2013年10月06日

◆日本は世界唯一の和を重んじる文化

加瀬 英明


私は41歳になった時に、福田赳夫内閣と中曽根内閣で首相特別顧問をつとめた。また、外相、防衛庁長官顧問として、外交の第一線に立った。

外交でひとつ心すべきことがある。英語で「ミラー・イメージ」というが、自分の姿を鏡で見るように、相手国も自分と同じような価値観を持って行動するはずだと、思い込む罠に陥りやすいことだ。

中国、朝鮮半島は隣国なのに、日本とまったく異質な文化を持っている。王朝がしばしば暴力によって交替し、権力を私して人民を搾取、収奪したから、民衆は自分の身を守るために、互に信じることなく、利己的にならざるをえなかった。和の心も、公徳心も育ちようがなかったから、生きるために嘘も、盗みも正当化された。

日本が天災の国ならば、絶え間ない人災の国であってきた。ヨーロッパも、そこからでてきたアメリカも、同じような歴史を持っている。日本の和の心は、通じない。

いま、日本は性奴隷という慰安婦問題によって、アメリカだけでなく、世界から不名誉きわまりない汚名を着せられている。この原因は、平成5年に慰安婦について謝罪した河野官房長官談話がつくった。

そのうえ、補償までした。私と親しいアメリカの高官が、「有史以来、東西を問わず、戦場と兵士の性処理はつきものだった。それなのに、日本政府は慰安婦について、人類史上はじめて謝罪した。よほど悪いことをしたにちがいないと思われても、仕方ないだろう」といった。

旧軍の慰安婦は拉致されて、強制されたのではなく、職業的な売春婦だった。日本でも、ヨーロッパ、アメリカでも、売春は公認されていた。アメリカ兵がベトナム戦争中、100万人以上の「アメラジアン」と呼ばれる混血児をベトナムに残したために、1982年にアメリカ議会が救済する立法を行なった。

韓国軍もベトナムで、3万人の「ライダイハン」という混血児をのこした。前大戦中に日本兵が生ませた混血児は、ほとんどいない。

しかし、その後も、歴代内閣が河野談話を撤回していないために、病根が世界にわたって、日ごとに深まるようになっている。

ここでも、「ミラー・イメージ」が働いている。だから、日本が誤解されている。

日本は歴史を通じて、奴隷がいない珍しい文化だった。戦いは武士と兵卒だけが戦って、一般住民を殺すことがなかった。敗者の女性を手当り次第、強姦することもなかった。日本は優しい、和の文化なのだ。

中国史や、西洋史では、しばしば都市ぐるみで大量虐殺が行われた。中世ヨーロッパの宗教異端裁判では、30万人が火焙り刑によって、虐殺された。秀吉がキリシタンが神社仏閣を破壊し、日本の男女を奴隷として国外に売ったために、キリスト教を禁じて、信者を捕えて処刑したが、合計して僅か4千人だったのと、対照的である。

<「頂門の一針」から転載>

◆反日岩波「世界」の住民(2)

平井 修一


■高嶋伸欣(のぶよし、琉球大学名誉教授、1942年-)★★★★★

東京教育大学文学部卒。地理学者、歴史研究家。大学院では家永三郎らに師事。1975年より主に日本教職員組合の教師を対象とした東南アジアの「近代史をたずねる旅」などを主宰した。

1992年に執筆を担当した高校教科書に対する検定意見をめぐり、10年以上に及ぶ教科書裁判を国と争った。

『新しい歴史教科書』や育鵬社の歴史教科書の不採択運動をしており、採択される可能性のある教育委員会に対し、「全国の教科書採択関係者の皆さんに 沖縄からの怒りの声をお届けします」などと圧力をかけている。

竹島については「日本が近年竹島を領土問題として浮上させた理由は、安倍晋三を中心とした自民党勢力が、票田のために、領土紛争を引き起こしてナショナリズムを拡散させるように島根県をけしかけたもの」と主張している。

著書『拉致問題で歪む日本の民主主義 石を投げるなら私に投げよ』ではこう日本人を罵倒した。

<場合によっては(北朝鮮で)数百万人の餓死者が出てもかまわないと、日本社会の六割以上の人々が考えていることになる。そうした悪魔のような心が、いつから日本では人々の心を支配するようになったのだろうか>

・寸評:北朝鮮ではなく「日本が悪魔だ」というのだ。米を送ったところで北の幹部の懐に入るだけと日本人はもう知っている。高嶋の時代は終わったのだ。

■山下明子(アムネスティ・インターナショナル日本「慰安婦」問題チームコーディネーター、生年不詳)★★★★★

大学講師。専門はアジアの宗教と女性。インドのダリット女性運動と連帯する「ニームの会」代表、世界人権問題研究センター客員研究員。著書に「インド『不可触民』の女たち」「戦争とおんなの人権 従軍慰安婦の現在性」「アジアの女たちと宗教」「日本的セクシュアリティ」(編著)ほか。

アムネスティのサイトから。

<アムネスティは、旧日本軍により性奴隷として働かされたアジア各国の女性たちを、戦時下での深刻な人権侵害の犠牲者だと考えています。「慰安婦」問題チームは、日本政府が一刻も早く、この問題を立法によって解決するよう、働きかける活動をしています。

「慰安婦」問題は、被害者が生存中に解決しなければらない問題です。今後、予定している活動としては、映画「終わらない戦争」の上映会や戸塚悦朗さんの講演会の開催、国会と地方議会議員へのロビー活動、労組への働きかけなどがあります>

山下は「日本軍『慰安婦』問題・関西ネットワーク」にもかかわっており、「在日特権を許さない市民の会」とは敵対している。

・寸評:山下はありもしない“従軍慰安婦”妄想患者だ。昔から体ひとつで高収入を得られる売春は韓国の伝統的巨大産業(2007年1兆2377億円)なのである。朝鮮日報はこう報じている。

「2010年10月に行われた女性家族部(省)への国会国政監査で、金玉伊議員(女性家族委員会所属)は『海外で売春をする韓国人女性の数は日本に約5万人、オーストラリアに約2500人、グアムに約250人いるとみられ、全世界では10万人余りに達する』と明らかにした。

海外売春の理由の1つを「カネ」と分析し、「昨年5月にカナダの売春宿で警察に身柄を拘束された10人の韓国人女性も『短時間でたくさん稼げると聞いて、つい来てしまった』と話した。売春宿を経営していた女性社長(36)は、普段から女性たちに『1か月に2000万ウォン(約175万円)稼げる』と話していた」(2012年6月15日)

■斎藤貴男(ジャーナリスト、1958年−)★★★★★

早稲田大学商学部卒、英国・バーミンガム大学大学院修了。『日本工業新聞』『プレジデント』編集部、『週刊文春』の記者を経てフリー。主に時事、社会、経済、教育問題を取り上げ、格差社会や政府による情報統制などを批判している。

著書に『「東京電力」研究 排除の系譜』『安倍改憲政権の正体』『ポスト成長神話の日本経済「アベノミクス」を問う』など。オオエ真理教「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人。

自民党改憲草案については、「表現の自由を認めるといいながら、公の秩序、つまり政府なり体制に逆らうものは一切許さない、そういう法律をこれから作りますということで、有りようによっては治安維持法になりうる」 と批判している。

「教育問題から身を引いてほしいゲスたち」(日刊ゲンダイ2013/1/15)では安倍政権、曽野綾子、八木秀次らをこう痛罵している。

<安倍晋三新政権の方向性は明らかだ。原発のより一層の推進および市場原理主義に公共事業のバラマキを加えた大企業絶対の価値観の徹底、沖縄差別、さらには憲法改正で常にアメリカの戦争に付き従う体制の確立――。

新政権が今月下旬に発足させる「教育再生実行会議」の委員にも、作家の曽野綾子氏や高崎経済大学の八木秀次教授ら、やたら戦争や格差社会を礼賛したがる面々が内定した。副座長には三菱重工業の佃和夫会長が就任するそうだ。

愛国心の美名を盾に、他人の子どもを兵隊か労働力か息をするサイフとしてしか見なしていない手合いばかりがのさばりかえる時代。世襲権力者や軍需産業の親玉の類いに教育を差配されてたまるものか>

・寸評:「憲法行脚の会」というのがある。「憲法9条を中心として、憲法の価値をあらためて問い直し、憲法の意義を伝え広めるために全国各地を講演行脚しよう」というもの。呼びかけ人は斎藤貴男のほかに内橋克人、落合恵子、香山リカ、姜尚中、佐高信、辛淑玉、高橋哲哉、高良鉄美、田中優子、土井たか子、森永卓郎の計12人。そうそうたる反日屋である。
・・・

このシリーズは最低5回は続けようと思っていたが、アトランダムに選んだ7人は5つ星級の反日屋で、岩波「世界」にとっては一流の“進歩的文化人”なのだろうが、小生には“末期的妄想人”で、記事を書いていて気持ちが悪くなってしまった。結局は自虐史観の金太郎飴で、これ以上書いても読者の目を汚すだけなので、これで終わりにする。

小生が想像する以上に、反日屋は改憲をすすめる安倍政権を憎悪し、危機感を募らせている。岩波「世界」も最後の牙城として、戦後のGHQ製精神の「最悪の部分」を継承する反日屋の結束や洗脳に力を入れていくだろう。保守派は「芽むしり仔撃ち」の精神で反日屋をつぶしていかなくてはならない。(おわり)(2013/10/3)

<「頂門の一針」から転載>

2013年10月05日

◆消費税の次は官僚制度に断下せ

屋山 太郎
 

安倍晋三首相が打ち出したアベノミクスは、デフレ脱却に向けて日本経済を動かしているようにみえる。日銀総裁に黒田東彦氏を起用して、その下での“異次元の緩和”により、凝固していたような金融が円滑化してきた。株式市場も活性化し、高い支持率が続くと見るや、至難と思われた環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉への参加に踏み切った。

≪役人政治と決別し苦境脱す≫

夏頃には消費税増税はしないとの見方も流れたのに、国内総生産(GDP)の成長率が高まると、現行の5%から8%への引き上げを決断した。上げ幅3%分のうち2%相当額は企業減税や、給与を上昇させた企業への給与減税に充てるという。

これまでなら、先に所得税減税をやれとの声に押されそうなところだが、まず企業に儲(もう)けさせて、内部留保資金を設備投資や昇給に使わせることに、政策を集中させるのだという。

今後、規制緩和や構造改革など「第3の矢」を放つのは、より困難になってくるとみられるが、そのハードルを乗り越えれば日本に曙光(しょこう)も差してくるだろう。

日本はこの15年、デフレを克服できなかった。安倍首相が登場していなければ、そのままジリ貧状態を続けていただろう。苦境からとにもかくにも抜け出せそうになってきたのは、安倍氏が「官僚政治」と決別したからだと断じていい。

氏は、日銀法改正をちらつかせて白川方明総裁を辞任に追い込み、後任には、財務省が推した財務次官上がりの武藤敏郎氏を退けて“意中の人”を据えた。

日本の政治は、戦中は内務省、戦後は予算を握る財務省がかなりの政策を仕切ってきた。絶大な権限を有する財務省と対峙(たいじ)した首相は戦後初めてではないか。

安倍氏は第一次内閣時に、官僚が国会議員を差し置いて実体的に政治を差配するのはよくないと、法改正に着手した。その「国家公務員制度改革基本法」は次の福田康夫内閣時に成立し、基本法を踏まえて、幹部公務員の人事は「内閣人事局」が行う幹部公務員法も立法化する段取りだった。

≪省あって国なしの公務員では≫

各省が自省の人事を取り仕切る現行システムは、「局あって省なし」「省あって国なし」の公務員しか作らない。農水省を一例に取ると、「日本は農地が少ないから他国と競争はできない」として、TPPには省を挙げて反対だ。林芳正農相以前は、大臣までが官僚と同じことを言っていた

「農地が少ないのに、なぜ減反をするのか」と反問する官僚は、そこで出世は終わりである。国家的発想ができる官僚を育てるには、幹部600人の人事考課を、内閣で一括して行うのが最善の策だ。

麻生太郎内閣でもその法案作成は続けられたが、麻生氏の「オレは官僚バッシングはしない」の一言で幹部公務員が反旗を翻した。時の人事院総裁の谷公士氏は、政府案決定のため麻生氏が招集した最後の会議をボイコットして、法案作成を潰したのである。

「官僚は使うもの」というのが麻生氏の口ぐせだが、各省の利益と政党の政策は必ずしも一致しない。第二次安倍内閣の金融、財政政策が成功しつつあるのも、あえて財務省の逆張りをしたからだ。官僚の通弊は既定路線を切り替えられないことだ。だからこそ、15年も風邪をひくようなぬるま湯につかりっ放しだったのだ。

安倍氏は今回、行革担当相に起用した稲田朋美氏に、「内閣人事局」構想を具体化して今秋の臨時国会に提出するよう命じている。しかし、与党内には制度改革の意味が分からない“親分衆”や、改革に反対する官僚出身の議員が少なくない。中でも財務省などは必死の反対工作をしている。

≪「内閣人事局」構想進めよ≫

もっともらしい反対理由は「官僚機構はそこそこ機能しているじゃないか」というものだ。しかし、それは、安倍氏と菅義偉官房長官の2人が中心になって、本省局長級112人(6月28日現在)の大量異動を実施し、内閣がやりたい政策を実行してくれる人を局長に任命したからである。

私の見る限り、安倍、菅の両氏は戦後の内閣史上、絶妙のコンビだ。政治の運営方法、テンポ、人材の起用がこれほどうまい内閣もなかったのではないか。

幹部たちは戦々恐々として首相と官房長官の動きをうかがっているから、波風が立たない。今の安定状況はいってみれば、安倍、菅の両氏の腕っぷしがしからしめているわけであって、システムとして官僚たちが国家の使命を認識したことによるものではない。

幹部公務員制度は、そうした“腕力”ではなく、適正な人事評価により全員が所を得る仕組みを作るものだ。

稲田氏に求められているのは、給与をランク付けしている「級別定数」を、人事院から「内閣人事局」に移管するといった荒技(あらわざ)である。最も肝要なのは、公務員の身分保障を外すこと断だろう。

人事院は懸命に法案の骨抜きを図っている。だが、制度改革なくば官僚が国政を壟(ろうだん)する国家がいつまでも続く、と知るべきだろう。
(ややま たろう評論家)産経ニュース【正論】  2013.10.4

<「頂門の一針」から転載>

◆GHQ焚書図書開封 読書メモ(3)

平井 修一


西尾幹二著「GHQ焚書図書開封 - 米占領軍に消された戦前の日本」で紹介されている焚書図書のサワリ。以下の本から1937年(昭和12)12月の南京攻略戦のごく一部を転写するが、背景を少し説明しておこう。

支那では清朝の統治能力が衰えて内乱状態が続いていたが、1912年に孫文が中華民国の樹立を宣言。清朝が滅亡したものの、やがて全土が分裂し軍閥が割拠する時代となった。

1926年の孫文の死後に蒋介石(国民党)が国内の勢力を統一し「中華民国南京国民政府」を標榜、主に軍閥・張作霖の北京政府撲滅を目指し北伐を開始する。

蒋介石は意欲的に中国の近代化を進めたが、ソ連の支援を受ける毛沢東らの中国共産党は農村を中心として支配領域を広げていき、国共内戦が激化していく。

1932年、日本の支援を受けて満洲国が建国されると、支那では全国的に抗日世論が高まり、1936年にはソ連の仲介(謀略)と恫喝で国民党と共産党の国共合作が成立した。1937年7月の盧溝橋事件からは日本人居留民、日本軍を攻撃する抗日事件が相次いだ。

日本は清朝時代からの支那政府との条約で得た支那における権益、居留民の安全を条約に基づき軍事力で守ろうとし、一方で蒋介石の南京国民政府は「革命外交」を掲げて日本の権益を、米国の支援をうけつつ軍事力で無効にしようとした。正義と正義の衝突であり、やがて支那事変という全面戦争状態となるが、こうした中での南京国民政府の首都である南京攻略戦であった。

■谷口勝著「征野千里 一兵士の手記」昭和13年12月、新潮社刊

<(1937年12月13日の)夜が明けるとすぐ城門への突入がはじまった。前方には城壁をとり巻いて幅三十メートルほどのクリーク(川)があった。クリークの土手は三間ほどの道路になっていて、そこに塹壕があった。

城門はすでにぴったり閉ざされて、泥や砂がいっぱい積んである。クリークの土手の敵は、城内に逃げ込む道はなかった。堪えかねてバタバタバタと城門へ走っていくが、片っ端から友軍(日本軍)の重機(機関銃)に薙ぎ倒されて、山のように重なって倒れていく。

友軍の工兵が、材木に板をならべた筏のような渡架橋をもって走った。城壁の上から手榴弾と機関銃が降ってくる。渡架橋は水煙をあげてクリークに投げ込まれた。

城壁が轟然と音をたてて爆破される。大きな坂ができたように土砂がザーッと崩れ流れた。ドーッと隣の○隊が飛び出したようだった。やがて城門を埋(うず)めた小山のような泥の坂のところで日章旗がしきりと打ち振られた。戦車は轟音を立てて動き、私たちもまた一斉に進軍した。

「十二時十二分!」と小林伍長が叫ぶ。ただ敵の死体と散乱する軍需品の海だった>

■西尾先生曰く、「中野部隊の谷口勝上等兵の書いた本である。大変感銘を受けた一冊で、表現が非常に正確だ。その本が信じられるか否かは、結局文章で、著者が何を見ているか、それが正確に記されていること、直接的で、具体的で、観念的でないことがポイントになる。

敗残兵に残酷な事件が起こったと称する、いわゆる「南京虐殺事件」があったとしたら、その片鱗でもうかがえるはずだが、谷口上等兵の記述にはそんな言葉は一切ない。南京陥落が12月13日、松井岩根大将の南京入場が17日、18日には慰霊祭が行われている。14日はまだ大混乱が続いていた。15、16の両日で30万人の虐殺ができるだろうか。まったくありえない話だ。

いま日本はありもしない「南京虐殺事件」、「従軍慰安婦」のようなデタラメを世界中に宣伝されている。そんなデマが世界中に行き渡ったら、日本という国は真っ黒に塗り込められてしまう。アメリカもオーストラリアも中国も韓国もそれを狙っている。対応を間違ってはいけない」。(2013/10/2)

<「頂門の一針」から転載>

2013年10月04日

◆菅元首相の意味不明なエネルギー論

阿比留 瑠比


民主党の党員資格停止処分中の菅直人元首相がこのほど、平成16年から断続的に行ってきた四国霊場八十八カ所を巡る遍路を終えた。9年余をかけ達成したといい、まずはめでたい。

「1200キロを歩いたお遍路は私の人生にとってやはり大事業だった」

菅氏は1日付の自身のブログでこう振り返り、その上で「今はあらためて原点に返って、残された人生をどう生きるかを考えている」と記している。

遍路を通じて来し方行く末について個人的感慨にふけるのは勝手だが、やはり遍路を主題にした9月30日付のブログで、こう書いていたのには目を疑った。

「今回歩いた香川県でもソーラーパネルが目立った。原発と化石燃料ゼロは国民が賛成し、政治が決断すれば十分実現可能だ」

経済産業省の推計では、原発全停止に伴う化石燃料輸入の大幅増と火力発電所の稼働で、日本は年間3・8兆円超ものコスト増に耐えながら電力を維持している。これは消費税1%分の2・7兆円よりも大きい。

にもかかわらず、原発だけでなく化石燃料もゼロにできると断言する菅氏の論拠は何なのか。たとえ内実がどうでも、仮にも元首相の重い言葉なのである。

そこで菅氏の過去の発言をたどると、6月1日付のブログで、太陽光発電など最新省エネ技術を駆使し、「エコカンハウス」と名付けた自身の新居を取り上げてこう書いていた。

「エコカンハウス2000万戸分発電すれば原発40基分で、それだけでも原発は不要だ」

確かに菅氏は今年1月、東京都三鷹市の駅近くの実母名義の一等地に、延べ床面積約173平方メートルの瀟(しょう)洒(しゃ)な2階建て住宅を新築し、その快適ぶりをたびたびブログに書いている。だが、そんな恵まれた環境にある家庭が果たして2000万世帯もあるだろうか。

現在ある一戸建て住宅に太陽光パネルを設置するとして、その費用は誰が負担するのか。はじめから国民の生活も現実も無視、軽視した無意味な空論・暴論だとしか思えない。

首相時代の23年5月にはパリで開かれた経済協力開発機構(OECD)での演説で、唐突に「家屋への太陽光パネル設置1千万戸」という目標を表明した。担当閣僚にも事前に相談しない思いつきによる独断専行であり、結局うやむやになった発言だが、このときから比べても倍増している。

さらに同年7月に長野県で開催されたシンポジウムでは、必要な電力をすべて再生可能エネルギーで賄えると主張し、その理由についてこう言い切った。

「今から200年前、300年前は山にしば刈りに行ったおじいさんがまきや何とかで全部やれた。新しい技術に転換してやればいいだけだから、十分可能だ」

もはや何を言っているのか分からない。日本昔話の世界を、現代の最新技術にどう転換するというのか。肝心要の部分がすっぽり抜け落ちていて、脈絡も論理も理解不能である。

結局、菅氏の「おめでたい」エネルギー論を、真面目に受け止める方が愚かなのか。(あびるるい産経新聞政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】 2013.10.3 12:59

<「頂門の一針」から転載>

2013年10月03日

◆中曽根を真似るな:宰相像

MoMotarou


中曽根首相自身の説明によれば、良好な日中関係を築こうとした胡総書記の足を引っ張らないために、胡批判の材料とされかねない日本国首相の靖国神社参拝は中止するのがよいと…(中略)…決断した。

         ★

この号の配信は10月2日なので消費税増税の有無がはっきりしているのでしょう。私は反対の立場です。結果的に見るとアベノミックス効果で数字上がり、安倍さんが促進したような形になったのが残念です。アベノミックスを成功させるのには延期が望ましいと断言決断すれば済む事でしたが忙しかったのでしょう。

■経済再生

「アジアの成長を取り込め、外国から観光客を誘致」などが最近の傾向であります。

○アジアとはどこの国を指すのか。

マスコミの様子からすると中国や韓国を意味することが多いです。この国に共通しているのは「反日」。かの国の国民は親日的だという人もいますが、国が国だから当てにはなりません。

共通しているのは両国とも戦後の建国であるということ。歴史が浅い!そして巨額の無償援助を我国から引き出している。昨年でさえ中国は日本より援助を獲得しております。また韓国は8月21日「みずほ銀行」より約487億6000万円を借りております。

「危ないなぁ」と思っておりますと、みずほ銀行が暴力団融資でアウト!「あの国のあの法則」が、さっそく働きました。我国の政府が珍しく韓国に強気なので被害が少なくなっているのが嬉しいです。対馬の仏像も返したくなってきたそうです。

○外国からの観光客誘致

まともな国からの誘致をお願いしたい。泊まると部屋から物品が無くなっていたり、富士山でウンコをしたと言って喜んでいる近隣諸国はお断りです。

それよりは公立学校の修学旅行をしっかりと国内の歴史的なものに回帰させることが大事です。それには学校教育で誇り高き歴史を学ばせることが必要です。興味がないと旅も面白くない!私は小学校で行った奈良の大仏を今でも覚えています。

序(つい)ですが、公立の小中学校でハングルを教えたりしている学校の調査が必要です。民主党政権下で急速に増えた疑いがあります。

■他力本願

上記二点は安倍さんが、ある時に表明したことです。最近は国内の活性化がおざなりなっているような気がします。自尊心をもっと育成しましょう。自信も付けば運も良くなる。我国を朝鮮やシナと同じにしてはなりません。

「ならぬものはならぬものです」。


<「頂門の一針」から転載>

◆中華民国は独裁国家と言え

Andy Chang


馬英九が違法を承知で始めた「王金平降ろし」は、裁判で敗訴したにも拘らず馬英九は高等法院に上訴し、高裁が上訴を却下したので馬英九の敗北は決定的となった。これで中華民国は中国と同じような独裁政権であることが明らかになった。

王金平降ろしは中国人が台湾人を奴隷化し中国一の第一歩だったのである。第一歩で躓いたけれど、馬英九は諦めてない。

メディアはこれを?司法闘争?と報道し、ナイーブな台湾人もメディアに同調して中華民国の法律、司法で解決するつもりである。馬英九が台湾人を奴隷化するつもりなのに台湾人はまだ覚醒していない。これは政治闘争や司法闘争ではない、人種闘争である。馬英九は諦めない、台湾人は長期闘争の覚悟をすべきである。

●「台湾は民主国家」が奴隷化の始まり

人民は馬英九の王金平降ろしを台湾人を政界から追い出して中国人の政府で独裁専制を完全なものにする陰謀とわかっている。だが選挙しか興味がない政治屋たちは、王金平は国民党だから免職になっても構わない、国民党内部の政争に巻き込まれるな、などと言う。

中国の奴隷に反対する戦いなら台湾人は絶対優勢なのに、司法だの中華民国制度だのと中国人が有利な方法で戦うバカがいる。

誰かさんが台湾は民主国家である、と言い出したのが悪いのだ。民主国家だから民主的方法で争うという。中国人は口先で民主と言いながら実際には独裁である。自己欺瞞を続けるのは台湾人だけだ。

台湾は民主国家で、その名を中華民国と言い出した民進党は自分で墓穴を掘ったようなものだ。中華民国は国際的に認められない、台湾は中華民国ではない。中華民国を名乗って台湾名義で国連加盟すると言っても国連は相手にしない。

民主国家だから国連加盟できると思うのは蚯蚓のたわ言である。民主は国連加盟の条件ではない。中国、イラン、シリア、ロシアなど独裁国家はみんな国連に加盟している。

アメリカは曖昧政策で台湾問題を解決しようとしないから、国会議員などが台湾を訪問して「タイワン・デモクラシー」などと台湾人を煽てて政治献金と旅費を稼ぐ。台湾人は金を出して現状維持で中華民国の独裁が続く。

●中華民国は独裁国家である

台湾は民主国家と言うが、特務が電話を違法盗聴した記録を検察総長に渡し、検察総長は司法を無視して総統に「ご注進」し、馬英九は王金平に違法の証拠がないのに不道徳と言って、裁判官でもないのに判決を下し、王金平を追放しようとしたのだ。完全な独裁国家である。

調査が進むにつれて特務が立法院の電話を盗聴していたことまで発覚した。電話盗聴は検察官の許可が必要だが、許可もなかった。全国でどれほどの人間が電話盗聴されているのがも明らかでない。これでは中国と同じ警察国家である。裁判官の家族、12歳の子供の電話まで盗聴されていたのである。

これまで台湾は民主国家だと自慢してきたのは、中国と比較すれば台湾は自由だとアメリカ人に思わせていたに過ぎない。中華民国と中国が同じ警察国家ならアメリカは台湾政策を大幅に変更する必要がある。台湾人民も独裁に対抗する政策を変え、これまでの民主信仰を改めるべきである。

民間では既に王金平追放が台湾人を政界から追放する中国の陰謀と認めているのに、民進党が中華民国の法律で馬英九と戦うのは敵の罠に嵌まるようなものだ。馬英九は法を無視して王金平追放を試みたのに台湾人が法の遵守で馬英九独裁と戦っても無駄だ。

●独裁と戦う覚悟が必要

台湾は民主国家だ、自由民主だといって中国の独裁と比較するお呪い(まじない)は既に効力を失った。台湾人は中国人ではない、台湾人の独立建国を急ぐべきだ。台湾人は67年も独裁地獄で喘いでいるとアメリカ高裁の裁判官が言ったのに、台湾人が民主国家と寝ぼけたことを言って中華民国独裁を甘受する必要はない。

この20年来台湾独立運動は民主が存在することを基本条件として幾つかの運動を進めてきた。あるグループは国連加盟と推進し、あるグループは無抵抗主義で街頭抗議、あるグループは台湾は中華民国であると言い、あるグループは台湾が民主国家ならアメリカが見捨てるはずがないと力説してきた。

今回の王金平降ろしをみるとこれまでの民主運動は中国人独裁に何の効果もないことがわかった。台湾人が反対運動をしないので馬英九が傲慢になって台湾人を政界追放する動きに出たのである。

「タイワンデモクラシー」というお呪いは効力を失った。中華民国は独裁国家である、馬英九は独裁者である。政治運動ではなく民間運動で反独裁の方法を実施すべきである。

選挙ではなく人民の決起で中華民国に圧力を加えるべき時である。二度と台湾は民主国家であると呪文を唱えてきた指導者や政党を信じてはならない。

アメリカに台湾の実情を伝え、独裁反対の狼煙を上げてアメリカの援助を求めるべきである。また、アメリカもこれまでの曖昧政策を見直して、アメリカの国力衰退で中国に付け込まれない政策を採るべきである。

<「頂門の一針」から転載>

2013年10月02日

◆8月15日凝視すると対米戦争開戦責任

加瀬 英明


毎年暑い夏が巡ってくるたびに、日本が先の戦争に敗れた記憶が、まるで昨日の出来事のように甦る。

今年で先の大戦に敗れてから、68年がたった。戦争が始まった昭和16年から、かりに68年遡ると、明治7年になる。日清戦争の21年前だ。

先の戦争について振り返れば、多様な見方と、異なった記憶が存在するはずなのに、終戦記念日になると、毎年、なぜきまったように、「二度と戦争は戦いません」という、まったく同じ「記憶」が蒸し返されるのだろうかと、思う。

テレビも新聞も、日本が悪かったから、戦争になったという、たった一つの見方によって、支配されている。「日本がなかったらよかったのだ」という、日本の存在を否定するものだ。

先の大戦を招いた責任について、アメリカと日本のどちらの方が、大きかったのかといえば、アメリカが責められるべきである。私と『ニューヨーク・タイムズ』紙の初代東京支局長をつとめた、ヘンリー・S・ストークス氏との共著『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』(祥伝社新書、平成24年)を、お読みいただきたい。

 8月15日の記憶

敗戦の年に、私は国民(小)学校の3年生だった。

父を東京に置いて、長野県に疎開していた。夏休みがなく、級友と日本の必勝を信じて、毎日、炎天下で軍馬の秣(まぐさ)狩りに動員されていた。

8月15日の記憶といえば、幼かったから国が敗れるという意味を、深く理解することができなかったために、どうして母が「これから日本男子として、頑張るのよ、日本を立て直してね」と、嗚咽(おえつ)しながら私を繰り返して諭したのか、分からなかった。

10月2日に、母寿満子とともに東京に帰った。上野駅に降りると、見渡すかぎり焼け野原だった。四谷のわが家も、焼失していた。

父俊一は外務省北米課長を兼ねていたから、アメリカ占領軍との折衝で忙しかったために、四谷信濃町にあった借家に遅くなって、戻ってきた。父はその1ヶ月前に、横浜沖に浮ぶ戦艦ミゾリー号の艦上で行われた降伏調印式に、重光全権に随行して出席していた。

私は父に会うと、子供心に「東京がこんなに壊されてしまったけれど、日本はどうなるの?」と、たずねた。すると、父は「アメリカは日本中を壊すことができるが、日本人の心を壊すことはできない」と、いった。私はこの父の言葉を今日まで片時も忘れたことがない。

母も、凛としていた。母は32歳だった。母が遺した日記が、手元にある。

9月14日に、「二、三日前の新聞より毎日の様に戦争犯罪者としてリストをあげて大変だが、同じ日本人としてお気の毒だ。益ゝ壓迫を受け、しっかりとした心の準備が必要と思ふ。唯ゝ勝つ国勝てなかった國、人の魂まではアメリカでも裁判出来ぬ。

アメリカは日本人を再教育せねばならないと盛んにとなえてゐるが、第二の国民がつまらないアメリカ気風にかぶれたら、大変だ。私共の指導する責任は重い」と、書き込まれている。

 ミゾリー号の降伏調印

父は新島襄のアムハースト大学と、ハーバード大学で、母もイギリスで学んでいたから、私はアメリカが田舎者の国で、日本より劣っていると聞かされて、育った。

中学に進んでから、ある日、父にミゾリー号の降伏調印に列席した時の心境を、たずねた。

すると、「重光(全権)も、ぼくも、日本が戦ったことによって、西洋の植民地支配を受けて、数百年にわたって自由を奪われて、苦しんでいたアジアの人々を解放した。戦いには敗れたが、日本が歴史的な大きな使命を果したという意味で、この戦争に勝ったのだという誇りをいだいて、甲板を踏んだ」という答が、戻ってきた。

 映画『ムルデカ』制作の志

12年前に、私は東宝から先の大戦に当たって、日本がインドネシアを解放した、劇映画『ムルデカ』(インドネシア語で独立)を、製作した。

日本の敗戦後に復員せずに、2千人の日本兵と残留して、インドネシア独立軍に身を投じた青年将校の主人公が、独立戦争最後の戦闘に勝った時に、オランダ軍の流れ弾に当たって、インドネシア人の恋人の腕のなかで、息を引きとる。

私は恋人に、「タケオ(主人公の名)死なないで! 日本は国家として敗れたけれど、民族として勝ったのよ!」という、台詞を叫ばせた。

父は「歴史を振り返れば、戦争に勝ったり、負けたりするものだよ。優れている者が、負けることだってある」と、教えてくれた。日本が劣っていたから、負けたと思ったことはなかった。

8月15日前後になると、テレビは終戦の特別番組を放映する。

今年も、そうだった。80代終わりか、90代になる下級将校や兵が、戦 争を回想している。将官や佐官であれば、戦争を大局的に回顧することができるが、下級兵となると、与えられた狭い任務の範囲でしか、述べることができない。

当然、悲惨な体験に限られる。勝ち負けを問わず、戦場は苛酷だ。なぜ、先の戦争を俯観することが、できないのだろうか。

 『フーバー回想録』の真意

一昨年、アメリカで『フーバー回想録』が出版された。ハーバート・フーバーといえば、ルーズベルトの前任者として、大統領を1期だけ務めたが、任期中に世界大恐慌に見舞われたために、ルーズベルトに1931(昭和6)年の選挙で敗れた。

フーバーは回想録のなかで、ルーズベルトの対日政策を詳細に検証して、ルーズベルトが一方的に日本に対米戦争を強いたと、説いている。

フーバーは戦後占領下の日本を訪れて、マッカーサーと会い、ルーズベルトを日本に戦争を仕掛けた「狂人だ」と呼んでいる。回想録によると、マッカーサーも同意した。

8月15日の敗戦をきっかけとして、日本国民の大多数が、先人たちが営々として築いてきた偉業を、まるで擦(す)り切れた草履(ぞうり)のように捨ててしまった。敗戦の日までは、誰もが日本を固く信仰していたというのに、国民のほぼ全員がそれまでいだいていた信条を、棄ててしまった。このようなことは世界に他に、まったく例をみないことである。

日本は精神を疎かにして、自立することをやめて、アメリカに従属してきた。歴代の政府は全方位外交ならぬ、全方位謝罪外交を繰り返してきた。講和条約を結ぶことによって独立を回復したはずなのに、精神を喪失してきた。今日の日本では、食料自立、エネルギー自立といえば、全国民が喝采するのに、精神の自立といっても、誰も振り向かない。

「戦争を二度と戦ってはならない」というのは、国家の独立を否定することに通じる。ときには国を護るためには、矛(ほこ)をとって戦うことも必要である。それがなければ、独立国家を営むことはできない。

8月15日になると、靖国神社に参拝して、平和を想い、「不戦の誓 い」を立てるというのも、敗戦による平和を受け容れるようで、違和感を 覚える。首相が参拝するのであれば、春秋の例大祭のほうがふさわしいと思う。

小泉八雲として1890年代に日本に帰化した、ラフカディオ・ハーン が多くの日本人にとって信条は、「サイコロジカル・コステューム」(心 理的な衣装)のようなもので、流れが変わると、脱いだり着たりすることができると、揶揄(やゆ)している。

明治の文明開化によって日本人が一変したことを観察したものだが、きっと敗戦をきっかけにして、ふたたび御一新がもたらされたのだろう。

<「頂門の一針」から転載>

2013年10月01日

◆「GHQ焚書図書開封」読書メモ

平井 修一


西尾幹二著「GHQ焚書図書開封 - 米占領軍に消された戦前の日本」で紹介されている焚書図書のサワリを転写する(若者に読みやすいように新字、新仮名づかいに改めた)。小生の父母らが命懸けで起ち上がった時代の空気、背景、正義、真実をともに学んでいきたい。

■大東亜戦争調査会編「米英挑戦の真相」昭和18年6月1日、毎日新聞社刊

<米国が日露戦争直後より今次(大東亜戦争)開戦直前に至るまで、あるいは排斥、あるいは圧迫、果ては弾圧など、我が国に与えた侮辱と非礼とは、世界四千年の国交史に稀なるものであり、また英国が明治維新前後より日清戦争まで、そしてワシントン会議より今次開戦直前まで、我が国に対してとった態度も、これまた米国といずれか烏の雌雄を知らんやの類で、ただ米国のごとき暗愚下劣なる露出的態度でなかったというにとどまる。

過去幾多の米英の対日外交振りを見れば、その内容の暴慢なるはもちろん、その態度や傲岸、その言辞や横柄、なすところは悪辣非道、筆舌をもって形容し難きものがあり、顧みて、よくもわれわれの先輩はこれを堪忍してきたものだと、その自重の裏に潜む万斛(ばんこく)の血涙を、そぞろに偲ばさるを得ないほどである。

かかる米英の対日非礼史、侮日史は他の分冊に譲って、ここには単に軍事上から、この(ABCD、注)対日包囲陣のもつ戦略的敵性を指摘するにとどめよう。これほどの悪辣な戦略は、歴史上未だかつてなかったと敢えて断言してはばからないのである。

彼らが我が国を軍事的に包囲するに先立って、我が国をまず外交的に孤立無援にしてしまおうと企図したこと、この外交包囲にも満足せず、さらに我が国の窮乏、衰微を策して、我が国に対する卑劣な経済圧迫をつづけ、我が国をして経済的孤立に導かんとした。

彼らは日本民族の移民を完全に排斥し、我が国製品の輸入や、彼らの日本への輸出品をば意のごとく制限したのみならず、他民族の国からまでも日本排斥を策し、謀略をもってこれを実行せしめた。

すなわち我が国を完全に“はねのけもの”にして貧乏人にしてしまおうという策で、この排日、侮日は、ついに悪辣なる経済包囲、経済封鎖という目的のために手段を選ばざる結果を招来した。

彼らの企図したところは、我が国を丸裸にし、丸腰にしたうえで軍事包囲をして、我が国を袋叩きにしようとしたのである。なかんずく我が国への油道(原油ルート)の切断こそ、その悪辣性の最なるものであった。


油道を切断して我が国の艦船、飛行機、機械化部隊が動かなくなれば、我が国を刃に血ぬらずして武装解除し、少なくも我が国の軍備をして、日本国産の油で維持し得る程度にまで制限したのと同様である。こうしておいて、我が国を袋叩きにして打ちのめそうとしたのである。世界史上未だ見ざる悪辣なる戦略だと断言することができる。

かかる悪辣性の包囲陣である。いわば挑戦そのものであったのだ。起たざれば我が国は自滅するか、袋叩きにされて落命するか、であったのだ。決然、我が国がその自立自衛のために起ったのは、いわば当然の帰結であっのだ>

■西尾先生曰く、「わが国の開戦にはこういう必然性があったのだ、たとえ小国といえども、あれほどまでの過酷な条件を突きつけられれば起ち上がるのが当然だとは今までも言われているが、日本を取り巻く状況は本当にきつかった。

この本が出た昭和18年は戦争たけなわの時期であるが、包囲陣をつぶさに調べており、合理的で、戦略的で、現実的な目で書かれている。リアリズムで、敵を見くびっていないし、傲慢に構えてもいないし、自暴自棄になっているわけでもない。それでいて事柄の困難さはよく見抜き、起たざるをえないと言っている。このときの日本人の勁(つよ)さは謎だが、歴史の真実、事実として動かない。

戦争が終わっても「戦後の戦争」は続いていた。対日包囲陣は焚書あるいは検閲というかたちで戦後も継続し、今の日本をも脅かしているのである」。(2013/09/30)

・・・
注)ABCD包囲陣:アメリカ(America)、イギリス(Britain)、中華民国(China)、オランダ(Dutch)による対日貿易制限、敵対網。

J.F.C.フラーは「制限戦争指導論」のなかで、「ABCD包囲陣は経済戦争の宣言であり、実質的な闘争の開始であった」「大西洋会談において、米国のルーズベルトが英国のチャーチルに対して『私は決して宣戦布告をやるわけにはいかないでしょうが、戦争を開始することはできるでしょう』と述べ、チャーチルは後日『われわれの共同禁輸政策は確実に日本をして平和か戦争かの瀬戸際に追いやりつつあります』という書簡を送った」とし
ている。

<「頂門の一針」から転載>

2013年09月30日

◆反日岩波『世界』の妄言

平井 修一


小生が吉野源三郎の名を知ったのは中学2年のときだった。昼休みの校内放送で国語の女性教師が吉野の「君たちはどう生きるか」を朗読していたからである。全体的に面白かったが、最後の方は「?」と思って、なんなんだ、これは、という疑問が強く残った。

長じてから読んでみたが、「?」と思ったところはこうだった。

主人公のコペル君(中学2年)が仲良しの友人がいじめられているのを見ていながら怖くて助けに行かず、助けに行った仲間2人を含めて殴られるのを傍観していた、その後は裏切りという恥ずべき行為に悩み、仲間とも疎遠になるが、謝罪の手紙を書くと、友人3人が許してくれた、というもの。

なんだ、こりゃあ、刎頸の友を誓っていたのに、友の最大の苦境時に裏切りをし、謝れば許された、って?――こんなことは現実にはありえないのである。卑怯者、破廉恥漢は一生苦しめばいい、と仲間から爪はじきにされて当然であり、それが世間のルールではないのか。

吉野は戦前、戦後も共産主義者で、日本共産党の隠れ党員だと言われた。共産主義者は「ミスをしても自己批判すれば許される」などと言うのが常だが、現実にはスターリン、毛沢東、連合赤軍は、独裁者の意に沿わないミスをした者を「反革命分子」と断罪して容赦なく殺した。

吉野は嘘八百の甘言で少年少女を欺いたのである。恥ずべきことをしたら死ね、自裁せよというのが武士道、大和男子で、吉野はこれを否定して「謝れば皆の善意で許される」という、現実否定のおとぎ話的妄言を囁いた。小生も騙されるところだった。

この反日嘘つき左翼が戦後の米軍占領で息を吹き返し、初代編集長を務めたのが月刊誌「世界」、岩波書店の戦略的旗艦誌である。1945年12月創刊だから間もなく70年になる。容共左派の雑誌が消える中で唯一残ったのが「世界」で、今やGHQ製憲法を聖書としてあがめる左派の最後の牙城である。

岩波のサイトにはこうある。

<『世界』は、良質な情報と深い学識に支えられた評論によって、戦後史を切り拓いてきた雑誌です。創刊以来67年、日本唯一のクオリティマガジンとして読者の圧倒的な信頼を確立しています>

「日本唯一のクオリティマガジン」!?、それなら「日本唯一のコミュニストマガジン」と言うがいい。

吉野に続く編集長には安江良介(3代社長)、山口昭男(5代社長)、岡本厚(6代社長)がいて、「世界」編集長は岩波社長への登竜門になっているようだ。

岡本厚は「世界」(2012年5月号)編集後記にこう書いている。

<隣国(韓国)の人びとの「世界」に対する信頼は、(我々の)二度と戦争を引き起こさないという決意と、かつて侵略したアジアの人びととの和解と対等な関係を希求した、いわば戦後の精神の最善の部分を継承しようとした、吉野源三郎以下の「世界」編集部の半世紀以上に及ぶ“持続する志”が築いてきたものだ。

先日、ニューヨークで開かれた非公開セミナーに参加した折も、北朝鮮の外交官 (6者協議代表) は、「世界」の存在をよく知っていた。

「世界」は、朝鮮半島との関係を大切にしてきた。それは日本自身のためにそれが重要なことだと考えてきたからだ。韓国の金大中氏と友情で結ばれ、一方で北の金日成主席からも信頼を得ていた安江良介「世界」元編集長は、よくこう言っていた。「朝鮮半島の問題に関わるのは、朝鮮半島の人びとのためにではない。日本自らの内に正義を取り戻すためだ」と。

「世界」は思われているより、存在として大きい。しかし、日本社会の帝国意識、冷戦意識を克服するためには、まだあまりにも小さいのかもしれない。

日朝国交正常化は、20年以上が経って未だに見通しすら立っていない。これは極めて異常なことであり、それが異常なことだという自覚すらない日本社会はさらに異常である。

本誌の課題はなお大きい。“持続する志”を継いでくれるのは、これまで副編集長として私を支えてくれた清宮美稚子。本誌初めての女性編集長である>

日本には正義がない、異常だ、帝国主義だ、反共だと難じ、日本を憎悪し続ける「世界」は、日本の雑誌と言うよりも、拉致もテロもやりたい放題のギャング王朝・北朝鮮による対日プロパガンダ、情報工作のための雑誌というべきだろう。根っからの共産主義者の作る機関紙である。

現在の編集長の清宮は1987年入社、2001年から「世界」編集部に入った。

<単行本の刊行にも関わっており、村上義雄『東京都の教育改革』、ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』など現代左派思想に大きな影響を持つ書籍を担当した。清宮編集長の最初の特集は「沖縄」だった>(ウィキ)

「世界」2013年10月号の特集は福島第一原発事故だった。清宮は編集後記にこう書いている。

<東京電力福島第一原発 (イチエフ) から大量の放射能汚染水が海へ流れ出ていることが明るみに出て、2011年12月の事故「収束宣言」に何の根拠もなかったことが改めて明白になった。しかし、「原子力ムラ」の住人たちは原発事故などまるでなかったかのように、再稼働と原発輸出に血道を上げている。

汚染水問題は、海外でも大きく報じられている。国際的大問題となっていることに私たちはいまだ鈍感なのではないか。政府は、原発被災者の救済とともに、汚染水などイチエフの事故処理に全力で取り組むことが急務であり、そのための識者の提言を真剣に受け止めるべきである。再稼動も原発輸出も「正気の沙汰ではない」のは言うまでもない>

「正気の沙汰ではない」原発を日本も世界も使っている。この電気は原発製、こちらは石油製と分けられないのだから、せめて清宮と岩波は30%節電したらいい。先進国でも新興国でも脱原発なんて決めた国はない。

清宮が賛美するドイツの脱原発は、「自国内では原発はなくすけれど、原発大国のフランスなどから原発製の電力を買う」というだけの話ではないか。ドイツの選挙で反原発勢力が伸びたから今はそれに合わせているだけで、状況が変われば再び原発推進になるだろう。

今どきの優秀な若者は共産主義に幻惑されない。岩波がまともに入社試験をすれば優秀な人を選ぶことになるが、彼らはアカではないだろう。岩波からアカをとれば何も残らない。

だからアカ色が薄まらないように岩波は「アカの紹介がなければダメ」と、縁故採用に切り替えた。末期である。朝日新聞も同様で、アカのDNAを育てるために「シノドス」というグループを支援している。溺れる犬を叩くべし。(2013/09/28)
     <「頂門の一針」から転載>

2013年09月29日

◆チェンジ・オブ・ペースの魅力

岩見 隆夫


思いがけないことをやってしまうことがあるものだ。かつての長い船旅がそうだった。2007年 年明けのある日、私の書斎に女房がやってきて、

「これ面白そうね」

と新聞広告を見せた。私は一、二分見たあと、

「うん、行こう」

と即答したという。実はまったく記憶がない。青い海原が延々と目の前に広がっている情景を想像したような気がするが、自分がその立場になんて思ってもいなかった。女房も実現するなど念頭にもなかった、とあとで言っている。

しかし、人生というか、不可思議なものである。話はトントン拍子に進んだ。加速力だけがついていく。私たち夫婦は07年4月3日横浜港出港の豪華客船「飛鳥2」(約5万トン、定員750人)に乗っていた。〈100日間世界一周旅行〉と銘打っている。

この話は事前に相当知れるところとなって、驚く人が少なくなかった。現役の記者分際で分不相応という見方が多かったように思う。だが、現役といっても、私たち夫婦はこの時ともに71歳、引退組の気分である。

問題は費用、客室にランクがあって、値段もピンキリだ。ピンでは到底太刀打ちできない。中ほどなら、なんとかなると私は思った。それと批判はあっても、熱望していることなら(実際はそうでもなかった)、記者OBだろうと何だろうと挑戦して何がおかしい、と反発心もだんだん湧いてくる。

私周辺の人たちには、現に手がけている仕事をどうするんだ、無謀じゃないか、という驚きがあった。当時、私はテレビ出演がレギュラー2本含めて数本、新聞、週刊誌、雑誌の連載コラムが数本進行中だった。確かに無責任と言われれば、返す言葉がない。

テレビ局を頭を下げて回った。

「へえー、またどうして……」

と意外そうな反応ばかりだった。

「居なくなれば、1カ月で(君の居場所は)なくなるよ。いいのか、それで」

と先輩の政治評論家、三宅久之さんも忠告してくださった。ありがたいと思ったが、もともと私はテレビ出演を継続することにほとんど執着心を持っていなかった。

「あなたはテレビに向いてない」

と女房から何度言われたか知れない。いい機会だから全部白紙に、ぐらいの気分だったのだ。

しかし、ライフワークの活字原稿はそうはいかない。『毎日新聞』に毎週連載の政治コラム「近聞遠見」は身勝手にも約3カ月間の休載をお願いし、お許しを得た。当「サンデー時評」は未練が残った。船内からファクスで〈船旅日記〉のようなものを送稿したい、とこれまた勝手なことを言って、認めてもらった。

 ◇人の考えは必ず変わる きっかけ作るのも本人  
 
この〈船旅日記〉には騒動が持ち上がるオマケもついた。某日、私たちはインド洋上の無人島にボートで観光上陸した。短時間だったが、頭上の木々から小さい毛虫が降ってきたことに気づかなかった。

帰船してから、顔から体から赤くはれる船客が大量に出た。被害者は百人を超えているらしく、私もその一人だった。この日の夕食は客が激減した。しかし、船側は沈黙している。私は担当者を呼んで怒鳴りつけた。

「なぜ船内放送で周知徹底させないんだ。客室で、体中がはれた理由もわからず、しかし外に出るのも恥ずかしい年寄りがたくさんいるはずだ。すぐに診療所に呼んで手当てしなさいっ!」

それでやっと動き出した。だが、巨船のなかだから、大抵のトラブルは隠そうと思えば簡単だ。私はこの騒動を〈毒毛虫騒ぎ〉として「サンデー時評」に送った。

船長はどうやら、本社に報告していなかったらしい。しばらくして私の部屋に、本社の社長から直接電話が入った。

「びっくりしました。ありがとうございました。きちんと処置します」

社長は「時評」で初めて知り、あわてたのだ。「飛鳥2」の名誉にもかかわる。まもなく担当副船長が更迭されたらしく、途中下船していった−−。

100日は長い。道中、宮沢喜一元首相が亡くなり、本社の求めで、追 悼の記事を送ったりした。帰国して、フジテレビの「報道2001」に出 演したところ、評論家の竹村健一さんが、顔を見るなり、

「あんた、えらいことするもんやなあ。テレビのレギュラー持ってて、こんなことしたのは日本であんただけや。びっくりしたわ」

と大きな声を出した。褒められているのか、バカにされているのか、もうひとつわからないが、精力的にテレビ人生を送ってきた竹村さんには、理解を超えるものがあったのだろう。

忘れがたいことが一つある。横浜出港まぎわ、私の部屋に小さな荷物が届いた。開けてみると、一冊の本。『茶味』(奥田正造著)。私とは縁の薄いタイトルである。トビラをめくる。

〈謹呈 岩見仁兄

祈世界一周船旅御平安 中曽根康弘〉

とあった。

なにしろ、このクルージング、100日中80日が洋上、とあって時間 の余裕はたっぷりだ。私は何度もこの白表紙のしゃれ本を取り出しては精 読した。いまは何が書いてあったか覚えていないが、わが長旅にハクをつ けてもらったようでうれしかった。こんな気配りをしてくれた方はほかにだれもいない。

−−「時評」になるか疑わしい一文を書いてしまった。ただ、人生のチェンジ・オブ・ペースは大事だと私は思っている。人の考えは必ず何度も変わる。激変か緩慢か、それが内にきざした時、敏感に察知し、チェンジのきっかけを作るのは本人の知恵だ。私の場合、その一つが船旅だった、と振り返って思う。

仕事柄、政治家の立ち居振る舞いを見ている。最近は棒を呑んだように、いつまでも同じことを言っている政治家が多い。変わることが変節であるかのように。しかし、そうではない。みごとに変身をとげてみせるほうが、はるかに魅力的なのだ。

<今週のひと言>

梅干し・コオリ・茶漬け 私の病気新メニュー。サンデー時評:2013年09月25日
(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)
(サンデー毎日2013年10月6日号)

<「頂門の一針」から転載>

2013年09月28日

◆消費税増税は未来への責任

櫻井 よしこ


東京オリンピック招致決定は安倍晋三首相の運の強さを改めて実感させる。強運は努力と戦略の結果であり、高く評価するが、首相の取り組むべき課題は多い。

オリンピックの経済効果は、東京都が見込む3兆円から大和証券が打ち出した150兆円まで極めて幅広く予測されている。確かなことは、来年4月の消費税増税がほぼ決まりとなったことだ。9月12日、「読売新聞」がいち早く、「首相、意向固める」と報じると、その後は増税を前提とした報道一色となった。

消費税については『消費税が日本を救う』(日経プレミアシリーズ)を上梓した大和総研チーフエコノミストの熊谷亮丸氏の説明がわかり易い。

9月13日、私がキャスターを務める言論テレビ「君の一歩が朝を変える!」で、氏は増税先送りが許されないのはアベノミクスの「3本の矢」の2本までが台無しになるからだと強調した。3本の矢が?大胆な金融政策、?機動的な財政政策、?民間投資を喚起する成長戦略、であるのは言うまでもない。

「増税先送りで、まず?が台無しになります。黒田日銀総裁が大胆な金融緩和策を打てるのは財政の規律が保たれていることが前提なのです」

日本国の歳入は約40兆円、予算は90兆円を優に超える。歳入を超える借金をして予算を組んでいるのだ。借金即ち新たな国債の発行という構図の中で、政府発行の新規国債の7割を日銀が買い入れている。こうして積み上げた財政赤字は1000兆円規模である。財政赤字、社会保障費など合わせると、未来世代の負担は生涯で1億円を超えるという。

これでも、日本の財政規律は保たれていると言えるのか。そう問うと、熊谷氏は「首の皮一枚残っている状態」だと形容した。

「政府は2020年に基礎的財政収支(お金の入りと出)を黒字化する目標を国際的に宣言しています。政治が財政再建するという極めて強い意志を持っている。加えて日本には消費税増税の余地がまだ残っています」

■彼我の税の在り方

消費税について世論は二分されている。複数の世論調査で、予定どおり来年4月に税率を上げるべきだという答えは、上げるべきではないという答えよりも、少ない。他方、全体の半数以上が「引き上げるべきだが、時期や上げ幅は柔軟に」という、いわば柔軟派である。

最も大きな割合を占める「柔軟派」が恐れるのは景気の腰折れであろう。だが、彼らが「引き上げるべきだが」という前提で答えているのを見れば、柔軟派を増税容認派と見ることも可能である。

増税を基本的に受け入れていると読めるこのような世論に加えて、政府に財政再建への意志があるという点で、熊谷氏は「首の皮一枚」というのだ。

一方、?の成長戦略が台無しになる理由を氏は次のように説明した。

「増税を先送りすると、新たに法案を出さなければならず、審議に恐らく3ヵ月から半年くらいかかります。結果、秋の国会は消費税国会になり、成長戦略という3本目の矢を決めるどころではなくなります」

消費税を上げるべきか否かについて開かれた有識者・専門家会議で、熊谷氏は8月27日、意見を述べた。内閣官房参与として安倍晋三首相に助言してきた浜田宏一イェール大学名誉教授らも同席した。浜田氏は3%の増税に消極的で、1年に1%ずつ上げるなどの緩やかな案を提唱している。熊谷氏は1%案を、机上では成り立つが実務では現実的ではないと語る。

「1%ずつ上げていくと、なかなか価格転嫁が出来ず、下請けがいじめられるという社会問題が発生します。結果、一つの方法として、3%上げるけれど2%は或る種のコストとして国民に返して、実質的には1%ずつに相当する緩やかな上げ方は悪いやり方ではないと思います」

3%増税して2%分を国民に返すのは矛盾だという指摘に氏はこう反論する。

「増税で税収が約8兆円上がれば、これは永続的に続く財源となります。一方、景気対策を打つにしても、基本的には1年間です。長い目で見れば財政再建が進みます」

一挙に3%の増税は他国に例がないとの批判には、彼我の税の在り方を公平に比べれば、その指摘には問題があると、氏は説明する。

「OECD諸国の消費税率は平均20%です。もともと消費税が15%以上なければEUには加盟出来ないのがルールです。すでに高い税率を実行しているEUなどは、税率を上げるにも小刻みにならざるを得ません。他方、日本は5%という低すぎるところから始めるのですから、一律には比べられません」

消費税率を上げるべきだという氏の論理は確かにわかり易い。同じ明晰さで氏は、市場関係者の8〜9割が、増税しなければ日本の国債や株が売り込まれると見ていることの深刻さを強調する。

いま辛うじて日本のマーケットがもっているのは、一にも二にも、国際社会が、日本政府には財政再建の意志があり、安倍自民党は物事を決められる政権だと思っているからであり、万が一、1年前から決めている増税を突然ここで反故にすれば、安倍政権も前政権と同じく、問題先送り政権なのだと見られてしまう。そのとき一挙に信頼が崩れ、日本売りが始まるというのだ。

■厳しく孤独な決断

熊谷氏の主張にみられる論調が力を増し、消費税増税の流れが強まりつつあるいま、安倍首相には決断する責任だけでなく、目的達成の責任がのしかかる。たとえば消費税増税とセットでなんとしてでも真の成長戦略を成功させなければならない。

内閣官房参与を務める飯島勲氏は首相のリーダーシップが問われる局面だと強調する。安倍長期政権実現のために内閣官房参与を引き受けたという飯島氏は、小泉純一郎氏の長期政権の秘訣は小泉氏の決断力にあったと語る。小泉氏と比較して安倍氏はどうかといえば、最も難しい靖国神社参拝を例にとりながら、まだ、わからないと見ている。

「12月26日に安倍内閣が発足し、27日に、実は、総理は靖国に参拝するつもりでした。翌28日が御用納め、すぐ新年が来て仕事始めになる。諸々考えると、どんなに騒がれても27日がベストでした。靖国神社側とも打ち合わせが済んでいたのですが、取り巻きの反対で最終的になしになった。秋の国会の重要法案の多さを考えれば、秋の例大祭も難しいでしょう。決断、実行出来ない現状では、長期政権は厳しくなります」

安倍長期政権を望む人々は、消費税、靖国参拝、集団的自衛権、憲法など、厳しく孤独な決断を要する課題に取り組む首相をこそ支持しているのだと飯島氏は語る。私も実にそうだと思う。(週刊新潮)
2013.09.28

<「頂門の一針」から転載>

◆木津川だより 海住山寺 @

白井 繁夫


木津川の右岸、木津川市加茂町瓶原(みかのはら)の地に、聖武天皇が造営した「恭仁宮」(くにのみや)の大極殿跡(後の山城国分寺跡)があり、その眼前(北方)に標高400m余の山なみがあります。

その山、三上山(さんじょうさん)の中腹に金色の相輪を頂いた五重塔が見えます。そこが、“補陀落山(ふだらくせん)海住山寺(かいじゅうせんじ)”です。(地図Z:4番)
地図Z:http://chizuz.com/map/map144914.html

麓の例幣(れいへい)の集落から約1kmの急坂を登って行くと、途中で(南方)当尾(とうのお)の丘陵、春日山や木津川を挟み、眼下に「恭仁京」跡のどかな田園風景も眺められます。

やっとの思いで登り、山門をくぐると、本堂を中心に左側に国宝の丹塗り(にぬり)の五重塔.右に重文の文殊堂(現在修理中)と庫裏(くり)があります。

境内はあまり広くはないのですが、中世以来より戒律を重んじてきたこの寺院は、現在も世俗を退けた気風を感じさせます。

ところで、今年は9月の彼岸になっても残暑が厳しいですが、一昨年の晩秋(紅葉の季節)、この寺院を参拝しました。

本堂北側の境内にある樹齢五百年超の「やまももの大樹」に圧倒されながら、遥拝所へ向った折り、紅葉に染まった楓の美しさと銀杏の黄金色の落葉が絨毯の如く地面を覆い尽くしている様は、これこそが観音菩薩の補陀落山の霊場かと思ったほどの感銘を受けました。

さて、海住山寺の寺伝に拠れば、『聖武天皇が東大寺の大仏殿を建立するとき、(夜の夢で)王城の鬼門になる補陀落山に伽藍を建立すれば毘蘆遮那(びるしゃな)の大殿も像の鋳造も成就する。とのお告げを受け、天皇は良弁(ろうべん)僧正(後の東大寺別当)に開創を命じました。

良弁は、天平七年(735)当山を開き、十一面観音を祀って「藤尾山観音寺」と号しました。その後、宝亀4年(773)左大臣藤原永手が出水郷の所領二百町を寄進しましたが、保延3年(1137) に堂塔仏閣ことごとく回禄した。』と伝えられています。

ところが、この寺伝は史実と異なる点が多く、「天平創建」は疑問視されています。
その疑問を列挙しますと、下記のような理由です。

@聖武天皇の東大寺の大仏造立企画は天平十七年(745)である。
A現存する重文の十一面観音菩薩立像:本尊は十世紀の作、奥の院の十一面観音「奈良国立博物館に出陳の檀像(栴檀:せんだん:香木の像))は九〜十世紀の作。
B藤原永手の没年は宝亀二年(771)だが、『興福寺官務牒疏』は宝亀四年3月に永手が二百町寄進して当寺を再興した、と記している。寺伝は保延三年に堂塔仏閣ことごとく火災にかかり、それ以後72年間再興されなかった。

などの疑問があるからです。

とは云いながらも、この「海住山寺」は、平安時代の九〜十世紀作の重文の観音菩薩立像が現に祀られており、眼下には木津川が流れ、古来の万葉歌にも詠われた風光明媚な景勝地でもあります。古くから仏堂が営まれて、人々の厚い信仰の対象としてきた歴史の重みも感じられます。

「海住山寺」が文献史料などから明らかになったのは、鎌倉時代初期の承元二年(1208)に、興福寺の高僧(解脱上人)貞慶(じょうけい)が笠置寺から移り住み、(保延三年の伽藍焼亡より72年後)堂宇(どうう)を再興して、寺号を「藤尾山観音寺から補陀落山海住山寺」と改めたときからです。

(山号:補陀落山(ふだらくせん)は南インドの海中にある観音菩薩の浄土:ポータラカ。
寺名:海住山寺は(貞慶曰く)海のような観音の誓願に安住するという意味:補陀落山が
   海中に住する山であることに因む。『この寺を観音の霊場とする』)。

しかも、承元二年9月9日付け「貞慶仏舎利安置状」、同年11月27日付けの『扁額』寺号を書いた扁額の裏の墨書銘:「承元二年(戊辰)十一月廿七日書之/桑門膽空」に、年月日がはっきりと書かれており、これらの歴史は明白です。

ですから、この寺院の創建が定かでなくても、平安時代から観音菩薩をお祀りしてきたと推測できるお寺です。

「海住山寺」の丹塗りの国宝五重塔は、初重に裳階(もこし)をもつ塔であり、重文の仏像や文物などについても貴重なものがあります。

次回には、もう少し高僧貞慶などの僧も含めて加筆する予定です。

◆<参考資料:大和古寺 七   (海住山寺)  1981年 岩波書店
     日本の古寺美術 18   保育社     肥田路美著
     加茂町史    第1巻 古代.中世編   加茂町>

◆お詫び:<前回の木津川だより 銭司遺跡A 訂正個所>

1)漢文のかえり点の表示:貞観7年の条 勅ニ木工寮。→勅ニ木工寮一。
一点、二点をPCでの仕方解らない為、(勅ニ...寮。)で勅ニのあとは(。)までが述語(目的語)と推測を願いました。以下『採ニ...』、
『勅以ニ...』、『為ニ...』も同様です。

2)皇朝十二銭の和同開珎、万年通宝、『神宮開宝』→『神功開宝』とするべき個所を一か所だけ神宮と宮になっていたのに気付きませんでした。
(郷土愛好家)