2011年09月20日

◆橋下大阪府知事はどう動く!?

早川 昭三

大阪市長選が本格的に動き出した。が、果たして橋下徹府知事は、同市長選へくら替え立候補し、平松市長と真っ向から対決する腹のままなのか。

11月13日告示、同27日投開票の大阪市長選に、まず平松邦夫市長が19日、無所属で立候補すると正式に表明、いよいよ大阪市長選の土俵に上がった。

平松市長は、橋下徹知事が率いる「大阪維新の会」が提唱する、同市を解体・再編する「大阪都構想」に「断固反対」し、基礎自治体としての同市の事務を一元的に担う「特別自治市」を目指すことを明らかにした。

「人が主役の、“支え合い、分かち合う”地域社会の実現」を目指し、英単語の「with」をスローガンに掲げた。

と同時に今後の戦術として、無所属で出馬するものの、「反維新勢力」に対抗する公明、自民、民主系の市議会各会派に支援を要請し、反維新勢力の結集を要請する考えも明らかにした。

特に平松市長陣営は、橋下知事が「大都市大阪の市長に平松市長はふさわしくない。平松市長がもう一度、大阪市長に再選するようなことがあれば、大阪市民だけでなく日本の不幸」と自陣のシンポジュームで言い切ったことに反発。

こうした「独裁政治」に似た同知事の強引な政治手法に危機感を訴えることで“反橋下”勢力結集を狙うことを、選挙戦略の主軸にしていく方針だ。

そんな中で、気になる発言が数日前に民放の討論番組で、橋下知事から飛び出した。

というのは、「候補者がいなければ、市長選に出馬する」と発言したのだ。これを裏返しに聞くと、仮に「維新の会」から出馬する候補者が出てきたら 橋下氏は、出馬はしないという見解にも聞こえる。

ところがそれの裏読みを裏付けるように、最近になって大阪市議会の「維新の会」の某幹部が、市長選に自ら率先して出馬してもよいとの意向を周辺の漏らしているという噂が出た。

ということは、市長選に出馬する候補者が現実にいることになり「知事が鞍替えして迄も動く必要はない」という見方が現実化してくる。知事が出馬しなくても、「大阪維新の会」の候補者が出れば、市長選は両陣営を軸とした展開となるのは間違いないからだ。

こうした中、橋下知事にとって市長選出馬に影響を及ぼすとも思える、逆風が吹きだした。

まずは、「大阪維新の会」が9月府議会に提案予定の「教育基本条例案」に対し、5人の教育委員全員が「ものすごく乱暴」などと批判したことだ。

特に、08年10月に橋下知事の推薦で委員に選ばれた陰山英男氏(立命館大教授)と小河勝氏(大阪樟蔭女子大講師)の2人も激しく批判し、特に陰山氏は「この条例で大阪の教育がよくなるとは思えない。耐えられない」と述べ、条例案が可決されれば、辞任する考えを表明した。

同条例案は、<教育行政への政治的関与を強めることを主眼としており、教員の懲戒規定を明確化したり、首長が設定した目標を実現する責務を果たさない教育委員を罷免できるなどの内容を含む>というもの。

問題は、教員や教育委員の首切りを強行される恐れに、職員が戦々恐々としていることだ。この条例案は、大阪・堺市議会にも提案することになっており、大阪市長選にも大きな影響を及ぼすことは、必至の情勢だ。

加えてこの17日、大阪市長選に出馬する方向の橋下知事の政治手法を議論する「『橋下』主義(ハシズム)を斬る」というシンポジウムが大阪市で開かれた。自治体改革や教育行政に「政治主導」を打ち出す橋下氏の姿勢をファシズム(独裁主義)にかけて批判的に検証するのが狙いの異例の集まりだった。

<この討論の中で、精神科医の香山リカさんが、橋下氏の支持率の高さについて「次々にネタを出す刺激が受けているのでは」としつつ、「バトルの構図を描いて二者択一を迫るのが得意だが、世の中には白黒はっきりつかないことが多い」と指摘。

帝塚山学院大の薬師院仁志教授は「橋下氏は軍隊的官僚主義と自由競争を求める市場原理主義という、両立しないものを時と場所に応じてしゃべる。長い目で見て(住民を)どこに連れて行くのか」などと疑問を示した>(朝日新聞)

つまり、ここにきて橋下知事の行政改革についての批判が急に噴出し出した格好だ。恐らく知事自身は、「行政改革に批判が伴うのは当然」として、こうした「批判動向」は意に介さないだろう。

しかし、大阪市長選に出馬して圧勝を期している橋下知事・「維新の会」に対して、最近大阪市民の意識が少し変わり出したことは否定できない。

自ら市長選に出馬するかどうかを府議会議案採決日の10月21日までは明らかにしないとしている。果たして知事は、その日までにどう動くのか、どう判断するのか、注目されるところだ。(了)

◆本稿は、渡部亮次郎氏主宰の全国版メルマガ「頂門の一針」(9月20日刊 2378号)に
掲載されました。他の卓見をご拝読ください。

◆<2378号 目次>
・橋下大阪府知事はどう動く!?:早川昭三
・大連モデルに民衆立つ:宮崎正弘
・中国は領有権で永遠に譲歩せず:古森義久
・幹事長に敬意を払うため某県へ: 阿比留瑠比
・「ナポリタン」は米国発祥?:平井修一

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2011年09月09日

◆安倍晴明の実母?

河崎 勝二

山登りや名所旧跡巡りの仲間のサークル「歩こう会」が、予期もしなかった驚きと感動を与えて呉れた。

大阪城を散策中に知り合った仲間同士の会「大阪城歩こう会」に参加して、日曜ごとに10数人が連れ立ち近畿の著名な山々に登ったり、歴史に包まれた名所に出掛けるようになって久しい。

季節の移ろい、新鮮な空気と絶景、出会った人達との交流、その土地の産物の味などに接する楽しみは、実際に汗を掻き、五体の筋肉を酷使して歩き回る者だけしか味合えない産物だと信じている。

最年長のリーダー格の80余歳の仲間は、お年を感じさせない軽妙な足取りと訪ねる先への道筋は勿論、そこに纏わる地縁の知識に長けておられるのには、頭が下がる。

さて、今回の驚きの出来事のキッカケは、たまには気楽に行ける平地の名所に行こうとの女性の提案で、大阪和泉市の「信太の森」に出掛けたことだった。

その「信太の森」は平安時代の清少納言の「枕草子」の中で「もりは信太の森」と称えられていることで知られているということで、麓を熊野古道がはしる古代から参詣の道の側ということでも広く知られているという。

朝鮮半島から5世紀ごろ伝えられた須恵器釜跡があり、わが国最古の釜跡も見付かっているという。なかなか深みのある歴史の里である。

現地に実際足を踏み入れると、流石に周囲は信太山丘陵に囲まれ、裾野まで広がる多種多彩な樹木景観は、素晴らしさの一言だった。

早速、現地博物館「信太の森ふるさと館」を訪ねた。ここの歴史や成り立ちを知る上では、それが最適だからだ。

建物1階の右手にある80坪ほどの「信太の森ふるさと館」に入り、次々と見回っている内、浮世絵風の数枚の異様な「版画絵」が目に入って仰天した。子供を膝の前に座らせた母親らしき女性が、手に持つ筈の筆を口に咥えて、和歌の文字を障子に向かって書いている姿の絵だ。

文字は「恋しくばたずねきて」と書いてある。ところが女性のギョロッとした目線は横向きに何かを見据えている。表情も厳しく尋常ではない。この絵は、一体何を語ろうとしているものなのか。隣には、大木の下に2匹の白狐が闇の上にある白き物体を見上げている、思わしげな別の「絵」が並べられている。

背中に言い知れぬ寒気を感じたので、館員を呼んで説明を受けることにした。館員は、懇切丁寧にこの「絵」について語ってくれた。この「絵」は、古浄瑠璃などでも伝えられる「葛の葉物語」の一場面だそうだ。

<その昔、大阪の摂津の国に安倍保名(あべのやすな)という若者が、信太大明神を参詣に来た時、狩人に追われた深手の傷を負った白狐を匿い逃がした。これに腹を立てた狩人が保名を責め、大怪我をさせ立ち去った。

すると傷で苦しむ保名の所に「葛の葉」と名乗る女性が現れ介抱した。この女性は助けた白狐の化身だったのだが、保名はそれとは知らず、二人はやがて一緒に暮らす仲となり、男子を儲けた。子の名は「童子丸」。

6年後のある日、葛の葉は庭に咲いた菊の花に見とれてわが身を忘れ、うっかり現わした尻尾を「童子丸」に見付けられてしまった。葛の葉は、もはやこれまでと一首を障子に書き残して森へ消え去った>。(版画絵がこの模様を伝える)。

その一首とは、「恋しくばたずねきてみよ和泉なら 信太の森のうらみ葛の葉」だったのだ。

<保名と童子丸は恋しい母を求めて探し回り、やっと森の奥で涙を流しながら二人を見つめている一匹の白狐と出合う。ハッと気づいた保名が「母の元の姿になっておくれ」と哀願すると、白狐は傍らの池に己の姿を映し出し、たちまち葛の葉の姿となった。

しかし、葛の葉は泣き叫ぶわが子を諭しながら、形見に白い玉を与えて最後の別れを惜しみつつ、再び白狐になって森の奥に消えていった>。

これが「葛の葉物語です」と職員は説明を締めくくった。悲しい言伝えに心を痛めて聞き入っていた筆者に、この館員は追い討ちを掛けるようなショッキングなことを告げた。

「この童子丸が、実はかの有名な陰陽道の祖の安倍晴明(あべのせいめい)だといわれているのですよ」。

私の出生地は大阪阿倍野区で、安倍晴明を祀る「安倍神社」は目と鼻の先のところにある。子供の頃から親に連れられ足繁くお参りした神社だ。「安倍晴明の出所」などに思いを馳せた事も無かったが、まさかこの「版画絵」に描かれた「葛の葉物語」の童子だったのかと考えると、頭が真っ白になった。

今は、「安倍神社」とは離れたところに住んでいるため縁が薄れたが、この伝説を知った以上、お参りに行ってみたくなった。

それにしても仲間と共に方々を「歩く」ことは、時空を超えた様々な楽しみと感動の舞台に接遇させてくれるものだとつくづく思い知らされ、改めて有り難さを痛感する。(了)(エッセイスト)再掲

2011年09月05日

◆揺れ動く大阪市長選の勝負

早川 昭三


11月27日に迫ってきた大阪市長選挙を巡り、既に出馬を表明している橋下徹大阪府知事と、再選を目指す予定の平松邦夫大阪市長との激戦はどちらが優勢なのか、市民の関心は高まってきている。

そんな折、朝日新聞社が先月末行った世論調査で、「大阪市長は、どちらがふさわしいか?」との質問に対して、「橋下氏は40%、平松氏は32%」という結果が出た。まさかこんなに市民の両者に対する見方が近接しているとは、予想外だった。

たしかにこの結果では、橋下氏の方が優勢であることは事実だ。しかし、この回答結果が市民の本意であれば、今後の選挙情勢におおきな変化をもたらしてくるという見方が急速に広がり出している。

橋下氏の「知事としての支持率」は、どこのメディアの調査でも65〜67%を維持しており、その支持率を背景に知事が市長選に打って出れば、平松市長に圧勝する可能性は高いとの観測が、これまで両陣営の間では支配的だった。

ところが、市長の座を射止める両者への市民の見方が「僅差状態」である結果が出たことで、これからの戦い方によっては両者互角になってもおかしくはないと見直し論が表面化してきたのだ。

この世論調査で更に注目されたのは、<「知事が任期途中で辞めて市長選に出ることに、反対が56%で、賛成が29%」だったことだ。また市長選の「最大の争点は橋下知事が掲げる大阪都構想か」に対して、「ほかに課題がある52%、都構想は29%」>だった。

つまり、知事としての高支持率とは異なり、市長を目指す橋下氏の「都構想」などに違和感を持つ市民がかなりいることが明らかになったことは驚くことで、今後橋下氏は市長選に臨む諸活動と公約を見直さざるを得ないことに迫られてくることになる。

たしかに橋下氏は、「行政の改革者」としては、全国の知事の中でも目立つほどの華々しい行政改革に挑んでおり、このことが知事としての高支持率に繋がってきたことはまちがいない。

しかし、「行政改革」は、そう簡単にやれるものではない。

大阪市から昨年の6月に85億円かけて購入した咲洲府庁舎(大阪市住之江区、旧wtc)への本庁舎全面移転を、耐震専門家の猛反対を受けて断念に追い込まれたことは、市民に失策と判断されたのは事実だった。知事自身も、「僕自身、読みが甘かった」と苦渋の発言をしている。

気になることはまだある。知事の「維新の会」が「教育基本条例案」と「職員基本条例案」を9月の府議会と、大阪・堺両市議会に議員提案することにしていることだ。まず「職員基本条例案」は、組織の改廃で生じた余剰人員の免職を可能とすることを掲げている。

また両条例案とも、処分基準を定め、同一の職務命令に3回違反した職員は、免職すると規定している。

これに対し、「維新の会」と対決する自民、公明、民主各会派は、これら2条例案は、職員の「首切り」を目的としたもので、「独裁者の行為」に等しいとして、断固阻止したいとしている。

さらに驚かされたのは、知事を支える「大阪維新の会」の顧問に就任した慶応大学総合政策学部の上山信一教授が、「維新の会」と共同して「大阪市営地下鉄の民営化を積極的に助言していきたい」と、知事が未だ公表していない「大阪市シフト構想」を発言したことだ。

大阪市が年月と財源、技術を掛けて整備網羅してきた巨大インフラ・市営地下鉄を関西の私鉄に売却し、府の財政赤字を消去したいという構想を述べたのだが、この発言が知事の指示を受けて代行発言したのか、それとも自主発言だったのかは分からない。

しかし分からなくても、知事の右腕と称される上山顧問が公然と言い放った以上、知事意向を無視して、自由奔放な発言をしたとは思えず、衝撃の波紋が広がっている。

このほか同じ大阪市巨大インフラのうち、大阪市の大阪港周辺の港湾インフラも、大阪府が咲洲庁舎を将来「都構想」の拠点にした時点では、上記と同様に民間に売却する計画の検討が進められているという説も流れてきている。

余談になるが、市政に貢献してきた70歳以上に交付している市営交通機関の「敬老無料パス」を廃止し、財政運営の健全化に繋げたいという構想や、基本路線以外を走らせて、とりわけ高齢者等の市民の足の利便を図っている大阪市の「赤バス」も、「赤字経営を打破」するため、廃止するという説も広がっている。

高齢者市民からは、噂話とはいえ、早くも強い反発が起きだしている。

結局、裏返していえば、大阪市が長年を懸けて築いてきた都市の巨大財産や市民の利便性まで放棄して仕舞う新市長は「ふさわしくないい」という判断が市民の間で生じ、優勢が確実視されていた橋下知事と平松市長との優劣の格差を「僅差」にさせたのではないか。

このため、橋下氏を担ぐ「維新の会」では緊張感が高まっている。一方平松市長を支援する各会派の間では、知事の「都構想」実現の批判と、府咲洲庁舎への全面移転の撤回に絡む税金のムダ遣いを徹底的に追及し、橋下氏の市長就任を阻もうという空気が一段と強まってきている。

とはいえ、平松氏の選挙戦に臨む行動はほとんど目立っていない。出馬宣言が遅くなればそれだけ選挙戦への取り組みが手薄になるだけに、今後の平松氏の動静が市長選挙の勝負の鍵になりそうだ。(了)      2011.09.04

2011年09月02日

◆医師への「お礼」には

向市 眞知


〜「先生への御礼はどうしたらよいでしょうか」という相談をうけて〜

以前ある病院から転勤された医師が、「次の病院では麻酔科と手術室の力量のぐあいで、思うように手術ができない」とこぼしておられました。

医療は医師一人の力で完成しているものではありません。レントゲン、CTやMRIなどを鮮明に写し出す技師、それを読影する放射線科医、血液透析や人工心肺の機械、手術中のさまざまな機器の管理をする臨床工学士、術中術後までかかわる麻酔科医。これらは患者に見えないところでのスタッフです。

目に見えるところでは、患者の日々のお世話や診療の介助をおこなう看護師、機能回復のためのリハビリ訓練士、回復に向けて食事形態の工夫をおこなう栄養師、歯科衛生師や言語訓練士による口腔ケアや嚥下訓練など、様々なスタッフの能力が発揮されています。
 
こんな風に考えますと、1人の患者にかかわっているスタッフが何と多いことかと驚いてしまいます。

まさに「チーム医療」です。医師1人の力で退院にこぎつけることはできません。ですから、感謝の気持ちを医師一人にするのでは私は片手落ちだと考えています。

「先生への御礼はすべきでしょうか?」という質問に来られる患者さんに対して私は次のように答えました。

「感謝の気持ち、御礼の気持ちがおありになるのなら、ぜひお願いしたいことがあります。コマーシャルをしてください。とても良い治療をうけ、安心して入院できたと、ご近所に紹介して下さい」。
 
気を使った“密かな御礼”よりも、あそこの病院スタッフは良かったよと大いにPRしていただくことの方が、とっても有難い「御礼」だと思います」と。

                        ソーシャルワーカー

2011年08月30日

◆乳がんの治療

小川 佳成


乳癌の治療法は、病状や進行度、あなたの全身状態を考慮して決まります。治療には主として、手術、放射線治療、抗癌剤(抗ホルモン剤を含む)治療があります。

病状の進んでいる方には抗癌剤治療が優先されますが、通常は手術を行い、その後再発予防のための抗癌剤治療を行います。

【手術】
手術には主として、1.乳房切除、2.乳房温存手術があります。腫瘍の大きさや広がり具合などにより術式を選びます。当大阪市立総合医療センターでは、半数以上の方が乳房温存療法を受けられています。
 
乳癌の手術では転移の有無に関わらず、癌の根治・予防のためにわきの下のリンパ節を全部取り除くこと(リンパ節郭清といいます)が標準的に行われてきましたが、リンパ節郭清をすると術後に腕がむくみやすい等の症状が残ります。

そこでわきの下のリンパ節転移がないと予測される方を対象に術後の症状を軽減するために、センチネルリンパ節生検という方法を用いた、腋窩(わきの下)リンパ節郭清を省略する術式が行われるようになりつつあります。当センターでは6割の方がこの術式を受けられています。

【放射線治療】
乳房温存手術を行った場合には、残った乳腺での再発を抑えるために乳房に対する放射線治療を術後に行っています。治療期間は5〜6週間でこの治療により乳腺内での再発は2〜3%以下に抑えることができると考えられています。

【抗癌剤治療】
切除した癌の性格を詳しく調べて、術後の抗癌剤治療の必要性とその内容を決めます。これらの治療で再発の3〜4割を抑えることができるとされます。抗癌剤治療は充分な副作用対策をして外来にて行っています。

【乳房再建】
乳房切除後の乳房再建は形成外科にて行っています。当センターでは、術後1〜2年を過ぎ、治療が一段落してからの再建をお勧めしています。

乳癌の治療は5〜10年ごとに大きく進歩しています。当センターでは、“あなたがより良く生活していくために治療があるのだ”という想いのもとに、各分野の専門医が協力し合い乳癌の治療に当たっています。  
<大阪市立総合医療センター 外科・医師>
               

2011年08月27日

◆木津川だより  下津道周辺の散策C

白井繁夫

今から1300年前に藤原京から奈良盆地の北端の地へ遷都して、平城宮が造営されました。この平城京建設には宮殿を始めとして、各役所や寺院等の建造物用に数百万枚の瓦が必要であったと思われます。(現在の大極殿に葺いた瓦は約十万枚必要でした)。

その時に活躍した瓦窯の一つが音如ヶ谷瓦窯跡(おんじょがたにがようせき 地図Z:2番)です。今回は平城宮跡に通じる歌姫街道を散策しながら、途中にある上記瓦窯跡を訪ねます。

前回の散策で訪れた一里塚(一本松 地図Z:1番)から、田んぼの真ん中をはしる歌姫街道に沿って南南西約500mほど行くと、比較的新しい住宅街に入っていきます。音如ヶ谷瓦窯跡は、この住宅街の公園の中にあります。

地図Z: http://chizuz.com/map/map96061.html

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・写真左:音如ヶ谷瓦窯の1号、2号窯の原寸大のレプリカを展示している建物
・写真右:相楽台交差点から現在の歌姫街道の北の方(一本松側)を望む
◆音如ヶ谷瓦窯跡は、(木津川市相楽台七丁目 音淨ヶ谷公園内)です。

大和(奈良)と山城(京都)の境、奈良山丘陵の東側斜面で昭和28年(1958)農業用水路改修工事中に瓦窯一基が発見されました。

その後、平城ニュータウン建設計画等があり、予備調査として付近一帯に数百のテストピットが掘られ、1979年から本格的な発掘調査がなされました。

その結果、4基の瓦窯と数棟の掘立柱建物を発掘。ところが1号、2号窯はともにロストル式平窯で保存状態は良いのですが、3号、4号窯はほとんど原形を留めていませんでした。

そこで1号、2号窯は原寸大のレプリカを造り、元の瓦窯は4基とも埋め戻しました。

出土品は奈良時代の瓦窯に伴う瓦、土器類が大半です。付近一帯の瓦窯(奈良山瓦窯跡)から、音如ヶ谷瓦窯は法華寺阿弥陀浄土院の瓦窯ですが、梅谷瓦窯:興福寺、歌姫瓦窯:平城宮、市坂瓦窯:平城京等、供給先が平城京内に限定され、さらに操業期間も奈良時代に限定された、官営の一大工業地帯でした。

そこでは、瓦作りの技術者を全国から集め、農民を労働者として集中的に大量生産が出来る体制を確立しました。

その後、数百年間続く瓦作りの技術がこの地で生まれました。当時としては最先端技術を駆使したハイテク工場地帯だったのです。

平城京が短期間で造営出来たのは、この一大ハイテク工場地帯と木津川を利用する泉津からの木材等の運搬ルート(官道)との相乗効果であったと思われます。

この音如ヶ谷瓦窯を含む付近一帯の瓦窯跡は奈良山瓦窯跡(ならやまがようせき)として(平成22年)国の史跡に指定されました。

では、音如ヶ谷瓦窯跡から歌姫街道へ戻り、この街道についてもお話ししましよう。

歌姫街道(うたひめかいどう)(現在の道:京都府道、奈良県道751号木津平城線:木津川市川久保交点から奈良市佐紀町交点)

元明天皇が平城宮の建設にあたり、この街道を大和の下ツ道の北への延長の官道と認めて整備したため、泉津からの物資や人々の往来が活発になりました。

整備される前の道は、壬申の乱で(672年)近江朝廷軍(大友皇子の軍)が飛鳥(大海人皇子)との戦いの時、大和へ入るのに通ったと云われている古道でもあります。

また、桓武天皇が平城京から平安京へ遷都した後も、京の公家達は藤原氏の氏寺(興福寺)や春日大社(藤原氏の守護神)がある大和へ歌姫街道や奈良街道を利用して、頻繁に往来したと云われています。

次回、もう少しこの街道の伝承や、峠にある添御縣坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)、そして松林宮の八上池(はじかみいけ)で、聖武天皇を想像しながら大極殿に至る下津道の散策を締めくくり、その後の話題は、中津道に移ります。
参考文献:「平城宮。京の造営と奈良山瓦窯跡」 奈文研 清野孝之

2011年08月20日

◆咲洲庁舎移転 断念の本音?!

早川 昭三


大阪府の橋本知事は、この秋に行われる府・市長W選挙で、有権者の信を問いたいと明言していた「大阪府咲洲庁舎への全面移転」((旧WTC、大阪市住之江区)を、急に断念した。

橋下知事は2008年8月、現庁舎(大阪市中央区)の老朽化に伴い、大阪市から85億円で購入した58階建ての旧WTC(大阪市住之江区)へ府庁舎の全面移転をすることを表明。

府議会は2度、移転条例案を否決したが、ビルの購入は認めた。「大阪都構想」を掲げる橋下知事はその後も、将来の都庁にしたいと全面移転に意欲を見せていた。

このため、この9月府議会に同「移転条例案」を提案する予定だったのだ。

ところが、3月11日の東日本大震災で、この咲洲庁舎は、震度3だったのに、10分間揺れが継続し、壁など計360カ所が損傷、最上階付近の振幅は約2・7メートルに達し、一部のエレベーターも停止するなどの被害が出た。

このため知事は、「全面移転」を実現させるため府議会へ提案する移転条例案には、専門家から同高層建物の耐震安全性に関する検証の保証を得ることが不可欠だとして、震災直後から専門家会議を開き、専門家からの意見を求めてきた。

ところが18日、専門家との意見交換会で、名古屋大の福和伸夫教授(建築学)から「咲洲庁舎」は、地盤と建物の揺れが共振して増幅される「最悪の組み合わせ」と耐震性の問題を厳しく指摘、酷評された。<読売新聞>

しかも同教授から「倒壊の可能性も検討すべきだ」とまで言われたことで、今回の「全面移転の断念」を知事に決断させる理由のひとつになった。

「全面移転はないと思います。移転条例も出しません。専門家会議は有意義だった。自分の思いで突っ走らずに良かった」と、橋下知事は、記者会見で述べている。<産経新聞>

だとすれば、府・市長のW選挙で公約の旗印に掲げる「大阪都構想」の核の一つ「大阪府咲洲庁舎全面移転」が消えたことになり、橋下知事の「都構想」実現に向けた行動は一体どうなるのだろうか。

つまり橋下知事は、大阪市長選挙に鞍替えして出馬し、自ら市長の座を確保し、同志の知事候補者と連携して「大阪都構想」を実現する意向を固めている。

それだけにこの「移転断念」は、出馬する市長選挙にどのような影響を与えるのか注目されることになるのだ。

大阪市議の一人は「府庁舎の全面移転構想は明らかな失策。これほどの失敗をしてしまえば、大阪市長選へのくら替え出馬に向けた意欲も少しは薄らぐかもしれない」と、橋下知事を牽制している。<産経新聞>

だが、橋下知事の「移転断念」の本音は、それだけではなさそうだ。

つまり専門家の意見と知事の意向とが全くかけ離れて仕舞い、合意の見通しが不可能になった以上、知事は専門家の意見に対抗してまで、従来の「移転構想」を強行していくのは、得策ではないと判断したと思われる。

専門家の意見を受け入れずに、耐震の安全性に不安が残る大阪府咲洲庁舎への全面移転に突き進めば、出馬する市長選挙で有権者に疑念を残しかねない。

更には大阪W選挙に動員する、知事党首の地域政党「大阪維新の会」内部にも混乱を招きかねないと判断したためだとも思われる。

ただ、今回の決断で明らかになっていない点がある。

というのは、府議会・知事部局を除いて、既に新庁舎へ移転を完了している「複数部局」の取り扱いをどうするのか。「倒壊の可能性も検討すべき」と指摘された専門家の意見をとり入れて、今の知事部局の「本庁」に戻すのか。

それとも、既移転部局はそのままにしておき、計画中の耐震工事を100億円投入し「別庁」として継続させるのか。建物自体と職員たちの安全性にも重大な関わりあるだけに問題を抱えている。

恐らく、全面移転断念で空き室となるスペースは、民間に賃貸するという案が浮上してくることが考えられる。

橋下知事は、今回は従順に「断念」に応じてW選挙に臨み、勝利した場合「都構想実現」のために、府庁の「移転問題」の本格解決に取り組もうというのが、この裏にある本音ではないだろうか。(了)
2011.08.19

◆本稿は、8月20日(土)刊全国版メルマガ「頂門の一針」2355号に
掲載されました。下記目次の著名寄稿者の卓見をご拝読ください。

◆<2355号 目次>
・戦争美化という風評、と、英霊への敬意:西村眞悟
・中南海の権力闘争の舞台裏では:宮崎正弘
・野田氏は今こそ気概見せよ:阿比留瑠比
・咲洲庁舎移転 断念の本音?!:早川 昭三
・共産国を自滅さす「ノルマ」:渡部亮次郎

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2011年08月09日

◆大阪市長選 頂上対決激化

早川 昭三

11月27日投開票の大阪市長選に、橋下徹大阪府知事が出馬する意向を固めたことで、9月上旬に出馬予定の平松邦夫市長との頂上対決が事実上決まり、両陣営の激突が水面下で激しく動き出した。

橋下知事の市長選への出馬は、自ら代表を務める地域政党「大阪維新の会」の幹部とこの4日に開いた選挙対策の会合で、橋下知事以外の市長選候補は検討されず、事実上市長選へのくら替え出馬が固まった。

平松市長側も、橋下知事のこの動きに危機感を感じ、後援組織が9日、選挙対策本部を発足させて、11月27日投開票日に向けた有効且つ実効ある諸活動の進め方を協議することにしている。

こうした中、橋下知事にとって朗報があった。

7日、大阪府守口市長選の投開票が行われた結果、橋下知事の「大阪維新の会」が推薦した前市議・西端勝樹氏が、民主、自民、公明、共産、社民の市議ら支援の前市教育長・藤川博史氏に4千票余りの差で制し、初当選した。

橋下知事の「維新」の首長公認候補が当選したのは、4月の大阪・吹田市長選に続く2度目の勝利。となると、幸先のよい“前哨戦”だとして、「維新」党では有権者に好感度与えることが出来る材料が出たと自信を深めている。

これに対し、橋下知事に対抗する既成政党側は、「維新」党が春の統一選挙で府・市両議会で第1党に躍進し議会運営の主導権を握られたことや、2度の首長選挙の敗北などの「維新」党の躍動に追い込まれ、強い危機感に迫られ、対抗策に必死で取り組んでいる。

確かに、こうだと橋下知事が出馬すれば、同知事の支持率の高さと行政改革意気込みに惹かれて、勝利は間違いないだろうとの見方も出てはいる。

しかし財界や学者、有権者周辺からは、橋下知事が掲げると予想される「公約」を巡り早くも批判が飛び出しており、そんな選挙戦はそう簡単にはいきそうにない。

まずは大阪市住之江区の咲洲庁舎への移転問題だ。同庁舎は、大阪港に面して建てられた55階の超高層ビル。

<大阪府庁舎の震災時の安全性などを検証する専門家会議の座長・河田恵昭(関西大教授)は、府側が検討した咲洲庁舎の防災の考え方については、「現実に即していない」と厳しく批判している。

また、橋下知事が被災状況に応じて本庁舎(同市中央区)と咲洲庁舎で拠点を選ぶ体制を打ち出していることについて「財政状況が厳しい中、現実的ではない」と切り捨てた。> (大阪日日新聞)

河田座長は会議終了後、報道陣に「(防災拠点の複数化が)知事の政治的なパフォーマンスでは困る。地に足をつけた政策を展開してほしい」と注文付けている。(読売新聞)

これの移転案は、専門家会議では纏まりそうになく、最終的には「公約」に掲げて府民に問うことになるだろうが、東北大震災直後だけに府民の納得が得られるかどうか分からない。

事実同震災の時、府咲洲庁舎は大きく揺れ、エレベーター1基は4時間程停止し、壁などには亀裂が生じて職員らに危機感を感じさせている。

次の問題は、橋下氏の右腕であり、「維新」の顧問である慶応大学総合政策学部の上山信一教授が述べた、驚くべき発言の内容だ。

<取材に「大阪市営地下鉄の民営化や区長公選制について、維新市議団などにより積極的に助言し、発信していきたい」>と述べ、「大阪市シフト」の姿勢を鮮明に打ち出した。>と言及したことだ。(産経新聞)

たしかに「大阪市営地下鉄の民営化」については、密かに噂はあったが、これを上山信一教授が顧問就任と同時に公式に明らかにしたことにより、現実化の構想だと初めて表面化したことになった。

ということは、橋下知事も市長に就任したら、やはり「御堂筋線など市営地下鉄各路線」を関西の私鉄各社に売却する構想を密かに抱いていたことを暗に示唆したことになる。「市営地下鉄インフラ」の破格価値と黒字経営の実績を持つ市営地下鉄を売却することに、、果たして大阪市民は納得するだろうか。

まだ、懸案がある。「維新」陣営では行政に纏わる「赤字事業」は、ことごとく民間移行か、廃止に踏み切るといっている。

そうなると、市政運営に貢献した高齢者に発行している市バス・市営地下鉄の「敬老無料パス」も廃止される可能性は高い。また路線外を走る好評の「赤バス」も、即座に廃止の憂き目に遭うことは間違いない。

となれば、「大阪都構想」を掲げて頂上決戦に挑む「公約」の中にこうしたことが含まれれば、府下の他市首長選挙の有権者の受け止め方とは、全く違うことは当然であり、これは橋下知事にとり大きなハードルになりそうだ

「構想」を支持する人が、知事の決断を「英断」とたたえる一方、権力の集中を懸念する反対派からは「独裁」という批判も上がっているのも事実。

動き出した水面下の市長選の激動から眼が離せそうにない。(了)2011.8.7


2011年08月04日

◆リハビリって、再び生きること

向市 眞知

「リハビリ」という用語は訳さなくてもよいくらい、いまでは日本の常用語になりました。しかし、この用語は、とても「くせもの」です。皆がこの用語の前向きなところにごまかされ、便利に安易に使ってしまいます。

医師は最後の医療としてリハビリにのぞみをつなげる言い方をします。家族は家にもどるためにはリハビリを頑張ってほしいと期待をかけます。患者もリハビリを頑張れば元どおりになれると思います。リハビリとは「再び生きる」という用語と聞きました。この概念で考えるととても幅広い概念です。

病院にはリハビリテーション科があり、そのスタッフには理学療法士、作業療法士、言語聴覚訓練士という、国家資格をもった専門技師がそろっています。身体機能回復訓練に携わるスタッフです。

医師が「リハビリ」という用語を使う場合には、このようなリハビリテーション科のスタッフによる訓練を指すだけではなく、「再び生きる」心構えを持ちましょうという意味を含んでいる場合が多いのです。

しかし、患者、家族のほうはリハビリは療法士がするものと思い込んでいるケースが多いように思います。よく言われるのに「リハビリが少ない」、「リハビリをしてもらえない」というクレームがあります。療法士がするものだけがリハビリなら、診療報酬上、点数がとれるのは一日20分から180分です。

「リハビリを受けさせたいから入院させてほしい」とよく言われますが、一日の何分の1かの時間のリハビリだけで「再び生きる」道のりを前に進むことはむずかしいものです。あとの時間をベッドに寝ているだけでは何の意味もありません。「リハビリのために入院している」というだけの安心感の意味しかありません。

いくら日本一の理学療法士の訓練をうけたといっても、患者本人が「リハビリをする(再び生きる)」心構えになっていなければ、空振りに終わってしまいます。マヒした身体に対して、拘縮してしまわないように理学療法士が外から力を加え訓練をすることはできます。でも、訓練が終わって身体を動かさなければ“もとのもくあみ”です。

しかし、言語訓練はそうはいきません。本人が声を出そう、話そうとしなければ訓練になりません。「絶対話すものか!」と口をつぐんでいる患者に訓練は意味をなしません。まずは声を出してみよう、話してみようという気持ちになるように心理的にリラックスしてもらうことから訓練を始められると聞きました。

このことからわかるように、リハビリは本人次第なのです。そしてやはりリハビリも療法士と患者様の協同作業です。療法士の訓練の20分が終われば、患者自らがもう一度リハビリのメニューをくりかえしてやってみることや、家族が面会時間に療法士に家族ができるリハビリを教えてもらい、リハビリの協力をしてみるなど、何倍にもふくらませていくことがリハビリの道のりなのです。

療法士まかせにしないこと、繰り返しやっていくこと、退院しても療法士がいなくてもリハビリ、再び生きる道のりは続いていること、それを実行するのは自分であることを忘れないでいてほしいと願っています。

2006年4月の診療報酬改定で更にこの認識が重要になってきています。療法士による機能回復訓練が継続してうけられる回数の上限が疾病により90日〜180日と定められました。これ以上の日数の訓練を続けても保険点数がつかないことになりました。医療機関は保険がきかなくなればリハビリを打ち切らざるをえません。

患者も10割自費で料金を支払ってまでリハビリを続けることはできないでしょう。リハビリは入院の中でしかできないものではなく、退院しても自宅でもリハビリを続けていく意気込みが大切です。
                  (ソーシャルワーカー)

2011年07月29日

◆木津川だより 下津道周辺の散策B

白井繁夫

相楽(さがなか)神社から南へ約1km、大和(奈良市)と山城(木津川市)の国境(相楽小字堂の浦)あたり、歌姫(うたひめ)街道沿いに一本松と呼ばれている一里塚があります。(地図番号 3番)
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地図Zサイト: http://chizuz.com/map/map94212.html

四国の田舎育ちの私は、この一本松の塚を八十八ヶ所の遍路道の村境や山の峠等にある祠やお地蔵さんと同類の、どこにもある街道を旅する人々の道標・休憩所と思っていました。

ところが、この塚のお地蔵さんに手を合わす古老の話を聞き、考えが180度変わったのです。

「ここの塚には昭和43年頃まで樹齢400〜500年位の「巨大な松」があり、その木の松葉は一般の二葉の松葉でなくて、一葉であり、夜泣きする幼児にこの松葉を煎じて飲ませば、夜泣きに効くと云われ、夜泣留(よなきどめ)地蔵さんとして信仰されてきた」とのことでした。

この話で、私は二つの点に驚きました。五葉の松はよく見ますが、一葉の松も(変種?)あったのかと。もう一つは、一里塚の私の認識が、間違っていたので学び直しました。

「一里塚は徳川家康が秀忠に命じて(慶長9年:1604)、江戸の日本橋を起点として東海道、北陸道等主要な街道に塚を作ったのが始まりと思っていました」。

<★織田信長は四十町を一里として主要な街道に一里塚を作り旅人の里程の目安、休憩所などの利便を計ろうとしたが、豊臣秀吉のとき、三十六町を一里とし、現在の一里(約4km)となった>。

「一里塚」には、松の木のみならず根が深く張り塚を守る榎の木がよく植えられていますが、こんなエピソードを聞きました。

「塚には何の木を植えるか家来が信長にお伺いした時、『余の木を植えよ』と聞こえたとかで、(よ)→(え)の木→榎の木、世にある木から松の木が植えられた。」と云われています。

<★信長よりさらに古い記述:『箕輪軍記』 永禄六年:1563年の偏長尾景虎、信玄、北条氏等の戦記文のなかの一つ、長野業政が箕輪城で病の床に伏した時の話『我死せば一里塚同じにつきこめ、塔婆をも立つべからず。』と、その後、彼の死を隠して信玄と戦うが、敵に悟られたと云われている>。

さて本題の一本松(一里塚)に話題を戻しましょう。

木津には、かって「一里塚」が三つありました。@伊勢.伊賀街道の『梅谷』、A奈良街道の『市坂』、B歌姫街道の『相楽』。(現在残っているのはBの相楽の一本松の塚だけです)。

江戸時代前期の貝原益軒の紀行文『和州巡覧記』元禄五年:1692年の偏「山城、大和の境に大きな松の木がある所、南に溝があり、そこが境界として古来より記されているが、筆者(益軒)はこれを一里塚ではないかと思う」とあり、前述の一葉の松が、この時すでに巨木であったことを意味しています。

時代を遡り、建武三年(1336年)南朝の三忠臣の一人、赤松則村(円心)の居城(笠置城)が落ち、その家来、藤井備前守が五人の家来を連れて相楽の一本松へ来たと云われていますが、この時の一本松は年代から推測すると、さすがにこの一葉の松ではないと思います

また、さらに遡りますが、記紀の物語「垂仁天皇の条」の中に、歌姫街道が古山陰道に繋がり相楽(さがなか)や乙訓(おとくに)の地名説となった説話があり、ここに出てくる懸木(さがりき)が、「相楽の一本松」のことではないかという人もいました。しかし、ここの一本松を指すのは無理だと思いました。

『日本書紀』垂仁天皇15年の条―
「丹波(たには)の五女(いつたりのをみな)を喚(め)して掖庭(えきてい)に納(い)れたまふ。第一を日葉酢媛(ひばすひめ:皇后)、第二を渟葉田瓊入姫(ぬばたにいりひめ:妃)、第三を真砥野姫(まとのひめ:妃)と曰ひ、(四女と共に)五女の竹野姫(たかのひめ)も形姿醜きに因りて本土(もとつくに)に返したまふ」。

『彼女は恥じて、葛野で自ら輿より堕ちて死る。 堕国(おちくに)→弟国(おとくに)
『古事記』  
(垂仁天皇、丹波の四王女を召す)
美知能宇斯(みちのうし)の王(おおきみ)の女等(むすめたち)、四王女の内、長女は皇后、次女は妃、他の二人は返される。

四女の円野比売命(まとのひめのみこと)は恥じて山代の国相楽(さがらか)に来た時、樹の枝に取り懸(さが)り、死のうとした。懸木(さがりき)→相楽(さがなか)

「歌姫街道」から古都奈良の道路原標を訪ねた時に、「木津の一里塚」の話題がでました。

この奈良の道路原標は、八世紀の東西に走る佐保路(木津からの奈良街道筋)、東大寺の西側、国宝の転害門(てがいもん)より南の西大門路のところに、一里塚と書いた自然石が巨大な榎の傍らにあります。

江戸時代の古書『奈良坊目拙解:享保20(1735)年』より、「南京より諸道にいたるこの塚をもって定式とする。今に絶えることなし」とありました。

しかし、そこに偶々いた古都奈良の歴史検定目指して勉強している人が、(江戸時代以前より、この塚が諸国へ通じる古道の起点で、木津には「最初の一里塚」がある)と聞き、私もつい嬉しくなって、話が弾みました。

次回は歌姫街道をたどって、平城京造営の為、奈良山丘陵一帯に造られた国の史跡瓦窯の一つ音如ヶ谷(おんじょがたに)瓦窯跡(地図番号4番)をめざします。

2011年07月23日

◆混迷深める大阪市長選挙

早川 昭三

いよいよ激戦が予想される大阪市長選挙の日程が決まった。平松邦夫市長の任期満了に伴う大阪市長選挙は、告示が11月13日、投票は11月27日で、即日開票となった。

今回の選挙は、再選の意向を事実上固めている平松市長に対して、党首として「大阪維新の会」を率いる橋下徹大阪府知事が知事を辞職し、知事・市長のダブル選挙に持ち込む構図になっており、大阪にとって過去に無い異例の「政治決戦」となる。

焦点は、「大阪都構想の実現」を目指す橋下知事と、「市民のためになるというデータや議論もない都構想は話しにならない」と反発を崩さない平松市長との対決だ。

平松市長の狙いは、ダブル選に候補者擁立を目指す「維新勢力」と対決するため、「完全無所属」で臨めば、その姿勢が、結果的に「橋下維新勢力」に反発している市民をはじめ、民主、自民、公明の府・市議団や支援団体を抱き込める筈との思いがある。

一方、大阪府の橋下知事は、春の統一選挙で大躍進した「維新の会」を母体に、ダブル選挙にも勝利することを狙っている。知事が代表を務める「大阪維新」が、市長・知事の両選挙の候補者を擁立する方針は今も変えていない。

こう記述すると、両陣営は恰もガブリ四つの横綱相撲激突に見えるが、ここにきて両陣営の間に、思わぬ混迷の要素が浮かび上がってきた。

平松市長の任期は、12月18日だが、告示日を11月13日に大幅に繰り上がったことは、その裏に何かが潜んでいる感じがしないでもない。

つまり、橋下知事が市長選告示日に合わせてダブル選挙に乗り込むとなると、公職選挙法などの規定により、10月上旬から中旬には「辞職」しなければならならない。

となるとその時期は、9月府議会の終盤と微妙に重複し、知事提案の諸議案をめぐり、維新会派と対立する他会派が審議拒否を行うことも予想され、そうなると府議会審議は宙に浮いて仕舞う場合もある。知事総仕上げの議案が可決されないとなれば、知事は府民から一斉批判を受け、高い支持率が急落することも避けられなくなる。

加えて知事の直面しているもう一つ課題は、ダブル選挙で共に闘う「同朋候補者」が、未だ決まらないでいることだ。知事のことだからこの苦境は何としてでも凌ぐだろうが、大阪の首長に似合わない「相棒」が出馬するとなれば、勝負は見えてくる。

一方、平松市長にも大きな壁がある。「維新の会」の対抗馬に挑むには、「反維新勢力」結集のスローガンを基に「無所属」で闘い始める事自体、この3ヶ月半の間の短い期間に市民の支援を得るには短すぎることは否定できない。

しかも民主、自民、公明の市議会各会派や支援団体に対して、会談を繰り返しながら支援を求めていくのも、3ヶ月半の時間で足りないとの指摘も飛んでいる。

序でながら、橋下知事が本庁舎として移転させるとしている、咲洲(さきしま)庁舎(大阪市住之江区、旧WTC)が、東北大震災の余波を受けて建物に被害が出たことから専門家らから猛反発をうけており、知事としてはこれも越えなければ府民の賛同は難しい問題だ。このクリアーは簡単には行きそうに無い。

いずれにしても、3ヶ月半後に迫ったダブル選挙には、この選挙期日が決まってから、スムースには行かない混迷の深い課題として急速に浮かび上がってきた(了)

2011年07月16日

◆いまからはじめる俳句入門 (後編)

朝妻 力(雲の峰主宰・蕪村顕彰俳句大学講師)
 
 <基本をひとつひとつ>

これから、「三つの力」へと移ります。

B表現する力
三番目は、季節感を生かし、定型で表現するという力です。実は、初心の皆さんに共通した課題に、切れや句形を理解していないということがあります。
 
俳句の文体を決めるのは切れです。切れと言いますと何か特別な存在のように思えますが、実は句読点の句点( 。)にほかなりません。前項で紹介した〈いくたびも雪の深さを尋ねけり〉に句点を打つと

いくたびも雪の深さを尋ねけり。

となります。

いくたび・雪・深さは助詞「も・の・を」によってつながっています。「尋ね」は「尋ぬ」の連用形ですので、助動詞「けり」につながります。結果的にこの「けり」によって終止します。

文章ですと「けり。」と表現される、この終止形が切れです。つまり、切れとは句点と同じということです。この作品は句点が一つですので一句一章の俳句と呼ばれます。

参考までに書くと、
・句点が一つで一つの俳句 一句一章
・句点が二つで一つの俳句 二句一章
・句点が三つで一つの俳句 三段切れ・三句一章

となります。切れと句形、句形と句意の関係について、詳細は省きますが、ここでは、切るべき所は切る。つなぐべき所はつなぐ、と覚えていただけたらと思います。俳句は日本語の文であるということを大前提に表現します。

C推敲する力
俳句は読者があってこそ成立します。その読者の評価を最も生々しく感じることのできるのが句会です。初心者だから……ということで句会への参加を迷う人もいますが、句会は学習の場。上手下手は考えずに参加し、学習の材料として、作品を投句しましょう。

ここで、投句する前に作品を見直す、つまり推敲するということに触れておきます。初心のうちは、多かれ少なかれ、感動したこと全てを言おうとする傾向があります。つまり原因と結果、全てを報告してしまうのです。例えば、

つり橋で足すくむなり冬紅葉

という作品があったとします。吊橋で足がすくむという状態を全て言ってしまいました。読者は余りにも分かりすぎて、面白くもなんともありません。これを

下は見ぬやうに吊橋冬紅葉

としたらどうでしょう。読者は「こわごわと渡っているのだな」と思います。読み手が心を動かす、これがいわゆる余韻余情の正体です。全てを言わず、感動を生んでくれた情景に焦点を絞るという観点から推敲し、句会に臨みましょう。

D選句する力
句会に参加しますと、漢字が読めない、読めても意味が分からないなどという句がたくさん出てきます。

実は作句は、自分一人の力量でできます。しかし選をするとなりますと、例えば三十人の句会であれば他の二十九人の知っている季語・語彙・言葉遣い・語法・歴史などを理解できないと良い選はできません。

選句力を高めるためにお奨めしたいのは、指導者が入選としたのに、自分は入選としなかった作品について徹底的に復習するということです。句会の間に電子辞書を引きます。

できなかった分は帰宅してから調べましょう。選句を見ればその人の実力が分かるといいますが、選句する力とは、その人の総合力、言い換えればその人の俳句力であると言えます。ここでは、

分からなかったことはその日のうちに調べるということがポイントとなります。

俳句を学ぶということは、季語・語彙・言葉遣い・語法・歴史などを同時進行で学ぶということです。それだけに難しい。難しいけれども、学ぶこと、知ることは俳句力を確実に向上させてくれます。(完)
              (月刊「角川俳句」平成23年5月号より転載)

2011年07月15日

◆いまからはじめる俳句入門 (前編)

朝妻 力(雲の峰主宰・蕪村顕彰俳句大学講師)

<基本をひとつひとつ>
始めに
俳句を学ぶということを改めて考えてみますと、

@自然や生活を見つめる        見る力
A作品のテーマ、新鮮な詩情を発見する 発見する力
B季節感を生かし、定型で表現する   表現する力
C詩情に焦点を合わせて推敲する    推敲する力
D他の作品を選びつつ、俳句力を高める 選句する力

というようなことになりましょう。ここではこれら五つの力について、私の経験を中心に述べます。

@見る力
俳句を始めた多くの人は「今までと物の見方が変わった」とか、「今までは見ているようで、何も見ていなかった」などと感想を漏らします。私の師である皆川盤水は俳歴数十年のベテランに対しても「対象をしっかり見なさい」と指導していました。俳句の基本は物を見るということにほかなりません。

流れ行く大根の葉の早さかな     高浜 虚子
摩天楼より新緑がパセリほど     鷹羽 狩行

対象をしっかりと見た作品を二句挙げました。流れゆく……は清冽な流れであること、上流で大根を洗っていることなど、表現した以上のことを思わせてくれます。摩天楼……は新緑がパセリほどに小さく見えたという驚きが伝わってきます。表現した言葉以上のことを思わせてくれます。これを余韻余情と言いますが、これついては後ほど触れます。

さて、実作に当たって第一の力は見る力を養い、それを表現してみるということ。そのために、見たものを何でも五七五で表現してみるということを実行してみてください。

それでも、作品を句会に出してみると、報告調! 季語の説明! 類想あり! などと酷評されるのも現実です。が、めげずに頑張りましょう。見えたものを五七五にするという作業は、見る力、表現する力を確実に向上させてくれます。

A発見する力
初心であっても、時として「これはいい感覚です」などと褒められることがあります。例外なく対象をしっかりと見つめてできた俳句、作者独自の詩情を発見した作品です。
 
独自の詩情を見つけるには、見ること、つまり視覚だけに頼りすぎてはいけせまん。五感をフルに働かせることが大切です。
五感は視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五つの感覚をいいます。意識して五感を働かせましょう。俳句手帖の表紙裏あたりに
 目・耳・鼻・舌・肌
と書いておきます。対象に向かったら、この順に五感を働かせてください。思わぬ発見があるものです。
 
以下、五感を働かせた作品を挙げてみます。

西国の畦曼珠沙華曼珠沙華      森  澄雄
ががんぼや厨じまひの水の音     皆川 盤水
短夜のあけゆく水の匂かな     久保田万太郎
そら豆はまことに青き味したり    細見 綾子
初秋の蝗つかめば柔かき       芥川龍之介

それぞれの作者独自の感動が見えてきます。ここでは五感を意識的に働かせることを心がけます。

五感をフルに働かせるのと同時に考えたいのが、感慨をどう詠むかという問題です。

いくたびも雪の深さを尋ねけり    正岡 子規
底紅の咲く隣にもまなむすめ     後藤 夜半

〈いくたびも〉は、寝たきりの子規の作品。どれくらい雪が積もったのか、家人に幾度も聞いている情景です。〈底紅〉の作品からは、作者自身にも〈まなむすめ〉がいると分かります。感慨深い作品。これらには五感の次にくる感覚(意識・第六感)が働いています。第六感だけで勝負しようとする人もいますが、これは間違い。五感を磨くことによって、第六感も磨かれるのです。
(以下後編へ)
              (月刊「角川俳句」平成23年5月号より転載)