2012年12月27日

◆木津川だより 幻の大佛鐡道―C

白井繁夫


前回は、名古屋〜大阪間の官営鉄道に対抗する私鉄(關西鐡道)の競合について取り上げ、本題からすこし寄り道をしました。今回は話題を「大佛鉄道」に戻して、木津川市の加茂駅近隣から奈良市の大佛駅を目指します。 (地図Z:1番 → 5番)
   地図Z: http://chizuz.com/map/map139359.html


 加茂小学校北側のフェンス沿いにある機関車の展示場(前々回散策掲載)から、「大佛線」は、地図Z:2番の梶ヶ谷(かじがたに)隧道、赤橋(あかはし)へ向かいます。(美加の原C.Cのゴルフ場正面入口の西付近)。

「大佛線」は、加茂町の高田.観音寺里山周辺まで現大和路線(旧関西線)に並走しており、観音寺橋台には大佛線の遺構の橋台と、現在の線路の橋台とが並存しております。

 この橋台から路線は分れていまして、現大和路線は勾配の少ない不動山トンネルを経て、現木津駅へ向かっています。大佛線は山中の鹿背山橋台(石積の橋台遺構)を通り、ゴルフ場正面西の梶ヶ谷隧道から赤橋へ進む市道(下梅谷.観音寺線:大佛線跡)を経て、大和と山城の国境へと向かっているのです。

 加茂駅から大佛線と現線路とが並走する線路脇には、明治の大佛線の石積や煉瓦積橋台の遺構が所々にひっそりと現存しており、ゴルフ場正面を通る上記市道(大佛線跡)も観音寺.鹿背山の境付近までは、当時機関車を走らせた雰囲気をもつ風情が里山には残っています。

 しかし、市道(大佛線)を美加の原C.C付近から赤橋を通り梅谷を経て、奈良へ向かう道路の南側は自然の地形のままですが、北.西側、即ち、木津川市の中央区.城山台はURの宅地開発がすすみ、ここ数年間で山林も里山も見事に消えていました。
梶ヶ谷隧道.jpg赤橋(大佛線の遺構).jpg
<写真左:梶ヶ谷隧道 写真右:赤橋>
 
梶ヶ谷隧道は、ゴルフ場正面のすぐ西側にあり、赤橋は市道(大佛線)を西へ約100mの所にある大佛線の遺構です。両遺構の対面(北側)は、URの宅地造成工事中のため、里山風情は完全に消滅しました。

 <写真下:大佛線跡(市道:下梅谷.観音寺線)ゴルフ場から東側の加茂側は自然が残っています。(西方は里山も田畑も消えた宅地造成工事の全貌が現れて来ています。)>
市道下梅谷観音寺線(大佛線).jpg

ですから、大佛線はゴルフ場を境にして東の加茂方面は自然が残り、明治の風情を感じますが、西.北の木津側は宅地開発が進み、里山を望むのはもはや困難です。

県境の峠越えをして奈良市の黒髪山(奈良ドリームランド跡:地図Z:3番)を通る大佛線跡も、明治懐古のロマンを求めて、(住宅地ですが)100年前の明治の遺構を捜すと、梅美台に松谷川隧道、国境食堂付近では鹿川(ろくかわ)隧道等々に出会える散策ができます。

 ところで、黒髪山は大佛線の最大の難所で軌道の勾配(1/250)即ち、1000mで4mの高低差のある軌道で、しかも曲がりくねっております。(登りは当初の機関車を人が列車から降りて押すこともあったと云われている)。

黒髪山トンネル(最高地点で急勾配の難所)を抜けるとすぐ大佛駅(地図Z:4番)に到着するため、到着準備のブレーキをかける高度の運転技術が必要でした。(当時のブレーキはあまり性能が良くなかったとも云われています)。

 他方、日本は国土が狭く、山間部が多くて平野部が少ないので、官営鉄道は開発経費が経済的な狭軌(1067mm)を採用しており、関西鉄道(大佛線)も同様の狭軌でした。

 明治34年4月、加茂駅発奈良行きの列車(客車2輌、貨車4輌連結)が、梅谷の山腹(山城.大和の国境付近:急勾配1/40)で気鑵車(蒸気機関車)不良により運転停止しました。急報を受けて加茂から現場へ急派した気鑵車が見通しの悪いカーブの現場で、運悪くも、追突事故を起こしてしまいました。

 この事故を教訓とした対策として、關鐡は大佛線に大型機関車の投入計画や松谷トンネルの築堤などの工事を始めたのです。ところが、明治37年11月奈良鉄道との合併の仮契約が出来、12月には加茂〜木津間の路線工事を開始した為、大佛線への大型機関車の投入の必要性も無くなり、計画は中止となりました。

 やはり勾配の緩やかなルート(現在も使用:名古屋〜木津〜奈良〜大阪)が経済的にも有利と判断され、明治38年2月全通しました。その結果として、明治40年8月21日、大佛鉄道は9年4ヶ月の歴史を閉じたのです。

その後100年余を経た平成24年の暮(師走)の大佛鉄道跡の散策で、明治の鉄道同様に平成の里山も幻となる様を写真に納めて観ました。(開発は人々の幸せの為か?)。

<写真下左:赤橋の北側  写真下右:梶ヶ谷隧道の北側>
市道(下梅谷.観音寺線:大佛鉄道跡)の北側(木津の中央区.城山台)はURが宅地造成工事中です。里山は完全に消滅?です。
p254赤橋北景色.jpgp252梶ヶ谷景色.jpg

 (参考資料:「大佛鉄道 9年4ヶ月の歴史」村上豊明著)

末尾になりますが、今度の散策は実は5年ぶりのことでした。ところが歩いて観て廻った各所の総てが,がらりと変貌しており、我が目を疑いながら写真に収めるほどの様子でした。本当に驚いた次第です。

次回は中世の山城国で一番の鹿背山城跡を散策する前に、大手道にある「西念寺」を訪ねてみたいと思っています。(終)

2012年12月26日

◆台湾訪問記

田母神 俊雄


12月10日から2泊3日で、福岡県郷友連盟主催の台湾訪問に同行させていただいた。これは防大の一期後輩の稲葉敏君の御骨折りにより実現したものである。一行は福岡空港から出発したが、私は新しい歴史教科書をつくる会の岡野俊昭氏、諸橋茂一氏とともに東京から参加することになった。

当日は、早朝5時20分に羽田空港集合、7時20分発の中華航空機に搭乗するため、家を4時30分に出発した。私は、前日の鳥取講演があり帰宅したのは夜の21時頃だったので大変あわただしい出発となった。

台北松山空港までは約4時間の飛行で午前10時半ごろ(日本と台湾の時差は1時間)に台湾に到着した。空港にはガイドの鍾紹雄氏が出迎えてくれた。鍾紹雄氏は大変な親日家で、83歳の高齢であるが、かつて政治犯で14年も収監されていた経歴を持つ筋金入りの台湾人である。

自衛隊にも多くの知り合いがいるということであった。その後福岡からやってくる本隊と合流するため桃園空港に移動した。東京の羽田と成田みたいな感じであるが、それよりは少し近いようだ。それから2日半ほど大変充実した台湾の旅を楽しむことが出来た。

訪問初日には淡水の李登輝事務所を訪れて、李登輝元総統と面談した。李登輝氏は前日まで体調を壊し全ての日程をキャンセルしていたそうであるが、私たちには2時間半もの長時間をとって講演、懇談を実施していただいた。

李登輝元総統は、91歳という高齢にも拘らず大変元気で、国を思うその迫力には圧倒されるばかりであった。李登輝氏は22歳までは日本人で、若き時代に日本で受けた教育が氏を支えているといっていた。

日本精神が如何に素晴らしいものであるかを繰り返し強調されていた。それは坂本竜馬、後藤新平らに代表される「人の世話になるな、人の世話をせよ」という自立の精神である。

今の政治家には日本でも台湾でもリーダーシップが欠けているが、これも自立の精神の欠如に原因があると思っておられるようであった。

李登輝氏は、氏自身がリーダーシップを発揮した事例として、台湾へのフランス製ミラージュ戦闘機の導入について話をされた。台湾が中国への守りを固めるためにアメリカに対してF16戦闘機の輸出を要請したところ、アメリカは中国への配慮からこれを受諾しなかった。

そこで李登輝氏は事務方に命じて、フランスからミラージュ戦闘機を導入することを決定した。すると慌てたアメリカがF16戦闘機を安く台湾に輸出するといってきたということである。

現在台湾がミラージュとF16の二つの外国製戦闘機を持っているが、その背景には李登輝氏の決断とリーダーシップがあったのである。現在の我が国の政治家でこのような芸当を実行できる人がいるのだろうか。

その日の夕方、台北市内のレストランで蔡焜燦さん主催の夕食会があり、旧日本軍で将校として奉職された方、たびたび日本を訪問されている親日家の人たちが集まって夕食会を実施していただいた。

出席者の話では、台湾国民のほとんどは日本が大好き、一部商売に眼がくらんだ人たち、政権に取り入って利益を得ようとする人たちが、支那の意を汲んで反日のポーズをとっているということであった。

私にとっては今回が初めての台湾訪問であった。台湾が大変親日的な国であることを実感した。翌日は新幹線で台北から台南に移動し、烏山頭ダムを造った金沢市出身の八田與一 翁の銅像がある烏山頭ダムを訪れた。ここでは毎年5月8日、台湾総統も出席して八田與一翁の慰霊祭も開かれている。

またその他にも日本人が神と祭られているいろいろな施設があり、今回飛虎将軍廟 (鎮安宮)を見学した。

大東亜戦争中の1944年10月12日、杉浦茂峰兵曹長の操縦する戦闘機が敵の攻撃を受け飛行困難となったが、ここで杉浦兵曹長が落下傘降下して自分が助かれば、戦闘機は市街地に墜落して多くの人が死ぬことになるかもしれないと案じ、彼は戦闘機を最後まで操縦し、人のいない畑の上空まで戦闘機を引っ張ってから脱出した。

彼は落下傘降下中に敵の銃撃を受け降下した畑の中で死亡していたということである。その杉浦兵曹長を祭る廟が準備され観光名所になっている。現地にはガイドがいて説明してくれる。

また小冊子も作られ小中学校で教材として使われているそうだ。子供たちは立派な日本人がいたということを理解するとともに、公のために命を落とすことは立派なことなのだ、ということを学ぶであろう。

また義愛公と称される明治の下級官吏の森川清治郎 巡査が台南市の近くに祭られている。森川巡査は1897年36歳で台湾に単身赴任した。人々は盗賊、匪賊が絶えず出没し、マラリヤ、ペスト、コレラ等伝染病が発生する中で半農半漁の大変貧しい暮らしをしていた。

彼は治安維持のかたわら、教育の普及、環境衛生観念の啓発、農業技能の改善などにも尽力したという。彼はその後、村の税が上がらないように上司に進言したところ、「税をきちんと集めるのはお前の役目だ。お前が住民運動を扇動しているのではないか」ということで懲戒免職になった。

森川巡査はそれまで、税が上がらぬように上司を説得するから心配するなと住民に話していたそうであるが、約束を果たせなかったということで、銃で自殺した。

明治の役人の住民を思う心は見上げたものである。この森川巡査を祭る廟が、いま丁度建て替えられているところであった。場所は大変田舎でお金を持つ人もいないが、1億円を超える建て替えの資金は台湾全土から寄せられたということであった。ここも観光名所になっている。

このように台湾にはあちこちにこのような日本人を称える施設があるそうだ。台湾人が親日的である理由がよく理解できた。東日本大震災で、台湾から中韓などに比較して圧倒的多額の義援金が寄せられたのもこのような背景があってのことなのだ。

日本は台湾を大切にしなければならない。中国に遠慮して親日的な台湾を遠ざけ、中国の反日を助長しているのがいまの日本の政治である。

尖閣諸島が台湾のものだという行動は、大陸からカネで操られている台湾人が行っているもので、台湾人のほとんどは、尖閣諸島は日本のものだと思っているそうだ。日本はアメリカにくっついて台湾を遠ざけることになってしまったが、アメリカにとっての台湾と日本にとっての台湾は重要性が全く違っている。

アメリカにとっての台湾は、外国の一つでしかないが、我が国にとっては国家存立上の要石である。台湾に対する認識を変えることになった旅であった。
(元航空幕僚長・元空将)
2012.12.23 <頂門の一針より転載>

2012年12月24日

◆「風が吹けば桶屋が儲かる」調の噂

古澤 襄


民主党の代表選挙は、明日25日に告示され、即日投票で決着する。衆参両院の所属議員145人だけの投票で決めるが、衆院57人、参院88人の勢力図からして、参院側の議員が海江田氏、馬淵氏のどちらに投票するかによって大勢が決まる。

私は海江田氏が有利とみているが、来夏に改選期を迎える参院議員にとっては死活問題。どのような投票行動をみせるのか、注目している。

「風が吹けば桶屋が儲かる」調の噂が昨夜から永田町に飛び交っている。民主党の代表選挙を日本未来の党の小沢グループが注目していて、海江田民主党になれば小沢グループの民主党復党が俎上にのぼるという。

未来の党の小沢グループは、嘉田代表周辺によって袖にされているという不満が渦巻いている。嘉田代表は小沢氏を重要ポストにはつけないと度々表明している。

それならカネも組織もない未来の党よりは、連合という組織票を持つ民主党に復党した方が、参院選で有利という判断が小沢グループに生まれるのは、当然の成り行きなのだろう。

海江田民主党が反増税・反原発・反TPPの政策に転じれば、小沢グループが未来の党にどどまる理由はなくなる。改選期を迎えた参院民主党の議員は小沢氏の時代に当選できたという思いがある。

一方で野田首相を支持した主流派系は、小沢氏の復党は民主党にとって自殺行為と反発して受け入れるつもりはない。「風が吹けば桶屋が儲かる」調の噂には一顧だにしないで、”おとぎ話”と一笑している。さて、どうなるか?総選挙で惨敗した民主党は、参院側が圧倒的に強い勢力図となったから予断を許さない。

<民主党の代表選挙は、海江田元経済産業大臣に続き、馬淵政策調査会長代理が23日に立候補を表明し、両氏の陣営は、25日の投開票に向けて、党所属の国会議員への働きかけを強め、支持の拡大に努めることにしています。

野田総理大臣の後任を選ぶ民主党の代表選挙は、25日に告示され、その日のうちに党所属の国会議員145人による投票で新しい代表が選ばれることになっています。

こうしたなか、馬淵政策調査会長代理は23日に記者会見し、「民主党を政権政党として再度、負託してもらえるような組織へと変えたいと考え、立候補する決意をした」と述べ、代表選挙に立候補する考えを表明しました。

馬淵氏は24日も、みずからを支持する蓮舫前行政刷新担当大臣ら野田総理大臣に近い議員らと会談し、代表選挙で訴える党の立て直しに向けた方策などについて、協議することにしています。

これに対して、先に立候補を表明した海江田元経済産業大臣は、23日に記者団に対して、「まずは党内の融和だ」と述べ、代表選挙では党の立て直しに向けて、党内融和を前面に掲げる考えを示しました。

海江田氏は、すでに赤松元農林水産大臣や大畠元国土交通大臣のグループ、それに旧民社党出身の議員などから支持を取り付けています。

ただ党内には、まだ態度を明確にしていない議員も少なくないことから、両氏の陣営では、25日の投開票に向けて働きかけを強め、支持の拡大に努めることにしています。(NHK)

元共同通信社常務理事  2012.12.24 Monday name : kajikablog

◆朴槿恵次期大統領の対日観は?

久保田 るり子


竹島問題、慰安婦問題…懸案山積の日韓

まもなく誕生する日本の安倍晋三政権と来春スタートする韓国の朴槿恵政権。日韓の新リーダーには、出自や経歴で明らかな保守本流の理念と時代を切り開こうとの強い意志ーという共通項があるようだ。

両国間には前政権でこじれてしまった竹島問題と慰安婦問題、さらに双方のナショナリズムという懸案が立ちはだかる。旧知である朴氏と安倍氏はどのような日韓関係を目指すのか。2013年の日韓が面白くなってきた。

 ■安倍晋三氏にほほ笑んだ朴槿恵氏

領土や慰安婦問題では「妥協しない」と原則論を強調し、韓国流「正しい歴史認識」の共有を日本にも求めている朴槿恵氏。朴氏はどんな対日観の持ち主なのか。その真意が伺えるエピソードがある。

2006年3月、日韓関係は韓国・盧武鉉政権と日本・小泉政権の間で小泉氏の靖国神社参拝問題などで最悪だった。朴槿恵氏はこの時期にあえて野党党首として訪日した。

小泉氏と会談した朴氏は「盧大統領は感情的に対応し、日本との対話を断絶してしまった」と盧氏を批判し、「両国は懸案のため未来への第一歩を踏み出せずにいる。(小泉)首相の在任中に日韓間の懸案を解決してほしい」と述べた。

朴氏は官房長官だった安倍氏とも会談、「歴史問題」についてこんな風に話した。「私は、自分たちの世代で(歴史問題を)何とか解決したいと思っているのです」

安倍氏は「話し合うことが大切だ」と応じ、朴氏の率直な話しぶりに共感して国際情勢の意見交換に話がはずんだ。そして最後にこう言った。「私とあなたは価値観で一致する部分が多い」。すると朴氏は、「歴史問題以外は…」と安倍氏ににっこり笑いかけたという。

 ■朴槿恵氏の心情は?

朴槿恵氏が「自分の世代で解決したい」と話した背景には、竹島問題や慰安婦問題の根が日韓国交正常化にあるからだろう。

日韓交渉(1951年ー65年)で最後までもめた竹島問題は、「解決せざるを以って解決とする」とする妥協案(密約)を持ってようやく妥結した。

しかしこの了解は90年代になると韓国側で霧散してしまい、その後は現在に至るまで竹島問題はエスカレートの一途だ。

一方の慰安婦問題は、日韓交渉当時には交渉の対象に含まれず、経済協力資金5億ドルとひきかえに韓国が個別請求権を放棄した。だが、90年代に入って韓国側で「日本軍の強制性」が問題化して、日本に「国家による謝罪と補償」を求めてきた。

朴槿恵氏の在任半ばの2015年、日韓は国交正常化50周年を迎える。だが、竹島、慰安婦でこじれている日韓関係は祝賀ムードにはほど遠い。

日韓交渉の行われた60年代の韓国のGNPは80ドル以下で北朝鮮の半分だった。父が国土復活の命運を賭けて選んだ日韓国交正常化の道。その結果、残ってしまった「歴史問題」を解決したいという朴槿恵氏の思いは深いに違いない。

 ■朴槿恵キャンプの対日政策案

来年2月25日の大統領就任式を目指し、朴槿恵次期大統領は政権引き継ぎ委員会を組織して、具体的な政策立案にかかる。その核心メンバーはすでに大統領選挙戦で新政権の政策プランを練った学者、研究者、専門家などの選挙キャンプの参謀たちだ。

政策アドバイザーによると、対日政策は(1)日韓信頼回復(2)日本からのメッセージに対応(3)外交摩擦は管理する態勢作りーが基本方針で、竹島、慰安婦、靖国神社参拝といった歴史認識に関する懸案のうち、朴槿恵新政権が最も重視するのは慰安婦問題という。

「本来なら2015年へのロードマップを作りたいところだが、現時点では日韓関係を立て直すことが先決だ。まずは安倍政権の対応を見ている」(アドバイザーの一人)

安倍次期政権の動きは素早い。大統領選の翌日、朴氏に贈った祝辞には「大局的な観点から日韓両国の関係をさらに深化させていきたい」とメッセージを添えた。さらに21日、特使として額賀福四郎・日韓議連幹事長をソウルに派遣した。

韓国側は安倍新政権が大統領就任式直前の「竹島の日」(2月22日)をどう扱うかを「試金石」と位置づけてきたが、安倍氏側はこの件も早々と「政府式典は見送り」を発表した。日韓間の話し合いの環境整備は、日本側から着々と進めている。

かつて朴正煕氏は日韓交渉の終盤の1961年、訪米の往路で訪日し、安倍氏の祖父、岸信介元首相と会談して韓国の復興に協力を求めた。岸氏は国交樹立後に椎名悦三郎氏らと日韓協力委員会を立ち上げている。

2人の新リーダーは戦後日韓史から現在を俯瞰(ふかん)して新時代を築けるのか。展開が興味深い。

産経新聞 12月23日(日)10時44分配信 ・久保田氏は前韓国特派員
<24日刊「頂門の一針から転載>


2012年12月03日

◆総選挙・公示日に思うこと!

浅野 勝人


〜アンチ「核武装」テーゼを歓迎する〜

今回の総選挙は「戦後最低の様相」という指摘を言い過ぎだと窘(たしな)めかねます。確かに日本を背負う人材の選択には、ほど遠い思いは否めません。

さはさり乍ら、党首討論会に並んだ11人はさまざまな意味合いを含めて「一角(ひとかど)の人物」と見受けましたが、安保外交政策に懸念満載です。
遂に、信頼できる中道は、公明党を残すだけとなりました。

政治勢力として頼りにならない元祖左派の共産、社民を除いて、オール中道右派ないしは右派になり果てました。その中での公明党の役割は、かつてないほどの重要性を増しています。中道の理念を担う公明党候補者全員の当選を期待いたします。

経済とエネルギー政策を中心とする内政の課題については、自民党の安倍党首が現実的且つ安定感があって、群を抜いています。おそらく政権維持にしくじった挫折感が、安倍晋三をひと回り大きな人物に育てたのでしょう。

間もなく首相になりますが、「お友だち内閣」を組閣したら、短期政権に終わります。ただし、懸念は人事だけではありません。

例えば、「尖閣諸島に退役自衛官および即応予備自衛官を常駐させる」という軽率発言です。

確かに、尖閣は日本固有の領土に疑いの余地はありません。しかし、現実に中国と台湾が「自分の領土」と主張しています。この現状の中で、中国が対抗措置として軍ないしは武装警官を常駐させる方針を実施したら、実力で上陸を阻止して、第二次日中戦争のタネを蒔くのでしょうか。維新の石原代表が手をたたいて喜ぶだけです。

自民党公約の国防軍に反対する世論も50%にのぼります。安倍党首が選挙戦を通じて、軍事強化、極端な右派を志向する主張を続けたら、いま尚、有権者の半数を占め、模様眺めをしている無党派層は自民党への投票を躊躇するに違いありません。安保政策のプロ、石破幹事長も同じ見解なのか、聞いてみたい思いがします。

「中国に媚を売っても一文にもならない」という主張をトップに掲載する類の週刊誌に惑わされてはいけません。「中国と喧嘩をしても一文にもならない」のが日本の外交政策の正解です。

従って、自民党は、確信犯的に「憲法破棄、核武装、徴兵制」の石原維新とは一線を画すのか、連立するのか、選挙戦の中で明確にしないと支持できないと考えている無党派層が少なくないとみられています。

こうした政治情況の中での嘉田由紀子代表の「未来」の登場です。

脱原発だけを繰り返し、原発論争でもみくちゃにされていますが、有権者の知りたいのは「あなたは中道ではないですか」という問いかけです。

橋下・大阪に日本改革を期待した多くの有権者は、主要政策があいまいになって、遂には核武装論者と野合した政治姿勢に失望しました。

嘉田由紀子知事も、実は、橋下・大阪の右傾化に失望して、「アンチ・石原、橋下テーゼ」から新党「未来」の結成に踏み切ったのではないですか。その理念のために小沢一郎と組むことも躊躇しなかったのではないですか。そんな大事な政治姿勢が少しも視えないのはどうしたことでしょう。

河野洋平元衆議院議長は、選挙制度改正の必要性に関連して、「有権者の30%はいわゆるハト派なのに、1人を選ぶ小選挙区の議席に反映されない」と指摘しています。至言です。

「未来」は、内政のポピュリズムに走らず、対外政策の姿勢を明確に30%の有権者に訴える努力を懸命にしてみたらどうでしょう。 2012.12.03
           

<前参院議員:安保政策研究会・理事長>

◆木津川だより 幻の大佛鐡道B

白井 繁夫


今、「大佛鐡道」の話題を綴っていますが、私の友人から、この「大佛鐡道」の話題と、「私鉄(關西鐡道:かんせいてつどう)の関西線」「官営の東海道線の競合状況」とは、どんな経過を辿っていたのか、知りたいと声を掛けられました。

そこで少々横道にそれるかもしれませんが、今回は「官鉄に対抗した私鉄(關鐡)」をについて触れてみたいと思います。

さて、明治21年、四日市市で設立した「關西鐡道」は、その後他の私鉄も吸収合併して拡張し、明治31年(1898)に新木津経由で名古屋〜大阪(網島)、翌年の明治32年には大佛駅と奈良駅が繋がり、名古屋から大佛線経由で大阪難波(湊町)間も全通しました。

關鐡(関西鉄道)の営業圏は、大阪府、三重県、奈良県、和歌山県や滋賀県と京都府の一部に
広がった路線を持つ、明治時代の五大私鉄会社の一社となって来ました。

当時の官営鉄道は明治22年(1889)に全通した東海道本線を除き、新規建設はあまりありません。

私有資本の活用が盛んに叫ばれ、関東における半官半民の『日本鉄道』は別格なものの、西日本では、神戸〜広島を結ぶ政府の支援の山陽鉄道(後に下関まで延長)と、それに政府の支援が得られない関西鉄道と九州に路線を持つ九州鉄道が有りました。(五大私鉄のもう一社は北海道炭礦鉄道です。)

関西鉄道(四日市経由:関西本線)は、官営の東海道本線(米原経由)と名古屋〜大阪間で競合する官営鉄道に対抗するために、明治時代としては実に素晴らしい技術や下述の斬新なアイディアと方策を執りました。

日本鉄道史によると、關鐡の初期の鉄道技術師(島安次郎氏:後に鉄道院入省)の先進技術や旅客サービスは、後々の日本の鉄道にも用いられています。

(1) 蒸気機関車等のネーミング
★池月:(生唼:いけづき)、磨墨:(摺墨:するすみ):
平家物語(宇治川合戦の先陣争いに登場)する源頼朝の愛馬が牽引する姿から佐々木四郎高綱と梶原源太を連想します。
★雷(いかずち)、電光(いなずま)、鬼鹿毛(おにかげ):いかにも強力で、素早く威圧感がある機関車が坂道を駆ける
★早風(はやかぜ):名古屋〜大阪間を駆け抜ける急行列車の愛称
(官営鉄道の列車などのネーミングは昭和の初期4年(1929)になって、西洋に倣い鉄道省が公募によって特急列車(東京〜下関)に富士(ふじ)、櫻(さくら)の愛称を付けたのが最初です。)

(2) 機関車や車両のペイント等々
★明治時代以降、官営鉄道の蒸気機関車と云えば真黒と長年決まっていたのに対し、関鉄の大佛鉄道には真紅の色鮮やかな蒸気機関車が走っていました。
★関鉄の客車の窓の下には一等車(白)、二等車(青)、三等車(赤)と等級識別を分り
 易くした線を付けて旅行者の便を図りました。(国有化後、官鉄も広く採用した。)
★關鐡の急行(早風)には食堂車を連結していたので名古屋から大佛詣をする旅客もおおいにエンジョイしていたことでしょう。

(3) 広告.宣伝
★観光案内版: 駅のホームに近郊の名所、有名社寺等を記載する駅舎には観光名所(桜、モミジ、社寺の行事)の案内、宣伝等など
★宣伝のチラシ: 旅行者に団扇など配る
上記のように、現在にも通用する施策を用いて官営の東海道線に対抗しました。しかもスピード競争(所要時間)は互角でしたが、旅客運賃の競争が酷くなったため、知事や国会議員などの調停で和解したと云われています。

現在では列車などにペイントしたり、新幹線ひかり、特急雷鳥などのネーミングは当たり前の如く成っておりますが、100年前の明治時代に真紅の機関車『急行(早風)』が「大佛線」を疾走する姿は、当時の人々の目にはいかように映ったことでしょうか

<参考資料:  日本鉄道史  中編  鉄道省
        幻の大佛鉄道     大佛鉄道研究会>

少々話題がそれてしまいました。次回は本題の「大佛鉄道」に戻して沿線を散策します。
                              終 (郷土愛好家)



2012年11月29日

◆北朝鮮情勢を読む

寺田 輝介
       

金正恩は、金正日の死去直後2011年12月30日に朝鮮人民軍最高司令官に就任、更に2012年4月11日に開催された朝鮮労働党代表会で党第一書記に任命されると共に、翌12日の最高人民会議で共和国国防第一委員長となった。

これを以て金正恩は、党、国家、軍の最高位者となり、金正日から金正恩への権力移譲は一応完了した。本稿では近く政権樹立一年を迎え、次第に明らかになってきた金正恩政権の特性と同政権をめぐる国際関係を検証する。

1.金正恩政権の特性
現下の金正恩政権は、「遺訓政治」に基礎を置いている。金正日が金日成の死去直後に父の遺訓を掲げたように、金正恩も故金正日総書記の枠組みそして遺訓を維持することが当初から期待されていた。

昨年12月29日に開催された金正日総書記中央追悼大会で金永南最高人民会議常任委員長は追悼の辞で「金総書記の遺訓を譲歩なく徹底的に貫徹する」と公言した。

これを受けた如く、金正恩は本年4月15日の金日成生誕100周年軍事パレード閲兵式における演説の中で「金正日同志の遺訓に従って、祖国のために負っている責任を果たす」と宣明した。

この4.15演説では、さらに「(北朝鮮は)かつての弱小国から今日は堂々たる政治・軍事強国となった」、「金日成同志と金正日同志が築いた自主、先軍、社会主義の道を進むことに最後の勝利がある」と宣言しつつ、北朝鮮の泣き所である経済については「経済強国建設と人民生活向上のための貴重な種をしっかり育て、開花させなければならない」と決意を表明した。

以上の発言のうち、特に注目すべき点は、金正恩政権は「遺訓」としての「先軍政治」の継承を明らかにしている点である。4月15日の軍事パレードにおいて新型の長距離弾道ミサイルを公開したことは核・ミサイル開発を継続するとの「遺訓」の実行を内外に示したものと言える。


金正恩政権は、最初の対外約束として、2012年2月29日米国と合意に達した。この米朝合意によれば、米朝交渉が続いている間は北朝鮮がウラン濃縮およびミサイル発射実験を中断し、その見返りとして米国は24万トンの食糧支援を北朝鮮に提供するとされた。

然るに、2012年3月16日、北朝鮮は「人工衛星」発射実験を予告、4月13日に打ち上げを強行したものの実験は失敗した。この米朝合意に背馳した金正恩政権の行為は、明らかに金正恩が「遺訓」を厳守したことに起因する。

朝鮮中央通信によれば、3月27日北朝鮮外務報道官は「金日成主席の生誕100周年に際しての実用衛星打ち上げは金正日総書記の遺訓で、かなり前から計画されていた」と説明している。

因みに本年3月ソウルを訪れた筆者に対し、朴在圭慶南大校学長は「ミサイル打ち上げは2年前に決定されていた」と内話越した経緯がある。このミサイル実験の例から明らかな様に内政は言うに及ばず、対外姿勢を示す軍事行動についても「遺訓」が適用されることを示すものである。

2.金正恩政権をめぐる国際関係
ミサイル実験の強行の結果米朝合意は崩壊し、北朝鮮をとりまく国際関係は一段と厳しさを増した。

南北関係は、李明博政権が標ぼうした「非核・開放・3000」政策に反発する北朝鮮のため完全に停滞したのに加え、2010年に発生した哨戒艦沈没事件と延坪島砲撃事件のため決定的に悪化し、金正恩政権樹立直後の2011年12月30日国防委員会は、李明博大統領を名指しで非難し、李政権を「永遠に相手にしい」とする声明を発表するに至った。

この様な状況下にあって、金正恩政権に全面的支持を与えたのは中国である。一方、冷戦の終結以来北朝鮮の外交的パターンとして見られる、米朝関係及び南北関係が停滞すると、北朝鮮は対日働きかけを試みるとの動きが最近日本について見られるようになった。以下中朝関係及び日朝関係について分析を進める。

(1) 中朝関係
中国は金正日死去に際しいち早く金正恩政権に支持を与えた。加えて、胡錦濤国家主席を始め中国共産党政治局常務委員全員が北京の北朝鮮大使館を弔問し、新政権との関係緊密化を求めたことが特に注目される。

中国側の強い政治・外交的ゼスチャーに呼応するが如く、北朝鮮は2012年8月13日金正恩の後見人とも言うべき張成沢朝鮮労働党行政部長を中国に送り,胡錦濤、温家宝等政府要人と会談させた。

張成沢の訪中につき、8月14日付「朝日」は、“北京の外交筋は「北朝鮮が新体制になって開放的になり、積極的に改革も進めていることをアピールする狙いがある」とみている”と報じているが、張成沢も当然「遺訓」政治の枠内でしか行動できず(因みに、金正日は本格的な「経済改革」に消極的であった)今回の訪中はあくまでも実利を求めた中朝国境地帯における経済協力の協議が目的であったと解すべきであろう。

なお、北朝鮮は近時中国に対する経済的依存度を強めており、報道によれば中朝貿易は2010年3月の韓国哨戒艦沈没事件を受けた韓国の対北朝鮮制裁後に急増し、2011年には前年より約62%を超えて約56億3千万ドルに達している(2月8日付「朝日」)。かくして金正恩政権下の北朝鮮は、外交と経済の両面で中国に依存する状況に追い込まれていると言えよう。

(2) 日朝関係
2012年2月25日付「毎日」(夕刊)は一面トップ記事として“朝鮮労働党指導部が今年1月、日本との交渉について「早急に方法を探り、推進せよ」と指示していたことが25日、毎日新聞が入手した党の内部文書で明らかになった”と報じた。

本年の北朝鮮の対日行動を見ると概ね「毎日」の報道が正しいことが分かる。

6月20日付「読売」は「4月の金日成主席生誕100周年記念行事に参加した訪朝団に対し、宋日昊日朝交渉担当大使が戦前の日本人の遺骨返還問題を提起した」と報じているが、その後の動きを見ると北朝鮮の「遺骨返還」、「墓参容認」を梃子にした対日アプローチが効を奏し、本年8月の日朝赤十字の意見交換(北京)、外務省課長級予備協議(北京)、更には11月の局長級協議(ウランバートル)が実現している。

金正恩政権の対日政策が金日成、金正日の遺訓に従っていることは当然であるが、既述の通り、米朝関係と南北関係が閉塞状況にあること及び経済再建のために経済・財政支援を必要としていることも対日接近を図る要因になっている。

但し北朝鮮は日本の政局を注視しており、差し当たり拉致問題の解決等日本が関心を持つ問題に前向きの姿勢を見せることはあり得ず、次期政権待ちのポーズをとるであろう。

3.今後の展望
金正恩政権の内政及び外政の基礎が「遺訓」政治にあることから、改めて金正日の残した課題を検討することが2013年における北朝鮮の対外行動を占うことになる。

金日成、金正日が冷戦の終結後、国際的孤立から脱するため米国との関係改善を模索したことは夙に知られているが、金正恩政権は第ニ次オバマ政権に対し本格的なアプローチを試みるであろう。第一次オバマ政権の対北朝鮮政策は「戦略的忍耐」との表現から読み取れるように無為無策であった。

北朝鮮の対米接近に対しオバマ政権が十分に応えられない場合には、金正日が第二次ブシュ政権に対し適用した「瀬戸際政策」の再現を試みるであろう。即ち第三次核実験及び長距離ミサイル発射実験の実施である。

日朝関係、南北関係は2013年に前進する可能性がある。まず日朝関係について見れば、日本の政権交代が転機になろう。

金正恩政権にとつて金正日が署名した日朝平壌宣言は極めて重要な「遺訓」であり、北朝鮮にとつての戦略的到達目標点である。南北関係においては、2013年2月25日に新政権が発足するが、与野党いずれの候補者も南北関係改善を主張していることからも、新たな動きが出てくるであろう。

この場合金正恩政権は、2000年6月の金大中訪朝時に採択された「6・15共同宣言(南北共同宣言)」そして2007年10月の盧武鉉訪朝時の「10・4宣言(南北関係発展と平和繁栄に向けた宣言)を「遺訓」として対南攻勢を仕掛けるであろう。

この様に朝鮮半島をめぐる国際情勢は動きを見せると予想され、2013年は目を離せぬ年となろう。
                        (元駐韓大使)

                <安保研政策ネットから抜粋・11.28> 

2012年11月24日

◆「石原軍事政権」阻止を全面支持

浅野 勝人


本誌22日掲載の、今朝のニュース解説「核武装の石原軍事政権は戦後最大の悪夢」は極めて適切な見解と理解できます。

石原慎太郎前東京都知事の一貫した本音は、憲法破棄、核武装、徴兵制の3点セットです。

総選挙を控え、発言をオブラートに包んだ言い回しに変えていますが、かねてからの石原前知事の本質的な思想に変化のあるはずはありません。                               「極東のヒトラー」の台頭を阻止しようという杉浦正章の呼びかけを全面的に支持します。

思想、信条の自由は憲法で保障されています。誰が、どんな主張をするのも制約されません。核武装をして、若者を全員軍隊に入隊させて軍事力を強化して、アメリカ、中国に対等に亙り合える軍事国家に変貌させたいと主張するのは自由です。

だからこそ、私たちは日本を再び最悪の泥沼に陥れ、日中関係を破壊してアジアを不幸にする危険な政治集団を阻止する訴えを怠ってはなりません。

特に、石原前知事が、リベラル風なイメージで登場した橋下大阪市長と組んだことによって、無党派層の人達が騙されることを懸念します。橋下市長自身の本質が、石原思想に共鳴する理念の持ち主だということを見抜くべきです。
                 
橋下市長については、日本に新時代の風を吹き込む人材として期待しただけに、右翼思想が鮮明になるに連れてガッカリです。そして、石原前知事と組むに至って、「正体見たり枯れ尾花」の人と分かってしまいました。

このサイトにアクセスしてくれた皆さんと一緒に「石原維新」阻止の輪を広げる努力をしたいと存じます。

また、「衆参両院で2/3を確保し、憲法を改正して自衛隊を国防軍に改組する」と主張する自民党の安倍総裁の言動です。勝てるという驕りに対して、すでに有権者は思いあがりと反発しています。

安倍総裁の役割は、危険極まりない「石原維新」に対峙する明確な政治理念を示すことです。「ヒトラー石原」と軍拡競争をすることと勘違いしては困ります。
勝てるはずの支持率が、急速に冷え込む懸念を指摘せざるを得ません。

日本のために大事なことは「石原維新」の進出を抑制することです。
(11月23日 前参院議員  安保研理事長)

2012年10月27日

◆右派連合は願い下げ!

浅野 勝人


無責任を独善で糊塗する石原慎太郎氏の手法にもう騙されてはいけません。国を憂うるがごとく装った都政投げ出しの「計算し尽くした突然劇」は、これまでと同じ手口です。

石原氏の「公的わがまま」を今回も許すとしたら有権者のミスジャッジとしか言いようがありません。                          
政治家は公人です。特に選挙で選ばれた行政官には地域住民に対する重い責任が伴います。                   
任期を2年半残して知事を放り出すこと自体、責任ある公人として失格です。記者会見で、その責めを問われて「心外だ」とは語るに落ちています。
                       
正確に言うと「東京を投げ出した」のではなくて「逃げ出した」のだと私は受け取っています。長期に渡った石原都政で、何か成果がひとつでもあったら教えていただきたい。

石原知事肝いりでスタートさせた新東京銀行は、アッという間に1,400億円の債務を抱えて倒産しました。無責任極まりないのは、「悪いのは経営者」と述べて、都民に対する知事からの謝罪はひと言もありませんでした。  

自らの責任について自覚のない点は、外交問題について如実です。「尖閣国有化」を誘発させて、40年間積み上げてきた日中友好関係を破壊し、計り知れない物心両面の損失を両国に与えた元凶としての反省どころか「経済の損失は構わない。紛争が起きるのはやむを得ない」という認識を示してはばかりません。

公式の場で、中国を「シナ」と呼んで、ことさら中国の人々にことばに尽くせない不快感を与える言動は、帝国主義時代の幻影にとらわれているとしか考えられません。                       
とりわけ、記者会見で憲法破棄に関連して「吉田 茂」を愚か者呼ばりして批判した歴史認識は危険です。吉田元首相が天皇の戦争責任を回避し、軽武装、経済重視の国家目標を達成するために受け入れた日本国憲法を否定する石原氏の意図は、集団的自衛権から核武装への道程(みちのり)の実現にあります。           
自民党安倍総裁もしばしば強調していますが、集団的自衛権とは、要請されれば、米軍とペアーを組んで地球の裏側まで戦さに行く義務です。石原氏の持論は、それでも足りずに徴兵制、核武装にあります。到底、賢者の選ぶ道ではありません。
            
有権者のみなさんは、どのようにお考えになりますか。

私は、秘かに大阪の橋下市長に期待していました。日本改造をやってのける逸材と思ったからです。今ではすっかり覚めてしまいました。

もし、石原氏と組むに至っては、ガックリです。日本改革どころか、日本と日中関係をいっそう混乱させて、日本を困難に陥れるだけだからです。民主、自民両党ともほぼ右派色に染められ、外交防衛政策で冷静な公明党まで「右」に引っ張られがちな昨今です。

もう、これ以上、右派連合は願い下げです。日本に必要ありません。むしろ、迷惑です。
(前・参院議員)
<安保研政策ネット掲載(2012/10・26)>

2012年07月25日

◆光秀の愛宕神社「祈願」の謎

河内 勝ニ


京都右京区の愛宕山の山頂にある愛宕神社は、大宝年間(701年〜704年)に創建されたもので、「火伏せ・防火」に霊験ある全国800神社の総本山。本殿で頂く「火廼要慎」の火伏札は、京都・大阪などの料理屋や家庭の厨房に貼られ、崇められている。

愛宕神社が有名なのは、標高924mの山頂にある「愛宕神社」までの参道が、急勾配の山道と石段が昔のまま今も残されていることだ。

それ以上に世の関心が集まっているのは、明智光秀がここで戦勝祈願したことである。

光秀は、天正10年(1582)5月、織田信長を討てるかどうか占うため、神社本殿で「籤」を引き、4回目にしてやっと「吉」を手にして本能寺攻めを決意したとされる。

だが、本能寺攻めの占いの「籤」を引いた明智光秀が、なぜ「火廼要慎」の神様へ祈願したのか。筆者にはそのことが予てから不可解な歴史の「謎」だった。

さて、話を冒頭に戻す。

今回の「愛宕神社」参詣は、この謎解きに迫れるのではないかと、筆者の気持ちは昂ぶった。

健脚を楽しむ「大阪城歩こう会」の13人の主たるメンバーが、大阪梅田を阪急電車で出発、京都愛宕山山頂を目指したのが、朝7時50分だった。

阪急「嵐山駅」で降りて渡月橋を渡り、京都バス経由で登山口となる「清滝」で下車したのが午前9時30分。そこから小さな朱色の鳥居を潜り、表参道に出る。山頂まで50丁、愛宕神社までの長い急坂の山道への挑戦がここから始まる。

脚力には自信のある仲間全員も、急勾配の長い山道を上るにつれ、異常な暑さに息切れが伴い、杖を頼りにただ黙々と上を目指す。

7合目に来ると杉に覆われた森林の隙間から展望が拓け、広沢池、桂川、京都市街が眼下に広がった。緩やかに呼吸を整えながらの歩行法で更に登ると、休憩所のある広場に着いた。そこでやっとメンバーから歓声が上がった。

少し登って黒色の総門を潜り、丁度正午に社務所に到着。そこから237段の石段を上がり、「愛宕神社」の本殿に並んだ。息を整え、雑念を払って一礼・二拍手、「家内安全」「火廼要慎」を祈願。再び一礼して参拝を終え、石段を降りて社務所の広場に戻った。

3歳までに参拝すると一生火事に遭わないといわれているそうで、幼児を伴った参詣者らが大勢社務所に集まり、「火廼要慎」のお札と「御神籤」を求めている。

社務所を訪ね、白装束姿の男性職員に勇気を出して声をかけ、予てからの「疑問」を訊ねてみた。

返ってきた話に息を呑んだ。その職員の説明を書いてみる。

<戦国時代の頃のこの神社は、戦国武将にとって、今の「火廼要慎」祈願神社とは違っていた。

本殿に愛宕大権現の本地仏の「勝軍地蔵」が祀られ、各地割拠の武将からが「戦勝祈願の神社」の象徴として崇められていたという。

だから、近隣の亀山城主だった明智光秀は、ここ「愛宕神社」に駆けつけ、本能寺を攻められるかどうか占うため、この「勝軍地蔵」に祈願し、「籤」を引いたというのだ。「火伏せ防火の神」に祈願したわけではない。

その結果に勇躍した秀光は、その翌日ここ社務所の前身の「西坊威徳院」で連歌会を開いている。その時詠んだのが「ときは今 あめが下しる 五月かな」だった訳だ>。

これを聞いて、1300年前から火伏せ防火の霊場とされてきた当神社は、実は戦国武将にとっては、「勝軍地蔵」に捧げる「戦勝祈願の神社」というもう一つの顔を持っていたことが初めて分かった。腑に落ちなかった光秀のこの神社への祈願と「籤」引きの「歴史の謎」が、遂に解けたのだ。

更に同職員は付け加えた。
<この神社に関係があるのは光秀だけではない。記録によれば仙台の武将・独眼流伊達政宗も参拝しているおり、連続ドラマ「天地人」の主人公にもなった直江兼続の兜の「愛」も、本神社の名との関わりを持つという>。

長年のわだかまりを払拭してくれた社務所の職員に深々と頭を下げ、仲間の待つ広場に戻った。聳える「愛宕神社」に目を遣ると、歴史の時間と空間が蘇るような気がする。脚力の限界を超える初体験の山登りだったが、歴史の謎解きと直に向かい合えたことは無常の喜びだった。

これだから「歩こう会」の山登りは止められない。(再掲)

参考―フリー百科事典「ウィキペディア」、「関西周辺の山250(山と渓谷社刊)」
                             

2012年07月23日

◆木津川だより 幻の大佛鐡道@

白井繁夫


木津川の左岸(泉津)から上津道を通って、前回訪れた東大寺『転害門』の西約1kmの所の、法蓮交番所の南に『大佛鐡道記念公園』があります。「地図Z:4番」
 
この小公園が嘗ての関西鉄道「大佛駅跡」です。当時の機関車の動輪のモニュメントと当駅の説明板(平成4年4月 奈良市)が造られています。
 <地図Z:http://chizuz.com/map/map133784.html

この奈良市制作の説明文から、どうして「大佛線」は短命であったのか、明治30年頃の鉄道は木津川の水運で栄えた木津と、どんな関係になったのか。不思議なことばかりです。

幻の「大佛鉄道」と呼ばれるのは、当時の里山も路線の原形もないために、そう思うのかなという、疑問と興味が重なり合って脳裏に湧いてきます。

以下長くなりますが、その「関西鉄道大佛駅」について、奈良市の説明を原文のまま記述します。

<明治28年に草津、名古屋間を全通した関西鉄道は、柘植から大阪方面への進出を計り、2年後の30年11月に加茂まで開通した。ここから梅谷を経て黒髪山トンネルを下り、明治31年4月、この地の北側法蓮の交番所の南あたりに大仏駅を設置した。
 

この鉄道は市民、観光客にも親しまれ、大仏詣での人達もこの駅で下車し、一条通りを通って東大寺に参拝していた。
 

奈良駅へは、その年の12月に到達したが、乗り入れが実現したのは、翌32年5月であった。その後、路線が木津経由に変更となり、明治40年8月までの約9年間で廃止された。
 

昭和39年頃までは、トンネルも残っていたが、現在は取り壊されて当時の面影をいまは見られない。 平成4年4月 奈良市>
P1010007.jpg
上写真:奈良市法蓮町の大佛鉄道記念公園

「関西鉄道大佛線」は上記説明文の如く、「明治31年開通し、40年に廃止」という異例の短命で終わっています。このことは鉄道路線が国有化される以前のことです。
 
また別の見方をすると、木津を中心に周辺を巡る鉄道の変遷が関係したと思われます。

そこで、話題をまず関西鉄道から触れてみましょう。

関西鉄道は、明治21年(1888)3月に三重県四日市で創立され、明治23年四日市〜柘植(つげ)駅の開通から始まりました。明治30年になると加茂駅に到達し、翌年4月大仏駅の開業で、名古屋から加茂を経て大仏駅まで全通したのです。

その間、関西鉄道は大阪への進出を目指し、明治30年(1897)に浪速鉄道の桜宮線(片町線)を買収し、翌年6月に長尾駅から新木津駅を開業しました。同年9月には奈良鉄道の木津駅と新木津駅とをつなぎ、11月には新木津駅と加茂駅も繋げ、大阪へのルートを作り上げたのです。

肝腎の「大佛線」は、明治32年5月、大仏駅と奈良鉄道の奈良駅間で開通して、大阪鉄道ともつながり、名古屋〜奈良〜大阪のルートと、奈良鉄道の京都〜奈良〜桜井(61.5km)が10月に全通しました。

関西鉄道は、明治33年6月に大阪鉄道と合併して、大佛線(加茂〜奈良)約10kmを利用すると最も短距離で便利に大阪へ行けるのに、敢えて廃線にして、遠回りの木津経由にしたのです。これは何故なのでしょうか。

また「幻の鉄道」の沿線の100年後の姿(里山、鉄道、遺構等)や、当時の機関車なども含めて「大佛線」の在りし日々を想像しながら、次回散策しようと思います。
(私事で恐縮ですが、末の娘が高齢初産でしたが、私どもはさらに老齢の為、2ヶ月前後散策中断致しました。本日より拙文開始しました。今後とも宜しくお願い致します。)

2012年07月03日

◆小沢の新党結成は無理がある

古賀 攻


青票(反対票)を投じ終えた小沢一郎・民主党元代表が、すぐ後ろで白票(賛成票)を入れた渡部恒三・民主党最高顧問と笑顔で言葉を交わしていた。「宮沢(喜一)さんの時を思い出すなあ」という会話が聞こえてきそうな光景だった。

1993年6月、2人は野党提出の宮沢内閣不信任決議案に白票を投じ、自民党を飛び出した。直後の衆院選を経て細川連立政権を樹立。自民党1党支配の歴史に終止符を打ったこの事件は、2人にとって最も思い出深く、かつ輝かしい戦績だろう。

ただ、今回は違う。あらゆる意味において、元代表が得意としてきた権謀術数まみれの古い政治は通用しなくなっている。

 ◇政党政治の底抜け

焦点の消費増税法案では、民主党議員が反対票を投じるたびに拍手がわき起こった。その数57人。欠席・棄権した15人を含めると、民主党の造反者はほぼ4人に1人という規模に膨らんだ。

大半が小沢グループの議員であり、鳩山由紀夫元首相のグループに属する議員も6人が反対に回った。3回にわたる記名投票が終わって投票結果が読み上げられると、野党席から「野党に協力させておいて何だ、これは」と野次が飛んだ。

 確かに奇妙な話だ。

議会政治の頂点に立つのは首相である。その首相は議会の多数派によって選ばれる。多数派を形成するのは政党の役割だ。極論すると、政党は自らのリーダーを首相に押し上げるために存在している。

野田佳彦首相が一体改革の実現に「政治生命を懸ける」と意気込むのと軌を一にして、反消費増税の勉強会「新しい政策研究会」(新政研)を発足させ、子分の囲い込みに励んできた。採決で「数の力」を見せつけ、政局の主導権を奪い返すのが至上命題だった。

こうして衆院本会議場は、各党各派のどろどろした打算と思惑が渦巻く戦場と化した。

焦点の消費増税法案では、民主党議員が反対票を投じるたびに拍手がわき起こった。その数57人。欠席・棄権した15人を含めると、民主党の造反者はほぼ4人に1人という規模に膨らんだ。

大半が小沢グループの議員であり、鳩山由紀夫元首相のグループに属する議員も6人が反対に回った。3回にわたる記名投票が終わって投票結果が読み上げられると、野党席から「野党に協力させておいて何だ、これは」と野次が飛んだ。

 確かに奇妙な話だ。

議会政治の頂点に立つのは首相である。その首相は議会の多数派によって選ばれる。多数派を形成するのは政党の役割だ。極論すると、政党は自らのリーダーを首相に押し上げるために存在している。

ところが、元代表や鳩山氏は同じ党の中にいながら、党首の政治生命を奪い取る行動に出た。しかも、脅しの材料として破綻が明らかな09年マニフェスト(政権公約)を活用しているのだから、政党政治の底が抜けてしまっている。

民自公3党の合意に代表される政治の大きな流れは、民主党の質的変化を伴いながら、「小沢抜き」の権力形成へと向かっている。元代表に同調した造反議員たちは、この権力再編劇から振り落とされた勢力だ。

同時に、過去に何度も繰り返されてきた小沢流「瀬戸際戦術」が今後も奏功するとはとても思えない。

まず「増税の前にやるべきことがある」という元代表側の主張は怪しい。「シロアリ退治が先だ」とも訴えているが、どこにいるシロアリを退治したら、10兆円規模の財源が出てくるのか、元代表から説得力のある説明を聞いたことがない。政権交代すれば16・8兆円の財源が確保できると幻想を振りまいたマニフェストの焼き直しである。

 ◇致命的な『文春』の記事

消費税をめぐる元代表のご都合主義については、自民党の森喜朗元首相がこんな暴露をしている。

「平成19年秋、福田康夫首相に大連立を持ちかけた際、小沢は僕に何と言ったと思う? 『日本を救うためには大連立しかない。消費増税を言った政党が選挙で負けるような国は良くないんだ。だから一緒にやろう』。こう言ったんだ。(中略)それが今になって『消費税増税反対』なんてチャンチャラおかしいだろ」(『産経新聞』5月5日付)

元代表にとって、政策は政局の従属物でしかないようだ。

さらに決定的なのは、『週刊文春』(6月21日号)による「小沢一郎 妻からの『離縁状』全文公開」の報道だ。元代表の和子夫人が東京・深沢の小沢邸から転居したことは広く知られていたが、別居に至った心境を岩手の後援者あてにつづったその手紙は、衝撃的な内容であふれてい
た。

核心部分は、福島第1原発事故の直後、元代表が「内々の放射能の情報を得た」として秘書とともに東京から逃げ出そうとしたとの記述である。

評論家の立花隆氏は翌週の『文春』(6月28日号)で「小沢は、自分の選挙区を大災害が襲ったというのに、なぜ被災地に10カ月も入らなかったのか。(中略)和子夫人の手紙を読み、疑問は一気に氷解した」と書いている。

この手紙が本当に和子夫人直筆のものなのか、どういう経路で流出したのかは分かっていない。しかし、法案採決を目前にした報道というタイミングから判断すると、何らかの政治的な意図があったと考えても良さそうだ。

6月20日には、民主党議員ほぼ全員の事務所に一斉に手紙のコピーが郵送される事件まで起きた。差出人は不明で、都内複数の地点から投函されていたという。

追い詰められるとかえって攻撃的になるのが、元代表の行動パターンだ。法案採決を前に手勢を集め、ばたばたと「離党届」を書かせたのは焦りの裏返しであろう。

「新党」構想が綿密に準備されてきた形跡はない。それを裏付けるように、元代表は「俺が新党の代表だとまずいだろうから、民間人を立てるか」と冗談交じりに語っているという。

(毎日新聞政治部長) 【週刊エコノミスト 7月10日号】
2012年07月02日

2012年07月02日

◆日本を壊したムチの実力者・小沢一郎

          大礒正美

小沢一郎・民主党代議士は、旧自民党の派閥(田中派)分割に始まって、内閣から政党に至るまで壊しまくったことで知られるが、日本国を壊してしまったことはあまり報道されていない。

知る人ぞ知るが、怖すぎて口にできないという事情もあるようだ。

それは3年前、2009年9月に政権を奪取して党幹事長に就任し、12月に訪中したことに始まる。初当選のいわゆるチルドレンを中心に、143人もの国会議員を含む6百人以上の大訪中団だった。

中国の大歓迎に小沢幹事長は意気揚々と、「人民解放軍の野戦司令官でがんばっています」と挨拶したという(ネットでも話題になった)。

中国側は胡錦濤・国家主席以下、内心、胆を潰したに違いない。これほど破天荒な朝貢儀礼を受けたのは、中国三千年の歴史でも初めてだったであろう。 何しろ630人近い規模で、そのうち143人が民主主義国の選挙を経た国会議員だ。その政権党の最高実力者がとんでもない卑屈さを堂々と披露して見せたのである。

一体これは何なんだと、あとで中国指導部は額を寄せ合って考えたに違いない。
 
実際には翌年の参院選を目指して「陣頭指揮を執っている」と自慢したのだが、人民解放軍が「国軍」ですらなく、中国共産党の軍(=私兵)であることや、野戦軍司令官というのは中央司令部の命令に従う現場主任にすぎないことを知らなかったため、「日本という辺境を支配する中国共産党軍派遣隊の隊長」です、と卑下したことになった。

分かりやすく他の例も挙げておくと、マッカーサーは何度も辺境の極東(フィリピン)赴任を繰り返す間に、少将と大将の間を行ったり来たりし、加えてフィリピン軍元帥の肩書きを受けている。 

またナチスドイツはやたらに臨時の「野戦元帥」(英語でフィールド・マーシャル)を乱発したことで知られる。軍人の世界でも現場は中央より格下だ。

小沢幹事長はそこまで日本国を売り渡したため、帰国後すぐに習近平・国家副主席が天皇拝謁を強要した件で、中国側に立って鳩山首相と宮内庁を強引にねじ伏せるしかなかったのである。

この時、批判した記者に対して、「憲法を読んでるか? 天皇の国事行為は内閣の助言と承認で行われるんだ」とまくし立てた。 事実は、幹事長の間違いで、賓客の接遇は憲法に定められた国事行為ではなく、単なる公務(皇務?)なので、政府が関知すべきではなかった。

しかしこれで、小沢隊長が北京で誓った臣従朝貢宣言は、中華の側から見れば証明されたことになった。

このことが、翌年9月の、尖閣沖漁船体当たり事件につながり、日本の全面敗北を招いたのである。

小沢民主党の政権があれほど内外に、歴史的に、ハッキリと中国に臣従しますと約束し、天皇拝謁問題でそれを証明したのに、「宗主国の臣民である中国船長を逮捕するとはどういうことだ?!」と中国首脳部は大混乱に陥り、ついで怒り心頭に発したという流れである。

東西冷戦構造の崩壊後、江沢民・国家主席の時代に、共産党独裁の存在意義は歴史的中華の再興にあるというように大転換した。その見方からすれば、中国は中国で「日本に騙された」と感じ、また国内向けにそう宣伝しなければならないだろうということは想像がつく。

小沢幹事長が、ついに政権を握って最高実力者となった昂揚感から、中国の歴史も軍事の常識も知らないまま大言壮語し、過剰なリップサービスもしたのだろうということも容易に想像がつく。

しかし内向きには傲慢、外向けには卑屈を使い分け、中国の威を借りて更に国内を押さえつけよう(特に検察を)、という政治家がどれだけ日本国を壊したか。知れば知るほど背筋が寒くなるだろう。

小沢氏の無知は筋金入りのようで、かつて自衛隊を国連常備軍として差し出すと提案したことがあり、近年も「抑止力は第7艦隊で十分」と発言している。

また話題となっている元夫人の離婚報告文によると、原発や放射能についても驚くほど無知無恥で、密かに東京脱出を図ったり書生に塩の買い占めを命じたという。

そういうムチの人だからこそ、平気で「壊し屋」人生を続けてきたのであろう。願わくば最後に民主党を完全に壊して政治家を卒業してほしいものだ。

万が一にも次の総選挙を生き抜いて、連立政権の中枢に座ることのないよう、有権者のほうでもムチに陥らない心構えが必要である。(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)(おおいそ・まさよし 2012/06/28)
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