2013年07月17日

◆韓国よ 歴史の真実に目覚めよ

屋山 太郎
 

韓国の朴槿恵大統領は就任して以来、恒例の訪日を避けており、米国訪問の次には中国を訪れている。日本には、「歴史認識について反省がない」という理由で、殊更、背を向けているようだ。

韓国報道機関の論説委員たちとの会合で、「(日韓首脳)会談後に独島(竹島=島根県隠岐の島町)、慰安婦問題が再燃するようなことになれば、関係が余計に悪化しか ねない」と語ったという。

≪卑下の姿勢が要求招く悪循環≫

中国政府も日本側に、「尖閣諸島(沖縄県石垣市)問題で譲歩がなければ首脳会談はしない」と打診してきた。安倍晋三首相は「問題があるなら向こうから話をすべきで、条件付きの話し合いには応じられない」と断った。

民主党の菅直人政権下、中国漁船が日本の巡視船に体当たりしたビデオを公開せずに、船長らを早々に特別便で帰国させた。これは胡錦濤国家主席の訪日を実現させるためだったことが後に判明した。

菅首相がへつらう かのように「胡閣下」に口上を述べるテレビ画像は全国民が目にしただろ う。この卑下した態度こそ、戦後の日本が中韓両国に取ってきた外交姿勢 だった。

日韓基本条約で全て解決しているにもかかわらず、文句を言われれば心付けを出す。相手は日本が非を認めたのだと見て、「もっと出せ」と言い募る。

韓国「酷い目に遭ったから賠償は当たり前だ」

私は1965年の日韓基本条約締結時、外務省担当の記者をしていた。韓 国側は「日帝36年」の併合時代、「酷い目に遭ったから賠償は当たり前だ」との言い分である。

私は日教組教育を全身に浴びて育ったから、日本側代表が、「互いの財産を相殺すればそちら側が莫大なカネを払うのだ ゾ」と反論したのには仰天した。当時の外交当事者は、言うべきことは言 うという腹が据わっていた。

朴大統領は「歴史認識は千年たっても覚えている。変わらない」としばしば述べる。「日帝36年の酷い時代」の前、朝鮮(南北)は千年にわたり中国の属国だった。

近年には清の軍隊が漢城(現ソウル)に駐屯し、中 国領になる寸前だった。それを阻止しようと、日本が起こしたのが日清戦争だ。戦争後の講和条約はほぼ例外なく、第1条で、負けた側が支払う賠 償や割譲する領土のことを記してあるものだが、下関条約第1条は、 「(これにより)朝鮮の独立を確認する」と謳(うた)っている。

≪仏人宣教師描いた漢城の混沌≫

しかし、朝鮮の独立は不確かで今度はロシアに傾いていく。朝鮮半島がロシアの植民地になったら、日本にとってはこの上ない脅威だ。日清戦争後、日本は富国強兵を一段と推し進め、1905年にロシアを破って後、 韓国を保護国とした。

伊藤博文初代統監は当初、併合には反対だったが、 ハルビン駅で安重根に暗殺され、併合論が一気に勢いを増す。併合は英米 仏独のほかロシアも認めた。

日本を脅してカネを取ろうという姿勢は北朝鮮と同じ

漢城のフランス人宣教師、ダレ氏が帰国して後の1874年に、『朝鮮事情』という本を著している。漢城はまさに糞尿まみれで足の踏み場もなく、肺結核、ハンセン病、肺臓ジストマ、赤痢、チフスなどの疫病が流行していた。

併合の前年に、日本が入って京城医専やその付属病院を設立 し、医師、看護師、衛生師を養成した。併合後に取りかかったのが学校の 建設で、1945年の終戦までに京城帝大のほか専門学校を約千校設置 し、小学校を5200も開校した。その結果、識字率は4%から61%に 上がる。100キロだった鉄道も6千キロに延伸された。

朴氏の父親、朴正煕大統領の時代、韓国は民主主義国家としての発展を予感させた。が、在任中に汚職に手を染めて罪に問われる、後の大統領は少なくなかった。

日本と協力して経済発展を遂げる方が容易だと思われるのに日本を脅してカネを取ろうという姿勢は、北朝鮮と同じだ。

≪儒教の事大主義と大衆迎合≫

李明博前大統領は「未来志向の関係を築こう」と語り、期待を抱かせた。しかし、支持率が落ちてくるや、政権末期の2012年、竹島に強行上陸し、「天皇の謝罪」を求める暴言を吐いた。

後任の朴槿恵氏は政治、経済を通じて中国にのめり込み…

後任の朴槿恵氏は、それ以上の反日姿勢を示さないと地位が危うくなるとでも思っているのだろうか。朴氏は政治、経済を通じて中国にのめり込み、米国に行って日本の悪口を並べ立てた。まさに、大衆迎合の政治を繰り広げているが、この姿こそが千年にわたる朝鮮の歴史への回帰である。

韓国に染み渡っているのは儒教思想である。日本にも儒教思想はあるが、仏教の平等思想で中和されて、それほど浸透していない。韓国の儒教は徹底して上下関係にこだわる事大主義である。大きいものには従うということだから、中国、米国には従う。日本は、中華思想からみて下の位置にいなければならないのである。

日本が下にいることの証明の第一が「独島占拠」、第二が慰安婦への謝罪だ。司法も日韓基本条約を無視して、対馬の寺から盗んだ仏像を返さず、ユネスコ条約違反との声にも耳を貸さない。これでまともな国といえるか。(ややま たろう・評論家)

2013.7.17 03:12 産経ニュース[正論]

<「頂門の一針」から転載>

2013年07月16日

◆日米仏、中国牽制 太平洋国家で連携を

佐々木 類


日米両国は6月末、米西部カリフォルニア州南部周辺空海域で、約2週間にわたる共同統合訓練「ドーン・ブリッツ(夜明けの電撃戦)」を終えた。

海上自衛隊の艦艇に米海兵隊の垂直離着陸輸送機オスプレイが発着艦する映像に注目が集まったが、この訓練にはもう一つの大きなメッセージが込められていた。米中首脳会談終了2日後の6月10日、会談場所から90キロという目と鼻の先で実施した政治的な意味合いだ。

オバマ大統領との首脳会談で、米中両国が共存・共栄することを意味する「新型大国関係」の構築を呼びかけた中国の習近平国家主席に対し、「同盟国を置き去りにしない」という米国家安全保障問題担当のドニロン大統領補佐官(当時)の言葉を裏付ける米国の意思だ。

習氏は会見で「太平洋には米中両大国を受け入れる十分な空間がある」と言ってはみたものの、同じ太平洋国家のカナダやニュージーランドまで参加した共同統合訓練の成功は、習氏に後味の悪さを残したのではなかろうか。

折しも米中首脳会談と同日の7日、東京ではニューカレドニアなど島嶼(とうしょ)を多く領有する太平洋国家として、オランド仏大統領が安倍晋三首相と共同声明を発表した。

声明は中国を念頭に「新たな大国の台頭に伴って生じる新たな課題に対応する」と踏み込んだ。航行の自由など国際法の尊重を強調し、日仏防衛・外務閣僚級協議(2プラス2)の早期開催を確認した。フランスが太平洋国家として日本との安保協力を打ち出し、ともに中国を牽制(けんせい)した事実は重い。

自由と民主主義の価値観を持つ国vs共産党独裁の異形の大国=中国

むろん、これらの動きは偶然ではなく連動している。首相官邸を司令塔として、日米外交当局が綿密に練り上げた結果の必然であり成果である。

米中、日仏という2国間の「線」だけを別々に見ていると気づかないが、自由と民主主義という共通の価値観を持つ日仏米、カナダ、ニュージーランドVS共産党独裁の異形の大国=中国という多国間同士の「面」で捉えれば、日本と同じ側に立つ太平洋国家が、中国とどう向き合おうとしているかが見えてくる。

その中国は東アジア地域で、軍事力や経済力を背景に「粗暴な大国」(仏紙ルモンド)として振る舞い、国際社会で地球温暖化対策や人権問題を指摘されると「発展途上国」だと言い逃れる。

「G2(米中2国の枠組み)という幻想」(クリントン前国務長官)に見切りをつけた2期目のオバマ政権内には今や、中国と新型大国関係を構築できると本気で夢想している向きはいないのではないか。

7月10日、米中戦略・経済対話を横目にワシントンで開かれたシンポジウムでは、中国について「だれもが米国の仮想敵国と思っているが、公の場では口にしないだけ」(米国防関係者)との声が出た。国際社会で責任ある行動をとれない未熟な大国との見方が主流のようだ。

中国は自国に同調する国はどこにもないことを認識すべき

そんな中国は、尖閣諸島国有化を口実にわが国が「戦後秩序へ挑戦している」(楊潔●・中国外相=当時)と各国に同調を呼びかけている。連合国側が戦後処理の基本方針を示した1942年のカイロ宣言や45年のポツダム宣言に違反するというのが論拠だ。

だが、戦後の日本の領土を画定させたのは法的拘束力のない両宣言ではなく、国際条約のサンフランシスコ平和条約だ。中国の難癖には逐次反論する必要がある。

「わが国の戦後の平和国家のあり方を否定し、名誉を傷つける悪意に満ちた発言は受け入れ難い。中国は自国に同調する国はどこにもないことを認識すべきだ」。

2012年11月、国際会議で斎木昭隆外務審議官(現次官)が楊外相にこう言った。大国の作法を学ぼうとしない中国は、他人を批判する前に自らが国際社会の厄介者であることにいい加減、気づいたらいかがか。(ワシントン支局長=ささき るい)

●=簾の广を厂に、兼を虎に
【佐々木類の視線】産経ニュース2013.7.15

<「頂門の一針」から転載>


2013年07月13日

◆吉田所長死去で菅元首相、ネットで大暴走

阿比留 瑠比


菅直人元首相のインターネット上での暴走が止まらない。東京電力福島第1原発の吉田昌郎元所長が死去した際には、10日付のブログで「吉田所長の死を惜しむ」と題しこう書いた。

「吉田所長は東電上層部の意向に反して独断で海水注入を継続した。英断だ」

平成23年3月12日、水素爆発した1号機への海水注入をめぐり、 「菅首相の了解が得られない」と中断を求めた東電本店の指示に逆らい、 独断で注水を続行した吉田氏を称賛している。

ここまでは尋常だが、この後は文章の趣旨が追悼からずれ、自己弁護と他者攻撃へとどんどん傾く。

「当時安倍晋三氏(現首相)は『海水注入を止めたのは菅総理。即刻辞任しろ』とメルマガで私への辞任を迫った。東電本店のウソの情報を振りかざして、原発事故までも政争の具にしようとした」

また、菅氏は関連して10日付のツイッターではこうも記している。

「海水注入問題では東電が自分たちの判断を官邸の判断とすり替えた」「私を含め官邸の政治家は海水注入は当然と考えており、誰も中止を指示していない」

菅氏は6日付のブログでも「安倍総理の大陰謀」と題し、安倍首相が「東電から頼まれて」でたらめの情報を発信したため、「菅降ろし」が起きたと訴えた。同様に11日には「ネットを利用した安倍晋三総理の巧妙な名誉毀損(きそん)」と書くなどボルテージを上げた。

ただ、東電と安倍首相が陰謀の共犯者であるかのように決め付けたにもかかわらず、根拠は示さない。あまりにためらいのない筆致には、「この人は大丈夫だろうか」と心配になる。

実際のところはどうか。事実関係をたどると、東電本店が吉田氏に海水注入中断を求めたのは、菅氏自身が「再臨界」に強い懸念を見せたからにほかならない。官邸で一部始終を目撃していた関係者は、「速やかな海水注入を求める専門家らに対し、菅氏はこう怒鳴っていた」と証言する。

「海水を入れると再臨界するという話があるじゃないか。君らは水素爆発はないと言っていたじゃないか。それが再臨界はないって言えるのか。そのへんの整理をもう一度しろ!」

23年5月31日の衆院震災復興特別委員会では、菅氏自身がこう答弁 している。

「水素爆発の可能性、再臨界の可能性、そして塩が入ることによるいろいろな影響。そこにいた専門家のみんなに、そこも含めて検討してみてく
ださいと…」

当時、原子力安全・保安院や東電が、官邸政治家から「指示なく勝手なことはするな」と厳命されていたのは周知の事実だ。菅氏に「整理」「検討」と言われたら、どう受け止めるか。

官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェロー(当時)が、菅氏の反応を見て第1原発の吉田氏に電話で「止めろ。官邸がグジグジいってんだよ」と中断を求めたことまで「東電の判断」と言い張る菅氏の主張は無理がある。

海水注入続行はあくまで吉田氏の独断による「結果オーライ」にすぎない。菅氏の「意向」がそのまま実行に移されていたら、1号機はどうなっていたことか−。結果は想像したくない。(政治部編集委員)

【阿比留瑠比の極言御免】産経ニュース2013.7.12 11:35

<「頂門の一針」から転載>

◆極東に咲いた世界の花、江戸

加瀬 英明


1 極東に咲いた江戸の花

みなさん、こんにちは。今日は江戸時代の話をこれから進めていきます。

しばらく前に、江戸開府400年という年がめぐってきました。ご記憶の方 もおいでかもしれません。江戸時代には、伊勢神宮は例外として、いちば ん大事な神社といいますと、日光東照宮でした。徳川家康公の御霊をお祀 りしているところです。

全国に東照宮は40ほどあります。東京は上野に上野の東照宮があります。 東照宮連合会がありますが、江戸開府400年を記念して事業を行おうとい うことから、江戸研究学会をつくるということになって、私が以前から江 戸時代が世界でもっとも素晴らしい時代だったということを書いたり、話 したりしていた関係から、会長を引き受けております。

江戸研究学会は、いまでも日光東照宮の社務所に本部をおいています。最 近は活動をさぼっておりますが、はじめは理事に東京江戸博物館の竹内館 長もメンバーで、東京江戸博物館で江戸時代についてのシンポジウムや講 演会などを行っていました。

なぜ江戸がすばらしい社会を形成していたのかといいますと、なんといっ ても260年近く平和が続いたことがあげられます。これは世界で非常にめ ずらしいことです。その間に島原の乱という、キリスト教徒の天草四郎に よって知られる、これは宗教的な反乱ではなくて経済的な理由が原因でしたが、天草の乱を除けば、平和が続きました。こんなことは、世界では他 にないことです。

江戸時代ほど庶民が恵まれて、自由奔放に豊かに暮らしていたという社会 も、世界に類例のないものです。そういう意味で、私は江戸時代こそ、こ れからの人類の手本にふさわしいものだと思っています。

いまでも英国の王立演劇団ですとか、全世界で舞台演劇といえば、すべて 王侯貴族、支配階級に属したものです。ところが、日本では歌舞伎は「庶 民の舞台芸術」でした。ですから武家やその家族は、歌舞伎を観に行くこ とは禁じられていました。武家の舞台芸術といえば、能楽でした。

私は、歌舞伎の役者に親しい人たちがいますが、昔ですと歌舞伎役者はひ とりふたりとは、江戸時代が終わるまで、勘定しませんでした。1匹、2 匹と数えて動物扱いしたものでした。けれども歌舞伎が全世界で、もっと も絢爛豪華な舞台芸術だということは、みなさんご承知の通りのことです。

絵画芸術も同じです。日本を除く全世界の絵画芸術は、王侯貴族、支配階 級に属するものです。ところがこれまた、日本の浮世絵は、庶民のものです。

2 ジャポニズム

みなさんは、「ジャポニズム」という言葉をご存知だろうと思います。私 は絵が好きで、東京駅の八重洲口にブリヂストン美術館がありますが、日 本の民間で一番、印象派の絵をたくさん持っている美術館で、私は役員を 勤めております。

ジャポニズムとは何か。

19世紀の幕末から、浮世絵が西洋の美術界に大きな影響を及ぼしました。 ルノワール、ゴッホ、モネ、ムンク、ロートレック、ドガと、誰をあげて も日本の浮世絵の模倣をしています。これがジャポニズムの始まりです。

同じ時期に、女性のドレスのデザインや、室内装飾、庭園造りなどにも ジャポニズムの影響が強くあらわれます。次に影響を強く受けたのが、近 代建築です。

ブルーノ・タウトというドイツ人の有名な建築家が、戦前に日本にやって きて、東京帝国大学で教鞭もとりました有名な建築家です。タウトが回想 録を書いていて、岩波文庫から出ています。ご関心のある方は、読まれる と良いと思います。

タウトは伊勢神宮にお参りして、神宮の建築をみて、外容(がいよう)と 内容、つまり、外と中のつくりが一致している建築を、はじめて見まし た。そして、その感激を、「私は稲妻に打たれたような感動によって身が 震えた」、と書いています。

それまでの西洋の建築というと、馬場先門に明治生命の本社ビルがありま すが、外壁にデコレーションケーキみたいに、コテコテとした飾りがつい たものでした。

そういう虚飾をすべてファサード(表面)から取り払ったのが現代建築 で、フランスのル・コルビュジエ(Le Corbusier)という世界的な建築家 が提唱した、「装飾のない平滑な壁面処理、西洋の伝統から切り離された 合理性や機能性を信条としたモダニズム建築」が代表的なものとしてひろ がります。

日本の伝統建築は、ヨーロッパだけではなく、アメリカの建築家たちに も、大きな影響を与えました。いまではすっかり、日本発の機能的な建築 物が世界を覆っています。

家具も同じことです。それまでの西洋の家具というと、ゴテゴテと彫刻が ついていたのですが、いま世界で使われている現代家具は、すべて機能的 です。これもジャポニズムの影響です。

最近では、あらゆるものに、日本の影響が及んでいます。戦後は食器や料 理にも、影響が現れました。私はアメリカやヨーロッパ、韓国、中国、印 度などから友人が来ますと、和食の店に連れて行っていました。決して高 いお店ではないのですが、それでも、出て来るお皿は、正方形とか、長方 形とか、六角形とか、様々なカタチをしています。

30年前くらいまで、外国から来た友人に質問したものです。

「あなたの国には、どうして丸い皿しかないのですか? あってもせいぜ い楕円形です。四角や変形の皿があるのは、日本だけです。」

すると向こうの人たちはびっくりして、

「それはきっと洗うのが大変だから」とか言い訳をします。 でもそんな ことを言ったら、東京でも高いフランス料理店に行ったら、一枚で5千 円、1万円もするような高いお皿を使っている店があります。それこそ洗 うのがたいへんです。

いまでは、世界のどこへ行っても、四角など、丸くないお皿があたりまえ のように使われるようになりました。これまたジャポニズムなのです。

フランス料理も、日本料理の影響を強く受けています。ヌーボー・クズィ ン(nouveau cuisine)という言葉があります。ヌーボーが「新しい」 で、クズィンが「料理」です。もう30年くらいになりますか、フランス料 理に、「ヌーボー・クズィン」という新しい分野が生まれました。実はこ れは日本の懐石料理を真似したものです。

それまでは、洋食というと、まずオードブルが出て、次にスープが出て、 その次に大きな魚の切り身の乗った魚料理、次いでメインの肉料理、最後 にデザートというのが、西洋料理のフルコースになっていました。

ところが日本の懐石料理の影響を受けたヌーボー・クズィンの場合は、 ポーションといいますが、ほんのわずかな、そのかわり美味しくて凝った 料理が、10品くらい出てきます。これは日本の懐石料理を模倣したものです。

こういう日本の影響は、最近では、コミックやアニメの世界にもあらわれ ています。いまや漫画(Manga)というローマ字で書かれていますが、世 界共通語です。

どうしてこんなに流行ったのかというと、この元には浮世絵があります。 西洋では、ドナルドダックや、スヌーピー、スーパーマン、スパイダーマ ン、ミッキーマウスなど、4コマあると、4コマの大きさが同じサイズ、 ミッキーやスヌーピーは人といえませんが、登場人物も同じサイズで描か れていました。ところが日本のコミックは、中の構図も浮世絵のように、 実に大胆です。

それから、最近ではパリを中心に、コスプレが流行っています。日本が西 洋をはじめ世界に与えている文化的な影響は、ほんとうに幅広い分野にわ たっています。

ちなみに、おとなりの中国はどうなのか。

中国では習金平先生が「偉大なる5千年の中華文明」と自慢されていま すが、たしかに中国の文明は古代に、磁石ですとか、火薬とか、紙とか発 明しましたが、近代に入ってから中国が世界に与えた文化的な影響は、な にひとつありません。

いま日本政府は、小泉内閣のときだったか、「クールジャパン」という キャンペーンを行っています。クールジャパンというのは、イギリスで クールという言葉が流行ったのを模倣しているのですが、私はそれより、 「ジャポニズム」を訴えるべきだと思います。

3 多神教

私の従姉は、いま世界でもっとも名前の知られた日本人だと思うのです が、オノヨーコです。私の母の兄の娘です。私は子供の頃から、ヨーコに 可愛がられました。私よりヨーコが3つ年上です。ヨーコがジョン・レノ ンと結婚したため、私はジョンと親しくしました。

ジョンはよく、ヨーコとともに、日本にお忍びでやってきました。また、 私がニューヨークへ行くと、自宅や外のレストランでもてなしてくれまし た。私は彼に神道の世界の素晴らしさを伝えました。そのためにジョン は、一神教が嫌いになりまして、イマジン(Imagine) という曲を作りま した。

イマジンは、爆発的な世界のヒット曲になりました。

 Imagine there's no Heaven(天国なんか、ありゃしないって)
 It's easy if you try(簡単だから想像してごらんよ)
 No Hell below us(地獄なんかも存在しない)
 And no religion too(もし世界から宗教がなくなれば)
 All the people Living life in peace(世界の人々は平和に暮らせ るよ)

ところが、この曲はアメリカやイギリス、ヨーロッパのキリスト教の保守 層から、総スカンを食いました。なぜかというと、この歌はキリスト教を 頭から否定しているからです。

私はジョンに、言いました。「レリション(Religion、宗教)という言葉 は日本語には存在していなかった。」「宗教」というような突飛な言葉 は、私たちの日本語には、もともとは存在しなかったのです。

江戸時代の終わりまでは、宗門、宗派、宗旨などという言葉を用いてい ました。明治に入るまで、「宗教」というおかしな言葉はありません。自 分の信仰だけが正しくて、他の信仰はすべて邪(よこしま)である、間 違っているという一神教が日本にはいってきたとき、新しい訳語をつくら なきゃならならなくなったからです。

明治訳語は、おびただしい数があります。明治訳語をお使いになるとき は、いったいもともと日本語にあったのだろうかと、いぶかってみられる ことを是非お薦めします。

最近、「原発神話が崩壊した」とか、「神話」という言葉が、まるで嘘と いう意味で使われています。ところが「神話」という言葉も、江戸時代が 終わるまでは、日本語には存在していませんでした。「古事(ふるこ と)」と言いました。古事記は日本最古の歴史書ですが、古事記は、もと もとの読みは、「ふることふみ」です。

あるいは、明治にはいってから、造られた翻訳語に「指導者」がありま す。これは英語の「Leader」、ドイツ語の「Leiter」がはいってきたと き、日本には、そもそも指導者というのがいなかったし、そういう概念さ えもなかったから、新しい言葉を造ったのです。日本社会は、あくまでも 集団で合意が行われるコンセンサス(Consensus、一致)社会です。

私はもともと物書きで言葉に関心をもっていて、25〜6年前に、明治32年 に刊行された厚さ10センチくらいある英和辞典を神田で見つけて買いまし た。当時のお金で10万円近くしたと思います。

たとえば「Leader」という言葉をひくと、まだ「指導者」とは出て来ない んです。色々なもってまわった説明をしています。

それで、こんどは「Dictator(独裁者)」をひくと、こんなおかしな言葉 もなかったので、たいへんな苦労して説明をしています。

あるいは、「Individual(個人)」という言葉・・・私はとても嫌いな言 葉ですが・・・もなくて、これを「たったひとりの人」とか、おもわず微 笑んでしまうような、苦しい説明をしています。

いまの世界は、英語では「Religious strife 」といいますが、宗教的な 抗争、憎しみに基づいています。たとえばシリアを例にとると、国連の推 定では、内戦によってすでに10万人が死んでいます。

これはイスラム教がまず2つに分かれ、イスラム本流のスンニ派と傍系の シーア派が殺し合っています。それからキリスト教もたくさんの派があっ て、これまたイスラム教徒を殺したり、殺されたり、キリスト教同士でも 殺し合っています。他にもドルーズ教とかいろいろあって、互いに殺し 合っています。アフリカや中東の他の地域でも同じことです。

こういうことは開発途上圏だけにみられるものなのかというと、そうでは ありません。

英国でさえ、ついこの間までじゃ、アイルランドで、キリスト教のカト リックとプロテスタントの対立から殺し合っていました。3万人以上も死 者が出た後に、ようやく停戦協定を結びましたが、まだときどきテロが行 われています。

ところが日本では、歴史を通じてこのような宗教がらみの憎しみによる殺 し合いがありません。ジョン・レノンがたいへん感心しまして、日本に来 ると必ずヨーコと一緒に靖國神社に参拝していました。

こういうジョンの話を私が大学の講義でしますと、そんなことは信じられ ないという学生が多いので、写真を探したところ、アメリカのAP通信社 が、ジョンとヨーコが靖國神社のお社の前で参拝しているカラー写真が出 てきました。伊勢神宮にも、よく2人でお参りしました。2人は、二重橋 の前で深々とお辞儀をする宮城遥拝もしました。

私は将来、神道の考え方が、世界に大きな影響を与えることになると思い ます。それは、天皇陛下を崇拝しなさい、拝みなさいということではあり ません。そうではなくて、神道の考え方のことです。

みなさんは「クマのプーさん」をご存知でしょうか?

イギリスの童話で、クリストファー・ロビンという少年の主人公が、プー という名前のクマの縫いぐるみと物語をつむぐお話です。この童話は、全 世界の若者に知らない者がいないくらい親しまれています。

プーの物語には、プーの森が出てきます。そこにはプーの仲間として、子 豚とかカンガルーとかフクロウとかトラとか、いろいろな動物が出てきま す。全員が楽しく暮らしています。そしてそこには教会がありません。

1930年代に書かれた連作童話ですが、私はジョンに、「プーの森が、神道 の森だよ」と話しました。動物たちが人とともに森での生活を謳歌する。 とても素晴らしいことです。

また日本は世界の主要な国の中で、最高神が女性でいらっしゃる唯一の国 です。アマテラスオオミカミは、女性です。ヒンズー教でも、最高神は男 性です。世界中どこに行っても最高神は男性です。

今日は江戸時代のお話ですが、江戸時代にはいってからちょっとおかしく なったのが、侍が空威張りをするようになったので、表面的なことです が、日本が男上位の社会であるかのように強調されがちです。

みなさん、夫婦茶碗(めおとちゃわん)をご存知だと思います。いまは 「夫婦(ふうふ)」と書きますが、それは江戸時代にはいってからで、そ れ以前は「妻夫(めおと)」、あるいは「女男」と書きました。女男の順 番です。第一、「夫婦」をどうやって「めおと」と発音できますか?

4 江戸の治安

江戸時代は、270年を通じて、あまり人口がかわりませんでした。地方で 飢饉があると江戸に人が流れてくるとか、いろいろありますが、町民がだ いたい75万人くらいでした。その75万の町民を、ではいったいどう治めて いたのかといいますと、みなさんもご承知の通り、南北の奉行所です。

南北の奉行所で働いていた役人の数は、江戸時代の初めから終わりまで、 人数はまったく同じで、332人です。このなかで管理職、いまでいう部 長、局長さんにあたる人が与力(よりき)で50人です。その下に282人の 侍が働いていました。

このうち、司法(裁判)関係と警察の業務にあたっていたのが、64人で す。さらにこのうち、警察業務にあたっていたのは、町同心(まちどうし ん)といいますが、わずか12人です。

そのうえこの人たちは、奉行所が南北2つの輪番制なので、各月はその半 分しか働いていません。ですからいつも働いているのは、余程のことがな い限り、警察官は半分の6人しか働いていません。それでよく治安が維持 できたものです。

もっとも12人の同心は、町方同心とか、八丁堀の旦那などとも呼ばれてい ましたが、ひとりひとりが、自分の収入から、「岡っ引き」を平均して5 人雇っていました。「岡っ引き」は、お侍ではなくて、町人です。ちなみ にこの「岡っ引き」という名称は、俗称です。彼らが名乗る時は「お上の 御用の誰々」といっていました。

今日では、東京の人口1200万人に対して、警視庁だけで、46,00人の警察 官がいます。もし江戸時代と同じなら、比率からすれば、いまの東京を、 100人に満たない警察官で、東京都全域の治安を守っていることになります。

後藤新平というと、東京がまだ東京市だったときに、市長を務めた人で、 出身は岩手県の下級武士です。その後藤新平が東京市長を勤めているとき に、「江戸の自治制」という研究書を書きました。昨年復刻版が出ました のでamazonで買うことができます。

その本の中に、75万人もの町人を、いったいどうして、たった323人で治 めることができたのかその答えが書いてあります。

「きわめて人々の徳性(とくせい)が高かったから」。だからほとんど 犯罪がなかったのです。

5 江戸の教育
 
私は麹町に住んでいますから、ここまで歩いてくると30分くらいかかり ます。歩くと気がつくのが、クズカゴがひとつもない、ということです。 これは、ヨーロッパやアメリカでは考えられないことです。パリでもロン ドンでも、ニューヨークでもワシントンでも、おそらく30メートルに1個 は、クズカゴがあります。

ゴミは、江戸時代の頃から、各自が自分の家に持って帰るという習慣が あったのです。アメリカにすこし長く滞在して、ゴミがあると近くのゴミ 箱に捨てる癖がつくと、東京に帰ったとき、戸惑います。

こういうことも、江戸庶民の徳性の高さのひとつといえそうですが、その 徳性を支えたのが、江戸庶民の教育程度の高さです。

寺子屋は有名ですが、これは6歳か7歳で入ります。正確な統計がないの で、いろいろな説がありますが、全国に12,000から2万校くらいあったと いわれています。

江戸時代の初期には、お寺さんが子供を教育をしていたところから、寺子 屋と呼ばれるようになったのですが、次第に、街中で浪人や、多少学問の ある町人が、寺小屋をはじめるようになりました。

寺子屋の教師は、6割が男性、4割が女性です。女性が4割を占めていた のです。すべて私塾です。そして街中にある寺子屋では、大きいものにな りますと、千人くらいの子供が学んでいました。

生徒は、寺子(てらこ)と呼ばれました。寺子屋教育は、ひとつひとつが 手作りです。

徳川幕府にも、それぞれの藩にも、教育を担当する役人はいません。平均 して4年間、読み書き、ソロバン、地域によっては漁村でしたら漁の仕方 とか、農村なら作物の作り方などを習うのですが、教科書から教育スタイ ルまで、すべて地域の手作りでした。

ですからいまの言葉で言うなら、チャーター・スクールに近いものといえ ます。

寺子屋を特徴づけるもうひとつは、躾(しつけ)と体罰がたいへんに厳し かったことです。いまの日本の教育を悪くしているのは、体罰を禁止して いるからだと、私は信念を持っています。

私は戸塚ヨットスクールの戸塚先生にもはいっていただいていますが、 「体罰を復活する会」という会の会長も務めさせていただいております。

いまでは教室の片隅に立たせるのも体罰だとして禁じていますが、寺子屋 の体罰は、そんなものではなく、はるかに厳しいものでした。

いまの教育をここまで劣化させたのは、私は文部科学省が存在しているか らだと思っています。江戸時代のように、文部科学省がなくて、全部地元 の手作りにすれば、日本の教育は蘇るのではないでしょうか。

学者も、町人や農民の出身者が多くいます。学閥や門閥、ましてや身分な どにとらわれていません。町人でも、学識の高い、いまでもすぐれた学者 として評価されている人が多いのです。

そういう人は、町人なら伊藤仁斎、青木篤紀、山崎闇斎、農民の出身です と石田梅岩、二宮尊徳をはじめ、大勢いました。

6 江戸身分制度

士農工商の違いというのは、みなさんが信じられるほどはありませんで した。そもそも、江戸時代には、庶民の方がカネをもっていました。庶民 のほうが支配層といわれる武士たちよりも豊かな生活をしていました。

いまの日本橋三越は、江戸時代から同じ場所にありました。昔は三越呉服 店といいました。

そこの売上は、20万石の藩の収入を上回ったといいますが、客のほとんど は町民、あるいは地方から上京してきた農民などです。

世界のなかで、支配階級よりも、被支配階級の方が贅沢をしていたという 国は、どこを探しても他にありません。

いまでいうレジャーなども、たいへん盛んです。みなさんも良くご存知の 東海道五十三次ですが、お伊勢参りなどは、全国に御師(おし)というト ラベル・エージェントがいて、パック旅行がさかんに行われていました。

東海道五十三次には、記録がありますが、全部で1000軒を上回る旅籠(は たご)がありました。

この他木賃宿と呼ばれる、お米などを持って泊る施設もありましたが、そ うした木賃宿を含めずに、豪華な旅籠が、1000軒以上あったのです。

このパック旅行は、お伊勢参りに限らず、秩父参りとか、善光寺参りと か、金比羅参りとか、たくさんの種類があり、全国で数百種類ものパック 旅行が行われていました。

西洋で、こうした団体のパック旅行が行われるようになるのは、19世紀 の半ばをすぎてからのことです。いまでもありますが、トーマス・クック という旅行社がはじめたものです。

7 江戸の郵便

信じられないことですが九州から、蝦夷地と言われた北海道まで郵便が正 確に届きました。

常飛脚(じょびきゃく)と呼ばれる郵便屋さん兼宅配屋さんが、全国の街 道の往復をしていました。飛脚によって、お金を送ることもできました。

江戸ですと、日本橋のたもとに、茣蓙(ゴザ)が敷かれていて、そこに竹 のカゴがいくつも置かれています。そして竹カゴには、〇〇藩とか名前が 書いてあります。

たとえば自分が博多の友人や家族に送金をしたいと思えば、お金を袋に包 んで、宛名を書き、そのカゴの中に、ただ置けば良かったのです。嘘みた いな話ですが、そこには、番人もいません。往来の真ん中です。

金飛脚(かねびきゃく)がいて、金飛脚だけは護身用に腰に刀を挿してい ましたが、その金飛脚が、日に何回か、そのカゴに、お金をとりに来るわ けです。そして全国に配達し、事故がおきない。

しかも、全国津々浦々、たとえば江戸の中央郵便局のあたりに届いた郵便 は、町飛脚がいて、江戸の町(町の数だけでも500〜600ありましたが) に、腰から下げた鈴をチリンチリンと鳴らしながら、各家まで届けていた のです。

こんなに郵便制度が発達していた文明というのは、世界で江戸時代の日本 だけです。

8 武士と町民

江戸後期の作家の大田南畝(おおたなんぽ)が江戸について書いたものを 見ますと、5歩歩くと、小さな料理屋が1軒、10歩あるくと大きな料理屋 が1軒、いまの原宿の表参道と同じように、食べ物屋がずっと並んでい て、すべて飲食の店、と書いています。

江戸市中で、お侍さんが威張ったのかというと、そんなこともないので す。実は、お侍さんは、馬鹿にさえ、されていました。お侍さんは、江戸 時代も半ばを過ぎますと、町人から金を借りなきゃやっていけない。

お金を借りているから、町人に頭が上がらない。ですからお侍は、町人を 呼び捨てになんかできないわけです。◯◯殿とか呼んで、腰を低くしていま した。

歌舞伎や浄瑠璃の演題は、王侯貴族の物語よりも、町人の物語が多いのも 大きな特徴です。近松門左衛門の演題など、主人公は町人ばかりです。

ところが、シェイクスピアにしても京劇にしても、登場人物は全部、王と か貴族たちばかりです。

江戸の町が、庶民が主役だったということが、こういうことからもわかり ます。江戸は、庶民が豊かな生活を、かなり自由奔放に送ることができた 社会であったわけです。

その近松門左衛門のセリフの中に、侍のことを、次のように言っているも のがあります。「刀差すか差さぬか、なんぼ差しても、5本6本は差すま い。差して刀、脇差し、たったの2本」

そしてなんと、「侍畜生」というセリフが出てきます。町民たちの他の演 劇の中にも、侍を馬鹿にしてからかっているセリフがたくさん出てきます。

9 心の文化

国語辞典で、「心」という字をひいてみてください。心がけ、心づく し、心構え、心持ち、心繕いなど、150〜160くらいの言葉がつぎつ ぎと出てきます。

ところが、英和辞典で、英語で心は「Heart」ですから、これをひいてい ただくと、「HeartAttack=心臓マヒ」、「Heartburn=胸焼け」など、10 語くらいしか出てきません。

これだけみても、私たち日本人がいかに「心」を大切にする民かというこ とがわかります。

それから自然、いまでいうエコロジーが尊ばれました。神道は宗教ではあ りません。神道は、自分の信仰だけが正しいといって、他を排斥するよう なことがありません。そして自然と共存します。動物も拝みます。ですか ら最近は外国の学者の中で、神道はエコロジーの信仰であると説いている 人が増えてきています。

私は、江戸時代の俳句で好きなのが、上島鬼貫(うえしまおにつら)の、

  行水の 捨てどころなし 虫の声

という句が好きです。行水に使った水を捨てようと思ったら、そこにもこ こにも、虫たちがいい声で鳴いているので、水を捨てる場所がない(捨て れば虫の音を止めてしまう)というのです。

それから江戸の中期で、加賀千代の
  
  朝顔に つるべとられて もらい水

朝、井戸に水をくみに来てみると、朝顔のつるがつるべに巻きついていて水 がくめない。切ってしまうのはかわいそうと、ご近所に水をもらいに行き ました、というわけです。

そういう、自然と共存をする、人間だけが偉いわけではなく、生きとし生 けるものみんなを大切にする。それが日本の和の文化です。日本の古事 (ふること)神話の時代から続く、日本的精神です。

前にもお話しましたが、日本には、独裁者(Dictator)という言葉はもと もとありません。指導者(Leader)という言葉もありません。アマテラス オオミカミ様がご機嫌を害されて、天の岩戸に身をお隠しになってしまわ れると、八百万の神々がその前に集まって、相談をし、そこでいろんな提 案が行われて、最後に若い美しい女神がハダカ踊りをすると、あんまり可 笑しいのでみんなが笑う。

外で歓声があがって、あんまり騒がしいので、アマテラスオオミカミ様が 好奇心から岩戸をちょっとだけ開けて、身を乗り出すと、そこを力持ちの 神様が引っ張り出しています。

朝鮮でも、中国でも、インドでも、中東でも西洋でも、すべての神話の神 様は、全能の神ですから、なんでも自分で決めてしまうのです。みんなで 相談するということをしません。ところが日本では、神様たちが、ああで もない、こうでもないと相談をしあっています。

その日本では、世間が神様です。ついこの間までは、「世間様に申し訳な い」とか「世間様に顔向けができないとか」、「そんなことは世間様が許 さない」などと言ったものです。ですから社会そのものが神様であるとさ れていたわけです。これも、世界にまったく例がないことです。

私は多少、武道をかじりました。空手の高段者ですが、剣道もすこしかか わりました。

まず、武道という言葉は、外国語に翻訳できません。英語では、 「Martial art」と言いますが、これは「戦う術」です。日本では、武道 は、精神性がきわめて高いものであって、空手でも試合に出ると、勝ち負 けを考えるな、何も考えずに無念になって戦え、と言われます。そんなこ とは、なかなかできるものではない。剣道も、やはり勝ち負けを離れ、無 心になって戦え、計算してはならないといいます。

   斬り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ
   踏み込みゆけば あとは極楽

これは宮本武蔵の有名な言葉です。剣道にはいろいろな流派があります が、なんと柳生流に無刀流というのがあります。刀を使わないで相手を倒 すというのです。ここまでくると精神主義の極みのような気がします。外 国人に話しても、わかってもらえません。

こういう、「心を大切にする」ということは、日本の武士の精神は日本刀 に宿っているといわれますが、全部で1273点ある国宝の品目の中で、 いちばん多いのが日本刀だというところにもあらわれています。

日本刀は平安時代にいまのカタチになり、鎌倉時代に完成して、こんにち に至っています。私は武道に関心をもって、韓国、中国に行ったり、東南 アジアや、インドネシア、インド、中東、ヨーロッパを訪ねると、各地の 武術について、色々と話を聞きましたが、刀の種類が一種類しかない国 は、日本以外にありません。

どこの国でも、剣の種類がたくさんあります。戦場の状況によって、ちょ うどゴルフでクラブを状況に応じて、いろいろ取り替えるように、剣を選 んで使うものです。

それから、両手で刀を握って戦うのも、日本だけです。朝鮮でも中国でも ヨーロッパでも、刀は片手で持ちます。両手で刀を握るというのは、相手 のフトコロに飛び込まなくちゃなりません。

武道に限らず、茶道でも華道でも、香道でも、日本舞踊でも、日本ではあ らゆるものが心が一番重要とされます。着物もそうです。

私の母親は着物が好きだったので、幼いころから帯を結ぶのを手伝わさ れ、成人してからはハクビや装道の顧問をし、着付けの資格も持っていま す。着物は、ただ美しいのでは、まったく美しくなりません。

西洋や中国では、マリーアントワネットが着ていたとか、皇帝のお后が着 ていた服がいまも残っていますが、衣装そのものの見たところが綺麗だっ たら、それでいいのです。

ところが日本では、着付けがよくなければならない。身の振る舞いが美し くなければならない。心そのものが美しくないと、着物姿が美しくない。

日本は、心がつく言葉が、世界のなかでもっとも多いと申上げましたが、 こういう文化が出来上がったのが、江戸時代です。私は、江戸時代は、ほ んとうに世界の中で、人類の歴史の中で、これほど素晴らしい社会はな かったと思います。

江戸時代の良かったところを私たちが取り戻していく。そうすれば、日 本が世界の手本になって、これからは、ジョン・レノンの歌ではありませ んが、日本が手本を示して宗教や思想の対立を超えた、本当の意味での平 和な世界をつくることができるのではないかと思います。


<「頂門の一針」から転載>

2013年07月12日

◆中国経済は状況不透明と古沢財務官

古澤 襄


<[東京 11日 ロイター]古沢満宏財務官は11日、ロイターとのインタビューで、景気減速懸念が強まっている中国経済の実情は不透明だとして、19─20日にモスクワで開催される20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議で、事実関係を確認したいとの考えを示した。

また、国際通貨基金(IMF)の首席エコノミスト、オリビエ・ブランシャール氏が9日、世界経済見通しを発表した記者会見で、安倍晋三首相が掲げる経済政策「アベノミクス」が世界経済のリスクになり得ると指摘したことには、IMFが以前から主張する財政健全化の必要性を訴えたものだとして、アベノミクスの評価が変化したわけではないと述べた。

財務官との主なやり取りは以下の通り。

──G20の議論、中国を含む新興国経済動向などが焦点か。

「世界経済について色々な意見交換がなされる。どう議論が進むかは分からないが、各国とも関心を持っているのは事実。ブラジルやインドなど新興国は自国の状況を話すことになるだろう」

──中国経済の見方は。

「必ずしも状況がはっきり分からないところがある。率直な意見交換がなされるだろう。地方のシャドーバンキング問題など、必ずしも皆が情報を共有できている状況でもない。事実がどうなのかを注視したい。中国経済がどう推移するかは、世界経済全体に与える影響も大きい」

「日本は、中国も欧州も米国も、それぞれ注目していかなければいけない。特に中国だけという訳ではないが、日本との関係は深いので、注視していきたい」

──緩和マネーの波及効果(スピルオーバー)をめぐる議論の見通しは。

「4月(のG20開催時)は日銀も(世界の金融緩和策推進に)加わり、それが流れてバブルを呼ぶとか、どう為替に影響するかが(議論の)中心だった。4月も潜在的には出口(戦略に動いた際の影響)の話はあったが、資金が入ることによる影響が中心だった」

「しかしここに来て、資金が出ていくことに議論の中心がシフトしてきた。米国が出口論を話すようになり、市場が反応し、通貨安競争と言っていたところから、新興国通貨はむしろ下落してインフレが高進するところも出てきた。従って、新興国経済とスピルオーバー問題は一体的に議論されるだろう」

──議論が対立しやすいテーマではないか。

「色々な懸念があるのはわかる。4月の声明に『長期間の金融緩和から生じる意図せざる負の副作用に留意する』と記しているが、緩和策を長期間継続すると悪影響が出るとの議論はG20でずっとしてきた。長期間やらないとなれば、どこかで出口戦略を取らなければならない」

「出口戦略を推進するにあたり、市場とのコミュニケーションをやっていくとか、そういうことにはなるだろう。米当局も注意してやっている。色々な影響があるとの意見は出るだろうが、出口戦略をやめてくれとの議論にはならないだろう」

──G20で日本はどう主張するか。

「3本目の矢が放たれた経済政策と、足元でいい経済指標が出ているので、着実に効果が表れているとの話をする。それが世界経済全体にとって良いことだと重ねて説明し、引き続き理解を得たい」

──IMFがアベノミクスをリスクと指摘した。

「IMFは新たなリスクとして、中国のシャドーバンキング問題と日本のアベノミクス、米国の出口戦略を挙げたが、言わんとしているのは、日本は財政再建をやらないと国債に影響を与えるということ。アベノミクスの政策そのものについて、おかしいとかリスクがあるということではない。従来からIMFが言っている通りで、財政健全化の道のりは今後、示していかないといけないと思っている」

「IMFのアベノミクスに対する見方が変わったということでは、まったくないと理解している。IMFは(財政健全化は)新政権になる前からずっと、やらないといけないと言っている」

──景気回復と財政再建の両立をめぐる議論は。

「成長と財政健全化のバランスを取ること、大きな方向は皆(G20各国は)そういった認識だと思う。相反する目標ではなく、両方を目指すとの議論に各国ともなりつつある。欧州や米国では失業問題が大きい。成長と雇用創出、全体のバランスをとっていかなければならない面がある」

「日本は成長を目指して補正予算などの刺激策、かつ金融緩和を行い、実際にその効果が出てきている。財政健全化も(計画を)出すので、大きな議論の流れに沿った政策を打っている。成長すれば税収が上がり、財政健全化にも貢献できる」

──ドルが100円を割り込んだが、円安見通しは根強い。

「色々な見方が市場にあることは承知している。水準についてはコメントしない」

──円相場動向はファンダメンタルズに沿っているか

「われわれの政策は、長いデフレから脱却して日本経済を立て直すことが、世界経済にとっても良いということでやっている。われわれが為替をどうこうという意図は全くない。為替は市場で決まるものであり、市場のパーセプション(理解)ということだ」(ロイター)>
2013.07.12 Friday

<「頂門の一針」から転載>

◆匿名の投稿は楽しい!

馬場 伯明


渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」の本文と反響欄への投稿基準は、主宰者から示されている。《ご感想、ご投稿をお待ちしております。ただし本名で署名の上、匿名希望なりハンドルネームなりを書いてください。(本誌「身辺雑記」)》

つまり、掲載権限は主宰者。投稿者が本名(実名)を主宰者に開示し、誌上掲載では匿名希望やハンドルネーム(仮名)を認めるというものだ。

《【匿名】実名をかくして知らさぬこと。「−批評」(広辞苑 第2版)》。《【匿名】名前を隠す。また、隠し名。(角川漢和中辞典90版)》

本稿では、作家らの筆名や仮名、芸能人らの芸名など業務用のものは対象とせず、もっぱら自分の正体を隠す目的で匿名や仮名にする人(以下「匿名者」とする)を念頭において話を進める。

ネット掲示板、ブログ、メルマガの発信者(書き込みを含む)は匿名者が多く、ツイッターとフェイスブックは実名者が主である。匿名者といっても大半が真面目な善意の匿名者であろう。だが、違う匿名者もいる。冷やかし、嫌がらせ、おせっかい、クレーマー、脅迫・・・。

新聞の「声」欄の投稿文に加え実名の投稿者の詳しい住所や電話番号を探索しネット掲示板や匿名ブログに公開した者がいると新聞にあった。「売国奴」「お前の家はわかっているぞ」「・・・」など匿名電話による嫌がらせもあったという。(朝日新聞2013/6/28)。

これは卑劣な行為である。全体感では逆効果であろう。そもそも、なぜ匿名の投稿をしたいのか。なぜ覆面で他人にそこまで干渉するのか。

夜の居酒屋で友人らと「匿名談義」になった。話すうちに高尚な理論ではなく「匿名の投稿は楽しい!」からだという平凡な結論に至った。

私は実名主義の常識人間であり投稿やコメントも実名だ。でも、匿名者の心理にも関心がある。次は、居酒屋で出た「楽しい匿名」の事例である。

《 嘘を書いても生身の自分は特定されず気が楽。/貧乏人から金持ちに変身。/変装と変身は楽しい。/精神の自由を満喫。/偉そうに振る舞い博士と名乗る。/老若男女に成り済ます。/実名者を闇討ちする優越感。》

《 無責任な発言や発信が通用。/目上や上司に軽口やため口。/仕事や地位を離れ正論を発信。/自分の書き込みに他人が賛成すると嬉しい。/スーパーマンになったような気分。/変身は別名にすれば問題なし。》

匿名の投稿は楽しく匿名者はその甘い蜜の虜になる。実世界とはまったく別の精神の自由と優越感が得られるという。「スーパーマンになった気分」という話もうなずける。

本誌した欄には匿名者のコメントも自動的に掲載される。確信犯的なコメント?を書く「黒ラブ」氏には少し同情する。今さら実名を明かせば「何だ、おまえか」と集中攻撃を浴びるだろうから(最近登場が少ない?)。

実名者は匿名者を嫌う。だが中身の検討が必要である。じつは、実名者が相手に求める真意は「真面目な投稿を!」のみ。良識と道徳性を堅持し発信してくれれば、(私は)相手は実名・匿名のどちらでもいい。

嫌うのは理不尽な主張と罵詈雑言である。「ババア、くたばれ!」「・・・(体の欠陥を!)」「・・・無」など。でも、それを実名者が発信すれば「天に唾する」結果になる。(だから、実名者は愚かな発信は控える)。

実名者のブログ等に匿名者が土足で侵入し(投稿し)軋轢が先鋭化する。ところが匿名者はネットの治外法権である闇に逃げる。「卑怯者、名を名乗れ!」。実名者は空しく叫ぶだけ。

だが、匿名者はしれっと余裕だ。「私の質問に答えていない。反論できないの?自信がないの?」と不毛な掛け合いに持ち込み、楽しむ!

唯一、匿名者間の純粋の学術論争など実名より有益な場合がある。地位・身分・性別・年齢などの周辺要素が捨象され、先入観なく地位や肩書から離れ自由な論争ができる。【例】A教授と(若い)B助教の論争。

【例】科学系ブログ「kikulog」では菊地誠阪大教授の関心事に匿名者の賛否・疑問等が書き込まれ真面目な議論が展開される。100件超のときもある。菊地教授は「通りすがり」「匿名」等、発言者の同一性が判然としない「捨てハンドル」でのコメント投稿は削除と予め宣言している。

匿名者には「匿名をやめなさい」と諭しても効果はない。なぜって「匿名の投稿は楽しい」からやめられない。

海水浴に喩えると・・・。泳げない(匿名)者が(匿名の)浮き輪で泳ぐ。浮き輪は沈まない。優越感から、つい、他の遊泳者の頭を押さえ、足を引っ張る「悪さ」をしたくなる。(自分の身の危うさがわからない!)

じつは10数年前、ある雑誌に私の過激な匿名の投稿が何回か掲載されたことがある。【例】「宗教団体の悪い特権」「私が殺したくなる人」など。

掲載直後は気分爽快で高揚感があった。だが、数日後、犯罪者に堕ちたような悔恨とある苦い塊が心の奥に沈澱し、長い間消えなかった。

華やかなインターネット時代における、臆病者の匿名者の心の真実と心の(裏の)闇とはどう繋がっているのだろうか。

本稿の最後に「『大波小波』匿名批評に見る昭和文学史・第一巻」(東京新聞1979発行)から、長くなるが、中村光夫氏の巻頭の一部を引用する。現代の(奢れる)匿名者に正座して聞いてもらいたいが・・・。

《・・・名を秘してものを言うのは本来臆病者の仕事です。と言って悪ければ、匿名は批評のなかでもっとも遊戯的要素が強い仕事です。そこには顔をかくしてものを言う洒落気と、「公衆」の代表者をもって自任する正義感と、力を自負する相手を「術」で倒す熟練とが、溌剌と結合していることが必要で、

さらに文学に対する無償の、自己顕示欲をはなれた愛情があれば申し分ないのですが、その根本の魅力をなすのは、一度ごとに読み捨てられる文章を思い切った告白の場とする人眼につかぬ誠実です。短評の文章に文学としての生命をあたえるのはこの半ば無意識の正直でしょう。》

匿名者であってもこのような「無意識の正直」者でありたいものである。「文学」を自分の分野の語彙に置き換えても、中村光夫氏が書いた匿名(批評)の意義の普遍性は今も色褪せていない。(2013/7/7千葉市在住)

(追記)

実名者と匿名者の関係を整理した。(1).匿名者が匿名の投稿をする。(2).匿名者にとって「匿名の投稿は楽しい。(3).実名者は匿名の投稿が嫌い。でも実名者の真意は匿名者の排除ではなく「真面目な投稿を」である。

(4).つまり、悪意の投稿や罵詈雑言はやめてほしい。(5).だが、匿名者は(4)には不満。なぜか?♪楽しくないから。(6).そして、匿名者は、また(1)の匿名の投稿にもどる。

あれっ〜〜、ぐるっと一回転だ。「♪まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみくり返し・・・」(「時代」中島みゆき)。

<「頂門の一針」から転載>

 

2013年07月11日

◆中国に使われ捨てられて…

西田 令一


米通信傍受機関、国家安全保障局(NSA)の情報漏洩(ろうえい)は日本などの外交施設の盗聴疑惑にまで発展し、どこまで広がりをみせるかはっきりしない。が、中国が最も得したということだけは確かである。

NSAが通話履歴や電子メールなど大量の個人情報を密(ひそ)かに収集していたことが発覚したのは、6月上旬の米中首脳会談の直前だ。

米側は、年30兆円もの知的財産の損失を被る中国などからのサイバー攻撃を最優先議題に据えたから、何とも発覚時期が悪かった。

ほどなくして、米中央情報局(CIA)元職員、エドワード・スノーデン容疑者(スパイ罪などで訴追)が中国・香港特別行政区から、自分が漏洩者だと名乗り出て、NSAは中国大陸や香港でハッキング行為をしてきた、とも暴露した。

すると、英字紙チャイナ・デーリーは、中国を非難する米国こそ「個人の自由とプライバシー追求への最大の脅威」との識者見解を伝え、国際情報紙、環球時報は「中国の安全を侵犯する行為の即時停止」を迫る有力学者発言を引用する。外務省報道官も「国際社会の懸念」を振りかざして米側に説明を求めた。サイバー攻撃追及の矛先を漏洩の方にそらす意図がありありだった。

軍民の先端技術を盗用するサイバー攻撃は、テロ防止目的の個人情報収集とはもちろん、諜報活動の一環たる盗聴とも次元が違う。体制ぐるみの犯罪といえる。その大きな脅威が、漏洩に世の非難と関心が集まったせいでかすんでしまう。

中国が、米国の身柄引き渡し要請が来て摩擦の種となった同容疑者をロシアへ出境させたのは、取る物を取っての厄介払いだった。

漏洩には、テロ阻止とプライバシー保護の折り合いで論議を促した効用もみられる。同容疑者はしかし、法を犯し、情報、政治の自由度に難のある中国・香港やロシアを脱出先に選ぶなど、問題提起の仕方を完全に誤ったというほかない。

論説副委員長・【風を読む】産経ニュース2013.7.9 12:39

<「頂門の一針」から転載>

2013年07月09日

◆中曽根康弘と石原慎太郎

平井 修一


「誰であっても大統領は、決断をしなければならない。誰かに責任を転嫁することはできないのだ。誰も自分の代わりに決断をすることはできない。それが大統領の職務だからだ。責任は私がとる」

米国第33代大統領(在任1945年4月12日〜1953年1月20日)ハリー・S・トルーマンの言葉である。日本への原爆投下を命じ、マッカーサーを通じた日本占領政策に大きな影響を与えた。戦後日本の生みの親である。日本人としては悔しいが、敗戦とはそういうことだ。

国政をあずかる政治家は原爆投下のように周囲の反対を押し切っても国益のために非情な決断をする。冒頭の言葉は敵国の親玉の言葉ではあるが、その職の重さを伝えている。

昭和の初め(1929年7月2日〜1931年4月14日)に首相を務めた浜口雄幸(おさち)は理想の政治家たらんと修養、努力を惜しまなかった。「政治は浜口の唯一の趣味道楽だ」という声もあったが、浜口は「政治が趣味道楽であってたまるものか、およそ政治ほど真剣なものはない、命懸けでやるべきものである」「政治は国民道徳の最高水準たるべし」 との姿勢を守り通した。

政治の重さを承知していた。「一国の政治の方針と運用ならびに政治家の態度と心術とが、一国文化の上に及ぼす所のその影響は実に広大無辺」とも書いている。昭和5年、浜口は東京駅で暴漢に撃たれたが、死を目前にして「男子の本懐だ」と呟いた。もう自分は一身を燃焼させて命を懸けてやってきたのだから、ここで斃れても思い残すことはない、ということだろう。

言うまでもなく政治家は、職業として執政にあたり、国家経営を推進していく指導者である。日本では国会議員、地方議員、地方首長などが政治家の代表で、国権の最高機関である国会には722人の議員がいるが、浜口の言う「国家を率いる政治家こそ最高の道徳が追求される、政治は最高の道徳を行うものでなければならない」と思っている政治家が今はいかほどいるのだろうか。

浜口雄幸を尊敬する中曽根康弘(1918年:大正7年5月27日 - )は95歳になった。評価はいろいろだが、政治家、その最高地位である宰相としての責任、覚悟をもっていた人だろう。彼から見ると今の政治家は物足りないようだ。

「我々先輩の政治家から見ると、2世、3世は図太さがなく、根性が弱い。何となく根っこに不敵なものが欠けている感じがする」(2008年9月3日読売新聞)

4年11か月に及ぶ長期政権を担った中曽根は“総理の資質”についてこう語っている。

「総理大臣になった途端に官僚や新聞記者から冷たい目で見られる。彼らは能力が高く、今までの歴史を熟知し、歴代総理の在り方を研究したうえで現役総理を眺めている。そこに身を晒している。それを克服するだけの人間的魅力と能力がなくては一人前の総理大臣とは言えない。

能力とは先見力、説得力、国際性。そして政治家同士を提携させる、学者との関係を適切にやる、ジャーナリズムとの関係をうまく導き、同じ志を持つ者を集める結合力。それらが非常に重要な要素になっている。多少時間がかかっても克服しなくてはならない。それが宿命だ。

権力者は孤独だ。権力と相対しているとそれが責任感、孤独感に転じていくのだ。責任を果たさなければならないという気持ちが一人でいるときに孤独感を誘引してくる。総理官邸で夜中に考え事をしていると、梟(ふくろう)の鳴き声が聞こえたことがあった。浜口雄幸総理の随感録にも同じことが載っていた。同じように梟の声を聞いて先輩と政治責任を分かち合う気持ちは、総理官邸に住んだ者にしかわからない」(SAPIO 2012年11月号)

中曽根が「最後の国士」として評価した前野徹(元東急エージェンシー社長)は、晩年の著書で石原慎太郎を「ぜひ総理に」と推奨している。こうだ。

「新生日本の国家ビジョンを実現する礎と確かな道筋をつくりイニシアティブをとっていく、この難業を完遂するには従来の為政者を越えた実行力と決断力をもち、強靭なリーダーシップを発揮できる人物でなければ務まらない。この役割を担えるのは石原慎太郎さん以外にはない」(「戦後六十年の大ウソ」)

石原慎太郎は1932年:昭和7年9月30日生まれだから80歳である。保守政治家ということで中曽根康弘とも昵懇だが、宰相を務めた中曽根に比べて言動が軽い印象は否めない。石原は都知事から17年ぶりに国政に復帰し、橋下徹大阪市長とともに「日本維新の会」共同代表を務めているが、石原が橋下という国政経験のない「テレビタレント」と手を組んだのは、小生からみれば「ずいぶん軽いなあ」と思う。人気者の集票力を当てにしたのか
もしれない。

橋下は、かつて横山ノックを大阪府知事に選んだ「テレビ白痴症」と同じ人々が支持しているのだろうが、人気は当てにはならない。日本維新の会はこの6月の東京都議会議員選挙では惨敗した。今月7月21日の参議院議員通常選挙でも失敗すれば日本維新の会は消えるかもしれない。

石原は年初に軽い脳梗塞を患った。いくら若々しいと言っても傘寿である。橋下人気にあやかった日本維新の会が空中分解すれば石原の再起も難しいだろう。

佐々淳行(1930年:昭和5年12月11日 - )は第3次中曽根内閣で初代の内閣官房内閣安全保障室長に就任している。2007年:平成19年の東京都知事選挙では石原の要請で選挙対策本部長を務めており、今では石原応援団長のようである。佐々は石原より2歳年長の82歳で、これまた元気な老人だなあと思っていたら、7月から病気療養で休業した。

加齢とともに肉体は弱る。それは誰も避けることはできない。石原も20代のように障子を突き破ることはできまい。「太陽の季節」も終わりになろうとしている。(2013/07/08)

<「頂門の一針」から転載>

◆原発再稼働のコストマインド

泉 幸男


「モッタイナイ」の精神が世界的に称賛されたのは、いつのことだったろう。

いま日本でいちばんモッタイナイもの。それは再稼働を待つ原発である。

原発1基が動かず、代わりに火力発電所で石油や天然ガスを燃やすと、1日あたり、およそ2億円の余分な経費がかかる。

安価なウラン燃料の代わりに、高価な石油や天然ガスを燃やすから。

■ 原発1基で1日2億円 ■
7月8日に、北海道から九州まで10基の原発の再稼働申請が出される。7月12日には、さらに九州の玄海原発2基の再稼働申請が加わり、合計12基となる。

審査するのは環境省原子力規制庁の80名の職員。「少なくとも半年程度かかる」と言っている。(原子力規制庁・森本英香次長の5月31日記者会見発言)

80名が3班に分かれての審査。審査作業が1日早まり12基の原発が1日早く再稼働するだけで、2億円×12基=24億円分の燃料費が節約できる。

その分だけ二酸化炭素の排出も減る。

海外の資源国へ支払う巨額のカネが国民経済へと回り、国民の福祉向上に役立ち、多くのいのちも救われるだろう。

6ヶ月かかるところを、環境省の80名に潤沢な残業代を支払って5ヶ月で審査が終わったとしよう。再稼働が30日、早まる。

24億円×30日 = 720億円 が、国民の福祉向上に役立つおカネとなる。

「時はカネなり」を絵に描いたような世界だが、環境省にその認識があるだろうか。


■ 環境省のおどろくべき視野の狭さ ■

審査に手心を加えてくれなどと言っているのではない。環境省はいまや絶大な権力者なのだから、相応のコスト意識とスピード感をもって仕事をしてほしい、ということだ。

「環境省原子力規制委員会の使命は、環境と生命を守ることに特化すべきであり、それ以外の要素を規制委員会が考慮することはない」とは、環境省原子力規制庁の森田 深 統括管理官の発言だ。(電気新聞、平成25年6月11日報道)

6月7日の敦賀市原子力発電所懇談会で、敦賀原発の廃炉を憂慮する敦賀商工会議所会頭が「地元経済は疲弊、困惑している」と発言したのに答えて森田統括管理官が述べた発言だが、環境省がそういう視野の狭い考え方で仕事をしてもらっては、皆が迷惑する。


■「バース党排除」の論理 ■
フセイン後のイラクの占領統治が米国主導で行われたとき、大混乱に陥った。

官僚・職員がこぞってフセイン傘下のバース党に所属していたイラクで、占領統治は「バース党の排除」を旨として行われた。

その結果、経験ある官僚・職員が軒並み排除されてしまい、イラク統治は大混乱となった。

同じことが、いま日本の原子力行政でも起きている。

従来、原子力に携わってきた経産省資源エネ庁や文部科学省の官僚・職員が排除され、しがらみがない(=素人の)環境省の官僚・職員がこれにあたる。

かなうことなら名乗り出て、わたしも環境省で再稼働申請書類の読み込み・整理作業に加わりたいものだが。

1ヶ月頑張れば、原発2基の再稼働を1日早めて、生涯賃金分くらいは日本経済に貢献できそうな気がする。

■ 増員は来年4月以降だよ ■


再稼働申請の審査時期が来ることは、昨年度から当然わかっていた。
 
だったら人数を増やしておけばいいのに、たった80名が今日から12万ページの再稼働申請書類と格闘する(原発1基分の申請書類が1万ページという)。

80名の仕事の仕上げを1日早めるだけで国民経済が24億円もトクをするとなれば、常識ある民間企業なら非常措置で追加人員をかき集めるだろう。

しかし環境省はどこまでも絵に描いたようなお役所仕事だ≪今年度は80人であたるが、来年度は2倍以上に増やす。経験者や新卒の採用を進めるとともに、他省庁の審査経験者などを募る。≫(日本経済新聞、平成25年6月22日5面)

来年3月末までは、テコでも増員はしないらしい。

ああ、モッタイナイ……と思うわたしって、間違ってますかね。

繰り返しになるが、審査に手心を加えよとは言っていない。厳格な審査も、急ぎようはあると言っているのである。

<頂門の一針」から転載>

2013年07月08日

◆元凶は菅元首相「諫早ギロチン暴走」

古澤 襄


<かつて民主党が衆参6議席を独占した民主王国・長崎。その後連敗を重ね、残るは参院長崎選挙区(改選1)に出馬する大久保潔重氏(47)だけとなった。

なぜオセロゲームのように自民党に議席を奪われていったのか。そこには菅直人元首相の諫早湾干拓事業開門問題での対応に代表される場当たり的かつ独善的な政権運営があった。大久保氏は最後の1議席を死守すべく民主党の再生を懸命に訴えるが、一度離れた民心を取り戻すことは容易ではない。

「民主党をみなさまとともに歩む政党に生まれ変わらせたいんです。安倍晋三首相の経済政策が庶民の財布からお金を吸い上げることにならぬよう歯止めをかけたい…」

大久保氏は7日夕、諫早市中心部の商店街で街頭演説し、聴衆300人(陣営発表)に切々と訴えた。イケメンの細野豪志幹事長が登場すると女性スタッフが「ご覧ください。この素敵なシルエット!」と絶叫。

細野氏は「大久保さんはすごい。地元長崎県、諫早市のためにあらゆる努力をしてきた。新幹線長崎ルートも大久保さんが頑張ったから着工できたんです」と持ち上げた。

だが、聴衆はどこか冷ややか。2人とも地元の最重要課題である国営諫早湾干拓事業について触れずじまいだったからだ。

諫早湾干拓事業をめぐっては、佐賀県の漁業者らが「平成9年の潮受け堤防閉め切りにより漁業不振を招いた」として訴訟を起こし、福岡高裁は平成22年12月、5年間の開門調査実施を命じた。

開門されれば、農業用水に海水が混じり、農産物の被害が懸念される上、住民は再び洪水被害に苛まされることになる。地元は必死に上告を求めたが、民主党の菅直人首相(当時)は耳を貸さず、上告せずに判決を確定させてしまった。

これに長崎選出の民主党衆参議員は激怒した。故西岡武夫前参院議長は「開門を強行するならば排水門にへばりついて頑張る」と「菅降ろし」の狼煙を上げたが、志半ばで死去。諫早で生まれ育った大久保氏も23年1月の党両院議員総会では、壇上の菅氏にこうかみついた。

「上告しなかったのは間違いだ。県連の声も当事者の声も無視しての独断。これが本当に政治主導か。地元では民主党政権は大丈夫かと言われている。首相は責任が取れるのか!」

それからは長崎選出の民主党議員は地元でおわび行脚の日々。山田正彦元農水相らは最後は党を離れたが、先の衆院選で全員落選してしまった。

一人残された大久保氏はなお責め苦を受け、苦悩の日々を送る。開門期限は12月21日午前0時に迫り、地元では開門阻止運動が激化している。自民新人で元長崎副市長の古賀友一郎氏(45)も諫早出身だけに逆風はなおさら厳しい。

ただ、安倍政権も司法判断には逆らえず、林芳正農水相は「高裁判決に従い、開門するしかない」との立場をとっているため、古賀氏も正面切って「開門反対」を唱えていない。それだけに大久保氏も細野氏も菅氏の“暴走”を素直にわび、「開門反対」で気勢を上げれば、流れは変わったかも知れない。

細野氏の演説を聴いた無職、中村広一さん(66)は「長崎新幹線も福祉も大事だけど、大久保さんは開門反対派なんだから、そこをちゃんと言わないと理解は得られないと思うよ」。

市自治会連合会の芦塚末光会長(74)は「地元に説明もなく暴挙に出た菅氏にはみんな怒っている。諫早では民主党に投票する人はほとんどおらんでしょう」と突き放した。(産経)>2013.07.08 Monday

<「頂門の一針」から転載>

2013年07月07日

◆「国敗れて憲法残る」では

岩見 隆夫


作家の野坂昭如は、憲法改正について、

<自衛隊を国防軍に改める動きがある。名などどうでもいい。日本の何を守ろうとしているのか。小さな島国において軍事で守ることが出来るのか……>(5月21日付「毎日新聞」コラム<七転び八起き>)

と書いている。国防をどうすればいいのか、何も触れていない。

<九条の会>のノーベル賞作家、大江健三郎らは、改憲論議が起きるたびに、憲法9条こそ平和の礎と訴えてきた。世界の大江である。9条さえ守れば平和は永続する、と信じる人も多かろう。

ところで、野坂、大江らは、かつての戦争末期を知り、敗戦体験を持つほぼ同世代の著名な有識者だが、<国を守る>とは何か、を突き詰めて考えたことがあったのだろうか。

野坂も書いているように、戦前・戦中は<神州不滅>という言葉が日本独自のものとしてはびこっていた。戦後の<9条平和>もどこか信仰的で似ている。

いま肝腎なことは、国敗れて憲法残る、にならないか、という問題提起にどう答えるかである。憲法改正の論点はいくつもあるが、核心は当然9条改正だ。

安倍晋三首相らは改正の論拠として、現在の陸海空自衛隊は、国際社会が認めるれっきとした軍隊だが、9条2項は<陸海空の戦力は保持しない>としており、実態と合わない、と主張する。その通りで、誰も反対できない。

だが、9条擁護論者は、それでも9条の理想主義を掲げ、文言を変えないことこそが平和を実現する道と主張し、世論の一部を形成している。安倍の形式論とは到底かみ合わない。

安倍はここで、一歩も二歩も議論を深めなければならない。国を守るとは、具体的に何をすることか。守る気概を持つには何が不可欠か。参考までに、私の体験を少しばかり書く−−。

私は敗戦後の旧満州に1年半残留し、11歳の時日本に引き揚げてきた。
1945年8月8日、ソ連軍(ロスケと呼んでいた)が怒濤(どとう)のごとく満州を南下、あれよあれよという間に南端の大連市になだれ込んできた日を忘れない。

露払いをしたのは中国共産党軍(パーロと呼んでいた)だった。ソ連兵の狼藉(ろうぜき)によって命を落とした在満日本人は数知れず、ごく一部が残留孤児になったのだった。

精鋭といわれた関東軍は名ばかりで、非戦闘員を残したまま逃げ散った。ポツダム宣言受諾によって戦争が終結(8月15日)したあとも、満州では非戦闘員の犠牲が続いたのである。

敗戦までの内地空襲、広島・長崎原爆投下、沖縄地上戦、サイパンなど南の諸島玉砕を含めると、命を奪われた非戦闘員は優に100万人に上る。これが戦争だ。

肝に銘じなければならないことは二つに尽きる。第一に、二度と戦争をしてはならないこと。そのためのあらゆる努力をする。9条1項(戦争の放棄)が掲げる通りだ。

第二に、しかし不幸にして侵略されたり戦争に巻き込まれたりした場合、絶対に負けてはならないこと。敗北は民族の大悲惨である。しかし、戦後約70年、敗戦体験者が日々減り、経済繁栄のなかで戦争の記憶が薄れてきた。

日本はきわどいところにきている、と私は思う。戦後の日本は、政治も世論、教育も<不戦>の誓いを唱えることばかり熱心だったが、<不敗>の備えを固めるのには関心が乏しかった。なぜか、いずれ触れる機会があるだろうが、とにかく、これまで平和が続いたから、これからも続くに違いない、という信じがたい楽天主義の国になっている。

独立国として、また<不敗>の備えとして精強な軍隊を持つのは初歩であり、軍事大国とか軍国主義とは無縁のものだ。9条擁護論者はそれに反対している。徹底討論が必要だ。

四十数年前、佐藤政権下だが、昭和天皇が、ご進講に出向いた当時の防衛庁長官に、

「日本は原爆を持たないでよいのか」

とご下問になったことがあった。長官に答えられるはずがなく、

「検討中であります」

と述べるしかなかったという。ベトナム戦争の最中で、まもなく米中接近のニクソン・ショックも起きる。

天皇は、政府が国の防衛について、どこまで真剣かつ現実的に取り組んでいるのか、を試すつもりだったのだろう。原爆保有をすすめたのではもちろんない。

戦前から、天皇は世界の情勢を俯瞰(ふかん)的に見てきた唯一の方である。戦後の国防のあり方に、不安なものを感じておられたのではなかろうか。戦力不保持は理想かもしれないが、このままでは国敗れて憲法残るになりはしないか、と。(敬称略)

毎日新聞近聞遠見: 2013年07月06日東京朝刊=第1土曜日掲載

<「頂門の一針」から転載>

2013年07月06日

◆沖縄について・非常事態近づく

西村 眞悟


7月2日、沖縄出身の自衛官が涙を滲ませながら、襟を正して那覇で私に言った。「知っておいていただきたいことがあります。私の父は、既に亡くなりましたが、沖縄は内地だ、外地ではない、と私に言いました。

戦前は、朝鮮と台湾は外地法が適用されたが、沖縄は内地法でした、だから沖縄は内地なんだ、と父は私に言い残したのです。」

この度沖縄では、「琉球共和国独立」を求める小集団(国籍不明)が、琉球独立の大段幕を掲げてデモンストレーションをした。

また、要人が県庁を訪れるときに、県庁前に、「大和」と「沖縄」は違うというスローガンも掲げられた。そして、これらの映像は、さっそく中国国内で「琉球の独立運動始まる!」と大々的に報道され、中国人民は日本に植民地支配されている琉球人民を救出しなければならないと呼びかけられたという。
 
中国共産党は、既に奄美群島をも含む琉球共和国独立綱領や琉球自治区構想を発表しているが、いよいよ、我が国を「本土」と「琉球」に分断し、沖縄内部に「独立」の機運が高まってきたかのような仕掛け・プロパガンダを開始したのである。

この「琉球独立プロパガンダ」は、中国共産党の沖縄併呑の手法を明らかにする重要な布石である。
 
中国共産党は、五年前、北京オリンピック聖火リレーが行われた長野市に4千名の「留学生」を送り込んで市域を赤旗で埋め尽くして「中国解放区」とする実験をした。従って、この手法を何時でも沖縄で再現できる。
 
しかも、3年前の7月1日、我が国の菅直人内閣が中国人に対する観光ビザ発給要件を大幅に緩和して大量の中国人が観光名下で我が国に流入することができるようにし、

それに呼応するかのように、まさに同日、中国政府が国外にいる中国人に指令を発すれば中国の為に国外で軍事行動をとることを義務付ける「国防動員法」を施行したことによって、

我が国内で中国政府が軍事行動に動員できる在日中国人の規模・人数は飛躍的に増大している。

(中国共産党のシナリオ)
即ち、ある日、那覇で反基地闘争が激化したとき、一部が暴徒化して市内に火を放って道路を封鎖して制圧し、一定地区を占拠したとする。

すると、その地区内に「琉球共和国独立万歳」の旗が林立した。さらにどこから湧いてきたのか、大量の中国人が占拠に加わり始めた。同時に赤旗の数も劇的に増えてきた。
 
そのうちに、沖縄県警の人数を遙かに超える中国人が暴徒化し、住民に乱暴狼藉をはたらき、略奪と暴行が始まった。県警本部は暴徒に占拠され、沖縄県警は対処する能力を失った。

そして、治安維持のために動ける組織は、在沖縄の自衛隊とアメリカ海兵隊だけになった。時と共に暴徒の乱暴狼藉は激化し死者が急速に増え、市街地の暴力と無秩序はもはや耐え難くなった。ついに、自衛隊と海兵隊の両部隊は暴徒鎮圧に動いた。
 
中国政府は直ちに反応し、その時を待っていたかのように、「琉球人民断固救出救援」の声明を発し、人民解放軍に動員令を下すとともに、中国人民に琉球人民との連帯を呼びかける。

すると、満を侍していたかのように大陸から5千隻の武装漁船が沖縄目指して押し寄せてきて、沖縄島を包囲し、一部は上陸を開始した。(シナリオ終わり)

東京の我が国の国政の中枢と沖縄において、中国共産党のこのシナリオを実施する布石は数年前から着々と打たれ、既に実戦段階に入っている。

この現実化しつつあるシナリオが、私の沖縄報告の締めくくりである。仮に、之が実現すれば、沖縄どころか我が国全体が中国のくびきのもとに入る。沖縄は日本であり日本は沖縄であるからだ。まさに、重大な危機ではないか。
 
よって、政府は、中国国内の琉球独立を煽る報道を、重大な関心をもって収集し、今までのように放置せずに、その都度、厳重に中国政府に抗議するとともに、

あらゆる機会を捉えて中国政府のウイグルやチベットやモンゴルや北朝鮮の脱北者に対する人権弾圧を非難し、中国共産党は、尖閣を含む全沖縄に対して領土的野望を実現するために露骨な侵略を開始しつつあると、全世界に喧伝し続けるべきである。

同時に、政府は今こそ、沖縄の基地負担軽減ではなく、日本防衛、沖縄防衛のために沖縄の基地の強化充実に乗り出さねばならない。

政府は、斯くの如き危機的状況下にある沖縄において、反基地・基地負担軽減は、国内の反日左翼と国外の中国共産党の合同による日本弱体化の謀略である旨の断固たる声明を全国民に向けて発するべきである。

また、この亡国の謀略を許した元凶を除去する為に、「スパイ防止法」を直ちに制定施行しなければならない。そして、最後に言っておきたい。この度の訪問で私の会った沖縄県民は、全て政府のこの断固たる措置を歓迎する誇りある国民であった。
2013.07.06 Saturday

<「頂門の一針」から転載>

2013年07月05日

◆日本株価 年末までに再度上昇予想

古澤 襄


米ウォール・ストリート・ジャーナルはKANA INAGAKI氏による「日本経済の先行き見通しは堅調で、政治的決意も強い。このため、株価が年末までに再び上昇し始めると信じる投資家が少なくない」とする論評を掲げた。

これには「今後数カ月間は紆余曲折をたどる公算が大きい」との前提がついている。

現在の世界市場はグローバルなリスクが再浮上している。最近の株価下落は?米連邦準備制度理事会(FRB)が量的緩和措置を縮小するとの観測?中国の弱い経済統計を受けた動きで現在、中国の金融システムの緊張が浮上し、世界中の市場が神経質になっている・・・の二つの要因にあるとした。

だが、乱高下したトレーディングの間に失った投資家を取り戻すため、今後節目になるのが7月下旬の参院選だと米ウォール・ストリート・ジャーナルは指摘する。

この選挙で安倍晋三首相が権力基盤を強固にし、大幅な法人税引き下げや労働法改正といった政治的に微妙な改革に取り組むことによって状況は変化する。第2四半期の企業業績が7月末ごろに発表されれば株価は上昇するかもしれない。

その一方で懸念すべきは中国の経済・金融システムが予測不能な状況に突入する”中国リスク”である。中国など外部要因が悪化すれば日本の株価は打撃を受けることも考えておかねばならない。

<日本の株式市場は、最も熱心なブル(強気筋)をも失望させるという悪評がある。日経平均株価が6月、5月22日に付けた数年ぶりの高値から20%下落した時、投資家たちは、最近の急騰局面はもう一つの「偽りの夜明け」だったのかといぶかしんだ。

しかし日本経済の先行き見通しは堅調で、政治的決意も強い。このため、株価が年末までに再び上昇し始めると信じる投資家が少なくない。

ただし、今後数カ月間は紆余曲折をたどる公算が大きい。トレーダーたちが政策期待を超えて、経済成長と企業業績の具体的な兆候を見極めようとするためだ。

週末6月28日、日経平均株価は5月22日につけた5年ぶりの高値を12%下回る水準だった。それまで日本の株価は着実に上昇し、昨年11月半ばから80%も上昇していた。最近の売りにもかかわらず、日経平均株価は依然として前年比32%高で、第2四半期(4−6月)は10%高となっており、日本はアジアで有数の株価パフォーマンスを記録。

5月は1日の変動幅が大きくなり、1000円以上浮動した日もあった。少なくとも200円の上下動は6月の大半の時期も続いた。

この結果、日経平均株価の歴史的ボラティリティー(過去60日間の株価変動の大きさを示す)は6月には37%に達した。同株価は現在1万3700円前後で、37%という変動率は、向こう1年間にわたって5069円上昇ないし下落する可能性を示唆している。

この変動率は2011年3月11日の東日本大震災と福島第1原発事故後に見られた変動率よりも高い。日経QUICKによれば、ダウ工業株30種平均株価指数の60日間のボラティリティーは10%をわずかに上回る水準だった。

■円安は日本の自動車メーカーの増益に寄与

市場の環境も変わった。グローバルなリスクが再浮上したためだ。5月23日の日経平均の7.3%下落を例にとろう。この下落は、米連邦準備制度理事会(FRB)が量的緩和措置を縮小するとの観測と中国の弱い経済統計を受けた動きだった。現在、中国の金融システムの緊張が浮上し、世界中の市場が神経質になっている。

多くのアナリストは、最近の売りは未曽有のペースの上昇を受けた自然な調整局面だとみている。

強気センチメントの兆候の一つとして、急落の後でさえ日経平均株価のプット(売り)オプションに対する需要がそれほど強くなかった点をソシエテ・ジェネラル(香港)の株式デリバティブストラテジスト、ジャン・デニス・アードン氏は指摘している。プットオプションは、特定の時期に特定の価格で株式を売却する権利を投資家に与えるもので、通常、株価下落に乗じようとする際に活用される。

同氏は「5月23日の大変動の後、多くのプレーヤーがポジションを閉めていた」と述べた。ただし「現在の水準では、再び適切なエントリーポジションの時期だと考える投資家が少なくない」と語った。

同氏によれば、顧客は1万5000円で3カ月物の日経コール(買い)オプションを購入していると言う。コールオプションは、特定の時期に特定の価格で株式を購入できる権利だ。これは、9月までに現在の水準から株価が上昇すれば利益が得られる、と投資家が考えていることを意味する。

乱高下したトレーディングの間に失った投資家を取り戻すため、今後節目になるのが7月下旬の参院選だ。この選挙は安倍晋三首相にとって権力基盤を強固にし、大幅な法人税引き下げや労働法改正といった政治的に微妙な改革に取り組む際に決定的に重要な要素になる。

■日本はQ2にアジアで有数の株価パフォーマンスを記録

オランダ資金運用会社ロベコで11億ドルのアジア太平洋株式ファンドを運用しているMichiel van Voorst氏は、5月初めに日本株を40%から36%に減らしたと述べた。同氏は、総じて日本の株式市場に前向きだが、日本株に追加投資するのは安倍氏の決意を見極めてからにしたいと述べている。

同氏は「われわれは構造改革面で明確な前進があるかどうか見極めたい」と述べた。同氏は「われわれは正しい方向の中で若干のうわさを耳にしているが、具体的な政策提案はあまり多くない」と語った。

日本生命の調査機関であるニッセイ基礎研究所のチーフエコノミスト、矢嶋康次氏は、5月の売りは投資家がアベノミクスにうんざりしていることを示唆するとし、彼らは日本以外に関心を示していると語った。

矢嶋氏は「日本の株式がここから新たな高値を追おうとするのは難しい。安倍氏がどんなに努力しても、中国など外部要因が悪化すれば日本の株価は打撃を受けるだろう」と語った。

それでもなお、第2四半期の企業業績が7月末ごろに発表されれば株価は上昇する、とトレーダーたちは予想している。業績は良好との予測が広まっている。海外で稼いだ利益は、本国に送金する際に円安に伴って、その価値が膨らむためだ。ドルは今年、対円で14%上昇した。

約9400億円(95億ドル)を運用している損保ジャパン日本興和アセットマネジメントのシニア・インベストメントマネージャー、菅原繁男氏は「現在まで市場はアベノミクス期待で動いていたが、ここからは政策期待ではなく企業収益によって決まる市場になるだろう」と述べた。

市場を動かす要因のシフトの一環として、取引パターンもまた変化しつつある。最近まで、株式売買は、日経平均など株式指数を追跡する戦略を行使する外国ヘッジファンドの大きな動きによって支配されてきた。

しかし、一部ファンドマネジャーによれば、東京市場はここからは「株式ピッカーズ市場(企業のパフォーマンスをみて売買する市場)」になるだろうという。これは収益パフォーマンスやバランスシートなど企業の特殊要因を見てポートフォリオを組む投資マネジャーにとって有利な機会になる。

米プルデンシャル・フィナンシャルの子会社プルデンシャル・インベンストメント・マネジメント・ジャパン株式運用部長の篠原慎太郎氏は「いままでファンダメンタルズから切り離された動きがあったが、今後は株価が企業利益との関係でどう動くか、もっと現実的に見極めようとするだろう」と予想している。(ウォール・ストリート・ジャーナル)>

<「頂門の一針」から転載>