2011年11月28日

◆橋下氏、大阪ダブル選で圧勝

早川 昭三


11月27日(日)に投開票が行われた大阪市長・大阪府知事の40年ぶりのダブル選は、前大阪府知事の橋下徹氏と同氏が率いる地域政党「大阪維新の会」幹事長松井一郎氏が、既成政党を中心とした反維新勢力と激突した。

開票の結果、橋下氏と「維新の会」の松井氏が市長・知事にそれぞれ当選した。

今回のダブル選を巡っては当初から様々な曲折が絡み、終盤に至るに従い戦いは「接戦」になるという見方が出ていた。かつ僅差の場合、市長と知事とが支持母体を異にする「ネジレ首長」が生じる可能性もあるとの見方さえあった。

しかし、そうした見方とは異なり、橋下氏と「維新の会」が揃って「当選」へと漕ぎ着けた。どうして「維新の会」が一方的に勝利したのか。

まずは、中小企業の街の大阪では、最近の世界経済の変動が大阪にも押し寄せてくるとの危機感がある。そこを橋下氏は巧みに衝いて「大阪府と大阪市を一つにまとめ、雇用と所得、生産性の向上を図る経済再生が先決」と主張し続けた。

このことが、企業従業員や中小企業経営者、若年無党派層などの集票へ繋げたと思われる。

無論平松氏も、経済再生には触れてはいたが、それよりもむしろ「アジア一、住みいいのが大阪市であり、それを潰そうとする独裁者だ」と橋下氏の批判を軸にして支持を得ようとしたが、実はこれが裏目に出て、橋下氏への敗因となったようだ。

大阪では、タレントなど知名度の高い候補者に、大阪独特の「おもろい」奇抜さと変革を期待して投票するという、他所にはあまり見られない特異な風潮がある。

だから「独裁者」だと自ら敢て認め、有権者の関心の高い経済再生論を激しい口調で、タレント独特の「おもろく」強調した橋下氏の戦術が、予想以上の効果を招いたようだ

と同時に、大阪の中小企業や無党派層が、大阪経済の低迷の原因が、既成政党と中央官僚への頼り過ぎにあることに対抗するという橋下氏の姿勢にも、耳を傾けて賛同したことも考えられる。

とは云うものの、これから橋本氏の率いる「維新の会」の行く手は、簡単に、しかも手際よく進むものではない。

こうした政策を実現させるための肝腎の「大阪都構想」は、すぐにでも緒に就きそうに見られているが、そうはいかない。実は国の法律改正などが伴い時間がかかるほか、東京都を始めとする各都市からの反対・難色の声も目立つ。

しかも大阪の足元では、大阪南港の咲洲庁舎移転を始め、消費税自由化、カジノの建設、那覇空港の大阪国際空港移転提案などが頓挫し、苦境にある。

まだある。府赤字解消のために、大阪市営地下鉄のインフラを民間に売却、且つ大阪の交易の拠点・大阪港の施設の民間委託、大阪市職員1万2000人の整理など、大阪市民が長年税金と職員の高度技術蓄積で仕上げてきた高度インフラや人材を処分するという。これには市議会の壁もあり、うまくいくとは思えない。

大阪府と2政令都市が一つになり、大阪行政を一括運営するという「大阪都構想」が、果たして府民市民の利益にどう結び着くかも皆目分からない。

橋下氏、松下氏の苦労は想像できない。ただ云えることは、政策の提案に世論の反発を受けると、すぐ口を噤んでしまうか、すり替え案を出して誤魔化すか、そういった過去の手法は、絶対止めてほしいものだ。(了) 2011.11.27

◆本稿は、11月28日(月)刊・全国版メルマガ「頂門の一針」2446号に
掲載されました。他の政治論もご高覧ください。

◆<2446号 目次>

・橋下氏、大阪ダブル選で圧勝:早川昭三
・大阪 民主政治の堕落か、新地か:宮崎正弘
・読売新聞の政治意識調査:阿比留瑠比
・中共によるショック療法:平井修一
・米国務省日本部長を嵌めた罠:伊勢雅臣
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2011年11月26日

◆いよいよ明日、大阪ダブル選

早川 昭三


10月13日の告示日をきっかけに始まった大阪市長と大阪府知事のダブル選挙は、明日27日に投開票日を迎える。

大阪市長選挙は、現職の平松邦夫氏と前大阪府知事の橋本徹氏との一騎打ちとなり、大阪府知事選は、池田市長の倉田薫氏、共産党推薦の梅田章二氏、橋下氏の率いる「大阪維新の会」幹事長の松井一郎氏よる事実上の三すくみとなっている。

特に有権者を注目させているのが、大阪市長選だ。

選挙序盤では、知事を辞めて市長に出馬した橋下氏が、橋下氏の傘下の府会議員を府知事の座に当選させ、「大阪都構想」を実現させるという公約が「争点」となり、激戦の様相を醸し出していた。

しかし選挙の中盤・終盤にさしかかると、橋下氏の掲げる「大阪都構想」の仕組みや、如何なる利益が大阪にもたされるかが、解りつらいという声が府民・市民の間に高まり出し、肝腎の公約の「都構想公約」が翳りを見せてきた。

<22日の民放ラジオ番組で、平松氏と橋下氏が激論し、「腐敗した大阪市役所をバラバラにして都構想を実現する」と言い切った橋下氏に、平松氏が食い下がった。

これに対し橋下氏は、「都構想で地域はバラバラにしない。役所を再編するだけ」と述べたが、平松氏は「みごとな詭(き)弁(べん)。選挙ではうそをいってもいいと思っているのか」と詰め寄り、「はっきり大阪市をつぶすといって民意を問えばいい」>と迫る一幕があった。(産経新聞)

一方、本誌常連寄稿者・岩見隆夫氏が本誌11月18日刊に、<東京都の石原慎太郎知事ですら、「『大阪都構想』ってやめてよ。都というのはキャピタル(首都)でね。国のキャピタルっていうのは元首がいて、国会があるところなんでね。これはちょっと勘違いしてるから、あの言葉は好ましくない。」

この人に珍し、穏やかに異を唱えたのはよく理解できる。どこの国も首都は一つだけ、言うまでもない>、と岩見氏さえこう論述している。

情勢に敏感な橋下氏だ。こうした府民・市民やメディアの実情が伝わると、「都構想」を巡るトーンを抑えながら、新戦術への転換乗り出してきた。
この背景には、これもある。

終盤になり、「大阪市長選挙―平松氏・橋下氏接戦」(共同通信・産経新聞)、「大阪市長選―橋下一歩リード」(朝日新聞・日経新聞)と、両候補に対する序盤の予測と違って、選挙情勢が接近している世論調査結果が出たことだ。

しかも「都構想」への賛同が序盤に50%近くあったのに、終盤の世論調査では30%台に落ち込んだことも、戦術転換の要因になってきたと維新の会の幹部は認める。

このため橋下氏は、自ら有権者の多い繁華街を歩いて、握手を交わす戦術を増やし、「5人の人に投票を呼びかけてください」と、投票呼びかに重点を移行。「劣性です。負けています。皆さん、票をください」と、スキンシップ戦術に移した。

一方平松氏は、築いてきたきめの細かい人脈と支持母体を通じて、知事選候補の倉田氏と行動を共にしながら演説会に臨んでいるほか、知り尽くした市内の要所での立ち会い演説をこなし、「追いつき、並び、追い越ししてゴールを迎えたい」と支援を求めている。

ところで、今回の市長選を含めた大阪ダブル選の大勢を決めるのは、「自主投票」とした公明・創価学会の動向だといわれている。

公明の本音は、<前回(平成21年)の衆院選、大阪の4小選挙区で全敗した公明にとって「次期衆院選での党勢回復こそ最大の目標」。そのためには「維新」との全面対決には慎重姿勢をとっている>。(産経新聞)

つまり、勢いのある「維新の会」と今回のダブル選で全面対決をすれば、衆院選挙だけでなく、府下の各議会選挙でも不利な状況に置かれる可能性が予想されるため、今回は慎重であるべきだと判断したということだ。

とは云うものの、大阪市議会など現場レベルでは、非公式ながら“主戦論”が根強く、市議団の中には「府本部の公式見解と食い違わない『配慮』しながら、平松氏の支援する活動を進めるという声が出ている。

大阪市には27万票の公明票があり、上記の世論調査では、公明票は平松・橋下両氏に50%づつに分かれているとの結果が出ている。そんな中で大阪市議団が水面下で動けば、選挙情勢に影響を与える可能性はないではない。

そういって背景を考慮して、終盤選からは公明・創価学会の「抱き込み作戦」に両陣営が本腰を入れている。何処まで抱き込めるかは今日の26日にかかっているかもしれない。

最後になったが、大阪府知事選で注目されるのは、前述のように橋下氏が、橋下氏の傘いる維新の会の幹事長松井氏を府知事の座に当選させて傀儡政権を建て、「大阪都構想」の礎を築こうという狙いだ。

ところが、その「都構想争点」の影に薄れが出てきたことから、松井氏の劣勢が浮き彫りとなってきた。その分だけ前大阪府市長会会長を務めていた倉田氏の方が知名度も高い上、市長歴も長いことからむしろ倉田氏に支援が集まりつつある。

この危機的状況を払拭しようと、橋下氏は出来る限り府下の市町村に宣伝カーを走らせ、共同演説を展開しながら松井氏の知名度を上げようと懸命になっているが、市長選に臨む橋下氏にとっては、簡単なものではなく、苦労が多いようだ。

いずれにしても、知事・市長両首長に座を狙っている両陣営では、残された26日の1日間に、「まだ投票者を決めていない」階層にどれだけ食い込めるか。これを狙うしかない。

おそらくこのダブル選は、前代未聞の高投票率が予想されるだけに、これらの階層に「食い込んだ陣営」が勝利を収めることになるだろう(了)
                          2011.11.25

2011年11月18日

◆木津川だより 中津道周辺の散策A

白井繁夫


前回訪ねた木津惣墓五輪塔の南西にかつては再三氾濫した井関川が流れており、五輪塔から4〜50mのところに極楽橋が架かっています。この橋を渡ると、木津の浜から奈良へ向かう奈良街道にでます。

この街道を明治10年、明治天皇が木津の浜から奈良へ行幸されたとき、天皇に不敬があってはいけないので、街道に面した家の軒が道に出張っている個所は切られ、また二階の窓など上から覗き見が出来ないように調整されました。

しかし、あれから130年余過ぎたせいか、さすがに当時の痕跡を残す家等はほとんど無くなりました。そして今は静かで落ち着いた街並みです。

この街道を4〜500m南(奈良)へ向かって行くとR24号線とR163号線が交差する大谷交差点に着きます。ここの東側に「岡田国神社」の大きな赤い鳥居があります。
(地図Z:http://chizuz.com/map/map100897.html

この鳥居から社殿までの参道で非常に珍しい光景に出合うことができます。それはJR(奈良線、大和路線)を越えて『神社へ参拝を目的とした跨線橋』が架かっていることです。

即ち、同様の目的でJRを跨ぐ橋は我が国では唯一ここだけです。(但し、当時も現在も神社用の橋の許可の取得は不可能と思いますが、当時の国鉄の許可条件もあくまで町道であり、地域住民の利便に供する目的の道であるという条件であったと云われています)。

一度このオンリーワンの橋から下を通過する電車を見ながら、参拝しては如何ですか。
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<写真左:赤い鳥居から神社への参道、写真右:参道の跨線橋下をJRの電車が通過中>

では、これから本日のメインスポット「岡田国神社」をご紹介しましょう。

岡田国神社の祭神(左側:天神宮)は生国魂命(いくくにたまのみこと)、菅原道真をお祀りし、(右側:八幡宮)は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后をお祀りする双殿形式です。創建は明らかではありませんが、伝承では飛鳥時代、白雉(はくち)5年(654)生国魂命をお祀りし、応神天皇を祀った八幡社は天慶元年(938)と云われ、平安時代に菅原道真を合祀して天神社と称されました。

天神山をバックに建立され、旧木津五郷の産土神として近世まで天神社と云われていましたが、明治11年(1878)、『延喜式内社 岡田国神社』に比定されました。
P1000890-2.jpgP1000889-2.jpg

<写真左:旧社殿能舞台の奥が拝殿、拝殿の奥右が八幡宮、左奥が天神宮、
写真右:新社殿、正面が拝殿、奥に八幡宮や天神宮が祀られています>。

この神社の新社殿の北側の(下にある)旧社殿は、昔の社殿、拝殿、能舞台、氏子詰所が残されている室町時代の山城地方の惣の社(大きな町の社)の貴重な遺構です。(府指定登録文化財)
<左の写真:能舞台の前面左の大きい切り株は800〜1000年の杉の巨木跡です>。

新社殿は木津ニュータウン建設に伴い社地の一部(約2万5千坪)を1974年に住宅公団へ売却した代金で新築されました。

この神社の社地について『徳川家康』にまつわる伝承があります。

(本能寺の変「天正10年6月:1582年」で堺から三河への家康主従の道中での伝承)
@ 旧木津町の『字、小字地名』(現在の木津川市兜台:近鉄京都線高の原駅の西側地区)
兜谷:  兜台7丁目付近  家康が兜を外して休息した所
三葉谷: 兜台1丁目付近  三つ葉葵の紋から
噤谷:  相楽台2丁目付近 家康が竦んで噤んだ(すくもだに)
上張道: 兜台6丁目付近  上の見張り処
下張道: 相楽台3丁目付近 下の見張り処
(旧木津町時代の地名由来の伝承です。)

A「岡田国神社」にある伝承

神社の神主親子が家康主従の道中の食糧等手配しながら(三重県)島河原正月堂多羅尾の代官所まで案内した。その後、徳川時代となり、『京都所司代 板倉伊賀守から1604年に11万坪の土地を、元禄10年(1697)境内の山林社領が下付された』と云われています。
(但し、家康は宇治田原を経由して伊賀の国へ行ったとの説もあります。)

ところで、現在この神社の鎮守の森のすぐ東側まで宅地開発が進み、南側の山林もR163号線のバイパスが大谷の交差点から伸びて来るため、破壊されようとしています。

公共の利便の為とは云え、次々と自然の緑が無くなれば、そこにいた動物や鳥達は何処へ行って仕舞ったのでしょうか、木津五郷の氏神様はどんどん開けていく木津川市の将来をどの様に思われているのでしょうか。

次回は話題を古代に移して、当神社の南方約0.5kmの「馬場南遺跡」の発掘で1300年の眠りから覚めようとしている「神雄寺」、奈良街道沿いの記紀物語に登場する市坂の「幣羅坂神社」付近などを散策して見ようと思っています。(終)
郷土愛好家

2011年11月14日

◆砂上の楼閣「大阪都構想」

憂う法律家


11月13日、大阪市長選挙が告示されました。


大阪府と大阪市のダブル選挙を仕掛けた橋下徹前大阪府知事。大阪維新の会を背景に「大阪都構想」の実現を選挙公約にして、大阪府知事を辞任し、大阪市長選挙に出馬しました。


橋下氏のマスコミ戦術、イメージ戦略の手際良さが、大阪府民に物事を深く考えさせることなく、「何となく橋下」の人気を漂わせています。


しかし、私たちは、府政や市政を任せる政治家の選挙において、イメージだけで選んではいけません。政治の動向によって、私たちの日常生活すべてが影響してくるからです。
 

橋下氏が、大阪府知事になって、初期にやろうとしたことは、大阪府庁舎移転問題でした。


大阪市の南港にある咲州(さきしま)のWTC(大阪ワールド・トレードセンタービル)の最上階から見える眺めの良さに目がくらみ、倒産した第三セクターから巨額の買い物をして、大阪府庁を大阪の中心地から南港に移転しようとしたのです。
 

しかし公的サービス機関であるお役所は、みんなの一番身近で便利なところに置くべきものです。
 

橋下氏は、大阪のはずれに位置するWTC建物の購入について府議会の承認を取り付けたものの、結局は、府庁移転そのものは否決されたまま、府知事をやめてしまったのです。


自分の意のままに府政をかき回し、あげくのはては、府政を放置して、市長選挙出馬ですか。
 

ましてや、耐震性の乏しい危険なWTC建物や、地震の際、液状化現象が十分に推測される建物底地の対策を講じないまま、いとも簡単に大阪府知事の職を蹴ってしまったのです。何とも無責任な話です。
 

それだけでも、大阪府民を馬鹿にしています。大阪府民は、橋下氏に怒りをぶつけるべきです。
 

特に今回の「大阪都構想」にしても、しかりです。


大阪府民は、「都構想なるものの功罪」をほとんどの人に知らされていません。橋下氏自身、大阪府民に何ら説明をしていないのです。
 

イメージとして、大阪も東京都のようになる、というだけのことしかわからないのです。

ただ、橋下氏のイメージ戦略としては、府民に詳しく知らせない方が、好都合なのでしょう。 「大阪都構想」は、国が市町村併合を進めてきた「平成の大合併」に逆行する話ですし、東京都のように、中で区議会を設けるとすれば、議員の数が増大し、議員報酬の負担がとてつもなく莫大なものになります。
 

根本的には、「大阪都構想」など、いまの法律では、実現不可能なのです。
 

橋下氏は大阪府知事として、大都市制度のあり方を調査研究すべく、自ら大阪府自治制度研究会を2010年4月に発足させました。同年10月、最終意見がでました。
 

その結論は、「大阪都構想の導入は困難」という内容だったのです。委員5人全員一致の意見でした。 このようなことも、大阪府民は,ほとんど知りません。 現実問題として、大阪市や大阪府が、いくら都構想を議会で決議しても、地方自治法の改正が大前提となるのです。


橋下氏を応援しない民主党や自民党が、「大阪都構想」に向けた法改正に安易に応じるはずがありません。
 

橋下氏は、都構想の内容を大阪府民に何も説明しないまま、詳しいことは何もわからない府民に、大阪がすぐにでも大阪都になるかのような錯覚を与えて、選挙運動を進めているのです。
 

これは、明らかに大阪府民をだますものです。


何一つ大阪府知事として公約を実現していない橋下氏の仮面を剥ぐべきです。大阪府民は、目を覚ますべきでしょう。 真の政治家に大阪を託すべきです。(了)

◆本誌「百家争鳴」掲載の本稿は、11月14日(月)刊・渡部亮次郎氏主宰の全国版メルマガ「頂門の一針」2432号にも掲載されました。大阪ダブル選に対する法律家の視点です。この他の寄稿者のご卓見もご拝読ください。

◆ <2432号 目次>
・APEC出国前、韓日両首脳の対照的な姿:古澤 襄
・砂上の楼閣「大阪都構想」:憂う法律家
・TOC「制約理論」早分かり:平井修一
・沖縄戦「住民自決命令」(下):伊勢雅臣
・Slangとは:前田正晶

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2011年11月10日

◆始まった大阪ダブル選

早川 昭三


橋下徹大阪府知事の辞職に伴う大阪府知事選が10日告示される。また大阪市長選も13日告示され、いよいよ11月27日同日投開票に向けたダブル選挙が、今日から始まる。

もともと、橋下知事が任期半ばで辞職し大阪市長選に出馬するとしたことから、このダブル選が芽を吹き出したもの。今日から府知事選が先行するものの、有権者の関心は「橋下氏vs平松氏」一騎打ちの市長選の行方に絞られている。

当の橋下氏は、<市長が24区全てで区民とコミュニケーションを取りながら課題解決するのは無理だ。現在の市役所には広域行政の仕事もあり、「お飾り市長」にならざるを得ない。

知事選で維新の知事が当選すれば、府との統合本部を作って、市役所の仕事を広域行政と基礎自治に仕分けする>と主張し「大阪都構想」の実現を目指す。

これに対して平松氏は、 <公約に「おおさか満足度日本一」宣言を掲げ、英国のエコノミスト誌の調査で、大阪市は世界140都市の中で住みやすい街のアジア1位。日本で一番住みやすい街。

行政にお金がある時代ではなく、市民の力でこの街を支える形につなげる。具体的な改革の成果が見え始めており、より先に進めたい>と対決姿勢を崩さない。(読売新聞)

しかし両者の「都市制度改革」の主張は、中味が理解しにくく、市民(府民)にとって、一体どのようなメリットが与えられるのか、分かりにくいし、十分な説明もなされていない。

となるとなぜ今、大阪にとって「都市制度改革」が必要なのかということになってくる。実はその背景に、大阪の都市力をめぐる著しい地盤沈下の要因が潜んでいるということを明らかにした記事を、産経新聞が掲載した。

 それによると、<「大大阪」とは、大正末期〜昭和初期に大阪が経験した栄華の時代だ。大正12年の関東大震災や市域拡張を経て、大阪市は同14年、人口で日本最大、世界6位の都市となり、産業面でも文化面でも活気にあふれた。

だがその後、あらゆる分野で東京一極集中が進み、近年は都市としての弱体化がますます顕著になった。企業は本社機能を次々と東京へ移し、不況も相まって税収は落ち込む。再浮揚の道は遠く、行政も有効な手立てを打てなかった。

内閣府などの統計によると、平成17年の大阪府の名目総生産額(GDP)は約38兆1千億円で、東京都(約91兆1千億円)の4割強に過ぎないものの、全国2位を維持した。このうち、大阪市は約21兆2千億円(55・6%)を占めた。

しかし、昭和50年以降の30年間のGDPの伸びは、東京都の3・6倍、3位の愛知県の3・7倍に比べ、大阪府は2・8倍に停滞。平成7〜17年の10年間でみると、東京が約10兆4千億円、愛知が約3兆円増えているのに対し、大阪は逆に約2兆2千億円減少した>とある。

これこそ大阪経済歴史を的確に捉えたもので、その為にもう一度日本第2の経済を大阪が目指すために、あらゆる経済活性化の方策を模索しなければならないことを、これからの市民(府民)の重要な使命だと示唆している。

だとすれば、この経済沈下を解消するために、両者がバトルするのは的外れではないか。何も大阪市・堺市を解体し、それを統合し、新設8区とやらに「予算と行政権限」を与えるという論理は、ピンとこない。

しかも、大阪市営地下鉄を東京に倣って民営化を急ぐという方針にも、疑問を抱く市民は多い。早い話、将来の経済活性化のために、府市が手をとり合い、ゆっくり時間をかけて経済活性化の妙案を考えていくべきではないか。

ところで、こうした背景に両者の激戦情勢は、かなり拮抗してきたという見方が市議会筋で出回り出しており、混迷度は日に日に高まりつつある。公明党は「自主投票」を決め、橋下氏には「性急な政治手法は理解しがたい」と支援を否定した。

その情勢に加え更に驚かせたのが、共産推薦でいったん、立候補を表明していた元大阪市議の渡司考一氏。告示直前に出馬を取りやめ、現職の平松邦夫氏を「勝手連として支援に回る」(共産市議団)という前代未聞の展開をみせたことだ。

渡司氏は、橋下氏の当選阻止が目的だという。選挙は何が起こるか分からない

話しが逆になってしまったが、ダブル選のスタートとなる告示は、今日(10日)の「知事選」からだ。

立候補の予定は、共産党推薦で弁護士の梅田章二氏、民主・自民両党府連が支える同府池田市長の倉田薫氏、大阪維新の会幹事長の松井一郎氏の見込み。

問題は、仮に橋下氏が大阪市長選の座を射止め、橋下氏が代表を務める「大阪維新の会」幹事長の松井一郎氏が当選した場合、松井氏は橋下氏の傀儡知事になり、「大阪都構想」の実現に向けて驀進することになるというのが大方の見方。

これを阻みたいのが倉田氏。倉田氏は、9日大阪・ミナミの高島屋大阪店前で、出馬表明後、初の街頭演説に臨んだ。

<都構想の早期実現に否定的で「法律を変えなければ実現しない大阪都を言っているだけではダメ。府と大阪市の関係改善には協調路線が必要だ」と訴え、府市間の1000人規模の交流人事を提唱。

同日選の大阪市長選に再選出馬する平松邦夫氏や出馬を後押しした府内首長らも応援に駆けつける中、「文化再生と観光振興を図り、オール大阪で元気な大阪を」>と訴えた。

倉田氏は、21の府下首長の支援・賛同を得ているうえ、平松氏とも「反維新」の共闘を合意しており、今や松井氏を追い込む強烈な支援体制を固めつつある。

注目の公明党は、政党推薦を求めない倉田氏の支援は困難とし、松井氏に対しても、「数の力を背景に府議会での強引な議会運営をしてきた」として支援はしない。

このように、今日から始まる大阪ダブル選は、今後も予想外の情勢が次々と絡み合うことも予想され、情勢の見通しは難しい。(了)   2011.11.10

◆本稿は、11月10日(木)刊全国版メルマガ「頂門の一針」2428号に掲載されました。
著名寄稿者による他の卓見もご高覧ください。

◆<2428号 目次>
・ 始まった大阪ダブル選:早川昭三
・マルチ疑惑・山岡氏はもうアウトだ:阿比留瑠比
・中国経済はポンジか、ゾンビか:宮崎正弘
・TPPがアメリカの陰謀だなんて :古森義久
・ パン祖・江川太郎左衛門のこと:岩見隆夫
・話 の 福 袋
・反     響
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2011年11月06日

◆まだ揺れる大阪市長選

早川 昭三

「大阪都構想」が激戦となる大阪のダブル選で対抗構図が確定していた筈の大阪市長選に、異変が起きた。

何と共産党推薦で立候補を表明していた前大阪市議の渡司考一氏(59)が4日、出馬を見送ることを決めたというのだ。(11月5日 朝日新聞朝刊)。

共産は、戦後初となる1947年の大阪市長選に公認候補を擁立するなど、推薦や公認候補を立てることを絶やしたことはない。その共産党推薦者が、告示直前に出馬断念するという事態は前代未聞。急変に驚きと戸惑うしかない。

<渡司氏は、私の出馬で「反独裁」の票が割れ、橋下氏の当選を許すことを避けたかったと不出馬の理由を語り、支持者に対して橋下氏に投票しないように呼びかけるという。

また、支援団体「大阪市をよくする会」の幹部は、「橋下徹氏の『独裁』を阻むための名誉ある決断」だと説明し、苦渋の判断だったと述べているという。しかも「反橋下」を支持者らに徹底し、平松市長への投票を事実上容認するだろうとしている>。

結局、ダブル選の市長選は、現職の平松邦夫市長(62)と、前大阪府知事の橋下徹氏(42)との、正に一騎打ちに一変した。

これに対し、「反橋下・維新の会」に対抗して激戦を想定している平松陣営と自民・民主政党では、「驚き以外に言葉は見つからない」としながらも、「出来れば垣根を越えて一緒に戦いたい。これで大きな反維新、反独裁の流れが生まれたことは歓迎」としている。

一方、維新の会選対本部は、「既存政党の野合の一端しか思えず、有権者には分かり易い対決構図」になったとしているが、共産党の転換に驚きを隠せない様子だ。

ところで問題は、共産党傘下の有権者が、「反橋下」を支持者らに徹底させ、平松市長への投票を事実上容認させることになるか、ということだ。

この共産党陣営の選挙方針が、どこまで実績に繋がるかは分からない。ただ

・前回の平成19年11月18日(平松市長が当選)施行選挙で、共産党は113,201票獲得。
・平成17年11月27日施行の市長選挙で、共産党は165、874票獲得。
・平成15年11月30日施工の市長選挙で、共産党は195,682票獲得。
となっている。

つまりこの3施行選挙の投票率は、34%から43.61%のもので、これを共産党の固定票と決めつける訳には行かないだろう。しかも加熱している今回のダブル選挙での投票率は、まだ想定できないため、共産党票の増減がどうなるのかも予想はできない。

ただ、揺れる大阪市長選挙で、共産党の10万票から20万票が平松市長に回るとなると、一騎打ちの市長選挙戦は読みを超えた展開になりそうだ。

序でながら、知事選を目指す倉田薫池田市長とも連携を深めていくことに合意した平松市長は、橋下氏の傀儡知事誕生の阻止も目指しており、日々変転の大阪ダブル選が一体どうなるのか、その流動ぶりには目が離せなくなってきている。(了)2011.11.05

◆本稿は、11月6日(日)刊 全国版メルマガ「頂門の一針」2425号に
掲載されました。他の卓見もご拝読ください。(編集部)

◆<2425号 目次>
・まだ揺れる大阪市長選:早川昭三
・米国を舐めてかかったらあかんぜよ:山堂コラム 392
・「たばこ発言」のその後:岩見隆夫
・ 禁煙恩人はサッチャー:渡部亮次郎
・G20でちゃっかり稼いだ胡錦涛:宮崎正弘
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2011年11月04日

◆脳梗塞「2時間59分だとOK!」

安井 敏裕 (脳外科医・産業医)

 
脳卒中とは、脳に酸素やブドウ糖などの栄養を送る血管が「詰まったり、切れたり、破裂して」、にわかに倒れる病気の総称である。脳卒中には、脳梗塞(詰まる)、脳出血(切れる)、くも膜下出血(破裂)の三種類ある。

この病気の歴史は古く、「医学の父」と言われているヒポクラテスは既に今から2400年前の紀元前400年頃に、この脳卒中の存在を認識し「急に起こる麻痺」という表現で記載している。脳卒中による死亡率は日本では癌、心臓病に次ぎ、第三位で、毎年15万人程度の人が亡くなっている。

しかし、本当に問題となるのは、脳卒中が原因で障害を持ち入院あるいは通院している人たちが、その約10倍の150万人もいることである。現在、脳卒中の中では、脳梗塞の発生頻度が突出して多い。2分20秒に一人が脳梗塞になっていると言うデータもあり、全脳卒中の70%程度を占めている。

この最も多い脳卒中である「脳梗塞」について、大きな治療上の進歩があったので紹介する。

脳梗塞は、脳の動脈が血栓や塞栓という血の固まりのために詰まることで起こる。この血の固まりで閉塞さえた血管から血流を受けていた部分の脳は、いきなり脳梗塞という不可逆的な状態になってしまうのではなく、数時間の猶予があり、徐々に脳梗塞になる。

この数時間の間に血流を再開してやれば、再度、機能を回復できることになる。いわば、「眠れる森の美女」のような状態で、医学的には、このような状態の部分の脳を「ペナンブラ」と言う。見方を変えると、この部分は、血流が再開しないと数時間後には脳梗塞という不可逆的な状態となってしまう訳である。

このペナンブラの部分に血流を再開する方法として、古くは開頭手術をして、目的の血管を切開し、中に詰まっている血の固まりを取り除く方法を行っていたこともあるが、それでは、多くの場合に時間がかかりすぎ、再開通させた時には、ペナンブラの部分は既に脳梗塞になっている。また、間に合わないばかりか、出血性梗塞というさらに悪い状況になってしまうことさえある。

開頭術の次に登場した再開通法は、カテーテルという長い管を血管の中に通し、その先端を詰まった部分にまで誘導して、血栓を溶かす薬を注入する方法である。

この方法では開頭手術よりも早く、血管を再開通させることができるが、この方法であっても、血管が閉塞してから6時間以内に再開通させないとペナンブラが脳梗塞になってしまうことが防げないし、間に合わずに血流を再開させた場合には、やはり脳出血が起こってしまう。

このようなことから、一時、我々脳卒中に関わる医師は、口には出さないが、最も理屈にあった治療法である「急性期に閉塞血管を再開通させて脳梗塞になることを防ぐ」と言う治療を諦め、虚無的になっていた時期がある。再開通させることを諦め、梗塞に陥ってしまった脳自体の治療として、脳保護薬や低体温療法へと興味が移行していた時期もあった。

しかし、米国で1996年から特別な手技や道具が不要で、ただ静脈内注射するだけで詰まった血管の血栓を溶かしてくれるアルテプラーゼと言う薬の使用が始まり、2002年にはヨーロッパ連合(EU)でもこの薬剤による血栓溶解療法が認可された。

わが国でも日本脳卒中学会を中心にこの薬の早期承認を厚生労働省に求めたが、「日本人を対象とした治験で良い結果が出ない限り承認できない」という厚生労働省の方針に答える準備のために時間がかかり(drug lag)、米国から遅れること約10年の2005年10月11日に漸く承認された。

この薬は血管に詰まった血栓を溶かしてくれる血栓溶解剤で、発症後3時間以内に静脈内注射するだけで良好な予後が得られる。

しかし、この薬剤は両刃の剣で、39項目に渡る使用基準を尊守しないと、脳出血の危険性が著しく増大することが分かっている。従って、厚生労働省も非常に厳しく市販後調査(2.5年間に3000例以上の全例調査)を課している。現在は、言わば試運転ないしは仮免状態と心得て、慎重に使用する必要がある。

そして、この薬剤を用いるためには、一定の講習を受ける必要があり、全国で130回以上行われ、8000人以上が受講した。実際に、この薬剤を発症後3時間以内に注射するには、患者さんには、遅くとも発症後2時間以内に病院へ到着してもらう必要がある。

すなわち、病院へ到着しても、患者の診察、一般検査、脳のCT検査、家族への説明など、最低1時間は必要であるためである。そのために、最初にこの薬剤の使用を始めた米国では、脳梗塞を“ブレインアタック(brain attack)”と言い直し、社会全体に向かって、その緊急性を啓発した。

すなわち、“Time is brain. Time loss is brain loss.”などの標語で注意を喚起した。日本においても脳梗塞を“ブレインアタック”という緊急を要する疾患として一般の方々に認識していただくために、学会や医師会などの啓発運動も行なわれるようになっている。

さらに、平成9年3月に創設された日本脳卒中協会においても、毎年5月25日〜5月31日までの一週間を脳卒中週間と定め啓発運動に努めるようになっている。

脳卒中週間をこの時期にしたのは、とかく脳卒中は冬に多いと思われがちであるが、脳卒中の中で最も多い脳梗塞は、最近の研究では6−8月に増えだすため、脳卒中予防は夏から気をつけなければならないことを啓発するためである。

この週間で使用される標語も、昨年(2006年)はアルテプラーゼの使用が認められたことを念頭において「一分が分ける運命、脳卒中」であった。2001年の日本での脳梗塞急性期来院時間調査の結果では36.8%の患者が3時間

以内に来院している。この中の一部の方がアルテプラーゼ治療を受けることになるが、この割合をさらに増やして、本薬剤の恩恵を受ける人を増やす必要がある。

この治療では10年の経験を持つ米国では、この治療を受けるためには、@患者の知識、A救急車要請、B救急隊システム、C救急外来、D脳卒中専門チーム、E脳卒中専門病棟、とういう六つの連鎖の充実と潤滑な流れを推奨している。
 
一般市民への啓発や行政への働きかけなどが必要である。一方で、来院から治療までの時間も1時間以内にする努力が病院側に求められている。いつでも、3人程度の医師が対応できなければならないし、他職種(レントゲン部門、検査部門、看護部門)の協力も不可欠である。(了) (再掲)

(元大阪市立総合医療センター・脳神経外科部長・現社会福祉法人「聖徳会」岩田記念診療所 勤務)

2011年11月01日

◆鍵を握るのは大阪府知事選

早川 昭三

大阪府の橋下徹知事が10月31日知事職を正式に辞職して、11月27日の大阪市長選に鞍替え出馬することになり、いよいよ知事選と共に同日にダブル選が行われることが決まった。

橋下氏は、31日午後2時5分から退任会見に臨み、「知事をしてよかったか」という記者の質問に次にように答えた。

「良かった。自分の大阪府への思いや考えを少なからず実現することができたからだ。弁護士時代やメディアで仕事をしていた時代もいろいろ発言はしたが、それが実現することはなかったから、そういう意味では知事になって良かった」。

その上で、3年9カ月にわたる知事職を振り、「府の財政改革は僕が知事だったからできた」と述べた。
<31日16.59 サンケイニュース>

ところで、大阪での知事・市長選のダブル選は、革新府政が誕生した昭和46年4月以来、約40年ぶりとなる。

ところで今回のバブル選で気になるのは、一方の大阪府知事選の方だ。

結果次第で、橋下氏が敢えて市長選へ鞍替えをして市長になったとした場合でも、相棒の知事が不在となれば、公約の「大阪都構想」が頓挫する可能性もあるからだ。

当初知事選は、橋下徹氏と同氏が代表を務める地域政党・「大阪維新の会」が、同会幹事長の松井一郎氏(47)を知事候補として擁立した時は、維新の会の人気や勢いのある党勢から、松井府議の優勢を疑う府民は少なかった。

ところが、対抗馬の出馬は31日まで二転三転したものの、結句、大阪府下の市町村の首長の支援を受けた府下池田市の倉田薫氏(63)が立候補したことで、選挙情勢はおおきく変動し、維新の会陣営にも動揺が走り出した。

当の倉田市長に、早くから府知事出馬への思いがあったことは事実。それは「橋下氏と平松市長の対決は、こどものけんか」と宥め、府下の首長と連携して、これを諌めるシンポジュームを開いて助言したものの、知事に黙殺された経緯が原因だった。

そこで、「橋下氏の方針は、日本の地方自治体の進め方とは違うので、闘う」として、府下首長群との連携を図り、「卒維新」を掲げ、人脈と経験を生かした選挙戦を展開したい」と決意した。

しかも民主・自民の政党レベルでも、他候補を推薦する動きもあった。しかし、倉田氏を推薦・支援することを31日の朝に、「反維新の会」に対抗することを最終的に決めた。ただ公明は、未だ態度を決めておらず、おそらく「自由投票」になる可能性が高い。

一方、市長選に出馬する平松市長も倉田市長と連携してダブル選で共同して戦うことを申し合わせている。

こうした不利な情勢を受け、春の統一地方選挙で優勢をきわめた「維新の会」とはいえ、府下20以上の首長の支援をうけて出馬し、且つ民主・自民の政党からも推薦・支援を受けた倉田氏に対し、強い衝撃をうけつつ、対応策を模索している。

こうした中、31日の退任会見で、橋下知事は「府の財政改革は僕が知事だったからできた」と述べたことには触れた。しかし大阪府には「不当な赤字隠し」があるという厳しい指摘の書籍が既に出ている。

<大阪府が出資する5法人に、それまで長期で貸し付けていた資金を年度末の3月31日に一旦全額返済させ、翌日の年度初めの4月1日に再び貸し付けていた。総額は1193円に達していたもの。

つまりこの「2日間の返済」がなければ、決算での一般会計決算額は、大赤字となっていたのだ。これは、2009年殿包括外部監査で判明し、「不当な操作」だと指摘されている>。(講談社刊・大阪自治を考える会)

上記記述が正当な指摘であれば、「府の財政改革は僕が知事だったからできた」という橋下氏の言葉は、首を傾げたくなる。

しかも大阪市住之江区の高層ビルWTCの「咲洲庁舎」へ本庁舎を移転する問題や市営地下鉄インフラと組織の民間委託問題などを含めた「大阪都構想」が、市民の利益にどう繋がるかも、まったく分からず「宿題」のまま残されている。

とすれば、「都構想」推進の松井府議は守勢を余儀なくされ、「府・市は協力していこう」という倉田氏の主張の方が、府民には分かりやすいことになる。

しかし、橋下氏が「改革派」だという期待は依然高く、それが府知事選にどう反映されていくかは分からないのが実情だ(了)2011.10.31


◆本稿は、11月1日(火)刊・全国版メルマガ「頂門の一針」2420号に掲載され
ました。目次をご覧になり、他の寄稿者の卓見をご拝読ください。(編集部)

◆< 2420号・目次)>
・米国経済はTPPでも助からない:宮崎正弘
・大阪、鍵を握るのは知事選:早川昭三
・韓国が出来たパチンコ全廃:古森義久
・私の韓国論:前田正晶
・酒飲みの自己弁護:平井修一

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2011年10月27日

◆大阪ダブル選 決まった対決構図

早川 昭三

橋下大阪府知事の辞職に伴い、大阪市長選と府知事選が11月27日同日に行われることが既に決まり、市長選に出馬する4人の候補者は、争点となる「大阪都構想」を巡り、早くもTV番組などで論戦を繰り広げている。

この論争を背景に、橋下氏と現職の平松市長との激戦は避けられない。

ところが、知事選は、橋下徹知事率いる地域政党・大阪維新の会が擁立する維新幹事長の松井一郎府議(47)が出馬を決めているものの、これに対抗する有力者が現れるかどうかが焦点となっていた。

つまり、ダブル選の結果によっては、大阪府と大阪市と連携が大きく変わるか可能性があるからだ。

そうした中、26日夜になり、動向が注目されていた同府池田市長の倉田薫市長(63)が、出馬を要請した同府大阪狭山市の吉田友好市長らと大阪市内で記者会見し、知事選へ立候補を表明した。

<倉田薫市長(63)は記者会見で、池田市を除く府内42市町村長のうち30人が出馬に賛同する意向で、「30人の首長の熱い思いを受け、断る理由はない」と述べた。

大阪市長選にくら替え出馬する大阪府知事の橋下徹氏(42)が掲げる「大阪都構想」には、「制度改革は国がやることで、争点にする気は全くない」と説明。大阪維新の会を率いる橋下氏の政治手法を「恐怖統治的なところが気になり、『卒維新』を目指す」と一線を画した>。( 読売新聞)

このように、知事選への出馬の決意と意欲を改めて明らかにした。

<倉田氏は4月に池田市長の5選を果たしたばかりで、任期が3年半残っている。このため、大阪府内市町村の首長の一部から出馬を求める動きが出たのに対し、当初は慎重な姿勢をみせ、出馬の「条件」として府内首長の3分の2(28人)以上の賛同を要求。擁立に積極的な首長たちが賛同署名を集めていた。

倉田氏によると、署名に応じた首長は約20人で、28人に達しなかったが、「立候補するなら応援する」などと回答した首長が10人前後いるといい、「厳密には出馬条件は達していないのかもしれないが、多くの首長の思いは無視できないと覚悟を決めた」と述べた>。26日産経新聞

倉田薫市長の、出馬の決意の本音はここにある。

ところでこの7月、倉田薫市長は、「拝啓 大阪府知事 橋下徹様」という著書を出し、「橋下知事よ、大阪市長と協調を」と提案している。今春まで府市長会会長も務めた立場から、橋下氏と対立が深まる平松邦夫・大阪市長との協調を求めるが狙いだった。

同著で倉田氏は、府と大阪市の二重行政解消を掲げる橋下氏の「大阪都構想」が、太田房江・前知事が提案した「大阪新都」に似ていると指摘。

その上で、太田氏と当時の磯村隆文・大阪市長(故人)が、府市の役割分担を巡り対立した経緯にも触れ、橋下、平松両氏が前職から続く「抗争」をやめて、「府市協調による大阪発展の道を歩むべきだ」と主張していた。

しかしその提案が、結局は受け入れられなかつたことから、これを何とか実現し「府市協調」を目指す方策はないものかと模索していたのは事実。

そんな処に民主党から出馬要請があり、結局今回、府下の首長から倉田氏による府政への期待が予想に近く得られたことから、今回出馬を決意したものとみられる。知事選は、おそらく松井府議と倉田氏の一騎打ちのなることは間違いない。

倉田市長は、政党の推薦は求めない意向だが、民主党府連と自民党府議団は、橋下徹知事率いる地域政党・大阪維新の会が擁立する維新幹事長の松井一郎府議(47)に対抗するため、倉田氏を支援する方針。公明党にも同調を呼びかけている。維新の会知事を誕生させないのが狙い。

しかし公明党は、まだ倉田氏のマニフェストの中味がまだ分からないとして支援するかどうか態度を決めておらず、場合によれば「自由投票」の可能性もある。

知事選にはほかに、共産党などが擁立する弁護士の梅田章二氏(61)、建設会社社長の羽柴秀吉氏(62)らが出馬を表明している。

いずれにしても、これで投開票まで約1か月に迫った大阪市長選とのダブル選は、対決構図がほぼ固まった。

おそらく橋下氏が、大阪府と連携して「都構想」を目指したいだけに、大阪ダブル選は、かってない激戦が予想される。(了)20011.10.26

◆本稿は、10月27日(木)刊・全国版メルマガ「頂門の一針」2415号に
掲載されました。他の著名寄稿者の卓見をご高覧ください。

◆<目次 2415号>
・始まった上海不動産暴落:宮崎正弘
・先進国はキリギリスだった:加瀬英明
・大阪ダブル選 対決構図決まる:早川昭三
・琴線が響きあう日台国民:伊勢雅臣
・膨張するゼロm江東区:渡部亮次郎
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2011年10月24日

◆木津川だより 中津道周辺の散策@

白井 繁夫

藤原京と平城京を結ぶ中ツ道を北へ延長した古道が古代泉津の木津の浜に繋がります。

この古道を奈良時代に官道と認定し整備したのが『中津道:奈良街道』です。
(但し、現在の奈良街道は古代の中津道と同じではありません)

その後の木津が古代大和の玄関港として、また木津川の水運を利用して大陸とも繋がり大いに栄えた事については、『泉津周辺の散策』などで述べて来ました。

この度の中津道の散策は古代も含め中世、近世のことや木津川がもたらす陰の部分(水害等の災)のことも話題に採りいれてみようと思っています。

中津道(奈良街道)の出発地(木津の浜。地図Z:1番)の東(上流約50m)にある和泉式部の墓からJRの踏切を越えて山背古道(やましろこどう:道幅3m未満)を、西南へ50mほど行くと正覚寺に着きます。
  地図Z:http://chizuz.com/map/map100897.html
(山背古道と奈良街道が並走なので木津の浜の東南の寺。地図Z:2番)
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写真左:正覚寺の山門     写真右:洪水供養石仏

この寺の山門をくぐって、右側に洪水供養石仏(阿弥陀如来座像)が祀られています。(石仏:高さ 105cm台座含)

木津川の洪水は江戸時代だけでも35回以上あり、7年に一回の割で被害に遭い、木津は水害の歴史と共にありましたがその中でも特に、正徳2年(1712)8月の大洪水は酷く、木津だけでも流失、倒壊家屋700軒強、水死者100人余で、その時の浸水は深さ4〜5mに達したと云われています。

この大洪水の被災者の三回忌供養の為、願主は台座に近親者8名の法名を刻み菩提を弔ったと思われますが、刻まれた法名の半数が童子、童女であるのでひときわ哀れを感じます。

だからこの度の東北の大津波で多くの児童が犠牲になったことが余計に涙をさそいました。

この石仏は、繁栄する泉津の裏にある水害の凄まじさと願主の祈りを表した今日にも通じる貴重な記念碑です。

平和な日本で予期せぬ災いが今年も発生した東北の大震災、近畿南部の風水害など、私達も深刻に考え、速やかに行動を起こすべきなのにまだまだ努力不足ですが、それにも拘らず、明日を目指して頑張っている被災者の方々には頭が下がります。

さて、正覚寺から古風な佇まいの家並がつづく山背古道を2〜300メートル南に行くと重文の『木津惣墓(そうばか)五輪塔』があります。(地図Z:3番)

この五輪塔は鎌倉時代『正応5年(1292)8月』の刻銘があり、年代の判る貴重な塔(高さ約3.73m)です。(惣:中世の大きな村を表します)
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写真左:重文の五輪塔(東面側:正応5年の刻銘あり)
写真右:現在の東山墓地(墓地上部から木津川市役所を望む)


当時の木津には、泉津の繁栄でかなりの勢力を貯えた土豪や郷民が存在しており、その人達が共同してこの塔を建立しました。しかしこの塔の建立目的が銘文に刻まれていませんが、伝承では承久の変(1221年)や洪水などの災害の犠牲者を悼み供養するためだと云われて来ました。

この場所はかっては約1000坪(約3300m2)の広大な墓地群であり、西北に長福寺(観音堂)、東方に木仏(閻魔堂)その他にも石仏の地蔵、供養塔やいろんな墓がありました。

しかし度重なる水害の為、明治43年9月に木津の東部の丘陵地に移転が決定し、現在の五輪塔を残して、昭和5から7年にかけて大谷の東山墓地に移転供養されました。(昭和5年の調査ではこの墓地に3300基の墓が有ったとの事です。)

五輪塔は宇宙万物を生成すると密教は説き、供養塔や墓標などとして用いられています。上から空輪(宝珠)、風輪(半月)、火輪(三角)、水輪(圓)、地輪(方)です。そしてこの塔は水輪に梵字(阿弥陀を表すキリーク)が刻まれ、地輪には東.北.南の3面に銘文があり、東面の銘文が重文の価値がある年号正応五年辰壬八月日(西暦1292年)です。(北面は西暦1296年、南面は1562年です。)

次回は徳川家康が堺で信長の本能寺の変を知り、木津川市の兜台まで来て、兜を取って休息した後、木津から伊賀の国へ行ったと『延喜式内社 岡田国神社』(地図Z:4番)の宮司が話す当該神社を散策する予定です。
(注)宇治田原を経由して伊賀へ行ったと云う説もあります。

2011年10月22日

◆大阪府知事が退職届 いよいよダブル選

早川 昭三

大阪府の橋下徹知事が22日の未明、大阪府議会の議案採決後、浅田均議長に退職届を提出した。知事は辞職後、11月13日告示の大阪市長選に立候補するとしており、大阪での知事・市長のダブル選がいよいよ本決まりとなった。

大阪府の橋下知事は、代表を務める大阪維新の会の候補者として、11月の大阪市長選挙に立候補する意向を固めていたが、現在開会中の大阪府議会の審議との絡みで、自らの進退について、これまで明言していなかった。

しかし、21日開会のの府議会本会議で、「辞める人間が重要議案3件の採決を求めるのはおかしい」とする反対会派の反発を受けて長時間を要したものの、最終的には議案の採決が行われたことで、採決終了後の22日未明、府議会議長に辞職願を提出した。

24年2月の任期満了を待たずに、10月31日付けで知事の正式辞職を表明する見通しで、11月13日告示の大阪市長選に立候補する。

これにより、11月27日の大阪市長選挙と大阪府知事選挙が同日選挙、所謂ダブル選となることになった。

大阪市長選には、既に現職の平松邦夫氏が再選出馬を表明し、前大阪市議の渡司考一氏が共産推薦で立候補を予定。前兵庫県加西市長の中川暢三氏も出馬を表明している。

しかし市長選の趨勢は、事実上「大阪市を解体・再編して司令塔を一つにする」とする「大阪都構想」を目指す橋下知事と、大阪府と大阪、堺両市が加盟する「府下版広域連合構想」を目指す現職の平松市長との「一騎打ち」となる見通しだ。

だが、同市長選の行方にかってない大きな関心が寄せられ始めたのは事実だが、知事の「大阪都構想」と市長の「広域連合の設置構想」が、市民生活へどのようなメリットがあるかなど、依然はっきりせず正直、有権者は戸惑っている。

だから、市民の間では、分からない「両構想」よりも、「改革派」の知事の人気に託すのがいいのか、それとも「現大阪市体制」堅持していく市長に同調するのがいいのか、二分化する状態が強まってきている。このため選挙情勢は肉薄しているというも見方出始めている。

こうした中、市長選挙とともにダブル選となる大阪府知事選挙動静の方も大きく揺れ動き出している。

知事選には、橋下徹知事が代表を務める地域政党・大阪維新の会が、知事選候補として同会幹事長の松井一郎府議を擁立する方針。共産党などは、弁護士の梅田章二氏の擁立を決めている。

ところが、21日になって知事選に絡んで「大阪維新の会」に対抗する動きが出て、情勢は混沌としてきた。

<11月に見込まれる大阪府知事選で、民主党幹部が16日、弁護士の郷原信郎氏(56)に立候補を要請したことがわかった。郷原氏は朝日新聞の取材に「興味があり、検討している」と語った。民主側は近く、郷原氏と擁立の条件などを最終調整するとみられる。

郷原氏は元東京地検特捜部検事で、法務省の「検察の在り方検討会議」委員などを歴任。現在は名城大教授や総務省顧問も務める。九州電力の「やらせメール」問題では第三者委員会の委員長として、古川康佐賀県知事の発言が九電のやらせに影響を与えたと最終報告書で認定。14日に知事の関与を否定する報告書を出した九電を厳しく批判して注目を集めた>。 朝日新聞 21日朝刊

またNHKに21日朝のニュースによると、郷原氏は次のように述べている。
<郷原氏は「選挙までの期間が1か月ほどしかないので経営している法律事務所をどうするかなど難しい問題があるが、府知事には興味があるので、調整がつくか平野代表としっかり話し合っていきたい」と述べ、検討していく考えを示した。>。

今の処、ダブル選の一方の知事選を「不戦敗」にすることは出来ないという点では、「維新の会」に対抗する自公民3会派では一致しているが、候補者選びに難航し、これまでに至ってきた。

今の処、民主党幹部が前向きな姿勢の郷原氏への打診を急いでいる段階で、自公会派の調整は水面下で行われており、自公がはっきりした態度を示すまでには多少時間が掛かりそうだ。

ただ、郷原氏が出馬した場合、「維新の会」の松井一郎府議と共産党の梅田章二氏と「三つ巴」になることは必至の情勢。

となれば、この郷原氏の知事出馬が現実となれば、大阪ダブル選に大きな波紋を投げかけるのは確実。

いずれにしても、大阪知事・市長のダブル選は確実になったものの、まだ先行きは不透明な動静につつまれ、投開票日までは分からないというのが実際の情勢のようだ(了)         2011.10.21

◆本稿は、10月22日(土)刊・メイル・マガジン「頂門の一針」2410号に掲載されました。
他の著名寄稿者の卓見をご拝読ください(編集部)

◆<2410号 目次>
大阪 いよいよダブル選:早川昭三
評判の悪い「記者ぶら」:阿比留瑠比
新聞はよく読むが、あまり信用していない:伊勢雅臣
内側から見たアメリカ 総集編:前田正晶
恋しや神戸牛と米国人:渡部亮次郎

話 の 福 袋
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2011年10月11日

◆活発化し出した大阪ダブル選挙

早川 昭三

大阪府知事、大阪市長のダブル選挙が、11月27日に想定される見通しになってきたことから、再選を目指す平松邦夫市長の陣営や、自民や共産など、既成政党が動きを本格化し出した。

ところが、選挙告示まで1か月余に切迫してきた選挙戦なのに、橋下知事を代表とする地域政党「維新の会」の動きが未だにはっきりしないところがあるため、既成政党などは手探りしながら、独自に動いている。

確かに「大阪維新の会」は、昨年4月の発足後、今春統一地方選で大躍進を遂げたことに自信を抱き、11月27日のダブル選「大阪秋の陣」での勝利を目指している。
ダブル選とは何か。

「維新の会」によると、府市ともに首長を擁立することで、府市を再編し広域行政を一元化する「大阪都構想」の実現させるのが狙いだ。

橋下知事は、「平松市長に退陣していただきましょう」と先月中旬、支持者ら約3千人を集めて開いた「維新の会政治資金パーティー」でこう述べたことで、“市長選出馬”を事実上宣言したものと受け取られている。

しかも知事は、開会中の大阪府議会の審議に目途がつく今月21日にも府議会に辞職願いを提出したうえで、23日に正式に大阪市長選挙に立候補する意向だそうだ。

これに対して先月19日再選出馬を正式表明している平松市長は、<「ものすごく人気があり、大きな勢力を持っている方への宣戦布告です」と橋下知事への対抗心を顕にし、「(笛の音で子供を操った)ハーメルンの笛吹きだ。多くの人が催眠術にかかっている」と知事を厳しく断じた。>(産経新聞)

その上で、橋下知事の「大阪都構想」に反対する平松市長は、府の仕事は大阪市でもできるとする対抗案として「特別自治市の実現」で二重行政は解消できるという、謂わば府からの“独立宣言”を行うと正面対決むき出しにした。

序でながらこの「特別自治市」構想とは、昭和20年代に大阪のほか京都、神戸、横浜、名古屋の5大市が既に目指した経過がある。

ところがこの時も、府県サイドの反発で頓挫。府県並みの権限はあるものの、府県の傘下に入るという今の「政令市制度」がスタートした。

この構想は、「政令都市大阪市」が大阪府から独立し、駐車違反の取り締まりといった警察事務の一部も「特別自治市」で担うなど権限強化出来ることになる。

つまり、「特別自治市」になれば府から離脱し、これまで市域で府が行ってきた業務は市が引き継ぐことになり、平松市長は「府が担当する業務は大阪市でも十分できる」と強調している訳だ。

大阪市を複数の特別区に分割して中核市並みの権限を持たせ、都に広域行政を一本化する「都構想」と異なり、対等の権限を持つ府と市が広域行政で連携する形という。これが「都構想」を打破できる秘策として掲げたものだ。

このように争点の柱は出された格好だが、相変わらず何を目指すダブル選挙か、いまだに解消されないままでいる。

即ち、争点として想定される「都構想」と「特別自治市」のどちらを選択した方が、大阪の将来のためにメリットがあるのかはっきりしないところに、困惑して選挙民が多い。選択肢基本の欠落だ。

まだすっきりしない状況が取り巻いている。

橋下知事が市長選に打って出るとしながら、「維新の会」から大阪知事選に誰を推挙するのか、いまだにそれさえモヤモヤしている。本気なら急いで知事候補を明らかにするべきだろうが、何故か遅れている。

一応「維新の会」では、同会幹事長の松井一郎府議を擁立する方針を固めたとしており、同議員も「要望があれば受ける」とは言っているようだ。しかし代表の橋本知事は「知事候補は一任してほしい」と繕い、宙に浮いたままだ。

更に、この秋の選挙を混迷にしたのは、橋下知事が「都構想」を巡る意見として「最後は国会議員の選挙での勝負へ」と他所で述懐した一言も、正直警戒感が広がり、対応を逡巡している政党も出てきている。

だが、「維新の会」と対決する平松陣営や対抗政党では、地域や支持団体を動員して活発な動きに転じ出した。「維新の会」の戦略に乗せられず、独自に推し進めなければ、「維新の会」のペース嵌められる危険があるということで一致したのだ。

<民主党は「政権党として擁立する」と意気込み、自民党も「不戦敗は許されない」と主戦論に傾く。ダブル選なら知事選告示まで約1か月だが、過去の選挙では告示直前の出馬表明も珍しくなく、今後、各党の駆け引きが激化しそうだ。

自民党府連が8日開いた幹部会合では、出席者から「ビッグネームなら戦意も喪失するが、松井氏の知名度は決して高くない」と独自候補擁立論が相次いだ。

これまで同党内には「高支持率の橋下知事との敵対は得策でない」(府連幹部)として維新との連携を探る動きがあったが、この日は一変。自民党を離党した松井氏が、4月の統一地方選で自民への「刺客」擁立を主導しただけに、「松井氏には恨みがある。落選した仲間の弔い合戦にしなければ」との声が高まる。

民主党は平野博文・府連代表がこの日、「与党として素晴らしい候補者を擁立せねばならない」と語った。ともに維新への対抗心を強める中、両党間には連携模索の動きも出始めた。

自民党府連の谷川秀善会長は幹部会後、報道陣に、「政策が合えば拒否するものではない」と発言。民主党府連幹部もこの日、「擁立候補は自公が乗れる人がいい」と語った。>(10.9 読売新聞)

だが、23日に橋下知事が辞任し、知事立候補者が名乗りを上げなければ。ダブル選の全容は何事も見えてこない。

早い話、「維新の会」の対抗する陣営が平松市長擁護を決めて既に積極的に動き出した。しかし「維新の会」の動きはどうなるか。これが選挙戦の方向を決めることになることには間違いない。(了)   2011.10.10

2011年09月30日

◆木津川だより  下津道周辺の散策D

白井 繁夫


平城.相楽ニュ―タウン内の前回訪ねた音如ヶ谷瓦窯跡(おんじょがたにごようせき)から、公園の遊歩道を木津川市と奈良市の境界伝いに(歌姫街道に並走)南東へ約500m行くと、また元の歌姫街道(下津道)へ合流します。

そこから南の平城宮跡へとゆるやかな登りですが、歌姫街道の東側沿いの遊歩道をとると、途中に「歌姫街道」の道標(地図Z:1番)があります。
地図Z: http://chizuz.com/map/map97999.html

ここを過ぎると住宅街から山道になり、山城と大和を分かつ峠を越えて、手向(たむけ)山の南面にある添御縣坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ地図Z:2番)に着きます。

この神社からまっすぐ歌姫町、佐紀町を経る現在の歌姫街道を約1km強南に下ると、大極殿(地図Z:5番)に着くのです。

しかし、古代の『下津道』は松林宮(しょうりんきゅう)を避けて(山道の急勾配も避け)神社の北約200mで道を東に採り八上池(はじかみいけ。地図:3番)の東を通り、水上池(地図:4番)の西側を通って(松林苑の外側?をまわって)、平城京へ行ったと思われます。

今回は『歴史の道』の散策も兼ねて、八上池から仁徳天皇の皇后陵を経て水上池へ出るコースにしました。

ところで、地元では歌姫街道を「郡山街道」とも云います。それは、豊臣秀吉の弟、秀長が大坂城の背後の守りの城を大和郡山に築き、100万石の城下町の基礎を造って以後明治まで、木津川の吐師(はぜ)の浜と大和郡山を結ぶ重要な道として栄えたからです。

前回、歌姫街道に触れた時、名称の由来などに問い合わせが有りましたので、もう少し話題を古代の状態の下でで散策してみようと思います。

藤原京から平城京へ遷都した時、大和の国の都として、平城京を唐の都にならい、平城宮の北の緩やかな丘陵地に宮殿や池、官署などのある松林苑を造営しました。そこには雅楽に携わる楽人や歌舞を行う女官が大勢住んでいたからこの名称が付き、また歌姫町の地名の由来とも云われているのです。

ところで、今から1300年前に現在の宮内庁楽部の雅楽が公式に生まれました。それは、大宝律令(701年)で太政官治部省に雅楽寮(歌舞処)が出来た事です。

日本初の公的音楽機関として国家の儀式や大寺院の法会に携わり、歌舞司(うたまいのつかさ:長官)は、従五位に任じられていました。その後は明治(1908年)に宮内省式部職楽部に引継がれて現在に至っています。

さて、当時の都人が大和を離れて旅立つ時、立ち寄ったと云われている松林苑の北の端にある延喜式内社:『添御縣坐神社』(歌姫町999番地)を訪ねます。
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写真左1:歌姫街道の道標(地図Z:1番) 写真右2:添御縣坐神社(地図Z:2番)

この神社は大和と山城の国境にあり、添上と添下の接点にある添御縣(そうのみあがた)の神社です。(御縣:皇室の御料地を指し、大和国に御縣は全部で六縣あります。)

祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと:皇祖 天照大神の弟)、
   櫛稲田姫命  (くしいなだひめのみこと:八岐大蛇の難を救った命の妃)、
   武乳速命   (たけちはやのみこと:添の御縣地の祖神)の三人の神です。

奈良時代の左大臣 長屋王がいよいよ大和を離れて旅立つときに詠んだ歌:(佐保すぎて 寧楽(なら)の手向(たむけ)に置く幣(ぬさ)は 妹を目離(めか)れず 相見しめとそ)が万葉集にあります。また菅原道真もこの国境の神に旅の安全を祈念した歌を詠んでいます。

山中の峠にひっそりと佇む当神社は古代から農の神、旅の神として崇拝されてきました。
そして今も宮座(十人衆)を中心として地元の人々によって社の維持や行事がめんめんと守られ、受け継がれています。

人の世の世相かも知れませんが、江戸時代になると病を治す神として信仰され、最近は道真所縁の神社として合格祈願にお参りする人も増えたと云われています。

この神社を、夕方訪れた時、森閑として静寂な境内を老婦人が掃き清めて、灯明に灯りを燈している光景を見た瞬間、私は古代からの神聖さが大自然の中に溶け込んだ雄大な姿に感動し、思わず神様に両手を合わせていました。

この神社を頂点にして南に円錐状?に広がる「松林苑」の東側を散策します。
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写真左3:八上池(地図Z:3番) 写真右4:水上池(地図Z:4番)から大極殿を望む

「松林苑」は聖武天皇の時代、平城宮の後苑として整備され、ここで天皇は狩りを楽しんだり、池の傍で宴会を開いたりしたと、続日本紀にあります。

当苑は平城宮の北に位置し、南北1km、東西0.5km強と当初は考えられていました。
下津道は、添御縣坐神社の峠の北側の急勾配を避けて約200m北で歌姫街道を東に採り八上池(はじかみいけ)の東側を通り平城宮へと通じた道があったと推測しました。

この池で舟遊びをしたり、曲水の宴を開いたり、また雅楽に合わせて歌舞などが催行され、大極殿が政治の表なら、この苑は表裏一体となった禁裏の役目が有ったと思われます。

今年の4月の橿原考古学研究所の調査報告で、水上池(地図Z:4番)の発掘で宴会用の甕(かめ)や皿などの土器の出土が有り、また池の東側で大極殿を一望にできる楼閣の遺構も発見されたと発表されました。

この出土品やその他の状況から「松林苑」の規模は東側へ大きく拡大し、最大だと東西約1.8km、南北約1.5kmと推定されると云う説も出ています。しかしこの広大な敷地(約100万m2)に対し、発掘面積は約3千m2とごく僅かにすぎません。

ですから、今後の調査研究がさらに進むと聖武天皇の時代の人々の営みや、この「松林苑」でどんなことがあったのか、苑の敷地、規模などの程度がよりクリアになると期待しながら、再度水上池の東側へやって来て大極殿を望みながらいろいろと思いをめぐらしました。

次回は木津より大和奈良へ中津道(奈良街道)を散策しながら行く予定です。
<郷土愛好家>