2013年08月21日

◆韓国司法が理不尽なら経団連の出番だ

泉 幸男

人間だれしもラクをしたい。

8月18日の産経1面に、新日鉄住金が 3,500万円のみかじめ料を払うつもりらしいとの記事が載った。

「みかじめ料」とは、わたしが端的に表現した用語だが。

戦時徴用された朝鮮人(=当時は日本人)4名が、韓国人として旧日本製鉄(=いまの新日鉄住金)を相手取り、個人補償を求めて韓国の裁判所に訴えた。

ソウル高裁の判決では新日鉄住金が負けた。

いま最高裁で争っているわけだが、最高裁でも負けたら新日鉄住金は賠償に応じる意向であることが分かったと、産経は書いている。

新日鉄住金なりの観測気球だろうか。
 

■請求権は相互に放棄したのだが■

日米戦争の敗戦で領土としての朝鮮を放棄させられた日本だが、日本国民が朝鮮に有した膨大な私有財産を即座に放棄する必要はなかった。

略奪や強姦(=ほんらい明確に賠償請求権あり!)に遭いながらも、いさぎよく半島を一斉に後にした日本人だが、法的には韓国に対して巨額の請求権が残っていた。

この巨額の請求権を、日本国民を代表して日本政府が放棄したのが、昭和40年の日韓請求権協定である。

請求権の放棄は、相互の取り決めだ。

日本統治下で戦時徴用を受けた韓国国民も同様に日本国と日本国民への請求権を放棄したわけで、個人補償を求めることはできない。

それを条件に日本は、昭和40年のおカネで無償3億ドル(=1,080億円)、有償2億ドルを供与し、日韓国交正常化が成った。

韓国の行政府は、さすがに今でもこの立場である。

ところが韓国の最高裁判所が平成24年5月に「韓国人は依然として日本に対して個人請求権を有する」という卓袱台(ちゃぶだい)返しをやってしまった。

司法の暴走である。


■出張者の身柄拘束? ■

三権分立とはいえ、大統領府が調整して正道に戻すべきところだ。

ところが大統領府は傍観を決め込んでしまった。ラクをしたいわけだ。

新日鉄住金が今後、韓国の最高裁で敗訴したとしても、韓国の裁判所が日本に来て新日鉄住金の財産を没収することはできない。

韓国の裁判所が手を出せるのは、新日鉄住金が韓国内にもっている資産だ。

新日鉄住金は韓国には駐在事務所を持っていないから、事務所の財産が差し押さえられることはない。

社員が韓国に出張したら身柄拘束になるのだろうか。身代金は約3,500万円という寸法か。

あるいは新日鉄住金が韓国の取引先に対して持っている売掛債権が狙われる。
韓国の会社に突然、韓国の司法当局が来て、「新日鉄住金に払う予定のカネは、我々に払え。韓国人4人への賠償金に充てるから」と宣告するわけである。


■ラクになりたくて出した「河野談話」だが■

そういう混乱が起きたら面倒だから、3,500万円くらいのハシタ金なら払ってしまおうという、至極合理的な思考が、冒頭の新日鉄住金のコメントだろう。

まさに、韓国司法部という組織暴力団を黙らせるためのみかじめ料ではないか。
これを支払うのは、重大なコンプライアンス違反だと思うが。

はっきり言って一部上場企業にとって、3,500万円などゴミみたいな小額である。
従業員ひとりを雇用するのにかかるコスト(給与+福利厚生+オフィス費用等々)に等しい。

おそらく新日鉄住金はこの訴訟対応だけで年にウン億円のコストがかかっているはずだ(弁護士費用や法務部社員のコストをはじめ、社内の数多くの部署の社員のコストを合算
するとそうなる)。

3,500万円払って、ラクになれるものならラクになりたい!

いまや悪名高い、平成5年の「河野談話」だって、そのときの官僚たちが
「この談話ひとつでラクになれるものなら、ラクになりたい!」と思って準備したのだ。

ところが、ラクになれると思ったら後々とんでもないことになったのが河野談話だ。

新日鉄住金の3,500万円だってそうだ。韓国や中国で怒濤のような理不尽訴訟のラッシュとなるだろう。いまや、だれでも想像がつく話だ。


■個人請求権を解禁するとどうなるか ■

新日鉄住金や三菱重工などが孤軍奮闘するのに任せるのではなく、業界団体の経団連が正道をつらぬく大方針を打ち出すべきだ。

訴訟のための外部費用(外部弁護士起用の費用など)は、日本政府が経団連を通じて企業に対して補助してもよいのではないか。

日本政府も、韓国人と日本の私企業の争いという整理で傍観者を決め込んでラクをしているところがないだろうか。

新日鉄住金も、かつて日本製鉄や八幡製鉄などの社員が朝鮮もっていた私有財産をリストアップしてみてはどうか。
 
昭和20年の帰国時に理不尽な仕打ちをうけた社員やその家族がいなかったかどうか。

韓国の最高裁が新日鉄住金に対する韓国人4人の個人請求権を認めるとすれば、理屈の上では新日鉄住金も自社の昔の社員らの個人請求権を盾にとって韓国側と争える道理だ。

そういう泥沼の闘いになりますよと、非常識な韓国人裁判官らを教育することも必要だ。

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月20日

◆日露は領土か、経済協力か

古澤 襄


日露関係は、北方領土交渉だけに絞って俯瞰しているのは誤りであろう。これまで日露交渉は、この誤りのまま一歩も進展していない。外務省からロシアン・スクールが去って久しい。

オバマ政権になって日米同盟に不確かな色合いが増し、一方で中国と韓国の反日姿勢は強まる一方である。これを安倍首相は積極的な東南アジア外交を展開して切り抜けようとしている。

その方向性は正しいが、そこに日露関係の改善も重要なテコとして加える外交戦略が必要ではないか。

オバマ政権の不確実性は、来年秋の中間選挙が近づくにつれて、ますます”内向き政治”になり国際的な指導力を失うであろう。レームダック化するオバマ政権に日本は過度な期待することは出来ない。

その視点に立てば、対ロシア外交は新たな観点から日本が独自なアプローチをすべきであろう。米ロ関係の悪化に付き合う必要はない。

<日ロ両政府による北方領土交渉再開の場となった19日の外務次官級協議。日本の経済協力取り付けを優先するロシアを相手に、日本としては、経済分野を含めて2国間関係を強化する中で、北方領土交渉の前進につなげたい考えだ。ただ、同日は双方の主張を述べるにとどまったもようで、今後の厳しい交渉を予感させた。

「旧知の友人という気がする」。杉山晋輔外務審議官は次官級協議の冒頭、北朝鮮核問題をめぐる6カ国協議でロシア側のカウンターパートだったモルグロフ外務次官に親しげに語り掛けた。

日本外務省関係者は協議に先立ち、「領土問題は、まずは腹の探り合いになるだろう」と指摘。同省幹部は終了後、記者団に「日ロ関係全体を発展させたいとの意欲は感じられた」と、ロシア側の姿勢を取りあえず評価したが、具体的な交渉内容は明かさなかった。

次官級協議は、安倍晋三首相とプーチン・ロシア大統領による4月の首脳会談で合意。今秋のラブロフ外相の来日前に開催することになっていた。
参院選に勝利し、長期政権を視野に入れる安倍首相としては、強いリーダーシップを保つプーチン大統領の2018年までの任期中に、領土問題で具体的な成果を得たい考え。しかし、領土問題で「最大の抵抗勢力」(日本外務省関係者)とされるロシア外務省が前向きになっているわけではないのが実態だ。

このため、日本政府内には、プーチン氏が明確な方向性を示さない限り、協議は入り口の段階から立ち往生しかねないとの見方が強い。そのプーチン氏は、平和条約締結後に歯舞群島、色丹島を引き渡すとした「日ソ共同宣言」よりも踏み込むつもりはないとされる。

日本政府は、択捉島、国後島を含む四島の帰属問題を決着させた後に平和条約を締結するのが基本方針。今回の次官級協議でも、極東開発などで日本の協力を期待するロシア側に対し、領土問題の前進とセットであることを強調し、歩み寄りを求めたとみられる。(時事)>
2013.08.20

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月19日

◆韓国司法が理不尽なら経団連の出番だ

泉 幸男


人間だれしもラクをしたい。

8月18日の産経1面に、新日鉄住金が 3,500万円のみかじめ料を払うつもりらしいとの記事が載った。

「みかじめ料」とは、わたしが端的に表現した用語だが。

戦時徴用された朝鮮人(=当時は日本人)4名が、韓国人として旧日本製鉄(=いまの新日鉄住金)を相手取り、個人補償を求めて韓国の裁判所に訴えた。

ソウル高裁の判決では新日鉄住金が負けた。

いま最高裁で争っているわけだが、最高裁でも負けたら新日鉄住金は賠償に応じる意向であることが分かったと、産経は書いている。

新日鉄住金なりの観測気球だろうか。
 

■請求権は相互に放棄したのだが■

日米戦争の敗戦で領土としての朝鮮を放棄させられた日本だが、日本国民が朝鮮に有した膨大な私有財産を即座に放棄する必要はなかった。

略奪や強姦(=ほんらい明確に賠償請求権あり!)に遭いながらも、いさぎよく半島を一斉に後にした日本人だが、法的には韓国に対して巨額の請求権が残っていた。

この巨額の請求権を、日本国民を代表して日本政府が放棄したのが、昭和40年の日韓請求権協定である。

請求権の放棄は、相互の取り決めだ。

日本統治下で戦時徴用を受けた韓国国民も同様に日本国と日本国民への請求権を放棄したわけで、個人補償を求めることはできない。

それを条件に日本は、昭和40年のおカネで無償3億ドル(=1,080億円)、有償2億ドルを供与し、日韓国交正常化が成った。

韓国の行政府は、さすがに今でもこの立場である。

ところが韓国の最高裁判所が平成24年5月に「韓国人は依然として日本に対して個人請求権を有する」という卓袱台(ちゃぶだい)返しをやってしまった。

 司法の暴走である。


■出張者の身柄拘束? ■

三権分立とはいえ、大統領府が調整して正道に戻すべきところだ。

ところが大統領府は傍観を決め込んでしまった。ラクをしたいわけだ。

新日鉄住金が今後、韓国の最高裁で敗訴したとしても、韓国の裁判所が日本に来て新日鉄住金の財産を没収することはできない。

韓国の裁判所が手を出せるのは、新日鉄住金が韓国内にもっている資産だ。

新日鉄住金は韓国には駐在事務所を持っていないから、事務所の財産が差し押さえられることはない。

社員が韓国に出張したら身柄拘束になるのだろうか。身代金は約3,500万円という寸法か。

あるいは新日鉄住金が韓国の取引先に対して持っている売掛債権が狙われる。
韓国の会社に突然、韓国の司法当局が来て、「新日鉄住金に払う予定のカネは、我々に払え。韓国人4人への賠償金に充てるから」と宣告するわけである。


■ラクになりたくて出した「河野談話」だが■

そういう混乱が起きたら面倒だから、3,500万円くらいのハシタ金なら払ってしまおうという、至極合理的な思考が、冒頭の新日鉄住金のコメントだろう。

まさに、韓国司法部という組織暴力団を黙らせるためのみかじめ料ではないか。
これを支払うのは、重大なコンプライアンス違反だと思うが。

はっきり言って一部上場企業にとって、3,500万円などゴミみたいな小額である。
従業員ひとりを雇用するのにかかるコスト(給与+福利厚生+オフィス費用等々)に等しい。

おそらく新日鉄住金はこの訴訟対応だけで年にウン億円のコストがかかっているはずだ(弁護士費用や法務部社員のコストをはじめ、社内の数多くの部署の社員のコストを合算
するとそうなる)。

3,500万円払って、ラクになれるものならラクになりたい!

いまや悪名高い、平成5年の「河野談話」だって、そのときの官僚たちが
「この談話ひとつでラクになれるものなら、ラクになりたい!」と思って準備したのだ。

ところが、ラクになれると思ったら後々とんでもないことになったのが河野談話だ。

新日鉄住金の3,500万円だってそうだ。韓国や中国で怒濤のような理不尽訴訟のラッシュとなるだろう。いまや、だれでも想像がつく話だ。


■個人請求権を解禁するとどうなるか ■


新日鉄住金や三菱重工などが孤軍奮闘するのに任せるのではなく、業界団体の経団連が正道をつらぬく大方針を打ち出すべきだ。

訴訟のための外部費用(外部弁護士起用の費用など)は、日本政府が経団連を通じて企業に対して補助してもよいのではないか。

日本政府も、韓国人と日本の私企業の争いという整理で傍観者を決め込んでラクをしているところがないだろうか。

新日鉄住金も、かつて日本製鉄や八幡製鉄などの社員が朝鮮もっていた私有財産をリストアップしてみてはどうか。
 
昭和20年の帰国時に理不尽な仕打ちをうけた社員やその家族がいなかったかどうか。

韓国の最高裁が新日鉄住金に対する韓国人4人の個人請求権を認めるとすれば、理屈の上では新日鉄住金も自社の昔の社員らの個人請求権を盾にとって韓国側と争える道理だ。

そういう泥沼の闘いになりますよと、非常識な韓国人裁判官らを教育することも必要だ。

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月18日

◆国家戦略あっての集団的自衛権

西村 眞悟


17日の産経新聞朝刊第一面には、「集団的自衛権は『地理』『国益』で歯止め」と見出しをつけた集団的自衛権の特集記事が出ている。

そして、「集団的自衛権をめぐる問題点を議論の焦点」として8つのケースの現状と論点の一覧表が掲げられている。

例えば、

現状・・・公海上で米艦が攻撃されても自衛艦はなにもできない・・・
論点・・・自衛艦が米艦を攻撃した敵国部隊に反撃する

と言う具合である。つまり、具体的な現場におけるシュミレーションが8つ列挙されているのだ。

そこで、現在の集団的自衛権行使議論の気になっていることを大まかに書いておきたい。

(1)集団的自衛権は国家戦略と不可分一体である。

まず、政治家は国家戦略に関心を集中させ、この国家戦略から観て集団的自衛権行使が国家の死活問題として当然のことであるとの明確な結論を提示すべきである。

政治が、この結論を明確に掲げたうえで、本日の産経誌のように現場の様々な事例をピックアップして図上演習するべきである。

また、この図上演習は、作戦領域の問題であり政治家や官僚(つまりシビリアン)の関与は必要ない。

そのために、議論を次の三つに分けることが必要だ。

A戦略段階・・・敵は何国か、味方は何国か、を決定すること。

B戦術段階・・・敵国と、何時、何処で戦うかを決定すること。

C戦闘段階・・・決定された戦術に基づいて具体的な戦場で如何にして敵を殲滅するかを決定し実行すること。

Aは、政治の専権事項である。
Bは、政治と軍事(参謀本部)の協働事項である。
Cは、軍事(軍人)の専権事項である。

17日の産経の特集の議論は、AとCがごっちゃになっている。

まず政治は、Aを決定し、よって、集団的自衛権行使は当然であると明確な結論をだす。

そのAの決定からBとCが導かれる。

このCに関して、軍事に素人の政治家や官僚が、ああせよこうせよと議論に参加すれば有害になる。

繰り返すが、政治家はまずAの段階で集団的自衛権行使を明確にせよ。どこかの防衛庁長官経験者のようにオタクっぽくC段階での細かい議論をする必要はない。

くれぐれも、「国家戦略なき戦後」の惰性のなかで、集団的自衛権の議論を矮小化させてはならない。

ついでに言うならば、我が国の政治に明確なA段階がないから、つまり同盟国は何処で敵国は何処かを明確に打ち出す政治がないから、沖縄の基地問題やオスプレイ配備が迷走するのだ。

(2)そもそも自衛権発動の段階は何時なのか

今、我が国で行われている集団的自衛権の議論も、まさか「専守防衛」を前提に行われているのではないだろうな、と念を押しておきたい。

「専守防衛」とは、自衛権発動を相手から具体的な攻撃を受けてからとするもので、何処の誰が考えたのか知らんが、先制攻撃を禁じる我が国の奇妙な必敗の防衛思想である。

よって、我が国の「有事法制」は、我が国内が戦場になったことを前提で議論されている。曰く、有事には戦車は赤信号で停止する必要はない、等々。

しかし考えられよ。我が国内が戦場になれば、我が国の「防衛」は不可能なのだ。既に負けているからだ。

昭和二十年八月十五日、何故我が国が屈服したかを振り返れば分かる。

よって、集団的自衛権を議論する前に、そもそも我が国の防衛ラインは何処か、自衛権発動時点は何時か、の大方針を明確にすべきだ。
 
海洋国家である我が国の防衛ラインは、大陸側敵基地である。そこで、ミサイル発射準備が具体的に動き出せば、自衛権発動状況にはいる。

(3)自衛権に地理的制約はあるのか

大陸間弾道弾が出現している。それはもはや「通常兵器」である。

しかるに産経新聞によれば、安保法制懇談会の座長(元外交官)は、「地球の裏側まで行って関係ない国を助けるわけではない」と発言し、「地理」と「国益」で集団的自衛権行使に制約を加えることを示唆していると
いう。

しかし、地球は丸いのだ。裏も表もない。確かに「関係のない国」を助ける必要はない。しかし、国家の存立という国益の為なら、地理的な理由で自衛権行使に制限を加えてはならない。

地球内でも宇宙空間でも、国家の存立の為に自衛権を行使しなければならない。遠いところだから、行きません、国家が滅びても仕方がありません、というような馬鹿馬鹿しい議論をしてはならない。

なるほど、外務省などは、集団的自衛権の定義を、次のように、何か関係のないところにちょっかいを出すような権利であるかのように説明していた。

「他の国が攻撃されている場合に、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず攻撃する権利」しかし、この定義は、集団的自衛権の行使不可の結論のための定義である。

集団的自衛権は、「他国に対する攻撃が、自国に対する攻撃と認めえる場合に自衛権を行使する権利」である。

以上、集団的自衛権行使に関して、何か「専門家」によって、議論が矮小化しているように思えたのであえて記した次第。
2013.08.18

<「頂門の一針」から転載>

◆韓国は法治国家なのか

時吉 達也


韓国人の戦時徴用をめぐる訴訟で、新日鉄住金(旧日本製鉄)が敗訴判決確定の際には賠償に応じる意向であることが17日、明らかになった。「判決には全く納得していないが、一民間企業としてできることには限界がある」。

同社幹部の言葉には、国家間で締結された協定が“反故(ほご)”にされる異例の事態に巻き込まれた企業の苦悩がにじむ。日韓対立の新たな火種になるのは避けられない情勢だが、政府側から積極的な対応策は示されていない。

「本当に法治国家なのか…」。新日鉄住金の法務担当者は、ソウル高裁が7月10日に言い渡した判決文を手に、そうつぶやいた。

判決は日韓請求権協定について、「韓国政府が日本国内での個人請求権を外交的に保護する手段を失ったとしても、韓国内での請求権は消滅していない」とする理論を展開。

日本での確定判決の効力や時効成立といった法律に基づく主張に対しては、「侵略戦争の正当性を否認するのが文明国家の共通価値」「憲法が守護しようとする核心的価値に真っ向から反する」などと「道徳的社会秩序」の観点を強調して退けた。

さらに判決には、「徴用などで人権を侵害した軍需産業の賠償さえ免責する日本の法律や規則は、戦争の反省に基づく日本国憲法の価値にも合わない」と、日本の司法に“介入”する文言もあった。

法務担当者は「韓国は日本に近い司法制度を備え、少なくとも経済的なパートナーとしては十分な信頼を寄せていたのだが…。補償問題だけにとどまらず、今後ビジネスができるのかも分からなくなる」と不信感をあらわにする。

韓国で「復活」した個人補償の請求権。韓国の訴訟支援団体の一つである「太平洋戦争被害者補償推進協議会」によると、昨年6月の段階で旧日本製鉄の「強制動員」が確認された元労働者は名簿上3900人に上り、約180人以上に対し、提訴の意思確認を進めているという。

韓国政府の「強制動員被害調査委員会」に被害認定を求めた元労働者は15万人を超えるほか、慰安婦としての申し立ても300人を突破。徴用問題以外でも訴訟が広がる可能性がある。

今回の判例を基に、多くの訴訟で原告側勝訴の判決が言い渡されるとみられ、日本企業は賠償の諾否を迫られることになる。

支払いに応じれば日本国内で反発が広がることが予想される。支払いを拒否した場合には韓国内の保有株式・債権や売掛金などの差し押さえを受ける可能性が高まる。関係者からは「日本の商社などを含め多くの取引先に迷惑をかけることになれば、賠償額の多寡に関わらず影響は計り知れない」との声が漏れる。

「国内批判」と「国際的な信用喪失」の二者択一を民間企業に迫る事態だが、日本政府は「賠償問題は解決済み」との立場を堅持するだけで、静観の構えを崩していない。

産経ニュース 2013.8.18

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月17日

◆靖国参拝で外部の圧力に屈するな

古森 義久


終戦記念日の15日は祖国のために戦って亡くなった戦没者の霊を悼む好機です。安倍政権ではすでに古屋拉致問題担当大臣、新藤総務大臣が参拝したそうです。適切な行動だと思います。

安倍政権ではもっともっと多くの閣僚たちが参拝してほしいところです。古屋大臣は15日、 「戦没者をどのように祀るかは純粋に国内のことであり、他国から批判や干渉を受けるものではない」と語った,そうです。

いわゆる靖国問題の本質と日本としての対応のあり方はこの古屋氏の一言に尽きています。

アメリカでもまったく同じことを述べていた識者がいたので、その見解を以下の記事で紹介します。そもそも自国の戦没者をどう追悼するかは、まったくのその国の内部の問題、国民たちの心や魂の問題です。

世界中のどこに、他国から自国の戦没者の追悼の方法をあれこれ命じられて、自分たちの本来の慣行を止めてしまうという国があるでしょうか。

いまの日本だけが世界でただ一国、そのおかしな国になっているのです。

靖国参拝は日本の外交政策でも安保政策でも対中政策でもありません。日本人の心の内部だけの問題です。その心の領域になにもわかりもしない外国の民間人どころが政府当局が踏み込んでくるのです。

もういいかげんにしましょう。

日本国民はホームレスでも総理大臣でもまず日本国内のどのような神社仏閣に、どんな日時でも、まったく自由にお参りをする人間としての権利を持っています。その個人の尊厳にからむ自由を外国の政府が奪っているのがいまの靖国問題です。

もちろん日本国内にその日本人の自然に湧き出る戦没者への追悼を拘束しようとする勢力がいることも大きいです。

いわゆる靖国問題に関して、中国の命令に従えば、その問題は解決されるのですか。首相が参拝しなければ、よい。A級戦犯の霊がいなければよい。そうなのでしょうか。今回は首相は参拝していませんね。しかし中国はまだ文句をぶつけてきます。

要するに中国の要求というのは果てしないのです。日本が日本であることを止めるまではその種の要求は続くのです。もう目を覚ましましょう。

<<中国の「靖国」固執 日本の再編成目論む>>

 ■米中経済安保調査委員会 ラリー・ウォーツェル委員長

【ワシントン=古森義久】米国議会の超党派政策諮問機関「米中経済安保調査委員会」の ラリー・ウォーツェル委員長は十日、産経新聞のインタビューで米国からみた日中関係の靖国問題などについて語り、中国は靖国問題を使って日本の国内政治を変えよう としており、日本側は中国による小泉純一郎首相の靖国参拝中止への圧力に、屈するべきではないという見解を明らかにした。

米国議会で米 中経済関係が米国の国家安全保障にどう影響するかを研究する常設諮問機関の同委員会で、今年二月から委員長を務める中国の安保・軍事専門家のウォーツェル 氏は中国の靖国問題への対応について「他国の神社参拝を自国の外交関係の中心部分にする国は全世界でも他に例がない」と評し、その特殊性を指摘した。

ウォーツェル氏 は日中関係の現状での靖国問題の意味については「靖国問題は日本の内部問題、内政問題であり、中国が日本の内政を非難の主要対象とし、靖国を通じて日本の 内政を変えようとしている限り、日中関係の改善は望めない」と論評した。

同氏は中国が靖国参拝に激しく反対する理由については「靖国を 戦前戦中の日本の行動の土台として特徴づけ、中国国民に対し靖国神社自体を邪教のように誇大化して神話化するとともに、靖国への攻撃と否定を中国側のナ ショナリズムや主権感覚の正当化の基礎に利用してきた」と述べ、「中国当局はそうした靖国非難の利用に依存するようになり、引き返
しが難しい状況を自らつ くってしまったといえる」と説明した。

ウォーツェル氏は、中国が小泉首相の後継者にまで靖国参拝に関して条件をつけていることについて「中国は小泉首相以後の日本の政治を靖国問題を通じて自国に都合よいように再編成しようとしているが、それが難しいことをやがて認めざるをえないだろう」と述べた。

日本側の対応について同氏は「私が小泉首相ならば靖国参拝に関しては中国の反対を無視し、参拝はやめず、日本国内の賛否を優先材料として判断する。その一 方、これまで通り参拝は戦争賛美を意味せず、靖国には太平洋戦争以外の戦争の死者も祭られており、日本の戦死者全般に弔意を表しているのだ、という立場の 説明を続けるだろう」と語り、小泉首相は中国の圧力に屈するべきではないという意見を強調した。

ウォーツェル氏は中国側の日中首脳会談拒否という態度に対しては「日本側は中国へのODA(政府開発援助)などすべての経済援助を即時、打ち切るぐらいの強い対応で抗議を表明すべきだ」と述べた。

「日本は靖国問題のためにアジアで孤立している」という日本の一部などでの主張に対して同氏は「日本はまったく孤立などしておらず、その種の主張は明確に 事実に反する。日本と中国、韓国との経済や人的な交流は大幅に拡大しており、日本はアジアでもタイ、インドネシア、モンゴル、台湾、インド、フィリピンな ど多数の諸国、諸地域ときずなを緊密にしている」と反論した。

同氏は日中関係の摩擦については「中国が依然、大軍拡を続け、対外的に強気な態度をとることが日中関係を緊迫させ、悪化させている」と語り、日中関係は靖国以外の実質的な要因で悪化しているとの見解を明らかにした。

クリントン政権の高官だったジョセフ・ナイ氏らが靖国問題では日本を非難している点についてウォーツェル氏は「民主党のクリントン政権にいた要人の対アジ ア政策と、共和党現ブッシュ政権の対アジア政策とのギャップだともいえる。クリントン的政策はとにかく中国を偏重し、その独裁や軍拡にもかかわらず、米側 の外交政策の中心に中国をおこうとする。私は中国は重要で無視はできないが、米国の対アジア政策の中心ではないと思っている」と述べた。

【プロフィル】ラリー・ウォーツェル

1970年代から米陸軍でアジアの軍事分析にあたり、国防総省勤務から陸軍大学教官、ハワイ大学で博士号取得、80年代後半から計2回7年間にわたり北京 の米国大使館駐在武官、2000年からヘリテージ財団のアジア部長、副所長を歴任、翌年から米中経済安保調査委員会の委員となり、その後に現職。
2013.08.16

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月16日

◆何故第2次世界大戦で負けたのか

池田 元彦


今年も69回目の暑い1日が来た。何故、日本は大東亜戦争に引き摺り込まれたか。狂気のルーズベルトのアメリカ日本殲滅意識も大きな要因だった。やる意思もない戦争に巻き込まれたのだ。しかし、それだけではない。歴史的、地理的、思想的な要因もあった。

米国の最後のフロンティアは支那大陸だが、間に立ちはだかる日本が、本能的に邪魔だった。日米戦争は歴史的必然だった。ソ連は、世界同時共産主義革命を画策し、欧米を最初の標的とするが悉く失敗し、先ずは蒙古、支那を共産化し、日露戦争の恨みを込めて、満洲・朝鮮から日本を駆逐し、孫文等を誑かし、共産支那大陸の実現を図った。

後発で勃興した日本の人種的異端、規律ある精悍な軍隊、欧州各国の収奪目的の植民地経営とは異なる、現地教育レベルの向上、衛生・インフラ整備、工業化を促す台湾、朝鮮・満洲経営に、欧米は感嘆しつつも、日本は強奪仲間でないと認識し、警戒心で接した。

事実、日本は、日清、日露戦争を戦闘現場では完勝し、第1次世界大戦では、ドイツ領南洋諸島を割譲され、欧米対等の戦力要求し、更に「人種差別撤廃」を主張した。ウイルソン米大統領は、過半数に拘わらず、突然全会一致でないからと、否決した。

欧州第2次大戦は、英仏が共産ソ連の牽制と排撃にヒットラーを手駒として軍備を許し、融和的対応をしたため、結果的にドイツを嗾け勃発した。

ソ連はドイツと野合と抗争を繰り返しつつ、8月9日未だ有効だった日ソ中立条約を一方的に破棄し、満洲に侵攻した。

英米仏は、世界共産革命を阻止するため、ドイツのソ連攻撃を支援すべきところ、FDRの容共・ソ連大好きで、ソ連に莫大な資金と武器を与え、支那、北朝鮮、ベトナム等を共産国にした。悪の枢軸国と、民主主義連合国の戦いとは、良くもこれだけ嘘がつける。
 
結局、FDRに嵌められ日米戦争となるが、ソ連の画策とそれを支援する米英により、不必要な支那との泥沼戦争に引き摺り込まれてしまう。上海では同盟国のはずのドイツ軍や、ジーメンスによる武器供与、訓練で、日本は、人員の大損害を受け、苦戦した。

南京オープンシティ化の日本軍勧告を拒絶し蒋介石は重慶へ逃げ、徹底抗戦を主張した総司令官唐生智も結局逃げた。指揮官が居ない支那軍は、混乱と督戦隊による同士討ちや、済南事件同様の略奪・強姦を繰返し、軍服を脱ぎ捨て安全区に逃げ込んだ。戦中の数百回の記者会見でも、戦後のインタビューでも蒋介石は南京事件に言及していない。

結論を言えば、日本軍は対米はおろか、対支那の戦争意図も戦略もなく、大陸、太平洋2方面の広大な戦域で戦い、ソ連に裏切られ北方領土を侵攻・占領された。壮大な理想、八紘一宇、大東亜共栄圏は儚く消え、日本は戦争でなく、欧米、ソ連の両謀略に負けた。

盗人猛々しい英米仏は戦後、性懲りもなく収奪のため旧植民地へ再びやって来た。が、日本の戦いに共感した彼らは、盗人を追い出し順次独立を果たした。日本は、勝ったのだ。

経済的に復興した日本は、精神的に堕落させられた。米国の権利を主張する教育、自虐史観を叩きこむ日教組の教育が織りなす、郷土愛のない、歴史を顧みない、浅薄な経済至上主義に仕立て上げられた。戦後レジームから脱出する時は、今をおいて他にない。

<「頂門の一針」から転載>

◆我が国は軽佻浮薄化したのか

前田 正晶


遺憾ながら高齢化が進むつれて、この世には「イヤだな。軽すぎるな」と思うことがドンドン増えてきた。言ってみれば、些末な出来事だが、それらを採り上げて少し溜飲を下げてみようかと思う。

*チョキを出す:
どうやらこれを「ピース・サイン」とか「V(ブイ)サイン」と言うらしい。下品で気に入らない。と言うのも、若者というか、テレビなどに出てくる連中は何かと言えばチョキを出すし、一般人も写真を撮る場合などに「これを出せ」と何処かの誰かに刷り込まれているらしい。

他人(ひと)がやるから自分もやるという軽さがイヤだ。「ブイサイン」だが、学校でろくな英語と言うべきか、アルファベットを教えないからこういうことになるのだが、あれは「ブイ」ではなく「ヴィー」である。その流れの中にあるのが「拳骨で撲る」で、本来は「拳骨」というべきを「グーで撲る」など言うのもイヤらしい。

*ら抜き言葉:
これが国語教育の堕落だ等言いたい気もするが、そんな大それたことまで考えていない。イヤなことであり笑ってしまうのが、テレビに出てくる十分な学校教育を経てこなかったタレントどころか、彼らが言う一般の人までも「ら抜き言葉」しか話せない時代に入ってしまった。情けない。

そこに輪をかけるのがテレビのスーパーインポーズとやらで、必ずら抜き言葉でないように修正が施されている。そんな配慮をするくらいならば、安物のタレントどもに国語の試験でもしてから出せばどうか。

*中折れ帽もどき:
軽佻浮薄なタレントどもやアーティストと誤認されている歌手もどきの間の流行である。昔は大人が被っていた中折れ帽と同じ格好をした安物の帽子を額を丸出しにして被って登場するのを見せられると、胸が悪くなる思いだ。

あの格好は何とか言う即席で謎がけを解いてみせる漫才コンビがしたのを見たのが最初だったと思う。今や一般人までに大流行である。一般の若者が軽佻浮薄なタレントの真似をする流行が情けない。

*野球のカタカナ語:
8日からだったか高校球児の憧れ、甲子園の野球が始まった。ここで何も甲子園野球の中継だけを槍玉に挙げるのは不公平、イヤ、民主的ではないかも知れない。だが、くさしておこう。

野球のカタカナ語はその99%が造語であって、英語の通りなのは「ストライク」と「ボール」、「アウト」と「セーフ」くらいだと敢えて言っておく。兎に角「ピッチャーが良いストレートを投げ」て、それが「アウトコース」に決まるか、時には「デッドボール」にもなってしまう。

そして次には4番打者が「ネクストバッターズサークル」に控えていたりするのだ。「見事なバックホーム」で得点を許さなかった場面があった。

多くの方がそれが「日本語となって通用しているのだから、目くじら立てることはないじゃないか」と言われるが、当にその通りであり、放っておいても良いこと。だが、NHKのご用解説者は兎も角、アナウンサーさんたちはあのカタカナ語に対する英語がどうなっているかくらいを心得ているのかなと問い掛けたくなる。「ランニングホームラン」や「ランニングスロー」が文法的に奇怪であると考えても良いのじゃないかな。

*サザンオールスターズとAKB48とジャニーズ:
私はこの程度の連中をCMに使いたがる広告宣伝会社も兎も角、スポンサー様方が如何に消費者を見下しているのかと思う時、とても情けなくなってしまう。しかも、多くのミーちゃんとハーちゃんは彼らを崇め奉って、コンサートなり何なりに殺到する。その昔「蓼食う虫も好き好き」という格調高き諺があったが、これらの何処をお好きでも、私が介入することではない。だが、良い趣味だとは思えないのが残念だ。

だが、何としても気に入らないのは「あの程度の芸人(の域に達しているのは桑田佳祐一味だけだろうが)を出しておけば、視聴者が喜んでCMを見るもの」と決めつけているかの如きスポンサー様も、国民の民度が低いと思い込んでいるかの如きで情けないのだ。

こんなことだがから、アメリカでどんな階層の者たちの中で流行っているかを知らないようで、学校教育の科目の中にダンスを取り入れたりする官庁があるのだ。何時になったらマカーサー時代の愚民教育から脱却できるのか。だが、遺憾ながらすでに彼が目指した愚民を十分に育て上げてしまった間が否定できないのが情けない。
<「頂門の一針」から転載>

2013年08月15日

◆「日中間の信頼関係」は可能か

西村 眞悟


昭和53年8月12日、北京で日中平和友好条約が締結された。本条約の骨子は、主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉である。
 
時の総理大臣の福田赳夫さんは、本条約締結の3日後の8月15日に、靖国神社に参拝する。

同年10月、実質上の中国首脳である?小平が批准書交換の為に初来日し、新日鐵の工場や新幹線等の日本が世界的に誇る工業技術部門を中心に日本各地を見て回る。

日本との条約を締結した彼の目的は、この日本の技術と富を中国に流し込むことにあった。?小平の目的にかなって、日本は巨大な対中援助を日中友好のかけ声に煽られるように続行する。
 
福田首相が、8月15 日に靖国神社に参拝したことに関して来日した?小平は何も「文句」を言っていない。もちろん、?小平以前の毛沢東や周恩来も、我が国首相の靖国神社参拝に関して、何も「文句」を言っていない。

そこで、福田赳夫総理の靖国参拝を、現在の状況に置き換えて図上演習をすればどうなっているか。

まず、中国は、朝から晩まで日本を非難し、官民の日中交流を切断し、団体の日本旅行は全てキャンセルされ、国内では「反日デモ」を煽る。つまり2年前の反日の嵐が再演出される。もちろん、?小平の来日は中止となる。

では、昭和53 年と現在と、どっちが正常で、どっちが異常なのか。また、どっちが日中平和友好条約に従っているのか。

正常で条約の趣旨にかなっているのは昭和53年である。これに反して現在、中国は、ことごとく条約の趣旨を破っている。即ち、主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉を中国は破っている。従って、現在の事態に関する非は全て中国にある。

一体、この中国とは如何なる相手なのか。20世紀初頭の西洋人が次のことを言った。そういう相手である。
 
「ロシア人は、条約は破るために締結するものだと思っている。中国人は、そもそも条約は守るものだとは思っていない。」
 
では何故、昭和53年当時、?小平をはじめとする中国人は条約を守っていたのか。

それは、当時は、日本から富と技術をもらうことが主目的であり、現在は、日本を屈服させることが主目的であるからだ。つまり、?小平の目的は、まんまと達成された。これからは、日本をウイグルやチベットや朝鮮と同様の属国扱いする時期だ、というわけだ。
 
つまり、中国人が日中間の条約は守るべきだから守ろうとしたことは一度もない。その時々の目的に応じて条約を使ったり無視したりしているだけだ。

この中国人から見れば、幕末の不平等条約の改定を、日清日露戦役を経た50年間の努力の果てに成し遂げた日本という国家は、理解し難いであろう。支那と日本の間には、太平洋より広い「文明の違い」がある。

以上のことを前提にして、8月になれば予想通りにマスコミに流される「もっともらしい解説」を点検してみたい。

昨日(11日)の夕方のNHKの「解説」の趣旨は、「主要閣僚が、8月15 日に靖国神社に参拝すれば、中国の強い反発は必至で、日中の正常化はさらに遠のく」というものであった。

このNHKのコメントに代表されるように、総理大臣はもちろん、閣僚も靖国神社参拝を「強行」してはならない、という空気が8月のマスコミと政界を支配するに至る。その理由は、「日中の正常化」が遠のくからである。

NHKは、この日中の正常化とは日中の信頼関係のことであり、現在、政府間は安倍内閣になってからさらにぎくしゃくしているが、日中の民間交流は続けられているとして、中国で日本のアニメの歌を歌う集会を放映していた。

その趣旨は、民間で進められているこのような日中交流は貴重であり、靖国参拝でその芽を摘んでしまってはならないというものである。 民間交流がどんどん進めば、日中の信頼関係がもっと緊密になり、真の日中友好の扉が開いてゆく。従って、この信頼関係を損ねるような、「相手の嫌がることをしない」ことが日本に求められるという訳だ。

このNHK解説に対して、次の二点で強い違和感を感じた。

まず、中国という相手を普通の民主主義国家と同じだとしていること。そして、中国が「反発」するようなこと、嫌がることをしなければ、日中友好につながるとしていること。
 
このNHKの解説の二つの柱は、共に「幻想」だ。
 
まず第一に、中国は「共産党独裁国家」であり普通の民主主義国家ではない。?小平と江沢民・胡錦涛・習近平の対日姿勢の違いは、日本が「嫌がるようなこと」をしたからではなく、対日戦略を中国共産党の彼らが勝手に変えたからである。
 
そもそも、歴史の教訓を忘れてはならない。歴史は、中国共産党の言うとおりにすれば、友好関係が築かれるという相手ではないことを示している。

また、彼らは反撃をしなければ攻撃を止める相手ではなく、反撃をしなければますます攻撃を強める相手なのだ。

ここに幣原協調外交の痛恨の失敗があった。幣原外交は、南京に雪崩れ込んで略奪を始めた北伐軍に「無抵抗」を貫いたため、以後かえって日本が攻撃のターゲットとなった。

つまり、彼らは「嫌がることをしない相手」、つまり従順になった相手に対してそれを攻勢のチャンスと見てますます攻撃を強化する。
 
この中国共産党は、「政権は銃口から生まれる」という方針に従って内乱に勝利し、支那の権力を得て皇帝となった。

その為に、満州で共産パルチザンを組織化して日本人殺戮と満鉄攻撃を繰り返し、北京郊外の廬溝橋で演習中の日本軍に銃弾を撃ち込んで戦闘を開始させ、その戦闘を収拾させずに拡大させるために、さらに通州で数百人の日本人をまことにむごたらしく想像を絶する残虐さで殺戮した。
 
そして20世紀後半にはいっても、彼らは徹頭徹尾、力の信奉者であり続けている。人民が飢え死にしても原子爆弾の開発を続けた。

軍備と産業の強化のための資金を日本から引くときには、日中友好を演出した。ついに巨大な軍備と富を獲得すれば、武力による威嚇を繰り返し近隣諸国に従属を強いるようになった。我が国首相の靖国神社参拝に関する内政干渉も、この「従属を強いるため」である。

では、どうすればいい相手なのか。簡単であり単純である。東アジアの政治的、軍事的バランスを保つことを国是としながら、我が国は我が国の文明的方針を貫くことである。
 
即ち、総理大臣が靖国神社に参拝することなのだ。

なるほど中国共産党は、せっかくNHKが「反発」するすると解説してくれているのだから「反発」するであろう。「反発」してくれたほうが、正常でいいのだ。反発せずほくそ笑まれたら、彼に屈服した証しである。
 
我が国が、共産党独裁国家に屈服して未来はあろうか!

西郷さんも言っている。「正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かるべからず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に従順する時は、 軽侮を招き、好親かえって破れ、ついに彼の制を受るに至らん」

最後に、戦前に大陸で広大な農場を経営していて支那人の日本人と違う性(サガ)をよく知っていた故加藤三之輔翁から聞いた体験談を次に書いておく。体験談を聞かずしてNHKの解説にだけ左右されることなかれだ。

(1)敗戦後、日本人の資産は全て没収された。自分は正直に全ての資産を申告したが、疑われて旅順刑務所,上海刑務所に長年投獄された。

一方、資産を隠して誤魔化した日本人は直ぐ日本に帰ることができた。何故だと思う。

中国人は、私のように正直にさっぱりと莫大な全資産を申告した者は、他にまだまだ多くの資産を隠しているはずだと判断してそれを見つけ出すまで拘束する。ところが、資産を誤魔化して申告した者は、誤魔化した資産が見つかった以上、これで全てだと判断して日本に帰す。

(2)私が上海刑務所に移されてから、妻が3度面会に来た。「誰の世話で面会に来た」と妻に聞くと、「中国人の誰々の世話だ」と言った」。

それを聞いて私は、直ちに日本に帰れと妻に言った。何故なら、妻がその中国人に売られると思ったからだ。私はその中国人に3度恩義を与えていた。従って、彼はその恩義を三度妻が私と面会できるようにしたことで私に返した。

そして恩義を返した彼がすることは、私の妻を売って金にすることだ。だから、直ちに日本に帰れと妻に言ったのだ。

(3)支那に初めて渡ったとき、橋から苦力(クーリー)が川に落ちて溺れながら流されていた。子どもが喜んで石を拾って溺れて流される苦力に投げていた。大人は誰もその子どもに注意しなかった。

しばらくすると、ある大きな家で悪霊を払うお祓いをするから見に行こうと誘われた。どういうお祓いだと聞くと、生まれたての赤子を生きたまま犬に食わせるお祓いだという。とんでもないところだと思った。
                       2013.08.15

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月14日

◆「占領の軛」完全に脱するときだ

中山 恭子


≪新たな日本のかたちの礎築け≫

敗戦から68年経(た)つ今夏、日本が戦後の占領の軛(くびき)から未(いま)だ脱していない現実に向き合うとき、占領下で押し付けられた制度や考え方を再点検するとともに戦後の日本の歩みを検証し、日本を再構築しなければならないとの強い思いに駆られる。

まずは現行憲法施行から70年を迎える2017年迄には日本の国柄、日本の心、日本の魂の籠った憲法を日本人の手で作り上げ、次の世代のため新たな日本のかたちの礎を築いておきたい。

併せてインフラ整備も喫緊の課題だ。戦後、先輩たちが懸命につくった上下水道、トンネル、橋などの殆どが老朽化してきている。共同溝敷設の全国展開など必要な公共事業を推進し、次世代が安全で、快適な生活を享受できる国土をつくっておかねばならない。

統治機構も再考の時期にある。地方が十分力を付けてきた現在、県単位で、それぞれの特長を生かした自由な発想で地域づくりをすることが望まれる。

農業政策も社会福祉も全国一律ではなく、県ごとに特色を出せば、その県の大きな魅力となり得よう。この場合、道州制は無用であり、県に対し、大幅な権限と予算を委譲することを検討すべきだと考えている。

戦後の占領下で採られた措置の中で11宮家の皇籍離脱、外国人の土地取得に関する勅令の廃止、国際情報機関の廃止などについても至急見直さなければならない。

「家族」の価値の再認識も求められている。現行憲法の第24条は「婚姻は、両性の合意のみに基(もとづ)いて成立し」と定める。憲法制定当時、連合国軍総司令部(GHQ)案に「家族ハ人類社会ノ基底ニシテ」との一文があったが、「わざわざ憲法に書くまでのこともなかろう」と削除されたという。

1946年6月に招集された帝国議会で、「家族の尊重」をめぐって議論され、貴族院の特別委員会で、「家族生活はこれを尊重する」との規定を加える修正案が提出されたが、否決された。親子ないし家族生活全体に関わる規定が欠けていることの、後世への影響は当時から懸念されていたのである。

 ≪今一度思い起こせ家族力を≫

54年に、自由党憲法調査会長だった後の岸信介首相が家族制度の復活を唱え、79年、当時の大平正芳首相は施政方針演説で「文化の重視、人間性の回復、家庭基盤の充実」などを提唱している。家庭の価値が社会の中で失われていることを懸念したものであろう。

だが残念なことに、個人主義が普遍的で素晴らしいものであるかのごとき思想が日本国内に蔓延して、家族の大切さを主張することは古臭いことと考えられてしまった。24条は、目には見えないものの日本社会に大きなマイナスの影響を与えていると考えている。

無機質の個を基底に置く社会、個人主義の徹底した社会は非常に孤独なものである。家庭は人間にとって生命を繋(つな)ぐ基本単位であると同時に、日本では伝統、文化、道徳、倫理の基盤であった。

祖先を祀り、血統を尊び、子孫に伝える日本の国柄を作り上げてきた根幹である家族の温かさを今一度、皆で思い起こさねばならない。

行き過ぎた核家族化を是正することも必要である。家庭の力とは若い親だけで担保できるものではない。世代間の助けがあってこそ人間関係も学び、複雑さに耐えることも学ぶだろう。少子高齢化社会に対応するためにも、税制、住宅政策などを通じて、3世代家族を基礎とする社会が望まれる。

 ≪子は家庭が育て社会の宝に≫

教育に関しても、家庭、学校、地域社会の三本柱で子供たちを温かく厳しく規律正しく育ててきたわが国の伝統は、「子育ての社会化」という名の下に崩れかけている。

「社会が子供を育てる」という思想は、ソ連のコミンテルンの影響が大きいと考えている。個々の能力を大切に磨くのではなく、コルホーズや国営工場で働く労働者として、画一的で規格品のような子供が提供されればよいとの考え方である。

「聖職者」として無条件に尊敬の対象だった先生は、コミンテルンの指示を受けた日教組の活動により、賃金労働者となり、小学校の教室では教壇が取り払われ、先生は友達となった。

「子供は社会が育てる」というものではない。家庭が豊かな心をもって、子供の個性を存分に生かして育てるものである。だからこそ、社会の宝となり得るのだ。家庭の力を取り戻し、先生を尊敬し学校を神聖な場として、地域の目が子供たちに注がれる日本本来の社会を再構築せねばならない。

自国の国民の生命財産、国土を守る自立した国家として、また平和を維持し、国際社会から信頼され、国際社会にも貢献できる国家として、日本が存立するために、今、われわれは非常に重要な時を生きている。たった一度の敗戦にいつまでも引きずられていてはいけない。

自信をもって、本来の日本の文化、風土に根差した法や制度を打ち立てよう。わが国の文化の底力が発揮されるときだ。

(なかやま きょうこ)参議院議員・産経 【正論】2013.8.13

<「頂門の一針」から転載>



2013年08月13日

◆行き詰まるオバマ政権と日本の役割

櫻井 よしこ


オバマ大統領の凋落が著しい。

世界最強国である米国で政権の求心力低下が急速に進みつつある。台頭した中国の前でオバマ政権が顕著に力を落とし続けることは、アジア・太平洋地域のみならず全世界に大きな影響を与える。日本も、その他すべての国々もオバマ政権凋落の影響を測ったうえで、賢く行動しなければならない局面である。

オバマ大統領がどれほど政治的に力を失っているか、結果としてどれほど身動き出来ない状況に陥っているかを知っておかなければならない。

任期2期目に入るや否や、世界はオバマ大統領の関心が内向きに傾いたことを実感させられた。アジア・太平洋地域にコミットするという立場に正式に大きな修正が加えられたわけではないが、それでもアメリカ国内以外の問題には余り関わりたくないという内向き傾向が顕著になった。米国の国内偏重の姿勢を加速させたのが大統領の政治力の衰退である。

2期目に入ってたった6ヵ月、大統領の支持率は45%に落ちた。オバマ大統領にとって、最低の支持率であるのみならず、議会の議員83%がオバマ氏の一連の政策に否定的だとの数字もある。当然、米国各紙のオバマ大統領に関する論調は目を疑うほど、厳しい。

オバマ大統領を描写するのに「レームダック」(死に体)という表現はもはや珍しくない。そうした中で、7月2日には大統領が2期目の最大の政治目標として掲げた医療保険制度改革の1年先送りが発表された。

オバマ・ケアと通称される同改革は、米国の総人口3億人の内、6人に1人、5,000万人近くが無保険である状況を改善し、国民皆保険制度を確立しようというものだ。

今後10年間で少なくとも9,400億ドル(約94兆円)を注ぎ込んでオバマ・ケアを実現し、米国を福祉国家として確立した大統領として歴史に名を残したいと意気込んでいたオバマ氏にとって、大目標の1年延期は致命的な躓きである。

■具体策のない夢

7月26日の「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙に、ルイジアナ、ウィスコンシン両州の知事が連名で、「機能しないオバマ・ケア」という記事を寄稿した。計画自体が如何に杜撰であるかを、住民と接する中で実際に医療保険などを実施していかなければならない実務者の立場から論じていて説得力がある。両知事はこう書いている。

「オバマ政権は(医療保険改革を)成功裡に施行するための適切な具体策を持ち合わせていない」

具体策がない夢だけのオバマ・ケアは最初から「機能するはずがない」と両知事は切り捨て、さらに厳しく次の点を指摘した。

何もかもが不確かな中で、確かなことがひとつある。それはオバマ・ケアの結果として、雇用主が負担する保険制度から700万人が外されることだというのだ。

両知事の驚くべき指摘は超党派の議会予算局の分析に基づくもので信頼出来ると思われる。さらに両知事は全米最大の3労組が7月12日付で民主党に送った書簡を紹介し、警告を発した。

書簡の内容は、オバマ・ケアによって米国の労働者は苦労して獲得してきた医療保険のメリットを失うだけでなく、米国の中産階級の背骨となってきた週40時間労働という決め事が破壊されるというものだ。

ちなみにオバマ・ケアではフルタイムの労働は週30時間と規定され、リストラやパートタイム労働者の増加に拍車が掛かる恐れもある。

他方、オバマ大統領は7月24日、イリノイ州のノックス大学で「勝者が全てを奪う経済体制の下では、ごく少数がもっともっともっと豊かになり、他の全員が辛うじて没落しないでいる」と、熱弁をふるった。

成長産業で雇用をふやし、中産階級を豊かにし、教育の質を改善し、皆が住宅を購入でき、引退後の生活を保障し、国民皆保険を実現するとの大目的を大統領は繰り返した。

日本の民主党のバラ色政策を連想するが、ブルームバーグは同演説を「中身のない貝殻」の見出しで報じた。

こうした報道にもまして、厳しい論調を展開しているのが、実は大の民主党びいきの「ニューヨーク・タイムズ」紙である。同紙は4月末段階ですでに「レームダック」の言葉を見出しに用いてオバマ大統領を批判し、「弱体化の印象を与えること自体が弱体化の原因となることがわからないのか」とさえ書いた。

■メディアへの敵対意識

オバマ大統領が抱えるその他の問題を見てみよう。たとえば内国歳入庁(IRS)の事件だ。これはオバマ大統領の政敵である保守派の議員らを支える団体への税審査をとりわけ厳しく行ってきたという事件だ。

或いは中央情報局(CIA)がイエメンのアルカイダ系組織による航空機爆破計画を未然に阻止したことを報じたAP通信の記者に対する盗聴事件である。

オバマ大統領のメディアに対する敵対意識は強く、米国政府が記者の情報源を訴追するケースはオバマ政権以前には3件しかなかったとされる一方で、オバマ政権の4年間ではすでに6件に上っている(『朝日新聞』7月29日、朝刊)。

オバマ政権がメディアも信用せず、国民も信用していないという印象をさらに強めたのがスノーデン事件だったのは言うまでもない。

いずれの事件も、オバマ大統領のイメージとは大きくかけ離れている。彼こそ人権を重んじ、情報公開や決定のプロセスの透明性を重んじる人物だと思われていたのではなかったか。

そう信じていた人々にとっては、悉く、期待外れの事象がいま眼前に広がっており、それに対する答えが支持率45%なのである。

死に体と言われ始めた大統領は問題解決能力を著しく低下させている。外交がどんなときにも内政の延長線上にある以上、オバマ政権が国際社会で力を発揮することは容易ではない。日本では日米安保条約や憲法改正に反対する人々が日本が米国の戦争に巻き込まれる危険性を指摘してきた。

しかしいまや米国の方が海外の紛争に巻き込まれたくないと言っているのである。東シナ海問題を抱えるわが国、南シナ海問題を抱える東南アジア諸国はこの点を熟慮し、早急に対策を立てなければならない。

いま、米国が求めているのは、価値観を共有する日本の協力である。米国の負担を減らし、少なくともアジア・太平洋地域において国際法に基づく秩序と民主主義擁護に、わが国が貢献することが日米両国の国益である。

それを可能にするために、日本があらゆる意味で道義を重んずる勁い国になるのが望ましい。憲法改正を含めた日本国の再建が急がれるゆえんである。(週刊新潮)
2013.08.12

<「頂門の一針」から転載>

◆反日色を鮮明にする韓国・朴政権

加瀬 英明


6月にカリフォルニア州で、オバマ大統領と習近平国家主席による、米中首脳会談が行われた。

 2人は通訳を交えて、8時間にわたって会談したが、中身がまったくなかった。通訳が8時間の半分を費やしたうえ、大部は双方の随員が発言したものだった。

5月に、韓国の朴槿恵大統領がワシントンを訪れて、オバマ大統領と会談した。

朴大統領は「日本が歴史観を歪めて、アジアの安定を脅かしている」と訴えた。この発言は、アメリカへ向けたよりも、人気取りのために、韓国国内へ向けたものだった。

両首脳の会談後の共同記者会見で、オバマ大統領が「わたしの娘たちが、漢南文化(ハンナム・カルチャー)にはまっている」と、リップサービスを行った。韓流のアイドルグループのことである。

だが、アメリカの記者たちからの質問は、北朝鮮が戦争熱を煽り立てていたことと、シリア情勢に集中して、米韓関係に触れたものがなかった。

朴大統領は6月末に、北京において習近平主席と会談した。朴大統領は日本を名指なかったものの、「歴史認識をめぐる対立が、アジアの安定を脅かしている」と、述べた。

中国が力を増すなかで、韓国は先祖返りして、中国の属国だった李氏朝鮮時代に、戻るようになっている。500年にわたった李氏朝鮮時代を通じて、慕華思想(モファササン)といって中国をひたすら崇めたものだった。

韓国はことあるごとに日本を叩いて、快感に浸っている。韓国民はどうして、これほどまで、いじけているのか。自国について自慢できるものが、まったくないために、ただ一つ反日が国の誇りを支えている。

韓国は歴史を通じて、ごく短い期間を除いて、中国の属国で独立することがなかったために、自国を主軸に置くことができない。まるで子供のように泣き叫ぶから、手に負えない。日本は子供のために、叱るべきだ。

6月にワシントンを訪れて、アメリカの外交戦略が変容しつつあることを、痛感した。ブッシュ大統領時代が昔話になった。アメリカは世界を導く自信を、失っている。

オバマ政権はアメリカが超大国であるのか、超大国として振る舞えなくなったのか迷うようになって、外交戦略に焦点が定まらない。

財政赤字を建て直すために、向う10年間で連邦支出から1兆1000億ドル(約110兆円)を削減しなければならず、半分が国防費だ。

オバマ大統領は中央の経験がなく、シロウトの大統領である。日本の鳩山、菅、野田首相と、同じ頼りなさがある。

オバマ大統領は一期目末に、中国の周辺諸国に対する脅威が募ると、「アジアン・ピボット(アジアへ軸足を移す)戦略」を打ち出して、2020年までアメリカの海軍力の60パーセントを、太平洋に移す決定を行った。

だが、巨大化する中国の経済力に魅せられて、米語に中国を指して、「フレンド」と「エネミー」を合成したfrenemyという新語が造られて、さかんに使われている。中国が友か、敵か、判別できないでいる。

オバマ政権は二期目に入ってから、中国に配慮して、「アジアン・ピボット」を「リバランス」と、言い換えるようになった。

オバマ政権も、アメリカ議会も、日本がアジアを侵略したことを詫びた村山談話と、慰安婦について謝罪した河野談話を、安倍政権が否定しようとしているとみて、日中、日韓関係をこじらせるとして、迷惑がっている。

中国、韓国は、日本が歴史を正そうとしているのに対して、これまで卑屈だった日本が自立するのを恐れて、さかんに非を鳴している。

中東が燃えている。アメリカはキリスト教国だから、7回にわたった十字軍の記憶によって、中東をアジアより優先させてきた。中東の危機が深まれば、アジアへ力を集中することができなくなろう。

<「頂門の一針」から転載>

2013年08月12日

◆軍はもう「政治の癌」に戻らない

坂元 一哉


終戦から2週間にもならないある日のこと。吉田茂は旧知の来栖三郎(元駐独大使)に、日本の負けっぷりは「古今東西未曽有」のものだから、再建の機運も自(おの)ずとそこから生まれるだろう、と述べるはがきを送っている。

戦力なくて国の安全守れるか

吉田が日本再建のための条件としてまずあげたのは、「軍なる政治の癌(がん)」を「切開除去」することだった。

「軍なる政治の癌」を取り除けば、政治は明るく、国民の道義も高まり、外交も一新できる。そして科学振興と米国からの資本導入で財界が立ち直り、日本のいいところが発揮できるなら、この敗戦も決して悪くない。吉田はそう書いた後で、「雨後天地又更佳」とまでいい切った。

国は至るところで焦土と化しているのに、いかにも吉田らしい不敵な楽観論である。もちろん、軍の政治介入、軍国主義が日本を誤らせたという反省と、終戦工作に関連して憲兵隊に捕まった体験からくる、軍への強い嫌悪感が背景にある。

ただその吉田も、このはがきからおよそ半年後、外務大臣になった自分に米国(GHQ=連合国軍総司令部)が、軍そのものの「切開除去」を含む憲法草案を提示してきたときには、さすがに動揺したようだ。米国側の記録は、吉田が「ずっと両方の手のひらをズボンにこすりつけ前後にゆっくり動かし」ながら「衝撃と憂慮の表情」で、GHQの説明を聞いていたと記している。

吉田が「軍なる政治の癌」を切り取るといったのは、軍国主義を切り取る、という意味であろう。GHQの草案に基づく日本国憲法9条のように軍(「陸海空軍その他の戦力」)そのものを切り取れば、たしかに日本は、軍国主義に戻りようがなくなる。その意味では、吉田の考えに合うともいえる。だが、軍なしに、どうやって国家の安全を確保するのか。

再軍備秘かに約束した吉田

この問題は、米軍の占領下で国体の護持(天皇の安全)と日本に有利な講和の獲得に全力をつくす吉田にとっては、将来考えるべき二の次の問題だった。

首相になった吉田は議会で、新憲法の「立案」は、単に憲法のあり方ということからだけではなく、「如何(いか)にして皇室の御安泰を図るかと言う観点をも十分考慮」したと明言している。GHQは、軍国主義排除を明確にするGHQ草案のような憲法でなければ、天皇を処罰せよという国際社会の圧力を防ぎ切れない、と吉田たちを脅していたのである。

吉田はまた、サンフランシスコ平和条約で日本が講和独立をはたす際に、再軍備はしないという「建前」を貫いた。米軍の駐留継続を前提に、再軍備よりも経済復興を優先させるという理由もある。だが、講和をスムーズに実現するため、軍国主義復活を警戒する内外の声に配慮した、という面も小さくなかった。

たしかに吉田は、朝鮮戦争の勃発で方針を転換した米国から、強く再軍備を迫られ、秘(ひそ)かにそれを約束している。講和後の安全保障を米軍駐留に頼ろうとするばかりで、日本自身の努力を、何も米国に示さないというわけにもいかなかったからである。

しかし吉田は、憲法改正を含む本格的な再軍備を考えてはいなかった。講和独立の2年後、1954年に誕生した自衛隊は、憲法が「切開除去」した軍ではない実力組織(軍事組織)という性格づけがなされ、その実力は、ゆっくり強化されることとなった。

 ≪安全保障の基盤固める改憲≫

来年は、その自衛隊の創設から60年になる。いまの自衛隊は年間、5兆円弱の予算を使う世界有数の実力組織だが、この間の歩みは、日本がそういう組織を持っても軍国主義には戻らないことを内外に明確にしつつ、国家安全保障のための機能を、少しずつ普通の軍に近づけていくものだった、ということができるだろう。

機能についてはまだ、集団的自衛権の行使や、国連のPKO(平和維持活動)における「駆けつけ警護」など、強化すべきところがある。だが軍国主義に戻らないことは、もう十分明確にできたし、これからも、戻る可能性はゼロといってよい。

そうだとすれば今後は、国家安全保障のための実力組織としてのその機能を十分に強化したうえで、自衛隊を憲法のなかにしっかり位置づけ、自衛隊と憲法の折り合いをさらによくする努力が望まれるだろう。憲法9条を修正するのがそのための正攻法である。だが9条をそのままにして、新しい条文を憲法に加え、自衛隊を規定するという考え方もあろう。

そういう考え方の場合、憲法9条は、「軍なる政治の癌」(軍国主義)を再発させないための規定、新しい条文は、安全保障のための実力組織(軍事組織)の法的基盤を固める規定、と整理すればよいと思う。

(さかもと かずや)大阪大学大学院教授産経【正論】2013.8.9

<「頂門の一針」から転載>