2009年11月17日

◆還暦・古稀など満年齢との思い込みが大勢

渡邊好造

本誌「百家争鳴・8月14日号」で、還暦、古稀など日本古来の祝い事はすべて数え年だから、本年の全英オープンゴルフ準優勝者『トムワトソンが、9月に満60歳の還暦』とテレビ解説していたのは間違いだと指摘した。

くどいようだが、還暦(10干12支の組合せが60あり、61回目に元の組合せに戻ること)は数え年61歳(満60歳の誕生年)、古稀は数え年70歳(満69歳の誕生年)のそれぞれ1月1日〜12月31日が該当する。

ところが、その後テレビ番組や新聞をみていると、満年齢との思い込みが大勢をしめていて、還暦は満60歳としていることがたびたびあり、NHKのテレビ番組では満69歳のある画家について「来年のお誕生日には満70歳の古稀をお迎えになります」とアナウンサーが紹介していた。

そんな間違いについてブツブツぼやいていると、来年満70歳で現在古稀の我が女房殿曰く。

「誰でも歳はとりたくないから、還暦も古稀も遅い方がいい。私の古稀は来年。なにを杓子定規に、、。間違っていても多数意見に従うこと。"一所"懸命も今では"一生"懸命で通じるし、麻生さんの”未曾有”も、そのうちに”みぞ・い・う”と読むようになるかも、、、」と、一喝された。

そういえば、昔読んだマーケテイングの本に、「一つのエリア、グループ、限られた社会などで、ある事象や慣行が40%を超えて人々に行き渡ると、その段階で残りの60%の人は従わざるをえなくなる」との記述があったのを思いだした。

最近また見直されてきた”ランチェスターの法則”で、有名なイギリスのフレデリック・ランチェスター(1868〜1946年)が、約95年前に提唱した理論(元は戦争、工学論だが日本では30〜40年位前に経営論にアレンジして紹介された)。

「市場で勝ち抜くにはまずシェア目標を40%におく。そして、40%に達するまでに手をぬくとシェアは減り始めるが、40%を確保すると、後は普通の努力でシェアは伸ばせる」というのである。

例えば、アメリカ・ロサンゼルスで乗用車の個人普及率が40%を超えた時点で、路線バスの採算がとれなくなり廃線、タクシーもなくなりハイヤーのみとなった。

約30年前の筆者のメモによると、洋酒界では"サントリー"のシェアが75%(2位"ニッカ"20%)、ビール界では"キリン"が65%(サッポロ20%)、広告界では"電通"が40%("博報堂"15%)といった具合で、40%を超えるシェアの会社はまさになにをやってもうまくいく、寡占状態の左うちわだった。

それがいつまでも続かないのは、業界の再編、新商品(新媒体)の誕生、法律の改正などのためで、そうなるといくらシェアを誇っても天下は続かない。

暖房器具として石炭ストーブ隆盛時の"Cストーブ"社はシェア60%以上を占めていたが、新商品の電気や石油ストーブが出回ると、シェアは維持できたものの売上げは、ガクンと落ちてしまった。ともあれ、一時的にせよ10人中4人以上がこうだと言い出したら、それが例え間違っていたとしてもなにかキッカケがないと間違いは正されず、多数決となりやすい。

還暦、古稀だけでなく喜寿、傘寿、卒寿、白寿といった祝い事は、今や半数以上の人が数え年でなく満年齢として意識しているようだから、ここは筆者も四の五の言わず話を合わせておくのが無難のようである。

まあそのうち何かキッカケがあれば先祖がえりの復古調になり、数え年が甦るにちがいない。(完)
                    (評論家)


2009年11月15日

◆外交談議(おじん的―その2)

〜普天間移設(日米返還合意96年4月12日)〜

久保 成行

八ッ場ダムは選挙公約だから地元がいくら騒ごうと建設中止。地元の意向などは一切無視、前原国土交通相はニベもない。

それに引き換え沖縄問題は昔から政府の対応は腰がひけている。凄惨をきわめた沖縄激戦は、本土進攻を遅らせるための捨石であった。戦後は沖縄県発足72年5月12日まで米軍直接統治下にあった。

しかし今も米軍基地としての沖縄の苦しみは、いっこうに解決されぬまゝ続いている。現地では「県知事の声は天の声」なのだ。それが政府にとってはジレンマであり、そのうえ負い目がかさなり、何かにつけて腰がひけざるをえない。

普天間返還は反基地世論をおさえるための米側の提案だった。米軍が代替施設として要求したのは長さ45bのヘリコプター発着帯だけだった。

それが地元業者の思惑により大型公共事業に化け、大規模代替設設案となった。さらに普天間移設は海兵隊グアム移転とセットになりグアム移転協定が結ばれたのである。

移設問題で地元で対立を繰りかえさせられてきた住民の間にも「政府の責任で早く決めてもらいたい」との声があるという。地元自治体も米政府も、沖合移動の微調整で足並みを一致させつつある―(産経10.24)

八ッ場ダムでは地元無視で突っ張る鳩山政権が、このたびの選挙で民主党議員による議席独占、来年の名護市長選挙後にと、大いに地元の声を優先のように言うが、全面返還が決まって以来13年。検討し尽くされ今回の計画早期実現化は「外交の継続」にもつながる。

鳩山外交のメンツにこだわることなく、懸案は早急にかたづけるべきである。
                 <神戸「行雲」誌 主宰>
 

2009年11月11日

◆続・恐るべし、日本の胃袋!

平井修一

哺乳類のクジラ、イルカは「可哀想」だから「獲るな、食うな」とエコナチは吼えるが、マグロにも文句がつきそうである。

ウィキによれば、マグロ属8種は大きいほうからタイセイヨウクロマグロ・クロマグロ・メバチ・ミナミマグロ(インドマグロ)・キハダ・コシナガ・ビンナガ・タイセイヨウマグロ。

水産庁によると、世界のマグロ漁獲量175万トンに対し、日本に供給されているマグロは47万3000トン(2006年)。その多くを刺身・寿司等の生食で消費している他、加工品では「ツナ」もしくは「シーチキン」と呼ばれるオイル漬けの缶詰が多いそうだ。

世界のマグロの27%を人口2%の日本人が食べているのだから呆れるほどのマグロ好きだ。ただ、ミナミマグロにはご用心である。

<ミナミマグロについて、国際的な漁業管理機関「みなみまぐろ保存委員会(CCSBT)」は10月23日、現在(2009年)の1万1810トンの総漁獲枠を10〜11年の2年間で、20%減らすことを決めた。日本の漁獲枠は現行の3000トンから2400トンに減る>(河北新報10月24日)

CCSBTにはオーストラリア、韓国、台湾、インドネシア、ニュージーランドなど9カ国・地域が加盟しているが、日本は加盟国が漁獲したミナミマグロのほぼ全量を輸入しているそうで、「世界のミナミマグロのすべてを食べている」ことになる。

と言ってもミナミマグロは日本人の胃袋に入るマグロ全体の2.5%を占めるに過ぎない。


マグロの平均価格(築地)はキロ1500円ほど。ミナミマグロはキロ2400円、脂の乗りがよく、キロ3000円のクロマグロに次ぐ高級マグロで、トロとして日本市場で珍重されている。

<すし店や料亭で使われ、比較的高価だが、刺し身用として家庭でも人気がある。消費の低迷で高級なクロマグロとミナミマグロの在庫は過去最多の水準にあり、市場価格の急騰にはつながらないとみられる。

ミナミマグロはピーク時の1960年代には8万トンを超える漁獲があったが、80年以降、資源量が急減。日本をはじめとする漁業国が資源管理に取り組んでいるが、回復の兆しはみえていない>(河北新報)

どうもミナミマグロは当面食べないほうがよさそうだ。同志諸君、少々高いがクロマグロを食べてくれ。

2009年11月10日

◆外交談議(おじん的―その1)

久保 成行

“曰ク因縁故事来歴”ヤシ(香具師)のおっさんの口上だ。意は「古いばかりが能じゃない、今まで続いている理由がある。それがお客さんわかるかな」である。

鳩山対米外交のモットーは「米国とより対等な関係になる」である。しかし、何を対等にするのかくわしい説明は全然ない。戦勝国米国vs戦敗国日本の関係を引きずって、従属関係にあるという発想なのだろうか。
 
“因縁故事来歴”は、1951年9月8日サンフランシスコ平和条約と日米安保条約までさかのぼらなければならない。ご存知のように「単独講和」か「全面講和」か、もめにもめ吉田茂首相は「全面講和」は空理空論と断じ、さらに、単独か全面かは相手が決めることである。

それを待つより一刻も早く占領を終らせ国土再建に着手すべきである。国防は米国の圧倒的軍事力をアテにするが良い。その責任は俺一人でと、安保条約は吉田首相独りが調印した。

その後、日米安保か中立主義かという対立に変化し今に続いている。荒っぽく言えば日米安保=自民党、中立主義=民主党、社民党、共産党という二極構図になるのでは。

日本は軽軍備でもっぱら経済復興に邁進。それが東京オリンピック(1964年・昭和39年10月10日)、新幹線開通(オリンピック開幕直前の10月1日)大阪万博(1970年・昭和45年3月15日)にと、経済は右肩揚り、驚異的成長を遂げ「ジャパン アズ ナンバーワン」といわれる「日本の奇跡」を生み出した。360日を370日働いた。

今のようなリストラはなく終身雇用は保証され、苦しかったが働いたら働いた分はもらえる良き時代であった。

冷戦は米国の勝利に終わりソ連はロシアに変わった。宿敵同士の独仏は手を握り欧州はEU不戦同盟を誕生せしめた。

これで落ち着くかに見えた世界は民族国家の台頭、中国の強大化、核分散は既定事実となり、冷戦後は米国一極化といわれた米国もパワーにいささかカゲリがみえ、それにつれ、日本もアジア1位の大国の座を中国に追われるようになった。

栄枯盛衰は世のならい、国にもそれがある。しかし日米同盟によって日本は日本であり続けた。

シンガポール建国の父リー・クアンユ元首相は、日本の軍備は全て国産であったように、なにかつけて極限をきわめ、完璧を実現し得る「潜在能力」をもつ恐ろしい国である。日米同盟はそんな日本をおさえるフタである。と著述している。

鳩山外交は「日米対等」と叫んでいるが、米国にしてみれば全ては日本が選んだ道であって、決して米国の強制ではなかったと言いたいだろう。
<神戸「行雲」誌 主宰>

 

2009年11月05日

◆米軍兵士の自殺が急増

平井修一

米国防総省によると在欧米軍は9月25日にドイツで「自殺防止セミナー」を開催、さらに10月26日にはワシントンでペンタゴンと復員軍人援護局が共同で3日間の「精神健康管理改善ワークショップ」を開催した。

現役米軍兵士の自殺が後を絶たず、どうしたら予防し治療できるかが大きな課題になってきたためだ。

軍に報告された自殺件数は上昇し続けており、2007年が115件、2008年が140件、今年は8月24日現在で109件になっており、このペースで行けば160人を超えて記録を更新しそうである。

<現在のペースで米軍の自殺者数が増えると、最新の民間人の自殺者の割合である10万人あたり19.5人を超える・・・

米軍兵士の自殺率が民間人を超えたのは、ベトナム戦争が行われていた1960年代後半から70年代前半以来だという・・・

軍側は自殺の理由は1つの要因で説明できるものではないとしているが、ピーター・シアレリー米陸軍副参謀長は、戦地への派遣が長引いていることや作戦任務の頻度の増加が、兵士と家族らに負担を与えている点を指摘、自殺者数の増加との関係性があるとの見方を示している>(AFP)

戦場には極端な喜怒哀楽、歓喜と絶望と死があふれており、兵士は精神的なストレスをためやすくなるのだろう。PTSD(心的外傷後ストレス障害)や鬱病などにかかりやすいが、職業柄なのか、相談すること=自分の弱さがばれてしまうこと、と悩みを内部に溜め込んでしまう傾向にあるようだ。

ワークショップでゲイツ国防長官はこう挨拶した。

「病んだり怪我をした兵士の継続的な治療と最終的な社会復帰へのケアは、私が最も高いプライオリティーを置いていることです。危険を冒し、傷病に苦しんでいる兵士を救うのは国家と兵士の厳粛な協定と考えます。国は彼らに永遠の感謝を捧げる義務があります。

PTSDなどについては、目に見えない病気ということで、これまでは十分な注意が払われてきませんでしたが、精神衛生問題はとても重要です」

いわゆるゲリラ戦という非対称戦争は、敵なのか民間人なのかが分からない場面が多いから緊張するだろう。さらに路肩などに埋められる簡易爆発装置(IED)をタリバンは多用しているから緊張はなおさらに募る。8年間もの長い戦争に兵士も疲れてきたのだろう。

2009年10月30日

◆山科だより「花山」

渡邊好造

山科区"花山(かざん)"エリアには、「上花山」が6、「北花山」が12あり、ともに東山連峰に沿った斜面に位置し、山科区最西部北方、東山区と隣合せのエリアで、"東山ドライブウエイ"に沿った「稚児ケ池」を源流とする「稚児川」が中央を流れる。

”花山”エリアは、「京都大学花山天文台」が昭和4年(1929年)「北花山大峰町」に設置され広く知られることになった。

天文台のある"花山山"は標高221メートルで、"華頂山"ともいわれ、中国・仏教の聖地天台山中の一峰にあやかった名で、山頂に常に花が咲いている山をいう。天智天皇(第38代・668〜671年)の頃は”華頂”であったのが、後に"華が花"に、"頂が山"となり”花山”の地名に変ったらしい。

全国には「六所神社(ろくしょじんじゃ)」といわれる神社が数多くある。山形、埼玉、静岡、福岡など全国に分布し、ここ山科にも”上花山旭山町(あさひやまちょう)”と”北花山大峰町(おおみねちょう)”の2箇所に、千年以上の歴史を誇る「六所神社」がある。

"六所"の意味は、6つの神社を統合したというものもあるが、山科では「日吉」「八幡」の祭神を共通にして、他にそれぞれ4つの祭神が祀られている。

山科の”六所神社”は、遍昭(へんしょう)僧正が開基した「元慶寺(がんけいじ=天台宗)」の鎮守社である。「元慶寺」は、清和天皇第一皇子、のちの第57代陽成天皇誕生時の翌・貞観11年(平安時代・869年)に「華山寺」として創建し、同天皇即位後の元慶元年(同・877年)に名称変更した。

第65代花山天皇が藤原兼家らの皇位継承争いの策略にひっかかり、寛和2年(同・986年)、在位2年で退位出家させられた寺としても有名で、別名「花山寺」といわれる。

当時は”北花山寺内町(てらうちちょう)”にあったが、応仁の乱で焼失し、安永年間(江戸時代・1772〜81年)に西隣りの”北花山河原町(かわらちょう)”の現地に再建された。本尊薬師如来(遍昭作)、阿弥陀仏(慈覚大師作)、毘沙門天(運慶作)などを祀る。

遍昭は36歌仙の一人としても有名で、境内に百人一首でも知られる『天津風 雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ』の歌碑がある。「御陵駅」から南へ徒歩約20分の所にあり、筆者も道順をよく聞かれる人気の寺である。遍昭の墓は、寺から南へ約3百メートルの所。

”上花山講田町(こうだちょう)”の「福応寺(ふくおうじ)」は、さらに南へ10分、遍昭が僧を集めて講義した講堂が寺院となったもので、町名の”講田”の由来でもある。

鐘楼の梵鐘は、第2次大戦中に供出させられたが遍昭の銘があったために鋳潰されず戦後に返還された珍しいもの。江戸時代に天台宗から浄土宗に改宗している。

”北花山大峰町(おおみねちょう)”には、"酔芙蓉"の花で有名な「大乗寺(だいじょうじ=法華宗)」があり、約1千3百本の花は9月中旬〜10月中旬が見頃である。酔芙蓉は八重咲きの花で、朝の咲き始めは白、午後はピンク、夕方は紅色に変化するので、素面の顔が酔顔になる様に似ていることからこの名がついた。

寺は、「本能寺」の末寺として江戸時代中期(1700年頃)に京都七本松内野(上京区)に開基された尼寺で、昭和60年(1985年)頃に現住地へ移ったらしい。尼住職が住み山の斜面に参道を造り、"酔芙蓉"植付けの苦労が始まったのは平成4年(1992年)からで、その後新聞、週刊誌などに紹介されたこともあり参詣者が増えた。「御陵駅」から南へ徒歩約15分。

山科に生れ育ち数年前に”北花山大峰町”に移り住んだ知人曰く、『山の斜面に位置し、毎日の通勤がハイキング同様なのは仕方ないが、ショックだったのは自宅に招待した人の住所標識をみた一言。「ここも京都市なの?」だった』。

さらに、「山科は滋賀県じゃないの?」はまだいいほうで、奈良県在住の人からは「関東に山梨県てあるけど、京都の”や・ま・な・し”てどんな字書くの?」なんて聞かれたという。山科は、まだまだ未知で神秘的なエリアなのである。(完)

2009年10月25日

◆米政権「アジアの問題児は日本」

平井修一

ミスター鳩山の友愛外交はノー・ズロースだから中共はフリーハンドでアジア・太平洋へ軍隊を展開できることになる。そんなことになったら大変だ、お前正気かと米国はいらだち、ほとんど怒りまくっている。

政権が変わったといっても日米同盟は「国と国の約束」なのだ、それを反故にする気か!というわけだ。小沢・鳩山が日本を亡国へ導き、三流国家へ貶めつつあるが、多くの国民がそれを支持したのだから、何をかいわんや。

脳足りん国家はノーリターンで「覆水盆にかえらず」、米国との信頼関係を大いに毀損しつつある。戦前は日英同盟解消で亡国、戦後は日米同盟解消で再び亡国へと進むのである。

ワシントンポスト紙(10月21日)が「アメリカとの同盟とアジアでの立ち位置を再定義する日本」と題して吼えまくっている。排日・嫌日運動が起こりかねない勢いだ。以下、ハイライトを要訳する。
・・・・

日本の外交政策の新しい方向を懸念して、オバマ政権は水曜日(21日)に日本政府に対し、興隆する中国に対処するための米軍再編計画から手を引くならば深刻な結果をもたらすと警告した。

日本がアジアでの位置と米国との同盟を再定義しつつあることに対し、ロバート・ゲイツ国防長官は米政府が懸念を募らせていると強調した。

パキスタン、アフガニスタン、イラク、イラン、北朝鮮、中国からの挑戦で負担を強いられている米国政府にとって、アジアで最も密接な同盟国とのトラブルは、新しい複雑な問題をもたらす。

国務省高官は、米国にとって日本はアジアにおける「成長し安定した関係だった」と言う。「それはもはやない。アジアにおける最大の問題は今や中国ではない、それは日本だ」

問題がデリケートなため匿名を条件に当局者が言う。「新しい与党・民主党は政府運営の経験が欠如している。過去20年間の政治的、経済的漂流の末に、伝統的に交渉場面の後ろから政権運営をサポートした官僚を除いて権力を握ってしまった」

先週、鳩山民主党は、日本がアフガニスタンで米国が率いる同盟国を支援するためインド洋で実施してきた8年間の燃料補給活動から脱退すると発表した。彼らは、日本で米海兵隊ヘリコプター基地を再配置して、日本からグアムへ8000人の米国海兵隊員を動かすことに必要な260億ドルの米軍再編パッケージについて交渉を再開するとも誓ったが、10年以上の交渉を経て米国と日本は2006年に合意している(のに進展がない)。

現在、公的に日本の政治家が米政府当局に逆らっているため、日米関係の雰囲気も冷えてきた。

ゲイツ長官は東京で水曜日に米国政府の不快感を表明し、鳩山首相との会談の後、新政府に米軍再編合意の約束を守るように圧力をかけた。

「今は進むべき時だ」とゲイツ長官。そして日本が米軍再編成ロードマップを引き戻すことは「非常に複雑で逆効果の問題を起こすだろう」と警告した。

2009年10月24日

◆武装勢力に欧米出身者も

平井修一

英フィナンシャルタイムズ紙(19日)によると、インサイダー取引容疑で16日に逮捕された米ヘッジファンド設立者で富豪のラジ・ラジャラトナム容疑者が、スリランカの反政府ゲリラ「タミル・イーラム解放のトラ」に資金提供していた容疑が浮上している。テロ組織は強力な国際ネットワークを持っているようだ。

ワシントンポスト紙(19日)によれば、タリバンとアルカイダの兵力には、なんと欧米人も含まれている。武装勢力は彼らをリクルートし、訓練してゲリラ活動に当たらせているほか、母国へ帰還させて欧米でのテロを画策している模様だという。

かつてスペイン人民戦線にはヘミングウェイも参戦し、パレスチナ紛争には日本赤軍が参戦した。時代が変わっても若者の「自分探しの旅」は変わらないようだ。左翼更正派がほろ苦い思いをしつつ、以下、ポスト紙記事を要訳する。
・・・・

増加するテロリストのリクルート アフパクのゲリラキャンプに参加する欧米人

クレイグ・ホイットロック記者

[ベルリン]ドイツ・タリバンを名乗るグループによって先月公表された宣伝ビデオには意外な人物が登場していた。スキンヘッドの筋骨たくましい戦士で、通称アブ・イブラヒム。米国人のようである。

声はないが、軍服を着、銃を振り上げてみせた。字幕スーパーによれば彼は米国人だという。ビデオはアフガニスタンでNATO率いる派遣軍からドイツ軍を引き上げなければ、ドイツに対して攻撃すると脅している。

この男が登場する場面はわずか2、3秒だが、それはドイツと米国の情報当局者を警戒させた。この米国人の背景、実名と彼がテロリストグループと接触した経緯については未だ不明である。

欧米のテロ対策当局によれば、米国人を含む西側の志願者が武装勢力の軍事トレーニングキャンプに参加するためアフガニスタンとパキスタンへ向かうケースが増えている。アルカイダとタリバン指揮官を排除するためのミサイル攻撃にもかかわらず、新兵志願の流れは変わらず続いている。

ドイツ治安当局の話では、今年の1月以来、ドイツから少なくとも30人のゲリラ志願者がパキスタンへ向かった。必ずしも同一人ではないが、およそ10人は今年ドイツに帰国しており、新しいテロがヨーロッパの目標に対して計画・実行されるという懸念を強めている。

ドイツのテロ対策幹部が言う。「30人という数字を見てもが脅威がどれくらい大きいか十分に示している」

ドイツ治安当局は先月から臨戦体制で警戒している。タリバンとアルカイダに関係するグループが、アフガンから軍を撤収させなければドイツの目標へ攻撃をすると警告するいくつかのビデオを出したためだ。

3800人のドイツ軍は、米国と英国に続いて3番目に大きいNATO派遣軍である。ドイツ当局は、タリバンとアルカイダがドイツ国内の反戦勢力を利用しようとしていると言う。

これらのビデオは、イスラム教徒に彼らの運動に参加するためにアフパクへ向かうようドイツ語で訴えている。他のヨーロッパ諸国も、国民が軍事トレーニングのためにパキスタンに行かないようにするのに苦労している。

「新兵募集ビデオよほど効果があるのだろう、彼らは毎週のように新しいビデオを公表している」

こう語るのは、テロリストネットワークを監視する米国のNEFA財団の調査担当重役で元オランダ軍の情報将校だ。「ビデオは非常に説得力があり、私が若いイスラム教徒ならば大いに影響を受けるだろう」

先週、ドイツ当局は、今年始めにハンブルグから10人のメンバーがパキスタンへ向かったことを明らかにした。このグループはシリア在住のドイツ人によって指導され、少数民族のトルコ人も含んでいる。

8月にパキスタン当局は、訓練キャンプの多くがあるアフガン国境近くの部族地域、北ワジリスタンで12人の外国人を拘束した。4人のスウェーデン人には、キューバのグアンタナモ湾の米軍刑務所の元収容者、メディー・チェザリもいた。

一方、3人のベルギー人と1人のフランス人は、昨年、パキスタンのキャンプから帰国すると同時に逮捕され、彼らのそれぞれの国で裁判にかけられている。

容疑者は、ヨーロッパでのテロを共謀したことを否定しているが、1人の被告はフランス当局の調査に対し、ワジリスタンでグループが爆薬訓練を受けたと認めた。嫌疑のかかっているグループの他のベルギー人とフランス人のメンバー3人は、アフパクを逃走中と思われている。

2009年10月22日

◆武装勢力に欧米出身者も

平井修一

英フィナンシャルタイムズ紙(19日)によると、インサイダー取引容疑で16日に逮捕された米ヘッジファンド設立者で富豪のラジ・ラジャラトナム容疑者が、スリランカの反政府ゲリラ「タミル・イーラム解放のトラ」に資金提供していた容疑が浮上している。テロ組織は強力な国際ネットワークを持っているようだ。

ワシントンポスト紙(19日)によれば、タリバンとアルカイダの兵力には、なんと欧米人も含まれている。武装勢力は彼らをリクルートし、訓練してゲリラ活動に当たらせているほか、母国へ帰還させて欧米でのテロを画策している模様だという。

かつてスペイン人民戦線にはヘミングウェイも参戦し、パレスチナ紛争には日本赤軍が参戦した。時代が変わっても若者の「自分探しの旅」は変わらないようだ。左翼更正派がほろ苦い思いをしつつ、以下、ポスト紙記事を要訳する。
・・・・

増加するテロリストのリクルート アフパクのゲリラキャンプに参加する欧米人

クレイグ・ホイットロック記者

[ベルリン]ドイツ・タリバンを名乗るグループによって先月公表された宣伝ビデオには意外な人物が登場していた。スキンヘッドの筋骨たくましい戦士で、通称アブ・イブラヒム。米国人のようである。

声はないが、軍服を着、銃を振り上げてみせた。字幕スーパーによれば彼は米国人だという。ビデオはアフガニスタンでNATO率いる派遣軍からドイツ軍を引き上げなければ、ドイツに対して攻撃すると脅している。

この男が登場する場面はわずか2、3秒だが、それはドイツと米国の情報当局者を警戒させた。この米国人の背景、実名と彼がテロリストグループと接触した経緯については未だ不明である。

欧米のテロ対策当局によれば、米国人を含む西側の志願者が武装勢力の軍事トレーニングキャンプに参加するためアフガニスタンとパキスタンへ向かうケースが増えている。アルカイダとタリバン指揮官を排除するためのミサイル攻撃にもかかわらず、新兵志願の流れは変わらず続いている。

ドイツ治安当局の話では、今年の1月以来、ドイツから少なくとも30人のゲリラ志願者がパキスタンへ向かった。必ずしも同一人ではないが、およそ10人は今年ドイツに帰国しており、新しいテロがヨーロッパの目標に対して計画・実行されるという懸念を強めている。

ドイツのテロ対策幹部が言う。「30人という数字を見てもが脅威がどれくらい大きいか十分に示している」

ドイツ治安当局は先月から臨戦体制で警戒している。タリバンとアルカイダに関係するグループが、アフガンから軍を撤収させなければドイツの目標へ攻撃をすると警告するいくつかのビデオを出したためだ。

3800人のドイツ軍は、米国と英国に続いて3番目に大きいNATO派遣軍である。ドイツ当局は、タリバンとアルカイダがドイツ国内の反戦勢力を利用しようとしていると言う。

これらのビデオは、イスラム教徒に彼らの運動に参加するためにアフパクへ向かうようドイツ語で訴えている。他のヨーロッパ諸国も、国民が軍事トレーニングのためにパキスタンに行かないようにするのに苦労している。

「新兵募集ビデオよほど効果があるのだろう、彼らは毎週のように新しいビデオを公表している」

こう語るのは、テロリストネットワークを監視する米国のNEFA財団の調査担当重役で元オランダ軍の情報将校だ。「ビデオは非常に説得力があり、私が若いイスラム教徒ならば大いに影響を受けるだろう」

先週、ドイツ当局は、今年始めにハンブルグから10人のメンバーがパキスタンへ向かったことを明らかにした。このグループはシリア在住のドイツ人によって指導され、少数民族のトルコ人も含んでいる。

8月にパキスタン当局は、訓練キャンプの多くがあるアフガン国境近くの部族地域、北ワジリスタンで12人の外国人を拘束した。4人のスウェーデン人には、キューバのグアンタナモ湾の米軍刑務所の元収容者、メディー・チェザリもいた。

一方、3人のベルギー人と1人のフランス人は、昨年、パキスタンのキャンプから帰国すると同時に逮捕され、彼らのそれぞれの国で裁判にかけられている。

容疑者は、ヨーロッパでのテロを共謀したことを否定しているが、1人の被告はフランス当局の調査に対し、ワジリスタンでグループが爆薬訓練を受けたと認めた。嫌疑のかかっているグループの他のベルギー人とフランス人のメンバー3人は、アフパクを逃走中と思われている。

2009年10月18日

◆政 権 交 代(2)


久保 成行


§高負担高福祉

福祉にはゼニがかかる。そのための負担は税金すなわち国民のふところにかかる。当たり前の理屈なのだが、政治家の口にかかるとゼニ(負担)が消えて、バラ色の福祉のみが心地よく耳にきこえる。

政治家はこの際とばかりに、有料の無料化、手当ての新設やら増額やら、ばら撒きの大盤振る舞い。それに見合うゼニ( 税金) はどこにあるのだろうか?。N HK の政治討論で、共産党の出席者は日本の初診料負担は高い。欧州では無料云々と。

しかしそれを云うならアチラの消費税は目がムゲルほど高いことにも言及すべきなのにである。どの政党も政治家も消費税の増額は禁句だ。いうたら落ちるから。民主党はそれを4 年間封印する。

政権交代はベストだろうか。少子高齢化ゼニは要るばかりだ。これ以上赤字国債は増やせない。今こそ消費税を取り上げるべきなのにそれから逃げる。理由は政党同士のいいこと言いの競り合いである。目先のおいしいことだけならべたメニュー(マニフエスト) はいらない。

連立による政策遂行をこの際考えなければ、日本はジリ貧になるばかりだ。自民と公明は相容れないものがあるものの、共通項は革新ではないというだけ。民主は社民と国民新党と連立を組むが、相性は水と油で絶対融合しない。自民も民主もぶら下がりを精算し、より強い共通項のもとに政策遂行集団として結集すべきである。

複数政党は必要である。しかし、だれもが手をつけたがらない消費税をふくめた税体制を、国家百年の計として、自民、民主連立政権によって、検討し確立すべきである。国民の政治不信を取り戻すにはこれしかない。自民、民主に猛省をうながしたい。
                (神戸「行雲誌・主宰」)

2009年10月17日

◆政 権 交 代(1)

久保 成行


§対米外交

経済は一流、科学、ものづくり技術にいたっては超一流。しかし、政治は超三流。

自民は次代の日本が世界にあるべき姿を、国民に提示できぬまゝ今日にいたり、オハチが民主に転がりこんできた。されば、民主は確たるそれを国民に示しているか。答えはあとさき考えず、大衆受けだけをねらった、お粗末きわまるそれである。

時代の流れは不思議なものだ。結果はわかっていても「やらしてみるか?」的、一票が民主に流れるのは確実である。民主党にとってこれはまさしく天佑でなくてなんであろうか。

自民の議席数は303、公明31 とあわせて334。定数480 の過半数241を超え2/3 をも超える勢力であった。この数字は小泉が郵政改革の決着を国民に問うた彼の度胸に、国民が酔った結果であった。

しかし今回はどうか。安倍、福田、麻生と、三人に共有するリーダシップ、信を問う決断力の無さに対する政治不信が、国民に自民離れを引き起こし、さらに、終盤の麻生おろし内紛劇がそれを加速させた。これは民主にとっては二重のラッキーだった。

太平洋の完全掌握はアメリカの基本的国防戦略である。その基本線上に中国、朝鮮半島、そして日米同盟がある。「気候変動から北朝鮮問題にいたるまで、山積する難題にかんして中国と渡り合っていく上でアメリカがアジアにおける影響力を増大させておく必要性から、日本重視は計算し尽くされた戦略の一環なのだ。

オバマ政権は日本重視の姿勢を明確にしてきた。ヒラリー国務長官は就任後初の公式訪問国に日本を選んだ。オバマ大統領が真っ先にホワイトハウスに招いた外国首脳も麻生首相だった」( マイケル・グリーン・米戦略国際問題研究所日本部長)

世界はG8 からG20 さらに米中G2と、変わりつゝあると言うより、「昨日の敵は今日の友」関係が複雑化し読みにくゝなってきた。

チベット、新疆ウイグル両自治区での相次ぐ暴動、武力鎮圧による多数の民間人の死傷者続出。アメリカ民主党の旗印はリベラル。それゆえ人権問題にはとりわけ敏感、かつ、声が高くなる。

そのオバマ政権下にあって、代表者は自他共にゆるすペロシー下院議長、ヒラリー国務長官。両女傑の中国政府にカミツキ、ホエマクルを期待したが、案にタガッテ全然声がない。むしろ猫なで声で中国にすりよっているではないか。まさしく「貧すりゃ鈍す」である。

未曾有の経済悪化、一刻をあらそう国をあげての財政・金融支援。そのためジャンジャン国債( 借金)を発行。以前は日本が大のお得意先、今は中国だ。4 月現在中国が保有する米国債残高は7635 億ドル、1 ドル96 円として73 兆2960 億円。

かっての日本と違い、核保有国であり大国意識の強い中国の機嫌をそこねないために、「人権問題」はなかったことにし、ペロシーもヒラリーも、ガイトナー財務長官といった主要閣僚なども、入れ替わり立ち替わり訪中、政府首脳との会談。見てきたような嘘言いではないが、会談内容はおそらく「いつまでも財政赤字の垂れ流しはつづけない。

国際通貨としての価値を保つためドル価下落は絶対阻止する。それは、外貨準備として中国が保有する米国債の目減りを防ぐことである。引き続き購入をお願いしたい」であろう。

だからといって、米中G2 と騒ぐことはない。アメリカから見て東アジアにおける「コーナストン要石」は日本であることは変わらない。政権交代のあかつきには、鳩山首相はオバマ大統領にここのところをしっかり確認すべきである。

我部政明琉球大教授「民主党政権は日米2 国間関係だけに頼らない新たな多国間の枠組みを作り、外交安保政策の選択肢を広げる必要がある」。( 7月18 日付新聞)

きわめて当たり前のように聞こえるが、この期に及んでまだ「多国間」なのか。覇権主義を隠さない中国とは、到底組める相手ではないではないか。

民主党はこのテの口当たりのよい迷説をプロパガンダーとしてすぐとりあげる。国民もテもなく賛同する。外交・安保は政権交代によっても変わることのない国策の基本戦略でなければならないのにである。(つづく)
(神戸「行雲誌・主宰」)


2009年10月15日

◆山科だより「東山ドライブウエイ」

渡邊好造


「東山ドライブウエイ=将軍塚」は、昭和34年(1959年)に開通した3.7キロメートルの観光道路で、大半が山科区に所属し東山区との境界に連なる東山連峰の尾根筋を南北に走る。

南の出入口は、1号線五条通りの山科から”花山(かざん)トンネル”を抜けた東山区側にあり、北の出入口は、日ノ岡峠”厨子奥花鳥町(ずしおく・かちょうちょう)”にあった京阪電車・京津線「九条山駅」(地下鉄開通で廃止)辺りの「将軍塚」が標識である。開通当初走っていた路線バスは廃止、車の通行料も無料となっている。

毎年2月11日(建国記念の祭日)の早朝、山科全域に鳴り響く花火の音でビックリさせられる。

東山連峰”北花山大峰町”(きたかざんおおみねちょう=花山地域は改めて紹介予定)にある仏教系新興宗教「阿含宗(あごんしゅう)」が行う"火の祭典・星まつり"の始まりである。

昭和53年(1978年)に設立され、「東山ドライブウエイ」途中の広大な土地に平成3年(1991年)本部建物が落慶法要となった。"星まつり"は、全国の信者が商売繁盛などの願い事を記した木札を火にくべて祈るが、当日の花火音、狼煙のような白煙などで山科での知名度は高い。

筆者のウォーキング・ルート山科疎水道から西のドライブウエイ辺りの東山連峰を眺めると、所々の黒い瓦屋根に並んで丸い銀色のドーム屋根の突出しているのが見える。

これは昭和4年(1929年)に開設された「京大花山天文台=京都大学大学院理学研究科付属天文台」の頭頂部で、「阿含宗」と同じ町内にある。年1回9月頃に往復ハガキで応募すると抽選で見学可能。地下鉄東西線開通で廃止となった「九条山駅」は、昭和11年(1936年)に「天文台下駅」として開設され、昭和18年(1943年)に改名された。

京都の中心と山科の両方の景色を眺望できる所が、京都市営「東山山頂公園」のドライブウエイ展望台で、広い駐車場は無料である。それ以上に展望の効くのがこの駐車場から北へ100メートルの「青蓮院門跡大日堂(しょうれんいんもんぜき・だいにちどう)=天台宗」の庭園で、目の当りにする景色は圧巻といえる。

東山連峰・大日山”厨子奥花鳥町”にあるこの寺院は、”東山区粟田口粟田山南町”「青蓮院門跡」のいわゆる"飛び地境内"で、久安6年(平安時代・1150年)に創建された。

「比叡山延暦寺=天台宗」の3門跡1つ(他に三千院、妙法院)として、伝教大師最澄が比叡山山頂に建てた「青蓮坊」が起源で、ドライブウエイの付帯名となっている「将軍塚」が境内にある。

塚は、第50代桓武天皇(平安時代・在位781〜806年)が、延暦13年(同・794年)平安京遷都の際、都の鎮護のために造られ(直径20メートル、高さ2メートル)、将軍の土像(2代目・征夷大将軍・坂上田村麻呂を模したらしい)に甲冑、弓矢、太刀を持たせ、京都御所に向けて埋められている。

最寄駅は地下鉄「蹴上駅」で、京都近場の眺めのよい観光コースとしてお勧めだが、徒歩だとハイキングのつもりでお出かけを、、、。

この「東山ドライブウエイ」を境界線にして、東山連峰の東側から西の滋賀県大津市までの間に、明治22年(1889年)京都府宇治郡山科村が誕生し、大正15年(1926年)山科町、昭和6年(1931年)京都市東山区に編入され山科○○町、昭和51年(1976年)山科区に昇格した。

ところが、住民の意識は未だに京都市民にはなりきっていないところがあって、道でバッタリ出会ったりして「どちらへお出かけで、、」と挨拶を交わすと、返ってくるのは「ちょっと京都まで」、京都のどことは言わない。お互いに京都市民の意識が薄いから、京都の中心へいくのだなあ、とこれで納得する。

大阪では「ちょっとそこまで」という曖昧な言い方はあるが、「ちょっと大阪まで」はない。『山科』が”はぐれ京都”から脱却するには、まず住民意識の変革が必要なのかもしれない。(完)

2009年10月11日

◆「日本の一番長い日」にリセット(4)

藤本 敬八郎
 

朝野は、ほどなくして母国韓国釜山へ帰っていった。再び一人ぼっちになった私の一日は、遅い起床で始まる。ぼんやりとした脳、緊張の欠けた行動で食堂へ行く。指定席には定番のうどんと漬物が置いてある。

時がたっているから汁を吸った麺は丼鉢の中で一個の塊になっている。箸でほぐして食べるがうまいはずがない。生徒も勝手気ままな生活リズムなら、賄い方も温かなサービスのトッピングは毛頭ない。物資だけでなく人間関係の潤滑油も品切れてしまっている。

青雲塾では夕方になると小鳥に混じって、野鳩のボーボと親を呼ぶような啼き声を聞くことが日課になった。寄宿舎周辺の樹々は鳥たちの楽園で、一人ぼっちの私を慰めてくれた。

異郷にあって祖国の敗戦という事実はまさに驚天動地、全てが狂ってしまった。

親からの送金も音信も途絶えてひさしく、お互い生死すら判らないまゝである。親の心情は何倍にも優しく強いのに、子どもの私は薄情で淡白なものであった、と、今にして申し訳なく思う。

残留孤児となって中国の土となるか、それともなにかの手段で祖国の地を踏むのか、明確な策はまだ持てなかった。身軽に動ける日のために身辺整理をしておくことに気付いたが、相談する友はもういない。実行力に乏しい普通の少年が、命の保障さえない危険な行動にでてしまったことを述懐しなければならない。

寄宿舎生活の中学生の財産など多寡がしれているが、集めてみると大風呂敷に2つはある。制服は夏冬各2 揃、各種下着類、革靴に運動靴、遠征用登山靴もある。鞄、書籍、辞書。外套、防寒帽と手袋は必需品。高級万年筆とシャープペン等々いっぱい出てくる。最小限必需品を残すと、もう露天商気分で、売上の皮算用。

万が一、学校関係者や邦人に出くわすと面倒なことになるから、首義門付近の繁華街や兵器廠のある大北門あたりは鬼門と考えた。が、身の安全を考えれば、全く逆の発想でなければならないのに私は、一度も踏み入れたことのない、いくらか寂れた大南門(迎澤門)付近を選んでしまった。

売れ筋の物を風呂敷に一包にして太陽を頭上に頂く頃、塾を出た。土埃りのする道の一角、アカシアの木陰で風呂敷を広げ、その上に『商3品』を並べる。露店商よろしく腰を据え往来を行き交う人を眺めても、さすが邦人らしい人影は一人としていない。

異常なものに物見高いのはこの時代この地の人の常であるらしい。2 人3 人と集まってくる。「売り物か? 」と問いかけがくる。

私は日常会話程度は話せていたので値段の交渉がはじまる。日本製品は今日同様彼等の購買心を刺激するようであった。需要と供給の原理原則は、商取引の基に平和的最低限の約束項を守ることで成立するものである。私の顧客は一人としてこれを裏切らなかったし、14 歳の日本の少年を一己の人格として接してくれた中国の人々は、矢張り大人たいじんであった。

杜子春とししゅんA が見たような夕陽を、西の空に眺めるころには完売であった。太原の懐かしい古城のほとりとアカシアの並木道を回想しながら、いま、自分の愚かな行動を反省している。

例えば、である。

こんな付録のようなことで、恐いおあにいさんとチンピラ2,3 人が出てきて「誰の許しで店を張っているのだ! 」とショバ代を巻き上げられ、傷のひとつもつけられたり、簡単に消されかねないご時勢であれば、15 歳で命を落とした南洋先輩のように、いや、私には祖国独立のためという美しい志もなく、ただの犬死であったと陰で蔑まれたことになったであろう。

世界の裏事情に詳しいTV番組をみるにつけ、自分の無知が危険と事故の隣り合わせで居たことを思い出してしまう。あの動乱の時代を、それも独りで無事に渡ってこられたことを、諸々に感謝せずにはおれない。 (つづく)
           (神戸「行雲誌・執筆者」)

◆注 @ 首義門:城壁は明王朝期(1368~1644)に築造され、万里長城
の技法をしのばせる黒レンガ造りの堅牢なもの。南壁東にこの門は位
置する。同西には大南門を擁するが、解放後はこの城門も取り壊され
歴史的文化財は消滅した、ときく。

A 杜子春:芥川龍之介の短編小説に登場する主人公のなまえ。
参考文献:太原中学校同窓会刊行書・広辞苑

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