2013年02月18日

◆「独裁」は最悪のレッテル

平井 修一


産経新聞の黒田勝弘・ソウル駐在特別記者が「『極右言論人』は忙しい」と書いている(203年2月11日)。

それによると政治的な右側勢力のレッテルは、保守→右派→右翼→極右だろうという。それなら左側勢力は、福祉左派→容共左派→反日左翼→極左ではないかと小生は思う。

それぞれの違いがはっきりしているわけではない。右の色、左の色というのはあるだろうが、粘土のようにまぜこぜになっていることもあるし、空気次第でカメレオンのように色を変えることもあるだろう。

米国では右側が共和党で個人の自主独立を重んじ小さな政府を、左側は社会福祉・所得の再分配を重んじ大きな政府を標榜するようだが、国民は時と場合によって支持政党を選んでいたりする。はっきりしているわけではない。

日本も右側は概ね自民党、左側はこの前までは民主党だったが、左側は今では大体が弱小諸派に分裂しているようである。これまた支持政党がはっきりしているわけではなく、無党派層に左右されることが多い。

右にせよ左にせよ、世界的に見て自由、民主、人権、法治を価値観とする国では基本的に穏健であり、日本でもそうではあるが、極右と極左は暴力・武力を含めた非合法的手段や戦争・戦闘を厭わない。「正義のためには何でも許される」と思っている。強圧的な独裁政治もその一つだ。

多民族、多部族、多宗教など価値観が多様な人々を国家としてまとめ上げるためには独裁政治が便利である。独裁者は圧倒的な武力を背景に、文句を言う者や反対する者は強制収容所に監禁するか殺せばいい。政治的なレッテルで「独裁」は最悪である。


ちょっと資料は古いが、米外交専門誌「Foreign Policy」電子版(2010年版)に「独裁者ワーストランキング」というのがある。それによるとワースト10は――

1位 北朝鮮      金正日総書記
2位 ジンバブエ    ムガベ大統領
3位 ビルマ      タン・シュエ議長
4位 スーダン     バシル大統領
5位 トルクメニスタン ベルディムハメドフ大統領
6位 エリトリア    イサイアス・アフェウェルキ大統領
7位 ウズベキスタン  カリモフ大統領
8位 イラン      アフマディネジャド大統領
9位 エチオピア    メレス・ゼナウィ首相
10位 中国       胡錦濤国家主席

現在の状況を見ると、北朝鮮は2012年、金正日の三男である金正恩が最高指導者の地位を継承した。ジンバブエは引き続き経済が混乱している。ビルマ(ミャンマー)は民主化と国民和解、経済改革を推進中だ。

スーダンのバシル政権はイスラム原理主義政権であり、テロ支援国家の指定を受けて経済制裁が続いている。トルクメニスタンはベルディムハメドフ大統領政権の下で、教育分野の重視、衛星放送やインターネットの普及等の新しい政策が取られ、一部政治犯の恩赦も行われた。

エリトリアでは暫定政府が事実上の一党独裁制のもと統治を継続している。ウズベキスタンではカリモフ大統領支持勢力が議会を支配しているが、近年は豊富な天然ガス関連の投資を多く受け入れており、比較的好調な経済成長を遂げている。

イランの最高指導者はアリー・ハーメネイー。アフマディネジャド大統領は最高指導者の専権事項以外で、執行機関たる行政府の長である。核開発計画により国連安全保障理事会はイラン企業への制裁を決議しており、国際社会におけるイランの経済的孤立性は強まっている。

エチオピアではメレス・ゼナウィ前首相の急逝を承け、ハイレマリアム・デサレン首相が2012年8月に就任した。

中国では2012年11月の第18回党大会を以て胡錦濤・温家宝ら第4世代の指導者は引退し、11月15日に開催された第18期1中全会において習近平が党の最高職である総書記と軍の統帥権を握る党中央軍事委員会主席に選出された。

以上のような独裁国家が穏健な国に変わるのは容易ではないだろう。独裁というタガが外れたために、民主化運動「アラブの春」による混乱が落着く兆しも見られない。
           <「頂門の一針」から転載>

2013年02月17日

◆「認知症」への対応は?

向市 眞知


「ボケ」も「痴呆」もやはり不適切な呼び方だと思います。やはり「認知症」「認知障害」が、用語としては適切と思います。
 

<脳生理学によれば、脳の神経細胞は140億個というとんでもないたくさんの数だそうです。しかし、実際に働いているのは40億個だけ。脳は20歳頃に発達を終え、脳のピーク時の重量は1400gだそうです。

20歳のピークを過ぎると、1日に10万個ずつ脳の神経細胞がダメになっていき、脳細胞の数は日に日に減少。
 
1日に10万個、1年365日で3650万個が失われていき、10年で3億6500万個が失われ、30年で約10億個が失われる計算になります。

すなわち20歳で40億個働いていた脳の神経細胞が50歳で30億個になり、80歳で20億個になる。つまりピーク時の重量より100gも重量が減るのです。>

この話を知った時、物忘れがひどくなって当たり前と納得してしまいました。一生懸命考えても考える脳の量が減っているのだから、思い出せないし覚えられなくて当然と思ってしまいました。

人の名前が出てこない、ふと用事を思いついて立ってみたものの「さて何をするつもりだったのか?」わからなくなってしまう。まさしく老化の入口なのでしょう。

しかし、「認知症」となるともっともっと記憶の障害が強くなるわけです。よく言われるように自分が朝ごはんを食べたことさえも忘れてしまう。

とすれば、一瞬のうちに自分のしたことを忘れてしまうという、とてもつらい体験のなかで暮していることになります。
 
1週間前の記憶、昨日の記憶、今朝の記憶も忘れてしまう。自分のしたことを忘れて記憶していないということは、記憶喪失に近い感覚で、体験の積み重ねができないことになります。

すなわち毎日毎日新しい体験ばかりが自分に降りかかってくるという、緊張とストレスの連続の中で生きてゆかねばならないことになります。

そんな認識の中で生きている高齢者の辛さを、まずわかってあげてほしいと思います。

「認知症」の人が、それぞれの脳に残された能力の範囲で一生懸命に世界を認識しようとしている。私達からみればその世界が非現実的でまちがっている世界であっても、高齢者からすれば他に考えようのない現実なのです。

それを頭から否定されたらどうしてよいかわからなくなって、混乱におちいってしまうことになります。
 
「認知症」の人への対応の奥義は「(相手を)説得するより(自分が)納得する」ことです。

しかし、だんだんと世の中の決まりごとを超えた行動をとりはじめるのが、「認知症」や「精神科疾患」の特長です。客観的に見ればありえない話が患者さんを支配します。

もの取られ妄想とか、しっと妄想といわれる行動です。たとえば妻が「ここに置いてあった財布を知らない?」と、夫にたずねたとします。夫が「知らないよ。見なかったよ。」と答えます。

夫の答えに対して通常妻は「おかしいなあ、どこへ置いたのかなあ」と自分の態度を修正するのです。

しかし、「認知症」となると自分の態度が修正できません。夫の「知らない。見なかった」という答えに対して「おかしい?!私の財布をとったな?!かくしたな?!」と思い始めるのです。
 
今のところ「認知症」に対する効果的な治療は、見つかっていません。まず周りの者が「認知症」を理解し、対処のしかたを身につけることが現実的な道です。そして、その対処の仕方を授けてくれるのが、医療や介護の専門家です。

「老人性認知症疾患センター」という相談機関があります。精神科のある総合病院などに設置されています。ここでは、「認知症」についての診断と、医療・福祉サービスの情報提供を行っています。まずしっかりと診断を受けないことには対処方法も立てられません。

介護保険をはじめ福祉サービスをうける場合も、入院や施設入所をする場合も、すべて医師の診断書がなければ利用できないことをご存知でしょうか。診療をうける必要を感じない「認知症」の本人を、診察につれて行くことが最大の難関となります。

もし高齢者に認知症状を疑われたら、本人の身体に関する訴えに注意しておきましょう。

「もの忘れがひどくなった」とか「夜ぐっすり眠れない」という症状は、案外本人も自覚しているものです。それを理由に「受診」をすすめてみましょう。最近は「精神科」という看板ではなく、「もの忘れ外来」という看板をあげている病院もふえてきています。

「おしっこの出が悪い」でも何でも構いません。ご本人の訴えをもとに医師に診てもらうチャンスを作り出してください。精神科でなくても内科系の開業医でも「認知症」の理解はあります。受診にこぎつければ、医師は検査や服薬をすすめてくれます。

「おかしい」と気付いた家族が、本人の診察の前か後かに医師へ本人の在宅の様子を伝えておけば医師は上手に診察をしてくれます。

家族の方々も皆それぞれに生活があるのですから、その生活までもが脅かされる問題行動が続く場合には、施設の利用も考えていかざるを得ないと思います。             (了)
             ソーシャルワーカー

2013年02月16日

◆読者に「暴走老人」と言われて

岩見 隆夫


物書きにとって、反響が割れるのは要注意である。テーマについて、当方の記述に説得力が不足しているか、偏っているか、あるいは主張の分裂がやむをえないケースか。

3回前の当コラム(744回)は、〈若宮前朝日新聞主筆に反論がある〉という表題だったが、かなりのメール、ハガキをいただいた。

〈全面的に賛成です〉というご意見もあったが、次のおハガキに注目したい。

〈「岩見隆夫のサンデー時評」は引き際の時期ではないか。かつては、自分の記者体験を回想しながらの記事に首肯(筆者注・うなずくこと)するところもあり、楽しみ?にしてもいた。しかし、お年のせいか、「暴走老人」に近づいてきたな、というのが近年の感想。

特に今回は『朝日』への対抗心もあるのか、若宮記事(私も全面賛成ではないが)の理解は的はずれも甚だしい。戦争への道を回避する必要を説いているのに、「敗戦の悲惨」を対置している。「おさらばしたあとが心配」、それは無用。害をまくことの方が心配〉

とあった。宮城県大崎市在住の祇園寺則夫さん(無職、66歳)の投書である。

744回を読んでいない方にはわかりにくいかもしれないが、〈おさらば……〉は、私がコラムの最後で、〈『毎日新聞』の川柳欄に、戦争にいけない老人ほど勇ましいという一句を発見して笑ってしまったが、高齢者は勇ましいのではなく、おさらばしたあとが心配なのである〉

と書いたことに対するものだ。おさらばする前に暴走老人に近づいているではないか、という祇園寺さんのお見立てである。

老人は当たっている(77歳)が、暴走かどうかが問題の核心と思われる。私は高齢者(65歳以上)になってから考え方が急変したのではなく、年を重ねるにつれ、日本人の呑気で他力本願的な平和思想は危なっかしい、日本だけよければという一国平和主義も次第に通用しなくなっている、という考えを強めてきた。総称すれば、平和ボケである。

憲法の条文がまるで平和のトリデのように錯覚している人がいる。平和を守るのは憲法でなく国民の意思であって、意思はいまの日本人にきちんと備わっているのだろうか。

若宮さんは戦争への道を回避する必要を説いている、と祇園寺さんが言うのはその通りだが、いまその回避法が深刻に問われている。若宮さんは日本人が侵略性のない穏健な平和愛好民族であることを国際社会に示し、他国に刺激を与えないように気を配り、外交努力をすれば、戦争は回避できるという考えのようだ。

その努力は必要だろうが、観念的、微温的な回避法であって、役に立たないとわかった時は、もはや取り返しがつかない、と私は思う。

日本は断固として日本人が守るという気概と具体的備えを示さないかぎり、〈ひよわな国〉として侮られる。侮られるほど、こわいことはない。

日本が島国であることが地政学的に有利で、侵略される可能性は極めて小さいという思い込みが、平和ボケを誘発している面もある。しかし、戦争は意外なきっかけで起きることを過去の歴史が教えているではないか。

現に西アフリカのマリではフランス軍の軍事介入が続いている。過激派勢力の拡大を恐れたマリ政府が、最新兵器を持つ旧宗主国のフランスに支援を求めたからだというが、これは小型戦争だ。

なぜフランスが、と思うが、マリの隣国ニジェールで、原発大国フランスが使用するウラン燃料の3分の1をまかなっているという事情があるかららしい。

西アフリカの不安定化を避けたいフランスの気持ちはわからないではないが、それで局地的な戦争が起きる現実に目をおおうわけにはいかない。マリだけでなく、隣国アルジェリアでも、テロ組織と政府軍の争いは「目には目を」の状態になっており、今回の日本人十人の犠牲もテロ戦争の巻き添えを食ったのだ。アルジェリア政府軍のヘリによる爆撃の犠
牲になった日本人もいたかもしれないという。それほど身近に戦争の脅威はあるということだ。

◇断固避けるべきは両方 戦争開始と負け戦と祇園寺さんは、戦争回避が大切なのに〈敗戦の悲惨〉を対置しているというが、対置ではない。まず戦争回避に万全を期すことは言うまでもないが、それでも巻き込まれた時は〈敗戦の悲惨〉だけは断固避ける、と
いう一連のものである。

戦争回避だけを考えれば事足りるというほど国際情勢は生やさしくない。
私たちは六十八年前の無条件降伏がいかに残酷な結果をもたらしたかを知っている。二度と繰り返してはならないのは、戦争の開始と、しかし万一開戦になった場合の負け戦の両方である。

祇園寺さんは1946年生まれと思われるが、その年私はまだ満洲にいて負けた国民の痛苦を味わった。痛苦だけでなく、多くの人が極寒の満洲とシベリアで死んだ。中国人にもらわれた子供も少なくなく、のちに中国残留孤児と呼ばれたが、これほど残酷な人生があるだろうか。

メールには、〈もし日本の力が弱小と判断された時、中国が尖閣諸島に上陸を強行しないと誰が保証できるのでしょうか。自分の国は自分たちで守る気概のない国を、一体誰が体を張って守ってくれるでしょうか。

日本と同盟を結んでいる米国は、それが自国の利益になるからそうしているのであって、ボランティアで日本を守っているのではありません……〉(滋賀県守山市、屋比久英夫さん)

という指摘もあったが、同感である。

私のコラムは『朝日』への対抗心も、と祇園寺さんは勘繰っているが、どうぞ問題を矮小化しないでいただきたい。老齢の身にそんな意識はみじんもなく、論者が『読売』『産経』『毎日』の方でもまったく同じことである。
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(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)

<「頂門の一針」から転載>

◆北核実験 北京の反対の裏側

古澤 襄


中国が北朝鮮の核実験を阻止しようとしたのは間違いない。中国問題専門家は、今回の核実験の「タイミングの悪さ」こそ、中国政府の反応の理由だと指摘している。

尖閣問題の緊張化によって、中国の戦略は日本を孤立化させることに主眼がある。米国内の世論も日中戦争に巻き込まれることを警戒する論調が生まれている。

そのような微妙な時期に北朝鮮が暴走すれば、日米韓の連携がよりいっそう強化されるきっかけを作り出してしまう。おまけに極右政権と名指しで非難する安倍政権が、防衛予算を増やす口実を与えることになる。

”親の心を子は知らず”で北朝鮮は中国の制止を振り切って核実験を強行した。中国にとって、いいことは何一つない。それでも米韓軍の緩衝地帯として北朝鮮に対する援助は続けなくてはならない。

国連でも過度な制裁には反対せねばならないから、暴走・北朝鮮には手を焼くことになる。

<【大紀元日本2月14日】北朝鮮が12日に行った3度目の地下核実験について、中国政府は「断固反対」や「厳正な申し入れ」と従来よりも厳しいコメントを繰り返した。だが、中国問題専門家は、今回の核実験の「タイミングの悪さ」こそ、中国政府の反応の理由だと指摘する。

このような指摘は、在米政治評論家の陳破空氏が米政府系放送局ラジオ・フリー・アジア(RFA)の取材を受けた際にしたもの。

北朝鮮の暴走は、日米韓の連携がよりいっそう強化されるきっかけを作り出し、オバマ政権の「アジア回帰」にも拍車をかけることになる。米国がアジア太平洋地域でミサイル防衛システムの構築に注力し、日米韓同盟の軍事的基盤も増強される局面につながる。

こういったことは、「北京政権にとって甚大な災いだ」と陳氏は指摘し、北京が北朝鮮の核実験を怒る理由はここにあるとの見方を示した。

さらに、中国は日本と尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権をめぐり係争中である。先月の北朝鮮制裁の国連決議案に中国が同調したのも、米国に歩み寄りの姿勢を見せることで、尖閣問題で有利な立場を手に入れようとする目論みが指摘されている。

これらの「努力」も北朝鮮の度重なる「裏切り」で徒労となり、領有権争いの最中という「タイミングの悪さも北京政権を立腹させている」と陳氏はみている。

北朝鮮の核実験場は同国北東部にあり、中国との国境から100キロほどしか離れていない。核実験による「人工地震」は中国の吉林省や国境付近の中国側住民も感じていたという。

だが、中国の環境保護部(省)は実験翌日の13日にも、「わが国の環境と国民の健康への影響は確認されていない」と声明を出し、仮に放射性物質が漏れ出したとしても「主に南東に拡散するため、今のところ、わが国に影響を及ぼす可能性はない」と早々と結論づけ、核実験の重大性をぼかした。

国民が核危機にさらされ、敵対同盟の強化にもの申すこともできない立場に回された北京政府について、陳氏は「自業自得だ」と一蹴。北朝鮮の核関連技術の発展や設備・原料の調達は中国の援助と切り離すことができない。

北朝鮮からイランに濃縮ウランなどが渡ったことも公海経由ではなく、中国の領土と領空を通っていると陳氏。「北京の黙認や助長がなければ、北朝鮮からイランへの核技術の拡散はありえないことだ」

さらに、国際社会が北朝鮮を覆った経済制裁の網にも、中国という大きな抜け道があった。韓国中央日報の昨年7月の報道では、過去30年間、中国は北朝鮮に1000億ドルの援助をしてきたと伝えている。

「北京ルートの抜け道で、平壌は燃料・食糧・軍備を仕留めた」とみる陳氏は、中国政府が撒いた種が、自らにも燃え広がりかねない火種になっていることを非難した。(大紀元)>

<「頂門の一針」から転載>

2013年02月15日

◆大革命の前夜、反乱恐れる習政権

石 平


習近平新体制は変革を断行できるのか?「革命前夜」のような雰囲気を指摘する声も(AP)

中国では今、『旧体制と大革命』という本が広く読まれている。アレクシス・ド・トクビルという19世紀のフランス歴史家が書いた本で、その内容は、フランス大革命の特徴や原因に対する考察である。

中国で読まれるきっかけを作ったのは、共産党政治局常務委員の王岐山氏である。昨年11月末、彼がある会議の席上でその購読を薦めて以来、この本は、にわかに脚光を浴びることになった。新聞や雑誌は盛んにその内容を取り上げて紹介し、書店での売り切れが続出するほどの人気ぶりである。

19世紀のフランス人の書いた本が中国でそれほどの反響を呼んだのは、王岐山氏の推薦以外に、より深い理由があると思う。それについて、先月18日付の人民日報(海外版)の掲載論評が明快な説明をしている。

論評曰(いわ)く、中国国内の現状が大革命前夜のフランスのそれと類似しているからこそ、本書は中国で大きな注目を集めた、ということである。

今の中国と当時のフランスがどう類似しているかについて、論評は次のような分析を行っている。

(大革命前の)フランスでは、貴族たちが憎むべき特権にしがみつき、人民の苦しみにまったく無関心で自分たちの独占的な利益の維持だけに汲々(きゅうきゅう)としていた。それが、「旧体制」につきものの「社会的不平等」をさらに深刻化させて大革命の発生を招いた。

同じように、今の中国では貧富の格差が拡大して社会的不公平が広がり、階層間の対立が激化している。このような状況下では、「民衆の不平不満が増大して社会が動乱の境地に陥る危険が十分にある」というのである。

この論評とほぼ同じ視点から、『旧体制と大革命』の「中国にとっての現実の意義」を論じる学者や新聞紙は他にも多数ある。

どうやら中国のリートたちがこの本を読んで連想しているのは中国での「革命」のことであり、彼らの心配事はやはり、フランス革命のような「大革命」の嵐がいずれ中国の大地で吹き荒れてくるのではないか、ということである。

今の時代、当のフランスにしても同じ先進国のアメリカや日本にしても、もし誰かが「この国で革命が起きるぞ」というなら、それは単なる冗談として一笑に付されるだろうが、中国の場合、革命や動乱の発生はむしろ現実味のある可能性として意識されている。

現に、国家主席の胡錦濤氏は昨年11月開催の党大会で「国が滅びる」ことの危険性に厳粛に言及しているし、この危機感を受け継いだ習近平政権は今、民衆の不満を和らげるための「腐敗撲滅運動」の推進に全力を挙げている。

彼らはやはり、下からの反乱と革命による「亡国」を恐れているのである。ちなみに、共産党規律検査委員会の新しい書記として腐敗撲滅運動の先頭に立っているのは、『旧体制と大革命』の推薦者の王岐山氏その人だ。

もちろん、「上から」の撲滅運動の推進で共産党幹部の腐敗が根本的に抑止されるようなことはまずないと思う。腐敗の温床はそもそも共産党の敷く一党独裁の政治体制そのものであるから、いわば「旧体制」にメスを入れない限り、腐敗の蔓延(まんえん)は永遠に止まらない。

そうすると、「大革命」の発生という「悪夢」は常に、この政権につきまとってくるのである。

結局、「上からの変革」を断行することによって一党独裁体制に自らの終止符を打つのか、それとも「下からの革命」によって国が滅ぼされる運命を迎えるのか、それこそが今後の習近平政権に迫られる究極の二者択一なのである。
                ◇
【プロフィル】石平(せき・へい)=1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。

<「頂門の一針」から転載>

2013年02月14日

◆繰り広げられる「宗教浄化」の悲劇

加瀬 英明


日本ではクリスマスといえば、子供たちや、恋人と食べたり、電飾や、サンタの衣装を楽しむ、うかれる習慣が定着するようになった。イエスの生誕や、キリスト教とは、まったく無縁である。

アフリカ中西部に、ナイジェリア共和国がひろがっている。人口が1億4000万人で日本よりも多く、国土は日本の2倍半あまりある。首都はアブジャだが、外務省か、商社に働いていないかぎり関心を向けることがなかろう。

人口の半分以上が、イスラム教徒であり、キリスト教徒が45パーセントを占める。

日本では報じられないが、欧米の新聞によれば、昨年のクリスマスイブの晩に、北部の都市ポティスカムにおいて、イスラム教徒の過激派が礼拝中のキリスト教会を襲撃しようとしたが、警察が出動したために、近くの村の教会を襲って、牧師と5人の信者を殺した。

離れた村でも、クリスマスイブにイスラム過激グループによって教会が襲撃されて、12人の信者が殺戮された。ナイジェリアでは、この3年間で1400人のキリスト教徒が、イスラム過激派によって、殺害されている。

もちろん、キリスト教徒も報復を加えている。もっとも、欧米の新聞はキリスト教側だから、イスラム教徒側の犠牲者については詳報することがない。

ナイジェリアでは1970年まで「ビアフラ戦争」として知られた、内戦が2年半にわたって戦われ、200万人以上の死者が出た。その後も、部族と宗教による抗争が絶えない。

宗教による流血の抗争が、世界中で行われている。海外の報道によれば、イスラム国家であるインドネシアにおいても、クリスマスイブに当たって、キリスト教会をイスラム過激派から守るために、全国において10万人の警察官が動員された。

「民族浄化(エスニック・クレンジング)」という言葉は、日本でも知られているが、世界各地の血を血で洗う宗教抗争を、当時のフランスのサルコジ大統領が「宗教浄化(レリジャス・クレンジング)」という言葉で呼んでから、宗教関係者のあいだでひろく用いられるようになった。

アフリカ諸国から、ヨーロッパの旧ユーゴスラビアに至るまで、イスラム教徒とキリスト教徒が「宗教浄化」を競ってきた。

エジプトでは、ムバラク政権崩壊後にイスラム過激派が、コプト教徒を襲撃する事件が頻発して、大量のコプト教徒が国外に難民となって脱出している。コプト教会は、イスラム教が生まれる前から存在した古代キリスト教の一派であって、エジプトのコプト教徒は300万人以上を数えていた。

中東における独裁政権は開明主義をとり、イスラム教を後進的なものとみて、イスラム原理主義を弾圧していた。

イラクにおいても、サダム・フセイン政権が倒れてから、キリスト教徒が迫害されて、イラクのキリスト教徒の3分の2が、すでに国外に逃亡している。

シリアの内戦は、同じイスラム教のスンニー派とシーア派の戦いであるが、それを好機として他の宗派も殺し合っている。

イスラム国家であるパキスタンにおいても、スンニー派とシーア派が流血の抗争を、日常のように繰り広げている。

私たち日本人は幸いなことに、このような宗教抗争と無縁だから、理解に苦しむ。

「宗教」という言葉は、明治に入るまで日本語のなかに存在しなかった。明治以後に、自宗だけが正しいという信仰が入ってきたために、「レリジョン」を訳するために、新しく造った言葉である。

それまで日本語には、宗派が和をもって共存したから、宗門、宗旨、宗派という言葉しかなかった。秀吉がキリシタンを禁じたのは、他宗を邪教とみなして、神社や仏像を破壊したからだった。

中国は無宗教の文化であるが、儒教は和を欠いて、異端を受け入れず、排撃する。

       <「頂門の一針」から転載>

◆軍事的脅威が数倍増した北鮮

宮崎 正弘

 
北朝鮮の核実験成功をどう読むか、
小型化に成功した事実は軍事的脅威が数倍増した意味である

2013年2月12日正午前に、北朝鮮は3回目の地下核実験を強行した。12年12月には長距離弾道ミサイル発射に成功しているため、これで北朝鮮は米本土を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)保有に向けての軍備を整えたとみられる。

世襲の絶対権力を中国に認めさせた北朝鮮は強引に核実験を推進させ、世界から「ならず者国家」と言われながらも、国内的には「金正恩同志の軍事、科学技術での卓越した見識が偉大性を体現している」などと獅子吼した。

つまり、祖父の金日成に体形からヘアスタイルまで似せ、整形して風貌まで酷似させて偉大な指導者、カリスマという印象を振りまいてきた北朝鮮は、先軍思想一筋に、核兵器開発と近代化にまっしぐらに邁進してきたのである。

さて筆者は従来の北朝鮮の核弾頭を、巷間いわれるほどの軍事的脅威とは捉えて来なかった。

核実験に成功しても中枢は核弾頭の小型化である。

次の小型化は到底無理であろう、あと少なくとも五年を要するだろうという基本的予測のもと、北朝鮮がたとえ核兵器を保有しても、(1)小型化(2)搭載技術(3)ミサイルの固体燃料化という3つのハイテク技術の実現は無理だからである。

ところが、今回の実験は核弾頭「小型」化に成功しているのである。これは画期的であり、軍事的脅威が数倍すすんでしまったという意味である。

次の段階は、はたしてこの小型格をミサイルの戦端部分に搭載できるか、いなか。

その次がミサイルの推進飛翔のための燃料を現在の液体燃料から、いつ固体燃料にできるか、というポイントである。

北朝鮮のミサイル実験の影像を注視されたい。

発射台に設置してから液体燃料の注入に数時間から数日を要しているように、このレベルでは、発射台にミサイルがおかれた状況を上空から偵察している米国のスパイ衛生が捉えれば、先制攻撃が可能である。

しかしもし北朝鮮が固体燃料化に成功するとなると、話はまったく別で、発射台に据え付ければすぐに発射が可能となる。

おそらく、これらの技術を取得し、本物の脅威となるにはあと数年を要するだろう。

さらに「その次の技術的難関は、地下サイロ化、要塞での核搭載ミサイルの移動と、いきなり発射できるという、いまの中国が持っている高度な要塞型発射システムである。

しかし、筆者は北の核ミサイルの脅威の進捗度を上方修正する必要があると考えており、さらに迅速に上記技術がすすむとなれば、イランの核施設に米国とイスラエル共同でウィルス攻撃に成功し、コンピュータシステムの破壊に成功、イランの核武装を数年遅らせたようなんらかの先制攻撃邸対応が必要になったことは事実である。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成25(2013)年2月13日(水曜日)通巻第3876号  

<「頂門の一針」から転載>

2013年02月12日

◆中国で進む民主化運動の現状

櫻井 よしこ


1月21日、中国の民主化運動のリーダーの1人で、北京電影学院元教授の崔衛平氏をシンクタンク「国家基本問題研究所」(国基研)に迎えた。50代後半の彼女は、政治体制の改革を求めた「08憲章」発表時の署名者303人の1人で、09年3月、プラハで開催された「“人と人”人権賞」の授賞式に劉暁波(リュウ・ギョウハ)氏と「08憲章」署名者全員を代表し
て出席した。

国際交流基金の招きで来日した崔氏との3時間にわたる意見交換は、中国で確実に力をつけつつある民主化の流れを確信させた。中国式民主化ともいえる現状を彼女は「民主化の前」の状況と表現した。

「昨年9月15日に(尖閣問題をきっかけにして)生じた反日デモは中国政府による官製デモで、中国政府は如何様にもコントロール可能だったことは否定出来ない事実です。私は一連の反日デモの後で、日中関係を冷静に考え、冷静に報道すべきだと訴え署名活動を始めました」

恰もいま日中戦争から戻ったばかりのように興奮した大群衆、と彼女が表現したデモ隊が、イオンをはじめ中国に貢献してきた日本企業の店舗や工場の多くを軒並み破壊し焼き尽した。あの反日暴動は官製だったと彼女は断言するのだ。

彼女はまた、中国政府が反日を利用するのは国内矛盾に対する市民の不満が自分たちに向かうのを回避するため、或いは共産党内の権力争いで相手方を攻撃する材料とするためではあるが、理由があっての本当の反日活動もあると指摘する。そのうえで、反日の政治利用を防ぐために民間同士の交流が必要だと強調した。

「中国には官と民の2つの世論があります。前者は伝達と宣伝です。後者は企業家や知識人の考え方です。両者間には非常に大きなギャップがあり、そのギャップの中で共産党の権威は徐々に失われています」

■『旧体制と大革命』

共産党に対する中国国民の考え方はどう変化しているのか。

「清華大学の孫立平教授を含む民間人らは、(年来中国共産党が唱えてきた)『改革』という考え方を捨て去るべきで、『転換』が必要だと主張しています」

「転換」の中には政治の転換も含まれる。そのような市民の声の高まりに中国共産党は強い危機感を抱いていると崔氏は指摘する。

「3ヵ月前に中国共産党幹部の王岐山がフランスのトクヴィルの書いた『旧体制と大革命』を読むように全党員に指示したのです」

王岐山(64)は副首相だ。党員の汚職の調査や取り締まりを担当する党中央規律検査委員会トップの書記でもある。構造改革派とされる王副首相がフランスの思想家アレクシス・ド・トクヴィルの書を全党員に読むように指示したとは大きな驚きである。崔氏が力を込めて語った。

「中国がいま、国家制度の転換点を迎えていること、共産党の政権政党としての合法性が問われていること、そのことに共産党の上から下まで全体が危機感を持ち始めていることがこのことからもわかります」

大急ぎで私も『旧体制と大革命』(小山勉訳、ちくま学芸文庫)に目を通してみた。566ページの同書は一読しただけで明解な解説を書けるようなものではない。

従って私の感じたことは的外れかもしれない。そのことを承知で敢えて推測すれば、王岐山は中国共産党を覆い尽している腐敗が示す党の未来への警告を発し、大いなる改革を促そうとしているのではないか。

同書第8章には、封建制度の欠陥・国民に害悪をもたらし、その怒りを爆発させることになる欠陥・を改めなかったフランスで革命が起きたのは驚くに値しない。

また、イギリス貴族が税負担の義務を果たし、勇気、仁慈、高潔などの徳を備えてノブレス・オブリージュとして知られる価値観を確立し、社会のリーダーとなったのに較べて、フランス貴族は公的負担や義務が免除される特権を保ち、国民から孤立した。軍隊の長であっても、実質的には兵卒なき将校となったなどと書かれている。

中国共産党はフランス貴族の轍を踏んではならないとの思いでトクヴィルを全党員に勧めたのであれば、その王氏を副首相に登用した習近平総書記は、心中、大胆な改革を目論んでいると言ってよいのだろうか。

中国共産党の危機意識が高いことは、王副首相の指示に「非常に驚いた」と語る崔氏の指摘どおりだ。では習体制が改革を目指すとして、それは実現可能なのか。

崔氏は中国は「最悪の資本主義と最悪の社会主義」の国だと明言する。2つの「最悪」の組み合わせでダイナミックに発展した中国が、トクヴィルの言うフランス型貴族社会からイギリス型貴族社会へと転換出来るかは、実は保証の限りではない。

■理性的、かつ知的な対話

「中国社会には大きな不満がありますが、それでも共産党は多くのことを成し遂げました。ただ社会の要求に追いつかなかった。毛沢東の時代は社会や国民の声は一切聞かなくてよかった。

いまは共産党が社会に近づいています。いまの中国共産党には強いリーダーはいません。自分のポストを確保するためには、彼らは社会に近づき民意を実現させていく必要があります。だからこそ、私たちは共産党の今後の状況を見守っているのです」

驚くほど率直な意見だ。しかし、崔氏の考える中国社会の転換は中国共産党を倒すことではない。「アラブの春」のように政権を倒すことは崔氏らの選択肢にはない。これは中国の現在の民主化リーダーたちに共通する考えだといってよい。

氏もその他の改革派も体制内改革派で、共産党を認める立場を崩さない。それでも私は氏の姿勢に感銘を受けた。反日教育の弊害と歴史に関する捏造の問題で、具体例として「南京事件」に話題が及んだときのことだ。

国基研側が、南京での30万人虐殺などの捏造に関しては政治宣伝ではなく、客観的資料を基に考えるべきだと指摘したとき、彼女はこう語った
のだ。

「南京大虐殺の30万人という数は、私自身も正確な統計に基づくものではないと感じます。この統計を取る上では、共産党だけではなく当時の国民党にも責任がある。共産党も国民党も、自分たちの国民に対しては一切関心を払わなかったという意味で責任があると思います」

田久保忠衛氏が指摘した。

「これまで多くの中国の方々と議論してきましたが、30万という数字が必ずしも正確ではない、共産党並びに国民党にも責任があると語ったのは崔さんが初めてです。大変勇気ある発言として感銘を受けました」

こうした理性的、かつ知的な対話が出来たことこそ、今回の討論の大きな収穫だった。中国はその社会の深層で着実に変わりつつあると実感したゆえんだ。(週刊新潮)

   <「頂門の一針」から転載>

2013年02月10日

◆総理の「決断の欠落」か「法の欠落」か

西村 眞悟


この度のアルジェリアにおけるテロに関して、何が欠落していたのか。それを「決断の欠落」か「法の欠落」かの観点から視ておく必要がある。
 
1月16日のテロリストの襲撃から、25日の日本人10人全員死亡確認とご遺体帰国までの間においても、「自衛隊法改正」の必要性がマスコミに現れていた。つまり、「法の欠落」を指摘したものだ。

その間、安倍内閣の総理と官房長官の発言で一番多かったのは、「人命最優先」と「情報収集に努める」だった。

安倍総理は、アルジェリアの首相に電話して、「人命最優先で、攻撃を中止して欲しい、米英の支援を受けるべきだ」と要求した。

他方、イギリスのキャメロン首相は、攻撃開始を察知して、アルジェリア首相に、「何かすることはないか」と問い合わせている。必要ならば直ちに特殊部隊を送ろうとしたのだろう。
 
では、安倍総理のアルジェリアへの発言の中に、キャメロン首相と同じ、「何かすることはないか」が、何故無いのか。

それは、イギリスのキャメロン首相は、必要ならば何時でも救出部隊を送ろうとしていたのに対して、安倍総理の方は、救出部隊を送ろうとする発想自体が無かったからだ。

従って、総理も官房長官もよく言った「情報収集に努める」とは、自ら救出行動を開始するための「情報収集」ではない。マスコミと同じ「広報」のための情報収集に過ぎない。

または、言い訳の為。つまり、「イヤ、知っていましたよ」と言うため。そして、マスコミにも政府にも、習志野の特殊作戦群をアルジェリアに急派しろという発想は皆無だった。

それ故、まさに、テロリストをアルジェリア軍が攻撃している最中に「法の改正」論が持ち上がっていたのだ。

しかし、このように、我が国が朝野を挙げて、アルジェリアに特殊部隊を送れないのが当然とする中で、果たしてその原因は、「法の欠落」の故なのであろうかと問いたい。

私は、そうではない。それは、「戦後政治の発想の欠落」そして「総理の決断の欠落」が原因だと思う。

それを説明するため、次に、ほぼ同時期にテロと遭遇して対処した3人の総理を紹介する。彼等は、全員、「法の欠落」のなかで「総理の決断」をした。

テロ発生順に、

イスラエルの女性首相ゴルダ・メイヤ(1972年9月)

西ドイツの首相ヘルムート・シュミット(1977年9月と10月)、

そして我が国の福田赳夫首相だ(1977年9月)。

まず、ミュンヘンオリンピックにおいてイスラム過激派は、イスラエルの送り込んだオリンピック選手11人を人質にとり、イスラエルが拘束している二百数十人のパレスチナ人の釈放をイスラエル政府に要求する。

そして、イスラエル政府が要求に応じないとみるや、人質を殺害して逃走した。彼等は、ブラック・セプテンバー(黒い九月)と名乗るテロリストだった。

このテロ攻撃に対して、イスラエルの首相ゴルダ・メイヤは、「私は決断しました」と閣僚に告げる。即ち彼女は、パレスチナ過激派の基地の空爆と、ブラック・セプテンバーの首謀者とメンバー全員の殺害を命じた。

そして、イスラエル空軍は過激派基地数カ所を空爆し二百人を殺害し、首相直轄の特殊諜報機関であるモサドから選抜された数名の工作員は、ヨーロッパ各地でブラック・セプテンバーの居場所を突き止め、突き止めるやそれを殺害し、ついに首謀者も殺害する。

1898年生まれのゴルダ・メイヤには、1人のユダヤ人を守らなければ、全てのユダヤ人が再び強制収容所に送られることになる、ブラック・セプテンバーを見逃すことは、イスラエルを滅ぼすことにつながる、という信念があった。

5年後の1977年9月、ドイツ赤軍(RAF)は、ケルンで西ドイツ経営者連盟会長を誘拐し、テロリストの釈放を要求した。しかし、西ドイツ政府は赤軍の要求に応じなかったので失敗する。(この全く同じ時期、日本赤軍がダッカハイジャック事件を起こす)

ドイツ赤軍は、誘拐テロが失敗したため、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)に応援を求め、PFLPは、日本のダッカハイジャック事件の2週間後の同年10月にルフトハンザ機をハイジャックしてダッカと同じ要求即ち凶悪テロ犯の釈放と巨額の身代金を要求する。そして、ソマリアのモガジシオに着陸して、西ドイツ政府に要求を受け入れ無ければ、乗客を一人ずつ殺してゆくと通告する。

西ドイツのシュミット首相は、特殊部隊(GSG−9)をモガジシオに送り込み機内に突入させてテロリスト3人を殺し1人を逮捕して乗客乗員全員を救出した。

このルフトハンザ機がハイジャックされる前の月の9月28日、日本赤軍はパリから羽田に向かう日航機をハイジャックしダッカに着陸して拘置拘留中の過激派9人の釈放と600万ドルの身代金を要求した。

福田赳夫首相は、「人の命は地球より重い」としてその要求に全て応じた。

さて、この3人のほぼ同時期の「決断」は、全て同じ権限に基づいて行われている。それは、「行政権の掌握」と「軍隊の最高指揮権」である。

メイヤもシュミットも、法律に因るのではなく、総理のこの2つの権限によってテロと闘って勝利した。もっとも福田さんは、軍隊を動かしていないから「行政権の掌握」(憲法65条)によって、テロに屈服して乗員乗客の解放を「勝ち得た」のである。

メイヤとシュミットは、総理の権限のもとで「テロと戦う」という決断をした。福田さんは、「テロに屈服する」と言う決断をした。その決断の内容は、天と地ほど違うが、用いた権限は3人とも同じだ。

ここにおいて、何を確認すべきか。

それは、当時の福田さんも、今の安倍さんも、ゴルダ・メイヤやヘルムート・シュミットと同じ首相の権限を持っているということである。

福田さんは、現にその権限を行使している。なるほど、我が国には、服役囚をテロリストの要求に応じて釈放する「法律」はない。

従って、当時から福田総理の措置は、「超法規的措置」と説明された。しかし、それは正確ではない。「超法律的措置」ではあっても「超法規的措置」ではなく、法規に基づく措置である。その法規こそ、憲法65条「行政権は内閣に属する」である。

さて、西ドイツはブラック・セプテンバー事件に遭遇して特殊部隊GSG−9を創設し、5年後のルフトハンザ機事件でそれを実戦に投入した。しかし、同時期の福田さんには特殊部隊は無かった。

しかし、GSG−9創設32年後の平成16年に、我が国も特殊作戦群を創設している。現在は、創設9年目である。

しかも再び言うが、総理である安倍さんは、イスラエルやドイツの首相と同じ権限を持っている。つまり「行政権の掌握」と「自衛隊の最高指揮官」。

従って、この度のアルジェリアテロに際して、習志野の特殊作戦群を投入する発想を全く持たなかったのであれば、それは総理の立場への「自覚の欠落」から導かれる「決断の欠落」である。

アルジェリアでは、日本人がテロの標的にされた。

この先、世界で活動する日本人がいつ何時、テロの標的にされるか予想がつかない。その時、何時も「法の欠落」のせいにして「総理の決断」を回避できるのか。

よその国の誰かがテロと戦い始めるのを待っていて、現実に戦い始めた彼に、この度のように「人命最優先、攻撃を止めて欲しい」と要求して済ませるのか。

「戦後からの脱却」を目指すなら、もうぼつぼつ、総理として「テロとの戦争」に如何に対処するか、国民の命を如何にして救うのか、平時から腹をくくっておいてほしい。

その「総理の決断」に連立構造が障害になるというような言い訳は聞きたくもない。

<「頂門の一針」から転載>

2013年02月08日

◆全柔連の上村春樹会長の責任を問う

古森 義久


■通用しない「柔道の暴力」

柔道女子日本代表選手たちへの暴力問題はすでに米国柔道界にもかなり詳しく伝わった。私が長年、指導も兼ねて通うワシントンの「ジョージタウン大学・ワ シントン柔道クラブ」でも話題になった。当クラブの師範の一員で米国柔道連盟理事でもあるタッド・ノルス弁護士が米国の規範を明確に語る。

「柔道に限らずスポーツでのコーチによる実技範囲外での殴打などはすべて地位乱用の虐待(abuse)として禁じられています。日本の一部にあるという『強くするために殴る』式の思考は文化の違いとしても通用しません」

ノルス氏の説明では米国オリンピック委員会(USOC)では柔道を含むすべての種目の公式コーチに選手虐待を防ぐための詳細な講習の受講を義務づけてい る。

しかも単に肉体的な暴力だけでなく「性的」と「言語」の虐待をも含むというのだ。さらに興味をひかれたのは、当クラブの先任師範の宮崎剛八段が「日本柔道界の訓練では殴打がつきもの」という認識を誤解として排したことだった。

「私は渡米前の20年ほど日本の学生柔道では最も歴史の古い慶応義塾の柔道部に籍を置き、講道館にも頻繁に通い、稽古や試合に励みましたが、実技の範囲外での殴打というのはただの一度もしたことも、されたこともありません。柔道の創始者の嘉納治五郎先生もそんな慣行は認めなかったでしょう」

宮崎氏は定住した米国での柔道経験も長いが、日本では慶大柔道部主将として全国大会で活躍した名選手だった。実は私も彼のずっと後輩とはいえ、同じ柔道部で一貫教育の10年間、鍛えられた。

その間、練習自体では苦しい体験は山ほどあったが、殴る蹴るは皆無だった。ごくまれに暴力のような事態が起きれば、 その実行者よりも上位の先輩たちが出てきて断固として止め、罰した。

だがそれでも日本柔道界、しかもその中枢に暴力による鍛錬をよしとする慣行が続いてきたことは今回の事件でも明示された。ただし、いまとなってはその加害者の監督や母体の全日本柔道連盟も、「体罰はよくない」という認識をコンセンサスとして示してみせた。

だがその地点にいたるまでの全柔連の対応は完全なカバーアップ(もみ消し)の連続だった。その背景では不正も黙認する体質や責任から逃げる態度が明白に浮かびあがってしまった。

柔道の選手たちが指導にあたる監督を公式の場で糾弾するというのはよほどの事態である。今回の事件では暴力の被害者側の心情を十分に知る必要があろう。

私は中学2年のとき、大学3年生に絞め落とされたことがある。その大学生は13歳の少年が「参った」と許しを請うのを平然と無視して首を絞め、意識を奪ったのだ。私はその時点で体力差からみてあまりに残酷だと、その先輩を恨んだ。

その心情は長年、変わらず、もしその先輩が直接の監督やコーチだったら、 まちがいなく柔道をやめていただろう。練習の範囲内とはいえ、抵抗できない側を痛めつける行為は被害者の心に消えない傷を残すのである。

世間の糾弾で監督 や理事を渋々と辞めさせる全柔連の対応は醜いだけである。不正を真に悔いるなら最高責任者の上村春樹会長がまず潔く責任を取るべきだろう。日本柔道界にはまだまだまともな人材はいるはずである。(産経新聞ワシントン駐在編集特別委員)

<「頂門の一針」から転載>

◆「奄美大島だより」

仙田 隆宣


〜奄美で懐かしい民謡「シマウタ」を聴く 〜

奄美大島での出張会議が終わったので、ホテルで夕食を済ませた後、懐かしい奄美大島民謡の「シマウタ」を聴きに行くった。「かずみ」というシマウタを聴かせる居酒屋である。もともと狭い場所で、畳の席は7〜8人も座ったら窮屈である。

カウンターの席も5人位しか座れない。それでも飲みたい(「シマウタ」を楽しみたい)人は、立っているしかないのだ。そういう場所に押し掛けて、席をつくってもらった。
申し訳ない気もしたが遠慮なく厚意に甘えることにした。

畳の席は、「シマウタ」の研究に来ている学生グループと思われる人たちが占めていた。卒業前の学生という感じがしていたのだが良くは分からない。

その中で、奄美の沖永良部の「シマウタ」を歌ってと促されて歌う娘がいた。聴いていた時、急に思い出した。ぼくが鹿児島で在職中、「奄美・沖縄シマウタフェスティバル」を企画し、その3回目のコンサートを奄美・沖永良部で実施することになり、その打ち合わせで沖永良部に行ったことがある。

その打ち合わせで、当時、沖永良部の中学生だった子を使って欲しいと要望があり、それを受け入れたことがあった。彼女は、この沖永良部の「シマウタフェイスティバル」で、沖縄・奄美民謡の第一人者の新良幸人や大島保克、築地俊造といった凄いメンバーと一緒に演奏する機会を得たのである。

島唄居酒屋「かずみ」で歌うのを聴いて、その時の中学生がその娘だということがすぐに分かったので、その時のことを話ししてみたら、彼女も覚えていた。今は、大学生になっていて、今年は卒業だという。成長ぶりに驚いた。

東京から連れてきた私のお客さんにも「シマウタ」を楽しんで貰った。その後、築地俊造氏の店に向かったが、店の明かりが見えず、諦めていたら何と築地俊造氏が出てくるではないか。今から居酒屋「かずみ」に行くと言うので、また「かずみ」に戻った。

ここでやっと、築地俊造氏の「シマウタ」を聴くことができた。流石有名な築地俊造氏の三味線と「シマウタ」は、最高だった。やはり身近で聴くものだと思った。

築地俊造氏は、<奄美大島(奄美市名瀬)在住。30代のころ福島幸義に師事。その後坪山豊と交流し、島唄の磨きをかけた。国内、国外招待多数。高音質の唱法に特徴があり、洋楽にも通じるものがあるといわれている。島唄の即興が得意。日本民謡大賞優勝、総理大臣杯受賞。・参考:ウィキペディア>の超有名人。

ところで、代表的な「シマウタ」は、・行きゅんにゃ加那 ・かんつめ節 ・サカ歌 ・太陽ぬ落てぃまぐれ・徳之島節 ・よいすら節である。

この中で、広く知られているのが、下記の「行きゅんにゃ加那」である。

行(い)きゅんにゃ加那(かな)
吾(わ)きゃ事忘(くとぅわす)れて 行きゅんにゃ加那
打(う)っ発(た)ちゃ 打っ発ちゃが 行き苦(ぐる)しや
ソラ行き苦しや

阿母(あんま)と慈父(じゅう)
物憂(むぬめ)や考(かんげ)えんしょんな 阿母と慈父
米取(くむとぅ)てぃ 豆(まむ)取てぃ 召(み)しょらしゅんど
ソラ召しょらしゅんど

目ぬ覚めて
夜(ゆる)や夜(ゆ)ながと 目ぬ覚めて
汝(な)きゃ事 思(う)めばや 眠(ねい)ぶららぬ
ソラ眠ぶららぬ

鳴(な)きゅん鳥(とぅい)小(くわ)
立神沖(たちがみうき)なんて鳴きゅん鳥小
吾(わ)きゃ加那(かな) やくめが 生(い)き魂(まぶり)
ソラ生き魂

<標準訳>
行ってしまうのですか愛しい人
私の事を忘れていってしまうんですか愛しい人
発とう発とうとして行きづらいのです

お母さん、お父さん
物思いして考えないでください
豆を取って、米を取って食べさせてあげますから

目が醒めて
夜中中目が醒めて
あなたの事を思って眠れません
鳴いている鳥は
立神の沖の方で鳴いている鳥は私の愛しい人の生霊にちがいない

<奄美群島の方言である奄美方言(シマグチ、シマユムタ、シマユミタ、シマムニ、シマフトバなどと呼ばれる。)では、シマは自らの郷里を指し、シマ唄とは郷里の民謡を意味する。 「シマ」という言葉は、奄美群島、個々の島、集落など様々な範囲に対して用いられるが、「シマ」と片仮名表記する場合には集落のことを指すことが多い>。
<参考:ウィキペディアより>

思いがけない出会いに感謝しながら奄美大島での1日目が楽しく、しかも価値ある夜となった。(完)
          <奄美大島郷土愛好家>

2013年02月07日

◆対テロリスト訓練 をしてから渡航

西村 眞悟


2月5日、事務所にニシム・ベンシトリット駐日イスラエル大使の訪問を受けた。まず大使は、イスラエルを代表してアルジェリアでテロの犠牲になって亡くなった10人の日本人に対して哀悼の意を表した。

そして、我が国ではこの惨事があってもあまり指摘されていないことを言われたので、ここで紹介しておきたい。アルジェリアでテロリストに襲われた日本人は、咄嗟にテロリストに如何に対処するか、全く訓練を受けていなかったようだ。

それに対してフランス人は、訓練を受けていた。

この訓練の有無が、犠牲者の数に現れている。例えば、突然外から「ドアを開けろ」といわれたとき、日本人はすぐ言われるままにドアを開く。

しかし、ドアを開けてはいけないのだ。ドアを閉じたまま、まず隠れるか逃げるか、何れかをしなければならない。

フランス人は、ドアを開けなかった。日本人は開け、外に出された日本人の多くは殺された。海外に出るイスラエル人は、全員テロに関するレクチャーと身を守る訓練を受けている。フランス人も受けていたと思う。

次は、私との一問(私)、一答(大使)。

「昨年末、ガザ地区のハマスが、イスラエル国内に盛んに打ち込んだミサイルは、イランがハマスに提供したものか」

「そうだ」

「そのイランにミサイルとミサイル技術を提供しているのは、北朝鮮か」

「その通り。北朝鮮とイランや過激派との間には武器提供のルートができあがっている」

「イスラエルは、イランが核爆弾を持つのを阻止するのか」

「イランやイスラム過激派は、核を使用するためにそれを保有しようとしている、絶対に過激派に核を渡してはダメだ。アメリカやロシアなどは、核を使わないが、彼等はそれを使う。」

「イヤ違う。アメリカは日本に二度核を落とした。また、アジアでは中共や北朝鮮の核が一番危険なのだ」

「イスラエルは核を持っているのだろう。如何にして核を持つに至ったのか興味がある。日本もそのやり方を学びたい」(答えず、他のことをヘブライ語でしゃべっていた)

「敵対国に囲まれているイスラエルから、テロ抑止の方策、対テロ対策、対テロ組織のあり方、特殊戦、特殊部隊の運用など、日本は学ぶべきことは多い。」

「是非、イスラエルに来られよ」

<「頂門の一針」から転載>

2013年02月05日

◆言うほど簡単ではない「客観報道」と主観

阿比留 瑠比


本日は、新聞における客観報道とは何かについて少し書いてみようと思います。実は、癖も好みも偏見もある生身の人間であり、理解力にも見識・知識にも自ずと限界があるそれぞれの記者にとって、客観報道とは言うほど簡単ではないというお話です。 

新聞記事には主にストレートニュースと言われる事実関係を淡々と記すものと、解説記事やコラムのように、今後の展開の予想や問題点の指摘、記者独自の視点、考えをメインにしたものとがあります。 

後者は署名入りとなるのが通常であり、当然、かなり主観的になるわけですが、無署名であることの多い前者であっても、ただ事実関係をそのまま記したものとは限りません。

その事実関係が日時や場所などであれば「脚注」のようなものを加える必要はほとんどありませんが、政治家など要人のときとして曖昧模糊とした発言の場合は、「これこれこう意味だ」と意味づけをしないと、デスクや上司から「この人はどういう意味で言っているの?。読者に真意が伝わると思うか」と問い合わせを受けます。

それで上手く答えられないとダメ記者として扱われることになります。

ところが、それぞれの記者がじゃあ、発言者の真意をきちんとくみ取れているかというと、それは怪しい限りです。一応、担当の記者が記事を書くことが多いのですが、担当だからといって相手の全部を把握できるわけではないし、もともと不勉強だったり、発言背景を論理的に、順を追って考えることが苦手な記者だっています。なので、ここで勘違いや
意味の取り違えが生じます。

一般読者からは「わざと」「悪意を持って」おかしな偏向報道をしていると受け止められることが多いし、そういう場合もなくはないのでしょうが、ふつうは単に真面目に考えて不正解にたどり着いているだけだろうと思います。

人の話すことを正確にきちんととらえるというのが、実はけっこう難しいものであり、分かったつもりで勘違いしている場合が少なくないのは、日常生活で他者(親子、夫婦を含む)との会話を思えば誰しも思い当たることではないでしょうか。 

一例を挙げます。安倍晋三首相は1日の参院本会議で、自民党が衆院選の政策集で「検討する」としていた沖縄県・尖閣諸島への公務員常駐についてこう述べました。

「尖閣諸島および海域を安定的に維持・管理するための選択肢の一つ」

これは、衆院選時の政策集にある考え方に変更はないことを言ったにすぎないと私は思います。

まあ、それだって私がそう思うというだけですが、この言葉を聞いた当日の各紙夕刊記事での解釈が見事に食い違っていました。 朝日→尖閣周辺の海域へ領海侵犯を繰り返す中国への対応を強める狙いがある。 

読売→尖閣諸島周辺では中国当局による領海侵犯が相次いでおり、首相は、毅然とした姿勢で対応する方針を強調したとみられる。

……両紙の記者は、安倍首相が公務員常駐に前向きな姿勢を表明したと受け止めたようです。ところが、全く逆の解釈をとったところもあります。

毎日→実際に常駐させれば日中関係は一層緊迫化するため後退させたとみられる。 

……私はこれらの記事を書いた当人ではないので断言はできませんが、彼らは別に悪意や政治的意図をもって安倍首相の真意をねじ曲げようとしたわけではなく、彼らなりの理解に基づき、「そういうことだよな」と思って素直に、あるいは一生懸命書いただけだろうと思います。

あるいは、その記者ではなくデスクや上司がそういう判断をしたのかもしれません。

特に、この公務員常駐の検討に関しては、はじめから「検討」と書いてあるのに、安倍首相はただちに実行すると勝手に思い込み、そう信じ込んでそれを前提として話すコメンテーターをよくテレビで見ました。

こんなの、安倍首相の「選択肢の一つ」という発言を待つまでもなく、最初から対中交渉の一つのカードであり、そっちの出方次第ではそうするぞという、実現可能性のある脅しであるのは明々白々なわけです。

だって、そうでないと「常駐させる」と書かずに「常駐を検討」と書く意味がないわけですから。 ところが、テレビコメンテーターと同じく、安倍首相や自民党の外交的・戦略的思考が理解できない記者や編集者もたくさんいて、「ただちにやるんじゃないか」と勝手にびびっていたので、今回の「後退」などという表現が出てきたのだろうと見ています。

できるだけ客観報道に近づける努力は必要でしょうが、人は己の主観の範囲内でしかものを理解できないので、実は「口にするほど簡単ではない」と考えています。人は正しいと信じて間違ったことをしでかす生き物でもあります。

この安倍首相の発言に関する記事にしたって、テレビ放映されて沢山の人が見ている内容について、わざわざ後で糾弾されることを覚悟して捏造・偏向記事を書こうだなんて誰も思わないと思います。

それでもこういう結果になります。 だから勘弁しろというのではありません。ダメなものはダメとどんどんご指摘ください。ただ、以前にも書きましたが、メディアや報道が今後少しずつ「マシ」になることはあっても、そんなに抜本的に改善されて素晴らしくなるなんてことはありえないと私は思います。

政治もそうですが、報道も所詮、人のやることであり、個別にはいいもの、光るものはあっても全体としては「ボチボチ」というあたりが限界だろうと思うのです。

私は人間は主観という檻から一歩も出られない存在だろうと考えていますので、記事の客観性は常に意識しつつも、一定レベル以上、それを求めるのは難しいと思っています。 

よく「記事に記者の主観はいらない」というご指摘を受けるのですが、対象をある程度「理解」して記事にする、あるいは記事にする対象の「価値判断」をして選ぶという段階でいずれにしろ主観は入ります。

むろん、コラムはともかく一般記事では、主観をできるだけ排除したいとは思っているのですが……。  ……まあ、1日の各紙の記事スクラップをしながら、そんなことを思った次第でした。 2013/02/04 15:06

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2993974/

<「頂門の一針」から転載>