馬場 伯明
文藝春秋2013年10月号の巻頭に立花隆氏(評論家)の「赤とんぼと戦争」という随筆がある。著書『赤とんぼ 1945年、桂子の日記』(長崎文献社・1800円・2013/7/20発行)と著者レイコ・クルック氏(Reiko Kruk・西岡麗子1935生まれ)について、2頁半にわたり記述している。
立花氏は「長崎での『赤とんぼ』出版記念シンポジウム」(2013/8/4)にパネリストの一員として招かれたとある。この著書の概要と著者の紹介を兼ねて引用させていただく(漢数字は横書きの算用数字に変更した)。
《40年前からパリに住み、欧米の映画・演劇・オペラ・CF・ビデオクリップなどの業界で、世界を股にかけた活動を続けている特殊メーキャップ・アーティストのレイコ・クルックさんがこのほど本を出した。
日本では必ずしも知られていないが、フランスでは政府から芸術文化勲章(日本の文化勲章みたいなもの)を受けた(2011)程の著名人。《既著書:「ば・化粧師(2010)」「メタモルフォーゼ(2012)」》
本のタイトルは『赤とんぼ』(長崎文献社)。昆虫の赤とんぼではない。あの戦争の時代、日本中の空を舞っていた赤塗りの訓練用練習機の俗称。木製の骨格に帆布ばりの翼をつけた軽量2人乗り複葉機。エンジンは340馬力、最大速度210キロ。《「九三式中間練習機」》
昭和14年、長崎県諫早市のレイコさんの家のすぐ近くに、逓信省航空局航空機乗員養成所ができた。12〜19歳の少年を生徒として受け入れ、民間パイロット養成が目的だった(同様のものを全国15ヵ所に設置)。
しかし戦争が激しくなった昭和19年以降、海軍に接収され大村海軍航空隊所属の軍の養成所になった。さらに昭和20年5月以降は、第五航空隊に編入され特攻作戦の一部をになわされた。
レイコさんの父親が養成所の村の村長だったため、レイコさん一家と養成所の職員・生徒との間に交流が必然的に生まれた。養成所の内部を非公式に見学させてもらったり、「赤とんぼ」にちょっと同乗させてもらって、空から家の周辺をながめたりした。
レイコさんにとって、「赤とんぼ」に乗ったことは一生忘れられない夢のような体験だった。『赤とんぼ』は、小説仕立てではあるが、書かれていることは、ほぼありのままの事実。レイコさんは、少女の目を通してあの時代(1945年前後)の歴史を語りたいと思ったという。》(引用終わり)
以下、「いまなお耳の底に残っている二つの悲鳴」「従妹一家の原爆被災」「諫早航空機乗員養成所に在籍していた大田大穣氏(現在は長崎市の晧臺寺住職・1929年生まれ)の話」などが紹介されている。
ところで、先に、本誌に拙稿「諫早戦時主婦日記抄」(2013/8/4・3029号)が掲載された。じつは、本書の著者のケイコ・クルックさんは、「諫早・・」の編者の犬尾博治先生(犬尾内科医院・諫早市)の従妹さんとい
以下、立花氏の随筆とは別に私なりの関心事や感想などを記したい。
まず、本の装丁(毛利一枝さんら)。とてもおしゃれだ。背は赤地に白抜きの題字。カバーは空に舞う練習機「赤とんぼ」と見上げる少女。表紙は反転し黒地に白抜きの素描。全部著者の絵。内扉は濃い赤が印象的だ。
本文は落ちついた乳白色の少し厚手の用紙。各頁には余白がたっぷりとってあり読みやすい。春夏(初夏・夏)秋冬の5章には5種類の落ち着いた5色の紙が使われている。終章(冬)のは悲しい赤系のグレーだ。
次に、挿絵。不思議なことに、立花氏は、プロフェッショナルな描き手であるレイコさんの挿絵にまったく触れていない。(絵に興味がないのか、「内容」には無関係と思ったのか・・)
挿絵は黒いペンのデッサンに水彩絵具で淡く着色されている。精密な絵ではなく未完成のようにも見え、時代の不安な雰囲気をよく顕わしている。
本文200頁の本に1頁丸々の挿絵が23枚もある。そのほかにも頁の余白に13枚、合計36枚が効果的に配置されている。5.5頁に1枚だ。
かつて幼い頃、私たちは、道の辻で紙芝居おじさんの自転車の傍に群がった。うまい話し方に引き込まれ画面を食い入るように見つめたものだ。
『赤とんぼ』の喜怒哀楽に出会う。暗い話も多い。しかし、懐かしい紙芝居を見るような臨場感と(無体験なのに)既視感(デジャヴュ仏 d!)j!)- vu)があった。不思議な思いのままに、私は流れるように一気に読んだ。
著者の文章は歯切れがいい。大空を舞う「赤とんぼ」の雄姿を誇らしげに、後には哀しく表す。長崎市の従妹一家が原爆に被災し従妹は孤児となった。白い彼岸花が咲いていた(144頁挿絵)。著者は悲惨な体験などの真実を、蛮勇を奮って書き切っている。
「そのあとも、言葉も出ないような描写がつづくが、・・」と立花氏は書く。だが、どっこい、著者はフランス在住40年だ。一般に抑制的な日本人とは異なり、その描写にフランス人らしい率直で鋭い感性を感じた。
著者は今後『赤とんぼ』の映画化を視野に入れているという。約40枚の挿絵などは映像のキーショットになるだろう。完成が待ち遠しい。
ところで、九三式中間練習機「赤とんぼ」は今どこかにあるのか。靖国神社・遊就館の1階に「零戦五二型(A6M5)」の展示があるが「赤とんぼ」はない。写真の資料のみ。九段下の昭和館にも図書資料がある。
西新宿の住友ビル「平和祈念展示資料館」は主に兵士・戦後強制抑留者・海外からの引揚者等の状況が主な展示であり「赤とんぼ」はない。
山梨県に河口湖自動車博物館(飛行館)があり、「赤とんぼ」を毎年8月中だけ公開するという。HPに写真がある。本物ならば、ぜひ見たい。
立花氏は「付け加えたいと思うのは」として「8月15日に戦争をやめなかったらどうなっていたかだ。(「赤とんぼ」は)・・かき集めると2500機あり、これを全部特攻作戦に突っ込む予定だったという」と書く。随筆はこの文章で終わる。
「赤とんぼ」最後の特攻は、1945/7/29台湾新竹航空基地から第三竜虎隊(三村弘兵曹が指揮する)8機が出撃、石垣島・宮古島経由7機が沖縄を攻撃。その1機が米駆逐艦「キャラハン」に250キロ爆弾を命中させ撃沈。他3機が「ブリチット」「カシンヤング」「ホラスAバス」に命中した。(Blog「ねずさんの ひとりごと『赤とんぼの戦い』」より)。
「(「赤とんぼ」は)私の青春のすべて」。「小野島で訓練を受け、『赤とんぼ』に乗った我々の先輩が、最後の特攻に成功したのです」と晧臺寺住職の大田大穣氏はインタビューに答える(『赤とんぼ』解説212頁)。
立花氏は、単に「(終戦が)若い兵の命を救った」と言うのか。散った兵への配慮:想いが霞んでいる。後出しジャンケン・後講釈で、散っていった兵を(結果的に)貶めるような言い方をするのは、いかがなものか。
『赤とんぼ』の私のいち押しは最終頁、桂子と良子(従妹)の別れのシーンだ。「黒い煤煙を吐きながら・・汽車のお尻がとうとう桂子の視野から消えてしまった・・(198頁)」。
「叔父がフロックコートの袖の下に良子を引き入れ・・良子の(赤いスカートと)足だけが見え隠れし・・立ちつくす桂子(199頁)」と「走り去る汽車(200頁」)の挿絵。この絵は涙なしには見ることができない。
一転、201頁には遠くを見つめる10歳の西岡麗子さんの端正なポートレート。襟付きのセーターに飛白(かすり)のモンペ姿。「太編みの毛糸の帽子」は別れた従妹と(おそらく)お揃いだったのであろう。
著者は「あとがき」の最後に書く。「この本は事実をもとに書いた小説です。中に出てくる、登場人物、場所、事件、人名、などはすべてが事実ではないことをお断りしておきます」と。
厳密な作法である。しかし、この毅然とした宣言により、68年前の事実と体験は「ノンフィクション・ノベル」として、丸ごと客観性を与えられた。(不遜な「少年H」の作者との質の差は明らかである)。
著者の体験の真実が重く読者に迫る。政治的な立場は様々でも平和を願う心は誰も同じだ。だが、世界各地で争いは今も続く。この小説を読んだ人たちはこの後どんな行動に向かうのであろう。(2013/9/23千葉市在住)
<「頂門の一針」から転載>