2013年09月01日

◆ペリー来寇から160年後の日本

加瀬 英明


アニマルマインドを取り戻そう

今年の7月19日は、土曜日だった。浦賀水道の神奈川側に立って、しばらく燈明堂の先の海面を見つめた。対岸に、房総半島の鋸山の稜線が眺めた。今日でも、徳川時代後期に木造の灯台としてつくられた、燈明堂が建っている。

ペリーが旧暦の嘉永6(1853)年6月3日に、浦賀水道に4隻の黒船を率いて侵入して、私が目をこらしたあたりに投錨した。今日、私たちが使っている新暦に換算すると、7月なかばになった。

あれから、ちょうど160年目に当たった。あの日と変わらずに、かもめや、鳶(とび)が飛んでいた。

この日から、ペリー艦隊は9日後に江戸湾から退去するまで、江戸は上から下まで慌てふためいた。江戸の街に「太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」や、「アメリカが来ても 日本はつつがなし」という、「恙無(つつがな)い」と「筒(大砲)」を掛けた戯れ歌が現われた。

ペリーの黒船外交の意図

今日、箱根芦ノ湖の上のほうに、昔の東海道がそのままの姿で残っているが、幅が2メートルもない。あのころの日本では、長距離の物資の輸送に馬車や、牛車が使われることがなく、海路によって運ばれていた。ペリー艦隊に居据わられると、150万人の江戸が餓えてしまうことになった。

ペリーは砲門を並べて、幕府を傍若無人に威圧して、開国を迫った。要求に屈しなければ、江戸が焼き払われかねなかった。ペリー一行は6月9日に久里浜に上陸して、幕府の御用掛に、フィルモア大統領の親書を伝達した。

私はワシントンを訪れた時に、当時の銅版画を売っていたのを見つけて、安価で求めて所蔵している。幔幕が張られた仮設会見所に、幕府側とペリー一行が向い合って、着席している。

もっとも、江戸時代の日本には椅子が存在しなかった。そこで幕府が役人に命じて、神奈川中の寺から、急いで曲ろくを掻き集めさせた。

曲ろくは僧侶が法要に当たって、座る椅子である。幕府側が上等な曲ろくのほうに、座った、銅版画を見ると、徳川幕府体制を葬る法事を思わせる。
 
歴史を学ぶことは国の自立を学ぶ

幕府の必死の説得によって、ペリー艦隊は翌春に戻るといって、6月12日に退散した。

幕府はただちに品川沖を埋め立てて、大筒台場の造営工事に着手した。当時はブルドーザーも建設機械もなく、すべて人力で行われた。品川の御殿山と八つ山を削って、人足がモッコを担いで、土砂を運んだ。人足の1人ひとりが、日本を守る愛国心に燃えて、夜に入ると篝火(かがりび)に照らされて、昼夜兼行で働いた。

今日、お台場公園として残っているが、いったい、ここを訪れる人々のうち何人が、先人たちが幕末から明治にかけて、日本の独立を守るために苦闘したことを、偲ぶものだろうか。

お台場公園には、砲台と火薬庫の跡がある。御台場を建設するために、手漕(てこ)ぎの二千艘(そう)の土砂運搬船が往復した。

ペリーの再来寇の目的

ペリーは翌年1月16日(旧暦)に、江戸湾に7隻の軍艦を率いて、再び来冠した。2月にもう1隻が到着して、8隻となった。3月3日に、ペリー一行が神奈川の横浜村に上陸して、日米和親條約が締結された。

その前日に、5人の応接係など約70人が、旗艦ポーハタン号の艦上に招待されて、ワイン、料理によって歓待された。応接係の1人が酔って、ペリーに抱きついて、「日本、アメリカ同心!」と叫んだが、後の「日中友好」の走りのようなものだったのだろう。

安政五ヶ国條約

日米条約を先例として、その4年後の安政5(1858)年に、幕府はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ロシアとの間に、修好通商條約を結ぶことを強要された。安政五ヶ国條約として知られる。

和親とか、修好通商條約といっても、内容はとんでもないもので、開港地に諸国の軍隊が駐留する、諸国が西洋人に対する裁判権を持つ、一方的に関税率を決定するという、屈辱的な不平等條約だった。

明治に入ってからも、不平等條約を撤廃することこそが、国民の悲願となった。日本は、ペリーが来冠してから41年後に、国民が大きな犠牲を払って日清戦争に勝ち、その10年後には白人の大帝国だったロシアと戦って、打ち破って、世界を驚かせた。

不平等條約の改正に辿りつくまで

最後の不平等條約が改正されたのは、日露戦争に勝ったことによって、日本が「一等国」の仲間入りをした後のことだった。

いま、占領憲法を改正するべきだという声が、ようやく高まるようになった。私は現憲法が、アメリカによって占領下で日本を再び国家としないために強要された、憲法の形を装った不平等条約であると、論じてきた。

吉田茂が幣原喜重郎内閣の外相として、首相として現憲法の制定にかかわったが、回想録『回想十年』のなかで、マッカーサー総司令部と憲法草案について接衝した時のことを、「外国との条約締結の交渉と相似たものがあった」と、証言している。

国家の自立とは認識がいる

明治の先人たちは不平等条約撤廃のために、国をあげて苦闘した。

いまでも、実体が不平等条約である現憲法を後生大事にして、墨守しようという人々が、珍しくない。日本の大新聞によって嗾(けしか)けられて、現実に目を瞑って、軍事力を強化すると外国を刺激して、日本の安全が危くなるとか、平和を守るためには軍備が弱いほうが望ましいと、唱える人々が少なくない。

平和呆けが保護呆けを生んだ

「平和呆け」だといわれるが、冷戦下でもソ連が日本を狙っていたから、日本の周辺が戦後これまで一刻も平和だったことはなかった。これは、アメリカによる「保護呆け」である。だが、アメリカがいつまで日本を守れるだろうか。

吉田松陰はペリーが来冠すると、日本が無防備だったために辱められたのを、「太平に馴れて腹づつみを打っているから、大事になった。あわれむべしあわれむべし」と、嘆じた。そのまま、いまの日本に当て嵌(はま)ろう。

日本は動物であれば、かならず備えている本能を、失ってしまっている。国際社会は、いまだに野獣が横行するジャングルであるのに、ペットのようなひ弱な社会となった。

アニマルマインドとは何か

近刊『アニマルマインドと新・帝国主義』(松原仁著、ジョルダン・ブックス、1200円)を読んで、日本は動物を見倣うべきだと考えていたので、わが意を得た。著者は衆議院議員で、民主党政権で拉致問題担当大臣、国家公安委員長をつとめた。

著者はアニマルマインドとアニマルスピリッツを、闘争心、向上心、自己への自信として定義して、「国家の根源的パワー」として位置づけている。少年も、働く人も、会社も、国家も、アニマルマインドを欠いてしまうと、力が萎えてしまう。

この本のなかで、イギリスの経済学者ケインズや、ノーベル経済学賞を受賞したアカロフの著作から、会社から国家まで「アニマルマインド」が必要なことを、引用している。

著者は「国家における福祉、社会保障、年金、住宅、教育などの問題は肉体の問題であり、それらが健康であること、国家の基礎体力を向上させることは、国民の『アニマルマインド』のための下地なのである」と、喝破している。拍手したい。

アニマルマインドは自立心の根幹

英語のアニマルanimalの語源といえば、ラテン語の「息、魂anima」「活気あるanimalis」と同根のanimaleである。animalisは、英語の「活気づける(アニメート)」になる。

東京は世界の首都のなかで、異常な都市だ。ペットブームで、街なかで犬を散歩させている人に行き合うが、すべてひ弱な血統書付きの犬で、1匹も逞しい雑種犬を見かけることがない。制(軍)服を着た自衛官(軍人)の凛々しい姿を、見ることもまったくない。

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月31日

◆労組の民主離れ、民主の労組頼み

〜再編にも影響〜
阿比留 瑠比


「カネの切れ目」ならぬ「権力の切れ目」が「縁の切れ目」となったのか−。

民主党が昨年12月の衆院選と7月の参院選の連続惨敗の結果、労組依存体質をますます強める一方で、皮肉なことに労組の民主党離れが目立つ。平成21年9月の政権交代時には仲むつまじかった両者だが、4年の歳月で労組側の熱はすっかり冷めてしまったようだ。

「流動的な政治状況を踏まえれば、先に政党名ありきではない」「民主的でリベラルな政治勢力と政策実現に向けて論議していく。そして新たに支持協力関係を作り上げていく」

日教組の加藤良輔委員長は27日の定期大会終了後の記者会見で、今後の政界再編を見据えてこう明言した。日教組は大会で採択した25〜26年度の運動方針からは、9年以降明記してきた「民主党支持」をばっさり外している。

「民主党が消滅したり、民主党が分裂することによって日本の民主主義が消滅してしまってはいけない」

民主党の海江田万里代表は25日にはこの大会に出席し、民主党の存続を必死に訴えていたが、日教組幹部らの胸には響かなかったようだ。日教組は政権交代から間もない22年1月には、当時の中村譲委員長が集会でこう高らかに宣言していたにもかかわらずである。

「(民主党政権の)社会的パートナーとして認知された今、私たちは公教育の中心にいる」

民主党に冷たいのは日教組だけではない

ただ、民主党に冷たいのは日教組だけではない。日教組以上に「選挙に強い」(連合幹部)される自治労も、もはや民主党という枠組みにこだわりはないようだ。徳永秀昭委員長は19日の記者会見で、民主、社民両党の合併など政界再編について淡々と述べた。

「肯定も否定もしない。それは政党として主体的にやられると思う」

日教組と自治労を傘下に収める民主党最大の支持団体である連合も、23日に了承した参院選総括で「民主党の組織的な信頼は皆無といっても過言ではない」と厳しく批判した。

民主党では現在、連合の組織内議員が3割を占め、連合から選挙運動や資金面での支援を受ける議員はほぼ半数に上るとされる。民主党は連合なしには存立自体が難しいが、連合内の産別労組はこのまま民主党を支援することにメリットを見いだせなくなっている。

かつて神奈川県教組委員長を務めた小林正元参院議員は、こう指摘する。

「労組は現世利益を追求する存在だ。将来性のない政党と運命共同体となり、一緒に沈むのは嫌だろう。政界再編への期待もある」

こうしてみると、海江田氏が「数合わせが最初にありきではない」と強調し、政界再編に慎重な理由が分かる気がする。下手に再編へと動くと、政治家ではなく労組が仕掛け、主導する形で政界再編の流れができかねないからではないか。

仮に民主、社民、生活の各党が合流したらどうなるか。小林氏は笑う。

「旧社会党ができて『何だこりゃ?』となる」

確かに、それでは国民の期待も関心も集まりそうにない。

(政治部編集委員)

産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】 2013.8.30 11:03

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月30日

◆シリア 市民に緊張高まる

古澤 襄


<内戦が続くシリアでは化学兵器が使われたとされる問題を巡って国連の現地調査が続くなか、欧米諸国がアサド政権側に対する軍事行動の検討に入ったことを受けて、市民の間で緊張が高まっています。

シリアでは、今月21日に首都ダマスカス近郊で、化学兵器が使われたとされる攻撃で子どもを含む数百人が死亡し、反政府勢力と政府側の双方が相手による攻撃だと主張しています。

国連の調査団は28日、今月26日に続く2回目の現地調査を行うため、滞在先のダマスカスのホテルを出発し、化学兵器が使われたとされる現場や近くの病院などを調べているものとみられます。

この問題では、イギリスやフランスに加えてアメリカのオバマ大統領もアサド政権が化学兵器を使ったと非難しており、欧米諸国が近く軍事行動に踏み切るのではないかという見方が広まるなか、シリア国内では市民の間で緊張が高まっています。

ダマスカスの反政府勢力は、NHKの取材に対し、アサド政権を支持する市民らがダマスカスから政権側の支配が強固な周辺の都市に一斉に避難しているほか、市民らが食料や水などを買いだめしていることを明らかにしました。

■イラン最高指導者「軍事介入すれば大惨事に」

アメリカなどがシリアへの軍事行動を準備していることについて、イランの最高指導者ハメネイ師は28日、テヘランで演説を行い、「アメリカがシリアに軍事介入すると、この地域は大惨事に見舞われるだろう。アメリカは、イラクやアフガニスタンのように多くのものを失うことになるだろう。

この地域は、火薬庫のようもので、予想不可能な事態に陥る」と述べ、アメリカを強くけん制しました。

また、イランのラリジャニ議長や、ロウハニ新政権の下で、新たに就任したザリーフ外相も、アメリカ軍がシリアへの軍事行動を準備していることを非難するなど、イランからは、アメリカを警戒する発言が相次いでいます。

シリアのアサド政権と同盟関係にあるイランは、今月発足したロウハニ新政権もアサド大統領を支える姿勢を崩していません。

しかし、ロウハニ大統領は、核開発問題などを巡って対立が深まった欧米諸国と対話路線を目指しており、同盟関係にあるシリアの問題が、今後の欧米諸国との関係にどう影響するか、注視しているものとみられます。
(NHK)>2013.08.29

<「頂門の一針」から転載>

◆尖閣諸島「問題」の行方

馬場 伯明


国が尖閣諸島を購入し一件落着したかに見える。だが、あの大騒ぎは何だったのか。石原慎太郎(前)東京都知事による尖閣諸島(3島)の購入と活用のための国民有志の寄付金はどうなったのか。

「(国が買ってしまったので)・・もう購入はできないので、(目的を)活用にシフトしたわけです。寄付金は国に譲渡することになるでしょう。寄付金の返還は当初から想定していません。(都の「尖閣諸島寄付担当」談・2013/2/6「日刊ゲンダイ」より)」

単純で素朴な愛国者として私は些少・最低限の寄付をした。石原(前)知事のメッセージに「いざ鎌倉!」の一種高揚した気分で応じた。寄付総額は1,485,201,967円、103,602件。無論寄付者に返還する必要はない。

猪瀬直樹東京都知事による残金の「国への譲渡(再寄付)」で本件が終結となるのでは、肩透かしにあったような気がして、私は釈然としない。

尖閣諸島が日本の領土であることは実効支配上からも国際法上からも明白である。中国の挙動は、泥棒(自分)が、侵入した家の主人に向かって「泥棒!」と叫んでいるような倒錯した理屈である。

ところが、中国へのそれなりの応援者もいる。野中広務氏と鳩山由紀夫氏が利敵行為ともいうべき仰天発言で世間を驚かせた。

そこで、本誌主宰者は、かつて園田直外務大臣の秘書官として同行した北京等での「事実」に基づき、間髪をいれず、完璧に反論した。この反論は確かによかった。だが、それでも、私は、まだ、釈然としない。

中国は1970年以降、尖閣諸島「問題」では自信満々である。「俺たちには最強のカードがある!」と嘯く。「アメリカ」というスペードのエース。

でも、なぜ、アメリカなのか。尖閣諸島「問題」の「そもそも論」に立ち返り、尖閣諸島購入の経緯などを反芻してみたい。

尖閣諸島は、魚釣島(うおつりしま)、久場島(くばしま)、大正島(たいしょうとう)、北小島(きたこじま)、南小島(みなみこじま)の5つの島と3つの岩礁(沖の北岩・沖の南岩・飛瀬)からなる。総面積5.57k!)。

石原(前)知事は、5島の内、魚釣島、北小島、南小島の3島(栗原国起氏所有)を購入の対象とした。しかし、久場島(古賀花子氏所有)と大正島(国有)の2島は外した。2島は米軍に提供された射爆撃場である。

「2島は購入しないのですか」と指摘され、石原(前)知事は「久場島も購入する」と急きょ言明した(2012/6/4)。しかし、その後、何と、あっさりその購入方針を撤回してしまった(2012/9/7)。

どういうことだ。大正島は国有だが、個人所有の久場島を中国に購入されたらどうするのか。尖閣諸島では久場島がなければ画竜点睛を欠く。「中国が所有する米軍射爆撃場!」ならブラックユーモアだ(笑)。

石原(前)知事はなぜ購入方針を撤回したのか。筋が通らない。

発端は石原(前)知事のヘリテージ財団での講演である。中国を刺激した。(1)核兵器の開発のシミュレーション、(2)ピンポイント非核超高速ミサイルの開発、(3)尖閣諸島(ただし3島)購入の3点セットだ。

アメリカの有力な対中国強硬派であるヘリテージ財団との合作ないし事前の容認があったと(私は)邪推!する。石原(前)知事は(民主党政権と)中国を刺激することが主目的であり、久場島の購入や久米島との2島返還は、端から頭になかったと思われる。

じつは、中国艦船が久場島付近を通過し上陸や発砲したら、アメリカは、安保条約とは無関係に、自国(施政権)侵犯排除の戦闘に入らざるを得ないから困るのだ。だから「日本と中国は仲良く!」と強く要請している。

一時的な政治パフォーマンスではなく、戦略的に、かつ真面目に考えれば、尖閣諸島5島3岩礁を国有化すべきであることは明らかであろう。

「親分(アメリカ)、預けた娘(久場島)が長らくお世話になりました。そろそろ舎弟の私(日本)に返してください」。「そうだな、お前(日本)の娘(領土)だからな。そうしよう」・・・と、アメリカには「日本の領土である」という決定的な発言をしてもらいたい。

だが、アメリカは尖閣諸島の領有・帰属で「あいまい戦略」をとっている。アメリカは尖閣諸島「問題」で中立の立場をとる。だから、日本と中国(台湾を含む)の間には「領土問題が存在する」という立場の国なのだ。

中国はアメリカの「領土問題が存在する」という絶大な援軍があるので強気である。これが尖閣諸島「問題」のねじれと混迷の根本的な原因である。では、日本は何をするべきか。

第1.アメリカに対し「尖閣諸島の領有は日本である」と明確に認めるように何度でも迫る。無二の同盟国のアメリカだ。遠慮せず主張する。「蛙の面に・・」の確信犯の中国ではなく、敵は本能寺(アメリカ)である。

第2.久場島を国が追加購入する。米軍の射爆撃場の久場島と大正島の2島は1979年以降使用されていないのだ。東京都に保管されている寄付金を使わせてもらえばよい。寄付者に異存があるはずがない。

歴代の政府、外務省、石原(前)知事らは、これまで上記の2つをまともに検討し発信し実行しては来なかったし、今なお無為が続いている。

また不思議なことに、日本のマスコミ、さらに、右派言論人の多くも、久場島の国による購入と大正島(既国有)を合わせた2島の日本への返還をアメリカに求めていない。

なぜか。アメリカに拒否されたからだ。その訳は戦後68年去勢されたようなアメリカへの盲従体質にあると思われる。アメリカの言いなりばかりではだめなのだ。日本はアメリカに対しても、正面・裏面の両方からものが言える、まさに「普通の国」になるべきである。

「普通の国にしたいだけなんだ」と唱える本誌投稿者の一人である平井修一氏には、尖閣諸島を巡る日米中(台湾を含む)のねじれ現象をときほぐし、正常化する方策をぜひご提案いただきたい。

尖閣諸島が日本の領土であると(本音では)認識しており、日本が最も信頼する同盟国であるにもかかわらず、アメリカは、尖閣諸島について、中国が大喜びし、日本が困る「あいまい戦略」を、なぜ、取り続けてきたのだろうか。

それは、日中(台湾を含む)間に揉め事(魚の小骨)を残しておく、それにより、アメリカの存在価値を両国に高く売ることができるという「政治的な思惑(手段)」であったと推測される。

しかし、姑息な手段はいつか行き詰る。日中間の戦闘が始まればアメリカも出動せざるを得なくなる。小骨は大骨になって顕われる。だから、アメリカは「日中は話し合いで・・・」と必死で要請しているのである。

日本は、尖閣諸島の日本領有をアメリカに明確に認めさせ、久場島ら2島は返還してもらい、久場島は国有化する。これが中国の急所を衝く最上の策である。

石原(前)知事の尖閣諸島「問題」の発言は急減している。日本はいたずらにアメリカに盲従しその周りを徘徊するのではなく、民族の誇りと矜持を有する独立国家としてしっかり立つ。

「国際社会において名誉ある地位を占める」というのは、そういうことではないのか。(千葉市在住)

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月29日

◆知の頂上は遥かなり

平井 修一


8月の中ごろ、視界がぱーっと広がったような、田んぼに引いた水がぴーんと張ったような、そんな風に感じた。ガラクタを含めて脳みそにため込んできた情報がすべてリンクされ、この世のことは大体理解きるような“法悦”を感じ、「ああ、62歳にしてようやくここまできたか」とうれしく思ったものだ。

それから数日後・・・

小生はずいぶん昔から「宗教を会得すれば心が広がる、寛大になるなんていうのはとんでもない、むしろ心が狭くなる、偏狭になる、頑迷固陋になる。宗教は世界に平和をもらさなないし、個人の安心立命にも役立たない。宗教が救った人数よりも殺した人数の方が多いだろう」と思っており、「これは俺が最初に気づいたことだろう」などと悦に入っていたのだが、とんでもない、先人がとうの昔にちゃんと書き残していたのだ、と思
い知らされた。

<私はこんどの旅行で、中近東からバルカンにかけて、宗教の名において行われたさまざまな戦いの跡を見てきた。近代的自覚に到達するまでの人類の頭は、宗教によって完全に支配されていた。宗教は人類思想の最大公約数で、それ以外の“思想”の割りこむ余地はほとんどなかったのである。

諸民族間の闘争も、大部分は宗教という“思想”の名において行われたのである。それがいかに残酷なものであったか、近代人の想像を絶するものがある。しかもこの種の戦いは、今もなお続いているのである。

アラブ諸国に残っている回教寺院やローマのヴァチカン宮殿などを見ると、宗教という名の“思想”の力が、いかに強大で、いかにすさまじい搾取を行っていたかということがよく分かる。

各宗各派の対立抗争が激甚をきわめていた時代には、地上に天国をもたらすということによって、実は戦慄すべき修羅地獄をつくり出していたのである。

宗教の力、信仰の熱度とともに、イントラレント(非寛容)な性格は原則として高められていくものである。それを抑えていくことが“共存”の必須条件である。だが、他宗派に対して極度にトラレント(寛容)な宗教は、もはや宗教でなくなっている場合が多い。そこで“共存”のための最上の条件は、宗教そのものを捨てることだということにもなるわけだ。

私は“無思想”ではあるが、私が今日まで終始一貫してやってきたことがたった一つある。それは宗教と偽善者の排撃である。これだけはどうしてもやめられない>

大宅壮一(注)は「“無思想人”宣言」でこう書いている。小生が“発見”する30年も前の1955年である。だから小生の気づきが無駄だった、意味がなかったわけではないだろうが、ずいぶん遠回りをしたなあとがっかりした。デカルトは古今東西の本を読破して、「もう付け加えることは何もない」と言ったそうだが、やはり多少はがっかりしたのではないか。

その後にキリスト教のことを調べていたら、カトリックに対する改革派のプロテスタント、通称「ピューリタン」(清教徒)はピュア(清潔、純粋)が語源で、聖書にのっとって質素な生活を送り、地上に理想社会(神の国)を実現し、神に近づくことができるという考えで、いわば「キリスト教原理主義」だった。

改革派というからプロテスタントは軟派、世俗主義かと思っていたらまったく違っていた。当時の絶対王制(民を土地に縛り付ける封建制度)とその統治機関であるカトリック教会(および労働しない搾取階級)に対して、個人と神の直接的な結びつきを重視し、これが個人の自由の尊重、やがては民主主義、国民主権の主張となり、産業革命への寄与、資本主義の発展に結びついていったという。

「質素な生活」と利益追求の経済発展とは矛盾するように見えるが、「労働により儲けた利益を(価格低減、配当金、慈善事業などで)社会に還元すれば公共の福祉になる」という理論のようだ。尊皇攘夷、王政復古の明治維新が、いつの間にか「座して植民地になるか、それとも列強になるか」という選択になり、開国、近代国家づくりに向かっていったようなマジック、化学変化があったのだ。

ことほどさように知らないことばかりで、驚いたり、がっかりしたり。「この世のことは大体理解できる」なんて一瞬でも思ったのは、無知ゆえの思い上がり、増上慢だった。60年生きてきても学んだことはごくわずかだったのだ。

森羅万象のすべてを知ることはできないから、せめて広く浅くでも知りたいなあとは思う。しかし、それもなかなか難しい。それなら身近な政治、経済、歴史、文学あたりは70点をとれるくらいには通じていたいと思うが、政治だけでも歴史学、近代思想史、政治学、社会学、地理学、法律学、憲法、民法、内政、地方自治、外交、経済学、経済政策、財政論などなど多岐にわたり、かつ底が深いから容易ではない。

小生が興味を持っている「日本と世界の近現代財政論」だけでも学びつくせるものではないだろう。

政治、経済などそれぞれの分野で「知」の頂上というのはあるのかもしれないが、登頂できるのか。小生が遊び半分でちんたらとやってきて、「そろそろ頂上かも知れないなあ」と思っていたら、「登山道入り口」の標識にようやくたどり着いただけで、よく見れば「ガレ場(注2)多し、熊に注意、5合目まで10キロ、5時間」などとあり、「体力はないし、日没まで時間もない、どうしようか」と呆然としているのが現状だ。

政治、経済の過去と現在の初級は学べるかもしれないが、一番面白い「これからの制度設計をどうするか」というのは大学院級で、実はノーベル賞級の頭脳やスパコンをもってしてもとても正解を出せるものではないようだ。理論的には正しくても実現できない政策はゴマンとある。民主主義下の政治、経済は空気や潮流で動くから難しい。だからこそエキサイティングなのだろう。その興奮を体感してみたい。

そうしたことに興味を覚えるのは「知的好奇心」で、登山家を真似すれば「そこに“知”という山があるから」頂上を目指したい。一峰を征して見晴らせば、さらに高い峰が無数にあるから、古人、先達は「学べば学ぶほど己の至らざるを知る。知の道は遥かなり、生涯勉強」と言った。頂上はちっとも見えないが、一日一日、一歩一歩、学んでいくしかないのだろう。(2013/08/28)

               ・・・
注1)大宅壮一:おおやそういち(1900 - 1970)、ジャーナリスト、評論家。大阪府に生まれる。東大在学の頃よりプロレタリア文学運動に参加の一方、従軍記者としても活躍するなど自在多彩。戦後は「駅弁大学」「一億総白痴化」などの批評語を時代に突きつけるなど、ジャーナリズムの各分野で活躍した。没後膨大な蔵書類をもとに「大宅文庫」が作られている。同時代で知っておきたかった論客である。

注2)ガレ場:石や岩が堆積していて歩きにくい斜面のこと。大きな岩が堆積した所はゴーロと呼ばれる。

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月28日

◆英霊は等しく心を込めて祀るのがよい

櫻井 よしこ


8月15日の「産経新聞」1面に北京発時事伝が掲載された。それによると、中国共産党の毛沢東政権が1956〜57年当時、日本との関係正常化を目指して日本の元軍人を含む「右派」への工作を展開し、「A級戦犯」の畑俊六(しゅんろく)元帥の訪中を熱望していたという。

日中友好促進のために中国共産党が「A級戦犯」を熱烈歓迎しようとしていたわけで、現在とは正反対の政治状況が読み取れる。靖国をはじめとする歴史問題がどれほど政治的に利用されてきたかを示す事例である。

畑は真珠湾攻撃の2年前の39年に陸軍大臣となり、翌年、米内光政内閣で中国派遣軍総指揮官に、44年には元帥となった。彼は「A級戦犯」として終身刑を受けたが、日本が独立を回復後、全国で起きた「すべての戦犯の赦免運動」によって、54年に釈放された。

この畑に毛沢東が接近したのだ。時事は、「親中派の遠藤三郎元陸軍中将」が56、57の両年訪中し毛らと会見したこと、日中友好協会(当時)理事長の内山完造も56年に訪中し、廖承志(リョウ・ショウシ)共産党対外連絡部副部長と会見したと伝えている。畑の訪中を望む中国の意向は内山に伝えられ、内山は遠藤を介して元「A級戦犯」の畑に接近したという構図が見える。

畑はしかし、申し入れを固辞した。遠藤は毛らの希望をかなえるべく、畑以外に4人の元陸軍大将に訪中を働きかけたが、いずれも失敗したことが中国側の外交文書に記されているそうだ。畑同様、訪中を断った4人は岡村寧次、今村均、下村定、河辺正三であり、いずれも陸軍大将を務めた。

実に興味深い。いま、中国が口角泡を飛ばして「A級戦犯」と靖国神社参拝を非難するのと同じ「政治の企み」が、「A級戦犯」本人を招くべく、接近工作した事実から見えてくる。時事が伝えたニュースの核心は、毛以下全中国人はA級戦犯など全く問題視していなかったという点に尽きる。

様変わりしたのは中曽根康弘元首相のときだ。このころから中国も韓国も歴史を政治の道具にし始めた。彼らの不条理極まる歴史の政治利用は、それを許す隙を日本側が与えたからであり、日本に半分の責任がある。

中国がどれほど「A級戦犯」にも「靖国合祀」にも無関心であったか、小欄でも繰り返し指摘してきたことだが、大平正芳首相の事例で見てみよう。

「A級戦犯」の靖国合祀は79年春に「毎日新聞」がスクープした。「A級戦犯」が合祀された靖国神社に当時の首相、大平は春も秋も例大祭で参拝した。その大平が同年12月に訪中すると、中国側は大平を熱烈歓迎した。

翌80年に訪中した中曽根は当時一介の代議士ながら、「青年将校」と綽名され靖国参拝を欠かさないことで知られていた。その中曽根に中国側は日本の軍事費を倍増してGNPの2%にすべきと進言した。

再度強調する。これはいずれも「A級戦犯」合祀後の外交である。中国人が「A級戦犯」も靖国合祀も全く気にしていなかったことの明らかな証拠である。にもかかわらず、日本のマスコミはこうしたことを歴史摩擦に仕立て上げる。彼らこそ、諸悪の根源である。

こうした中、安倍晋三首相は8月15日、靖国神社に玉串料と真榊を奉納して参拝を見送った。首相は時機を選んだのであろう。私は、首相はいずれ必ず参拝すると信じている。

小泉純一郎元首相を支え続けた飯島勲氏は、いま内閣参与を務めるが、安倍首相の今回の決断について語った。

「怒ってるんです。なぜ、行かないのか。行けばいいんです。政治の決断なんです」

靖国は政治問題にされているが、死者は区別せずに、等しく心を込めて祀るのがよいのである。とりわけ日本に殉じた英霊を区別してはならないのだ。(週刊ダイヤモンド)
2013.08.27

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月27日

◆FPT未解決領土と米国の決定権

Andy Chang


東南アジアの紛争はすべてサンフランシスコ平和条約の第2条において日本が放棄した領土が未解決なことだ。未解決だから中国やロシアが勝手に占領している状態が続いている。被害を蒙っている諸国は日本、台湾、フィリッピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイなどである。

原因がSFPTにあるなら領土問題は一括して解決すべきであり、諸国が連合して解決に取り組むべきである。

これまで被害者国は中国との?二国間交渉?で済まそうとしていた。中国もまた二国間交渉を主張していた。しかし覇権国家と二国間交渉を繰り返しても正義は通らない。

単独で中国やロシアと領土問題を解決する見込みはない。被害者国が連合して主要占領国の米国とその他のSFPT署名国と一緒に解決すべき問題である。これが私の主張してきた東南アジア平和連盟(PASEA)である。

この提案は未解決領土の解決にベストと思うが難点もある。SFPTは戦争を終結した条約だが、米国の支配も同時に終結した。不完全なSFPTには米国が解決すべき義務や責任が明記されていない。

米国は今でも東南アジア諸国で間接的支配をしているように見えるが、実際に東南ア諸国における米国の権利は明記されていない。米国の権利と責任は曖昧なままである。

日米安保、台湾関係法などに書かれた米国が日本や台湾(人民)の安全を守るという条項は米国の利益のためで責任ではない。日本や台湾が攻撃されも米国が保護するしないはその時その時によって変る可能性がある。

つまり米国の東南ア諸国に対する責任はかなり曖昧で、米国の衰退と共に変化する可能性もある。

●米国の東南アにおける平和維持

第二次大戦が終結してアメリカが日本を占領した後、連合国の実効支配は連合軍総司令部(SCAP;Supreme Commander of Allied Power)にあった。
日本占領当時の指令はSCAP総司令部(GHQ;GeneralHeadquarter)から発令されていた。SCAP実効支配は1952年のサンフランシスコ平和条約の第6条によって解散され、残るところはSFPT第3条、米国の沖縄信託統治のみとなった。

東南ア諸国の安定と保護は連合軍ではなく、アメリカの軍事援助となり、諸国に駐屯する軍事援助顧問団(MAAG;Military AssistanceAdvisoryGroup)となった。つまり米国の支配は軍事援助の名目で行われるようになったのである。東南アジア各地、日本や韓国にある米軍基地などはMAAGの支配ではなく別な防衛条約である。

SFPTの締結によって未解決となった領土の解決は明記されていないし、米国が主要占領国であることは事実でも米国に責任があるとは書かれていない。

●主権、領土権などの考察

SFPTで未解決の領土はいまでも日本に領土権があると主張する人が居るSFPT第2条で日本は各地の<権利(Right)、権限(Title)、および請求権(Claim)>を放棄した。ある人は権利を放棄しても領土権を放棄したのではないという。

またある人は日本は第2条で領土の<権利(Right)、権限(Title)、および請求権(Claim)>を放棄したけれど、領土帰属が未解決だから残留権利または義務があるという。台湾の林志昇は、日本が放棄した領土は日本帝国の天皇陛下に所属していたから、今でも天皇陛下の領土であるという。

これに付随して台湾人民は天皇陛下の臣民だったから、今でも天皇陛下の臣民だと主張している。こんな理屈は通らない。

<権利(Right)、権限(Title)、および請求権(Claim)>とは領土、住民、財産、資産、資源、無形文化財など、すべての権利、権限(権利を主張する根拠)と、請求権を放棄した。領土権も主権も一切合財を放棄し、再び請求する権利もない。つまりSFPTの第2条で放棄した条項すべてが「主権放棄」の完全なる叙述である。

住民が含まれているかどうかは、(今は破棄されたが)SFPTのあとすぐに締結された日華条約第10条で、台湾澎湖の住民が今後中国国籍を有するものとするとあるので、台湾澎湖の住民は日華条約で日本国籍を失ったのである。

●未解決領土の解決

SFPT第6章:紛争の解決

第22条この条約のいずれかの当事国が特別請求権裁判所への付託または他の合意された方法で解決されない条約の解釈または実施に関する紛争が生じたと認めるときは、紛争はいずれかの紛争当事国の要請により、国際司法裁判所に決定のため付託しなければならない。

日本国及びまだ国際司法裁判所規定の当事国でない連合国は、それぞれがこの条約を批准するときに、且つ、1946年10月15日の国際連合安全保障理事会の決議に従って、この条に掲げた性質を持つすべての紛争に関して一般的に同裁判所の管轄権を特別の合意なしに受諾する一般的宣誓書を同裁判所書記に寄託するものとする。

SFPT第2条の未解決領土はこれに従って国際司法裁判所に提訴することが出来る。しかし国際裁判所に提訴してもSFPTに署名していない中国やロシアが同裁判所の採決を受諾するとは限らない。アメリカ及び署名国が介入すべきである。

今のところ米国は曖昧政策と現状維持を関連諸国に要求して東南アジアの平和を保っている。しかし東南アの平和は中国の武力の増強と国力の衰退によってアメリカの手に負えなくなる日がくる。例えば、イージス艦の保護があっても100基のミサイルを一隻の空母に向ければ必ず撃沈できる。

東南アジアの平和を維持するなら、アメリカは今のうちに関連諸国と連合して領土問題を解決すべきである。領土問題を解決する方が安上がりで確実、姑息な態度は米国のためにならない。東南ア諸国はこの現実をアメリカ、特にアメリカの国会議員に知らせるべきだ。

未解決領土を解決するには二国間交渉ではダメ。領土問題は東南ア諸国が連合して米国国会に要求し、米国国会が署名国に呼びかけて平和解決案を作成し、それを国際裁判所に提出すべきである。  

<「頂門の一針」から転載>
       

2013年08月25日

◆壮大な誤解?韓国こそドイツに学べ

黒田 勝弘


ドイツのメルケル首相が最近、国内のダッハウにあるナチス時代のユダヤ人強制収容所跡を訪れ、犠牲者に頭を下げる写真が、韓国のマスコミで大々的に報道された。新聞はほとんどが1面トップだった。

ドイツではよくあるシーンだが、韓国でのこの異様な関心はなぜか。

ある新聞は頭を下げたメルケル首相の写真にわざわざ日本語で「安倍が見習うべき姿」という文章まで付けていた。

つまり「ドイツはこんなに過去の歴史について謝罪と反省をしているぞ、それに比べ日本は…」という、日本非難のためのおなじみの「ドイツに学べ」論である。日本でも似たような議論をよく聞くが、はて。

メルケル首相はナチスによるユダヤ民族虐殺現場で頭を下げているのだが、日本は過去、韓民族に対しナチスのようなことをしたのだろうか。

韓国は日韓併合で日本の支配、統治を受け植民地になったが、第二次大戦で日本と戦ったわけではない。逆に日韓は一緒になって米国、中国など連合国と戦ったというのが実態だった。

韓国のテレビインタビューで「日本人としてメルケル首相の写真をどう思うか?」と質問されたので「立派な姿です」と答え「ところで韓国ではしきりに日本に対し『ドイツに学べ』というが、では歴史的に韓国はナチス・ドイツ時代のどこに相当するのか。フランス? ポーランド? チェコ? それともユダヤ人…」と反問したところ、相手は絶句していた。

ヨーロッパでナチスの植民地だった国はない。だからドイツの戦後処理に関し韓国が参考にすることは基本的にはないのだ。

韓国には意図的な歴史の歪曲(わいきょく)がある。自らを日本やナチス・ドイツに対する戦勝国である連合国になぞらえ、日本を戦犯国といって非難するのがそうだ。

しかし、靖国問題もそうだが、韓国は日本と戦争した敵国ではないため、いわゆるA級戦犯問題とは直接関係はない。極東裁判は日本の韓国支配を裁いたものではないし、植民地支配は戦争犯罪ではない。にもかかわらず韓国がA級戦犯を理由に靖国問題にこだわるのは“壮大な誤解”なのだ。

ナチス・ドイツの歴史を振り返り、あえて韓国に相当するような国を探せばオーストリアかもしれない。

ヒトラーの故郷でもあるオーストリアはナチス・ドイツに6年間、併合されその一州になった。ナチス・ドイツと一体だったため、戦後は連合国の米英仏ソによる分割占領後、中立化を条件に1955年、独立を回復した。韓国(朝鮮)が戦後、連合国の米ソに分割占領されたのと同じだ。

興味深いのはオーストリアはナチス・ドイツとの過去の関係を国際社会に謝罪していることだ。これでいくと韓国は日本との過去を謝罪、反省しなければならないことになるが…。

「ドイツに学べ」で思い出した。韓国と北朝鮮の間でまた南北離散家族再会の話が出ている。

しかし、ドイツでは東西分断中も家族の相互訪問や手紙、贈り物の交換など自由な交流があり、結果的に1990年に統一が実現している。

韓国と北朝鮮こそそうしたドイツにしっかり学び、南北交流をちゃんとやって早く統一してはどうか。

そして少数派の東ドイツ出身のメルケル首相のように、統一コリアで北朝鮮出身の大統領が誕生するような姿を早く見せてほしい。(在ソウル)
産経ニュース【緯度経度】2013.8.24 09:57

<「頂門の一針」から転載>

◆木津川だより 銭司遺跡A

白井 繁夫


今から1300年前の奈良時代に「和同開珎」が鋳造された遺跡が、木津川市加茂町銭司に在る「銭司遺跡:ぜずいせき」(地図Z:3番)です。
地図Z: http://chizuz.com/map/map144914.html

この銭司の台地で、田圃の土手の草刈りをしていたお年寄りに出会い、この方の子供時代(昭和25.26年頃)の「字金鋳山」の様子を聞かせて貰いました。

「金鋳山にある現在の公民館付近に子供たちの遊び場がありました。当時この付近では住宅や、工場建設の土木工事が施工され、崖面などが崩され、整地される時などに遺跡の遺物(銅滓、鞴の羽口片、坩堝片など)が露出したり、子供たちが手で掘ると遺物が出てきたりしました。

しかし当時の規制は緩やかだったので、宅地や工場の敷地に整地されてしまい、遺跡は埋没したままか、または、破壊されているかも知れません。」と、嘆いていました。

その後、昭和30年代に入って、国道163号線の改修や舗装工事が施工された時も、同様に遺跡がかなり破壊されたと思われます。

昭和49年(1974)7月にR163号の歩道設置に伴う事前発掘調査が実施されて、炉跡等の確認が出来た事の他、坩堝片.羽口片.銅滓.凹石.平瓦片.瓦器片.羽釜片.など多数出土しました。
(現在この地「金鋳山」は、京都府の指定史跡に指定されており、記念碑「鋳銭の碑」が建立されています。)

この銭司遺跡は、「恭仁宮(くにのみや)」に近く、平城京へは西南へ約10km、北の京都へ約50kmと平安京や、難波宮へは「木津川」を利用して大量の物資を運搬できる処にあります。

奈良時代、この地に鋳銭司を置き、大量銭貨の鋳銭事業が行えた要因(四つの必要条件)を調べてみました。
(1)銅鉱の存在(山城国相楽郡岡田郷:岡田銅山)
  岡田郷の銅山は近代の大量採掘出来る銅鉱ではなくて、古代の手掘り技術で露頭の鉱床を見つけて採掘する小規模な含銅鉱物の鉱床であったと推測されています。

加茂町銭司近辺に銅鉱が存在し、材料が入手しやすいため、鋳銭事業の適地として、鋳銭司を置いたと推察できます。

貞観(じょうがん)7年6月26日条(865年):『勅ニ木工寮。採ニ銅於山城国相楽郡岡田郷旧鋳司山。』、同年11月26日条:『勅以ニ山城国相楽郡旧鋳銭司地廿余町。為ニ採銅之地。』 貞観9年6月9日条:『....但採銅之事依旧行之。』、 (史料『日本三代実録』より)

上述の如く、律令政府は木工寮に対して『旧』の採銅地での作業を命じています。また、奈良時代(8世紀)は、皇朝十二銭の和同開珎、万年通宝、神宮開宝等を50余年間鋳銭しました。

包含層から出土した青銅塊の定量分析の結果は、皇朝十二銭の第三番目に鋳造された「神功開宝」の分析結果と類似していると判明されました。
「この貨幣は天平神護元年(765)に鋳造が開始されています。」

その後、平安時代(9世紀の中頃)鋳銭事業が再開されましたが、元慶(がんぎょう)五年(881)6月:「採山城国岡田銅使」は廃止され採銅も中止して、採銅使の屋舎等を国に移管、同年8月採銅の資粮(庸米)も返進されました。(『日本の貨幣』小葉田淳氏)

他方、鋳銭司から見ますと、天長四(827)年の官符にいう「岡田」の鋳銭司とは、奈良時代の天平七(735)年〜延暦元(782)年の52年間と、平安時代の初期:延暦九年〜弘仁七(816)年とに鋳銭司が置かれて、貨幣の鋳造事業が行われていたと、文献史料から推測されています。
(何れにしても、近隣の山々の銅鉱も含め、あまり優良な銅鉱でない為、採銅を止め、廃止されたのだ。と思われます。)

(2)鋳造技術者の存在(岡田鋳物師:いもじ)
奈良時代の銭司地区に鋳銭司が置かれた大きな理由に、早くから渡来人の技術者が近隣に多く住んでいたことも上げられます。(山城町:狛.高麗寺跡、木津:土師、加茂:岡田庄等々)

『鋳造.技術の源流と歴史』で石野亨氏は、和同銭について「養老4年(720)、中国の工人を招いて、はじめて大陸技術の指導を受けた。従って、和同銭は和銅元年(708)〜養老4年までを「古和同」、その後(新技術導入後)の物を「新和同」と区別しています。

岡田鋳物師に関する史料:天平宝字六(762)年潤12月1日付の造東大寺司牒(ちょう)案では、この文章案の宛先が「岡田鋳物師所」、翌7年2月18日付の造石山寺所符案には「岡田鋳物師王広嶋(おうのひろしま)」とあります。

また、米売価用帳(天平宝字6年8月)に「岡田村夫王広嶋并妻丹比須弖刀自(たじひのすてとじ)」と、『続日本紀』神護景雲元年(767)11月20日条:私鋳銭人の王清麻呂(きよまろ)ら40人が、姓を鋳銭部と..。などの王姓の金属鋳造技術者の存在があります。

(3)良質な粘土の存在
明治29年に製鉄用耐火材に関する全国的規模での調査リストに、相楽郡加茂村大字兎並の粘土が挙げられています。(『製鉄用耐火材料及煉化石試験報告』工學會誌 175卷)

冶金や鋳造には良質な粘土が非常に重要であり、炉にも鋳型や坩堝にも、耐火度の高い良質な粘土が大量に必要です。この粘土が「木津川」を挟み、大字銭司の対岸(左岸)の「字杣尾:そまのお」に、良質な粘土が産しました。

更に、近隣に燃料となる豊富な森林があり、岡田には焼炭所が有りました。(字金鋳山の遺跡の包含層から木炭(松炭)の細片や炉跡からも松炭が出てきました。)

(4)水運の利便(泉乃河:木津川沿岸の地)
鋳銭事業に携わる多勢の工人と、役人用の大量の庸米や鋳銭に必要な原材料等は重量物が多いため、水運を利用して運搬できることも重要な要素でした。

この銭司地区は、船便が利用できる「木津川」の沿岸にあり、北側は2〜300mの山脈(やまなみ)が東西に木津川に並行していて、銭司地区から北の山に向かって続く緩やかな台地の東方の一角には、なんと「和銅」と昔から呼ばれる集落がり、その北方に鉱山信仰に見られる妙見山も在ります。

今までに、銭司遺跡のうち、金鋳山の一部は発掘調査が行われました。

ところで、金鋳山の北の山が「カネザン」と呼ばれ、そこの山脈には前述の鉱山に関連する妙見さんが在り、麓の台地の一角、貨幣には縁がある「字和銅」で完形の坩堝が、発見されています。

金鋳山、和銅などの地籍はまさにその名の通り、古代鋳銭事業の貴重な遺跡です。これら遺跡の一日でも早い発掘調査が実施されると、古代の想定外の新発見が出来るかなぁ!と思いながら、 静かに佇む山間の緑豊かな集落を、暫し眺めていました。

鋳銭事業に必要な四つの好適条件を持つ、銭司地区は奈良時代50余年、平安時代10余年と前後70年間にわたり鋳銭司が置かれ、和同開珎.万年通宝.神功開宝.隆平永宝の四種類の銅銭が鋳造されたのです。

次回は、「恭仁京」の北側の山(三上山)中腹に位置し、国宝の五重塔が建ち、奈良時代創建と云われている「海住山寺:かいじゅうせんじ」を訪ねる予定です。
(郷土愛好家)

<参考資料:銭司遺跡 (加茂町文化財調査報告 第1集) 1986 加茂町教育委員会  加茂町史  第1巻   古代.中世編 加茂町>

2013年08月24日

◆韓国“性産業輸出”驚きの実態

古澤 襄


■売春婦「世界に10万人」

<韓国の「性産業輸出大国」としての実態が注目されている。韓国紙は「全世界に10万人余り」と報じ、米国での外国人売春婦の割合でも断トツだというのだ。

朴槿恵(パク・クネ)大統領は、終戦記念日の15日、慰安婦問題で「過去を直視する勇気を持て」「責任と誠意ある措置を」と日本を批判したが、韓国こそ歴史と現実を見直すべきではないのか。ジャーナリストの大高未貴氏が鋭く迫った。

米カリフォルニア州グレンデール市に先月末、慰安婦を象徴する少女像が設置された。在米韓国系団体が後押ししたもので、全米20カ所以上で設置計画が進められているという。歴史を捏造(ねつぞう)して、ここまで他国を貶める民族的情熱は、精神医学のテーマであり、「日帝36年の恨」などと分析するのは好意的すぎよう。

慰安婦問題を考えるうえで大変参考になる記事が昨年、朝鮮日報(6月15日)に、「拡大する韓国型性産業、海外での実態」「『性産業輸出大国』韓国の恥ずかしい現実」として掲載された。驚くべき内容だった。

まず、海外での韓国人売春婦について、〈2010年10月に行われた女性家族部(省に相当)への国会国政監査で、当時の金玉伊(キム・オクイ)議員(女性家族委員会所属)は『海外で売春をする韓国人女性の数は日本に約5万人、オーストラリアに約2500人、グアムに約250人いるとみられ、全世界では10万人余りに達する』と主張した〉とある。

海外売春の理由の1つを「カネ」と分析し、〈昨年5月にカナダの売春宿で警察に身柄を拘束された10人の韓国人女性も『短時間でたくさん稼げると聞いて、つい来てしまった』と話した。売春宿を経営していた女性社長(36)は、普段から女性たちに『1カ月に2000万ウォン(約175万円)稼げる』と話していた〉と記している。

記事には、米国での外国人売春婦の割合も掲載されており、1位は韓国で23・5%、2位はタイで11・7%、3位はペルーで10%とある。04年に韓国内の売春禁止法が強化され、08年にノービザでの米国旅行が可能になり、一気に流出し始めたようだ。

一方、韓国国内では、般若のような白塗り、白装束の売春婦が数百人規模で「仕事を自由にさせろ」とデモをし、その姿はインターネットで全世界に流れていた。

彼女たちは「私たちは性労働者、労働者には働く権利がある」とし、「成人男女の私的な行為に法律が介入するのは違憲」と法廷で主張し、現在、憲法裁判所で審議が進められている。

女性家族部が07年に実施した実態調査によると、韓国の風俗産業の経済規模は約14兆952億ウォン(約1兆2377億円)と試算されている。風俗店で働く女性は約27万人。これは、この年の国家予算である239兆ウォン(約20兆9868億円)の約6%に相当する(前述の朝鮮日報)。

最近でも、これだけ性産業で働きたがる女性がいるのに、売春が公認されていた70年前、「強制連行」などという手荒な行為が必要であったかどうか、冷静に考えれば誰にでも分かる。慰安婦は、戦時の商業売春婦だったのではないか。

現在でも、中朝国境付近では脱北した北朝鮮女性数万人が、中国人業者に売春窟や貧しい農家に売られ、それこそ“性奴隷”に貶められている。だが、「中国の属国1000年・美女献上の恨」は聞いたことがない。

韓国がベトナム戦争に参戦した際、韓国人兵士と現地のベトナム人女性の間に生まれた子供「ライタイハン」は1万人とも3万人ともいわれる。「敵国の子供」として激しい差別を受けているが、韓国政府はほぼ棚上げしたまま。反日慰安婦プロパガンダより、こちらの問題解決の方がはるかに人道的ではないのか。

米国の隔月刊誌『サイコロジー・トゥデイ』の元編集長、サム・キーン氏は著書『敵の顔』で、「敵は自我の否定的側面から構成される」として、「自分の内には認めたくない性格のすべてを他人に押しつけることで、不安と罪悪感を縮小する」と述べている。

ともあれ、韓国は今後、米国以外にも慰安婦像を設置すると息巻いている。その前に、こんな説明文の碑を追加建立してはいかがだろうか?

「これは自国の退廃文化を他国の責任とした韓国政府と、古代から女性を売り続けてきた朝鮮半島の哀しい歴史を証明するものである」

■大高未貴(おおたか・みき) 1969年、東京都生まれ。フェリス女学院大学卒業。ダライ・ラマ14世や、PLOのアラファト議長などにインタビューし、95年にジャーナリストとしてデビュー。世界100カ国以上を訪問し、潜入ルポなどを発表。著書に「神々の戦争」(小学館)、「冒険女王 女一人シルクロード一万キロ」(幻冬舎)「日本被害史」(共著、
オークラNEXT新書)など。(夕刊フジ)
2013.08.23

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月23日

◆本土決戦を回避した昭和天皇の御聖断

加瀬 英明

 
暑い8月が巡ってくると、先の大戦で日本が敗れたことを思い出す。

私は国民(小)学校3年生だった。疎開先の長野県で8月15日を迎えた。母が泣きながら、「負けたのよ。頑張って、日本をもう一度、立派な国にしてね」といったので驚いたが、敗戦の意味を理解できなかった。

私は大学時代から売文によって、収入を得るようになった。敗戦後も、両親から日本が世界一の国であることを教えられたから、軍国少年の誇りを失うことなく育った。

私はあの戦争になぜ敗れたのか関心をもって、大戦中に政府、軍の中枢にあった人々をたずねて、回想してもらった。終戦時に大本営参謀だった稲葉正夫中佐が、「本土決戦を戦わなかったから、日本がこのように堕落した」と憤ったのを、忘れられない。

私は37歳だったが、昭和49(1974)年から翌年にかけて、『週刊新潮』に昭和20年元日から、マッカーサー解任までを取材したノンフィクションを、50週にわたって連載した。

終戦の御聖断が下った、8月9日深夜から未明にかけた、御前会議について書いた時には、目頭に涙がこみあげた。

深夜の御前会議では、東郷外相、阿南陸相、平沼枢密院議長、米内海相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長の順で、意見を開陳した。東郷、平沼、米内がポツダム宣言受諾を、3人の将官が焦土決戦を主張した。

鈴木老首相が意見が3対3に分かれたことから、「まことに畏れ多いことではございますが、ここで天皇陛下の思召しをおうかがいして、会議の結論といたしたく存じます」といった。御聖断が下ると、陛下をはじめ列席した全員が、とめどなく溢れる涙を拭った。

今年5月に、JR東海の葛西敬之会長が産経新聞に、「原爆が投下されてなお、阿南惟幾陸相は本土決戦に固執した。自らが敗戦の説明責任を負うのを避けるためだった。最後に無条件降伏を決定したのは昭和天皇の聖断であり、彼は自らの果たすべき説明責任を天皇に押し付けた」と、寄稿されていた。

私は日頃から葛西会長の高見に敬服しているが、もし、あの夜の廟議(びょうぎ)が3対3に割れずに、ポツダム宣言を受諾することが決まったとしたら、御聖断が下されることがなく、陸軍が反乱して本土決戦がたたかわれたにちがいない。今日の日本がなかったはずである。

あの夜の廟議が3対3となったことは、天祐だったとしかいえない。

マッカーサーが回想録に、「一つの国、一つの国民が終戦時の日本人ほど徹底的に屈服したことは、歴史上に前例をみない」と、驚愕している。

昭和20年8月までの日本には、「聖なるもの」があった。だからこそ、「一億総玉砕」を呼号していた軍も、鉾をおさめた。

中国が傍若無人に振る舞うようになったのに対して、国防力の強化が求められるようになっている。憲法改正の声が高まっている。

だが、今日の日本から、どこを探しても、「聖なるもの」がなくなってしまった。アメリカや、イギリスをはじめとする諸国には、アメリカの建国精神や、イギリス王室といったように、そのために国民が生命を捧げる「聖なるもの」がある。

日本はアメリカの占領政策によって、聖なるものをいっさい否定して、今日まで至っている。それで、国を守れるものだろうか。

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月22日

◆「はだしのゲン」はどんな本か

阿比留 瑠比


米国による原爆投下後の広島を生きる少年を描いた漫画「はだしのゲン」(中沢啓治著)が物議をかもしている。松江市教育委員会が市内の公立小中学校に、倉庫などにしまって図書館で自由に読めなくする「閉架」措置をとるよう指示したのがきっかけだ。

この作品の残虐表現について「発達段階の子供に適切かどうか疑問」と判断した市教委に対し、いくつかの新聞が社説で取り上げ批判する事態なっている。例えばこんな論調である。

 「閲覧制限はすぐ撤回を」(20日付朝日新聞)

 「戦争知る貴重な作品だ」(同日付毎日新聞)

 「彼に平和を教わった」(21日付東京新聞)

どれも「ゲン」を高く評価した上で、市教委の指示に関しては「子どもたちの(原爆に関心を持つ)そうした出会いを奪いかねない」(朝日)、「子供たちが考える機会を奪う」(毎日)、「子どもたちよ、もっとゲンに触れ、そして自分で感じてほしい」(東京)などと主張する。

だが、これらの社説は、実際の「ゲン」の作品世界とは遊離していないか。社説を書いた各紙の論説委員は、本当に「ゲン」を読んでいるのかと疑問に思う。

40年近く前、小学校の学級文庫に並ぶこの作品を読んだ筆者は、そこから「平和の尊さを学ぶ」(毎日)というより、人間社会の「悪意」と「憎しみ」ばかりを印象に刻んだ。グロテスクな表現と登場人物の自己中心的な言い分にうんざりした記憶はあっても、「中沢さんの思いに子どもたちが共感した」(朝日)とはにわかに信じがたい。

日教組好みのメッセージだったから、学校現場で普及を

3紙の社説は具体的に触れていないが、「ゲン」では何ら根拠も示さず旧日本軍の「蛮行」が「これでもか」というほど語られる。

「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出したり」「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり」…。

特に天皇に対しては、作者の思想の反映か異様なまでの憎悪が向けられる。

「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はこの日本にはいっぱい、いっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ」

東京社説によると「ゲン」は、韓国では全10巻3万セットを売り上げるベストセラーだという。さだめし、韓国の「反日」活動の論拠の一つとして利用されていることだろう。

朝日社説は「漫画を否定しがちだった先生たちが、限られた図書館予算の中から『ゲン』を積極的に受け入れたのも、作品のメッセージ力が強かったからこそだ」と持ち上げる。とはいえ、日教組好みのメッセージだったからこそ、学校現場で普及したのだから当たり前の話である。

憲法は表現の自由を保障しており、「ゲン」のような漫画があってもいい。だが、それと教育現場にふさわしいかはおのずと別問題だ。「閉架」措置うんぬん以前に、小中学校に常備すべき本だとはとても思えない。 
                       (政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】013.8.21 21:03

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月21日

◆中国で銀行の不良債権が急増

藤村 幸義


輸出停滞、設備過剰など要因

中国の銀行の不良債権が今年に入って急増している。輸出の停滞に加え、鋼材、船舶、太陽光発電などの設備過剰問題、さらには理財商品の発行に伴う資金回収難の問題も影響している。特に浙江省、江蘇省、山東省といった経済の発展した沿海地区での増加が目立っている。

中国銀行業監督管理委員会の発表によると、今年6月末の全国商業銀行の不良債権は6395億元(約8兆6158億円)で、年初比467億元の増加となっている。このまま増え続けると、年間では増加額が1000億元を超えてしまいそうだ。

省別にみると、以前から不良債権の多かった浙江省だけでなく、最近はこれまであまり問題視されていなかった江蘇省や山東省などにも拡大していく傾向がみられる。

浙江省の銀行業監督管理委員会の発表では、6月末の浙江省の不良債権は1,046億元だった。全国のトップである。江蘇省は未発表だが、昨年末現在で528億9000万元だったので、今年6月末では約700億元に達しているとみられる。もう一つの山東省は725億6600万元と発表。つまり3省を合計すると、約2471億元となり、全国の約45%を占めていることになる。

不良債権比率も上昇している。全国ではまだ0.96%にとどまっているが、この3省は飛び抜けて高い。例えば浙江省は1.65%で、全国平均を0.69%も上回っている。

山東省も1.58%と高い。山東省は貿易が盛んだが、ことし上半期は前年同期比で5.4%の伸びでしかない。輸出が輸入を下回り、ここ数年で初めての貿易赤字を記録している。

最近発表されたいくつかの銀行の決算をみても、軒並み不良債権が増えている。その一つ華夏銀行は、この半年間で7億2600万元増え、70億6500万元となった。この銀行は昨年末、理財商品の満期返済に必要な資金が足りなくなり、怒った購入者が銀行にプラカードを持って押し寄せ話題になった。この6月にも資金不足が再燃している。

6月半ばに発生した銀行間短期金利の急騰は一応、収まった。しかし理財商品の発行残高はむしろ増え続けており、銀行の資金不足がいつ再発するか、予断を許さない。

このほか宴会や公用車使用の自粛は消費の停滞を引き起こし、各産業分野での設備過剰の調整も、企業の経営悪化につながる可能性が強い。銀行の不良債権がさらに増えるのは避けられそうにない。(拓殖大学国際学部教授)(フジサンケイビジネスアイ 2013.8.21 11:04)

<「頂門の一針」から転載>