2013年09月27日

◆欺瞞に満ちた菅・仙谷コンビ

阿比留 瑠比

 
尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖で、海上保安庁の巡視船に体当たりした中国船の船長が超法規的に釈放されて丸3年となった24日付の産経を読み、あの日の怒りと失望がよみがえった。当時の仙谷由人官房長官が菅直人首相の意向を受け、船長を釈放するよう法務・検察当局に働きかけたことを明かしていたからだ。

あの時、彼らは国民に何と言っていたか−。

「検察当局が国内法に基づいて粛々と判断した結果だ」(菅氏)

「了としている。検察官が総合的な判断のもとにどうするかを考えたとすれば、そういうこともあり得るのかなと」(仙谷氏)

二人とも、検察に船長釈放の責任をおっかぶせて逃げていたが、仙谷氏はこれが「真っ赤な嘘」であることを事実上、認めたのだ。

検察は当時、大阪地検特捜部の押収資料改(かい)竄(ざん)事件で追い詰められており、首相官邸の圧力には抗しきれなかったのだろう。

3年前の24日、那覇地検の次席検事が船長釈放を発表する記者会見で「日中関係を考慮」と不快そうにコメントを読み上げていたのも忘れられない。「この事件以外に(検察が)外国との関係を考慮した例は承知していない」(当時の西川克行法務省刑事局長)という無理筋の話を押し付けられたのだから当然である。

一方、船長釈放は「地検独自の判断」と繰り返した菅氏は、この直後に始まった秋の臨時国会の所信表明演説ではこう説いていた。

「国民一人一人が自分の問題としてとらえ、国民全体で考える主体的で能動的な外交を展開していかなければならない」

国民に本当のことを知らせず、海保が即日公開する予定だった中国船衝突映像まで隠蔽(いんぺい)しておきながらこんな「ご高説」を垂れるのだからあきれるしかない。

もっとも、菅氏や仙谷氏の言葉が真実からほど遠いことは、多くの国民も直感していた。この年10月の時事通信の世論調査では、船長釈放は検察独自の判断だとする菅政権の説明に対し、79・9%もの人が「信用できない」と回答した。

外務省幹部も当時、筆者にこう証言していた。

「元凶は菅首相だ。首相が中国の圧力にベタ折れし、船長釈放を指示した。それを仙谷氏が処分保留で釈放などと理論武装した」

このときの国会では、予算委員会の質疑の大半が、船長釈放をめぐる経緯の追及に費やされたが、二人は頑として自分たちの「嘘」を認めようとしなかった。

そしてその「嘘」を正当化するためか、菅政権は12月には、ある異様な政府答弁書を閣議決定した。

それは閣僚が国会で虚偽答弁しても、政治的・道義的責任が生じるかは「答弁の内容いかんによる」というものだった。内容次第では、閣僚が国会で嘘をついても何ら問題はないというのである。そんな政府をどうして信用できようか。

「私はいまだにあの時のやり方、やったこと、すべて正しかったと思う」

仙谷氏は、昨年1月の講演ではこう語った。主権者たる国民をとことんバカにしていなければ、こんなセリフは吐けない。(政治部編集委員)産経ニュース 【阿比留瑠比の極言御免】2013.9.26

<「頂門の一針」から転載>

◆諫早(いさはや)の「赤とんぼ」

馬場 伯明


文藝春秋2013年10月号の巻頭に立花隆氏(評論家)の「赤とんぼと戦争」という随筆がある。著書『赤とんぼ 1945年、桂子の日記』(長崎文献社・1800円・2013/7/20発行)と著者レイコ・クルック氏(Reiko Kruk・西岡麗子1935生まれ)について、2頁半にわたり記述している。

立花氏は「長崎での『赤とんぼ』出版記念シンポジウム」(2013/8/4)にパネリストの一員として招かれたとある。この著書の概要と著者の紹介を兼ねて引用させていただく(漢数字は横書きの算用数字に変更した)。

《40年前からパリに住み、欧米の映画・演劇・オペラ・CF・ビデオクリップなどの業界で、世界を股にかけた活動を続けている特殊メーキャップ・アーティストのレイコ・クルックさんがこのほど本を出した。

日本では必ずしも知られていないが、フランスでは政府から芸術文化勲章(日本の文化勲章みたいなもの)を受けた(2011)程の著名人。《既著書:「ば・化粧師(2010)」「メタモルフォーゼ(2012)」》

本のタイトルは『赤とんぼ』(長崎文献社)。昆虫の赤とんぼではない。あの戦争の時代、日本中の空を舞っていた赤塗りの訓練用練習機の俗称。木製の骨格に帆布ばりの翼をつけた軽量2人乗り複葉機。エンジンは340馬力、最大速度210キロ。《「九三式中間練習機」》

昭和14年、長崎県諫早市のレイコさんの家のすぐ近くに、逓信省航空局航空機乗員養成所ができた。12〜19歳の少年を生徒として受け入れ、民間パイロット養成が目的だった(同様のものを全国15ヵ所に設置)。

しかし戦争が激しくなった昭和19年以降、海軍に接収され大村海軍航空隊所属の軍の養成所になった。さらに昭和20年5月以降は、第五航空隊に編入され特攻作戦の一部をになわされた。

レイコさんの父親が養成所の村の村長だったため、レイコさん一家と養成所の職員・生徒との間に交流が必然的に生まれた。養成所の内部を非公式に見学させてもらったり、「赤とんぼ」にちょっと同乗させてもらって、空から家の周辺をながめたりした。

レイコさんにとって、「赤とんぼ」に乗ったことは一生忘れられない夢のような体験だった。『赤とんぼ』は、小説仕立てではあるが、書かれていることは、ほぼありのままの事実。レイコさんは、少女の目を通してあの時代(1945年前後)の歴史を語りたいと思ったという。》(引用終わり)

以下、「いまなお耳の底に残っている二つの悲鳴」「従妹一家の原爆被災」「諫早航空機乗員養成所に在籍していた大田大穣氏(現在は長崎市の晧臺寺住職・1929年生まれ)の話」などが紹介されている。

ところで、先に、本誌に拙稿「諫早戦時主婦日記抄」(2013/8/4・3029号)が掲載された。じつは、本書の著者のケイコ・クルックさんは、「諫早・・」の編者の犬尾博治先生(犬尾内科医院・諫早市)の従妹さんとい

以下、立花氏の随筆とは別に私なりの関心事や感想などを記したい。

まず、本の装丁(毛利一枝さんら)。とてもおしゃれだ。背は赤地に白抜きの題字。カバーは空に舞う練習機「赤とんぼ」と見上げる少女。表紙は反転し黒地に白抜きの素描。全部著者の絵。内扉は濃い赤が印象的だ。

本文は落ちついた乳白色の少し厚手の用紙。各頁には余白がたっぷりとってあり読みやすい。春夏(初夏・夏)秋冬の5章には5種類の落ち着いた5色の紙が使われている。終章(冬)のは悲しい赤系のグレーだ。

次に、挿絵。不思議なことに、立花氏は、プロフェッショナルな描き手であるレイコさんの挿絵にまったく触れていない。(絵に興味がないのか、「内容」には無関係と思ったのか・・)

挿絵は黒いペンのデッサンに水彩絵具で淡く着色されている。精密な絵ではなく未完成のようにも見え、時代の不安な雰囲気をよく顕わしている。

本文200頁の本に1頁丸々の挿絵が23枚もある。そのほかにも頁の余白に13枚、合計36枚が効果的に配置されている。5.5頁に1枚だ。

かつて幼い頃、私たちは、道の辻で紙芝居おじさんの自転車の傍に群がった。うまい話し方に引き込まれ画面を食い入るように見つめたものだ。

『赤とんぼ』の喜怒哀楽に出会う。暗い話も多い。しかし、懐かしい紙芝居を見るような臨場感と(無体験なのに)既視感(デジャヴュ仏 d!)j!)- vu)があった。不思議な思いのままに、私は流れるように一気に読んだ。

著者の文章は歯切れがいい。大空を舞う「赤とんぼ」の雄姿を誇らしげに、後には哀しく表す。長崎市の従妹一家が原爆に被災し従妹は孤児となった。白い彼岸花が咲いていた(144頁挿絵)。著者は悲惨な体験などの真実を、蛮勇を奮って書き切っている。

「そのあとも、言葉も出ないような描写がつづくが、・・」と立花氏は書く。だが、どっこい、著者はフランス在住40年だ。一般に抑制的な日本人とは異なり、その描写にフランス人らしい率直で鋭い感性を感じた。

著者は今後『赤とんぼ』の映画化を視野に入れているという。約40枚の挿絵などは映像のキーショットになるだろう。完成が待ち遠しい。

ところで、九三式中間練習機「赤とんぼ」は今どこかにあるのか。靖国神社・遊就館の1階に「零戦五二型(A6M5)」の展示があるが「赤とんぼ」はない。写真の資料のみ。九段下の昭和館にも図書資料がある。

西新宿の住友ビル「平和祈念展示資料館」は主に兵士・戦後強制抑留者・海外からの引揚者等の状況が主な展示であり「赤とんぼ」はない。

山梨県に河口湖自動車博物館(飛行館)があり、「赤とんぼ」を毎年8月中だけ公開するという。HPに写真がある。本物ならば、ぜひ見たい。

立花氏は「付け加えたいと思うのは」として「8月15日に戦争をやめなかったらどうなっていたかだ。(「赤とんぼ」は)・・かき集めると2500機あり、これを全部特攻作戦に突っ込む予定だったという」と書く。随筆はこの文章で終わる。

「赤とんぼ」最後の特攻は、1945/7/29台湾新竹航空基地から第三竜虎隊(三村弘兵曹が指揮する)8機が出撃、石垣島・宮古島経由7機が沖縄を攻撃。その1機が米駆逐艦「キャラハン」に250キロ爆弾を命中させ撃沈。他3機が「ブリチット」「カシンヤング」「ホラスAバス」に命中した。(Blog「ねずさんの ひとりごと『赤とんぼの戦い』」より)。

「(「赤とんぼ」は)私の青春のすべて」。「小野島で訓練を受け、『赤とんぼ』に乗った我々の先輩が、最後の特攻に成功したのです」と晧臺寺住職の大田大穣氏はインタビューに答える(『赤とんぼ』解説212頁)。

立花氏は、単に「(終戦が)若い兵の命を救った」と言うのか。散った兵への配慮:想いが霞んでいる。後出しジャンケン・後講釈で、散っていった兵を(結果的に)貶めるような言い方をするのは、いかがなものか。

『赤とんぼ』の私のいち押しは最終頁、桂子と良子(従妹)の別れのシーンだ。「黒い煤煙を吐きながら・・汽車のお尻がとうとう桂子の視野から消えてしまった・・(198頁)」。

「叔父がフロックコートの袖の下に良子を引き入れ・・良子の(赤いスカートと)足だけが見え隠れし・・立ちつくす桂子(199頁)」と「走り去る汽車(200頁」)の挿絵。この絵は涙なしには見ることができない。

一転、201頁には遠くを見つめる10歳の西岡麗子さんの端正なポートレート。襟付きのセーターに飛白(かすり)のモンペ姿。「太編みの毛糸の帽子」は別れた従妹と(おそらく)お揃いだったのであろう。

著者は「あとがき」の最後に書く。「この本は事実をもとに書いた小説です。中に出てくる、登場人物、場所、事件、人名、などはすべてが事実ではないことをお断りしておきます」と。

厳密な作法である。しかし、この毅然とした宣言により、68年前の事実と体験は「ノンフィクション・ノベル」として、丸ごと客観性を与えられた。(不遜な「少年H」の作者との質の差は明らかである)。

著者の体験の真実が重く読者に迫る。政治的な立場は様々でも平和を願う心は誰も同じだ。だが、世界各地で争いは今も続く。この小説を読んだ人たちはこの後どんな行動に向かうのであろう。(2013/9/23千葉市在住)

<「頂門の一針」から転載>

2013年09月26日

◆精神の自立なしに一国独立は保てない

加瀬 英明


8月15日の前に、安倍首相が靖国神社を参拝するべきか、週刊誌からコメントを求められた。

私は「参拝するべきだ。そうしても、日中、日韓関係がいま以上、悪化することは考えられない」と、答えた。

ワシントンは中東で手一杯だから、日中が尖閣諸島をめぐって、万一、軍事衝突することがあったら、アメリカは日本に肩入れして、巻き込まれてしまうことになる。2正面で戦う余裕がないから、日本が中国を刺激しないでほしいと、おびえている。

それに、オバマ政権は発足当初から、対日関係を左派が牛耳ってきた。私は鳩山由紀夫政権が誕生した時に、彼らが「これで日本が正しい方角へ向かう」と喜んだのを、覚えている。菅内閣もお眼鏡にかなった。野田首相になると、よく分からなくなった。

彼らにとって、安倍政権は不協和音だ。私はワシントンの親しい同志の要路の友人たちに、日本はアメリカの思惑に右顧左眄することなく、信じる道を行くべきであり、それが日米の国益に適うことだと、説いてきた。

アメリカは興隆しつつある中国にアジアにおいて対抗するために、日本なしではやってゆくことができない。安倍内閣が信じる道を進めば、アメリカは受け容れる他ない。日本はイスラエルのネタニエフ首相を、手本にすべきだ。友人たちは賛成してくれた。

『潮』9月号に劇作家の山崎正和氏が、日本が歴史認識について主張すると、「第二次大戦後の現状(ステータス・クオ)の変更を要求することになり」「アメリカの反感を買う結果」になるから、慎むべきだと寄稿している。国民の多くが、68年前の敗戦の衝撃と、アメリカによる占領下の教育によって、腰が抜けたままでいる。

アメリカが強要した憲法を「平和憲法」と呼んでいるが、この憲法が軍備を禁じているのは、日本がアメリカの属国としてしか、生きられないようにしたものだ。だが、今でもアメリカに縋り続けたら、アメリカも迷惑だ。

日本国民の大多数が「食料の自給」、「エネルギーの自立」といったら、諸手をあげて賛成しよう。だが、「精神の自立」なしに、一国の独立を保つことはできない。それなのに、この68年、「精神の自立」を顧みることがなかった。

幕末から、旺盛な独立心が帝国主義勢力の脅威から、日本を守った。その精神を発揮することによって、日清、日露戦争に勝つことができた。

私は慶応義塾で学んだが、福沢諭吉先生といえば、「独立自尊」の箴言(しんげん)によって、よく知られる。30年以上も前のことになるが、私は母校で「福沢精神と今日の日本」という演題で、講演したことがあった。

三田まで行く途中で、どのように話を始めようかと、迷った。「独立自尊」という言葉が浮んだ。いったい、独立と自尊の2つの言葉のうち、どちらのほうが大切なのだろうかと、案じた。そして自尊が先だと決めた。

人も国家も自らを尊べば、自(おの)ずから独立する。何よりも、日本を尊ばなければ、自立できない。

もっとも、私は首相をはじめ国民が8月15日に靖国神社に奔流のように参拝するのは、好ましくないと、考えている。敗戦の日に「不戦を誓う」のでは、敗者の平和を讃美することになる。首相も国民も、春秋の例大祭に詣でるほうが、ふさわしいと思う。

<「頂門の一針」から転載>

◆寅さんとドン・キホーテ(下)

平井 修一


スペインが鉄砲でフランスと戦っていたさなかの1543年には種子島に火縄銃が伝えられる。その後40年程で日本は当時世界最大の銃保有国になった。

<16世紀中ごろの堺商人は、薩摩から種子島などを経由して琉球へと往復していたので、鉄砲の伝来をすぐに知ることができ、その製造技術を堺に持ち帰りました。それを見てすぐに模造品をつくる高い技術を、堺の職人たちは持っていました。

戦国大名の多くは、この新兵器に注目し、堺へ続々と注文を出しました。これらを引き受けることができたのは、現代の総合商社のような役割を果たしていた堺商人が、職人たちを組織し、部品の規格を定めるなどして、鉄砲の大量生産に成功したためです。

16世紀後半に日本で生産された鉄砲の数は、当時のヨーロッパの全鉄砲数に匹敵するとも言われたほどです>(堺市)

徳川家康による日本制覇が完了したのが1615年。家康軍は1614年からの豊臣勢力殲滅戦「大坂の役」では城攻めに大砲100門を活用し、それにはイギリス製カルバリン砲4門、セーカー砲1門、オランダ製4・5貫目の大砲12門も含まれ、野戦では鉄砲隊などこれまでに例を見ない火力を集中させたという。

その後、戦国時代の収束とともに刀槍の時代も完全に終わった。戦闘技術者である武士は大小の藩の役人になる以外に生きる道を失ったのだが、当時はまだ下剋上の気分は残っており、薩摩藩や長州藩は折あらば幕府を倒そうという気概をもち続けていた。最新の鉄砲、大砲があればそれが可能であることは明治維新が示している。

徳川幕藩体制がまだ固まらない1637年、島原の乱が勃発する。

<幕閣に衝撃が走った。大坂冬の陣(1614)の記憶が世に残っている1637年、数十人の浪人を加えた天草・島原の百姓らが廃城であった原城に立て籠った。籠城側戦闘員1万4000人、非戦闘員1万3000人。一方、攻撃側は九州諸藩の兵を含め12万5800人、軍夫まで含めると最大26万人に達したという。

徳川幕府が揺籃期を過ぎ安定化に向かおうとした矢先にこの乱は発生した。一揆軍は城に火縄銃を持ち込んでおり、攻城側の数次にわたる攻撃を毎回跳ね返した。百姓の放つ銃弾に手も足も出なかったのである。彼らは4ヶ月持ちこたえた。一揆軍がさらに多量の武器弾薬・食料を持ち込んでいたら落城は先の先になったことであろう。

銃撃戦が本格的組織的に使われた稀有の例となった。攻城側の戦死者1900余名。屍に屍が重なったという。一揆軍の百姓は苛政に生きる希望を失い絶望的な戦いに挺身したが、それを鉄砲が補強したのだ。

この乱後、幕府は林羅山など御用学者を総動員し「飛び道具は卑怯なり」のキャッチフレーズを考えだし武士と鉄砲の切り離しを図った。「鉄砲は足軽の技でいやしくも武士の手にするものではない」と喧伝し、「刀は武士の魂」と吹きまくった。1687年、幕府は「諸国鉄砲改め」を命じた>(近代・近世取材班のサイト)

西欧では銃砲の進歩がすすみ騎士道が廃れていく一方で、日本では鉄砲を規制していくと同時に、植民地拡大に血道をあげる西欧の影響を排除する鎖国を断行、儒教的な「忠君」を旨とする「武士道」を鼓吹していったのだ。武士道は200年以上にわたりガラパゴス的な進化をし、下は半農の郷士から上は大名、将軍まで、武士階級の規律になっていった。

西欧で騎士道が亡んでいった同じ時期に日本では武士道が力強く根付いていったことになる。明治以降も武士階級は消えていったものの、その精神は天皇を君主とする一君万民の富国強兵、近代国家づくりにおいて「忠君愛国」「滅私奉公」として国民全般にむしろ広がっていった。今でもなお「士魂」「志士」という気概は日本人の背骨に残っており、おそらく世界一だろう公衆道徳の高さもそれの表れに違いない。

寅さんはマドンナに恋をし、結局はマドンナに相応しいプリンスが現れて失恋し、悲しみをこらえながら寂しく旅へ出る。自己主張したり威嚇することもないし、本人は奮闘努力をしているつもりでも何も成果は出ず、妹からいつも「可哀想なお兄ちゃん」と同情されるのだ。

落ちこぼれ、敗者、人が良いだけの、まあ喜劇的な悲劇の人で、長屋の熊さん、八さんであり、恋から潔く身を引く美学は立派だけれども武士道とはほとんど無縁である。

寅さんの映画は、男にとって失恋ほど悲しいものはないと思う小生には残酷すぎてとても観る気はしないのだが、多くのファンは恐怖のワンパターンであっても新作を楽しみにしていた。

人々は騎士道の無惨な残影であるドン・キホーテを笑い最後に憐れを催して泣くように、善人ばかりの下町庶民的人情の残影である寅さんや団子屋「とらや」の人々を笑い、共感し、最後に同情して泣くのだろうか。

監督の山田洋次を含めて寅さん映画の周辺の人々は、不思議なほどに容共左派が多い。経済大国になった今の日本を否定し、貧しいながらも明るい明日を信じて平和に人情味豊かに生きていた昭和20、30年代の「青い山脈」的な戦後民主主義に懐かしさを感じているようだ。

ドン・キホーテと騎士道は嘲りの対象となり、寅さんは清貧や戦後民主主義を詠うことで武士道や戦前の日本、敗戦から復活・発展した日本を拒絶するキャラクターだったという見方もできる。

武士道の尻尾を残している「貧しい労働者諸君」は、そのメッセージが込められたような寅さん映画を見て何を思ったのだろう。笑って泣いて、ただストレスの解消になっただけなのか、面白ければすべてよしということなのか、小生には分からない。(2013/09/21)

<「頂門の一針」から転載>

2013年09月25日

◆首相「右傾化」偏見払拭の旅

水内 茂幸


安倍晋三首相は、ニューヨークに4日間滞在する長めの日程を組んだ。首脳外交を極力抑え、多数が集まる前での演説を重視しているのが特徴だ。中国や韓国の策謀により国際社会に「右傾化政権」などとの反日的な偏見が生じているのを踏まえ、女性や人権問題を重視する「安倍外交」をアピールし、偏見を解くのに努める考えだ。

「国連総会の演説を通じて、国際社会における日本の存在感をしっかりアピールしていきたい。特に、シリア問題への貢献、21世紀の女性の役割の重要性に焦点を当て、日本政府の女性重視の姿勢を世界に向けて発信したい」首相は出発に先立ち、羽田空港で記者団に、こう意気込みを語った。

首相として国連総会に出席するのは初めて。平成18年の第1次安倍内閣では、首相指名と組閣の日程が重なり、出席できなかった。

直近の自民党の首相は、毎年9月に政権交代を繰り返したため、欠席や滞在時間が極端に短くなるケースが目立った。麻生太郎氏の滞在はわずか10時間だった。

民主党政権の鳩山由紀夫、野田佳彦両氏は「外交デビュー」と位置付け、国連総会に集まる各国首脳との会談を精力的にこなした。

首相は、内閣改造を見送り、秋の臨時国会の召集を10月15日まで遅らせたことで、ニューヨーク訪問に時間を割く余裕が生まれた。

首相の長期滞在にはほかにも理由がある。中国や韓国が尖閣諸島(沖縄県石垣市)や慰安婦問題、さらには集団的自衛権行使などをめぐり世界中で「右傾化した安倍政権」との批判を展開していることが大きい。

政府筋は「『右傾化』という偏見をいい意味で裏切る旅にしたい」と今回の訪問の意義を強調する。

首相は、27日に予定されている国連総会での一般討論演説では、半分以上を「女性と人権」のテーマに充て、紛争下の性犯罪など具体例をあげながら改善策を訴える。

最近は韓国の市民団体が米国内で慰安婦像を相次ぎ建立していることも念頭に「過去の負のイメージばかり背負わされるのでなく、安倍政権が未来志向で地球規模の女性問題に取り組む姿勢を訴える」(首相同行筋)という。

「保健と開発」をテーマに2015年以降の世界目標を探る日本主催のイベントにも出席する。14日には世界的に評価の高い英医学誌「ランセット」に寄稿、国民皆保険制度のノウハウを海外に提供するなど、国際保健外交を積極的に進める意向を示している。

一方、一般討論演説では、昨年の総会で日中間が激論を交わした尖閣問題には直接触れず、「法の支配」の重要性を短く説くのみにとどめる。中韓を名指しすることも避ける。両国を「無視」し、日本の正当性を訴えていく。産経ニュース 24日

<「頂門の一針」から転載>

◆寅さんとドン・キホーテ(上)

平井 修一


ミゲル・デ・セルバンテスの長編小説「ドン・キホーテ」(スペイン語、1605年)を、ギュスターヴ・ドレの120枚の画と抄訳で読んだ(原文はフランス語、窪田般彌編訳)。

窪田によると、ドレの「ドン・キホーテ」(1863年)が出る前までは、フランス人は専らフロリアン(童話作家らしいが不詳)の訳で読んでいたのだが、「原著の美しさを省略し、作者の精神を削除したもの」とプロからは不評だったという。

そういう時期にドレの「ドン・キホーテ」が出て、「原著にある諧謔、滑稽、風刺、詩情、美が再現された」と絶賛された。

それはさておき「ドン・キホーテ」は聖書に次いで世界中で読まれている本だと言われる(両方とも本当に読まれているのかどうかは?)。スペインの誇る作家とその代表作であり、スペイン広場(マドリッド)の中央にはドン・キホーテと従者サンチョ・パンサ、そしてセルバンテスの像が置かれているから、今でも敬愛されているのだろう。小生はプラド美術館見物で忙しくてスペイン広場へ行けなかったが、ちょっと心残りではある。

このドン・キホーテ像のイメージなどはドレの画がずいぶん影響しているのではないか。とても素晴らしく、画だけを見ても楽しめる。

文学博士・松田侑子の「ドン・キホーテ」論――

<「ドン・キホーテ」は、セルバンテスが序文で書いているとおりであれば、騎士道物語を非難し、批判するという目的があった。そのため、ドン・キホーテは、騎士道物語を読みふけったために頭のおかしくなった人物として描かれている。ドン・キホーテは己自身を、騎士道物語の主人公だと錯覚し、従士を従え、遍歴の旅に出る。そこで様々な狂態を演じるのである。

今日においては「ドン・キホーテ」は単なる騎士道物語のパロディーであるとは見做されていない。つまり、魅力的な人物たちが登場し、その複雑な関係を読者に見せる心理小説だと考えられている。そのため「ドン・キホーテ」が世界的文学作品の一つとして数えられるのであろう>

小生は滑稽本として読み、騎士道はかくあるべしと頑なに、愚直に信じて、痩身、老身、無力を顧みずに強者に突進していくドン・キホーテを笑い、やがて憐れを催された。読み終えてから「面白くてやがて哀しき・・・これってどこかで見たような」と思っていたら、そう、寅さんだった。ドン・キホーテはスペインの寅んさんなのだ。

これは多くの人が感じているようで、「男はつらいよ」シリーズの山田洋次監督との対談で小説家の八木義徳がこう話している。

「寅さんみたいな男といえば、共通したイメージがわく。文学ならドン・キホーテや坊ちゃん。あなたは映画で(それを表現)なさった。誇りを
もっていい」

弥次さん喜多さんがヘマを演じる「膝栗毛」は今でも滑稽本の代表作だが、一般の読者は「ドン・キホーテ」もそのようなものとして読んでいるのだろう。

「分別よりも愚行の方が、とかく仲間や追随者を呼び寄せるものだ」とセルバンテスも語っており、読者が滑稽話を面白がればそれでよし、であり、心理小説だなどとは著者もまったく意識してはいなかったろう。

ところで、1600年頃には西欧では騎士道、騎士の時代がすでに時代錯誤であり、滑稽だと思われているのはなぜだろう。騎士の有難味や価値、需要が急減したからに違いない。それはなぜか。鉄砲が戦闘の仕方を変え、刀と槍の時代が終わったからだろう。

<15世紀の大国で銃火器をいち早く大量配備したのがオスマン朝です。オスマン朝の中央軍団は早い時代から鉄砲で武装していた本格的な軽歩兵軍団で、また大砲も大量に配備しました。1453年に難攻不落の城塞都市コンスタンティノポリスを攻略できたのも、大砲を大量に揃えて城壁を破壊できたのが大きな要因です。

以後、小銃・大砲はオスマン軍に敗北したヨーロッパ側が彼らの装備を採り入れる形でどんどん改良・生産され、これが大航海時代と相まってヨーロッパ諸国が世界中に勢力を伸ばす下地になりました>(ウィキ)

1542年、スペインは対仏戦(イタリアをめぐる戦争)で鉄砲を活用し始め、それが進むにつれて刀槍の武芸や馬術に長じた戦闘のプロである騎士の時代が終わっていったのだ。それにもかかわらず古式蒼然とした騎士道を絶対的な倫理として生きたからドン・キホーテが読者の笑いを誘ったのだろう。(つづく)(2013/09/20)

<「頂門の一針」から転載>

2013年09月24日

◆習政権 政治ショー裏目

矢板 明夫

 
【済南(中国山東省)=矢板明夫】 中国共産党元政治局員、薄煕来被告に無期懲役が言い渡された法廷で、身長186センチの薄被告の両脇を 固めたのは、さらに長身のいずれも2メートル近い法廷警察官らだった。

「薄被告が小さく見えるように、山東省内の警察官の中から2人の元バス ケットボール選手を選んだ」(司法関係者)とされ、今回の裁判が政治 ショーであることを改めて印象づけた。

8月22日から5日間にわたって行われた公判でも、起訴された罪状と ほとんど関係のない薄被告と妻のそれぞれの不倫問題も公にされ、当局の狙いがどこにあるのかをうかがわせた。

しかし、習近平政権は期待通りの効果を得られなかったといえる。透明性を高めるため、インターネットを通じて裁判の模様を公開したことが裏目に出た。

検察側に次々と反論する薄被告の発言がネットを通じて流れ、支持者たちを鼓舞した側面があったことは否定できない。済南市中心部の公園で判決後、「私たち人民の薄書記を返せ!」と目を真っ赤にして叫ぶ支持者の姿もみられた。

その一方で、薄被告が重慶で推進した毛沢東路線により知識人や資産家が多数拘束され、拷問を受けたといった人権侵害問題については、今回の裁判で全く追及されなかった。

習近平国家主席が実は、薄被告と思想的に近いことが関係している。習政権は現在、思想、言論統制を強化しているが、これは、薄被告が重慶でやったことと同種のものだからだ。

北京の共産党幹部も「今回の裁判は、薄被告個人を政治的に葬り去ることが目的であり、その政治路線を否定するものではない」と説明している。

この日、薄被告は微笑を浮かべながら無期懲役の判決を聞いた。当然、ネットなどを通じて公開されることが念頭にあったはずだ。

今後、薄被告は「悲劇の英雄」として、保守派と貧困層の間で影響力が拡大する可能性もある。無期懲役という重刑が下されたことで、薄被告支持者の間で、習政権への不満も高まるだろう。

ある共産党幹部は、「ノーベル賞を受賞した民主活動家の劉暁波という改革派の英雄がすでに刑務所にいる。左右両派の時限爆弾2つを同時に抱えることになった習政権は、内外の批判にさらされ、今後、立場がますます苦しくなるだろう」と解説している。
産経ニュース2013.9.23 07:44

<「頂門の一針」から転載>

2013年09月23日

◆大学で広がる「5年雇い止め」

三宅 陽子

 
通算5年を超えて勤務した非正規労働者は、本人が希望すれば期間を区切らない無期契約に転換できるとした改正労働契約法。4月の施行後、大学で非常勤講師を原則5年で契約を打ち切って「雇い止め」にする動きが広がっている。

本来は雇い止めを心配せずに働けるようにするための法改正だったが、現実にはその趣旨に逆行した皮肉な流れになりつつある。「法改正が労使の間に無用な対立を生み出してしまった」との指摘すら出ている。

 ■長年勤めたのに…

「これまで20年近く契約を更新してきた。それを突然『やめろ』というのか」

早稲田大で語学の非常勤講師を務める50代の男性は3月、大学から突然届いた就業規則に言葉を失った。これまで、1年ごとに更新してきた雇用契約を4月から「通算5年を上限とする」との内容だった。

男性は、早大のほか4つの大学で非常勤講師を務める。月〜土曜日に計15コマ(1コマ90分)の授業を受け持ち、年収は500万円ほどだが、妻と3人の子供を養うには足りない。日曜と祝日はコンビニの倉庫で商品を仕分けるアルバイトをして生計を立てている。

「子供の学費や家のローンの支払いが残っている。大学の職を失えば、生活が立ちいかなくなる」と不安を募らせる。

そもそも労働契約法が改正された目的は、有期契約から無期契約への転換を進めることで、契約社員やパート、アルバイトらの雇用の安定化を図ることにあった。

首都圏大学非常勤講師組合の松村比奈子委員長(51)は「一方的な判断によって問答無用で本人の働く意欲を否定するような5年の雇い止めは、教育研究を目的とする大学のあるべき姿に反する」と訴える。

だが、同様の「雇い止め」の動きは、大阪大や神戸大といった国立大でも広がっている。厚生労働省は就業規則で雇用契約に上限を設けることは違法ではないとしながらも、「雇用の安定のためにも、なるべく慎重に運用してほしい」とクギを刺す。

 ■厳しい懐事情

ただ、大学側にも事情はある。これまで、大学の非常勤講師は担当する授業が授業計画からなくなれば解雇もあり得るが、授業が継続される限りは契約が更新されることが多かった。

早大はグローバル化を見据えて少人数の対話授業や英語による授業など新たな教育形態を考えており、清水敏人事担当常任理事(65)は「改革や教育の質の向上を図る上では、非常勤講師の雇用で、一定のフレキシビリティー(柔軟性)を持っていたい」と契約に上限を設けた理由を説明する。

厳しい懐事情も背景にある。国から大学に支給される運営費交付金は国立大では法人化された平成16年度から25年度までに1623億円が削減され、私大でも削減傾向。

講師を人件費の安い非正規でまかなう大学は増えており、ある私大関係者は「有期契約から無期契約に転換を図れば人件費が膨れ上がる。これ以上学費引き上げを求めていくことも難しい」とし、「担当する授業がなくなっても雇用の継続を主張する非常勤講師が相次いで出てくるのでは」と懸念する。

 ■無用の対立生む

労使の主張はかみ合わないままだが、大学の雇用実態に詳しい評論家の水月昭道(みづき・しょうどう)氏(46)は、大学はいまや非常勤講師なしでは成り立たない現状にあると指摘。

経営の効率化が求められる中、非常勤講師に長くいてもらうことで教育の質を維持してきた側面もあるだけに、「改正法は大学においては(労使間に)無用な対立を生み出してしまった。

5年の契約期間が近づいたとき、大学は適正な次の人材を見つけることができない恐れもある。学生に影響が出ることが何よりも心配だ」としている。

 ■深刻な高学歴者のワーキングプア

非正規雇用として働く高学歴者は増えている。文部科学省の学校基本調査によると、今春博士課程を修了した大学院生約1万6000人のうち、非常勤講師といった非正規労働や、就職・進学をしていないなど「安定的な雇用に就いていない者」は5月1日時点で40.1%
に上る。

背景の一つに国が平成3年から推し進めた大学院重点化政策が挙げられる。この年に約10万人だった修士・博士は24年には約26万人に激増。だが、多くの卒業生の就職先となってきた大学はポストに限りがあり、供給過多に陥った。任期付きの博士研究員として大学に雇われ、研究や学生指導を行いながら正規雇用の道を探る者も多い。

収入の低さも深刻だ。各地の大学非常勤講師組合の19年度調査では専業非常勤講師約600人の平均年収は約300万円で約半数は250万円未満だった。年収1000万円ともいわれる専任教員との格差は大きい。産経新聞 9月22日(日)13時36分配信

<「頂門の一針」から転載>

◆藩基文国連事務総長への反対

古森 義久


2013.09.22 Sunday

<国連の藩基文事務総長の日本批判発言は不適切のきわみでした。日本政府が「真意」を問うと、本人はごまかしました。日本政府は不問に付すとか。

この人の偏狭な自国偏重、日本へのいちゃもん、そして外交能力の欠落など国連事務総長としての欠陥はもう明白です。

しかし7年前、彼が国連事務総長の候補になったとき、わが日本では誰も反対を表明しませんでした。私は超少数派として、このサイトで反対を明示しました。この反対は今も正しかったと自負しています。

そのときの私の反対論を再現します。韓国の偏狭ナショナリストが国連の事務局を仕切っている事実は日本にとっては”サモクレスの剣”です。

■次の国連事務総長候補に韓国の藩基文外交通商相が名乗りをあげています。韓国政府が票集めに不明朗な資金を使っているという欧州メディアの報道もありますが、藩氏が有力な候補であることは否定できません。

藩氏自身は有能で誠実な外交官なのでしょう。国際的な能力も高いのでしょう。

しかしわが日本にとっての利益、不利益という点からすれば、韓国代表の国連事務総長就任には絶対に反対すべきです。世界中の他の諸国がすべて賛成でも、日本はなお反対すべきです。国民運動を起こしてでも反対すべきです

その理由を以下に書きます。

まず国際的基準からみて韓国代表が国連事務総長になることの不適切さの理由です。

▽韓国は厳密にはまだ戦争状態にある分断国家である(国際法的にも変則な地位の国はすべての国に対して平等、円滑に接することができない)

▽韓国はアメリカの軍事同盟国である(これまでの事務総長はみな非同盟とか中立の国の出身だった。二国間、多国間の軍事同盟の加盟国の例はない。とくに超大国アメリカの軍事パートナーの国の出身者は調停役としての信が薄い)

▽韓国は国連が最も重視する人権擁護に徹していない(2003年の国連人権委員会では、韓国代表は日本人の拉致を含む北朝鮮の人権弾圧への非難決議に賛否のボタンを押さず、欠席とみなされる醜態を演じた)

さてでは日本にとって韓国代表が国連事務総長になることの重大な不利益を以下にあげます。

▽韓国は日本の領土の竹島を武力で不当に占領し、その問題の解決を国際司法裁判所に持ち込むことをも拒んでいる(日本の領土を奪う国の代表が国連事務総長になってよいはずがない)

▽韓国は日本が2005年に国連安保理常任理事国入りを目指したとき、まっさきに激しく反対した(韓国は日本が国連で大きな役割を果たすことを嫌っており、日本がそんな国に国連の要職を与えるべき理由ななにもない)

▽韓国はいま反日の国である(親の代までさかのぼって日本とつながっていた人たちを糾弾する理不尽な反日国家の韓国の代表が国際機関の国連を牛耳ることが日本にプラスになるはずがない)

以上、こんなに多数の反対理由があるのです。

しかし日本の政府も外務省も藩氏への反対を述べていません。日本の国民にとっての悪夢を防ぐ意味での藩氏の国連事務総長選出に断固として反対しましょう。


<「頂門の一針」から転載>

2013年09月22日

◆なぜ元首の明記が必要か

百地 章


国家も含めてどんな組織にも代表者がいます。一口に元首といってもその権限は実にさまざまですし、私たちはもっと柔軟に考えるべきです。

昭和63年秋、昭和天皇が重い病に伏された折、英国の大衆紙サンと デーリー・スターが、陛下に対する悪意に満ちた侮辱的な社説を掲載しま した。これに対して駐英大使は抗議文を送り、その中で「日本国の元首である天皇陛下」という表現を使っています。

頼りない政府答弁

しかし、これに社会党の議員が異議を唱えました。政府は「天皇が元首かどうかは定義次第であり、元首といっても差し支えない」と反論しましたが、何とも頼りない答弁でした。

実は、憲法学者の間でも、かつては「天皇はもはや元首ではない」とする人の方が多かったのです。その理由は、天皇が「統治権の総攬(そうらん)者」であり、「元首」と明記された(第4条)明治憲法と違い、現行憲法では天皇はもはや「象徴」にすぎず、外国に対してもわが国を代表するような政治的権限を持たないから、というものでした。

このような混乱は、元首の定義があいまいなことに起因しています。

それでは、一体、元首とは何でしょうか。「元首」という言葉は中国古典に由来しますが、明治時代にドイツ語のシュターツオーバーハオプト(国家の首長の意味)の翻訳語として使われるようになりました。英語でも元首はhead of stateといいますが、要は国の代表者と考えてよいでしょう。

さまざまな世界の元首

今日では、実際に政治的な権限を持っても持たなくても、国を代表する者が元首とされています。例えば、アメリカの大統領は強力な外交権を有しますが、イギリスの女王は形式的な権限しか持たず、実際の外交は首相が行っています。

また、スウェーデン国王のように、政治的権限はほとんど持たないのに、憲法で元首とされているケースもあります。

それゆえ、わが国の天皇も日本国と日本国民統合の象徴であり、外国に派遣する大使や公使の信任状を認証したり、外国からの外交使節を接受する権限を持ちますから、元首と考えるのが自然でしょう。近年では、有力な憲法学者たちも天皇を元首とみています。

そのため、現状でも天皇は元首だから、わざわざ明記する必要はない、とする意見もあります。しかし、解釈だけでは再び混乱が生ずる恐れがあります。他方、「象徴天皇制は定着しており、元首ではかえって違和感を与える」「元首にすると、天皇の権限が強化されてしまう」といった反対意見もあります。

しかし、「象徴」と「元首」は次元が異なりますから矛盾しません。現にスペイン国王のように、元首で象徴でもあることが憲法に明記されている例もあります。また、元首にしたからといって、それだけで権限が強化されたりしないことは、スウェーデン国王の例から明らかでしょう。

ですから、天皇の地位を明確にし、混乱を解消するため、最近の憲法改正案では、自民党案のように天皇が元首であることを規定する例が多くみられます。産経新聞の「国民の憲法」要綱でも、天皇を元首と明記しました(第2条)。

【プロフィル】百地章ももち・あきら 京都大学大学院法学研究科修士課程修了。愛媛大学教 授を経て現在、日本大学法学部教授。国士舘大学大学院客員教授。専門は 憲法学。法学博士。

産経新聞「国民の憲法」起草委員。著書に『憲法の常 識 常識の憲法』『憲法と日本の再生』『「人権擁護法」と言論の危機』 『外国人参政権問題Q&A』など。66歳。
産経ニュース 【中高生のための国民の憲法講座】2013.9.21


<「頂門の一針」から転載>

2013年09月21日

◆尖閣は安保対象:ケネディ次期駐日大使

佐々木 類


【ワシントン=佐々木類】次期駐日米大使に指名されたキャロライン・ケネディ氏(55)の人事承認に関する上院外交委員会の公聴会が19日、開かれた。

ケネディ氏は、尖閣諸島(沖縄県石垣市)について、「日本の施政下にあり、(米国による日本防衛義務を定めた)日米安全保障条約第5条の適用対象だ」と明言した。一方で尖閣をめぐる日中対立に「重大な懸念」を抱いていると述べた。

オバマ大統領による7月下旬の駐日大使指名後、ケネディ氏が対日政策などについて所信を表明したのは初めて。

ケネディ氏は第5条に言及した際、「(領有権に関し特定の立場をとらないという)米国の立場は明らかだ。対話を通じた平和的な解決を望む」と従来通りの見解を表明。「米国には平和的な対話と外交を後押しする責務がある」とも強調した。

対日観については、「日本は不可欠のパートナーであり、日米同盟は地域の平和と安定、繁栄の礎石だ」と強調。「日本は政治的安定と経済再生の時代を謳歌(おうか)している」との見解を示し、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の交渉についても、推進に向け、米経済界と協力していくと述べた。

日本政府が検討中の集団的自衛権行使の容認については、「日本自身の問題だが、議論の行方を注意深く見守りたい」と述べた。

また、1978年に叔父の故エドワード・ケネディ上院議員と広島を訪れたことを明らかにし「深く心を揺さぶられた。日本ほどわたしが奉仕できる国はない」とも語った。上院の承認が得られれば10月にも女性初の駐日大使として着任する。
産経ニュース2013.9.20 01:36

ホワイトハウスより:

次期駐日大使キャロライン・ケネディ氏の指名承認公聴会

9月19日米上院外交委員会で、次期米国駐日大使に指名されたキャロライン・ケネディ氏の指名承認のための公聴会が開かれました。以下のサイトで、あらかじめ準備された証言内容をご覧いただけます。質疑応答を含む公聴会記録全文をご希望の方はご連絡下さい。添付ファイルでお送りします。

公聴会
Hearing on Nomination of Caroline Kennedy as Ambassador to Japan
U.S. Senate Committee on Foreign Relations, September 19, 2013
http://www.foreign.senate.gov/hearings/nomination-09-19-2013

ケネディ氏の証言内容
Statement by Ms. Caroline Kennedy
Nominee for U.S. Ambassador to Japan
http://www.foreign.senate.gov/imo/media/doc/Kennedy_Testimony.pdf
(PDF 19 KB, 4 p.)
ビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=CQIEEuXvO6U

以下は、大統領が指名した人物の上院での承認プロセスに関する米議会調査局報告書です。
Senate Consideration of Presidential Nominations: Committee and Floor Procedure
CRS Report for Congress, January 31, 2013. RL 31980
http://go.usa.gov/DPBj (PDF 271 KB, 14 p.)
 (情報収録・中山)

     <「頂門の一針」から転載>


 

2013年09月20日

◆「尖閣」強硬発言は中国政府の「悲鳴」

阿比留 瑠比


尖閣諸島(沖縄県石垣市)への領土的野心をあらわに日本を挑発し、非難し続ける中国の論理展開がずっと腑に落ちなかった。ただ最近、これは国内外の問題をうまく処理できずにいる中国の「悲鳴」のようなものなのだろうと、ひとまず得心した。

中国政府高官らは「日本が盗み取った」(李克強首相)、「日本の行動(尖閣国有化)は戦後の国際秩序と原則への重大な挑戦だ」(楊潔●国務委員)などと、激しい言葉で国際社会に訴えている。

だが、日本は日清戦争以前から尖閣諸島をどの国も支配していないことを10年間も確認した後、国際法の要件を満たして1895年に領土に編入した。中国が領有権を言い出したのは、それから70年以上もたった1970年代以降、東シナ海に石油埋蔵の可能性が指摘された後のことだ。

尖閣諸島のうち昨年9月に国有化したのは魚釣島など3島だが、大正島などはもともと一貫して国が保有してきた。なぜ今回の国有化に限って反発するのか。

また、先の大戦後の日本の領土を法的に確認したサンフランシスコ平和条約で、尖閣諸島は南西諸島の一部と認められている。戦後の国際秩序に挑戦しているのは、むしろ中国の方ではないか。

外務省国際法局関係者は、中国の矛盾と一貫性のなさをこう指摘する。

「中国は最近、尖閣諸島のことを『神聖な領土』と言い出した。だが大東亜戦争後、尖閣諸島を在日米軍が訓練用の射爆撃場として使用してきたことに対しても、中国はほとんど抗議すらしてこなかった」

かように中国の論理は粗雑にすぎる。果たして俗に言う「嘘も100回言えば真実になる」効果を狙っているのか。それとも言い募っているうちに、自分でも本当にそうだと信じ込んでしまったのか−。

「中国要人の言葉は、世論を意識した国内向けだ。ただ、彼らは日本の主張や日本側の資料をよく知らないので、本当にそう思い込んでいる部分もある」

対中交渉経験がある外務省幹部はこう分析した上で「いずれにしろ、彼らが強い言葉を使うのは、国内統治と国際関係への自信のなさの表れだ」と強調する。

実際、中国のプロパガンダは功を奏していない。米国のオバマ大統領は今月5日の安倍晋三首相との会談で尖閣諸島に関し、「力による現状変更」に反対する考えを伝え、中国を牽制(けんせい)した。それに先立ち先月来日した共和党の重鎮、マケイン上院議員も「尖閣は日本の領土」と明言
した。

とはいえ、日本側の足元も実は危うい。内閣府が先月発表した尖閣諸島に関する世論調査によると、「戦前、日本人が居住していた」ことや「日本が有効に支配しており、解決すべき領有権問題は存在しない」ことを知る人は5割前後にとどまり、国民の問題意識は必ずしも高くない。

政府は尖閣諸島をはじめわが国の領土について、国際広報の強化だけでなく国内での教育、周知活動をてこ入れしなければ、いつか中国に足をすくわれかねない。(政治部編集委員)
産経ニュース 【阿比留瑠比の極言御免】2013.9.19 12:14

<「頂門の一針」から転載>

◆「台湾政変」の攻防戦

Andy Chang


宮崎正弘氏が13日、第4020号で早々と台湾政界の「政変」で政界大混乱と報道した。宮崎さんの速報には脱帽する他ないが、遅まきながら二番煎じで台湾の政変の解説を試みたい。

●政変のあらまし

今月の6日、台湾の立法院長(国会議長)王金平がマレーシアで行われる娘の結婚式に参加するため、5日の休暇をとって出発した。すると馬英九は王金平の留守を狙って王金平には「司法干渉」の疑惑があると発表、これに関与を指摘された曽勇夫法務部長(法相)の辞任を要求した。

曽勇夫は司法介入を否定し、辞任を拒否したが、江宜華行政院長が更に圧力をかけたので、曽勇夫は辞職と同時にメディアに司法介入の否定声明をだした。

司法介入とは、民進党の柯建明国会議員が6月、会計法違反の罪に問われた裁判で無罪判決が出た後、王金平立法院長が検察が上訴しないよう曽勇夫に電話したと特別偵査組(特捜部)が黄世銘検察総長に通知し、黄世銘はこの事件を調査もせず、司法長官に報告せず
馬英九総統に「ご注進」電話した。台湾の特捜部とは国民党の特務組織である。

馬英九は異例の記者会見で王金平の司法介入を「中華民国最大の恥辱」と断罪して公開攻撃。さらにマレーシア滞在中の王金平に即時帰国を勧告したが、王金平は司法介入を否定し帰国を拒否した。10日に帰国した王金平は、空港で千人以上の支援者に対して馬英九の
根拠のない誹謗と?裁判なき有罪宣告?を批判した。

続いて11日、国民党の党規律委員会は馬英九の泣訴のあと、直ちに王金平の党籍剥奪を決定。続いて党籍を失なった王金平は国会議長と国会議員の資格を剥奪できると国会に通知した。

対する王金平は台北地裁にこの規律委員会の決定の違法性を告訴し、告訴と同時に罷免決定の仮処分を申請した。13日台北地裁は王金平の議長の地位保全を求める仮処分を認めたので、王金平の一時勝利となった。だが台北地裁は違法告訴についてまだ裁定を下していない。

●日々変る政変の攻防戦

政変の問題点は三つある。

第一に特捜部は司法当局の許可なしに王平と柯建明の電話を盗聴したこと。これは憲法違反である。王金平が曽有夫に電話したことは司法介入の証拠ではない。電話した王金平、電話を受けた曽勇夫は司法介入はなかったと声明した。更に柯建明案の担任検察官だった林秀濤と陳守煌検察総長は司法介入の否定声明を出した。

第二に黄世銘検察総長は検察官として調査をせず、検察なら刑事訴訟を起こすべきなのに司法部長を無視して馬英九に「ご注進」した。違法な電話盗聴、政治介入の証拠不十分では刑事訴訟を起こせない。

馬英九にご注進した検察総長も問題だが、裁判を経ず強引な断罪で党籍剥奪を強要した馬英九が最大の問題で、彼が首謀者であることがわかる。黄世銘と特捜部は直ちに告訴され被告となった。

第三に司法介入の証拠不十分なのに、司法官でもない馬英九が勝手に断罪を宣言したこと。司法秩序を無視して総統の権力で党規律委員会に王金平の党籍剥奪を強要した独裁である。国民党内部では馬英九の専横を批判する動きが相次いだ。

●馬英九と中国の介入

なぜ馬英九はこんな不十分な証拠で王金平の政治生命を絶つ政変を企んだのか。中国の圧力があったのだ。最も有力な理由は馬英九が総統の権力でサインした「サービス貿易協定」を国会で投票することに王金平議長が乗り気でないからである。

サービス貿易協定は中国に断然有利で、協定を批准すれば台湾は数年で統一される、だから野党も民間も大反対、国民党内部にも反対の声がある。

この協定が進展しないので中国側が馬英九に圧力をかけて台湾人の議長王金平を追放し、中国人が国会で主力となれば強引に協定を通せる。

中国の圧力があった証拠に、王金平が11日に党籍剥奪された翌12日に、台湾の海基会(対中国交渉の窓口)の林中森董事長が北京を訪問して「サービス貿易協定は間もなく批准される」と報告した。
台湾人議長を追放してサービス貿易協定を批准し、中国に忠誠を示すための政変だったのだ。

また宮崎正弘氏は、国民党の「四大家族」が馬英九降ろしを企んでいると報告しているが、ニュースの出典は香港の「明報」(9月13日日付け)で、台湾側の分析ではこれを馬英九・国民党が党内の「四大家族の反乱を封じる?ために先手を打って流した情報だという。

今回の政変の後遺症で来年1月の選挙で国民党が不利になると四大家族が馬英九降ろしを企むかもしれないから、馬英九は先に四大家族の反乱ニュースを流して彼らの動きを封じる戦略だと言う。現実には四大家族のうち、連戦と彼の息子・連勝文が馬英九の政変を批判しただけで、残りの三家族は意見を表明していない。

●これは台湾人と中国人の戦いである

この政変は台湾人と中国人の戦いである。中国人が台湾人民を奴隷化するため中国と国民党が企んだ台湾人政治家を追放する政変である。台湾人は中国人と戦う決心をつけるべきだ。

中華民国の内閣では、行政院長江宜樺、監察院長王建セン(火ヘンに宣)、考試院長関中の3人は中国人で、立法院長王金平、司法院長頼浩敏は台湾人である。王金平を追放して残る司法院長も更迭すれば中国人王国が出来る。

民間では台湾人と中国人の戦いを実感しているが、民進党の一部政治屋は中国の統一問題、経済問題などと過小評価する。

馬英九の政変は中国人が台湾人を奴隷化するための高圧手段だとわかっていながら野党が有効な中国人追放を考慮せず、民進党がこの事件を馬英九独裁、国民党の内部闘争と見做して傍観の態度を取っているのは情けない。

これは馬英九罷免運動などで収まる事件ではない。この政変を政治闘争と見るより、台湾人と中国人の闘争であり、馬英九個人の去就よりも中国人打倒の絶好の機会である。野党や独立運動の諸団体にその動きが見られないのはまことに残念である。

<「頂門の一針」から転載>