2010年09月20日

◆「認知症」には「散歩」が効果

向市 眞知

以前、住友病院神経内科の宇高不可思先生の「認知症」の講演を聴きに行きました。その時、「こんな症状があったら要注意!」という話から始まり、次の11の質問がありました。

1、同じことを何度も言ったり聞いたりする
2、ものの名前が出てこない
3、置き忘れやしまい忘れが目立つ
4、時間、日付、場所の感覚が不確かになった
5、病院からもらった薬の管理ができなくなった
6、以前はあった関心や興味が失われた
7、水道の蛇口やガス栓の閉め忘れが目立つ
8、財布を盗まれたといって騒ぐ
9、複雑なテレビドラマの内容が理解できない
10、計算のまちがいが多くなった
11、ささいなことで怒りっぽくなった

「これらがいくつかあったり、半年以上続いている時は専門病院へ行きましょう」といわれました。

私自身、同じことを言ったり、物の名前が出てこなかったり、置き忘れやささいな事で怒りっぽくなったなあ、と思い当たるフシがいくつもありました。専門診療の対象といわれてしまうと本当にショックです。

認知症というと周りの人に迷惑をかけてしまう問題行動がクローズアップしてその印象が強いのですが、新しいことが覚えられない記憶障害もそうです。また、やる気がおこらない意欲の低下もそうですし、ものごとを考える思考力や判断する力、そして手順よくし処理する実行力の低下も認知症の症状です。

認知症高齢者のかた自身の不安は、時間や場所がわからなくなったり、体験そのものを忘れていく中で暮らしているのですから、自分以外の外界のすべてが不安要因になってしまうのです。

ご本人は真剣に外界を理解しようとしているのですが、家族は「ボケ」「痴呆」ということばの印象から「認知症だからわからないだろう、理解できないだろう」と思い込んでいる例が多くみられます。
 
診察室でなんとご本人を目の前にして認知症高齢者の失態を平気でドクターに訴えたり、「母さんがボケてしまって」と、はばかりもなく言ってしまったりします。

その瞬間にご本人はその家族に対してまた不安をつのらせてしまいます。また話を向けられたドクターも、ご本人を前にしてウンウンとうなづくべきか、ほんとうは困っているのです。うなづけば家族は安心しますが、ご本人はドクターへの信頼感をなくしてしまいます。

よく「まだらボケ」とか言いますが、「正気の時もあるからやっかいだ」と表現されるご家族もあります。しかしそれは逆で、やっかいと考えるのではなく正気の部分があるのならその正気の部分を生かして日常生活を維持するようにしむけてみませんか。
 
認知症があってもくりかえし続けている一定の日常生活はできるはずです。老年期以前の過去の生活を思い出させてあげると、高齢者は自分の価値を再発見し、意欲も湧いてくるとききました。

高齢者にとって脳機能の低下だけではなく、視覚や聴覚、味覚や嗅覚などの感覚もおとろえてきていることを理解してあげてください。すべてを「認知症」の一言でかたづけてしまわないで下さい。見えやすくする、聞こえやすくするというような場面の工夫で問題行動が小さくなることもあります。
 
「認知症だからわからないだろう」と思い込むのは大まちがいです。「言ってもしかたない」と決めつけるのは悪循環です。認知症の方の感じる外界への不安を考えると、情報が遮断されると余計に不安が大きくなります。

どしどし情報を与えることが不安の軽減につながります。そのために外出しましょう。認知症には散歩の効果があります。外界の空気は聴覚、視覚、嗅覚への刺激になり、脳の活性化につながります。(再掲)
                                      医療ソーシャルワーカー

2010年09月01日

◆軟弱日本、斜陽の時代へ

平井修一

小生は昭和26年生まれだからポスト団塊世代ではあるものの、子供がうじゃうじゃいる環境に育った。

なにしろ子供だらけである。1クラス50人で10クラスもあり、教室はあふれるばかりにぎっしりだった。小中学校35人学級を来年度から段階実施するそうだが、50人クラスでも今の子供たちより知力、体力は上だったろうから、小人数教室は先生の負担軽減にはいいだろうが、知力、体力とは別物だろう。

すさまじい詰め込み教育だったような気がするが、それでよかったと思っている。考えるのが面倒くさかったので小生は暗記した。英語は教科書丸々1冊暗記した。

競争も激しかった。学年の上位50人の成績表を張り出して競争心を煽った。それがやる気になった。今の子供たちは詰め込みも競争もないから軟弱だろう。勉強ができないのは教えるほうが悪いなどと親ともども思っているのではないか。この親にしてこの子あり。

休み時間になると皆校庭へ出て体を動かした。狭い教室では息苦しくてしょうがないからだ。こうして子供たちはタフになった。

校庭の隅にはトカゲがいた、蛇がいた、カエルがいたから、いたずらのタネにも困らなかったっけ。蛇で女の子を驚かすイタズラ坊主もいた。

いじめもあったろうが、多くは自分で解決した。陰湿ではなかったと思う。先生も親も子供のケンカなどには口を出さなかったのではないか、その代わりにゲンコツやビンタが飛んできた。

こうしてタフな日本人が創られ、24時間戦える企業戦士となっていった。今は残業代を出さないとカイゼン会議ももてないという、なんとも軟弱なことになってしまった。理不尽なことでもドンと受け止めたのが僕らを含めた戦後世代(昭和ヒトケタ〜20年代生まれ)あたりではなかったか。

団塊世代や小生は元気がよすぎて機動隊の手を煩わせたが、今の学生にはそんなパワーはひっくり返ってもないだろう。せいぜいロボコンとサッカーで燃えるくらいか。ああ、軟弱。

50人クラスでがんがん詰め込み教育をしたらいい。35人クラスにして先生を遊ばせることはなかろう、当時は先生も元気で、熱血漢みたいな先生は珍しくなかった。今はどうなんだろうか。

鍛えられていない子供たちは次世代を担えるのか。マンガとゲームと携帯漬けだからろくでもないだろう。軟弱日本はこのままなら確実に斜陽を迎えるに違いない。

2010年07月09日

◆NHKという3文字の信用

大谷英彦(ジャーナリスト)
知り合いの社長が語った話を思い出した。アルバイトなどで人を集める募集広告に「NHKの仕事」というヒトコトがあると応募者数は、ぐんと違うという。

現に、私自身の体験でも、私が定年を前にNHKを辞めた時「私はあなたがNHKの人だったから結婚したのに・・」と女房からなじられた。

これが「NHK3文字の信用」。今では「虚名に堕した」3文字なのだが・・。

TVや新聞の反応を見ると、名古屋場所の中継中止を是とする論調ばかりだ。でも、昨日7日の読売の夕刊は「NHKに寄せられた4割強(約500件)が『中継すべきだ』。中止に賛成は2割の約200件」に変わったと報じている。

ほれ見ろ。福地会長が前日に挙げた「中継中止を求める意見が多い」というデータは早くも根拠を失った。当たり前ではないか。世論調査をやったわけでなし。NHKにかかってきた電話などだけの比率で判断する誤りをビール会社の社長だった彼に説いても無駄だろう。

が、少なくとも往相現場をやってきた日向放送総局長ぐらいは「世論と統計」の関係は知ってるだろう?それとも「上目のひらめ」で会長様には異見は言えなかったのかな?

そもそも大衆の相撲協会への「怒り」に応じて、NHKが中継放送中止という放送史上初の処置に踏み切る。相撲協会に対し裁判官的役割をNHKが引き受ける「因果関係」があるのか。

NHKに、その役割を進んで引き受けるメリットへの思惑、つまり「夜郎自大」的思惑はなかったのか。

実況放送というものは、ありのままの姿を視聴者に伝え、ことの良し悪しの判断の素材を包み隠さず曝け出す手法である。

仮に名古屋場所の実況中継があっても、視聴者には「イヤなら見ない」という選択がある。名古屋場所問題は、NHK首脳に日本の国技の伝統、NHKが守ってきた相撲放送の伝統を断絶させるほどの権限を、我々には与えられていないという「歴史と伝統」への謙虚さがあれば、時流に迎合する愚は犯さなかったと惜しまれる。

その上、NHKには「1万人訴訟」に発展した「シリーズJAPAN」「台湾」を初めとする「大罪」がある。

そのNHKに日本相撲協会を断罪する資格があるのか、という問題提起が私の主張の根源なのだが、昨日の「頂門の一針」で述べたので繰り返さない。

実をいうと、私は今回のNHKの中継中止を密かに喜んでいる。

NHKが台湾での取材を自分たちの偏向史観に合うよう取捨選択し、日本の歴史を捏造した「大罪」は、程なく断罪される日が来る。

その時、辞意を表明しながら辞められなかった福地茂雄会長が、名古屋場所の中継中止の根拠とした「コンプライアンス」をNHKに適用し、如何なる処断に追い込まれるか、今から楽しみにしている。

NHKを正す会:HP
http://nhk-tadasukai.iza.ne.jp/blog/

2010年07月07日

◆NHKに相撲協会断罪の資格があるか

大谷英彦(ジャーナリスト)

NHKは11日から始まる名古屋場所の中継をやらないと発表した。この発表はマスコミ各社に「午後5時半に福地茂雄会長が記者会見する」と会長以下理事を含め4名の名前で予告され、その顔ぶれから「中継はするようだ」と放送し観測を誤った民放もあった。

これまで今のNHK幹部の思考性癖を見てきた私には、そもそも日向放送総局長が最初に「名古屋場所は『中継中止も視野』に検討する」と記者会見で述べた時から「おや、いつものNHKと違うな」と違和感を覚えた。続いて日向総局長は、これが福地会長の「指示」であることを明言した。

台湾の歴史捏造に始まる「シリーズJAPAN」問題で、時には「ぬらりくらり」時には「ずうずうしいし嘘」を述べてきた彼が珍しく「視野に入れて」と踏み込んだ表現をした理由が、福地会長の意向にそったものと明らかになった。

彼の発言を「ずうずうしい嘘」と呼ぶ理由は、浜崎憲一PDが番組放送後も4回台湾に出張している理由を問われ「NHKは放送後も相手を訪ねる のは当たり前」と嘯いた会見発言がNHKホームページに掲載されている。浜崎PDは「息子が学校でいじめられている」「右翼暴力団に狙われている」などと、嘘のでっち上げで同情を引き証拠隠滅工作をしたことは台湾から証言が寄せられている。

日向氏は福地会長の指示を公開することで、間違ってもわが身は安全、その保身に加え、会長へのゴマすり効果もという計算が、彼の珍しい「明快会見」になったと観測する。

福地会長は、中継中止を決めた記者会見で、NHKに寄せられた意見の6割は「中止せよ」だったと述べた。

たまたま寄せられた意見が中止というだけの話だ。当然「中継せよ」という意見もある。中止せよという意見は、NHKに「裁判官的役割」を求めている層と「あんな相撲は見たくない」という2層に分類できると見る。
見たくない層は、中継があっても見なければよい。中継止めさせる理由にはならない。
NHKが相撲中継をしないことで日本相撲協会の改革に、どうな効果があるのだろう。

そもそもNHKに相撲協会を断罪できる資格はあるのか、と問いたい。

福地会長は何ゆえか任期1年余を前に辞意を表明し、アサヒビールの相談役になる予定だったのが、民主党の代表交代の政局急変で後任会長が決まらず、いわば家出を図ったお父さんが脱出失敗、「出戻り」的に床の間に座っている形だ。

その会長が急に「職務に目覚めた」ような図式に私は違和感を感じる。何か下心があるのではないか。

心を入れ替え本来の「職務に目覚めた」のなら「シリーズJAPAN」第1回「台湾」の番組を、もう1回見直し日本唯一の放送局の会長として勉強しなおしてもらいたい。

福地会長は「私は3回見たが問題ない」と語っている。私と同年の昭和9年生まれの福地会長が、戦後教育で吹き込まれた川崎憲一的自虐史観に同調、擁護するのは滑稽だ。

NHKは日本で唯一の公共放送だ。受信料という特権は、正しい放送をするという義務に裏打ちされた特権なのだ。

NHKと共通性の多い相撲協会に「教えをたれる」前に「わがふり」を直す方が先ではないか。

今月9日には「台湾番組」の捏造を訴えた「1万人訴訟」の第3回公判が東京地裁で開かれる。毎回の公判にはNHK広報のグループが傍聴席を埋めているが、番組を制作した面々も、その放送責任者たちの顔も見たことがない。

自分たちが作った番組に愛情・自信を持つ放送人は、批判をじかに聞き徹底的に反論する。己に誤まりあれば謝罪し訂正する。ジャーナリストの常識だ。

福地会長は「出戻り会長」ではない「意欲を示したい」と思うなら、他所のことより先ず自分のとこの姿勢を正すほうが先ではないか。

9日の東京地裁でNHKを告発する原告の主張に耳を傾けることから始めてはいかがかな。

NHKを正す会
http://nhk-tadasukai.iza.ne.jp/blog/

2010年05月23日

◆自民の公約・こりゃ駄目だ

山堂コラム319

参院選に向けての自民党の「公約の原案(5月14日づけ)」なるものを見た。10項目からなる公約のうち、1番が「憲法改正」。2番が「法人税20%台にする」だで。

項目は重要な順に掲げているのだろうから、つまり大事な順にこの2つということになる。が、アチャー!これじゃ駄目だ。国民・有権者みな逃げる。

民主党の方だって、もともと効き目の怪しい「二股膏薬」。所謂マニフェストなのだけど、それに劣ること百万遍。誰がつくったか知らないが(本当は知ってるが)、この自民案には大多数の有権者、見向きもしねえ屁もこけねえ―――

なぜ駄目なのか。まず1番の「憲法改正」。

これ自民党が結党以来掲げてきた党是。今更公約に掲げるまでもない。言わずもがなの飾り物。第一、日本では政治家も一般国民も、いまや「憲法」では、誰もメシなど食っていけねえのだ(裁判官・学者以外)、これ常識。

かつて旧社会党は「護憲」で食っていた。しかしその護憲の方も実は飾りで、本当は組合費や北朝鮮やパチンコで食っていた。だから憲法はそのまま残っても、北朝鮮やパチンコ屋が手を引いたら社会党は雲散霧消。僅かにオミズや辻元が残滓で食っている。民主党政権に寄生して世の中惑わしながらだが・・・

衆議員で圧倒的多数を擁しても、あっという間に瓦解した安倍晋三自民党内閣。「戦後レジームからの脱却」や「美しい日本」の美辞麗句。並べ立てたが、引っ繰り返せばこれは「自主憲法制定」の別の言い方。夫婦別姓、ギョエテとゲーテ・・・55年前の保守合同の頃にタイムスリップは古色蒼然、因循姑息のカビ臭さ。晋三内閣も参院選は惨敗だった。

「改憲」とは、つまり旧社会党の「護憲」の裏返し。そもそも改憲も護憲も「理念」であって政策でなし。決していまの民主党マニの対立軸にはならんのだニャロメ。かくして今度も晋三参院選の二の舞よ。

2番目の「法人税20%台」―――
表題は「日本の未来を切り拓く成長戦略」だで。何とも立派な文言(もんごん)なれば、オラには何言ってるのかさっぱり分からんがの。

多分企業献金期待の財界べったりゴマ摺り膏薬。外資系CEOにまで媚(こび)売っての金持ち優遇税制。そんなのを「公約」に掲げるほど、遂に自民党も尾羽打ち枯らす貧乏政党になったがや。

もうこの国では、金持ちはマジョリティでは決してない。ヒルズや音羽御殿や、オザワ土建など、金持ち族は一握りしか棲息せず。多額の法人税払っている奴バラは、○○ゴールドマンに○○ファンド。怪しげな三国人・外来種のハゲタカばかり。

戦後の繁栄を支えてきた中間層消滅し、大多数の国民・有権者はニート・派遣・契約・首切り・ホームレス。働きたくても職場は「天下り官僚」占拠して、役人OBだけが税金の甘い汁・・・そーんな国になってるで、法人税の減額?そんなの誰も見向きもしない、投票に行くのさえ厭になる。

もし本気で「日本の未来切り拓く」―――などと立派なゴタク(御託)並べたくば、溜まりに溜めた赤字国債。これをさっさと清算し、チャンやチョンにバカにされない経済力。

子孫にツケ残さない国家資本。終身雇用・年功序列の中間層復権の安定社会。それらを再び実現し、世界に誇る「富国」「強兵」―――そんな日本国築(きづ)くのだと、なぜに言えぬか平河町。

落ち目の三度笠に成り果てて、脱党に次ぐ脱党で、政治資金は底をつき、ルンペン政党寸前に、なりねば右傾化・ネオコンの視野狭窄・教条主義。

最盛期だったころの自民党。右翼・左翼もいたけれど、それらもこれらも抱きかかえ、幅は広いし懐深し。威風堂々の「国民大政党」。融通無碍の柔軟性。その歌忘れたカナリヤの、忘れた歌を思い出し、もっとまともな公約で、参院選に臨まねば、政党政治ご臨終。(了)

2010年04月18日

◆アイスランドの火山噴火の写真

寄稿

産経新聞にも出ていましたが、これは大判高画質↓
http://www.abc.net.au/reslib/201004/r549683_3245689.jpg
まるで絵画のような一幅、感心してはいけませんが・・・。

これはFlickrにあったもの、こちらもおすすめ↓
funka.jpg



日本で言えば、民主党政権で国家破綻後に富士山噴火ってなものでしょうか?

国家破綻をする前に国民が選挙で民主党にNOを爆発させましょう。

唸声

■4月18日刊全国版メルマガ「頂門の一針」1887号のご紹介
<目次>
・内閣支持、続落23・7% 時事:古澤 襄
・観光地どこもかしこも中・韓人:山堂コラム 314
・裏にはAIDS撲滅キャンペーン:宮崎正弘
・郷愁を誘う「がめ煮」:毛馬一三
・今では大好物が洋食:渡部亮次郎

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
■購読(無料)申し込み御希望の方は
 下記のホームページで手続きして下さい。
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

2010年04月15日

◆NHKに財界人は畑違い

大谷 英彦

NHKの現会長、福地茂雄さんは「つくづく商売人だな」と思う。商売のコツが身にしみついた人という意味だ。

産経新聞が先日、3回にわたって福地会長とのインタビューを掲載した。その中で、福地会長は「就任以来、全NHK局をまわり現場職員と対話した。いつも対話の最前列には営業担当の職員が並んで熱心に話しを聞いてくれた」と「自慢げ」に語っていた。

私は思わず「ビールの売り込みじゃないぞ」と叫びたくなった。

この人にはNHKの危機がどこにあるかわかっていない。

NHKは「会長は部内から」というのが、時の情勢にかかわらず伝統の悲願である。

「商売人」だから、それを知っているのか、福地会長は「後任に会長はNHK部内から」ともらし、その気になっている阿呆たちをぬか喜びさせている。

NHKの直面する病根は「シリーズJAPAN」が露呈した「捏造」「偏向」番組を放送し、「捏造・偏向」を指摘されても、テンとして恥じず、牽強付会の答弁で自己を正当化する精神の腐敗にある。

営業担当職員の努力は日常的に欠かせないが、もっと目覚めなければいけないのは、報道、制作担当部門だ。

私は、何時ごろからNHKに接するようになったのか?ラジオ時代の「話の泉」テレビになって「ジェスチャー」とか記憶に残る。

昭和35年、縁あってNHKに採用され放送記者になった。定年前に退職したが、在職27年間の記憶と体験をふりかえってもNHKの放送に「毒」は混入されてなかった、と思う。

それが台湾からも日本国内からも1万人を優に超える訴訟が進行中の「シリーズJAPAN」はもとより、例えば「坂の上の雲」など、まだ少数だが、いくつかの番組に「毒」が混入されるようになった。

正岡子規が特派員でシナに行く。陸軍軍人のシナ人への差別、虐待を目撃。森鴎外の遭遇。原作にない「自虐」を態々加えるNHKの「毒」。

「原作にもないものを何故」という抗議に「原作にはないが大山巌の報告書にはドウノコウノ」と屁理屈を並べるNHKのこの精神。「毒」と「厚顔無恥」は現幹部の共通項だ。それに染まらない人物は幹部に登用されていない。

「テーミス」は今月号の「早耳情報」でNHK次期会長に伊藤忠商事・相談役の丹羽宇一郎の名をあげている。

NHKは平仄を合わせての前工作なのか「仕事学のすすめ」という4回シリーズで丹羽宇一郎氏を取上げ進行中だ。

私は、丹羽さんの人物、思想、識見に、何の異論もない。
「シリーズJAPAN」の3回目「通商国家の挫折」を寺島実郎氏ひとりが舞台回しをやった番組をみて、はなはだ違和感を感じ、例えば丹羽宇一郎氏が加わっていたら、一方的な自虐番組にはならなかったと思うと書いたくらいだから、丹羽会長説を支持する。

だが、今回はダメだ。
今のNHKの「捏造・偏向・無反省」を治療するには経済人、財界人は畑違いである。

要はNHKの精神のあり方の問題だから、言論界、ジャーナリズムの世界に人を求めるべきである。

渡部亮次郎氏の説を全面的に支持し、尻馬に乗る次第である。

2010年04月06日

◆現地音カタカナ表記は勘辨してくれ

上西 俊雄

<古澤さんと毛馬さんの記事に觸發されて書いたものです。>

[はじめに]

現地音カタカナ表記について考へてみたい。長くなるので適宜見出しを立てた。なほ表記は引用の際も好みに從ふ。

最近のものから例を擧げると「頂門の一針」1871 號 (4.4) の古澤襄氏の記事「韓國メデイアに踊る金正日訪中説」には次のやうな人名が出てくる。

金正日(キム・ジョンイル)總書記
金永南(キム・ヨンナム)最高人民會議常任委員長
金桂寛(キム・ゲグァン)外務次官
金正雲(キム・ジョンウン)

これらに漢字がなかったらどうだらう。ジョンウンは漢字が當ててなかったので「金正日」と「後繼者」の二つを鍵に檢索して得た表記。最初は新字體で檢索して得るところがなかったので鍵を正字に變換して得た結果である。

古澤氏がこれを當てられなかったことからすると、正雲ではない可能性があるのかもしれない。

實は、昨日(4 月 3 日)の早朝、ラヂオを附けてゐたらキンシジュンといふ人のインタビューがあった。韓國の詩人とのこと。聞き手が名前を現地音で言ふので解りにくいことおびただしい。聞き手がフッカンドンといふとキンシジュンさんがキタカントウと日本式に言ひ直してくれる、さういふところだけが音としてわかる。要するに漢字語を外國の字音でいふのが無理なのだ。

抗日運動に殉じた朝鮮の詩人ヨンドンジュとその從兄弟ソンモンギュといふのも後で調べて、さう言ったはずと思ふだけで、ソンモンギュだったかソンギュムンだったか寢ぼけながらもメモをとらうと用意したときにはもう記憶が定かでない。

後で調べてみると金時鐘、尹東柱、宋夢奎だから日本式の字音ならキンジショウ、イントウチュ、ソウムケイとなるところだ(イントウチュはイントウチュウと讀む人もあるかも知れない)。もちろん字音だけでは駄目だから昔だったら漢字を説明しただらうと思ふ。何故さうしないのだらう。

後で調べるにもカタカナだけでは何もでてきはしない。結局、韓國の詩人の一覽から選んで金時鐘を知ったのだった。

[何が問題か]

昨日の日經夕刊に高校生に裁判員裁判の判決文を採點させたとの記事があった。

法教育の一環として、京都の高校生が裁判員裁判の判決文を採點し たところ、「一度聞いただけでは頭に入ってこない」などと嚴しい 判決が言ひ渡された。平易になったと考へてゐた司法關係者からは 「市民感覺とのずれに氣づかされた」と反省の辯も聞かれた。

二月に京都教育大附屬高校(京都市伏見區)であった法教育の公開 授業。

(中略)

「一度聞いただけではすっと頭に入ってこない」「同人と同日とい ふ言葉は耳で聞くと混亂する」などの意見が出た。

授業を擔當した國語科の札埜和男教諭は「判決文は格調の高さはあるが、高い讀解力が必要。裁判員裁判が始る前に比べ改善されたとしても、市民にとってのわかりやすさにはほど遠い」と指摘。授業 に參加した福岡高裁の森野俊彦裁判官は「相當分かりやすくなって きたと思ってゐたので(生徒らの)判決はショック」と苦笑ひした。

高校生が解らうが解るまいが關係ないだらうと思ふが、もし判る必要のあるものなら高校生が努力して解るやうにならなければならない。判決文の方を變へろといふのは逆立ちであり教育の放棄だ。

しかし、外國の字音を持込むのは問題の性質が違ふ。市民にとって判りやすくするのでなく判りにくくするといふことだからいふのではない。アメリカ人に對して Jesus をイェススと發音しろと注文するやうな理不盡な理不盡なことなのだ。

以前、明木茂夫『オタク的中國學入門』のカタカナ現地音表記批判を紹介したことがある。第 1178 號(08.5.7))「缺損五十音圖の復元を(六)」參照

http://www.melma.com/backnumber_108241_4086976/

その明木さんから中京大學『國際教養學部論叢』の拔刷『地圖帳の怪』(4) が屆いた。同封の小册子『オタク的翻譯論 -- 日本漫畫の中國語譯に見る翻譯の面白さ』卷六の序文が判りやすい。

實はこの卷六は、夏休みの内に書き上げる豫定だった。ところがこのところ他の仕事に追はれてすっかりおそくなってしまった。で、何をやってゐたかと言ふと、「地圖帳論」だったのである。

學校の社會科の教科書や地圖帳の中國地名が、中國語發音に基づい たカタカナで表記されてゐることに皆さんお氣づきだらうか。「チョンチン」だの「チョンチョウ」だの「チョンツー」だの「チンチョウ」だの、もうカタカナばかりなのである。

これでは、我々中國語の教師でもどこのことだか分からない。語學 的な誤りも多い。さらに「ワンリー長城」だの「ター運河」だのといふ獨特の書き方は、間拔け以外の何物でもない。

入試や採用試驗など、いろいろな試驗でもカタカナで出題されるや うになってゐるやうだし、最近の中學生は漢字なしのカタカナのみで覚えさせられてゐるらしい。うわ、こんなの覺えろってのか…。

で、誰がこんなことをはじめたのだらうと、文部省關係の文獻をいろいろ調べてゐたら、どうもこのカタカナ現地音表記を作った人たちが、當初からかなり變なことを言ってゐるのが分かってきた。

中國の地名に限らず、「地名表記の手引き」關係の文獻にはをかしなことがたくさん書いてある。例へば、「原語が『Ye』となってゐたら一律『エ』と書く」といふ原則を決めておいて、「だから『イェルサレム』ではなく『エルサレム』と書く」と言ふ。なるほど、それはよしとしよ
う。

ところがその後、「よって『イェロー』は今後『エロー』と書く」と堂々とおっしゃってゐるのである。は?エローって…。そればかりか「ゆゑに『Yemen』は『エメン』と書くことになるが、慣用として熟してゐるので『イエメン』と書くことにする」などとひとり相撲まで演じてゐるのである。

他にも、「『紅海』は『レッド海』ではなく慣用により『紅海』とする」とも述べてゐる。おいおい、誰が「レッド海」にしようなんて言ってるんだよ。それから「『Jo』は『ジョ』だが、『ジョルダン』ではなく慣用により『ヨルダン』にする」ともおっしゃる。あの〜、「ジョ」とい
ふのは英語式の讀みなのでは?「ヨルダン」を「ヨルダン」と書くのにそんな理屈は要らないと思ふぞ。

私の本來の專門は中國古典なのだが、このところ副次的なテーマとして、「漫畫翻譯論」と「地圖帳論」とを竝行してやってゐる。漫畫の翻譯論はやってゐてとても樂しい。

ところが地圖帳の方は、社會的な影響の大きさを考へるととても笑ってゐられない。ツッコミどころ滿載の地圖帳關聯文獻を精讀してゐると、殘念ながら、地圖帳のカタカナ表記を作った人たちの中には、本稿で採り上げてゐる漫畫の翻譯家たちの知的レベルには遠く及ばない人たちが交じってゐたと感じずにはゐられない。

もし地圖帳のカタカナ問題にご興味がおありならば、拙稿「地圖帳の怪一〜四」(中京大學『國際教養學部論叢』及び『文化科學研究』所收)をご覽いただければさいはひである。

戰後の國語行政がこんな結果になってゐることは恐らく文部當局も御存知ないのではあるまいか。國聯地名會議やその專門家會議 (UnitedNations Group of Experts on Geographical Names = UNGEGN) に出席するのは國土地理院や外務省國際協力局專門機關課の人たちであって、文部科學省は我不關焉らしい。

[關聯する問題]

「頂門の一針」1869 號 (4.2) の毛馬一三氏の記事によれば、四條畷の戰で有名な四條畷市では傳統的な地名を繼承すべきだと一貫して「條」の字を使ってきたが、警察や府立高校、國道の道路標識、そしてJR驛などでは新字體であったので、大阪府に要請し、市條例を制定。その結果、それまで新字體を使ってきた警察署、保健所、國道標識、公立高校など民間も含め公的機關のほとんどが、「條」に改めたといふから大したものだ。

JR片町線の驛名だけは新字體だといふが、JR全體としてみても三鷹や鹿兒島など表外字を使はざるを得ない以上、字體は正字體で通すしかないと覺悟すべきだらう。電子化時代を見通せば、檢索の效率からしてその方が有利なのだ。

昨日讀んだ金谷武洋『主語を抹殺した男││評傳三上章』に戰後の國語施策をめぐる福田恆存と金田一京助の論爭に觸れたところがあった。

結果としては福田が正しかった、と金田一は讓歩し、自分たちの非を認めた。敗北を認め、相手を勝者と褒め稱へることは何ら恥ではない。誤りと知りつつそれを認めない虚榮心が恥なのだ。舊制浦和 高校時代の同級生であった福田との論爭を振り返って、父子二代の敗北を認め「參ったと頭を下げざるを得ない」と書いた金田一春彦 は君子であった。

誤りと知ったのなら、なぜ傳統的表記に復さなかったのか、また、なぜ傳統的表記に復すように文部省を説得しなかったのだらうか。著者金谷氏はモントリオール大學東アジア研究所日本語科科長。

森有正『日本語教科書』(昭和 47 年、大修館)で、外國人には舊假名の方が教へ易いと讀んだ覺えがあるが、萩野貞樹『舊かなづかひで書く日本語』(平成 19 年、幻冬舍新書)ではギリシャ美術史の澤柳大五郎氏から聞いたこととして外國人は歴史的假名遣ひの方がはるかによくわかるといふ話が出てくる。金谷氏の本が傳統的表記になることを期待したい。

■4月6日刊全国版メルマガ「頂門の一針」1873号の
<目次>
・「軍事同盟」で退陣した内閣:渡部亮次郎
・鳩山内閣支持率が急落33%…読売:古澤 襄
・田中角栄とオールドパー:岩見隆夫
・現地音カタカナ表記は勘辨してくれ:上西俊雄
・仕事も休みも相手は高齢:門 佳之
・2千冊の本を読む幼稚園児たち:伊勢雅臣

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2010年03月23日

◆前原誠司の許せない「傲慢」

大谷 英彦

鳩山邦夫が自民党を離党し、新党結成をめざし「坂本竜馬の役」を果たしたいと語った。

この発言に対し前原誠司が「私は坂本竜馬が大好きなので、きわめて不快感をもっている」と公式記者会見で語った。前原の「不快感」という用語に、多分記者たちからだろう笑い声も聞こえた。

3月21日のTBSテレビ・サンデーモーニングは「前原国交相は不快感をあらわにしました」とコメントしていた。ほかの局も同様の姿勢ではなかろうか。

前原の発言を笑って聞き流した記者たちも、前原の発言を「おかしい」と感じないTBSも狂っていないか。

坂本竜馬を誰が好きになろうと自由勝手と考えるのがフツーの日本人の常識でしょう。俺が好きな坂本竜馬を鳩山邦夫が好きなのは不愉快、許せないという前原の思考回路はフツーじゃない。自己中心、傲慢である。つまり傲慢人間として小沢一郎と同類だ。

京都大学で浪人時代から心酔していた高坂正堯門下で学んだと聞いていたので「正道」を往く政治家と期待感を持っていたが、最初は八ッ場ダムの「非人情」今度は「不快感発言」で自己中心思考の傲慢人間、つまり政治家になってはいけない人種であることをさらけ出した。

八ッ場ダムの「非人情」、つまり長年の建設反対運動の末、先祖の墓を移し住居や旅館も移転して新生活を始めようとしていた人たちの生活を「コンクリートから人へ」という一片の空虚なスローガンで奪う権利が前原にあるのか。(敬称略)


2010年03月22日

◆トヨタ一穴主義の終わり

平井修一

永年トヨタの車(マーク2)を使ってきたが、息子の代になって今はホンダである。全然、走りが違う。トヨタは伯母さん、ホンダはやんちゃ坊主の走り。それくらいの違いがある。ホンダのレスポンスのよさはすごい。ピューッと恐いくらいに加速する。

コンセプトが違うのだろう。ご婦人と娼婦ほどの違いがある。トヨタは静かである、一方でホンダは泣く、わめく、かむ、ひっかっく、しゃぶる。

ホンダはほとんどスポーツカーである。ジャジャウマ。乗り心地はご婦人の比ではない。


トヨタしか知らないのは人生の「残念」である。一穴主義だ。それも立派な人生だが、ジャジャウマに乗ってみることもひとつの冒険である、と、小生は悪魔のささやきをささやくのである。「CARちゃんだけが乗り物ではあるまいに」。

ジャガーもコルベットもランボルギーニもフェラーリも「乗ってみたいなあ」と思うのが健康な男子である。フェアレディに一度はまたがってみたいなあと思わなくて、なんで日本男児だろう。

トヨタは世界一の自動車メーカーだという。下請けなど取引先はすべてトヨタ車を利用すべきだと思っても、それを普通なら強制はしない。一時期のトヨタは暗にそれを強制していた。他社ユーザーを差別していた。

「俺はビッグだ、俺に間違いはない、黙って俺について来い」。こんな「覇者の驕り」がプリウスなどをめぐる米国でのスキャンダルもどきを招いたのではないか。「ヒヤリハット」に初期の段階で真摯に対応していれば大量リコールにはならなかったのではないか。

細かいところまで目が届かないという大企業病にかかると「慢心」「放漫」「驕り」からやがてはJALのように倒産する。小生のような永年のトヨタユーザーが一穴主義を捨て始めている。新規客をウェルカムするのは当たり前だが、他社に乗り換えた客にインタビューすれば、大事なことが見えてくるのではないか。

ブランドで食ってきた百貨店が凋落している。時代を先読みして自らが変わらなければ老舗も日本も生き残れないだろう。

2010年03月15日

◆「言論の自由」のはき違え

大谷 英彦

のっけから喧嘩を売るつもりだから名指をしする。明治学院大副学長・川上和久(政治心理学)とは何者なのか?

今朝3月13日の読売新聞でこう述べている。

「総務省は放送局を管轄する立場にあり、内容を問い合わせるメールは報道への圧力ととられかねない。」

その記事によると事の次第はこうだ。

今年2月、東京清瀬市の女子中学生が自殺した。原口総務相がいつもながらのツィッターで「自殺をセンセーショナルに扱わない」よう求めるWHOの手引きのことを「つぶやいた」。

これを読んだ総務省情報流通行政局(なんとモノモノしい役人語)地上放送課の課長補佐が在京民放5社に、遺書の映像を放映したのかとか遺族の承諾があったのかなどを問い合わせるメールを送った。

課長補佐は送信後、上司に報告したら「番組内容のへの踏み込み過ぎ」などと言われ、4日後に問い合わせメールを撤回した。

「ツィッター」に反応した課長補佐は「職責に忠実」だったのか?原口大臣への「ゴマすり」だったのか?それを咎めた上司の「事なかれ」官僚体質。

同様体質のNHKに20有余年暮らした私には「すらすらわかる」人間模様だ。

原口総務相は読売の取材に対し「知らない」と答えたと書いている。これは、もっと笑える話だ。参院予算委に遅刻するほど「はまっている」この人のツイッター、送ってしまえば「あとは知らない」夢遊病患者の「つぶやき」らしい。

脇道にそれた。本論に戻ろう。

読売新聞自体、「総務省が放送局に個別の報道内容の詳細を照会するのは異例」と書いているように、この記事の趣旨は「報道への介入」つまり「言論の自由」の主張なのだ、と私は読んだ。

でも私が信じる「言論の自由」は違う。言論を弾圧、圧殺させてはならない「自由」の保障なのだと私は理解している。

NHKの「女性国際戦犯法廷」の放送に安倍晋三氏や中川昭一氏が介入したという朝日新聞の「意図的誤報」を振り返って、安倍氏はチャンネル桜の番組で、選挙区の支持者からでさえ「言論の自由」を犯すと非難をあび苦労した、誤報、捏造と知りつつも報道批判になんとなく腰が引ける風潮が政界にはある、と語っていた。

前記の読売の談話で川上和久副学長は「原口氏は閣僚という立場がある。ツイッターへの書き込みであっても、部下の官僚がそれを考慮した行動をとる可能性を考えるべきだ」と「政治心理学」にでも基づくのか思慮深いご教訓までたれている。

戦後民主主義の狂信亡者は多い。歪曲、偏向、誤報、捏造でも「言論の自由」曲解している。そんな「自由」を守れという主義者は川上氏ひとりではない。が、その亡者全員に川上氏の談話の骨格を借用して申し上げるとこうなる。

あなた方には学者という立場がある。世の民草は「学者先生」のお言葉を盲信する可能性を考えるべきだ。

「言論の自由」という真理は、日本の放送、新聞のゆがみを野放しにする「自由」ではないと私は信じる。  (ジャーナリスト)





2010年03月14日

◆庭に来た「メジロ」

河崎 勝二

大阪城の梅の花も散りだし、楽しみの梅見物も終わった。
しかも「梅に集うメジロ」の姿を見られなくなり、季節の移ろいが
楽しみを奪ってしまった。

ところが、ふと昨年のことを思い出し、マンションベランダで植栽して
いる2つの梅の鉢植えに、ミカンを半分に切って置き、様子を伺っていた処、なんと大阪城からは姿を消した筈の「メジロ」が2羽、その鉢植えの「ミカンの蜜」にたむろっているではないか。

音を立てないようにしてデジカメをもってベランダに近寄り、2羽の写真を撮った。

昨年の体験は今年も生きていた。「メジロ」がミカンを求めて我が家の
来てくれるとは、今年も「福」を運んでくれるに違いない。

「生きもの」の来訪は、珍しいだけではない。実に嬉しいことだ。
拙撮の写真だが、ご高覧頂きたい。

CIMG0649-2.JPG    CIMG0692-1.JPG

2010年02月21日

◆宮崎正弘の国際ニュース・早読み

歴史の空洞的な空間から、忘れられた「風雅の帝」が蘇った。裏切りと乱暴・狼藉の中世を突風のように駆け抜けた男たちの虚無を描く大作

 ♪松本徹『風雅の帝 光厳』(鳥影社)
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 稀にしか味わうことの出来ない寂寥と哀切。読了ののち、一言の感想をいえば、歴史の寂しさ、絶望、生きとし生けるものの冷酷さと残酷さである。そして全編に漂う容易ならざる虚無。いやこれこそが日本人の情感なのか。

 世に『風雅和歌集』を残した教養人、歴史に翻弄され、運命に超然として和歌と禅にかけたミカド。光厳(こうごん)天皇といえば北朝一代、そして北畠親房『神皇正統記』によって固められ、後醍醐天皇の建武の中興が是とされた南朝史観により、歴史から抹殺された悲劇の帝である。

 『太平記』では後醍醐天皇と楠木正成、新田義貞らが英雄である。「太平記」は儒教的道義と秩序ならびに仏教的諦念とが交錯し、乱に死んだ人々への鎮魂歌にもなっているが、この『太平記』においても光厳天皇に関する記述は少ない。

以後、北朝五代は皇統譜から削除され、後醍醐と尊氏と正成の物語は人口に膾炙したが、この物語の主人公である光厳帝は殆ど語られることがなかった。比較的公平に書かれた『太平記』とて歴史好きの教養人いがいは誰も読まなくなった。

驚くべし、日本人の歴史意識の劣化。

 飲み屋街から流しのギターが消える遙か以前、トーキーの時代にすでに『太平記読み』(講釈師)は消えていた。辻々に立って独特の調子にのせて語られた太平記の名文の数々は昭和唱歌に活かされたのだが、あの時代は遠く彼方へ去った(たとえば「三平線の花と散れ」、「花は吉野に嵐吹く」、「軍紀を守るもののふ」等)。

 ときは中世、高師直、佐々木道誉などの婆娑羅大名が輩出し、世は騒擾につぐ騒乱に乱れ、戦乱に明け暮れ、騒然とした世情だった。だからこそ乱世の英雄がおもわぬ方面から出現する。

「持明院統と大覚寺統に分かれて皇位を争った末、武士たちがそれぞれの天皇を担いで入り乱れて戦いを繰り広げた」(本書冒頭)。

 後醍醐が約束を違えて退かず、武士と公家は二派に分かれ、大覚寺統に足利が反旗を翻がえすと、後醍醐は隠岐へ流された。やがて名和氏ら豪族の協力により隠岐から脱出に成功して京へ捲土重来するも、俄かの権力のあと、またもや吉野に逃れる。歴史の客観的事実からみれば、もう一方の主役が光厳帝である。

 ▲残った文献と歌から光厳院の足跡を追う浪漫の旅

いま京都の奥路地を分け入ったところに石碑がある。
 「持明院仙洞御所跡」。
著者の松本氏の光厳帝の事績を精密に追跡する旅は、京都のこの石碑の発見から始まる。

 「いまから七百年ほど前、正和二年(1313)七月九日に誕生したひとりの皇子が、持明院統一門の慈愛を一身に受けて育った。父は後伏見院、母は広義門院寧子で、父の弟花園院もやがて加はって、皇族としては珍しい団結に恵まれた。この皇子、景仁親王」が、本編の主人公、のち治天の君と言われた光厳天皇である。

 光厳帝は後醍醐天皇と対峙し、足利尊氏に持ち上げられ、裏切られ、つまりは武士と公家集団の右顧左眄する政治によって利用され操られ、しかし、帝は自らの強い意志をもって虚無のなかにしぶとく生きて和歌を詠まれた。

 著者は帝が育ち、もまれ、逃避行の先から、拉致同然で連れて行かれた六波羅、伊吹山、吉野と光厳院の人生の旅路を克明に追尾の旅を続ける。

そして帝の残した歌を、その土地の雰囲気と、かすかに残る遺物から、嗚呼、この土地でこの歌を詠まれたに違いない。そのときの心境はかくなるものではなかったのかと推量し、光厳の世を懐かしむ。

光厳院は賀名生という草深き山に拉致されて二年近い隠棲を余儀なくされた。
伝説の黒木御所ちかくに華蔵院という寺があったらしく、いま訪れて周囲の景色を眺めやれば、松本氏は、この場所こそが、光厳院が残して『新後拾遺和歌集』の収められた一首、

山里は明け行く鳥の声もなし 枕の峰に雲ぞわかるる

と詠まれた土地と推定される。

 光厳帝は吉野にとらわれの身から政治状況の激変によって京にもどり自由の身となられるが、朝廷への参与には一切の関心を抱かず、ひたすら禅に邁進した。鎌倉末期より日本の仏教は宋から輸入された禅を独自に発展させていた時代だった。

 光厳院の解脱の心境はかくありなんと類推する松本氏の筆は次のように進む。

「いまの自分は、言ってみれば、この世に深く穿たれた虚無の空洞そのもの、と思われたろう。全天地がーー天皇なり治天の君として統べた全天地が、時間もろともその空洞に崩れ落ち、呑み込まれてしまった。それも、壮大な劇的事件としてではなく、一身の安全を策した尊氏らの姑息な裏切りと、忘恩の徒どもの愚かな手抜かりと、自らの見通しの甘さ、長すぎた不在によって。。。

 拉致され拘束された苦しみから解き放たれ、ようやく京へ戻って来たらきたで、こういう苦しみを受けてなくてはならないのだ。そうしていまここで目にするすべてが、ひどく遠い。虚無の空洞の底から覗き見ているようなものであった。

かって花や鳥や雲や山々を眺めていると、そちら側からこちら側へと近づいてきたし、それに応じて心を動かす己が存在が立ち現れて来て、言葉が紡ぎ出された。しかし、もはやそのようなことは起こらない。『万葉集』を読み返しても、己が歌を見返しても、空洞へ石を投げこむのに等しい」
 
 松本氏は旅の最後に光厳院の御陵前に立った。
「歌を拾い拾いして、声を出して読んだ。経を読むことを知らぬわたしにできる、供養のつもりだった。そうして読んでいくと、光厳院が、間違いなく時代を超えた若々しい感性に恵まれた歌人であり、かつ、過酷すぎる時代のただ中を、自らの内向性を手放さず、誠実に生き通した恐るべき帝であったと、身にしみて思い知る」のだった。

 まさに「風雅の帝」。
七百年を閲して、枯れ葉に埋もれていた歴史の闇から蘇った。