伊勢 雅臣
ヨーロッパ人の強欲非道の歴史を隠してしまえば、真実の世界史も日本史
も見えなくなってしまう。
■1.ボストン公共図書館の半旗
ボストンの中心街に聳えるボストン公共図書館は1848年創設、その面積は
東京ドームより広く、いかにもアメリカの国力を誇示するような広壮な建
物だが、その正面に何本も並ぶ星条旗がすべて半旗になっていた。
最近、白人警官が無抵抗の黒人を射殺する事件が相次ぎ、全米各地で抗議
デモが広がる中、ダラスで黒人容疑者に狙撃されて死亡した5人の白人警
官に弔意を示したものだろう。
一方でボストンでは街中で白人と黒人のカップルをよく見かけた。ハー
バード大学やマサチューセッツ工科大学など一流大学があるせいか、なん
となく黒人も知的な顔立ちの人が多いような気がする。しかし、こういう
進んだ光景は全米でもごく一部の地域だけで、人種差別はいまだに米国全
体を悩ませている宿痾である。
ただ米国人の名誉のために付け加えれば、米国ほど人種差別の問題に悩ま
されつつ、その解消のために努力してきた国もない。
アメリカの13の植民地は1776年に独立宣言を発し、連邦国家として出発し
たが、その当初から、黒人奴隷に依存したプランテーション農園を経済基
盤とする南部諸州と、黒人の少ない北部諸州では奴隷制に関して対立して
いた。
建国の父たちは、この点にこだわっていては一つの国家としてスタートす
ることは不可能と判断し、憲法では奴隷制を表立って取り上げることな
く、南部諸州の既存の制度を守ることを憲法上の権利として、国家統合を
優先したのである。
この矛盾が表面化した1860年代の南北戦争、その最中のリンカーン大統領
による奴隷解放宣言、1950年代からの公民権運動と、200年にわたる努
力がなされてきた。それでも根絶し得ないほど、人種差別の問題は根深い
と言わざるを得ない。
実は我が国も、明治維新以降、人種差別の渦巻く近代世界に漕ぎ出し、差
別されている有色人種による唯一の近代国家として戦ってきた。この視点
なくしては、我が国の近代史における苦闘の足跡は見えてこない。
この足跡に関しては、拙著『世界が称賛する 日本人の知らない日本』の
中で述べたが、今回はそれを補完するために岩田温氏の『人種差別から読
み解く大東亜戦争』[1]をご紹介しよう。
この書は書名の通り、人種差別との戦いが大東亜戦争の発端であったこと
を述べている。その本論は、同書に直接あたって貰うこととして、ここで
は同書の前段となっている、人種差別と奴隷制が常に西洋とともにあった
という史実を見ておきたい。
■2.奴隷制と共存していたギリシャの民主主義
ギリシャは西洋文明の源流、特に民主主義の発祥の地として高く評価され
ているが、実はその民主政治は奴隷制と共存したものであった。哲学者ア
リストテレスは著書『政治学』で次のように奴隷制を擁護している。
自然によって或る人々は自由人であり、或る人々は奴隷であるというこ
と、そして後者にとっては奴隷であることが有益なことでもあり、正しい
ことでもあるということは明らかである。[1, p44]
人間には生まれながらに知性に欠けた人々がおり、そうした人々は「奴隷
であることが有益」で「正しい」ことだ、とまで言っているのである。
ちなみに、奴隷を英語では“Slave”と言うが、これは中東欧のスラブ語で
の「スラブ(言語)」を語源とする。ギリシアとの戦争に負けたスラブ人
の捕虜が戦利品として奴隷とされたために、ギリシャ語で「スラブ」が
「奴隷」の意味となり、そこからローマ帝国のラテン語経由で、ヨーロッ
パの諸言語に広まった。
そのような奴隷は当然、市民には含まれず、民主主義の対象とも考えられ
ていなかったのである。
■3.「神が真黒な肉体のうちに善良な魂を宿らせたはずはない」
ヨーロッパ人はアフリカ大陸の黒人と接触することで、この人種差別を一
層強めたようだ。近代的な司法、行政、立法の三権分立の原則を説いたモ
ンテスキューですら、著書『法の精神』で次のように述べている。
現に問題となっている連中は、足の先から頭まで真黒である。そして、彼
らは、同情してやるのもほとんど不可能なほどぺしゃんこの鼻の持主である。
極めて英明なる存在である神が、こんなにも真黒な肉体のうちに、魂
を、それも善良なる魂を宿らせた、という考えに同調することはできな
い。[1, p55]
ヨーロッパ人は、科学やキリスト教などを持つ自分たちが「足の先から頭
まで真黒」な黒人よりも優れた存在である事は当たり前の事だと考えた。
ローマ教皇ニコラウス5世は1452年、アフリカの地中海沿岸部を征服して
アフリカ王と呼ばれたポルトガル王アルフォンソ5世に対して、異教徒を
永遠の奴隷にする許可を与えている。人種差別と奴隷化に、キリスト教の
お墨付きが与えられたのである。
■4.「キリスト教徒たちの暴虐的で極悪無慙な所業」
西洋人の強欲非道ぶりは、コロンブスによって新大陸に展開された。コロ
ンブスがバハマで出会ったタノイ族は温和で、武器の存在すら知らなかっ
た。コロンブスは感激して、次のように記している。
さほど欲もなく・・・こちらのことになんでも合わせてくれる愛すべき人
びとだ。これほどすばらしい土地も人もほかにない。隣人も自分のことと
同じように愛し、言葉も世界で最も甘く、やさしく、いつも笑顔を絶やさ
ない。[1, p80]
この「愛すべき人々」をコロンブスは捕らえて、奴隷としてスペインに連
れていった。さらに圧倒的な武力で脅して、タノイ族に金の採掘を命ず
る。採掘作業のために、畑作業が出来なくなった結果、深刻な饑餓が起こ
り、5万人の原住民が餓死した。
同様の強欲非道は、その後、さらに大規模にくり返された。1532年、フラ
ンシスコ・ピサロ率いる200人未満のスペイン人の一隊がインカ帝国に
やってきた。彼らは奸計をもって、皇帝アタワルパを捕らえ、莫大な金銀
を身代金として巻き上げた上で、処刑してしまう。さらに住民たちを搾取
し、虐待、殺戮した。
ピサロによって傀儡皇帝とされたマンコ・インカは次のようにスペイン人
に語ったと伝えられている。
私は心から君たちに好意を寄せ、友人になりたいと願って数々の親切をし
てきたのに、君たちはそれをすっかり忘れ去り、わずかばかりの銀のため
に私の願いを無視し、挙句の果て、君たちの飼っている犬に対するよりも
酷い仕打ちを加えたのだ。・・・結局、銀を欲するあまり、君たちは私と
私の国のすべての人びとの友情を失い、一方、私や私の部下は君たちの執
拗な責め立てや甚だしい欲望のために宝石や財産を失った。(ティトゥ・
クシ・ユパンギ「インカの反乱」)[1, p74]
ピサロらの悪行を、従軍司祭として見たラス・カサスは「この四○年間に
キリスト教徒たちの暴虐的で極悪無慙な所業のために男女、子供合わせて
1200万人以上の人が残虐非道にも殺されたのはまったく確かなことで
ある」と述べている。(ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡
潔な報告』)[1, p76]
ヨーロッパ人たちは愛を唱えるキリスト教を信奉しつつ、その仮面の下で
は、ローマ帝国の崩壊以降、何世紀にも渡って内部抗争や、異教徒との戦
争をくり返しており、その過程で他には例を見ない強欲非道ぶりを身に付
けたように思われる。
■5.「彼らは自分と肌の色が違うものを隷属させ」
強欲非道ぶりに関しては、北米に入植したイギリスも負けてはいない。
1606年、144人の入植者をバージニアに送り込んだが、多くが病や寒さで
死亡してしまう。彼らにトウモロコシの栽培を教えて、助けたのがイン
ディアンだった。
インディアンの族長が「武器を船においていらっしゃい。ここでは武器は
要らない。われわれはみな友人なのだから」と言ったが、返ってきた言葉
は「トウモロコシを船に積め。さもないとお前等の死体を積むぞ!」
彼らはインディアンを「人間」とは見なしていなかった。インディアンの
村々を襲撃し、食べ物を強奪していった。1610年に、植民地の住人2人が
インディアンによって殺害されると、イギリス人は報復措置として二つの
村を焼き尽くし、女子供に至るまで殺戮した。こうして、血で血を洗う復
讐合戦が始まったのである。
入植者たちは、神によって新大陸が与えられたと信じていたので、異教徒
のインディアンを殺す事は神の意思に従うと考えた。
キリスト教の指導者コトン・マザーは、ピクォート族の戦士たちを殺戮
し、生き残った女子供を奴隷として西インド諸島に売却した。彼は誇らし
げに「この日、われわれは600人の異教徒を地獄に送った」と記している。
以下のインディアンの言葉を読めば、ヨーロッパ人の強欲非道ぶりがよく
分かる。
白人の中にも善良な人間がいることは認める。しかし、その数は悪意を
持った白人の数に比べると比較にならない。白人たちは圧倒的な力で支配
した。彼らはやりたい放題のことをやった。人間はみな同じように大いな
る精霊によって作られたのにもかかわらず、彼らは自分と肌の色が違うも
のを隷属させ、従わないものたちを殺した。白人の誓いはいかなるものも
守られたためしがない。(デラウェア族パチガンチルヒラス)
■6.大西洋奴隷貿易
17世紀中葉には、キューバやハイチなど、カリブ海諸島でサトウキビのプ
ランテーション(大規模農園)が広まった。ヨーロッパで飲茶の風習が広
がり、砂糖の需要が高まったからである。
しかし、このプランテーションには大量の労働力が必要であり、地元の原
住民人口が激減していたことから、熱帯の気候に強いアフリカの黒人が奴
隷として大量に連れてこられた。
アフリカの奴隷商人たちが、ヨーロッパ人から購入した銃で大陸内部の
村々を襲撃し、捕まえた原住民を海岸部でヨーロッパ商人に売り渡す。奴
隷は奴隷船にすし詰めにされて大西洋を越えてカリブ海まで運ばれた。
その後、北米大陸の南部でも綿花のプランテーションで黒人奴隷を輸入す
るようになった。16世紀から18世紀の300年間で、奴隷貿易により
大西洋を渡ったアフリカ黒人は900万人から1100万人と学界で推定
されている。まさに世界史的な悪行である。
■7.日本の植民地化も狙ったポルトガル
ポルトガル人は、日本にもやってきて、布教を始めた。マカオなどと同様
に、最終的には植民地にする事を狙っていたのだ。しかし戦国時代で戦い
慣れていた信長や秀吉、家康は、彼らの企みを見抜いた。
信長は宣教師たちがキリシタン大名を育てているのを知り、布教を許した
のは「我一生の不覚也」と後悔したが、鉄砲部隊や鉄製軍艦などで宣教師
を威嚇して、「日本は征服が可能な国土ではない」と諦めさせた。[a,b]
ポルトガル人たちは布教のかたわら、日本人奴隷を海外に売り払ってい
た。秀吉はイエズス会の宣教師ガスパール・コエリョに対し、「何故ポル
トガル人は日本人を購い奴隷として船に連れていくや」と詰問している。
さらに教宣教師たちが、九州のキリシタン大名を焚きつけて寺社を焼かせ
ているのに激怒し、宣教師追放令を出した。[c]
キリシタンとの冷戦は、その後の徳川幕府にも引き継がれて、キリシタン
禁制と鎖国の政策がとられた。島原の乱[d]という戦闘もあったが、ヨー
ロッパ人の毒牙から我が国の独立を守ったのは、この反キリシタン政策の
功績であった。
■8.西洋の強欲非道と戦った日本の400年
18世紀以降の産業革命によって、ポルトガル、スペインに替わって、イギ
リスやフランス、オランダなどが台頭し、アジア、アフリカを植民地化し
ていった。またカリフォルニアまで開拓したアメリカは太平洋を越えて、
アジアへの触手を伸ばしつつあった。
こうして、アメリカからの黒船が来た時に、すでにアジア、アフリカで完
全な独立国と言えるのは、日本とタイぐらいしかなくなっていたのである。
幕末の「攘夷」とは世界を植民地化しつつあるヨーロッパ人の強欲非道か
ら我が国の独立を守る事であった。その戦いは日露戦争から大東亜戦争ま
で続く。国際連盟創設の際は人種平等条項を入れようとして欧米諸国に拒
否され[]、またカリフォルニアの日系移民が差別を受けた。
これらに対する国民的怒りが大東亜戦争の発端となった。この経緯を岩田
温氏の著書は詳しく辿っているので参照されたい。
近代世界史から、ヨーロッパ人の人種差別と奴隷制という強欲非道の行い
を隠してしまえば、キリシタン禁制は宗教弾圧であり、鎖国は文明世界か
ら国を閉ざした愚かな政策であり、幕末の攘夷は無知愚昧なスローガンで
あり、大東亜戦争は軍国主義による近隣諸国侵略としか見えない。それで
は真実の世界史も日本史も見えてこないのである。
■リンク■
a. JOG(497) 冷戦、信長 対 キリシタン(上)〜 信長の危機感
信者を増やし、キリシタン大名を操る宣教師たちの動きに信長は危機感
を抱いた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h19/jog497.html
b. JOG(498) 冷戦、信長 対 キリシタン(下)〜 信長の反撃
信長の誇示する軍事力を見て、宣教師たちは日本の植民地化を諦めた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h19/jog498.html
c. JOG(154) キリシタン宣教師の野望
キリシタン宣教師達は、日本やシナをスペインの植民地とすることを、
神への奉仕と考えた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h12/jog154.html
d. JOG(435) 島原の乱 〜 持ち込まれた宗教戦争の種子
欧州から持ち込まれた宗教戦争の種子が突然、日本の地で芽を出した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h18/jog435.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 岩田温『人種差別から読み解く大東亜戦争』★★★、彩図社、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4801300871/japanontheg01-22/