2013年06月14日

◆内閣不信任案 思考停止の民主

古澤 襄


何をやっても”超低空飛行”から脱する見込みが薄い民主党内で安倍内閣不信任決議案を提出するかどうか、頭を悩ませているという。

出して”圧倒的な少数?”で否決されれば、東京都議選や参院選にマイナスという声もある。党執行部は損得勘定を踏まえて最終判断を下すそうな・・・。何をやっているのだろう。政権から滑り落ちて”思考停止”状況に陥ったとしか思えない。

<今国会の会期末が26 日に迫る中、民主党は衆院に内閣不信任決議案を提出するかどうか頭を悩ませている。7月に予定される参院選へ弾みになるのであれば、安倍政権との対決姿勢を示す上で良い機会にはなる。

しかし、可決の公算がない上、安倍晋三首相の政権運営に決定的な失点がないため、世論の反発を招くリスクを背負う。党執行部は損得勘定を踏まえて最終判断を下す。

会期末の不信任案提出はいまや国会の「風物詩」といえる。否決されれば信任されたことになるが、対決色を強めるために、ときの野党は否決覚悟でも提出することが多い。

ただ、14 日からは東京都議選(23 日投開票)に突入する。首相は英・北アイルランドでの主要8カ国(G8)首脳会議(サミット)に出席するため、15 日に日本を出発、20 日まで帰国しない。すでに与野党の国会での攻防は盛り上がりに欠けている。

「首相はサミットの後にロンドンで講演するようだ。外遊はいいが国会をないがしろにしている。外面はいいが家庭を大事にしていない」

12 日の民主党代議士会で、高木義明国対委員長は首相批判を繰り広げた。しかし首相の外交日程をつぶすことは国益の観点からできない。となると、帰国後に「見せ場」を作るしかないとなるはずだが、執行部は慎重だ。

不信任案提出の理由の中で政権の経済政策「アベノミクス」を批判すれば、世論から景気の足を引っ張っているとみられかねない。

民主党がこだわる衆院定数削減に焦点を当てても、定数削減には他の野党が反対している。内閣の責任とするのには無理があるし、野党共闘が不発に終わるのは確実だ。参院選で選挙協力する選挙区は少なからずあり、不信任案対応で野党間の足並みが乱れれば、選挙協力に水を差すことになりかねない。

野党共闘という前提条件をクリアするには、全野党が要求している予算委員会の集中審議に与党が応じようとしていないことを理由にするしかない。

ただ、それも都議選の結果次第といえる。「都議選で負ければ不信任案は出しづらくなる」とは別の党幹部。輿石東参院議員会長は13日の記者会見で「26日にはけじめをつけて終われるようにしたい」と語ったが、首相を牽(けん)制(せい)したにすぎないとの見方は強い。(産経)>
(坂井広志)

<「頂門の一針」から転載>

2013年06月13日

◆「誤報」発言、びしっと撤回求めろ

岩見 隆夫


『毎日新聞』の読者欄で、横浜市の63 歳の女性が怒っていた。

〈橋下徹大阪市長は自分の考えのどの部分が批判されたのか、振り返る行為が一切なく、「部分的に報道されたので真意が伝わらなかった」などと自分以外のところに批判の原因をもっていっているのです。……〉

作家の曽野綾子さんはコラム〈透明な歳月の光〉(6月5日付『産経新聞』)で、

〈橋下市長のいわゆる「慰安婦発言」で、世間がこんなに騒いだのは、多分橋下氏の政治家としての資質に危惧を抱いたからなのである〉

と書いている。どちらのご意見にも賛成だ。橋下さんは致命的な失敗をした。同じ流儀、つまり騒動を起こして人気をわしづかみにする手法で名誉挽回をはかるのは、もはや無理だろう。

ただ、政治家としての資質に危惧を抱いたのは今回が初めてではない。早い段階から相当多くの人たちが、橋下さんのまるでサーカス芸のような意表をつく言動の数々に幻惑されながらも、

「まさか、こんな人がリーダーに……」

と、懐疑の目を向けていたのは確かである。しかし、堺屋太一さんのような長老有識者らまで、信長だ、秀吉だ、と持ち上げるから、いずれ日本の統治者の座に、と思った人も、特に大阪中心にいるかもしれない。

橋下さんを、

「首相にしたい」

と公言したのは石原慎太郎日本維新の会共同代表だけだろう。ほかにもいるに違いないが、実力政治家では石原さん一人だ。ともに第三党(衆院)の党首をつとめているのだから、首相擁立を口にしても別におかしくない。

しかし、文学者としての石原さんの人物鑑識眼には本当にそう映るのか、いまも疑問に感じている。あるいは、文学者だから、私たち凡人と別のメガネがあるのか、とも思うが。

ところで、橋下さんは自らの得意技で墓穴を掘ることになった。致命的な失敗、と書いたのは、マスコミ対処法である。リーダーとマスコミの間柄は、友好的でも敵対的でも構わない。それぞれ筋が通っていればいい。しかし、一歩踏み誤れば、大けがをする。それほどの緊張関係と思ってもらっていい。

「新聞は偏向しているから大嫌いだ」

と言い放ったのは、末期の佐藤栄作首相である。だが、偏向ではなく、批判だった。佐藤さんの目には批判されることが偏向と映った。政権末期はボロが次々に出る。当時、私もシコシコと佐藤批判記事を書いた一人である。

批判の背後には読者つまり大衆の空気が躍動している。それをハダに感じながら書く。しかし、佐藤さんは大衆が見えず、目の前の新聞社と記者が偏向しているから、と憎悪した。長期政権を支えてきた首席秘書官の楠田実さんは、

「画龍点睛を欠いた」

と天を仰いだが、あとのまつりだった。権力者の無残な末路である。橋下さんも佐藤パターンに入っている。

◇生ぬるい『朝日』の反論 新聞人の怒り感じない

橋下さんは誤報でないものを、愚かというべきか、無謀というべきか〈誤報〉と決めつけた。偏向でないものを偏向と断じた佐藤さんに似ている。誤報問題を少し検証してみよう─。

問題の橋下発言は次のとおりで、5月13日の囲み取材で出た。

「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要なのは誰だってわかる」

これを紙面化するに当たって、『朝日新聞』の13日付夕刊は、
〈橋下氏「慰安婦、必要だった」〉

の見出しで報じ、翌14日朝刊の見出しは、

〈「慰安婦は必要」波紋 橋下氏発言〉

となっている。他紙も大同小異だった。

私は55年間も記者稼業に携わり、毎日各紙の見出しとにらめっこしながら暮らしてきたが、今回の『朝日』の2本の見出しはパーフェクトである。ほかに付けようがないと言って差しつかえない。

ところが、橋下さんは、

「14日の『朝日』の見出しは、『慰安婦制度必要』で出していた。『僕が』なのか、『当時』なのかを省いて『必要』とやれば、それは誤報だと僕は思います」

と見当違いの決めつけ方をした。弁護士らしくもない非論理の理屈である。

もとの発言で、

「必要なのは誰だってわかる」

と言っているのだ。〈誰だって〉のなかに橋下さんが含まれるのは言うまでもない。だが〈僕は〉と特定していないから、見出しもそうしなかっただけである。〈当時〉については、発言を読めばわかることで、見出しとは無縁。

要するに橋下さんは、

「『必要』と思っている人の主語をはずすと、いかにも『僕が』思っているように誤解されるので、誤報だ」

と言いたいらしいのだ。そんな身勝手な話は聞いたことがない。一体、橋下さんは慰安婦制度が必要だったと思っているのか、いないのか、改めて問いたい。もし思っていないのなら最初の発言が明らかに言葉足らずで、錯誤は橋下さん側にある。思っているなら〈誤報〉呼ばわりは大ミスだ。

その後も橋下さんは〈誤報〉を繰り返し、5月28日になると、

「僕は誤報だと感じているが、(報道機関との)認識の違いだから仕方ない」

とトーンダウンしたそうだ。感じ方とか認識の違いでは断じてない。誤報か誤報でないか、どちらかの厳粛な話だ。名指しされた『朝日』はマスコミ界の名誉にかけて、橋下さんに〈誤報〉発言の撤回をびしっと求めるべきである。

相手の出方によっては法的手段を講じればいい。29日付の『朝日』大阪社会部長の反論も読んだが、生ぬるい。新聞人としての怒りが感じられない。
(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)

 <今週のひと言>
執筆以外は終日、ベッドのうえ。
サンデー時評:2013年06月12 日
(サンデー毎日2013 年6月23 日号)

<「頂門の一針」から転載>

◆止まらぬ国内市場縮小

前田 正晶


この見出しは「プレジデント」誌、2013 7.1号からの引用である。この見出しは「神鋼も30年ぶり高炉休止」から始まっていた。ここでは最後を

「化学、石油精製、製紙も、国内市場の縮小で設備削減に動いており、鉄鋼大手の動きはその象徴でもあるようだ。」と結んでいる。このコラムには考えさせられる点が多かった。

プレジデント誌は素材産業と表現しているが、私は鉄鋼も含めて所謂「装置産業」であると見なしている。装置産業はその名が示すように「1年365日継続して操業せねばならないのだ。一度止めるとその前後のコストが高く付くので止めるのは当に究極の経営判断なのである。

私は装置産業の苦境は何度も採り上げてきたが、産業の空洞化激しきアメリカでも装置産業は空洞化が極めて難しく国内に止まっていた。その結果で、鉄鋼産業などは見るも無惨な状態に陥り、製紙産業もIT化に押されて内需が激減しただけではなく、新興国の輸出攻勢に曝されて遂に世界第1位の座を中国に奪われてしまった。

しかも、我が国の場合には円高で中国やインドネシア等の新興勢力の輸出攻勢に悩まされたかと思えば、アベノミクスの重点だった円安で原料とエネルギー・コスト上昇に苛まれている状態だ。

電力の値上げも勿論悪材料である。現時点ではアメリカほどではないが、インターネット広告に紙(印刷)媒体がその需要を奪われて、印刷用紙の需要が漸減し始めている。

時代の流れには抗しきれないのは止むを得ないとしても、我が国の場合にはそこに3.11の大災害が襲ってきて、東北地区の複数の大型工場が災害に遭って停止し、その復旧・復興に多くの時間と出費を止むなくさせられてしまった。

印刷用紙の需要はIT化の進展にも影響を受けたが、1980年代辺りから環境問題論者の台頭で「製紙産業は貴重な天然資源である木材を浪費する」という誤った観念が広まって、「紙の節約は美風」であるが如き始末となり、紙の消費を節減する需用者が増えて、紙を使ったアウトプットが減少傾向を辿った。

1995年に知り合った製版業の自営業者は鋭い観察をしておられて、「心配ないよ。印刷は何れ消えてゆく業種だから」と、自虐的に印刷の将来性を予言して見せてくれた。

また、1960年代に我が国有数の板紙(薬品・和洋菓子等の食品・贈答用等の箱のボール紙と言えば解りやすいか)販売店の大番頭さんは、我々印刷用紙製造と販売業者に向かって「君らの取り扱う印刷用紙は今でも苦境にあるし、将来にもお日様を見ることはないのではないか」と厳しい予測をして、慧眼ぶりを発揮されたものだった。

私は何も製紙業界の嘆き節を語りたくて、ここまで回顧談を述べてきた訳ではない。時代の流れと急速な変化に加えて需要の形態が刻々と変化しつつあるだけではなく、先進国が長引く不況下で新規及び設備改良の投資を怠った(躊躇った?)結果でを指摘したいのだ。最新で最高の能力を有する設備で台頭してきた新興勢力の品質とコストに対抗できない時代遅れになってしまったことを採り上げたいのだ。

しかし、このまま新興勢力が内需不足を補うべく輸出に活路を求め続ければ、長引く不況下にある欧米や我が国ような先進国市場の需要を奪いきっても尚且つ余剰生産能力を抱え込む時が来るのではないかと、密かに危惧している。

私には他の装置・素材産業の先行きは占う能力はないが、遠からぬ将来に巨大な生産能力を有する新興勢力の木材チップ・パルプ・古紙等の原料が枯渇するのではないかと真剣に危惧しているのだ。私はこれらの解決策の一つは、末端価格の引き上げであると考えている。他の素材産業も同様ではないのだろうか。

それでも、鉄鋼・化学・石油・製紙等の素材を欠いては困る産業があるし、素材(装置)産業側でも休止ないし停止は回避して供給を継続する場合には価格(引き上げ)が重要な要素になると予測している。回顧談だが、私の経験した範囲では素材産業の紙類の値上げは最も困難なプロジェクトだった。

<「頂門の一針」から転載>
 

2013年06月12日

◆安倍が語ったこと、語らなかったこと

リチャード・ハロラン


■米誌インタビュー

ほとんどの政治家が言葉をはぐらかすということは、誰もが知っている。政治家が率直であることは驚くべきことだ。この傾向からすると、日本の安倍晋三首相は、米外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」のインタビューに非常に正直に応じている。

安倍氏は、中国は「嘘」をついている▽日本が米国の防衛を支援できない状況は「まともではない」▽第二次世界大戦中やそれ以前に日本によってもたらされた苦痛に「深い悔恨」を持っている−と断言した。

昨年12月に就任した首相は「アベノミクス」と呼ばれる政策で、瀕死(ひんし)の日本経済を再生させ始めたことで称賛されている。日本に批判的な経済誌「エコノミスト」も「安倍氏は政治家への信頼を失った国に衝撃を与えている」と指摘した。

しかし、首相は論争を避けなかった。国内の反対派や欧米の批評家、中国、韓国、北朝鮮など、安倍氏を危険な右翼の国粋主義者だと批判する人々の間に怒りを呼び起こした。

インタビューで安倍氏は、人々に直接語りかけるためにインターネットのソーシャルメディアに向き合っていると語っている。「既存のメディアの多くは政治家が言ったことを部分的にしか引用しない」と安倍氏は言う。「このために私の本当の意図が理解されないことがある」とし、続けた。「私はメディアに対して内向きになったことはない」

尖閣諸島をめぐる問題について安倍氏は「中国の要求は、領有権問題が存在すると日本が認めるべきだということ。われわれはこの議論にくみすることはできない。中国側は南シナ海の島々を支配するため、ベトナムやフィリピンに対して同種の論争を持ち出している」と指摘する。

安倍氏は「われわれは尖閣問題の棚上げで中国側に同意したことはない」とし「過去に同意したというのは完全に中国側の嘘だ」と語った。

この問題の中で、集団的自衛権についての質問は最もやっかいかもしれない。日米安全保障条約は、日本が攻撃された場合、軍事支援を米国に義務付けている。日本側は米国が攻撃されてもその義務を負わない。

安倍氏は「公海上で米国の船舶が攻撃を受け、イージス艦のような日本の艦艇がそばを通った」との想定を示した上で「現在の日本の取り決めでは、その艦艇に対応させることが全くできない。これはまともではない」と話す。

現状では、日本人の大半が集団的自衛権行使に反対していると安倍氏は言う。「しかし、北朝鮮がミサイルを発射したとき、日本が標的なら撃ち落とせるが、米国のグアムが標的なら、日本がその能力があっても撃ち落とせないと個別のケースを例示して説明すると、60%以上の人々が正常ではないとの認識を示した」とも語った。だから彼は、日本の集団防衛への参加が合法化されるよう憲法改正を呼びかけているのだ。

いわゆる「歴史問題」以上に人々の怒りを買う質問はないかもしれない。それには、「侵略や残虐行為から、兵士への売春を強いられた『慰安婦』」に至るまで全ての範疇(はんちゅう)に関する主張が含まれる。

これについて安倍氏は「誤解を正させていただきたい」と前置きした上で「過去に日本によってもたらされた多くの国、特にアジアの人々の甚大な被害や苦痛に対して深い悔恨を共有していると、最初の首相在任中も現在も一貫して私は何度も表明してきた。明言してきたが、メディアがあまり報じなかった」と語った。

しかし、中国などとの戦争が「侵略」に当たるかと尋ねられたとき、安倍氏は言葉を濁したようだ。「私は日本が侵略に関与したことがないと言ったことはない。しかし同時に“侵略”の定義づけは私の仕事ではない。歴史家がすべきことだ」

最後に首相は将来を見据え、前向きな考え方を残そうとしてこう述べた。「私はこう言ってきた。われわれの仕事は将来、どのような世界をつくるべきか議論することだと」

                   ◇
【プロフィル】リチャード・ハロラン
ホノルル在住のフリージャーナリスト。ニューヨーク・タイムズ紙の東京
支局長、ワシントン駐在の安全保障問題担当記者などを歴任。
産経ニュース2013.6.12 08:10 ] 【ハロランの眼 太平洋の真中で】

<「頂門の一針」から転載>

2013年06月11日

◆自民44%、民主7%で2位、維新5% 

古澤 襄


<読売新聞社は8〜10日、全国世論調査(電話方式)を実施した。

夏の参院比例選での投票先について、政党名を読み上げて聞いたところ、日本維新の会を挙げた人は5%で、前回調査(5月10〜12日)の8%から減少した。自民党の44%(前回47%)、民主党の7%(同7%)を下り、公明党の5%と並ぶ3位に後退した。

参院選の前哨戦となる東京都議選(14日告示、23日投開票)が迫る中、昨年の衆院選で躍進した維新の会の失速傾向が顕著となっている。

維新の会は今年1月の調査では、参院比例投票先で自民党37%に次16%を記録。5月までトップの自民に次いでいた。しかし、国会で存在感を示せなかったこともあり、数値は下落傾向だった。

加えて、今回は橋下共同代表のいわゆる従軍慰安婦発言が響いたようだ。橋下発言で維新の会の印象が「悪くなった」と答えた人は43%と半数近くに達した。

参院選で投票先を決める際に重視する政策(複数回答)は、「景気や雇用」86%、「社会保障」84%、「東日本大震災の復興」79%などの順に多かった。

安倍内閣の支持率は67%(前回72%)に下がったが、依然として昨年12月の発足直後の65%を上回る高支持率を維持している。不支持率は24%。

安倍内閣の経済政策を「評価する」との回答は59%で「評価しない」の26%を上回った。ただ、景気回復を「実感していない」との回答は75%に達している。

憲法96条で定められている憲法改正の発議要件を、衆参各院の3分の2以上の賛成から、過半数に引き下げることに「賛成」は34%、「反対」は51%だった。

衆院選での「1票の格差」を是正するため、小選挙区定数の「0増5減」を実現する区割り法案を今国会で成立させるべきだとする人は58%となった。

衆院の選挙制度の抜本改革を有識者などによる第三者機関で検討すべきだとする人は65%を占めた。衆院の選挙制度の抜本改革と同時に参院の選挙制度も見直すべきだとの回答は70%に達した。(読売)>

<「頂門の一針」から転載>

2013年06月10日

◆ゴリラとパンダ

Andy Chang


6月7日、8日の2日にわたってカリフォルニア州パームスプリングのサニーランド別荘で行われた米中両首脳の会談は世界のマスコミが注視したが、結論を言えば双方とも得るものがなかったといえるのではないか。互いに言いたいことを言っても合意はなく、メディ
アに「新たな協力関係」を演出して見せたに過ぎない。

今週のザ・エコノミストの表紙は大きくザ・サミットとタイトルが書いてあり、銃を持ったオバマの横に寝転んでいる習近平がいて、会談には来なかったミシェル・オバマが背後に小さく立っている。サブタイトルの一つは「チーム・アメリカとカンフー・パンダが会談」と書いてある。私に言わせれば今回のサミットはゴリラとパンダの「ニヤニヤ握手」である。

●裏門から入ってきたパンダ

習近平はアメリカを親善訪問したのではなく、敵地視察に来たのである。普通の国家首脳ならワシントンを訪問して、米国の大統領が空港に赴き、近衛兵が整列して赤い絨毯で出迎える。

習近平は米国を訪問する前にコスタリカとメキシコを訪問してからアメリカ西部の別荘で会談したのだ。しかも中南米訪問は中国と親しい関係にあるキューバやベネズエラではなく、アメリカと親しい関係にあるコスタリカと、アメリカの裏門にあたるメキシコを訪問し、中国の関係改善、輸出入の不均衡改善、資金援助までも匂わせてきたのである。裏門から入ってきたのだ。

中南米はアメリカの裏門であり、アメリカとの関係が密接であるにも拘らず、最近は違法移民や麻薬、資金援助の減少などで中南米諸国との関係がギクシャクしてきた。

そこへ金持ちパンダが着飾って訪問しただけでなく、そのあとアメリカの裏門から入ってオバマと首脳会談をしたのである。いわばパンダがゴリラの毛を逆撫でしたようなものと言える。

●サミットの焦点

サミットに入る前からアメリカのメディアは既にサミットで中国にどのような注文をつけるか、メディアを使って宣伝戦を始め、アメリカの関心事はサイバーアタックと人権抑圧の改善などであるとしていた。

中国がサイバーアタックでアメリカの軍事、政治の外にもいろいろな企業の核心に侵入して会社の機密を盗み取っていることが大きく報じられ、習近平との会談で中国にオバマは中国にハッカーアタックの中止を要求すると報道されていた。

これに反して習近平は「米中の友好は両国の繁栄に?がる」と友好的な言辞を弄しながら、そのあとすぐに「太平洋には中国と米国を受け入れる空間がある」と豪語して、中国が太平洋に進出する意図をみせたのだ。メディアは中国がアメリカと両国で利権を分け合おう発言したと厳しく批判した。台湾のある評論家は「米中同夢は悪夢である」と酷評した。至言である。

習近平は南シナ海に言及せず、太平洋に進出してアメリカと分割管理するような発言をしたのにオバマの反応は鈍く、「米中間には緊張を避けられない分野もある」と言った。もちろんオバマの返事は米国は中国の太平洋進出に賛成しないと言ったのでもある。

●中国のハッカー攻撃

アメリカが最後まで譲歩しなかったのは中国のハッカー攻撃についてである。習近平はこれまで同様「中国もハッカー攻撃の被害者である」と答えている。だが中国のハッカー攻撃についてアメリカは譲歩していない。

アメリカは中国政府と軍部が公然とサイバーアタックをした事実を発表し、攻撃を止めろと習近平に要求したと中国側は認めている。だが中国のサイバーアタックがいくらか減少しても完全になくなるとは思えない。

中国がサイバーアタックの被害者といったのは、中国の人民がインターネットで政府を攻撃していることだが、この攻撃は中国人民の政府批判でアメリカが攻撃したのではない。中国政府の被害意識より中国政府が人民の言論を抑圧している事実こそ問題なのだ。

ハッカー攻撃とは、中国の軍部や政府の主導でアメリカの政府や企業の機密を盗むことで、諜報戦争といえる。諜報戦争は今後も続くだろう。アメリカだけでなく世界諸国が直視すべき問題で、ハッカー攻撃に対しては防御だけでなく、反撃も考慮すべきである。

●サミットの成果

結論らしいものを挙げれば、米中サミットはボクシングの試合でお互いがジャブを入れただけで、賛同するものはなかった。

オバマ政権は中東問題では失敗し、テロや反米運動は増える一方だし、アフリカ諸国も反米に転じている。習近平は南シナ海をわがもののように見せかけ、尖閣諸島と北朝鮮制圧では両国が要求を出し合ってサミットで討論されたが結論はなかった。

オバマは中国問題で強い態度をとれず、ヒラリーの後任のケリー国務長官は軟弱で親中、その上オバマはアジア問題に経験がなく、ベンガジ事件でウソの証言をしたスーザン・ライス現国連大使を国家安全保障担当補佐官に任命するなど、アジア問題に曖昧な態度を見せている。

中国にとってサミットの結果で米中関係がよくなったとは言えず、習近平の米中で太平洋制覇の発言は東南アジア諸国が警戒心を増す結果となり、中国にマイナスである。南シナ海問題では中国が優勢、ハッカー攻撃ではアメリカが優勢である。もしも今後、中南米国家が親中・反米になれば中国にとってプラスになると言える。

サニーランド別荘の周辺には習近平を批判する中国自由民権派、チベット独立運動、ウイグル独立運動、台湾独立運動、法輪功など、40ばかりの団体が示威運動を展開していた。中国が世界で嫌われる独裁国家であることをアメリカ人に教えたような結果だった。

<「頂門の一針」から転載>

2013年06月09日

◆米中首脳会談で2つの指摘が

古澤 襄


産経新聞は社説に当たる[主張]で「米中首脳会談 太平洋は2大国の空間か」で<<冷戦後、唯一の超大国となった米国と急速に台頭した中国は良好な関係を維持することが望ましいが、それが2国の世界支配に向かうことがあってはならない>>と指摘した。

また米ウォール・ストリート・ジャーナルは「中国国家主席の隣に常に寄り添う王滬寧氏とは何者か」という指摘を行っている。

中国共産党の内部では、王滬寧氏は今日の中国で最も影響力のある人物の1人で、過去10年間にわたる内外政策の主要な立案者だとみなされている。

江沢民、胡錦濤、習近平の3人の歴代国家主席のトップ政策顧問とスピーチライターを務めてきた唯一の人物として、表面には出ないが中国の国内でも”謎の人物”と目されている。

<オバマ米大統領と中国の習近平国家主席が初の首脳会談に臨み、「新たな形」の協力関係を築くことで一致した。

冷戦後、唯一の超大国となった米国と急速に台頭した中国は良好な関係を維持することが望ましいが、それが2国の世界支配に向かうことがあってはならない。

特に気になったのは、「太平洋には両国を受け入れる十分な空間がある」との習氏の発言だ。中国の海洋進出の野心が露骨に表れており、日本を含む太平洋の国々にとっては警戒すべきことだ。

中国は外需依存の経済成長で大国にのぼりつめた。軍事力を背景とした海洋権益の拡大やサイバー攻撃、貿易不均衡など、世界でさまざまな軋轢(あつれき)を生じさせている。米国との新たな冷戦との見方もある。「新たな形」の関係は、こうした対立や不安を解消させるものであるべきだ。

習氏は就任後わずか3カ月での訪米となった。会談はカリフォルニア州の保養地で行われ、2日間に及ぶ。異例の舞台設定は、首脳同士の信頼関係の醸成が不可欠だとの双方の認識を示している。

両首脳がサイバー空間の安全に向け、共通のルールづくりを目指すことで一致したのは、協力関係の第一歩として評価したい。

企業の知的財産に関する情報が盗まれ、膨大な損失が出ているとして米国では大きな問題になっている。中国政府・軍の関与が指摘されるが、中国側は自らも被害者だと主張している。ただ、サイバー空間に国境はない。日本を含めた多国間の協力が必要だろう。

会談の冒頭、オバマ氏は北朝鮮の核・ミサイル開発への対応で協力の必要性も強調した。北は対話の姿勢に転じている。米中に日本、韓国、ロシアを加えた従来の枠組みに引き戻すべきときだ。

オバマ氏は中国の人権問題の重要性を強調し、さらには、気候変動や経済摩擦など幅広い問題を列挙した。

これに対し、習氏の発言は「中米関係の将来の青写真」「新たな大国関係」など具体性に欠け、大国意識ばかりが鼻についた。

「太平洋には」の発言が、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を含む東シナ海が中国の空間だという意味なら、日本として看過できない。オバマ氏はそのことをしっかり認識し、中国にモノを言ってもらいたい。(産経)>

<【北京】中国の習近平国家主席が就任後初めてとなる3月の外遊でロシアとアフリカの首脳陣と会談した際、習主席の脇にはいつも眼鏡をかけた堅苦しい感じの人物が寄り添い、熱心に耳を傾け、時々メモを取っていた。習主席が7日に米カリフォルニア州ランチョミラージュでオバマ米大統領と会談する際にも、この人物が同行することだろう。

たとえ中国でさえも、この人物が、秘密に覆われた中国共産党中央政策研究室の主任、王滬寧(おうこねい)氏(57)だと分かる人は少ないだろう。そして、以前大学教授だった同氏が公の場ではほとんど語らず、古い知人ともほとんど話をせず、外国人と決して関係を持たないことはそれほど意外ではない。

しかし、共産党の内部者や中国政策の専門家は、同氏は今日の中国で最も影響力のある人物の1人で、過去10年間にわたる内外政策の主要な立案者だとみなしている。さらに、現在では、世界での優位な地位に立つ軍事的にも経済的にも強い国家を思い起こさせる習主席の「中国夢」(チャイナ・ドリーム)政策の重要な立案者だとも考えられている。

王氏は一時期、米国で学んだ経験もあり、2002年以降は党中央政策研究室の主任を務めている。同氏は、江沢民、胡錦濤、習近平の3人の歴代国家主席のトップ政策顧問とスピーチライターを務めてきた唯一の人物として共産党内で特異な立場にある。

王氏の影響力は一部には、中国の新保守主義者の創始者としての立場から来ている。こうした新保守主義者たちは、西洋式の民主主義に反対し、独裁的政府と国が後押しする国家主義を支持することにより、1989年以来の中国首脳陣のイデオロギーの屋台骨を提供してきた。王氏はまた、中国共産党のトップ25人のリーダーたちからなる政治局委員の中でただ一人の米国政策の専門家だ。

このことは、王氏が今週の習主席とオバマ大統領の「非公式」会談で重要な役割を果たす公算が大きいことを意味する。この会談は両氏が外交儀礼を避け、台本なしで広範な話し合いができるよう計画されているが、中国の首脳陣にとってはこうした形式はなじみの薄いものだ。中国の国営テレビは既に、ここ数日間の習主席のカリブ海諸国や中米訪問中に王氏が隣に座っている様子を放映している。

ある上級外交官は王氏の内政・外交政策での影響力のために、同氏を「カール・ローブとヘンリー・キッシンジャーが一体化した」人物と評した。

政策決定での王氏の正確な役割は不透明だ。党中央政策研究室はウェブサイトを持たず、広報担当者や公の電話番号もない。王氏に直接コメントをもらおうと連絡を試みたが成功しなかった。

共産党の内部者や外交関係者、アナリストらによると、王氏の専門性や経験、共産党内での地位の上昇から、王氏は今後10年間にわたる中国の国づくりで重要な役割を果たし、ひょっとしたらそれ以上の役割さえも持つことが示されているという。

王氏は昨年11月に昇進して政治局に加わり、2017年に常任委員会(政策決定の最高機関)の一席を獲得する候補者の1人となっている。現在の引退基準が持続する場合には、王氏は27年まで引退する必要がないことになる。(ウォール・ストリート・ジャーナル)>

<「頂門の一針」から転載>

2013年06月08日

◆中国の軍事攻勢、尖閣をどう守るか?

櫻井 よしこ


尖閣諸島沖の領海への中国の侵犯が日常化し、中国の戦闘機の飛来及び軍艦の通過が頻繁に行われている。

中国の尖閣奪取の意図は明らかで、小さな失敗も許されない十分な準備なしには日本は尖閣諸島を守れないだろう。5月24日、ネット配信の「言論テレビ」で防衛大学校教授の村井友秀氏に対処策を聞いた。

村井教授は、中国が「現状変更国家」であることの意味を正しく把握せよと助言する。日本周辺諸国が現状維持を基本路線とする一方、中国のみ軍拡を続け、日本の軍事力を凌駕したと、考えている。

「現状変更国家が現状維持国家を軍事力で追い越したとき、その国は自分の領域を一挙に固めようとして現状維持国家を攻撃すると考えられています。軍事戦略の常識では中国は日本にとって非常なる脅威です」

中国は4月26日、尖閣諸島を核心的利益と公式に発表した。5月8日には沖縄の帰属は未解決との論文を共産党機関紙「人民日報」が掲載した。侵略の意図はこの上なく明らかだ。村井教授が警告する。

「中国観察で注意すべきは、軍の果たす役割が中国と我々の側では全く異なる点です。中国は革命戦争で政権を取った国です。軍の政治への影響は強く、軍事独裁国家のような国です。常に『軍事力を使って解決する』という思考に陥り易いのです」

公明党、社民党、自民党の一部などに「中国とはまず話し合うべきだ」という意見が根強いが、話し合いには余り期待出来ないのである。

「民主主義国家は、平和的な話し合いを優先し、軍事力の行使は最後の手段と考えます。しかし中国にとって軍事的手段は外交的・平和的手段を尽くした後の最後の手段では決してありません。彼らは全ての手段を同時並行的に用意して、最も有利な手段を選んで攻めてきます」

■「小さな戦争」

孫子の兵法を基に解釈すれば、中国が外交努力をするときは、自分たちのほうが軍事的に弱いと彼らが感じているときだという。であれば、こちらが中国を軍事的に凌駕するとき初めて、外交による問題解決が可能になる。中国相手に平和的解決を望むなら、必ず強い軍事力を備えておかなければならないということだ。

そのことは南シナ海沿岸国と中国の関係にも示されている。中国はベトナムが領有していた南シナ海北部の西沙諸島海域に常時軍艦を遊弋させている。南沙諸島周辺にも中国の軍艦は度々姿を現す。ベトナム、フィリピン、インドネシアなどの軍事力が中国の軍事力に圧倒されているためだ。

「中国は弱い国には躊躇なく軍事力を使います。しかし日本が相手だと軍事力では押せない。すると外交で押す。それでも押せなければ日本の最も弱いところを突く。彼らが世論戦に走る理由です」

中国の対外戦略の基本は「?世論戦、?心理戦、?法律戦」の三戦である。?は内外の世論をたとえば反日に誘導し日本を追い込むことだ。?は巨大な軍事力を構築し、相手方の戦意を挫くこと。?は法律を駆使し、また中国独自の法に独自の解釈を加えて、主張を通すことである。

「世論戦では中国は圧倒的に有利です。そもそも独裁国家で、デモも自分たちでやるのですから。彼らは好きなように世論を作り上げることが出来ます」と、村井氏。

中国民主化運動のリーダーの1人、崔衛平氏も今年1月に語り合ったとき、2012年9月の反日デモは体験したことのないほど激しかったが、「中国政府による官製デモだった。中国共産党はデモコントロールの術を知っていた」と語っていた。

では、実際に尖閣諸島でどんなことが起き得るのか。村井氏は習近平主席が国内事情で追い詰められ、支持が低下するとき、求心力回復の手段として対日戦争を選ぶことが考えられるという。その場合、中国は「小さな戦争」を目指すと氏は見る。

「大きな戦争の勝敗は国民にはっきりと見えてしまいます。小規模戦争なら最終的決着をつけるところまで行かず、結果、自分たちが勝ったと言えます。絶海の孤島のような、国民の目が届かない所の小規模戦争が都合がよい」

尖閣諸島で戦えば、中国に勝利のチャンスは殆どない。中国軍は尖閣諸島の制空権を確立しておらず、そのため制海権もない。結果として、上陸は出来ないとも、氏は語る。

対照的に、深刻な懸念の声もある。尖閣諸島の情勢を踏まえて、日本は1942年8月17日のマキン島事件を忘れてはならないと警告するのは、元海上自衛隊自衛艦隊司令官の香田洋二氏である。『読売クオータリー』No.24(2013冬号)で、氏はざっと以下のように書いている。

ミッドウェイ海戦に敗れたものの、中部太平洋全域がまだ帝国海軍の制海空権下にあった当時、2隻の潜水艦に分乗した米海兵隊襲撃大隊200人強が日本軍の支配するマキン島沖に近づき浮上、兵はボートに分乗して上陸し、日本軍守備隊を掃討して、翌日撤収したのがマキン島事件だという。

■軍拡を叩くための軍拡

同様に尖閣諸島でも中国特殊部隊による空挺降下や潜水艦からの水中移動による上陸などで島々を確保されかねないと、香田氏は警告する。

尖閣諸島情勢の見通しについて必ずしも一致しないが、村井氏も香田氏も日本が準備すべきこととして、まず日本の国防上の障害となっている法律及び制度上の欠陥を正すべきだと指摘する。

島嶼防衛で最も大事なことは中国の上陸を許さないことだ。しかし、南西諸島には沖縄本島以外には陸上自衛隊も配備されておらず、軍事的真空地帯となっている。

与那国、石垣、宮古の主要な島々に自衛隊部隊を配備し増援体制を整備し、空白を埋めなければならないと、香田氏は強調している。地域全体の偵察能力を高めるために、南西諸島へのレーダーサイトの構築も急がれる。これらの任務を遂行するために自衛隊員の不足も早急に補うべきだ。

大事なことは中国の軍拡に見合う軍拡を日本も行い、島嶼防衛の決意を示すことだ。その意思表示が何にも増して力強い国防力となる。

「習近平主席は中国の夢という言葉を度々使います。太平洋を米国と共に二分割統治するのが中国の夢のひとつです。夢の実現には足下の近海、第一列島線から取らなければならない。

そのための軍拡です。狙われている日本こそが、中国の軍拡を叩くための軍拡をすべきです。日本の軍事的努力が尖閣諸島を守り、日中の戦いを回避する最もたしかな道なのです」

村井教授の指摘は、およそ全ての専門家の意見でもある。心して耳を傾け、いま日本国の決意を具体化しなければ、同盟国アメリカも力を貸さないのは当然である。(週刊新潮)

<「頂門一針」から転載}

◆教育を語る、親として、母としてA

中山 恭子(講演録 2)



私自身國家といふのは當たり前だといふ風にして何の考へもなく國家の意思の問題ですと傳へました。それは中央アジアの(資料を出して頂けたらと思ひますが)1999年から2002年、この拉致問題に關はっだのが2002年の9月ですから、8月に退任しましたので、ウズベキタン共和國の特命全權大使を3年間務めて戻って來たところでございました。

中央アジアという國について日本の中ではまだ殆ど知られてゐないかと思ひます。中國を挟んで西側、中國の西の國境、長い國境を接しているそこに5つの國があります。ソ聯の中に含まれてをりましたので、日本では「ソ聯」といふ一括りで考へられてをりました中のそれぞれの國について殆ど知らされてをりませんが、スタンというのは地域、國と考へて頂いていいと思ひます。

ウズベキスタンといふのはウズベックの國、トルクメギスタン、それからタジキスタン、キルギスで5つの國があります。ウズベキスタンとタジキスタンの大使をしてをりました。

このキルギスで拉致事件、人質事件が起きたのを覺えてらっしゃいますでしょうか。1999年の8月でした。8月に着任して12日くらゐの時に事件が起きました。

キルギスで起きたんですが、このあたりは非常に國境が入組んでまして、日本人の鑛山技師四人を拉致した犯人といふのはタジキスタンに據點を持ってゐました。この8年前、1991年にこの5つの國が獨立してゐます。獨立した後、それぞれの國の中で激しい抗爭がありました。

ウズベキスタンはカリモフ大統領といふ方の下でカザフも世俗國家です。ところがこの地域、さうですね八世紀ごろに唐とアラブが戰ふことがありましてですね、唐が大敗するんです。

その時にアラブが入りましたので強制的にイスラム化されてゐる地域なんです。ただ非常にラフなイスラムでして、女性達はノースリーブやミニスカートも平氣で穿いてますし、所謂ラマダンといふ斷食でも、大使館に勤務してゐた現地雇ひの人々も平氣でお水は飮みますしお晝ごはんも食ぺてゐます。

ラマダンしっかりやってる人ゐないのって聞いたら搜しますって言って傳へてきたのが、「居ました一人、ラマダンやってます」、40人くらゐ、警備の方もいらして4、50人ゐる中でそんな状態。

ただ、お葬式とかさういふ時にはイスラム風に、日本の佛教よりはもうちょっと違ふかも知れませんが、非常に明るい人達なんてすが、そのタジキスタンは獨立した後、内亂状態になりました。

イスラム國家を創りたいといふその動きと世俗のままいかうといふ二つの勢力がぶつかって内亂状態になりました。

その内亂状態の激しい戰鬪が繰り廣げられてゐたその一つの原因は當時アフガニスタンにタリバンとかアルカイーダができてまして、アフガニスタンと長い國境を接してゐますタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメギスタンもアフガニスタンと國境を接してゐます。

で、この一番長い國境を接しているタジキスタンにアフガニスタンからイスラム原理主義グループが入っていったといふ事で戰鬪が激しくなって内亂が收まらない状態になってゐました。

その内亂を戰ってゐたイスラム原理主義グループの者がタジキスタンだけではなくてウズベキスタンにも自分達のイスラム國家を創らうといふ動きがあって、ウズベキスタンに向って行った途中、キルギスで日本人鑛山技師を拉致したといふ事件でした。

そんな事もあってこのグループは1日か2日で夕ジキスタンの方へ人質を連れて自分の據點があるところに戻ってしまひました。私自身はウズベキスタンと夕ジキスタンを管轄してをりましたので、自分の管轄してゐる地域に、人質になった日本人を連れた犯人グループが入ってきました。さういふ状況でしたので大變緊張しました。

これまで戰後かういった事件が起きた時の外交政策は、その事件が起きた國にすぺてを任せる、救出も責任も、あらゆる事を任せるといふのが日本の戰後の外交のあり方でした。今囘この時も同じ樣に、その時の外務省の人が惡いといふわけではないと思ってゐるんですが、これまで通りにキルギス政府にすべてを任せました。

ところが犯人も人質もタジキスタンに入って來てゐます。國が違ふところに任せても救出することはできません。私か動かうとしましたんですが、情報をとるだけでよろしい、それ以外は動くなといふのが政府の方針でした。

でも、イスラム系原理主義グループの動きを見れば日本人が撃ち殺されるといふ事が目に見えてゐる情報が入ってきてをりました。

そこのウズベキスタン大使館の日本人で10人ぐらいしかゐない小さな大使館ですけれども、偶々このアフガニスタンやウズベキスタン、タジキスタンの情報をもった若い外交官がをりまして、その人を中心にして、ほんとに若手の職員がどうしても救出したいと言ったら、僕達もやりますと言ってくれました。

大使館の小さい中で必死で救出にあたりました。お蔭さまでこのタジキスタンの大統領、ウズベキスタンの大統領、そしてタジキスタンで内亂を戰ってゐたイスラム勾當のグループ。

これはイスラムの中でも過激派ではない、アフガニスタンから來た、イスラム原理主義ブルーフではない鬪士と接觸することができて、この方々が一緒になってこの拉致したイスラム原理主義グループの仲間を取り圍んで警告の中で絶對動けないカタチで取り圍んだ上で、日本人と現地人の人たちを救出してくれました。

かういった拉致事件が起きてそれぞれの國にお禮に行きましたら、%「起きて」でなく「起きた」ではないか。

「自分たちとしては當然のことをしただけですよ。」カリモフ大統領もそれからタジキスタンのそれぞれの方々みな、さう言ってくれました。

そしてその後仕事を始めました。この動きは日本では殆ど知られてをりません。キルギスタン政府が救出したといふ事になってゐますが、中央アジアの人々はみんなこの動きをよく見て知ってゐます。そんな事もあって、その後仕事をする時にほんとに樂に出來ました。

それは、この中央アジアで日本人が何らかの被害に遭ったら大使が命懸けで救出にあたる。日本といふのはさういふ國なんだ、それを理解してくれました。そして確實な信頼を與えてくれました。

そんな事もあって仕事をしていく上で、日本とは、なんて全く説明する必要はありませんでした。さらにこの中央アジアでは、もっと根っこの部分で非常に強い日本に對する信頼、親日の動きがありました。

イスラム化されてをりますが、それ以前には佛教が非常に盛んなところでしたので至る處に佛教遺跡がある地域です。それから拜火教も當時盛んで、イスラム教化された後はすべて消えてしまってゐるんですけれども、いろんな宗教がいっしょに存在してゐた地域です。

サマルカンダのレギスタン宮、の劇場の左側の壁にプレートがあります。ロシア語、英語、ウズペギ語、日本語の4枚のプレートが掛かってゐて、1945年、46年に極東から連れて來られた日本國民がこの建物の建設に携はり、出來上がるのに貢獻した、さういふ文言が書かれてゐます。

すぐお解り頂けますよね。45年、46年、極東からたくさんの人達が西に運ばれた。本來であれば東で、日本に戻る人々が西に運ばれて各地で重勞働に從事させられました。特にウズベキスタンではこのナポイ劇場だけではなくて、大きな水力發電所ナカバルといふ市があってそこには大きな水力發電所が造られてゐる。

まづはさっきの河、シルダリアといふ河、大きい河です。そこから水を引いてまづ貯水湖を造ります。これも日本の人達が造ってくれたんです。そしてその貯水湖から大きなパイプで水を落して水力で發電をし、使った水をまた大きな運河でシルガリアに戻す。一連の大事業です。

それだけではなくて、どこへ行ってもウズベキスタンの中を走ってゐますと「大便、この道路ね、日本の人達が造ってくれた道路なんだよ」。アパートに行きました時にはある年配の女性が「このアパートは日本人が造ったアパートだから、絶對安全なんだ」。ものすごい自慢なんてすね。

で、自分は十二歳の時にここに移って來たんだけれども、あそこでその前から軍が造ってゐた。日本の人達を覺えてゐる。モッコをしょって腰を屈めて、土を運んでゐたよ。さういふ事を傳へてくれます。

私に傳へるだけではなくてみんなに傳へてゐるんです。その運河にも行ってみました。運河に架かってゐる橋の上で車を停めて立ちましたら今も滔々と水が流れ遥か彼方までこの運河に沿って畑がずっと續いてゐました。

先程の水力發電のナカバル市の市長さんも日本人がこれだけ大きな貯水湖、水力發電所を造ってくれて、一日も休まずにウズベキスタン全域に電力を供給してゐます。そして水が貯まったお蔭で緑豐かな人がたくさん住む町になりました。前はここは突風が吹くやうな砂漠地帶だったんですよと教へてくれました。

ウズベキスタンには十三ヶ所日本人墓地があります。これはその水力發電所を造った時に亡くなった、土葬ですのでひとつづつかういふ風に埋葬されてゐます。それからここあるやうな黒い、號が書かれたものがそれぞれの處に挿してあります。これも拔かずにありました。

この後、日本人と一緒に働いたといふ九十歳のお爺樣がをられる。もう亡くなりましたが。「會ひますか」と言はれて是非と言ってお訪ねしました。まづ最朷に日本人だと傳へましたら、「お墓に行ってくれたか。」といふのが最初の言葉でした。「今行って來ました。」と傳へましたら、あそこは自分のとっても大切な友人達が眠ってゐるんだよ。何て言ふんですか…聲が出ませんでした。

このウズベキスタンでは日本人のお墓ではなくて、それだと更地になりますがとても大切な友人のお墓なんだ。そのお爺樣を中心に、ひ孫ぐらいの方までずっと傳へてくれてゐます。しかもこの、レコバードだけではなくてそれぞれの墓地を訪ねましてもみんなさうなんです。

「とても大切な人達が眠ってるんですよ」

かういふ答が返ってきます。

ただ、親を搜さうにも日本で隨分お聲掛けしましたけどゐませんでした。たまたま一人、どうしませうかと相談する中で、ウズベクの人達が「日本人は素晴らしかった、嘘をつかない人達だったし、とってもいい物を造ってくれた人達だといふやうな話をして、その方は「妹と貯金をしてきたけどお墓を整備してもらふために使ひます。」という事で、それではと言ふことから墓地整備をしました。

〔スライドを示し〕

この眞ん中の方、もう亡くなりましたが、ここに自分の友人が眠ってゐると言ふ事で、墓地を整備した後、訪ねてくれました。櫻も植ゑたんですが、水がないもんで、みんなでバケツリレーをし、育ててくれたりしてをります。ここの櫻は何本か殘ってゐます。

櫻は1650本、日本人のゆかりの土地に植ゑましたので、その中の半分くらゐから、今、花を咲かせてゐます。

ウズベキスタンの場合、この時の日本人違といふのは、殆どが死亡した時の年齡は當蒔で三十ちょっとてす。ですから殆ど若い人達で 1928 年生まれといふ人が數人ゐました。

親から日本人の人々は非常に規律正しい人々、禮儀正しい人、そして物を造るのがとても上手で、誰かが弱ってゐたらみんなで助け合ってゐた。それと監視の人が居ても居なくても、いいモノを造ってくれた。何かをあげれぱ必ず自分の出來ることでお返しをしっかりしてくる。

さういふ律義な人達です。「あなたも日本の人を見習って大きくなりなさい。」さう言って育てられてきました。さういふ話が各地で傳はってゐます。

十三ヶ所お墓がありますからそこでそれぞれの場所で日本の若者達が働いてゐました。どこに行っても同じ答が返ってきます。そんなこともあってウズベクの人々は非常に親日的しかも日本の人々のことを恥づかしくなるほど信頼してくれてゐます。

ここで働いてゐた人々は一つの隊が固まって移動してきてゐるわけではありません。混成部隊です。そして混成部隊といふことは日本の一つの隊が特に良かった、さういふ事ではないことを示してゐます。どの隊も同じやうに、さういふ若者達がどこへ行っても同じ囘答が返ってくる。

一ヶ所のモノだけではなく日本の當時働かされた若者達といふのは、どこで、どこに行っても、どの隊をとっても同じだったんだと實感できます。

中央アジアに働いた人達だけではなく朝鮮半島に居た人達も、中國に居た人達もみんな同じ教育を受け同じ考へで、日本にみんな同じ教育を受け同じ考えで、日本に歸れるかどうかも分からない中で、日本人として恥づかしくない、さういふ生活をし、恥づかしくないモノを造らうとして必死でがんばった。これが實態です。

かういふ中で住んでゐますと、日本といふものの素晴らしさといふものを改めて思ひ知らされますし、今の日本をウズベクの人々が見てどう思ふだらうかといふやうな心配にもなりますし、この時の日本の在り方がいろいろ問題があったかも知れませんが、日本が持ってゐるいいもの、當時頑張ってゐた日本の若者達、この人達にほんたうに敬意をはらひ感謝をしたい素直にそんな氣持になります。

本日はお話させていただく機會を作っていただき眞にありがたうございました。

(講演は4月 27 日「NPO法人百人の會」總會でのもの。要録が同會の活動報告6月 15 日號に掲載。漢字制限假名字母制限を無視することについての許諾を得て入力、算用數字も基督教暦の年數以外は原則としてあらためたのは位取り式では苦しい箇所があったため。長いので2囘に分けての後半。上西俊雄)

<「頂門の一針」から転載>



2013年06月07日

◆教育を語る、親として、母として

中山 恭子  (講演録 一)


皆樣こんにちは。今日、教育再生地方議員百人と市民の會といふことですので教育の問題をしっかり語らねばならないのかとは思ってゐるんですけれども、私自身教育の專門家といふわけではありませんので、自分がこれまで經驗して來たことをお話し、皆樣のお考への何かの參考にして頂けたらとその樣に思ってをります。

今、司會の方から拉致問題についても話して欲しいと事でございましたので、先づそこから。

私は2002年から拉致問題に關はるやうになりました。それまで私自身、中央アジアの大使を務めてをりまして、中央アジアのことだったら自信をもっていろいろ出來ると思ってゐましたが、北朝鮮については当に素人でございまして、この問題を扱っていいんだらうか、私か關はっていいんだらうかと隨分惱みました。

ただ拉致の被害者のご家族の方々の動きを拜見しながら、自分が少しでも役に立てるのであれば、また官房長官からお聲をかけて頂いた時、(中山)成彬に相談しましたら、「君がやるしかないだらう。」と、いとも簡單に言はれてしまひまして、そのあとも一晩中考へたんですけれども少しでも役に立てるかも知れないと、そんな思ひで關はることになりました。

この拉致問題、語り始めましたら それぞれのところに歴史があります。それぞれのところに大變重い話がございまして、何時間盡くしても語りきらない、さういふテーマでございますが、今日はその中のごく、本當に掻い摘んだこととなりますがお傳へしたいことをお話していくつもりであります。

この拉致の問題に關はりました當初から、なぜ外國の工作員、といふのはスパイですが、自由にと言ってもいいほどいとも安々と日本に入って來る。工作船が沖合に停まってそこから小さいボートとか、スクリューのついた、何て言ふんでせうね、水の中を僭って入って來る。

何故日本といふ國は外國からの工作員を安々と入れるやうな状況のままになってたんだらうか。しかも入ってきて日本の國民を大きな、例へば木の陰に、これは曾我ひとみさんのケースですが母親と二人で、夕食の買ひ物に出て、その途中で大きな木のある處に二人とも連込まれ、そこから後は母親がどうなったか全く分からない。

連込まれてすぐに猿ぐつわをされて兩足を縛られて袋に入れられました。

北朝鮮こ行ってから、母親はどうしたかと聞いたら、佐渡に歸して元氣で
ゐますよと、そのやうに教へられてきたといふことでございました。

そんな事もあって、ついでで申し上げますと、そのタラップを降りて來る時に五人ともいろんな思ひがあったんですが、曾我ひとみさんの場合には、母親はすでに日本に歸したと北朝鮮の人から言はれてるものですから、あのタラップの上に立つと下に居る家族は勿論、親戚の方とか友達、先生とか、タラップの下まで迎へに來てくれたんですが、あの曾我さんの瞳、中に寫眞が入ってゐるかと思ひますが、非常にきつい顏をして笑みも全くありませんでした。

あれはもう必死で母親を搜してゐた、さういふ目だらうと、下から見てですね、一瞬、胸がつかへるやうな感じを受けたことがございます。

そしてこの北朝鮮の拉致問題、勿論被害者は大變可哀想、ご家族の方もほんとに苦しい思ひをして大變だと思って頂きたいと思ってをりますがそれだけではなくてこの問題、やはり國といふもの、國家といふものを日本の人々に思ひ起こさせてくれたさういふ問題である、事案であると考へてをります。

歴史を思ひ出して頂けたらと思ひますが、西暦で言ひますと1945年昭和20年、これは敗戰の年です。そしてその後7年間、日本は占領下に置かれました。ですから1952年4月28日にサンフランシスコ講和條約が發效して日本は獨立したんですけれども、昭和27年、この時朝鮮半島で何か起きてゐたかといふと、1950年〜53年、丁度この昭和25年から28年にかけて朝鮮戰爭がありました。皆樣覺えてをられる方も多いかと思ひます。

で、53年に朝鮮の中では休戰協定か結ばれます。休戰協定があれば、そこから1ヶ月後とか少なくとも半年以内に講和條約、平和條約が結ばれる。さういふ前提のものが休戰協定と呼ばれてゐる。朝鮮半島の中では1953年に休戰協定が結ばれたまま講和條約が成立せすにずっとそれが今も續いてゐます。

北朝鮮にとってみれば、朝鮮當島の中で平和の世界が出來てゐるわけではない。一旦休戰してゐるのみといふ感觸をもってゐると云へます。ですからいつでも韓國を併合する、今もさう思ってゐます。

1953年以降北朝鮮は韓國に對して何としても併合したいといふ強い思ひを持ち續けてきてゐます。ですから北朝鮮は韓國に對してその後あらゆる形の工作活動を重ねます。この工作活動をするに當って必要なのが日本人といふことです。

日本人の拉致の主な目的は對南工作と言ってもいいほどに韓國に對する工作活動に日本人を使はうとしてゐたといふ事が云はれてをりますし、私もそのやうに考へてゐます。

何故かと云ふと北朝鮮の人が韓國に入って工作活動をするといふ事は非常に難しいそうです。生活習慣は一緒なんてすが、言葉が違ふさうでして、すぐに見破られてしまふ。そのためにどうしたらいいか、韓國にいつでも入れる、または世界中何處にでも入れる日本人に成り濟ます、又は日本人を工作員として使ふ、それを考へたやうでした。

どういうケースかと言ふと、さっき1953年に休戰協定、そこから十年後ぐらい1960年代半ば頃に北海道、それから東北地方を主として、高校を卒業するかしないかの若者達が姿を消してゐます。日本政府は全く證據がないといふことで拉致の認定が出來てゐません。

ただ幾つかのケースを、話を聞いていきますと非常に似た事がよく聞かれます。それはどういふ事かと言ひますと、その姿を消した若者は仲間の中で非常に信頼されてチームのリーダー格、勉強もよく出來る、體操もできる、體もがっちりしてゐる、そして責任感が強い、かういふ共通點が一人づつその、殘された家族の方、友人達から話を聞くとさういふ樣子が見えてまゐります。

ある若者は3月に卒業生の總代として出ることが分かってゐて、卒業式の前日に總代の練習をして歸りが一人になる、一人で戻る。家に戻ったかどうかがはっきりしないんですけれども、その、ボタンを買はなければと言ってゐたといふ事が殘されてゐますが、そのまま姿を消してしまってゐます。これが60年代に多く見掛ける事案です。

70年代半ばぐらゐになってきますと(小さいパンフレットが中に入ってゐると思ひますが)ここを見て頂いたら分かりますが、1970年代、ついでですみません、最初に出てくる久米裕さん、53歳でゐらっしやるんです。

これは北朝鮮に連れて行って工作活動に使ったと言ふよりはこの久米裕さんと十一番の原敕晁さん、この二人は警察用語でハヤノリと言はれてゐます。何かと言ふと北朝鮮工作員が日本に入ってきて自由に活動する爲に自分が原敕晁さんや久米裕さんに成り替はってしまひ、戸籍謄本を取りそれから住民票も取り自動車の免許證には北朝鮮工作員の自分の寫眞を貼り、パスポートも自分の寫眞を貼って世界各地に飛んでゐます。

原敕晁さんの身代りになったのはあの有名な辛光洙という工作員で、韓國まで飛んで活動しようとして捕まって死刑宣告を受けました。ところが日本からこの中に例の土井たか子先生とか菅直人先生とかさういった方々が署名の中に入ってすごい數の人達が韓國政府にプレッシャーをかけて、で韓國は辛光洙を釋放して彼は北朝鮮に戻りました。

辛光洙は北朝鮮では英雄といふ稱號を與へられてパレードの時など非常に高いポジションを持ってゐます。その拉致に關はった北朝鮮工作員といふのは犯罪人ではなくて北朝鮮の中では英雄扱ひをされてゐる。さういふ状況がはっきり見えてまゐります。

70年代に拉致された田口八重子さん横田めぐみさん松本京子さん田中實さん、かういった人々、それから78年にはアベック拉致と言はれて蓮池さん御夫妻地村さん御夫妻増元さん御夫妻、今御夫妻ですが當時はまだ戀人どうしといふアベックで拉致されてゐます。

この人々は主として北朝鮮工作員を日本人のやうに仕立て上げる爲に連れて行かれました。ですから典型的な日本の家庭で日本的な躾を受けた若者たち、これが必要でした。

日本語が上手な人々は日本にたくさんゐますけれども、それだけではなくて典型的な日本の家庭で育った者でなければいけなかった。その仕草がやはり少しづつ違ふといふことで日本人になるには日本的な家庭の子供でなければいけなく、典型的な日本の家庭が眞似されてゐたといふ事です。

この北朝鮮による日本人拉致といふのは、激しい爭ひの中で使はれてゐる。海上保安廳との撃ち合ひで沈んだ北朝鮮工作船、最後自爆したわけです。さういった動きですとか、大變激しい國際社會のの動きの中で日本人が拉致されてゐるといふ事でございます。

その中で五人が戻りました時に私自身はどんな理由であれ一旦北朝鮮から出て、日本の土を踏んだ以上、歸してはいけません、といふ主張をいたしました。

このいろんな議論を長々とお話してゐると時間がなくなりますが、その中で一點だけお傳へしておきたいのは、その日本政府が戻って來た五人を日本に留める、最終的には安倍官房副長官の決斷を得、福田官房長官の了解をとり小泉總理の前で議論してその線を打ち出すことができました。大變事務方では激しい議論が鬪はされました。

安倍官房副長官がちょっと一旦ぢゃあ休憩しませうといふ事になって、官邸で總理は五階の部屋で安倍官房副長官も五階、表玄關から入ると三階なんてす。その三階には報道關係者がたくさんゐて、その時に「何を揉めてるんですか?すべて計畫も豫定も作られてゐて、子供にお土産を買ふ時間もつくられてゐる。すへて企畫されてゐるのになんで揉めてゐるんですか?」といふ質問されました。その時私自身素直に答へました。それ國家
の意思の問題ですと答へました。

これが全國にそのまま流れました。だけどもインタビューした方は國家の意思の問題といふのが何を意味してゐるのかも解らなかったのかも知れません。その後、國家といふ單語を使ふとは何事かといふびっくりするやうな非難メール、FAX、電話がたくさん寄せられました。

私自身は國家といふ單語は當然の言葉として使ひましたのですが、日本の中では戰後、國家といふ單語は便はれない、さういふ状況が續いてをりました。

2002年の十月、たったの十一年前まで日本は國家といふ意識をもってない。國を護るとか國防といふ單語も使へない。國家が國民を守るといふやうな文章は殆どなかった。さういふ日本てありました。


お蔭さまで今國家といふのは當然のこととして使へますし、國家なくして國際社會に存在しえないといふ事も多くの方が理解して下さるやうになりました。

それでもその時5人を政府が日本に留める、そして子供や家族の北朝鮮に殘してきた人々の身の安全と歸國を政府が責任をもって要求する、かういふ政府方針、非常に簡單な一枚のペーパーですけれども、戰後の外交政策の中にあって非常に新しい考へ、「國民を守るのは政府の責任である」この考へ方が外交政策の中に入った瞬間だったと思ってゐます。そして五人を歸さなかったことに對して隨分批判もありましたけれども、この時の措置といふのは、間違ってゐなかったと思ひます。


今、北朝鮮がどうなってゐるか、非常に厄介な問題です。金正日總書記の間に何とか話をつけて歸國させようといふ思ひで努めてをりましたけれども、政權交代といふ事が日本の中で非常に賑やかに騷がれだした頃から、北朝鮮はやはりひいてしまひました。

非常に殘念な思ひをしたことでございましたが、さういった意味で金總書記の時に取り戻せなかった、大きな、私自身は忸怩たる思ひといふか、もう、悔いても悔いきれない。

今、金正恩第一書記の時代になりました。金總書記の時代に比べるとよく周りを取り圍んでゐる將軍達、軍の關係者といふのもそれ程國際社會での經驗があるわけではありません。

その外交としてまた北朝鮮とどの樣に維持していくかといふ事についても、金總書記の時に比べてもまだまだ足りてゐない樣子が見えますので、これは非常に注意深く見ておかないといけないし、いつでも對應できる體制をとっておかなければいけないと思ひます。

さらにこの問題では、中國の存在といふものが非常に大きな影響力をもってをりますので、中國の動きも注意深く見て動いていかなければいけない。今、政府の中に直接入って拉致問題を擔當してゐるわけではありませんが、さう言った思ひはいろんなカタチで政府の方に傳へてきてゐるところでございます。(つづく)


(講演は4月 27 日「NPO法人百人の會」總會でのもの。要録が同會の活動報告6月 15 日號に掲載。漢字制限假名字母制限を無視することについての許諾を得て入力、算用數字も基督教暦の年數以外は原則としてあらためたのは位取り式では苦しい箇所があったため。長いので2囘に分けての前半。上西俊雄)

      <「頂門の一針」から転載>

2013年06月06日

◆尖閣「生き証人」のうさん臭い告白

阿比留 瑠比


野中広務元官房長官と鳩山由紀夫元首相の姿が、ぴたりと重なってみる。尖閣諸島(沖縄県石垣市)を「侵略しに来ている」(外務省幹部)中国へと、のこのこ出かけ、相手の意向に沿った発言をするところなど、そっくりである。

「自民も民主もOB議員によるOB(コース外にそれた打球)には本当に困りもの。OB杭(くい)の向こう側には、巧妙な外交的落とし穴が隠されているのだ」

民主党の長島昭久氏は4日、自身のツイッターにこう書き込んだ。尖閣諸島をめぐり「領有権問題棚上げの日中合意があった」と発言した野中氏と「日中間の係争地」と述べた鳩山氏を指すのは明らかである。

論点はそれぞれ違うが、ともに日本政府の公式見解を否定し、自ら進んで中国のわなに飛び込んだ形だ。

思えば鳩山氏は今年1月、南京大虐殺記念館を訪ねて改めて謝罪した。これも平成10年5月、自民党幹部(幹事長代理)として初めて公式に同館を訪問した野中氏と軌を一にする。

「当時のことを知る生き証人として、明らかにしたいという思いがあった」

野中氏はこう語るが、どうもうさん臭い。野中氏によると、昭和47年9月の日中国交正常化から間もないころ、箱根で開かれた自民党田中派の研修会で田中角栄首相(当時)から直接聞いたことだという。

だが、現職の首相だった田中氏が、当時は一介の京都府議だった野中氏(衆院初当選は58年)らに重大な「国家機密」を漏らすだろうか。研修会で語られた話が、今回の証言まで一切表に出なかったというのもあまりに不自然ではないか。

筆者は、野中氏が自分の主義・主張を通すために論点を誇張したり、事実関係を無視したりする場面を何度も見聞きしてきた。
「君らと違い、戦争を知る世代として言うが…」

野中氏は現役時代、若手政治家らの外交・安全保障に関する自由な議を、この一言で封じてきた。

2001年の米中枢同時テロに際し、海上自衛隊のイージス艦派遣が浮上した際には、講演や派閥(橋本派)会合などで強硬に反対論陣を張った。これについて閣僚経験者は振り返る。

「野中さんは1隻約1200億円のイージス艦を『5千億円する』と言ったり、『戦前の戦艦大和に当たる』と言ったり、めちゃくちゃだった。イージス艦は対空探知能力、自己防衛能力に優れている以外は他の艦船と変わらない」

また、その後に自衛隊が首相官邸や原発など重要施設を警備できるようにする自衛隊法改正が検討されたときには、「警察への侮辱だ」「国民に銃を向けるのか」などと非論理的な感情論で、これをつぶした。

自民党幹部は「野中さんにはあの世代特有の、社会党的、情緒的な平和主義がある」と指摘する。だが、米国の核の傘の下で安穏としていられた冷戦期ならばともかく、現在の厳しい国際情勢では通用しない。

第一、棚上げするも何も、中国は国交正常化から20年後の1992年に施行された領海法で、尖閣諸島を新たに自国領と明記した経緯がある。この時点ですでに「棚上げ論」は、歴史的にも政治的にも完全に破綻しているではないか。産経ニュース 2013.6.6

<「頂門の一針」から転載>

◆中国の宣伝戦に手貸すな

古澤 襄


産経新聞は論説に当たる「主張」で野中・北京発言を厳しく批判した。同席した古賀誠(自民)、仙谷由人(民主)両氏も中国の反日宣伝に加担したものとして同罪であろう。

<野中広務元官房長官が北京で中国共産党の劉雲山政治局常務委員ら要人と会談し、「尖閣諸島の棚上げは日中共通認識だった」と伝えたことを、会談後の記者会見で明らかにした。

1972(昭和47)年の日中国交正常化交渉の際、当時の田中角栄首相と中国の周恩来首相との間で合意があったという趣旨の話を、田中氏から後に聞いたという内容だ。しかし、伝聞に基づく発言で、確たる証拠はない。

岸田文雄外相は「外交記録を見る限り、そうした事実はない」と否定し、「尖閣諸島は歴史的にも国際法的にも日本固有の領土だ。棚上げすべき領土問題は存在しない」と述べた。当然である。

尖閣棚上げ論は、中国の最高実力者だったトウ小平副首相が持ち出したものだ。日中平和友好条約調印から2カ月後の78(昭和53)年10月に来日したトウ氏は「10年棚上げしても構わない。次の世代の人間は、皆が受け入れる方法を見つけるだろう」と述べた。

その年の4月、中国の100隻を超える武装漁船群が尖閣諸島周辺で領海侵犯による威嚇を繰り返した事件から半年後のことだ。当時の福田赳夫内閣はトウ氏の発言に同意しなかったものの、反論しなかった。不十分な対応だった。

しかも、中国はトウ氏の「棚上げ」発言から14年後の92(平成4)年、尖閣を自国領とする領海法を一方的に制定した。そもそも、中国に「尖閣棚上げ」を語る資格はない。

野中氏の発言に先立ち、シンガポールのアジア安全保障会議で、中国人民解放軍幹部が「(尖閣の領有権)問題を棚上げすべきだ」と蒸し返した。これに対し、菅義偉官房長官が「尖閣に関し、解決すべき領有権問題は存在しない」と反論したのも当たり前だ。

尖閣棚上げ論には、1月下旬に訪中した公明党の山口那津男代表も「容易に解決できないとすれば、将来の知恵に任せることは一つの賢明な判断だ」と述べた。同じ時期、鳩山由紀夫元首相は中国要人に、尖閣は「係争地」との認識を伝えた。

今回の野中氏の発言も含め、中国メディアは大きく報じた。中国の真の狙いは尖閣奪取だ。訪中する日本の政治家は、自身の国益を損ないかねない発言が、中国の反日宣伝に利用される恐れがあることを自覚すべきである。(産経)>

<「頂門の一針」から転載>

2013年06月05日

◆乳がん増加は米国産牛肉

山堂コラム 472


若いころはあれだけ好きだった牛肉―――食わなくなった。

銀座「スエヒロ」や新橋の「シャコ」「あら皮」など。500グラム以上のレア焼きステーキに歓声あげて食っていたのが嘘のよう。いまステーキと言えばもっぱら「豆腐ステーキ」よ。

食わなくなった理由ははっきりしている。何よりも牛肉そのものが不味(まず)くなったこと。それに何とも危(やば)いからだ。特に米国産牛肉は危い。家族にも食うなと言ってある。娘や孫娘に吉野家の牛丼やマックのハンバーグは米国産に違いないから「絶対に食うな!」と。

米国産牛肉の日本への輸入停止は狂牛病(BSE)が発生した平成15年のことであるが、小泉へのブッシュ圧力で3年後には輸入を再開。今年の2月からは月齢制限も緩和された。いま米国産牛肉の国内消費割合はだいたい25%だと言われている。

狂牛病牛肉の輸入再開問題は我が国のメディアも伝えた。狂牛病という名称を使ってはいかんと言う米国側の主張でBSE・・・ボール・ストライク・エラーと、何だかあまり毒気のなさそうな用語に換装しての記事だったがの。CEOやTPP、3ローマ字用語に日本人は弱い。すぐゴマカされる。

米国産牛肉で日本人がゴマカされているのは実はBSEだけではない。もっと危険なゴマカシがある。欧州各国ではとっくに気づいていて自国民を守るため米国産牛肉は輸入禁止。日本で問題にならないのは新聞・TVが報道しないから・・・ハリウッド女優が両乳房を切除したことは大騒ぎするくせに肝腎なことは報道しない。

米国産牛肉には日本産や欧州産の牛肉には禁止されている成長ホルモン剤「エストラジオ―ル」「ゼラノ―ル」(通称エストロゲン)がテンコ盛りなのだ。エストロゲンの残留値は赤身で日本産の600倍、脂身でも150倍だとされる(日本産科婦人科学会誌)。

この成長ホルモン剤の牛肉が何故問題か。エストロゲンが乳がん・子宮がんを誘発することが実証されているから(WHO報告)。

日本では現在、1年で6万人の女性が「乳がん」を発症。米国産牛肉の輸入を開始した50年ほど前の5倍。18人に1人の女性が乳がんに罹る。きっと貴台の娘さんや親戚に乳がんが1人くらいはいる筈。

ちなみに米国内の乳がんの発生率は8人に1人。これに対して欧州各国では米国産牛肉の輸入を禁止したこの25年で乳がん発症率が4分3に減った
(同WHO)。

米国産牛肉が「毒入り」だということ。日本政府は承知の上で輸入しているのだ。毒入り牛肉だけではない。防黴剤の果物。遺伝子組換えの穀物等・・・米国の輸出用食品は添加物・毒の見本市。そして日本の食品安全基準のハードルは高いから下げろと猛烈な圧力をかけてくる。大豆など、「遺伝子組換え」と表示することさえ「関税障壁だ」とイチャモン付ける米国のハゲタカ。

TPP(環太平洋貿易協定)交渉が始まり安倍政権は日本の国益は護ると豪語している。しかし欧州各国が拒絶している毒入り牛肉ひとつとっても輸入拒否出来ないわが国の交渉力―――

平成の日米経済戦争はすでにミッドウェー海戦を経て餓島・比島攻防の最終局面へ。テメエの国の婦女子の健康さえ守れないお粗末な日本政府。国防軍もいいが外交で勝てなくてどんな国との戦争に勝てるというのだ。 (了)
<「頂門の一針」から転載>