多く記されています。

ところが、十六世紀末の「秀吉による検地」は寺社の勢力を削ぐ目的で行われ、何と海住山寺の所領も大部分が削減されたのです。それ以来、徐々に衰退して行き、江戸時代の天明七年(1787)の『都名所図会』によると、境内は現在の状態とあまり変わりが有りません。

明治維新後、海住山寺は興福寺から離れ、真言宗の小野隋心院に属し、その後、京都智積院(ちしゃくいん)の末寺となり、今日に至っています。

太閤検知で無くなった海住山寺の寺領や数多くのさびれた坊の跡は、茶畑や蜜柑畑になり、現在は何事もなかった様に、静かな田園風景に溶け込んでいました。

次回は、「木津川」を挟んで海住山寺の(対方)南側、大和と山城の国境、山間の当尾の里にある「浄瑠璃寺」を訪ねる予定です。

参考資料:日本の古寺美術 18 (海住山寺)保育社     肥田路美著
     海住山寺       中央公論美術出版      工藤圭章著
     大和の古寺  七   岩波書店 (1981)

2013年10月26日

◆「高度成長」終焉におののく中国

渡辺 利夫

 
現在の発展パターンでは、成長の持続性は期しがたい。中国の指導部がこの認識にめざめて久しい。2006年に始まる第11次5カ年計画ですでに「発展方式の転換」の重要性が強調され、11年の第12次計画採択時のスローガンもこの「転換」であった。

 ≪発展方式転換、行うは難し≫

昨年11月に党総書記に選ばれた習近平氏が、達成すべき諸課題のうち優先順位の最も高いものとして掲げたのが、やはりこの「転換」である。要するに10年以上、その重要性が指導部に強く認識されながら、どうにも解決されない課題が、発展方式の「転換」なのである。

第11次計画期間中にリーマン・ショックに襲われ、急低下した成長率の復元を求めて、政府は空前の規模の緊急景気刺激策を打ち出した。これが奏功してV字型の成長回復がなり、世界経済を下支えして中国経済のプレゼンスは一段と大きなものとなった。

中国がGDP(国内総生産)額で日本を上回ったのも、この景気刺激策のゆえである。しかし、巨額の刺激策は「転換」の課題解決の道をはるかなるものとしてしまった。

中国の発展方式の特徴は、内需において投資依存度がきわだって高く、他方、家計消費が一貫して低迷してきたことである。景気刺激策は、すでに高い投資依存度を一段と押し上げてしまった。

景気刺激策として未曽有の金融緩和政策がとられ、マネーサプライが急膨張した。これにより潤ったのが、機会あらば投資拡大を狙う地方政府であり、地方政府は傘下企業の不動産、インフラ、都市建設などへの投資拡大を誘った。地方政府の過剰債務と過剰投資こそが、中国を高い投資依存経済たらしめた主役である。

中国の投資依存度は、世界の市場経済国の歴史に類例のない高さにある。本欄(12年11月7日付)でも警告の意をこめて指摘したことだが、過去の最高値は日本の「いざなぎ景気」時、ならびに韓国の「漢江の奇跡」時であった。

この時期でさえ、日韓の投資依存度が4割を超えることはなかった。現在の中国はほとんど5割に近い。異様なる高水準である。日韓は最高値を達した直後に起こった資本ストック調整により、厳しい成長減速を余儀なくされたのである。

≪やまぬ地方の「投資飢餓症」≫

中国の地方政府の“投資飢餓症”はやむことがない。地方政府相互が激しい成長の鍔迫(つばぜ)り合いを演じている。地方政府は、上位から下位へ省、市、県、郷・鎮と連なるが、それぞれのレベルの地方政府がインフラ、不動産、都市建設への投資を競い合って高成長を顕示している。

共産党内の序列は上位の地方党委員会によって決められ、序列決定の考課基準は地方の成長実績いかんである。

企業投資であれ公共投資であれ、投資が積み上がっていけば、過剰投資・投資効率低下の悪循環にはまりこみ、投資主体の財務体質の悪化が避けられない。

市場経済であれば、過剰債務と過剰投資は市場の抗(あらが)いがたい力によって整理されるが、強い権力をもつ地方政府は成長率低下を恐れ、新たな融資先を求めて投資依存度をさらに引き揚げようと努める。

中央政府の金融規制の枠外に投資会社(「融資平台」)を構築し、この平台(プラットホーム)で高利・短期の「理財商品」を開発、ここに個人や企業の民間資金を呼びこんで投資拡大をやめない。

正規の銀行を経由しない金融メカニズムがシャドーバンキング(影の銀行)といわれるものである。その規模はGDPの40〜50%に及ぶともいわれるが、正確な額は捕捉されていない。コントロールは容易ではあるまい。

≪負債圧縮とミニ刺激で綱渡り≫

リーマン・ショックからすでに5年を経過、「転換」がまったなしと見据えて、李克強首相は景気減速をも厭(いと)わず経済のデレバレッジ(負債圧縮)に取り組もうとしている。負債額が巨大規模に達し、統御不能なものとなりかねないことへの指導部の懸念はいつになく強い。

しかし、地方政府は、中央のマクロコントロールによっては動かしがたい強固な利益集団と化している。何よりデレバレッジによる成長減速は、雇用や家計所得の低迷につながるために、成長率には政治的に許容可能な「下限」が存在する。

下限はおそらく6〜7%という狭い範囲の中にあろう。下限を下回れば政治経済の負のスパイラルが発生するリスクがある。

政府は将来のより大きな資本ストック調整を回避するために、負債圧縮を漸次進める一方、成長減速にはミニ景気刺激で応じるという綱渡りをつづけるしかない。中国高度成長の時代はもはや過去のものとなったのである。

家計消費を中心とする安定的な内需主導経済への移行が中国経済の最 終的目標であるが、そこにいたるまでかなりの長期にわたってつづくであろう緊張に中国経済がはたして耐えられるか。尊大な表の顔の向こうに、なにかに戦(おのの)くような裏の顔が見え隠れしている。
(拓殖大学総長・わたなべ としお)産経ニュース【正論】 2013.10.25

<「頂門の一針」から転載>

◆ドン・キホーテ習主席の時代錯誤

石 平


スペインの作家、セルバンテスが著した『ドン・キホーテ』の中で、騎士気取りの主人公が風車に突撃するシーンがある。滑稽にして悲哀にも思える名場面だ。実は最近、中国国家主席、習近平氏の行いを見ていると、彼のやっていることはことごとく、ドン・キホーテと風車との闘いに似てきているような気がする。

習氏が昨年11月の総書記就任以来、全力を挙げて闘いを挑む相手の一つは党と政府の内部の腐敗である。

「腐敗を根絶しなければ国が滅ぶ」という切実な危機感の下、習氏は「ハエもトラも一掃する」との大号令をかけ、疾風怒濤(どとう)のごとく腐敗撲滅運動を展開してきた。

だが、汚職幹部の筆頭だった前鉄道相を極刑に処することもできなかったことや、その上の「大物トラ」に摘発の手が及ばなかったことなどから、鳴り物入りの腐敗撲滅運動も最近では「トラがハエを払う運動」だと揶揄(やゆ)され、早くもその限界を迎えている。

今、腐敗しきっているのは習主席自身の権力を支えている幹部組織そのものだから、この得体(えたい)の知れぬ「風車」への突撃は最初から勝ち目はない。本来、腐敗撲滅の唯一の方法は一党独裁体制にメスを入れることであろうが、それができないなら、「反腐敗」も中途半端に終わる。

習主席が渾身(こんしん)の力を絞って闘おうとするもう一つの「風車」はネット世論と、ネット世論によって代弁されている人々の自由な思考である。

今夏以来、習指導部は官製メディアと警察力を総動員してネット上の反体制的世論に対する掃討作戦を展開してきた。ネットへの検閲を強化しながら多くのオピニオンリーダーの拘束・逮捕に踏み切った。その一方で、知識人たちが求める「普世価値」(民主・自由・人権などの普遍的価値)を、「西側の陰謀思想」だと決めつけ攻撃の集中砲火を浴びせている。

しかしその「成果」は実に散々なものだ。5億人以上のネットユーザーがいるこの国では、ネット上の発言をいくら検閲しても検閲しきれないし、いくら削除しても削除しきれない。今でも、ネット言論の世界は依然として反政府一色である。

そして、政権による言論弾圧には身内の中央党校からも批判の声が上がっている。今月初旬、129人の民間弁護士が弾圧される人々を守るための「人権弁護団」を堂々と結成して、政権と正面から対抗する壮挙に打って出たばかりである。

習主席のやっていることはむしろ反対勢力の結集を促して政権への求心力をよりいっそう弱める結果となっているから、最高指導部の中でも最近、彼の「風車との闘い」に嫌気をさして別の道を歩もうとする動きが出ている。そのままでは習主席は、天涯孤独の「笑い物騎士、ドン・キホーテ」となってしまおう。

ドン・キホーテの滑稽さは、騎士の世がとっくに終わったのに自分一人だけが本物の騎士になりきろうとしたことにある。習主席も同じだ。就任以来、彼はあらゆる場面で年代物の「毛沢東思想」を持ち出したり、毛沢東の名言や格言を引用したりして毛沢東気取りをしている。

その腐敗撲滅運動の手法は毛沢東の「整風運動」をそのまままねしたもので、言論への弾圧も毛沢東の「文革」をほうふつさせている。つまり彼は、毛沢東的なカリスマと強権政治がもはや存続し得ない今の時代、毛沢東になろうとしているのだ。

ドン・キホーテ流の「騎士妄想」そのものである。ましてや、民主・自由と人権などの世界共通の普遍的価値に矛を向けようとするとは、時代錯誤はすでに限度を超えている。

「風車」と闘う習主席の失敗はもはや避けられない。そこから新しい政治の方向性が生まれてくるかどうか、今後注目すべきである。

◇【プロフィル】石平
せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。
産経ニュース2013.10.24 【石平のChina Watch】

<「頂門の一針」から転載>

2013年10月25日

◆どこまでも怪しい河野談話

阿比留 瑠比


慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の河野談話の根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査の実態について、改めて考えてみたい。

「バイアスのかかった人たち、反日運動をやっている人から聞いたのでは、初めから参考にならない。そうではなくて、真実を語れるような状況のもとで公正な、真実を語ってくれる人を選んでくれと韓国側に言った。韓国側も同意した」

河野談話作成に事務方のトップとしてかかわった石原信雄元官房副長官は今回、産経新聞のインタビューでこう繰り返した。

その考え自体に異論はないが、肝腎なのは実態はどうかだ。石原氏は韓国側を「信頼していた」と振り返ったが、聞き取り調査がそんな公正性が担保されるような環境下になかったことは明々白々なのである。

もともと聞き取り調査は、慰安婦募集の強制性を示す物的証拠が一切見つからない中で「向こう(韓国政府)が『当事者の意見を聞いてくれ』と言ってきた」(石原氏)という。だが、実際に調査が実施された場所は韓国政府の公館でも何でもなく、太平洋戦争犠牲者遺族会という民間団体の事務所だった。

そしてこの遺族会とは当時、日本政府を相手に慰安婦賠償訴訟を起こしていたいわくつきの団体である。

そもそも慰安婦問題に火がついた一つのきっかけは、朝日新聞が3年8月に「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」と報じたことだ。記事は「女子挺身(ていしん)隊の名で戦場に連行」などと事実に反した内容だったが、これを書いた記者の義母が幹部を務めていたのが、この遺族会というのも因縁めいている。

また、聞き取り調査には「韓国の民間団体の強い要望」(5年7月29日付朝日)で、オブザーバーとして福島瑞穂弁護士(社民党前党首)が同席していた点もしっくりこない。

福島氏は当時、遺族会による賠償訴訟の原告側弁護士であり、さらに、聞き取り調査対象16人中の5人までもがこの訴訟の原告なのである。こうなると、石原氏の言う「公正」「真実」などむなしい限りで、むしろ一定の政治的意図を感じない方が不自然だろう。

付け加えれば、遺族会は後に詐欺の疑いで警察に摘発された。日本統治時代の戦時動員被害者に対し、日本政府から補償金を受け取ってやるとして弁護士費用名目などでカネをだまし取っていたという理由だ。

福島氏は前述の5年の朝日記事の中で、日本政府の調査団が聞き取り調査の冒頭、元慰安婦に「日本は、やってはいけないことをした」と必ず謝罪したとのエピソードを明かしている。何のことはない、日本側は話を聞く前から結論を決めていたのではないか。

ちなみに政府は聞き取り調査内容を非公開としているが、当時の新聞には調査に応じた複数の元慰安婦の名前が堂々と掲載されている。今さらプライバシー保護でもあるまい。河野談話は、どこまでもうさんくさい。(政治部編集委員)産経ニュース 【阿比留瑠比の極言御免】 2013.10.24

<「頂門の一針」から転載>

2013年10月24日

◆オバマが幕を引いた「世界の警察官」

加瀬 英明


シリア化学兵器危機をめぐって、シリア内戦の推移、米ロ、国連の動きだけに目を奪われては、木を見て、森を見ないことになる。

シリアと中東の行方がどうなるかが、木なら、森は何か。アメリカが第2次大戦後、世界を動かす超大国だったのに、今回、オバマ大統領がシリアに軍事介入するのに逡巡して醜態を曝したために、その座から降りてしまったことによって、世界が変わったことだ。

日本はアメリカ製”平和憲法”のもとで、国の安全をアメリカの意志と、力に依存してきた。アメリカに寄生して、他人任せの平和を享受できなくなったことを意味している。

オバマ大統領は8月にダマスカス郊外で、化学兵器によって1400人あまりの市民が殺されると、アサド政権が行ったと断定して、「人道的に許せない」ときめつけ、制裁を加えるためにミサイル攻撃を加えると、宣言した。

オバマ大統領は攻撃が「限定的」なもので、「政権の交替を目標としない」といった。反政府勢力はアル・カイーダ系過激派が、主流を占めるようになっている。

シリアには広大なシリア砂漠(バーディヤト・アッシャーム)が、ひろがる。私はオバマ大統領が遠く地中海上から、ミサイルを砂漠に20発あまり撃ち込んで、気の毒な駱駝を十数頭殺してから、「目的を達した」といって手を引くものと、思った。

私はオバマ大統領が異常な人気に乗って、大統領選挙に勝った時に、アメリカはとんでもない人物を選んだから、アメリカの力が衰えようと、本誌に書いた。イリノイ州議会と連邦議会上院で1期ずつつとめたが、大統領を志して全国を飛び回ったから、ワシントンで過すこともなかったシロウトである。アメリカ版の鳩山由紀夫、橋下徹氏だ。

オバマ大統領は大統領選挙戦中に、イラク、アフガニスタン戦争を指して、自分は「そのような愚か(ダム・)な戦争(ウォアーズ)をしない」と、約束した。

だが、アメリカの盟友の英国が、一緒にシリアを攻撃すると約束したのに、イギリス議会が拒んだ。アメリカの世論調査は60%以上が、外国に軍事介入することに、反対した。

 オバマ大統領は怯んで、議会の承認を問うといったが、否決される可能性が高かった。オバマ政権がシリア内戦が始まってから30ヶ月も傍観していたのにもかかわらず、ジョン・ケリー国務長官が「アメリカが孤立主義(アイソレーショニズム)に陥ってはならない」と、強く警告した。

オバマ大統領は、自らを窮地に追い詰めた。ロシアのプチン大統領が「シリアに化学兵器を放棄させ、国際管理下に置く」といって、救いの手を差し伸べた。オバマ大統領は藁にすがった。シリアは、ロシアの弟分だ。

ロシアはシリアの地中海沿岸に、海軍基地を持っている。もし、アメリカの軍事介入が拡大して、アサド政権が倒れたらたいへんだ。それに、激しい内戦下にあるシリアから、化学兵器を一掃することはできまい。
 
オバマ大統領は信念も、経験もなく、リーダーとしての決断力を、まったく欠いている。アメリカ国民はブッシュ息子政権による〃アメリカ一強時代〃の反省と、国内経済が財政困難など重荷をかかえるなかで、いっそう内に籠ろうとしている。

アメリカ国民が第2次大戦後、海外への軍事介入にこれほど強く反対したのは、はじめてのことだ。

アメリカが世界の警察官を、単独で演じてきた時代が終わる。
  
<「頂門の一針」から転載>