2009年02月01日

◆山科だより「山科疎水の道」

渡邊好造
             
京都市山科区で一番お勧めの景観は、「山科疎水の道」であろう。

山科疎水は、山科区北にある山の中腹を流れ,その疎水にそって散歩道がある。それが、緑地公園「山科疎水の道」である。

春は桜、秋は紅葉、山科の町が一望でき、途中には神社仏閣、天皇陵などが散在する。山科疎水は,京都市が産業用水力発電所建設をめざして、明治23年(1890年)に完成した”琵琶湖疎水”の途中部分である。

琵琶湖の観音寺、三井寺付近を基点にして、山科を経由し左京区蹴上までの約11キロメートルの疎水のうち3分の2程はトンネルだが、山科あたりはほとんど青天井で、それにそって幅2メートル程の道が造られた。

この「山科疎水の道」は3.3キロメートルのジョギングコースにもなっていて、200メートル毎に距離標識が立てられている。疎水は幅約10メートル、底は半円形、満水になると最深部で2メートル、大抵は1.3メートル位、薄いブルーの水は澄み切っていて底までみえる。

時速4キロメートル位のスピードで流れ、歩く速さと変らない。音をたてて流れる河川と違って、大量の水が静かに流れているのは無気味な感じさえする。

5〜6年前から、毎年1月下旬に始まり3月中旬頃にかけて疎水の水が止められ、花見時期に間に合うように底に溜まった泥やごみが除去される。掃除がいき届かなかった頃は、自転車、バイク、冷蔵庫、掃除機、テレビなどの大型ごみがいっぱい捨てられていた。

そのごみの間をブルーギルやブラックバス、子鮎などの多数の魚の泳いでいるのが見えた。そして5月ごろには、カルガモの親子が2〜3組いて、通行人を和ませてくれた。

ところが毎年定期的に掃除されるようになってからだんだん魚が減り、一昨年、昨年と続けてコンクリート底の改修工事で削岩機が使われ、その大音響でカルガモの親子が現れなくなった。

今年はすでに水抜きを始めているが、改修工事は昨年で終わり掃除だけのはずだから、魚はともかく、カルガモ親子の可愛い姿は見られるかもしれない。

「山科疎水の道」では、ごみ箱を全部撤去してしまってごみの捨て場所がない。ところが撤去以後かえってごみは見かけなくなった。さすがに花見時は山のようなごみが積みあげられるが、これは京都市が1〜2日のうちに片付けてしまう。

疎水の道の通る人は常にごみを落とさないように心掛けているようだし、毎日、袋を片手にごみと煙草の吸殻を拾い続けている人が、私の知る限り4人はいる。

犬の散歩も多いが糞をそのままにして行き過ぎる人はまずない。なかには、3箇所あるトイレを毎日清掃する女性や半年かけて道の雑草をひいている男性もいる。

京都市の管理者だけでなく、住民ぐるみで「山科疎水の道」は守られている。(完)


2009年01月31日

◆真冬の目の健康「緑内障」

三木徳彦(眼科医師)

眼球の圧、すなわち眼圧(がんあつ)があがる病気を緑内障であるとされてきました。この眼圧は寒くなると高くなることが多いので、緑内障で治療により眼圧が日頃安定している人でも、冬にはまめに眼圧検査を受けて下さい。

視神経は、目から脳へ目の情報を伝達する太い神経で、眼球の奥から脳の底まで続きます。この視神経の様子は、瞳から目の中を覗く眼底検査で視神経乳頭として観察出来ます。

眼底検査で視神経乳頭に異常があれば、見える範囲の測定(視野検査)を行って、見えにくい部位(異常)があれば緑内障と判定されます。

この様な緑内障には、眼圧が上昇する種類と正常の種類があります。いずれにしても、点眼薬での治療が主体となりますが、時には手術が必要となる場合もあります。

また、この他に急激に眼圧が上昇する発作を起こす種類の緑内障もありますが、レーザーで虹彩を切開して予防が可能です。

緑内障にも、いろいろな種類があります。最近の研究によると、視神経が痩せて、視野の一部が見えにくくなる正常眼圧緑内障(NTG; Normal Tension Glaucoma)、急に眼圧が高くなる発作がおこる原発性閉塞隅角緑内障(PACG, Primary Angle Close Glaucoma)が、日本人に多いことがわかってきました。

無症状のことも多い緑内障ですが、視神経が一度傷むと回復しませんので早期発見、早期治療が重要です。40歳以上の人ではぜひ緑内障の検査を受けて下さい。<「おおさかシニアネット」から転載>

2009年01月21日

◆「山科」に住んで36年

渡邊好造

私が、京都市山科に定住してからこれまでに36年になる。

京都市山科区は、昭和51年に東山区から分区し、今では人口13万人、東山区の約2倍。南は伏見区の住宅地、北には左京区大文字山の山並みがあり、西は東山連峰に囲まれている。

ところが、東には滋賀県大津市の市街地が複雑に入り組んでおり、これがややこしい問題を醸し出している。

県庁所在都市同士が接しているのは、この京都市と大津市の他、山形県山形市と宮城県仙台市の例があるだけだ。山形市と仙台市は、仙台市が2つの町村を昭和62〜63年に編入し、ピッタリ接することになった。その境界には蔵王国定公園の山脈がそびえている。

その点、京都市は、大津市との間に山科区、左京区、伏見区の3区が当初から接しており、左京区と伏見区の間には山がある。

ところが山科区だけは、百人一首にも登場する「逢坂の関」の峠を西に越えれば、大津市の住宅が迫っている。混在している、といった方がいいかもしれない。

私が冒頭に「京都山科区」に住んで、とはせず「山科」としたのは、京都の経済圏ではあっても、実は私の住所表示は大津市だったからである。

だから私自身は、ややこしいトラブルは巻き込まれていないが、境界線上付近にある住居はややこしい。道路を挟んだ向かい隣が京都山科区のところもあれば、一軒家の真ん中に県境の境界線があったり(もちろん線が表示して在る訳はないが)しないため、同家では自宅電話を京都と大津の2通りの市外番号を備えている。

ところでこうした大津市の「飛び込み地」に、大津市役所の出張所、消防分団、警察派出所、それに立派な小学校までがある。大津市の都市ガスは、ガス供給公社がおこなっているが、飛び地の大津市は京都市に委託し、大阪ガスが配給とメンテナンスを請け負っている。上水道も京都市の水道局が肩代わりし、相互の協力関係は完全にできていた。

余談だが 山科区が東山区から分区した頃、先の境界線辺りのカワラ工場で火災が発生した。真っ先に駆けつけたのは山科の消防署の消防車だったが、出火元が大津市地区だったため、「ここは、大津や!」と叫ぶや否や、消火活動をせずに帰ってしまった。

境界は川も山もなんの目印もなく、当時として引き上げたのは仕方がなかった。怪我人もなく大事にいたらなかったものの、大津市で大問題になり、その後は規則が改正された。

また境界線の入り組んだ所の山科区に、「小金塚」という地域がある。JRの山科駅から大津駅に向かうトンネルの入り口の北側に位置し、ここは山科区と大津市がもっとも輻輳した住宅地で、山科区が大津市へデベソをたれ下げたようになっている。

住所が山科区であっても、大津市の道路をいったん通らないとバスも乗れない、電車にも乗れない地区である。ここから大津市立小学校だと約10分で行けるが、山科区の京都市立小学校へ行こうものなら40分位かかる。見かねた大津市は、近くの小学校に通えるよう山科区「小金塚」を大津市に編入し、子供たちの便宜を図ろうとした。

ところが、この編入問題は「小金塚」地域父兄の大反対運動に発展し、立ち消えになってしまった。大津市に編入されると、地価が半分以下になるというのが、「小金塚」地域の本音だったのである。

大阪生まれ、大阪育ちの私が昭和46年にここに土地を購入した時の坪単価は、山科エリアの大津市で7万円、「小金塚」の山科区ではより不便でありながら15万円もした。今もこの単価差は変わらないらしい。

子供の通学の便利さなどよりも、大切なのは資産価値、イメージ、プライドだという、利害に絡んだ思惑が今も生きているからである。とは云え、高等学校は京都府立よりも滋賀県立の方が進学校として優秀ということで、同地域の父兄の中には歯軋りした人もいたらしい。勝手なものだ。

私は、平成5年に山科区御陵駅(地下鉄東西線)の北側に移転し、今日に至っている。

この山科区と大津市とのややこしい「行政上の歪み」について意識し出したのは、移転後のことである。日本にはこの種の地域は山ほどあるだろうが、その歪みや不合理に気付くのは、何故かそこから離れてみないと分からないものだ。

歴史的な名所旧跡が散在する山科にも、案外新鮮で、面白い話題が山積する。(完)


2009年01月11日

◆「情報」と「ニュース」の違い

              渡邊好造(エッセイスト)

新年早々インドネシアでマグニチュード7.5の大地震が発生し、日本でも津波の発生を報じた。津波が日本の太平洋岸に押し寄せてくれば、当該海岸地域では住民避難を含めた緊急な対応を迫られることになるが、今回は津波の被害からは免れ、ホットさせられた。

ところがその報じ方に、「津波の情報」と「津波のニュース」の2通りあることに気づいた。「情報」と「ニュース」違いはどこにあるのか、と考え込んでしまった。

広辞苑によると、「情報」とは、“ ある事柄についてのお知らせ”。「ニュース」とは、“ 新しい出来事またその知らせ”とある。どちらも似たようなもので、何ら差があるとは言えず、これでは明確な定義が読み取れない。

ある「知らせ」があって、その内容が「受け手の人にとって極めて関心のあるもの」であれば、それはその人にとっては「情報」であり、「客観的な出来事として受け止められるもの」であれば、それは「ニュース」なのではないか、と私は思う。

例えば日経平均株価の場合だが、株価の上下変動によって利害に直結している企業経営者、あるいは株を売買している個人投資家などにとっては、それ動向自体はまさに価値ある「情報」であろう。

その意味では私のように、経済不況を知る目安としての株価に目を通すことはあっても、利害と結びつかないだけに、刻々と変わる株価は一般の「ニュース」でしかない。

もう一つ、川向こうの火事が報じられても、大抵の人にとっては、それこそ対岸の火事であり、物見高い野次馬根性を掻き立てるだけのことである。しかし、仮にその川向うに親類や知人が住んでいるとすれば、その人にとって川向こうの火事は、さらりと聞き流せる「ニュース」ではなく、何事にも代えられない緊急かつ重大な「情報」ということになる。

つまりある人にとり普遍的な「ニュース」でも、人によってはさらに内容把握に耳目を集中させたい重要な「情報」である場合があるということである。

そう言えば、「轢き逃げ死亡事件」を捜査している警察の「目撃情報」を呼びかける立て看板を見た。事件発生は「ニュース」であっても、この「目撃情報」の有無が加害者逮捕決め手になるケースとなるだけに、被害者家族や捜査当局にとっては「情報の提供」には、必死の願いが込められている。

ところがメディアの報じ方は、この「情報」と「ニュース」との意味の重さを明確に認識していないような気がする。特にニュースの放送中に入ってきた不確かな発生事案を、確認できるまでの過渡的手法として「情報」として安易に扱うことが目に付く。

ことの重大性が基準となる「情報」としての取り扱い方ではなく、その事案が確かな事実になるまでの「繋ぎ的手段」として使う「安易かつ無責任」な方法としか映らない。

そう言えば、テレビ番組等で使われている“情報番組”と“ニュース番組”の名称も、安易、かつ無定形過ぎるような気がしてならないのは、私だけだろうか、どうだろう。(完)

2008年12月23日

◆40歳からは緑内障の検査を!

三木徳彦(眼科医)

『アオゾコヒ』として、昔から失明する病気として恐れられている緑内障は、眼球の圧(眼圧)が高くなる病気として知られていました。

しかし、最近の研究では視神経が痩せ衰える病気としてクローズアップされて来ています。

視神経は、目から脳へ目の情報を伝達する太い神経で、眼球の奥から脳の底まで続きます。この視神経の様子は、瞳から目の中を覗く眼底検査で視神経乳頭として観察出来ます。

そして、眼底検査で視神経乳頭に異常があれば、見える範囲の測定(視野検査)を行って、見えにくい部位(異常)があれば緑内障と判定されます。

この様な緑内障には、眼圧が上昇する種類と正常の種類があります。いずれにしても、点眼薬での治療が主体となりますが、時には手術が必要となる場合もあります。

また、この他に急激に眼圧が上昇する発作を起こす種類の緑内障もありますが、レーザーで虹彩を切開して予防が可能です。

しかし、一度傷んだ視神経は元通りに回復することはありませんので、出来るだけ早く見つけて治療を開始するのが生涯良い視力を保つためには必要です。

40歳から急激に増加してくる病気ですが、全く自分で異常を感じないことも多いので、眼科専門医で検査を受けることをお勧めします。

2008年12月22日

◆健康百話―年末年始の目の健康

〜糖尿病網膜症(とうにょうびょうもうまくしょう)〜 

三木徳彦(眼科医)

クリスマスケーキ、忘年会、新年宴会など、ご馳走に溢れている季節ですから、油断すると糖尿病が悪化します。

糖尿病にかかってから年数が経つほど、目の奥にある光を感じる神経の膜(網膜、もうまく)<カメラのフィルムにあたる>に出血や濁りを生じる糖尿病網膜症になっている割合が高くなります。

最初に網膜が傷む場所が中心部(黄斑部おうはんぶ)であれば、見えにくくなるので気づきますが、周辺部の時にはかなり悪化してから初めて気づくことになります。

一度でも糖尿病であると云われた人は、少なくとも年1〜2回、状態によっては1〜3ヶ月に1度の眼科の診察が必要です。

内科の治療が基本ですが、眼科的にはレーザー網膜光凝固が唯一有効な治療方法です。

さらに、進行すれば入院して硝子体手術などが必要となります。まず予防、それには食べ過ぎ、運動不足、ストレスの3つをなくしましょう。

2008年12月16日

◆IT百話・これからの「SNS」

             ミッキー-中川(大阪府IT相談員)

「WEB2.0」について先日、本欄に掲載した処、その中で記述した「SNS」という言葉自体が、インターネットにあまり馴染みのない方々には、理解しにくい世界だったようです。いろいろ問い合わせがありました。

実はインターネットの世界では、この「SNS」こそが、これからのコミュニティ社会の主役になっていくものだと思います。それを分かっていただく為に、この際、もう少し詳述してみましょう。

「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、「SNS」(ソーシャル・ネットワーキング・サービス:Social Network Service)は、社会的ネットワークをインターネット上で構築するサービスの事です。

ところが、日本では「mixi」が有名で「紹介制」をとっていることから、「SNSは同様の紹介制」ではないかと誤解を受けているようです。

「SNS」は、「社会的ネットワークをインターネット上で構築するのが目的で、その構築には「紹介制」だけでなく、「希望者の登録制」など幾つかの仕組みがあり、そのサービス内容によりモデル分類される」と記載されています。

でもこれだけでも、まだますます分り難いですね。

SNSサイトでは、『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、2008.12.5現在、ジャンルを限定しないもの(34)、モバイル特化型(10)、オープン型(6)、趣味関係(30)、ビジネス系(14)、写真・動画・ゲーム系(14)、職業限定型(9)、その他(報道関係、スポーツ関係、女性専用型,音楽系等々)と、かなりの数が紹介されています。最近では、地域特化型(40)のサイトが増えてきています。

地域特化型というのは、行政、または地域NPOが、地域の活性化のために運用しようとしているものですが、活用されている例は今のところ少ないように感じます。

「SNS」の多くは、招待制、登録制ですが、「年齢制限型」も見られるようになってきています。

ここで注目して頂きたいのは、団塊の世代と地域デビューをテーマとした大阪市の「公募提案型委託事業」の中に、この「SNS」を組み入れ、コミュニティ構築のための「地域密着型生きがい情報配信システム」のホームページを、来年3月に公開しようとする試みがあることです。

1982 年「高齢者問題世界会議」で、高齢者の心身機能の低下や役割の喪失が強調されすぎることのアンチテーゼとして、高齢になっても多くの分野で活躍し成長を遂げる主体的なシニア世代を、プロダクティブ・エイジングと位置づけています。

21 世紀はまさに、「プロダクティブ・エイジング:高齢者によるボランタリーアクション」であり、2002 年の世界会議では「すべての世代のための社会構築」が主要テーマとなっています。

一方日本でも2005 年に内閣府は、「世代間の連携強化」「高齢者の社会参画の促進」を課題としています。

こうした背景から大阪市では、シニアの社会参加の実現を目的とし、また人と人とのつながりを促進・サポートして、コミュニケーションを円滑にする手段や場を提供したり、趣味や嗜好、居住地域、出身校あるいは「友人の友人」といったつながりを通じて、新たな人間関係を構築する場を提供することに、「簡易ブログ形式のSNS」を活用することにしているのです。

つまりこのバーチャル空間「SNS」(コンテンツ)を使って、地域社会への参加、貢献(地域デビュー)がしやすい、そして団塊の世代の自己実現を後押しする、地域密着型いきがい情報のコンテンツ(ホームページ)環境を提供するのだそうです。

では「簡易ブログ形式のSNS」とは何でしょうか。

ブログ (Blog) とは、World Wide Web(インターネット)上のWEB(サイト)に、「WebをLogする(覚え書きや論評などを加えログ(記録)している)」という意味で、Weblog(ウェブログ)が略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになったようです。

平たく言うと、個人の日記帳(備忘録)を、インターネット上に保存して、公開するホームページと言えます。

ブログの特徴は、ホームページ制作には知識と技術が必要ですが、ソフトを用意する必要もなく、掲示板に書き込むように、ネット上に記事や写真の掲載が容易にできます。と同時に、読者との双方向のコミュニケーションツールとしても活用されるようになってきて来ています。

「SNS」は、この「ブログの機能」に加え、下記の機能があります。

1.プロフィール機能(自己紹介)
2.ユーザ検索機能(登録者のジャンル別検索)
3.コミュニティ機能(趣味や嗜好、居住地域などカテゴリー分類による参加)
4.メッセージ送受信機能 (双方のメールアドレスを表示しない)
その他、目立った機能
5.足跡機能 (訪問者の履歴)
7.カレンダー機能 (イベント・スケジュール表)
8.アルバム機能(写真分類)
9.動画共有 (動画分類)
さらには、ゲーム、広告なども掲載する機能もあります。

中でも最大の特徴は、機能内制限を登録者(掲載者)自身の権限で決めることができることです。例えば掲載者が、ジャンルやコミュニティ、スケジュールなどの掲載範囲を決めることができるという意味だと理解してください。

ところで、国内最大手の「mixi」(ミクシー)は、招待状が必要でしたが、2008年12月10日から利用制限の緩和で招待制だけではなく、登録制に移行。18歳未満は参加出来なかった年齢制限も、15歳から17歳は招待制で利用できるようになる予定と言われています。(2008.11.27現在)

これは、利用者の増加に伴い、招待状の意味が薄れてきたことと、参加希望相手もわからないのに招待状を乱発する不届き者が出てきたことによるものと思われます。

招待者の質の低下によって、「mixi」のサイト自体が荒らされてきたので、登録制に移行、登録者自身の常識を信じ、特に保護を必要とする18歳未満に対しては、管理者権限を強め、招待制の再構築を行うものと思います。

これからの「SNS」は、ジャンル特化型の利用用途に応じたものになるでしょうし、その質も問われる時代になってきたと言えます。

その意味では、来年3月から始まる大阪市の団塊の世代と地域デビューをテーマとした地域特化型「SNS」に期待したいですね。

ご参考になりましたでしょうか。

2008年12月06日

◆IT閑題「WEB2.0時代って何?」

             ミッキー中川(府IT相談員)

さてWEB2.0のことですが、これは2005年に登場、2006年から爆発的にIT業界の流行語となりました。

WEB2.0とは、曖昧な用語で、定義ははっきりしていません。

しかしここにきて、「ネット上の不特定多数の人々(または企業)を、受動的なサービス受益者ではなく、能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」と定義づけられました。

わかっていることは、ここ数年の明らかに以前と違うネット上の現象を総称して、WEB2.0と呼んでいることです。

WEB2.0の始まりは、2004年以降の通信回線の高速化に始まります。通信の高速化によって、大容量のデータ(ファイル・画像・動画・音声等々)の送受信が、スムーズにできるようになりました。

また同じ時期に、検索エンジンの精度の向上や、個人間のコミュニケーションツールである「ブログやSNS」の登場により、ネット社会は、見る世界から参加する世界に移行することになり、個人の情報量がネット上の大半占めるようになったのです。

・代表的なSNSであるMIXIは、2004年2月にサービスを開始、2006年3月300万人が参加、2007年5月には1200万人を超えています。(ただし利用率は、2007年5月現在64%と言われている)。

登録は、紹介システムでしたが、ここまで来ると、紹介なしと同じになりました。YAHOOのSNSは、紹介なしにして、MIXIを超えると宣言しています。

これに類似するサービスが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』や、ネット上の相談室「おしえてgoo」です。

個人の知恵が「集合知」となった最たるものといえるでしょう。
                      (再掲)詳細はクリック

2008年10月18日

◆安倍晴明(あべのせいめい)の実母?

                   河崎勝二(エッセイスト)
 
 <本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針}の10月19日号夕刊に掲載されました。当代一流寄稿者による「頂門の一針」をご購読(無料)されたい方は、末尾のアドレスからお入り下さい>


山登りや名所旧跡巡りの仲間のサークル「歩こう会」が、予期もしなかった驚きと感動を与えて呉れたのは、つい先日のことだ。

大阪城を散策中に知り合った仲間同士の会「大阪城歩こう会」に参加して、日曜ごとに10数人が連れ立ち近畿の著名な山々に登ったり、歴史に包まれた名所に出掛けるようになって久しい。

季節の移ろい、新鮮な空気と絶景、出会った人達との交流、その土地の産物の味などに接する楽しみは、実際に汗を掻き、五体の筋肉を酷使して歩き回る者だけしか味合えない産物だと信じている。

最年長のリーダー格の80余歳の仲間は、お年を感じさせない軽妙な足取りと訪ねる先への道筋は勿論、そこに纏わる地縁の知識に長けておられるのには、頭が下がる。

さて今回の驚きの出来事のキッカケは、たまには気楽に行ける平地の名所に行こうとの女性の提案で、大阪和泉市の「信太の森」に出掛けたことだった。

その「信太の森」は平安時代の清少納言の「枕草子」の中で「もりは信太の森」と称えられていることで知られているということで、麓を熊野古道がはしる古代から参詣の道の側ということでも広く知られているという。

朝鮮半島から5世紀ごろ伝えられた須恵器釜跡があり、わが国最古の釜跡も見付かっているという。なかなか深みのある歴史の里である。

現地に実際足を踏み入れると、流石に周囲は信太山丘陵に囲まれ、裾野まで広がる多種多彩な樹木景観は、素晴らしさの一言だった。

早速、現地博物館「信太の森ふるさと館」を訪ねた。ここの歴史や成り立ちを知る上では、それが最適だからだ。

建物1階の右手にある80坪ほどの「信太の森ふるさと館」に入り、次々と見回っている内、浮世絵風の数枚の異様な「版画絵」が目に入って仰天した。子供を膝の前に座らせた母親らしき女性が、手に持つ筈の筆を口に咥えて、和歌の文字を障子に向かって書いている姿の絵だ。

文字は「恋しくばたずねきて」と書いてある。ところが女性のギョロッとした目線は横向きに何かを見据えている。表情も厳しく尋常ではない。この絵は、一体何を語ろうとしているものなのか。隣には、大木の下に2匹の白狐が闇の上にある白き物体を見上げている、思わしげな別の「絵」が並べられている。

背中に言い知れぬ寒気を感じたので、館員を呼んで説明を受けることにした。館員は、懇切丁寧にこの「絵」について語ってくれた。この「絵」は、古浄瑠璃などでも伝えられる「葛の葉物語」の一場面だそうだ。

<その昔、大阪の摂津の国に安倍保名(あべのやすな)という若者が、信太大明神を参詣に来た時、狩人に追われた深手の傷を負った白狐を匿い逃がした。これに腹を立てた狩人が保名を責め、大怪我をさせ立ち去った。

すると傷で苦しむ保名の所に「葛の葉」と名乗る女性が現れ介抱した。この女性は助けた白狐の化身だったのだが、保名はそれとは知らず、二人はやがて一緒に暮らす仲となり、男子を儲けた。子の名は「童子丸」。

6年後のある日、葛の葉は庭に咲いた菊の花に見とれてわが身を忘れ、うっかり現わした尻尾を「童子丸」に見付けられてしまった。葛の葉は、もはやこれまでと一首を障子に書き残して森へ消え去った>。(版画絵がこの模様を伝える)。

その一首とは、「恋しくばたずねきてみよ和泉なら 信太の森のうらみ葛の葉」だったのだ。

<保名と童子丸は恋しい母を求めて探し回り、やっと森の奥で涙を流しながら二人を見つめている一匹の白狐と出合う。ハッと気づいた保名が「母の元の姿になっておくれ」と哀願すると、白狐は傍らの池に己の姿を映し出し、たちまち葛の葉の姿となった。

しかし、葛の葉は泣き叫ぶわが子を諭しながら、形見に白い玉を与えて最後の別れを惜しみつつ、再び白狐になって森の奥に消えていった>。

これが「葛の葉物語です」と職員は説明を締めくくった。悲しい言伝えに心を痛めて聞き入っていた筆者に、この館員は追い討ちを掛けるようなショッキングなことを告げた。

「この童子丸が、実はかの有名な陰陽道の祖の安倍晴明(あべのせいめい)だといわれているのですよ」。

筆者の出生地は大阪阿倍野区で、安倍晴明を祀る「安倍神社」は目と鼻の先のところにあった。子供の頃から親に連れられ足繁くお参りした神社だ。「安倍晴明の出所」などに思いを馳せた事も無かったが、まさかこの「版画絵」に描かれた「葛の葉物語」の童子だったのかと考えると、頭が真っ白になった。

今は、「安倍神社」とは離れたところに住んでいるため縁が薄れたが、この伝説を知った以上、お参りに行ってみたくなった。

それにしても仲間と共に方々を「歩く」ことは、時空を超えた様々な楽しみと感動の舞台に接遇させてくれるものだとつくづく思い知らされ、改めて有り難さを痛感する。(了)

 
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2008年09月26日

◆特筆!「煙草を掌で消した政治家」

             加瀬英明(「頂門の一針」より転載許諾)

昭和32(1957)年のある日、私は園田直(すなお)代議士と一緒に、ニューヨークのウォルドーフ・アストリア・ホテルのエレベーターに乗っていた。引退したマッカーサー元帥に会いに行くためである。

後に福田赳夫内閣、大平内閣、鈴木内閣で外務大臣を務めた園田氏は、当時、外務政務次官だったが、私と個人的に親しかった。首相特使として岸信介首相の訪米準備をするためにニューヨークへ来ていたが、マッカーサーに会いたいというので、私が仲介の労をとった。私は留学生だった。

ウォドルドーフ・アストリア・ホテルは、28階以上がアパートになっている。住人にはマッカーサーのほかにも、コール・ポーターやウィンザー公(元イギリス国王)夫妻など錚々たるところがいた。

執事に案内されて、広い応接間に通されると、まず、その豪奢なことに驚いた。部屋の中は、椅子と絨毯を除けば、すべて日本の古美術品だった。国宝級の金屏風が3,4双並び、金銀の飾物、陶器、美術品がところ狭しと置かれている。

公職追放処分を免れようとした日本の有力者から贈られたものに違いなかった。

やがて、マッカーサー元帥が入ってきた。ダーク・グレイのシングルの背広を着ていた。お濠端の連合国軍総司令部の玄関を颯爽と出てくる姿に慣れている目には、77歳の元帥は年老いて、一回り小さくなったように見えた。

元帥は座ると、シガレット・ボックスをとって、私たちにタバコをすすめた。

・・・元帥は私たちの質問に答えて、話題は憲法9条から極東の軍事情勢にまで及んだ。一旦話し出すと止まらなかったので、質問を続ける必要はなかった。

・・・「その時、幣原(しではら首相)がやってきて、目に涙を浮かべて、日本は平和国家として永久に軍備を放棄すべきだと言った。私は今日でも、第9条は世界に誇るべき規定だと思っている。日本は東洋のスイスでなければならない」。

私はテーブルの上で灰皿を探したが、目の前に置かれた銀の盃(さかづき)の中に、先ほど元帥が擦ったマッチの燃えかすがあったので、そこに灰を落とした。

盃の底に16弁の菊の御紋章があったので、私は咄嗟に、それが天盃(てんぱい=天皇から賜る盃)である事がわかった。しかし、テーブルには、シガレット・ボックスともう1つの天盃が置かれているだけで、ほかには何もなかった。私はやむなくこの「灰皿」を使い続けた。

「私が世界でもっとも尊敬する人物は、天皇陛下だ。私が東京に進駐するとヒズ・マジェスティ(陛下)が会いにこられた。そこで陛下は『大戦の責任は、みな自分1人にある。臣下は自分の命を奉じたに過ぎない』

と厳然として言われ『連合国が責任を問おうとするなら、まず、自分を処刑して欲しい』と述べられた。私はこのとき、真の君主の姿を見たと思った。あの瞬間から、天皇を深く敬愛するようになった」。

当時、アメリカやイギリス、オーストラリアの新聞は、天皇を国際裁判にかけて死刑に処するべきだと主張していた。

私は突然、人間の脂肪の焼ける臭いをかいだ。ふと見ると、横にいる園田氏が掌(てのひら)でタバコを消している。

その表情には何の変化もなかった。瞬きすらしないのだ。特攻隊長として終戦を迎えた園田氏は剣道、居合道、合気道など二十数段の猛者である。数秒が過ぎた後は、何事もなかったようだった。

マッカーサー元帥は、まったく同じ調子で、遠くを見つめるような目をして話し続けていた。

そのうちに元帥は、ソ連の脅威が募っていると警告した。日本が軍備を拡張し、自由アジアの一大軍事勢力として、極東の平和に寄与しなければならないと熱心に説いた。

・・・元帥がドアまで送ってくれた。客が(天盃を灰皿として使うにしのびず)掌でタバコを消したことには気付いていないようであった。それとも案外、知っていたのかもしれない。

帰りのエレベーターの中で、園田氏が私に言った。「君は、よくあの天盃が使えたなぁ」。園田氏の掌には大きな水ぶくれがあった。私は世代の差をそこに感じた・・・。

(渡部亮次郎註:畏友加瀬英明氏がこのたび『昭和天皇 32の佳話(かわ)』(実業之日本社 税込み800円)を上梓された。昭和天皇こそは平成の日本人が失ってしまった日本人の美徳を体得されていたと考える加瀬氏が経験から拾い集めた昭和天皇にかかわる心温まるエピソードの集積で、興味が尽きない。

たまたま第1話にわが師園田直が、かつてマッカーサーが灰皿として差し出した昭和天皇の天盃を使わず、掌で消した話を書かれている。了承を得て再録した)。転載自由  2008・09・25


2008年06月07日

◆大阪府知事は「示談屋弁護士」?

斉藤 惇司(ジャーナリスト)

就任から4ヶ月、橋下徹府知事が危機的府財政を建て直すため練り上げた「大阪維新プログラム案」は、大半の府民や市町村だけでなく、府庁内でも同様な戸惑いと不満が広がる予想外の展開となっている。

橋下知事は、府政機能をマヒさせる要因の5兆円の借金地獄から脱却するため、府事業費や府職員人件費を削ることなどで08度総額1100億円の収支改善を図ることにした。

その一方で、当初削減の対象にしていたセフティーネットの「障害者」「治安」「救急救命」の3骨子の強化策を復活させた。

ところが,一見合理的、大胆に映るこの削減案とセフティーネット復活の裏には、橋下知事の交渉相手の出方の強弱を物差しに掛ける姿が見え隠れしたことから、府民などに不満と戸惑いが増幅し出したのだ。

庁内30台の若手職員で構成する「プロジェクトチーム」(PT)に、仔細に言い含めて作らせた改革案を、橋下知事はあくまで第三者的立場を取りながら関係先の意見を傍聴しながら、相手出方を測る手法を取った。メディアが見守る中で見せた涙の訴えも、執念の決意らしく見せ付けるプロバガンダに映った。

その結果、345億円の府職員の人件費カットや、高齢者への医療費・私学助成・零細企業への支援等、物を言いやすいところに向けられた削減は、当初から強気一点張りで貫かれたものだった。重大な住民サービスが見捨てられた瞬間だった。一体、関係先との真の意見聴取とは何だったのか。

そんな中、府庁職員の間では、橋下知事の手法は「示談屋弁護士」のやり口そのものだというシラケが噴出していると某幹部職員が打ち明けた。

すなわち モノの道理はさておき 200%暴論を吹きかけておき、100%ならトントン、150%で決着したら50%の儲けという、理屈も何も無いやり口だとの指摘だ。

しかも「文化の価値論」は分からないので議論せず、優先順位を決めるのは自分という優位性を最大限利用した傲慢さは、政治家としても品も格もないというやり場のない憤懣に結びついている。

特に過大な人件費カットは 給料減額前の7月に一定の技量をもった職員の早期退職を誘発し、結果として技量伝承がなされないのではないかという懸念に繋がる。と同時に、安月給という前提ではこの先大阪府庁に優秀な若い人材が集まる筈がないと危惧する同僚も沢山いると、別の幹部職員がいう。

「クビになってでも知事に諫言する職員はおらんのか」と府教育長OBの竹内枚方市長が後輩を叱咤激励した話も伝わってきたが、現実は権力の縦社会の大阪府庁。

高齢者医療、私学、府下市町村への補助削減などを巡り、府民サービス低下に直結する問題で、職員は勝手に手が差し伸べられず、府民との関係がギクシャクするのは必至だ。

ところでこの知事改革案は、「ビジョンなき改革」だと酷評する府庁OBが多い。

大阪商人の商い哲学では「始末」が最優先される。しかし「削ればいい」というだけのものではない。あくまで「算用」が主軸であり、「収入への算段」が商家の腕の競い処になる。

橋下知事の府政商法は、「始末」という削減が主であって、「算用」は今度のビジョンの中に全く見当たらない。むしろ零細・中小企業の活動意欲を摘み取る方策に踏み込んだとも受け取れないところも目に付く。

「弱者の暮らしの切り捨て、文化の価値の見殺し」に橋下知事自ら気づかないとすれば、大阪府の将来は期待できない。この具体策を府民に示すことこそが、7月から開かれる府議会での知事に課せられる使命ではないだろうか。                       (了)08.06.06


★同上原稿はメイル・マガジン「頂門の一針」1211号 
平成20(2008)年6月8日(日)号に掲載されました。

同号<目次>

・大阪府知事は「示談屋弁護士」?:斉藤惇司
・過去官僚・現在官僚:山堂コラム:219
・東京優駿復活の日:渡部亮次郎
・挑発的・冒険的な中国の軍拡(中):平井修一
・「宮中祭祀廃止論」の愚:須藤尚人

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記   

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    http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

2008年05月22日

◆健康百話「リハビリって?」

向市 眞知

「リハビリ」という用語は訳さなくてもよいくらい、日本語になってしまいました。しかし、この用語がとても曲者なのです。皆がこの用語の前向きなところにごまかされ、便利にしかも安易に使ってしまいます。

医師は最後の医療としてリハビリに望みをつなげる言い方をします。家族は家にもどるためにはリハビリを頑張ってほしいと期待をかけます。患者もリハビリを頑張れば元どおりになれると思います。

リハビリとは「再び生きる」という用語と聞きました。この概念で考えるととても幅広い概念です。

病院にはリハビリテーション科があり、そのスタッフには理学療法士、作業療法士、言語聴覚訓練士という、国家資格をもった専門技師がそろっています。身体機能回復訓練に携わるスタッフです。

医師が「リハビリ」という用語を使う場合にはこのようなリハビリテーション科のスタッフによる訓練を指すだけではなく、「再び生きる」心構えをもちましょう、という意味を含んでいる場合が多いのです。

しかし、患者、家族の方はリハビリは療法士がするものと思い込んでいるケースが多いように思います。よく言われるのに「リハビリが少ない」、「リハビリをしてもらえない」というクレームがあります。療法士がするものだけがリハビリなら、診療報酬上点数がとれるのは一日20分から180分です。

「リハビリを受けさせたいから入院させてほしい」とよく言われますが、一日の何分の1かの時間のリハビリだけで「再び生きる」道のりを前に進むことはむずかしいものです。あとの時間をベッドに寝ているだけでは、何の意味もありません。「リハビリのために入院している」というだけの安心感の意味しかありません。

いくら日本一の理学療法士の訓練をうけたからといって、患者本人が「リハビリをする(再び生きる)」心構えになっていなければ、空振りに終わってしまいます。

マヒした身体に対して、拘縮してしまわないように理学療法士が外から力を加え訓練をすることはできます。でも、訓練が終わって身体を動かさなければもとの木阿弥です。

しかし、言語訓練はそうはいきません。本人が声を出そう、話そうとしなければ訓練になりません。「絶対話すものか!」と口をつぐんでいる患者に訓練は意味を為しません。まずは声を出してみよう、話してみようという気持ちになるように、心理的にリラックスしてもらうことから訓練を始められると聞きました。

このことからわかるように、リハビリは本人次第なのです。そしてやはりリハビリも療法士と患者の協同作業なのです。

療法士さんの訓練の20分が終われば、患者自らがもう一度リハビリのメニューをくりかえしてやってみることや、家族が面会時間に療法士に家族ができるリハビリを教えてもらい、リハビリの協力をしてみるなど、何倍にもふくらませていくことがリハビリの道のりなのです。

療法士さん任せにしないこと、繰り返しやっていくこと、退院しても療法士さんがいなくてもリハビリ、再び生きる道のりは続いていること、それを実行するのは自分であることを忘れないでいてほしいと願っています。

2006年4月の診療報酬改定で更にこの認識が重要になってきています。療法士による機能回復訓練が継続してうけられる回数の上限が疾病により90日〜180日と定められました。これ以上の日数の訓練を続けても保険点数がつかないことになりました。医療機関は保険がきかなくなれば、リハビリを打ち切らざるをえません。

患者も10割自費で料金を支払ってまでリハビリを続けることはできないでしょう。リハビリは入院の中でしかできないものではなく、退院しても自宅でもリハビリを続けていく意気込みが大切です。

                         ソーシャルワーカー

2008年05月11日

ITこぼれ話「WEB2.0時代って何?」

ミッキー中川 (IT相談員)

さてWEB2.0のことですが、これは2005年に登場、2006年のIT業界の流行語となりました。
WEB2.0とは、曖昧な用語で、定義ははっきりしていません。
しかしここにきて、「ネット上の不特定多数の人々(または企業)を、受動的なサービス受益者ではなく、能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」と定義づけられました。
わかっていることは、ここ数年の明らかに以前と違うネット上の現象を総称して、WEB2.0と呼んでいることです。

WEB2.0の始まりは、2004年以降の通信回線の高速化に始まります。通信の高速化によって、大容量のデータ(ファイル・画像・動画・音声等々)の送受信が、スムーズにできるようになりました。
また同じ時期に、検索エンジンの精度の向上や、個人間のコミュニケーションツールである「ブログやSNS」の登場により、ネット社会は、見る世界から参加する世界に移行することになり、個人の情報量がネット上の大半占めるようになったのです。

・代表的なSNSであるMIXIは、2004年2月にサービスを開始、2006年3月300万人が参加、2007年5月には1200万人を超えています。(ただし利用率は、2007年5月現在64%と言われている)。
登録は、紹介システムでしたが、ここまで来ると、紹介なしと同じになりました。YAHOOのSNSは、紹介なしにして、MIXIを超えると宣言しています。

これに類似するサービスが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』や、ネット上の相談室「おしえてgoo」である。個人の知恵が「集合知」となった最たるものといえるでしょう。

hyo

掲示板とブログとSNS
「掲示板」は、課題(タイトル)に意見を書き込み、コメント欄があります。
「ブログ」は下記内容@Aのん内容に記事のカテゴリー分けができます。
「SNS」は下記内容すべての機能があります。もちろんコメント欄もあります。
@プロフィールの表示
他の人にあなたがどのような人か伝えることです。プロフィール内容のプライバシーの内容は、公開制限ができます。またプロフィールは後から編集もできます。
この公開する内容が、「お友だちを探せる」情報に登録されます。
検索情報は、ニックネーム、性別、趣味、血液型、出身地、現住所など。
A日記の表示自由な日記が書ける。(自分史や旅行記、その日の出来事でもなんでもOK!写真も載せられます)
自分の日記にコメントが書かれたり、お友だちの日記にコメントが書ける。
日記から共通の趣味や新しいお友だちがみつかる。
B友達に登録されたメンバーの表示
C参加しているコミュニティの表示
コミュティエリアには、コミュニティの紹介、参加者、特定のテーマに興味のあるメンバーが集まる「掲示板」が用意されます。
コミュニティ管理者が、メンバーの参加・不参加を決めることができます。
既に活動されている団体の方は、メンバー同士のコミュニケーションツールとして、個人で何か探している方は、趣味と仲間探しのツールとして使うことが出来ます。
Dあしあと
自分のページに訪れた人を記録します。いつだれが見に来てくれたか一目で分かります。見に来てくれたひとのページに行って、交流を図ることができます
Eネットワーク内でのメール交換
メールアドレス使わずに、メールを送受信することができます。

「SNS(Social Networking Service)」とは、人と人とのつながりを促進・サポートする、コミュニティ型のコンテンツです。
コミュニケーションを円滑にする手段や場を提供したり、趣味や嗜好、居住地域、出身校あるいは「友人の友人」といったつながりを通じて新たな人間関係を構築する場を提供することに特化しています。

「IT(情報技術=Information Technology)」という言葉も、「ICT(通信情報技術=Information and Communications Technology)」の言葉に代わって来ました。

では、「WEB2.0時代はバラ色か?」「落とし穴は?」みんなの意見(集合知)は「正しい」?しかし「あるべき姿」なのでしょうか。
掲示板やブログへの書き込みは特定層(賛同者、反対者を含め)の意見が多く、えてして偏った意見が幅を利かせやすいのが目立ちます。

みんなの意見(集合知)、つまり個々の知識や意見を共有し合う、「WEB2.0の特徴」が、その道のプロの意見でなくても、気楽さ・責任の無さ(簡単に配信・修正・削除できること)から、個々の意見を誤ったままでも、多種情報として公開される結果となっています。

1.「情報の玉石混淆が激しい。」これからの時代は、自身に必要な情報、コメントを見極める力と受け流すことが必要となるのです。つまり、書き込みが、冷やかしか或いは誹謗中傷かを見極める能力が必要になるという意味です。

2.では、注意点とは何か。
「ブログや掲示板、コメント欄」に、内部告発的なことは書かない。会社や公的立場であると処分対象となります。
ブログや掲示板に、特に自身の身分を隠して誹謗中傷や暴露記事を書くことは許されないということです。
逆に、ブログや掲示板の内容に反感を持つ人が、コメント欄を利用して集中的に荒らし記事を書くことを「炎上」といいますが、自身のエリアが荒らされた時は、自身の「書き込み内容」に非はなかったか検証、非があれば詫びる、なければ真意を説明、真面目な管理者ならば、コメントを削除する旨を声明することが必須条件になる時代が到来するということです。

では、どうすべきなのか・・・公開範囲が限定でき、コミュニティ機能に優れたSNSの普及が進むものと思われます。
インターネット社会の先進アメリカと違い、まだまだ日本のネット社会では、自由に意見を述べる意味と意見に対して自粛自戒するバランス感覚が整っているとは云えません。言い換えれば自浄作用ができていないと云っても過言ではありません。
もっとネット社会に、バランス感覚のあるシニア層が参加することと、ネット社会を成熟させる義務と責任を痛感する一般の方の協力で、ネットコミュニティの高度化・熟成化にに期待したいものです。

参考文献:日経ビジネス(Associe’)
     フリー事典『ウィキペディア(Wikipedia)』