2013年04月25日

◆靖国問題で日本の心を踏みにじる

古森 義久


〜中韓両国〜

日本の閣僚が靖国神社を参拝したことに中国と韓国が抗議を述べました。

韓国は外相の訪日を止めるそうです。

日本人が日本国内で戦争で亡くなった先祖の霊に弔意を表すことになぜ外国が禁止を命じる資格があるのでしょうか。

日本の首相だろうが閣僚だろうが、一般市民だろうが、先人の霊を弔うことはそれぞれの心の問題です。個人の内面の自由です。外国の政府から指示される事物ではありません。

日本政府が中国や韓国やアメリカでの祖先の霊への弔意方法を命令するなど、考えられません。

戦犯が合祀されていることは、問題ではありません。参拝者はとくにその戦犯の霊や戦犯とされた旧指導者の行動を是認するわけでもありませ
ん。

それになによりも、この靖国参拝は日本の外交政策や社会政策とはなんの関係もないのです。

法事をどのように催すか、個人の自由、個々の家族の自由です。


でも「靖国参拝は戦争の礼賛だ」というのは奇妙な理屈です。

韓国がそう述べるととくに奇異にひびきます。日本は韓国と戦争などしていないからです。朝鮮半島は日本領土であり、朝鮮の住民の多くは日本国軍人として立派に戦ったのです。

どの国でも自然に実施する戦死者の霊への弔意表明というごく当然なことが、わが日本だけはしてはいけない、というのは日本の悪魔化です。

日本を劣等国としてみる「抗議」や「非難」には断固として反撃すべきです。

以下は靖国問題についての参詣新聞社説です。
==========
【主張】靖国と韓国 外相の訪日中止は残念だ

韓国外務省当局者が、今月末をメドに日本と調整していた尹炳世(ユンビョンセ)外相の訪日と岸田文雄外相との会談を中止することを明らかにした。

また、 韓国外務省は、安倍晋三首相が靖国神社に真榊(まさかき)を奉納したことや麻生太郎副総理兼財務相ら3閣僚が靖国神社に参拝したことに「深い憂慮と遺憾を 表明する」との論評を発表した。

外相の訪日中止は、首相の真榊奉納などに対する抗議の意思表示とみられる。極めて残念で大人げない韓国の対応である。


尹氏の訪日と日韓外相会談は、日中韓3カ国外相会談の見通しが立たないことから、韓国側が積極的に進めていたと日韓間には、北朝鮮の核、ミサイル問題や拉致問題など、共通する重要課題が山積している。

尹氏は今月の韓国国会で、朴槿恵政権の対日政策について、歴史・領土問題で譲歩しないとしつつ、「これとは別に、両国の互恵的な分野や人的交流分野では(協力を)続ける」と述べている。

日本と同じ自由を重んじる価値観を持つ隣国として、成熟した対日外交を求めたい。

安倍首相が奉納した真榊は、祭場を装飾する供え物だ。以前は、首相の靖国神社参拝と真榊奉納が普通に行われていた。首相自身、第1次安倍内閣の平成19 年4月に奉納し、麻生氏も首相だった20年10月と21年4月に奉納した。靖国神社にまつられる戦死者の霊に哀悼の意をささげる行為だ。

靖国神社には、古屋圭司国家公安委員長と加藤勝信官房副長官も春の例大祭に合わせて参拝した。新藤義孝総務相は例大祭前日の20日に参拝した。古屋氏は参拝後、「国のために命をささげた英霊に哀悼の誠をささげるのは国会議員として当然だ」と述べた。

民主党前政権では、閣僚に靖国参拝の自粛が求められた。安倍首相は各閣僚の自由意思に委ねた。当然の対応である。

戦死者の霊が靖国神社にまつられ、その霊に国民が祈りをささげるのは日本の文化であり、伝統だ。外国は日本人の心に介入すべきではない。内政干渉しないことは両国関係の基本である。

安倍首相は今月の予算委員会で靖国参拝について「私が指導者として尊崇の念を表することは国際的にも当たり前のことだ」と述べた。終戦の日の8月15日や秋の例大祭の首相参拝を期待したい

<「頂門の一針」から転載>

2013年04月23日

◆「栄光から挫折へ」失意の人々

平井 修一


人生は一寸先は闇、と言う。頂点を極めるのには大変な努力、才覚、賭け、それに天運が必要で、少しずつ這い上がっていくしかないのだが、頂点に立って「今日は昨日の続き、明日も今日の続きでうまくいくだろう」などと思っていると、突然天候が急変して奈落の底へ落ちることがある。

「人間万事塞翁が馬」とか「禍福はあざなえる縄のごとし」などという言葉もあり、良いときも悪い時もあるのが人生とは言うものの、「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く 」という言葉もある。長い間の努力も最後の少しの過失からだめになってしまうことのたとえだ。

政治家の田中角栄(1918:大正7年5月4日 - 1993:平成5年12月16日)は若くして総理になり頂点を極めたが、晩年は幸福とはとても言えなかったろう。

1972年(昭和47)5月、佐藤派から田中派が分離独立。6月『日本列島改造論』を発表。7月5日、佐藤栄作が支持した福田赳夫を破り自由民主党総裁に当選。7月6日、第1次田中内閣が成立。初の大正生まれの首相であり、54歳という若さだった。内閣支持率調査で70%前後の支持を集めた。

1974年(昭和49)10月、月刊誌『文藝春秋』が「田中角栄研究」「淋しき越山会の女王」を掲載。立花隆らが金脈問題を追及する。12月9日、内閣総辞職。首相在職通算日数は886日。三木内閣発足。

1976年(昭和51)2月、ロッキード事件発生。アメリカの上院外交委員会で、ロッキード社による航空機売り込みの国際的リベート疑惑が浮上。

7月27日に、同社による全日本空輸に対する売りこみにおける5億円の受託収賄罪などの容疑により、秘書の榎本敏夫などと共に逮捕される。首相経験者の政治家が逮捕されるのは昭和電工事件の芦田均以来。逮捕時に自民党を離党し、以後無所属に。8月、保釈。

それ以降は福田赳夫内閣、大平正芳内閣、鈴木善幸内閣、中曽根康弘内閣が続く。田中は「闇将軍」として君臨し、政治力を発揮した。

1984年(昭和59)12月、田中派内の中堅・若手により、竹下登を中心とした「創政会」の設立準備が進められる。

1985年(昭和60)2月7日、創政会が発足。それが遠因となり2月27日、脳梗塞で倒れ入院。

言語障害や行動障害が残り、以降政治活動は不可能に。田中は66歳で事実上引退した。

1993年(平成5)12月16日、75歳で死去。(以上、ウィキによる)

「政治は数であり、数は力、力は金だ」と豪語した“コンピュータ付きブルドーザー”も脳梗塞という伏兵に襲われ、晩年は寝たきりではなかったか。口も体も思うようにならず、惨めで辛い思いを8年間も続けた。刑事被告人という不名誉も背負ったままだった。

「晩節を汚す」という。高い評価を受けてきた人が晩年になって失敗し、それまでの業績や評価が台無しになってしまうことだ。どんなに功成り名を遂げた人であっても、不遇の晩年を過ごす人は少なくない。

小生がもの心ついたころからの記憶によれば、晩節を汚した、あるいは不本意に過ごした経済人では以下を思い出す。

■横井英樹:1913年(大正2)7月1日 - 1998年(平成10)11月30日。老舗百貨店、白木屋の株買占めや東洋郵船設立による海運業への進出などで脚光を浴びた。1982年2月8日にホテルニュージャパン火災が発生、全焼、横井は1987年、東京地裁で業務上過失致死傷罪で禁錮3年の有罪判決を受け、1993年に最高裁で確定した。

1994年から東京・八王子の医療刑務所で服役。1996年に仮釈放となり、1997年には刑期を終え、翌年に死去した。享年85。

■坪内寿夫:1914年(大正3)9月4日 - 1999年(平成11)12月28日。倒産寸前の企業を数多く再建させた手腕から、一時はマスコミによって「再建王」、また船舶・造船・ドック会社を多数抱えたことから「船舶王」、四国を中心としたグループ形態から「四国の大将」とも称された。

坪内が率いる来島どっくグループは経営は破綻寸前まで追い詰められた佐世保重工業の経営再建にもあたったが、1986年(昭和61)からの円高不況で来島どっくグループ本体も経営不振に陥り、佐世保重工業は同グループを離脱。坪内は1999年(平成11)、松山市内の病院で死去した。享年85。

■中内功:1922年(大正11)8月2日 - 2005年(平成17)9月19日)。ダイエーを創業し、会長・社長・グループCEOを務める。戦後の日本におけるスーパーマーケット(GMS)の黎明期から立ち上げに関わり、近年の消費者主体型の流通システムの構築を確立させダイエーを中心とした商業施設の普及拡大、日本の流通革命の旗手として大きく貢献した。

1990年代後半になってバブル景気の崩壊により地価の下落がはじまり、地価上昇を前提として店舗展開をしていたダイエーの経営は傾きはじめた。2001年に「時代が変わった」としてダイエーを退任。2005年8月26日、病院で定期健診中に脳梗塞で倒れ、療養中の9月19日に転院先の病院において死去した。倒れてから亡くなるまで意識が戻ることはなかったという。享年83。

■和田一夫:1929年(昭和4)3月2日 - 。元・ヤオハン代表。静岡県熱海の八百屋「八百半」を、30年間で世界的な流通・小売業「国際流通グループ・ヤオハン」にまで発展させたものの、最終的には経営破綻させた。

最盛期の売上はグループ全体で年間5000億円程度であった。1996年に経営危機が表面化、1997年、グループ傘下の主要会社ヤオハン・ジャパンは1613億円の負債を抱えて倒産。

会社更生法の適用を受けた後イオングループの100%子会社「マックスバリュ東海」となり現在に至っている。ヤオハン・ジャパンを除くヤオハングループ(日本国外の事業)は、1997年以降にすべて解体、清算・譲渡された。

■堤義明:1934年(昭和9)5月29日 - 。西武鉄道グループの元オーナー。父は西武グループの基礎を一代で築き上げた堤康次郎であり、兄は元西武百貨店会長の堤清二。

一時は総資産額で世界一となったこともあるが、西武グループの度重なる不祥事の責任を取って一線を退き、2005年3月3日、西武鉄道株式に関する証券取引法違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕され、有罪判決を受けた。

これにより、西武鉄道グループはメインバンクであったみずほグループ出身の後藤高志へ経営権が移り、コクド・西武鉄道・プリンスホテル間をめぐる堤家との複雑な資本関係は、西武ホールディングス発足と第三者割当増資によるサーベラスらの外部資本注入により整理された。

■江副浩正:1936年(昭和11)6月12日 - 2013年(平成25)2月8日。リクルートの創業者。1988年(昭和63)、いわゆる「リクルート事件」が発覚、国会での証人喚問に召喚された。

同年、リクルート会長を退任。1989年(平成元年)2月に贈賄容疑で逮捕され、贈賄罪で起訴。2003年(平成15)に東京地裁にて懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受け、被告人・検察とも控訴せず同判決は確定。

リクルート事件に関しては長らく心の傷を引きずり、その多くを語ることはなかったが、2009年(平成21)の手記『リクルート事件・江副浩正の真実』で初めて当時の心情を縷述した。2013年(平成25)2月8日に東京都内で死去。享年76。

・・・
これらの人々は絶頂を極め、その反動のように晩年は失意の日々だったろう。「カニは甲羅に似せて穴を掘る」から、小生のような凡人には絶頂もなければ失意もなく、波乱万丈とは程遠い。ちょっと寂しい気もするが、多分それで良かったのだろう。
         <「頂門の一針」から転載」

2013年04月22日

◆米国に馴染めなかったとは?

前田 正晶


ボストンのテロリスト兄弟・ツァルナエフの叔父という人が「彼らはアメリカに馴染めなかった」と言っていた。「馴染めなかった」という理由だけでテロ行為に走るとは思えないが、ここではテロ行為の背景に何
か他のものがあったのかを探るのではなく、「外国に馴染めないとは?」を考えてみたい。

私は1970年以降アメリカを含めて、 20ヶ国ほどを歩いてきた。しかし、「馴染む」という点では50回以上往復したアメリカには最も親しみを感じているし、最小限の違和感と緊張感で旅行できる。言語・風俗・思考体
系・食事・治安の状態等にも馴れた。初めて出張した時には「これほど素晴らしい国なのだから、永住しても良いか」とすら感動した。

しかし、今では永住の気などない。外国旅行の経験は貴重なもので、そこで得た最大の収穫は「自分の国ほど優れていて、良い国はない」と心底理解し、誇りを持ち、有り難いという意識を持てた」に尽きる。これ
だけは自国に止まっていては絶対に解らないし、認識できることではない。

私は在職中には1年の中の60%は、アメリカに出張しているか来日した会社の上司や同僚のアメリカ人と過ごしていた。それほど馴染んでいたのだが、アメリカには何度行っても、あるいは1月近くも滞在しても、「こ
こは異国である、自分は彼らとは異なる存在である」という感覚から抜け出たことはなかったし、それが当たり前だと認識していた。

だが、10年近く経った後では、アメリカの人たちとは、深刻も何もこれという悩みもなく、又何かの諍いを起こしたこともなく(と思っているだけかも知れないが)、彼らの文化も自分なりに理解して、その理解に
基づいてつきあうことが出来ていた。

それ以前は、今にして思えば上部だけの親しさと、彼らとファーストネームで呼び合って対等につきあえることだけを喜んでいて、ともすれば日本人の誇りから離れていたのではないかとすら考えてしまう。

換言すれば、必ずしもアメリカに深く馴染んでいた訳でも何でもない、お客様気分を味わっていただけかも知れなかったのだ。その頃では白人連盟?の壁も見えなければ、宗教の違いの難しさまでは意識出来ていな
かった。

そう考えてくれば、ツァルナエフ兄弟は自分の国を離れて何カ国目かでアメリカに来てわずか10年だそうで、しかも伝えられているところではイスラム教徒だというではないか。

馴染めていなかったのがそれほど不思議ではない。自分では「宗教の違いは意識できなかった」とは言ったばかりだが、9.11後のアメリカでのムスリム(Moslem)が置かれた立場くらいは見当がつく。

私は兄弟の写真をテレビで見て、一目で見慣れたアメリカ人の顔ではないと解った。要するに、アメリカ人に成りきれていない状態だったのだろう。

彼らは市民権(だったか)とグリーンカードを取っているそうだが、だからと言って外国の言語・風俗・習慣・思考体系を理解・認識して同化して暮らせるようになるには時間が足りなかったのではないか。

ないしは、アメリカに対して「異国という感覚」から離れきれなかったのではないのか。外国に馴れるとか馴染むということは、そんなに簡単でも容易でもないと言いたい。

もしも,馴染めなかったことをその異国のせいだとしたのだったならば、彼らの責任であり、身勝手で何かが違っていたと思わざるを得ない。自国の言語・風俗・習慣を異国にいても堅持することは必要だろうし、そう
出来ていれば良いのかも知れない。だが、彼らの年齢と外国住まいの経験では、他国の文化を消化しきれなかったのは寧ろ当然だっただろう。

もしも「馴染めなかった」だけがテロの理由であれば、余りに短絡的すぎる。そこには何か他の原因か理由があったのではないかと疑いたくなる。

外国に住むということは、それほど難しいことなのだろうが、私は未経験なので想像するだけに止まっている。だが、肝心なことは「日本人であることの誇り」と「他国の文化の理解への努力」だと思う。

因みに、YM氏は8年間の大学教員生活以前からアメリカの会社勤務の経験があるし、SM氏はアメリカの大学時代からビジネスマン暮らしを含めて30年以上もアメリカに住んでいる。そこまで馴染んでいてもアメリカに
対する不満など聞いたことはない。だが、言わないだけで、苦労があったことは察したつく。

      <「頂門の一針」から転載>


2013年04月21日

◆保守の面目躍如、サッチャー氏の軌跡

櫻井 よしこ


元英国首相のマーガレット・サッチャー氏が4月8日、87歳で死去した。私は彼女の語る英語がとても好きだった。文節を明確に切るその語り方はいつも耳に心地よく響いた。

党首討論で野党の批判に間髪を容れずに反論する姿も小気味よかった。彼女の言葉は、主張を貫く論理と確信、理性的でありながら熱く迸る情熱ゆえに一層魅力的に響いた。

11年にわたった英国保守党党首、また首相としての氏の働き振りは真に尊敬に値する。

氏には大局観があった。彼女は事柄を歴史に則して考える縦軸と、現在進行形の国際情勢の詳細に通ずる横軸に置いて分析し、基本をおさえた政策を打ち出し続けた。

国家基盤を堅固に作り直すには、何よりも国民の意思と覚悟、国民を率いる政治家の意思と覚悟が大事であることをサッチャー氏はよく知っていた。

保守党が労働党から政権を取り戻したとき、英国の影響力はあらゆる意味で長期にわたって低下し続けると見られていた。英国は非常に弱体化した中級国家と位置づけられていたが、彼女は首相就任当時こう感じていたと語っている。

「私は自分がこの国を救うことができ、ほかの誰にも救うことはできないことを知っている」(『サッチャー回顧録』日本経済新聞社)

なんという確信であろうか。私はこれを単なる自信とは受けとめていない。命かけて天命を尽すという覚悟の言葉であろう。英国の運命を担うその立場に立った自分を、全面的に信ずる言葉である。勇気溢れる武者震いが伝わってくるようだ。

この言葉は18世紀の英国の政治家で首相を務めたチャタムのものだが、サッチャー氏は心の底から、その言葉に同感したのだ。

1959年に政界入りした彼女は79年までの20年間に、保守党の失敗を実体験を通じて学んだ。英国労働党が事実上の社会主義を実施してきた中で、政権交替で保守党が与党になったとき、保守党は労働党よりも尚社会主義的な「大きな政府」へと走った。

そうした安易な迎合が、問題解決どころか、問題を悪化させ、英国病を蔓延させた。英国保守党は大きな理想に向かって突き進むよりも、「現実への譲歩」を重ね悉く失敗した。そのことをサッチャー氏は痛感していた。

■宰相たる者

政権奪取前の4年間、野党議員として彼女は全国を回り、有権者の意見に耳を傾け、国民が社会主義的価値観を厭い、祖国の「衰退を逆転させるために必要な苦しい手段を受け入れる覚悟が、多くの国会議員以上にできていた」ことに気づく。回顧録にはこう書かれている。

「もしわれわれがUターンによって急進的な保守主義の公約を破れば、強烈な非難を浴びることになるだろう」「それは、保守主義への道を突き進むことで社会主義者から浴びせられる非難よりもずっと大きいものだろう」

彼女が首相に就任した79年末、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻した。ソ連を信頼して融和政策を進めようとしていた米国のカーター大統領が「自分は間違っていた」と告白する場面が私たちの眼前で展開されるという劇的な年だった。

国民一般の意見と懸け離れたところで政策が決定される一党独裁と社会主義の本質を、カーター氏は見誤っていたのだ。社会主義国家と自由主義国家の本質的相違について、彼女は明確に表現している。

「対立する二つの体制は双方とも核破壊の手段をもっているので、共存のためには適応と妥協をしなければならないが、結局は相容れないものである」。

宰相たる者にとって、共産主義、社会主義国家への幻想こそ、国を過つものだということだ。現在の中国に十分当てはまる視点ではないか。

冷戦の真っ只中にあった国際社会で強力なリーダーに駆け上がったサッチャー氏は82年初頭にフォークランド紛争を戦った。映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」にも非常にリアルに描写されている戦いである。

如何に対処すべきか、重大な決断を迫られる場面で、彼女は強い不安を覚えながらも、原則をゆるがせにはしない。一旦奪われてしまえばフォークランド諸島は取り戻せないと、英国国防省が分析したとき、氏は断固として反論する。「取り戻さなくてはならない」と。

サッチャー氏は、「鉄の意志で」戦った。最終的に商船も戦列に加え、100隻を超える船と2万5,000の人員を投入した。英国の総力をあげての戦いだったと言ってもよいだろう。

英国が勝利したとき、英国の国際社会における立場は大きく変わった。すでに喪ったと見られていた国家としての強い意志を、英国は国際社会に示したのだ。英国は大国であり、誇りある国であることを、具現化してみせ、衰退する国家という位置づけに、断じて甘んじなかったのである。

■自主独立の精神

無論、フォークランド紛争だけで英国病に象徴される疲弊しきっていた国家の立て直しが実現したのではない。その前から、サッチャー政権は国家再生戦略を実施しており、フォークランド紛争はそれに大きな弾みをつけたにすぎない。

英国の再生は、ではどのようになされたのだろうか。彼女は書いている。自分は貧しくもなく、豊かでもなく、時たまの贅沢を楽しむには日々の生活を節約しなければならないような家庭に育ったと。

自分の生活や楽しみ、豊かさは自ら工夫し、切り開くことから始まるといっている。食料品店を経営していた父は、自分の店の成長を国際貿易の大きく複雑な世界に結びつけるのが好きだったと。

庶民の生活を支える経済は世界とつながっているのであり、広く外に開かれなければならないと語っているのだ。

サッチャー氏は、国に依存する社会主義的価値観や福祉の過剰な重視に替わるものとして、自主独立の精神を尊ぶ教育改革を行った。英国人はどんな人々だったのか、英国の誇りとは一体なんだったのかを教える歴史教育にはとりわけ力を注いだ。

現在の日本にとっても大いに参考になる多くの政策を実施した氏は、首相退任後の90年代に少なくとも3度来日した。私は95年と97年の2度、公開の対談及びセミナーで同席する機会を得て、食事も共にした。

「鉄の女」という形容詞とは程遠いにこやかさと、他者の発言に耳を傾けるときの真剣な眼差しが印象的だった。一緒に写真におさまったとき、彼女のドレスの大きな飾りボタンがとれて床に落ちた。

すると、彼女はさり気なく、手にしていた銀色の小さなバッグで、とれたボタンの跡を隠し、私を見てニコッと笑った。実にチャーミングな笑顔だった。(週刊新潮)

           <「頂門の一針」から転載>

2013年04月20日

◆第2次朝鮮戦争は日本攻撃で始まるか

古森 義久


北朝鮮が日本を攻撃するかもしれないというアメリカ側専門家の分析の紹介です。このテーマはこのエントリーで終わりです。

<<北朝鮮が真っ先に日本を攻撃する理由 最悪事態を想定した危機管理を急げ>>

そして日米両国チームは合同で以下のような見解をまとめたという。

 ・もし米国が北朝鮮の意図を探るためでも中国政府と協議することは、日米同盟への日本側の信頼性を失わせる。

 ・北朝鮮の先制攻撃を防ぐためには日頃から米国と日本の共同の北朝鮮攻撃軍事戦略を可能にしておく必要がある。そこには韓国の協力をも得て、北朝鮮への効率的な抑止態勢とする。

 ・米日合同の北朝鮮空爆能力の確保はいまの日本の軍事能力では難しいが、F35戦闘機を自衛隊が導入すれば可能となる。日本は現在はその種の合同作戦には空中給油と情報収集や偵察の能力しかない。

 ・米日両国は、第2次朝鮮戦争が北朝鮮の日本攻撃によって始まるという有事計画を具体的に想定すべきだ。米国がその想定の下に日本と韓国との協力のための対話を実行すること自体が北朝鮮への抑止になる。

 ・北朝鮮による2010年の韓国の大延坪島への砲撃事件では、米韓合同の反撃計画が明らかとなり、北朝鮮が韓国への同種の限定的な攻撃を断行する確率は大幅に減った。だが日本にはその種の反撃計画はないので、北朝鮮は日本攻撃の誘惑に駆られる可能性が高い。米国は日本との共同の反撃態勢を築くべきだ。

■中国の横槍にも注意と監視が必要

この報告を公表した研究機関「外交政策イニシアティブ」は、このウォーゲームの結果とは別に独自の提言を以下のように述べていた。

「今年、米日両国はこの種の課題を正面から協議する機会に恵まれている。日本が独自にその防衛政策や自己規制について再検討するだけでなく、米日両国は、1997年に更新されたきりの日米両国共同防衛ガイドラインの再検討にも取り組むことになっているからだ。

米国はこの日米協力に韓国も加わらせることに努めるべきだ。この場合も北朝鮮の日本攻撃というシナリオへの対応が主眼となる」

「オバマ政権は日本や韓国との安全保障協議には難色を示すかもしれない。そうした協議が中国の神経をさかなですることを恐れるからだ。中国にしても、米国に圧力をかけて、その種の対日、対韓の協議を止めさせられるかもしれないと判断すれば、強い圧力を実際にかけてくるだろ
う。

米国の議会はそうした 動きを十分に監視していく必要がある。北朝鮮への対応はとにかく相手の挑発よりも先行して、対応策を考えておかねばならない」

こうしたキメ細かな米国側の動きを見ると、日本にとっても北朝鮮との衝突での最悪事態までを想定した危機管理、戦争準備の努力が欠かせないように思われてくる。(終わり)

<「頂門の一針」から転載>

◆奈良「木津川だより」・恭仁宮跡

白井繁夫


恭仁宮跡(くにのみやあと)は、京都府の最南端の地、木津川市加茂町瓶原(みかのはら)、
木津川の右岸(恭仁小学校隣接近辺:地図Z:2番)に所在しています。
地図Z http://chizuz.com/map/map144914.html

今から約1270年前の天平12年(740)に、聖武天皇が平城京から恭仁京に遷都された古代の都ですが、京都府内に三つある古代の都城(恭仁京、長岡京、平安京)の中で最も古いが、一番知られていない(短命の都:天平16年までの4年間のためか?)都城だと思います。

そこで、今回は聖武天皇の東国行幸前の「平城京の状況説明と恭仁京」について、実際に発掘調査した京都府教育委員会の発掘調査資料や木津川市教育委員会の資料を参照しながら散策します。次回には昨年出版された「古代文化 T VOL.64」の『恭仁京の復元』なども参考に、聖武天皇の「恭仁京遷都」を考えてみようと思います。

北九州から平城京へ流行してきた豌豆瘡(わんずかさ:裳瘡もがさ)は、多くの人々を犠牲にしました。貴族社会も例外なく、天平9年聖武天皇を支えてきた藤原不比等の子、藤原四卿をも襲い、突然の死に至らしめたのです。

藤原氏以外でも多治比縣守(中納言)も6月に没し、当時台閣を構成した過半数の人々が亡くなり、藤原武智麻呂(むちまろ:左大臣)没後2ヶ月を経た9月末に、橘諸兄(もろえ)を首班とした新政権が樹立されました。

一方、天平10年12月、九州の太宰少弐(左遷された?)藤原広嗣(ひろつぐ)が、天平12年9月に管下の兵士を動員して「反乱」を起こしました。

聖武天皇は挙兵の2ヶ月後、10月29日に東国行幸に出発するのです。その時に聖武天皇は、大将軍大野朝臣東人に『朕思ふ所あるによりて、今月の末に暫く関東に往かむとする。云々』と勅しました。

行幸には、元正太上天皇、光明皇后、皇親、諸兄以下貴族を同伴して出発し、その後平城京には帰らず、12月15日に「恭仁宮」に入って、恭仁京の造営に着手しました。

聖武天皇の遷都については、疫病(天然痘)の流行が原因だとか、藤原氏と橘諸兄との確執(政情不安)等の混乱を避けるためではなく、前々から、新しい都「恭仁京」に遷都して新たな律令国家の建設を目指していたことと、諸兄は彼の地盤(相楽別業:さがらかべつごう)に近いと云う両者の思惑が一致した、と云う説もあります。

「恭仁宮跡」の発掘調査で特筆することは、天平13年に「平城宮」から本格的な宮殿「大極殿」とその周囲を取囲む「回廊」も移築した、その建物が天平18年には山背国分寺の「金堂」に施入されたことが確定されたことです。

長い前置きは止めて、1300年前の「恭仁宮跡」を見ましょう。

「恭仁京」と云えば都市全域を指しますが、今回は「恭仁宮」(天皇の住まいと政庁施設がある区域)について、実際に発掘調査(京都府教育委員会)した概要を、下図(恭仁宮の構造:木津川市教育委員会)参照しながら箇条書します。
恭仁京の構造縦1.jpg
★「恭仁宮」の構造は宮の中心地区にある「大極殿院地区」、その背後に東西二つの「内裏地区」、南部に「朝堂院」、「朝集殿院」で構成され、その周囲は「大垣おおがき」という塀で囲まれ、南東部に「東面南門」(宮城門)がありました。

★「恭仁宮」は東西に約560m、南北に約750mに設計され、その周囲は高い土塀(築地塀・ついじべい)で囲み面積は約42ha(平城宮の約1/3)でした。

★「大極殿」は天皇が儀式や政治を執り行う重要な建物です。宮の中心より少し北側に造られ、高さ1m強の土壇の上に、東西が45m、南北も20mの大きな建物で、朱塗りの太い柱を礎石の上に建てた礎石建物でした。(北西と南西の隅の礎石は1300年前の当時のまま移動していないことが調査で判明されました)。

★「大極殿院地区」は広い前庭をもち大極殿院を取り囲む回廊は築地を中央に築き、その両側を通路にした立派な「複廊」形式で、『続日本紀』に、平城京から恭仁京へ遷都のとき、平城京の「大極殿」とともに周囲の「歩廊」も移築した。とある記述が裏付けられました。

★「内裏」は東西二つあり、どちらが天皇の住む所かは不明です。「内裏西地区」は東西約98m、南北約128mあり、周りは全て板塀(掘立柱塀)です、「内裏東地区」は東西約109m、南北約139mで西内裏より大きいが、北側のみ板塀で残りの南、東、西側は土塀(築地塀)でした。

★「朝堂院」は「大極殿院」の南にあり、官吏が早朝より午後まで勤務した官衙(かんが:官庁)であり、広場では正月の朝賀や外国使節の歓迎儀式を執り行いました。

★「朝集殿院」は「朝堂院」の南側にあり、朝堂院での儀式開始までの役人の待機場所と考えられています。朝集殿院と朝堂院の周囲を区画する板塀(掘立柱塀)の一部が確認されました。

朝集殿院は東西約134m、南北約125mあり、南側に「朝集殿院南門」が発見されました。朝堂院は東西幅が朝集殿院よりやや狭くなっていたことが判り、このようなことから「恭仁宮」が「平城宮」を模して造られた可能性があることが判って来ました。

上記が「実際に発掘調査(京都府教育委員会)した概要」ですが、平成24年度の発掘調査の時、朝堂院で初めて「朝堂」と考えられる掘立柱建物が発見されています。(朝堂院は古代宮城の中枢となる殿堂で政務や儀式、饗宴などが行われた建物群です)。

大極殿旧跡(恭仁小学校の北側)を訪ね、東側の山城国分寺塔跡、例幣使料碑(れいへいしりょうひ)など巡り、瓶原(みかのはら)ののどかな景色の遠望できる所で休んだ時、大伴家持の万葉歌(6−1037)「今造る久邇の都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし」とか、田辺福麻呂の(6−1050)「久邇の新しい都を賛美した歌」二首と短歌を思い浮かびました。

また別に、(6−1059)に詠われた「風光明媚な久邇の都の泉川や三諸つく鹿背山は短命な都から現在まで在りし日の自然の姿を留めていてくれたかな」の歌も脳裏に奔り、少しセンチな気持にもなりました。

次回はもうすこし聖武天皇の描いた「恭仁京」の都に近づきたいと思っています。

参考資料  加茂町史 第一巻 古代.中世編   加茂町
      恭仁宮  よみがえる古代の都    木津川市教育委員会
      平成24年度 恭仁宮跡発掘調査 現地説明会資料
                        京都府教育委員会

恭仁京の構造縦1.jpg


2013年04月19日

◆米が懸念する北朝鮮の日本攻撃

古森 義久


北朝鮮の軍事挑発の言動はなお続いています。

アメリカのケリー国務長官はアジア訪問で、ややソフトな姿勢をみせました。

北朝鮮の軍事攻撃の恫喝におびえたような気配も感じさせます。

さてアメリカはこの情勢をどうみるのか。

アメリカといっても当然ながら一枚岩ではありません。

その一部の反応を報告します。

日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

原文へのリンクは以下です。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37603

========

北朝鮮が今後、実際にどのような軍事行動を取るのか。米国ではいま官民挙げてこの予測を大展開している。

北朝鮮がその警告通りに米国あるいは韓国、そして日本にまで、核弾頭搭載のミサイルを撃ち込むのか。それとも好戦性に満ちた攻撃の威嚇は単なる言 葉だけの脅しなのか。あるいは実際の軍事行動を伴うのか。第2次朝鮮戦争が果たして始まるのか。

米国の政府や議会、そして軍の研究機関から民間の研究所、 マスコミまで、それぞれに分析や予測を進め、公表するようになった。

米国の専門家たちのその種の予測の中で特に関心を引かれたのは「次の朝鮮戦争は北朝鮮による日本攻撃で始まる」という大胆な見通しだった。

その理由は日本が北朝鮮からの攻撃に対してあまりに無力であり、反撃などという軍事行動がまず考えられないからなのだという。この点の指摘は、ま さに戦後の「平和・日本」が、自国への軍事攻撃はもちろんのこと軍事的な反撃など夢にも考えずに国づくりを進めてきたという特徴を突いていた。

だからいま の北朝鮮危機は、日本にとって戦後最大の国家安全保障の曲がり角を画すことにもなるのだろう。

ミサイルを撃ち込まれた日本はどう対応するのか

ワシントンの民間の国際安全保障研究機関「外交政策イニシアティブ」は4月10日付で「北朝鮮に関する米国と日本のウォーゲームからの教訓」と題する報告を公表した。作成の責任者は同研究機関の所長クリストファー・グリフィン氏だった。同氏は日本を含むアジアの安全保障問題の専門家で、ジョセフ・リーバーマン上院議員(無所属)の立法補佐官や大手研究所のAEIの安全保障専門の研究員などを歴任した。


報告はこのグリフィン氏が最近行った「ウォーゲーム」(模擬戦争演習)から得た考察や教訓が主体だった。

その前提となるシナリオは「北朝鮮が米国や韓国に戦いを挑むのだが、その有効な手段としてまず日本に攻撃をかける」という見通しだった。具体的に は、北朝鮮が日本国内の特定の無人地域を狙って弾道ミサイルを撃ち込む。死傷者は出さないものの、その標的の地域には命中し、次は人口密集の日本の都市に 同様のミサイルを撃ち込むと脅す、との想定
だったという。

北朝鮮はこの日本への本格攻撃の脅しにより米国や韓国に核兵器保持を認めさせ、経済制裁解除、外交承認、経済支援など一連の要求に基づく交渉を迫る、というのだ。

ちなみにウォーゲームというのは、一定の危機を設定し、関係筋がそれにどう対応するかを探るシミュレーション(模擬演習)である。アメリカでは軍関係を主体に頻繁に実施される政策、戦略の演習なのだ。危機管理のシミュレーションだと考えれば、分かりやすい。

私もマサチューセッツ工科大学(MIT)の日本研究所が主催したアジア危機管理のシミュレーションに数回、加わったことがある。例えば「北朝鮮の 金政権が崩壊した」というようなシナリオを設定し、その危機に対し、米国、韓国、日本、さらには中国などが具体的にどう対応するかを見るのである。(つづく)

<「頂門の一針」から転載>

◆国民栄誉賞と文化勲章の「違い」

岩見 隆夫


勲章に私たちの世代が関心が薄いのは、時代のせいである。もともと国家、社会に対する功労者を表彰して、国家から与えられる記章のことだから、関心があって当然のはずだが、そうでもない。

戦前、軍国少年のころは、金鵄勲章がすべてだった。武功抜群の陸海軍の軍人・軍属に与えられるのだが、それだけが燦然と輝いていて、ほかは目に入らない。当時から文化勲章もあったはずなのに、知らなかった。

とにかく、不幸なことに、勲章イコール武勲のイメージが刷り込まれていたから、敗戦とともに金鵄勲章も軍隊も消えてしまうと、勲章という言葉自体、使いたくない、という意識が先に立ったのだと思う。関心が薄いのは仕方のないことだった。

しかし、〈勲〉がつかない賞一般は、戦後あらゆる分野に広がって、値打ちはピンキリだが、悪いことではない。今回、長嶋茂雄さんと松井秀喜さんのダブル受賞で大ニュースになった国民栄誉賞も勲章の一つである。あまりセンスのいいネーミングとは思えないが、それはいいとして。

表彰規定によると、対象は〈広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えたもの〉とされ、首相が適当と認めれば授与される。首相の専権事項であることから、しばしば政治的な利用疑惑が取りざたされてきた。本誌も先週号で、

〈唐突! 国民栄誉賞W受賞は「春の値上げ隠し」だ〉

と書いている。安倍晋三首相にそんな意図があったかどうか、証明のしようがないが、確かに唐突感とセット授与への違和感が残った。

そこで、歴代首相と受賞者の一覧表を作ってみた。

▽福田赳夫=王貞治(プロ野球選手)、古賀政男(作曲家)

▽中曽根康弘=長谷川一夫(俳優)、植村直己(冒険家)、山下泰裕
(柔道選手)、衣笠祥雄(プロ野球選手)

▽宇野宗佑=美空ひばり(歌手)

▽海部俊樹=千代の富士(大相撲横綱)

▽宮沢喜一=藤山一郎(歌手)、長谷川町子(漫画家)、服部良一(作曲家)

▽橋本龍太郎=渥美清(俳優)、吉田正(作曲家)

▽小渕恵三=黒澤明(映画監督)

▽森喜朗=高橋尚子(マラソン選手)

▽麻生太郎=遠藤実(作曲家)、森光子(女優)

▽鳩山由紀夫=森繁久彌(俳優)

▽菅直人=なでしこジャパン(サッカー女子日本代表チーム)

▽野田佳彦=吉田沙保里(レスリング選手)

▽安倍晋三=大鵬(大相撲横綱)、長嶋茂雄(プロ野球選手)、松井秀
喜(プロ野球選手)

この制度、1977年八月、福田首相のもとで作られ、以来35年半の間、13人の首相によって22人と一団体に授与された。うち芸能関係11人、スポーツ関係(相撲、冒険を含む)10人と1団体で、変わり種は漫画家の長谷川さんだ。

また、古賀さんら14人が既に故人で、大半が死去を機に受賞している。授与歴のない首相も大平正芳、竹下登、小泉純一郎ら9人、在任期間を合計すると16年になるので、この間該当者がいなかったとは思えない。

たとえば、俳優は長谷川、渥美、森、森繁の4人、歌手は美空、藤山の2人だけだが、ほかにも栄誉賞にふさわしい人は何人かいたはずだ。となると、基準、選考はかなり恣意的で、時の首相の人気取り、あるいは批判回避に利用されたのではないか、という疑惑がつきまとう。

結果的に賞の権威を落とすことになる。首相の諮問機関を設けるとか、選考を厳しくする工夫をしたほうがいい。受賞者にとっても、そのほうがありがたい。

日本の最高の勲章とされている文化勲章は、1937年に設けられたから76年の歴史を刻んでいるが、審査は厳格で文部科学省に選考委員会がある。

それでも自薦他薦があり、しばしば政治家がかかわってきた。

以下の秘話は7年前、私が『毎日新聞』の政治コラムに書いたので、すでに秘話でないのかもしれないが、文化勲章の権威のために、改めて紹介しておきたい。

佐藤栄作首相の時、佐藤さんは昵懇の鹿島守之助さん(1896〜1975年)に文化勲章が贈られるよう仲介の労をとろうとした。

鹿島さんは外交官のあと鹿島建設社長を長年つとめ、53年に参院議員に当選、第一次岸内閣の北海道開発庁長官に就任している。66年には鹿島平和研究所を設立、『日本外交史』34巻などを出版し、文化活動にも精力的だった。

すでに文化功労者に選ばれ、学士院賞、勲一1瑞宝章を受けていたが、加えて、ぜひとも文化勲章を、ということだったのだろう。

しかし、審査は厳しく、首相の仲介はうまくいかない。やむなく後継の田中角栄首相に、

「引き続きやってくれ。頼む」

と申し送った。だが、田中首相が奥野誠亮文相らをせっついてもラチがあかない。壁は宮内庁にあることがわかった。

某日、田中さんの命を受け、側近の後藤田正晴官房副長官が宇佐美毅宮内庁長官を訪ねる。五三年以来の大物長官だ。鹿島授与を打診したが、

「それは、だめだよ」
「なぜです」
「ある人物の授与の決裁をお願いした時、陛下はこう言われた。『文化勲章というのは、家が貧しくて、研究費も足りない。にもかかわらず生涯を文化や科学技術発展のために尽くした。そういう者を表彰するのが本来のやり方ではないのか』と。後藤田君、そういうことなんだ」

というやりとりになった。帰って報告すると、田中さんは、
「そうか、これはやめた」
とあっさりしていた。昭和天皇がひとつの枠をはめていたのである。

この話は、後藤田さんからオフレコの約束で聞いたが、すでに他界されて8年、文化勲章の名誉のためにお許しいただけるだろう。

(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)

        <「頂門の一針」から転載>

2013年04月18日

◆“ドロ舟”民主からまた脱走者!

古澤 襄


またドロ舟から脱走者だ−。民主党の室井邦彦参院議員(比例)が、離党する意向を固めたことが17日、分かった。離党と会派離脱が認められれば、民主党と自民党の参院での会派別議席の差は「1」となる。

安倍晋三首相のおひざ元で行われる参院山口補選(28日投開票)は、自民党公認候補が優位に戦いを進めているため、今月末にも自民党が同数に追いつき、一挙に逆転する可能性もある。

フジテレビが16日夜報じたところによると、室井氏は政策の違いなどを理由に、民主党を離党する意向を関係者に伝え、今週中にも離党届を提出する見通しという。

今年夏の参院選で改選を迎えるため、支持率が低迷する民主党では戦えないと判断し、他党からの出馬や地方選挙へのくら替え出馬も念頭に置いているとみられる。

室井氏は兵庫県尼崎市出身で、自民党県議や、生活の党の小沢一郎代表が率いた自由党の衆院議員を務めた経歴がある。野田佳彦内閣では国交大臣政務官を務めた。

室井氏の事務所は17日朝、夕刊フジの取材に対し、「報道も見ていないのでよく分からない」としている。

これによる民主党の打撃は極めて大きい。というのも、民主党は16日、離党届を提出していた平野達男前復興相と川崎稔参院議員の除名処分を決定し、参院での民主党会派は85人になった。室井氏を抜くと84人にまで減る。

これに対し、自民党会派は83人で、参院山口補選で自民党候補が当選すれば84人になる。民主党会派にはすでに離党届を提出した植松恵美子氏が含まれており、いつ自民党が逆転してもおかしくない状況になるのだ。

民主党は離党者が相次いでいるだけでなく、参院選をめぐる「野党共闘」からも蚊帳の外に置かれている。橋下徹共同代表(大阪市長)率いる日本維新の会からは選挙協力を露骨に拒まれたうえ、橋下氏に近い前原誠司元外相らの引き抜き工作まで仕掛けられている。

こうした現状に、存在感の乏しい海江田万里代表や、これまで参院に強い影響力を持ってきた輿石東参院議員会長に対して、党内の不満も強まている。中堅議員は「海江田氏も輿石氏も辞任した方が、参院選を戦いやすいんじゃないの」と語った。懲りない人たちというか…。(夕刊フジ)>

<「頂門の一針」から転載>

◆みなさまのNHKは亡国のNHK

MoMotarou
 
 
北朝鮮の"無慈悲な"プロパガンダで今日も一日テレビ局は制作費を抑えることができた。感謝。(編成局長)
                 ★
■NHKテレビの努力(渋谷ハチ公前特派員よりの報告)

渋谷>>>>
 
朝の連続ドラマ「あまちゃん」のおとうさんは個人タクシー。乗ってる車はGRANDEUR(グレンジャー)という外車。ただし韓国「現代自動車」製です。あの米国で燃費を誤魔化して多年売り続けてきたヒュンダイが造った車です。

ドラマでビール瓶が画面に登場する時、ラベルが見えないようにしたり幻のビールを作ったりしていたNHKが大サービスですね。また登場するスナックには「鏡月グリーン」という韓国焼酎が堂々と置かれております。

また、「ドラマに登場する海女の一人は、若い頃に韓国人の男と韓国のチェジュ島(済州島)に駆け落ちし、そこで海女をやっていた!(4月10日放送)」というのもあります。済州島とは読まず朝鮮読みを使います。

「最初の頃よりパチンコ屋(朝鮮玉入れ屋)でのシーンが連日のように放送されていた。しかも、パチンコ屋は、主人公の母親と主人公の恋の相手の出会いの場として描かれている。」

↓画像入りで詳しくレポート。NHK突撃電話訪問もあります。(正しい歴史認識。。サイトより)
  http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5029.html

■NHKラジオ第二「地球ラジオ」(モスクワ小林特派員よりの報告)

モスクワ>>>>

プーチンさんとの談話。「私は柔道と出会っていなければ、町のゴロツキで終わっていました。柔道で教わった日本語の一つに"修身"がありました」と語りました。サービス精神からかも知れませんが嬉しくなりました。国家の根幹をなすものを会得している。恐れ入りました。

■特集:クローズアップ一昨日(おとつい)ー「たかが事務総長の分際で」

ソウル>>>>

日本という支えを失った戦後の朝鮮はすぐに分裂していがみ合いを始めた。

そしてある日、北朝鮮が韓国に攻め込んだ。不意を衝かれ韓国は釜山まで追いつめられる。そのままだったら韓国勢は日本領の竹島にでも逃げ込んできて亡命政権を樹立し細々と生きるしかなかった。

その方が静かでよかったかもしれないが、実際は李承晩が竹島に逃げる直前に米軍の逆上陸作戦が成功して、韓国は再びソウルに戻ることができた。

こういう分断国家は通常、民族の血が磁石のように引き合ってお互いを統一に駆り立てるものだ。例えばベトナムはフランス、米国など世界の大国を相手に30年も戦い続けて統一を実現した。

ドイツは分断を強いた冷戟構造が弱まるや市民が立ち上がってベルリンの壁を取り壊して祖国統一を果たした。朝鮮はその点、冷戦が終わり、だれも邪魔しないのに、未だに自力で統一することもできていない。

おまけに一方が偽ドルを造り、覚醒剤を密売していても、もう一方はそれを諭しもしない。「朝鮮は国家を維持する資質も能力も欠けている」といって在朝鮮の米公館を閉じてしまったセオドア・ルーズベルトの言葉を思い出させる。(転載終 2007.9.6号)

(桃:そう言えばパン国連事務総長が全く出てこないなぁ。逃げたのかなぁ。。。)

■ドラマ「浮遊雲(はぐれぐも)」
 http://youtu.be/Rwq5yUJMIbk

■今日の一言:「信なくば立たず、金無くば撃てず」

北朝鮮も韓国も自分の国の事は放って置いて我が国の事ばかり手伝ってくれます。有難い。金目当てか。ソ連も米国も似たようなもの。消費税を上げるとあてにされるので反対します。(経済部より)


<「頂門の一針」から転載>

2013年04月16日

◆ケリー氏 北朝鮮の非核化に成功すれば

古澤 襄


<アジア外交の面で未知数のケリー氏がクリントン前国務長官の後任となったことで、日本の政府関係者の間ではこれまで不安が広がっていた。

今回国務長官として初めて日本を訪れたケリー氏は日本政府にある程度の安心感を与えたが、一方で、中国との領土問題や同地域におけるミサイル防衛計画への米国支援について今後緊張が高まったときの米国の姿勢を予想させるいくつかの兆候を残していった。

尖閣諸島をめぐって中国と領有権争いが続いている日本は、クリントン前国務長官が示した強い日本擁護が踏襲されることを期待していた。14日、日本に到着して間もなく行った記者会見でケリー国務長官はその期待に応えた。

尖閣諸島をめぐり領海やときには領空侵犯を繰り返す中国を念頭に、「日本の施政下にあり、現状を変えようとする、いかなる一方的な行動にも反対する」と述べたのだ。

また、 15日に行われた安倍晋三首相との会談では、安倍首相の側近によれば、尖閣諸島について今後も米国の立場に変更はないと確認した。
 
そして15日に日本を発つ前に北朝鮮の拉致問題に触れることも忘れず、拉致被害者の家族と面会した。岸田文雄外務相は感謝の意を表し、今後も拉致問題への米国の理解と支援を期待すると述べた。

だが、ケリー国務長官は一方で、中国だけでなく韓国とも争われている領土問題に対してより中立的と思われる発言もし、さらに安倍首相には、第二次世界大戦時の日本の行為を謝罪した過去内閣の談話を見直すことのないよう釘を刺した。

14日の記者会見では「問題が日本海、東シナ海どこであろうと、それが岩礁であれ島であれ、挑発的な行動を控えるように要請してきた」と述べ、平和的解決を呼びかけた。

日本海への言及は正式な議題には上っていなかったが、竹島をめぐる日韓の領土権争いを念頭に置いたものと思われる。

ケリー氏はまた、訪中時、中国が北朝鮮の非核化に成功するならば東アジア地域のミサイル防衛体制を縮小すると発言して日本側を驚かせた。

後になってこれは北朝鮮危機を受けて配備した軍備に言及したものだったと釈明したが、ミサイル防衛計画は北朝鮮だけでなく中国からの脅威にも対抗するものと考える日本にとっては軽視できない発言だ。

ワシントンの外交問題評議会(CFR)の上級研究員、シーラ・スミス氏は「日本は米国よりもずっと長くミサイル拡散を問題視してきており、ミサイル拡散は核の拡散よりも安全保障に脅威だとみている」と指摘する。

ブッシュ前政権でアジア問題を担当していた戦略国債問題研究所(CSIS)のマイケル・グリーン上級副所長兼アジア・日本部長はケリー国務長官の尖閣諸島に関するコメントは「日本を安心させるためのリスト項目を1つクリアしたが、中国でのミサイル防衛網に関する発言は安心感を損なうもので、訂正が必要だったし、確かにそれを訂正した」と述べた。

同氏は、複雑さを増すアジアの安全保障問題に正しい対応をすることは容易でないという教訓が得られただろうと考えている。

政策研究大学院大学の道下徳成准教授は「日本はケリー国務長官の一挙手一投足に注目しており、あのような混乱を招くメッセージを発信することは信頼を失うことになりかねない。他の政策でも一貫性がないのではないかとの印象を与える可能性がある」と指摘した。(ウォール・ストリート・ジャーナル)>

<「頂門の一針」から転載>

2013年04月15日

◆Xデーは? 「15日」「撃たない」検証

古澤 襄


中距離弾道ミサイル「ムスダン」を発射する構えをみせ、日米韓3カ国を翻弄する北朝鮮。いったいいつ撃つのか−。「4月15日」「4月下旬から5月上旬」といった発射時期に関する分析が飛び交う。ただ、ここにきて「発射見送り説」も広がりつつある。

■週末はない

政府は13日、「すわ発射か」と浮足立った。

午前5時40分。安倍晋三首相や菅義偉官房長官らの非常用電話が一斉に鳴った。その電話は危機管理の局面でしか鳴らない。

「ついに撃ったか」。菅氏は直感したが、秘書官は兵庫県・淡路島で震度6弱の地震があったと伝えた。菅氏は午後には地元の横浜市で講演し、「いつミサイルが飛んでくるか分からない」と発射時期を読み切れていないことを吐露した。

14日未明に発射する可能性も消えてはいないものの、政府はこの週末の可能性は低いと踏んでいるフシがある。岸田文雄外相が小野寺五典防衛相とともに東京・市谷の防衛省で地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を視察したのがその証左だ。

「いまご覧のPAC3システムは…」。迎撃という実戦に備える部隊長の説明に、岸田氏は神妙な面持ちで聞き入った。

外相の部隊視察は極めて異例で、外務・防衛両省の一体感をアピールする狙いがある。だが、部隊側には「出迎え行事」の準備と実施に時間を割かれるデメリットもあった。

自衛隊幹部は「きょうの発射はないと判断したから招いた」と明かす。防衛省首脳は「長丁場になる」と漏らし、早々と役所を後にした。

首相は13日、東京都台東区の寺へおもむき、1時間あまり座禅を組んだ。「座禅の途中に飛んでこないことを願う」とつぶやいた首相。緊張状態が続く中、心を静められたようで、帰り際には「落ち着きましたね」と表情を和らげた。

■15日説

発射時期について、日米韓が最も警戒するのは4月15日だ。正恩第1書記の祖父、金日成主席の生誕101年の記念日にあたる。昨4月に長距離弾道ミサイルを発射したのも、最大の祝典に花を添える祝砲と位置づけられた。

ただ、首相周辺は「生誕式典にかかりきりになるのでは」と15日発射説に懐疑的な見方を示す。ケリー米国務長官が15日まで日中韓3カ国を歴訪中であることを踏まえ、政府高官も「目の前で発射すれば虎の尾を踏む」と話す。米国の強烈な対抗措置を恐れ、自制するとの見立てだ。

■下旬〜5月上旬

今月下旬から5月上旬の見立てもある。朝鮮人民軍創建記念日は今月25日。金第1書記は「先軍政治」を踏襲しており、「軍の記念日にミサイルを発射し、軍重視と士気高揚を強調することは十分考えられる」(韓国国防省筋)という。

5月上旬は、韓国での米韓合同軍事演習フォールイーグルが4月30日に終わることと関わっている。「実戦さながらの演習中の米軍を挑発すれば、強力な反撃を受ける」(同)ことを避け、米韓演習後に照準を合わせるという見方だ。

韓国国立外交院の尹徳敏教授は「朝鮮戦争終結に向けた交渉に米国を引き出すため脅威を示す」と分析、発射は不可避とみている。

■見送り

一方、防衛省の情報分析官は、13日のケリー氏と中国の習近平国家主席との会談に注目、「北は完全に外堀を埋められた」と語る。対北朝鮮けん制に中国もくみしたことで、挑発を重ねれば中国も制裁強化に踏み切りかねず、北朝鮮は自制せざるを得ないとみる。

過去3回の発射で常道だった予告期間の3日目以内に発射しなかったことを受け「発射見送り」の声もあがる。森本敏前防衛相も13日の読売テレビ番組で「これだけ米国を騒がせた。発射しなくても目的をほぼ達成した」と推定した。

森本氏がいう目的とは、米政府から非核化を条件としつつ「対話ができる」(ケリー氏)との言質を引き出したことで、金第1書記は指導力を内外にアピールできることを指す。

このシナリオは米中両国にとって望ましい。米政府は自国領グアムに着弾の恐れがあるミサイル発射を封じ込められるし、中国は米中協調で北朝鮮を抑えこんだと誇示できるからだ。「三方一両得」の決着といえる。

とはいえ、金第1書記が合理的な判断をできるかどうか。自民党の石破茂幹事長が「ミサイルを撃つぞと発言している。これは戦争だ」と断じるように、金第1書記の言動と判断には常識では考えにくい危険性がつきまとう。(産経)

<「頂門の一針」から転載>

2013年04月14日

◆中国手詰まり、静観のみ?

矢板 明夫


【北京=】北京を訪れた米国のケリー国務長官は13日、習近平国家主席や王毅外相ら中国側の要人と相次いで会談し、北朝鮮問題で影響力を行使するように強く求めた。

しかし、中国共産党指導部内には北朝鮮への厳しい制裁に反対する声が根強く存在する上、最近の関係悪化で中国の北朝鮮に対する影響力も大幅に後退しており、中国にできることは限られているのが実情だ。

共産党筋によれば、習近平指導部は北朝鮮の勝手な振る舞いに手を焼いている。中国外務省幹部の間では、最近の北朝鮮の態度を「助言を聞かない」「重要なことを知らせない」「行動を予測させない」の「三つのノー」だと揶揄する声もあるほどだという。

半面、これ以上北朝鮮の暴走を容認すれば、軍事衝突に中国が巻き込まれかねないとの危機感もあり、指導部内で李克強首相らを中心に厳しい制裁を主張する意見が増えているとの情報がある。

中国は2月以降、中朝国境の税関検査を厳格化し、北朝鮮への輸出物資が大量に留め置かれたことが確認された。中国政府高官が北朝鮮問題を語る際の言葉遣いも厳しくなった。

王毅外相が6日、国連の潘基文事務総長との電話で、朝鮮半島情勢について「中国の玄関先でのもめ事は許されない」と強調したのは、北朝鮮に警告する意味だと指摘されるが、まったく効果がなかったようだ。

中国には北朝鮮向けの食糧とエネルギーを止めるという切り札が残されている。しかし、北朝鮮の体制崩壊につながりかねないとして、軍と保守派からは「日米を助ける利敵行為だ」と反発する声も強いという。

軍事衝突の勃発と北朝鮮の体制崩壊のどちらも避けたい習近平指導部は当面の間、胡錦濤時代の政策を踏襲し、北朝鮮の暴走を“静観”するほかに選択肢が見あたらないものとみられる。

産経ニュース 2013.4.13 21:40
<「頂門の一針」から転載>